Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索 引 2010年4月

2010-04-30 | Weblog-Index



殆ど幸運に恵まれた一日 2010-04-30 | 生活 TB0,COM2
居合い抜きのような非日常 2010-04-29 | 文化一般 TB0,COM4
理解不能のけったいなもの 2010-04-28 | 文化一般 TB0,COM0
多文化主義受容への視座の確立 2010-04-27 | 文化一般 TB0,COM0
尺八に通じるとてもながい道程 2010-04-26 | 雑感 TB0,COM0
ドイツはやっぱりアラカルト 2010-04-25 | 料理 TB0,COM2
あまり愛されていない地域文化 2010-04-24 | ワイン TB0,COM0
どこまでいってもこいこいこい 2010-04-23 | 雑感 TB0,COM0
はじめてシティーランに遭遇 2010-04-22 | 生活 TB0,COM0
レストランもビオデュナミ? 2010-04-21 | 料理 TB0,COM0
素人さんの催すつまらないもの 2010-04-20 | 文化一般 TB0,COM0
洗練された一連の動きの環境 2010-04-19 | 女 TB0,COM0
右腕が攣りそうになった午後 2010-04-18 | アウトドーア・環境TB0,COM5
樽試飲に期待するクレーマー 2010-04-17 | 試飲百景 TB0,COM0
多面的な日本を旅行するとは 2010-04-16 | 女 TB0,COM2
信販カードで押し売りする醸造所 2010-04-15 | 雑感 TB0,COM0
ボールを処理するのは一体誰 2010-04-14 | 雑感 TB0,COM0
危なっかしいステンレスタンクの搬入 2010-04-13 | ワイン TB0,COM4
ワインところで日本週間開催式 2010-04-12 | 生活 TB0,COM0
全身の疲れに身の回りのこと 2010-04-10 | 雑感 TB0,COM0
吃驚仰天リオハで復活祭 2010-04-09 | ワイン TB0,COM2
二月・三月の秘密練習の成果 2010-04-08 | アウトドーア・環境TB0,COM0
災い転じてプレートを発見する 2010-04-07 | アウトドーア・環境TB0,COM4
満ちる生まれ変わる喜びの日 2010-04-06 | 暦 TB0,COM0
全脳をもって対話(自問)するとは? 2010-04-05 | 音 TB0,COM4
我々が被った受難の二百年 2010-04-04 | 音 TB0,COM4
十時には飲んで、金曜日の一日 2010-04-03 | 試飲百景 TB0,COM0
ブルゴーニュ風味付けのアイロン 2010-04-02 | 雑感 TB0,COM4
限度がある技術力と筋肉力 2010-04-01 | 生活 TB0,COM0
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殆ど幸運に恵まれた一日

2010-04-30 | 生活
昨日はダイデスハイムからヴァッヘンハイムまで二時間ほどかけて歩いた。お疲れになった方もいるだろう。しかし、天気は最高で、この季節の幸運に恵まれたとしか言いようが無い。

日差しは強く、気温も上昇していたが、そよ風が吹き決して不快とはならなかった。お客さんの到着時刻が一時間遅れたことから、予定は後へと押して、ワインの購入はオープンのままだが、その価値は分かって頂けた筈である。

夕食も戸外で気持ち良く出来、これも予定通りであったが、帰りの列車もまた一つ乗り過ごした。

本日も快晴である。明日はメーデーで休日の土曜日となるので、日曜日分の買いものを本日済ましておかなければいけない。
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居合い抜きのような非日常

2010-04-29 | 文化一般
非常に素晴らしい茶を体験した。その全体像やメディアの反響については改めて述べたいが、自らの体験としては殆ど驚愕に近いものであった。

茶を点てるまでの一連の流れが、やはりそのあたりのものではなかった。緊迫した一瞬は、まさに武士道のそのもののようで、居合い抜きの一瞬を思わせる張り詰めた非日常の空間を現出させた。それでも当日行なわれたものは中の上程度のものであると言うから、上の上などはそう簡単には体験出来ないのだろう。

