Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

毎分心拍数とピッチの関係

2021-03-31 | 生活
下半身が疲れている。睡眠も心拍数が上がり気味で熱を持っていたに違いない。ストライドを広げる走法を試みた結果である。沢沿いコース往復である。ここ一年では最高タイムで記録を見る限り2017年4月に出していて、ジョギングタイムと書いてある。その通りで、ペースでキロ6分を割っていない。つまり5キロ走って30分を超える。実際に最初の12分で2キロを走れていない。

しかし、筋肉痛だけでなくて、実際に歩幅も伸びている。僅か6㎝ほど伸びただけで、1mにはまだまだ足りない。それでもところどころ足元が危なくなったところがあるので、やはりどうしても非舗装道路の限界を感じるとともに、可能性も見えてきた。調べると2015年に24分台を出している。22分台を目指していたようだ。その時よりも折り返し点を奥にしているかもしれないが、その速度で大体ランニングペースになると思う。

今後の可能性に関してはこの筋肉痛を考えれば充分にある。やはり身体が重い。腹筋にまで来ているという事は体幹も鍛えられる。更に下半身は準備運動の通りの張りがあるので、既に強化へと向かっている。足首、脹脛、太もも、腰、背中更に腹筋まで来ている。

歩数を計算すると、どうも数年前はストライド走法で走っていたようだ。何時の間に歩幅が短くなったのかは分からないが、峠攻めや頂上往復をお勤めでこなすようになって、シューズもより軽い薄いものになってきた、どうもそれが影響して省エネ走法になっていたのだろう。同時にピッチだけは上がっているので、それを維持すればよい。しかしそれにしても歩幅が伸びていない。

アクサンプロヴァンスからの中継を観た。カントルフ親子の共演とのプログラムだったが予め息子が出ないとはなっていた。親父のヴァイオリン演奏を観ようと思ったので構わなかったが、どうしたのかなと思った。どうも音楽祭自体はヴァイオリンのカプサンが芸術監督の様で人選もしているようだ。

その前にスイスのザーネンでの二月の公演の演奏が流れていたので興味があった。そちらはカプサンと息子のピアニストが合わせていた。世代も異なるが、何かしっくりこないなと思っていたので、親子共演となるともっと難しいだろうなと思った。

筋肉痛は腕からなぜか首にも来ていた。無理な力を掛けた覚えはないのだが、全身運動になったことは分かる。御昼時に起きていられなくなって、しばらく横になった。最近はそういう時にはスマートウォッチを忘れずにする。やはり一度経験していたように、夜間よりも昼間の方がなぜか心拍数が下がる。短い時間の集中した午睡だが50まで下がっていた。理由は分からないのだが、一気に休息が取れるメカニズムがあるのだろう。そう言えばストライド走法を試して全身運動した後の車中での急激な心拍上昇が無かった。反交感神経へと変わるその変化が殆ど感じられなかったのだ。何処に差があるのかよく分からないのだが、ランニングハイの入り方にも段階があるとしか思われない。



参照:
これからの動機付け 2021-03-27 | 料理
なにか目安にしたいもの 2017-04-22 | 雑感


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新音楽を浪漫する

2021-03-30 | 
指揮者オクサーナ・リニヴのイタリアデビュー無観客中継を観た。予想以上に素晴らしい内容だった。指揮する管弦楽団はボロョーニャの市立歌劇場の座付なので技術的にも期待していなかったが、中編成でソーシャルディスタンシングの楽団としてはとても健闘していて、素晴らしい美点も愉しめた。
4. Stagione sinfonica in streaming - Lyniv


一曲目のモーツァルトの小ト短調交響曲はリニヴの得意な作曲家の作品でもあるのだが、久しぶりに現代的な管弦楽で聴いて、嘗てのブルーノ・ヴァルター指揮の演奏をどうしても思い浮かべた。昨夏のザルツブルクではデビューのマルヴィッツ指揮をカール・ベーム指揮とどうしても比較してしまったのだが、やはり女性指揮者はその音楽的な特徴から嘗ての歴史的な流派などを簡単に乗り越えてしまう魅力がある。

マルヴィッツの場合も平素のその指揮を知っている者は一様に想像以上に上手く行ったという意外性への驚きの声が聞こえたが、今回のリニヴの指揮も予想以上に上手く運んでいたのではなかろうか。

特に二曲目のシューマンの交響曲二番は、たどたどしい英語で説明していたが、梅毒の作曲家が神経を逝かす迄の過程をそこに見る。まさしくトーマス・マンの「ファウスト博士」の内容の様なシューマンの幻想の世界をそこに語る。ピアノを使わない作曲とはどのように頭の中で鳴り響くか。

ロマンティックな作品をどのように演奏するかで様々な試みがあるが、古楽器風の音で演奏するとかもある。今回の演奏は、なんといってもその音響が素晴らしく、それだけでなく手元にあるジョゼッペ・シノポリがヴィーナフィルハモニカ―などを指揮したものを比較しても、そこまでの斬新な響きが出ていない。まさしく新音楽の響きがロマンの響きである。

2012年に亡くなったエリオット・カーターは決してネオロマンティズムの作曲家ではなかったが、その新音楽の響きの弦楽四重奏曲を書いている。今回のリニヴ指揮の座付管弦楽団が奏でた音は正しくそれに近い。彼女が一方でとても密な音を出させれるのはキリル・ペトレンコの許で学んだものに違いない。

そして何よりも上のシノポリの指揮に比較すると明らかにドイツ音楽のイディオムを身に着けていて、独墺ロマン主義の作品を演奏する時に最も重要なものではなかろうか。

彼女がティーレマンの指揮のLPで勉強したというのもこうしてみると決して外交的な辞令でもなく政治的に裏のある発言でもなくて、本当の話しではないかと思うようになった。

このように考えると、サイモン・ラトルを次期監督に指名したBR交響楽団であったが、その体制では到底世界の楽壇を先導することはないが、オクサーナ・リニヴが選ばれていたならばベルリンを先行するミュンヘンの楽壇になっていた可能性がある。

バーデンバーデンに電話した。カードで先行予約分の支払いを済ませた。キャンセル分は其の侭触れないでおいた。五月の公演について探ってみたが、どうもまだ決定的な情報はなさそうだった。決まり次第連絡すると言っても発売が4月9日になっているので、決定まで一週間ぐらいしかない。さてどうなる事やら。一週間ぐらいしかない。さてどうなる事やら。



