Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2010年7月

2010-07-31 | Weblog-Index



あまり暗号化出来ない暗号 2010-07-31 | テクニック TB0,COM0
大女に息を止められそうになる 2010-07-30 | 女 TB0,COM0
仕組まれた初めての不具合? 2010-07-29 | 生活 TB0,COM0
品質向上戦線で勝ち抜くのは 2010-07-28 | ワイン TB0,COM2
僕と鉢植えバシルの木 2010-07-27 | 女 TB0,COM5
寒い夏をなんとか凌ぐ方法 2010-07-26 | 暦 TB0,COM0
近所のアポロンとディオニソス 2010-07-25 | マスメディア批評 TB0,COM0
フェースブックに載せる顔? 2010-07-24 | 雑感 TB0,COM0
昨日の水がお湯のような今日 2010-07-23 | 生活 TB0,COM0
発汗による体温の調整能力 2010-07-22 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
野趣に富む低繁殖への道程 2010-07-21 | ワイン TB0,COM4
リースリングが美味い今夏 2010-07-20 | 暦 TB0,COM0
水風呂で「覚醒」を促される 2010-07-19 | マスメディア批評 TB0,COM0
高所アルプス指導一次合格者 2010-07-18 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ダウンロードが腑に落ちない 2010-07-17 | 生活 TB0,COM0
仕方ないのかも知れないが 2010-07-16 | 生活 TB0,COM0
動脈硬化も怪我の功名か? 2010-07-15 | 雑感 TB0,COM0
苦情処理の冷却の方法 2010-07-14 | 生活 TB0,COM0
盛夏に夏の終わりを惜しむ 2010-07-12 | 生活 TB0,COM0
認知、直感的に安心させるもの 2010-07-11 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
週二回練成の夏休み日記 2010-07-10 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ウトウトと昼下がりの夏季講習 2010-07-09 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
守り切れなかった軋み 2010-07-08 | ワールドカップ06・10 TB0,COM2
カーネルさんのサマーコート 2010-07-07 | 生活 TB0,COM2
あれがヴヴゼラの響きか 2010-07-06 | BLOG研究 TB0,COM0
グラン棒棒鶏で十二分に涼む 2010-07-05 | 料理 TB0,COM0
夕立を待ちながら空手水 2010-07-04 | 生活 TB0,COM2
進化という自然環境の神秘 2010-07-03 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
知的批判無くては何も無し 2010-07-02 | マスメディア批評 TB0,COM0
頭を使った洗練さを求めて 2010-07-01 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
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あまり暗号化出来ない暗号

2010-07-31 | テクニック
運動せずとも腹が減った。本日新しいモデム兼ルーターが届いた。回線の切り替えは八月四日になっているが、低速では使えるのだろうと交換作業に入った。

あんちょこの説明用紙をじっくりと勉強して、滞りなくコードを繋ぎ替えて再オンラインを果した。速度に関しては、交換以前と全く変らない。YOUTUBEが一回で通して見れないぐらいだから、今までと全く同じで1000BYTESが限界である。一週間以内の高速化を楽しみにしておこう。

もう一つの大きな進展はコードレス化である。ホットポイントではオンラインした事があるが、自分のシステムでは初めての経験である。そこで結構苦労した。結局使用したいノートブックの古さが問題となったのだ。電波は受けていてそれを関知しているのに全くオンライン出来ないのである。もちろん暗号を用意してそれを手動でも入力してみるのであるが、全く認証してくれない。

PCは六年しか経っていないのに、その暗号化システムが古くなっている。ソフトの問題ならばなんでもないがハードのROMの問題のようで、ルーターの暗号化システムを古いものに合わせる必要があることを、詳しい説明書を読んで納得した。ケーブルで繋げばなんでもないのだが、それでは折角のシステムを有効利用出来ない。

つまり現在はWPA・WPA2と呼ばれるウイフィ・プロテクテット・アクセスと称する暗号化承認システムが最も安全なそれとされている。丁度上の富士通ジーメンスのノートブックを購入した後に一般化されてきたシステムであるようだ。そこで、古いシステムWEPと呼ばれるワイアード・イクイヴァレント・プライヴァシーと称する暗号にすると認証出来た。

正直、64もしくは128ビット要するに十桁、二十六桁の暗号などは素人でも簡単に解読ソフトを使用すればものの二分もあれば解読十分である。要するにいくらでもLANに進入出来る。更に、今回気が付いたのだが、既に三つ以上のネットがこの界隈に漂っていて、恐らくお向かいの役所のそれも交差しているような地域で、果たしてこんなコードレス電波を飛ばして良いものかと思うのだ。

防御手段としては、アクセス権を与えるフォルダの中身を本格的に解放してしまうことだろうか。どうせ他人にとっては何の興味も湧かない内容である。まさか人の印字機を勝手に使って何かを印字する者もおらんだろう。勝手に入れてくるFAXの広告のようにである。

現在ではそれぐらいの対処法しか気がつかないが色々と研究してみよう。いづれにしても健在のノートブックに内臓の無線LANを使用している限りは、安全性は限られそうである。
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大女に息を止められそうになる

2010-07-30 | 
夏を惜しみながら、湯船に浸かった。窓を閉め切って出来るだけ温まるような入り方である。アルコールも飲まずに、風呂に浸かって身体を芯から温めると、一気に疲れが出た。温くてもそうだが、最近は就寝前に風呂に入ると殆ど筋ジストロフィーであるかのような脱力感で体が痺れて、まるで金縛りのようになって眠りに入る。動こうと思っても体が動かないあの状態である。火事があっても、誰かに襲われてもあの状態ではもう駄目である。

そして朝になって襲われた。女である。相手は大柄の金髪女性であった。どうも私は彼女のところに居候のような按配で、寝室に寝転んで彼女が見繕いをして夜のパーティーに出かけるのを覗いているのである。なんだかんだと、寂しいなとかほざいたのが最後、彼女に襲われた。

まるで此方の急所を掴んでいるかのように口づけをしてくるのである。「ああ、止めてくれ」とかも言う暇もなく、豊満な口で口を塞がれて仕舞った。またまた彼女の口元の柔らかさが異常で、殆ど鼻までを塞がれる感じでタップリとそのマショマロのような口の周りを押し付けてくるのである。こちらは殆ど息苦しくなるのと同じぐらいに、そのあまりのすべすべ感とか吸い込まれるような感じに、息が止まるほどなのだが、とても心地良く、また全身から力がフーと抜けてふにゃふにゃになってしまうのであった。

結局また、起きようと思っている意志に拘らず、馬乗りになるばかりの彼女を思いきって蹴り飛ばすぐらいでないとベットから這い出せなかった。もうこうなると夏の疲れを通り越して、全身虚脱というほかないような状態である。
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仕組まれた初めての不具合?

