Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2009年2月

2009-02-28 | Weblog-Index



野暮用のため絶食二日目 2009-02-27 | 生活 TB0,COM0
灰の水曜日の冷凍ピザ 2009-02-26 | 生活 TB0,COM0
今冬初雨上がりの散策 2009-02-25 | 暦 TB0,COM0
刈込めば実り膨らむ葡萄かな 2009-02-24 | マスメディア批評 TB0,COM0
決して満ちない底無しの樽 2009-02-23 | 歴史・時事TB0,COM0
石が溜まるような低い外気温 2009-02-22 | 試飲百景 TB0,COM4
迷惑千万な似非武士道 2009-02-21 | 歴史・時事TB0,COM2
疎まれるようでありたい 2009-02-20 | 試飲百景 TB0,COM0
発毛の季節のアルバム 2009-02-19 | 暦 TB0,COM0
おこちゃま言葉の日本国 2009-02-18 | 雑感 TB0,COM6
ハイエナの凶暴な食欲連鎖 2009-02-17 | 歴史・時事TB0,COM0
顔が霜焼けになった一日 2009-02-16 | 生活 TB0,COM0
老いて見せる恥ずかしい露出 2009-02-15 | ワイン TB0,COM0
神経をすり減らす夜鍋 2009-02-14 | 女 TB0,COM2
雪明りで繕いものをする 2009-02-13 | 生活 TB0,COM2
社会不安を煽りたい麻生 2009-02-12 | マスメディア批評 TB0,COM0
新社会市場主義経済構想 2009-02-11 | 歴史・時事 TB0,COM0
週末に働いていた人たち2009-02-10 | 歴史・時事TB0,COM0
どちらが七十年先に旨いのか 2009-02-09 | ワイン TB0,COM5
純潔に熱く燃えるピュイス 2009-02-08 | マスメディア批評 TB0,COM0
伝統への偉大なる妄想 2009-02-07 | マスメディア批評 TB0,COM0
初印象は香ばしい旨味 2009-02-06 | 試飲百景  TB0,COM0
シスマの危機に脅える教会 2009-02-05 | 歴史・時事 TB0,COM0
水で飛ぶかリャン・エアー 2009-02-04 | 雑感 TB0,COM2
ちびちびとはちきれる 2009-02-03 | ワイン TB0,COM0
地域文化の快適行軍 2009-02-01 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
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野暮用のため絶食二日目

2009-02-27 | 生活
今日も朝から野暮用で過ぎてしまった。今日の新聞も読めずであるが、昨日の興味深い記事も目を通せていない。

ゆっくりと食事をしている時間もなく計らずも絶食となっている。そのお蔭で夕飯前の一杯が美味い。とりあえずビールならず、とりあえずワインなのである。

明日から来週ぐらいまでは遥かに時間ができるだろう。
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灰の水曜日の冷凍ピザ

2009-02-26 | 生活
昨晩、呼び鈴が短く鳴った。セミの小水と呼ぶほど短く鳴ったので、答えがなくとも戸口を開けた、二回目には部屋の前に立っていたようなので、尋ねてから入口を開けた。

ピザを抱えたトルコ人風の親仁であった。注文をしていないと言うと、なんとかさんだとか言うので、聞き直すがハッキリしない。確かめると、紙を持っているのでそれを覗こうと老眼鏡を取り出した。

「眼鏡が要りますか?」と呟いて、「どれ、それを見せてみなさいと」覗くと知らない名前が書いてあった。それでも隣の家に行ってみなさいと教えてあげた。

結構な歳をして夜の仕事として稼いでいるのだろう。

今夜は季節がらもあって、冷凍のルッコラが乗っているそれを買ってきて食べる事にする。



参照:
刈込めば実り膨らむ葡萄かな 2009-02-24 | マスメディア批評
出稼ぎ文化コメディー映画 2008-02-14 | アウトドーア・環境
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今冬初雨上がりの散策

2009-02-25 | 
久しぶりに散歩に出かけた。天気が悪く歩くことが出来ずに体が鈍ったと言うよりも、冬になって初めての本格的な雨となったので、温度が高くなり湿気が高くなって気分が悪い。

