Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

待降節から大晦日へ

2022-12-08 | 
体調を崩した。一日はあまり空腹もなく、その前日には喉に少し来ていた。主にランニングの時に風邪ひき症状にもなっていた。流行りものというよりも季節の変わり目の通常の風邪風であり、コロナ前には頻繁にあったものだ。若干微熱気味で喉も腫れてきている。要するに平常化した感じに強く、コロナ期間はこうした素直な風邪は一度も引かなかった。

走り終えて食欲も出ていて、もう回復期にあるのだろうが、熱だけを下げたい。恐らく明日にはまた走れるだろう。

来週始めに床屋の予約を入れておいた。前回は9月末だったので又二ヶ月伸ばし放題にした。来週は冷えそうで、完全に冬装備となりそうだ。積雪と降雪を覚悟しなければいけないので、ミュンヘンでの宿泊を一晩伸ばす可能性も考える。もう少し様子を見てみたい。若しくは帰路での宿泊も考える。往路は時間さえかければ何とかなる筈だ。

兎も角本格的な冬型となるので散髪しても寒いだけなのだが、上手くいけば来年の謝肉祭前ぐらいまでは伸ばせておける。年末年始はゆったりと過ごしたいものである。

生やしっぱなしの髪と同じように森も伐採してやらないと駄目になる。先日の樵作業は倒木を整理したというよりも伐採していたのが走りながら分かった。谷が凄く明るくなっていた。こうなれば森の健康が保たれる。だから道端に下されてた木材よりも森の中で倒れている丸太の方がいいものがある筈だ。直ぐには作業せずに暫くしてから林道迄下ろしてくるのだろう。春は春で動植物の動きがあるので何時頃作業するのだろうか。その谷にはそれほど頻繁に足を入れていなかったのだが、伐採作業に記憶は今迄なかったので興味がある。

環境活動「レッツテゲネラチオン」つまり最後の世代という意味だが、来月6日まで再犯防止予備拘留処置が裁判所で認められた。厳密に為されなければいけない処置であるが、再犯意志がある所での処置は仕方がないだろう。

少なくともこちらが出かけるファミリー公演の「ヘンゼルとグレーテル」だけ邪魔して欲しくない。子供たちの前で繰り返しても目的が違う。しかし「ローエングリン」には何かそうしたアピールが合いそうだ。

そのファミリー公演も残り19席ほどになって来ていて、一席一席売れていくのがとても喜ばしい。恐らく一人暮らしの大人の常連さんなどが適当な価格を見つけて購入して行く。最高額席も通常売りで売切れそうで、その後に特別席の戻り券も出てくるだろう。

今年はクリスマスから年末にかけての催し物も予定しているのだが、そういう時にどのような人が劇場などに足を運ぶのかがとても興味深いのである。その前にバーデンバーデンではミュンヒナーフィルハーモニカーが来援して、ガランチャの歌でマーラーの交響曲三番が演奏される。しかし全く売れていないので安売りのオファーが来た。しかし自分自身のこの催しものへの予算ではいい席がなかった。半額でも選べない席や公演であるから倍では売れる訳がない。ミュンヒナーフィルハーモニカーはもう少し払ってミュンヘンに聴きに行く。



参照:
朝食のガチョウ脂 2022-11-25 | 料理
独FBIの方からの電話 2022-09-29 | 暦
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旦那のコンセプト

2022-12-07 | 文化一般
承前)新聞評等が出揃ってきている。未だ演出に関しては敢えて目を通していない。しかし音楽的にはほぼ定まってきているだろう。様々な表現があるが肝心主役アスミク・グリゴーリアンがどうであったか。その芝居に続いて歌唱となっているように、又その短いアリエッタ以外の独唱がないことからも、又旦那の演出家が語る様に実は伯爵のキャラクターがこのオペラでにおいてチャイコフスキーで唯一無二の存在である。だからタイトルロールをその狂言回しの中心人物とする評もある一方、自立した女性の自由を体現するアトリエを営んでいる役柄ともなる。

よって、ドイツ語訳の「魔女」は誤解を引き起こしロシア語で「チャロデイカ」即ち「魅了する女」となる。要するに魔性の女ではなく、ボヘミアンなアウトサイダーで、皆に優しく、自由なクラブを営んでいる未亡人なのである。だから教会権力の伯爵の側近の敵の立場となっていて、演出家はこれをして二分化された世界としている。

つまり、グリゴーリアンの今回のこの役作りは、否それ以前に企画から特別な様相を呈していた筈だ。新聞が伝えるところによるとプログラム紹介の記者会見において、支配人はこの企画が彼女からもたされたと語ったようである。

そして今更既にベルリンで大成功している「オネーギン」を彼女がまた歌っても仕方がないということだったらしい。当然の事ながら彼女の提案には若い旦那さんがいたわけだ。そのことが一貫して、その演出のコンセプトの実現化という意味ではそこに彼女がいた。そしてまさしく主人公のそうしたキャラクターを体現する彼女がいた。

第一印象からして、彼女が新たな境地で演じたこの役は、まだこの後の成功の度合いにもよるがとても重要な舞台になることも間違いない。舞台とはそうしたものである。

この作品は最初から聴衆に受け入れられなかった理由は幾つか。チャイコフスキー本人も語っているようだが、その芝居の在り方にも起因しているのだろう。

そして旦那さんがプログラムで語っているのだが、上述したような伯爵が最初は軍人として聞く耳をもたない存在であったのが、彼女への愛を以て学んで変わっていくというのだ。しかし三幕においてセクシャルハラスメントへと進むことで、瓶を割って首に突きつける彼女にたじろぎ逃げる。しかし彼女はその様子を見て伯爵を恨む。些か矛盾する場面だったと思われる。偶々隣に前半に座っていて色々なお話しをしたお母さんの娘さんが入れ替わって座った。娘さんは休憩中に私のことを母親から聞いていたのだろう、態々耳に近づいて話しかけてきたのだが、この場面をどのように観ていたのだろうと関心を持っていたのは事実である。旦那さんは意外にプログラムでも全てを語り切ってはいない。

またこの物語の原作の舞台は15世紀なのだ。いつものようにチャイコフスキーは自らの時代をそこに投影させることで舞台としている。芝居とはオペラとはそういうもので、ト書きがその創作の真実などでは決してない。そもそもチャイコフスキーの音楽を15世紀の舞台に流すような馬鹿者は今日の舞台芸術の世界には存在しない。つまり舞台の時を今日にしても何ら読み替えでも何でもないという事である。劇場とはそういうものなのである。(続く)



