Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

前夜際から始める

2006-08-31 | 生活
標高2367メートルの山小屋は、天候回復期にあって、晴れて早朝零下となった。前夜の宴会はメルローの赤ワインを主に進められたが、ビールの消費も多かった。小屋の娘さんに「もう初日から始まった」と言われるほどの賑わいだった。予想外の興味ある展開に興奮気味であったのだろう。

前日に小屋にある資料を調べると、なかなか面白い対象も見つかり、アルプスでのクライミング経験の無い者に合わせて先ずは小屋横の岩山を二人づつで登る事となった。

尾根を攀じる一般ルートと言うべき容易なものであったが、流石に高度感もあり、部分的には弱点を見つけなければ到底登れそうにもない小さな切戸を二度超える。下山は、60メートルのシングルザイルを使って四回ほど繰り返さなければいけない。

小屋のテラスでヌードルスープなどを摂って、午後はクレッターガルテンで岩の感じ掴み、中間確保の取り方の練習などを積む。最近の傾向として、室内クライマーなどもいて自然とのコンタクトの取り方に慣れていない場合も多い。ドロミテ山地の岩の形状からすると、砂時計や岩頭を如何に旨く使えるかが登攀の成功を左右する。

翌日の登攀を期して、さらに赤ワインの消費が伸びる。小屋からの差し入れの二リッターの赤ワインが指し水となり、白ワインにまで手を出す者がいてブレーキが利かなくなった。
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索引 2006年08月

2006-08-31 | Weblog-Index



晩夏の残雪 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-08-30 TB0,COM0
市中で鬩ぐ美術品 [ 文化一般 ] / 2006-08-29 TB0,COM0
ギュンターの玉葱を剥く [ 文学・思想 ] / 2006-08-28 TB0,COM0
鮨に食い尽くされた鮪 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-08-27 TB0,COM8
胃の代わりに腸を使う [ 料理 ] / 2006-08-26 TB0,COM5
ある肌寒い残暑の夜 [ 料理 ] / 2006-08-25 TB0,COM0
知っていたに違いない [ 歴史・時事 ] / 2006-08-24 TB0,COM6
不公平に扱われる英霊 [ 歴史・時事 ] / 2006-08-23 TB2,COM0
八月の雪のカオス [ その他アルコール ] / 2006-08-22 TB0,COM0
矮小化された神話の英霊 [ 文学・思想 ] / 2006-08-21 TB1,COM5
豊かな闇に羽ばたく想像 [ 文化一般 ] / 2006-08-20 TB2,COM7
しゃっきっとした食感 [ 料理 ] / 2006-08-19 TB0,COM8
猫飯好きのお嬢さん [ 女 ] / 2006-08-18 TB0,COM9
ヴァルハラを取巻く現世 [ 文化一般 ] / 2006-08-17 TB2,COM4
三ヶ月経った夏の終わり [ 生活 ] / 2006-08-16 TB0,COM5
78歳の夏、グラスの一石 [ 歴史・時事 ] / 2006-08-15 TB7,COM15
似て非なるもの [ 雑感 ] / 2006-08-14 TB1,COM2
正当化の独逸的悔悟 [ 文学・思想 ] / 2006-08-13 TB3,COM8
氷点下の雪模様 [ 暦 ] / 2006-08-12 TB0,COM2
エリート領域の蹂躙 [ テクニック ] / 2006-08-11 TB0,COM4
麦酒、不純か純潔か? [ その他アルコール ] / 2006-08-10 TB0,COM2
世俗の権力構造と自治 [ 歴史・時事 ] / 2006-08-09 TB1,COM2
バーベキューの夜 [ 料理 ] / 2006-08-08 TB0,COM4
眠りに就くとき [ 女 ] / 2006-08-07 TB3,COM4
気質の継承と形式の模倣 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-08-06 TB0,COM0
中庸な道の歴史 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-08-05 TB0,COM0
白い花は黄色かった [ アウトドーア・環境 ] / 2006-08-04 TB3,COM12
乾杯、アルコールシャワー [ その他アルコール ] / 2006-08-03 TB0,COM2
収容所寝棚と展望台食堂 [ 生活 ] / 2006-08-02 TB0,COM0
舌鼓を打つ山の料理 [ 料理 ] / 2006-08-01 TB0,COM4
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晩夏の残雪

2006-08-30 | アウトドーア・環境
チロルに行こうと思うが、天候が今ひとつである。昨日辺りは、二千五百メートル以上はとなっている。ライヴカメラなどを見ると、山肌の上部に大分がついている。天候は、好転するようだが気温が上がる様子はないので、残雪が問題だ。

山小屋に先行して入っている者に言わせると、かなり寒い様で厚着を勧めている。小屋に上がるにも、雪が幾らか付いているようなので結局山靴が必要と言うことだ。
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市中で鬩ぐ美術品

2006-08-29 | 文化一般
ここ一月程、創作グループ「ブリュッケ」の一枚の絵が話題となっている。キルヒナーの1913年に描かれた「ベルリンの街頭」である。現在、ベルリンのブリュッケ美術館の代表的な常設展示物として飾られているこの絵は、この11月にクリスティーズの手で競り落とされる予定である。