参照:
夏時間明けに様子を窺う 2021-03-29 | 暦
九月のドイツよりも悪い 2020-11-26 | マスメディア批評
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夏時間明けに様子を窺う

2021-03-29 | 
夏時間になった。二時が三時になったが、ぐっすりと眠っていた。朝の目覚ましを切って再びぐっすりと睡眠した。睡眠の計測がおかしくなっていたが、心拍計からすると三度ほど醒めているが、中々いい睡眠だ。但し最低心拍数が54まで短い時間しか下がっていない。

週明けの走りに向けてネット情報を見る。早朝のランニングは心臓への負担になって健康には良くないというのが絶えず頭にあった。しかし自己ピッチが決まってきていて、オーヴァーにならない範囲で走れるならば体調が悪くない限り負担は過度にならない筈だ。ここ二年以上は大体そのような感じできたが、同時にストライドを広げてスピードアップ並びにコンディション強化がしたいのだ。山道では限界があるが、林道では飛ばせるのでストライドを広げる場所を固定すればよい。

更に今迄の準備体操に動きが欠けていたので、何を入れようかと思うと、片足片手反り運動と反発立飛びツイストがあった。双方ともストライドを伸ばす運動である。先ずは身体の雰囲気を掴んでみよう。そもそもスポーツをそこまでという人間ではないので二十歳前にそのようなことを考えることもなかった。計器類もネット情報も無かったのだから仕方ないのかもしれない。

この日曜日は本来ならば復活祭の二日目でプロコフィエフが演奏された筈だった。自分自身は室内楽の様子を見てと考えていたので購入していなかった。月曜日は「レクイエム」の第一日目だった。来年の月曜日はお休みで、室内楽が秋にしか発表されない。祝祭劇場を空ける意味があるかどうかは分からないのだが、オペラが四回興行になったことと関係するのだろうか。

来年の予約はしたが、まだ支払いを済ませていない。30日までの予約なので、済ませないと流れてしまう。ネトレブコ出演の晩以外は大抵の席は今からでも入るので問題ないのだが、電話をして情報を入れなければいけない。しかし、短縮延期になった5月初めの事を考えれば精々パイロットプロジェクトで可能性が広がること以外は、感染がどこまでアンダーコントロールになっているかは政治的判断如何でもあって中々誰も分からない。

精々電話を入れて、推しの圧力を掛けるぐらいで、月曜に郵便でも入っていない限り、まだ限られた座席を数を捌くだけの準備は完了していないと思う。その辺りも探りたいところだ。



参照:
まだまだ遠い目標点 2021-03-28 | マスメディア批評
愚公山を移すの如し 2021-03-13 | 文化一般

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まだまだ遠い目標点

2021-03-28 | マスメディア批評
まだまだ一割方遅い。峠往復は37分を大きく割った。峠までも22分を割った。20分台には遠く、最高記録まで三割ほど遠い。最高速度が時速24㎞を超えていたので、誤差があっても漸く自転車を追いかけられる。それでも五年前の水準は超えて、コロナ疾患以降としては最高記録だ。

最高テムポが分204歩を超えているのが大成果だ。心拍数も最高178で収まって平均155はまだまだ余裕がある。計測がそれ程間違っていないのも経験値からある程度予想可能である。

夜中はレム睡眠が多い感じで夢を見ていたのだが、結構いい睡眠が取れている分析となっていて、実際に最初から足取りも良かった。逆風さえなければ大分いい数字になったのではなかろうか。走りながらも文字盤の数字が読めるのでとてもいい刺激になる。ラップもとる必要が無くなった。

上りでストロークは延ばすのは難しいが、週明けの沢往復は天気も良さそうなので少し延ばせるかもしれない。平均ピッチと心拍数がとても安定してきているので、試しやすい。以前に延ばした時はフォームが安定しなかったが、今は崩れないかもしれない。

3月15日付けの新聞に指揮者ティートス・エンゲルのインタヴューが載っていた。勿論横に置いておいたが中を見る時間がなかった。今見ると昨晩までのヴィデオが終っていた、リヨンの制作の二人のユーディットである。バルトークの「青髭公の城」を二人の歌手で続けて上演するという企画のヴィデオ制作品である。最近の上演では昨年のミュンヘンでのアクサーナ・リニヴが管弦楽のための協奏曲と続けて行った制作がとても成功していた。これはその短いオペラを二度続けてしかし主役のキャラクターを変えての試みで、指揮も異なる音響を作っているという。

キャラクター替えの話しは、このインタヴューで要になっているコロナ禍での行政の在り方での話の丁度ロールプレーのような話題にも並行している。そして今後のポストコロナにおいて、財政削減から大きな影響を受けるのが文化事業だと話す。今回においても所謂アカデミーや公共放送機構がその文字通りの任を果たしていなかったと批判している。文化を超えてシュトットガルトでも誘拐されたウクライナ人の為の署名集めにも回覧メールを貰ったのでその関心のありどころは分かっている。

語るように現代音楽のスペシャリストとしての最初から、バーゼルでの「椿姫」で新たな領域に入り、そしてコロナ期間中は最も若い作曲家の作品を研究して、同時にブルックナー、マーラー、ブラームスをも勉強したという。それもなんとシュタインバッハのマイニンゲンのブラームスのそれだというから、同時受賞したキリル・ペトレンコと同じことをしようとしている。年齢的にはそれでも良いかもしれないが、メインストリームで何かをやる時にどうなのか。それどころか、古楽器奏法を使って未知の曲を新しい作品などとこなせる楽団が欲しいとロート氏のレシエクレのようなことを話している。

個人的にもとても素直な人柄は知っている訳だが、この業界で生の儘でやれて行くとなると凄い事だと思う。キリル・ペトレンコは天才だからあれで通って仕舞った訳だ。確かに今迄の二十世紀後半の音楽での経験の積み重ねはそれはそれでとても貴重で、シュタインバッハのブラームス四番を彼が振ったならと考えなくはない。矢張り楽団の質がものをいうと思う。ロート氏と比較するとどうか。その点で昨年ドナウエッシンゲンのオープニングが無観客公演になったのは痛かった。今年はどうなるのか?