丁度薔薇の月曜日で食欲も急激に落ちてくる。不思議な事で毎年同じように月陰暦に生活感が反映している。

彼方此方にあった凍った水溜りや雪は消えて、これで一挙に春へと向うかと思うと恐ろしい。

不景気のためか年々カーニヴァル需要は落ちて来ているそうだ。とは言ってもそれを楽しみにしている人も少なくない。
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刈込めば実り膨らむ葡萄かな

2009-02-24 | マスメディア批評
その昔の情景をふと思い起こした。何時か思い起こすのだろうなとその時に思っていた情景である。

ヴィザかなんかの更新に外国人局の部屋で見た光景であった。トルコ人かギリシャ人であったように記憶するが、大してドイツ語も流暢ではないのにヴィザとかなんとかの更新で非常に高飛車なのである。

こちらは、打って変わって先方に裁量権があると思うと下手に出るばかりで、「宜しくお願いします」と言う気持ちだけだったのだ。一体ああした連中はどういう了見の持ち主かと訝しく思ったと同時に、もしかして自分もそのような態度をとるようになるのかなと思ったのであった。

そうした危惧はあたっていて、物事を依頼するのに益々頭が垂れるどころか上がる様になって来ている自分を発見して可笑しくもある。確かあの田中角栄は、人に頭を下げて大金を渡したと言うが、それを小沢一郎らが頭を高くして受け取ったのだろうか?

日本に居る中国女性の手記なるものをネットで目にしたが、なるほど「日本人男性の卑屈さ」は丁寧や礼儀を越えて、謙りや卑下となって卑屈な態度としてそれが映るのは良く理解出来る。これも封建主義の名残りであって、万事が万事そのように社会が営われているから弊害も多く民主主義も成熟しない。かといって、中国に立派な民主主義社会の可能性が開いているかと言えばそうでは無い。
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決して満ちない底無しの樽

2009-02-23 | 歴史・時事
サーブが倒産してから、時間待ちになっているのがアダム・オペルである。GM自体は死なば諸共で、重要な子会社であったオペルの分離には動いていない。

少なくとも米国の子会社である限りは税金を使った支援は出来ないのは確かであり、もし分離されても過去にGM社が投資して来た額面を税金から賄ってももはや再建とはならないのはわかっている。

共同購入や共同開発によってのみ効率化して来たこの自動車会社にとってはサーブもGMも無い独立したドイツ車企業として生き残る可能性は殆ど無い。そのような事情を知っているから、GM側はあくまでもドイツ政府の共同出資を要請しているのだが、それを受け入れる余地はドイツ社会には無い。

ネットアンケート調査を見れば、75%以上が資本介入に反対しておりその三分の二は他の企業の悪い前例となるとして可能性を否定する。

リッセルスハイムだけでなく、ボッフムやアイゼナッハの工場も総て無用になり失業者は本社の二万五千人以外に関連企業や納入業者などを含めるとかなりの数になると言われている。しかし、将来性の無い赤字の会社を支援することは底抜けの桶に投資していく事であって受け付けることは出来ない。

先日車中で聞いたラジオでは、倒産後に抜けた市場をインドや中国からの投資と車両によって埋め合わされていくだろうとされて、そのような事になれば一時的な雇用策もジーメンスなどが放り出した小会社のように直に解決されない雇用問題としてぶり返し表れるようになる。

失業対策だけでなく一度潰してしまうと戻すことが出来ない有形無形の産業環境を如何に無駄にしないで将来へと繋げることが出来るかと言われるとこれまた解決方法が無い。



参照:
架空のクラフトマンシップ 2005-01-13 | テクニック
自宅よりも快適な車内 2005-02-14 | 歴史・時事
覚醒の後の戦慄 2005-10-15 | 歴史・時事
神の手に手を出すな! 2008-11-19 | 生活
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石が溜まるような低い外気温