その意味合いについては、十分な説明を読めば分かるのだが、何よりも体験することだと思わせた。百聞は一見に如(し)かである。

しかしそれは私だけの体験ではなく、集まった観衆からの質問にも十分に聞き取れて、「お茶を点てる時の沈黙」の意味合いにコメントが求められたのでも分かる。

五感をもって体験するそのものに本質があって、その歴史的・文化的な意味は既に提示してあるので、それを体験すればあとはその受け止める人の知的作業に任される。

細胞の光り解析を深く研究した当地の環境部会長の市議さんは、その本質については十分な反応はなかったが、打上げの際にルネッサンス期の旧市役所の役割を説明する中で、「非日常の空間」としているとその説明の一部を繰り返すことになっていた。舞台上でのその営みについての感応は人様々であるが、同じように重要なのは、舞台上でのそれと現在自分が生きている環境を対照させることが出来れば、既に知的な理解が始まったことになる。
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理解不能のけったいなもの

2010-04-28 | 文化一般
茶会のオリエンテーリングの独訳がなんとか完成した。言葉を其の侭訳していたのではとてもではないが「けったいなもの」でしかない。全く、やっていること、やろうとしていることが理解不能という意味である。

まさに、日本の伝統芸能や未知の文化は自らの視点で面白いと思うかどうかであって、その歴史的背景や考えや営みなどは全く分からなくても面白いことものありえる。日本に限って云えば身体を使った和太鼓の興行などは全くその通りのものであった。面白ければそれで商売になる。

その面白いと云うのが「おかしなもの」であることもあるが、茶道はそれとは大分異なる。もちろんのことながらその歴史的な流れや思考の背景を覗き込むとき、かなり知性的把握が必要となる。

そうした文化的にかなり多岐に渡る知性的な理解を基に、一つの喫茶の文化を体験してもらうことが今回の茶会の主目的である。なぜか人は、コーヒーとは比べられないほど抹茶で哲学をする。

利休然り、茶室の話題は、必ずしも「ワイン、女、そして歌」ではないのである。
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多文化主義受容への視座の確立

2010-04-27 | 文化一般
翻訳と編集で、日本の伝統的思考を如何に現在のドイツの視点から紹介出来るか試みている。「現在生存している者がなぜ現在を代理していなくて、過去をを代理しているような立場をとるのか」と、熱心なプロテスタント信仰者に指摘された。

日本の伝統文化の場合、過去をまるで現在のように生きながら、それを提示する事にその骨頂があるのだろう。吹き溜まりのような島国の文化的保守性そのものだ。

私の視座はこのサイトにて繰り返し繰り返し明確にしている心算であるが、私は日本人のその視座を正しく伝える事に妥協はしない。それは、そこを好い加減に誤魔化せば、決して理解も反論も得られない事が解かっているからである。文化を批判に曝す事こそが重要なのである。

要するに、対話こそが必要なのであって、一方的に言い放しも許されない、必要なのは「同じ言葉」をもつ事である。当然ながら意味論における多くの事は異文化間でのその大きな溝を完全に埋める事は出来ない。

しかしその溝こそが重要な歴史的な文化の断層であり、そこにこそ文化の歴史的な襞が見え隠れするのである。それを見逃しては、なにもはじまらない。

私は、少しだけ日本の吹き溜まりのような文化価値を今見直している。その際たるものは散々言われるような日本の「異文化の受容の文化」であり、今日の我々が改めて直面している多文化主義への扱い方の一つの参考になるに違いない歴史的発展なのである。

そこまで、対象とする人々の視座におけるヴェクトルを伸ばすことが出来れば、私が今試みようとしているプロジェクトは所期の目的を達成する事になる。そのためにも明日にでもプレス向きの文章を完成したいと思っている。



参照:
災い転じてプレートを発見する 2010-04-07 | アウトドーア・環境
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尺八に通じるとてもながい道程

2010-04-26 | 雑感
尺八の横山勝也が亡くなったと聞いた。今日のマチネーの音楽会でのことだ。お弟子さんでもああるオーストラリアのフランクリン博士と神戸出身の藤田さんが競演した。

