Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

遅滞する就寝時刻

2024-07-27 | 雑感
アイロンが壊れた。テ―ファルの製品で2015年6月に購入している。早い時期に落として、置台になる枠を壊した。しかし瞬間接着剤で直してから今でも全く分からないぐらいである。電源が入らなくなった。前回使った時に配線が焼け切れたのだと思われる。

実はその前にもテ―ファルのアイロンを使っていて、使用中に煙を吐いた。それは丁度使って5年過ぎだった。今回も6年程度ならば同メーカーを選ぶかどうか検討したが9年ならばと探した。前回も前々回も購入価格は40ユーロ代であったが、流石に今回はその価格帯では同等の新しい製品はなかなか見つからない。

システムも蒸気タンクを大型カートリッジ化にして、石灰目詰まりを解決しようという製品群は100ユーロを越える。コードレスと合わせて200ユーロ近い商品もある。アイロン台を使っているので流石にそれ迄は要らない。

よりハイパワー化して同時に節電構造となっているのは80ユーロ以上する。そのパワーは2200から2500を通して2800wとなっている。節電効果さえ活きてくれれば助かる。それがアマゾンで69ユーロで約千人から評価星4.3ならば悪くはないと思われる。十年持ちかどうかは分からないが、試してみる価値はあるだろう。

兎に角テ―ファルのアイロンの最大の取り得はその底の加工でとても掛けやすい。世界中の特に女性に愛されている由縁ではなかろうか。そうした市場に向けてデザインも配慮されている。実際にそれを使うと最早他のアイロンには戻れないという声が至る所に書かれている。それもよく分かる。そういうことで強気の価格設定となっているとしても間違いないだろう。

急いでアマゾンに発注する必要もあったので、就寝時刻が遅くなってしまった。週始めには届くだろう。予定していなかった出費ではあるが、序にシークレットシューズ用の踵上げ中敷きを同時発注した。これでまた身長が15ミリも高くなる。上手く履けるかどうかは試してみないと分からないが、少なくとも踵は当たらなくなる筈だ。旅行時に楽に履けるかどうかがミソ。

バイロイトからの初日生中継を流していた。一幕の途中からと三幕の半分以上は流していた。奈落の方は久しぶりにそれなりの音楽をしていたが、歌手陣とそして全体としてはちぐはぐなところも見受けられた。最大の理由は主役歌手二人の実力で、それ程高質の舞台とならなかったのは、BRで終了後の講評でもニールントのリリック乍らの声量や母音の問題やシャーガーの根本的な技術が指摘されていた。演出は何がなんだが奥の意味は理解できなかったというのが専門家の第一印象だったようだ。それでも聴かせるのはやはり指揮者の技量が大きい。そして最初から最後まで指揮者が指導に当たっていたと語られてていたが、それ以上には一切立ち入らないのがこのビュシュコフの性格であり仕事のやり方なのだろう。それはチェコのフィルハーモニーの指揮でもそうであり、今回も同じ感じがした。但し、歌手の歌関係なしに作られる音楽は聴きごたえもあり、そういう所でも歌手が声が出なくなってもお構いなしという感じが面白い。最近バイロイトで指揮されたものではやはり悪くない演奏なのだろう。



参照:
ブルゴーニュ風味付けのアイロン 2010-04-02 | 雑感
ロハスのスタイルとは一体 2015-06-10 | 文化一般
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正午のクリフハンガー

2024-07-26 | アウトドーア・環境
正午過ぎに少し岩を弄って来た。最高気温摂氏26度で、現地は22度ぐらいだった。薄曇りだが降雨確率10%で、日焼けクリーム無しに、一時間以上三つ四つの課題を試せた。

先ずは穴に指を当てる課題だが、以前登っていた以上に出来た。先週は駄目だったが、間違ってアルプス本番用のシューズを持って行ったので、立ちやすかったのだろうか。カンテラインも着座姿勢から以外は殆ど熟せた。準備体操後でやはり二週間前よりも一週間前よりも身体が動く。

その余韻でもう一つ難しい岩ホッホヴァントを試した。右手を鰓の裏に入れて右足で突っ張る所も肩が外れずに綺麗に立てた。そして伸びあがって左指で上の筋にかけた。そこから右手をそこに沿わせて、左手を移せれば突破できる。そこまでいけなかったがそこから下りて来れたのでとても可能性がある。怖いのは腹の当たりが膨らんでいるので落ちると背中から岩に当りそうなところだ。誰か補助がいれば出来る。

手を取り替えるのに足を見えない腹の下のどこに押さえつけるかだけである。これが難しい。両手でぶら下がれれば、何とかなる筈だ。そこを写真に撮ったので頭に焼き付けておけばベストでぶら下がれるだろうか。

何回も書いているが、兎も角数年前よりも身体が動くようになっている。体重以上に羽根が効くようになっている。ランニングの成果でしかないだろう。クライミングにおける持久力は分からないが、技術程度は上がっている可能性が強い。なによりも掌に汗を掻かなくなって、岩に吸い付くのが大きい。以前は指に着けたマグネシウムがドロドロして滑るようになっていた。

DATカセットの音出しをしている。今迄のところで改めて良かったのはハンス・イッセルシュテット指揮ブラームス一番をブレンデルが弾いたものだ。ブレンデルも若かったのだろうが、力漲っていて、東京で怪我する以前でもここまで弾いていたかどうか。最初に聴いた日本での1978年時にもシューベルトを弾いて元気だったが、それとはまた違う。指揮も放送交響楽団をよく演奏させていて、思っていたよりも名演だった。

面白いのは放送のナレーションもなく始まる曲も少なくなくて、先ずは耳を傾けてとなる。ベートーヴェンのピアノ協奏曲の演奏で誰だかと思って聴いていた。最初はバレンボイムかとも思ったが、もっとピラミッド型の音を出すので違い、少々丸められているなと思ったらマルタ・アルゲリッチ演奏だった。才能あり余っているのだが、やはりそこは違うなというのも少なくない。そこがブラインドで聴いていてもその見事な指使い以上に分かるのである。