参照:
賞味期限を早める試み 2022-11-03 | 文化一般
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
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再訪問は未定の「魔女」

2022-12-06 | 文化一般
フランクルトの新制作「魔女」、再訪問は未定である。演出家がアスミク・グリゴーリアンの現在の旦那ということで恐らく彼女も最後まで舞台を務めるだろう。だから新年も最終公演までは出る可能性は高い。歌手陣も、演出も悪くはなかったのだが、指揮には最終的に失望した。

その指揮者ウリューピンはショルティ指揮コンクール優勝で、上の演出家とも「死の都」なども振っていて、左手の使い方はキュー出しから小まめであり、劇場指揮に慣れている様子だった。同時にゴリゴリと奈落の楽団を鳴らすのでこれは楽しみだと思った。

なるほど、フランクフルトの座付き楽団の鳴り方としては、昨年のエンゲル指揮以来の鳴りであり、流石に身体も大きく力のある指揮らしかった。しかしそれも一幕の終わりの合唱あたりから舞台と奈落の統制が今一つでキューを出しているほどには精妙ではなかった。

二幕が終わっての休憩ではいつものロシア音楽で退屈で仕方ないという声も聞こえて、その責任は一本調子の指揮にあるのは確実だった。そしてあまりにも大味過ぎるというのである。まさしくこの指揮者の仕事はアインザッツを合わせて、バスの上に重ねる事での音響を作ることにしか意識がないのがよく分かった。

なるほど最初の序曲からして悠々とした音の運び方は悪くはなく、それはそれで魅力的なのだが、音楽的な瀟洒さも全くなく、ピアノからフォルテ迄三種類のダイナミックスを様々な楽器編成で描いているの過ぎなかった。

リズム的な精査も恐らくロシア系の指揮者としては標準的であって、キリル・ペトレンコの様にグルーヴさせることもできないようで、指揮者コンクールはただただ音を鳴らすことだけで優勝したのだろうと思わせた。

経験もムジカアテルナなどで十分にありそうなので、この指揮は今後とも変わらないだろう。ロシアものを得意としていると紹介もあったのだが、こんなロシアものは誰も喜んで聴かないと思われる。

さて作品の紹介と制作のアイデアに関しての話しは興味深かった。来年九月に初めて校訂版が出る様に、この作品がロシアでも国外でもあまり演奏されずに真面な版もなく取捨選択されていたというのは、二つの録音を聴いていても分かっていたのだが、まさかそこ迄とは考えなかった。

その原因には、今回の制作で歌詞に手を入れたとされていたように、元々のテキストが文学的な価値が無く酷いものであったというのはテロップを読んでも分かった。だからチャイコフスキーがその芝居のディアローグによって制作動機になったというのは、勿論物語のプーシキンなどの全体性や文学性とは異なるということを示している。

このことは実は、今回の演出のコンセプトにチャイコフスキー独自の同性愛などを中心においていないという事に通じていて、この制作の評価にも大きく影響すると考える。(続く)



参照:
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
金持ちのチャイコフスキー 2022-11-29 | 文化一般
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ビキニポール踊り予約

2022-12-05 | 生活
日曜日のチャイコフスキー作曲「魔女」新制作初日に出かけた。その前に並行上演の「マノンレスコー」の券を確保しておいた。初日シリーズの好評を読んで、初めてアスミク・グリゴーリアンの声を聞いたのだった。今回は五月のキャンセルがあったので、又再演ということで、何回ぐらい出てくるかは不明だ。しかし、日曜日の初日直前のオリエンティーリングでも一月間新制作と再演で歌うと説明があって少なくとも年内はフランクルトでお目見えで、それは間違いないのだろう。

だから安くていい席二枚が売れる前に一枚を確保しておいた。万が一彼女がキャンセルしても人に出かけて貰える。リスクマネージメントを兼ねての席を押さえておいた。しかしもし彼女が予定通り歌ったら凄い価値がある。演出も秀逸で彼女の個性や演技に大当たりという意味では、少なくともヴィデオ等が残っているものでは上位幾つかに入ると思う。要するに大ヒット制作であるとともに、ビキニでポール踊りをするなど流石に彼女でも十年後には役作りに無理がでる。

やはり普通の芝居や映画などと同じで、その役をどの様に作って、自らの個性とともに歌手の場合は歌い切るかが勝負であって、勿論終幕の一人砂漠での最後の一息はプッチーニのオペラの中でもこれという場面である。

そして今回は初日シリーズのヴィオッティ―とは変わってリトアニアの指揮者でザンクトガーレンで振っている人が受け持つ。恐らくアスミク・グリゴーリアンと共演経験のある指揮者なのだろう。

さて問題の初日に関しては詳しく書きたいが、やはりネックは指揮であった。演出に合わせて、今回は彼女の歌も演技もまた違う次元へと入ってきていると思われた。謂わば熱唱型でなくて、どのように役を語れるか。

駐車時の事故問題。先方は修理見積に、バムパーの傷やその上の塗装の傷みまで加えてきていて予定額の十倍を請求された。しかしバムパーの方はその時に確認をして新しい傷でないと思い、特別に写真も撮っておいた。新しい掠り傷等もないことを其処で確認していたからだ。更にこちらの車でその形状での凸がない。塗装傷に関しては可也尖ったもので、バムパーのエッジと同一のものが当たった感じで、恐らく工事資材か何かだろう。

電話の感じでは先方が悪意で指摘しているとは思われないので、先方が納得できるように分かり易く懇切丁寧に説明したいと思う。こちらも心配になるので雨中フランクルトに車を走らせる前に自車の現状を撮影しておいた。流石にこちらのバムパーが赤いラムプを割ったところはピグメントの赤い点が二つ以上見つかった。つまり殆ど垂直に当たっているということで、他の場所をこすった形跡は殆どない。当てて直ぐに音に吃驚してバックしたからだ。

それでも納得を得るための説明と、こちらもはっきりさせたいので、先ずはこちらのその赤い点とその上下前後の写真と、赤い点までの地上高を提示する。そして先方のバムパー傷や塗装傷迄の距離や地上高を提示させる。それで出されてこちらも調査して何もなければ、先方が理解するか、専門家に鑑定させようが結果は変わらない筈だ。先方が二点を指摘してくれたことで話しははっきりした。



