Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引2024年02月

2024-02-29 | Weblog-Index


音楽のCG映像色彩 2024-02-29 | 文化一般
芸術内容の迫真性 2024-02-28 | 文化一般
バイロイトでの仇は 2024-02-27 | 文化一般
パターン化のスリリング 2024-02-26 | 音
追従を許さない様式 2024-02-25 | 文化一般
事件の真相は現場にも無し 2024-02-24 | 雑感
月末調整の発注計画 2024-02-23 | 生活
総合評価8.6以上の価値 2024-02-22 | 文化一般
内部からSDカードに移動 2024-02-21 | 雑感
ヴィーンでの家庭騒乱 2024-02-20 | 音
あるべき姿の独逸 2024-02-19 | 音
演奏実践の歴史的認識 2024-02-18 | マスメディア批評
清々するセンスのなさ 2024-02-17 | 文化一般
異議申し立てを提出 2024-02-16 | アウトドーア・環境
バレンタインのご挨拶 2024-02-15 | 暦
有効に生かす好機会 2024-02-14 | 雑感
超一流世界のその奥行 2024-02-13 | 音
カーニヴァル前に棚卸 2024-02-12 | 雑感
現代的過ぎた小澤征爾 2024-02-11 | マスメディア批評
ただの天才音楽家の死 2024-02-10 | 文化一般
細やかで深みある表現 2024-02-09 | 音
サンダル映画制作現場 2024-02-08 | 文化一般
劇場に漂う古の響き 2024-02-07 | 文化一般
ストラスブールの市街地 2024-02-06 | 生活
乾かないレチタティ―ヴ 2024-02-05 | 音
今後の可能性を探る 2024-02-04 | 生活
マトリューシュカ交響曲 2024-02-03 | 音
拡大してみる様子 2024-02-02 | 雑感
信用払いカードの味 2024-02-01 | 料理



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽のCG映像色彩

2024-02-29 | 文化一般
「家庭交響曲」のキリル・ペトレンコによる解説動画を観た。先ずは、対位法の点に関して言及していたので、その動画の中でストラスブールで稽古を観ていたロマンロランの話しに同調する姿と私の姿が重なった。今回の演奏でやり遂げたことの一つはそれだった。そしても一つ重要な話しをしていて、その内容に関してである。ユーモアとかその細かな情景描写とか、「影のない女」との内容の共通性に関しては既にミュンヘン時代に同様のことが語られていたので、今更強調する必要は無い。しかし、明らかに話者の視点が変わって来ていて、嬉しそうに語っているのを観ると、もう直ぐ子供が出来るのかなと感じた。

同様に、恐らく復活祭で最も近づきそうな話しはエクスタシーの表現についてであって、そこでの不協和音の扱いかただろう。同時に「バラの騎士」滑稽味について言及しているので、復活祭からミラノでの公演までに一貫したものが示されるのであろう。

先日のクラスティング氏の記事内容からすると、バイロイトもまだ決定していないような趣もあり、夏のザルツブルクも若干不透明である。

引き続き、デュテユーとバルトークのプログラムのインタヴューを観た。聴き手がコーミッシェオパーからの仕事仲間であるバルダー氏とあって、よりプライヴェートのようにその考えが言葉になって表れて来ていて興味深かった。デュテユーに関しては、今迄は肩に触れるようなところで作曲家自身の室内楽曲を聴く耳元に注視していた以上の繋がりはもたなかったのだが、ペトレンコの入り方がとても興味深かった。最終的には演奏技術的な練磨によって、演奏すればするほど変わってくる曲として改めて日本での「英雄の生涯」を比較対象にしていたが、この間「ラペル」や「夏のメルヘン」、「シャンシェ」などを通して聴いて来た者にとっては、まさしく繰り返せば最早望むところがないという演奏になるのは十二分に承知している。ペトレンコ指揮で何回も繰り返されるオペラや演奏会は借金してでも行けるだけ通えということになる。それは嘗てのフルトヴェングラーファンが同曲異盤を集めるのにも似ていて、それだけその都度変わってくるということでもある。今頃になってデジタルコンサートホールでそれが語れれるのは些か寂しくもある。いづれにしても「夜の作曲家」としての紹介は、この作曲家との関係を深めれば深めるほど思い返されるに違いない。

先週末は急に寒かったので赤ワインを開けた。どれをと考えたのだが、フランスでの買い物も三週ほど遅れるので、独逸のピノノワールとした。2005年のオイルベルクと季節向けの名前の地所からのワインであるが、結構いい年のワインでも色が落ちて仕舞っていた。要するに終わっていた。勿論味も悪くはなく三日目にでも飲めたのであるが、寝かせる意味無しで、もう数年早く飲み干すべきであった。10年が限度だったろうか。シュペートレーゼと呼ぶにふさわしいワインで若干失望した。このようすなら更にいい年度のグランクリュワインもそれ程偉大には瓶熟成しない筈だ。

バルトーク「木彫りのプリンス」に関しての話しも興味深くて、「青髭公の城」の失敗をバラ・バラージュの助けで回復したくて二部構成で考えたという。そして勿論バラージュは今手元に開いている「映画の魂」の著者であるのだが、映画音楽になりそうな曲ということに対して、より言葉なくCG映画で再現可能でと、その旨がペトレンコから語られていて、取り分け興味深い。



参照:
芸術内容の迫真性 2024-02-28 | 文化一般
パターン化のスリリング 2024-02-26 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸術内容の迫真性

2024-02-28 | 文化一般
ヒッチコック映画「眩暈」を観た。初めてだと思う。映画市場の最高の傑作だとされるもので、そこからの引用は数知れないようだ。なによりも高所恐怖症の主人公の症状を映像化するズーム機能を使ってのカメラワークだけでなく、1958年当時のサンフランシスコの街並みの美しさは最新のデジタル技術で迫真性がある。見事である。

