Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

生で接する慣れ親しみ

2021-12-07 | 生活
金曜日のプログラム、ラフマニノフの交響曲三番はCDで録音を持っているだけで、馴染みが薄い。楽譜を下ろしたので、目を通しておかないといけない。

そもそも昔から名曲プログラムには行かないので、同じ曲を何度も実演で聴くという事はない。今迄生演奏で一番多く聴いた曲は何だろうかと思う。恐らく、バッハの二曲の受難曲で圧倒的だ。そのあとはベートーヴェンのピアノソナタでそれも後期のものではないか。管弦楽曲ではなにだろう、交響曲はマーラーの五番か。四、五回ぐらい聴いているとトップタイになるのでチャイコフスキー五番も最近だけで四回聴いている。オペラでは「パルジファル」が五回ぐらいで筆頭か。要するに出来るだけ未知の曲を聴きたいと思うので、どうしてもお勉強が欠かせない。それでこうして選択的に選択していても同じ楽曲で名演奏を体験するというのは精々二回ぐらいしかなくて、この先もそれに付け加わるぐらいしかないのである。

自分へのクリスマスプレゼントが届いた。昨年はなにも購入しなかったと思うが、今年はプライヴェートなものである。一つは二年前に購入したバスタオルの色違いをもう一つ。バスタオルなんて標準の大きさで、交換で洗濯していけば事足りると思っていた。しかし最近はバスの暖房を落としてしまっていることから直ぐに乾かなくなって来た。しかし直ぐにグショグショになってしまう。そこで大きく厚めの起毛のいいものを使うと、そのようなことがなくて、いつも快適に使えることが分かった。薄いペラペラのものは足拭きに卸してしまうつもりだ。

更に夏ごろから余りにも薄くなった感じがあって、欲しいと思っていたのは枕である。今使っているのを来客用に購入したのは二十年以上前で、自分用に下してからも十年ほど経っていると思う。安物だったと思うが、今度は結構時間を掛けてそれなりのグースのものを購入した。何週間ぐらいふっくらとしているだろうか。

配達があってビニールに入っているときは真空で薄くなって四つ折になっていたのでどうかと思ったが、カヴァーに入れて動かしていると膨らんできた。カヴァーは先日購入したアマゾンベーシックの安い布団カヴァーに付随しているものだ。100%綿だがジャージで織りで温かく柔らかいというので、購入した。

実際に何晩か使ってみて、肌触りもよく温かく感じる。特に夏向きのサテン織のものは床に入るときに寒いだけで、冬には利点は一切なかった。だから購入したのだった。後は枕との相性次第である。

久しぶりに晴天となったので頂上まで駆け上って来た。日没までに帰還しなければいけなかったのだが少し過ぎる時刻になっていた。それでも頂上から降りてくると挨拶も出来ない爺さんとすれ違った。その割に足取りは軽快だった。曜日が変わるとまたほかのおかしな奴がいることに気が付いた。

ヴァイツェンビーアも引っかけたので今晩はぐっすりと深く就寝できる筈である。試しに心拍計をつけて床に入ろうかとも思う。



参照:
王女とカエル王子 2006-07-08 | マスメディア批評
眠りに就くとき 2006-08-07 | 女
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暫しの晴れ間にでも

2021-12-06 | 生活
日曜日は午後の一時間半程だけ雨が上がった。頂上攻略には時間が上手く合わなかった。なによりも前夜の疲れが残っていた。朝から検査をしてフランクフルトを往復しただけなのだが、木曜日の転倒なども身体に響いてたのかもしれない。日曜日に入浴もしたがどこかを痛めた様子もなく、受け身と滑り方が幸いしたのだろう。頂上往復して身体をしゃっきっとさせたい。

金曜日は再びバーデンバーデンで、本年最後の演奏会となる。祝祭劇場のスタムパ支配人は中止しないことを第一に考えていて、少々の弊害を超えていくつもりらしい。つまり今までの中止で全ての面において被る災難をそれによって食い止めたいという事らしい。メッセージは明白で、検査などの面倒を超えて聴衆は出かけ、主催者も半分の入場に抑えることで収益を落とし乍らも演奏の場を演奏家に確保しようとするのは正しい。当然のことながらこうした困ったときの態度こそが将来に繋がる。実際の経理上の簿記は分からないが、こうした文化芸術的な発言をなすことはとても重要である。先日の苦情は書き始めてまだ完成していないが、出来れば金曜日までに送っておきたいと思う。

ラインラントプファルツ州などは、所謂接種証明書などを持っていても更に抗原検査陰性証明が必要とする2Gプラスに対して、ブースター接種をした瞬間からテストを免除する動きへと動いている。これはブースターを促進するためにいい方法で、メルケル政権が脅しに使っていた制限とは異なる特典効果でとても良い。

兎に角前任の保健相は同性愛者的な溢れる感情でとても質が悪かった。その点新保健相のラウターバッハは、ハーバードで感染症予防のマスターを取得するだけのことがあり、接種義務に関して国が脅迫するようなことは許されないと語った。直ぐにバイエルン州長ゾーダー博士は反論したようだが、ポピュリストは声だけが大きければいいのだろう。

ブースター接種に関しては、個人的にはビオンテッヒの新製品が出てからにしたいと思っている。九月に二本目なので遅い方なので、上手く行けばブースター無しで乗り越えるか、さもなければ新製品が理想的だ。

段階的職業別の接種義務は早くても3月中旬以降の法制化なので、上のような接種の有無によっての新たなる制限なども春以降に出てくると思われる。出来れば6月ぐらいまで伸ばしたいのである。

先日のフランクフルトで始めて接種証明のコードを紙に印字したものを証明に使った。スキャンしなかったが目視で接種日時を確認してパスとなった。バーデンバーデンも従来の黄色い冊子の証明書を使わないようになった。理由は確認に時間が掛かるからだろうが、今回はコピーを持って行く。車の中に保存しておけばよい。