参照:
法人口座の調査終了 2022-11-30 | 生活
初アスミク・グリゴーリアン 2019-10-11 | 女
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初日迫る「魔女」に想う

2022-12-04 | 
フランクルトの新制作「魔女」の初日が迫る。燃料を入れてきた。この辺りは未だ明け方ぐらいしか零下にはならないので不凍液も不要だ。摂氏三度ぐらいならば本当は夏タイヤでも走れるところだ。

18時開演で17時半からレクチャーとなるのでやはり17時前には入庫となる。日曜日なのでシティー渋滞も無く走れるのでゆっくり時間を掛けて走ればよい。プレス席などの残券が出ている。こちらの欲しい席は定期の人に握られていて入らないのだが、少しだけ色気があったのは最前列の横の方だ。歌手だけでなく指揮もよく見える。ただし初日は安い日に比べれば四割り増しほどなので少し高過ぎる。少なくとも歌手目当てとなると何が起こるか分からないので大きなリスクは背負えない。

アスミク・グリゴーリアン自体は既にパトロンの舞踏会に顔を出していたようで準備万端の様であるが、脱コロナ期でもありやはり出てくるまでは分からない。嘗てフランクフルトの支配人が比較するマリアカラスの場合の様な難しさはないのだが、それでも二度振られているのでそこ迄は安心ならない。

初日の様子でこれはと思えば追加購入する可能性はある。その判断に大きな要素を占めるのは第一にグリゴーリアンの調子と間違いなく出てくる意気込みが感じられるか、第二に指揮者である。指揮者が良ければ誰が歌ってもある程度の水準に達する。特にこの曲は管弦楽法的にヴァ―クナーを継ぎながらもマーラーにも近い。敢えて言えばスークなどにも繋がるだろう。

なるほど「スペードの女王」の様な音楽的な表現というよりもバレー音楽とかそうした情景の上限も多いのだが、中々効果的であって、ネットではそれ程演奏できている録音はない。上手に演奏すれば可也の効果を生ずる音楽で、最早チャイコフスキーオペラうるさ方からすれば、ちゃんと演奏してくれと言いたい。

一幕のフィナーレなどは重唱も決め手で、また弦の重音など「ローエングリン」だけでなくてレティタティーヴの挟み方などにヴァクナーを髣髴させる。オペラ愛好家にはヴァ―クナーとその後のリヒャルトシュトラウスなどの間が中々繋ぎ難かったのだが、ドヴォルザークなどよりも遥かに流れにある。

主役のクマの歌詞もとても多くて、グリゴーリアンもロシア語だから軽く歌えるのだろうと思う歌詞があると同時にダイナミックスをつけたりで、録音等では出来ていないところが彼女の声で脳裏に響く。歌手も彼女ぐらいになるとどの様に歌えるかは予想可能であり、まさしく楽譜を音化するのを期待すると同時に芝居の中での演出の通りの身を持った表現を待ち侘びるしかないのである。

要するに魅力満載の舞台となることは大いに期待されて、並行上演の既に観た再演「マノンレスコー」の良席との兼ね合いがどうなるのか。「マノンレスコー」にもう一度行くなら「魔女」にももう一度行くことになるのではないか。日程とか、可能性とかを色々と想定している。



参照:
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
金持ちのチャイコフスキー 2022-11-29 | 文化一般
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インタヴュアーの実力

2022-12-03 | マスメディア批評
数時間も銀行の案内電話で苦労した。結局用は為さなかったが、何が起きていたかははっきりした。少なくともここ10日ほどは税務署ではなくて銀行によって口座が一部閉鎖されていることになって、不当ということで苦情を書いた。最悪な状況にはならなかったが、それでも金の流れが止められると信用問題である。

どうも閉鎖の最初に税務署に支払った額が見落とされていて、それをデポする義務感で動いている。明らかに誤りなのだが、どうして銀行がその様になるのか分からない。兎に角、担当者が当分はいないので代行者にメールを出しておいた。初めから分かっていたら電話でつつくところだったが、電話は引継ぎされていなかった。この辺りが人員を減らす大銀行のサーヴィス低下を表している。週明けにどれだけ早く解決されるか見ものである。

土曜日に初日が生中継される新制作「ロ―エングリン」の指揮者ロート氏が別のインタヴューを受けて、こちらは質問者も気が利いているのか、より本質に迫る回答をしている。もしかして私の批判を読みましたかとなる。

先のインタヴューアは日本で好評発売中の亡くなった指揮者ヤンソンスの本の著者でオペラ批評を書いている人であるが、なぜか突っ込めていなかった。しかしここでは先ず話しの最初に皆はリヒャルトシュトラウスを期待していたのではないか、なぜヴァ―クナーをとまさしくポイントを突く。これだけでヴァ―クナーはケントナガノも失墜した様に難しいぞ、特にヴァクナーの本拠地でとなる。その様に尋ねると、先も話していた古楽器演奏と新しい音楽への興味があってというのが意味を成してきて、リゲティの響きの先駆と考える序曲のイ長調のフルートとオーボエとヴァイオリンの判別できな音色となって来て、抽象的な話ではなくて具体的な聴きどころが流れてくる。そして実際に繰り返し繰り返し楽団にその音色を思い浮かべてくださいと指示していたとある。答える方は同じ調子でも質問の仕方や文章で纏めるときの方法で全く意味が変わってくる好例である。

ドルビーサラウンド効果に関しても、自身がパリにオペラでその他のヴァ―クナー作品の舞台音楽をフルート奏者として全て経験したというのも活きてくるのだ。要するに具体性とその思考のありどころが掴める。

そしてエルザの登場の衝撃は、その沈黙と管弦楽でもあり、パリでは管弦楽に背を向けて振っていたのを初めて手前で振るようになったとしていて、そのここでも先日チャイコフスキーで触れたようにレティタティーヴのやり方に言及。これならば私が求めていたことを全て暗示している。勿論フランス人指揮者にとってはその影響はチャイコフスキーに見るのではなくてドビュシイーの「ペレアス」に見ている。