美術館は1980年に、千九百万マルクで戦時中フランクフルトの美術館館長をしていたエルンスト・ホルツィンガーの未亡人の遺品として購入した。この館長は、ナチによる退廃芸術を大事に隠して護ったとされているが、この絵は知合いの美術収集家カール・ハゲマンからプレゼントされたとされる。

問題は、このカール・ハゲマンの取得経過である。売り手に3000ライヒスマルクを支払ったとされる彼の購入の知らせを受けた画家キルヒナーは礼状を送る。キルヒナーは、1932年2月にハゲマンに宛てた手紙で、「ケルンから買い取ってくれて有り難い」と、さらに他の三つの絵に触れてその手紙に次のように下記する。「緑でなくて青と赤の街頭図は、多分チューリッヒで展示されたものであり、退去したユダヤ人たちの物に違いありません。」。その金額を支払らわれたとされる売り手が、今回ベルリンに返還を求めた、ナチによって追われたユダヤ人実業家アルフレート・ヘスの子孫である。

ペッヒシュタイン、シュミット-ロットローフ、ヘッケル、キルヒナーなどのドイツ表現主義絵画コレクターのヘス本人は、エアフルトの靴生産者で、1930年に世を去っているが、時節柄事業は倒産しているとあり、ナチスの勃興に平行して1933年にそのコレクションと共に遺族はスイスへと移住した。その時期キルヒナーのこの絵もバーゼルのクンストハーレで、引き続きチューリッヒのクンストハウスで「新ドイツ絵画」として公開されている。しかしその後、なぜか1936年には家族の意向もあり、これらの七つのコレクションはケルンの美術協会へと送られている。

その後、そこからキルヒナーの問題の絵がフランクフルト在住のハゲマンの手に渡っている。その支払いの事実と入金が証明されていないことから、ナチスによるユダヤ人からの略奪品として、所有者の子孫であるニューヨークのアニタ・ハルピンがこの絵画の権利を主張することとなった。疑わしきは罰せられる。

今回の問題は、上の美術館の目玉であるこの作品を簡単に手放せないと言うことで、その購入時に支払った損害も含めてベルリンの地元では返還反対要求も上がっている。ベルリン市は、元ダヴォースのキルヒナー館長にこの絵の鑑定を依頼したところ、七百万から最高千万ユーロを見積もって、それ以上は投機バブル価格とする。特に競り売りとなると、競り売り師の査定では一千九百万ユーロの値でのオファーが、ロシアの物好きからあり得ると言う。所謂ネオリベラリズムの餌食となる可能性がある。そうなれば、ベルリン市民は諦めるほかにない。現在、購入額と 適 価 の差額の支払いでの譲歩を売り手に申し出ているらしいが、交渉は困難を極めているようである。

ロシアにある赤軍の戦利品であるドイツの美術品は今でもドイツに返還されていないが、こうした奪略美術品の問題はまだ今後とも繰り返される可能性がある。そこで課題となるのが骨董品の競り市によるネオリベラリズムの市場原理主義の克服である。美術・骨董品の個人による購入価格の上限を設けるなどして、投機的な市場価格を抑える必要がありそうだ。さもなければ、いずれは価値のある美術品は、公共の場では展示されなくなって、紛失して行く名画も増えるに違いない。何よりも税金で賄っている公共の美術館などの存在が脅かされていくだろう。



参照:
山間の間道の道端で [ 生活 ] / 2006-03-24
即物的な解釈の表現 [ 文化一般 ] / 2006-03-23
谷間の町の閉塞感 [ 歴史・時事 ] / 2006-03-22
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ギュンターの玉葱を剥く

2006-08-28 | 文学・思想
― 聞こえたのは、二つの言葉で叫ばれた悲鳴だった。最後にロシア製の機関銃がものを言うまでスラヴ語が勝っていた。

若松が密生する中を、右に左にと巧く距離をとって匍匐前進すること、何とか無事だった。残りの軍曹のグループには組み入れられなかったのである。民族突撃隊は神とはもう争わなかったし、隣人を叱ることもなかったが、まだツケを返済しようとも思ってはいなかった。ただロシア人の声がそうしているうちに遠ざかった。好人物であるかのように聞こえよがしに誰かが笑った。―

ギュンター・グラスの新著「玉葱を剥く時」には、親衛隊として、国土を護る兵士としてソヴィエト戦車に向き合い、誤って前線の後ろに廻りこんでしまった危機一髪の瞬間が描かれている。その記述を評して、この作者の文章として嘗て無いほどに、テンポと視点の交換があり、一人称と三人称が、語り手の「後の時点からの観察」としてつなぎ目なく交差していると言う。

そのように叙述するフーベルト・シュピーゲルが書く新刊の新聞評を読む。480に及ぶページには回答は書かれていない。彼はなぜ沈黙を突き通したか?これはなぞのままである。家庭に運ばれ消費される素晴らしく綴られた語りや見解は、相変わらずである。だからこの書籍で、自分を護り意味づけを期待する者でなければ、この結果に文句を付ける謂れは無い。