涼しいので、ステーキで使ったものを回復させる。運動後にランニングはしていないが、シャワーで解したのでなんとかなるか。一週間前よりも疲れが残らなければそれでよい。出来なかった力試し課題を一発で羽根で熟せた。大分調子が上がって来ていて驚く。以前はクラウチングのような体勢が窮屈で取り難かったのだが、左へと身体を傾けて、先へ先へと腕を伸ばすことで、自然に窮屈さが取れた。やはり体幹と瞬発力だと思う。来週はまた靴を替えて、楽しみである。僅か中身一時間でもものになる。



参照:
我について来る認識 2024-06-28 | アウトドーア・環境
しっかりと押さえた 2024-07-10 | 生活
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Kamala IS Bratの意味

2024-07-25 | 文化一般
合衆国大統領選挙に俄然興味がわいてきた。オバマ候補以来殆ど注視していなかったが、やはりカメラ・ハリスになってから文化的に如何にもアメリカらしくなってきた。所謂サブカルチャ―ではあるのだが、次から次へと繰り出されるそれが選挙をお祭りモードにしている。

なによりも目を引いたのは、昨年9月のインスタグラムから転用されたワシントンDCのHRレコードという店に立ち寄る映像である。副大統領としての物々しいSP警護であるが、商業週間に立ち寄った時の様である。そこで音楽ファンとして、3枚のLPアルバムを購入して出てくる。それを記者に示して、チャーリー・ミンガスの「Let My Children Hear Music 」の1972年の恐らく復刻版とロイ・エイアース「Everybody Loves The Sunshine」、そしてフィッツジェラルド「ポギーとペス」の三組のアルバムを説明するところである。とても注目した。

抑々サブカルに関してもポップスに関しては詳しくはないが、この選曲と説明を聞いてその趣味の確かさはよく分かる。ミンガスの関しては、一昨年からのエンゲル指揮での 「エピタフ」のベルリンやインスブルックでのフェスティヴァルでの上演でその意味合いはよく分かった。決して容易なショービズ向きの音楽ではないが、やはりその音楽の背景には歴史が社会がある。

勿論タミール人の乳癌研究者を母親にジャマイカ人のスタンフォードの経済学者を父親にもつキャリフォルニア出身のキャリア女性がこうした音楽趣味を示す時、それはとても人を納得させ同時に幅広い共感を呼ぶものであろう — バイロイト詣でをしたり、素手便所の政治家ではないのである。

大統領選のキャッチフレーズを「We are not going back」としていても、復興のLP文化を示し且つその歴史を想起させるところが、やはり知的である。勿論そのスローガンは、対抗勢力が堕胎の厳格化などと時代錯誤的な主張をしていて、女性が自らの身体への責任をもつことへの全幅の信頼への表明としても、掲げられる。

どうしてもそうした趣味の良さも論理的な思考も一般選挙というところではどれほど通るのかは分からない。それゆえに更にポップカルチャーである最新のアルバムに因んだ「ブレート」いう言葉が重ねられる。それは昨年のバービーなどに対抗する言葉で決してすんなりとした女性像ではないという意味合いで、「Kamala IS Brat」がミーム化して使われるらしい。その様にキャムペーンにビヨンセの「フリーダム」が使われる。

これらは確かに女性像としての固定観念への対抗軸を示したものでしかないのかもしれないが、そこにはあるべきあるがままの姿が示されることによってという理想がある。何ごとにおいても新たな世界観が開けるというのが希求されるものであって、昨日と同じ今日、今日と同じ明日には誰もそこには希望を持たない。それが現実というものであって、不満も何もなくて理想の無い現実注視などというものは存在しない。
Kamala Harris holds first campaign rally: FULL SPEECH - c.f. 14m58s

Veep loves vinyl: Kamala Harris visits Home Rule Records in DC

Epitaphtrailer

Charles Mingus - Let my children hear music (full album) (HD 720p)

Roy Ayers Ubiquity - Everybody Loves The Sunshine (Remastered + Lyrics)

Porgy and Bess - Overture - Ella Fitzgerald and Louis Armstrong album

BEYONCÉ - FREEDOM [LYRIC VIDEO]




参照:
研ぎ澄まされる感覚こそ 2024-07-24 | 音
退屈だった古典曲カセット 2024-04-17 | 音
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研ぎ澄まされる感覚こそ

2024-07-24 | 
散髪を済ませた。サマーカットである。年一回の短さとなった。9月にはそこまでやる必要は無いだろう。髪結い処は8月15日から再開だ。この短さからすれば到底行く機会はない。但し、9月には切っておかないと残暑で気持ち悪いだろう。兎も角満足だ、おばちゃん巧い。恐らく今迄散髪してくれた人で一番巧い。俺に惚れてるな。そういう気がないとベストは出せないよね。これでルツェルン旅行には短くはないが長くはない感じで出かけられる。

さて、前夜に走りに出かけると、思ったよりも森は暑くなかった。風があったので室内よりも谷の方が明らかに涼しかった。その為に車に乗ろうとすると、先ずはドアが開かなかった。何か間違ってバッテリーを上げてしまったかと思ったが、鍵の電池が弱っていたようだ。電池を入れ替えてから二三年しか経っていなかったように思うが、長押しなどをする機会が多かったかもしれない。鍵の中に差し込んである鍵でドアを開けて出かけた。

掃除の効果は走行には関係ないが、細かなことに知覚が行くので調子が分かりやすい。気が付いたのはハンドルだけでなく手や体が当たる所を徹底的に掃除しておくと更に感覚が研ぎ澄まされそうなので、異常などがより早く分かるセンサーになると思った。機械の場合は、振動以外に特に聴覚的なセンサーによってこそ問題発生前に感知しやすい。

革のところは専門のスプレーを使って、ノブ類やその他なども中性洗剤で拭こうかと思う。パネル面はガラス掃除液で良いかと思う。そうした感覚が大きいのだ。勿論ガラスの内側も掃除して視界を効かせるのは安全に大きく寄与する。但しもう少し陽射しが弱ってからにしたい。

あまりヘンなところを触ってなんでもないところを壊したくはないので水分や薬品の使用には慎重である。鍵は早速残っていた眼鏡電池で二個を取り換えた。恐らく現在長く警告が出るところは配線に油などが浸みてシュートしたままなのだと理解した。中々長い配線の絶縁を保つのは難しいのかもしれない。