参照:
DIRIGENT TITUS ENGEL: Die Politik fällt als Partner zunehmend aus, GERALD FELBER, FAZ vom 15.3.2021
1922年の室内管弦楽曲 2020-10-18 | 音
天使が下りてくる歌劇 2020-09-29 | 音

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これからの動機付け

2021-03-27 | 料理
新しいスポーツ時計を購入していくらか動機づけになった。最もなのは走行速度が高く記録されるようになったことだ。理由はGPS感度がよくなったので短区間の最高記録が出やすくなった。以前の時計では時速14㎞が中々出なく、15㎞が到底目標にならなかった。しかし14㎞どころかGPSが狂ったか20㎞まで出した。少なくとも時速15㎞は山道でも出ることが分かった。

それを裏付けそうなのが内蔵している歩行ピッチ測定である。どうも心拍数と同じぐらい出ていることが分かった。毎分180歩つまりメトロノームでいう所の「プレスト」では走れそうなのだ。これは結構な自信になる。勿論それで中距離を走れるわけではないが、最後のスパートだけでも出来れば嬉しい。ゼイゼイになる。

逆に言うと、心拍数を毎分160以下に抑えておけば、長めに走れるのはこの数年の習慣から身に付いた。山道であるからその速度は上がらないのだが1キロ5分で走れば5㎞を25分で完走できる。30分ならば6分で良い。それでも山道なら充分に早い。中々アップダウンがあって克服できないでいるがスピードからすると充分に可能性がある。

バイエルン州の政府機関紙に先日取り上げたマルコ・フライが投稿している。文教相ジブラーのパイロットプロジェクトや復活祭後の劇場再開などに係るもので、それを後押しする形で論述している。それによると既に科学的な結果は出ていて、空調の整ったミュンヘンの劇場やガスタイク、ニュルムベルクのマイスタージンガーハーレなどでは500人収容は安全で、場合によればそれ以上でも問題が無いと主張。だから飛行機や長距離の公共交通機関などよりも安全で、更に歌や音楽をやっている協会などよりも安全なのが催し物で、あとは政治の意志だけの問題だと投げかけている。

しかしそのジブラ―文教相は、自らの50歳の誕生日会で500ユーロの罰金を取られたと言い、既に二回目という事でその指導力が問われて、パイロットプロジェクトすらも危なくなってきた。



参照:
24時間の最初の計測 2021-03-12 | 生活
オフロード最高時速に挑戦 2016-09-02 | アウトドーア・環境


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合意形成の行政機構の確認

2021-03-26 | 歴史・時事
ドイツは指数関数的感染拡大を目前としている。火曜日未明にメルケル首相が求めた五日間連続のシャットダウンは、準備不足で否定された。よって各州が何かをしなければいけなくなった。そもそも五日間ぐらいでは足りなくて二週間程期間を取らなければ最後のロックダウンとはならない。オーストリアは結局六日間で中途半端なことを相変わらず繰り返す。

ラインラントプファルツ州のトライヤー知事は、夜中までやっての決断は自分の仕事の仕方ではないと月曜日の会議を批判した。

一方で、木曜日、金曜日を少なくとも街中は休みとするとヘッセン州知事は言及して、月曜日から緩和のものを撤回するとした。また州全土での夜間外出禁止は出さないとして地域だけとした。

ベルリンは、引き続き緩和を進めるとしたが、指数が125.3になって浮足立ってきている。月曜日からの引き締めが取りざたされるようになった。

また、CDUと緑の党では地方自治から連邦制を超えてEUまでの決定における合意形成の在り方をお互いに確認した。これが今回の「事件」の本当の主題で、行政が共同体からの意見をどのようにボトムアップして最終決断がトップダウンで下るかの民主的な行政システムが試されているという事だ。

昨年のメルケル首相の談話も日本などでは表向きの市民への訴えかけのみが大きく取り扱われたようだが、本当に重要な発言は「(非常事態でも)時間が掛かるかもしれないが、連邦制の中での決定機構の民主主義的なありかたを示した」であった。メディアがそのように扱っていないところは所謂大衆ジャーナリズムでしかないという事だ。日本にはまともなジャ-ナリズムが存在しないのだろう。

先日来の中継の中で、音楽的に気になっているものは、ヤルヴィが指揮したプロコフィエフ交響曲六番がある。見事な演奏だったが、詳しくは聴いていない。ベルリンのフィルハーモニカーの演奏では小澤指揮の全集を持っているが、その辺りとも比較してみないといけないと思う。

日本からのネット配信を観ていると、尾身会長が会見中に咳をしていて口元に掌を当てていた。そのような像が至る所で観られる。マスクをするのは日常茶飯になっていた日本では咳の仕方の指導が無かったのだろうと思う。ドイツでも連休明けに学校でコロナ規則の指導とかの話しがあるが、咳の仕方に関して一年以上に亘ってキャムペーンがなされた。なるほど間接的な感染の証明はあまりされていないというが、握手をしないでも流石に唾をそこいらに付けてというのは矢張り留意すべき規則ではなかろうか。



参照:
大戦以来のドイツの危機 2020-03-19 | 歴史・時事
メルケルの啓蒙的演説 2020-12-13 | マスメディア批評


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アーモンド咲き乱れる頃

2021-03-25 | アウトドーア・環境
夏タイヤに履き替えた。どうもまだ履き替え期間が始まっていなかったようだ。タイヤを倉庫から出して来ていた。例年ならば天気予報を見て早めに期間を定めているのだが、今年は遅いと思う。四月第二週でも気温摂氏三度以下にはなっていない。つまりこの近郊では全く不要である。万が一春の雪が降っても直ぐに消える。そもそも四月には私用で遠出などの予定の人は殆どいない。だから早めにしたのだが、例年通り復活祭休み明けを狙っている人多いようだ。

出かけにワイン街道のアーモンドの並木を写しておいた。先日から機会を狙っていたが快晴があまりなかった。最初の端からは二週間程経ているので葉アーモンドになっているのもあった。

先日の「ばらの騎士」関連のインタヴューで、今後管弦楽を大編成に戻した時には重心が変わると話していた。それは分かるのだが、やはりクローケ版で観ておきたい。六月に再演になると思うが、日程はまだ出ていない。

