Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2019年12月

2019-12-31 | Weblog-Index


眠りの森の亜硫酸臭 2019-12-30 | ワイン
氷点下で陽射しが温かい 2019-12-29 | 生活
祝日明けの身体の重み 2019-12-28 | 生活
年末年始調整計画 2019-12-27 | 生活
待望される意思表示 2019-12-26 | 女
イヴの一日の感興 2019-12-25 | 暦
クリスマスイヴの準備 2019-12-24 | 暦
歴史文化まで語る手腕 2019-12-23 | 音
カジノの駐車場から帰る 2019-12-22 | 文化一般
年内最終のお出かけ 2019-12-21 | 生活
実験的なバレー作曲なのか? 2019-12-20 | 音
ガッツリといきたい夜 2019-12-19 | 生活
交響曲をぶっ潰せ! 2019-12-18 | 音
年末年始のリストアップ 2019-12-18 | 暦
二本立ての一本目 2019-12-17 | 女
ヴィール背中肉ステーキ 2019-12-16 | 料理
パロディーで落とさない 2019-12-14 | 雑感
運動しやすい下着をつける 2019-12-13 | 雑感
大切なものを納める所、蔵 2019-12-12 | 雑感
不当なNHKの番組作り 2019-12-11 | 文化一般
ハイデルベルクの春へと 2019-12-10 | 生活
ミニUSBプラグの抜き差し 2019-12-09 | 雑感
宣伝へのアルゴリズム処理 2019-12-08 | 雑感
「超一流を聴け」の真 2019-12-07 | 暦
どれほど重いかその両腕 2019-12-06 | 雑感
一日早いニコラウス 2019-12-05 | 暦
昨今の音楽劇場の傾向 2019-12-04 | 文化一般
年末大当たりは要らない 2019-12-03 | 暦
なにも顧みることなく 2019-12-02 | 文学・思想
幕が掛かって湯煙 2019-12-01 | 文化一般


 
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眠りの森の亜硫酸臭

2019-12-30 | ワイン
ベルリンでの「眠りの森の美女」中継録音がオンデマンド化されていない。理由は分からないが残念なことで、事情があるのだろう。モスクワでの録音はYouTubeに出ているようだが、商売でなくて今後の計画が係っている可能性がある。

ざっと録音を聴いてみて、ヴィースバーデンでの問題点は大分解決されていて、恐らく今年ベルリンのフィルハーモニーで演奏された管弦楽団演奏会の中で十指に数えられる芸術的な内容だったと思う。まだ前半を何回か聴いているが、指揮のユロスキーが語るように、この曲が19世紀の音楽史の中で変換点に位置しているというのがとても分かる演奏だ。勿論ロ短調のパッサージュの話しとなる。

この曲と第五交響曲の内的関連が、「くるみ割り人形」と第六交響曲とのようにあって、また大きな反復ブロックにおいてショスターコヴィッチとの関係にも言及している。美学的にはパセイズムと呼んでバーデンバーデンでの解説のように過去のラモーとかの後期バロックやプレクラシックへの回顧がそこにあってというのがそこに含まれるだろう。

管弦楽法を見ても、なるほどアンチヴァ―クナーのチャイコフスキ―であってもブルックナーなどに接近しているところもあって、更に細かな技巧があって正しく演奏しようと思うと合せるのが大変だ。

少なくとも三回目の本番はアーティキュレーションの統一は遥かに出来ていて、正しくこの指揮者が指すティームワークというのはこれ以外のものである筈がない。限られた練習と本番の中でここまでもってこれる腕は矢張り立派である。客演では無理だろうと思う。

後半はまたゆっくりと聴いてみたい。兎に角長いので聴き所盛り沢山である。先のお話しに戻ればやはりミュンヘンでバレーを指揮するのではないかと思う。練習が出来ればミュンヘンでも素晴らしい成果を聴かせてくれるのではなかろうか?こういう演奏を聴くと夏のゲヴァントハウスは一体何を演奏したのか、「海」や協奏曲以外にもう思い浮かばない。年齢も違うがネルソンズよりはユロスキーの方がやはり上だ。

ドヴォルジャークの家族との米国滞在中の写真を見かけた。そこではたと気が付いたのはスークの奥さんとなる長女の姿で、特定できなかった。しかし、新年第二週にアスラエル交響楽が演奏されるので ― こちらにパユが乗りそうなので、ブラームスのオープニングプロはデュフォーが乗るのか ―、これも「新世界」を聴く前に押さえておかないといけないと気が付いた。どのような関係があるのかないのかは分からないが、間違いなく何かが繋がっているだろう。

クリスマス二日目にはシャルツホーフベルク2014年産を開けた。最初から亜硫酸臭さがあって、綺麗には抜けなかった。モーゼルやザール、リュヴァ―のリースリングを馴染む向きにはあれを鉱山的なミネラル風味と評する向きもあるようだが、やはりこれは鉱物であるよりも亜硫酸としか表現のしようがない。勿論酵母臭と同じようにワインの味とは異なるものとなリ否定的になる。2014年は一般的に悪い年度ではないのだがよく分からない。どうも記録を読むと下位のアルテレーベンも同傾向なので、この年度はあまり良くないかもしれない。一通りこの醸造所で高級地所を購入しているので蔵のワインが心配になる。



参照:
歴史文化まで語る手腕 2019-12-23 | 音
年末年始調整計画 2019-12-27 | 生活
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氷点下で陽射しが温かい

2019-12-29 | 生活
朝は氷点下になった。一週間ほど続くようだ。そこで陽射しが室内に差し込んでくると埃などが気になってくる。ついつい手を出してしまう。掃除手伝いが倒れてから出来なかった窓ふきを二月程かけて完了した。これで更に陽射しが活かせる。春は近い。

とても暖かまったので窓を開けたが、朝も陽射しがあると走るのには苦労しなかった。身体が温まるまでが辛かった。パン屋が冬休みに入るのは再来週からのようだ。

遅めの朝食にシュヴァールテンマーゲンを切った。年末年始に購入したものだが、四五日は切ってからでも問題が無いだろう。燻製してあって、ニンニクも入っているので味わい深い。大きさからすると矢張り子豚の膀胱だろうか。ザウマーゲンも時々この大きさのものが出ることがあれば出来るだけ買うようにする。

