Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2005年4月 

2005-04-30 | Weblog-Index


荒野に生えた葡萄 [ 歴史・時事 ] / 2005-04-29 COM0, TB0
グラスに見るワインの特性 [ ワイン ] / 2005-04-28 COM0, TB0
月末の夢判断 [ 雑感 ] / 2005-04-27 COM4, TB0
プレゼンテーション上手‐試飲百景 [ ワイン ] / 2005-04-26 COM0, TB1
行進しても喉が渇かない [ 生活・暦 ] / 2005-04-25 COM3, TB0
右の耳が痒いから [ 歴史・時事 ] / 2005-04-23 COM2, TB1
決まり手 脂肪落とし [ 女 ] / 2005-04-23 COM0, TB0
立ち入り放題のユートピア [ アウトドーア・環境 ] / 2005-04-22 COM0, TB0
素裸が雄弁に語らないもの [ 文化一般 ] / 2005-04-21 COM5, TB2
IDの危機と確立の好機 [ 文学・思想 ] / 2005-04-20 COM8, TB2
リースリング用のワイングラス [ ワイン ] / 2005-04-19 COM2, TB0
意志薄弱なワイン談義-試飲百景 [ ワイン ] / 2005-04-18 COM2, TB0
歴史政治の遠近法 [ 歴史・時事 ] / 2005-04-17 COM3, TB2
パン屋の売り子 [ 女 ] / 2005-04-16 COM0, TB0
マイスターのための葬送行進曲 [ 音 ] / 2005-04-15 COM3, TB0
お得意さん向けの壁 [ 雑感 ] / 2005-04-14 COM2, TB0
失効した終身運転免許証 [ 生活・暦 ] / 2005-04-13 COM5, TB1
綾織の言葉の響き [ 音 ] / 2005-04-12 COM4, TB1
人のためになる経済 [ 文学・思想 ] / 2005-04-11 COM3, TB1
黒タイツの女子行員 [ 女 ] / 2005-04-10 COM2, TB0
どこから来てどこへ行くの [ 文学・思想 ] / 2005-04-09 COM14, TB11
エクスポートビーア/Das Exportbier [ その他アルコール ] / 2005-04-08 COM3, TB0
困った時の時計職人の技 [ 雑感 ] / 2005-04-07 COM2, TB0
神の器官の痛みを分けて [ 女 ] / 2005-04-06 COM3, TB4
黴の生えた高い民意 [ 歴史・時事 ] / 2005-04-05 COM6, TB0
鍵の架けられた法王執務室 [ 生活・暦 ] / 2005-04-04 COM13, TB9
骨董化した空間のデザイン [ 文化一般 ] / 2005-04-03 COM0, TB0
工業化された時間のデザイン [ 文化一般 ] / 2005-04-02 COM5, TB0
熊が出没!? [ 生活・暦 ] / 2005-04-01 COM3, TB1

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荒野に生えた葡萄

2005-04-29 | 歴史・時事
大銀行家ジァメ・ド・ロートシルトの記事が載っている。ロシアの政治社会歴史資料所で、ハインリッヒ・ハイネがカール・マルクス夫人ジェニーに送った手紙がこの度発見されたと言う。カール・マルクスに言わせると、「七月革命政府は、フランスの富を搾取した株式会社」で、その社長であるオルレアン公ルイ・フィリップ王の退位により1848年の二月革命がなされると、国債も没落する。今回、ハイネの失った財産がその国債による事が確認されたらしい。既に見付かっていたロートシルトからハイネへの手紙にフランス国鉄の債権などを理由に国債の購入が薦められている。更に没落後に今度はハイネからロートシルトやその妻に、「私は犬のように病気で、馬のように働いて、今や教会の鼠のように貧しい。」と苦情を認めている。

フランクフルトのゲットー出身でイスラエル建国まで経済的に支えたロトシルド家の歴史は、近代の経済史そのものであるのは周知の通りである。しかし、こうしてハイネ研究の畠からこのような史実に光を当てられると、詩人のパリへの亡命やひいては近代の思想と経済の構図が浮き彫りになる。更にトリアー出身のマルクスの父ヘルシェルが既にプロテスタントへ改宗していた事も見逃せない。