2009-02-22 | 試飲百景
クリスマス以降気になっていた赤ワインを取りに行った。A・クリストマン醸造所のシュペートブルグンダーSC2007である。秋口に買ったその下のクラスのシュペートブルグンダーが、若いわりに、フォン・バッサーマンのピノノワールとも共通する獣臭さに近い香味があり、例年のものよりも面白いと感じたので、上のクラスも見逃せないと思った。

さて、その時以来の訪問で、今は仕事が少なくひっそりとしている。いつものように先代にご挨拶して、新しい試飲室の方へと向う。

先ずは、最近話題としている2007年産のキャビネットクラスの酸の落ち方と弱り方を調べるために、お気に入りのオルツヴァイン・ギメルディンゲンを試す。流石に、ビオデュナーミックのおかげというよりも収穫量を落としてあるからか、天然酵母を使っているからか色合いも強かった分だけ味があり、何時もは批判点となる面がこの考察においては有利に働いている。まあ、一本九ユーロを計上しているワインであるから当然と言えば当然なのである。

それでも酸が丸くなっていて、昨年の黄色い果実が弾け弾けた感じはなくて通常のリースリングとなって来ている。酸が丸くなってきていることは周知されていて、やはり2007年産の系年変化の特徴であることがここでも確かめられる。2007年産の収穫は、葡萄の熟成の十分で無い時から過熟成までの幅が大きく、今後市場に出るリースリングにおいてもクラスが高いものは今後も末長く素晴らしいが、下位のものは特別に良くはないだろう。2007年にしてはじめて新しいVDP格付けの実力差が如実に出たに違いない。

これは、2008年産において更に手間暇掛けた清澄感の差として表れる予想で、上位のクラスを十分に供給できる大手の醸造所が世界市場にて生き残っていくのだろう。アダム・オペル程度ではどうしようもない自動車産業とどこか似ている。

そして2008年産の場合、外気温が低い事からゆっくりと樽にて熟成されている意味ある別な視点を聞き及んだ。つまり低温の中で瓶詰めすると直にヴァインシュタインが沈殿してしまうと言うのである。それを避けるために薬品を塗布しないバイオ意識の高い醸造所では、新しい瓶詰め直後のワインとしては決して見た目の良く無いそれを避けるために、瓶詰めを見合わせているというのはまさに現場の思考形態である。醸造所内でも地上からみれば一寸でも長く樽で熟成させるので旨くなると言う視点との相違なのである。

さてお目当てのSCピノノワールは、やはり一種の獣臭さのようなものがあり、2003年度ものに続いて興味あるピノノワールであるように思う。現時点ではバリックの木の臭さがあるというが、それも蔵の中からの声である。そのバリック樽は七割方は複数年度で、三割方が新しいものが使われているようだ。更に寝かすオェールベルクなどは完全なバリックであるからそれが消えるまでに数年寝かしていることになる。

その寝かしている2005年も瓶詰めされていて試す。なるほどその地所らしく濃くが強く、なんと言ってもそのタンニンの強さが特徴である。恐らく2007年産の方が興味深いが、2005年産のこれを何本買うかは熟考が必要である。もう少し寝かしてみたいピノノワールである。ただ味の面白さはやはり2007年産だろう。

2008年産が例年に比べ色も強く香味が強いのはリースリングやピノブランなどでも確認されているので、シュペートブルグンダーも楽しみである。ドイツの赤は、2003年に飛躍の年を迎え、2005年で再びその継続を示したが、2007年も一寸面白さが加わり、もう一息で新たな飛躍も期待出来る。



追記:重要な質問事項であった嘗てのシュペートブルグンダーSCにあったムスバッハーの地所エーゼルスハウトの表示は、実態はカペーレンベルクを混ぜていたようで実際にはそのコンセプトは変わっていないと言う。つまり、何時ものようにマニアの緑家さんの感想などを読んでいると、2002年の同じ商品の写真の見た目の色も濃くてやはりどこか違うと言う印象である。やはり飛躍の年の前の出来事か?現在は大分繊細さに長けているのである。



参照:
ゲマインシャフトの人種 2008-09-25 | 生活
カテキン豊富に大満足 2008-12-25 | 試飲百景
疎まれるようでありたい 2009-02-20 | 試飲百景
フリッツ・ハークのグーツワインと雑学!の巻 (テンカワのワイン日記)
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迷惑千万な似非武士道