著者が我々に何かを伝えようと苦労した成果が報われたかどうかは、道義的な核心でなくて、美学的な核心なのである。言うなれば、芸術的信条、芸術的作品と作家の人生が、はめこのようにしっかりと結びついているかの問題なのである。

読者は、何処までが事実で何処からが創作なのか判らない。判るのは作者だけなのだ。そして、ダンツッヒの三部作の彼の文章の、幻想のネタ元が今回の書籍であるとする。

しかしながら、回想自体が覚束ないものであって、覚めたり微睡んだりと認知の交差があり、往々にして思い出は美化される。ギュンター・グラスはここできっぱりと「回想の偽り」を強調していると言う。キーワードが挙がる。玉葱と琥珀。その芯にあるもの。剥いて残るは乾いた皮だけの玉葱と、永遠に凍りついて死んだ琥珀の中身。

だからこそ、作家は美化しようとしない。この暗い背景を背に、語り手は腕を撫でながら、嘗ての自分である少年と共に、固まったその脂の中に像を結ぶ。二つ目に恐怖と空腹が挙げられる。

― これは言わなければいけない。空腹、こいつは、空き家かなにかの様に、私に住みついた。収容所の寝床でも、バラックの中でも、大空の下でも、場所を占めた。

こいつは、人を蝕む。蝕むことが出来るのだ。一人の若者は、想像するに早めに任務を放棄した若者であるが、何千の朽ち往く動物の一人であった。たったひとかけらの武装解除者は、もう既に永く、みすぼらしく見られたような姿ではなくて、全てのドイツ軍の足並みを乱していた。そのような図を、たとえ可能だったとしても、私の母に見せる事が出来ただろうか。―

再び、冒頭に続き付録冊子の一節を引用した。新著の後半は、石工から芸術家に、文学者になって行く立身出世の物語で、戦争で、終戦で骨身に沁みた空腹感が出世心のバネになり、生殖への意欲となる通俗的な情景が美化されることなく赤裸々に描かれているらしい。

さて、ここでこの評論は、この文学が二重構造を持っていると解説する。それは、もしかすると一つは事実関係を纏めた引用した小冊子であり、その内容をもう一つの世界と抱き合わせて構成した本文の文学でありえるだろう。しかし、この評論に触れられていない今回のパフォーマンスは、まさに三つ目の構造に相当する。現在、もしくは現在からの視点、世界観なのである。

ギュンター・グラスは、CNNの独子会社放送に対して、CIA批判をしたようで、溢れる情報を制御する情報組織に注意と警鐘を鳴らした。英国での航空機テロ未遂事件の情報が不十分なことから、陰謀説も流れるドイツの巷であるが、先ほどのコブレンツでの列車爆弾未遂事件でもレバノン人らが逮捕された。

この話をすると近所の英国人トムが、仕事上の永い友人のレバノン人のことを語ってくれた。仕事も進み平和な家庭を持つ彼が、明日から休暇に出ようと出かけた矢先、彼の家庭は火の海となったと言う。トムは続ける。我々の世代は、このかた戦争と言うものを経験していない平和の中に暮らしていた。しかしこうして手近に存在して、兵士が誘拐され子供達が餌食となる。

ギュンター・グラスが根も葉もないことを言うとは思わないが、端から真実などを求めるのではなくて、ただ覚醒しようとする。その覚醒も、情報の渦の中で認知もままならないので、出来る限り相対化して物事をみようとする。これは、この作者が三つの次元で、今までも語ってきたことに違いない。


各紙批評

Günter Grass: "Beim Häuten der Zwiebel", Steidl Verlag, Göttingen 2006, 480 S., geb., 24,-€, ISBN 3865213308



参照:78歳の夏、グラスの一石 [ 歴史・時事 ] / 2006-08-15
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鮨に食い尽くされた鮪

2006-08-27 | アウトドーア・環境
寿司が悪いと言っている。アカマグロが地中海から枯渇するとして、グリーンピースは行動に出た。このままの漁を続けると十年後には滅亡すると言う研究結果が出ている。商業的な漁は、あと数年も続かないという。

現在は、量規制されているのであるが、フランスを中心とした欧州の漁師以外に陸揚げすることのないトルコやリビヤ船籍のまた遠洋漁師がやってきて違法捕獲しているので、規制量を四割ほど超えているとされている。探知機や小型飛行機に、底引き網が掛けられて、イルカや亀など他の動物に被害が出ているのも知られている。

フランスの漁師はマルセーユで陸揚げするので良く管理されているようだが、昨今の原油の値上がりから経済条件は悪く、11月に開かれるICCATでフランス政府は現実的な対応を迫られている。

体長四メートル、体重820キログラムの成長したアカマグロは、一匹あたり十七万五百ダラーで買い取られ、殆ど百パーセント日本の家庭の食卓に上る。

マグロの養殖となると、一キロ辺りに二十五キロもの小魚が栄養となるので、このまま続けると漁業が壊滅状態に至るとして即刻の停止を訴えている。反面、アカマグロ漁業に多くを投資している漁師は経済的にこれに依存しており、禁止は破綻をきたすとしている。