そして、映画作りの編集やドラマテュルギーなども見事で2時間8分があっという間に流れる。それだけで見事で、芝居でも音楽劇場でもそうした緊迫感を保つのはとても難しい。音楽劇場作品や演出でも「マクベス夫人」やその他多くの作品がそれにあたり、またスリラーのそれを作品として使っていたのはハース作曲「ブルートハウス」でもあった。

しかし、映画として主人公やそれを取り巻く世界が如何ほどに描かれるかとなると、やはりヒッチコック映画における女性の描き方が一辺倒であって、到底今日では通じない。こうしたところがエンターティメント作品の限界であって、普遍性がない。即ち古臭くなる。それどころか突っ込みどころ満載で嘲笑も生じる。

上の「マクベス夫人」においての夫人の転落への物語にはやはりその社会情景無しには理解しにくいところもあって、その前提としてロシアからソヴィエトへの社会歴史が存在する。しかし、「ブルートハウス」における実父に性的な支配を受ける娘は恐らくそうした社会には関係がなく、永遠に本質的な筋書となっていて、ギリシャシ神話などと共通している。それによって、ハースの作曲は、オペラの起点にあるモンテヴェルディの作品に匹敵しており、五百年後にも演出演奏次第では人々にとても大きな効果を生じさせるのである。

例えば「ブルートハウス」においては不動産屋が狂言回し役となっているのだが、数百年も経たないでもそうした設定は演出上有効ではなくなる。必要な形に演出しなければ上演される価値もなくなる。音楽がそれだけの内容を表現しているということが前提なのである。

ヒッチコック作品はもう一つだけ観ておきたいと思うのがあるのだが、時間があるかどうか、動機付けが可能かどうか。週末の新曲初演では、「ブラックメール」における話しをMeTooとしているのだが、厳密に考えるとその男女関係には何一つハラスメントめいたものは感じない。しかしそれは主人公でもあるロンドンのタバコ屋の娘の当時の社会的な抑圧などが実感できないと理解できない社会的環境があるのかもしれない。そういう意味合いで、新曲はそうした心理的な関係迄を描けない事には一級の芸術音楽とはならないというところである。

陽射しが強くなってきた。車内でなどを閉めていると暑かった。週末はとても寒かったのだが、これで晴れてくれれば、朝の放射冷却だけで、その分昼間は陽射しの良い室内で気持ちよい季節となる。

ここ暫く用事もあって走るコースを従来のものを混ぜたことで、週10kmを超えることが続いたが、これで僅か1キロ増えても結構カロリーの使い方が変わった様に感じる。もう少しでパンツを脱いで走れる様になるので楽しみである。



参照:
時代がまだついて来ない 2023-11-27 | 文化一般
ミュンヘンでの新制作ベスト 2022-07-21 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バイロイトでの仇は

2024-02-27 | 文化一般
クリスマスに貯めたデジタルコンサートホールの無料期間が近々終る。それまでに確認しておきたいことは、バルトーク「木彫りの王子」である。悲劇的序曲、シマノフスキ―、家庭交響曲のプログラムはハイレゾで流した。圧縮音源のラディオ放送との印象は若干最後の曲での対位法的な合わせ方ぐらいで、主なる印象は変わらなかった。

「ヤコブの梯子」の感想も纏めておかないと記憶が薄れて仕舞うが、これも漸くマイクで拾った音を聴く準備が出来てきている。次にデジタルコンサートを流すのは来シーズンの無料券の秋だろうか。昨年は一週間券を何枚か購入したがそれで十分だった。

バーデンバーデンからのマガジンに、ペトレンコのブレーンであるクラスティング氏がヴァ―クナープログラムについて書いている。このプログラムを見た時にこのタンホイザー序曲と「ヴァルキューレ」第一幕の二曲の組み合わせを奇怪に思ったのだが、そのことについて書いている。

ベルリナーフィルハーモニカーでは創立二年目で「ヴァルキューレ」の終幕の「ヴォータンの決別」と「騎行」が演奏されて、その後も何度も演奏されていて、完結した一幕も1951年ブレッヒ指揮で、1971年にカラヤン指揮、2005年のラトルと引き繋がれている。そして「タンホイザー」との組み合わせは1929年のカール・ムック指揮で行われている様だ。

ペトレンコにとっての2001年の復活祭は、マイニンゲンでの世界的に脚光を浴びた楽劇「指環」四日続けてのツィクルス一回目の成功だったとある。それはバイロイト初演の一回目が偶々歌手の不調で中一日開けただけなのだが、本来は四日連続の予定だったからとある。マイニンゲンに1999年に音楽監督に就任して、最初からその準備をしていたとある。マイニンゲンの管弦楽団がバイロイト音楽祭を最初から支えた母体だった。

そしてペトレンコにとってヴァ―クナーは数少ない重要なオペラ作曲家であってと、このように書いているのは、当然のことながら2026年のザルツブルク復活祭のことを示唆しているのだろう。

その中でペトレンコの今迄のヴァ―クナー指揮経験として、バイロイトまでにミュンヘン、ボッフム、リヨン以外にドレスデンが挙がっていて、最後のはあまり知らなかったのだが、逆にベルリンでもヴィーンでもバルセロナでもメトでも振っておらず、するとトリノでの「指環」練習指揮は貴重なものだったと分かる。

なにはともあれ、ミュンヘンとベルリンの両方で演奏されて比較する曲が増えてきていて、ペトレンコが語るベルリンでこれ以上望むことも望めないこともないというように、オペラの演奏においても復活祭で完結させるという意志が改めて示されていることになる。

ヴァ―クナーに関してはミュンヘンで出来ていなかったことも明らかであって、逆にベルリンではまだできていないことも大きなカリキュラムの中で目標に至れるという勝算を示していることになる。そしてタイトルからすれば、どうしても「指環」ツィクルスとなるのだが、ベルリンで準備して、ザルツブルクで本番という事か?確かにまだ二年の準備期間はあるのだ。



参照:
Aufs Ganze gehen, Malte Krasting, FHB vom 23.2.24
ヴィーンでの家庭騒乱 2024-02-20 | 音
言葉通りの「お試し」 2024-01-01 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パターン化のスリリング

