Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2011年1月

2011-01-31 | Weblog-Index



奇岩地方を一日中歩いてみて 2011-01-30 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
セメントが柔らかくなるように 2011-01-29 | 試飲百景 TB0,COM0
複雑な構成要素を対極化する 2011-01-28 | 文化一般 TB0,COM0
今日は今日で、明日は明日で 2011-01-27 | 生活 TB0,COM0
合衆国発、虎の子落とし 2011-01-26 | マスメディア批評 TB0,COM2
あっと驚く、びっくり水 2011-01-25 | 料理 TB0,COM0
空気バネの車が欲しくなるとき 2011-01-24 | テクニック TB0,COM0
今も現役の襤褸着について 2011-01-23 | 文化一般 TB0,COM0
波状攻撃に耐えられるか 2011-01-22 | 生活 TB0,COM2
滝の流れに身を任せて 2011-01-22 | 生活 TB0,COM0
津波のように打ち寄せる 2011-01-20 | 生活 TB0,COM0
第二思春前期の真っ只中で 2011-01-18 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
体験するとは爆発だ! 2011-01-17 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
想像することと体験すること 2011-01-16 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
環境の一部である全人格的な行い 2011-01-16 | 文化一般 TB0,COM0
春めいてきたこの一週間 2011-01-15 | 暦 TB0,COM4
財政再建無ければ未来も無い 2011-01-13 | 歴史・時事 TB0,COM0
廃校間近のガイセンハイム 2011-01-12 | ワイン TB0,COM2
スポーツと呼ぶ不健康なもの 2011-01-11 | 雑感 TB0,COM0
末恐ろしい夕刻の舟歌 2011-01-10 | 雑感 TB0,COM0
安心で健康に良い冷たい食事 2011-01-09 | 料理 TB0,COM6
雪よ、山よと彷徨いてしまう 2011-01-08 | 雑感 TB0,COM0
政治課題としての環境認識 2011-01-07 | マスメディア批評 TB0,COM0
出歯の亀太郎の初夢日記 2011-01-06 | 女 TB0,COM0
品質の向上となるような基準 2011-01-05 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
東での四人の識者の遣り口 2011-01-05 | マスメディア批評 TB0,COM0
天候の急変のような日食 2011-01-04 | 暦 TB0,COM0
長過ぎる買い物・出費リスト 2011-01-03 | 生活 TB0,COM2
新雪雪崩を起こすのは貝毒だ 2011-01-02 | 生活 TB0,COM4
寝正月で会得したことなど 2011-01-02 | 料理 TB0,COM0
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奇岩地方を一日中歩いてみて

2011-01-30 | アウトドーア・環境
なんだかんだと一日、寒い中を南プウファルツ奇岩地方を歩いてきた。二万五千歩ほど四時間をかけてゆっくりと歩いた。今日ほど寒いと感じたことはなかったのだが、なぜだろうか?最近は運動不足と食べ過ぎで脂肪が腹に浮いてきている感じがあるのだがら、寒くは感じない筈である。

しかし昨日からの食事量を見るとなるほど赤ワイン以外にはあまり食べていない。昼はトンカツにしてビールを二杯も飲んだが、それでも最後まで寒かった。やはり皮下脂肪の全体量が減少しているのだろうか。しかし、良く考えてみると、歩いているときの運動量が少な過ぎるので、寒さが堪えるのかもしれない。

年寄りのばあさんなどが多いのだが、親仁が話しかけてきた。良く知っている顔なのだが今まで面と向かって話したことはなかった。夏に同じ計画に参加する心算だという。今までどのような登山をしているか尋ねると、ピッツベルニナの有名なクラシック氷雪ルートであるブランコグラートをやっていると言う。なかなか大したものである。彼のパートナーと同じようにフリークライミングには従事していないらしい。

我々からすると、ああした長さの持久力だけでなく技術力も必要とされるルートをやるのに、なぜクライミングの技術的洗練を目指さないか全く分からないのである。フリークライミングの技術とアイスクライミングの技術は異なるのであるが、基本的にはあまりかわらない。特に、こうした奇岩地方を地元に持つアルプスへの登山者が日夜フリークライミングの技術を磨こうとしないのはどうしようもなく愚行である。体力があればそうした技術をカヴァー出来ると思っているのは、丁度経験の薄いフリークライマーが力づくで大きな壁を登れると思っているのと丁度相対している。
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セメントが柔らかくなるように

2011-01-29 | 試飲百景
明日日曜日はハイキングに出かけるので、昨晩の買い物で、本日は余裕が出来た。思い立って懸案の2009年産のピノノワールをハイデルベルクに取りに行った。白を三種類と、赤を三種類試飲した。それ以外で現在購入出来るのは白三種類で、新旧赤六種類だけなので、精神衛生上良い気持ちである。春には全てを試飲出来る機会もある。

さて、昨年秋に蔵出しレストランで飲んだリースリングが格段2008年よりも勝れていたので、それとピノグリ、ピノブランを試した。本当にこの質の高さでこの価格は信じられないばかりである。マルクに換算しても決して悪くない。ドイツの醸造所で土壌の悪さにめげずに立派な仕事振りを見せる三つの二つにレープホルツ醸造所と並んで入る醸造所がこのゼーガー醸造所に違いない。つまり、おみあげとしてそこの土地の特産物として購入するワインではなくて、まさにワイン街道から態々購入しに行くワインなのである。この価格で地元で何が買えようか?

