「にっぽんの『奇想建築』を歩く」 サライ2017年7月号

サライ最新7月号、「にっぽんの『奇想建築』を歩く」を読んでみました。

「サライ2017年7月号/にっぽんの奇想建築を歩く/小学館」

奇想といってまず思い出すのが、若冲や蕭白、それに蘆雪らの江戸絵画ですが、何も奇想は美術だけに当てはまる概念ではありません。



建築から奇想を見出そうとするのが、サライ7月号、その名も「日本の奇想建築を歩く」でした。建築史家の藤森照信は、奇想建築を「文明の衝突時に誕生する」と述べています。



「国宝救世観音菩薩立像 特別公開」 法隆寺夢殿(はろるど) *この春の特別公開を見てきました。

いくつか実例を見ていきましょう。最も古い形として挙げられるのが法隆寺でした。現存する最古の木造建築でもある金堂の高欄は、それまでの日本建築になかった様式であり、おそらく当時の人々は不可思議に感じたものであろうと指摘しています。

近代の日本で最も激しく文明が衝突したのが幕末明治の時代でした。西洋化のプロセスは、時に日本古来の建築様式と融合し、「擬洋風建築」と呼ばれる奇想建築が生み出されました。

表紙を飾る「旧開智学校」も典型的な擬洋風建築です。ともかく青い塔が青空に映えます。バルコニーには白い雲が浮かんでいました。さらに屋根はエンジェルがのっています。なお建物表面は石張りのように見えますが、実は漆喰でした。そこにも擬洋風の形を見出すことが出来ます。



ほかには山形市郷土館や伊豆の岩科学校なども紹介。写真、記事とも充実しています。ちなみに岩科学校はバルコニーや柱や手すりの装飾が西洋的である一方、玄関上の瓦屋根やなまこ壁に日本の伝統的な様式が見られるそうです。内部には当地の左官の名工、入江長八も腕を振り、鏝絵などを残しました。

「伊豆の長八ー幕末・明治の空前絶後の鏝絵師」 武蔵野市立吉祥寺美術館(はろるど)

この入江長八は、かつて武蔵野市立吉祥寺美術館での回顧展でも紹介されました。岩科学校の位置する松崎には、伊豆の長八美術館もあります。一度、現地を見学したいものです。



奇想建築特集の主役というべきなのが伊東忠太でした。まずすぐに思い浮かぶのが、現在、改装中の大倉集古館です。初めて見た時は、私も独特な佇まいに驚いたものでした。



忠太の建築でも特に知られるのが築地本願寺です。明治9年の竣工。伝統的な寺院建築とインドの仏教建築を合わせた建物は、一目見るだけで脳裏に焼きつくかのような強い印象を与えます。私も初めて立ち入った際は外国にでも来たかのような錯覚に陥りました。



なお現在、築地本願寺は境内整備、インフォメーションセンターなどの建設のため、一部が工事中です。白いフェンスで覆われていました。完成予定は今秋の10月だそうです。

地元の千葉にも忠太の建築があることを初めて知りました。それが市川市の中山法華経寺の聖教殿です。私も早速、見学に行ってきました。



最寄駅は京成線の中山駅です。駅前の参道を北へ進むと大きな門が見えてきます。法華経寺は日蓮宗の大本山です。広い境内を有しています。



日蓮聖人像の安置された祖師堂をはじめ、五重塔や法華堂などは国の重要文化財に指定されています。聖教殿は境内の最奥部でした。祖師堂を抜け、宝殿門を過ぎると、樹木の鬱蒼とした森が現れました。何やらひんやりとしています。その中で忽然と姿を見せるのが聖教殿でした。



一見して感じたのは異様な迫力があるということです。地盤から最上部までは約22メートル。事前に見ていた写真よりもはるかに大きく感じられました。



構造は鉄筋コンクリートです。外装に花崗岩を採用しているそうです。外観は確かにインド風ながらも、正面柱頭の霊獣などは西洋の古典主義の意匠も採られています。鉄扉を堂々と飾るのは法輪でした。

