Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2006年04月

2006-04-30 | Weblog-Index



土地に根ざした生活 [ 生活・暦 ] / 2006-04-29 TB0, COM0
地霊のような環境の力 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-04-28 TB0, COM0
実も殻もないはなし [ アウトドーア・環境 ] / 2006-04-27 TB0, COM2
老いも若きも春らしく [ 生活・暦 ] / 2006-04-26 TB0, COM10
所要時間十分三十八秒 [ 生活・暦 ] / 2006-04-25 TB0, COM0
最も人間工学的な考察 [ 雑感 ] / 2006-04-24 TB0, COM10
何十何百年も前の事 [ 文学・思想 ] / 2006-04-23 TB0, COM0
衣替えの季節 [ 生活・暦 ] / 2006-04-22 TB0, COM5
蜘蛛の巣と云う創造物 [ BLOG研究 ] / 2006-04-21 TB0, COM0
理のある変換とその転送 [ テクニック ] / 2006-04-20 TB0, COM0
アーモンドの咲くところ [ 生活・暦 ] / 2006-04-19 TB3, COM10
主体を含む環境の相違 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-04-18 TB0, COM0
ウェッブ版RSSリーダー [ BLOG研究 ] / 2006-04-17 TB0, COM2
二元論の往きつく所 [ 文学・思想 ] / 2006-04-16 TB0, COM10
言葉の意味と響きの束縛 [ 音 ] / 2006-04-15 TB0, COM2
風車と冷却塔のある風景 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-04-14 TB0, COM2
お勧めの手作りきし麺 [ 料理 ] / 2006-04-13 TB0, COM4
おかしな暗雲の風景 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-04-12 TB0, COM4
対老化筋力トレーニング [ アウトドーア・環境 ] / 2006-04-11 TB0, COM0
漫画少女の能動的プレイ [ 雑感 ] / 2006-04-10 TB0, COM5
手触りのよい本 [ 文学・思想 ] / 2006-04-09 TB0, COM4
美人の彼女の面影 [ 女 ] / 2006-04-08 TB0, COM2
ローアングルからの情景 [ 音 ] / 2006-04-07 TB1, COM0
よい物をよい時に食べる [ 料理 ] / 2006-04-06 TB0, COM5
ライク・ノー・アザー [ 文化一般 ] / 2006-04-05 TB2, COM0
「深窓の令嬢」ワイン [ ワイン ] / 2006-04-04 TB0, COM0
ワイン三昧 四話'06年I [ ワイン ] / 2006-04-03 TB0, COM4
名文引用選集の引用評 [ 文学・思想 ] / 2006-04-02 TB0, COM2
嘘の無い本当の話 [ 歴史・時事 ] / 2006-04-01 TB0, COM2
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土地に根ざした生活

2006-04-29 | 生活
本物のシュヴァルツヴェルダー・スペックを持ち帰った。肉厚の物を切り分けてもらう。薪のコンロからの煙突の煤だらけの部屋は、直に無くなる。キッチンを秋には改修するそうだから。そうしてコックの息子がここのキッチンを切り盛りする。

息子が付き合っていた女友達は、ネッカー河の中流の町の旅館の娘であったようだ。その旅館では娘の旦那に迎えたがったと云うが、息子本人はこのシュヴァルツヴァルトを離れたくなくて別れたと聞いた。母親が云う事であるから、多少割り引か無いといけないが、事情は十分に察する事が出来る。本人の意思も家族の考えも多少なりとも分かってはいる。

親父からすると、死んだ先代から引き継いだ旅籠を、近くの谷間の工場で夜勤をして午後から夜遅くまで切盛りして、三つ星ホテルまでに自らの手で成長させた成果を、何処の誰だか分からぬ長女の旦那などには譲れないと云う気持ちである。

婿様に店を遣らせて、自分のビールを注いでと云う人間ではないのだ。「金には困らん。」と云わせるのは凄い。夜勤の無理な生活をしていてもここまで規則正しいとなると健康にも良いのかもしれない。日曜日に教会へ行けないので、月曜日とかに教会へ向う。何代目になるのかは忘れたが、こうして脈々と家業が継がれていくのだろう。長女には支度金が付くのだろうか?同居する息子の嫁こそが家を切り盛りしなければいけない。息子の新しい女友達は嫁ぐ事が出来るのだろうか。

農業を営む訳でも無くわけでもなく、こうして地面に根ざした生活を何代も続けているのも驚く。500年以上同じ土地に住んでいる家族も知っている。何百年前も先も同じ名前の同じ家系が住んでいると云う生活感は、都会生活者には縁遠い。これが地霊のようなものの一つなのかもしれない。




参照:地霊のような環境の力 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-04-28
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地霊のような環境の力

2006-04-28 | アウトドーア・環境
朝六時過ぎにチューリッヒへ向けて出発して夜の九時過ぎに戻って来た。予定では何処かで一泊する予定であったが、予定が狂い無駄足となった。本日は特に高騰していて燃料だけで90ユーロ以上で、キロ80セントの車両の償却を考えると500ユーロ以上の損失である。