2010-07-29 | 生活
本来ならばクライミングの日だったが、雨がちなので早めに断念した。時間が出来たので懸案であった車の不具合を、マンハイムの支店のマイスターに見せに行った。実は六月から問題があって、やがて九年目になろうかという車両の初めて不具合で、若干憂鬱な気持ちになっていた。その後二ヶ月間に同じようにエンジンが掛からない不具合が三回起きて、同じように三四十分すると再び掛かる状況が続いていたのである。

定期整備は既に六月からディスプレーに警告されていて、八月の車検と同時に遣らせようと目論んでいたのである。時期を遅らせて懐具合と相談したのである。だから、この初めての不具合で、まさかこうした警告じみたプログラムが仕込まれているのかと勘ぐったぐらいである。原因は、マイスターの診断では着火のケーブル系にあるらしいが、まさにエンジンが温まっている時にしかならない現象で、ガレージから出すときに不具合になれば其の侭修理に持ち込んでいたに違いない。

来週のアポイントメントまでに再び起きるかも知れないが、駐車する時には最悪の場合の再発進出来るまでの時間を見込むぐらいで、五回目の不具合も動かなくはならないだろうから、時間にさえ余裕をみておけばなんとか家に帰れるだろう。マイスターは、様子を見るために放置しておいたように感じたようだが、実際は前述のように可也世知辛い事情がある。今回は当初から多めの経費を覚悟していたので、不具合の修理やレンタカー費も含めて支払いが如何ほどになるか今から戦々恐々としている。

車検も毎年のように必要になって、これからは不具合も覚悟しておかなければいけないが、逆にこれからは問題なく乗れば乗るほど元もとれるようになる。現在のものは細かなところまで注文生産・組み立てさせて工場で引き取りしたのであるが、年金生活者までが数年おきに車を高く売って新車に乗り替えているのを見てその方が得なのだろうかと考えたこともあった。しかし現実的に計算すると、新車を数年後に売っても精々六割近くの価値にしかならない。つまり、ある年数が経ったところで、新車何代目かの投資と比較して、ブレークイーヴンポイントが訪れることになる。当然のことながら、長く乗る車両は頻繁に買い替える新車よりも上のクラスの車両となる。

整備費用や維持費さらに税金優遇や貯金金利は小さくないが、各々の経済状態は異なるといっても数年に一度の出費はやはり積り重なると大きい。償却できる社用ならばリーシングも一つの選択であるが、やはり自家用は事情が異なるように思われる。そしてその人のライフスタイルもそこに大きく係わっていて、自分自身のことを考えれば数年に一度それほど魅力もない新車に買い替える経済力があるならばもう一つ上のクラスの車両を購入するに違いない。

全く手間や費用を掛けさせて欲しくはないのであるが、機械に少し手を掛けてやる度に愛着のようなものが出て来るのも不思議なものである。それにしてもドイツ車の支店に、新車受け渡しかも知れないが、ランボルギーニで乗りつけるお客さんは一体何年間ほどその車を乗り回すのだろうか?オールドタイマーになれば可也高く売れるといっても異常に高価な中古を購入する人も限られるだろう。

そんなこんなで、運動をしていたらあり得なかったのだが、夏の疲れが出たのか今晩は胃もむかつき気味なので、恐らく今年になって初めての休肝日としたい。
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品質向上戦線で勝ち抜くのは

2010-07-28 | ワイン
作曲家ヴォルフガンク・リームはカールスルーヘでミッテルハールトのリースリングを選択したのかどうか分からない。しかし、私なら今の時点で間違いなく、ミッテルハールトの町フォルストにあるゲオルク・モスバッハー醸造所のそれを皆に推薦する。兎に角、美味い。週末には一人で1,5リッター以上飲み干した。そして美味いものだから、まだ止まらない。

もちろん高価で、将来性の高いリースリングは幾らでもあるが、秋が来るまでに旬を迎えてこれほど楽しめる2009年産のリースリングは少ないであろう。なるほど、スレート土壌では、ザールのシュロース・ザールシュタイン醸造所の「グラウシーファー」、ナーヘのシェーンレーバー醸造所の「グーツリースリング」など素晴らしいものがある。しかしそれらと比べて、九ユーロの「ダイデスハイマー・モイズヘーレ(アルコール12.5%、残糖4.9G、酸7.1G)」の素晴らしさは、前者に比べてコストパフォーマンスで、後者に比べて ― 価格帯からすれば七ユーロ台で後述のヘアゴットザッカー・カビネットとの比較となるが、現時点では比較対象となるほど魅力的である ― 複雑さで勝負にならないほど優れている。

例年ならばこの醸造所では「グーツリースリング」と称する最もスタンダードなワインを数多く買うが、今年は購入していなかった。それは上級のものと比較するとあまりにも閉じていて十分に判断出来なかったからである。しかしそれも少し開いてきたようなので購入した。決して例年と比較して悪くはないのだが、やはりまだ物足りない。一本六ユーロであるから、これをディーリーワインとして楽しむことが出来ると家計が助かるのである。少なくともこれぐらいのものを心置きなく晩酌に飲む身分でありたいといつも思っているのである。残糖値も、酸もアルコールも充分であるから、秋にはもう一度試してみたい。ラインヘッセンのニーアシュタインのワイン農家の娘さんを連れて行くことになっている。