先ずは、祝祭劇場前のテントでの抗原検査を予約しておいた。どうも祝祭劇場関連には時間を空けているようでもあるが、兎に角押さえておいてから考える。更に12月の公演は券販売を中止して、入場人数制限に対応しているようだ。

ロンドンからフィルハーモニーが飛んできて、ミュンヘンの後任音楽監督ユロウスキーがラフマニノフを二曲降って、同じミュンヘンからくるユリアフィッシャーがエルガーの協奏曲を弾く。同曲は劇場でペトレンコが共演した録音があるので、それと比較することになる。また土曜日に観たエンゲルの指揮とももう一度比較することになって、それだけでも価値がある。エンゲルもSWRとの音楽祭で今後振ることもあり得て、居ながらにして色々と興味あるものも聴けるようになってきた。



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索引 2021年11月

2021-12-06 | Weblog-Index


 
殿を務めるは 2021-11-30 | 音
価値のない2Gプラス規制 2021-11-29 | アウトドーア・環境
回顧される幸福の痛さ 2021-11-28 | 文化一般
持続性ある文化政策に 2021-11-27 | 文化一般
均衡とその逸脱から 2021-11-26 | 音
寒さ疲れが出てくる頃 2021-11-26 | 生活
独墺交響楽の響き 2021-11-25 | 音
今冬一番の冷えに備えた 2021-11-24 | アウトドーア・環境
コロナ禍が齎した均質性 2021-11-23 | 音
黒い森の教育程度の低さ 2021-11-22 | 文化一般
どのように転んでも無関心 2021-11-21 | アウトドーア・環境
ペトレンコ指揮の練習風景 2021-11-20 | 音
音楽祭の新機軸を目指す 2021-11-19 | 文化一般
2G規制になったバーデン州 2021-11-18 | 雑感
濃淡が必要ない電光石火 2021-11-17 | マスメディア批評
言葉不要の高度な表現 2021-11-16 | 音
本物のチャイコフスキー 2021-11-15 | マスメディア批評
白髪のマゼッパのこい 2021-11-14 | 音
スーパーオペラへ熱い思い 2021-11-13 | 文化一般
初めてのコロナ検問 2021-11-12 | 生活
牛刀割鶏にならない偉業 2021-11-11 | 音
スーパーオペラへの道程 2021-11-10 | 文化一般
ムルク谷へと降りて行った 2021-11-09 | アウトドーア・環境
ロマンティックな芸術の意 2021-11-08 | 文化一般
バーデンバーデン初日前夜 2021-11-06 | 文化一般
「ありの侭の私」にスポット 2021-11-05 | マスメディア批評
悪騒ぎしないロマンティック 2021-11-04 | マスメディア批評
ロマンティックな再開 2021-11-03 | 音
響きそうなアルテオパー 2021-11-02 | 音
エンゲルが降りてきた 2021-11-01 | 音

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オペラ上演のノウハウ

2021-12-05 | 文化一般
予定ではフランクフルトだった。二日続けてのフランクフルトの計画は5月に購入したベズイーデンフートのリサイタルと前夜の「マスカラーデ」を組み合わせるつもりだった。しかしこのところの規制強化などで、フランクフルトに滞在しての意味がなくなった、更に抗原検査を受け無ければいけなかったので、二日分使える予約も取ったが、そこまで打ち込むのは七月以来で、割が合わないと思った。更にマスクをつけての時間はつらい。

驚いたことに結構な人が入り口に列を作っていた。前回の初日以上だったのは、入場人数だけでなくて、陰性証明書が一つ増えたからだろう。結論からすると学生や関係者も可也いたと思う。それでも皆が検査を受けてというのはやはり凄い。これだけでも市立歌劇場はまだまだ大丈夫だと思った。ミュンヘンとは規模が違うが、それでも大したものだ。

こういう老若男女の顔ぶれを見ていると、爺さんも鼻に綿棒入れさせたのかと思う。そしてこういう時に来ないのはただただ余暇のエンターティメントとして来ていた層だけだろう。意外に限られた割合でしかないことが分かり、外国や遠方からの訪問者を除くと更に減る。

さて、本番であるが、なぜか前半の一二幕は流していた。初日を知っているのでよく分かった。指揮もばっちり見ていたので、よく分かったのだが、流してなにを得ようとしているのかなとも考えた。席が違うので印象だけではとも思っていたが、休憩時に気が付いた。

カメラが沢山入っていた。どのような形で制作されるのかは知らないが、NAXOSで発売されるようだ。その分リスクも避けていたが、明らかに流していて、丁度10月にあった「サロメ」再演の前半とよく似ていた。

指揮者本人に尋ねてみないと分からないのだが、それも経験で一晩の公演をどのように纏めるかも大きな実力である。「サロメ」でも満足度は高かった。そして実際に後半になると完全に鞭が入っていて、推測するに前半部分は既に十分なマテリアルが揃っていたのだろうと思う。だから後半に全力を集中した可能性がある。

キリル・ペトレンコ指揮のオペラでも最初から一幕から三幕まで纏めて来れたことなんてあまりなかったのである。オペラ業界では当然のことなのかもしれないが、こういうノウハウのあるなしもも全公演通うようでないとなかなか掴めない。それを考えると、七月の最終日にあれだけ合わせてきた「トリスタン」上演はやはり奇跡的なことではないかとも思う。

オペラの全曲映像は、何回か回して更に足りない個所を補っていくようでないと、中々まともなメディアは完成しないからで、土曜日の後半の出来からすれば、中々いい制作になるのではないかと思う。(続く)



参照;
「聖書」ではないお話し 2021-10-09 | 音
首でも指揮の「トリスタン」 2021-08-03 | 音
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一番辛い時に楽しいものを