2009-02-21 | 歴史・時事
先日の独日協会の親睦会において酔っ払った大臣の話をした。自殺した総理大臣候補の父親や失態辞任後の大臣の自殺の頻度などを、日本人の飲酒に対する考え方や実態などを交えての話となった。

日本人は私生活における酒飲みに甘い反面、BMWの工場で昼飯にビールが出るなどはトヨタなどではありえないように、日本人特有の分解酵素欠乏のためか仕事中の飲酒は到底考えられず、飲酒運転の行き過ぎた厳罰化はそうした独自の飲酒に対するモラルとして存在していることが挙げられた。

飲酒に対する厳しい姿勢はある意味イスラム教徒にも似ているが、自殺による贖罪も腹切りとして世界的に有名な日本名物である。そしてこれは芸者文化興味などよりも遥かに現在の日本の政治社会状況の実態を示しており、致し方ない感情を持つのは私だけではないだろう。

同時に戦後教育や戦後の史観の独日における差異に言及されたが、これに関しては裕仁天皇はヒットラーの国家社会主義者とは異なりむしろ第三帝国にてクーデターを試みた守旧派と変わらない訳で、その荒唐無稽の皇国観は別にして、必ずしも「処刑にすべきであったする意見」には組みしない。

しかし、現在頻繁に起きるような自殺行為は、明らかにその皇国観が武家社会とは無関係であったのと同じように、全く武士道とは異なるものである。ある意味、黒澤監督が自らの作品「七人の侍」を真似した米国映画の「ならず者」と「本物の侍」を一緒にされては適わないと激怒したように、混同されては甚だ迷惑千万なものなのである。

現在の自殺による自慰行為には、封建社会における「改易」が無い事自体が形式的にも片手落ちであり、こうした考え方がイスラムにおけるそれに比べても如何に現代の法秩序とは相容れないかが分かるであろう。そもそもそうした自殺をする連中と、武士精神はなんらかかわりが無い訳で、最も近い例は中共で行なわれている公開処刑の方法であるに違いない。

伝統だ固有の歴史だと言う輩が本当に歴史を背負っている場合など極稀であるに違いない。



参照:
“笑っちゃう”でB層のルサンチマンを煽り (toxandoria の日記)
政界のリスク・マネジメント (Today's Crack)
いまごろほぼ日の (たるブログ)
おこちゃま言葉の日本国 2009-02-18 | 雑感
幼児化の文化教育政策 2009-01-20 | マスメディア批評
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疎まれるようでありたい

2009-02-20 | 試飲百景
2008年産二度目の試飲である。今年はペースが二月ほど遅い。それだけに楽しみでもある。ソーヴィニオン・ブランが出来上がったと知らせを受けて、ついでのリースリングのリッター瓶も試したのである。

その前に、ヴァイスブルグンダーを試す。酸味もシャープでありながらまだまだ酵母水を飲んでいるような感じである。勿論現時点では買えないが、素地としても今一つな感がある。

そして、リースリングを試すが、これがなかなか酸が硬い。2008年産は2007年産と異なり量は少ないが、最初から味が良く出ている。香味が強いという印象はこれも同じで、厳選してあるものは大変楽しみである。

ゲオルク・モスバッハーでは、昨年と違いこれをもっとも低価格なリースリングとしてブレンドしているという事で、自己栽培の葡萄が大分入っているようで、栽培地域もフォルストからヴァッヘンハイムへのシュネッペンフルークに含まれる所であるようだ。

価格は、5.4ユーロとなかなか微妙な価格設定である。アルコールは11,5%であるから結構嬉しい。流石に後味に苦味のような香味の糟と残糖感とまでは行かないヌレっとしたのどごしがあるが、これは人によれば全く気がつかないものであろう。正直、この程度のワインをレストランで出されれば感動して瓶で立て続けに飲み干してしまうに違いない。因みに当局の検査番号が001なのでこの醸造所の今年最初の瓶詰め商品という事になる。