フランスでも彼女、彼らに大変好評であった「ヘアゴットザッカー辛口カビネット」は試飲して購入したが、これはそれほど変っていなかった。しかしそれより上の「シュペートレーゼ」を試飲して驚いた。嘗てはこの醸造所の売りである豊富な果実風味と共に糖が多く甘めに感じられたそれが、全く素晴らしくどこか 冷 た さ 感 のあるミネラル感と素晴らしい柑橘類味とその皮の風味をカビネット以上に伝えていて高級感すらを漂わせている。今までは女性に好まれていたが、こうして痩せぎすになって酸が目立つこと無く本格的な辛口となって、逆に味が丸くなっているのである。分析票の残糖3.7G、酸7.1Gに驚くに違いない。辛口であるよりも風味豊かなのである。単体で楽しめ尚且つ上質な食事に申し分ないだけでなく、やはり女性に推薦したい。価格の13ユーロは十分にシュロース・ザールシュタイン醸造所の「アルテレーベン」とCP比較が出来るに違いない。

さて、玄武岩混じり土壌からの「バサルト」も試飲したが、これはもう少し時を隔てて吟味したい。印象は決して重くならず、凝縮度もあったので期待出来る。それに比較して今シーズンからお目見えした雑食砂岩土壌からの「ブントザントシュタイン」は、なんと天然酵母百パーセントの醸造法を用いている、当然のことながら微炭酸など感じられなく木樽が使われているようだ。試飲の時には感じられなかった天然酵母臭はあるが、これは酵母臭を抜く作業が十分でなかったと思わせる。しかし、その味筋は幾多の濁酒のようなそれではなく、大変澄まされていて、当たりのヘーゼルナッツの甘みがとても面白い。2009年産の健康な葡萄の収穫が前提となるのであるが、一夜にして幾多の醸造所が試みてきた天然酵母ワインの質を軽く乗り越えてしまっているのは、明らかに醸造の技能の高さだけでなく、ダイデスハイムからヴァッヘンハイムにかけてのリースリングの黄金地帯のような葡萄の実りの素晴らしさの成果に違いない。十年以上かけて多くの醸造所が協力して到達した成果である。そのミネラル感は、フォルストの地所エルスターのもので、従来のカビネットでは平面的にしか感じなかったものが3D効果で圧倒的に立体化されている。これも秋口への推移が楽しみであり、将来性のあるワインに違いない。

エチケットもマイナーチェンジが行なわれて、手ごろな果実風味溢れるワインから今や高級感あるワインへとその製品の比重を移している。しかしながら廉価なグーツリースリングがおろそかにされるでなく、逆にその価値を期待させ、尚且つ形だけグローセスゲヴェックスを提供する程度から本格的にそれで市場で勝負出来るようにと突き進んでいる。現時点では、九ユーロの「モイズヘーレ」の成功が、ややもすると現時点ではまだ開いていないフォン・バッサーマン・ヨルダン醸造所の代表的商品キーゼルベルクを凌駕しており、同じ価格ならこれを推奨する。しかし、ワインは経年変化するものであり、万が一スロースターターの「キーゼルベルク」が何時までも後塵を拝するような結果となればこれは勢力図の大変な地殻変動となる。バッサーマンのメル親方が木樽を使うと弁解し出した背景にはこうした競争があるに違いない。この界隈でおちおちしていては品質向上の戦線から直ぐに取り残されてしまう。

現在ドイツの高級リースリングは、九ユーロの商品を巡って熾烈な競争を展開しているが、激辛で有名なレープホルツ醸造所の「ブントザンドシュタイン」が今や辛口の中でも特別な地位を築く事すら難しくなって来ている。価格が僅かに高いザールのシュロース・ザールシュタインの「グラウシーファー」は既に価格で敗北しており、ミッテルハールトのクリストマン醸造所の「オルツヴァイン」は今年度から戦線脱落して発売停止となり、辛口リースリングのこのカテゴリーに参戦できる醸造所はあまり多くない筈である。



参照:
ザールシュタイン アルテ・レーベン 2009 (ワイン大好き~ラブワインな日々~)
看過出来ない齟齬 (新・緑家のリースリング日記)
夏の夜の辛口ドイツワイン飲み比べ (モーゼルだより)
ふと久しぶりに読みました。 (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
野趣に富む低繁殖への道程 2010-07-21 | ワイン
これで結構真剣勝負なのですよ 2010-04-11 | 試飲百景
キリストの昇天に飲む「神の棺桶」 2010-05-19 | ワイン
退屈凌ぎに将来への新たな一歩 2010-05-31 | 試飲百景
肉体化の究極の言語化 2007-11-25 | 文学・思想
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僕と鉢植えバシルの木

2010-07-27 | 
厨房の窓際に置いてあるバシルの鉢を見て叫んだ。

「一体何時買ったの?」

「前から」

「こんなに大きくなって」

「育てたんだよ。」

吉本バナナの小説の一コマではない。前々からバジルを徹底的に収穫することには精を出していたが、これほど大きく育ったのははじめてだ。もちろん育たない葉を選定していく作業はしているのだが、それをしても必ずしも上に育つとは限らない。条件が良かったのだろう。

兎に角、驚くのは幹の太さで、バジルとは木であったのかと思い直した。

「このまま育てるとね。ジャックの豆の木のようになるんだよ。」

その太ささに相当して、水を吸い込む力が巨大で、毎日のように四百CC以上は間違いなく吸い上げている。幾らやっても下から水が溢れてこないのである。

水を遣りながら、あの雲の上まで届くのは何時のことだろうかと楽しみにしているのである。
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寒い夏をなんとか凌ぐ方法

2010-07-26 | 
こんなに寒い夏を知らない。北半球は何処でも暑いと言っているのに申し訳ないが事実である。今朝などは摂氏一ケタ台を狙おうかという冷え込みである。七月中でこんなに寒かったのは、英国か、アルプスぐらいでの想い出である。八月中の雪は、アルプス以外でもベルリンでもノルウェーでも経験があるが、今年はこの辺りでも冷え込みそうな気がする。そうなると一気に冷夏である。