そのクローケ氏の事を話していたが、ニュルムベルクではマルヴィッツの四代前の音楽監督で、若いマルリス・ペーターセンを起用した人という。フランクフルターアルゲマイネにはモノローグなどでなぜピアノを使ったかなどの疑問も投げかけられていたが、「アリアドネ」アイデアは素晴らしかった。指揮者のユロウスキーによるとその楽器編成を場所に合わせて若干手を加えたという。

次期音楽監督は、公式にも音楽学を学んだとしたプロフィールを出していて、そうした面でも様々な試みをするようである。当然のことながら失敗もあり、また拒絶もあるかもしれないが、それがなんとも今迄には無かったようなスリリングな歌劇場にしてくれると思う。新支配人の下でいいティームが出来るようになれば大きな成功も期待される。その意味からも今回の試みも観ておきたいと思うのだ。

ベルリンは距離的に遠いのでおいそれとはいけないのだが、ミュンヘンは今後も今まで以上に出かけるようになるかもしれないと思う。

今回のペーターセンのマルシャリンデビューを見ると、やはり2024年の復活祭は彼女しかいないと思う。ユロウスキーとの協調はとても素晴らしかったが、ペトレンコとの協調の時にあるものも欠けているような気もする。大編成での今回の舞台と同時に復活祭でのスーパーオパーで有り得るその歌唱や音響などを既に夢想している。

マンハイムからワイン街道に戻ってくるときのニュースが復活祭連休について最新情報を出していた。月曜日に夜中三時までやっていて、その二日延長の祝日が不可能だと知らされた。そのアイデアは、州が他の面で一致にしなかったことから、精々完全シャットダウンを二日でも長くすることでの効果を狙って首相府から出されたものだった。しかし産業界は対応できないという事で、没になるようだ。要するに予め準備をさせておかないと無理な祝日という事で、ドイツの産業界はトヨタの様にジャストインタイムの供給などが不可能という事が明らかになった。

感染拡大阻止からはたとえ二日間と言っても木曜日から月曜日までの連続五日間の完全ロックダウンは生きただろうと思う。買い物なども来週明けは朝一番で済まさなければいけないと思っていたが、それすら駄目になって仕舞ったようだ。

バイエルン州のジブラ―文化相は、愛好家を勇気づけるために、復活祭後に条件が揃えば検査を前提としたパイロットプロジェクトを三つの団体で行うと発言した。その一つはミュンヘンのオペラだと思うが、新陽性者指数、接種後動向、劇場等の管理、テストの成果などが前提とされる。また、今後は一律入場者数制限を破棄して、その会場に応じた入場許可人数を出していくとした。

これでミュンヘンの劇場などが450人程から定員の半数までの収容の可能性が生じた。反対にバイロイトの祝祭劇場などは150人から250人程に落ち着くのではなかろうか。恐らくバーデンヴュルテムベルクも同様となるので、5月の遅れた復活祭は500人規模では開催されることになるだろう。



参照:
PCR検査すると陰性に 2021-03-24 | マスメディア批評
指数50から100の狭間 2021-03-04 | 歴史・時事
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PCR検査すると陰性に

2021-03-24 | マスメディア批評
フランクフルターアルゲマイネ新聞には引き続き、週末のベルリンでのミュンヘンからの演奏会や中継の批評が載っている。後者はホームオフィースであり、前者はそこにいなければ分からない事が書いてある。ラフマニノフの交響曲が終ると音が消えないうちにスタンディングオヴェーションになったというのである。これは復活祭日曜日の映像を待つしかない。放送は聴いたのだが、やはり特別な雰囲気だったのは分かる、同時に一律20ユーロの券に普段はあまり来ない人も集ったのだと思う。大都市で観光客も多いので普段の底の聴衆の程度は決して高くないのは分かっているのだが、現在は在住者しかいない、しかしこういう実験演奏会となるとまた聴衆の層が違うのだろうと思う。

良かったのは、千人の中の五百人はフィルハーモニーの室内楽ホールで抗原検査を受けたが、その全員が陰性だったことだろうか。残りもというが離れた現場の事はよく分からない。現在の新陽性者指数からすれば500人でも一人二人は陽性者の出る感染状況なので、少し不思議に思う。

ベルリンがお手本にしたのはヴュルテムベルクのテュービンゲンのようだが、そこでは偽陽性が出て問題になっている。PCR検査すると陰性になるという例である。市では新陽性者指数も30に落として、劇場や商店などが開いているという。

ミュンヘンからの中継批評は、シュテファン・メッシュという知らない人が書いている。どこからでも観て書けるので範囲を広げているのかもしれない。そこに書いてあることでまず気が付いたのは例の半裸の爺さんはいつものスタティステンの爺さんでは無くてれっきとした演出家のイングマール・ティロと言う人らしい。それならば余計に手先の危なさを感じた。なによりもその身体がここに書かれる様にメメントモリで大丈夫かと思う。パパゲーノの笛を吹いた「時の喪失」として言及される。所謂ホフマンスタールの言う「時は特別なものである」。気の利いた皮肉としてフランク・カストルフを想起している。

三幕の劇場中の劇が計画通り上手に運んでいなかったのは練習不足か、ストレスかと疑問を呈しているが、これも重ねるうちに良くなる面だろう。興味深いことに筆者はクライバーの時のそれを知っているのだろう、ユロウスキーの指揮でクライバーが手をひらひらさせる面に欠けると、よく準備していてテムピを定めていたが、多くの場面で重くなったと批評する。これを読んで指揮者は何を感じるか?クライバーをまたここで書くように、小編成版を使ったことで偉大な前任者達との比較を避けたとしている。

さてマルリス・ペーターセンのマルシャリンデビューに関して興味深い言及がある。その歌は言葉よりもフレージングだとして、器楽的に正確な線と声の遊びだとしている。ご本人が読んでもあまり理解できないかもしれない。しかし初演の時のマルガレーテ・ジムスの古い「ウインザーの女房たち」の録音を挙げて、その歌唱のトリルと装飾の歌を得意とするような歌声でとまさしくペーターセンのその声に近いことを暗示している。それに比較して、その後のロッテ・レーマンやウルスレクの母親的で権勢のある声になり、その後にそれらを習うようなシュヴァルツコップになって仕舞ったが、ペーターセンは時計の針を戻して、肉体的にも精神的にも現代の歌手の活き活き感を現実化しているとしている。
Strauss "Rosenkavalier" mit Uraufführungssängern 1911 (Siems: Monolog Marschallin) Clip1·4