明日葬儀が開かれるということで演奏された追悼曲「山野」よりもやはり横山勝也作曲「手向け」と呼ばれる曲の演奏の方がやり易かった様だ。やはり前者はかなりの芸の高さがないと聞かせられないようであり ― それにああいう文字通り脈々と尾根筋が重なる山脈など東北ならあるのだろうか? ―、後者の方が指示がしっかり吹ければなんとかなるようであった。

その間に演奏された平井康三郎の「さくら」変奏曲は、なんであんな不味い運びになるのか全く理解出来なかった。とても中途半端でとんでもないものであった。あれならばドビュシーが使う桜の音階の方が遥かに日本的である。名前を漢字で調べて見るとなるほど少なくとも名前だけは良く知っている著名な作曲家で、案の定紫綬褒章まで獲得している。あのような形であのメロディーを使っても仕方ないと思うのだが、それが通った時代があったかと言えば、さりとて氏が作曲した童謡もあまり知られていないようだ。校歌を数多く作曲しているというから、なるほどと思わせる。

さて横山さんの演奏は、何度か生で聞いている筈だがが、何処で何を聞いたかは全く覚えていない。少なくとも直ぐには思い出せ無い。武満徹の曲としてもノーヴェンバーステップのような曲ではない筈である。武満徹も映画音楽をやっていた頃は尺八の鋭い音を活かせていたのだろうが、あの独特の擦れたような音を十分に芸術音楽化している曲をあまり知らない。

そのせいか、尺八の音が二十世紀末の方になるに従ってあまり使われなくなったような気がしているのだがどうだろう。今これを書きながら入野一朗の尺八と琴のためのエア-チェックを流している。やはり尺八をフルートのように音階を吹かせたりしても音の出方が荒っぽすぎてどうしようもない。

また、石井真木作曲の琴と尺八の「ひゃくちゃくま」とか言う曲を聞いているが、これはなるほど全く違う使い方をして、伝統的な奏法も活かされているようだが、それが新たな音楽的な語法を生じさせているとは思わない。

ヨーロッパにも尺八名人と呼ばれる人は何人もいる。しかし、その演奏などがどれほど受けいられているかはなんとも言えない。本当の名人であれば古典的な伝統曲でも、またあらたな擦れた音響をとしても高い芸術性を示す筈であるが、やはりこれも一種の「尺八に通じる長い道程」でしかないのであろう。



参照:
世界のさくらが一斉に散るとき 2010-02-08 | 音
ワインところで日本週間開催式 2010-04-12 | 生活
洗練された一連の動きの環境 2010-04-19 | 女
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ドイツはやっぱりアラカルト

2010-04-25 | 料理
レストランから来週のメニューのオファーがメールで入った。来週に行なうワイン地所散策、ワイン醸造所見学、試飲購入に続いて予約している夕食会の食事についてである。

メニューオファーを見て行くと、七面鳥の胸肉とホットケーキがメインとなって、コンソメにヨーグルト焼きプリンのついたものが最も手軽なコースとなっている。

No.1となっているのは、ルッパーツベルク産ハーブサラダ、スモークサーモン、牛のホースラディッシュソース煮、ヨーグルト・ヴァニラアイスクリーム。

No.2は、プファルツのアスパラガスのクレタ島のオリーヴオイルつけ、サフラン味鱈の蒸し煮、シュヴェービッシュハーレの地豚のワインソース焼きにジャガイモのレスティ、イチゴとスカンポのゼリー。

No.3は、羊のチーズのパイ包みにアスパラガスの付け合わせ、スコッチサーモンのスフレのパセリソース付け、ジャガイモを包んだ小牛肉と茸にポートワインソースを付けたもの、パッションフルーツとチョコレートトリュフにマンゴシャーベット。