バロン・ロートシルトは、既に死去していた兄のナターンを見習ってその子息が跡を継ぐワイナリーの近くに、経済難により競売に出ていたメドックの土地を最晩年の1868年に獲得する。現在もラァフィット・ロートシルトとして高名なこのシャトーは、当時既にルイ宮廷内で有名であった。よってその屋敷は、革命の被害を逃れるためにも厳重に防御されている。一方、兄の子孫が経営するムートン・ロートシルトの方は、今でも三重の立体ダビデの星を付けた門を開き観光客に解放されている。

これらは「ロスチャイルド家の歴史」としては微々たる事実である。しかし、哲学思想の背景として捉えると俄然興味が湧く。例えば、ジェームスは一度もフランスへ帰化する事もなかった。本人は、この楽園を一度も尋ねる事はなかった。パリから遠く離れたメドックの美しい葡萄の園や西の大西洋へと開くその空間は、恐らく彼にとって何時か見た「定められた構図」であったのだろう。



参照:
高みからの眺望 [ 文学・思想 ] / 2005-03-09
行進しても喉が渇かない [ 生活・暦 ] / 2005-04-25
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グラスに見るワインの特性

2005-04-28 | ワイン
ワインの試飲用グラスの写真を掲載する。一番右の物がインターナショナルタイプで広く使われるものである。一番左がドイツの伝統的な試飲グラスである。真ん中はその変形で数年前まではバッサーマン・ヨルダンで使われていたものである。

試飲グラスは、検査用とか専門家モニター用とか言われる製品群と同じで、検査対象の違いをハッキリさせるためのグラスでワインを愉しむグラスではない。このようなグラスを家庭向けに使う意味はない。実際、このようなグラスを試飲に使う醸造所は殆んどない。何故ならば、一般消費者に対して商品をアピールするためには、愉しみ方をアピールする方が近道であるからだ。

それでもこのような試飲グラスから学ぶ事も出来る。その前に、ドイツ語圏で最も有名なリーデル社のカタログを覘いて見よう。食器洗い機などのTVスポットでも登場するこの会社はオーストリーの伝統豊かなグラスメーカーである。

ネットで紹介されているワイングラスを一通り見ても、リースリング用に理想的と思う商品がなかなか見付からなかった。何故だろうか。これを考えるとリースリングの本質が分かる。

先ずは、「ワイングラスシリーズ」の中からリースリングと名付けられているものは、比較的試飲の場合等に使われる形状である。決して悪くは無いと思うが、これに鼻を入れると思いのほか酸の沸き上がりが強くて咽る事が良くある。深い窪みにガスが溜まるからだ。縁の絞りの緩さはこれで良いが、空気と触れ合うためには深すぎるような感じがする。リースリングのエアーリングである。

二つ目の、「ラインガウ」タイプは新鮮なワイン向きに考えられているようで、舌の先端への流し込みで甘さの接触を意図している。辛口で若く酸がありアルコールが弱いラインガウのリースリングの甘味?を愉しむらしい。クラッシックなラインガウワインの、例えばハノーバー公のフォン・ジンメルンとか一昨日悪天で水に浸かった歴史的ケラー・クロスター・エアバッハ、旧プロシア王のシュロース・ラインハルツハウゼン等を意味するのだろうか。但し、カイザーから三月革命で失脚した宰相メッテルニッヒへの下贈地のヨハニスブルク産とは違うようだ。カタログを良く見ると、なるほど推薦ワインにグリューナー・ベルトリナーとリースリングが並べてある。

概ねここのグラスは、オーストリーワインが脳裏にあるようだ。形状からどちらかと言うと、リースリング向けとシャドネー・シャブリ向けに指定されている浅めのグラスの中間が存在すればドイツのリースリングには合うような気がする。つまり、このカタログではドナウのリースリングやグリューナー・ベルトリナーが白ワインの代表となっている。それでは、ラインガウやモーゼルもしくはプァルツのリースリングは何故違うのか。

答えは、その酸の湧き上がりと空気に触れて広がるアロマの豊かさである。これは、ヴァッハウやクレムスのリースリングには求め難い。こうして再びドイツワインの試飲グラスの形状に注目すると、この両面が考慮されている事が分かる。