竣工は昭和6年です。国宝「立正安国論」や「観心本尊抄」をはじめとした貴重な寺宝が収められています。それゆえに内部の見学は叶いません。



ここで嬉しいのがサライの誌面です。特別に撮影した内部の写真が掲載されていました。内部は外観とは一変、何と純和風でした。厨子や簞笥も忠太自らが設計しています。ドーム型の格天井も珍しいのではないでしょうか。外も中も確かに奇想でした。

また通常、非公開の本願寺伝道院の内部も撮影を行っています。さらに京都の祇園閣や伊賀の俳聖殿などもピックアップ。かつての阪急梅田駅のコンコースをシャンデリアとともに飾ったレリーフも忠太の設計でした。

奇想建築以外にも見どころがあります。まずは巻頭の藤原新也による「沖ノ島」の特集です。ともかく写真が美しい。自然の姿が神々しくも感じられました。また美術関連では7月5日より上野の森美術館で開催される「石川九楊展」のほか、奈良国立博物館で「源信 地獄・極楽への扉」についての案内もありました。

「サライ2017年7月号/にっぽんの奇想建築を歩く/小学館」

見て、読んで楽しめるサライ7月号の「にっぽんの『奇想建築』を歩く」特集。雑誌片手に奇想建築を見て回るのも面白いのではないでしょうか。



ちなみに来月の8月号は「くらべる日本美術」です。建築、美術ファンにとって嬉しい企画が続きます。こちらも期待したいです。

「にっぽんの『奇想建築』を歩く」 サライ2017年7月号
内容:唐破風にエンジェル、築地に珍獣。こんな建物に誰がした?にっぽんの「奇想建築」を歩く。法隆寺から安土城、日光東照宮そして「伊東忠太」へ。旧開智学校、山形市郷土館、岩科学校ほか。
出版社:小学館
価格:700円(税込)
刊行:2017年6月9日
仕様:156頁
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「リアル(写実)のゆくえ」 足利市立美術館

足利市立美術館
「リアル(写実)のゆくえ 高橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐもの」 
6/17~7/30



明治以降、現代へと至る日本の絵画の「写実」表現に着目します。足利市立美術館で開催中の「リアル(写実)のゆくえ 高橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐもの」を見てきました。

チラシ表紙が冒頭の展開を物語ります。右は幕末明治の洋画家、高橋由一の「鮭」です。縦長の画面に半身の切り取った鮭を描いています。ちょうど吊るした状態を表しているのでしょう。由一の鮭は何点か存在していますが、山形美術館の寄託作品でした。確かに迫真的です。これほど知られた鮭の絵画はほかにないかもしれません。

それでは左の鮭は誰が描いたのでしょうか。磯江毅でした。1954年に大阪に生まれ、10歳でスペインに留学し、その後も同地で制作を続けたマドリード・リアリズムの画家です。本作のタイトルは「鮭ー高橋由一へのオマージュ」です。由一画を参照したのは言うまでもありません。

さすがに隣り合わせにあるだけに、否応なしに比較せざるを得ません。(実際の会場では左右が逆に展示されています。)由一はキャンバスへ鮭を描いたのに対し、磯江は板の上に描いています。背景も由一画のように黒、闇ではなく、板そのものです。さらに鮭を吊るした上に紐で両側から縛っています。

ともかく精緻です。板の上の木目にも色彩を加えています。そして紐の一部には実際の紐が使われていました。しかしそれゆえか、板も紐も描かれているのか、実際の事物なのか、俄かに判然としません。何やらだまし絵を前にしたかのようでした。

鮭の半身が際立つのは磯江です。骨は白く鮮やかでした。一方で由一作は黒ずんでいる箇所もあります。筆触は重々しく、まるで鮭の放つ生臭さが伝わるかのようでした。磯江作が洗練されているとすれば、由一作の方がより生々しいと言えるかもしれません。