2024-02-26 | 
ヒッチコック監督「眩暈」へのオマージュとしての公演のヴィデオを観た。2020年に西部ドイツのヴィッテナーターゲで初演されたブリース・パウセ作曲の室内管弦楽団編成に音声録音など加えた作品であった。そこにアロタン・セルゲイのサウンドインストレーションがつけられていて、2021年のヴィーンモデルンのメインの演目となった。制作はパリのIRCAMであったので、その6月のポンピドーセンターでの収録がバイノーラル録音の映像として残った。

ここまで書いても分かるように、慣習的な催し物ではないので、聴衆は一体何がそこで体験できるのかが直ぐには分からない。勿論こうした芸術祭に出かける人は知的な好奇心が高く、新たな経験を期待して集う。どうしても玄人の割合も増える一方、通常の催し物以上に知識や経験よりも感性や洞察力が問われるところも多い。

それは上のヴィデオをダウンロードしておきながら今迄通して観ていなかった私自身さえにも言えて、催し物に行けば様々な情報を文字通り全身で受け取るのだが、既に生中継されたそれをオンデマンドとして如何に受け取るか。更にこの収録がヘッドフォーンでの視聴を推奨していることから、どうしても機会が必要であった。

一度通して、居眠りしながらも流してみて、少なくともインストレーションのネオン管の様なデジタル配置のパターン化されたその点灯の組み合わせ方と色合いが、一定のリズムと構造を感じさせて、ワーグナーテューバがふらふらと吹かれ、それがオリジナルの映画につけられたヘルマンの音楽を想起させるようなその心理的構造を想像させる音楽は、新たな次元で効果を上げていた。

新しい脱構造の音楽構造について既に言及したのだが、ここでも原作の映画の極一部が暗示されるように数回短く投射されるだけなのだが、なんとなくヒッチコックのスリリングさと落ちの様なものが築かれている。そこにこれまた専売特許である第一人者のエンゲル指揮の豪快な鞭が入ることろで一体何がと思わせる緊迫感は見事である。逆にそれによって、前半のだらだらと流れる部分の意味合いが明らかになってくる。

劇音楽とは何か、音楽の構造とは何かと考える時にこうしたエンゲルの指揮を体験することで多くのことが認知されるだろう。何故ティテュス・エンゲルが21世紀の前半を代表する指揮者であるかの根拠がそこにある。

指揮者でもあったハンス・ツェンダーがシューベルトを扱って作品にしたり、上の様なだらだらのプロジェクターがつけられたりの企画は前世紀からあった。しかしそこにはどうしても付き纏っていたノヴァーリス賛などの浪漫があったのだが、ここには微塵もない。

ヴィーンでの公演は2021年ということで、コロナ下で行われたことで、直接の影響は限られていたかもしれない。しかし指揮者アバドが始めたこうした新しい音楽への音楽祭はこうして漸く新ヴィーン楽派の一世紀後のその音楽芸術の形が示された感がある。モダーンとされる音楽祭でこうした成功が祝されるのは取り分け意味深いことであろう。
AROTIN & SERGHEI / BRICE PAUSET: Vertigo / Infinite Screen - Klangforum / Ircam / Wiener Konzerthaus

AROTIN & SERGHEI Infinite Light Columns / Infinite Screen, IRCAM - Centre Pompidou




参照:
追従を許さない様式 2024-02-25 | 文化一般
ハリボ風「独逸の響き」 2015-07-27 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追従を許さない様式

2024-02-25 | 文化一般
月末発注をした。結局送料費節約の為に不要不急のものを早めに購入した。衣料防虫シートと靴クリーム、そしてお気に入りの密閉タッパをもう一つ。それで更に2ユーロ割引になったので、まずまずではないか。支払う頃には全て使い始めている。靴クリームにも肝心の普段の靴をその頃には購入していないといけないだろうか。同じコニャックの色合いが欲しいという事だ。

兎も角、エンジンオイルが比較的廉く入ったので、バーゼルに車を走らせる前に十分に給油しておける。しかし予定と異なったのはバーゼルシムフォニエッタの定期公演が日曜日だと分かった。つまりフランスのスーパーには立ち寄れない。要らない金は掛からないが、往復だけになる。14時過ぎ出かけて、帰宅は22時過ぎになるか。

ヒッチコックの「ブラックメール」は、以前にはラヴロマンスの様な無声映画を撮っていたので、この作品から有名なそのサスペンスの巨匠が表れているとされている。当日のプログラムをペトレンコ日本デビュー時に同行していたマルコ・ファイが書いていて、既にネット版が出ている。

とても興味深い。一つは、ヒッチコック映画のオリジナルの音楽を書いているロシア系ユダヤ人のベルナルト・ヘルマンの「サイコ」の仕事がショスタコーヴィッチの交響曲14番に影響していて、その映画音楽を再びヘルマンが指揮者として演奏していたということになる。そのヘルマンの総譜が一昨年に大きな話題となったIRCAM制作のエンゲル指揮「眩暈」のヴィーンモデルネンやパリでのそれとなっている。これにも目を通し絵とかないといけないのを忘れていた。書いているように自宅で映画を観るという行為がとても苦手なのである。

そして作曲を依頼されたハイデルベルク出身のエッガーは現在ミュンヘンで教職を取っているらしいのだが、そのヘルマンの仕事をとても重要視していて、ソヴィエト時代のシンセサイザーを使っての音響やその効果のあり方もフライ氏によって語られておいて、今回の作曲も通常の映画音楽作曲にするようなポイントを合わせて創作するというよりも場面の構造的な心理的な構造に従って作曲しているという。それによって従来の作曲語法に穴を開けていくという事の様である。ハースにおける音楽劇場やステンアンデルセンにおけるメディアなど表現を広げるための創作であるよりも先にそのものが創作動機となっている作品群が明らかに新たな地平線を拓いている。それゆえに今回の公演は独仏文化波ARTEで収録されて放映されることになっている。