こうなると朝の散歩にはうってつけで、ハイデルベルクの上に登る強い太陽を浴びながら歩く気持ちは高原の避暑地よりも快適である。まさに町の観光タイトルが桃源郷となっているのも理解出来る。葡萄は茂り、実は引き締まって、朝晩の寒さに堪えつつ、素晴らしい酸を育成していることだろう。

しかし此方は夏物しか出していないので、陽が翳るととても寒くて堪らない。熱い風呂にでも入りたいが、出て来るともっと寒いかも知れない。昨晩に続いて、十二時間ほど経って、一時間程歩いて来た。六千歩である。てくてくと歩くと色々と考え事が出来るのが良いのだが、朝食前の一時間でふらふらになった。出がけはとても元気良かったが、帰ってきたら疲れ果てて全身状態が悪くなりまるで病人のようになっていた。

昨晩は、実は五キロぐらい走って三キロ登ろうと思っていた。現場へと車で出かけると、室内の雰囲気と異なり町中は摂氏二十度を遥かに越えていて、森の中でも少し越えていた。とても長い距離を走る自信がなくて止めたのだが、正解であった。前日までの涼しさで暑さに体が馴染まず、いつもの五キロコースを登るのにも苦労した。それでも稜線に出るまで二千七百歩、二十六分とそれほど時間は掛かっていなかった。そこから車のところへと下りコースをいつものように一気に走ったのであるが、陽射しがあると辛かった。息絶え絶えに車のところに戻ってくると、四千五百歩、三十七分で、今まで三回走った中で一番早かったようである。そして歩幅も伸びているらしい。

そしてこうして翌朝一時間ほど歩いててみると、とてもではないが比べられないほど、走るのに比べて歩行は全身疲労が激しい。なるほど万歩計が示すように、消費カロリーは大分増える訳だが、疲労は倍ぐらいである。やはり走るとアドレナミン放出で、なかなか疲れが出ないに違いない。それに比べ、ゆっくり歩くと、三十分もすると腹が減り、ふらふらしてくる。

中後年でジョギングする者もあるが、あれは運動している気にはなるが、健康にはあまり良くないだろう。なによりも頭が悪くなる。健康管理には三十分でも時間があればゆっくり歩くのが一番良さそうである。但し、心肺機能、筋力強化などの目的を持ったスポーツ能力向上の為には、歩行では駄目である。また、その意味からノルディックウォーキングも基礎体力の維持向上には優れているかも知れないが、運動能力を高めることにはならない。やはり目的によってなすべきことは変わりそうである。今朝起きて、肩の張りを感じていたが、歩いて来たら治っていた。



参照:
八月の太陽が期待出来ない 2010-07-23 | 生活
発汗による体温の調整能力 2010-07-22 | アウトドーア・環境
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近所のアポロンとディオニソス

2010-07-25 | マスメディア批評
近所の人の話が二つ出ていた。一人は、カールツルーヘに住む作曲家で今年ザルツブルクでの初演を控えているオペラを作曲したヴォルフガンク・リームである。もう一人は、マンハイムの赤十字勤めで、HIVを完治させた血液学で腫瘍学者のゲロ・フッターである。

リーム氏の方は二十世紀後半を代表するドイツの作曲家として世界的に有名であるから今更紹介することはないのであるが、ハムブルクで、そしてアムステルダムで活躍していた指揮者メッツマッハーから依頼を受けてオペラの構想をしていたとは知らなかった。題材は、ディオニソス・ディテュランボスで、ニッチェの発狂前の詩がタイトルとなっている。

その内容については、初日に臨席するのでもないのであまり関心はないが、音楽ジャーナリストのスピノラ嬢が作曲家の作曲講座の後に、氏の行きつけのレストランに同行して記事を書いている。それによると、「まだ飲んだ事のないワイン」を探し、清澄なリースリングを見つけ、トスカーナ風のパンサラダに焼き鰯を楽しんだとある。なるほどアポロンとディオニソスであったのだろう。

ヴァインハイムに住むフッター氏は、その勤め先の関係か、輸血とその移植の実践がHIV制服への方法へ結びついたようである。輸血のためのその献血者の特殊な抗HIV特性が米国人のエイズ患者に奇跡を起こしたようで、死に瀕しているエイズ患者ではなく白血病の患者への治療行為の中でエイズから患者を解放したようである。

その特殊な抗HIV特性はヨーロッパ人のに2%ほどに存在していて、アフリカやアジアに比較して欧州大陸での感染率を下げる根拠になっていると言われる。同様な抗エイズ性は、アフリカの健康な売春婦の調査などにも表れていて重要な医学的な論議になっているようだが、膣内の粘液のたんぱく質に関連すると言われるように、輸血するその血液細胞表面のCCR5の蛋白質が欠けているのが特徴で、それが欠けるゆえにHIVは感染しないようである。

フッター氏の想像では、欧州の伝染病の歴史がそれらの蛋白異常の突然変異を招いたと、数百年の間にそれが引き継がれてきたとして、千年以上前にはそのような変異は起きていなかったのではないかとする。要するに、伝染病に生き残る中での変遷であると推測する。

実際には、今回のような白血病の治療として、抗HIVの細胞を培養して、患者に輸血しても、半年以内では元々の患者の特性と変らないというが、二年もすると輸血したその抗HIV性へと特性が変化していくと言うのである。つまり、瀕死のエイズ患者には効果はないが、上の成功例以外には現在2008年以降八例を扱い、唯一三歳になるロシア人の女の子に対して120件の輸血の中から適合する献血が見つかったと言う割合のようだ。ヴィーンでのエイズ世界学会で正式に発表されるようである。



参照:
Der sonnige Laller, Julia Spinola, FAZ vom 19.7.2010
Mit Mutation gegen HIV, Peter-Philipp Schmitt, FAZ vom 7.2010
追懐の怒りのブーレーズ 2006-11-08 | 音
引渡されるネットの反映 2008-12-11 | 音
夕立を待ちながら空手水 2010-07-23 | 生活
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フェースブックに載せる顔?

