Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

寂寥感溢れる心像風景

2024-11-14 | 文学・思想
ペトレンコの指揮は変わった。スカラ座以降は少なくとも変わった。11月12日のフランクフルトでの合衆国ツアー壮行演奏前には前の週の定期演奏会最終日でのもう一つのツアープログラムのラディオ中継しか聴いていない。然しそこに共通したものはあったかもしれない。最も変わったのは拍の刻みのゆったり感で、そこで楽団のアンサムブルの自発性が引き出されているようだ。的確さはあってもやはり呼吸感がより演奏者のものになってきている。

車を当夜のアルテオパーの地下駐車場に入れて、片付けものをしてから、二楽章の楽譜をもう一度確認した。往路では一楽章からの二楽章迄を何回か繰り返していた。渋滞などもあってあまり集中できなかったので二楽章を繰り返した。四楽章での動機の扱い方で不明確なことがあったからだ。そして座席に着く前に初めてプログラムを2,50ユーロで購入して捲ってみた。そこで初めて知った、二楽章が最初に書かれていたことを。

この交響曲の難しさはそこにあって、各楽章間の連関がそれほど単純ではなくて、その意味合いが捉えられなくて、一貫した印象を持ちえなくしている。それもこの二楽章の内容自体がファンタジーに飛んだものであるという指摘は正しい。

プログラムには「トリスタンとイゾルテ」の三幕との関連にも振れてあるのだが、やはり最初の始まりのニ短調こそは今回の公演での迫真に迫る表現あった ― 危ぶまれた一楽章終了時に静まり返っていたのだが、二楽章終了時に少しだけ拍手が始まりかけた所以である。モーツァルトのレクイエムのそのものの響きである。それはそのアンサムブルの慣れと試行錯誤によって為されたものであると同時に指揮者の指導の下で掴んだ核心でもあった。それは「嘆きの調べ」である。

そしてそれが第二主題の慰めによって解消される。そうした構造でしかないのだが、それが浪漫派の真骨頂であるとともに、則ち新ドイツ派とされるヴァ―クナーやリストの純音楽から離れたその流派に対して、後期浪漫派への重要な転機にもなっている交響曲ではないかという仮説が生ずる。

同時にこうした作曲家の心像風景こそは、クラシックオタクの元祖宇野功芳が開拓したブルックナー人気の核にあったものだ。そしてそこでのハンス・クナッパーツブッシュ指揮による交響曲八番を評した「真実の詠嘆と自然の寂しさ」、「本当の寂寥」などそこでの記述がここで全てがこのペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの壮行演奏会で表現されていた。

そうした受け留められ方は決して日本での心情だけではないということは、既に先月のリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」のヨーデルの使い方などでも紹介した通りである。それが慰めによってエクスタシーへと高まるとすれば孤高の男寡たちにウケること間違いなしである。そしてその高揚感こそがカトリック信仰でもある。

この二楽章を書き上げた時には既に終楽章と一楽章の構想は決まっていたというのが、論文などを見るとあるのだが、この二楽章と一楽章の導入部との繋がりにおいて作曲の過程を知ると合点がいく。つまりなぜ唯一無二の中世的な風情の序奏が付けられているのかが、そこから導き出されていて、恐らく終楽章での構成に沿って完成されたものだろうという予想がつく。(続く)



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大らかに響き亘る伽藍 2024-09-03 | 音
アウトバーン走り絞め 2024-11-13 | 雑感
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アウトバーン走り絞め

2024-11-13 | 雑感
アウトバーンの走り絞めだった。幸いなことに心配されたようなお湿りもなく、気温も摂氏3度以下とはならなかった。直線では時速230kmまでは出せたが、それ以上は無理だった。それよりも高速の僅かなカーヴでも挙動が安定しないので170kmでも走行が怖い。勿論最早信じられないブレーキディスクを庇う為に急ブレーキは掛けないようにしている。それでも三四回は強めに踏んだ。それ以上に踏むと急ブレーキになるようABSが誤作動することは知っている。つまりブレーキがコントロールできない。

挙動が安定しないのは前輪のシリンダーのコイルが折れているからだろう。然しそれだけではないバンクがある。この車両の最大の欠点で箇所で、2000年当時はまだまだBMWのカロッセリー技術には及んでいない面があった。そのBMWも新中古車で10年程で三十万キロを越えて、直線走行は出来なくなっていた。

エンジンは徐々に吹きが悪くなってきていたのでそのような節約走行をしていたのであまり気が付かなかったのだが、追い越しや寄せなどのタイミングが合わせ難い。それは市街地でも空気が溜まって吹かない時を除けば信号発信は問題がないのだが、回避とか車線変更などではもたもたする。昔爺さんが帽子を被ってメルセデスを運転していたら要注意というのがあった。そうした状況になっている。

車に合わせて運転しているのだが、やはりこちらの視神経から脳への情報とそこで判断するときにそれを手足に送って機械が動くまでのタイムラグがフィードバックされて判断されている。あり得るのは年寄りになるとその神経の伝達の遅れがあるうえに古い車を乗っていると更に判断に安全指数が掛けられるということのようだ。その双方の遅れがどれぐらいか。

遅れが1秒に近いとなると、最近の試乗したかった車で言えば3秒以内で時速100kmまでを出していることを考えればその差は大きい。正直私自身の場合は、新しい車で動きに関しては大きな二輪車ぐらいの運動性はあるので、可也身体の如く動かせるようになる。余計に自身の神経もされるかもしれない。その点ではアウトバーンにおける神経はブレーキを掛る早さと、動体視力ぐらいで、前方の車のきょどに関しては見ているので視力だけの問題である。だから最高品質のヘッドラムプと視界だけで最高速度と高い巡航速度への影響はあまりない。四輪駆動はやはり心強い。