今晩はミュンヘンから新作オペラの中継がある。作曲家はデンマークのアブラハムセンでルツェルンでもその話しを聞いた。再演前にラトル指揮のロンドン交響楽団がまともにさらっていなかったのでおかんむりだった。実際ラトルの指揮を聞くと絶対重要というところを何も留意せずに弾かせたままだった。コンサートマスターの能力も低いのだろうが、放置している指揮者の見識を疑った。ミュンヘンの指揮者はマイスターなので几帳面にやってくれるのではなかろうか。

そもそも歌手のバーバラ・ハニンガムがこの作曲家の作品に力を注いでいるので好演が期待されるが、共演のノルウェーのカロリーネ・ヴェッターグリンというコロラテューラがいいねを付けていたので、調べるとこのオペラのプリンセスを、当該の千人の交響曲以外に、以前に一度ペトレンコ指揮で矢張りアブラハムセンの曲を歌っていた。つまりペトレンコも一曲初演していることになる。身体の小さな女性のようだが注目したい。

ペトレンコ関連では、バーデンバーデンの「フィデリオ」の中継放送の詳細がまだ出ない。年末にも中継計画は再度掲載されているが、放送するARTEがまだ出していない。詳細を決めるまでに待ったがかかっているのだろう。そもそも演出も上手く行くことが確認されているのかどうか?指揮者と演出家がまだ最終確認をしていないのではなかろうか?

日曜日はジルフェスタ―コンツェルトの一晩目で、そろそろトレーラーが出てくるだろうか?三日続けて演奏される。ドレスデンは月曜から二回、ライプチッヒのMeToo指揮者による第九は三日間演奏される。



参照:
祝日明けの身体の重み 2019-12-28 | 生活
年末年始調整計画 2019-12-27 | 生活

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祝日明けの身体の重み

2019-12-28 | 生活
雨雲の間隙を縫って、軽く走った。身体も重く二日ほどで太った感じがした。毒抜きは大切だ。なによりも二三日停めておいた車が問題なく動いたのが良かった。変速機の問題はその後起こっていないが注意しているからである。停車するときの作動や音などに注意している。予想通り、立ち寄った洗濯屋は元旦まで休みに入っていた。二日に出せれば、通常ならば一週間、シカゴ交響楽団演奏会までには間に合うだろう。

車中のラディオは、祝日中に亡くなったドレスデンの歌手シュライヤーについての追悼番組をやっていた。興味深い話しは最初の録音の十字架合唱団の時にはヴォイストレーニングすら受けたことが無かったとのことである。本人の話し声で気が付いたのはその母音の明晰さとドレスデン訛りを感じさせないあまりにも明瞭な発音だ。またシューマン歌曲の歌唱に言及される。

フランクフルターアルゲマイネの追悼記事にはその点も触れられていて、sの発声やその強弱を土台としたシャープな発声に熱帯びたヴィヴラートで、そもそもヴンダーリッヒとは比較にならなかった声を補っていたとある。だから西側に出るようになって60年代中盤には慎重にタミーノ役などは避けられていたとある。知らなかったのだが、そもそもはそのカール・リヒター指揮でのエヴァンギリストが西側デビューだとある。確かに録音はそちらの方が多かった。

しかし個人的にはベルリンなどの宮廷歌手称号での引っ越し公演でのモーツァルトがその印象であって、少なくとも録音よりも生での方に印象が強かった。特に圧倒的に印象となったのはカール・ベーム博士の誕生日記念のザルツブルクでのフェランドの歌唱であって、まさに上に指摘のあるように力みかけてベーム翁に抑えられていたと柴田が書いていた通りだ。あれが売りだったのだ。

そしてそもそもドレスデンからベルリンへのキャリアアップの所でそれほどすんなり行かずに、ベルリンでの壁が出来て競争相手が居なくなったところで初めて頭角を現したと書いてある。なるほど、その声がそもそも金ではなく、銀の燻銀の光であってというのも、その後も英米ではパヴァロッティなどの様にはあまり評価されなかった原因とされている。

そこで評価すれば、なるほどヴンダーリッヒのようなセクシーさは皆無であり、幾らか甲高い声を童貞小僧の様に歌う様は飽きが来たことは事実だが、音程も定まりとても清潔感があったことも事実で、それが逆にそこから深みに至らないとされる批判点でもあったのだろう。

栗ザウマーゲンは文句なかった。敢えて改めて記しておくのは、茹で上がり時に保存袋を破くと小便臭さが漂ってきたことで ― 一キロの小さなものは胃袋の代わりに膀胱を使うので ―、しかしそれは最初だけで、切るときや味としては全く反映しない。恐らく一時間半ほどひたひたと温めておかないといけない理由は、中からそうした臓器の悪気のようなものが全て空気中に出されていく過程であると漸く学んだ。温めるだけならばそんなに時間が掛からないのだが、それが美味しく食するコツだ。

もう一点はヴィルジンクを炒めるときに焦がしてしまう事で、小さく切るか、湯掻くかを研究しないといけないと思った。特に味付けがいつの間にかマッシュポテトと同じようになって仕舞ったので、この点も来年への課題だ。透き通るように火を通した方が美味いかもしれない。少々焦がしても味はとても良かったのだが、味覚的に単調になる。もう一度調理するので、一度そちらを試してみよう。



参照:
胃袋一杯にしなくても 2013-12-27 | ワイン
胃袋がザウマーゲンに 2012-12-27 | 料理
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年末年始調整計画

2019-12-27 | 生活
来年の準備である。年末年始にお勉強しておかないといけない曲をリストアップする。「オランダ人」序曲、ヒンデミット交響曲「画家マティス」、「新世界」、スクリャビンファンタジー作品28、プロコフィエフ「サーカスマン」作品17、ファインベルクソナタ三番、シューベルトソナタD960、ショパンチェロソナタ、ポロネーズ、フランクチェロソナタ、バッハカンタータBWV45,78,118,198。

殆どの作品の楽譜は落とせたが、もう少し探す。全く知らない曲はプロコフィエフとファインベルクだろうか、その他に二曲ほどは確かめてみないと分からない。ジャンルや楽器編成なども様々で中々大変だ。

2008年産キルヘンシュトュックを開けた。ドイツで最高額をつけているワイン地所からのリースリングである。これを購入した時はミュンヘンの指揮者ツ・グッテンベルクが所有していたブール家の地所のリースリングからその醸造所で造られたワインである。更にヴォリューム感のある酸となった2008年産である。個人的には引き締まった鋼のようなリースリングが好みなので、あまり購入しなかったため最後の一本であると思う。しかし、その瓶熟成と酸の旨みからもう少し買っておけばよかったと思った年度であった。