2010-07-24 | 雑感
合衆国の縁者の三世からメールが入っていた。それを開けるとフェースブックと呼ばれるSNSのリンクであった。幾つかは気が付いていたのだが、既に五人さまのお友達になっているではないか。その内分けは今回のものを除くと、なぜか芸筋の人が多い。しかし一人は全く岩登りのパートナーの奥さんのデザイナーである。

一人の女の人のことは全く忘れていたが、これは一度仕事でお付き合いのあった翻訳家で、もう一人はその紹介の文筆家、もう一人はミラノのスカラ座のソロ奏者である。所在地別には、オレゴン州、ワイン街道、不明、ベルリン、ミラノで、国籍的には合衆国、ドイツ、ドイツ、フランス、イタリアの女性三人男性二人となるだろうか。いづれにしてもこれを合わせると狐につままれたような人脈図である。

私がここに参加するとなると、この五人に各々関係が出来るのは当然なのだろう。なんら殆ど僅かしか関係のない人達である。なぜか、此方の年齢のせいか現実世界でもこうした繋ぎ合わせのような活動が増えてきている。それよりも何よりも、私にとってこのネットワークや情報を提供する価値があるのかどうかは全く分からない。一般的にプロフィールにつけて写真などをアップするようだが、どうしたものか?

それでも、全く無関係なインターナショナル性のある緩いネットワークというのは面白いと思ったのも事実である。ドイツ語で文章を書くつもりも、英語共通語で長い文章を書くつもりもないのであるが、少なくともここで紹介している映像の更にパーソナルなものぐらいは提供出来るのではないかとも考える。ネット環境も変るので一度前向きに検討してみたい。

本日懸案のネット回線を申請した。実際に月々の費用がどれだけ安くなるかはもう一つ定かではないが、安くなることは間違いなく、一文も賭けずに問題が一気に解決する。さらにWLANまで使えるとなると、その使用を敢えて控えていたのだが、ノートブックを扱い易くなる。

十五年もテレコムのサーヴィスを使っているが、これほどの技術的問題は今回が初めてで、料金よりも何よりも信頼性と使い良さで他のサーヴィスかわる心算はないので、それほど悪い判断だとは思っていない。今回の新たなネットで問題が起これば間違いなく二十四時間に以内に問題が解決されると言うのも心強い信頼性である。今のシステムの塩時であったことはハッキリしている。

結構な時間を費やしたので、もう少し時間があればLINUXシステムも導入する所であったが、先ずは一度落ち着きたい。機械やシステムにも寿命があるのだが、生物体ならばさらにそれに配慮してやる必要がある。機械やシステムは交換可能であるが、生物体となると移植という医療はあってもそうはなかなかいかない。

昨晩の久しぶりの熱い湯で、疲れが一挙に出た。気温のこともあり肩の凝りがやや気になる。
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昨日の水がお湯のような今日

2010-07-23 | 生活
セーターを羽織らずにはいられなかった。Tシャツを脱いでポロシャツに着替え、猿股から長ズボンに着替えた。涼しいところで、懸案のネット回線アップグレードを研究した。現在使用しているクラシックなDSL回線が秒速1000に対して6060Kbitのものにしようかと考えた。

電話で情報を集めると、現在の場所では当面3000越えまでしかスピードが出ないので、6000もスピードは出ないらしい。それならばその下のクラスの2000では、全体としての進展が殆どなさそうである。何れ乗り換える事を考えれば、ドイツで最先端を走って来た立場としては、ここでグレードアップをして再び十年ぐらいは使いたい。

重要な点は現在問題がありそうなモデムを出費無く早く替えることと、そこから最終的な使用料を圧縮することである。電話の回線の使用などに制限がない限りは、安くて早い回線へと逸早く乗りかえることになる。上手く行っても、YOUTUBEのVIDEOを待たずにオンタイムで見れるぐらいだろうか。

この際は不安定な末端機を替えて、モデム兼無線にもなるルーターをリースしながら、具合が悪くなったら二十四時間中に直させる契約をした方がお得のようである。現時点でも瞬間的には可也のスピードが出ているのだが、本当に安定して高速になるのか楽しみである。

断続的に雨が降り、疲れた腕が病め、肩も重くなった。まるで秋のようだ。昨日の今日が嘘のようである。次ぐに暑くなるまでに疲れを完全に取り除いて、パワー全開出来るように英気を養いたい。しかし八月にも太陽は期待出来るだろうが、強さが違う。今年の葡萄の出来は八月の天候に係わってくると思われるが、天候が良いだけに朝晩の冷えが厳しく、酸の良く乗ったリースリングになることは間違いないだろうが、短い夏のワインの典型ともなりそうである。

今年の冬がそうであったように、これほど寒暖の差が激しい夏も珍しい。皿を洗うのにお湯が欲しいと思ったら、昨日の水が殆どお湯のように熱く感じられた。
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発汗による体温の調整能力

2010-07-22 | アウトドーア・環境
今年一番の暑さだった。気温は摂氏35度ほどで全く大したことはないが、湿度が高く、夕立が本格的に来ないのでの厳しかった。そrでもやはり夕方になって風が吹くと涼しい。明日以降は冷えるようだ。

その合間を狙って、石切り場で登ってきた。この暑さに限らず、夕立の予報に係わらず可也賑わっていたのには驚いた。高校生などもいたからだろうか。

暑い最中を汗びっしょりになって、結構全身火達磨で熱く登っていたので、スポーティーだと言われたが、エコモードにしても汗が出ると手が滑るの行ってしまわなければいけなかっただけである。昨年までならば、汗で指が滑るとか言っていたのが、行ってしまえるのが力が入るようになった証拠だろう。メリハリが付くようになってきた。やはり、毎週少しでも走っているだけ体の切れが良くなってきたからだと信じている。