プログラムで興味深いのは、首席指揮者テュテュス・エンゲルの紹介で、複雑な総譜の数々のオペラをやるスイスの指揮者というだけではなくて、考えられて演奏会プログラムの、追従を許さない様式的に広大なレパートリーの指揮者。音楽の二次的な意味を明らかにして、社会的に重要であるものを聴衆に届けることを希求しているとなっている — これは誰が書いているのか。その尋常ならざる成功は、プレスのみならず多くの人々からのものであるとして、その公演の大熱狂がこうして文章化されているのは喜ばしい。まだまだ玄人の世界では、この私がつめて確認したように、その活動の意味を十二分に消化できていないからであるのだが、こうしてジャーナルが定着していくことは望ましい。ARTEの最終的な出来はどうなるか分からないが、私が現場で観察するように、その公演のライヴ感を如何に映像化するかが重要なのである。
Alfred Hitchcock | The Man Who Knew Too Much (1934) Krimi, Mystery, Thriller | Film, Untertitel

Psycho • Main Theme • Bernard Herrmann

Bernard Herrmann - Vertigo Suite (1958)

AROTIN & SERGHEI / BRICE PAUSET: Vertigo / Infinite Screen - Klangforum / Ircam / Wiener Konzerthaus




参照:
お家芸の指揮棒飛ばし 2023-03-26 | 音
事件の真相は現場にも無し 2024-02-24 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

事件の真相は現場にも無し

2024-02-24 | 雑感
木曜日は色々展開があった。先週ベルリンの警察に回答した件の返答があった。車線変更に伴う事故責任への違反警告金請求は撤回された。これによって現場聴取での事故原因者は当方であるという不当な既述は無効になった。

この背景にはそのベルリン滞在中に車中のラディオで聴いた報道内容、つまり今後は車両の傷みなどの事故に関しては警察への通報を必要としないという制度改正への専門家会議の判断も影響しているだろう。つまり、警官も話していたようなその場で判断できない問題には関与しないということになる。

なるほど先方はレンタカーであったので、通報義務があって、こちらもそこから立ち去ると事故逃亡となるので予定の遅れがあっても是が非でもその場に30分以上いなければいけなかった。

これによって残るは民事上の損害の過失責任となるのだが、今回の異議の内容が公式の記録となって、レンタカー会社が当方に賠償を求めるとしても、法的根拠がなくなり、何らかの物的証拠がないことには難しいであろう。

先ず今回の無効によって少なくともなんらの接触無しに当方の保険に賠償を請求する根拠を失った。寧ろ先方の貸主に契約の1000ユーロ以内自己負担金の賠償は請求可能な筈だ。それに先方が不満があり、当方が事故責任を否定しているので、なんらかの物的証明がないとすれば裁判沙汰となるが、それだけの勝算があるのか?

レンタカーであのような事故も起こしたことがなく、小さな傷で問題になったこともないので、現実にはどのようになるのかはネットを調べてもよく分からない。一日借りて80ユーロ程度のところで1000ユーロ払うとなると大変だろうが、あのスピードでのUターンはやはり横着な運転としか思えない。

写真のヴィブヤー通りの中央分離帯からUターンしてきた車が、左の横断歩道の向こう側の通りから右折してきたところに当ったのである。車の停まっているところまでに三車間しかないことからしても横断歩道の上あたりで衝突している。

ヒッチコック「ブラックメイル」のトーキー版を観た。1929年に無声版を制作してそれに音声を合成することで英国初のトーキー映画作品となったということである。その一部も観た。出来はやはり無声の方がよいと感じた。トーキーの方はテークを繋げていて間延び感とぎこちない感じがあった。今回新曲が作曲されてつけられるのは当然のことながら無声版である。

ロンドンのトラファルガーらしき所から犯行現場のチェルシーやトラファルガーらしきとか当時の英国博物館が映っていて興味深い。現在でも日曜日の早朝ならば誰もいないような景色が映っている。

内容的には新曲をつけるとすればどのようなコンセプトで挑むのか。内容としてはその他のヒッチコック作品と比較しても決して悪くはないと思うので、方法だけの問題ではないか。音楽語法的にはやはり台詞のあの字幕が入ることろが鍵になるのだろうか。
Alfred Hitchcock | Blackmail (1929) Anny Ondra, John Longden, Sara Allgood | Movie, Subtitles

BLACKMAIL (Rare Silent Version) Alfred Hitchcock 1929 Murder Scene, Anny Ondra




参照:
異議申し立てを提出 2024-02-16 | アウトドーア・環境
時代がまだついて来ない 2023-11-27 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月末調整の発注計画

2024-02-23 | 生活
そろそろ月末調整である。必要なものを購入する。先ずは次の遠出の為にエンジンオイルである。既に同じものを12回購入しているようだ。200ユーロにもならないので安いものである。一時は油漏れも心配されたが、特に床が汚れる様子もないので30万キロメートル間近の車両としては悪くはない。エンジンの中で燃えるのなら全く問題の無い量で、現在の目算としては500kmの走行に対して200㏄準備しておくぐらいだろうか。

次回はバーゼル近郊なので往復でほぼ500km程になると思う。未だ車庫にはその分ぐらいは残っているのだが、その後のバーデンバーデン6往復なので、走行距離は1200km以下、それ以外にハイデルベルク往復などもあるので、平常走行とで1リットルあれば足りる。

同じように計算して購入した不凍液は結局殆ど使わないでも済んだ。やはりこの冬は暖冬だったとなるだろう。雨が降って、気温は上がらず疲れが出た。ここ暫く以前の長いコースなどを走って汗を掻いて風邪気味になったこともある。

長袖下着を脱いでから二週間以上経つ。それだけ暖かかったのだが、それ以降暖房を絞ってからも半袖で十分である。但し膝や足元などが冷えることもある。これが堪えたのだが、春の暖房の逆上せる様なのは嫌いである。