実際に色目も黄色めで熟成は進んでいる乍全く弱くはなっていなかった。酸も量感も質も充分で熟成香などからはほど遠い。このフォルストの地所の特徴から玄武岩のニュアンスなど黒コショウ系の可成りのシャープさもあり、糖を落としている分熟成していても辛口だった。あと五年寝かしていても酸が落ちることは無いので全く問題が無かったが、逆に二日目でも広がってくるものは少なかったので大きな瓶熟成もすることは無かった。個人的には崩れる前にまだ若々しいうちに飲めてよかったと思う。

食事の栗ザウマーゲンの甘さには、本来はもう少し旨みの多い例えば隣の地所であるイェズイーテンガルテンのリースリングなどを開けるのだが、これはこれで質が高い分だけ食事も味覚を落とさずに食せた。それにしても雑食砂岩をベースにその他の要素が混じるこの地所が最高額で販売されるリースリングを輩出しているのは当然だと改めて思った。

祝日二日目には、ザウマーゲンの残りに今度は甘口リースリングの地所として有名なシャルツホーフベルクの辛口ワインを開けようと思う。グローセスゲヴェックスが瓶詰め後10年ではまだまだ熟成しない一方、通常のクリュワインが四年程でどれほど熟成しているか、そこも関心事である。付け合わせには、ヴィルシンクの残りを付け合わせ、またフェルトサラタぐらいだろうか。

祝日明けにはスーパーに行くが、週末へとどうなるか?ワインとゼクトを開ける予定も考えて、また手元の肉類を考えて行かなければいけない。歯の調子は矢張りもう逆行の可能性は無くなった。違和感はもうどうしようもない。年明けに抜歯してすっきりとしたい。こうなればもう積極的に先を考える方が得である。新年から再び本格的に身体を動かす準備をしよう。



参照:
高度差によるミクロ気象 2009-03-20 | 暦
既に遅しとならないように 2018-06-27 | 雑感
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待望される意思表示

2019-12-26 | 
月始めの扇子プレゼント、ニコラウスの聖日の前日の結果を記しておかなければいけない。効果がどれほど出るか出ないのかが問いだったが、効果は充分にあった。幾らここ数年の知り合いとは言っても、また口ではなんとかかんとか誘っていても、また例えプレゼントがクリスマスに掛けたものであっても、結構真面目に受けてくれた。

対応の可能性として幾つもの選択があった。一番手っ取り早く捌くのは礼だけ言ってあとは知らぬ存ぜぬも可能だった。なぜならば敢えてラヴレターとはしなかったからで、最大「また顔を見せてよ」ぐらいだったのだ。但し今までの付き合いから強引に親称で呼びかけて親称しか書かなかった。それでもそのまま顔見知りだけでそれで終わりにも出来た。

次の段階として、知らぬ顔は出来ないと、つまりそのプレゼントの意味をまともに受け取って、何らかの対応も可能だった。つまり、一番外交的には同じようにグリーティングカードを書いて、拒絶と共に精々一言だけ甘いことを書いておけばよい。もう一つ安っぽい対応としては、知らぬ顔で茶化してハートマーク位入れておけばよいのだ。

勿論電話してきて、何だかんだと言える。一番可能性が高いと思ったのはそのように電話してきて、その様子次第でこちらも対応しようと思っていた。それが意外なことに一週間以上経ってから、他の人もいる手前もあってかまるで用件があるかのように「忙しくて遅れたけど、電話掛けさせて頂きます」と話しかけてきた。これは想定外だったのだが、これで茶化して知らぬ顔をして「ありがとう」では終わらないことが確定した。このなんとも言えぬ二人だけの秘密めいた感じがよかったのだが、確率は低いながらも同時に思わしくない対応の可能性も残されていた。

そしてこちらも対応策を練っていた。そこで自分自身も気が付いた。嘗てならどこかに誘おうかとか何だかんだと思い浮かんだのだが、それ以上に女性の方に何か希望があるだろうかと考えるようになった。流石にこれだけは自分自身が加齢したと感じる場面である。要するにどこかに引っ張って行ってとかいう誘惑が起きないのだ。それでもなにもアイデアが無いのも困るのでネットなどでデート情報を集めておいた。予備の為である。

しかし一向に電話が掛かってこない。念のために転送電話の電話の鳴り方などをチェックしておいた。そして結局面と向かうのが電話よりも早くなった。勿論こちらから「もうそろそろ、クリスマスストレスから解放されるでしょう、電話待っているよ」と迫る。すると「もう少し落ち着くまで待って」と彼女は答えた。「落ち着いてね」と決して押し付けなかった。そもそも既に年月が二人の間に流れていた。ラヴレターを書くと宣言してから一年半ほど経過している。つまり、最早「用件」は表面的なことではなくて、電話であっても話すことは、そのもの二人の新たな関係の基礎になるという事だ。要するにその次の段階に至った。

彼女の気持ちがよく分かる。歌姫ではないので「歌に生き、恋に生き」ではないので、日常生活の中で新たな関係を作ろうと思えばそれはそれで自身の生活に影響してくる。何とよく似た二人なのだろうか?勿論、中々進まないこともあれば急激に親しくなってしまうこともあり得る。しかし、今回のそのやり取りがとても気に入った。自分自身の対応もとても良かったと思う。まさしくニコラウスの一日先にプレゼントを渡して、待望されるのはキリストだけではなく彼女からの意思表示という事になった。

なんと素晴らしい事ではないか。時間稼ぎもあるにせよ、そこになんらかの期待などをお互いに見るとなれば、それは希望でしかない。

クリスマス初日は、執拗にシュトーレンを食した。一塊5ユーロもしたが、一日中食せれたので満足だ。余りにも春らしい陽射しが輝いていたので、手不足から暫く磨いていないガラスなどを思わず拭いてしまった。特に窓のガラスは室内に長く射し込む陽射しの強さが違ってこれからの寒さ本番の暖房費に大きく影響してくる。10月から今までは陽射しが弱くなるばかりでそれほど関係なかったのだ。夏場は少々汚れているぐらいが丁度良かった。



参照:
水々金々日々、月曜日 2012-11-12 | 暦
一日早いニコラウス 2019-12-05 | 暦
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イヴの一日の感興