マグロは、たんぱく源としてだけでなく、水銀を代表とする重金属類の体内汚染の含有量が多いので、米国などでは妊婦がこれを食するのを禁止している。

個人的には、先週人のアカマグロを味見させてもらったが、月に二つも食べるかどうかのツナ缶詰(黒マグロ?)が安いので口に入るだけで高価になれば食べる必要は無い。どちらでも良い。

しかし、フランスの漁師や日本の食生活には大きな影響を与えそうで、グリーンピースが行ったマルセーユの海上封鎖やアピールがどういった影響を会議に与えるだろうか。

2002年に決まった流し網漁の全面禁止がまだ徹底しなくて、地中海で予想するに400隻ほどはまだ違法漁をしていると言う。トロや鉄火巻きが寿司のメニューから消えることはなくとも高価になって通常では食せないようにもなるかもしれない。

もともと需要者自体の近海で採れなくなった歴史があるのだから先は見えている。本来ならばフランスの漁師による乱獲など起こりえなかったのだろうが、こうして今回グローバリズムの荒波をまともに受けることになる。
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胃の代わりに腸を使う

2006-08-26 | 料理
ザウマーゲン・ブラートヴルストと云うものを初めて食した。ザウマーゲンを製造している立場からすると必然なる帰着なのかも知れないが、我々消費者からするとそのようなものがあるのかと驚く。

なんということはない。ザウマーゲンにする中身の肉にジャガイモを入れずに、腸詰にしてある。そして一度火を通してあるということで、焼く前にお湯に付ける必要が無い。つまり、ちりちりのフライパンで炒めれば出来上がる。カリカリと焼くのが正しい。

さてお味の方は、ザウマーゲンがそうであるようにあっさりとしていて、ソーセージ特有の臭みが無い。夏場は、発癌成分とは云ってもどうも少し焦がしたぐらいの物が旨い。
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ある肌寒い残暑の夜

2006-08-25 | 料理
昨晩は、隣町へ食事に行った。夕方7時を過ぎても大変明るく、まだ目を通していない新聞を抱えてぽつぽつとワイン畑を歩く。久しぶりの晴天に、斜めから射す太陽が首筋に暖かい。

前方から小柄な女性がこちらへと向かって近づいてくる。挨拶した時の反応が中国人の様であった。東アジアの初老の女性としては比較的体格が良いので漢民族に違いない。町に在ったただ唯一の中華料理屋も知らぬ間に閉店して大分経つので、この町で何をしているのかと訝しげに思う。

葡萄の房は、一部が食べられるほど実るも、上部には未発達な房が放置されている。陽気のせいで隣町に着く頃には体も暖まって、僅かに草生した感じが残暑と言う気配もするが、汗を感じるほどでは全く無い。隣町の長い石畳の道路を町の反対側へと進むと、窓から老人が外を覗いていたりする。PARK UN LAAFと言う方言の駐車案内の看板を見ながら、目的のレストランを目指す。

予想を超える賑わいで、室外だけでなく室内も一杯である。顔見知りの給仕人に空いている席を訊ねると、あるとは思わないと言うので、相席を自ら探す。二人のご夫人がかけている、天井が開いた元ぶどう棚の下の大きなテーブルを見付け、相席を申し出る。

足の不充分な八十歳を遠に超える白髪の母親と娘さんである。母親の方が何かと興味がありそうで話していると、神戸のフロインドリープのご主人の従兄妹さんと判明する(古いと言う会社の英語の名前を聞いても分からなかったが、後でネットで確認出来る。)。神戸の独日混血の跡取りと結婚した様だ。

NHKの朝のTVドラマなどで有名なお店である。子供の頃に立ち寄った記憶が薄っすらとあるが詳しくは思い出せない。こうした例は他にもあって、戦時中に神戸に駐留していた父親と住んでいた娘さんもワイン街道に知っているが、詳しい事情は話したがらない。彼女には、ドイツ人のお隣さんが出てくる谷崎の「細雪」を薦めた。父親はUボート関係かとも思ったが、それこそ親衛隊関係だったのかもしれない。また神戸製鋼創立時に技術指導したエンジニアーの孫も知っている。明治以来の独日関係は深く、港町神戸にも特別な関係を築いている。

比較的新顔のブロンドの給仕人嬢に、先ずはリースリング・シューレを注文して、結局お勧めの豚の薄切り肉カルパッチョと焼きジャガの皿と注文する。それでは満足できずに林檎ソースで食べるライブクーヘンと言う、カトルフェルプッファーの一種であるジャガ芋を卸して焼いたものを量を減らして食後に注文する。料理に付いては十分に説明出来ない給仕嬢ではあるが、この気使いは嬉しい。ソースの甘さを確認してから、半辛口のワインに切り替える。

肌寒くなって来たので、同席のシュトッツガルトに住む娘さんは、母親に羽織るものを盛んに薦めるが、ワインを飲んで温まるからいいんだと言い張り、皿を全部は食べられないながら、言い残すことが無いとご満悦である。日本人の親戚連中がやって来た時、ワインを楽しんだが、あるところで急に飲めなくなることに気が付いたと言う。分解酵素の話である。娘さんの旦那さんは67歳で、今もクライミングを楽しんで元気だと言う。