愉しむための理想のリースリング用のグラスを追い求める一方、翌日に飲み残しなどを注ぐ時は既に上の要素が薄れていても横着せずに通常のワイン用の適当なグラスを使いたい。
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月末の夢判断

2005-04-27 | 雑感
10時15分の船に乗らなければならない。島に渡って急いで用を足さなければならないからだ。港は入り組んでいて分かりにくい。町から列車に乗って最寄の駅へと辿り着く。何処で乗り換えるのが一番良いのかが分からない。駅員に尋ねてみる。本当は手前の駅で降りてシャトルで港に向かう方が良かったらしい。それを知らずに乗り越してしまったようだ。出航の時刻が迫っている。その時間を挽回する方法を聞いてみた。すると駅員は、「正式には駄目だけどね、裏の通用口から線路に下りて、次の階段から道路に下りたら随分と早いよ。間に合うためにはそれ以外に方法がないからさ。気を付..」と教えてくれる。後ろを振り返りつつ礼を言いながら既に歩き出していた。

そうして急いで、プラットホームの後ろ側の鉄の扉を開けて、非常階段状の通路を降りていく。踊り場で向きを変えて、線路に躍り出る。黒光する線路に沿って後ろを振り返ることもなく、教えられた方向へと進む。砂利に足をとられてなかなか歩みが進まない。やっとの事で、道路へと降りる梯子を右の肩に見つけた。手を汚し、服に錆がつかないかと躊躇しながら日陰の冷たい鉄の棒を握る。

暗い道路にやっと降り立った。裏道である。高架と大きな建物の影にスッポリと包まれている。ビルの隙間から明るい空が見える。そこには海がある筈だ。桟橋を目指して暗い影の中を空を目指して突き進む。時間がない。

するとそのポッカリと空いた間隙を大きな舳先を見せて大きな船が船出して通り過ぎるのが見えた。黒っぽい巨大な客船のようだ。青い空は、その巨体に隠されて辺りは暗くなる。若しかしてと言う不安に心が翳る。しかしあの島に行くのにそのような客船は必要がないので、きっと気のせいだろう。

波止場の水際に着いて、右のターミナルの方へと進む。向こう側の突堤へと渡らないといけないので、長いタラップのようなエスカレーターに並ぶ。旅行者で一杯である。そのタラップは、網状になっていて下から強い風が吹きつける。揺れるタラップの遥か下には真っ青な海が広がる。エスカレーター式にその人の列は上げって行く。気になって財布を調べる。通行料を払わなければならない。1ユーロしか入っていない。列を戻る事は出来ない。そもそも引き返す時間などないのだ。

タラップが上へ着くと左へと曲がり、スキー場のリフト小屋のような所で足ふみをすることになっている。小窓の向こうにいる、茶色系の髪の実直そうな男に、「これしか手元に無くて、船が出るので、急いでいるので何とかならないか?」と問う。すると男は、「その船は出航してしまったよ。残念だな。次は、10時45分だよ。金が無いのか?」と朴訥だが親切に尋ねる。財布を開けて中をひっくり返して見せると、「仕方ないな。俺が払った事にしとくよ。貸しだよ、帰りに、返してくれりゃいいさ。」と、その男は言う。彼がスイッチを押したのか足元のコンヴェアーが再び動き出し、左後ろに振り返りながらその男の名札を見る。マルティン・シュトロープと書いてあった。小屋を回ると広い海に大きな客船が停泊した風景が広がっていた。

40メートル程下のキラキラと乱反射する海面から吹き付ける風に、突如足元が消えて目が覚めた。
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プレゼンテーション上手‐試飲百景

2005-04-26 | 試飲百景
プライベートの小規模で敷居の高いワイン醸造所を、通りかかりのツーリストが訪ねる事は先ずないだろうが、予め調べた熱心なワイン愛好者は好んで買い付けに訪れる。そのような醸造所では、大きな犬を飼っていることが多い。試飲のための場所はプライヴェートの領域とあまり離れていないので、大きな犬は用心棒代わりにもなる。