2019-12-25 | 
イヴにビキニタイプの切込みの下着を下ろした。スポーツ用に買ったがいざ履いてみるとやはり違和感があった。大きさはXLで丁度よかった。着用中は感じなかったが、逆に履いている感じも無かった。直にスポーツショーツを履いているような感じである。慣れがあると思う。ここまでの切れ込みのはそれほど使用していない。暫く使用して洗濯をしてからでないとその価値をとやかく言えない。

それで走りに行った。降雨の加減と暗さや朝焼けがあったのでパン屋も殆ど並んでいなかった。プレゼントにヌードルを貰い、最後の残りのシュトレンなどを買う。フェーン現象で寒くなかったが、森の中もいつもの常連さんぐらいで空いていた。特別に声を掛けて沢沿いの往復道を走り抜く。

そして肉屋に注文したものを回収しに行く。ここ二週間ほど列をなしていたが、流石に殆ど客足は消えた。回収出来なかったのはリースリングの煮凝りで、売り切れていたのだろう。あとはほぼ予定したものが手に入った。序でにフェットの薬草入りとベーコン肉を貰う。これで丁度いいと思う。

さてクリスマス祝日中の番組表などをリストアップした。イヴはどこの国でも放送局でも全休のようなものなので準備された録音が自動的に流されるようなものだが、祝日一日目の目玉はアムステルダムからのクリスマスマティネーの中継だろうか。14時から地元ラディオでコンセルトヘボーからの生中継、夜中になってから映像が出る。昨年はビュシュコフ指揮の「くるみ割り人形」だったが、今年はメスト指揮での第九である。クリーヴランドでの契約を延長したこのヴェテラン指揮者が今後旧大陸でどのような活動をするのかが注目されている。

祝日二日目は何といっても夜になってからのベルリンからの「眠りの森の美女」である。先日ヴィースバーデンを皮切りに、ミュンヘンと回って来て、月曜日にフィルハーモニーで演奏したものである。本番三日目となると音楽技術的に色々と不満だったソロを中心に統一してきているだろうかどうかが注目される。ある意味初日から技術的な破綻無く長い曲をこなした楽団の実力とユロスキーの指導力は評価出来たが、同時に回数を重ねて芸術的にどこまでチームを引き上げて来れるかで、この指揮者がミュンヘンの音楽監督としてどこまで期待出来るかが窺い知れると思う。評は大分良かったようだ。実際にヴィースバーデンでも大成功だった。

クリスマスイヴには先日フィラデルフィアからの生放送を録音した「メサイア」の一部を流した。ワインを飲みながらのBGMだったのが、色々なことをやっていたのが分かった。いつものようにクリスマスとの関連を舞台袖で話したりと、そのネゼサガンのフランクな解説が続く。欧州では物足りないかもしれないが北米ではこれ以上にはいないという音楽の紹介者に違いない。その分まだまだこの指揮者は成長して欧州でも活躍する余地を多く残していると確信する。バーデンバーデンでも御馴染の顔であるが来年は復活祭に参加して、今後はフィラデルフィアとも隔年ぐらいで定期的にやってきてほしいと思う。



参照:
絞りのフラクタル感 2018-12-26 | 文化一般
フルトヴェングラーの響き 2017-12-24 | 音
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クリスマスイヴの準備

2019-12-24 | 
朝から結構忙しかった。僅か二日間の休みで金曜日には正常化する。また年末の週明けも動く、だからそれほどではないが、それでも片づけることはある。フェーン現象で天気が悪くなりそうだ。先ずはイヴの早朝に走れるかどうか、雨雲レーダーを監視しなければいけない。

さて恒例のオペラアワードの投票といこう。先ずはコーラス、今年はそれほど大きなコーラスは聴いていない。一番大きかったのはフランクフルトのカロル王だろうか、しかしそれ程合唱に感心しなかった。マノンレスコーも舞台にも問題があったがよくなかった。オペラでなければ第九のベルリンの放送合唱団を推したいが、歌劇ではない。そうだ、「オテロ」のフィルハーモニアコールヴィーンにしよう。

指揮者はキリル・ペトレンコで間違いない。デザイナーはヴィリコフスキ―演出「サロメ」のマルゴルツァータ・セツォニアックでいい。演出家はそのヴィルコフスキ―よりも「死の街」のサンモン・ストーンを推す。教育・振興は思い浮かばない。女性歌手は何度でもアスミク・グレゴリアンを推す。フェスティヴァルは「オテロ」のバーデンバーデンで決まり。生涯作品はズビン・メータだ。男性歌手は「フィデリオ」の名唱でヨーナス・カウフマン、ニューカムマーに遅いかもしれないがロレンツォ・ヴィオッティを、新制作はバーゼルの焼き直しだが敢えて「死の街」を挙げる。劇場はミュンヘンで問題が無い。管弦楽団はハムブルクも推したいところだがやはりミュンヘンか。慈善活動ではオペラにおいては浮かばない。録音はそもそも知らない。再発見の作品は「ペネロープ」でいいと思う。世界初演は週末に放映されるアブラハムセンの作品を待ってみたい。若い歌手は無名の人は見つからなかった。

注文したバスタオルを片づける。足拭きマットが出来たので、今まで使用していた大判のバスタオルを足拭きに使わなくなった。新しいタオルは89x178㎝で可成り大きい。そしてずっしりと重い。なるほどまだ新品なので吸水性もよさそうで柔らかい。ソフトナー無しに洗濯してどのような風合いになるか。兎に角、髪の長い女性などには必需かも知れないが、男性にはそこまでという感じがした。今まで足拭き用に使っていたものではゴワゴワし過ぎで髪の吸水は難しいので、これはこれで使える。一度自分自身で使ってみないとその価値は不明である。



参照:
待降節の輝きの時 2018-12-24 | 暦
ガッツリといきたい夜 2019-12-19 | 生活
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歴史文化まで語る手腕

2019-12-23 | 
初めての指揮者ユロスキーの音楽、二回目のベルリンの最も古い放送交響楽団での指揮、二回続けて聴いた。今迄放送等で評価していた以上に幾つかの点に気が付いた。特に二回目は比較的関係が新しい管弦楽団で、辞めるロンドンのフィルハーモニカー指揮とはまた異なる面が見えた。

彼の言うチームワークという言葉が具体的に分かって来たと思う。この放送管弦楽団を生で聴くのは初めてなのだが、管楽器のソリスツなどはバイエルンの同僚には及ばないが弦のアンサムブルはそんなに悪くはない ― オーボエのボグナーニ教授は今まで聴いた女流の中で一番よく吹けていた、ロンドンのコッホより吹く。しかし、ユロスキーが敢えて指揮台を叩いて「おめでとうございます、拍手はここですよ!」と称えたコンツェルトマイスターやチェロの独奏などは恐らくバイエルンの方が上だろう。アンサムブルがプロシア風というか、同僚のフィルハーモニカーなどを彷彿させるものがある。所謂プロシアの規律というやつだ。