明治と現代の2つの写実表現。画家の個性はあるとはいえ、約150年を経て、どのように変化したのでしょうか。モチーフしかり、確かに似ていますが、むしろ違いが際立って見えました。


加地為也「静物」 1880年 宮城県美術館

2点の鮭を参照したあとは明治時代に遡ります。高橋由一と同様に写実に取り組んだ五姓田義松らの作品が並んでいました。五姓田として思い出すのが神奈川県立歴史博物館での回顧展です。その時にも印象に深かった「老母図」が出ていました。亡くなる間際の母を描いた一枚です。仰向けで横たわる老母の姿は痛々しい。骨ばった手や顎の表現には鬼気迫るものを感じました。


原田直次郎「神父」 1885年 信越放送

加地為也の「静物」を見て連想したのは17世紀のオランダの風俗画でした。魚や海老がカゴに入っています。魚はなにやらグロテスクな一方、カゴは極めて精緻に描いています。また原田直次郎の「神父」も目を引きました。神父の横顔です。ちょうど頭から白いひげの部分に光が当たっています。深い慈愛が滲み出るかのようでした。


河野通勢「風景」 1916年 調布市武者小路実篤記念館

明治の写実は大正に入って岸田劉生らに受け継がれました。劉生画は計7点です。さらに劉生の結成した草土社の椿貞雄と河野通勢も出ています。河野の「裾花川の河柳」のうねるような筆触が鮮烈です。やはり劉生に倣ったのでしょうか。北方ルネサンス絵画を思わせました。

清水敦次郎の「老人と髑髏」に驚かされました。修道服を着た老人が、テーブルの上の髑髏を両手で押さえています。後方にはアラベスク模様のカーテンがあり、窓からは戸外の風景も見えました。老人の顔も手も土色で皺だらけで、相当に年季が入っています。確かに細部を克明に表しているものの、もはや現実を超えた、いわばデロリとも呼べるような表現ではないでしょうか。一目で脳裏に焼きつくかのようなインパクトがありました。

昭和で目立つのが、高島野十郎、長谷川りん二郎、そして牧島如鳩です。いずれも「異端」(解説より)、ないし「孤高」とも称されるような個性的な画家ばかりでした。


牧島如鳩「魚藍観音像」 1952年 足利市民文化財団

長谷川ではやはり「猫」が挙げられるのではないでしょうか。画家の愛猫、タローを描いた有名な作品です。眠りこける猫の姿を緻密に写し取っています。とはいえ、不思議と置物のように見えるのも興味深いところです。一方の高島は「割れた皿」で写実を極めます。牧島の画風は特異です。ハリストス正教会の伝道者でもあった彼は、日本の土着的なモチーフを取り込みつつも、キリスト教と仏教的世界観を融合させたような宗教画を生み出しました。確かにリアルです。しかし景色はまるで現実ではありません。


水野暁「The Volcanoー大地と距離について/浅間山」 2012-2016年 個人蔵

ラストは現代でした。タイトルにも「現代につなぐもの」とありましたが、想像以上に現代の作品が多く展示されています。実際、出展中2割弱が、1970年代から近年に描かれた現代の写実絵画で占められていました。

半ば写真と見間違うかのような作品が並ぶ中で、一際、異彩を放っているのが安藤正子でした。1976年に愛知で生まれ、2012年に原美術館でも個展を行った画家でもあります。

作品は2点、赤ん坊をモチーフとした「Light」でした。黄金色にも染まる毛糸の下で赤ん坊が寝ています。毛の編み目も精緻です。質感が独特でした。うっすらと画面が光を帯びているかのようです。滑かな感触が見て取れました。


岸田劉生「壺の上に林檎が載って在る」 1916年 東京国立近代美術館

個々のキャプションに、いわゆる解説ではなく、画家本人、ないしほかの画家らの評した言葉を記載されているのも面白いところです。カタログが一般書籍として発売中です。論考も充実しています。そちらを参照するのも良いかもしれません。