2021-12-04 | 文化一般
夜中一時過ぎまでお勉強をしていた。これぐらい昔から熱心だったらと思わないでもない。新制作「マスケラーデ」千秋楽への準備である。この間「秋の小復活祭」があって完全に頭から抜けていた。だから少し焦りも眠気を覚ました。

矢張り全体の流れを鷲掴みにするにはハイライトみたいな音素材でも役に立つ。コペンハーゲンの放送管弦楽団で演奏された制作録音の触りがあったので聴いてみた。切り方はあまりよくないが、それでも全部で40分ほどあるので、そこから全体を繋げていける。

新たに気が付くこともあったのだが、プログラム冊子に目を通していないことも思い出して、すっかり就寝時刻を超えてしまった。それでも幾つかの有意義な情報はあったと思う。

一つは作曲家の作曲当時の状況に触れられていて、有名な彫刻家の奥さんとの関係も上手く行かず一人別居していて、王立劇場の第二カペルマイスターから下されて第二ヴィオリンに回されようとしていた39歳の楽士さんだった。そこで何回も「マイスタージンガー」や「ファルスタッフ」などを演奏していたというのである。もともと地方の労働者の家庭で生まれての生い立ちなど考えるとその心境も想像できる。

本人も60歳の時のインタヴューで、「不思議なもので一番辛い時に楽しいものを創作している。そうであるように。この謎は解けない。分からないけど、人は正反対へとの欲求でそちらの方に動くようだ。」と語っている。

デンマークでは民族的な歌もので有名で今でもオペラ、そして交響曲へと続いているようだが、この作曲家のパーソナリティーはこの「こうもり」を参考にしたようなこの喜劇のここかしこに感じることはできる。

もう一つ歌詞に関しての記述がよかった。原作自体は「フィガロの結婚」のボールマシェと同じく啓蒙思想に培われたものであり、その国民的作家ホルベルクの原作をアンデルソンが既にオペラ化を試みて作っていたとあり、その韻の連続が津波であると書かれている。今回独訳をしたベルガーの文章は、それを如何にドイツ語に当て嵌めて、また作曲がずれているところも考慮して新訳に当たったとしている。

これだけの創造的作業があれば原作とは大きく離れたテキストになっているのは当然である。どうしても現代人はそこにラップなどをイメージするのではなかろうか。今回は字幕も二度目なのでもう少しその韻を楽しめるのではなかろうか。まあ、おやじの駄洒落である。

さて、規制強化で抗原検査が必要になったので、朝一番で出かけてきた。予約制なのでそれ程並んではいなかったが、それでも五人ほどは待った。10時の約束で受けたのは10時3分、降っておらずそれほど寒くはなかったので、まあまあ許容範囲で、序にそこから歩いて現金を下ろし、更に近くで洗濯物を回収してきたので合わせて一時間は有効に使えた。

いつものように塩水鼻通しと口中洗浄剤で整えて行って、陰性。陽性が出たらとんでもないが、木曜日のランニングで肺炎気味に胸が痛くなっているので若干気懸りだった。しかし会場に集まる人が全て二十四時間以内にテストを受けていると思うと、ちびまる子ちゃんの自転車を乗っている人は皆同じように泣きながら努力したかと思うと感動とするのに等しい。売れ行きはこの時期としては決して悪くはないのだが、その中で何人ぐらいが同じように苦労してくるのかと思うと楽しみだ。私はまだ指揮者が友人というだけで動機づけもあるが、他の人もみな関係者なのだろうか?



参照:
言葉不要の高度な表現 2021-11-16 | 音
長短調システムの精妙さ 2021-10-30 | 音
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歌劇場が分かるように

2021-12-03 | 文化一般
鞍部まで上がると白いものがチラついた。夜中には降っていたかもしれないが、白いものを見るのは初めてだった。今年は暖かい。それでも摂氏三度は裸では堪える。頂上まで行かずに半分を走っただけでが、それでも結構辛い。それで愈々ゴールも見えてきたと思ったら滑った。下りで躓くでもなく滑ったのは初めてで、どうなるかと思ったが身体を捩って手袋の手をついたのでショックは弱かった。明後日ぐらいにどこか痛まなければと思う。先ずはショーツからフリースまで泥が付いた。手袋も洗ったところなので痛い。

コロナ新規制でメールが入っていた。日曜日の私の出かけるものはそのままマスク付きで更にテストをしての開催が決まった。一体何重苦なのだと思う。25ユーロ程出したが、もう行かない。土曜日だけ無事に検査を受けて用を足したいと思う。何割ぐらいの人が来ているかが見ものだ。それでも訪れる人は余程の暇人が本物だと思う。少なくとも灯を消さないように支援の気持ちが強い支援者であろう。その辺りも確認してきたい。

東京の新国立歌劇場の報告などを見ていると、オペラごっこの域を出ていないのが分かる。三十年以上の少なくない投資に見合うものとは到底思われない。頻繁に演出云々への批判を聞くのだが、そもそも音楽がなっていないオペラ上演など価値がある訳もなく、芝居の方が遥かにマシである。更に音楽劇場となると、日本の人はより演出をイメージするのかもしれないが、やはり核は音楽である。

結局音楽が拙いと下手な歌芝居にしかならないのである。それでどれほどマンハイムの市立劇場には失望させられたことか。だからきっぱりと言えるのである。伝統芸能などに慣れている向きには音楽劇場というのが理解し難いものなのかもしれない。クラシックと言っても決して音楽は同じではないのだ。演出なんてそのコンセプトこそ重要であって、それほど重要でない。聴衆よりも歌手が舞台で演じやすいように即ち歌いやすいようにあるようなものだ。それをとやかく言うのは矢張り音楽を理解していないというのに過ぎない。更に落ちがどうとかの話題になると、落語かと思う。少なくとも私の読んでいるような間違いなく初日を報告する高級紙ではそのような配慮を読んだこともない。