そうした管弦楽団を振って、第一曲のプロローグから二曲のとても興味深いアクセントと明らかにロンドンのそれよりも明白にそれどころか視覚的にも分かり易い形で表現される。また三幕でのトラムペットなどはよくもここまでロシア風の音を出させたなとその練習風景振りが気になった。

しかし、この指揮者がミュンヘンの前任者ペトレンコとは全く違うのは細かなことを押し付けない大らかさだ。特に木管楽器への指示はもう少し与えてもと思ったがとても大まかに吹かせておく。こちらがあまりにもペトレンコに慣れてしまったので正常な判断が出来なくなったかと思うほど、細かな表現の揺れはそのまま放置する。明らかにペトレンコの様に指揮棒で矯正が出来るのにと思うのだがやらない。その点からは、この人がヤンソンスの後任としてバイエルンに移れば本当に優秀な奏者がそこにいるならば間違いなくヤンソンス時代を超える。要するにチームワーク重視なのだ。

なるほど、家庭環境もそうであり若い頃から一流管弦楽団を振ったり客演したりを繰り返していると、業界の慣れが身体に沁み込んでいるのだろう。良い意味でも悪い意味でもコンサート指揮者慣れをしている。再来年からミュンヘンの音楽監督になるので、明らかに別の次元へと入って行く。気になるのは指揮の指示をどこまで出すようになるかで、歌手にだけでなくある程度出して行かないとやはり奈落では落としてしまう事が無いのだろうかと危惧する。

しかし、その反面、管弦楽団に特に技術的な冴えが無くても、音楽を表現させる力は抜群で、二時間以上の曲を全く緊張感を緩ませることなく指揮した。ヴェテラン指揮者の様に曲を良く抑えていると思わせる。最初の曲に続き何回か自然に拍手が沸いた。バレーを思い浮かべて拍手する観客もいたかもしれないが、それだけの音楽的な小山を幾つも作っていた。間違いなく、この指揮者はミュンヘンで大成功するだろう。それどころかバレーを振っても大きな話題になると思う。

予習では一幕は弱いと思っていたが、既に言及した様に音楽的な表現力は充分で、動機毎の描き訳が綺麗に浮かび上がり、二幕でも短調への扱いが劇以上にとても沢山の事を物語っていた。本番前に司会者が今回のこのプログラムへのユロスキー自身の編纂が世界初演で、続いてミュンヘン、ベルリンへと続くと強調していたが、ユロスキーのその音楽的な企画力はその効果で証明されていた。

三幕の「長靴を履いた猫」の所ではとても分かり易く、またポルタメントもとても効果的に使っていた。ポロネーズの扱いもとても自然で好感が持てた。チャイコフスキーにおけるグスタフ・マーラー的な側面だけでなく、ここではリヒャルト・シュトラウス的な管弦楽法上の扱いも作曲家自身が書いているように明らかになっていた。

そこでやはり気になったのは例えばコントラバスの刻みだったりと、まるで劇場の管弦楽団が弾くような若干お粗末な音も出ていたので、これは流石にミュンヘンの劇場ではもはや鳴りようが無いと感じさせる。我々からするとどうしてああいうのを放置するのかなという嫌いもあるのだが、客演などを含めてまたはモスクワの楽団などを振るとなると少々のことには目くじらを立てないというのが身に付いてきているのだろう。放送される月曜日の公演は演奏が良くなっているだろうか?

そして最後の王の音楽などがあれ程までに堂々と鳴らされると、一瞬にしてチャイコフスキーが帝政ロシアに於いてどのような位置にいたかなどがとてもよく分かるのだ。勿論とても夜長なコンサートの終わりにこうして鞭を入れて盛り上げる意味を熟知している指揮者であり、それと同時に音楽を通じて芸術を超え文化や歴史までを語る演奏会とする手腕は見事としか言えない。そしてチームの乗せ方も巧く、彼らへの気の使いようも尋常ではない。ドルニー支配人体制で空前絶後の大成功を期待したい。同時にヤンソンスの後任になるべく先ずはBR交響楽団でデビューして欲しい。



参照:
カジノの駐車場から帰る 2019-12-22 | 文化一般
交響曲をぶっ潰せ! 2019-12-18 | 音
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カジノの駐車場から帰る

2019-12-22 | 文化一般
ヴィースバーデンから帰宅したのは零時前だった。クアハウスの駐車場を出たのが22時30分前で、一度間違ってアウトバーンを降りてしまって、ホッホハイムの国道を走ってしまった。それでも写真撮影されることなく無事帰宅した。久しぶりのクアハウスだったので、そもそも地下駐車場に覚えが無く、前回訪れた時は露天の印象しかない。その時は上海の交響楽団か、アシュケナージ指揮のショスタコーヴィッチ四番だったと思う。こうして事情が分かると、またとは思わなくはない。夏にブッルクナー八番をゲヴァントハウス管弦楽団が弾いた時も考えたが断念した。音響とか席とかの価値が計れなかったからである。1450人収容のホールで今回殆どその疑問は消えた。橋工事などが無ければ往復30分ほどは早くなったと思う。来年の出し物次第である。

音楽会については後回しにして若干の印象を書こう。驚いたのはヴィースバーデンの客層でその質はあと回しにして皆背が高い。まるでオランダかどこかに来たように感じた。なるほどオランダ王室ナッサウ家は元々ヘッセン出身である。例えば同じ民族の地フランクフルトではそれほど感じない。理由は外国人だけでなくドイツ人としても民族が混じっているからだと思う。明らかに平均身長が違った。大多数が185㎝から195㎝程の老人ばかりで、女性も10㎝下げたぐらいだから180㎝以上の婆さんが沢山いた。要するに他の民族集団のプファルツやバーデンなどからすると10㎝程違うと思った。男性で175㎝以下は少数者だった。バイエルンなどは比較的大きい方だと思っていたがどちらかというとごついタイプでこのヴィースバーデンのようなひょろ長い系は本当に少数である。

クアハウスではコーヒーなど温かい飲みものがそこで飲めなかったのが一番痛い。その他は列が長いのも良くない。場内係員は悪くはない。以前の記憶が無いので最近気にするようになった点かも知れない。ベルリンのフィルハーモニーは前回はラトル時代の始めの頃なのであまり記憶にない。