展示は先行した平塚市美術館からの巡回展です。足利展以降、以下の予定で各美術館でも行われます。

[リアル(写実)のゆくえ 巡回スケジュール]
碧南市藤井達吉現代美術館:8月8日(火)~9月18日(月・祝)
姫路市立美術館:9月23日(土)~11月5日(日)

「リアル(写実)のゆくえ/生活の友社」

出展は100点超。全国各地の国公立美術館から作品がやって来ています。平塚での評判は耳にしていましたが、確かに見応えがありました。



7月30日まで開催されています。

「リアル(写実)のゆくえー高橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐもの」 足利市立美術館
会期:6月17日(土)~7月30日(日)
休館:月曜日(7月17日は開館)、7月18日(火)。
時間:10:00~18:00 
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般700(560)円、大学・高校生500(400)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
場所:栃木県足利市通2-14-7
交通:JR線足利駅下車徒歩10分、東武伊勢崎線足利市駅下車徒歩10分。北関東自動車道足利インターチェンより車で15分。美術館前、周辺に無料駐車場あり。
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日本最古の学校、「史跡足利学校」を訪ねる

史跡足利学校を見学してきました。



江戸時代に「坂東の大学」と称された足利学校は、創建年代に諸説あるものの、少なくとも室町時代に再興されたことから、日本最古の学校と言われています。

敷地面積は約5000坪です。明治時代に廃校となり、多くの建物は撤去されましたが、大正時代に国の史跡に指定。そして戦後、保存整備事業がスタートしました。平成2年になって建物と庭園の復元が完了し、江戸時代の姿が甦るに至りました。



場所は足利市の中心部です。両毛線の足利駅から歩いておおよそ10分弱でした。「入徳」と記された門が見えてきます。学校の入口でした。



受付を済ませ、孔子像を過ぎると、もう一つの門が待ち構えていました。その名も「学校門」です。寛文8年の創建で、日本で唯一「学校」の扁額が掛けられています。足利学校のシンボル的な存在でもあります。



学校門の正面に位置するのが孔子廟でした。「大成殿」と呼ばれています。学校門と同様の寛文8年の造営でした。中国の明の聖廟を模していて、中には孔子が祀られています。坐した像は珍しいそうです。



敷地内で最も目立つのが、方丈と庫裏、そして書院でした。いずれも平成2年の復元です。講義や学習、そして台所、さらに書斎や接客のためのスペースとして用いられました。まさに校舎です。足利学校の中核的な施設と言って良いかもしれません。



方丈の高さは約13メートルです。茅葺きの大きな屋根が特徴的でした。広い座敷があり、ちょうど中では漢字試験が行われていました。さらに内部には仏殿の間や尊牌の間があります。歴代徳川将軍の位牌が安置されていました。



室町時代に足利学校を再興したのが、関東管領の上杉憲実でした。儒学の四経の書籍を寄進した上、学則を整備します。さらに鎌倉から禅僧を招き、庠主(しょうしゅ)と呼ばれる学長を定めました。以降、代々の庠主は禅僧が務めました。



儒学、特に易について学んだ僧が多く、16世紀半ば頃には3000名の学徒を数えるに至ったそうです。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、足利学校をして、「最も大にして最も有名なる坂東の大学」と海外に紹介しました。



室町期最後の庠主が家康の信任を得ていたことから、幕府より朱印地を寄進されます。それに伴い庠主も1年間の吉凶を占って幕府へ提出しました。第13代庠主の時代、寛文8年には、幕府や大名の寄付を受けて大修築を敢行し、現在も残る孔子廟や学校門などを整備しました。ただしのちの宝暦4年の落雷により方丈や書院などが焼失してしまいました。



江戸時代も半ばになり朱子学が隆盛すると、易学中心の足利学校の活動自体は衰微していきます。一方で古い歴史を有することから、古典籍を所蔵する図書館として注目されたそうです。多くの文人らも訪ねました。