仕方ないのでその近辺での用件を急遽アレンジしたが一軒しか用を足せなかった。多い時は年に三十日ほど通った町でもあるが、用事があると全く時間が無いので、シャッフハウゼンのラインの滝やらは未だ嘗て見学した事が無い。ワインの栽培地を通り過ぎてそこへと向うが、ボーデン湖のコンスタンツへと向うのと殆んど変わらないので失望する。そこのワイン産地へは初めて足を踏み入れた。しかし滝の場所では雨足も強かったので車から降りずに、バスの観光客を眺めて、河を越えてシュヴァルツヴァルトへと向う。ブライスガウ方面へと向う最短距離をナヴィゲーションさせたので、土地勘があると云っても初めての細い谷を走行する。

ドイツと云ってもシュヴァルトヴァルトは、まるでスコットランドか何処かのように辺境な感じがするのが良い。ドナウエッシンゲンを越えてからフルトヴァンゲンへの谷は雪も残っていてなかなか趣があった。ハイテクの研究機関がこの町に存在しても、元々のこの町の生活感や気質は今でも変わらない。

そこからエルツタールの方へと降りて行く途中の谷下りはお馴染みなのだが、岩肌を巻いて緑の草原の谷へと一気に落ちて行くのが素晴らしかった。スイスからこの山域の山道を走り出して、独特の空気感に気が付いていたが、嶺の反対側の谷に入ると尚の事この感興は強くなる。山間の冷たく湿った空気の淀みは、何かの力を以って、心理的に襲い掛かり、そこに住む人々の気質や文化を明確に形作っている。家畜が人間と住む大きな屋台組みの伝統的な家々は、実用から生み出されたのだろうが、家畜ばかりか親子代々が同じ屋根の下に住む大変珍しい家庭形態が今でも継承されている。アルプスの谷の農家とはその規模と繋がりが違う。

それにしても、この土地と繋がりの無い亡き友人の事が急に思い出されて、尚且つ一時間も経たないうちに、違う会話の中でその友人の埋葬風景を詳しく語らなければいけなかった状況は不思議である。そこへ引退した郵便配達人の常連の客が葬式から黒ネクタイで入って来た。この地域は強力なカトリック圏で、家畜の堵殺を含めた生き死にが日常に確りと根付いている。このまるで地霊のような強力な環境の力は、丁度林檎の花などが咲き乱れる緑の谷を縛り付けているが、この正体が一体何なのだが未だ解らない。この地理的空間は、丁度哲学者ハイデッガーの生まれ故郷から、後年の山荘そしてフライブルクの勤務先との間にスッポリと挟まれている。



参照:土地に根ざした生活 [ 生活・暦 ] / 2006-04-29
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実も殻もないはなし

2006-04-27 | アウトドーア・環境
白いアーモンドの花である。木の周りを探して見たが、アーモンドの殻の欠片も見つからない。午後八時撮影。



参照:アーモンドの咲くところ [ 生活・暦 ] / 2006-04-19
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老いも若きも春らしく

2006-04-26 | 生活
アスパラガスの初物を試す。ここ数週間スペイン産の鮮度の無い物から始まり、ドイツ産の高価な物を横目に見て来た。今日は、地元産の少々値段が高め若しくは土筆のように細い物をざっと見渡す。先日、BLOGで初物を見せ付けられたので、どうしても試してみたくなった。土筆はスープ用となっているほど細くて通常の食べかたは出来ないので、その横にあるキロ2.90ユーロに食指が動いた。所謂、屑である。今までレストラン等の利用でしか試した事が無いが、これがなかなか瑞々しそうで、これを初めて試す事にした。

「見た目だけだからね」と八百屋の小母さん言わせるだけあって、その屑に入っているのが中々太いのである。これならば最盛期からすると未だ三割かた細めの割高の物より良さそうである。「温かくなればなるほど廉くなるからね。」と取り分け選ぶ事も無く小母ちゃんは、口笛を鳴らしながら箱から必要な量だけ拾ってくれた。

先ずはこれで事始めである。スタンダードの付け合わせ、新ジャガイモの塩ジャガを準備する。スーパーへ直行する前に、パン屋へと駆け込むと色黒の小母ちゃんが買い物相手をしてくれる。火曜日の午後は人も少なく、暇を持てあやしていたのか、その顔の満面の愛想を作ってウインクまでしてくれる。さっさと辞退して隣の少し男好きのする女将さんの肉屋をもパスして、スーパーへと急ぐ。切れたバターを補給して、肉カウンターに行くと見覚えのある顔の売り子に何となく引かれる。肉屋の売り子は肉感的な研修生が多い。相棒の売り子を次ぎの客に譲って、その娘が接客に来るのを待つ。彼女からお勧め品やハムの名の謂れなどを拝聴して、アスパラガスに燻製ハムを奮発する。

さてお味の方は、初物のそれも一口目が最高であった。その後に添えたバターが溶けてソースになる前である。何とも素朴な植物の味、土の味。昨日からの飲み残しのワインでは足らずに、グラン・クリュ・リースリングを開ける。忙中閑ありでこういった時があってもよいだろう。

口内炎の直った口には、密度の高いワインは蜂蜜の如く豊満である。老いも若きも春らしく囀った日であった。



参照:
白くて長い旬の野菜 [ 料理 ] / 2005-05-09
シュパーゲル研究 [ 料理 ] / 2005-05-10
シュパーゲル祭り [ 料理 ] / 2005-05-24
薹が立つ前に [ 料理 ] / 2005-06-02
2005年春の総決算 [ 料理 ] / 2005-06-27
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所要時間十分三十八秒

2006-04-25 | 
本日はツューリッヒで祭りが催されていたようだ。そこで用事があって、一ッ走りの心算でいたが、町の祝祭日なので交通規制やらで大変だからと止められた。19世紀の中頃から行なわれている春の行事で、灰の水曜日のカーニヴァルシーズンの終わりと四月三十日の夜から五月一日へ掻けてのヘクセンナハトとの時期的中間に位置する。

商業と銀行都市で開かれるだけあって、26の職業組合ギルドが中心となって行列が町の中央部を練り歩くようだ。最後に燃やされるのが、箒を持った雪達磨なのが土地柄である。燃え尽きる時間が早いほど、夏らしい夏になると言う。何処にでもある農民の言い伝えであって、風習でもある。

チューリッヒだけの祭りなので、スイスに居住してTVででも見かけないとなかなか気が付かない祝日である。前日の日曜日には、国際商業都市だけあって世界中からの子供行列も催されているようだ。

チューリッヒには行かなかったので、その代わりにそこからアップロードしたデータをこちらでダウンロードした。どのような転送方法を用いるにせよ、圧縮技術の恩恵に与る。十倍の圧縮比は、用途に応じて使い分ける事で実用に値する。ロードの所要時間から実用性が割り出される。

祭り終了早々に本年度の所要時間十分三十八秒が出ているので書き添えておく。これは昨年の十七分に比べて遥かに天気の良い夏を示している。
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最も人間工学的な考察

2006-04-24 | 雑感
歯科衛生師の記事が見付からなかった。既に何回も書いていると思ったのだが、見付からない。歯科治療の事である。既に二年ほどになるが、歯科に通い出した。四半世紀ぶり程の歯科治療で、一年ほど瞬間強力接着剤で誤魔化していたが、それもならず方々で歯科医の評判を収集して、複数の中から選択した。

結局、選んだ歯科医院に満足しており、今後も時々訪問するものと思う。それにしても四半世紀ぶりの歯石落としは、改めて記録して措くだけの価値はあろう。レーザー剥離装置を設置していない診療所なので、従来の機械的方法で全ては処置された。一時間半ほどの作業であっただろうか。その間、力を掛けられると歯がぐらぐらと揺れるような感じで、歯槽膿漏気味となっていた事を自らも理解できた。何度、横になった治療台から腰を浮かした事だろう。衛生士さんは、「よく頑張ったね」と褒めてくれるのだが、その荒業は激しかった。

そしてその歯石の量は、採石標本の様に吐き出す洗いが埋まり尽くすほどで、ギネスブックに申請したかったぐらいである。まるで全ての歯を圧し折り取ったように、ぼろぼろと吐き出す感じが異様であった。「口の中が広くなったでしょ。」と言われたが、なるほどよくもあれだけの石を口の中に入れていたものである。その後、三回ほどの治療後、何度か段々と間を空けるようにして通った。確かに、歯石を取る事で歯肉が健康になり、全身の健康に好影響を与えてきたのは事実である。

こうなると、その「荒療治に傷害罪が適用されるべき」とまで思った、この衛生師さんに対する信頼感は絶大で、日常の歯の手入れの指導から男性医療の書籍の貸し出しまでして頂いた。しかしその後の点検通院では、その衛生士さんを指名しても、役目が違うと言う事で他の衛生士さんにお世話になっている。その彼女からは、親知らずの歯のカリエスの穴を指摘され、医者の流行る意思を抑えて前者の衛生士さんと協調して引き伸ばしている抜歯を再び話題にされて仕舞う。その彼女がまた大きな目を見開いて、こちらの表情を伺いながら「おいて置いて酷くなると、抜歯するにもぼろぼろになって、痛い、痛いよ。」と感情を込めて言うのだ。そしてこの「痛い」の表現は、私の全ての痛いの印象になっている。

私は脅しには負けない。歯石もワインに溜まる石も同じである。前者は歯槽膿漏とカリエスを、後者は良いワインを示すだけである。ワインを飲むと唾液が口内に溢れ歯石も溜まり易い。フィリップスのソニックケアー・エリートとスウエーデンのTePeと歯間掃除紐Glideを推薦指導されて使っている。歯間ブラシは、スイスのCurapoxも試している。こうして成果は挙がったが、今後の推移を考えて行かなければいけない。

治療を始めた頃の精力が最低ラインにあった事は、振り返ると確かな様である。そのレベルを最低ラインとすると、現在はどのレベルにあるだろうかと考える。反対に快復度を計る為に現在までの最高レベルの時期と状態を設定したいのだがこれもなかなか難しい。

歯科治療は日常茶飯の好まれる話題らしく、BLOGでもヒット数は多い。歯科治療は口腔外科の問題もあり、またその歴史的背景も話題となる。多くの歯科医が医学博士号を習得する傾向があるのもこうした事情からだろう。また歯科治療は外科と同様に医療行為でもあり予防処置もあり美容行為でもあるので、保険支給なども問題となる。歯科衛生師への賞賛も比較的多い。特に男性の看護婦好みに対して歯科衛生師好みもあるようだ。確かに前者の全人格的な白衣の天使に対して、後者のどこか口元からの距離をおいた接し方は独特のタイプがある。そのコスチュームの選択は、歯科診療所としては営業上大きく留意すべき点なのであろう。

それにしても、どうも胸元と患者の頭部(腕に当たるなら問題ないか?)を支点として作業するのはおかしい。どこかに原因があるに違いない。腕の長短とは考え難い。歯科衛生師の技術指導方法か治療台を含む治療機器に因るに違いない。私はあまり経験が無いので僻んでいるのではなく、衛生師の健康を考えて人間工学的に純粋に疑問を呈しているのだ。


2004 10/26 編集

口腔の健康

お馴染みの歯科衛生士が呼びに来るのを待合室で待つ。窓の隙間から回り込んで入ってくる冷えた小雨交じりの大気が眠気を覚ます。三ヶ月ぶりである。透かしガラスの入った小部屋の一つに入り、寝椅子に横になる。まだ洗濯したての胸元が蛍光灯に反射して、朝の診療が始まる。

この間の手入れの状態と方法を検討・確認する。彼女に言わせると、成功裡に推移しているようだ。今後の目標は、一年ワンクールで半年に一度歯科を訪れ、現在の好状況を維持する事になった。平均寿命が延び、「80歳にして自己の歯」を維持する必要が出てきたという。高年齢での事は、殆ど考えたこともないがその重要性は想像出来る。毛根が研究されている毛髪の場合でも、老化現象を食い止めることは出来ない。手入れによって、歯槽膿漏と虫歯の危険性は無くなるという。また免疫力の「倹約」という考え方も背後にはあるようだ。方針も素晴らしく、理論的に証明されていることも多いのだろうが、掌握するには全体像が大きすぎて心細い。

噛むことが正しく出来ると、意識が確りして血の巡りが良くなり積極性が生まれることは、誰でも経験している。また、白い歯や血色の良い口周りが健康な印象を与える。また歯の治療が、経済的な豊かさやステータスを示す社会もある。必要以上の治療は健康とは無関係だろうが、せめて硬いものも心置きなくかぶりつけるだけの獰猛な歯は欲しいものである。もちろん健康な口蓋でワインを転がすことも忘れてはならない。



参照:私に適ったガラテアちゃん [ 女 ] / 2004-12-12
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何十何百年も前の事

2006-04-23 | 文学・思想
日本武道の指導者にお会いした。地元プファルツで小さな道場を持っている。独日協会をネットで見つけて、新規加入される様子である。日本での修行も当然の事ながら経験されているが、本人も自覚されて居るように、柔道や空手のようにそれほど一般の関心が高いものではない。特に攻撃性を目指す輩からは、不評の様である。女性を中心に護身術としての合気道なら人気が高いのであるが、居合い抜きなどの武術は大分様子が違う。

今思い出したが、そう言えば先日弓道の欧州の元締めにお会いした。たこの出来た手を自慢そうに示された。氏も度々日本へ飛び、弓道の指導者達と交流していると言う。当然の事ながら、それらの関係者は警察署長などの武闘派が多い。精神的なものを重んじるこういった武道家には、そうした現在の状況が大変物足りないらしい。

名古屋万博の節に交換訪問した女子大生が五週間ほど、宇都宮で日本の盛夏を過ごした話を聞いたが、これは機会があれば改めて触れよう。この学生さんとは年齢は半世紀程違うが、我がお慕いする博士号所持のご婦人に、著書「あたたかな気持ちのあるところ」を紹介した。彼女に言わせると、「これだけ十分に字が大きくても、私には天眼鏡が必要で」と、天眼鏡を取り出して、その場で少し音読して頂いた。少年の名前を「こんにちは、健太君」を「ケンダイ君」と音読されたので、「固有名詞ですから仕方ないですね。」と申し上げた。後で考えると「健大君」と読まれたのであろう。大変申し訳ないことを言った。更に「この40年の年齢差は平均寿命の半分ですよね。」と言って変な顔をされる。そして、「なんせ、日本語を読んでいたのは二十年も昔の事だからね。」と言われて仕舞った。

根を詰めて読まれて、肩こりでも引き起こすといけないので、無理にはお勧めせず、上の女子大生の方へターゲットを変えたのだが、こちらは専門もまだ一つ決まってない様子で、少なくとも日本学でも無い様、日本語の読書は殆んど無理であった。仕方ないので、先ずは間接的に日本学の学び手に渡そうとしたが、最後に上述のベテランのご婦人が来られ、「読み終わったら貸して」と言われたので、躊躇無くそのままお貸しした。一応ざっと説明しておいたので、天眼鏡片手に、表面上平易な文章から何を読みとるか楽しみである。ここのサイト自体も紹介してあり見て頂いてはいるのだが、どうも辛気臭いと思われているらしい。年齢には関係無く、ご婦人に気にいって頂くのは難しい。

上述の本の内容ではないが、嘗ての事を思い出して、ネットサーチして居ると、二十年近く前に事故で亡くした仲間が回想されていて感慨深かった。偶然が重なって特に最後にお別れした時の様子が昨日の事のように記憶されている。その死が、自身の心理の中で事件であったから良く覚えてるのに違いない。そういった追想を与えてくれるサイトの執筆者自体が懐かしい方で、現在も精力的に活躍されているのを見ると月日の流れを感じざるを得ない。自身に於ける時の経過と合わせ、不思議な気持ちにしてくれる。その内容に関しては、適当な機会に改めて触れてみたいが、こうして亡き人が少なくとも仲間が健在なうちはメモリアルとして触れられる事は大変素晴らしいと思った。
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衣替えの季節

2006-04-22 | 生活
口内の奥歯の奥がここ一週間ほど炎症を起こしていた。原因は、歯茎から黴菌が入ったものと思われるが、酷い時は顎だけで無く頭までが傷んだ。親知らずの問題などはある程度把握しており、怯える症状ではないので放って措いたのだが、ワインを飲んでも食事をしても沁みたりして何も旨くない。痛さのためから食事の回数を減らすと余計に調子が悪くなる。抗体機能が落ちているので、基礎体力も必要だと思うが、養分の補給が億劫である。

先週当たりから本格的に出だしたベアーラウフの毒素が、こうした症状を招くという人もいた。確かにシーズン最初の内は灰汁が強い感じはする。薬学の基本に戻れば、良薬は苦しなのだからさぞ効くのだろう。古くなりかけたので急いでペストソースにする。パルメザンチーズを振り掛けて混ぜてから、幾らか青いものに気が付いた。子袋を揉んで中味を確認すると、青黴が生えてきていた。ブルーチーズは好きであるが流石にこれに気が付くと使えない。気が付かずにペストに降りかけたものは、そのままとして措く。お腹を壊しそうでこれも具合悪い。

二日ほど前から、急に春らしくなって、窓を開け放つ陽気となっている。そのせいか、こうして体調が万全でないと、急激な変化に対応して行くのが難しい。復活祭明けのラム肉も食し、べアーラウフも試した。そして先ずは手元にあった抗生物質を適当に調合してのべ八錠ほど服用して、炎症を治めた。ワインも楽しめる。これからが本格的なアスパラガスの季節であるが、その前に春の衣替えする必要がある。洋服箪笥には、害虫よけの薬が設置された。次ぎは体の衣替えだ。
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蜘蛛の巣と云う創造物

2006-04-21 | BLOG研究
ここ暫く、散歩や外出先から夜遅く帰って来たりして、なかなか起きていられない。そのような事情で、早朝にごそごそと旧約聖書を紐解いて、調べものをした。その 歴 史 に興味はあっても、なかなか目を通すことの出来ない書物なので、なんらかの切っ掛けがあれば興味津々で、少なくともその部分だけは読んでみる。今や聖書などは、様々な言語で多くの校訂版がネットで検索も出来て簡単に読めるのだが、手元にあるものを他のものと比べて、初めて納得が出来るような気もする。

暗闇に薄い紙の頁を、こうして指を舐めるように捲って、調べがついてから適当に記事を書き、それをアップしてからもう一眠りした。そして再び、確認を兼ねて記事をみるとトラックバックが付いていて驚く。何故ならば、繋がれた記事がまるで考え抜かれて対句したような内容であったからだ。そもそもこちらの記事自体が、アーモンドの開花からヘブライ語のアーモンドに至り、その言葉から同音の単語が旧約聖書で言葉遊びとして使われていた。それがリンク先ではユダヤ系のビュヒナー賞受賞の詩人パウル・ツェラァンの詩で重要な役割をしている。そしてそれがまた、アーモンドの実の成分や開花の文化的意味合いへと繋がり、アーモンド並木の現実へと再び還ってくる。

特にユダヤ系文人の創作の場合は、旧約聖書からの連想が重要な文化的・知的基盤となっているとは知識としては分かっていても、こうした形で証拠を目の辺りに出来るのは嬉しい。詩の場合は、ある程度解説を付けずにオープンにして措くのが礼儀であるのだろうが、共同文化的な価値を見逃す事は出来ない。文化的に価値のある付記は、研究家などの専門家によって当然の事ながら留意されるのだろうが、こうしてネットを通してなんら予想もしていなかった文脈が築かれていくのを見るのは素晴らしい。

それどころか、こう云った連綿と続くヘブライ文化の核にある観念連合が、ネット上の新たな文脈で 実 現 化 しているのを確認するのは面白い。ある意味で、ニュートンやアインシュタインに於ける思考パターンの基礎が、その理論以上に、こうして現実を支配していると認知出来る現象なのである。やはりヘブライの「見えない神」が世界を支配していると考えるべきなのだろうか?

元々インターネットの存在理由が軍事や学術的なデーターベースや処理であったことを思い出すと、知的所有物の保護の意識から一部有料化したりアクセス制限をするデーターベースは、技術的問題解決を待って結局淘汰されると考える。一部の学術論文や特許のデーターベースなどはその際たるものであろう。

蜘蛛の巣状に張り巡らされた文明の脈は、様々な文化的水脈がここ彼処で繋がっている様に、共有の知的財産となっている。昨日初めてWIKIがサーヴァーの容量不足で何度かアクセス出来なかった。商業主義を避ける為にスポンサーからの企業献金には憂慮して、一般の寄付を募っている。



参照:
哲学教授と為らず聖人に [ 女 ] / 2006-03-18
高みから深淵を覗き込む [ 文学・思想 ] / 2006-03-13
引き算無用の世界 [ 文学・思想 ] / 2005-05-08
否定の中で-モーゼとアロン(1) [ 文学・思想 ] / 2005-05-02
滑稽な独善と白けの感性 [ 歴史・時事 ] / 2005-03-10
高みからの眺望 [ 文学・思想 ] / 2005-03-09
無料情報の客観主義 [ 文化一般 ] / 2005-08-10
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理のある変換とその転送

2006-04-20 | テクニック
アナログ信号をデジタル信号に変換するPCM変調は有名である。最近はPDM変調も身の回りで使われるようになっている。前者の信号をコード化する方法と比べて、後者は所謂量子化歪が少ないといわれる。

スーパーオーディオCDなどPCM以外のデジタル録音システムについて調べる。後者のパルス・デンシティー・モデュレーションを密度と読み込むと、所謂ビットストリームと云う様なパケットとなった転送の量の濃淡を考えると、感覚的にも理解出来るのでないだろうか。通信手段におけるデーターの転送やコンピューターのデータの処理のプロセスも思い浮かぶ。

この変調方式を使う事で、デジタルからアナログへの変換を効率良くやっているのがダイレクト・ストリーム・デジタル(DSD)と云われる方式である。こうしたデジタル・アナログ・変換機を使う事で、今まで以上の音声を再生しようとするのが、フィリップスやソニーが進めて来たSACDと云われる新メディアである。

ジャズやクラッシック音楽の世界では、SACDと云う商品が多く市場に出ている。その多くは、ハイブリッドSACDであって、従来のCDプレーヤで再生出来る。しかし、そこで再生されるのは、実際のこうした変換を利用したものではない。本来のSACDを再生しようとすればSACDプレーヤーは不可欠なのだが、市場での普及は伸びず殆んど頭打ちのように見られる。その反面、DVDやブルーレイなどと云う新メディアは、その容量の増加ゆえに普及が予想されている。

またSACDを使う事で、メーカー・メディア側はコピー防止を徹底しようとしているのだが、その結果ハイブリッドSACDが廉価なCDプレーヤーでは回らないということもあるらしい。何れにせよハイブリッドSACD自体には、何らの利点は無いので何れ消え去るメディアである。SACDプレーヤーがDVD・CDなどとのコンビプレーヤーにどのように組み込まれて行くかに、本当のSACDの存続は掛かっているようである。

SACDのソフトにデジタル処理のリマスターをした古い録音も多くあって、PCM変換では避けきれなかった量子化歪を出来る限り抑えてデジタル再生する意図を持っているようである。反対に、初めからPDM変調を行なってDSDでデジタル化された録音は極数少ない。この場合も高いサンプリングレートやそれを保証するハイビットのアナログ・デジタル変換を心掛ける事が肝要で、その点からするとPCM変調に於ける議論とあまり変わらない。

こうした方式で変換されて保存されたデータをそのままデジタル・アナログ変換して、音声化するから量子化歪も少なく再生出来る。だからこそ最終的にアナログに変換する簡易な機器に依存すると云うよりも、寧ろ保存する形態(メディア)が問われている。その物理的に移動性流通性のあるメディア(CD、SACD、DVD、BLU-RAY等)での保存方法に多くを依存しているのであって、実際にデータとしてハードディスク等に保存すれば実はそれほどその変換方式の影響を受けない。勿論そうなればコピー防止も何も無く、全てのデータは自由に処理したり操作したりして扱える事にもなる。つまり、デジタルデータは、いかに安全に損失無く、大量に他の媒体に移殖して転送するかが問題なのである。

ソニーのサイトを見ると、西部ドイツ放送局や中部ドイツ放送局やザールランド放送局等のドイツの放送局にそれらのシステムを導入促進の目的でも納入してているようだが南部ドイツ放送局等などではこれからのようである。これらがデジタル放送などの基礎技術となっていく事は理解出来る。

そしてSACDメディアが本当に画期的なのは、マルチチャンネルを使った録音と云われる。しかし嘗ての四チャンネルで経験しているように高度な音響芸術に至るのはなかなか難しい。それどころか最近の傾向として、音楽ファンは益々アイポットなど簡易な形態への傾向があって、ホームシアターやマルチチャンネルの再生は、極少数の興味であり必ずしも誰にでも出来ると云う経験や話しではないのである。



参照:
究極のデジタル化 [ テクニック ] / 2004-11-29
骨董化した空間のデザイン [ 文化一般 ] / 2005-04-03
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アーモンドの咲くところ

2006-04-19 | 生活
アーモンドの花である。白色とピンク色の両方がある。アジア原産と言われるが、旧約聖書にも登場するように、紀元前四世紀頃には中近東地方へと植生地は拡がっていた。

そこでは、食用としてジェネシスの43章11で扱われている以外は、元々のヘブライ語の同音語「夜警」との言葉遊びが好んで使われる。エレミアの1章11,12に「エレミア、何を見ておる?私は、アーモンドの芽吹く(覚醒する)枝を見ています、と言った。すると主は言った。お前は確りと見とどけた、私の言葉が成就するものを」。

こうした引用から、またその堅いアーモンドの種から中世に於いては、処女受胎のシンボルとした様である。

アーモンドのは、問題なく冬を越すが、一月から四月に掛けての開花期は霜に弱い。よって、ドイツでは植生が限られる。そのことから、アーモンドの開花を見るところ、ワインの好い実りがある。ワイン街道のアーモンドの花の並木は、特に有名である。食用とするアーモンドの木の種類もバート・デュルクハイムなどと名付けられているらしい。

追伸:甘い食用アーモンドと云えば、マーツィパンとしてお馴染である。反対に苦いアーモンドはその毒性故に、薬として使われてきた歴史がある。



2004 03/21 編集

アーモンドの咲くところ

「華道のお師匠さん」という英文の小説があるようだ。イギリス生まれスジャータ・マッシーというアメリカへ移住したインド・ドイツ人の混血女性が書いた「志村玲?」という推理小説シリーズらしい。自らの二重文化への興味から日米混血のヒロインを創造した。米海兵隊軍医のご主人に帯同しての90年代初頭の日本滞在がネタとなる。五年ほど前の小説乍ら、ドイツ語タイトルの「陰鬱なアーモンドの花盛り」に気が付いた。

先週の積雪から10日も経たずに、ワイン街道はアーモンドの花が満開である。アーモンドの開花は、梅と桜と桃を足して割ったようなと表現できようか。バーデンでもプァルツでも決まって使われる謳い文句が、「アーモンドが逸早く開花するところはワインが良く育つ」である。

あらすじから想像すると、「桜が咲く前の時期と桜満開下の事件発覚」と「アーモンド満開」が上手く対応しているように思う。桜開花の期待感と満開の溢れる充足感と薄命を、満開アーモンドの春告知と押し付けがましいような量感と実存に置き換えたのは面白い。日本趣味も手伝ってドイツ語訳の評判も原文同様に華々しい。このシリーズ、舞台となった日本では評判が甚だ良くないようである。
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主体を含む環境の相違

2006-04-18 | アウトドーア・環境

就寝前に湯船に浸かる。風呂嫌いではないが、なかなかゆったりとした時間が取れ無くなると、湯船に浸かるのは贅沢そのものとなる。特に起きていられないほど、瞼が下がると、お湯を張るのも億劫である。

本シーズン初の岩登りをバーデン・バーデンで楽しんだ。室内でトレーニングを積んでから、野外でのクライミングをするシーズンは初めての経験なので、体の切れが驚くほど違った。流石に、前者を後者のトレーニングと見做して、後者をアルプスでの本番の為の練習などとする考えは浮かばないが、実際にそういう手順が存在する事も否めない。

そのような戯言よりもなによりも関心を持たれるべきは、今回同行した女子大学生の野外でのクライミングデビューである。人工的な環境から自然環境へと 戻 っ て 来た気持ちはどうなのかと思うのである。アウトドーアスポーツの特性として以上に、他のなにかを語っているのかもしれないなどと考える。

スポーツとしての特性は、人工的な環境設定では自然の秩序の多種多様には及ばないのは当然ながら、競技的・教育的な意図を以って秩序つけされた人工壁によって特徴付けられる。全体の造形や傾斜、手掛かりとなる岩角の表面や摩擦係数は、自然に於いては限りない変容が存在する。

こうした総合的な違いから、自然の壁の登攀は人工の壁のそれとは違う感興が伴う。今回の彼女が奇しくも、「人工壁の方が恐怖感が募る。」と言ったのに注目すべきではないだろうか?何故ならば、実際に危険度は高度や傾斜のある岩の転がる足場などから、また確保の手段の危うい自然の岩場の方が、背骨を損傷したり頭部を強打する致命傷に至るまでも無く、岩に擦られて流血の騒ぎとなる怪我や事故の可能性は高いからである。

要するに、危険が迫る実際の状況よりも、主体を取り囲む環境が、精神的な圧迫感や脅迫感に大きく影響していると考えられる。外界の環境と内面的な心理の関係は、古典的なテーマであり、特にアルピニズムに於いては重要な価値が認められてきた。つまり、人が壁を攀じ登る時、集中の極に於いて若しくはアドレナミン排出のクライマースハイの状態に於いてこそ、外界への研ぎ澄まされた認知力が高まると言われている。

同時に、攀じる主体は自身の身体の運動を客体に合わせて合理的に調整していく必要がある。そうした考え方は、アウウトドーアスポーツの場合には肝心である。向い風・波の追い風・波と同じように、岩肌も生きており、だから時によっては厳しくもあり優しくもある。こうした自らの主体を含む環境を見計らうのが醍醐味である。



参照:
花崗斑岩の摂理に向き合う [ 文学・思想 ] / 2005-06-21
慣れた無意識の運動 [ 雑感 ] / 2006-03-07
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ウェッブ版RSSリーダー

2006-04-17 | BLOG研究
RSSリーダーのサイト一覧表が壊れた。決してその前に強制終了したわけではないが、二度と一覧表は表示されなくなった。350件ほどのサイトのリストが消滅してしまう。アプリケーションタイプのリーダーについて様々な苦情も聞いてはいたが、予想以外の壊れ方で、リストを一新しなければいけなくなった。頻繁にアップデートするものだけに、リストを頻繁に保存して置く事も考えてもいなかった。何れにせよそれほど使い勝手が良かったわけでもないので、アンインストールして消去する。

リーダーをブローザーとして使う考えなどは毛頭なかったが、RSSリーダー機能は手放せ無くなった。以前より興味があったネットで使うウェッブ版を試してみよう。ただ、そこにリストアップするサイトの数が多いので手間が大変かかる。またリストが失われる事を考えると悲愴的でさえある。

どうもウエッブ版は実用に耐えないようだ。何故かRSSアドレスリストを移転する事も出来ないので、再びマニュアルで、リインストールしたアプリケーション版に遷す。作業が終わり次第、今度はデータを保存しておかなければいけない。

結局丸一日仕事で、これまで行き来の有った計447件のサイトをリストアップした。二度と繰り返したくないものである。早速、何はともあれリストをコピーして保存しておく。そのリストをウェッブ版にも移殖してみる。
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二元論の往きつく所

2006-04-16 | 文学・思想
最近巷で話題のユダの福音書についての記事を読む。ハイデルベルクの宗教学教授の書いたものである。それ以前にカトリック教会のサイトを見て、この福音書が二世紀の異端グノシス教会の教え其の侭であると知って、宗教的影響の微々たる事も判った。グノシスについては、過激な二元論を展開して、キリスト教を超える宗教として知られている。しかし、今回の編集者はキリスト教に仏教の教えを見ようとしていると言うのである。

先日から見聞きして、座禅を組む若いカトリック教徒のある種の異常さやアニメに於ける善悪(白黒)の二元論への「陽の沈む世界」での抵抗無い受容に気が付いている。話をひろげれば、花火の意匠や非宗教的な、特にゲルマンの伝統行事にまでその連関は往きつく。

その二元論の強力な影響力は宗教的に本質的なものであり、だからこそ「薔薇の名前」や「ダヴィンチ・コード」でも最も興味のある対象となるのであろう。これを商売のネタとカトリック教会が突っぱねるのも分かる様な気がする。

しかしここでクラウス・ベルガー教授は、こうした「流行の現象」は、カトリック教会内にある原理主義的な宗教を正す為に価値があるのだとする。妄信的な宗教感こそがこうしたグノシス的異端へと導くと言う。

「陽の当たる所に影が生ずる」や「陰陽」などの東洋的な真実は、直感的に宇宙の調和を捉える物理でもあり誰にでも馴染み易い。だからこそまだ他の福音書の編集も完成していない時期に「ユダの福音書」は、大変危険な教義であったのは容易に想像出来る。初期のキリスト教会が、五世紀まで生きながらえたグノシスを異端と見做すのも、賢明な政策に違いなかった。万が一、これらの二元論が欧州に蔓延っていたとすると、東西文化の対も一元化してしまい存在しなかったのであろう。暗黒の世界である。

正餐の儀式についても、今回の福音書からすると全く違う意味になってしまう様で、思わず笑ってしまう。そして、孤独な二元論の往きつく所が示される。



参照:
コールタールピッチ [ 歴史・時事 ] / 2004-12-29
来たれ、創造主なる聖霊よ [ 生活・暦 ] / 2005-05-15
充血腸詰めがつるっと [ 料理 ] / 2006-02-16
踏み付けられた巨人 [ 歴史・時事 ] / 2005-07-08
アレマン地方のカーニヴァル [ 生活・暦 ] / 2005-02-07
伝統という古着と素材の肌触り [ 文化一般 ] / 2004-12-03
資本主義再考-モーゼとアロン(3)[ 歴史・時事 ] / 2005-05-04
原理主義のアンチテーゼ [ 文化一般 ] / 2005-09-25
ライク・ノー・アザー [ 文化一般 ] / 2006-04-05
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