そこで2007年ものはリースリングの話となるが、「キャビネットクラスで飲み頃のがないからね」とふると、「そんなことはない、例えばムーゼンハングなどは素晴らしい」と反論される。

なるほど、昨年のクリスマス前には「2007年は長持ちして何時までも上手い」と彼女に強調していたのは何を隠そう私なのである。それは今、どこぞの政治家のようにその前言を覆して、「谷だ」との給うから反感はきつい。

「そりゃ、殆ど晩摘みクラスの9ユーロの価格帯ならあるわな」と責めると、いよいよ剥きになって、「ヘアゴットザッカーも私はまだまだ新鮮でぴちぴちしていると思うわ」と少々過大に仰る。

「それなら飲ましてよ、残り少ないといっても」と試飲するがやはり今一つだ。2007年産は量があることで珍しく今でも多くのものが手に入る。それだけに2006年の過熟成と早い熟れとは状況は著しく異なるが、比較的早めに収穫されたキャビネット以下の売れ筋には皆関心があるのだろう。恐らく海外市場ではこうしたものがかなり出て来るに違いない。

という事で、あまりにワインの熟成や寿命を見つめるお客さんはありがた迷惑に違いないだろう。つまり次の山では、幾らかの熟成感が漂うに違いなく、しかしキャビネット以下の商品は益々二年以内の消費を考えるようになってきており、高級ワイン醸造所はさらに上位の商品へと比重を移して行く必要がある事は公然なのである。だから、こうした指摘は、「個人の好みでしょ」と言われても「それは違う」と釘を指すことが大切なのである。要は高級商品を買えという事になる。批評などは、批評されるものにとっても真っ当な批判でなければいけない。さもなくば効果をもたない。決して弾劾して喝采を浴びて自己正当化したり、迎合して飲まれてしまうことではないのである。それをジャーナリズムと呼ぶ。

さて、お目当てのソーヴィニオン・ブランが、「どう思うか凄く興味があるわ」とグラスに注がれる。先ず香りが2006年のそれを髣髴するセイヨウスグリの香りの強さにもまして更なるトロピカルなフルーツやマルメロなどの黄色系の香りに満たされる。

そして、2006年とは比較にならない透明な酸で、2007年の糖が強い重さも皆無なのである。生き生きした酸から夏前の清涼にも楽しめ、恐らく2007年産を今年の正月に飲んだように熟成も楽しめるに違いない。

現在の樽番号は004なので、この第一の樽と第二の樽を狙っているが、この夏前にも楽しめ後にも楽しめる素晴らしいワインを上手く手に入れれるかどうか。
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発毛の季節のアルバム

2009-02-19 | 
花が咲いていた昨年の四月に鉢を人に預けた。引き取りに行くと総ての花は刈り取られて仕舞っていた。花を咲かすために切り取ったのだとか。

その後秋になって葉が枯れてきたので捥ぎりとって行くついでに生え掛けた毛も総て擦ってもぎ取った。

どうも髭を落としてしまったので発芽しなかったようである。そして今髭を育てている。謝肉祭には間に合わないが、復活祭には蕾ぐらいはつくのではないかと想像している。
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おこちゃま言葉の日本国

2009-02-18 | 雑感
今日のドイツ語講座 - RをLとしか発音できない国民のために:

Der Finanzminister Shouichi Nakagawa hat gelallt.

経済相中川昭一は呂律が廻らなかった。

Der Finanzminister lallt sich aus dem Amt.

経済相へろへろと退散。

Bei einer Pressekonferenz des G7-Gipfels wirkte er benebelt und betrunken.

G7サミットの記者会見を酔って朦朧と勤める。

Das Land des Lallens.