暗くなりかけて、娘さんに腕を支えられながら杖を突いて出て行く。薄暗闇でギュンター・グラス関連の記事などを読みながら、隣の席の奥さん連れの年寄りのオヤジ達が絡みがちに給仕嬢の腕に触れているのが苦々しい。

18ユーロ幾らかの支払いにチップを弾んで20ユーロをカードで支払う。帰路の夜道を歩くと、今晩は珍しくライン平野から吹き上げる風が、数キロ離れた鉄道の音を運び、空をゆっくりと巡航するP3Cの緩やかな響きと投光機がかすかに意識に入る。夜間灯を付けて作業するトラクターも光を投げかける。

好ましく選んだワイン畑の中の往路と復路は、街道を挟んで反対側に其々平地と山裾に位置する。町に戻って入ってくると、往きに気が付いていた病気の親仁さんの家に白い恐らく呼び鈴のコードが上階の窓へと延びているのを確認する。下の階の窓が親仁さんが自宅療養している部屋なのだろう。
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知っていたに違いない

2006-08-24 | 歴史・時事
ギュンター・グラスは、コール首相とレーガン大統領の慰霊碑訪問に対して、1985年の5月6日以下のように演説した。そして同年5月10日ツァイト紙は、書名付きの文章「授かった自由-無機能、罪、過ぎ去った好機」として掲載した。

― この度、 無 実 の 立 証 が見出しにまで躍っているのを知っています。我々は、今首相に向かおう。根っからのものでは無いが、無実の星の下に生まれたと言う首相にである。彼が1950年代当時に非ナチの証明書を手に入れたのは判っている。しかしである、ガス室の、大量虐殺の、民族根絶のドイツ国民の殆どがなにも知らなかったというのは一体どう言うことなのか?こうした無知は潔白を語っていない。それこそが罪であって、取り分け言われるところの、大多数が強制収容所が存在する事を知っていたのである。其処にいるのは、アカとユダヤだと言うことを。こうした知識は、後からもどうしようも救いようが無い。これで、「自尊心溢れる無実」と相殺される事は無いのである。皆が知っていた、知ることが出来た、知っていたに違いない。

授かった自由は、当然のものとなった。つまり、開口すれば、違うと言うべきが現代なのである。であるからして、1970年12月にブラント首相がヴァルシャワを訪問した際、ジークフリート・リンツと私は同行した。お互いの不利益を承知で、東プロイセン人とダンチッヒ人はポーランドの西部国境の承認に同意をした。ドイツ・ポーランド協定が結ばれた。これは強調されるべきなのである、なぜならば先日ドイツ首相はポーランドとの協定を危ういものとしたからである。馬鹿な狡賢さは、引揚者に取り入って、信頼できない者となった。これに続いて彼の為政術を証明する事となった。この首相のイスラエル入りは遺憾ながら思い出となり、アメリカ大統領との友人関係において、5月8日は一つの寄せ集められた歴史と相成った。当然のことながらユダヤ人ならびにアメリカ人やドイツ人を、全ての当事者をメディア上で傷つけたのである。コールはドイツの歴史に余分な負担を明らかとしたのである、まるで重荷が十分では無いかのように。しかし、こうした苦難を我々は受けるに値するのだ。―

これを今読むと当時の社会・世界状況が分かり、どのような顔をしてこうした演説ができるものかと思う反面、「皆は知っていた。」と言う言葉の重みは際立つ。実際、当時子供であった者の言い訳として、「まさかアウシュヴィッツのような事になっているとは知らなかった。」と言う友人はいる。

こうした感覚の麻痺は、戦時下では当然のことなのであろう。ここから学ぶことも多いが、戦時体制に入るまでナチ政権にしても永年に渡り体制を固めて行ったのである。だから対プロレタリア革命を旗印に洗脳・教育されていた大衆を理解できる。テロリストグループなどよりも国家的テロは、その初期段階で叩かなければいけない。

その辺りの時の流れの中での論調の構築は、戦後の冷戦下からデタントを超えたイデオロギーの左右対決構図の最終時期をも特徴付けているのだろうが、現在からするとおかしな情景にしか見えない。より多くの読者がコール首相のあまりに素朴な言い分に共感を覚え、イデオロギー色の強いグラス氏の演説により多くの違和感や怒りを抱くかもしれない。

そうして、ポーランドから米国への難民である「戦時下の偽り」の著者ルイス・べグリーことルートヴィッヒ・ベグライターは、グラスの態度を「平和時の偽り」として糾弾している。相対化して米軍の人種差別をあげつらう人種主義者とも非難する。

グラス自身が書くように、彼は「馬鹿な自負」を持っていた確信犯の親衛隊であって、捕虜や終戦を機会に一朝一夜で宗旨替えが出来るわけが無い。それが普通の人間である。だからこそ転向して戦後イデオロギーの意匠をもって活動して来たこの作家は、東独の共産主義者のようにイデオロギーに戦中も戦後も囚われ続けた。多くの官僚や下級役人や企業家の様に、その精神は蝕まれ続けた。

本日、食事をするために隣町へ歩いて行って帰って来たが、道すがら考えても、人類の永遠の課題の様なこのような現象には容易に解答が見つかる筈が無い。(不公平に扱われる英霊 [ 歴史・時事 ] / 2006-08-23 より続く)



