Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

暮れの夜のロココ劇場

2017-12-30 | 生活
シュヴェツィンゲンから帰宅した時には11時半を回っていた。最近はミュンヘンのそれも早めに終わり、帰宅走行時間で三時間以上長く掛かってもそれほど遅くはなっていないことを鑑みると、11時近くまで公演が続いていたのは珍しい。イゴール・レヴィットのレートナイトコンサートに近い。車を停めて正門から入場したのが19時前だったろうか。だから駐車料金も4.80ユーロになった。田舎の町としては比較的高額だ。

そのお陰で予定していなかった公演前のガイダンスを聞けた。話し手はハイデルベルクの劇場の支配人で、ざっとした作品に纏わる話とあらすじそして出演者についてであり、無料で最後の一つを貰ったプログラムの内容を超えることはなかった。しかし反復することでより頭に入る。とは言っても訳の分からぬ出場者の何人もの名前を把握するのはいつも厄介だ。昔から日本では翻訳本のそれもロシア文学などについて語られるカタカナの名前というものがあるがそれはアルファベットでもあまり変わらないように思う。特に異なる言語圏発祥の名前は覚え難い。

ロココ劇場の定員は500名ほどらしいが、ガイダンスにはそこに既にいる人はほとんど入ってくるので、大広間が一杯になった。流石にどこの大劇場もこのような大スペースは持っていないので全く並べられた椅子の数が違う。

幕開けまではそれほど時間が無かったが、一口口を濡らして、劇場に入る。久しぶりの入場で記憶にはあまりなかったが、少なくとも椅子や床は改良されていて、ギシギシなるような事は無くなっていた。2004年ほどに大きな改修工事が行われたようだ。これならば古楽器演奏団体などはもう少し使えばよいと思う。但し、今回の席も柱の裏で足が長過ぎる人は困るかもしれない。視界は目の前が塞がれるが、左側から右サイド舞台縁を除いては問題が無かった。そもそも奈落はほとんど見えないのは、何もここだけでなく昔の歌劇場では最前列を除いては同じである。

だから昔の広島カープの監督古葉さんのように柱の陰からそっと見てといった感じなのだが、決して音響は悪くはなかった。一度だけ右端に立って歌っているのか左端なのかが確認するまで分からなかったぐらいである。会場の大きさと収容人数からすると全く問題が無いのである。休憩時にいろいろと覗いてみると、むしろバルコン席の四列目なのの方が天井が低い分音響はよくないかもしれない。

私の三列目は正面横乍らその柱のお陰で20ユーロしかしなかったが、隣の席は36ユーロともう少し高かった筈だ。ミュンヘンの劇場と比較すると、勿論出し物も違うが立ち見の17ユーロとどちらが価値があるかということになる。

管弦楽は、キリル・ペトレンコ指揮のものに馴染むと古楽であろうがなんであろうがなかろうが、あまりにも下手で歌手はいったいどこに合わせているのかと思うときが少なくないが、やはりよくはなかった。それでも歌手が上手く歌うところだけは断然更っているようで聞き違えるほど緊張感のある演奏をしていた。ドイツの劇場で仕事をしているフェリーチェ・ヴァナンツィオーニという人だが可成りのお調子者のようである。やれば出来るらしい。(続く



参照:
いったいどこに行った 2017-12-29 | 生活
年の瀬はロココ劇場へ 2017-12-13 | 文化一般

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