Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

音楽愛好家結社

2005-12-12 | 
2004 03/14 編集

20世紀後半の最も有名なドナウエッシンゲン現代音楽際の母体であり、現在も放送局の陰に存在している。音楽好きの伯爵の元、H.ブルクハルトを監督に作曲家ヒンデミットにより1921年に創設された。リヒャルト・シュトラウスなども名誉監督に名を連ねている。ヒンデミットのプログラミングと、ここでの活動中に生まれたアマール四重奏団の活躍と、1926年ごろまではその体制が続いた。その間、シェーンベルクからストラヴィンスキー、アイスラー、クジェネック、シュルホッフなどの現代のレパートリーに定着する新曲が初演された。特に1924年には、アントン・ヴェーベルンがヴィーンから楽人を連れて来て精力的に初演や新曲の紹介をした。作曲家ヴェーベルンは、米兵による誤射での不慮の死後、20世紀のモダーン現代音楽界のアイドルとなる。因みにシェーンベルクも、1924年に自作の作品24のセレナードを指揮して、ここで初公開演奏している。

作品9の「六つのバガテルン」に続いて、ヴェーベルン自身の指揮で初演されたのが、声楽、クラリネット、バスクラリネット、ヴァイオリンとチェロのための「六つの歌曲」作品14である。ヴィーンのゲオルク・トラクルの「隠れ住む人の歌」と「夢のなかのセバスチャン」からの歌詞に作曲した。トラクルは丁度絵画のヴィーン分離派エゴン・シーレと同時代の作家である。彼の詩に、俳句的ともいわれる作風の作曲家ヴェーベルンは、時代や地域社会に強く依存するこの直接的な言語表現にたいして、一語一句もしくは音節毎に色付けを丁寧に行なっている。第一曲で「葡萄、麦がゆっくりと穣」という時、第三曲で「遥かに輝くワイン畑の落ち着き」という時に、原語の音声的な特長を越えて「直裁な想像力」を繊細に音化する。それは隠喩や象徴や文学的憶測を許さない程の、市民が共通して持ち得る日常文化的な「瞬間」を表出する。

文化記号論の考察を彷彿させる。当時のヴィーンやベルリンの市民は各々が共通の土壌に高度な「文化の記号」を持ち合わせていて、あたかも「実った葡萄が黴を迎えた」かのように「摘み取りの時期」を待っていたかのようだ。さて上のドナウ源流の町での初演だが、既に世界的なプレスが注目していた催しにおいても評価は大変厳しいものだった。



参照:
非日常の実用音楽 [ 音 ] / 2005-12-10
ドナウエッシンゲン [ 料理 ] / 2004-11-25

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