参照:
正当化の独逸的悔悟 [ 文学・思想 ] / 2006-08-13
似て非なるもの [ 雑感 ] / 2006-08-14
78歳の夏、グラスの一石 [ 歴史・時事 ] / 2006-08-15
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不公平に扱われる英霊

2006-08-23 | 歴史・時事
ギュンター・グラスの新著第一刷の付録に相当する文章を読む。子供時代から捕虜になる瞬間までと収容所の生活までを流し読んだ。思いのほか迫真に満ちた厳しい内容である。引き続き読み進める。

その前にヘルムート・コール首相が、ナチ親衛隊の英霊をも祀るビットブルガー慰霊碑に、レーガン大統領を伴った際の見解と、そのときのそれに対するギュンター・グラスの糾弾演説内容を併記したものを紹介する。時は1985年5月のことであった。

相当するコール元首相の手記は、昨年の秋に出版された自著追憶集からである。そこから掻い摘むと概ね次のように語っている。「私のそしてレーガン大統領の反対派からの攻撃には大変うろたえた。私の努力は、両国民間の和解を意図したものであった。」と初期の目的を弁明する。

「そもそもこの地域で戦死して町の墓場に埋葬された兵隊達を、第一次世界大戦のものと含めて、新たに1959年に纏めて葬ったものである。どこの記念碑とも同じく、ドイツ戦没者慰霊碑協会の仕事であって、親衛隊所属の兵士が含まれているが普通なのである。」

「アメリカ大統領が親衛隊の英霊に贖罪の姿勢を示す?あまりにも大きな批判が集まった。親衛隊を知っているものならば、入隊の指示を受けたなら逃れようが無かった事は周知なのだ。」

「私は、当時祈念パネルの名簿から逐一名前を書きとらせた。そしてそれをみると49人の英霊の内の32人が二十五歳に満たなかった。十七歳、十八歳、十九歳の若者たち、あまりに短い命であった。彼らは、野蛮な戦争に散ったのである。」

「国家社会主義の偏在する暴力を逃れる事を出来なかった者たちは、色々と不公平な扱いをいつも受けている。ヒットラーユーゲントの少年たち、戦士達、しばしば役人たちがそうである。」

「そうした不公平の程度は、しばしば偶々の年齢であったり、生活環境であったり、為政者の横暴に準拠しているだけなのである。」

ギュンター・グラスの批判(知っていたに違いない [ 歴史・時事 ] / 2006-08-24)に続く。
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八月の雪のカオス

2006-08-22 | その他アルコール
それで、雪だ。- 全てに混沌を齎す雪。
雪が降る、一月に、そして五月にもそれほど少なくなく、八月にも、君が気が付いたように雪が降る。総じて言えば、雪が降ること無く過ぎ去る月は無いのだ。これは、断言できるよ。

Und dann der
Schnee – er bringt alles durcheinender.
Es schneit im Januar,
aber im Mai nicht viel weniger, und im August schneit es
auch, wie du bemerkst. Im ganzen kann
man sagen, daß kein Monat vergeht,
ohne daß es schneit, das ist ein Satz,
an dem man festhalten kann.

トーマス・マン作「魔の山」より。

ダヴォースで八月に雪がちらつくとすれば下旬の事だろうか?標高からすれば、偶に頂上にかかる雲とか雷雨時に風花が舞い落ちたり、雹が降るのかもしれない。夏の情景である。

この一説は、先にサナトリウムに逗留していた長患いの従兄弟が新米のハンス・カストロプに対して、山の生活の鬱陶しさを語った場面ではないかと想像する。当時のサナトリウムの部屋からダヴォースの町とその教会の鋭塔を眺めた白黒写真がカレンダーに印刷されている。クライマックスである雪の遭難シーンは終盤にやって来るが、この一節は、その後混沌とする世界大戦勃発で終わる物語の破局の伏線なのだろうか。

響きが良い。特に二行目の名詞・シュネー[∫ne:](雪)の喉からの響きを主語・ エル[er](彼)の嵩高感とその後の動詞の切れ、それを受ける副詞・デュルヒアイナンダー(乱雑に)への、あたかも硬くも柔らかく、冷たくも融け行く嵩高い雪の性質をカオスとして表現する語り口は見事である。


試供品として貰ったドイツのブランデー・アスバッハのリキュールに氷を一欠片入れて、ちびちびと舐める。ブランデー41%に対して30%のリースリングのアウスレーゼを加えて、19度のアルコールとしたものである。残りの19%はなになのだろうか。少なくとも甘く、後口が悪い。出来の悪いアウスレーゼを巧く味を調整して、一定の味覚を作っているのだろう。ワイン産地では、ウィスキーは好まれてもブランデーは好まれない。
´


参照:
山間の間道の道端で [ 生活 ] / 2006-03-24
即物的な解釈の表現 [ 文化一般 ] / 2006-03-23
谷間の町の閉塞感 [ 歴史・時事 ] / 2006-03-22
時間差無しに比較する [ 音 ] / 2006-03-21
高みから深淵を覗き込む [ 文学・思想 ] / 2006-03-13
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矮小化された神話の英霊