No.4は、七面鳥のテリーヌに黒いナッツに生姜のチャツネソース、サンダーフィレにレンズ豆、ルッパーツベルクのリースリングのニコゴリ、牛の顎肉の蒸し焼きとフィレ焼き肉にフェンヘルとジャガイモグラタン、ヌガーとチョコレートのミルフェィーとキャラメルアイス。

なぜか一品料理に比べると割高である。やはりドイツはフランスと違って、アラカルトの方がお得である。一品に量感もあることでもあり、飲むかデザートに専念すれば、やはりコースは要らない気がする。

しかし、ワインだけは適当に合わしたものでグローセスゲヴェックスかラーゲンヴァインを合わせてみたい。
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あまり愛されていない地域文化

2010-04-24 | ワイン
モーゼル中流域架橋工事反対署名はあまり集まっていない。如何にモーゼル地域への共感が薄いか、そのモーゼルヴァインの人気がドイツではないかを物語っているようで驚いている。

厳しいい方をすれば自業自得の結果ともいえるだろうが、それだからこそ余計に、掛け替えの無い貴重な地方文化を絶やしてはいけないと考える。FAZ新聞の文化欄に「二十分対二千年間」と題した記事が出ている。

要するに二十分の時間短縮のために二千年間の文化遺産を絶やして良いのかという問いかけである。CGの写真の下に、「この想像図を見て嘗て住んでいたローマ人の水道を考える者は誤まりである。古代人は必要に迫られて巨大なものを建設したが、毎分毎をコストと見做すようになったのは現代人がはじめてである」。なるほどこれは1960年代の先進工業国の政治が行なったようなプロジェクトであり、その考え方を思い出して我々はタイムスリップしたような気持ちになるであろう。

昨年の夏と秋にこのアウトバーンの計画地域を走行する機会があった。一度目は、ライン河からライアンエアーが利用するとても不便な飛行場フランクフルト・ハーンへのアプローチから中部ラインへ抜けたときであり、二度目は中部モーゼルのJJプリュム醸造所を訪れるアプローチ、そしてそこからナーへ川へと向う途上である。

ドイツの郊外の彼方此方に見られる風景であるが、幹線道路が拡張されてアウトバーン化された部分と拡張工事中の場所を数多く通った。それが繋がるところがベネルクス三国であり、ラインマイン地域から一気に抜け、その間の地域の経済効果を高めるモーゼルの高架橋を走り抜けるこの高速道路計画である。

アウトバーンが繋がれば、渋滞は減り、物資輸送や人の移動性が格段に向上するので、経済効果だけでなく総合的には環境にも良い。それどころかあの地域の道路は非常に危険であり、無駄な事故も防げるので、建設費が算出出来る限り決して悪いことなどはないのである。

そして高架橋が出来ようが、御土産を漁る観光客などにはそれほど目障りにもならない。寧ろ一寸立ち寄るには足の便が良くなり、その経済的効果は失われない。

昨年には既に架橋の足場のコンクリートで固めているような地盤工事をまさに谷の上の縁で見かけた。その影響が、ワイン栽培に与える影響は殆ど無いに等しいだろう。しかし、ワイン文化というのは決してそれだけのものではないのだ。

葡萄の葉は、高速道路からの塵に汚れ、元来の河からの水蒸気でべっとりと汚れるだろう。もちろん摘み取り前の葡萄が今までのように容易に味見出来るとは思わない。ワインを購入する海外のお客さんは、そんなことなどに気がつかないで楽しんでいれば良いのだが、振動と騒音に曝された葡萄のストレスを最も感じるのは生産者そのものに違いない。その生産者自体のストレスは将来への希望を失わせる。要するにそのワイン文化は何時か必ず崩壊する。

モーゼル流域最高のワイン地所がその文化的価値を失おうとしているのに異議を唱える者は決して多くない。如何にモーゼルのワインなどがその閉鎖的な谷を一歩出ると愛されていないかがこれで良く分かる。


追伸:先日JJプリュムの最も単純な2007年産グーツリースリングを飲んだが、試飲の時に問題であった酵母臭は完全に消えていた。そうなると本当に素晴らしいリースリングで、甘口とは言いながらスレートと酸の三位一体のバランスがとれていて決して甘さを感じさせないのである。流石、地方名産品である。