そもそも私が日本にいては駄目だと思ったのが東京での「影の無い女」への不理解ぶりだったから、数十年で日本人が変わる筈がない。そしてマンハイムで失望して仕方がないのでミュンヘンやシュトュツガルトにも出かけ、ザルツブルクで漸く開眼した。しかしミュンヘンに通うようになって漸くオペラ劇場が分かるようになった。要するにお客さんも熱心に通うだけではなくて頂点を経験しないと学べないことが沢山あるのだ。だから出来るだけ祝祭劇場であるバーデンバーデンにおいてもその質を上げるように貢献したいとは思っているが、矢張り援軍がなくては難しい。私が方々でお客さんに声を掛けるのはそれ故である。

水曜日に購入したラントブロートは悪くはなかった。夕刻購入した割には温かく感じたのはなぜだろうか。少なくともまだパサパサしていなかった。塩加減なども概ね順当で、バターだけで楽しめた。午前中に出かけてブロツェンなどを食してみないと判断は下せないが、少なくとも立ち寄るだけの価値はある。カードで払えないか尋ねてみたい。ダムプヌードルは冷えていたが塩気も抑えられて余りべとべとせずに美味かった。



参照:
パン屋への道のり 2021-09-10 | 生活
1928年創業パン屋の廃業 2021-06-09 | 生活
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独墺核レパートリー

2021-12-02 | 
(承前)バーデンバーデン初日の最後にはシューベルトの遺作とされるハ長調の大交響曲がおかれた。夏のツアーで縮小されたプログラムとしてルツェルンで前から二列目で一回、今回のツアーではバーデンバーデンに乗り込む前に同じ週の火曜日にフランクフルトのアルテオパーの平土間の真ん中あたりで一回聴いてきた。そして三回目の演奏だった。

ベルリナーフィルハーモニカーもこの演奏で当分は再演しない筈である。次の機会に誰がどこで振るかは分からないが、キリル・ペトレンコにとっては今迄のベートーヴェンの七番とかハフナー交響曲に続いて一先ずお役目御免の所謂核レパートリーとされる独墺音楽の古典を成功裏に指揮終えたことになる。

皆が求めるものは過去のフルトヴェングラーやカラヤンなどを経てのその前提に立っての演奏行為であって、それだけの成果である。既にフランクフルトでも感じていたのだが、こういうレパートリーをどのように示すかに基本コンセプトがある。

今回は夢と現実の間であるロマンティズムに光が当たっていたのだが、特にこの晩は第一楽章での全休止やまた深淵が広がる瞬間がとても印象的であった。シューベルトの後期のピアノソナタなどで馴染みのある遺作に共通するその瞬間であり、そこへの流れである。こういう音楽を体験すると後継するブルックナーの神秘主義が如何に楽天的な信仰に導かれているかというのが認識できるだろう。ビーダ―マイヤー的な小市民的平和や民族的な要素との大きな断層となる所である。こういう音楽的表現は何回も本番を通すことで奏者に感興が乗ってこそ始めて出てくる味わいのようなものだと思われる。

それとはまた異なり、この晩が二度目の体験のヒンデミートのヴェーバーの主題によるメタモルフォーゼンが演奏された。この曲の演奏としては殆ど頂点に達していたと思われた。この晩の為にヴェーバーの全ての原曲に遡った。それによってヒンデミートが亡命先でどのような思いで創作していたのだろうかと辿れる部分が多かった。こうして立派に演奏されることでこの曲や創作者への理解が広がるいい契機となったことは間違いない。

しかしこの晩三度目で初めて納得がいったのがフォンヴェーバーの「オベロン」序曲だった。狩りのホルンから印象される森のホルンがシューベルトでと同じように使われるのだが、そこから同じように独墺ロマンティズムでの自然賛歌にもなっている。シューベルトでは木管楽器との対句があり、メンデルスゾーンではミックスされる音色があった。この晩は、会場の温かい音色が功を奏した面もあったろうが、その木管楽器との掛け合いや弦楽器への引き渡しと、ただ明白な音響というものではない完成度があった。恐らく最も近しいのはエリオット・カーター作曲などの響きであり、安易なネオロマンティズムをそのもの否定するだけの音響が創造された。

三種類のシューボックス型の会場で三種類の距離感をもって同じプログラムを鑑賞したことになる。会場の音響が三者三様であったのだが、音楽的な判断をするのが一番難しいのは齧り付きであったことは間違いない。楽譜を完全に暗譜しているぐらいでないと楽器間の受け渡しや重ね方を追える人などいないのではないか。指揮台の上ならば視界も効いて、ミックスされない直接音を聴き分けることが出来るのだが、舞台より下ではチェックするのすら難しい。

平土間真ん中あたりは、弦に関しては問題ないのだが、木管などが重なったりして視界が閉ざされる。但し音色の配合に関しては比較的集音マイクに近い場合もあって、音響的には満足できる場合が多いのではなかろうか。

しかし視界に関しては上からのそれも距離感の無いところが最も優れているのは当然であって、音響的な不都合があっても補えるのが最も有利な点である。特にヒンデミートのように楽器編成が大きくなると、聴覚だけでその多くを聴きとれる人は矢張り優秀な耳を持っているに違いない。(続く)



参照:
バーデンバーデン初日前夜 2021-11-06 | 文化一般
いいところを突く 2021-09-07 | マスメディア批評
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アップサムプリングの制限

2021-12-01 | テクニック
嵐になっていた。現在のところワイン街道の降雪は殆どないが、地面は冷えてきたので、降れば積もる状況になっている。そのような状況だから早めに燃料も補給しておいた。石油価格はまだ安くなるかもしれないが、先ずは適当な価格156で手を打っておいた。30リットルだけであるから差額は知れている。