そしてヴィヴラートの掛け方でも座付き楽団の方からサジェスチョンもありと、健全なあり方として捉えられる。こうなるとそのコンセプトに関しては熟れているものとして、残るはイントネーションの問題とオペラ指揮上の技術的な精査となる。指揮に関してはある意味分かっているので、それ以上期待出来ないがラトルなどの素人指揮よりも舞台へとしっかり指示を出せるかなどとなる。

30小節の聖杯の語りは、主役の声の為にも通常通りカットされる様である。出かける前にこれぐらいは想定するというお話しだ。



参照:
"Ich habe Wagner neu kennengelernt", Robert Braunmüller, AZ vom 2.12.2022
あまり立派でない素材 2022-12-02 | 文化一般
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
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あまり立派でない素材

2022-12-02 | マスメディア批評
樵作業は終わったらしい。先週末以来で緑のベンチまで走れた。短い距離だがそれでも高度差があるので足の調子が誤魔化せない。走り始めは重症だった左足が具合が悪く力が入らなかった。右足で蹴った。すると完璧に感じたが、どこかで指が痛みだした。その時は左足が正常化していた。両足が悪くなれば走れないが何とか変わり変わりに治る。

先週末に走った時には無理な姿勢で膝に来ていた。それが今回は全くなかった。速度は若干上がり気味だがまだまだで、寒さで怪我をしない様にしたい。全快のワイン地所に続いてパンツを履いたまま走った。林道の脇にひん曲がったようなあまり立派でもない木が幾らか横倒しに置いてあった。

クレディットカードがまだ通らない。銀行も担当者に繋がらないので、圧力を引き続き与えなければいけない。しかし来年支払いの宿などは他のカードを使って予約したりして、出物があるうちに押さえておいた。

「ローエングリン」を指揮するロート氏が地元の評論家ティーレ氏のインタヴューに答えている。質問も内容もなのだが答えていることが如何にも馬鹿らしい。そして劇場が小さなヴィデオセクエンスを出して、そこでラウムクランクを語っている。その内容がペラペラで既に言及した様に、ヴァ―クナーへの道をバッハを対抗軸に置きながら、ベートーヴェン、ヴェーバー、シューマンを通してとして、そこからリゲティからの関連を発言。ストラスブルク出身のオルガン弾きの息子で、フランス人ならばこうした非論理的な議論は慣れない外国語を話しても起きるのはおかしい。

ラウムクランク以前に音楽の場を語っていた指揮者であるが、益々その見識を疑わすに十分だ。ペトレンコらと同年配なのだがこうした矛盾のある論理的でない話ばかりしていると、SWRの前任者クレンツィスと変わらないことになる。

以前は、「カラヤンやティーレマン指揮のリヒャルトシュトラウスは風呂場の鼻歌」と語っていたが、なぜかこの人はその音楽的なエッセンスまでは語らない。ハースの四分音のピアノ協奏曲などに関しても楽譜の表紙に書いてある様なことは語ってもその序文までには至らない。

語学力に拘わらず明らかなアイデアがあれば幾らでもその核を上手に話せれる筈なのだが、全然駄目なのである。口が巧い必要はないのだが、いい指揮者は考えながらでもいいことを発言する。誰にでも分かる言葉である必要もないが、分かる人には具体的に分かるだけの言葉がこの指揮者にはない。

キリル・ペトレンコが新しい道を拓いていたからその伝統ある楽団でも未だ更についてきてくれるという意味合いの事を語っている。こうしたところに、自身の楽団でやっているように、まるで自身が新しいことをやっているというような勘違いが感じられるのだがどうだろう。ドイツ語の表現力が羨ましいと合唱団に語ったというが、それが自身のものとなっていなくて、ああした大舞台でヴァ―クナーを振ろうという気が知れない ― 引き受けるか熟考したとは語っているが。50歳を過ぎた実力派としてはその発する言葉があまりにも軽い様に思う。さて土曜日の初日がどうなるか。



参照:
„Ich liebe Deutsch“: François-Xavier Roth, Markus Thiel, Merkur.de vom 1.12.2022
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
三大氏神下しへの可能性 2022-10-19 | 文化一般
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みんなみんな狼だか

2022-12-01 | 文化一般
週末は二つの新制作初日がある。先ずは土曜日もミュンヘンの「ローエングリン」、翌日曜日のフランクフルトの「魔女」となる。

「ローエングリン」の総稽古の音や指揮者の話などが流れていたが、想定通り可也厳しいものとなりそうだ。指揮者のロートは、ヴァ―クナーをリゲティの前駆者として、その分割された弦の響きを挙げている。そしてローエングリン役の当代切っての第一人者のフォークトの歌声が聴こえるが、そうもその他の歌手ほどではないにしてもアーティキュレーションが乱れていてどこかおかしい。更にヴィヴラートなどを挙げて、制限するそしていて、配役のカムぺなどはそれによって漸く大劇場に通る声を出している。無理をすれば声を飛ばしてしまうのではなかろうか。初日のブーが誰に向けられるか。

だからこちらの公演の方は12月に序に出かける。初日の評判によっては、自分は最安席の特等席に座りながら、立見席も未だ売り抜けれるのではないかと思っている。映像は初日の中継を観ておけばよいのでそれ以上は要らない。フォークトのローエングリンも観たこともないので話しの種にでもなるだろうか。

「魔女」の報は日曜日に出かけるのでお勉強に忙しい。気が付いたのはチャイコフスキーはワーグナーの「タンホイザー」とか「ローエングリン」を研究しているということで、この曲の弦の分散などはまさしく「ローエングリン」である。ロート氏がチャイコフスキからマーラーを挟んでとか語っていたならばもう少しだけ耳を傾けたかもしれない。

参考映像は、特に主役の歌手のお陰で幕が進むごとの散々な出来となっていく。客演指揮のラザレフもそれ以上には何もやっていない。自身が音楽監督ならば配役も決められれば責任があるだろうが、オペラ指揮の熟練として適当にどんな歌が歌われても最後まで事故無しに運ぶほどしか意識がないようで、楽団もガタガタになって来る。それだけならば我慢がなったが、演出の関係が甚だしいカットが三幕から四幕にあって、森のシーンのホルンを外したりで、まさしくヴァ―クナーなどの影響の部分がそっくり切り取ってあって、動機が意味が分からずに出てきたりする。こういう無関心な指揮者であるから日本でも適当なポピュラーコンサートみたいなものを振っているのであろう。勿論ドイツでは地方の指揮位でまともに扱われていなかった。折角経験も実力もあり乍らライヴァルのヤンソンスなどとは全く異なることになっているのはそこである。