遅めの夕食を摂って、片付けものをしていたら最後にチャットパートナーに書き込みをしたインスタグラムの通信欄が二週間近くして初めて既読になっていた。そろそろとこちらも思っていた頃なのでこれまたその間隔が絶妙だ。

彼女のSNS活動の全体像はよく分からないのだが、間違いなくストーカーや脅迫まがいのコンタクトは避けようがないと思う。そういう所でどのように対処するかのマニュアルは恐らく存在するのだろうが、上手にやっているのではないかと思われる。

サマーカットのことも書き加えて、その夜の月の写真でもつけておけば良いだろうか。前回書き記した時よりは少し涼しくなっていて、天気予報を見る限りあちらも暑さが小康状態となっている様だ。少しでも何か共感できるものがそこにあればいいのではないか。

色々なことでチョットした心遣いなどが見えるとてもいい女性である。室内に蚊が飛んでいたようで、再び金鳥を燻した。中々火が着き難くて、チョットした高揚もあって眠りが覚めてしまって、二度寝になって仕舞い朝は眠かった。



参照:
日本からの逆輸入車 2024-07-23 | 雑感
環境音への考慮 2024-05-03 | アウトドーア・環境
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日本からの逆輸入車

2024-07-23 | 雑感
週末は何も出来なかった。天候が下り坂で、尚且つ夜中に寝室の窓を開けなければいけない湿気があったので、朝が起きれなかった。寝起きが悪いと午後も何も手が付かなかった。暑くなってくると神経に来る。

先週は様々なことをしたので、疲れが溜まっていたのだろう。週中の筋肉痛のようなものも週始めのシンナー仕事に続いて積み重なり、土曜日には車輛の掃除機掛けまであった。一通り見通しがついたので、次の旅行のルツェルンに備えていくしかない。散髪するだけでもQOLが変わるだろう。

最大の障壁になるのは移動であるからどうしてもそこの準備である。宿は昨年と同じなので不明要素は少ない。しかし、設備を忘れたので再確認しておく必要がある。衣装はそれ程暑くはないのであまり問題にはならない。靴だけは中敷きのことなどもう一度整えておかないといけない。パン屋は隣町に素晴らしいものがあった。持って行くワインだけは考えておいた方がいい。演奏曲は二曲だけなのでじっくり時間を掛けれる。車のことがあるので最短距離しか動かないのでそれ以外にあまり考える必要もない。

此処まで来ると車輛が気になるのでYouTubeなどで古い車を扱う査定の仕方などを観る。ドイツには結構日本から上質のドイツ車が逆輸入されているようで、マイバッハがオイル漏れを直して四万ユーロなどで売られている。日本では恐らく修理部品やその技術がないことで高級車が二束三文で中古市場に出るようだ。ドイツならば街工場で簡単に修理可能になるので、十万キロも走っていないような高級車が安く売られて商売になっているようだ。逆にドイツ車は本国ではなかなか価格が落ちない。日本やアジアの車は直ぐに二束三文になる。

一月に空気漏れで冬タイヤを新調した時にシャーシの底を写しておいた。ざっと見た目にはなんとか最後までと期待している。その後ベルリンへの途上で泥濘に落ちて腹をこすったがメーカー支店での夏タイヤへの交換時にも問題にはならなかったので、致命的な損傷はない筈だ。

中期予報を見ると、週末に夏らしくなって、再び平常化しているのでこのような天候が続くと、それ程暑くないかもしれない。日曜日には冷たい夕餉としたが、それ以外は余りそうではないので胃腸を壊す傾向にもない。乾燥するようになってお茶を冷やすことにはなったが、まだこれからである。

散髪後に何時から夜具を真夏向きに替えるか。秋は何時頃やって来るのか。朝一番の散髪予定の時刻には摂氏16度ほどになっているようなので、また気持ちも変わるだろう。その前に一っ走りして汗を流してビールでも飲んで凉を取り、ぐっすりと就寝したい。

先頃から再びパラグライダーで空飛ぶ夢を見て、工場の上などで巻き込まれたりしていた。先日購入した錆落としなども室内で上手に使えるようにしたい。スティールブラシは柔らかい方をどのように使うか。紙やすりと一緒に片付けておく。

掃除した後の車の乗り心地は如何なるものか?走りが違うだろうか。



参照:
日本からの逆輸入車 2024-07-21 | 生活
滴ることない炎に点火 2024-07-18 | 雑感
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新音楽の浪漫への道

2024-07-22 | 
承前)二曲目はベルナードヘンリック・クリュセルの作品でホルン協奏曲ヘ長調だった。名前はこの時代の演奏を得意とする楽団などが演奏している録音やその他で耳にしてはいていてもこれといって取り立てるべき作品は知らない。フィンランド生まれでスェーデンで活躍しているがフォンヴェーバーと同じくフォークラーの弟子だとある。しかしそれではピンと来ないのだが、当時のクラリネットの名人だったと読むとなるほどと思う。

要するにヴェーバー共多くの共通性がみられるが、今回演奏されたのは断片から蘇生されたホルン協奏曲で、ストックホルムの王立劇場にいたフォゴッティストでお婿さんに当るプルマユールによっての編曲で知られていた。それを蘇生したのが演奏したホルニストのヒティーネンの奥さんの作曲家ヨハンナエレンコだとプログラムに詳しい。それがホルン協奏曲であったかどうかは、1810年のヒルシュフェルトの初演や1823年のシュトッツガルトの宮廷楽団での演奏を通して、確かだとしている。

しかし演奏の方はそれ程容易な曲ではないと感じた。そう少し様々な人が演奏するようになると違ってくるかもしれない。唐突で劇場的な曲想はこれまたヴェーバーとの親近性となっている。作曲家自身がヴェーバーのクラリネット協奏曲を演奏した記録は残っていないようだが、モーツァルトのそれは1802年の公開後に記録されているらしい。やはり、そこに浪漫派の新しい音楽の流れがクラリネットやファゴットやホルンなどから感じられる。

さて、最後にこのフェスティヴァルに欠かせないモーツァルトのジュピター交響曲である。この交響曲を最後に聞いた記憶はないのだが、ショルティ指揮シカゴ交響楽団が記憶に新しい。半世紀前の記憶である。大編成でのあれだけ透明な演奏を今後とも耳にすることはないと思う。