発注序に下着も加えておきたいが、未だ衣料防虫剤を購入するには早く、さて適当なものはないのかなと探している。その様な感じで購入したものでは、ミクロファイバーの皿拭きがある。これは盲点だった。乾きも早く、上手に水分をまさしく拭って呉れて、更にその儘擦ると磨き効果もある。皆が良い評価をする意味が分かった。

タブレットのストレージを回復したので予算が出来た。次に必要になりそうな懸案の髭剃り器である。2014年11月にパナソニックのものを購入していて、予想外に今でも使えている。これはブラウンとかではあり得ない耐久力である。ブラウンも昔はクロンベルクで製造していてドイツ製であったがジレットの傘下になってからは価格だけの安物アメリカ製品となっている。二度と手を出すことはない。

パナソニックで壊れると思ったボディーのプラスティックは健在で、充電池だけが二回の使用ぐらいにしか堪えられなくなっている。小旅行にも充電コードが必要になった。当時の購入価格は14000円ぐらいであったので、一年に1400円、月100円ぐらいに替え刃が二年で6000円とすると月150円にはなっていない。受け入れられる価格である。

同様の製品は20000円程に上がっているのだが、替え刃が同じというのは有難い。こういうのも購買意欲になる。まだ慌てる必要は無いのだが、何時壊れるかも分からないので購入準備だけはしておく。上手に安く入手可能な時に手を打ちたい。そして替え刃が同じなら先に替えておいても損はないのである。

先ずは次回の公演の為のヒッチコックの映画「ブラックメイル」にも目を通しておかないといけない。音楽は仕事しながらでも流せるのだが映像となるとそうはいかないので、そういう時間がなかなか取れないでいる。映画好きの人は生活が違うのだろう。



参照:
次のお出かけに備えて 2023-04-22 | 生活
私のメリークリスマス 2014-12-25 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総合評価8.6以上の価値

2024-02-22 | 文化一般
バーデンバーデンから最新のマガジンが届いた。新制作楽劇「エレクトラ」舞台の準備がこれから進むのだろう。指揮者の方は金曜日にツアーのプログラムを一晩指揮して、恐らく来週ぐらいから始動か。

先ずは演出家のシュテルツルの紹介がある。読んでいて知らなかったのは、例のボーデンゼーでの「リゴレット」のこけおどしを演出したことで、その時の支配人はベルリンのウンターデンリンデンに移った。マドンナのヴィデオや映画「ノルトヴァント」は把握していて、上の大成功で次は「魔弾の射手」となるようだ。基本的には芝居小屋や映画やオペラを統合するということにあって音楽劇場監督のようであるのだが、残念乍らそこはよく分からない。現時点での印象としてはそこにメディアというものが係わっているという影を其処に見るしかない。なるほどメディアも活かすというのは総合的な音楽劇場方針として理解できるものの、なにかそれが商業的な色に染まると本来の伝達が叶わないのではないかと考える。

兎も角書いているのは地元ミュンヘンのヤンソンス本で有名なティール氏であり、そのコンセプトは公言しなかったようだが、「大変新しいこと」をやると発言している。しかしあのキャスティングからすれば音楽的な方向は定まっていると思われるが、さて。そして、ここに掲載されている登場人物のアニメ的な描き方に予想が可能か。演出家は舞台美術出身である。

時間があったので、10月の宿を押さえておいた。まだ何ら準備は出来ていないのだが、初めてのところに宿泊するとなれば先ずは一軒押さえておいて様子を見ることになる。宿泊価格も一泊80ユーロ程の地階のアパートメントなので、良くも悪くも重要なのは回りの状況と劇場までのアクセスでしかない。60km程の距離のところなのでなんとかなるのだが、人の往来が多いところなので一時間では着かない。前回の滞在は仕事で街の中に泊っていたのだが、高級ホテルでも駐車場の問題は帰宅すると場所が開いていないなどあった。そうした不愉快さがないのが郊外のアパートメントの良いところで、一往復ぐらいならば何ら問題はない。

もう一件はワイン祭りの避難を兼ねての宿泊で、これも予定は決まっていないのだが、先ずは三泊で250ユーロ程のところを押さえておいた。こちらは抑々その時期に出かけられるのかどうかが全く分からない。出かけるとしたら一日をどちらに遠足に行って過ごすかだけのことで、滞在できるとしたら愉しいだろう。

出来る限り不要なところには出かけたくないのだが、なんだかんだと年間数日と数泊はどうしても行かなければいけないような日程がある。ブッキングコムも漸くレヴェル3になった。結構使っている方だと思ったのだがなぜか2の儘であった。何が違うのかというとやはり売り上げの額ではないか。計20泊しても精々1500ユーロぐらいだからだろう。ブッキングコムが一割取っても知れている。

今迄の経験でその評価と感想の書き込みと実態の関係はほぼ分かっている。一般的に評価点8.6以上を選択している。9.2以上というのは広さの割に安いとかそういう評価が入っている。なるほど長期に滞在しようと思えばそれも大切だ。二泊程度ではあまり意味を成さない場合が多い。逆にそれ以上滞在しようと思えば泊めれないという所も少なからずあった。



参照:
ヴィーンでの家庭騒乱 2024-02-20 | 音
やるべきことを達成 2023-12-09 | 音

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内部からSDカードに移動

2024-02-21 | 雑感
タブレットを掃除出来たのが嬉しい。昨秋以降再三溢していたかもしれない。内部ストレージの余裕がなくなって来ていて、動作が不安定になって来ていたからだ。良さげなアプリケーションなどを使って消去していても使用率98%までに達したこともあった。不要なアプリケーションや不要なデータも消去した。一度は大きく85%ほどに落ちて、直ぐに92%へと上がる傾向があった。

アプリケーションなどのシステムの一部をSDカードへと移す研究はしていたのだが使用中のそれを動かすと今迄のデータが使えなくなりそうで、思慮していた。しかし新たにストレージ場所を移動する方法があることが分かったので、それをやってみた。