LOTTE LEHMANN - Der Rosenkavalier - MONOLOG DER MARSCHALLIN 1925

Der Rosenkavalier, Komödie für Musik, Op. 59, Act 1: X. Da Geht er hin

Classic Archive™ - Elisabeth Schwarzkopf


この事は、そのシュヴァルツコップ時代の鼻先へと抜ける発声に関してのヴェルサ―メストの話しへと繋がるのだろうが、とても興味深いリヒャルト・シュトラウスの声を考える重要な要素となるだろう。

乾電池にクレームをつけて、勝ち得た金券を7ユーロ分を使用した。電球が切れたので今迄購入したことが無かったフィルップスの5ユーロの電球と問題の乾電池を購入した。電球はもう一つ余分に欲しかったが割高だったので一つだけ購入した。乾電池は同じ自社ブランドの八本で2ユーロの安物を購入した。クレームを付けた不良品とは装丁が変わっていた。品質改良されていることを望む。もう一度クレームをつけるのはクレーマーのように思われるので嫌である。



参照:
Wenn man wieder reindarf, will man gar nicht mehr raus, Clemens Hausten, FAZ von 22.3.2021
Ein sonderbar Ding, Stephan Mösch, FAZ vom 23.3.2021
二カ月で潮を吹く 2021-01-19 | 雑感
夢のような倒錯した舞台 2021-03-22 | 音
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見事な手綱の捌き方

2021-03-23 | マスメディア批評
老舗新聞ノイエズルヒャー新聞が新制作「ばらの騎士」を批評している。爺さんキューピッドが最高のアンサムブルを全編に亘って喰ってしまっていた言うのはその通りだ。時間の意味を恋人たちの永遠では無い時間としていて、それはあまりに想像力に欠ける。

反面二幕のルーベンスの絵からのアルゴリー表現にはここでも注目している。またオクタヴィアンが乗って来る馬車はそのものノイシュヴァンシュタイン城へのルートヴィッヒ二世の馬車そのものだとしている。

ここで最も判断を試みようとしているのは新音楽監督のヴラディミール・ユロウスキーに関してである。なぜならばキリル・ペトレンコがナガノの後任として2010年に推挙された時は管弦楽団一同が湧き上がったのだが、2018年に正式に次期監督が決まった時にはそのような全会一致では無かったとされる。そして時と共にそうした疑念は少なくなってきて、今回の演奏での見事な手綱の捌き方が絶賛されている。

二幕でのヴァイオリンの勇み足になったのは指揮者の責任では無くて、間隔の大きさに機縁すると恐らく管弦楽団員からの情報をそこに明かしているのだろう。書いているのは、日本にも同行したファイ氏だが、演奏における熱量もあってと、やはり奈落の中の人の声を参考にしているのがよく分かる。音楽ジャーナリストとしてはそれも大切なジャーナルなのだが、やはりこれだけの高級紙になると芸術活動としてのそれを客席または社会からジャーナルしなければいけない。

恐らくプレス用に同じ資料を貰ってバイエルン放送協会のノイホッフ氏も批評している。こちらでは、カルロス・クライバー指揮で歴史的になっているオットーシェンクの演出への惜別が余りにも遅れたが、これで過ぎ去ったとしている。それだけ保守的な聴衆をも裏切ることの無い解決としている。

ルツェルンから便りが来た。五月に延期されていたピアニストのアンドラーシュ・シフの祝祭が中止になるという事である。理由は、まだ当局の態度が決まらないという事だ。しかし夏の音楽祭は確実にすると、その形式や最終的なプログラムは五月になってから発表するとしている。

要するに入場人数が決まらないという事だろう。テストをしても満員入れれるかどうかは、週末のベルリンなどの実験結果を待ってという事に違いない。入場人数が決まらなければ、券も発売できない。恐らく先行予約の配券ももう少し遅れるのではないかと思う。もし減員しても半数が最低線と見ているのだろう。

4月18日までロックダウンが延長されると情報が流れた。更にコンタクト制限などを強化しないと爆発的な感染になるようで制限をつけていくしかないとの数理計算になったようだ。その一方若干陽性者指数の低い州は州内滞在旅行の許可などをするという。ザール州では既に商店が開かれている。そうした事情差によって統一が難しい状況で会議が長引いた。いずれにしても、指数百で三日間でシャットダウンは課されるようだ。



参照:
Amor hält die Uhren an: ein neuer «Rosenkavalier», Marco Frei, NZZ vom 22.3.2021
BARRIE KOSKY DREHT AN DER UHR, Bernhard Neuhof, BR-Klassik vom 22.3.2021
夢のような倒錯した舞台 2021-03-22 | 音
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夢のような倒錯した舞台

2021-03-22 | 
日曜午後のミュンヘンからの中継を観た。新制作「ばらの騎士」初日だった。本来は二日目だったのだが、無観客で初日として中継された。今まで観たこのコメディの公演の中で初めて感動した。正直演出のバリコスキーの嫌味には警戒したが、とても上手に解決していたと思う。

ベルイマン監督「野イチゴ」から針の無い時計:cf.20s
Ingmar Bergman - Wild Strawberries

ベルイマン監督「魔笛」:
🎄THE MAGIC FLUTE 🎶 MOZART 🎞 BERGMAN [IT, EN, FR, SPA, PT (Br)]

ハインリッヒ・マン原作「嘆きの天使」:cf.7㎡34s
O ANJO AZUL, 1930 - Marlene Dietrich - Completo Legendado (Português-BR), subtitles in English

魔笛を吹く94歳の爺さん:cf.1m10s
DER ROSENKAVALIER Trailer


時間の舞台作品として、柱時計を最初から最後まで使った仕掛けも、多くの人はベルイマンの「野イチゴ」を思い出すだろうか。ここからすんなりと「魔笛」、「嘆きの天使」から「フィガロの結婚」へと繋がり、更にロイ演出「コシファンテュッテ」まで想像して貰うと大成功だろう。すると大ギャグの九十四歳のスタティステン即ち歌を歌わない舞台の役者の裸も誤った意味には取られなくなる。