その前に立ち寄った洗濯屋ではまだアイロンが掛かっていなかった。来週以降までおいておく。序にそこから二キロほど遠回りしてパン屋に出かけた。トラムプ家発祥の地である。上手く駐車枠が空いていたので、少し購入した。前は何回も通っていて、カイザースラウテルンのゴールキーパーの実家だとは知っていたのだが、自分で購入するのは初めてだ。先ずは試してみる。

先日からPCオーディオの再生時に録音した96kHz 32Bitフロートのファイルが48kHzとかしか表示されなく、それだけの音でしかならなかった。特にリモートコントロールで再生するとどうしても調整しにくかった。更にモニターが不調なので直接にも制御が厄介だった。それでもハイレゾ再生が可能な様に弄る。すると今まであまり見かけないサムプル周波数がデジタルアナログコムヴァーターに表示されるようになった。

176,4kHzで、192でも録音した筈の96でもない。数字からすると88,2の倍で44.1の四倍である。DSD録音方式では2.8MHzに相当する。そもそも放送の圧縮音源をハイレゾ録音しても仕方がないと思うのだが、やはり清涼感だけでなくて音場とか全ての面で音質がよくなる。所謂アップサムプリングの一種であるが、原音再生と迄はいかないでも、それに慣れてしまうと戻せなくなる。

車で抗原検査のテントの横を通ったら寒空で十人ほどが雨交じりのところで並んでいた。あんなことをしていたら健康な者も風邪を引いてコロナかどうかも分からなくなる。愚の骨頂の抗原検査である。未接種者が公共交通機関に乗るためならば仕方がないのかもしれないが、接種者が何かをするための抗原検査ほど馬鹿くさいものはない。

既に土曜日の夕方にフランクフルト市内でも予約を取っておいたが、日曜日はマスク無しも無くなると州から発表があって、余分にテストを受けるだけとなったので、券を捨てることにした。しかし土曜日の要抗原検査は未だに生きていて、劇場の判断を待ちたい。本当に誰も行かなくなる。

憲法裁判所の判決は、学校閉鎖になった親子の訴えを退ける形で、所謂非常ブレーキで感染予防法上の手段とすることを認めた。その他の外出禁止や接触禁止もその範疇にあるものとの承認があった。これによって来る時期のブレーキの発動に法的裏付けが成された。



参照:
気が違ったサムプリング 2019-05-29 | テクニック
新たに分ったことなど 2018-10-25 | 雑感
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殿を務めるは

2021-11-30 | 
(承前)プログラム休憩後最後に演奏されたのはブラームス弦楽四重奏曲ハ短調である。いつものように一番にはとても力が入っていて、作曲家の友人で宮廷歯科医のビルロート博士はこの曲をして、最初に勉強して四手で弾いておかないとその美しさを見失うと書いている。そのように詰め込み過ぎ感の強い創作となっている。

そうなるとそしてその書式から四艇の楽器が織りなす和声もどうしても分厚くなって、まともに鳴らそうとすると太いチェロの胴音が響きと、到底瀟洒からは程遠い演奏にしかならない。それでもミュンヘン郊外のシュタルンベルク湖畔トュツィンゲンで初演されてから好評だったようで、恐らく四重奏の演奏方法やその会場の大きさなどの相違が余計に演奏を難しくしているのではないかと想像される。

それは今回演奏したベルチャ四重奏団においても決して容易な課題ではなくて、スタイルが注目されることになった。既に言及したようにアンサムブルのあり方に大きく挑戦していて、この曲においても従来ならば聞こえるか聞こえないかのような副声部の寄り添い方が尋常ではなかった。誰が聞いていてもその声部が外されることで和声に穴が開くのは分かる筈なのだが、逆にその声部をしっかりと認識できないのが通常の演奏であり、もし声部を強く押し出すと分厚くなるばかりなのである。ビルロート博士が指摘したこの曲の難しさそのものである。

その観点からの歌いこみや合わせ方、同時に一昨年前までならばどんどんと歌いこんで行った第一ヴァイオリンのベルチャの抑え方が音楽的にもツボに入っていて、第二ヴァイオリンとヴィオラとの絡みが見事で、これは彼のアルバンベルク四重奏団も出来なかった合わせ方であった。なるほどそのイントネーションがやや東欧的であり、最初のモーツァルトでも感じさせた嘗てのスメタナ四重奏団のような若干角の落ちたアーティキュレーションは気が付いた。それによって評価しない向きがあっても仕方がないと思うのだが、しかし合奏芸術として行っているその芸術価値には脱帽である。こうした行いが弦楽四重奏である所以だ。

そのような塩梅で人数の割に激しい拍手があり乍らも、もう一人の盛んな拍手が若干弱っていた様なのも、そのブラームスへの見識だったのだろう。その意味からも、この楽曲の演奏実践の難しさへの克服として、個人的には喝采を惜しむものではなかった。四重奏団のコリーナ・ベルチャなども平素はそこまで満足そうな顔は見せないのだが、こちらの拍手に成したと確信を持てたのではなかろうか。

なにもこちらもいい加減な思い込みでこうした見解を綴っているのではない。その証拠にアンコールでシマノフスキ―の弦楽四重奏曲1番ハ長調二楽章の演奏が、そこに更なる幻想的なから絡みをする曲で、例えば新ヴィーン楽派ともフランスのそれとも異なる独自な音響を示していた。まさしくショスタコーヴィッチの曲とも対にはなるのだが、シマノフスキ―においては真髄な追及であって、ショスタコーヴィッチのようなポストモダニズムにはないだろう。

いずれにしてもこの四重曲全曲を含むプログラムがあれば再び馳せ参じなければいけないと思った。見事なプログラミングと演奏で、その他の趣味の相違を完全に乗り越えていた。最後尾から惜しみない拍手を送った。(終わり)



参照:
光と影のミスティック劇 2019-06-11 | 文化一般
実況中継録音放送前 2020-10-22 | 音
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価値のない2Gプラス規制

2021-11-29 | アウトドーア・環境
土曜日は午後に晴れたが寒かった。だから頂上往復を断念した。つまり、ジャガイモなどを摂って、日曜日に備えた。それでも午後から小雨となると確信が持てない。日没4時30分に合わせて遅くとも3時には決断していなければいけない。

結局小雨の中をショーツと手袋で走った。それでも上から降りてくるハイカーなど数件にあった。こちらからすると寒い時にもの好きだと思うのだが、向こうからすれば気が狂っているとしか思われない。我ながらここまでの動機付けはと思わざるを得ない。摂氏2、3度は矢張り寒い。

週が明けると時間もあるのだが天候も余計に雪模様になる。小雨なら雪の方がいいとも思うが、足元が滑ると上るのが苦しい。またパンツを履くようになると余計に厳しくなる。そこで先ず済ましておいた。なぜか下りの体の動きがよくて、腰が張って固くなるようなことがなく、最高速度も時速10kmを超えていた。しかしピッチが212まで上がっているのは計測間違いだと思う。180も出ていないだろう。

頂上領域には倒木に白いものが乗っていたりしたが、足元はそれ程ぬかっていなかったので霜柱などはまだ降りていない。

実は前夜にボルドーの1998年物をあけて体温調整が上手く行かずにヒータをつけて就寝、明け方魘されて起きた。矢張り寝室の温度が高いと熟睡が叶わない。ショック療法的な意味合いもあった。

オミクロンがフランクフルトやミュンヘンの空港経由で見つかったことから、週末に状況が変わった。週明けに完全ロックダウンを3週間以上の可能性も出てきた。また各地で2Gプラスになったことから、専門家からその価値に疑問が呈された。皆が確信していたことでもある。

諸悪の根源は辞める同性愛保健相が接種を促進するために脅し、そして今も未接種者は来年一年間も外出が制約されると吠えている、そうしたポピュリズムにあった。典型的な同性愛者特有の不条理さがドイツの施策を大きく狂わせた。

要するに接種者にはロックダウンが出来なくなって、それでも制御するための2G 規制であり、感染予防に寄与しないハードルを拵えているに等しい。同時にも催し物にはあきれた聴衆がそっぽを向いても返金せずに更に補償もいないというまるで日本政府のような施策となってしまった。

もうこうなれば医療崩壊へと拍車をかけるかそれともロックダウンのどちらしか選択は無くなってきている。

土曜日のフランクフルトのオペラの為に当日の無料抗原検査を予約した。この後どうなるかは分からないが、キャンセルがない限り出かける。しかし翌日までの検査をして翌日もという可能性は少なくなってきた。全てがキャンセルになることを望んでいる。

大統領がお願いベースで接触を控えろと語っても駄目である。この待降節に控える人などは殆どいないのではなかろうか。新政府はの船出は大嵐ではなかろうか。



参照:
寒さ疲れが出てくる頃 2021-11-26 | 生活
今冬一番の冷えに備えた 2021-11-24 | アウトドーア・環境
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回顧される幸福の痛さ

2021-11-28 | 文化一般
承前)ベルリンでの「マゼッパ」演奏に先駆けての指揮者キリル・ペトレンコとクラスティング氏のインタヴューを観た。後半は、「マゼッパ」公演の意味を「スペードの女王」に繋ぐようになっていて、来年の復活祭への意気込みを示すことになって、我々に可能な限りのことはしようと思わせる。

それ以前にチャイコフスキーにおける表現の主体が女性に置かれていて、それが彼自身の母親と重ねられているというのも重要だと思う。勿論ここでは一切そのフロファイルの様なことは語られず、主人公マゼッパへの作曲家の投影にしても音楽的にその心情がよく伺われるとして、指揮者は音楽によって語るという範疇を逸脱していない。こうした姿勢とそれが可能な芸術家というのは本当に尊敬に値するのである ― 勿論ミュンヘンの後任音楽監督はそれをとても巧妙に言葉にして準備しておくのであるが。

序曲においても抒情的な部分において若き日のマゼッパが描かれていて、有名な裸馬に仰向けに縛られて走らされる伝説的な絵画の若い美男子そこに見るとしていて、また情景として構成されている花環を捧げる娘の歌とかの民謡的要素も実はコメントとして機能していると説明される。

そこで言及されている、上の主役マゼッパのキャラクターにしても決してその心情を疑わせない真に迫った表現であると共に、白黒をつけた劇場的な意味づけとはなっていないという事だ。即ち、狂った女をそこに見捨てるマゼッパは極悪人かと問われる?

これは、以前ショパンのファンタジーポロネーズについてロマン派のお話しとまたは後期ロマン派のフランクなどの構造についてのお話しをここに当てはめる。つまりチャイコフスキーにおいては、マーラーの交響曲の例えば「復活」に於ける様な明確なメロドラマ、つまり展開の正反対へのダイナミックスを交差して現れるような劇性ではなくて、現実の人間心理がそうであるように、なかなか解決されない不条理というものがそこで描かれるという事になる。ロシア文学なのだろう。

インタヴューをしているクラスティング氏の絶賛されている文章に戻ると、チャイコフスキーが友人らに語っていた言葉が載っている。

「苦悩の時に、幸福を回顧する以上の苦しみはない」

「マゼッパ」初演後にフィナーレを、本来のプーシキンにおけるオフィーリアの様に入水するものから、幼馴染のアンドレイが虫の息にあるときに子守歌を歌ってあげるという風に差し替えたとある。それによって、マリアはファウスト博士とグレートヒェンとの関係になって、公に出来なかった作曲家自らが求めていた成就しない救いがそこにあったとしてその文章を終えている。(続く)



参照:
忘却とは忘れる事なり 2019-05-14 | 音
交響する満載の知的芸術性 2013-04-03 | 音
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持続性ある文化政策に

2021-11-27 | 文化一般
連立政権の閣僚ポストが出てきた。注目されるのは98年からある文化大臣である。誰もが予想していなかったクラウディア・ロート元緑の党の代表である。バイロイト音楽祭での派手なパフォーマンスなどが印象に残っているのだが、既に代議士を辞めていたことから驚きをもって迎えられている。

最近では2017年の新制作「マイスタージンガー」のバリーコスキー演出に感激していて、スェーデン王夫妻やバイエルン王家当主などとの親交を暖めたようである。兎に角声が大きい、だから前任者のグリュッタース大臣とはまた違って話題になるだろうと予想される。

前任者は無名の代議士であったのだが大臣になって、殆ど直感的に積極的に発言をしたことで、一部には当然ながら反発もあったのだが反面大きな成果もあった。しかし後任者は政治家としてある意味大物で元人気政治家である。要するに甚だ声が大きい。

先ずは様子を見ることになるのだが、緑の党が外交と文化を担うことでより積極的に文化使節を派遣することになると思う。筆頭には来年上海ツアーを行うベルリナーフィルハーモニカーがいて、そのプログラム自体が可也棘のあるものになる予定であるが、外務当局がよりサポートする形になるのではなかろうか。

他方前任者によって圧力が掛かっていたバイロイト音楽祭へは違う形で圧力が掛かるのかもしれない。前任者の時の様に僭越な干渉がない代わりにもっと厳しい態度に出る可能性が予想される。

安売りで購入したココナッツの乾燥品が素晴らしい。ガーナでの自立プロジェクトの様で、ヤシの実を取って来て、洗って、切って、その外実を燃やして中身を乾燥して、袋詰めにするだけの商品らしい。

2012年からのプロジェクトで千人以上の職場を作り、千件の農家から一年を通して供給される原料。それによって家庭の基礎収入が得られるという。更に従業員や輸送関係者には無料食事処が準備されていて、学童前の子供達には施設があり、更なる職業教育期間が用意されているという。

ここにはヤシの実の持続性に関しては触れられていないが、ガーナ政府がやっているに違いない。110グラム入りで、1.99ユーロだった。もっと買い込んでおくべきだった。如何にも健康そうなもので、ココナッツの甘味だけでそれ以上には要らない。



参照:
音楽監督ティーレマンの去就 2020-12-29 | マスメディア批評
持続可能なフェアーな態度 2013-09-16 | アウトドーア・環境
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均衡とその逸脱から

2021-11-26 | 
承前)弦楽四重奏の均質性からその均衡が破られる。ショスタコーヴィッチの14番は書法自体がチェロに捧げられている通り、楽器間の対峙が基本コンセプトになっている。

最初と最後の四重奏曲以外を初演したベートーヴェン四重奏団のチェロ奏者に捧げられていて、既に13番を捧げたヴィオラ奏者は亡くなって、12番を捧げた第一ヴァイオリン奏者との掛け合いなどが扱われている。

14番は初演当時から名曲とされていて、70年代中盤には盛んにNHKでも流されていた。だから個人的にはショスターコヴィッチの曲では最も馴染みがあり、息子のマキシムが振る交響曲15番などと共に、よく耳に入った。しかし生で聴くのはチルギリアン四重奏団の演奏でエディンバラの演奏会で聴いたかどうかで、今回の様に楽譜に目を通してからというの初めてだった。

如何に四重奏者の四人の中での死者と対話をしているようなところが独特で、余りそのようなコンセプトの曲は他に浮かばない。要するに、均質に演奏どころか、あちらとこちらの違う世界で呼応している様な趣なのである。

当夜のプログラム冊子には献呈されたチェロ奏者の名前から「マクベス夫人」のアレクセイに呼びかける歌詞が書き込まれているとある。今シーズンは、ミュンヘンでの「鼻」での第8四重奏曲の挿入があり、そのDSCHの動機、更に交響曲10番におけるその動機、そしてここに至る。よく分かるのは、どの作曲家にも通じるのだが、音楽劇作品での劇的な意味合いなどが純粋な器楽曲においてどのように活かされているかということである。この作曲家にとっても劇作品が大きな意味合いを持っていたことがよくわかる。即ち純音楽性が強調されるところに劇性がとなっている。

今回は当時頻繁に流されていた初演のベートーヴェン四重奏団の録音は聴けていないのだが、非常に高い次元での音楽表現がなされていて、そのコンセプトでもあるテーゼの均衡とそのアンチテーゼの逸脱の表現をどのように扱うかにあった。とても感動的だった演奏であったのも語るまでもない。

ショスタコーヴィッチには限らないのだが、ポストモダーンなコンセプトの楽曲においてどのような表現を成しえるかでのとても良い例となっている。例えばペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーが第十交響曲を再演していくときに何が求められて要るかにも通じる表現のありかただ。なぜあの楽曲でダイシンがコンツェルトマイスターを務めているかの理由でもあろう。

まさしくこの曲が、作曲家を死の一年前の1974年春に訪問したクリシュトフ・マイヤーに作曲家が語った二曲のうちの一曲であり、未出版の楽譜として見せられたとある。そして「カルテットはトリオよりも作曲が簡単」とする有名な言葉が出てくる。またマーラーの交響曲10番、大地の歌への言及があったという訪問の時の証言であった。

この曲のアダージョ葬送での12回の繰り返しやマーラー九番でのそれを考えると、死が忍び寄る当時の作曲家の思索の一端に触れるような気もする。

まさしくこのベルチャ四重奏団が恐らくこの一年以上を掛けて成してきたことのその反映がプログラムとして完成していたことにもなる。(続く



参照:
歴史に残るようなこと 2019-09-17 | 文化一般
実況中継録音放送前 2020-10-22 | 音
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寒さ疲れが出てくる頃