駐車場は劇場とは別な様で、入る前から満車になっていたが一時間ほど時間があってあまり並んでいなかったので列に付いた。10分ほどで入れたと思う。露天も一部あるが地下が立派で新しかった。二層以上になっていたので400台か600台は入れそうだ。クアハウスには階段かエレヴェーターを上るだけで、別の奥の入り口から出ると劇場の向かい側に出る。夜間料金は7ユーロで若干高めだった。演奏会が二時間半ほど掛かったので、その前を入れると、3時間30分ほど停めていた。スぺースも前後左右に大きめで流石にカジノにやってくる客陣もロールスロイスやマイバッハぐらいは問題なく駐車できそうである。

帰宅して軽く食事をした。朝からもう一つ元気が無く大丈夫かと思ったが、午前一時過ぎに床に就いてぐっすりと眠った。外は霧が立ち込めて明るくなかったので起きたのは8時過ぎだった。魚のテリーヌは諦めて、パン屋に行って、何とか峠を攻めて走って下りてきた。かなり遅い速度だったが仕方がない。足れただけで充分だ。燃料は10リットル以上残っているので年末までは大丈夫だろう。エンジンオイルも出かける前に230㏄ほど足しておいた。次回遠出するときに残りの170㏄ほどを継ぎ足して、ハムブルクに行くまでに1リットル追加で発注しておけば大丈夫だろう。



参照:
年内最終のお出かけ 2019-12-21 | 生活
レヴィットのルジェスキー 2017-08-29 | 音



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年内最終のお出かけ

2019-12-21 | 生活
参考にしたヴィデオ「眠りの森の美女」がボリショイのものだと確認した。流石に程度が高い。NHKも金を出しているARTE制作のようだ。踊り子に関しては見分けがつかないが、程度が高い。指揮者のシニスキーとかいう人もプレヴィン指揮などよりも遥かにいい。組曲を洗ってみようかと思ったが、時間が無い。クリスマスに月曜日の公演の中継録音が出るのでそこまで引き延ばそう。興味あるのはチャイコフスキーの三幕における音楽の素材と扱いだけだろうか。

歯医者の予約をとった。来年の第二週である。予定通り進めば二月にハムブルクに行くときは全て完了していることになる。支払いは二月末ぐらいか?セラミックが可成り高価になるようだが、さてどうなるか?

兎に角、違和感と寒気がすると何はともあれ抜いておかないと厄介なことになると気が付き出した。ここの所の足の冷えとか、ゾクゾク感はあまり良くない。炎症を放置して一年以上経過するが、流石にこのままでは他の障害を起こしそうになる。

先日の車のギアーが変わらなかった障害について色々と推測した。レヴァーの所で切り替わらなかったので、その障害かと思ったが、そして動かすとネジ緩んでいるような音がした。だからレヴァーボックスを直接なんとかしようと考えた。しかし、最初のスタートの時からエンジンの係りが悪かったので、ギアーの本元自体が上手く外れていないと分かった。つまり掛けなおすことで直った。先日から同じような状況は二度目だった。要するにオートマチックのエンジンギアが引っかかるという事になる。ギアーが故障すればそれでそのまま廃車だ。ギアーのオイル交換などあるのかもしれないが、今後は停車してエンジンを切るまで注意してみたい。夏発進の時は起こらなかったので冬発進レヴァーが災いしている可能性もある。それともただ寒気で滑りが悪くなっているだけか?それならば温まれば元に戻る筈だ。一番困るのは自身の車庫から出れないよりも出先で動けなくなることだ。

さて、クーアハウスへの道を調べておいた。橋を工事しているような何回か渡らなければいけないので、多少遠回りして片道102㎞である。1時間15分が見込まれる。駐車場から直接ホールに入れるようだ。そういえば玄関の向かい側が露天になっていたと思うが、地下はあったろうか?20時に始まり全曲をやるとすれば、早くとも22時半は超えるが、本当だろうか?ユロスキーのコンサートは確かに放送でも長めな印象がある。

帰宅して、準備しておいたヌードルと、先のツナライスを温めて就寝となるが、土曜日の朝の一っ走りは問題無くても市には間に合いそうにない。何時に目が覚めるかも分からない。



参照:
実験的なバレー作曲なのか? 2019-12-20 | 音
ヴィール背中肉ステーキ 2019-12-16 | 料理
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実験的なバレー作曲なのか?

2019-12-20 | 
なんとか元気になった。出遅れたが、まあまあ短く走った。風邪ひきかけで、再び汗を掻いてから着替えるまで時間が掛かったが、暖かかったので何とかなった。更にいつもの牛肉ロール巻きを食して、これで大丈夫だと思う。歯を治療すれば再び活動できると思う。徐々に新春の香りがしてきた。

燃料も35リットル入れておいた。価格は132セントとそれほど安くはなかったが、これで月末まで入れなくてよいならばそれでよい。スーパーへの道のバイパスへの入り口で先日に続き事故を起こしていた。パトカーが停まっていて、通り抜けた。先日から最低四台はお釈迦になっている。霧があって、上り勾配で左折するので左から来た車に当たられたのだろう。時速70㎞制限だが、横から当たられると大破である。

チャイコフスキー作曲「眠りの森の美女」を一通り観聴きした。勿論その童話のアウトラインは分かっているのだが、楽譜と音楽だけでは分からないことが多かったのでバレー公演の全曲に眼を通すことにした。印象としては序幕の洗礼から呪いを掛けるところまでがもう一つ音楽的に冗長な感じがした。

音楽とは関係が無いが、今まで見たノイマイヤーや現代の出し物に比べて、腰廻しの動きが少なく前に対した踊りが多いと思った。クラッシックバレーというのを観たことが無いのである。実際ヴィースバーデンのコンサートでは選曲されて演奏されるが、一幕の編み物の情景、薔薇のヴァルスから四人の求婚者、魔女まで一時間の予定だ。

ここまで映像を観ていたら、ミュンヘンの後任の正雪さんはもしかするとバレーを指揮するのではないかと気が付いた。既に「影の無い女」は今年振っているので、再演を指揮するのは間違いがない。ペトレンコ指揮よりも上手く行くのではないかと思っている。ドルニーがとっておきの演出をさせればとても価値のあるバレー公演も出来ると思うようになった。