Rを発音できない、おこちゃま言葉の国。酔っ払いの国。


今日の家政:
カヴァーを替えようとすると綿埃が甚だしいので、掛け布団を替えた。



参照:
Japan -
Finanzminister lallt sich aus dem Amt,
Das Land des Lallens (FOCUS)
Gelallt bei G7: Japans Finanzminister tritt zurueck (ZDF)
トドメのさされにくい死に体
中川さんの仏頂面 (Today's Crack)
まだ酔いが醒めないらしい~中川財務相辞任~ (虎哲徒然日記)
身近な?ニュース (うさたろうのフランス生活)
日本は世界の恥 (虹コンのサウダージ日記)
水がワインになった奇跡 2005-01-07 | ワイン
無兜・飲酒への恐怖 2009-01-08 | マスメディア批評
男なら運転前に一寸一杯 2008-10-17 | 生活
程々に飲める人々 2005-08-23 | その他アルコール
伝統への偉大なる妄想 2009-02-07 | マスメディア批評
幼児化の文化教育政策 2009-01-20 | マスメディア批評
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ハイエナの凶暴な食欲連鎖

2009-02-17 | 歴史・時事
週初めから、倒産の話を纏めておく。ドイツにおいても所謂ハイエナ・バッタ野郎の被害が金融危機によって表面化して来た。

日本でも伝えられて話題となったであろう汽車モデルの歴史的なメルクリン社の倒産のみならず、支払不能の波の後陶器のローゼンタール社も倒産した。また衣料で世界に名を成したミュンヘンのボス社も、皮肉な事に経営基盤を強化されるために入り込んだヘッジフォンドの資金で負債超過に追い込まれた。

それどころかアドヴァイサー料として累積負債額55ミリオンのうちの大半にあたる44ミリオンユーロを四年間で計上していたのは、このフォンドグループからのアドヴァイザーであったと、比喩ではなくハイエナバッタ野郎の実態を管財人は語っている。

また極東生産委託によっての商品の質の低下をここでも嘆いたボーデンゼーの衣料メーカーシーサー社も、ライセンス生産などの営業不調から一割の自己資本へと転落して、株式保有を誇る操業者によっても何一つ迅速な対応が行なわれず在庫を抱え支払不能となった。カイーザースラウテルンのミシンメーカープァッフ社も倒産した。また、ドイツ各地に直売店を持つ大手靴メーカーサラマンダーもイタリアの会社へと身売りされた。

エンドユーザーにその商品価値を嘆かれるような品質低下を招く生産者は、その市場での不調を一時的には投資家から集めたとんでもない金を潤沢に使う事で凌ぐことが出来るが、自転車操業宜しくの運営はこうした金融危機を以って終止符を打つ。

勿論会社を潰すのは暢気な創業者家族だけではなく、園芸機具で有名なプファルツのヴォルフ・ガルテン社などの場合はアンドレアス・ヘンシェンに売り払ったばかりに、会社はスイスへと移転させられ挙句の果てに倒産に追い込まれた。ヘンシェンの方は今後はパートナーのケース・ヘルシーとともに軍需産業に専念すると言われる。

ヒューゴ・ボス社の場合も154ミリオンユーロの稼ぎに対して、445ミリオンユーロの配当をフォンド会社ペルミナに支払わなければいけなかった状況自体が異常なのである。シーサーのオーナーも他の会社の操業家族なども幾ら一定の資本比率を維持していても違法に売り逃げでもしないかぎりその莫大な財産も殆ど無と化すのである。

メルクリン社の場合は顧客であり愛好家であるポルシェ社の社長ヴェンテリン・ヴィーデキントすら倒産への判断を下したようで、ハイエナの輩が他の判断を下す訳がない。

それでは、上場の制限を厳しく行なって世界上場企業の数を著しく搾り、尚且つ労働組合以外には多数の株式保有率を許さないとする規制を設けたとして、健全な自己資本と個人的な投資関係を中心にした地域に根ざした資本投下や経済活動を進めて上手く行くかというとそれもなかなかそれも難しい。

伝統的なワイン醸造所の身売りなどが頻繁に囁かれている。昨日耳にした話では保存の利くワインでまた日本でも有名なルップレヒト醸造所が既に身売りされていると言うことで、なるほど先日古いワインが業界関係者を集めて試飲された話はこうした背景があったのだと後になって知れた。