その後如何に真面に演奏されていないかであり、あまり聴くに及ばない価値しかもちえなかったのかもしれない。そこで今回の演奏はバロック楽団ということもあり、20世紀にはアーノンクールなどが頻繁に取り上げる前に奇異な録音として話題になったホグウッド指揮のそれを想起させるだけの演奏実践だった。ダイナミックスやリズムの扱いも特別な読み替え的な意味づけをすることなしに、とてもセンスが良かった。つまり20世紀後半の古楽器演奏によるサウンド的な新機軸ではない分、より作品の創作意思に迫るものであって、前世紀後半のメディア主導によるサウンドの時代の演奏実践が如何に不毛な時代であったかを改めて思い起こさせる。

既に言及したが、やはりこうした演奏実践は積極的な楽団の関与と指揮者との協調作業でしか叶わない。それは上述した様に大楽団の中ではそうしたコンセプトは収束しないことでその関与する人数の問題だけでなく、平素からの演奏上の合意からしか生じないだろう。

偶々、指揮者も含めての打ち上げをビュルガースピタルのレストランの隣のテーブルでやっていたが、なんとなくの雰囲気では舞台上での方向性のようなものが、平素から組織的なあり方として出来上がっていると感じた。全然悪くない指揮者と今後もドイツでも聴くことになりそうなスオミの楽団であることは間違いない。想定外に価値のある演奏会だった。
Handel Fireworks Music Finnish Baroque Orchestra

Ferdinand Ries: Symphony no. 4 in F major, Op. 110




参照:
機会均等への社会的判断 2024-07-17 | マスメディア批評
すっきり爽やかな泡もの 2024-07-16 | ワイン
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燃えたぎる掃除機

2024-07-21 | 生活
六月にヴュルツブルクに二泊した。四人用の部屋で寝室二つでベット三つで四人が宿泊できた。下に比較的若いオーナーが住んでいて、子供がまだ小さかった。喧しいこともなく、先方にとっては我々二人は手間が掛からず静かな宿泊客だったろう。気が付いたのは電子レンジがないことぐらいだったか。だから一番の問題は冷凍室がなかった事か。もう一つは天井裏にバスがおいてあるのでシャワーを浴び難かったことである。広々していて気持ちよかったので、それぐらいは我慢できた。

そこから市街地までもそれほど遠くはなかった。翌日の試飲へのアクセスもアウトバーンを使うことで悪くなかった。ワイン産地に囲まれるようなところなら更によかったろう。

今回ミュンヘンからヴュルツブルクへは敢えて北回りのA3を利用した。それ程自宅から遠いところでなくても方向から通らないところはある。抑々527kmあるマイン河がどの辺りから流れているのかも知らなかった。フレンキッシェシュヴァイツなどは何度か行っていても方向が異なるからだ。

今回初めて見た光景はアウトバーンの休憩所から見た街の全景だ。小さな街であり、左奥に城郭まで見えている。マインの河幅も狭く、くねくねしている。ワイン地所も山の上まで広がっていて、地形も土壌も単純である。

暑い週末である。走り終わって肉屋から戻って来て、車内に掃除機をかけた。四半世紀以前に部屋で使っていたフィリップスのHR6400Bという製品で、電気入力940Wと書いてある — プラグインの充電は8Aぐらいか。谷に下りて来てワイン地所のところで車内の足拭きマット叩いておいたので、砂や枯葉などを吸い上げた。5セントを吸い込んでしまったが、掃除機のゴミバックを新しくしてあったので直ぐに取り出せた。フィルター類も新しくなっている。運転席から逆時計回りに掃除していく。トランクをその儘しておいて最後の助手席を吸い込んでいるときに焼けた匂いがして、見ると煙を吐いていた。近所の人は、掃除するのを暑い今日にするべきじゃなかったねいうが、そうじゃなくて焼けたと汗みどろで掃除する。

トランクルームは改めてとして、これで次には椅子類の皮革にクリームを塗って、その他の場所も拭き掃除しようと思う。気が付いたのはドアの合わせのところなどの汚れで、一度綺麗に拭ってみようかと思う。パッキングのゴムなどが傷むかもしれないが、薬品で拭うことでの様子を見てみたい。こうなれば新車では手控えるようなことを試してみたい。遮音にも関係するところで、今後の参考になるかもしれない。窓ガラスも八月の終わり頃にガラスクリーナーで拭いておこう。

最も関心があるのは最終的には車の電子関連インターフェースからエンジンデータなどを取れるかどうかも試してみたいのだが、PCの方に不必要なソフトウェア―を入れないと使い切れない。ボードコムピュターでは読めるようにしたのだが、それだけではダイナミックスな関連した情報はみれない。

新車になると処理する情報量が軽く百倍以上で恐らく千倍に近くなっているので到底古いPCぐらいでは読み切れない筈だ。エンジニアも必要な情報だけを読み込んで仕事をしているのだと思う。



参照:
脱スクラップ盗難車 2024-07-20 | 生活
エマニュエル夫人の家 2024-06-20 | アウトドーア・環境
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脱スクラップ盗難車

2024-07-20 | 生活
摂氏30度に至ろうかという快晴。シャツを回収序にボールダーへ。いつものように一時間足らずの挑戦であるが、運動量は多かった。なによりもまだ午前中の空気が残る中で準備体操が出来たのは良かった。身体が積極的になってきている。少々課題を外していても手が出るのがいい。でも少し身体が重い。

ガレージに行くと前夜目張りを剥がしていたところも綺麗になっていた。一部鱗が落ちそうなところは指にボンドをつけて張り付けておく。陽射しの中で見ると遠目には目立たなくなった。少なくとも廃車スクラッププレス場から盗んで偽番号つけて走っている様には思われないだろう。更に回りの汚れを拭き取ると、まだ何もしていない鱗の部分が逆に目立つ。先ずは此の侭で様子を見る。

心理的な影響で車の走りもよくなったかに思える。速やかに走る感じで気持ちがよい。以前は坂を上るのも何時動かなくなるか心配だったが、調子が良い感じがする。

時間がある時に車の内側を徹底的に掃除をしよう。ルツェルンに出かける前に完璧にしておきたい。クーラーの効きは悪くはない。以前の車は冷却ガスなどがよく抜けたが今の車では一度ぐらいしか問題にならなかった。冷却液ぐらいはしれているが、ミラノに行くまでは順調に効いて欲しい。