仕方がないのでカットの無い録音を見つけて聴いてみたが、こちらはオペラらしくない演奏でこれまたチャイコフスキーの表現が伝わらない。フランクフルトではウリューピンという若い人で、オペラもコンサートも盛んに振っていて、ドイツでもエンゲルと同じ事務所で各地で振っていて、ペルムでアンサムブルエテルナも振っていた。クラリネットのソリストとしても活躍している。この作品は指揮者の見識も可也重要でただのオペラ指揮者ではやはり難しいと思った。
THE ENCHANTRESS - Pyotr Ilyich TCHAIKOVSKY

Rachmaninov Symphony 2 op.27 / Rostov-on-Don symphony orchestra / Valentin Uryupin


「オネーギン」と「スペードの女王」の間に書かれた自信作ということで、なるほど西欧ツアーでの経験なども影響しているのか。もう一つ気がついたのはレティタティーヴをヴァ―クナーの「ヴァルキューレ」以前の作品の様に使っていることで、これまた興味深い。



参照:
金持ちのチャイコフスキー 2022-11-29 | 文化一般
初めてのファミリー公演 2022-11-19 | 生活

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法人口座の調査終了

2022-11-30 | 生活
駐車の際に隣の車の方向指示器を壊した。VOLVOのSV型の車でこちらのバムパーが相手のそこに突っ込んだ。珍しい衝突で、普通はブリキを壊すのだがそこだけ破裂していた。あまりに破裂の音が大きかったので事故逃亡もならず、名刺を置いてきた。写真も撮っておいたので問題は起こらない。そこは道端でスパースが狭いのでよく当てたり当てられたりする。先方も少々こすられただけならば知らないふりだろうが、これは其の儘では走られないので警察に届けるだろう。するとこちらは事故逃亡の調査対象となり、見つかれば減点から免停になる。その前に金を払った方が遥かに安くつく。

横のレストランの車かもしれないがまだ電話が掛かってこない。事故逃亡となることはないと思うが、写真等で現場保存だけはしておいた。ラムプ全体を交換するのがプラスティック部分だけで交換か、自分でやるのか任せるのかでも工賃も違うが、それ程の額ではない。ブリキを押し曲げる方が直し方の差が出るので面倒だった。

雨が止んだ時に走った。いつもの林道は木こり作業で立ち入り禁止になっていた。土曜日には奥だけだったのだが、下部へと伐採地域が移っていたのだろう。仕方がないのでそこからワイン地所の上部を走って25分ほどで回って帰ってきた。意外にスピードが出ていなかったので残念だったが、右足は未だ全快ではないので仕方がない。結構な運動量になって外気温7度ほどの曇天でも汗を薄っすら搔いた。

予想通り漸く二ヶ月に及ぶ法人口座の調査監察が終った。そもそも6月の税金の払い込みを忘れただけで大変遺憾であったのだが、税務当局の嫌がらせと受けた。何ら疑惑もないところでの口座閉鎖は赦されないものだが、被害が広がらなかった限り良しとしよう。こちらの財政状況を見て欲しい。11月18日付けでの執行停止と23日付けの文書が回ってきたのは29日である。その間こちらは一切動けなかった。そして未だクレディットカードが止まっているので早速カードを出している銀行に文句を言わなければいけない。

個人で立て替えておいた分を計算したが端金であってこれも意外だった。バーゼルにもフランクフルトにも車を走らせたが大した額になっていなかったようだ。最初に購入したヘッドフォーンDACも還付しておこう。月末で一通り終わってしまうと気が楽だ。

ドイツの所謂著作権隣接権の集金をする団体があって、そこから回答を求められていたのだが放っておいたら最後通知が来ていたので手っ取り早く答えておいた。ライセンス切れになるものに関しての問い合わせだった。ドイツのペトレンコやラトルを含む指揮者や高名なソリスツから楽師など殆どのプロの演奏家などが入っている団体で、例えば国の義務である聴視料などから案分比率でその放送などからの分け前が払い込まれるシステムになっている。要するに何かを提供している者は皆そこの会員となっている。著作権は創作者のみに与えられるものであって、演奏者や制作者などは著作権者ではないので、隣接権に対して徴収することになっている。

今後急いで注文するものは幾つかある。他のカードで払いたくなかったものを年内に購入してインヴォイスで経費として落とすものである。11月とは異なって品薄で高価にはなってきているが必要なものは購入しておきたい。支払いが来年になるので法人会計はその点が有利なのだ。



参照:
ルツェルンのお土産吟味 2022-09-03 | 生活
所轄の警察に出向く 2018-02-22 | 生活
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金持ちのチャイコフスキー

2022-11-29 | 文化一般
チャイコフスキーのオペラ「魔女」の一幕と二幕のヴィデオを観た。幾つか出てきた中で少しだけ映像を観て興味を持ったのはボリショイ劇場で2012年に簡易にヴィデオが回されて録音も拙いものだ。

真面に演奏しているように思われたからで、実際に無名の陣営乍、想定以上に参考になる上演のようだ。なによりも指揮が素晴らしい。調べてみると2012年の制作で、そこで一度だけ9月20日に主役を歌っている若い歌手の時も指揮しているのはアレクサンドル・ラザレフという人で、日本でお馴染みの指揮者らしい。ドイツではディスブルクあたりで振っていたようだが、ムラヴィンスキーの後継者となっていた時にボリショイの音楽監督になっているようだ。カラヤンコンクールでも優勝している。名前は聞いたことがあるのだがよく知らなかった。
Svetlana Kasyan. The Enchantress. Tchaikovsky. Bolshoi Theatre. Part1


無名で聴いていても明らかにゲルギーエフ指揮などよりもしっかりしていて、何よりもいいのは抜くところは抜きながら座付き楽団としては立派な指揮をしている。手馴れた感じがあり乍ら、見事な指揮である。ボリショイ劇場がこれほど質の高い演奏をしていたとは知らなかったのだが、ソヴィエト連邦の首都の時はどうだったのだろうか。

ソ連崩壊後は古い都のセントペテルスブルクへと関心が集まって、ゲルギーエフが率いる劇場などが西側でブランドとして扱われていたが、最近のボリショイの程度がこれぐらいとすると、モスクワの方が上ではないのだろうか。ユロウスキーが指揮していた楽団も悪くはなかったので、決して悪くはないのだろう。