参照:
モーゼルの葡萄畑と高架橋 (モーゼルだより)
2009年 ドイツ・モーゼル作柄レポート(営業1課・椎川和恵) (INABA WEIN BLOG)
Zwanzig Minuten gegen zweitausend Jahre, Dieter Bartetzko, FAZ vom 21.04.2010
Petition: Bundesstraßen - Baustopp für den so genannten Hochmoselübergang (Deutscher Bundestag)
たかが粘板岩されどスレート 2009-09-25 | ワイン
特産品をモーゼルで物色 2009-10-04 | 試飲百景
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どこまでいってもこいこいこい

2010-04-23 | 雑感
鯉キチの講演であった。キチというのはフリーク以上のものであるのは分かっているようだ。兎に角、直輸入で販売価格が高いので結構なお商売になっているようだ。

個人的な経験で言えばなるほどそこまで趣味として打ち込んで手をかければ死なさないようにして飼えるのだろう。鯉にストレスを与えないようにと聞いても、いっしょに泳いでいた身としてはなんとも言い難い。

水の管理はなるほどと思うが、冬に凍らさないように温度管理までするとなると大変である。もちろんヒートポンプを使えば良いのだが、流れのコントロールまでしなければいけない。

そこまでのオタクでなければ、鯉を飼うなどは餌をやる時に女中を呼ぶように手を叩くと一斉に口を開けながらやってくる成金趣味の醍醐味でしかないとしか思わない。

青年のカップルを含めて、二十人ほど集まっていた。熱心な人が沢山いるようだ。



参照:
回峰途上に見た鯉のぼり 2009-04-10 | 暦
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はじめてシティーランに遭遇

2010-04-22 | 生活
マンハイムの大学前でシティーランに出会った。インラインスケートである。都心部に住んでいないのではじめてこういうものを見る。

感心したのは、先導車両と後ろだけで交通を遮断せずに実施していることだろう。信号もそのままであったので少し驚いた。
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レストランもビオデュナミ?

2010-04-21 | 料理
昨日は買物ついでに来週の試飲会の準備に醸造所などに立ち寄った。参加人数に対して試飲する本数や、その前の醸造蔵見学や到着時刻を相談した。また試飲後の配送の価格なども確認しておいた。先月間違って6本に関わらず12本分の料金を払っていた者がいたからである。差額は、秋に本人に直接グランクリュワインとして返して貰う事になる。

丁度、醸造の責任者がうろうろしていたので、2009年産の情報を仕入れた。噂通り、殆どのリースリングは天然酵母仕込らしい。樽試飲の可能性を話すと、営業の申し出ならやるが、醸造方としてはあまり樽を開けたくないと漏らした。それは当然だろう。今年は特にはじめての経験も多く、更に通常ならば五月に売り出されるはずのピュリミエクリュが早くても六月に伸ばされる。要するに今も熟成を続けているわけで、想像するに酵母臭さがあるのかも知れ無い。

酵母臭さと言えば昨年の九月にjjプリュムで試した2007年産のグーツリースリングがまだまだ酵母臭かったのだが、先々週飲んだ時点で消えていた。甘口とは言っても素晴らしい深まりのあるワインで改めて感心した。

やはり天然酵母はその量感とフィルターリングの関係で培養酵母に比べてなかなか臭いが消えないと予想する。つまり瓶詰め一年ほどはやはり消えないかも知れ無い。その証拠に2009年の健康な葡萄でこそ出来た試みは、先五年ほどしないと最終的結論は出し難いもののようだ。

そのような難しい立派なワインは仕方ないが、キュヴェーである2009年産のグーツリースリングに新鮮さを期待しよう。しかしそのキュヴェーの中には天然酵母だけの醸造が混じっていると言うからこれもまた楽しみである。