買い物から帰宅しようと車を走らせると、対向車に目が行った。どうやら発注した車と同じフロントのようで、ラジエターの黒と車体の白のコントラストがとても良かった。擦れ違うとスターションワゴンだと分かった — 新モデルは幅が広がっているので若干食み出してくる感じがあった。それでもフロントは全く同じ筈で、初めて明るい配色のを見たがとても良かった。恐らく発注した車も黒とのコントラストが効いて間違いないだろう。リアーは既に見ているので全く問題がない。

森の中でKIAの隣に停めたのだが、背後の排気管が左右についていてそれもフェイクかと思って、地面から写真を撮ると二つ消音器が付いていた。その様な価格にして半分もしない車でも真面にと思うのにメルセデスがと思うが、株式過半数を買収したスポーツモデル子会社AMGがデザインしている。本来はテュ―ニング会社なのだが、BMWにおけるアルピナほど売れる製品は出していない。今回もエンジンまで手を入れている本物ならば違うのだろうが、デザインだけのAMGモデルを売り筋としているのは余程利潤が出るに違いない。それにしても高額な金額だけを取ってYouTubeを観ていると極東のロシア人朝鮮族にも笑われるようなものを販促するのには呆れる。抑々黒自体が不況対策であり、それを更に黒のフロントグリルと合わさせて、更に追加料金で黒枠のナイトラインというの迄売りつけている。余りにも節操がない。好みの問題ではない。

オプション等はネットにある動画や取扱説明書などを見て、必要ならば変更も辞さない気持ちで研究している。あれだけ複雑なシステムになると航空機と同じでじっくり準備しておかないと廃車迄全然使いこなせない。

ぶら下がるような動きが多かったので肩が痛い。鉄棒しているのと同じなので慣れさせて筋肉をつけないとまた関節を裂傷させる。



参照:
滴ることない炎に点火 2024-07-18 | 雑感
今回の脱落と修理 2018-10-08 | 生活
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カイザー音響への道程

2024-07-19 | 文化一般
承前)モーツァルトフェストの演奏会、カイザーザールではサイドの一列目も空いていた。しかし舞台を高く組んでいるのは知っていたので、後ろの席にした。サイドであるから安い。三ランク目の席であったが、音響を知るためには十分だと考えていた。

当夜演奏された曲は、ヴェーバーの交響曲二番ハ長調から始まるプログラムで、冒頭からバロック楽団の面目躍如であった。ベートーヴェンの交響曲四番と同時代の交響曲とはされながらその曲はモーツァルトの協奏交響曲以上にバロック的な楽器の受け渡しなどがある。この曲を生で聴くのは初めてだったろう。

二楽章の緩徐楽章に数年後の「魔弾の射手」の萌芽があるとされているが、そのメヌエットや終楽章のユーモア感覚がハイドンだとされるように、その響きが浪漫的だとされたのはあまり正確ではない。

そのように断定可能なのは、昨今では決定的な名演とされているバーゼルの室内合奏団をエンゲルが指揮しての上演ではバロック楽器と奏法で激しく荒れ気味に演奏された。つまり、そこでのドイツ浪漫派の萌芽とするその意味合いの認識を新たに得た。

つまりここでもその楽器間の絡み合いはよりバロックのコンツェルタントであって、その妙こそが核心にある。実はその方向でこそシューマンの作品などが評価されるのは、20世紀に実は創作としても試みられて再認識されていた。

当夜の演奏会ではフィンランドのあまり知られていないバロック管弦楽団が演奏して、ヤンネ・ニソーネン指揮でディナー付きのゆえか休憩なしで集中して三曲のみが演奏された。しかしその楽団の名前を何処かで見た覚えがあった。なんと今年のハイデルベルクの音楽祭に出ていたのだ。

ヴェーバー演奏でもとても積極的なプレーが見られて、音楽的なダイナミックスやパウゼの息など思う通りに決まっていた。この曲における協奏的なプレーの面白さとテュッティの受け応えなど、正しく聴きどころはそこにしかない。二曲目のホルンなど必ずしも超一流の演奏が披露される訳ではない。しかし音楽的な演奏における感興とかその歴史的な位置づけとかが示される演奏で、決して大きな管弦楽団を指揮者が指導するような演奏実践ではこういう曲の本質は示されない。

この指揮者とここで弾いている音楽家たちがどうもタピオラシムフォニエッタで仕事をしているようで、共同体のような関係なのかもしれない。それほどアーティキュレ―ションなども共有されているので、実演での指揮の意思がとても演奏に活きていた。

一曲目で若干雑な印象得たのも仕方がないのかもしれない。それはプログラムが進むにつれて、そのアンサムブルのあり方などを観察するとより感じられた事であり、この演奏団体のものになってきていることがよく知れたのだ。(続く
Tapiola Sinfonietta: Beethoven Symphony No. 4 | Musicus Fest 2016 Finale Concert

Ludwig van Beethoven: Coriolan Overture - Shaw: Watermark




参照:
すっきり爽やかな泡もの 2024-07-16 | ワイン
週末の小片付けもの 2024-07-15 | 音
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滴ることない炎に点火

2024-07-18 | 雑感
蝋燭点火スティックが使えた。蝋燭も完璧だが蚊取り線香も着火した。リンの匂いもガスも無しに火を使られのも有り難い。高級レストランなどでは見ることが多いが、意外にスマートに点くことは少ない。今回の商品は10ユーロ程だった。何よりも気に入ったのがUSB充電である。匂いがないのでワインを開けて一服の感興を削がない。

翌朝ガレージに行くとなるほど錆の表面が綺麗になっていた。やはりネット情報で作った酢と食用油の混合ではこうはならなかった。油っぽくなくても綺麗な鉄っぽい表面が出て来た。先ずは一っ走りしようと思うと、後部のトランクの横が錆びていて落とすのを忘れていたのを発見。帰って来てから新たにブラシ掛けをする事にした。

戻って来て、先ずはブラシを取りに行って、ごしごしすると瘡蓋も落ちた。先ずはそこに紙やすりを掛けて、錆取り剤を塗布して、12時間待つ。それほど大きくはないが、半日ずらして、塗るしかない。