庭園は方丈を挟んで南北に2つ。北庭園と南庭園に分かれています。方丈から裏門に面するのが南庭園です。築山泉水式の庭園です。老松に巨石が置かれています。



北庭園は規模が小さいものの、南庭園より格が高いそうです。同じく築山泉水式で、池の中には中之島があり、弁天を祀る小さな祠があります。書院から眺める景色が殊更に美しく見えました。



「字降松」も興味深いのではないでしょうか。読みで「かなふりまつ」です。第7代庠主の時代、この松に読めない字や意味のわからない言葉を紙に書くと、翌日にはふりがなや注釈がついていたというエピソードに由来します。



さらに学生寮こと衆寮や農具置き場の木小屋なども立ち並びます。学びの場は自給自足の生活の場でもありました。裏手の菜園では野菜などの食材も栽培されていました。


足利市立美術館からも歩いて数分でした。隣には足利一門の氏寺である鑁阿寺もあります。あわせて見学するのも良いかもしれません。

「史跡足利学校」@Ashikaga_Gakko
参観時間:9:00~16:30(4月~9月)、9:00~16:30(10月~3月) 
休日:第3月曜日(祝日、振替休日の時は翌日)。年末(12月29日~12月31日)。
参観料:一般420(340)円、高校生210(170)円。中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
住所:栃木県足利市昌平町2338
交通:JR線足利駅より徒歩10分。東武伊勢崎線足利市駅より徒歩15分。北関東自動車道足利インターチェンジより車で15分。観光無料駐車場あり。
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「ヴォルスー路上から宇宙へ」 DIC川村記念美術館

DIC川村記念美術館
「ヴォルスー路上から宇宙へ」 
4/1~7/2



DIC川村記念美術館で開催中の「ヴォルスー路上から宇宙へ」を見てきました。

20世紀前半に活動し、アンフォルメルの先駆者としても知られるヴォルス(1913~1951。本名:アルフレート=オットー=ヴォルフガング・シュルツ。)。私がヴォルスの作品に出会ったのも、ここDIC川村記念美術館のコレクション展でのことでした。

最近では横浜美術館の「複製技術と美術家たち」のほか、同じく同館の「全館写真展示」などにも出展。見る機会がなかったわけではありません。とはいえ、体型的に接したことは一度もありませんでした。それもそのはずです。国内で初めて「メディアを横断したヴォルスの作品世界全体」(解説より)を紹介する展覧会です。全120点。DIC川村記念美術館の所蔵品を中心に、ヴォルスの多様な制作を俯瞰しています。

震えるような描線でも知られるヴォルスですが、キャリア初期は意外にも写真家として生計を立てていました。少年時代をドレスデンで過ごしたヴォルスは、高校の退学処分を受けると、工場で働いたり、写真家の助手を務めるようになります。その後、一時的にバウハウスへと入るものの、ナチスの支配に嫌気をさしたこともあってか、モホイ=ナジの推薦により、フランスへと渡りました。そこで写真家としてデビュー。1937年にはパリで初の写真展を開催します。パリ万国博覧会では「エレガンスと装飾館」の公式カメラマンにも選ばれました。


「万国博覧会のマネキン人形」 1937年 横浜美術館

その万博の際に撮影された作品かもしれません。並び立つマネキンを後ろから捉えたのが「万国博覧会のマネキン人形」です。ヴォルスは当初、肖像写真で成功を収めました。芸術家との交流もあったことでしょう。かの芸術家、マックス・エルンストなどもポートレートとして写しています。


「枝」 1938-1939年 J・ポール・ゲティ美術館

ただむしろ興味深いのは静物の写真でした。「無題(バケツ)」では、水に布や雑巾の浸ったバケツをほぼ真上から写しています。また「枝」は枝のみを捉えた一枚ですが、影が重なり合うことで、奇怪な生き物を写したようにも見えます。ヴォルスは野菜や肉などの食品をオブジェ的に写した作品でも評価を得ました。