音楽的にも秋からの音楽監督の指揮者ユロウスキーとテムピを各場面毎綿密に合わせたというが、これほどに音楽的な舞台も珍しく、同じ演出家のバイロイトにおける「マイスタージンガー」の下手な不自然感とそこからの皮肉は無かった。インタヴューでも全体の音楽的な流れに関しては指揮者の仕事だとしていたが、そこまで合わせて行くとなると前任者キリル・ペトレンコが引き受けなかった理由も推測可能となる。演出のコンセプトや内容よりもそこまで積極的に合わせようという指揮者は少ないに違いない。

その結果として舞台的な小気味よさや自然な演技や呼吸感に関しては言うまでもないが、今回の場合はなによりもパルランドの大成功に繋がっていた。可成りも音節数も多い内容を耳で伝わるようにの成果は画期的で、指揮者や歌手が期待するように、本来の大編成で演奏しても同様な結果が得られるとしたら、ここに来てようやくこの楽劇の本領が示されたとしても良い。

一幕は交響詩的な作りというが、今回の演奏ではまさしくヴァークナ-的な流れの楽劇が進行すると同時にとても劇的な舞台進行が巧妙で、更に音だけを聴いていれば殆どラディオドラマのように一語一句が聴き取れる。このヒット作品が当時から映画化されて、無声映画として上演されたことなどの奪胎換骨のその雰囲気が溢れたファンタジーに成っていた。

二幕における有名なオックス男爵の偽ヴィーナーヴァルツァーの流れも芝居としてもとても分かり易く、一体今までの舞台は茶番劇で無かったかと思わせた。当然三幕におけるパルランドの語りも劇性があって、最後の三重唱が終ってから、話題になっていた「ヤーヤ―」が完璧に決まっていた。そこの演技だけでも本年度のマルリス・ペーターセンのオペラの最高女声は動かないだろう。そこに絡む父親のファニナルの一節だけでも舞台生活五〇周記念のマルティン・クレンツレが昨年に続いて再び最高男声賞を取るかもしれないほどの存在感があった。

そして大ギャクの爺さんが時計の針を外す。これ程感動させてくれるリヒャルト・シュトラウスの「音楽の為のコメディー」だとは思わなかった。

女性が男性を演じるズボン役のカンカーンのキャラクターの作り方も流石に同性愛の演出家らしくとても上手で、これほど自然に作っているのも珍しい。この要素はかなり大きく、バロックのイタリア人役のテノールなど、この作品におけるセクシャルな要素を知り尽くしているようだ。本当に夢のような倒錯した舞台である。

主役のマルシャリンの偉大なペーターセンに関しては最早言及するまでもなく、その歌のニュアンスを芝居を性格付けをとことんまで追い詰める技やセンスには脱帽しかない。オックスのフィッシュエッサーも「マイスタージンガー」のポーグナーもツェッペンフェルトのそれからすると大分軽かったが、今回は新たな部分も加わってその器用そうなところと新鮮みがなによりもだった。

そしてやはり、一幕のフィナーレのマルシャリンの独り言に付ける音楽の一節もユロスキーの指揮は抜群で、そうした劇場感覚はペトレンコには無かったもので、なによりもオペラ指揮者として大きな期待をしているところである。勿論演出家との協調作業がそこまで深まっているという事には違いないのだが。



参照:
爺さん殺しの音楽監督 2017-11-19 | 雑感
コメディの為の音楽の神髄 2021-03-15 | 文化一般

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全員検査陰性の感染対策

2021-03-21 | 文化一般
昨晩からベルリンのコロナパイロットプロジェクトとして劇場などが開かれた。先ずはベルリナーアンサムブルが半数の350人を入れた。全員抗原検査が義務付けられているが、最長5分待ちで結果が出るまで20分で無事終了した様だ。陽性反応で撥ねられた人が出たかどうかは今後発表されるだろう。例え小さな参加料にしても撥ねられることが出るのは問題だ。

特に現在のベルリンの様に十万人中119人も新陽性者が出ている状況では必ず撥ねられる人が出てくる。しかし七回かの全ての実験は今後の状況如何に関わらず最後まで続けられるという。しかしハードのロックダウンで外出禁止中には有り得ないだろう。

二晩目はフィルハーモニーで千人が集ってコンサートが開かれる。縮小プログラムとしてバーデンバーデンでも演奏される予定だったようで、チャイコフスキー「ロミオとジュリエット」にラフマニノフ交響曲二番が休憩無しに演奏される。その目的から4月4日に復活祭の契約Arteで放送される。フィルハーモニカーのDCHもそれに合す、よって中継は無いかと思ったら、急遽地元のラディオ放送が時差生中継するとなった。

また、この間に指揮者のキリル・ペトレンコは、ボーデン湖の地元フォーアールベルクで、新たに10月初めに二度目の延期日程として決まったコンサートの練習を終えたようだ。時間も余っていて、同地もオーストリアで唯一状況がよく成っていて、母親を訪ねる根拠もあったことだろうから、10月に手っ取り早く演奏会が開かれることになる。

二枚の入場券を持っているので、倍の満員を入れる予定では二回とも券が与えられる筈である。若干席の場所は変わるのかもしれないが、特殊な場所を選んでいるので其の侭でもあり得る可能性がある。入場券を送ってくるという事らしいが、先ずは宿だけを押さえておいた。既に10月と11月に二度予約して二度キャンセルしたホテルである。三度目のキャンセルは無いと思うが、券を受け取らない限り仮予約でしかない。

その一時間前の19時からハイデルベルクのフリューリング音楽祭からの中継があるので、これも覗いてみたい。人気のピアニストのイゴール・レヴィットが最近は中心に置かれて彼の重要な発表の場となっている。音楽祭自体は25年続いていて、様々な出合いはあったが、現体制になってからは昨年の公演が没になっていけなかった。毎年、復活祭と重なる、その後はシュヴェツィンゲンとなるが、今年は目玉は一つ二つしかなかった。またルートヴィッヒスブルクの音楽祭は、復活祭の延期日程に重なるので、何が開かれて何が駄目になるかは現在のところ分からない。

来週明けには今後のロックアウトなどが決定するが、大きくはショットダウンへと傾きつつある。ワクチン接種の日程からすると、もう一度はブレーキを踏まないと乗り越えられないことが判明しているからで、出来る限り早めに短くシャットダウンして欲しい。復活祭休みを長めにが学校の閉鎖などを含めて最も現実的ではなかろうか。少なくとも感染頻発地域では国内国外旅行の禁止は重要だろう。