音楽自体の未だ細かなところは分からないのだが、動機を上手に使っているようで、情景描写などを上手く入れいつものパターンで民族舞踊なども入れ乍らロマンツェに表現を集中するだけでなくデュオや重唱などと結構な力作となっている。そのドラマテュルギーは拙くても、チャイコフスキー自体がやはり劇場が好きで、その雰囲気や効果を出すことに精力を注いでいたことがよく分かる。

劇場指揮者であったマーラーがチャイコフスキーの管弦楽曲以上にオペラなどから学ぶことは多くあったのは間違いなく、バイロイトにも出かけたことがあるようにヴァ―クナーからの影響があっても、やはりチャイコフスキーの影響も大変強い。

チャイコフスキーが西欧ツアーした時にもマーラーが下拵えをしたりして、また多くの歌劇をロシア外初演をしたのがマーラーであり、チャイコフスキーはそれらを聴いて天才と呼んでいる。「タンホイザー」にとても打たれたようであったが、「オネーギン」が熱意をもって上演した事にも自身の指揮でのその反応と比較しても書いている。マーラーと支配人のポリーニの為にパーティも企画していて、マーラーの方はチャイコフスキーの事を紳士的でお金持ちそうと語っている。

友好関係は死を受けての悲愴交響曲と「ロミオとジュリエット」と「オネーギン」からを振っている。「イオランタ」と「スペードの女王」の指揮と、まさしくキリル・ペトレンコがマーラーを演奏するにも当たって教育的に振ることになったチャイコフスキーの数々である。



参照:
夜の歌のレムブラント 2022-10-22 | 音
あれやこれやの試み 2022-08-27 | 雑感
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反教養の為のスケルツォ化

2022-11-28 | 文学・思想
フランクフルトの新制作「魔女」の初日が一週間後に迫った。先ずはダウンロードした楽譜をざっと捲ってしまうしかない。そして粗筋をWIKIなどで読む。チャイコフスキーの音楽もそのオペラの創作の仕方も大体分かっている。それに関しては最早面倒なことはない。寧ろ創作の背景とか環境とかそういうものも探っておいた方が良いだろうか。

先日民謡とシューベルトに関しての話題が出たことから、吉田秀和が間接的に言及しているトーマス・マンの「魔の山」のことを思い浮かべた。そこで歌われていることは記憶にあったのだが、最初は明白には思い出せなかった。そしてフィッシャー版の文庫本を開けると「買い物」とする節にGe-statten Sie mirという綴りが出て来て、目を引いた。どう考えても、サッテンブリーニの喋りの特徴として映像化されているものだったからだ。その前後をみるとcの発音がイタリア風とぐらいしか書いていない。しかし紛れもない吃音気味のアクセントが聴き取れる。そして話すと...というのも目立つ。勿論そこには若いカストルフの表情を観察しながらというのが書かれているのだが、思っていたよりも絵文字効果に近い。

何故今迄こうしたところに気が付かなかったのかと思う。日本などでも文学研究などをしている人にとっては通常の分析なのかもしれないが、門外漢にとっては文字だけ追っていてそれ以上の情報が入らなかったようだ。その証拠にそのページで一度ブックマークが入っていたようで、それ以外の要素特にサッテムブリーニの長い台詞が一番苦手とするところだったから、何回目かの挫折をしていた箇所だろう。この大作ロマーンを最初から一気に読んだ人なんてそんなに多くはないと思う。問われるのは何回挫折したかだろう。

しかし、今それに気が付いてそのあとの長台詞を速度を上げて一気に流すと、その絵文字効果というか発声のリズム感で読んで仕舞える。音楽的にスケルツォの様でありドイツ語ではシェルツ即ち冗談なのだ。

20世紀初期ノーベル文学賞作家マンはSPで音楽を愉しんでいた。義理の父親はユダヤ人の高名な数学者でヴァ―クナーのパトロンであったプリングスハイムであるが、所謂今でいうクラシックオタクだった。

それで問題のシューベルトは蓄音機で聴いた「菩提樹」であって、それを第一次世界大戦の死の瞬間にそれも土豪の泥濘の中で頭の中で鳴らしているという、とても哀れな話で終わる。

これが何を意味していたかは明らかで、所謂教養というもののその虚しさを表現していて、その様なものの中で終える世界を描いている。この作品が何故反教養主義とされているかはこれで明らかで、それは勿論19世紀のドイツロマン主義の一様をも描いている。そこには当時のグリム兄弟やらドイツの国粋主義へと導く魔がそこに潜んでいたとなる。つまり「民謡とは」へと戻ってくるのである。

もう直バーゼルの劇場で最終公演を迎える「魔弾の射手」のマルターラーの演出もこうした文化のその影にギャグをかまして冗談化していますという手法はなにもマンのやり方とそれほど変わらない。



参照:
一ミリでも向上するために 2013-05-04 | 文学・思想
親愛なるキーファー様 2007-11-09 | 文学・思想
吹かされる黒い森の心理 2022-10-14 | アウトドーア・環境
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冬のメルへェンへと

2022-11-27 | 
朝から一っ走り。篭り部屋の一晩目は、気持ちよく眠られた。夜中に温度を調整する必要はあったのだが、以前よりも安定して湯が流れていて、寝室にも薄っすらと暖房を入れることが可能となっている。先の冬までは夜中は完全に切ることで快眠を目指していたのだが、本当に薄っすらであると室温を上げることもなく凍えることもない。

ポムプなどを含む天然ガスのボイラーのお陰でもあるのだろうが、同時に交換した弁の機能向上もあるかもしれない。水の流れの音が継続的に流すことで無くなると同時に、安定して暖房体に貯まっているのは、前後の圧が上手に保たれているからだろう。以前は水量を絞ると貯まらなくなって直ぐに冷たくなった。冷たくなるなら完全に切るのと同じで殆ど意味をなさなかった。

要するに今までは負圧に負けていた。最上階にあるために最初から苦労していて、本来ならばそうあるべきの循環暖房が叶っていなかったのだ。上りと下りの水温差と水量をかける消費計算方法になっているので、室内を回っても戻って来る温度差があまり変わらないならば水量を抑えるほうが安く出て生温い湯を少しでも長く流しておく方が室内が温まる筈で、温度の高いお湯を大量に戻すよりも効率が良い筈だ。