「舗装石」 1932-42年 J・ポール・ゲティ美術館

パリの何気ない街角を写した風景の作品も魅惑的でした。雨に濡れた路面の縁石を写した「舗装石」は、トリミングしたような構図も面白いのではないでしょうか。ほか「セーヌ河岸の3人の眠る人」など、ヴォルスは市井の人々の姿もカメラに収めました。


「セーヌ河岸の3人の眠る人」 1933年 横浜美術館

しかし戦争が運命を変えます。1939年に第二次世界大戦が始まると、ドイツ人だったヴォルスは敵国人として収容所に収監されました。やむなく写真家としての活動を中断、かわって水彩画を描くようになります。翌年、ルーマニア人で、フランス国籍を持つグレティと結婚しました。すると釈放され、主に南仏を転々としながら、制作を続けました。グレティは戦争中の引越しの際にも作品を大切に保管していたそうです。彼女の存在なくしてはヴォルスの名は後世に残らなかったかもしれません。


「人物と空想の動物たち」 1936-40年 ギャラリーセラー

私が最も惹かれるのも一連の水彩画でした。なにやら楽しげなのが「人物と空想の動物たち」です。人物とも動物ともつかぬ生き物たちが、まるで楽器を賑やかに演奏するような光景が表されています。ヴォルスは制作に際し、自然の虫や小さな生き物などの細部を観察したそうです。そこから「不思議な生命体」(解説より)を生み出しました。

少年時代に見たクレーの影響も指摘されています。しかしヴォルスの作品は、より幻影的、ないし幻視的とも言えるのではないでしょうか。さも俄かに現れては、また消えていくモチーフは、次第に抽象度を増し、特定の形を有しない、より「自由な描画世界」(解説より)を築きあげるようになります。


「トリニダード」 1947年 DIC川村記念美術館

「船」もヴォルスが頻繁に描いたモチーフの1つでした。糸のようにもつれる線は極めて繊細です。マストや帆は絡み合い、まるで息を吹きかければ崩れてしまうかのような脆さを見せています。


「コンポジション」 1950年 DIC 川村記念美術館

「眼を閉じて わたしはしばしば見つめる、わたしが見なければならないものは みなそこにある、美しいもの、疲れさせるもの。」とはヴォルスの言葉です。まさしく眼を閉じて、脳裏に浮かび上がるイメージを、絵画平面へ巧みに落とし込んだのかもしれません。しみじみと心に染み入りました。琴線に触れるとはこのことを指すのかもしれません。


「作品、または絵画」 1946年頃 大原美術館

無数に走る線の向こうに都市の姿が垣間見えました。「作品、または絵画」です。建物やネオンサインの合間に、人らしき有機的な何かが浮遊し、またひしめきあっています。細部を追えば追うほど、その中に吸い込まれそうになりました。


「街の中心」 1955年 個人蔵

ヴォルスは1945年から約5年間、版画を集中して制作しました。技法はドライポイントです。引っかき傷のような線のみで、街や船、そしてハート型の心臓などを象っています。中にはしみと題した形を伴わない作品もありました。意識自体を表現に顕在化させようとしたのかもしれません。線の一つ一つがヴォルスの魂の運動のようにも見えました。


「心臓」 1962年 DIC川村記念美術館

これらの版画は生前に作品集として公開されることはなかったそうです。しかしグレティ夫人は価値を見出したのでしょう。彼の死後、夫人の手により、原版を用いた版画集が3度、刊行されました。


「赤いザクロ」 1940/41-48年 DIC川村記念美術館

ラストは油彩画です。ヴォルスは戦前も油彩を手がけていましたが、本格的に描いたのは戦後、1946年からのことでした。翌年には画廊の個展で発表し、アンフォルメルで知られるマチューらの絶賛の評価を受けます。結果、亡くなるまでに約90点の油彩画を描きました。


「ニーレンドルフ」 1947年 DIC川村記念美術館

時に厚く絵具を盛り上げた油彩画にはほかには見られない強度があります。とはいえ、やはり引っ掻き線や即興的なドリッピングの技法は、水彩や版画世界に通じなくもありません。おどろおどろしくもあり、一転して躍動するような有機的なモチーフは、絵画平面の中で確かに胎動、ないし棲息していました。

