Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

警察を恐れていた理由

2019-10-26 | 生活
おお、車検に通った。兎に角、なんでもいいこれでラストランが可能となった。大きなトラブルさえなければ、試乗、新車発注、納車で半年ぐらい見て、その時まで走れれば万々歳だ。修理費は三千ユーロほどで済みそうなので、代車料を入れても、数カ月間車を都合するよりは安くつく。あとは購入資金計画などを立てればよい。

「これで本当に最後ですよ」とヴィラ―親方は電話で言った。当然だ。勿論、車両トラブルも事故もいつでもあり得るが、今後はリスクをはらみながらも距離を走れば走るだけ、少なくとも事故無しには走れば走るだけこの車に関しての経費が距離ごとにどんどん落ちて行く。キロ当たり、月当りの維持費と購入費用がどんどんと落ちて行く。実際に償却していくという事で、お得でしかない。これも次車選定とコスト計算時に大きな参考になって、より経済的に投資できることになる。という事で、それほどドイツ製を信用していなくても、ハンガリーの工場などで生産されるものでなくて、国内の生産ラインに乗るものを発注する心算だ。やはり当たり外れが出て来たときにも調査とか原因特定と対処策も取り易いだろう。

今はじめて車検無しの走行の罰則規定を調べた。怖くて調べられなかった。期限から二月以内は警察によって指摘されたら、注意喚起。それを過ぎて四カ月までは15ユーロの罰金と詳細車検の義務。四ヶ月を超えたら25ユーロ、八カ月を超えたら60ユーロと減点一点だった。

当然のことながら事故で警察のお世話になると、全ての責任をこちらに押し付けられる可能性があった。保険会社が金を出さないばかりか、不整備を攻めてくる可能性すらある。昨年横腹に突っ込まれた時の様に、全面的に向こうが悪くても、加害者の車の修理代まで請求してくる可能性さえあった。最悪だった。これでその場からようやく逃れた。あとは稼ぐだけだ。とは言っても事故の加害者から車の修理費を取るのにはもう無理で、当屋家業は最後の三千ユーロほどで事実上廃業した。

事故の加害者にならないこと以外に路上での立ち往生無く、最後まで走り通したい。冬場に差し掛かって、バッテリーが弱って動かなくなって、警察が来ても、自動車クラブに救援を頼んでも検査切れの指摘を受けるところだった。そして自動車会社の支店はそんな車は弄りたくない。町のガレージの親仁のところで直させてと、愈々怪しいところへと入って行く。面倒なだけでちっとも有難くない。「行け行け皇軍」の奥崎のバッテリー屋のようなところにお世話になる。

だから先ずは自分でバッテリーチェックする以外にガレージで動かなくなった時の為に電動の充電装置を購入するつもりでいた。そしていざの場合に自己発進できるようにもう一つバッテリーを購入して持ち歩こうかと思ったぐらいだ。これだけで数百ユーロ掛かる。それも必要なくなった。冬タイヤを履くときにチェックさせたい。

録音しておいたヘルヴェーへ指揮のブルックナーのに曲を聴いた。ミサ曲の方はカテドラルの音響も合唱団も優れているので良かったが、流石に交響曲二番は素人のような演奏だった。なにも上手である必要はないが、あれでは到底この曲の全貌は表れないと思った。朝比奈隆大フィルとはまた違う。あの程度の上演をする必要があるのかどうも合点がいかなかった。古楽畠から出てきてまともにクラシック以降の管弦楽曲を指揮している人を知らない。

この週末で夏時間がやっと終わる。最後の土曜日に晴れそうなので、来週からの冬籠りの準備をしておこう。PC関連はそれほど問題が無いと思うが、もう一度籠り部屋に移して、次号機を選択しなければいけない。

先日購入したバレンボイムが弾くCDにノイズが入っている。幾らか金を出しているので、原因を調査しなければいけない。どうも傷はないので、流石に編集後に入っている筈はないので、プレス時にの原盤に事故があった可能性もある。ここまでのノイズは珍しい不良品で、それも回収せずに販売しているのも異例だ。逆に希少価値がありそうだ。



参照:
こじんまりとした日常 2019-10-24 | 生活
末恐ろしい顛末 2018-09-15 | 雑感

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