後半は二幕の百年後から始まり、狩りの情景である。観ている公演はペテルスブルクのに比べて中々よいのだが、なぜか王子の尻食い込みや腰転が多い。しかし後半は音楽的にもドラマがあって豊富だ。大体どのような情景なのかは分かった。

正雪さんの解説では、チャイコフスキーにとってのワークショップになっていて、交響曲や取り分けオペラの源泉となっていると説明している。「くるみ割り人形」と同じように音楽だけ完全に演奏してみる価値がとても高いだろうと話している。一体どんな演奏になるのだろう。

少なくもプレヴィン指揮の演奏は表層的で全く価値が無かった。要するにあの指揮者はエンタメ以上のことは全く出来なかったことがハッキリした。しかしとても薄い楽譜が書かれているところも少なくない。一体何を聴かせてくれるのか?とても楽しみだ。



参照:
記念劇場見学の日 2018-09-30 | 雑感
絞りのフラクタル感 2018-12-26 | 文化一般
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ガッツリといきたい夜

2019-12-19 | 生活
寒気がする。汗を掻いてから着替えるまで時間を空けたから風邪を引きかけた。食事も半日抜いてしまった。弱る筈だ。ここは何とか踏ん張りたい。先ずは金曜日を乗り越えないといけないので、忘年会は欠席である。それどころではない。また来週の26日木曜がクリスマス祝日二日目なので、その買い物予定も考える。つまり、遅めに一度スーパーに行けばクリスマス後まで頑張れる。23日月曜日に肉屋で注文したものを引き取り、当日か翌日に八百屋で終わりだろうか。すると年末はスーパーとパン屋だけだ。

先日届いた風呂場用の足拭きマットを使ってみた。先ずはマットの上にバスタオルをおいて使ってみた。一番違うのは薄いタオルがビショビショにならないので吸水力は絶大だ。足が乾いたままでスリッパを履ける。今までは水気を拭ってもそのまま湿ったままだった。やはり乾燥するのが幸せだ。問題はバスタオルの乾きは良くなっても一週間に一度は洗濯する。更に折をみてマットの方も洗濯するから洗濯量は若干増える。但し、バスルームのタイルは今迄よりも乾く。マットをどれぐらいの周期で洗濯するかだけだ。シャワーには使ったが、バスの時はどうかもその評価に大きい。

地元のごみカレンダーが配給された。いつも遅めなので気になって取りに行こうかと思うものだ。ここ数年はそこに出し物関連の予定を書き込んでいる。ネット管理もしていない。タブレットに入れたいところだが中々切っ掛けが出来ない。そこには生中継とかティケット発売日なども書きこんでいる。結構ごみの出し日とかとリンクしやすいのである。月曜日に売り出しの予定があったようだが、どうもヴュルツブルクのモーツァルトフェストの発売予定日だったようだ。先に連絡をつけていたので数週間早く入手した。

さて、あまりものでガッツリと食事をしてぐっすりと眠りたい。月曜日の煮豚汁で豚骨ラーメン生ニンニク、生姜付き。前日に続いてフェルトサラダに温めたツナライス。温まってベットに潜り込んで、明日朝一番で走れるかどうかだ。予報からすれば快晴で、それほど冷えない。金曜日は下り坂になるので、早めに燃料を30リットル、更に現金を少し下ろしておきたい。燃料は価格が安定している。年末年始は遠出しないので、目処が立つ。

あとは、歯医者の予約が済めば、税金の還付にもよるが、ノートブックを年末に発注する準備をしておきたい。クリスマスメールは週末に時間が出来るかどうかだけである。今週から学校と同時に休んでいる人を置く見かける。年始まで二週間少ししかないからだろう。



参照:
年末大当たりは要らない 2019-12-03 | 暦
運動しやすい下着をつける 2019-12-13 | 雑感
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交響曲をぶっ潰せ!

2019-12-18 | 
アルテオパーでショスタコーヴィッチの交響曲11番を聴いた。今迄生で経験した「レディーマクベス」や交響曲4番、8番などに比較して最も意味深かった。理由は幾つかあるのだが、何よりもショスタコーヴィッチの交響曲の存在価値を初めて確認出来たからである。それはユロスキー指揮の演奏解釈ゆえにである。

具体的には、一楽章のマーラーのパロディ風の軍隊ラッパよりも弦の動機をしっかりと正確に描くことで、三連譜の運命の動機的なものと対旋律のフルートで歌われる革命歌から低音弦での歌へと運ばれる楽想が、なぜかムラヴィンスキー指揮の演奏では殆ど無視に近いことに気がつく。今回は、ここで立体的に動機を組み合わせて描き出すことで交響曲としてのその品位が全く変わってしまった。第二楽章アレグロの歌のアーティキュレーションの付け方も明白で的確だった。その動機がしっかり定着していると、クライマックスでのサウンドトラック風音響が全く安物にならない。そこだけでもとても感心した。要するに楽譜をしっかり音化すれば、若い時から頂点にいた五十歳になった作曲家の11番目の交響曲はそんなに酷くはならないという事実だ。如何に皆が楽譜からいい加減な音を出しているか!勿論低音の動機もそこで活きてくて、交響曲としての立体感をとても与える。そこからアダージョへそしてクライマックスへと向かって、そして再びアダージョで歌の変奏となる。一面、とても交響楽的な構成を呈する一方、構造を壊して行く訳だが、それがこの政治的な雪解け時代の1958年当時の西欧的な非構造に連なる。その通り対外政治的にはハンガリー動乱の時の作曲である。

当夜のプログラムにはこの曲と西欧との繋がりが指揮者のシェルヘンを通じて革命歌の翻訳までされたとあり、また当時の状況をゾロモン・ヴォルコフの著に求めている。その内容に関しては今更触れることは無いと思うが、但し一つだけ重要な記載があった。それはショスタコーヴィッチの言葉でなくても誰の言葉であってもその意味合いは変わらない。つまり、若くして認められた天才的な作曲家にとっては交響曲を書くことが仕事であり、唯一の命綱という事であって、なぜ十五曲も交響曲を書いたかの答えは明白だ。そしてその枠組みの中で一体何をしたか?先ずは交響楽的な作曲であり、同時に後世の人がみてもその作曲意思を理解できる作風という意思だろう。