2006-08-21 | 文学・思想
神話と言えば、先日の靖国参拝の新聞記事を見て、こんなに安っぽい神話があったのかと思わせた。FAZ新聞の東京特派員は、数ヶ月前からソウルに移っているようで、特別に東京へ飛んで靖国問題を取材しているようだ。

記事内容は期待していなかったが、幾つかの点で上手に纏めている。先ず興味を引いたのは2002年に完成した併設の展示館施設の紹介である。戦闘機や対空砲、特攻隊の展示は、「靖国は平和への記念碑」であると言う言明に合致しないとしていて、少なくともこのような国粋的で弁明に満ちた展示は「記念碑」とは切り離されるべきだとする。

序ながら、読者の反応には米国やフランスの類似の展示も似通っておりことさら上げる必要は無いという、相対化した意見もある。

もう一点、米国側の多大な関心としてコロンビア大学の教授であるジェラード・カーチス上院議員の見解を採りあげている。実際、上のような展示の善意の根拠となるほど、日本の侵略・植民地活動はアジア解放として充分に認知されているのだろうか?これは、プロシアのチェコやポーランドでの植民活動にも似ていて、双方の認知が必要である。これはパールハーバー攻撃の是非を問う時にも重要な視点となるのだろう。

この記事は「なぜにこれほどまでに靖国に心を奪われる」を副題をとして、老若男女が閣僚に倣って頭を垂れる写真が載っている。どこか敗戦の年の写真のように大変滑稽に見受けられる。それも彼ら彼女らは肩から政治的圧力団体を示す遺族会の襷をしている訳でもなく、一体この人たちはどういう人たちだろうかと思わせる。

今やこの中に、死者行方不明数比率で四対一となる各々、軍属の二百四十六万六千三百四十四人、民間人の六十万人ほどの故人の権利を語るべき直接の利害関係者がある遺族がどれほどいるのだろうか?年末年始の参拝に準じる年中行事となりつつあるのだろうか。

戦後の民族主義を考える場合、どうしても三島由紀夫などの文化人の卓越した表現が思い起こされるが、現状はどうしようもなく薄っぺらで詰まらないものになっていることか。宗教どころか文化として扱われるのすらおこがましい。どうもこうした神話ものは、白昼の強い光の下にさらされると色褪せてしまうらしい。

現代においては、寺社仏閣やそれを取り巻く環境への神聖なイメージが枯渇してきているだけでなく、そのような精神生活自体が営まれないところでは、いかなる神聖さも荘厳さも存在しない。それを取巻く知的な批判もなければ、そうしたイメージへの芸術的洗練もなされないので、ますます陳腐なものとなっていく。

そもそも、明治革命の近代化の中で、お門違いの侍精神やナイーブな神道や尊皇攘夷の思想が富国強兵の軍事社会体制の枠組みとして利用された滑稽さがあったからこそ、三島はカミカゼを待ち続け待ち望む者とその空虚な覚醒を1272年の世界を舞台に短編「海と夕焼け」に描いている。

想像力やイメージを枯渇させるものは、文化の政治的利用であり、陳腐な贋物文化への啓蒙活動なのである。神話はもっと身近に大切にしなければいけませんよ、と言う教えだろうか。



参照:
恥の意識のモラール [ 文化一般 ] / 2006-05-21
豊かな闇に羽ばたく想像 [ 文化一般 ] / 2006-08-20
78歳の夏、グラスの一石 [ 歴史・時事 ] / 2006-08-15
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豊かな闇に羽ばたく想像

2006-08-20 | 文化一般
2006年バイロイト祝祭劇場の「ニーベルンクの指輪」新演出の批評が続く。先日のドルスト演出公演の失敗をユルゲン・フリム演出のつまらないと言う評価の公演に重ねる。

準備不足の生半可な演出と上演結果を招いて、向こう六年間のヴァーグナー祝祭公演の低調を決定付けたのは、演出を請負いながら途中で放棄したフォン・トリアー氏に違いない。

そしてここに来て映画「ドッグヴィル」で秀逸な成果を見せた当代を代表する映画監督の幻のバイロイト新演出の下書きが注目されている。映画の配給会社のホームページ(Links)で挫折への道のりと前夜際に続く第一夜「ヴァルキューレ」と第二夜「ジークフリート」のト書きを読む事が出来る。

これを新聞で紹介しているユリア・シノポラ女史は、何とか初日にこぎつけたドルスト演出よりも、フォン・トリアーの「指輪」が実現していたならば、シュリンゲンジッフの「パルシファル」と同様に、その予想された芸術的な破綻はより多くの視界を開いたのではないかと無念がる。

この批判の根底には、ここ数年盛んであった「劇場オペラ演出の時代は終わった」とする見解がある。フォン・トリアー氏のプランを読むと、「豊かな闇」をモットーとして、イリュージョンの世界を創出しようとしたようだ。初演の自身の演出にも満足しなかった作曲家が目指したものは、現代で言えば「ライヴの映画」と音楽であったとする。