先日、独国鉄のICEのエアコンが壊れ、修学旅行生が多数病院に運ばれた。一人当たり五百ユーロの見舞金が出る様だ。クーラーの納入メーカーがいけなかったとしても、車両能入者であるジーメンスに責任を追及出来るように生産者責任の法制の改正が報じられていた。故障の原因は、予想以上の能力が要求された暑さというが、設計上の問題に違いない。故障が頻繁に起こっているというが、かつてベルギーを旅行中に嵌め殺しの列車が蒸し風呂状態になったことを思い出した。あの時は、ベルギー人などが文句も言わずに頑張っているのをみて、その基礎体力を感じた。

冬の寒さは、脂肪の量や筋肉の燃焼で我慢出来ることは分かっており、自分自身マイナス三十度ぐらいまでは裸でいても堪えないのでなんともないのだが、夏の暑さは日本脱出の主な理由であったほどに堪えられなかった。現在でもその状況はかわらないのだが、平素の運動量が増えると、熱の発散の効果もかなり良くなったようで発汗による体温の調整能力が高まったような感はある。
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野趣に富む低繁殖への道程

2010-07-21 | ワイン
念願のワインを開けた。今年つまり2009年度産に見事なワインを提供している醸造所は少なくないが、そのなかでも進展のあった醸造所の一つにザール流域の丘の上にあるシュロース・ザールシュタイン醸造所を、プファルツのフォルストのゲオルク・モスバッハー醸造所と同じように挙げることが出来るだろう。

既に、そのテロワール感を文字として表わしたハウスワイン「グラウシーファー」の綺麗に収まったコンセプト商品については賛辞を贈った。同時にこれに対してフランスワインを愛でる向きから「水っぽい」と言われればそれも無理はなかった。そこでどうしても上級クラスであり、古い葡萄の木から収穫した「アルテレーベン」に期待が寄せられたのである。これも不思議なことに、既に日本に三本は持ち込まれていて、既に東京でコルクが抜かれ飲まれていることから、どうしても我々事情通の者がそこに参戦する必要を感じたのである。要するに、四箇所で、恐らくほぼ同時期に同じワインが吟味されることになる。

個人的には、こうした事情がなければ秋以降まで落ち着かせておきたいと思ったのだが、早めに評価すればそれだけ可能性も拡がることであり、意を決してコルクを抜いた。食事は久しぶりの豚の内臓肉の寄席合わせで、いつものように腎臓と鼻と頬っぺたが主力であった。

結論からすると、大変素晴らしい進展ぶりをみせている。そして下のクラスで不満だった点は解消され、比較的長く・綺麗な余韻が後を引く。同時に如何にワインは葡萄が健康に育つことがなによりもの成果であることかを実感させるに違いない。幾ら手練手管に優れていても、その間隙は決して埋まらない。そうしたシムプルな醸造から生まれるナチュラルなクリアー感やヘルシー感こそがドイツの高級リースリングの特徴で、その点でフランスやその他の白ワインとは一線を隔している。2009年はその点で幸運に恵まれた年だっったのである。

初日には、炭酸が比較的激しく、グラスの水面が塵で汚れて見えるほどで、これはステンレス醸造・熟成の欠点でもあり、そのガスが抜けた時の評価をどうしても必要とさせた。その問題は後に繰り返すとして、色も粘度も十分であり、その香りはミラベル・シュナップスのそれに近く、所謂アルコール臭さを、この陽の薄い地方にしては高めの12,5%のそれを甘く包みこんでいて、口をつける前から好印象が得られる ― つまり翌日にガスが抜けそうしたバランスが崩れると、幾ら冷しても若干生ぬるい感じがするのは、そのアルコールが前にはだかるからに他ならない。

実際に、干し草の香りやぺパーミンツ味などがふんだんな果実風味に付き添われて、決して量感が少なくない酸も、辛口基準となる残糖も、スレートのミネラル風味の旨味をマスキングしない。この点において、恐らく大収穫年でもあった2007年産のそのバランスの悪さを遥かに超脱していて、ややもすると田舎臭さの強かったこのワインを目覚しく洗練させている。

比較すると、2007年産はその重心の低さから明らかにチーズなどのデザート向きのワインであったが、2009年産はオーナーも語るように「これほどまでに健康な葡萄はない」という按配で、上で示したように白身の肉に合わせるには全く問題がない。更に「おかしな重量感」がないので杯が進んで、危ない ― お蔭で夜十時にはベットに潜った。

これが、嘗ての「遅摘み」とか、「アウスレーゼ」とか呼ばれた誤まった古いドイツワイン法に基づく果実の糖比重基準のそれと最も異なる進展で、収穫量一ヘクタール当たり三十ヘクトリッター見当で収穫される、グローセスゲヴェックス並みの「水っぽくない」ワインの特徴であり、糖比重は一定値(九十エクスレ後半)に抑えらるので決して甘くなったり、高アルコールとはならない、深みなのである。

若干この関係を説明すれば、秋の酸の分解を待って出来る限り深みのある長持ちする酸を得る行為と、アイスヴァインを代表とするような貴腐から糖濃度を乾燥レーズン化させて甘口ワインを造る行為とは元々は別の狙いがあって、本格的な辛口を醸造するためには前者の条件を満たしつつ健康な葡萄を収穫することが金科玉条となる。その前提に加えて手ごろな糖比重と収穫量を落としたエキスの濃さがその価値を決める。

さて、この価格14ユーロをどのように見るかは、先の9ユーロ越えのグラウシーファー同様に議論のしどころである。玄人がこれを吟味すれば、最初の発砲性だけでなく、若干苦味の出る後味などで、その手間のかけ方から醸造施設程度まで十分に鑑定出来る。要するにその時点でこのリースリングは、現在のドイツの超一流のそれではないことは明らかなのだが、それでもこのややざっくりとした造りに ― もちろん酸は2008年と異なって肌理は細かいが ― 魅力を覚えるかどうかであり、まさに製品に生き写しなっているオーナーの人柄や、お知らせ状の文法などにも頓着しない野趣をどのように評価するかに掛かる。当然のことながら、決して悪くはないのだが炭酸が抜けて行き、経年変化した時の価値もそこに勘定されるのである。