その他バートデュルクハイムの醸造所シーファーが身売りに出ていると言う。規模を予想すると、恐らく一ミリオンユーロぐらいではないかと思うが、どれほどの経済的な価値があるかは何とも言えない。高級ワイン団体VDP加盟の醸造所であり、評価本などでは比較的良い判断が下されていたようだが、正直どれだけ価値のある地所を所持しているかでその価値は決まってしまう。その味筋からしてに最新設備があるとも思われず、また少々の大きな地下蔵や屋敷があっても、通常の不動産として運用しなければ ― 嘗て4ミリオンマルクでオファーが出されていたヴァッヘンハイムのヴォルフ醸造所は屋敷内にいくつものアパートメントを完成させているが ― 醸造所としての価値は決して良くないであろう。

要するにワイン醸造を真面目にやろうと思えば、オーナーは地所や地下蔵に絶えず目を配りパーソナルを把握していないと良いもの作れないのである。家業として相続するのでなく、こうした物件を投資対象とすればそれ相応の利潤が求められる。その利潤を求めないものは馬鹿の趣味人とされる。

しかし実業家だビジネススクールだとか言って紳士面している輩の手からはまともな製品や文化は生まれない。企業家などは元来職人か商売人でしかない訳でそれ以上のものを求めることが既に間違っている。それ以下でも以上でもないのである。

それでは良い商品を提供しているからお家安定かと言えばやはりそれは違う。最近とんでもないような噂を聞くようになった。つまり、生産から離れて如何に財産を管理しているか運用しているかの問題となると、何人も現在の卑劣な投資環境から逃れることはできないのである。どんなに歴史があり、膨大な不動産や生産施設などを所持していても、その余剰している財が本来の生産のために投資されずにこうした金融商品として財蓄がなさされているとすれば、一瞬にしてそれが容易に相殺されてしまう。まさに企業百年説の根拠でもある。

恐ろしいのは、それによって伝統や文化も一瞬にして崩壊してしまうことであり、それは第一次世界大戦での社会変化に匹敵するのではないだろうか?恐慌云々よりも歴史的には遥かに重要な視点であると考える。



参照:
Marken im Strudel ihrer Schulden, Susanne Preuss, FAZ vom 14.2.09
イナゴの大群-FAZを読んで 2005-05-05 | 数学・自然科学
資本主義再考-モーゼとアロン(3) 2005-05-04 | 歴史・時事
新調パジャマの裾直し 2007-11-23 | 生活
貧しい村と産業基盤 2006-09-27 | 生活
サラマンダーに遭遇 2006-03-27 | 数学・自然科学
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顔が霜焼けになった一日

2009-02-16 | 生活
朝から出かけた。ヴァンデルングの例会で一月に続いて二回目の参加である。顔馴染みも増えてさらに快適になった。雪が残っているのでスパッツを持って出かけたので足が汚れずにこれも快適に行軍できた。

態々、列車とバスを乗り継いで、一時間以上掛けて山の裏側から歩き出すのだが、家まであるいて帰ってきた。距離は前回より少なかったが、昼飯は嘗て昼飯などをよくしに行った谷の中のレストランで摂った。十年振りぐらいだろうか。

そこで今日のお奨めの豚のロール焼きが業務用ソースと共に大変美味かった。サラダとつけ合わせのきし麺も満足で嘗ての好印象がそのままで嬉しかった。樽ビールを二杯も飲むのも久しぶりでこれも嬉しい。

帰りは峠に上がってそのあとは谷を下ってダイデスハイムに出てきた。天気は良かったが、零下の寒い一日だったので顔や霜焼けになり、リップクリームが離せない。
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老いて見せる恥ずかしい露出

2009-02-15 | ワイン
前日に飲み干した2006年産辛口キャビネットは散々であった。去る九月に試飲して購入した時から、過熟成の独特な夏のお花畑のような蜂蜜の混ざったムレムレの素晴らしい芳香を発していて、収穫した葡萄自体が腐りかけそうだったのを十分に想像した。

それでも秋に二本目を開けた時点でも十分にフローラルな楽しみを味合わせてくれて、人間の女性なら香水の似合う淑女の魅力そのものであった。それが、三か月も経つか経たない内に完全に終っていたのである。