レストランの方へも出かけた。実はそこでは今まで食事をしたことが無いのである。その理由は一般向きに解放されている時期が限られていて、パーティー向きに使われることが多いからである。驚いたのは鶏などが周りに歩き廻っていてエコレストラン振りを主張している事で、益々その食事の質が楽しみとなる。もちろん天気の良い時は野外で楽しめる事も大きな魅力である。そして何よりも試飲後に再びそれに引き続き高品質のリースリングを食事に合わせられるのが何よりも興味の焦点である。

クライミングの帰りに寄るような岩場の下の地産地消のような農家レストランは少なくないが、この手のエコレストランはあまり知らない。ワインもビオデュナミであるから当然と言えば当然なのだろうが、謂わばいつも同じような料理に高い金を払うグルメレストランなどに飽きた口の肥えた層にはこう言うレストランは面白いだろう。それでも普段は結婚披露などの予約で一般と言うからこれまた面白い。
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素人さんの催すつまらないもの

2010-04-20 | 文化一般
友人からメールが入っていた。日本週間の出し物に対しての忌憚無い厳しい意見であった。同じような反応は直に他の人からも聞いた。正直、さもありなんの感がある。彼女に答えた。「だからつまらない催しものにはあまり関わらないようにしているのだよ」と、正直過ぎるか?

要はこうである。素人さんが素人さんを舞台に挙げても全くどうしようもないということなのである。最初から道を間違っていれば如何せん結果は判っている。その結果や差異が判らないのを素人さんと呼ぶのである。

特に異文化を舞台というまな板に載せて展示する方法は二通りしかないと思われる。

一つは高度に知的な方法であり、これは学術的な積み重ねで的確に分析されている背景があってこそ成り立つ方法である。

一つはやはり何処まで行っても世界共通な職人的な、その修行の厳しさをも垣間見せ無いような精華をお見せすることである。

前者の例として、昨日も述べたアイヒャー氏の弓道家としての勉強量は大したものであり、異文化を異文化と感じさせない普遍的な知と客観的な視点がそこにある場合である。

後者の例としては、聞きづてながら日本の無形文化財の高齢の舞踊家が欧州で踊ってもその艶やかさで人を魅了したような芸の高さが顕著な場合だ。

そこから、その両面にヘルヴェッヘ氏のバッハ解釈がなぜドイツでも尊重されるかの理由も備わっている。

逆に、お手本通りしか出来ない、自由度の無い表現というのは、素人の手習いか、二三流の芸者のあり方で、そこに本質がないと言うことでもあるだろうか?異文化の体験においては、本物の一流のものしか意味は全く無いと言い切っても良いだろう。

もし二流三流のものを体験して満足している者がいるとすれば、それは多文化主義というビニールで作った毛皮を着ているエスキモーのようなものだろう。

良く昔から言われることだが、一流のものを体験しなければはじまらないと言うのは、知らない者だからこそ、その本質が明快に宿る一流の本物に触れる必要があるということなのである。

その一流とはなにか?
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洗練された一連の動きの環境

2010-04-19 | 
弓道記事の続きで恐縮であるが、特に女性がたから反響があると繰り返さない訳にはいかない。実は、恥ずかしながらやはり腕の一部に疲れが残っているのである。何百本以上もギネスブックに載るように連続して射るとなると凄まじい。技術だけでなく筋肉の養成というのはそういうものだろう。張力は14キロだと言う。

VIDEOの真ん中の女性が一番多く射っていたことを考えるとやはり立派なものである。女性の方が耐久力はあるが、岩登りとなるとやはり男性よりも長い時間登っている女性は少ない。使う筋力の質が違うのであろう。

天皇への奉納で矢を射ることの歴史も武家政治の始まりとの関係があり大変面白いと思った。特にフォーメーションをつくって矢を射って行く行為は、戦術的に重要なことであるのも分かるが、それ以上にスキーにおけるフォーメーションスキーと同じように、技術の洗練だけでなく精神的な集中や外界との調和ということでは欠かせないと思った。

同じような一連の動きの流れと環境への注意深い調和の精神は、茶道にも共通するのではないだろうか?「綺麗さび」と呼ばれる武士の茶道である遠州流の御手前を近々身近で体験できることを心から楽しみにしている。もちろんそのためにもう一仕事しなければいけないのだが。道場においておいた十枚ほどの茶会に関する用紙が無くなったので少しは関心を持って頂けただろうか?