指数74のランラントプファルツ州は週明けから戸外の飲食を許可する予定らしいが、検査済みでワインを飲んで口泡とび合わせているようではやはり感染阻止は出来ないだろう。そこまで管理できるとは到底思われない。



参照:
レヴィットのルジェスキー 2017-08-29 | 音
コロナ収束への工程表 2021-03-17 | 生活
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花咲かさない爺さんの念

2021-03-20 | 生活
春へと楽しみにしていることがある。まだ室内に置いてある鉢に蕾を見つけたのは三週間程前、そして今開花しかかっている。どうしても咲かしてやりたいと思う。誕生日祝いに沢山の花を咲いた鉢を貰ったのは13年前の事だった。その時以降花を咲かしていなかった。原因は明らかだった。

その年に日本へと飛んだ。水遣りの事もあるので近所の街中一番の嫌われ者の爺さんにそれを預けた。そして帰って来て受け取りに行くと、家政婦の婆さんが先を全て摘まんでしまったので、今後咲くかどうか分からないと言われた。

要するに水遣りと花が落ちるのを面倒で切って仕舞ったのだと分かった。穿った見方をすれば水をあまりやらないでいいように、掃除の余った水でと成長を止められていたかもしれない。

毎年の様に要らぬ枝葉を落としたりして努力をしていた。成長が良くて明らかに何か変化を感じたと誌も何度もあった。特に問題になったのは虫が寄って歯がべとべとと密を垂らしたことで、今冬はなぜかその密が他所の鉢へと移っていた。

先端が蕾だと分かった時は狂喜した。そしてその嫌われ爺さんが昨年初夏に亡くなっていたことと無関係には考えられない。街中の全ての事に口出しをして邪魔をしでかすことを生き甲斐としていた爺さんである。背後には「ハイルヒットラー」と買い物の度に言わされたと語ったように、半ユダヤ系の生い立ちゆえの反社会性があったと考えられた。

昨年もコロナ禍で市役所に駆け込んでの活動が出来なくなった事から亡くなったと確信していたが、こうしてようやく蕾から開花しかけて、漸く爺さんが本当に亡くなったとの思いを強くした。まさか念で花を咲かせなかったとは、とんでもない爺さんだった。

先日西部ドイツ放送局でルールピアノフェスティヴァルの録音が流されていた。先日亡くなったレオン・フライシャーがミンゲット四重奏団と合わせたものだ。コルンゴールトの曲が聴きたくて録音した。先ず四重奏団がこんなに下手だったかなと思った。一度ハイデルベルクで聴いたかもしれないが、印象以上に下手だった。レパートリーとして練れていないのに尽きる。フライシャーのピアノは想定内だったが、アンコールなどもそれなりに良かった。

昨日の訃報記事からマーラーの交響曲を流した。当時LP乍素晴らしい音が入っているなと思って改めて聴くと、音響的にも通常のプレーヤーでは限界だと感じた。またフィラデルフィアの管弦楽団の演奏も現在の演奏能力からすると大分下である。特に弦楽器が下手である。当時はまだオーマンディー指揮の頃なのでそんなに難しい表現は求められていなかったのかもしれない。同じシリーズでシカゴの交響楽団も振っているがこちらは流石にショルティ時代の巧さは間違いない。



参照:
あまり記憶に残らない指揮 2021-03-19 | マスメディア批評
最後までの憎まれもの 2020-07-10 | 雑感

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あまり記憶に残らない指揮

2021-03-19 | マスメディア批評
訃報が流れたアメリカの純正オペラ指揮者ジェームス・レヴァインの事が書いてある。速報で流れたフランクフルタールントシャウの内容がもっとも纏まっていて良かった。「クリーヴランドで高名なジョージ・セルの下でアシスタント」をして、「やや二流の劇場管弦楽団を演奏会でも弾ける一流にした」指揮者とある。これ以上付け加える必要が無い。

しかし、ミュンヘンでの活動やその裏の事情を読みたい。アルゲマイネ紙にコッホ氏の文が載っている。故人が権力を維持してその裏でハラスメントを働いた事情は上の一行で明らかだが、そのMeTooで訴えられた以前に1990年代から問題になっていて、ミュンヘンでも結局CSUとSPDの政治的な判断としてペドフィラーを市の公的な立場に置いておくのは不味いとなっていたようで、大陸間の横断を嫌ってボストンへと行って呉れたことでほっと息をついたという。

当時の新聞などの情報ではそこが分からず楽団との関係の悪化かと思っていた。当然その後のベルリンでの喧噪の印象と合致するもので、余程ドイツとは相性が悪かったのかと思っていた。しかし。事実は結局ものに出来なかったブルックナーを世界一のブルックナー楽団とやろうとしていたという事で、チェリビダッケの後を継げなかったのは両者にとって不幸だったのかもしれない。

音楽の喜びに満ちた指揮で、クライバーのような鬱とかに関係しないサヴァリッシュやバーンスタインに近いとしている。シカゴを振ったラヴィニアでの音楽祭での指揮から室内楽、ピアノまでの活動が最も優れた活躍であったとしている。ザルツブルクでのバランスの取れた「魔笛」、オペラでは「ホフマン物語」でリズムの良さで劇場的に発しとしていての反面、バイロイトでの代表的な「パルジファル」を挙げて、最高速で走った後でとても寛いだ中で殆どミスティックなの色彩感と柔軟性はあそこではなかなか得られない成果だったとしている。それをして演出家のロバート・ウィルソンとの芸術的な近親性に言及している。マーラーの九番の四楽章の演奏時間。

個人的には、ドミンゴとの「ホフマン物語」に実演ぐらいしか記憶にはないが、新聞にあるように大スターを立てる指揮は正しくカペルマイスタ―的で、どなたかが書いていたように「あまり記憶に残らなかった」様な指揮はそのもの真骨頂だろう。本来ならばそのMETの楽団がバーデンバーデンの今夏の音楽祭に出る予定だったが中止になった。ネゼセガンなどがその領域を継ぐかどうか。合唱出身で歌に合わせるのは上手だがオペラ指揮者としてはまだ評価が出来ないでいる。