要するに酸も果実もあったものではなく殆ど苦味のような味だけが、お祭りのあとの散らかった路上のように散乱していたと言う有様であった。

こうなれば、今晩は2007年産のキャビネットが谷に入っていることでもあり何を開けるかと思案して、晩摘みのシュペートレーゼでも開けようかと思っていると、2005年産の昨夜と同じ醸造所のバイケンがまだ影にひっそりと二本残っているのが目に入った。

2005年のシュペートレーゼは、一般的にこれまた昨年の夏前から第二の山に入っていて、どれを開けても満足すべき熟成が始まっている。そこで、二本の内に一本を開ける。

流石に、昨日のキャビネットとは大違いに、酸も活きていて若々しさと瑞々しさがある。そしてなによりも体格が宜しい。

色艶にも漂う香りにも深さがあるのだ。それでも昨年感じなかったような、甘露飴風味などが出てきて若干老けた感じが強い。まだまだ飽きずに幾らでも杯を重ねることはできるが、山は過ぎたと見た。

丁度、至近距離で見つめていると肌の上に乗る白粉の分離が分かるような女性の感じである。それはそれで悪くはないのだが、こうなるとどうしてももう一つ上のグランクリュワインにあるような高貴さや清澄さや中身の充実を求めてしまう。

人間もワインも全く同じで、若いときはなんでも構わないが、老けると中身の差が甚だしく露出してしまうのである。殆ど恥ずかしいぐらいにである。


今日の一言:

辛口リースリングは遅くならない内に飲み干せ!

辛口リースリングは、出来る限り早い内に試飲して、何年保つか判断しろ!

辛口リースリングに恥じを掻かせるぐらいなら、初めからグローセス・ゲヴェックスを買え!



参照:
雪明りで繕いものをする 2009-02-13 | 生活
胃に沁みる夕べの祈り 2008-11-20 | 料理
いつの間にさくらに変身 2008-09-21 | 試飲百景
中庸に滴る高貴な雫 2008-09-03 | ワイン
ラインの穏やかな中庭 2006-09-11 | 試飲百景
地所の名前で真剣勝負 2006-02-06 | 試飲百景
放言、よー、観てみよー 2009-01-05 | ワイン
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神経をすり減らす夜鍋

2009-02-14 | 
夜中からお昼過ぎまで12時間もかかってしまった。満月の夜とはいえ殆ど徹夜仕事になってしまった。一時間ほど仮眠して夕方散歩に出かけたが、風が強く今朝の雪が所々に残っている。

熱いのか寒いのか自律神経がいかれてしまっているのか、ただただふらふらとして夢遊病者のように足元が覚束無い。胸の痛みから胸がむかむかして来て、何時もならなんでもないマドンナ像への階段の登りがきつく、吐きそうになにかがこみ上げる。

元来対人関係もそれほど得意ではない人間であるが、PCの前でネットの中のコンピューターの対応に右往左往して、夜中から神経をすり減らすのはストレスの質が違う。朝になって、幾つかの電話などをして、はじめての人と話してこれほど温もりを感じたことはない。

普段ならばあまり歓迎したくないような電話の向こうの人の思惑や当惑や思考態度が手に取るように感じて面白いと思わせるほど、ネットの中の既にプログラミングされている応対に真剣に付き合うほど神経をすり減らすものはないように感じた。

最初のシュヴェービッシュ訛りの親仁との電話のそのあと、ルフトハンザのクレジットカードのサーヴィスに電話すると、バイエルン訛りの「かなりのRの発音」が聞けて面白かった。パッサウ周辺であるからやはり中央ドイツやボヘミヤにも共通するような発音で、リンツなどとも流石に違い、ここプファルツからは最も地理的に遠い領域なので珍しかった。

やや短めの舌と小さめの骨格が想像できて、ブロンドというより栗色系を想像させるのだ。どちらかと言えば御馴染みの上バイエルンやオーストリアの長く延びるそれではなくて、結構几帳面で好感の持てる真摯な対応に短く強く入るRの音は、その地域の人の骨格や民族性や信仰までをも思い起こさせるようなものであった。

あれやこれや考えている内に二月ももう半分も過ぎてしまう。
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