さて、予定通り、目張りを貼る。指でテープが切れるので貼りやすい。しかし細かく張るのは面倒なので適当に貼る。その間に下塗り剤の容器の缶を逆さにして置く。開けると結構グレーの色が回っていた。ブラシを突っ込んで掻きまわすとそれなりの感じになった。コロナ期間中の悪い方のマスクをかけようとするとゴムが切れたので、新たに取りに行く。こういう機会に早めに使ってしまいたい。

愈々下塗りである。流石に薬品を12時間で表面が塗りやすくて薄く塗っても余り下地が出ない。縁を上手く塗れるかどうかであるが、あまり気にせずに広めに塗っておく。前回は手を入れてあることが知られたくなかったので下地をタップリ塗る必要があったが、今回は手入れを見せることが目的なので、最低限の塗り方で、ピグメントを塗布して、最後のラッカーで表面を整えるだけである。

なるほど瘡蓋が鱗上に下がっているところが面倒なのだが、廃車迄の間なので出来る限りボンドとラッカーの上塗りで誤魔化したい。そこ迄捲っていくと限界が無くなる。目張りの効果は大雑把に面で塗れることで、ブラシ一気塗りの効果があって表面を均す必要もなかった。

半日経過以降に塗り残り片付け、先ずは下塗りは一先ず終了である。材料はまだあるのでブラシも残りは小さな歯ブラシでも使えそう。スプレーは水曜日までに到着の予定だが、遅れるならば水曜日には塗れない。塗れて仕舞えば木曜日には普通に走れるようになるか。どうせ目張りはビニール袋も使って違う貼り方になるので、そこからは改めて遣り直しになるかもしれない。

ここ迄仕事をすると右肩が痛くなった。肘にも走りに続いて負担が掛かっている。力を掛けるのは鉄ブラシと紙ヤスリだけであるが、二時間ほどの作業で疲れた。肉屋の序に床屋の予約を取った。来週までで夏休みそうだったので、火曜日の予約とした。手持ちの現金で夏迄の洗濯代もそれで支払えるか。

塗り残しも就寝前に済ませた。水曜日にスプレーが配送されれば、色はと不可能である。最後のラッカー迄の何時間空けるかである。



参照:
機会均等への社会的判断 2024-07-17 | マスメディア批評
週末の小片付けもの 2024-07-15 | 音
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機会均等への社会的判断

2024-07-17 | マスメディア批評
一走りから帰宅への車中。SWR交響楽団の次期音楽監督ロート氏との契約の履行の決定が報じられた。そして文化局長のアンケ・マイ女史が答える。まず最初に、フランスで報じられた事件のようなことはSWR内部では断じて許されない。現在までには問題がなかったとの調査結果 — 嘗て長らく合弁前のSWF交響楽団時の見解は以下の決定過程に繋がるかもしれない。同時にその役割と昨日から楽団との信頼関係なくしては任務が履行されえない。そこから防止策として、指揮者・楽団、客演ソリスツなどに適用される基準が設定された。それを話すマイ女史も楽団のマネージャーと共に自ら監視する責任を負う。

今回の判断には公共放送局として、ケルンでは顧みられなかった、多様化の中での差別のない機会均等の権利を尊重するという社会的な使命がある。つまり本人も過去の誤りを認めていて、そして新たに適用される基準に同意していることから、もう一度機会を与えられてしかるべきだという判断。また同時に芸術創造の場、つまり感情的な親近感などの無いところでは仕事が実らないという特殊性もあって、お互いの信頼感を構築する為には基準の中で試してみるしかないというのである。

こうした判断に至る経過には既に言及した様に過去の楽団からの楽員などの支持も少なくはなかったということで、即ち楽団内にも批判もある一方今後音楽をする環境にはあるということらしい。そしてその決断が社会的に批判を受けてということになるかもしれないが、前任者の時と同じく、楽団と指揮者が何を芸術的に示せるかというSWRの主張となる。

指揮者ロートへの個人的批判点が今回のことでより明白化されることで、音楽的にも明晰化されるのではないかと期待する。舞台上や裏そして会場の受け止められ方は分からないが、最終的には芸術的な評価の如何でしかない。

スチールブラシでゴリゴリやった。昔何かに使ったことがあると思うが自分で購入して使うのは初めてだった。銀色の固い方でごしごしやったが、思っていた様に表面の痘痕が落ちるほどの効果はなかった。だから紙やすりで擦る必要はあった。回りの鱗が少し落ちる感じは悪くない。二種類の柔らかい方を使う必要は無く、やすりで表面を滑らかにするだけで十分だった。

そこで走りに行く予定だったが、まだ陽が高く摂氏30度に近かったので、断念して錆落としの薬品をピンセルで塗ることにした。念のために両方の後輪タイヤには布を掛けて保護した。

細いピンセルを使ったので最小量を満遍なく塗布するに終ったが、少なくとも削った錆の粉などはこれで綺麗に落ちる筈だ。12時間待つので、朝一番に車を動かして走ることで、又一日車を停めておくことが可能となる。上手く行くとその間に塗料も配達されてスプレー塗布も可能となるかもしれない。

念のために下塗りの材料を再検査すると3CM以上の量があり、下に溜まっているピグメントを掻きまわして溶かすと、先ずは一通りは塗れるような気がした。錆び落とした場所も深くはなく薄く濃く塗ることが重要である。痘痕を如何に平らに塗るかだけである。大きな刷毛で塗ってから、クレディットカードのようなものをヘラにして表面を平らにするしかない。



参照:
SWR hält an François-Xavier Roth fest, Anke Mai, 16.07.2024 vom SWR2
隈も何もない浅墓さ 2024-05-25 | SNS・BLOG研究
週末の小片付けもの 2024-07-15 | 音
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すっきり爽やかな泡もの

2024-07-16 | ワイン
ヴュルツブルクのレジデンツでゼクトが振舞われた。演奏会後のディナーにも合わせたものなのだろうが、フランケンヴァインの各町のヴァインプレンツィンが集っていて、正装で聴衆を迎い入れて、グラスが手渡された。