「静かな意識に閉ざされて じぶんの選んだ もっとも深いものに わたしは忠実であった 今も忠実であり、これからもあるだろう。」 ヴォルス


「暗闇の街」 1962年 DIC川村記念美術館

カタログが良く出来ていました。ともかく美しい装幀です。永久保存版になりそうです。


「ヴォルスー路上から宇宙へ」会場風景

全ての作品の撮影が出来ます。(ヴォルス展会場内のみ。ほかの展示室は不可。)


7月2日まで開催されています。遅くなりましたが、おすすめします。

「ヴォルスー路上から宇宙へ」 DIC川村記念美術館@kawamura_dic
会期:4月1日(土)~7月2日(日)
休館:月曜日。
時間:9:30~17:00(入館は16時半まで)
料金:一般1300(1100)円、学生・65歳以上1100(900)円、小・中・高生600(500)円。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *コレクション展も観覧可。
 *5月5日(木)はこどもの日につき高校生以下入館無料。
住所:千葉県佐倉市坂戸631
交通:京成線京成佐倉駅、JR線佐倉駅下車。それぞれ南口より無料送迎バスにて30分と20分。東京駅八重洲北口より高速バス「マイタウン・ダイレクトバス佐倉ICルート」にて約1時間。(一日一往復)
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「クエイ兄弟ーファントム・ミュージアム」 渋谷区立松濤美術館

渋谷区立松濤美術館
「クエイ兄弟ーファントム・ミュージアム」 
6/6~7/23



渋谷区立松濤美術館で開催中の「クエイ兄弟ーファントム・ミュージアム」を見てきました。

ロンドンを拠点に、人形アニメーションや映画、舞台美術などの分野で活動するクエイ兄弟。1947年、ペンシルベニアに一卵性双生児として生まれたスティーブン・クエイとティモシー・クエイは、フィラデルフィア芸術大学へ進学し、当初はイラストレーションを学びました。

そこで東欧の文化芸術に強い興味を覚えます。さらにロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに学び、アニメーション作品を制作するようになりました。

その学生時代のイラストレーションから展示は始まりました。「シュトックハウゼンを完璧に口笛で吹く服装倒錯者」からして奇異です。ピエロのような髪飾りをした男が一人、横向きになっています。線は極めて細く、まるでヴォルスの素描のようでした。手や顔の部分のみが細密です。そして喉元から昆虫が突き出し、口笛から音符が連なっていました。確かに倒錯的です。言い換えれば怪奇的とも呼べるかもしれません。


「カフカの『夢』」 1970年

カフカの文学やヤナーチェクの音楽にもインスピレーションを受けています。うち一つが「カフカの『夢』」でした。肩に剣を差した男が家屋の玄関先を通り過ぎています。実に細やかな筆使いです。男の顔の髭はもちろん、建物の木目から光の陰影までを極めて写実的に表現しています。にも関わらず、実在感は希薄です。それこそ夢、幻を前にしているかのようでした。


「楡の木の向こうからトランペットの音が」 1970年

70年代に制作された「黒の素描」シリーズはより幻想的とも呼べるかもしれません。素材は黒の鉛筆のみ。闇がほぼ全てを支配しています。「楡の木の向こうからトランペットの音が」に目を奪われました。真夜中のサッカー場で一人の男がボールを振り上げています。縦縞のユニフォームらしき服を着ていました。並木の向こうには古びた建造物も見えます。ほかに人の姿は皆無です。背景の黒は鉛筆の塗りつぶしでした。何と執拗なまでに黒、闇を表現されているのでしょうか。

「ベンチの上の分割された肉体」も生々しい。まさに人体が切断されて転がっています。語弊があるかもしれませんが、もはや猟奇的ですらありました。

1979年に最初のアニメーション、「人工の夜景ー欲望果てしなき者ども」を発表します。クエイ兄弟はアニメ制作において、「黒の素描」のモチーフを度々、再利用しました。ここでも「黒の素描」の「ラボネキュイエール城」を引用しています。こうした一連の素描こそクエイ兄弟の創作の原点とも呼べるのかもしれません。


「ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋」 1984年

さて前半のイラストレーションやポスターに続くのが、クエイ兄弟を世に知らしめた人形アニメーション、そしてミュージックビデオやコマーシャルなどの映像作品でした。

ここで重要なのがデコールです。クエイ兄弟な撮影に際し、オブジェやパペットを少しずつ移動。1秒間に25コマという驚くべきスピードでコマ撮りしています。


「ストリート・オブ・クロコダイル」 1986年

その舞台装置がデコールです。一例が「ストリート・オブ・クロコダイル」でした。見るも精緻です。細部の作り込みは並大抵ではありません。


「ストリート・オブ・クロコダイル」 1986年

ただしデコールは何も映像の場面を忠実に再現したわけではありません。改めて作中の異なる時間や場面を一つの空間に落とし込んで表現しています。「ストリート・オブ・クロコダイル」は1986年にはカンヌ国際映画祭短編部門にノミネートされ、クエイ兄弟の代表作として評価されています。


「ストリート・オブ・クロコダイル」(部分) 1986年

デコールはおおよそ10点ほどの出展です。中にはレンズ越しに覗き込むものもあります。すると像が歪むゆえか、より異世界を見ているような気持ちにさせられました。いずれにせよ映像のエッセンスが詰まっています。ハイライトと言っても差し支えありません。*ロビーの「ストリート・オブ・クロコダイル」のみ撮影が可能でした。

ラストは映像です。とはいえ、諸々と制約のある美術館のことです。いずれも抜粋での上映でした。全部で9本、時間にして20分程度です。「ブラザーズ・クエイ短編作品集」(角川より発売)の映像を引用していました。

素描や映像のほかにもコンサートのポスターやリーフレット、さらには若きクエイ兄弟が影響を受けたポーランドのポスターなども出ていました。実のところ私自身、クエイ兄弟の作品に接したのは初めてでしたが、思いがけないほど惹かれました。「カルト的人気」(解説より)があるというのにも頷かされます。



アジア初の本格的なクエイ兄弟の回顧展です。既に神奈川県立近代美術館葉山と三菱地所アルティアム(福岡)の会期を終え、ここ渋谷区立松濤美術館へと巡回してきました。以降の巡回はありません。

7月には同じく渋谷のイメージフォーラムにてクエイ兄弟の記念上映会が行われます。



「ブラザーズ・クエイの世界」@イメージフォーラム
7月8日(土)〜7月28日(金)

計7プログラム、全30作品の上映です。クエイ兄弟展のチケットを持参すると、上映一般料金から200円引きになります。(上映会の半券を提示すると松濤美術館の観覧料が2割引。)展覧会と相互に楽しむのも良さそうです。



心なしかいつもよりもより照明が落とされていたかもしれません。クエイ兄弟の時に陰鬱な世界は、どこか内省的で重厚な松濤のスペースにも良く似合っていました。

「クエイ兄弟 ファントム・ミュージアム/求龍堂」

7月23日まで開催されています。おすすめします。

「クエイ兄弟ーファントム・ミュージアム」 渋谷区立松濤美術館
会期:6月6日(火)~7月23日(日)
休館:6月12日(月)、19日(月)、26日(月)、7月3日(月)、10日(月)、18日(火)。
時間:10:00~18:00 
 *毎週金曜日は19時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1000(800)円、大学生800(640)円、高校生・65歳以上500(400)円、小中学生100(80)円。
 *( )内は10名以上の団体、及び渋谷区民の入館料。
 *渋谷区民は毎週金曜日が無料。
 *土・日曜、休日は小中学生が無料。
場所:渋谷区松濤2-14-14
交通:京王井の頭線神泉駅から徒歩5分。JR線・東急東横線・東京メトロ銀座線、半蔵門線渋谷駅より徒歩15分。
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