アンドロイドの「設定」から、「ストレージ」に進み、読み込まれているSDカードへと「場所」を移動指定するだけであった。

先日、掃除しているときにSDカードに入れてあった多くを消去して仕舞っていたので、16%ぐらいしか使用していなかったが、移動させても2%程しか増えていない。カメラと同じように大き目のSDカードを使っているために余裕十分で、必要ならばまだまだ拡大可能だ。

それによって、また内部ストレージの使用量が82%に下がっていて、未だ低下する可能性がある。SDカードの管理をしていると毎日のように消去可能なキャッシェの量が多くて、それだけ内部に積み重ねられていたというのが分かる。それが中々消去できなかった。

これで何が助かるかというと、先ずは動作が安定してきたことと速くなって来た事、そして買い替えなくてもよくなって来た事だ。PCほどではなくてもそれでも大きな画面のものを購入しようと思えばやはり200ユーロは掛かる。冬タイヤ二本と変わらない。そして壊れたらすぐにでも買わないとネットバンキングも出来なくなる。

車中のニュースでポストのバンキングが2025年までに激変することを伝えていた。親会社のドイツェバンクの支店閉鎖以降は頼ることが多かったが、最寄りのポストバンクがどうなるかは分からない。今でも夜中には使えないなどの制限が厳しくて、現金は旅行の前以外では床屋に行くなど年に数回しか紙幣を使わなくなってきている。諸外国に比較すると現金が使えるとされる独逸においても、愈々現金はあまり使えなくなる。それ以前に手に届きにくくなってきた。難民にもカードで支給するというから、これからはそれ以外の現金を使う人というのは益々減る。カードも口座を三種類に別けているので当面はどうにかなると思うが、やはり様々な状況を考えておかないとといけない。

やはり車中のラディオがファンク制作監督の無声映画の「聖なる山」の欠けた音楽の部分を新たに書き加えたという話しを伝える。レニ・リーフェンシュタールとルイス・トレンカ―主役の映画である。三月に無声映画に付けた新曲演奏会があるので、全体の歴史的状況をもう少し調べておきたいと思っている。その為のシャツも漸く預けて来た。映画上映会であるからジーンズで行くつもりなのだが、やはりシャツでも一つコーデイネートの可能性が多いほど気が楽である。あとはその後にでも暖かくなれば散髪をどうしようかとも思っている。



参照:
拡大してみる様子 2024-02-02 | 雑感
第二次ベルリン紀行準備 2024-01-22 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴィーンでの家庭騒乱

2024-02-20 | 
月曜日にヴィーンで演奏されるプログラム。なにか忙しくて生中継でも再放送でも聴けていないが、ラディオの録音は流した。後半のい家庭交響曲が問題になるところだろう。少なくともミュンヘンで演奏していれば批評は厳しいと思う。如何に作曲家にの音楽に馴染んでいるかどうかである。

やはりベルリナーフィルハーモニカーのアンサンブルがその音楽になっていない。アーカイヴになってハイレゾでじっくり聴いてみようとは思う。なぜならば来月の楽劇「エレクトラ」の為に敢えてここで演奏させる意味合いがある筈だからだ。それが知りたい。

この曲は2016年のペトレンコ指揮のミュンヘンの座付き管弦楽団の欧州旅行で、その最終日のフィルハーモニーの演奏は生中継されていて、今でも容易にそれと比較することは可能である。そしてベルリンでは、批評よりもフィルハーモニカーやより現場に近い人によって大絶賛されたように受け取っている。

それは奇しくも今回の演奏でその意味が浮かび上がることになっている。交響曲とはされながらもその表現はとてもオペラ的なのである。昨秋日本でも演奏された「英雄の生涯」もそうなのであるが演奏で語るその語り口が核心となる。

その節もベルリンの批評では、その後に演奏された「マイスタージンガー」前奏曲が流石に座付き管弦楽団と大賞賛されているのを見聞きして、如何にベルリンでは歌劇とかそうした音楽に関して理解されていないのかと納得したのだが、今回もベルリナーフィルハーモニカーの演奏に対して絶賛の声が上がるのをみるとこれは文化がそこまで達していないと思うしかない。

昨年のテムペルホーフでのヘンツェの「メデュサの筏」上演においても音楽劇場の中での音楽的構造に関して言及する批評もなくて、演奏会とそうした舞台作品との間での理解の落差のようなものを感じたが、やはりいい聴衆が育っていないと良い上演もされない。

ベルリナーフィルハーモニカーの演奏上の問題は多々あるのだが、やはりなによりもアンサムブル文化が熟成されていない点が最大の欠点であって、その要因にはカラヤンサーカスの音響がある。ああいう所で演奏していると本当の文化とはならない。

勿論天才ペトレンコのことであるからそれらを全て知り尽くしての指揮であったのだろうが、やはりそれなりのフィードバックがないことには演奏に活きて来ない。その点でもヴィーンのムジークフェラインでの演奏とその反応などが重要になってくるだろう。

「英雄の生涯」においても夏のツアーではサライカのリードによって、音楽が語られたことがなによりも成果だった。そして来月の「エレクトラ」は誰が楽団を率いるのかは分からないが、昨年の「影のない女」以上に物語が、その内容が音楽によって語り尽くされるかどうかが聴きどころになるのは始めから想像できるのである。特にタイトルロールのシュテムメの声は決して大きくはなく、如何にそれを語り尽くせるかでしかない。
Strauss: Sinfonia domestica / Petrenko · Bayerisches Staatsorchester

Wagner: Die Meistersinger von Nürnberg: Prelude / Petrenko · Bayerisches Staatsorchester




参照:
あるべき姿の独逸 2024-02-19 | 音
虫干しにするファイル 2020-12-07 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あるべき姿の独逸

2024-02-19 | 
承前)日曜日の朝はデジタルコンサートホールで始まった。なぜかそのアプリをベットの中で開いた。まだ七時前だった。就寝前に昨年のチャットのヴィデオをざっと観た影響があるのかも知れない。要するに整理整頓したいという要求はずっとあった。