毎年のように最後にやっているのかどうかは知らないが、ワイン業界にも重要なイヴェントになっているのはよく分かった。最終演奏会だったのだ。

そこで供されたものも決して悪いものではなくて、催し物の前にはアルコールを飲まない私でもあるが、軽くすっきり感は暑い日にも全くなんともなく清涼感もあった。十二分な宣伝が出来た筈である。

会場への人がいない大階段とそのフレスコ画を幾らか撮影できたのは良かった。ここだけはザルツブルクよりも価値があるかもしれない。

レジデンスの前に広場を大駐車場として開放しているのも観光地としては大きな加点である。街自体の通行量も知れていて、飲むワインには事欠かず、それなりの美味いものもある。

今回ビュルガーシュピタルで食したのは、フランケンの名物料理のブラウツィッペルである。何か長いものだという感じはしたが、皆目分からないので訊ねてみた。ソーセージの酢っぱく湯がいたものだということで食した。見た目からすると熱くないヴァイスヴルストのようでもあるが、実質的にはブラートヴルストの焼いていないものとなる。その酸味が爽やかでつけ合わされている野菜も気持ちよい。勿論酸味の効いたワインに完璧である。ジルファーナ―で十分である。

その名前の由来は長いものはペニスとも称されて、ブラウは鱒を同じように煮たフォレレブラウから来ているとも書いてある。なるほど基本的な味筋も似ていて青っぽい感じもそのものである。やはり旅行に行って土地のものに巡り合えるのは醍醐味である。

翌日マイン上流のゾンマーハウゼンに出かけた節にも醸造所のおばさんにそのことを話すとそれはと笑っていたので、やはり地元の人にとっては、こちらでのザウマーゲンとかその手の密かな料理にもなっているのだろう。

特にワイン処での食事の質は、その産地でのワインの質を反映する。それがは最も敏感に反映するのは地元の蔵出しワイン酒場のであったり、それ以上に少し手の込んだ食事を出しているレストランであったりする。それはフランスでも同じで、ボルドーでもサンテミリオンとメドックでは料理の質や出しているものも違っている。

こちらワイン街道でもこの四半世紀でリースリングの質が向上したことから、嘗ての様に塩辛くしてワインをがぶがぶ飲ませるような料理は殆ど無くなった。それからすればフランケンもまだこれからで、ワインの質も料理の質も徐々に上がっていくものと思われる。



参照:
視覚を超えるバロック音響 2024-07-14 | 音
フランケン葡萄処漫遊記 2024-06-21 | 試飲百景
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週末の小片付けもの

2024-07-15 | 
手が空いているときに片付けもの。ヴュルツブルクのそれも片付けたいが、嘗てそこからの放送も非圧縮でそれをDATで録音していた。そのプレーヤーの開閉窓のゴムが伸びて来て異音を出すが、再生中には問題がない。夏の間にと思っているカセットデッキ同様に修理していない。

それを再生しようと思ってモーツァルトフェストの過去の録音を探した。クーベリック指揮他があるのだが、一度ケースごと落として中身と一致しないものがあって、そこにはザルツブルクでのドホナーニ指揮の「コシファンテュッテ」が入っていた。それは所定のところに戻すと、そこに入っているものがまた異なった。これは片っ端から頭出しする仕事もしたくないので、ちょこちょこと音出しをする。

放送もPCM36kHzサムプリングレートだったので、録音もそれに合わせてあって、現在のハイレゾからするとCDにも満たないのだが、新車にも搭載されている圧縮AAC音声のデジタルラディオDABよりはいい。逆にDABで問題なく入信可能ならばPCで録音するのと同じように走行中に録音可能か。

DSRを録音している期間はその放送が終るまでの90年代の中盤である。BR関連は当時のものもあるがそれ以前のアーカイヴからの放送を録音している。ベルリンからはアバド時代で丁度下手な演奏が耳についた時期である。どうしても生で聴く機会を作ろうとも思わせなかった。録音してあるヒンデミートなどでもCD化されたもののように編集が出来ていない生なので繰り返すには聴くには絶えないものが多い。

しかし久しぶりに音出しすると、そのデジタルの水準に拘わらずにしっかりした音が出て気持ち良い。所謂スタディオクオリティーでなくてもBGM程度に流しておくにはこれで十分であり、逆にPCオーディオでのハイレゾにはない音の落ち着きがある。DACは同じものを通していて、DSD化されることで余計にそのように感じるのだろう。

オーディオ趣味の発想からすると、こうしたバランスの取れた音響が家庭での音楽鑑賞として求められるものなのだろう。そうした市場も今や留意するほどもでもなく収縮して仕舞っているのだろう。

土曜日は20時過ぎには起きていられなくなった。アルコールも少し入っていたがやはりここ暫くの天候に合わせるだけで疲れが溜まっていたのだろう。24時過ぎに完全に起き上がって、再び就寝した。それでもぐっすりと眠れた。朝晩が冷えるぐらいの方がやはり気持ちが良い。

週明けから暑くなりそうで、そして直ぐに雷雨に見舞われるらしい。夕方までに走っておかないと時間がないかもしれない。錆取りブラシが配送されるので、急いで錆を落として、軽くヤスリがけして、錆落としを塗布しておけば、翌日火曜日には下地塗りが可能となる。それも12時間ぐらいすれば乾くだろう。

その様子で目張りなどの準備を考えればよいだろう。もし下塗りの材料が足りなければ材料を取り寄せたりで、もう一週間ほど時間が掛かるかもしれない。足りると思うのだが、缶の半分以下になっているのでなんとも分からない。前回は厚塗りしたようだが今回は最早色目に拘らず薄く塗れる。



参照:
手作業での車の塗装 2017-09-01 | 生活
視覚を超えるバロック音響 2024-07-14 | 音
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視覚を超えるバロック音響

2024-07-14 | 
6月のヴュルツブルク訪問。コロナ前からそこで開かれるモーツァルトフェストは何度も入場券を準備していた。主な理由は適当な距離でワイン祭りを逃れれるからに過ぎなかった。丁度その時期に開かれる音楽祭であることには変わりない。

クーベリックやデーヴィスが振っていたころにも出かけてみたいと思っていた。現在の音楽ホールでモーツァルトが真面に演奏されることは稀になったから、シュヴェツィンゲンをはじめこうしたところで演奏される機会は貴重である。ご近所のシュヴェツィンゲンに関しては、室内楽なら全く問題がないのだが、協奏曲から交響曲となるとそれほど適当な演奏会場ではない。

その点、ヴュルツブルクのレジデンツの広場は、モーツァルトとの直接の関係は薄くともその素晴らしい音響はザルツブルクと同じ設計者のバロックの司教区として特別な意味を持つ。時代性である。

その建物自体は見学を二度ほどしているので馴染みである。しかし、そのカイザーザールの音響を確かめるのは今回が初めてだった。勿論中継映像か録音などでも何度も聴いていて、マイクを通した音には馴染みがある。そしてそこの音響は想定を可也上回っていた。

こうしたバロックの大広間での演奏会には接することがあってもその視覚的な華麗さを超えて音響的に本当に満足できる会場は未だ嘗て経験したことがなかった。しかしそこは偶然にか聴覚が視覚を越えていた。

実は今まで購入しながらお流れになって払い戻したり再投資したりしていた席は殆どが次の間のヴァイスアーザールだった。価格のこともあるが、本会場は常連さんに売れて仕舞って中々入手が難しいということがあった。今回はガラと謳ったディナーが付き券があまり売れていなかったようで、比較的安くていい席が空いていたことが購買に繋がった。40ユーロだった。その前提としてワイン祭りの日程があるものだから必ずしもそれを目指してとはならない。

それでも初モーツァルトフェスト訪問は、先ずそれを確認しただけでも大成功だった。そして、あまり人気の無かった最終日のフィンランドのバロック管弦楽団の演奏はその殆ど無名の指揮者と共に想定を遥かに上回る質であった。コロナ期間中に購入しながら無聴衆などで生中継されたものなどよりも音楽的に遥かに充実していた。

今回の一連の旅行は先ずはミュンヘンのレジデンツの演奏会場の音響を確認する件があって、その演奏会内容が指揮者交代によって殆ど無意味になって仕舞ったことから、どうしても意気消沈することが多かったのだが、ヴュルツブルクでの音響の体験とその演奏内容はそれらを補って十分なものであった。

今後もワイン祭りが開かれる度に出かける可能性の一つとして間違いなく上がってくるモーツァルトフェストである。中々今回の様に価値のある演奏会はないに違いないのだが、その特別な音響であるからこそ、芸術音楽的に意味を放つ演奏会が今後も催される可能性が存在し得るのを確認したことになる。(続く



参照:
フランケン葡萄処漫遊記 2024-06-21 | 試飲百景
飽和するぬるま湯環境 2024-06-19 | 音
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白板で束縛される

2024-07-13 | 雑感
錆落としの液が届いた。思ったよりも小瓶だった。説明書を見ると、先ずブラシと紙やすりで掃除して、ピンセルで塗って、12時間とある。ブラシが届くのが月曜日となると、早くても下地を塗るのは火曜日以降となる。下地を乾かして仕舞えばラッカーを塗るのは何時でもいい。まだ大分剥がしたがまだそことは別に瘡蓋が被ったところはあるが、それは今回はやらない。最後までもってくれると思う。月曜のあとの水曜日にはまた車を動かせるだろう。下地の残りを刷毛一本でざっくりと塗り了えれれば先ずは成功だろう。

久しぶりにモニターの後ろ側の壁を整理した。白板を置いてから四半世紀になるが、その後のPCをドッキングステーション化したので、大きなモニターの後ろ側に隠される形になっていて、長く有効利用が出来ていなかった。今回、白板の下縁をモニターの上に下まで上げたので、ピンボート以外にもボードとしても使えるようになった。これでYouTube配信が可能になるか ― 実はもっと大きな白板が架かってはいる。机の前なので主に電話時などのメモに使いやすい。元々はその為に設置したのだった。

就寝前に蚊が飛んできたので、金鳥を燻した。神経ガスで睡眠の質が変わる。涼し目だったので寝室を閉め切れたのも違うだろう。就寝前の目薬で全20回程は点している。二滴づつで40液ぐらいか。どうも眼精疲労に効果が出てきた感じである。眼の隈も質が変わってきている。全体の六分の一ぐらいの消費なので、半分ぐらい即ち月末ぐらいには結論が出せるかと思う。決して重篤な訳ではなかったが少しでも健康に感じるようになるのは素晴らしいことだ。

彼の楽聖ベートーヴェンでも晩年の弦楽四重奏曲イ短調作品132の緩徐楽章において、「聖なる回復への神への感謝」と題してリディア音階で印象深い音楽を書いている。如何に肉体的な束縛から人も逃げられないかが芸術音楽によって語られることになる。

新車のヴィデオなどを観ていたら気になることが出て来た。トランクの自動開閉の件で、それがついていない仕様の試乗ヴィデオで初めて観たからだ。発注した車にもついていると思い込んでいたからだ。そのオプションはつけていないことが分かった。理由は宣伝文句が両手が塞がっても足のキックで開けれるとあったからだ。そのようなものは必要がないが、閉める時に腕を使わないでいいのは嬉しい。そしてその開閉と先日言及したキーの代わりにアップルウォッチが使える機構も同じオプションに含まれていた。全部合わせて税抜きで1500ユーロなので可也高価である。

そしてこうしてその価値があるかどうかを再吟味できた。どうしても必要ならばまだ発注は可能だ。しかし、断念も可能である。トランクルームは手動としても、開閉をどうするか。スマートフォーンなどにコードを入れることは安全性を強化はしないだろう。コードを読み取る可能性は増える。そこから推測すると、鍵がなくてもコードを盗んで車を盗めるということは、鍵がなくても動かせるということでもある。コードを盗むシステムは比較的容易に入手可能と書いてあった。本鍵を持参していて、そのコードを読み取って、アプリケーションで肩代わりすることはそれほど難しくない。本鍵がなければ動かないこ方が安全である。

車のデザインモデルによってはそれらを全てパックにして比較的安く提供している。しかし敢えてそれを選定しなかった。その結果がどうなるか。お仕着せは嫌いなので、こちらの思う通りにオーダーできることに価値を見出す。必要のない機能はつけたくない。



参照:
使い切るべきその価値 2024-07-06 | テクニック
漆黒でも冴えない星 2024-07-11 | 雑感
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