酸の伸びだとかキレだとか、残糖感だとか、雑味とかの減点法でこれを評価するような御仁には決して高評価を受けないであろうが、大雑把にこれはあの辺境の谷の成果であると思えば、次元は異なるがモーゼル中流のJ・J・プリュムの甘口のようにかけがえのない「辛口の特産品」であり、今や超高級への道を歩んでいるとしても過言ではないだろう。もちろんその域に達するまでには、木樽醸造だけでなく、多大な投資と絶え間なる努力が必要であり、一朝一夜で成果が上がるわけではない。現在のオーナが生涯を懸けるべき課題なのであろう。そしてそれが出来れば、このワインは25ユーロ以下では到底入手出来ないであろう。

このワインの原料を提供する「古い葡萄の木」であるが、人間と同じで加齢すれば繁殖力は落ちる。谷の人々は、どうせ手間がかかって植え替えられない古い葡萄の木を其の侭維持することで収穫量を落としたグローセスゲヴェックスを収穫出来ることに気が付いた。そして我々は、こうした凝縮したエキスを飲んで、自らの肝臓を酷使してまた余計に繁殖力を落とすことになるのである。



参照:
「探 偵Bar Answer」さんにやって来ました。(東京都港区)
名 門のシャルドネです。 (saarweineのワインに関してあれこれ)
シュロス ザールシュタイン リースリング アルテレーベン (ワインセミナー 講師 朱里(あかり))
ワイン会での、ワイン あれこれと 3 (美味しい 大好き ニャンコ団)
ザールシュタイン 2009 グラウシーファー♪
ザールシュタイン アルテ・レーベン 2009 (ワイン大好き~ラブワインな日々~)
シュロス・ザールシュタイン
妥協を許さない味筋 (新・緑家のリースリング日記)
認知、直感的に安心させるもの 2010-07-11 | アウトドーア・環境
人柄が表れる発送確認メール 2010-06-09 | ワイン
中華料理でも作ろうか 2009-10-14 | ワイン
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リースリングが美味い今夏

2010-07-20 | 
今日からパン屋は夏休みだと、昨日の日曜日に聞いた。今日の分はクロワッサンと昨晩の残りの百姓パンがある。ブロットヘンを買いにわざわざ出かけているので通常のパンは殆ど買った事がなかった。試してみて、その生地感などはなかなか良いと分かった。それでもパンに関しては他の手作りの店でもそれほどかわらない。二週間のお休みで、八月二日から再び開業のようだ。

昨日は、金曜日の疲れが残っているので軽く修めたが、それでも五キロコースを登り走って下りてきた。大またでゆっくりテンポで下りた心算であったが、タイムは殆どかわらず十二分ほどであった。万歩計の詳細をみると、二千歩で下りて来ていることになるから、丁度一分間166歩ほどである。もう少しテンポを落として歩幅を広げたいと考えている。登りは疲れもあったのか、三千歩ほどを三十分近く掛かった。此方は、一分間で百歩であるから丁度良い。

昨晩は、大分冷えたので全ての窓を閉めて寝る以外になかった。今晩から翌朝にかけても摂氏十六度となっているから全く同じだろう。昼間は流石に温度が上がるが、太陽に一時ほどの強さはなく、陽が長くなって来ている。バルコンに陽が差し込むので逆に室内は暑くなるかも知れないが、吹く風が晩夏である。観天望気の原則からすれば、六月二十七日に天気であったから、そこから七週間同じような晴天が続くことになる。要するに今年の場合、八月十五日で夏が終わり、秋になるだろう。それは普通であるが、急に冷え込むのだろうか?兎に角、もはや夏が名残惜しい雰囲気になってきた。

モデムの様子を観察しながら、ルーターの調整などをした。ものによってはサーヴァーのアドレスなどが変っていたりして驚いたが、全く気が付かなかったのもどうだろうか。嫌疑が掛かるモデムであるが、観察していると最高速度が出る時と、その合間のデーターの受け渡しで休むときの両極面が確認出来た。元来もう少しスムースにその間が切り替わる筈なのだが、なんとなくギクシャクしている。素子のせいなのか、コンデンサーの不調なのか判らないが、ある意味節約モードになっているとも言えなくはない。

そんなことをしながら運動量の割りに高蛋白質の美味いものを食すると段々と体が重たくなってくるような気もして、いつものことながら夏太りの危険に曝されている。しかし、今年の夏ほどリースリングが美味い夏はない。決して2009年産のそれの酸に清涼感が高い訳でも、甘みが押さえられている訳でもないのだが、比較的高めのアルコールでも飲み易いのである。乾いた空気の影響かと思われる。こんなことを綴っていると、腹が減り、喉が乾いてきた。
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水風呂で「覚醒」を促される

2010-07-19 | マスメディア批評
漸く水風呂に浸かる時間が出来た。湖よりも少し冷たいぐらいだろうか。長く入っていると頭がちりちりとして来た。予定してした交響曲作家グスタフ・マーラーの記事に目を通していたからだ。

指揮活動オフシーズンの避暑地であり作曲小屋のあるケルンテンのヴェルター湖の写真が少々涼しいぐらいで、必ずしも夏らしい内容ではなかったが、二三面白いことが書いてあった。一つは、出生の環境についてであり、当時のオーストリア帝国内のユダヤ人を増やさないために正式には一家に一男しか家督相続出来ないことになっていたとある。要するに、百五十年前にボヘミアで生まれた作曲家の父親らは違法なユダヤ人であったとなる。アドルノが指摘するように、そうした貧困ユダヤ人の辛苦への不安感が悲哀の歌になっていると言うのである。これは一般的に流浪の民とか言う史実よりもその環境に迫っている。

こうした生い立ちがどれだけその芸術内容に繋がるかどうかは全く美学的な問題であるが、蒸留家として成功して「文字の出来るユダヤ人の家庭」に育つこの作曲家はユダヤ人都市プラハで高等教育を受けることになる。そして新古典派の権威であった作曲家ブラームスに傾倒して、自らその大家に推されてヴィーンの楽友協会の指揮者となる。そして出世に伴って、ユダヤ人であることがしばしば問題となり、カトリックに改宗するが、それがなんらの手助けにならなかったことは周知の事実である。