そして最も旋律がなじみ深いアダージョへと、ショスタコーヴィッチピチカートというか馴染みのそれが導入する。要するに旋律から歯が抜けたような表現で、そこがユロスキーの演奏解釈で取り分け素晴らしかった。クールにやや即物的に歌い切るアダージョ旋律へとの恐らく核心的な箇所であった。一番それに近い作曲は、丁度ハンガリーのスターリニズム化でスイスへと逃げたサンドール・ヴェレシュの曲を挙げておけばよいかと思う。そして最後のヴィオラ陣の力のある見事な歌 ― ヴィオラ陣のみが立って喝采を受けた。

そしてトンデモ主題の最終楽章で崩壊、そしてアダージョ回帰してからのクライマックスでの鐘の響き ― 丁度舞台下手奥のその鐘の上に耳があったので特に印象に残ったが、正しくそれは大きな落ちだった。ユロスキーは、ヴィーンやドルトムントでの様にヤンソンス逝去の事どころか一言も舞台で演説しなかった。香港にも言及したというが、それは差し当たってハンガリー動乱へと遡るだろう。しかしショスタコーヴィッチの音楽はどこまで行っても純音楽的に形を整えて、そしてほぼポストモダーン風にぶっ潰すという交響曲である。なぜそのような作風になったかはその状況から余りにも納得しやすい。ヴォルコフ著「ショスタコーヴィッチの証言」で述べられていることは、交響曲をプログラム音楽として理解しようとしない限り、その伝聞は全く音楽の理解の邪魔をしない。それどころか周辺状況の重要な資料となっているかもしれない。要するに、「交響曲をぶっ潰す」を理解するかどうかでその創作への評価が変わるだろう。それならばあの中間世代の指揮者陣が曖昧な表現をした背景はどこにあるのか?

初めてのユロスキーの指揮であるが、決して一流ではないロンドンのフィルハーモニーを上手に指揮していた。否、長い関係の中でそれ以上に技術的な精査も求めずにチームワークをモットーとして音楽表現をしてきたのだろう。楽員も老朽化していて、後継者が若返りを図るのだろう。

一曲目のイタリア人女流ピアニストのラナは放送では聴いていたが、到底ルツェルンで聴いたユジャ・ワンとは比較にならない。技術的にはどこまでキャリアを伸ばせるか微妙なところでもある。そもそも管弦楽団も練習出来ていなかった様でベルリナーフィルハーモニカーを出すまでも無く二流の演奏だった。

ユロスキーの指揮も、キリル・ペトレンコとは比較にならないが、身体をねじったりして上手くテムピの変化を作って決して悪くはなかった。そして何よりも音楽表現が明晰で、なるほど拍手喝采の最後には総譜を持ち挙げるぐらいに楽曲をよく勉強して、表現する実力は間違いない。その口ほどには実践していることが確認できた。ミュンヘンの監督として大きな飛躍が期待される。間違いなくもう一つ上の管弦楽団を振るようになるだろう。将来はシカゴぐらいでも振って欲しいと思った。



参照:
ヴィール背中肉ステーキ 2019-12-16 | 料理
パロディーで落とさない 2019-12-14 | 雑感
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年末年始のリストアップ

2019-12-18 | 
金曜日に「眠りの森の美女」だ。つまり火曜日には一通り目を通しておかないと始まらない。試料を準備している。当日のプログラムによると一幕はフィナーレまで、二幕は14番からフィナーレまで、三幕は22番から23番、25番を抜かしてフィナーレまでとなっている。編はユロスキーとなっていて、それは当然だろう。ヴィデオでの解説ではそれが作曲家の書いた全曲だという。組曲とは異なることは分かるが、幾つかのナムバーが抜けているのはなぜか?

また金曜日も特安席で舞台の横である。上手く指揮が見えるかどうかで舞台は一部しか見えない。写真撮影は目立たないので充分出来そうだが、指揮の正雪さんと顔が合いそうだ。フランクフルトでは完全に目が合ったので、同じ服装ではまた目に付く。いずれミュンヘンでという事にはなるのだが、そこまではまだ早い。まだ彼の言うチームには入っていない。残券は大分あるので後半移ることは可能だが、さあどうだろう。

服装はそのままで行こう。天気は少し悪くなりそうで、駐車場から少し歩かなければいけないので、コートは要るかもしれない。もう一日忘年会に出かければ、それで洗濯屋行きで、今年は納めとなるか。

同時に年始の予定を見るととても混んでいて、お勉強だけでも大変だ。先ずは、シカゴ交響楽団演奏ヒンデミット交響曲「画家マティス」、新世界交響曲、アムランのピアノでスクリヤビンロ短調作品28、プロコフィエフ「サーカスマン」作品17、ファインベク三番ソナタ、シューベルト変ロ長調D960、そしてワンのピアノ伴奏のショパンのチェロソナタト短調作品65、序章とポロネーズハ長調作品3、フランクチェロソナタイ長調、更にヘルヴェッヘ記念演奏会バッハカンタータは会のオリエンテーリングに参加で良いだろうか。一週間中に四回のコンサートは限界である。年末年始に準備しておかないと何が何だか分からなくなる。

肉屋にクリスマス、年末年始の注文をしておいた。昨年の注文票のバックアップデータを開けて書き換えるだけだ。肉屋は第二週から始まるので二週間ほどしか休まない。だからその期間に食せるものだけを注文する。昨年の印象からすると、最後に片づけるのが結構大変だったので、少し量を減らした。運動量もそれほどではないのでそれで充分である。そもそも飲んで喰っての精神的な余裕もあまりない。

一番の相違は以前ほど何が無くて困るとかいう恐怖心が無くなった。徐々にシムプルライフが身に付いてきたようで、無駄に暴飲暴食をすることも無くなった。精々、今週末辺りから年始にかけての開けるワインのリストアップをするぐらいである。それも蔵に量だけはあるが、急いでこれを開けなければというものは少なくなった。

ヴィールの肉に合せたロベルト・ヴァイル醸造所のテュルムベルク2015年はまだまだ若かったが若干微妙な熟成期だった。酸が弱った分新鮮味が落ちる一方、まだそれほど綺麗には瓶熟成とはなっていなかった。フローラルな感じは二年ほど経つと出てくるとは思うが、同時に熟成香も出てくるかもしれない。グローセスゲフヴェックスではないので木樽の使用率も限られていて、安い分、飲みどころの選択は通向きだ。ご進物には使い難い。勿論全然悪くはなく食事を楽しむには最高だったが、リースリング熟成の奥は深い。



参照:
酔狂の二本のリースリング 2016-10-05 | ワイン
破瓜する死の恐怖の興奮 2013-02-06 | 文化一般
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