往路では何時もの経路が閉鎖されていて、30分以上余分に時間が掛かった。前回の訪問時に電気自動車の充電ステーションで場所を取られていたので早めの18時40分ぐらいに入庫したが、階下は殆どなかったようだが、嘗てとは異なって混んでいた。

そうした渋滞でもイライラすると怖い状況は表れる。ナヴィも無料のいい加減なものを使っているので取捨選択してしか使えない。これも全く次元は変わる筈だ。

往路でライトバンタイプの新車と同じ白い車を抜かした。やはり白いと夜目に幅広く感じた。走行感は後ろから見ていても安定していた。帰路も飛ばして無事22時53分に帰宅できたのでよかった。あとはひたすら何ごともなく乗り換えるのみだ。



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雨降って足元が温まる 2024-11-12 | ワイン
木霊する時の隆盛 2024-08-20 | 歴史・時事
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雨降って足元が温まる

2024-11-12 | ワイン
雨が降って、想定外の寒さだ。気温が上がらず、湿気だけがあって、我慢し難い。火曜日も厚着をしていかないと駄目だ。燃料も入れておいて、外であまりうろうろしない様に準備しておこう。

夕方まで雨が降っていたが、日没前の30分ほどは上がる様子だったので、数十分前に燃料を20リットル入れて、雨上がりに走りに出かけた。158セントだったのでまずまずだった。これでフランクフルト往復は問題ない。あと何回給油するだろう。

丁度雨上がりで準備運動して濡れた道を走って上に着いた時には暮れていた。然し雲が晴れたので視界はそれほど悪くはならなかった。然し森の奥から独特な呻き声が聞こえて来た。あまり聞いたことがない、自分自身が苦しんで走っているときのような声だった。イノシシの声でもなく、シカ類でもない。よく分からなかった。低い声なのだが但しそれ程大きな身体のようではなかった。それにしてもこの時期になるとトレイルランニングシューズのゴアテックスの優秀さに気が付く。何よりも濡れた道でも足が冷たくならない。そして暖かい。夏はよくないらしいが、これだけでも足の故障を防げる。何よりもである。

帰りに肉屋に寄って買い物をして、水曜日迄の用意をしておく。帰宅時にオイル不足のシグナルが出ていたので、序に200㏄給油した。残りは100㏄でこれで先十年程はエンジンオイルを購入することもないと思う。前回のオイルフィルター交換から既に三万キロ以上走っている。長持ちさせないだけなら殆ど手入れが要らないことを知った。勿論点火プラグなどもそれ問題がない。前のBMWの時には三十万キロまでしっかり金を取られていた。この差は大きい。

フランクフルトのアルテオパーでのブルックナー交響曲五番、まだお勉強できていない。どこ迄間に合うか。アルテオパーでの解説では、最初のピチカートの始まりをモーツァルトのレクイエムとの類似性で述べていた。そうした論文があるのは分かるのだが、抑々それがカトリックにおける何処から来ているかの方に興味があるのだがそこには言及がない。それよりもバロック的な対位法ともあり、それどころかデューラーの「星の力」との親近性にも述べられていて、なにがなんだか分からない。正直アルテオパーのこのおばさんはあまり為にならない。勿論そのレクチャ―を覘く価値もない。その時間に一つでも動機の扱いを確認しておいた方が為になる。

週末にボルド―ワインを開けた。久しぶりのサンテミリオンのグランクリュである。1996年の状況を知りたかった。色合いもそれ程落ちていなかったように全然悪くはなかった。価格は忘れたが一本30マルク以上はしていたと思う。流石に違う。最初20年程のバランスは決して良くなかった。分離したようなエアーリングの必要を感じるものであったが、今は開けて直ぐに香りも風味も酸味も感じられて取り分け新鮮な感じがあった。飲み頃とは言えないのだが、まだ急いで開ける必要もないのを確認できてよかった。コルクの状態も悪くはなく、流石にと思う。

サンテミリオンのボルドーの方はメドックのものよりも果実風味さえしっかりしていれば長持ちする。メドックのしっかりした芯はないのだが、食事によればこちらの方が合わせ易い。また買い付けにいつか出かけたいと思う。



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信仰告白交響曲 2024-11-11 | 文化一般
冬場に楽しめる生活 2016-10-09 | 生活
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信仰告白交響曲

2024-11-11 | 文化一般
来年のルツェルンの宿を予約した。同じ部屋をとった。決して満足ではなく値上がりしていて限界に近くなっている。二泊三日で何も考えずに使えるだけで、それ以上に安価で便利なところがあればと思うが、現時点では見つからない。290ユーロ程になるので、精々ガレージの場所ぐらいは確保したい。初日に入庫した時に場所取りできる方法を考えておくべきか。何かはっきりしたものを置いておけばいいかもしれない。三角コーンの安いやつでも車に積んでいくか。現在使っている三角停止枠を取っておいて、その上に何か英語で書きものでもしておけば普通は退けて迄は割り込まない。私の様な常連さんばかりでもないだろう。アイデアはある筈だ。ガレージに停めておけるならば宿代は高くはない。

さてブルックナーを再び思い出している。四楽章に関してはまだ殆ど書いていなかった。なぜだか忘れたが、どうもフガートからそしてドッペルフーガがまだまだ音楽的すっきりとしていなかったからだ。それは一部には演奏者側においてももう少し明確化しないといけないところが見つかったのと同じだ。

早いテムピで以って史上初あるべき音が鳴っているのは事実でも、もう少し自由に演奏可能となれば明らかにより音楽的に呼吸できると確信する場面があった。今回の公演で如何にスカラ座で魅せたような棒捌きが可能なのか。そこに掛かっていて、より音楽的な核心を自由自在に演奏できるのか。

9月の音楽祭での成果があまりにも歴史的であって、火曜日の演奏がその先から再開可能なのかどうか。それは繰り返すが、こちらの音楽への把握もあるのだが、やはりこの曲は演奏だけが難しいのではない。

なるほど描かれている世界感は、既に二楽章のポリリズムとしては触れているのだが、三位一体に様々に顕現する姿がもう一つ定まらないところがある。丁度マーラーに七番においてルツェルンではまだまだ早く通り過ぎて仕舞っていたのが、フランクフルトではより音楽的に把握されたのと似ているだろう。

スケルツォにおいての水車の様なそれも隠されたヨーデルに表れるそれもが、更にトリオではとなる。そこには三連符での拘り、そしてフィナーレでの12の数字とまるでバッハの作品の様に象徴的な意味が確信をもって隠されている。それが音楽的にも認知されるかどうかである。

三分割が自然に拍節として半分に割れるのは当然であり、父なる神、神の子キリスト、そして聖霊によっての三位一体によって為されるとする神学の基礎である。これだけ組み合わせている交響曲をブルックナーは他に書いていないであろう。

私が車の番号にゲンを担ぐのとはわけが違う。全く以って確信に満ちた信仰告白であり、どのような場面の感興においても神の姿をその宇宙を感じていた作曲家であることがよく知れる。今更ながら信仰告白交響曲のようにも思われる。
Bruckner: Symphony No. 5 / Petrenko · Berliner Philharmoniker 終楽章から




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歩きたい綺麗な街路 2024-11-10 | 雑感
追想の音響への眼差し 2024-09-16 | 音
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歩きたい綺麗な街路

2024-11-10 | 雑感
長袖の下着を出した。火曜日に着るかどうかを検討する為にも試してみる。一度長袖にすると戻れないと思ったから慎重だったが、一年で最も寒く感じる数週間に燃料を節約しながら生活するには悪くはないであろう。寒い中を走って来ると身体は暖まるのだが、直ぐに足元から冷えて来る。筋肉はついていても走ると脂肪分が落ちてくるので余計に寒いのかもしれない。

部屋をリフォーム時にはそこも留意したいと思う。木組の床の上には防振防音と遮温を兼ねてのスチロール剤が敷いてあるのだが、その上の表面も影響があるだろう。夏の涼しさは天然木が最もいいだろうが、室内の吸音とか冬場を考えると違ってくる。

現在は化学繊維のカーペットになっているのだが、薄くなって繋ぎ目がズレて酷い状況である。リフォーム後34年経過しているので仕方がない。毛並みがしっかりしたカーペットは共同の場の階段に敷いてあって、それ以上のものが欲しい。要するに掃除なども問題がないので、いい素材は幾らでもあると思う。場所によって板も併用したいが、具体的には思い浮かばない。なによりも響き過ぎると絨毯で抑えないといけないので二度手間になる。一区画の事務所専用を板の間にすると、場合によっては演奏もパーティーも可能かとも思ってはいる。その場合は屋根裏区画も板になる。可也響く。そちらは街道際の部屋になるので現在以上に窓の遮音を強化する必要があるか。

来夏の音楽祭のプログラムが発表になってくる。なによりもルツェルンのベルリナーフィルハーモニーのプログラムで、ベルリンの初日に続いてそこではヴェーベルンとツィムマーマンとブラームスの組み合わせで、今迄何度も流れて来た組み合わせだ。交響曲一番は難しいと思うが、失敗ないプログラムで、二日目には5月のマーラーフェスティヴァルに継いで九番の交響曲が演奏される。これもブレゲンツとフェルトキルへで二回聴いたのでその方向は分かっている。決定的な演奏となる筈だ。恐らく11月の日本公演のうtらプログラムに東京でも演奏される。そろそろ日本でもバーンスタイン指揮やその亜流のシオニズムマーラーからお別れする時だろうか。因みに東京公演でのメインのプログラムは予想しがたいが、基本はあまり売れないような作品だ。復活祭でプッチーニだけがなぜか突出している。レスピーギはあり得るのではないか?

早めに床に入った筈だが、明け方トイレに立って、寒くて出入りするうちに、やはり眼が覚めつらかった。目薬もあって調子は悪くないのだが、この寒い時の疲労感は独特で山中での就寝にも似ている。昼にも眠気を引きづる。

火曜日のフランクフルトの天気予報も結構寒い。厚着して行かないといけない。ミラノから戻って初めて靴袋を開けた。思っていたよりも傷んでいない。イタリアは少なくとも北は石畳があっても街路は綺麗だ。フランスの様なことはない。距離は短くても歩きやすい場所ばかりで、劇場のトイレなども綺麗にしてあった。旅行用の靴は色々なところを比較的歩いたので草臥れているが、火曜日に戻って来てから同時に手入れをしておけば、新しい靴の方もまだまだ問題がないだろう。しっかりした靴もやはりあるととても助かる。踵上げの中敷きも必要なものはもう少ししっかりと接着しておいてよいかと思う。



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立冬での洗濯日和 2024-11-09 | 暦
四半世紀を越える感興 2024-10-28 | 雑感
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立冬での洗濯日和

2024-11-09 | 
遂に暖房を入れた。午後から寒くなった。立冬は11月7日だったらしい。先ずは足元がジンジンとしてきた。スペイン製のフェルトのスリッパを使っているのだが、床の冷たさを感じるようになった。今迄余り感じたことがなく、上半身は寒くなかったので、スポーツ用の靴下を履いた。つまりガラス磨きのお陰か室温はそんなに下がっていない。然し床が冷えている。

それでもトイレに立つ回数が増えたので、これはよくないと思って先ずは事務机横のフィンにお湯を通した。序に各フィンのガス抜きをした。先日水音がしていたのでお湯が通て来ていることは分かっていたので、この辺りで無理することなく床を温めるようにしておいた。床を配管が通っているので少しでも流すとオンドル効果がある。それでも流すフィンを限っておくと、量は上がらない。それでも出水と戻りの水の温度差との積で計算される。

屋根裏の寝室は其の儘であるが吹き抜けになっているのでただ一つのフィンの熱気が上がってくる。それでも寒かった。ベットカヴァーでは足りない。寝室か屋根裏全体に暖房を通す方法もあるのだが、週末は最高気温が再び二桁になる。日照時間がカウントされていて、選択日以外の何ものでもない。

それだけ一桁で日照時間零が続くと日に日に冷えて来る。一週間以上陽が射さなかったのはやはり珍しい。週明けには被災ぶりに降雨があるようだが幸いなことに3度以下となっていないので夏タイヤで走行は許されて、問題は起きない筈だ。

これで散髪を何時済まそうかが課題となる。今の様子では月末まで陽が射す日はとても限られていて、日照時間も延べでもかなり少ない。そうなると散髪して寝具を替えてもなかなか自由度は少なく、なによりも風邪を引かない様に対策するしかない。

ワインも飲みたいところなのだが、少し控えている。在庫が限られていて飲み代があまりなく、まだ暖かい部屋でゆっくりとの雰囲気ではないからだ。なるほど上半身は未だにあまり寒くないのだが、下半身が堪える。走って血の廻りもよく、左足の土踏まずの問題しかないので、現時点では体調は悪くない。

さっと走って来た。翌朝になっても好転はしない。3度まで下がっても日時間は5時間なので、洗濯日和としても早めに片付けるしかない。走っての一時間の時間がないからだ。

車両保険のオファーが来た。一部間違っているようだが、少なくとも22%支払いで済むのでなんとかなるだろう。但し試算は事故を起こしての補償の自己負担額が500ユーロになっている。その価格なら少しの傷でも直させれるが、頻繁に保険を使うと割引率が少なくなる。結局高くつく。以前は1000ユーロとかにしていたので、これを上げて掛け金を下げたい。1500ユーロ程度の修理費は自分で払ってもいいかとも思う。つまり大きな事故で潰した場合と盗難などの場合に保険申請するということになる。特に最初の三年以内はそれほど価値が落ちないので盗難の時は比較的容易に乗り換えられるだろう。駐車場などでの小さな傷が気になる所だが、それは直ぐに修理させるかどうかを自身で考えないといけないかもしれない。その他のガラスとかの不可抗力は150ユーロで直せる。



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謳いあげる多文化の音 2024-11-08 | 文化一般
朝から騙された思い 2024-11-06 | 生活
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謳いあげる多文化の音

2024-11-08 | 文化一般
お勉強の時間が無くなって来た。来週火曜日までにどれだけの時間を費やせるか。ブルックナー五番である、二か月前のそれを殆んど忘れかけている。演奏者も似たようなものだろう。その前に昨夜からベルリナーフィルハーモニカー合衆国ツアーの表のプログラムが演奏されている。金曜日まで三夜。そしてまたブルックナーの下稽古か。

金曜日にはラディオでも中継されるのでそれを聴く。今回の定期公演のプログラムをDLして読んでみた。ラフマニノフ作曲「死の島」は2021年1月のコロナ時に無観客で演奏されていたが、今回は他の曲のこともあるのだろう独伝統的楽器配置で演奏される。それは練習風景のヴィデオで確認した。そこでの解説として八分の五拍子が三拍子二拍子三拍子二拍子と変化していく面白さに言及されて、有名なベックリンの絵のボートが棺を乗せて島に近づく風景でもある。前回の時にも言及したが指揮者ペトレンコのお得意のリズム的な精査での自由自在である。練習風景を観るとスカラ座のあとでのこちらの意識も違うのかもしれないが、その自由闊達な棒をベルリンに持ち帰った感じがする。楽団も三年前とは全然力が抜けて演奏できている様だ。

プログラムによれば、作曲家がロシアから逃れてドレスデンに滞在時にリヒャルトシュトラウスの楽劇「ザロメ」初演でその管弦楽法に驚愕した様だった。その影響のもとにあったとされ、何時も語られる白黒デッサンのコピーでなく本物を観ていたなら最早なにも曲を書けなかっただろうとされる。

「音楽は落ち着いた月夜であり、夏場の葉がそそぎ、音楽は夕暮れの遠くからの鐘の音で、音楽は詩の姉妹であり、その母はメランコリーだ。」という作曲家の言葉が書き添えられている。

そして「死の都」の作曲者コルンゴールトのヴァイオリンの為の協奏曲が演奏される。アメリカに亡命してハリウッドで名前を挙げたことから、この協奏曲もその映画音楽のメロディーが使われていることで、「ハリウッド協奏曲」とも呼ばれているらしい。メンデルスゾーン風の一楽章では同時進行での創作である映画「アナザーダウン」から夜の風景が主題になり、第二主題として「ジュアレズ」の皇帝と皇后の主題、二楽章では「アンソニ―アドヴァース」の旋律、最終楽章のロンドと変奏では「プリンスともの貰いの子」のイントロがとなっている。
Another Dawn (1937) TRAILER - with ERROL FLYNN and Korngold's Score

ERICH WOLFGANG KORNGOLD ~ JUAREZ 1939 (Special Overture)

Anthony Adverse (1936) - Gale Sondergaard : Opera Scene

Korngold: The Prince And The Pauper Suite - 3. The Prince


三曲目は、ロンドンから第九「合唱」の様に依頼されて同じ調で書かれたドヴォルジャークの第七交響曲が演奏される。この曲がやはりボヘミヤの作曲家としてそのハプスブルク帝国の中での独自の音楽歴史を示す作品となったことは、スメタナにおける「我が祖国」の話題と繋がる。

三人の作曲家の共通点は合衆国での活動で三人三葉ながらそこには今回の大統領選で双方から話題とされたその多民族への視点に触れられている。勿論筆者のクラスティング氏にとってはそしてベルリナーフィルハーモニカーにとってはワシントン公演でも高らかにそれを奏でる心算でいただろう。然し音楽文化的には今こそその価値が問われている。



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描き切れない普遍的価値 2024-09-01 | 文化一般
朝から騙された思い 2024-11-06 | 生活
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予想される徴兵再開

2024-11-07 | 歴史・時事
朝までライヴストリームが流れていた。なんとなく思わしくない様子があった。予想外の敗北だった。流石に起き辛かった。その選挙民の意思の分析は様々あるが、そこに民意が表れていたのは間違いない。最も興味深いのは合衆国にいる独政治学者の言い分で「市民は既に合衆国が超一流国でないことを知っているから」の投票で、成程グレートアゲインというのはそういう意味だった。今後の経済的な可能性はないが、少なくともネットワークやマスメディアが事実を語っていないことを知っていて、「トラムプ政権で少しは明らかになる。」と思っているという見解だった。

ラテン系の人にしても選挙権があるということは違法移民ではないので、彼らとは違い、彼らと競争するのは御免だという意識は他の人達よりも強い。これは何処の国の移民でも同じだろう。嘗てならば合衆国では無尽蔵に可能性があるので移民の数が増える程豊かになるという期待が最早ないということなのだろう。

そこで我々にとって最も関わるのはウクライナ情勢である。安全保障の教授は、合衆国がトラムプが公約していた通り軍事援助から手を引けば三か月ほどでロシアに占領されるようだ。その場合EUがどの程度の援助肩代わりが出来るかである。

勿論トラムプが盟友プーティンとディールして休戦、非武装地帯にでもしない限り、EUはNATOとして軍備増強しないといけないようだ。特に地上の歩兵は数連隊必要な様でドイツでは徴兵制度が必至とされる。ここ十数年徴兵がなかったのでやはり気持ちよかったのだが、再び若い人が徴兵されるようになる。

ショルツ首相は、ロシアに言及してもウクライナには言及することなく、EUが一致団結してあたることの必要性を強調した。抑々ウクライナをEUやNATOに組み入れようとしたのは合衆国であるので今後は戦時であっても休戦であってもそこが緩衝地帯になることが最も重要である。

日本なども防衛の再考をみなされるようだが、それを準備していたような内閣が心強いだろう。国防軍で安全保障関係を破棄すればそれほどの武装は必要ないだろう。然し欧州は地上部隊が絶対に必要になるので大変なのである。

ドイツの場合も心ならずも戦争当事者になって仕舞ったことから、大変な痛手をこうむることになった。ウクライナの戦時体制を引き延ばすだけでも合衆国の肩代わりは大きくなるのであり得ないということになる。合衆国のNATO離脱をも含めての長期的な安全保障と同時に直ぐに支援体制を整えないといけないとされている。

ロシアの軍事力の底も見えてしまったことから、将来的にはユーラシアとして安定してくるのだろうが、肝心の経済関係で以前のような持ちつ持たれずの関係をよそ者の合衆国無しにどのように構築していくかが問われる。この件に関しては、合衆国が孤立に為される可能性があるのに対して欧州内ではそのような構造はあり得ない。

バルカン半島のEU化なども戦略的により重要になる。



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朝から騙された思い 2024-11-06 | 生活
不法移民、強制退去の祖父 2016-11-25 | 歴史・時事
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朝から騙された思い

2024-11-06 | 生活
朝から騙された思いだった。日照時間が3時間程予想されて楽しみにしていたのだが、朝から霧で、窓はびっしょり濡れていた。外に出ると何かを被らないと眼鏡が濡れそうだった。本格的な11月だ。そして寒かった。

前晩に走った時は摂氏7度だったから、なかなか温まらず、今週はこのままで経過して、週末には放射冷却でまた冷える。

世界は一先ず合衆国選挙待ちである。情勢は分かっていても最後までどうなるか分からない。一番笑ったのはブラムバーク調査での経済運営に関してで、トラムプの政策ではGDPが8.9%落ちるというのだ。お笑いにもならず、更に中流以下の人にとっては大きな増税となる。トラムプ信者は最低線のより課税される人しかいない筈だが、そのようなことは気にしないのだろう。

久しぶりにザウワークラウトを炊いた。そこで温めたのはレバー団子と細いソーセージのペアーである。これだけで満足感があるので冬は暖まって、これでいい白ワインを開けると他には何も要らない。汚れものもあまり出ないのでものぐさが出来る。

水曜日は少しは空気が乾いて欲しいと思っている。火曜日までのようなら走ると知らぬうちにびっしょり濡れる。同じ霧でも上がってくれると濡れなくなる。

今回はカメラ・ハリスになってからはずっと大統領選を見て来た。各地方の雰囲気は少しわかった。残念乍ら中南部の田舎の様子は分からなかたったのだが、親戚がオクラホマなどにもいるのでなんとなく分かる。あの辺りにいるとあまり外界との繋がりを感じていないということで、ろくでもない候補でも選ぶ人の方が多いのだろう。

どちらにしても女性の投票率が上がれば今回は前々回のヒラリー候補の時とは異なって広く女性票が入るだろう。なによりもその当時のトラムプとは異なってお話しにならないほどのヘイターになっていて、流石に女性票は入らないだろう。

合衆国の中絶禁止を推し進めたトラムプらの統一教会らのカルト団体とその前のキリスト教原理主義のそれとは全く異なる。なんらその女性差別に寄り添う根拠などはなくなっているからだ。

そうしたことでオバマ大統領の時のような人種的な克服は今回はないのだが、やはり腐っても鯛の世界の最高の権力者に女性が君臨することが注目である。アフロ系の教育程度の低い男性はマッチョ主義でトラムプ信者も少なくないようだが、今回はそれに次いで多いラテン系のそれも女性票の出方が興味深い。

オバマ大統領はユダヤ系の血も入っていたようだが、カメラにおいてはラテンとインド人のそれが強い為に大分親近感などを与える層も異なってくると思う。やはり合衆国の強さは原住民や奴隷の子孫だけでなくて新たな移民が大きな貢献をしていくことが本望であろう。然し、上の調査の49%の様に至らなかったのである。



参照:
あり得る結果は二つのみ 2024-11-04 | 雑感
最後のグレーフェンベルク 2016-02-21 | ワイン
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験担ぎの三位一体

2024-11-05 | 雑感
新車は14日に準備出来るそうだ。どうも車検切れからの日に合わせてきたきらいがある。購入費を揃えないといけないので、まだ様子を見て引き取り日を決める。そういうことで追加のオプションなどはつけれなかったが、価格からすればもうそれで十分だと思う。安全性も現在のキーは振動を止めれば車輛と交信しないことになっているので、リークで盗まれない様になっている。安全性は高い。いづれにしても14日以内となっているので待降節までに引き取る。

そして車の番号選びとなる。基本は地元が三文字で始まるので ― 因みに大都市は一文字からで、多くは二文字、三文字は繋がりで珍しい ―、だから余計に後ろは出来るだけ短くしたい。とはいってもそれなりの登録数があるのは同じで、二文字に三桁数字が続くのが標準。

今迄三種類の番号を登録したが、最初のは確かCS-341、そして現行はDT-xxxであった。自分から選んだのではなくて、代行の人に適当にやって貰ったおかげで殆どその意味はなかった。当時はネットによる予約制度がなかったからだ。そして今回はメーカー支店の方が予約のリンクを張ってきたので、そこですることにした。自ら出かけてと思っていたが気が付かなかった。前回は新車を取りに行く時に持参したかと思う。今回もそうなのだろう。

然し自身で選択するとなると、先ずは短い方がいい。それでもあまり人から憶えやすかったり、個人情報がその儘は危険な場合もある。女性が生年月日や年度を入れているとほうほうと思うこともある。それ程にその前は二文字イニシャルは多い。

さて先日に続いて改めて試してみた。するとイニシャルを使ってとなるが、その場合に10が余っているが、考える。近所の人が見たら直ぐに分かり、更にその次の数字を詮索される。詮索されるのは見ず知らずの人に覚えられるよりも嫌である。

色々と試してみるといい数字はあまり出て来ない。10、12、60どれも拒絶する番号ではない。最初に一文字では60以外では、三ケタになり911の様に車の形式番号でも考えたが、素数ではなかったのでやめた。イニシャルに続き二桁で生年を入れるのは前記した様に避けて、また出来るだけ月日も入れたくない。

それならと適当に若干自身にも関係がある最初二文字を試してみた。すると一桁の可能性が出て来た。そこで人気があるのはやはり1と7のようで残ってはいなかった。7は私自身にも運命の番号らしいがそれ程好きではないので、1ならば即手を付けていたかもしれないが、それ以外で素数となった。

こうなると最早験担ぎの世界である。二文字の一つを一つを犠牲にしてもなかなか見つからなかったが、なんと3が見つかった。そして二文字のコンビネーションが見た目に良かった。12.80ユーロの予約料で押さえた。調和の3が悪い文化圏など殆どない。なんとなく字面で脳裏に浮かんだのはドーヴァー海峡で隣に停めていた英国貴族のロールスロイスだ。



参照:
地中海の海岸に遊ぶ 2012-04-09 | アウトドーア・環境
おばあちゃんの夢 2024-10-24 | 料理
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あり得る結果は二つのみ

2024-11-04 | 雑感
流石に寒かった。布団の中でも肩にも寒気を感じた。予想では朝から陽射しがあって、もしや繰り上げでの洗濯日和かと思っていたが、午前中は陽が出なかった。その分午後も室温が上がらない。そして翌日も放射冷却で摂氏2度に下がるようだ。

そこで心配になるのはフランクフルトに出かける時に雪でも降らないかで、現在の擦り減った夏タイヤでは到底雪道は走れない。そして立ち往生したり事故にでもなると、車検切れが大きく圧し掛かる。

しかし現在の予報からすると先に週間ほどは安定していて、摂氏5度ぐらいから12度ぐらいまで収まりそうなので、積もるようなことも降ることもないだろう。もしそうでないと冬タイヤに履き替えることになる。

寒さを前に久しぶりに入浴した。前回は9月中旬であったので一月半ぶりになる。垢が溜まっていたようでさっぱりした。以前は寒さを堪える為に入浴した時もあったが、また二日もすれば寒さも緩みそうなので、それを乗り越えると暖房入れを大分先に延ばせる。

週末の夕食にはブルゴーニュのフィクサンの2020年物を開けたのも丁度良かった。まだボルドーを開けるには早い、まだ寒くなるからだ。これでココを乗り越えられるなら無駄な暖房費に比較すれば安いものである。

陽射しが足りずにまだ寒ければTシャツから長袖の下着に取り換えれば暖かさがまた違ってくる。足元の冷えは暫くなら膝掛でもなんとかなるだろう。

11月1日金曜日にセルビアの第二の都市ノヴィサドの駅舎事故が報道された。14人の市民が亡くなっている。抑々都市を知らなかったので調べるとドナウ河畔の上流の左岸で、二十万人規模であるからルードヴィヒスハーフェン程度の古い町のようだ。丁度ヴュルツブルクのような擁壁があって、旧市街も大学もある。
Serbia Train Station Collapse Possible Causes Novi Sad


事故は7月に修理した駅舎正面の軒がごっそりと落下して、正午時にその軒の下のベンチに座手散る人は殆ど即死状態だったようだ。生き残ったのも壁に架かった軒との間で圧死しなかった人たちのようだ。

監視カメラの様子を見ると、到底逃げれるような落下ではなくて、一瞬にして何十メートルものコンクリートの軒が落ちている。そして軒の上には駅前広場の緑に合わせてか芝が植えられていて、重量を増していたようだ。リフォームということは勿論そうした問題点を解消することにあったようだが、中共の会社が請け負ってこうした大事故につながっている。

愈々合衆国大統領選挙の情勢が見えて来た。これも世界の社会情勢に大きく影響するので、目を離せなくなった。それをして上手にいう笑い話がある。結果は二つしかないトラムプが勝利するか、またはトラムプ派が不正選挙を訴えるかである。国外逃亡する前に早く逮捕監禁して貰いたい。



参照:
ハロウィーンを前に 2024-10-31 | 暦
永く記憶に残る熱狂 2024-09-19 | 音
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時とは不思議なもの

2024-11-03 | 
承前)フィナーレでのゆったりしたテムポ運び。同時にその儘のアンサムブルを大河の如く、たゆたゆと流すその指揮、誰も出来なかったことのようである。リズムを保持してゆったりと時が流れて行かなければその創作の意思は通じない。

同様な経験は楽劇でも演奏会においても時々ある。恐らく多くの聴者にとっては意識が薄くなる所とも思われがちではあるが、実際にそのように書かれて目した効果と気が付くこともある。一方で多くの演奏家、この場合は指揮者などは取り分けフィナーレで大きな効果を上げようと苦慮して何かを仕掛けてくることも、若しくはそのテムポのリズムの維持が難しくなることもあるだろう — ペトレンコは緊迫とは反対に然し何時もの様にダイナミックスを丁寧に、そしてデュナ―ミックをアーティキュレーションとして丁寧に指揮していた。

「ばらの騎士」のフィナーレは、クライバー指揮の様に誤って演奏し続けられてきたのだが、作曲家と直接の繋がりのあるベーム博士の指揮録音などを改めて聴いてみても、やはり三重唱においてもポリリズム的な扱いも叶わずその後もシステムが多くなると読み切れていない感が強い。硬直した不器用そうな弾かせ方によりフレージングの不確かさもあり、それとは違って1928年3月の作曲家自作自演指揮のミラノでの公演ではさぞかししっかりと演奏されていただろうと思われる。今回のペトレンコ指揮がその意思を繋いだと批評された所以でもあろう — 96年前に聴いた人が両者を比べた訳ではなかろうが。
[High quality]R.Strauss - Der Rosenkavalier Act-3/Karl Böhm & Staatskapelle Dresden,Irmgard Seefried


リズムを崩さずにテムポを保ちながら繋がって、その魔笛風の二重唱が楽劇となりヤーヤ―のヨーデルへと運ぶからこそ、そこで懐かしい時の知覚が戻される。同じような劇場での進む時が流れるのは、メシアンの「アシジの聖フランシスコ」でのフィナーレでも共通している。ヨーデルでその虚の時がアルムの草原での幻覚か幻聴のような世界への認識が表徴する。ばらの騎士オクタヴィアンが登場した世界が響く。

永遠の時、歴史の時、そして最後のエピローグを挟んで聴衆は今の時に戻される。モーツァルトの「コシファンテュッテ」は愛の学校の副題を持ったが、正しくここでは時の学校で、当時の非ユークリッド空間認識への芸術が繰り広げられることになる。

この「音楽の為のコメディー」の本質はここにしかなかった。既にこの楽劇の初演にも立ち会ったマンのその創作における認知としての論文に関しては既に言及した。そこに「魔の山」の中の一節が取り挙げられている。主人公とそこに暮らす従兄弟のヨアヒムの会話からである、「そう、時間とは不思議なもので、それを時間で以って取り扱うのは難しい」の節である。

ホフマンスタールのテキストとしては、「時は特別なもの」としてマルシャリンによって発声される。

既に書いた、それをペトレンコが、それをプロジェクトーをも使って表現したクッパ―演出に沿って、正しく楽譜を音化した方法をである。これにて、20世紀の音楽劇場の起点にあったこのコメディ劇を100年以上の時を経過して漸く表現した。音楽劇場指揮者としてのペトレンコが初めて大成功した制作再演であった。(終わり)



参照:
細やかな音楽的表現 2023-04-27 | 音
四半世紀を越える感興 2024-10-28 | 雑感
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芯から温まる大切さ

2024-11-02 | 
夏時間が終わって11月万霊祭の日は本格的に寒くなった。前晩に走っておいた。朝から本格的に寒く感じる。気温とは異なる寒さだ。陽射しもあるが、地面が冷たかった。月曜日の朝には摂氏2度が予想されている。そこで放射冷却から昼の日射が7時間以上予想されているために、土曜日の零時間を如何にやり過ごすかである。

室内が冷えるので、シャツをネルのもに替えた。コットンで起毛してあるフランネルのことを指す。肌触りだけでなくて層があるので暖かい。少しでも熱があると籠もりそうになるので寒くなるまでは袖を通さない。まだその下はTシャツで大丈夫である。もしそれでも寒くなると、長袖の綿の下着となる。何度か言及している下着のプレゼントがクリスマスだというお話しが分かるのがやはり中欧である。

だから死の月とされる11月は寒くて鬱陶しい月で、これを如何に過ごすかで決まる。本年は個人的にはやはり一番大きな行事は新車引き取りでそれに纏わることが幾つかある。先ずは月曜日に最終的な確認のメールを送って、やれることだけやっておく。

お出かけは12日のフランクフルトのベルリナーフィルハーモニカー合衆国ツアーへの壮行演奏会ぐらいで、他の日程は入れないようにした。理由は車輛の引継ぎまではやり過ごすしかないということで、納車が遅れると車検切れの車輛となって罰則の減点の危機があるからだ。

現在の走行距離から三十万キロを走破することはなさそうで、年間の走行距離も一万二千キロに抑えられることが分かった。こちらに住むようになって最初の頃は年間二万五千キロは必要だったが、今後それ程は走ることはもうないと思う。見ず知らずの土地への好奇心がないとああした旅行の仕方への動機付けはなくなった。

月の半ばにはあまり寒くない日に床屋に出かけて散髪を済ますことで新年迄乗り切りたい。その頃に寝具も一番暖かいものにしておくと暖房を入れるまでの時間を伸ばして、更に燃料を節約できると思う。

流石に昨晩あたりからベットカヴァーを掛けていても寒気を感じるようになった。それでも陽が射さない日でも暖房無しで過せているのはガラス磨き以外の何ものでもないのだ。

そしてアルコール摂取量が減っていて甘いものに直ぐに手が出る。カロリーの消費が多いのだろう。夕飯にはブルゴーニュを開ける。やはり赤ワインは温まる。まだボルドーでなければいけないという寒さではなくて、丁度それぐらいの若目のワインが上手い。

結局ダルマイヤーのいいコーヒー粉もまだ開けていないので、月末ぐらいから愉しめることになるだろう。嗜好品で暖房の燃料を節約できて、燃料費分をそうした贅沢品に投入できるならなによりもである。

なるほど暖かい洋服や衣装も大切であるが、そうしてお出かけで芯から温まってくるというのも大切だなと改めて思うようになってくる。やはり盛り上がることも大切だ。



参照:
ハロウィーンを前に 2024-10-31 | 暦
耳を掃除してチェック 2022-11-13 | 暦
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索引2024年10月

2024-11-02 | Weblog-Index



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音楽の為のコメディー

2024-11-02 | 
承前)イタリアの批評でも取り上げられていたシュテファン・ツヴァイク「昨日の欧州」を摘まみ読みした。演出に関わる件よりもホフマンスタールとの仕事そしてザルツブルクでの「エジプトのヘレナ」の稽古、そして何よりも「無口な女」での仕事の進め方にが詳しい。然しなによりも「ばらの騎士」に関わるのは、シュトラウスが語るヴァ―クナーの楽劇について語り、モーツァルトの音楽作りへの示唆、そしてこの楽劇の位置づけを本人が語る引用である。

彼はよく分かっていて、芸術的形式としてのオペラは既に終っていて、それは誰も超えることの叶わないヴァ―クナーが頂点だったようで、「しかし」と口を挟んでバイエルン風に大笑いしてから「その彼を回り込むことで助かったんだよね。」語った。

正しく、これは既に言及した「ばらの騎士」の構想そのものであった。如何にヴァ―クナーの楽劇を乗り越えるかは「サロメ」と「エレクトラ」で踏襲して、そして迂回するとなる。

この「音楽の為のコメディー」の真意は明らかだったにも拘わらずどうして100年間真面に上演されることがなかったかとなる。初演後半世紀ほどしてカルロス・クライバー指揮にてオペレッタ風に上演されたのもそうした上演史の一コマであったことがまたこうして明らかになった。

そして、クライバー指揮が今回のペトレンコ指揮の大成功を評価する場合に最も反面教師としてその音源が参考になった。ペトレンコ指揮は落ち着いた深い拍を取っていて、ひたひたとその移り変わりが感じられる音楽になっていた。

そのクライバーが同じように1976年4月にミュンヘンと同じ演出でエヴリン・リアーとハンス・ゾーティンの出演のキャストで公演されたが、最後には大分空席が出来ていた様に全く成功していなかったようである。1961年のベーム指揮に続く公演なので比較的なじみの演目である筈だが、そうした無理解は今回の公演でも変わらなかったというのは共通した感想のようである。やはりテムポ設定や演奏に合わした指揮が上手に出来ていない。

スカラ座の日本初引っ越し公演でのその指揮からすれば決してスカラ座で成功していなかったわけではなかったのだが、やはりミュンヘンでの指揮のようには上手く行かなかったのに違いない。
Evelyn Lear; B. Fassbaender; L.Popp; K. Ridderbusch; "DER ROSENKAVALIER"; (C Kleiber '76); R Strauss


二幕のヴァルツァーにおいてそのアウフタクトの取り方の特徴に気が付いて、それをしてパロディーとしてのヴァルツァーと認識をさせ、同時にそのアンサムブルへの息を整えていた。独墺系の指揮者では取り分け目立つ場合もあるのだが、指揮者エンゲルが語った指揮の先生イムジンの上への振りで柔らかい音を作り、そしてコリン・デーヴィスの奏者に合わさせる呼吸の指揮を魅せた。それがあの羽毛のような響きとそして何よりもフィナーレでの天下一品の演奏となったのである。それでもあの呼吸感とかの決まり方はルツェルンでのアバド指揮しか思い浮かばない。

その背後にあったシュトラウスのドラマテュルギーの作風が、ここではその時制の認識としての音楽を醸し出したのであった。(続く



参照:
独語圏からの物見雄山 2024-10-30 | SNS・BLOG研究
退屈だった古典曲カセット 2024-04-17 | 音
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