こちらに住んでから漸く初めてセントラルヒーティングの良さを感じることになってる様である。今後は零下とか吹雪いたときにお湯の量を多くして流せるかどうかである。夜中に寒さで目が冷めないのは快適である。

外気温は摂氏7度ほどに上がり陽も射して気持ち良い数時間を楽しめた。流石に谷の道は濡れていたが、木こりの車が入っているぐらいでそれほど滑る感じではなかった。

足の調子は更に良くなった。医者はどのように判断するのか知らないが、自己判断では完治二週間だろう。2月の左足のときは場所が悪く二月掛かったことからすれば、軽症で済んだ。これで待降節も始まり、もう二つ三つ月末に処理できればなんとかなりそうである。

篭り部屋に初夏から使い始めた旅行用のミニノートブックを運んで使ってみた。思ったよりも使える。古いシステムなので、遅くて、使いづらいのだが、リモートでの動画も使えるので、もう少し事務作業用のプログラムをインスト−ルすればこれで応急用に足りるかもしれない。

更にWIN10のリモート操作通るようになったので、ミニノートブックを端末として使えるかもしれない。意外に画像操作が可能になっていて、少し画像を落とせばストレスなくリモートでも観れる。

そこで昨年一月のスーク作曲の「夏のメルヘン」を流してみた。マーラーなどよりも遥かに演奏の難しい曲で、当時の無人演奏会でバッチリと演奏録音している。このときに今日の演奏の準備が出来ていた、それはその夏のツアーでこの曲が演奏されたときにも明らかだったのだ。

プロムスでのマーラーの録音も流してみた。会場が会場だけに些か荒い演奏となっていて、ルツェルンとは大分落ちていた。指揮者のペトレンコにとっては「マンフレード交響曲」でミュンヘンからのオファーを断られた経過もあって今後共面白くない想いが脳裏に浮かぶ催し物だろうか。

ロジテックのマウスの電池が無くなった。前回が2019年7月31日とすると、三年半近く保って、宣伝文句同然となる。調べると2020年に一年しか保たずに交換後に、更に電池に塩が吹いて2021年1月に交換、つまりそこから二年近く使えた。まずまずだろうか。途中でレーザーの穴も掃除したのでもう少し寿命が伸びるか?



参照:
二カ月で潮を吹く 2021-01-19 | 雑感
「音楽の都」の現代音楽祭 2020-11-09 | 女

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実感する数年での深化

2022-11-26 | 生活
週末から篭り部屋に移動する。先二週間ほどはあまり強い陽光は期待出来ない。座っているのが厳しくなるので、ヒーターの入った部屋へと移動する。準備は整った。幾らかのPCの使い方などを考えればそれで足りる。

ヒーターの試運転では薄く入れておけば昨年までよりも安定している感じがするが、冬の間を通して使ってみなければ分からない。なによりも零下で吹雪くとなると薄く入れていたのでは我慢ならない。以前の問題は湯圧が安定しないことから強く入れることでしか加減が効かなかったのだが、弱く定温度を保ってくれると一番助かる。それが最も経済的な筈なのだが、さてどうなるか。

ラインガウからお知らせがあった。2021年産リースリングを売れ切れないうちに買ってくれというものだった。予定してあったグローセスゲヴェックスを一ダース注文した。一部ご進物用に頼まれたものもあるので纏めて買えて気持ちがよい。大した額にはならないが、自分用にならば同額で買いたいものが他にもある。コロナ前ならばあと数件で物色しているので少ししか買わない。引き取りは来年の九月なので、支払時期だけが問題となる。勿論先行予約価格での購入である。ダースで発注したから保存に役立つ木箱で貰いたい。

9月の事を調べてみるとフェリーに乗ったことは書いてあるのだが、試飲の内容については記述していない。理由は分からないのだが、結構忙しくしていたのだろう。どのリースリングも飲み甲斐ががあって、ヴィラージュリースリングも悪くなかった。コロナ期間中に何か良くなった所があったのだ。マイスターらとの話しではやはり蔵での扱いが変わってきた感じがあって、木樽が充実してきていた。また水冷で温度管理も進んでいたように感じた。2021年は基本的にどこの醸造所も悪くなかったので、ラインガウでは高度のありそうなこれらが温暖化の中でも残されたいい地所となっている。

高度だけある斜面ならば河の横にローレライの方へと向かう下流右岸にも幾らでもあるのだが、土壌が赤スレートなどに火山性のミネラルがあって可也エグイものとなる。食事に合わせるのが益々難しくなるのでラインガウのリースリングの良さから外れていく。

最近購入しているのはプルミエクリュの最も高度の高いテュルムベルクであるが、購入してから未だ一本も開けていないかもしれない。もう少し落ち着かせたかったのであるが、この機会に開けてみようかとも思う。

篭り部屋に移る前に折角だからメインのシステムで、マーラー交響曲七番のCDを流している。キリル・ペトレンコがミュンヘンで指揮録音したもので放送がなされなかったので修正も効いている。世界中で各紙絶賛のこの曲の代表的な録音となっている。ベルリンでの演奏から三ヶ月経過したところでこうして改めて聴くと、録音の場所や方法に拘わらずやはり団子になっている部分があって、改めてベルリナーフィルハーモニカー演奏の成果は到底計り知れないものであったことが分かる。なるほどあらゆる動機のニュアンス付けは優れたものがあって、特に終楽章のロンドのあり方はやはりどんどんと進化してきているのが確認される。これはこれで迫力があって、熱狂へと駆り立てられているのだが、四年間でこれだけの深化を聴かせる指揮者はいない。



参照:
三年ぶりのライン渡し舟 2022-09-18 | アウトドーア・環境
示唆に富んだミラノの講話 2021-02-07 | ワイン
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朝食のガチョウ脂

2022-11-25 | 料理
車中のラディオが午後のニュースを伝えていた。金曜日にバーデンバーデンに続いて支配人の古巣ドルトムントでテオドール・クレンツィス指揮ムジカエテルナの演奏会が開かれる。そのギャラをウクライナに寄付するという報道だった。文化波とは言いながらそこに音楽ニュースが入ってくるのはペトレンコがベルリナーフィルハーモニカーによって推挙されたという事以来だろう。亡くなってもそこの位置で伝えられる音楽家はドミンゴぐらいかもしれない。