そのユダヤ文化への西欧音楽文化の抵抗は、音楽分野に限ってもリヒャルト・ヴァーグナーに代表される「ユダヤ人は、音楽的にも文化的寄生虫であり、その言葉を鸚鵡返ししているに過ぎない」とのメンデルスゾーンやマイヤーベーアへの手厳しい批評は、第三帝国のプフィッツナー連の「精神的に錯乱、びしょぬれのセンチメンタリズム、救いようの無い荒廃」としてマーラーにも投げ掛けられた。

それでは現在の状況は如何なるものであるか?と言えば、「本当にそれに近親感を持っているか?」、「ただのユートピア以上の世界へと門を開くマーラーの作品への心酔を遮断してはいないか?」、「それは、日常に陽を当てる能力と、神秘な体験への実際を聞き手に要求しているのだ」とこの新聞記事は結論付けている。

その具体例として、既にここでも連邦共和国ではその交響曲への需要や共感は同じプロテスタントの国スイスなどに比べても遥かに縁遠いことは説明しているが、幾つかの文化的な記号性が挙がる。

もっとも興味深く読んだのは、ハシディズムと呼ばれるユダヤ人のシャーマニズム的な集団的な宗教活動で、元来は旧約の「マカバイ記」にあるような抵抗運動から砂漠へと移動する集団行動などを指し、中世ではプファルツでのスパイヤーやヴォルムス、マインツでのユダヤ人の宗教活動に代表される、いささかピューリタン的な世捨てを前提とした実践の運動を指すようである。またそれとはあまり関連がなく、東欧に住むアシュケナージの中で近世になってからのユダヤ人虐殺や迫害があるたびに一種のヒステリー現象として起こった現象を指すようである。

グスタフ・マーラーの交響楽では、第一番の緩徐楽章の中での葬送行進曲と対象をなす踊りのステップをどのような文化的な枠組みで捉えるかが、こうした認識があるかないかでかわるのである。もし上のような現象を知り、それが「神の言葉」より導かれたものであると覚醒しない限り、それはとても居心地の悪いものでしかないであろう。他人の行いや言動を監察して理解出来ない居心地の悪さ(キモイ感)はまさにそこに因があるのだ。同様な例は、マーラーの交響曲の至るところに発見されることは愛好家の知る通りである。それを認識出来るか否に関わっている。

エリー・ヴィーゼル女史は、これをして「夕暮れに染まる真っ赤な雲を見て、その時への不安に慄きながら興奮状態となって踊り歌う『文字を持たないユダヤ人』を音楽化したのだ」と説明する。こうした文化的な提示自体が、非常に主観的な気分を伝える表現であると同時に、客観的な音楽表現であることは、直ぐに理解出来るだろう。シェーンベルクが指す「メロディックなフレーズの多様な調性に渡る変奏」自体がジナゴークによる宗教音楽の書法となるとそれは更に分かり易いだろうか。

余談であるが、指揮者サイモン・ラトルがショスタコーヴィッチの交響曲などでしばしばみせる、オーガズムスとは異なる痙攣した最強音カタストロフこそは、日常を客観化するこうした文化的背景無しには説明出来ないものであろう。

逸脱するが、二十世紀中盤にその交響曲の価値を今日の大衆世界に知らしめたのは、「ウエストサイドストーリー」で有名なミュージカル作曲家レナード・バーンスタインである。その故人が、まるで叱るように西欧の一流管弦楽団の練習においてその意味を激しく強調していたのも、一般大衆にそれを認識させるために必要な行いであって、まさに氏の独創的なマーラー解釈はそのもの秀逸な客観的な音楽実践に繋がり、その内容を普遍化するための芸術的な作業であったに違いないのである。

つまり、マーラーの交響曲を理解するとは、今日の聴者に対して、他でもない「覚醒」を要求することになるとなるのだろう。音楽ジャーナリストの表現として、水風呂で読ませて貰う文章として、十分な内容であった。



参照:
Von der Kraft, mit Musik ganze Welten aufzubauen, Julia Spinola, FAZ vom 3.7.2010
異文化の非日常をかける少女 2010-05-07 | 女
冬の夕焼けは珍しいか? 2005-01-12 | 文学・思想
カーネルさんのサマーコート 2010-07-07 | 生活
認知、直感的に安心させるもの 2010-07-11 | アウトドーア・環境
Authentic 2 (雨をかわす踊り)
意外とイケてるシャルドネ (新・緑家のリースリング日記)
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高所アルプス指導一次合格者

2010-07-18 | アウトドーア・環境
一向にネット環境は不安定である。モデムもバラして調べて見たがもう一つ分からない。

昨夜は遅くまで登った。最大の成果は、技術的に一寸トリッキーなところをなんとかこなせたことだろうか。それも初めてそこの試す者がザイルの先頭で先に登りきったのを見たから、これはやはり今まで三度ほど登っている者としては穏やかではない。ライヴァル意識を持っている訳ではないが、此方の説明を聞きながら落ち着いて登り切ったのには正直驚いた。

流石に先月、ドイツ山岳協会のスポーツクライミング・高所アルプス指導者試験を第一次合格しただけの自信と意欲が漲っている。聞くところによると、彼自体は33歳だが、その講習会の面々は二十歳代前半の学生が殆どで、世界的な登山用品会社名門マンモートなどとの広告写真契約者なども居ると言うから、セミプロ混じりで何よりもミュンヘン周辺の者達が集まっていると言うからやはりその参加者の程度が知れる。クライミングは、学校レヴェルから盛んなバイエルンの「国技」であることを忘れてはいけない。

いづれにしても、若い本格的な指導者が我々の支部に誕生して、盛んに活動することで、丁度彼に渡した先日触れた高齢化の中でのスポーツ振興とさらに若い世代の育成の両面で大きな礎となる。なによりも、此方も微力ながら支援することで、一寸は此方の興味も支部の活動に反映され、此方の目標の達成にも大きな助けとなる事が喜ばしい。
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