レヴァイン指揮の録音はフィラデルフィアとシカゴのマーラーで出合い、その後もドミンゴの歌う「オテロ」も最も素晴らしい録音の一つかもしれない。後年のパールマンとのモーツァルト協奏曲集のCDボックスやストラヴィンスキーのLPのほかスコット・ジョプリンを弾いたLPもある。その他はこれまたあまり思い出せない。



参照:
Mystiker und Machtmensch, Gerhard R. Koch, FAZ vom 18.3.2021
Zum Tod von James Levine: Vom Firmament, Stefan Schickhaus, FR vom 17.3.2021
久しぶりのオテロ感 2018-11-16 | 生活
復古調の嘆き節の野暮ったさ 2010-03-30 | 文化一般
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状況を俯瞰する

2021-03-18 | 
2022年復活祭の一般発売が始まる。二年も振られるといい加減に気持ちが失せる。特に一年先の事ならばコロナ禍は、昔話になっていても、やはりまだまだピンと来ない。こちらの感覚が鈍って仕舞っている。特にあのバーデンバーデンの祝祭劇場で鳥肌が立つような経験ぐらいをしていないと身体が動かない。

「フィデリオ」の中止は今でも胸が痛い。痛み思い出したくないものだからどうしても期待したりとかしないようにとの防衛本能が先に働く、だから先行予約で一通り流したに過ぎない。それ以上に重点的に想像して席を替えたりというところまでは行かなかった。兎に角、まだ痛いのである。

先ずは五月に幾らかは実現することで傷は癒されるかもしれないが、その五月の公演の為には来週に再びシャットダウンの必要が出てきた。十万人中の新陽性者の数が100を超えない中での社会を動かす基準を作ってきたのであって、100を超えるとブレーキが引かれる。先ずは週末20日のベルリンでの再開コンサートが怪しくなってきている。既にベルリン全体では98で、明日にでも100を超えるかも知れない。

また最新のドイツにおける陽性率は20%に達していて、とんでもない感染が広がっていることが分かる。一部には簡易検査などで検査数が増えて、陽性者数も増えているという見解があるのだが、SWRが調べたところではその中の5%のみが抗原検査からPCRテストに回ってきているという事で、簡易検査は大勢には寄与しない様である。

要するに第三波の勢いは強くて、特に学校等の児童生徒を巻き込んでの感染拡大であって、学校を続けるためには全員に検査する必要が出てきている。そしてそれだけの数の試薬は足りていない。ドルトムント市が学校閉鎖を呼び掛けたようだが、ラシェット知事が「学校は最後に閉めて、最初に開ける」と拒否したらしい。つまりもはや催し物どころではなくなってきている。

またアストラゼネカ接種が止まっていることから、50歳以上への接種が遅れることになっていて、今後そこから重篤者や死者が増えると予想されている。また問題となっている血栓も、確かに平素の何倍かの八件が起こっているのは接種を受けた医療従事者に女性が多いとされていいる。それが事実ならば男性に率先して接種して行けばよい筈なのだ。

こうした状況を俯瞰すれば、来週22日からの決定はシャットダウンしかないように思われる。せめてアストラゼネカでも盛んに接種が続いていれば状況が変わったかもしれないのでとても残念である。少なくとも20日のベルリンのフィルハーモニーでのコンサートは検査をすることでのその実験となっているので有効な結果が出ることが望ましい。



参照:
コロナ収束への工程表 2021-03-17 | 生活
心拍52でノンレム睡眠落ち 2021-03-16 | 生活
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コロナ収束への工程表

2021-03-17 | 生活

週明けに車のラムプを点検した。長く警報が故障していたので他の故障が分からないという事で、ブレーキラムプがやはり気掛かりだった。色々と調べていて、妙な事に気が付いた。使っている電球に赤塗りがあったことで、どう見てもブレーキ用だった。それが後方灯に使われていて、取り換えたり付け替えて試しているうちに嵌りにくいのがあることが分かった。どうも暫く混同して使っていたようで、綺麗に揃えると光り方が良くなった。よく考えると前方のライトも色が左右異なっている。適当に取り換えているうちに混ざって仕舞っているようだ。

コロナ禍脱出の工程表が直に出来上ると思う。ビオンテクファイザーがEUに二億以上のワクチンを六月末までに配給するとしたからで半年早まった。これで夏には接種希望者は全て終える事が出来る。夏過ぎにはマスクから解放されソーシャルディスタンシングも終了するだろう。

我々にとっては秋以降の計画が出来るという事であり、そのつもりで準備もして行かなければいけない。新車の発注などもそれに合わせて試乗も考えて行かなければいけないだろう。

先日来問題だった冷蔵庫の異音は背後の冷却柵を押さえると止まったので、機械的に其の侭壊れてしまう事はなさそうである。それでも安心せずにシステムキッチンの計測と購入の準備は進めておきたい。

月曜日から配券作業の始まったミュンヘンの歌劇場のオパーフェストも開催は何とかなりそうだが、マスク無しになるように願いたい。出来れば知事もどっかに吹っ飛んでもらいたい。開催は6月20日からで、どうも4月の再開は難しくなりロックダウンが続きそうなので、この週末に無観客初日「ばらの騎士」が上演されて、残りはフェスト週間中にとなる。

この木曜日の初日には希望していて、日曜日が第二希望だったので、その希望者を優先して貰えると当たる可能性は無くはない。新制作「トリスタン」初日が29日、21日、24日から28日は開いていて、三回の上演が可能だ。

7月27日も大劇場は開いているのだが、翌日に「サロメ」なので流石に二日続けてマルリス・ペーターセンが主役を歌えない。代わりもいないので駄目である。

その可能性を除くと、最多五種のティケットが当たる。希望価格帯で全券が都合されると約800ユーロとなり、そこから昨年の残してあった一枚の金券分を差し引いて、600ユーロほどになる。万が一一番高いものが都合されるとなると1400ユーロを超えて支払額も1200ユーロになる。当たるだけで幸運なのだが、宿代218ユーロ、二往復の燃料代350ユーロほどで、1000ユーロは超える。最後の年なので多くの人が昨年の予算も加えてで力が入っているだろう。

更にルツェルン音楽祭の最終プログラムも発表されておらず発注した分の支払いもこれからである。一挙に経済が動き出す。大変な金額が流れ出す。

 


参照:
心拍52でノンレム睡眠落ち 2021-03-16 | 生活
先を見通す下調べ 2021-03-06 | 雑感

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