その一つが12月のクリスマス前に急遽開かれたガザの紛争の人質や住民への緊急援助の募金演奏会だった。スクリーンショットなどを撮っていたのだが、思っていた様なアーカイヴ化が年内どころか一月中にもならなかった。無償のスター演奏家が多数登場していたので権利関係などが問題だったかとも考えた。

そして朝一番でその画面を見つけて驚いて、NASとPCを立ち上げて、再生方法を考えた。理由はアーカイヴではなくて以前観たものがキャッシュで残っていたのかなと思ったからである。幸い取り分け関心のあったフィナーレに演奏された「コルニドライ」が暗い部屋で流れた。そして通常のアーカイヴのハイレゾであることが分かった。

当然のことながら生中継ラディオは録音していたのだが、ハイレゾで映像も観たかったのだ。放送録音の方も二時間以上の番組を残しておくほどの気持ちはなかったので整理しなければいけないと考えていた。昨年末からの課題だった。これで心置きなく取捨選択が可能となった。

やはりハイレゾで聴くと尚の事その演奏が冴えわたる。なるほどチェロで演奏するのとは大分変わるのだが、ヴィオラの祈りがまた格別である。

そもそもドイツの新教徒の作曲家ブルッフがユダヤ教の最も高い祈りのメロディーに作曲するという行為自体が特別であり、この会のその特性を最も表しているように思われた。それはやはりドイツのあるべき姿であろう。

この曲がナチによって、作曲家が毛嫌いされて演奏されなくなったというのもその状況をそして今日の状況を色濃く映し出している。

無料で観れるアーカイヴ化に長く掛かったのは、室内楽部分での修正を各々の演奏家と合わす必要があったからだろうが、リハーサルでそれだけのテークを準備していたことにもなる。幸いこうして再会することが出来たのだが、それは2016年に同じフィルハーモニーで行われて、暫くしてアーカイヴ化されたものの比較的短期間に消去されたゲスト座付き楽団の収録が思い出される。

その時は特にアンコールの楽劇「マイスタージンガー」前奏曲の演奏中に生放送映像実況では技術的事故が起こり、出だしが欠けたりがあったために、完全版は見かけない。今回の会もであるが、いつものロシアの職人もなにも上げておらず、貴重な映像となっている。

しかし、その前の本プログラムの「家庭交響曲」は大名演であって、それは今回生中継されたベルリナーフィルハーモニカーの演奏を比較することで余計に際立った。ベルリンの聴衆は両方を聴いている筈なのだが、なにかチンプンカンプンの批評が出ているのが興味深い。(続く)



参照:
不死鳥の音楽的シオニズム 2023-12-17 | 文化一般
ユダヤの旋律「コルニドル」 2021-07-20 | 歴史・時事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

演奏実践の歴史的認識

2024-02-18 | マスメディア批評
NHKのラディオでメシアン作曲「テューランガリア交響曲」1962年7月4日の日本初演の録音が流れた。LP化されていたもののようであるが、一般市場には出ていなかったと思う。

小澤征爾が最初の音楽監督をしていたトロントでの1967年の録音は今もリファレンス盤として評価が高い。オンドマルトノを作曲家の奥さんの妹のロリオが受け持ち作曲家自らの指導の下にというのは当然だったかもしれないが、1949年の世界初演のバーンスタイン指揮の録音が残っておらず、1950年のアクサンプロヴァンスでの欧州初演、1961年のフランスでの録音に並んで古いものかもしれない。

先ず何よりもリズムがよい。指揮者のリズム感覚というよりもその指揮が素晴らしく、これは昨年数回続けて聴いた「アシジの聖フランシスコ」公演での参考にした小澤指揮の初演の録音で嫌というほど再確認した。

しかしここで改めてその後の録音で有名になった指揮者のサロネンとか、プレヴィンとか、ナガノらとは程度が違うと感じた。個人的には1970年代に引退間近の指揮者井上がニュージーランドで振ったものをエアーチェックしたカセットが手元にあるのだが、敢えて聴かないでもそれは比較に為らないだろう。

楽団の方はついていくだけのだけの演奏以上には出来ていないのだが、それでもよく鳴っている。小澤と共にここ百年ぐらいの音楽に集中していたならば、斉藤記念の様な一過性のクラブ活動とは違って歴史的な活動が出来ていただろう。オスロ交響楽団の次ぎぐらいには来ていた可能性もある。

金曜日のベルリンからの生中継は画面は観ていて、ラディオも録音だけしてまだ聴いていない。しかし最初のブラームスは流したのだが、大分ベルリナーフィルハーモニカーの伝統が出ていると感じた。今回のプログラムの二曲はミュンヘンの座付き楽団の演奏で知っている。後半の家庭交響曲はその水準には至らないと思われるが、最初の悲劇的序曲はみっちりと鳴り響いていた。

勿論ベルリンでの全盛期のカラヤン指揮によって模範的な録音が残されているのだが、流石にミュンヘンでは叶わなかった。その密な音響でもあり、カラヤンの芸術であったと同時にやはりフィルハーモニカーのそれでもあったのだと気が付くものがある。

この件は来月バーデンバーデンで演奏されるブラームスの交響曲四番における演奏法に深く関わっていて、私個人もベルリンの伝統というものの核を見究めたいと思っている。それは、逆にミュンヘンのシュトラウスの伝統を改めて確認することになっていて、復活祭における楽劇「エレクトラ」を評価する場合に基準作りの一つになるのではないかと思っている。

少なくともペトレンコ指揮のミュンヘンでの「サロメ」、「ナクソスのアリアドネ」、「薔薇の騎士」、「影のない女」に関しては認識しているので、これはとても価値のある演奏実践歴史認識になると思う。



参照:
有機的な鳥の囀りの表徴 2023-07-21 | 音
ブラームスのイライラ感 2023-08-12 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清々するセンスのなさ