リースリングはその価格からしても買えるのだが、ピノノワールの美味しさも格別で、ピノグリの薄く掛かった樽味がまたまた素晴らしい。昨晩飲んで感動したシャルドネを髣髴させる手練手管と、更に美しい酸を見せ付けられると、好きでもない葡萄であるが買わずにはいられなかった。レープホルツでさえピノグリは今ひとつであるからだ。

さてお目当ての赤は、シュヴァルツリースリングとレムべルガーのキュヴェーは甘みがちょっと多く丸過ぎたが、如何に2009年産が2008年産よりも勝れているかを如実に語っていた。そしてそれを奥さんにも認めさせた。レムべルガーも悪くはないが、この程度ならヴュルテンブルクにもないことはなく、醸造所にとっては銭函的存在なのだろう。さて、お目当てのピノノワール、甘みの多いそれ以外のあとに飲むと厳しさがあるが、2008年のどうしようもない硬さのそれとは全く違って、気持ちよく幾らでも飲める気がつくとアルコール13%がボディーブローのように来るワインとなっている。

なるほど2008年産と比べると明らかに酸が効いているのでアプリコットやカシス系の味につながる糖も残してあるが、そこにミント系の味とハーブが強く押し出されるので、安物シュペートブルグンダーと一線を隔している。早速、裏山に上って地所や土壌を確認に行った。

流石に、ドイツで最も有名な1895年から稼動するセメント工場があるだけに、その地所は固まっている所はコンクリートの如く硬く、濡れている所は細かからドロがとても滑りやすい極端な土壌である。石灰の含有量は知らないが、貝殻石灰の黄土である。フランスのそれを思い浮かべても不思議ではなく、ブルグンダーのそれはやはり良い。

昨晩に引き続き考えれば、如何にリースリングが種の主張の強い難しい品種であり、手軽に本当に勝れたワインがなかなか当たらないことも不思議ではない。ゲテモノのリースリングを十本飲むぐらいならば、シャルドネを一本飲んだ方が簡単にワイン通になれる。同じように、少々の価格でピノノワールのまともなものは当たらない。しかし、ここにスーパー価格でブルゴーニュの十倍ほどするピノノワールの品質が楽しめるのである。
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複雑な構成要素を対極化する

2011-01-28 | 文化一般
指揮者イヴァン・フィッシャーがブタペストの祝祭楽団を振って、ドルトムントで四つのコンサートを開き、それが新聞批評に載っている。昨今話題となっているハンガリー問題が色濃く、芸術的にアピールとして表現されたようだ。そこでは、管弦楽のための協奏曲の終曲で「自由への謳歌」への意志を強調された作曲家バルトークの楽曲が中心に据えらた。1939年以降に勇敢にナショナリストに立ち向かい、1940年には不幸にもニューヨークへと亡命しなければいけなかった作曲家の音楽を理解するとは何かと提議される。

つまり、民俗音楽を採取して各々の民族を対峙させ、ルーマニアの民族舞踊曲などの直裁的な表現だけでなく、それを芸術音楽として創作することで、ハンガリーにおけるスラブ的なもの、ルーマニア的なものを、ハンガリー的なものと同じようにそこから止揚して統合することで「ハンガリーの音楽」を高度な芸術としたのである。それを、青髭公の音楽の輝かしい光に闇にと、抽象化して明示していることを納得させてくれるのである。

そうした音楽を少しでも理解する者は、少なくともバルトークという作曲家が、特別に偏狭な民族主義者でもなく、ただ只管に民俗音楽を採取していた収集家でもなかったことを認識する。それどころか、この作曲家が身を呈してファシストに向かい合っていた意味を理解するだろう。芸術における政治性を酷く不純なものとして受け取る純粋耽美主義の向きもあるが、そうした芸術愛好家は、自らが芸術の本質を理解していないか、さもなくば商業主義の中で芸術とエンターテイメントの差異を理解していないかのどちらかである。まさにアンドラーシュ・シッフがハンガリー国民をしてその無関心さとその鈍感さを批判する所以なのである。

2006年に試飲して購入した最後のシャルドネを開けた。今回が最も熟成が上手く進んでいて、こんなにも手頃な価格で美味いのかと驚愕した。新鮮なときにはこれほど美味くなかったのだが、玄人はその手練手管をしてなかなかやっているとはじめから評価していた。自分自身は早飲みしないと飲めなくなると思っていた。しかし、ドイツのリースリングではこうした石灰土壌の旨みはなかなか出せないのである。石灰土壌であると先ず輪郭が暈けてしまい、リースリングの美味さが加齢するほどに落ちてしまうからである。なるほどシャルドネにはフランス女性のそれのようなコケットな甘さが残るのだが、決して残糖感が分離している訳ではない。マコン周辺の2006年はこちらのそれのように悪い年ではなかったのだろうが、同じ価格帯で2006年のリースリングに飲めるものは殆ど無いのである。更にまだおかしな熟成感が出ていないことを鑑みると、まだ少しは成熟しそうなのである。

正直、フランスの手練手管には頭が下がった、最初は良くなかったが、酸も洗練されてきていてだんだんと良くなってきている。少なくともグランクリュリースリングには、最初があの程度で後にこのように成熟するものは皆無である。グランクリュリースリングは、双葉より芳しくつまり最初から酸が美しいか、更に辛口で男性的で遥かに攻撃的である。フランスのそれに最も近い繊細さは、ドイツ広しといえどもフォルストのペッヒシュタイン以外にはないであろう。これもバルトークの音楽のようにその本質を理解しようとしない者には理解出来るまい。フランスの手練手管による堅牢度、天晴れである。



参照:
環境の一部である全人格的な行い 2011-01-16 | 文化一般
中庸に滴る高貴な雫 2008-09-03 | ワイン
価値のある品定め 2008-05-07 | 試飲百景
とても幸せな葡萄の光景 2008-05-05 | ワイン
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今日は今日で、明日は明日で

2011-01-27 | 生活
今日は今日で草臥れた。昨晩クライミングをした疲れでもあるのだが、その後のそれほど遅くもなかった夕食のせいか、あまりにもの疲れすぎのせいかは知らないが、午前三時には目が覚めて、結局朝早くまで熟睡は出来なかった。朝がまた早い用事があり、それをこなして、午前中に次のようを済まして、更に午後に挑む予定であったが、大分予定が崩れて余計に草臥れた。

明日が見えないまま、つまり週末から週明けが見えないままで金曜日を迎える。こうなれば欲張らずに出来ることから片付けていくしか仕様がない。それにしても昨日の疲れは、気温の急下降のゆえかあまり開放的でなく、今一つ発散していない。

水曜日のメンバーが流石に週に二回登っているだけに上達していると誉めるが、その実感はあまりなく、少しづつ課題を見つけている気持ちしかない。なるほど、簡単なところながら弱いオーバーハング所謂被り気味のところを続けて登ることが出来るようになっている。もう少し足が上手く使えるようになればよいのだが、外で登るときも傾斜に躊躇するようなことは今後は少なくなるだろうか。まさにこれがインドーアでのトレーニングの目標に挙げていたものである。

明日は明日でまた異なる課題が立ちはだかって来るのだろうが、体が音を上げない限り必ずや少しづつでも前進している限りは、何事も飽きずにやるしかないのであろう。我ながらこんなに単純な人生を送っているとは思いもよらなかったのであり、それはそれなりに明日への希望も限りなく拓かれていくものなのである。
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合衆国発、虎の子落とし

2011-01-26 | マスメディア批評
元々中国から来たスパゲティーにびっくり水をかけるぐらいで驚いていてはいけない。なるほど安いものは世界中中国製と決っているが、原料はともかく製造も中国だろうか?

今年最大の世界のベストセラーは、寅年生まれの五黄の寅ではない1962年生まれの中華系米国人二世のおばさんが書いた本「Battle Hymn of the Tiger Mother」であろう。昨年出版されて、全米で大反響を呼んだ。それゆえか近々ドイツ語版も出版されるというのでFAZがこの話題を取り挙げている。その母親である名門イェール大学の法科教授アミー・チュアと、ユダヤ人教授の間に生まれた女の子らとの格闘の物語である。

その内容は、通常の家庭内教育とその反抗の物語などではなく、常軌を逸した母親のスパルタ教育と当然の事ながら、娘たちまでを犠牲にして自らをおぞましく売り込む話である。米国のマスコミで彼女の所にインタヴューを申し込んでいないものは皆無と言われる。以下のエピソードだけでも挙げておけば、売り上げに態々協力する必要もないのである。

娘には学校の試験で最高の点を獲得しなければお仕置をする。強制的にピアノを習わせ、八時間の練習を課し、三度目に音楽的に演奏できなければ、屑とけなし、飲み食いをさせないどころかトイレにも行かさないというのである。そのお蔭が、既に娘はカーネギーホールで演奏を披露していると言う。しかし、「私はシナ人だから遊ぶ時間が無いの」とクラスメートに言わせていた娘に、「私はシナ人などじゃない。アメリカ人」と宣言させるに至った。それどころか中国の算術さえ身につけることを拒ませた。

なるほど母親の兄弟は、パラオリンピックで活躍したダウン症の末っ子まで全てアイヴィーリーガーの大学に通っている。こうした家庭をみると、個人的にはどうしてももう四世か五世に至る遠縁の家系を思う。決して大統領も、高名な人物も輩出していないが、知る限りこうした恥たらしはいない。品格とかなんとかのたまう大衆作家の息子ではないが、必ずしもその全てが十二分に裕福とは思えないこうした遠縁に殆ど誇りに近い気持ちを持つのである。

米国移民の話は多種多様であるが、一般的に語られる話は三人ぐらい人を殺めない限り頂点には至らないというものである。どの社会も成り上がりの構図というのは同じようなものであろうが、全てが金銭で片付いてしまうのも合衆国の社会に違いない。犠牲になった娘たちも、短期間ながら印税による厖大な資産の増加の恩恵を受ける。それでも、それゆえにか、これだけオープンにシナ人の実像を曝け出したと歓迎する向きもある。



参照:Wie die Tiegermutter ihre Kinder zum Siegen drillt, Sandra Kegfel, FAZ vom 22.1.2011
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あっと驚く、びっくり水

2011-01-25 | 料理
安いスパゲッティがスーパーのブランドで出ていた。以前買っていた安物イタリア物に代わるように提供されている。五百グラムで34セントほどのものだから、三回で食べても安く、四回ならば一食あたり七セントであるから、四合の米34セントと同じである。基本的には麺類の方が米よりも高い筈であるが、同じ価格となっている。

スパゲティの安いものは美味しくは無いが調理の仕方によっては十分に使える。今回のものも初めての購入であったので一袋しか買わなかった。しかし、袋に書いてある調理法通りにすると、前のものとは比べられないほど美味く、ブイトーニより美味い。バリラには落ちる。その秘訣がなんと驚くなかれである。

七分の茹で時間に続いてびっくり水をしろと書いてある。こんなスパゲティーは初めてである。そこで茹で上がりをさっと水に通してみた。びっくり仰天の麺の締まりで、まるでイタリアでのパスタと同じぐらいに美味い。ぴちぴちしこしこのスパゲティーで尚且つそー図が良く滲みる。

イタリアのお店でも調理場では乾麺を茹でてびっくり水をさせているのではないかと疑わせるほど上手に茹で上がった。追加で購入して、今度はどんなソースにするかが楽しみである。

テッシンで購入したメルローの高い方を飲んだ。数フランだけもう一つのものより高価なだけだったが味は大分上であった。スーパーの価格のつけ方は多くの人が何度も試飲して決めているので、こうした差が蔵出しを買うのと同じように出ることもあるのだ。その反面全く見当違いの価格設定は、蔵出しではありえないぶらつきである。スイスのメルローは、ポメロールのようなボディー感が無い代わり、ワインのロールスロイスには無い深みと複雑さがある。

一昨日開けたロベルト・ヴァイルのキードリッヒのオルツリースリングは大変素晴らしくて驚いた。2009年産のラインガウは素晴らしいが、その中でもヴァイルはスレート土壌のリースリングとして、そのテロワールの出し方は天下一品である。同じワインを秋に飲んだときと比べて、更に開いて来ており、鉱山でトロッコに乗って進んでいくような鉱物臭さが美しく広がる。熟成が進むと行き過ぎになりそうだが、新しいうちにこうして愉しめば、本当に品が良い。ナーへのシェーンレーバートは異なった意味で、ヴァイルのリースリングはスレート土壌のリースリングを代表する逸品である。2009年以降は、これなくして辛口リースリングやスレート土壌を語っても仕方なかろう。
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空気バネの車が欲しくなるとき

2011-01-24 | テクニック
朝から晩まで十二時間は息つく暇が無かった。なんといっても車を見せに行くのが余分である。担当のマイスターを呼び出してガレージに落ちていた棒を見せると、髭面に笑みを浮かべた。

「何か分かりますの?」と問うと、

「ショックアブソーバーですよ」と即座に答える。

「ああ…」、

「偏ったり乗り心地がおかしくなかった?」。

なるほど、今朝も出来るだけ穴に当たらないように避けて走ったのだが、それでも反動はきつかった。しかし、そのものが折れているとは気がつかなかった。一昨日覗いたときにもバネが確り付いていたように見えたからである。

なるほど、それが下に落ちる前の金曜日の帰り道も反動が直裁だった。コイルの役三分の一周が折れて、短く達磨落としになっているから、別に問題なく走っているのであり、マイスターが言うように左の車輪が深く落ちている。深い雪の中に突っ込んだときに折れたのである。

確か以前の車でも十年ほどたったときに取り替えたような気がするが走行距離が大分違う。それでも代車代も出そうとしないところを見ると、通常の傷み方なのだろう。この車自体が、バネが深く沈んで、カーブでの傾きが強すぎるのが最初からその設計上の問題ともなっていたのだが、こうしたところにもその特徴が表れるようである。さて、夕方か明日の朝かと言っていたぐらいだから、手安く交換できることを願っているが、請求書の額がとても気になる。

ショックアブソ-バーであるから、舞台に上げて車輪を浮かせば、問題なく取り替えられるのだろうが、どのように固定してあるのだろうとまた興味が湧く。空気バネの車が最近は超高級車でなくても付くようになっているが、その量産化された機械的な安定性には疑問があった。しかしこうしてコイルが折れることを考えると、次の車は空気バネの方が良いかなと言う気がしてきた。

人の車を貶すのは良くないが、レンタカーのAクラスの新車は全然良くなっていない。最初からエルヒテストで問題が多かったが、完成度が高まった印象が全く感じられない。何よりも内側が小さいにも拘らず胴体が大きく、車庫入れが殆どSクラス並みである。特にサイドの鏡を入れると、車庫入れがとても難しく、舵もとても切りにくい。それでもスマートのように商業的に失敗はしていないようであるから大したものである。

代車代を払わなければいけないので、有効利用しようと思って、早速手が空いた午後に最寄のIKEAに車を走らせた。
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今も現役の襤褸着について

2011-01-23 | 文化一般
クリスマスプレゼントで貰った新しいイヴォン・シュイナードの本をまだ読んでいる。パタゴニアと呼ばれるアウトドーアブランドの創始者で、我々にとっては彼の作ったクライミングギアーや韓国駐留時代に拓いたフリークライミングルートで馴染みがある。一種のビジネス新書のような感じであり、環境ビジネスの師範書でもあるからか、2005年と今頃になって執筆されて、日本語版が2007年、ドイツ語版が2010年の発売となっている。実用新書として読めばサラリーマン諸君に好まれるその程度の内容である。しかし著者自体は商売人であることをきっぱりと否定しており、フリークライマーで、サーファーで、カヤック乗りであって、鍛冶職人でありたいと宣言している。

一番印象に残ったのは、子供のときの思い出から、父親に連れられた渓流釣の場面である。流れが強く足元が滑りやすいので流れに飲まれてしまう恐怖心に包まれておろおろしていると、父親から「集中しろ」と依存心から解き放たれて、禅の如く腹が座り、自信を持って先に進めるようになったことが語られている。まさに、逃げないことが、無駄な力を抜いて水圧に自然に体が対応出来るようになったと、もっとも大切なことを示している。

著者の人生哲学は、あのヒッピー時代のそのままであり、脱西洋である極東文化への傾倒がそれに芯を与えている。起業から成功までの道筋は、当時から彼の名をつけたクライミングの道具やルートを知っている者ならば、あの当時はまだそんなことを考えていたのかと言う意外感の方が強いのだが、逆に何気なく今でも着用しているクライミングシャツが、パタゴニアと呼ばれるブランドでそれ程重要なものだとは知らなかった。正直な話、この本を昨年秋に貰うまでは殆どゴミ箱に入っていた。まさか日本にはパタゴニアのオリジナルの古着を生業とする専門店があるとは知らなかった。当時、こういたシャツを日本で購入していたのは所謂山屋さんと呼ばれるこれまた特殊な人々であったのだ。丁度ワンダーフォーゲルに代わって盛んになってきたバックパッカーとかにはあまりこうした商品は注目されていなかったように記憶する。

懸垂下降をするのにも肩絡みなどということも泣くなり必ずしも長袖でフリークライミングを愉しむ必要がなくなった今日無用の長物となっていたのである。更に、多目的なアウトドーア商品がコンセプトであり、肘などにパッチワークが入っているわけではない。それでもこの三十五年ほど前の商品が今でも使えているのは、著者が主張するように自然にやさしい限られた材料で無駄にならないように作られた商品であることを証明している。なるほど怪我をしないように壊れないように、ボタンはゴム製のものが使われていたが、流石にそれは破れてボタンは全て付け替えた。それでも冬の間はこれを今来てインドーアクライミングに通っているだけでなく日ごろのトレーニングに使っている現役なのである。しかし、こうした事情を知らなかったならば、袖もほつれていて、決して外には着て行くことが無かったであろう。大変得した思いである。

染料なども高価な建て染め染料をBASFと有害なものを使わないように交渉しているようで、その中国の山奥での綿の原料調達とともにこれほどの熱意で商品を開発しているとは思わなかった。多くはスコットランドの文化を取り入れて商品開発に当たり、また日本の市場の特殊性などを研究して、一時は草鞋までを大量輸入していたようである。

その自然愛護への取り組みも、論理的なものではなく、一部には批判されるような環境思想を企業のアイデンティティーにしているが、我々の眼からすれば、著者がビッグウォールにおいて前述のような虚無に近い状態で無心に正しいルートを探し出していくような動物的な感覚がひしひしと伝わるのである。まさに企業の成功などは論理よりも生きる勘であると言うのがここにも証明されている。



参照:
社員をサーフィンに行かせよう―パタゴニア創業者の経営論
復刻・復活 イボイノシン(Alpine PITON) (NEXT DREAM 記憶と記録)
本日をもちまして、パタゴニア日本支社を「カルト企業」と表記するのは止めにします。 (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)
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波状攻撃に耐えられるか

2011-01-22 | 生活
まさに波状攻撃である。一難去ってまた一難。特に活動的に生活しているのではないが、最初の晦日を越えて来月までなんとか生き残れるかと思った矢先、車をガレージから出すと下に棒が落ちていた。直径二センチほどのずっしりとした錆びた鉄の棒が折れて落ちているではないか?まだ十年も経たない車であるから、錆で老朽化するはずがないのである。

なるほど先週辺りから異音がしていて、ハンドルを右に切るとそれが分かった。どうも方向蛇の小骨が折れたようである。先週、忙しかったのもあるがフランクフルトに行かなかったのもこれに不安があったからである。しかし多忙で少なくとも意識の表面から忘れ去られていた。操作蛇の低速での抵抗感はここ一年以上感じていたことだが、あまりに感覚的なことなので車屋にも話さなかったことである。実はこの車種を試乗したときにも気がついていた点なので、構造上の問題点でもあったのだろう。

いずれにしても壊れたことは不可解なのだが、考えられるのは鹿やウサギなどを跳ねたりしているので、そうした所に僅かながらでもひずみが生じていたのかもしれない。また積雪の中を乗り上げているので、そのあたりも強く当てている。車輪の内側なのでそれ程面倒な修理ではないと思うが、検査などの技術料込みで三百ユーロは下らないだろう。予想外の出費である。道で立ち往生したり、事故を起こしたのではないので良かったと思うしかないであろう。さて月曜日になんと言われるだろうか。

難局に直面して、強い意志を保てるかと言うような立派な話ではないのだが、耐えて忍ぶしかないような至難はまだまだ続くのである。
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滝の流れに身を任せて

2011-01-22 | 生活
ガレージ内の水漏れは、水道屋が来て、温熱ヒータのパイプに沿って流れていたのを確認した。パイプの断熱材がびっしょり濡れていて、それが上から滴って、断熱材の切れ目で落下していたのである。その水の出所は分からないが、下水管が横に施設してあるので、シャワーなどの生活用水の漏れも考えられる。しかし、落下水量が規則的だったことを考えると、ヒーターの水漏れであることも否定できない。ヒーターの釜の水量を調べれば直ぐに分かるだろう。複雑な配管の中で、水蒸気が溜まり集まるポイントもあること否定できない。階上の家の中を調べればある程度予想がつくかもしれない。断熱材を外したために水路が変わり、ガレージの中には滴らなくなったが、それは結局地下へと進むだろう。そうなると温熱の損失でなければ緊急性はないが、何時また壁を伝わって水が滴るか分からないので、倉庫として使っているガレージを片付けるまでには至ってない。

昨晩はアルパイン協会主催の幻燈会が開かれた。初めて参加するのだが、小ホールとしては大きく三百人規模のホールで、映像施設も結構良かった。映画ではなかったがプロの写真家の映像は流石に奇麗で、月並みな選曲の音楽も結構奇麗に鳴っていた。ペールギュントの夜明けや田園などだけでも、結構効果があるものだなと、家庭での幻燈とは迫力が異なった。

写真家でアルピニストなどと紹介されていたが、正直我々からすると修羅場を潜らずに、逆におかしな場所で怪我などして修羅場に遭遇しているなと言う印象である。カメラマンとしての仕事としての登山好きとは別に、あれだけあまり人の通らない場所を移動していたら事故に遭遇する可能性はとても高いだろう。我々の仲間にもフリークライミングには手を染めずに、高山で氷壁ルートを数多くこなしている者がいるが、あれはあまり良くない。トレーニングの合理性や身のこなしの洗練にはフリークライミングほど役立つものはない。要は、「被ったような岩壁や氷壁を厭わない」ほどの技術的、体力的な余裕がないと、ますます危険な方へとルートを選択してしまうことは自分自身の長年の経験で数知れず思い知らされているからである。スキーの滑降ルートなどでも事情は良く似ている。まさにサッカーで言うモラールつまり勇気や意志の強さだけは失わずに、直面する難題を回避してはいけないと言うことでもある。そこで「勝負」が決る。

それに集まったのは無料の施設関係者が多く、主宰の我々の仲間も少なくはなかったが、三割にも達していなかった。夏のアルプスでの計画では、まだ一席が残っているのだが、それに関心がある者が、我が岩登りのライヴァルを含めて三人参加していて、あれやこれやと話した。

一人は「申し込んだけど、受け付けられるかどうか分からない」と不満を漏らす。「地元でもコンディション強化は出来るのに」と言うので、今までの高山での経験などを聞いてみた。

「サミットクラブでヴァリスの峠越えをした」と言うのである。それはアルパインクラブがヒマラヤ遠征などの公募もして、山岳旅行会社としても最も権威のある協会の団体である。なるほど彼は年齢は若くはないが、何とかこなせるには違いないが、十分に一人で動ける十分な実力は、その岩登りの技量にしても氷にしても無いと承知している。山岳ガイドに引率されての心掛けでは全く話にならない。春に六十キロを一緒に走破しようと言っておいたが、前回とは違って、特に今回は参加断念を素直に理解させるためにも彼にこちらの鍛え方を見せつけて引導を渡してやらねばいけない。

もう一人の参加に興味を示しているベテランも私にインドーアクライミングを「やっているのか」と尋ねる。「来週は水曜日と金曜日の二回で、今朝も二十分だけど走ってきた」とその心構えを示しておいた。そこまでの動機付けが無いとやはり辛いだろう。

さて、ライヴァルの大男はまだ迷っている。荷物を担いでシュタイクアイゼンを履いて手袋をつけて動けるか自信がないようである。もちろん慣れの問題でもあるのだが、秋にはザイルで23ピッチととりわけ長いアルプスの谷のルートを登る計画になっているので、荷物を担がないにしろ流してフリークライミングできる技術の問題でもあるのだ。彼の場合、年齢は三つ違いだが基礎体力や運動能力には全く問題がない訳で、彼の決断次第である。
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津波のように打ち寄せる

2011-01-20 | 生活
一昨日からなんやらちぐはぐが続いている。切れたみりんを一灯缶からにポリ容器に移そうとしたときに、滴る水音に気がついた。よく見るとガレージの奥の荷物の手前の叩きが濡れているではないか。丁度以前醤油の一灯缶が漏れて未だに醤油臭い匂いがガレージ一杯に漂っている原因と成っている場所である。

更に見るとだ断熱してある銅管から水が滴っている。横にある下水管でなくて良かったが、壁一面に積んである荷物を早速取り除いて更なる被害を抑えるために、搬送ユーロパレットに一部を積みなおす。そして滴る場所にバケツを置いて応急処置とする。

床などをモップで掃除し終わって戻ってくると既に夜八時を越えており、夕食が遅れた。電話するほどに急を要しないのでメールを送っておいたが、結局本日修理とはならなかった。電話をすると留守のようで、若しかするとヴァケーションに出ているのかもしれない。留守電の吹込みにも未だに返事がないので、今朝再び電話した。

ヒーター用のお湯が数日間に渡って漏れている様子から、光熱費が無駄になるだけでなく、いずれヒーターの水圧が下がって最上階の我が住居の暖房が効きにくくなることは分かっている。浸水状況から見ると、一日で二リットルほどであるから大したことはないが、荷物が片付けられないのも困る。

折角の水を使って味醂と醤油で汚れている床を掃除に行こうと思うと、今度はノートブックのXPが立ち上がらなくなった。修正セットアップが出来ないので、上書きをすると今度はコードレスランが効かなくなった。XPの初期版は対応していないようだ。コードをつけてアップデートをしてと面倒なことになっている。

はじめてのXPの上書きであったが、半日以上修復に時間が掛かったのは、WiFiの暗号などの調整であった。なかなかログイン出来ずに、結局は更なる技を習った。まあ、精々様々な機器を接続出来ないで困った人がいたら手助けしてあげる技術が付いただけである。以前よりも安全性は高まらないが、今後の増設時に役立つぐらいだろうか?

急に数時間、二昼夜のうちに何もかもが上手くいかないようになっている。全く不思議なもので、そうなると次から次へと片付けなければいけない用件が重なって津波のように打ち寄せるのである。
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第二思春前期の真っ只中で

2011-01-18 | アウトドーア・環境
太腿にも下肢にも疲れがあり、首から肩にかけても疲れが残っている。さらに腰に張りがある。先週二回のインドーアクライミングと月曜日のジョギングが重なった感じであり、まだそれが取れない。もう少しでフルマラソンをこなせるなんて豪語してもまだまだである。

しかしそんな体の具合が何かおかしい。折からの急に春めいた天候以上に、体が春めいているのである。新陳代謝が活発になったのか、おかしな所が汗ばんできたりと、ここ何十年も忘れていた感覚が甦って来ている。殆どホルモン異常ではないかと思うぐらいだ。なるほど十五年ほど前ならばそれに似た感じがあったが、やはりその時のそれとも違う。

心理的にも達観のような落ち着き以上に、体の芽生えから来るような焦燥感や投げやり感とは異なるまるで映画「転校生」のような一種の違和感がある。それを思い出せば、丁度十代前期の思春期前期というようなあの春の匂いであり趣であるかもしれない。久しぶりにそのような感覚が蘇って来て不思議に想うのであるが、流石に当時のような心理的な不安定感に陥らないのは既に経験している感覚だからであろう。同時に当時はこうした肉体的な疲労をなかなか制御出来なかったのだが、現在はなんとか忍ぶことが出来るようになっているのも経験の賜物であるに違いない。

なるほどこうした考えられる「ホルモン異常」は、筋肉増強剤を使用したりドーピングによっても齎されるのかもしれないが、体力強化トレーニングによっての結果であるから、健康に良いとは言えないまでもそれ程悪いことをしていないようにも思うのだがどうだろう。腰の張りも、どこかの蝶番が磨り減ってきたという印象よりも、背筋の筋を刺激したような按配で、丁度所謂体幹トレーニングの切っ掛けになるのではないかと感じている。サッカーにおける蹴りのバランスと同じように、シュタイクアイゼンの最近の一本爪出っ歯のものを使い切るためには、体の軸が安定することが重要だと想像したりしているのである。

ネットで山道具の買い物を籠に入れたりしていると、今まで使った事もないような道具が沢山出てくるのである。嘗てと比べると様々なアウトドアースポーツが分業化しており、其々の分野でのスポーツとしての技術的な洗練が見られる。その分、各々の技術を習得するために合理的なトレーニング方法が存在する。それは何か、十代の頃に我武者羅に挑戦したことを、合理的に解析している自分自身の姿勢とも似通っている。それでも、どうしても肉体と精神の乖離のような違和感が解消されるまでには至らないのである。第二思春期と呼ぶことが出来るようなものがあるならば、それはそれでなかなか興味深いのである。
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体験するとは爆発だ!

2011-01-17 | アウトドーア・環境
ご贔屓のパン屋が新年の再開である。絶対評価では完璧とはいえないまでも、他所ではもうブロッツェンが買えなくなったほどやはり相対評価ではとても美味いて、幸せ一杯の朝食となった。やはり今年初めて顔を出した肉屋でミンチローフを買って、それに挟んだ。何度も繰り返すように、これが最高の生活水準というものである。

その前には、寝坊したので、手っ取り早く短めのコースを走った。先週の疲れがこれでようやく解れた。雪が無くなってはじめての木漏れ日の強い日差しの中でのそれはまたなんともいえず気持ちが良い。いつものように途中からジョギングで峠まで上がると、二十三分しか経っていなかった。登りを走るのは久しぶりなので、息も上がったが、予想以上に速いペースで、雪道よりも十分近く早い。息を整えてから下りを走ったが、とても遅いペースで走ったように思ったが、足元が安定していたからか、駐車場に着くまで十分も掛かっていなかった。併せて、三十二分は今までの最高記録であり、その足取りからすると信じられないほど早い。考えられるのは雪道で走ったお蔭で、けりの力がついたからだろう。砂浜で走りこむのと同じような効果が出たのかもしれない。その証拠に疲れ方が大分変わって来ていて、雪上トレーニングのようなバテ方はもはや感じない。マラソンを四時間ならば走り切れるまでにもう一息だろうか。体重の関係もあるのでなんともいえないが、上体の筋力も強化されていて、全身の筋力のバネが強化されているのは感じているので、このまま続ければ明らかに良いシーズンのスタートが切れそうである。今後は、クライミングに重要な柔軟性と爆発力を出せるだけの健康管理にも留意したい。

ビュルクリン・ヴォルフの醸造親方補に、既に売り切れているレープホルツ醸造所のナテウーアシュプルングを提供した。2009年のリースリングで画期的な新商品であった。販売陣のように見本市などでそうしたものに目を光らしていない限り、なかなか市場の状況までに目が行かないのは当然であろう。見本市であってもこうしたものが紹介されているとは限らなく、醸造所の顧客に於いても試飲して美味しくないと思えばそれまでなのである。しかし、家で食事をしながらジックリ飲んでみるとその特異性が明白になるのである。通向きのワインなどはそうしたもので、評論家など仕事で次から次へと義務感を飲んでいる限りこうしたものは分からない。どの世界も全く同じで、市場に於いて大きな話題を集めるものでない限り、供給量も限られていて、さらに「美味しくない」となるとメディアで紹介しても仕方ないのである。ブルゴ-ニュのみならずワインなどはそうしたものなのである。

石灰質の混じっていない雑食砂岩のミネラリティーを最大限に抽出したこのリースリングはまさにそうしたものである。高級リースリングのテロワールの表現として一つの究極にあり、ゴールトベッヒェヘルなどで新たな境地を開きかけているこうした大手の醸造所の醸造方には是非試して貰いたいと思ったのである。あと一本しか残っていない入手不可のこのボトルを提供するにはそれだけの公算がある訳で、大げさに言えば次代のドイツワインの更なる発展に一石を投じることになるのではないかと思うからである。

なるほど一部には、こうしたワイン尽くしのようにも見えかねない熱心なアプローチが異常にも見えるのは承知であるが、正直な所これは分かる人には分かる行いであって、決してでしゃばりなワインスノブとは一線を隔しているのをそうした門外漢の人に説明するのはとても難しいのである。何よりも明白なのは、ワインは酔うためのアルコールなどでは一切なくて、それなりの文化・社会的な背景が広がっているのだが、胃腸の健康にも大きく寄与していることを示すこと同様に、自分自身で体験しなければ分からないような世界なのである。逆にそのことが分かりだすと、なぜにこれほどまでにスノビズムが蔓延っているかも分かるようになるのである。
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想像することと体験すること

2011-01-16 | アウトドーア・環境
独日協会の新年会があった。神戸市出身の者が三人いた。偶々垂水の人と聞いて地震の話となった。当時は既に北区に引っ越していたようだが、玄関先が割れていたという。偶々話を聞いただけである。震災の日とは知らなかった。あの日は、同じようにマンハイムにいて、音楽学校の発表会に居たのだった。正直、今やそれ以上でもそれ以下でもない記憶となりつつあり、被災者との心理的な距離感は益々遠い。同じように、原爆の被災者であったり、虐殺の被害者であったり、空襲に焼け出されたりといった状況をどんなに想像しても難しいのである。体験することと、映像などを見て追体験することの隔たりは大きい。

要は、なかなかこうした感覚的なことは、高度な芸術やその他の手法を用いなければ、広く共通の認識としてのコミュニケーションの中身とはなりえないということでもあろう。

昨晩は、アルパイン協会の新年会で、今年の公式行事の説明会があった。1千人を超える支部所属会員の中の極一部の積極的な面々しか顔を見せないのだが、それはそれで久しぶりに顔を合わせる者もいて挨拶をするだけでも大変である。山登りの会の場合の古典的な悩みで、その活動の幅が広がれば広がるほど内々での意思の疎通が上手くいかなくなるのである。しかし、その規模も限られていて大都市のクラブではないので、そのあたりの見通しは良い。所謂都会的な疎外感がないのがとてもよい感じである。逆に、外から入ってきて根を生やすまでには大分時間が掛かるのである。大都市と中小都市の差がこうしたところに顕著となる。

更に以前からすると、私自身のように可也広い範囲でアウトドアー活動を行うようになると、少なくとも各グループ間を浮遊する気楽さが出来て、更にアットホームな感じになって来ている。特に今年はスポーツクライミングの初心者コースも設置されるので、そこから家族グループや青年グループとの人間関係が進展する予定である。さてどれぐらいの人が石切り場に集まるようになるのか、楽しみである。

さて、私の岩登りの三つ違いのライヴァルは計画の四千メートル級の登山に躊躇している。幾らかの経験はあるのだが、やはりシュタイクアイゼンと手袋でのコムビネーションの岩登りや高山の気象変化などに不安感をもっている。彼とは可也技術の限界域の岩壁を登っているので、そのどこか腰が引ける性格は重々承知している。もう少し、距離を置いて観察することにした。もう一人の候補者は奥さんの放射線治療などの進展で飛び入りしか出来ないようだが、明らかに前者の大男に比べると体力的にも技術的にも準備が十分に出来ないと難しいだろう。しかし秋の岩壁登攀には二人とも顔を揃えるに違いない。

いつもの森のトレーニングコースで雪の中、一度は後から追いかけてきたことのあるノルディックウェーキングのばあさんに年末に会った。あの雪の中を一人で歩くばあさんは特殊であり、可也いってしまっている ― こちらは雪の中を滑りながら走っているのだから更にいってしまっていると噂しているに違いない。恐らく嘗てはスポーツを本格的に行っていた人なのだろう。とても身が軽そうでいながら、足取りや走り方はどうも我々とは違うのである。

五月には再度60キロメートルハイキングが行われる。今回は靴も完璧で、トレーニング量も違うので、前回の雪辱を晴らすと宣言しておいた。これもとてもよいコンデションニングの目安となる。そして腹に脂肪が溜まってきたというリーダーらと健脚振りを競えるのが楽しみだ。挑戦状をぶつけて置いたので、リーダーもトレーニングに励むことだろう。

何事にも拘らずこうした良きライヴァルに恵まれることも機会に恵まれることもとても重要であり、こうした状況が十年前にあったならばと想像してみないこともない。その場合の現在の肉体状況や健康状況さらにライフスタイルは大分異なっていたように思われる。必ずしも幸か不幸かは判断出来ないが、今後十年先のことを考えれば持続性ということではもしかすると現況で良かったのかも知れない。失われた十年、失われた二十年、なんとなくバブル経済やそうした社会情勢にも関連しているようで、当然の事ながら全く自分の意思だけではどうにもならないことであり、自らを取り巻く環境の変化の中でしか、捉えることが出来ない事象であるのだ。

十年前、たらればを考えても仕方ないのである。体験することと想像することは全く違うのであるから。
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