このコンセプトと完璧への欲求が、舞台と奈落と客席の空間別けの伝統と初演当時に求めたような「蝋燭の光の効果」への投資を困難にして、計画を挫折へと導いた。当然のことながら知的分析と明晰な感性を要求される音楽には保守的な指揮者では要を得なかったであろう。

劇場の聴衆の想像力の中に活き活きと存在する神話の神々は、「緑の丘」には結局戻ってこなかったが、そうした可能性を示唆しているに違いない。主役は、作曲家の構想の下、今や指揮者でも演出家でもなく、況してやドイツ語の歌えない歌手などでは決してなくて、プロジェクトを使いこなす映画監督で、そして何よりも聴衆の想像力なのである。もともと初演の舞台は暗くて、作曲家にも初演の歌手の顔の見分けなどは出来なかったとするのが面白い。
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しゃっきっとした食感

2006-08-19 | 料理
ソーセージを二種類試した。ペアーでフレンキッシャー・ブラットヴルストともう一本はフランスのレシピーによる物であった。

フランケン地方の焼きソーセージは、見た目にはテューリンガー風に細いが、ヴィーナーやフランクフルターのように長い。中身はあまりざっくりではなくて比較的肌理が細かった。

フランス風と言うのは、唐辛子が赤く沢山入っていて、北アフリカ風と言うか、スペインにあるような辛いソーセージであった。

双方とも、いつものようにヒタヒタト湧かせたお湯に15分ほど浸けて、中に火を良く通す。太いブラット・ヴルストではないので、短めでも良いかと思ったが、お湯から上げてから、強火のフライパンで手短に焦げ目を付けるためには十分に火が通っている方が好都合である。

綺麗に焼け上がったところで、煮赤キャベツとジャガイモを付け合わせとして、しゃきっとした焼き上がりを楽しむ。

ボックスボイテル入りのフランケン地方のワインといきたいところだが、手元にないので地元のワインとした。
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猫飯好きのお嬢さん

2006-08-18 | 
昨晩の独日協会の月例会で、昨年の秋から今年の7月初旬まで半年間、大阪のカトリック系女学院でドイツからの交換留学生として過ごした、ティーンエージャーに紹介された。

過去にも同様の経験を持つ女の子に会ったが、この度の彼女の日本語力には驚くべきものがあった。特に、昨今の女子高生の大阪弁風の符丁を聞くのは大層愉快だった。

それは耳から入った言語であり、特に十代の若い脳にはすんなりと入り込むのだろう。敢えて言えば、関西のざっくばらんな環境は他の地域よりも、こうしたコミュニケーションの基礎がその社会にあると言っても良い。

標準語を正しく喋ろうとする地域ならば、どうしても書き言葉優先のコミュニケーションになってしまうからである。つまり、体で覚える外国語としての日本語環境としては大阪は最も優れているかもしれない。

さて、このお嬢さんに感心したのは、勉強を初めてからまだ一年も経たないうちに漢字力も読解力も結構身に付けた語学能力である。子供の頃からフランス語や英語に馴染んでいて、ラテン語の単位も取っているので、マルチリンガルのお手本のようで、欧州語以外の未知の言語をも習得するコツを身に付けているのだろう。

日本文化に対する興味はこれからかもしれないが、永い柔道経験と合気道もこなしていて、またこれにも驚かされた。小柄ながらも競泳にスポーツに勤しむ心身の健康さが宜しい。

それだけに活動的な若いお嬢さんらしく食事の話が面白かった。「ご飯がおいしい。」と言うので米のことかと言ったら、「猫飯(ねこまんま)」が好物だって。懐かしいというか、珍しい言葉を聞いて驚いたが、良く考えるとその正統「猫飯」を説明出来るほどに詳しくはない。鰹節入りと言うのは分かるのだが。

納豆が嫌いでたこ焼きが好物に挙がるのも大阪在住らしくて良いが、大阪名物塩昆布や佃煮が駄目らしい。どうせおいしい食べ方のコツを学べなかったのだろう。ご飯に何が好いのと訊ねると、「海苔」とかえってきた。何よりも「山芋が好き」には驚いた。山芋を掛けた蕎麦などと言われると、少し構えてしまう。流石に自然芋とは言わなかったので、漸く冷静さを保てた。これはドイツのヴェル・フライシュに匹敵する珍味の世界である。

偶々会合のあった寿司屋で彼女が注文した鉄火どんぶりのネタは解凍が巧くいっていて良かったのだが、ご飯に唐辛子やらなんかのたれが強くかかっていて、「めっちゃ辛いー」とか言うので一口摘まして貰って「ご飯のお替りを貰わなきゃ」と言ったものの、其処の中国人たちに通じないな思われた。四川風のもしくは南蛮風の鉄火どんぶりであった。

女学校の制服の話も出たが、これは残念ながらホームステー先のお姉さんの借り物を着ていたので、持ち帰っていないらしい。コスプレ大会に是非お姿を見せて欲しかったなどと言うのは、その辺のオジサンだろう。

彼女のなにやら弾けるような若さに絆されながらも、日本文化も結構ややこしいものだと、再確認した次第である。書籍、『あたたかな気持ちのあるところ』の次ぎの貸出先はこれで決まった。
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