2021-11-25 | 生活
夜更けまで片づけものをしていた。大晦日にも近いが、その前にという事だ。窓拭きも秋の終わりに終えているので、大掃除も待降節前に済ませる。

篭り部屋の床に散らかっていたのは、このコロナ禍中のキャンセルの山の資料とそのシーズンのそれまでの資料だった。片づけるにも片づけられなかった資料である。そしてコロナ禍を記念するいくつかの資料と共に整理が出来た。幻の公演になったものが沢山ある。今後はその手のものも無くなるので片づけられる。

それでも一挙に3G体制から2Gプラスになって、接種者にも抗原検査が必要になった。再び無料で可能になったのだが、その場所に行かなければいけない。外で並ぶのも寒い。すると自主休演というのもあり得る。少々頭が痛い。払い戻しができない。

お勤めで日没前に30分ほど走った。流石にショーツでは寒かった。ジジババグループが遠くからホントかよと言っていた様だったが、手袋がないと本当に寒かった。因みに陽射しがあったが、摂氏5度ぐらいだった。おかげでやはり疲れる。ここ最近の徐々の体重低下もそれが効いていると思う。

これだけ走っていると、土曜日にも何度もお声が掛かった。皆、敬服という。確かに千日回行の様に走り慣れてしまっている。その分、大したもんだといわれると、ゆっくりで全然駄目というしかない。本当に足取りが早くならない。

先日自宅で初めてアンコウを食した。スーパーの安売りで尾のところを購入した。魚は嫌いではないが残りなどが匂うので好き好んで調理はしない。しかし、これは余りにも単純に骨のままグリルして残りもブイヤベースをとれたので全く問題がなかった。白魚のコツは時間をおいてマリネ―することだと分かった。レストランで食するときは頭の方でこれはあまり記憶がない。なによりも白ワインに最高で、それも料理酒のシャルドネ―で十分だった。マリネをプロヴァンス風にしたからでもある。因みにゼートイフェル、海の悪魔である。

確かにぶっとい尻も爬虫類的でもあり、骨太で海で遭遇するのも嫌である。原始生物の名残が強そうで、余りその生態も知りたいとは思わないが、海底20メートルから千メートルに生息というからそのもの深海魚である。でもお味はバター風味でありながら上品。鍋も出来たのか?でも価格が合わないだろう。



参照:
ぼちぼち始めたいお勉強 2021-10-17 | 生活
今冬一番の冷えに備えた 2021-11-24 | アウトドーア・環境
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独墺交響楽の響き

2021-11-24 | 
承前)東京でも演奏される予定だったプログラムの前半はメンデルスゾーンの「スコットランド」交響曲。この曲はキリル・ペトレンコは2016年4月のヴィーンのニコライコンツェルトで定期公演デビューした時に「大地の歌」の前に演奏され、放送された。更にコロナ期間中にも夏のツアープログラムに第一交響曲も指揮した。

メンデルスゾーンの作曲はドイツ音楽の中心にあるものでナチ政権下に消え去られようとしていた伝統であった。どうしてもペトレンコにはそのルネッサンスを期待したくなる所以である。

今回は公開練習で予定されていたので特別にダリウス・シマンスキーがレクチャーをした。その内容がまた面白かった。つまりこの曲における作りに興味が向かう。要するに語り口調が其の儘音楽になっていて、古城の風景へと「彼の時に」との語りかけから始めるというのである。交響曲にそうした物語を持ち込む形やスコッチの其の儘使うリズム、そして同様にその伝統が移されたドヴォルザーク「新世界」で使われていることと同時に、やはり重要なのは弦と木管との関係。

管弦楽においては、木管こそが音色を制する楽器であり、それがどのように弦と混ざるか、それによって管弦楽の音色が決まる。その観点においてはこの曲の序章からの運びはとても重要な例となる。謂わば19世紀の管弦楽の大きな流れの重要な創作ともなっていて、ブラームスはこの交響曲を研究していて、この創作がなければブラームスの創作もなかったという事になる。即ち独墺音楽のメインストリーム以外の何ものでもない。

さて、そうした視点からすると、ペトレンコ指揮のパユを中心としたベルリナーフィルハーモニカーの試みはまだ完成しているとは言えない。木管楽器陣は各々が顔を合わせながら合わせているのであるが、ペトレンコ指揮のある意味点描的なリズム的正確さの中でどのように木管そして弦楽を合わせられるか、とても大きな課題となっている。

上の点に期待していた聴衆には結果は十分に満足出来るものではなかったかもしれないのだが、恐らくこれが最大の課題であって、とても大きな期待に繋がる。ここ数年そうした比較も含めて最も素晴らしく木管群が完璧な純音程で音色を作っているのはファゴットを中心としたフィラデルフィアの管弦楽団であることを確認している。既に弦楽陣の表現力では世界の頂点に掛かっているベルリナーフィルハーモニカーであるのだ。

後半のショスタコーヴィッチにおいても嘗てのカラヤンサウンドのそれとの比較においてもとてもよく鳴り切る楽団になっていて、ここ二三年で完成へと近づく勢いである。コロナ禍によってその工程が危ぶまれた時期もあったが、どうも肯定的な面があったとするのが共通した見解になりつつある。

極東、東京公演は生憎中止になったのだが、その代わりにバーデンバーデンからスカンディナヴィア公演、ハムブルクを挟んでそしてローマ公演と数回の公演を繰り返した。その結果は知らない。しかし、来年の夏のショスタコーヴィッチ曲の再演も含めて、大きな発展がここで観察される筈だ。(続く



参照:
ビッグファイヴの四つ目 2018-05-28 | 文化一般
そろそろの潮目時 2021-10-21 | 暦
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