Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

太陽の恵みを謳歌する時

2016-01-23 | ワイン
森の空気は、摂氏零下2.5度と先日からすると6度も高かった。森の中は雪がうっすらとついていた。寒冷地になると、摂氏よりもファーレンハイトのようなものが生活実感に近くなるのだろう。絶対温度も悪くはないのかもしれないが、通常の生活からすると大分違う。どちらかというと人間の平均的な体温から測る方が実感に近いのではなかろうか。

メドックのポイヤックの1995年物を開けた。ノンフィルターの長持ちで有名な醸造所のものだ。いつものことで前日にはそれを開けようとは考えていなかったので、十分に澱を下に溜める時間はなかった。そこで横にしたまま初日は開けた。一杯目は澱を避けれたが、二杯目以降は大分入った。

それでも樽を使わない瓶熟成の強さはピカ一で一向に力が弱っていない。この調子ならばリコルクさえすれば、あと二十年ぐらいは新鮮に楽しめるだろう。コルクも通常のソムリエナイフでは壊れたかもしれないが、二枚ブレードで綺麗に完璧に抜ける。但しエティケットは合成糊ではないようで、ナメクジに好かれて直ぐに食われてしまった。

1995年の葡萄は1994年ほどにはカベルネフランのセパージュは多くはないが、それでも一種の苦みが全体を締めている。甘みはほんのりと感じるぐらいで、寧ろハーブ風のボルドーは食事には嬉しい。

澱の処理だけが問題になるが、コーヒーフィルターで濾してしまうと、どうしてもエキスが落ちてしまうような感じで、本当ならば二日ぐらい立てて沈めておきたいのだが、なかなか実現しない。

摂氏零下二桁に近づくと、赤ワイン、それもボルドーの強い陽射しの恩恵を受けたようなワインが最も心身ともに元気づける。二十数年前に夏を思い出して、体を芯から温めたい。

それならば零下二度が温かく感じるかといえば、太陽がさんさんと照るなどの条件が無ければ難しい。室内も陽射しが無いとじんじんと凍てついている。暖房を切っているからだ。暖房をフルに回している篭り部屋でも足元が冷える。昨夜は夜中に目が覚めて、薄く暖房を回した。布団を厚くすれば凌げるのかもしれないが、風邪を引きたくないので仕方がない。

階下の水漏れの関係で、足場が作られて作業がなされた、枠組みのカヴァーが剥がされて、中の木材の枠組みがチェックされたようだ。まだ元通りにされていないところを見ると、処置が出来ていないのだろう。木材の内側から水が滴ることはないと思うので、外側を伝って上から下へと落ちていくのだろうか。しかし上部は屋根で塞がれているので、その屋根が漏れていないとおかしい。



参照:
凍てつく澄んだ空気の蕾群 2016-01-21 | 暦
ライフスタイルの充足感 2014-12-02 | 暦

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