2024-02-17 | 文化一般
クロンベルクの音楽会の券を購入しておいた。忙しく、ワイン試飲会の季節なので行けるのかどうか定かではないが、天気もいい季節なので、時間さえ空けば簡単に車を走らせれる。内容は今一つなのだが、久しぶりのギドン・クレメルの姿を見るのも悪くはない。適当な席があったことと、来シーズン以降も期待される催し物には出かけたいと思っているので、会員になるよりもこうして少しでもいい催し物があれば買っておきたいという気持ちもある。

今迄は会場の名前の様にカザルスからロストロポーヴィッチとチェロの講習絡みなどが多かったのだが、ヴァイオリンにも本腰を入れて、よりその器楽奏者の幅も広がってくると同時に、ホームグランドとする欧州室内管弦楽団などもツアー前に練習演奏会などをやってくれるようになると出かける機会も増えると思う。

室内管弦楽団がよく鳴る新しいホールはそれほどないので、その点でも期待したいのである。残念乍前回の楽団は頂けない演奏だったので、モダーンな楽器ならばやはり冴えた楽団の演奏でないと、折角のホールがそこまで活かされないことになる。

バーデンバーデンの祝祭劇場が記者会見したようで、2026年以降の計画が出ていた。ベルリナーフィルハーモニカーがザルツブルクに戻ってしまうことでその後の目玉が注目された。

三年契約でコンセルトヘボ管弦楽団とマーラー室内管弦楽団が復活祭で演奏して、前者の指揮者マケラは一年前の2025年にはベルリナーフィルハーモニカーと祝祭劇場デビューとなるようである。後者はマルヴィッツがアバドを継いで祝祭劇場でオペラを指揮するようである。

支配人スタムパのドルトムントでのネルソンズやサロネンなどとの繋がりを考えればこの程度のセンスしかないことは分かっていたが、音楽が全く分からない人にはもう辞めて貰った方がいいであろう。こちらは近所でエンゲル指揮などで良いものをやられると、ザルツブルクに滞在できなくなるので困ったのだが、そんなことはありえないと予想していた。

2025年3月26日には市をあげてピエール・ブーレーズ祭りが開かれるようではあるが、たとえSWR交響楽団指揮のロート氏主導的に企画しても、その規模や質は限られるに違いない。

今晩は20時からフランクフルトの放送ホールからの中継もある。グリシー作「音響の宇宙」というものでアンサムブルモデルンと放送交響楽団の共演らしい。指揮やカンブルランでどれほどの指揮をするのか観てみたい。但し同時刻にベルリンからの中継があるので、二つの画面を観て、ラディオは録音してということになるのだろうか。映像は双方ともアーカイヴされるので、それは目を通しておくだけで良いのだろう。カムブルランの指揮はザルツブルクやフランクフルトでのオペラぐらいしか知らず、それほど難しい曲の指揮は知らない。



参照:
バレンタインのご挨拶 2024-02-15 | 暦
マトリューシュカ交響曲 2024-02-03 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異議申し立てを提出

2024-02-16 | アウトドーア・環境
バレンタインに走る時に写真を撮った。最初は街道筋でいつも最初に気が付く木を写すのに車を走らせたが、谷に下りて戻って来る時に有名なイエズイーテンのアーモンドというところが咲き乱れているのに気が付いた。

今迄それがこれだけ早く咲くのは気が付かなかった。なぜかは分からないが、やはり本年は条件が違ったのかもしれない。だからワイン地所では今盛んに葡萄の枝の仕付けが為されている。蕾がつくまでには終えないといけないだろう。

未だ灰の水曜日過ぎなので早いのだが、もう一度来週あたりから寒さが戻って、一度は終っても、今年はやはり復活祭へと早く時が流れているので、降雪があっても凍てつくという事はあまりないだろうか。

暖かい斜面なので葡萄もよく育つ。そして隣の地所は宮中に届けられるバッサーマンヨルダン醸造所のドイツで最も高価なワインを輩出するグランクリュの「キルヘンシュテュック」である。背景にはヴィースロッホ周辺の山並みが見えている。天気が悪いがなんとなく春らしい感じだ。

ベルリンの警察への異議を書き送った。先ずはそれでいいと思う。内容は、「車線変更で事故を起こしたので警告金30ユーロを支払え」に対して、違反を否定して、「上記の事故現場では車線変更をしていない。なぜならばそこで二番目若しくは真ん中の車線への右折行動がまだ完了していなかったからだ。」と書いて、「二番目若しくは真ん中とは、平行に進む自転車保護車線の横の車線と理解していた。」と定義した。

そして、「明らかに速い事故相手の車両が当方の進行方向を遮って入って来たのが、両車両間での接触の理由だった。」と主張。

そして「その外、ポツダム広場へ向かう為に、三番目若しくは最も左の車線に入るつもりはなかった。」と正直に回答した。

これを警察が否定する証拠もないことは現場での書類に名が挙がっている警官も話していた。要するに今回は異議の機会が与えられた。そして現場では事故相手の主張が事故の聴取の全てであったが、これで完全に異議が唱えられて、あとは事故相手に車を貸していたシックス社がどのように事故相手と話すかである。

大手のレンタカー屋であるから何らかのカメラが搭載されているか、GPS監視などはされている筈だ。つまり、証拠があれば示して来る筈で、少なくとも事故相手の容易な主張には簡単に乗ってくることはないと予想する。証拠がなければ会社が損害賠償で民事で争うことにはならないのではないか。事故相手が民事で争う価値もあるのかどうか、少なくともこちらは、交通司法保険に入っているので証拠がなくても争うことは可能で不当な要求は退けられる。

必要最小限の異議を申し立てたので、当然のことながら民事では証拠がなければ容易な要求が出来ないことは明らかだろう。事故相手が保険の自己負担額1000ユーロの中で何をどのように受けいれるかだけであろう。



参照:
大統領の椅子のような 2022-04-25 | 生活
積雪前の夕刻の開花景色 2023-03-13 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする