Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

骸の上で商売をする

2021-04-18 | 
オペラ指揮者ティーレマンのBR交響楽団デビュー無観客演奏会を観た。期待されたのは独墺作品における次期首席指揮者サイモン・ラトルの弱点を埋めれる指揮だった。結果はそこまでは行かなかった。

オープニングの「ヴィーナーフィルハーモニカーの為のファンファーレ」ぐらいの曲ならば本領が発揮されていたと思う。しかし音響自体は鈍く、楽団の方も間隔が空いているので仕方が無いのかもしれないが、決まらない。アンサムブル上の特徴もあるが、ヤンソンズ後遺症の共通したものも感じる。その点流石にラトルが振ると違うのだ。

インタヴューで面白いことを話していた。指揮の動作が小さくなるほど良いということで、クナッパーツブッシュ程になればそれは良いけどと、それは長時間のオペラ指揮での省エネ指揮の極意だとしていた。特にバイロイト音楽祭で身に付くとしていた。小さい動作で始めればまだ次があるかと思わせて、「もっともっと効果」が出るというものだ。

そこでミュンヒェンにいたのに指を加えて放送交響楽団の方を見ていたというが、楽団を名指しすることなく、余程フィルハーモニカーに対しては悪口しか出てこないのだろう。

もう一つ、そうして経験を積むと指揮が巧く出来るようになるというのとは反対に、若い時は楽師を信用できないので上手くいかないというのがあった。まさしく一昨年の「影の無い女」が「副指揮者」の力を借りて上手く行ったように、任せることが出来るのは年季だろう。ティーレマンの若い時のどうしようもなさを聞いているので、そうなんだろうなと思う。比較的長くアシスタントなどをしていたようだが、出来の悪い職人も時間を掛けるとなんとかものになるということか。

シューマンの作品におけるテムポルバートの話しをしていたが、メインレパートリーとされるロマンティックな曲での指揮がもう一つ冴えないのは、そうした意識で以って指揮しているからだとよく分かる。テムポとリズムの関係は一生やっていても身に付かないに違いない。

生演奏を聴いた十八番とされるブルックナーの交響曲五番でもやりたそうなことは分かるのだが、それが実際にフレーズの中で正しいアーティキュレーションとして音楽にならない。要するにまどろっこしい。

残念ながらあの指揮ではどこの放送交響楽団を振ってもあまり相性が良くないだろう。やはり座付楽団とかローカルの交響楽団で振っている方が価値がある。ラトル時代になってこの人が振っても新ホールが満席になるとは到底思えない。ミュンヘンの故カイザー教授が彼の何を評価したのか分からない。フルトヴェングラー指揮はこんな不細工なものとは違う。勿論カラヤンの器用さは更々無い。

朝一番でポストに投函して自動引き下ろしへと出かけたが故障中だった。現金を下ろせなくて困った。幸いパン屋の金だけは何とかなったので手数料を払って他所で下ろすことは無かった。銀行の支店が無くなって他に方法が無くなると郵便局だけでは心もとない。また月曜日の早朝に試みるしかない。現在現金しか使えないのはパン屋だけになって肉屋などそれ以外はカードで済むようになった。コロナ化がキャッシュレス化を進めた。

昨秋、特恵日本公演をしたヴィーナーフィルハーモニカーはクルツ首相が菅首相に電話したことで入国したが、今回ヴィーン市の特恵でミラノ公演を控えたヴィーナーフィルハーモニカーが接種を済まして問題になっている。命の危険に曝されている人達を差し置いての接種だった。それも現在日本滞在中のムーティ指揮でのミラノ公演をキャンセルすると違約金が発生するという理由での要請だったらしい。昨春には特別に演奏をする許可をクルツ首相に申し入れて、オーストリア政権のコロナ対策に甚大な影響を与えた。ヴィーナーフィルハーモニカーはどれほど多くの骸の上で商売をしているのか、その道義が問われる。



参照:
新音楽を浪漫する 2021-03-30 | 音
殆ど移民の為に酸素吸入 2021-03-08 | 歴史・時事
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定員の三割入場者に賭ける

2021-04-17 | 文化一般
バイロイト音楽祭が先行した。一週間前に出ていたバイロイトでの会合後の記事からすると、本来のプログラムを維持しながらも無観客中継公演になる可能性も強くなった。

会合後には昨年の券を寄付した者からは優先的に注文を取るということだったが、それが取り止めになって一般オンライン販売直前に優先するというものに変わった。理由として販売座席数が明らかにならなかったということで、最小の恐らく500人とかいうような数字も州から許可にならなかったのだろう。

バイロイトの祝祭劇場は楽匠ヴァークナーが国王ルートヴィッヒ二世にせがんで建造された其の侭が残っていて、音響の為に空調が導入されていない。よって、昨年も早期に音楽祭中止が決められた。そして今夏は接種やテストによって少なくとも間隔を空けることでの安全性が試みられた筈だ。

しかしここに来て接種後も自由を与えるような科学的な根拠が希薄になり、入場前の簡易テストの偽陽性、偽陰性が再び大きく取り上げられるようになったので、その劇場内での空気感染の危険性は著しく高く、感染を防ぐ手立てが無くなったとも思われる。テストよりもなによりも戸外で間隔を空けてという認識に再び戻ってきている。

観客者を100人とかに絞れば可能だと思うが、一回公演以上はしないだろう。プログラムで挙がっているのは新制作「オランダ人」、再演「タンホイザー」と「マイスタージンガー」、マルチメディア「ヴァルキューレ」、戸外での展示、先ほど東京で行われた「子供のためのパルジファル」、演奏会形式ヴァークナーの夕べぐらいである。

再演の二つは上演する価値が無く、その他を戸外若しくPVなどにして一回だけ上演するというのが妥当であろう。

今年は潤沢な入場券収入が無いと破産するとされていて、どう考えても流用資金にも困るようになるので、音楽祭有限会社の形態も変わる契機になるかもしれない。

個人的には昨年は希望するものが無いとしていたので今年は優先権は無く、管弦楽団も大幅に縮小されて、合唱もリモートになるので、今年は機会があれば「オランダ人」には潜り込めばよいと思っていたのだ。しかし今年も人数が減る若しくは無観客となると、また来年も通常ならば券を別けて貰えたのだが入手がそれほど容易ではなくなる。

先ずは、ミュンヘンのオペルンフェストシュピーレがどうなるか。劇場は空調も効いているので、それ程問題が無い。しかし、検査も接種もあまり影響しないとしたならば、精々500人が限界だと思う。同じバイエルン州のヴュルツブルクはそれほど空調の無いようなバロックパレスで三割以下で、100人ほどの聴衆に50人ほどの演奏家などだろう。やはり規模が多く入場者が多くなるとそこに陽性者が混じる可能性は高くなる。



参照:
通信社のインタヴュー記事 2020-10-01 | 女
これからの動機付け 2021-03-27 | 料理
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医療崩壊への感染拡大

2021-04-16 | 生活
ロベルト・コッホ研究所によると医療崩壊に進むようだ。既に手立てが追い付かないという。一部地域では計画手術等は見送られているようだ。最も注目すべきは、全酸素呼吸器の八割に至るコロナ重篤者で、新陽性者の多くは15歳から40歳代になってきているという事だ。

新陽性者ということは必ずしも症状が出ているとは思われないが、彼らが接種を受けるのは何カ月も先になる。同時に死者数も落ちて行かないという予測である。その理由は分からない。更に重篤者の一割は予後が悪く何カ月もかかる可能性があるという。

以上から今後も医療への負担は変わらないどころか頂点をこれから迎えるということらしい。こうした状況判断を含めて、明らかにドイツにおけるコロナ政策は完全に崩壊しだした。理由はよく分からないが、政治的な駆け引きが激しくなって、施策に影響してきているとしか思われない。

緩和政策の中で重要な要素となったのが抗原簡易検査の多用である。その信頼度から当然全員検査などにすれば一定数の誤りが起きることになるのは初めから分かっていた。更にスロヴァキアから始まりオーストリアで踏襲されたような全員検査も最終的にはPCR検査を全員に定期的にして行くしかないので、感染の予防にすら役立たなかった。オーストリアの緑の党の担当大臣が体調不良を理由にコロナ禍半ばで辞任するという責任回避しかなかったのは当然の帰結である。最初から失敗に終わることは火を見るよりも明らかだった。

ドイツにおいても週二回の無料検査など、また学校や職場での検査義務化などがあっても暫定的な方法でしかない。現在議論になっている学校閉鎖の条件を十万人中200人の陽性者数では甘過ぎるとあるが、検査すればするほど無症状者の児童の感染などが発覚するので追々数字も上がる。

少し考えれば分かることであるが、発覚して多くが感染しているとなるのを待って休校にするのか、予め休校にするのが良いのかは誰でも分かる公理である。結局検査は、尚更その為に会場前に集まったりすれば感染者を増加させ、感染抑止には繋がらない。

同様な夢物語は接種パスによって完全に自由を獲得できるというのがあるが、これも抗体が半年後には五分の一の人には消えているということからして、数か月前の接種などはなんら役に立たないことになる。

ここ二三日冷気の為でもあろうが胸に圧迫感があった。所謂肺炎風で久しぶりに出血風の感じでむかついた。但し天気も良く寒くともショーツ一丁で走れるので気持ちはよかった。コロナは健常者にとってはただの風邪でしかないが、やはり気持ち悪さはある。昨年10月ごろから快調だったが、上記されている様に半年もすれば抗体も弱まり、又変異株に対応出来るとも限らない。少なくとも感じからすると怠惰感や寒気はあったが、以前のような立ち眩みなどの神経的なものは無く、どちらかというと劇症な印象は受けた。

感染したとすればその可能性は限られたところで空気感染しかない。だから早速サージカルマスクからFFP2へとマスクを付け替えた。ここに来て再び、丁度一年ぶりぐらいに真面目にマスクをしようという気になった。

短いコースを走った。気温は摂氏二三度だったので、陽射しを浴びなければ結構寒かった。GPSが明らかに道から外れていて、正しい計測は出来ていなかったようだが、前回に続いて早かった。準備体操をしているときに森に入って行ったお座さん三人組が長いものを持っていた。弓か何かかと思っていたら裁ちバサミだったようで、新緑の木の枝を持ち帰るようだった。生花か何かにするのだろうか。

林道の下りで長く加速出来た。但し心拍数169でカーヴに掛かって落としてしまった。その後更に心拍数は上がった。負荷を落としても上がる現象を再確認する。更に帰りに工事中迂回路を通っていた車中で心拍上昇警報が鳴った。負荷を外して十数分後にも90を超えることはあるのだが、どうも100を超えるぐらいで警報が鳴るようだ。調べてみなければいけない。またペースの計算とGPSの読み込みポイント間の計算方法を見てみないといけないと思った。ラップの取り方ということでもある。



参照:
日本趣味とか極東ミックス 2021-04-14 | 文化一般
ヘブライ訛りの節回し 2021-04-09 | 音 
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初夏に向かって考慮

2021-04-15 | 
ルツェルン音楽祭からメールが入った。通常のお知らせの前に会員向きにメールを出した。内容は、昨年末の予約を其の侭にするか白紙に戻すかを選択できるというものだ。つまり、8月からの音楽祭のプログラム一部変更だけでなく、休憩無しのマスク付き演奏会になり、収容人数も減員する為に座席やクラス分けも変わるというものだ。

自身の場合、マスクは叶わないが、そこでマスクならザルツブルクもドイツでもどこでも変わらないだろう。あとはマスクの種類が変わる位である。夏であるから無いに限るがそれによって断念することは無く、状況が変わって解放されることを願うだけである。正直夏のマスクとタイとどちらが暑いとも限らない。昨夏のザルツブルクでの経験が活きる。

気になるのは休憩が無いという事はプログラムが短くなるという事で、これはこの夏のプログラムが大きく変わることを意味する。超大編成や大合唱は断念するとしても中規模から大編成に近い作品は期待している。

座席に関してはそもそも今までの経験を踏まえてお任せにしてある。だから範疇の中でいい席を入れてくれると信用している。その価格の変動も席や収容人数を見てから考える。断れる期間もあるからだ。それよりも、収容人数が減ると基本的には視界は効くようになって決して悪い方にはならない。そもそも今夏の状況で満席にすることには違和感も不安もあり減員を期待していた。確か昨年は半分入れていた筈なので、恐らくそれ並になるのだろう。

不思議なことにメインスポンサーのロッシュが総力上げてテストをするとは書いていない。全員に簡易テストを配って、提示させることは可能だった筈だ。無料で取れるリッコラ飴と同じように可能だ。なぜしないか、穿った見方をすれば、製造者はその信用度を知っているからかも知れない。そもそも儲けの良いものがスイスで消費されては外貨稼ぎにはならない。

大きなプログラム変更では、シカゴ交響楽団が飛んでしまったことはあるがそれ以外ではそれ程旅行の難しそうな団体は無い様に思われる。

スイスが来週からレストラン等を開けるとある。テラスレストランでの飲食が出来るようだ。陽性者数指数はドイツの二倍以上ある。それでもやってみるという事らしい。興味深いのはテラスでも食事する以外の時はマスクをしろという事でまさしく日本の新食事作法尾身流若しくは大阪流のような事を求めている。スイスのマスク信奉は昨夏から顕著だったが流石に馬鹿らしい。

戸外でのマスクの利用さえが疑問にされていて、それほどの効果が無いのにも関わらずである。飛沫を恐れるならば少なくとも会食は厳禁である。スイスの対策は不可解なところが多い。

様々なことがこれから決まる。ミュンヘンのオペルンフェストシュピーレも決まって来る。6月末から7月一杯の行事である。その入場券の抽選もまだ始まらない。当然のことながら限られた収容人数で何処までの公演が可能かの決定もまだ為されていないのだろう。

来月末になると、昨年のフェストシュピーレに合わせてリリースされる筈だったミュンヘンの劇場の独自レーベルの実況録音等が発売される。本来ならば昨年の演奏会などの実況も発売されただろう。その「千人の交響曲」も現在はブレゲンツで演奏されたそれがキリル・ペトレンコ指揮唯一の中継録音となっている。



参照:
先が見えぬ今日この頃 2021-01-12 | 歴史・時事
コロナ収束への工程表 2021-03-17 | 生活


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日本趣味とか極東ミックス

2021-04-14 | 文化一般
寒の戻りで眠い。暖房を入れて温まると起きていられなくなる。少々の寒さを我慢して生活しているからだろう。

ワクチンの価格操作が二月に問題になっていた。ビオンテクが値上げを要求したからだ。一斉に批判が起こった。一回分54.8ユーロと法外な価格を要求したからだ。原資が税金から出ていることを考えると当然である。その前は3.40ユーロと他のワクチンと変わらない価格を手付として取っていた。それでビオンテクの奥さんのトルコ女性の顔が目に浮かぶ。商売上手なおばさんだ。

ニコニコして絨毯を玄関に置いて行く押し売りに近い。嘗て日本でも呉服屋さんなどは少々の手付で商品をそこに置いて行った。それで商売になる。結局EUは、夏までに16ユーロで話しをつけようとしている。そこからがまたディールだろうか。

世界で最も早く接種を進めたのがイスラエルで、まだ各国で認証がなされていない内に大量のサムプルを44ユーロで発注した。自らが実験台になっても良いという購入であった。まさしく価値が定まらない内に手を付けるユダヤ商法である。ワインでもその後の投機でも皆同じ思想で為される。EUが16ユーロで入手できたとすれば大分余分に支払ったことになるが、それ以上に得があればそれでよい。

抗原検査が考えられるよりも信頼できないという話題もある。感染して最初二三日は検査に出ず症状が出る頃になって初めて陽性になる。つまり八日間感染していても五日間しか陽性にならないことになる。つまり劇場で陰性で入場しても感染している可能性があるという事だ。これで少なくとも定員百パーセントの入場などは有り得ないことになるだろう。三割から五割入場までの昨夏並が秋までは続くであろう。

五月初めにはどこの音楽祭も団体も夏以降の計画を徐々に明らかにする予定である。五月にはパイロットプロジェクトなどとされる検査をすることで動かして行こうとするプロジェクトが前提となっている。しかしメルケル首相が感染防止法28条で法制化したように指数100を超えた時から対処が必要になる。

中華ポータルから気になっていた昨年九月のヴィーンでの「蝶々さん」を落とした。ラディオでは聴いていたが、国外には中継されなかったと思うと、なんでもそこにあることになる。演出はメトロポリタンの制作で亡くなった旦那のを弄るように中華系の未亡人が手直し演出をしている。メトのものもヴィデオでヤホの主演のものを観ている。やはり細かなところを大分変えているようだが、どう見てもエンタメの精々ブロドウェー風演出で設定とか何か以前に反吐が出る。
madam butterfly test01

Madama Butterfly at the Metropolitan Opera

Madama Butterfly: “Un bel dì”

THE MET: LIVE IN HD | 2015–16 | „Madame Butterfly” | Scena finałowa (Opolais, Alagna, Zifchak)

HUI HE 和慧 - Con onor muore...Tu! Tu! Piccolo Iddio- Madama Butterfly - The Metropolitan Opera 2019


日本趣味とか極東ミックスとか以前にこういう演出を観てそれでも舞台の読み替え云々とかいう人がいるのだろうか?どのように演出しても日本情緒趣味にこのオペラの意味はない。同じアスミク・グリゴーリアンが歌ったものでもいい演出ものはあったが、読み替え無しのもので感情移入どころかまともに観ている大人の感覚が解せぬ。



参照:
無いよりはまだ益し 2020-09-10 | マスメディア批評
暗黒に射す一条の光が 2020-12-23 | 暦
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南国の若獅子の様に

2021-04-13 | 雑感
朝は結構冷えた。夜中はそれほど冷えなかったので睡眠の程度も悪くはなかった。心拍数は最低55と高かった、寝返りで82まで上がっている。しかし量は足りていた。アルコールを夕食時と残りを後で少し飲んだのが堪えているのだろう。大体の計測結果と眠り寝起きの実感が一致してきた。

若干時間を掛けて準備体操をする。その場でのジャムプ捻りが可成り効果が高そうで、全身の羽根を使うような契機を与えてくれる。普段から縄跳びをしているような人は当然なのかもしれないが、こういう運動は平素限られる。

パンツを脱いで走り出す。出だしは良かったと思う。長くつづけたつもりだが、計測を見ると6分ほどでペースが落ちている。心拍数が153へと急上昇している。更にもう一度8分で落ちている。上り勾配になるところだ。すると心拍が173へと急上昇して、速度を上げながらの折り返し点へとヨーヨー現象となっている。折り返しを11分台は2017年3月以来、その時の往復は25分10秒、今回は25分39秒。折り返しでばてたのだが、最後のスパートのキロ2分33秒即ち時速23.5㎞は自己計測記録だろう。林道紛いだから出ないことは無い。GPS計測違いでも気持ちだけは早い。強いて言えば最後の一分間と長めに歩測を170spm以上186spmと加速出来たのが良い。その割には平均歩幅が前々回より短い。

週末の録音では今まで聴いたことの無かった演奏を聴いた。2016年以前のアメリカの演奏はオンタイムに聴いていないからコロナ禍故にアンコールアワーで流れるのが嬉しい。ボストン交響楽団をネルソンズが指揮して十八番のブラームスの協奏曲一番をグリモーが弾くのも面白かった。生ではフィラデルフィア管弦楽団との演奏を聴いたが、合わせ方はネゼセガン指揮の方がよかった。恐らく指揮者と演奏者の公演回数や相性があるのだろう。管弦楽団もフィラデルフィアは明らかに柔軟性が高いだけでなく、各奏者のセンスもいい。ボストンの交響楽団が一時ほどの精彩が無いのはそこだと思う。逆に先日のゲヴァントハウスはやはり現在とてもよい。

もう一つはシカゴ交響楽団のやはりアーカイヴで、ムーティ指揮のラテン音楽が良かった。シカゴ交響楽団はムーティ指揮では今一つというのは改めて感じる。同じ楽団を振ってもアバドとは比較にならず、ミラノでもシャイーが助手での「シモンボッカネグラ」や「マクベス」上演の後でムーティが何をやっても始まらない。そもそもキャラクターが違う。その反面、昨年の演奏のようなもののように上手くいく時もあるので、またどうしても次回にもその若獅子ぶりを期待したくなる。最上質のエンターティメントである。
Verdi Macbeth Verrett,Cappuccilli,Ghiaurov,Luchetti C Abbado Scala January1976


ルツェルン音楽祭はシカゴ交響楽団欧州ツアーの代わりに何を入れて来るのか?確か指揮者の喜寿のお祝いなのでムーティがどこかの楽団を連れてくるかだろう。ルツェルンだけのエクスクルシーヴとなるのか欧州ツアーを埋めていくのか?イタリアの楽団である可能性が強いだろう。



参照:
シカゴ交響楽団のサウンド 2020-01-25 | 音
ビッグファイヴの四つ目  2018-05-28 | 文化一般
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相似となっている風景

2021-04-12 | 雑感
筋肉痛が来ている。先週よりも酷いかもしれない。平素使わない筋肉を使ったという事だ。足先から腹筋、腰までは蹴りの影響だろうが、首にまで来た。これは走っているときに要らぬ力が入っていたことになる。更に腕もだ。だから眠く、眼を開けているのが苦しい。就寝は比較的悪くなかったが、バスに入って身体を解して眠った筈だが、眠い。

大した成果を出していないのに運動量だけは上げていることになる。こうなれば次々に繋げて行って身体を作って行くしかない。月曜日にさっと走って来れるだろうか。

録音してあったザールラント放送協会のアーカイヴを聴いた。パーカション奏者の希望で紹介した指揮者カーゲルの二回のコンサートからの録音だった。二つ目のリサボンへの演奏旅行からの録音当時は、一度出かけてみたいと思いながら、定期会員資料まで送らせたのだった。当時はネット情報も限られていたのでそういう方法しかなかった。二時間ほどの距離もある為結局叶わなかった。

紹介とその録音をざっと聴いて作風自体は可也保守的なものであるのを再確認した。つまりこうして纏めて聴いても中々聴き応えがある作品ばかりである。三十年ほど前に印象はもっと実験的だと思っていた。勿論作品の在り方自体は全く古臭くないので、今後音楽会市場で結構いい位置を占めるのではないだろうか。武満と同年輩と考えると少なくとも暫くはカーゲルの方が圧倒的に売れると思う。

コロナの感染は、復活祭休暇中の効果は出切って、又上昇にある。週明けには首相府が手綱を曳ける様に国の法律として指数100を超えるところでの緊急処置が指示出来るようになる。100を三日間越えるとシャットダウンへと移り所謂パイロットプロジェクトなどで動かしていくことが不可能になる。現在バーデンバーデンも130台であり、早めに100に落とさないと元も子もない。

アストラゼネカが一時接種中止になって、その時に自ら後期癌患者の奥さんと接種を皆に示したのがバーデンヴュルテムベルク州クレッチマン知事だった。改めてその接種風景とコメントを聴くと、「こんなに早く素晴らしいワクチンが創造されたのも神の思し召し」というような塩梅でその安全性をアピールしている。その知事が一本目の後遺症に悩んでいると出ていた。関節の痛みと熱と怠惰感があるらしい。まあ、奥さんが何事もなければそれでよいのではなかろうか。72歳の知事であるから、打っておいた方が安全だろうが、やはりファイザービオンテクにするべきだったろう。緑の党の支持者の意識は分からないが、専門家でもない学校の先生だった政治家が保証するようなことをいうのを信じる人は少ないだろう。
Astra-Zeneca: Kretschmann lässt sich impfen


同様に中華のワクチン四種類があまり効かないと、中共関係者から正式に発表された。それで四種を混合にすると効く可能性が増えるという事のようだ。

ベルリンからの復活祭特別中継の番組のインタヴューを初めて観た。インタヴューされているのは指揮者のキリル・ペトレンコでは無くて、コンツェルトマイスターのスタブラーヴァで、聞き手はフルートのパユであった。なぜペトレンコではないかというのもあるが、スタブラーヴァ―はこのプログムを嘗てポーランドの楽団にいる時に弾いたことがあると始めたが、恐らくコロナで一年延長となった定年の最後のシーズンになるという事だと思われる。

興味あることを語っていた。カラヤン時代に入団して、そのチャイコフスキーを演奏しての評価をしていた。それによると現在とはその分厚い響きとテムポルバートの多用で異なるとはしながらも純音楽的なアプロ―チで、西欧で演奏される泣く叫ぶの解釈とは異なったのが素晴らしく、そしてペトレンコ指揮で再び今度は全く自分達ロシアン楽派の演奏が出来たと、ハイフェッツでなくオイストラフであるとした。この説明はよく分かるチャイコフスキー演奏実践におけるその態度である。カラヤンの音楽性の基本にはそうした即物的な面と同時に圧倒的なサウンドがあったことが再び留意された。同時に氏が入団したころは既にルーティンでそれが熟した領域で進められていたことも認めていて、まさしく客席側から見た情景と全く相似形となっている。
Tchaikovsky: Romeo and Juliet / Petrenko · Berliner Philharmoniker



参照:
さよならの冬景色 2021-04-10 | 生活
二つも三つも程度が異なる 2021-01-20 | 雑感
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もしもピアノが弾けたなら

2021-04-11 | 
夜中はよく眠れた。心拍計が初めて毎分48回まで下がった。実感としてすとんと寝入ったのが分かった。様々な条件が整ったのだろう。掛け布団も軽く、寒くはない適温と静けさだ。更にアルコールが入っていない事や夕食を早めに済ませてお茶も飲んでいたことなど。睡眠分析はどうかというと深い眠りには達せずに5時間の軽い睡眠となっている。6時前に目が覚めたので寝起きは悪かった、しかし不快さは少なかった。走れるかの不安はあったのだが、準備体操で完全に戦闘ムードになった。パンツは脱いだが上着は着ていた。陽射しが無かったからだ。

走りだしも蹴りなどが素直に効いて、更に筋力で体勢を崩さずにコムパクトに走る方法を実感した。今後は運動時にとても参考になる身体の動かし方だと思う。しかし中間点も峠到着も睡眠状況の悪かった前回の記録には至らなかった。

下りは明らかに早く、最高速度も山道で時速15.5㎞出していたが、最終タイムは遅れた。最高心拍数は今回は毎分174と下がり、歩調だけ毎分197と上がった。要するに上りで飛ばしたのが前回、下りで飛ばしたのが今回。上りで抑えても下りで心拍数を最後のスパートまで上げて行けることが分かった。運動形態としては悪くないと思った。平均歩幅はよって3㎝ほど伸びた。週明けへと課題が出てきた。

金曜日はライプチッヒのゲヴァントハウスからの中継だった。再開無観客コンサートで、響くホールと奥の深い舞台からの音楽を堪能した。途中で市長からのお話しや哀悼の言葉があった。一曲目のバーバーのアダージョは残念ながらベルリンでのペトレンコ指揮とは比較にならない演奏程度だった。指揮者ネルソンズの課題が其の侭出ていたように思う。こういう指揮ではオペラでも頂点には出られない。

しかし二曲目のトリフォノフの弾いたモーツァルトのハ長調K503は見事な演奏で、自由自在のピアニストに合わせる指揮も反応するゲヴァントハウス管弦楽団も最高の出来だったと思う。ペトレンコ指揮でトリフォノフのベートーヴェンはそこまで柔軟に合わせていなかったように記憶するが、比較してみないといけない ― プロコフィエフ協演に関しては既に書いていた。
Prokofiev: Piano Concerto No. 1 / Trifonov · Petrenko · Berliner Philharmoniker


トリフォノフの演奏は素晴らしい。この人ぐらいにピアノを弾けるなら自分で弾きたいと思う。一流プロのピアニストでもそれだけ時間を掛けてこの程度しか弾けないならピアノなんかやらない方がいいと思う事がある。自作のカデンツもやり放題でしかも趣味も良くてとても面白かった。謂わばモーツァルトのピアノ協奏曲のピアノはそのもの天才作曲家の胸の中とするならば、これほど活き活きと天才像を伝えてくれる演奏も珍しい。昨年のルツェルンでの切符がコロナで台無しになって仕舞ってとても残念だ。

それにしてもコンツェルトマイスターのシュヴァルツヴァルト出身落ち武者のブロイニンガーがまた素晴らしいリードをしていて、楽員各々も準備万端で臨んでいる。そして何よりもソリストが良くてそれに指揮のネルソンズが合せて行くとどんどんと演奏がエスカレートしてよいものになっていた。それがこの指揮者の一番良いところである。
Andris Nelsons & Daniil Trifonov




参照:
企業秘密の領域へ 2018-10-09 | 音
社会的距離感への不満 2020-09-01 | マスメディア批評
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さよならの冬景色

2021-04-10 | 生活
漸く寒の戻りが明けた。それでも室内の冷えた空気が寒い。窓を開けて少しでも暖かい空気を入れる。週末には摂氏20度近くにもなるところがあるらしい。土曜日の朝は曇天で温かく更に雨も降らないようなので嬉しい。お勤めが楽である。

三月は記録的に暖かい月だったので陽射しが強くなって、夏時間になって鉢もバルコンへと移した。寝椅子まで出して、暖房を切った矢先に四月に入ってから寒さに襲われた。通常は復活祭までは冬タイヤを履いているぐらいなので、山では雪が降るが、平地では普通は要らない。それで交換も真っ先に終えたのだった。なによりも急遽遠方に出かけるような状況にはなかったことが大きい。

激しく雪が降ってきた。アーモンドの花と降雪を写せたら面白かったのだろうが、そこまでの熱意が無いので写真の腕も上がらない。カメラも使いこなしていない。眼鏡を今年は何とかしないと駄目なことを思い出した。昨年は歯だった。今年は眼だ。

9日はバーデンバーデンの復活祭延期日程の為の入場券発売が予定されていた。それはならなかった。中旬までの予定にしているが、さてどうなるか?現時点では通常の公演は期待出来ない、しかし所謂パイロットプロジェクトのようなものは可能だ。州のバーデンヴュルテムベルクでは、大学の街テュビンゲンが検査を以って、商店やレストランそして劇場を開けるモデルプロジェクトを始めた。それを真似したのがベルリンで、幾つかの公演の途中でロックダウンへと再び中止された。

州では既に50地区ほどが同様のモデルプロジェクトに応募していて、それ以上はもう受け付けないとある。そのリストは公表されていないがバーデンバーデンもホテルレストランと共に祝祭劇場などがモデルとしてオープンする計画を立てている様子である。現在は陽性者指数が100を超えていて相手にされないかもしれないが、100以下にする条件では許可されるのではないかと思われる。イザとなれば市が独自に強化ロックダウンをすればよいだろう。

兎に角、5月6日にベルリナーフィルハーモニカーを迎えて、限られた数ながら聴衆を呼び込めればそれは大きな契機になるだろうと思われる。クアーハウスのカジノは接種センターとなって既に一万九千人の接種が行われその内五千人以上は二回を終了している。状況は死者も延べ52人が死亡しているので決して状況は良くないが、なんとか乗り越えて欲しい。因みにここワイン街道では一時指数は100を超えたが、現在は42.2で全国ベスト10である。特別な尽力があったのかどうかは分からないが、少なくともスーパーで再びワゴンを使う様に指定されたり、小売店でのアクリル板の設置などの細かな補正はこの間見受けられた。そうした積み重ねも少なくとも注意を促すことにはなっているだろう。



参照:
夏時間明けに様子を窺う 2021-03-29 | 暦
珍しい五月間近の冠雪 2016-04-27 | 暦
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ヘブライ訛りの節回し

2021-04-09 | 
音楽家ダニエル・バレンボイムに関する話題で賑わっていた。6月に訪日して、ピアニストとしてリサイタルを開くという事である。様々に興味深かった。平素は日本では人気が無いとされるが、その販促の仕方などは結構昔風のメディア主動のイメージ作りが更に強化されている。昨年のロックダウン中に録音などをしてそれが発売されているらしい。

バレンボイムを評価するのはとても難しく複雑である。様々な視点で捉えないとそのタレント像も浮かび上がらない。それでも一つだけ気が付いたことがある。ベルリンに来てからのその仕事ぶりは、態勢が変わって不安定だった座付楽団を再び首都の伝統ある劇場のそれにした功績は大きく、サイードとの企画と共に、現在の業界での地位やその権勢の源となっている。同時にその音楽には嘗ての神童ピアニストから天才指揮者とされたことの輝きは無い。

その原因が何となく分かった。それは氏のドイツ語能力にも表れている様に、やはり独墺音楽を演奏しても違和感があるという事に尽きる。そもそもそれほど違和感があるどころか、ピアニストとしても本格派として扱われていたのだが、ベルリンにおいてはなにか無理をしているような面が目立ってしっくりしていないのである。

子供の時のフルトヴェングラーと共演するというオファーがあって皆喜んだようなのだが、父親がユダヤ人としてそれは不味いと止めたという事を氏は何度も無念そうに語っている。その後このイスラエル人がドイツとの間で幾らかの齟齬を抱えたままになって仕舞ったことはそこに始まっているかもしれない。ドイツの市場も我々の気持ちもその齟齬を見逃さない。

それ故に座付管弦楽団を引き連れてヴィーンや東京などでは大きな演奏会を催してもドイツ国内では全く馴染みが無いのである。同様な状況はバイエルンの放送交響楽団にもあるのだが、国としては外貨を稼いでくれるこうした文化使節は喜ばしいに尽きるのだ。

バレンボイムの指揮もピアノも沢山の録音が手元にあって、カラヤンのそれより多いかもしれないぐらいで、それら以上にとても役に立っている。なんといっても英国のアウシュヴィッツの生き残りの女性が創立した室内管弦楽団とのEMI録音の数々はこの音楽家の代表的な業績だと思われる。その後でのシカゴ交響楽団を振ったシェーンベルクなどはこの音楽家の業績の超点ではあると思われるが、ロンドンでの仕事は原点であった。

日本でカルト的なレコード評論家の宇野功芳がセレナーデ二曲のアルバムのライナーノートでこの音楽家をロマンティストと呼んでそこで最上の姿が示されていると書いているが、ここでの評価以上に的確なものを知らない。英国音楽アルバムも勿論モーツァルトのピアノ協奏曲全集もこの種のものとして出色の出来である。

そしてそのどれもにもアングロサクソン風というよりもユダヤ風の音楽的な特徴が聞こえるのは、まさしく氏のドイツ語であれ何語でもあれ話す言葉のヘブライ訛りである ― なぜか小澤の英語にケチをつける日本人もバレンボイムの訛りには触れない。イスラエル人であるから当然なのだろうが、現在の若い指揮者シャニなどは上手い。その点がなによりもベルリンでは違和感を誘っているところだろう。音楽的な訛りはロシア人であろうが日本人であろうが中々取れないのだが、キリル・ペトレンコなどは殆どヘブライ語も出来ない様なのがその音楽的な特徴でもよく分かる。

朝は放射冷却で冷えた。森の中も摂氏4度ほどだった。それでも寒さは過ぎた。陽射しは強く、ショーツで走れた。短いコースの上りをやっと7分台に戻した。2017年以来かも知れない。但し下りて来て16分38秒掛かっていて、当時の15分52秒や15分30秒には及ばない。直線では時速17.1㎞を毎分193歩で達成しているので他の場所でもう少しスピードアップすればよい。心拍数は163しか上がっていないので計測不備だと思う。バンドが確り締められていなかったのだろう。



参照:
社会的距離感への不満 2020-09-01 | マスメディア批評
多重国籍の奨めと被選挙権 2017-03-15 | 歴史・時事 
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ニーベルンゲン「シグーア」

2021-04-08 | 文化一般
ヴュルツブルクのホテルをもう一部屋予約した。少し良いのが見つかったからだ。先ず二泊の予定がワインフェストが無いならば一晩でもよいかと考えた。なんでもない5月の宿泊を考えれば6月は削っても良いと考えた。一泊ならばもっと安くても良い。調べると予約していたホテルも安い部屋があって、39ユーロで宿泊可能だ。催し物は夜なのでチェックアウトした後の時間の過ごし方を考えなければいけない。それも無駄な時間になるので、二泊して午後をゆっくりとした方がいい。

するとやはりキッチンがあるところの方がいい。何気なしに調べているとそこから歩いて行けるところのホテルが見つかった。評価は同じような水準だが、価格は安く、部屋も広く、大きな冷蔵庫とキッチンコーナーが付いている。昨年12月の時点ではヒットしなかったと思う。二泊で8ユーロ安くなって、食事で更に倹約可能だ。なによりも6月の時点でレストランの予約とか営業時間などを考えると必ずしも計算が立たない。自炊ならば演奏会が開かれるかどうかだけである。出来る限り不安定な要素は排除したい。

放送で流れて最初を録音を逃した「ニーベルンゲンの歌」にレイヤー作曲した「シグーア」を流した。説明の様に確かに音楽的な魅力がある曲で、その後に作曲された「ジークフリート」とは別に、上演されても悪くはない作品と思った。特にニーベルンゲンの伝説の元々のヴォルムスとかが舞台で出てくるので、マインツとかマンハイムとかダルムシュタットでご当地ものレパートリーにすれば面白いと思う。なるほどフランス語のオペラなのでキャスティングや指導者に苦慮するのかもしれないが、少なくともマルヴィッツが指揮したエアフルトなどよりもプファルツなどの国境地帯ではフランス人歌手を呼んでくるのも苦労が要らない。

それにしても2015年にこういう上演を指揮していたマルヴィッツはやはり優秀だと思う。出来不出来が大きいのだが、あの程度の劇場でここまでやらせているのは画期的だ。中々地方のあの程度の劇場でものにする指揮者などあまりおらず、こうして録音中継されていただけでも尋常ではない。やはりこの人はドイツの劇場を指導して行くような女性になるのは間違いない。
マルセイユでの上演 Reyer Sigurd 1995 Marseille (video English subtitle)


スーパーで醤油を買おうと思ったらいつもの150㏄瓶では無くて500㏄入りのペットボトルがあった。5ユーロしないので今迄のものよりも大分安い。キッコーマンの遺伝子操作なしの大豆を使ったオランダ産で、日本では入手できないものだと思う。日本の人の意見では味が違うようであまり人気が無いようだ。確かに減塩で癖が無いように思うが、添加物などが殆ど入っていない様にも思われる。正直醤油の味はそこまで自信が無い。

更に醤油をどこまで使うかというと疑問もあるが、地元出身のハインツのケチャップは買わなくても醤油は手元に置いておきたい。安い米を欠かさず手元に置いているので、炊飯器で炊いた米で何かを食するとなると矢張り欠かせない。中華にも使わないことは無い。また炊き込み飯などをやると大匙三倍ぐらいは簡単に使ってしまう。金平牛蒡などにも量が要る。要するに料理に使う。

しかし、いつものスーパーでそれを買う人がどれほどいるのかはよく分からない。もう一つ小さな200㏄で充分な人も少なくない筈だ。つまり料理で醤油をぼこぼこ使う人がどれほどいるのか。中華系の人はやはり中華の味の強い醤油を使う。それでも箱の前が開いていたので幾つかは購入した人がいたことになる。特に関西の人にとっては醤油の使い方は禁欲的であり、そこが味付けと思ているので、人の事でも心配になるのである。兎に角、一つ購入したので今後も継続して棚に並ぶようになってほしい。



参照:
本当に価値のある商品とは 2012-08-25 | アウトドーア・環境
モーツァルト祭の配券 2021-04-07 | 文化一般


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モーツァルト祭の配券

2021-04-07 | 文化一般
ヴュルツブルクのモーツァルト祭100周年演奏会の配券があった。6月の事である。減員で発券されたようで、主会場と控え会場で合わせて200人以下の聴衆の公演だ。説明によると三割までの入場らしい。勿論主会場を狙ったが、流石に安い席は控え間だ。それは仕方がない。音響的には問題があるだろうが、視覚的にはガラガラなので問題ないと思う。少なくともバロックの間では可成り響くだろう。
Official Imagefilm Mozartfest Würzburg: Mozart ist mehr...


状況は、少なくとも減員でやれるだろうという見込みが半官の主催者にあるという事だ。マスクは外せないだろうと思う。会場は見学で知っているが、フェスティヴァルは昨年キャンセルになったので初めてとなる。

今年狙ったのは、本当はワインフェストでの避難だったが、フランスの古楽分野でお馴染のクリストフ・ルセーが「イドメネオ」を指揮する。歌手も今見直すとユリアン・プレガルディアンが歌う。舞台ではないが、その分音楽的には可成り高度なものになると期待する。モーツァルトのオペラ上演に関しては超一流のもの以外は受け入れがたいので、昨年のザルツブルクも行かなかったのである。

ルセーはツアーをするのかもしれないが、「イドメネオ」はエクスクルシーヴのようだ。どこまで準備して来るのか。当方は既に宿を取っていたが、もう少しよいところが無いか探してみる。今年はキャンセルも出やすいかもしれない。

6月から10月までの宿を取ってあるが、先ずは5月が決まって貰わないと、ボイラーの交換の間に外泊も計画し難い。ワインフェストは今年は殆ど無いものと考えてよいだろう。場合によってはザルツブルクに出かけても良いかと思うが、交換の日程がまだ定まらない。

ここ二三日は冷える。朝も零下で森へと車を走らせると水溜りが凍っていた。素直に裸になるのを断念した。パンツを履いての走りなので出だしからスピードを出した筈だが、前回よりも時間が掛かって、歩幅も4㎝も短くなってしまった。

先週のストライド奏法の初の試みはその後の筋肉痛となって表れたが、今回は上積みがあればそれだけで速くなる筈だ。それ以前の走りよりは歩幅も所要時間も変わっているので、先ずは進展があったと考えてよい。なによりも腰が少し張っている。

昼は雪が時折結構降っていた。我々のところでは積雪はなさそうだが、山の上には薄く積もるのかもしれない。日本の瀬戸内海で言うと二月頃の雪模様の感じで、ヒーターを効かせないと寒い。あさま山荘事件のあの日を思い出す。ヨーロッパが68年以降新しい世界へと変わって行ったのに対して、あの日を境にして日本社会は反動へと進んで行った。それが、現在の西欧と日本の社会の差異になっている。

あれが1972年であるから、当時レコード芸術などで扱われていた新譜情報やその受け止められ方を思い浮かべると、その社会の相違も写し出されていると思う。音楽ジャーナルが真っ当なものならば、そうした社会の動きが克明に記載されている筈なのだ。



参照:
音楽的なライフスタイル 2021-04-04 | 音
数字に囚われるなんて 2021-02-20 | 雑感
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マフィア連中の試み

2021-04-06 | マスメディア批評
二度寝して11時までベットにいた。バーデンバーデンからの中継で、来年はペトレンコ指揮でオペラが上演できると世界中の人が待ち構えていると語っていた。要するに五月の事は一切触れなかった。つまり中止になりましたとも言わなかった。そもそも広報術として、来年の事が重要で、五月の事などはさらさら言及する意味などない。祝日明けに何が出てくるか、様子を見てみよう。4月2日付けの更新には500人入場の座席表と新たなコロナ基準が新たに貼ってあることに気が付いた。そして5月6日からの公演の発券の可能性に言及してある。つまり聖金曜日の時点では準備をしていることが分かる。気が付いたのはマスクの始終着用だが、劇場が特製を8ユーロで売っているというのはOPマスク以上の不織布なのか?有り得るのは布で済ましてしまうという可能性である。

今後どうなるのか?祝日中ではあるが死亡者数が50人にまで落ちてきている。全国で少なくとも一回接種した人は12%を超えているので、本来ならばもう死ぬ人はそんなにいない筈だ。要するに50人ほどの死者は社会が許容できるだろう。そこで出てきたのが、ブリッジロックダウンで、四月に二三週間完全にロックダウンをすれば全て終わるという意見だ。既にアビテューア試験の中止も議論されてきたので、やって仕舞えば、脱出が大分早くなるだろう。夏にはマスクからも開放される唯一の方法だと思う。是非やって欲しい。

エクサンプロヴァンスからの中継を観た。ロート指揮のレシエクレ演奏のコンサートで監督のカプサンも共演していた。フランス産のプログラムもあるが、メディアの賞や噂のような良さを期待していたが、残念ながらなかった。やはりメムバーの質を維持するのも困難であり、形態としても容易ではないことが知れた。なるほどティートス・エンゲルが語るようにそうした楽団が欲しいというのは分かるが、たとえ興業としては成り立っても芸術的に程度を向上させていくのはとても大変な事であることが分かる。兎に角、多角カメラ切り替えは使えるが、なによりもアクセスが集中すると画質が落ちて行くぐらいならやめとけと言いたい。フランスによくある、アイデアだけは最高で実質壊れているコインロッカーのようなものだ。

カラヤンの誕生日で湧いていたことから1988年のシュピーゲル誌の記事を読んだ。特別驚く内容は無かったが、カラヤンのベルリンでの在任が議会で問題になっていたことを読んだ。権力者の取り巻きが税金の支援で賄っている仕事に売値を上乗せして中抜きしているという内容だ。そこで最終的には権力者にも莫大な利益が入ってくるのだが、現在のヴィーナーフィルハーモニカーの様に団体としては儲からないようになっている。

その記事で日本の話題も勿論入っていて、当時既にメディアに狂っているのは日本ぐらいで、南米やオーストラリアなどは端から当てにされていないと書いてある。ソニーとかのと関係の下敷きにあるものだ。エミール・チャカロフと言うブルガリア人指揮者を使おうといたことも載っていて、本人は1991年に若死しているので、その試みは殆ど気が付かなかった。

当時モルティエ―監督が彼らをマフィア連中と名指していて、そこに入っていなかった音楽家などが冷遇されていたとあり、アバドなども権力者の死後に180度立場が変わった指揮者のようだ。成程アーノンクールなどもモルティエ―監督下で初めてザルツブルクに登場している背後関係も分かる。そうした背後にやられたマフィオーゾな影はモルティエ時代にも未だ感じることは出来た。



参照:
»Sie zahlen für Herrn von Karajan . . .«, Spiegel Politik vom 27.3.1988
音楽劇場のあれこれ 2018-03-08 | 女
復活祭への少しの思い入れ 2012-03-16 | 暦


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見えた復活の兆し

2021-04-05 | 
聖土曜日は何もかもうまくいかなかった。一日中腐っていた。なによりも朝起きして、心拍が下がっていなかったことにびっくりした。よく考えると前夜にワインを殆ど一瓶飲んだことがいけなかった様で、最低で毎分58だった。60を超えていた。それだけで睡眠が深くなっていないことは明らかだった。銀行に行って現金を下ろして、パン屋に行くと二三人並んでいて後ろから車が来ていたので、通り越して後回しにした。それが間違いで、戻ってきた8時過ぎには十人以上が並んでいた。車の中で様子を窺って30分経ったが、駄目だった。並ぶのが嫌で断念した。肉屋で三個だけブロッツェンを購入しただけだ。どうせ復活祭第二祝日はパンが無いのでそれでも構わないと思った。

峠攻めの走り自体は、蹴りを考慮するようになってから初めてで、峠到着も21分台を達成。下りて来て35分台も2017年以来だと思う。勿論当時は32分台を見据えていたが、ならずだった。峠までも18分を達成していた。まだ一割方遅い。しかし自己の標準タイムに近づいてきている。心拍数も呼吸の感じでは、歩速169回でペースキロ5.49秒、毎分161なので、まだ上に延ばせれる。一割は問題が無いだろう。

要するにコロナ疾患の後遺症は殆どないと考えて良さそうで、これは取り分け喜ばしい。実際に疾患で胸に来たと感じたのは合わせて24時間ぐらいで、スカスカ感もそれほど長い時間継続しなかった。其の侭無理して同じコースを走っていたのだから大したことは無い。しかし、峠まで28分ほど掛かっていた筈だ。五割増しの時間が掛かっていたことになる。歩くよりは少し早いというぐらいだったろう。復活の兆しが明らかだ。

晩にはバーデンバーデンから今回のハイライトとなる中継が行われた。ソプラノ歌手ディアナ・ダメロウの歌曲演奏会だ。顔ぶれからして圧倒的なスターであり、その演奏の芸術的な成果が期待できる中継である。

先ずは進行としてその辺りの位置付けを改めて説明した。バーデンバーデンのベナツェットザールに学生時代にデビューしたダメロウは、マンハイム市立劇場にいたのでバーデンバーデンに馴染みがあったという事で、またまた現役オペラ歌手の大物がマンハイムで活躍していたことが知れた。まさしく登竜門であり続けている。その後の頂点に出る事を意識したのはロンドンでの夜の女王の歌唱だという。成程その後にメトでペトレンコ指揮でツェリビネッタでデビューしている。

そして今後の計画として「ばらの騎士」で、カウフマンなどの居並ぶ歌曲会シリーズに登場した後で、つまり2024年にペトレンコ指揮で登場することが知れた。これは驚きで、つまりマルシャリンはマルリス・ペーターセンでなくディアナ・ダマロウという事になる。

ペトレンコが練った末の人選となるので、その演出や上演の方向が徐々に窺える。本来ならば「フィデリオ」でペーターセン、2022年に「スペードの女」でアスミク・グリゴーリアンとなると、まさしくスーパーオパーの中でどいう位置づけとなるのか。ミュンヘンでのペーターセンにはテキストよりもフレージングとの批評があったが、ベルカントのダメロウの拘りはそこにある。あの2016年のペトレンコ指揮での画期的な「最後の四つの歌」で示した通りである。

確かにダマロウの声は大劇場でも通りそうである。すると2023年に予想される「影の無い女」の上演は、誰が皇后を歌うのだろうか?適役は誰なのか?恐らくやはりベルカントを歌えるような歌手となるだろう。



参照:
お目当てのヴィデオ 2016-10-01 | 文化一般
ALPINA仕様のランニング靴 2017-03-24 | アウトドーア・環境
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音楽的なライフスタイル

2021-04-04 | 
聖金曜日は、夕刻にバーデンバーデンからの中継を少し観た。ベルリナーフィルハーモニカーがハイドンの「最後の七つの言葉」を祝祭劇場で演奏していた。平素から一緒に弾いている四人組四重奏なのかもしれない。結構年配の顔ぶれで、思い当たるのはチェロを弾いていた人で、それもおでこが先週亡くなったボルヴィルツキーというカラヤン時代の奏者に似ているからで、どちらかというと街で見かけても気が付かない四人組だった。室内楽的というよりもいつもの楽団で演奏するような塩梅だった。

同時視聴者数は簡単に100人を超えていて、バーデンバーデンの常連さんの厚みを改めて感じた。これがバイロイトやザルツブルクの目指している大音楽祭に負けない基盤かも知れない。番組としてはナレーションや進行が洗練されていなくて、常連さんの支援に頼っているようなところがあるのがいけない。

さてお目当てのアクサンプロヴァンスからの「マタイ受難曲」は矢張り素晴らしかった。教会で上手に場所を取って録音録画をしていたが、先ず何よりも言葉が明瞭で、マイクロフォンだけでなくてアーティキュレーションが確りしているからだろう。先月バーデンバーデンで歌っていたフランクフルトのプレガルディエンも歌曲を歌ったその時よりも安定していて、指揮者の仕事ぶりが窺えた。

そのレチタティ―ヴォへの拘りは、先ほどのミュンヘンの「ばらの騎士」におけるパルランドへの拘りと同じく、嘗てこれ程音楽的にも内容的にも立派なエヴァンギリストを知らない。歌手も素晴らしいのだが、やはり指揮者を称えたい。

その指揮者ピションの音楽もその明晰さになによりもの長所がありながら、東独でも評価されているスズキのドグマティックなバッハでなくてまさしく我々のヒューマンで都会的なバッハ像がそこにある。なによりも我々のライフスタイルに身近な今日のバッハ像である。

2015年にフランクフルトで彼のアンサムブルピグマリオンを聴いたのは室内楽ホールだったようで、大ホールではカウフマンがパリでペトレンコ指揮でバッフスを歌ったあとドサマワリしていた。そこでの記録を読み直すとやはりアーティキュレーションが良かったようで、バッハの会ではコープマンやヘルヴェッヒの現代のバッハを代表する演奏家を招聘しているが、そこの一角に入ってきていて、バルタザーのそれよりも明晰だったかもしれない。指揮者ヘンゲルブロックは会が育てたようなものだったが、やはり音楽的に今回の様に優れた例は少なくて、ピションに関してはそのセンスの良さからお墨付きが与えられたようなものだった。

今回もドイツツアーが前後してあったようで、キャンセルと挨拶のヴィデオメッセージがメールでも送られて来ていた。本人が観てくださいと言うにふさわしい放送制作だった。
Dirigent Raphaël Pichon lädt ein: Die Matthäuspassion im Stream auf ARTE Concert am 2. April


我々のバッハの会においては厳選された演奏家が招聘されるのだが、中々このレベルに至る演奏団体はそれほどない。嘗てのコープマン指揮のアムステルダムの団体からヘルヴェッヘ指揮ゲントの団体を経て、漸く次の世代に引き渡された感が強い。

今回の制作ヴィデオは各々の団体の支援という事になっているが、バッハの会も幾らか出したのだろう。そして今のところアクサンプロヴァンスからの中継が圧倒的にバーデンバーデンのそれを上回っている。よく考えてみれば、私がバーデンバーデン祝祭劇場に取り分け支援をしていないのもこうした芸術性を問うているからだ。さて日曜日はベルリンで収録された中継が復活祭の演奏として流されるが、それで一発逆転して貰わないといけない。その為にバーデンバーデンにも寄付したようなものでである。



参照:
知的で刺激的なバロック音楽 2015-10-17 | 文化一般
数字に囚われるなんて 2021-02-20 | 雑感 
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