参照:
白雲館道場
日本庭園での茶会の案内 (カイザースラウテルン市)
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右腕が攣りそうになった午後

2010-04-18 | アウトドーア・環境
本日は日本週間の一貫として弓道の道場「白雲館」の解放日であった。その道場や道場主のアイヒャー氏については既にここでも紹介したが、本格的な弓道風景を見るのははじめてであった。

弓を引かせて貰って、矢も頬骨に当てて貰ったがなかなか姿勢によっては普段使わない筋力を使う。特に後ろへと強く引くと腕が攣りそうになる。如何にそのような運動を日常していないかの好例であろう。

ロッククライミングと同じで女性はやはり体が柔らかそうで動きにぎこちなさが少ないが、微動もしない安定感はやはり男性のものである。運動量としては、ゴルフなどに比べてもあまり大したことは無いように思うが、メンタル面が直ぐに現れるのは見ていて直ぐに判った。

ロッククライミングになにか活かせる所があるかというと、ちょっと弄ったぐらいでは判らないが、やはり心理的な集中力以外では体の調整力とか的へ向う体の開きや腕の捻りなどはとても面白いと思った。

物理的には紐の結び方と弦のねじりの関係で、外木、内木の概念はとても興味深かった。なんでも無いことなのだが、物理的解析は結構難しそうだがどうだろう。



参照:
疑問を投げ掛ける認識 2008-09-24 | アウトドーア・環境
禅の弓の道とは如何に? 2008-04-26 | 歴史・時事
ミニスカートを下から覗く 2007-09-17 | 文化一般
白い的へと距離を測る 2007-09-16 | 文化一般
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樽試飲に期待するクレーマー

2010-04-17 | 試飲百景
ワインの発送の手違いがあったようなのでクレームを付けに行った。昨年にも同じようなことがあった。忘れていたようだ。発送のおばさんも良く知っているのだが、どうしたことだろう。

一本だけグーツヴァインを取って帰ろうと思ったら、お詫びに呉れると言う。「いやーそれは、そんなにいつもとなるといけませんよ」と言いながら貰ってかえる事になった。

まだ家で試飲したことのなかったワインなので、欲しかったのである。2009年産リースリング辛口、フォンブールである。酸が九グラムもあるのだがとても気持ち良く飲める。昨年度2008年産との差は甚だしい。

その足で、ブュルクリン・ヴォルフ醸造所へよって月末の試飲会の打ち合わせをした。英国などでは、ボルドーなどになると二十人で一本のワインを開けて試飲とするらしいがそれではあまりに口を濡らす量が少な過ぎるだろう。理想的には九人から十二人ぐらいのようである。

個人的な経験では上手いワインになると四分の一ほどでも足りないときがあるが、どれもがそれほど飲みたいと思わない。結局美味しいワインは誰にとっても美味しいのでこの辺りが難しい。

八人越えならば八種類ほどは問題なく試せるだろうが、もう少し参加者がいると十種類ぐらいのめるかも知れない。月末には2009年産はまだグーツヴァインしかでていないが、樽試飲で注文も出来そうなので喜ばしい。それよりも2007年産も2008年産も比較できるのがまた嬉しい。

なるほど2009年産は、逆に2008年産ほどの酸がないので将来性はなんとも言えない。2007年産と比較すると必ずしも上回るとは言えないのが難しいところだろう。

日本語誌に掲載された記事を書いたハンブルク在住の岩本順子の話が出た。一度醸造所であったことがあり、ハンブルクで再会したという。「ケラー醸造所で研修していた人ね」とその記事を見た事を話した。なるほど言うようにハンザ都市ハンブルクにはフランクフルト以上に日本人も多いのかもしれない。



参照:
ROTE ROSE TOKYO WEINMESSE <前編>  (Weiβwein Blog)
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