印象は奇妙な感じで、自らの交響楽団に未だ君臨していることから時間稼ぎの為にもなんとか首を繋ぎたいのだろう。バーデンバーデン前後でそのロシア人演奏家のコンサートマスターなどまたテノール歌手からプーティンの為のプロパガンダをSNS等で展開するものが続出して、即出場停止となった。

そうした楽員や合唱団員の個人沙汰には関心がなく、それらを逐一質すことも無用なことである。そもそもプーティンの資金援助を受けている連中を招聘したり、催し物をするべきではない。指揮者クレンツィスもそのような支援を受けて活動しているならばこちら側では一切仕事をするべきではない。ケジメをつけるべきである。さもなくばプロパガンダ活動とされて当然である。

「ヘンゼルとグレーテル」の券が届いた。敢えて本券を送って貰った。何か嬉しいのだ。記念になる公演となるかどうかは分からない。そもそも家族向け公演だからがさがさしているだろう。それでも嬉しいと思うのは券の売れ方である。一部のクラスでは一桁の数しか残席が無くなっている。それも私が購入したのと同じ価格帯で75ユーロから58を挟んで42ユーロ迄が売れ筋だ。理由ははっきりしていて18歳以下の子供は一律10ユーロなので、親がそれ相応の席を購入して隣をとなるからだ。親子二人で90とか55ユーロとかになる。勿論視界のいい席を購入して、悪い席や立ち見は売れていない。一方最高価格の102もその下の90ユーロもなかなか売れないようだ。同じ傾向の高額券の回避は並行上演中の「ローエングリン」にもあるのだが、そちらは立ち見など安いところは売り切れに近い。

寒くなってきたので、篭り部屋までのヒーターのガス抜きをした。お陰でリヴィングの温度も若干上がるようになってきた。これで篭り部屋に移っても最低の暖房は効く。ボイラーだけでなく弁も新しくなったので、水の流れが喧しかったりするので上手く調整していかないと駄目だ。先ずは十分なお湯が流れて欲しい。

冷蔵庫の掃除もほぼ終わり、シャワー廻りも終わった。篭り部屋の掃除が済めば、ぼちぼちの移動可能となった。ベットも冬用に暖かいシーツ類に替えたい。夜中に足が寒くて何度も目が覚めた。

日没も16時半なので一っ走りするのに早めに出かけなければいけなかった。右足は未だ完ぺきではないが、力を入れられる様になって痒みも緩くなった。走る回数も距離も平常に戻せそうである。二週間だけは運動量を落としたことになる。

朝食にも色々な脂物を購入してパンに塗って温まる。まるでエスキモーの様である。



参照:
11月の古い鎮魂歌 2022-11-23 | 暦
聖マルティンを越えて 2022-11-21 | 暦
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小夜曲と火祭りの喧噪

2022-11-24 | 文化一般
承前)演奏の困難さがこの交響曲の理解を困難にした。そのことを今回の一連の演奏会が証明した。1908年にプラハで初演のアシスタントをした指揮者オットー・クレムペラーが生き証人になっていて、その晩年の指揮の録音は貴重である。しかしその得意なテムポ設定などは、その演奏の難しさを示していて、「一楽章と五楽章が取り分け問題が大きい」と語っている通りだ。

まさに膝を打つしかないのだが、一年後のヴィーン初演でのシェーンベルクのコメントが更に興味深い。「芸術的な和声上にある完成された落ち着き…作曲家を古典的として賞すると同時に、未だお手本である。」としていて、感激して書き送っている。

このコメントには初めて接するのだが、言わずもがなであり、我々はこの意味を今初めて噛み締めている。実はこの文章は昨年秋のハノーファーの劇場でのプログラム解説の中に見つけた。コロナ期間中で直前に演奏者から偽陽性が見つかって、再検査前中止の遅滞で以て開かれた演奏会とされる。指揮はティテュス・エンゲルでこのような複雑な時期でないか、もう少し近場ならば出かけていた。新聞評は良さそうだったが、座付き楽団であり、ドタバタしていたので凡その想定は可能だ。

曲としては、律動をどのようにフィナーレを通して繋げて行くかにあると思うが、その間に受け渡しが為されるその構造は、奥さんのアルマ・マーラーに批判された交響曲五番の延長線上にもあるのかもしれないが、やはりその主題となっている「マイスタージンガー」のお祭り会場のパロディ若しくは本歌取りとしての意味合いは無視できない。

つまり「古典的」というのはフランクフルターアルゲマイネ紙の様に本当に博物館に組み入れられる様なものなのか。その意味を再考させる「マイスタージンガー」自体が過去へとそのもの16世紀の詩人でもあり作曲家でもあった靴職人ハンス・ザックスを描いているのであるが、それは同時にドイツの芸術の原典としても捉えられる。そこで描かれているベックメッサ―はユダヤ人であり、そのヘブライズムも暗に批判の対象となっていて、二幕においての社会集団の攻撃は殆どポグロムを思わせる。

ロンド主題となった三幕における祭りの場面も、夏至を祝うヨハニスタークのどんちゃん騒ぎとすれば、その教会歴における洗礼者ヨハネ、つまりサロメによって首を撥ねられるその旧約聖書の物語のみならず、今でも各地で残る中世からの土着的な悪魔除けの火祭りも重ねられることになる。まさしくそれがフィナーレにおける喧噪の印象にもなっている。

「夜の歌」の「スペードの女王」の印象、影の様にのスケルツォ、そして「マイスタージンガー」二幕のベックメッサーのセレナーデ、これらが宮廷オペラ劇場監督のマーラーのインスプレーションとして存在していたのだろう。

それでも「直線的な構成ではなく、驚くほどに変化に満ちている。」と若干大まかなコメントをエンゲルは残しているのだが、「直線的な構成ではない」というのは質してみなければ分からないと同時に、フィナーレのロンドのあり方のみならず全体のフォームにも係っているコメントではなかろうか。(続く)
Mahler "Symphony No 7" Otto Klemperer

Meistersinger - Baritone Markus Werba as Sixtus Beckmesser sings Serenade

Die Meistersinger von Nürnberg: Entry of the Meistersingers (Act III)




参照:
真夏のポストモダンの夢 2005-06-25 | 暦
社会的情念の暴力と公共 2016-06-01 | 音
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