車や人が屋敷内に侵入すると本格的に嗾けられて、主が指示を出すまで臨戦対制にいる犬や主に絶えず付き添って警護する犬など様々である。流石に試飲の最中は、犬を追い払う。だからその犬が臭などを放って周りをうろうろして、公平な評価を邪魔したことはない。

さてこうして第一関門を通って試飲室に通されたりするのだが、そこでも必ずしも寛ぐ必要はない。試飲前の質問を通して関心の有り所を、経験を通して自身の好みを表明して、手際よく試飲の大まかなプログラムを決定したいものである。この試飲前の会話が薦める側、薦められる側双方にとって、幸運を齎す事が多い。

それにも拘らず、兎に角ワインを注ごうとする場合、薦め方が確りと定まっている事もある。クラッカーを出したり黒パンを出して口を整えさせる時などもこれに当たる。こうして個人の受け取り方のばらつきを補正して真価を問うてくる。そうする事によって初めて、一口目の印象を際立たせる事が出来る。薦め方を知っていると言えよう。

プライヴェート醸造所の個性は、謳うコンセプトなどよりもそのような試飲風景から大きな印象を与える事が多い。総じて小規模プライヴェート醸造所は、ご贔屓筋が少ない分、熱心な信奉者が大切である。だから価格が同様な設定の場合、それをわざわざ選ばせるだけのプレゼンテーションの上手さがその醸造所の技量ともなる。それが出来る醸造所は、大抵ワインにそれだけの個性がある。
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行進しても喉が渇かない

2005-04-25 | 生活
昨日、初めてハムバッハー城へと 歩 い て 登る機会を得た。フランス革命を受けてのドイツにおける1848年の三月革命までの市民民主運動の芽となる。ヴィーン会議後の正統主義の秩序体制と反動に対して1832年5月21日に三万人が集結する。その群集がデモンストレーションして行進する道である。黒・赤・金の三色旗が振られ自由と連邦ドイツが叫ばれる。フランスやポーランドからの同志を交えて、自由・民主主義を旗印にロシア・プロシア・オーストリー神聖同盟への対抗色を鮮明にした。ハインリッヒ・ハイネは、「ハムバッハーでの日々は、多くの成果を持ってドイツの一般的な転向を可能とする。これは、自由の女神が我々に与えた日々である」と満足している。

その森は今、ブナの感じ易そうな新緑が淡く漂い気持ちが良い。生憎、夕刻近くになり雨空となったが、それ程濡れる事もなく出発地へ戻り、粗3時間半の行程を終えた。文字では表現し難い雨降りの匂いが懐かしい。

暑くも寒くも無く、喉が渇くことも無かったので、途上それ程水分を補給することも無かった。しかし夕食後に改めて、ギメルディンゲンやケーニヒスバッハのワインの注がれたグラスを傾けた。地下のワイン蔵を改造した酒場では、有名なワイン地所メーアシュピンネン(海の蜘蛛)に因んで、ぶら下っていた巨大な蜘蛛の張りぼてが取り払われていた。10年以上前に、矢張りここへワンデルングの帰りに大人数で寄って以来何度となく通った。この蜘蛛を見せて驚かすのを楽しみにしていたものだ。嘗てのここの雰囲気は、だから男性が考えるほどに女性には、今ひとつ好意的には受け入れられなかったのを知っている。

リースリングワインを味わって談笑していると、その「後味」の話となった。この後味は、香りとか酸の出方とかに勝るとも劣らず重要な要素である。後味と言うぐらいだから「中味」と言うか核となる味がある筈だが、これはあまり微妙な批評とはならない。全ての要素が一挙に押し寄せる「中味」は分析が難しいからだろう。それと較べると後味と言うのは、様々な要素が時間経過に応じて減衰して行くので、その一瞬一瞬の観測が分析となる。結局、昨日試したワインは減衰のカーブが尾を引かないで切れてしまう。良く言えば切れが良いと言えるが、余韻が無いということは繊細な印象を残さない事になる。この減衰の仕方も千差万別であって興味深い。

体に行進と後味の余韻を感じながら、森で見つけた狂犬病注意の看板をアップして置こう。水を怖がることにならないように、狂暴となることのないように。


参照:
ハムバッハー・フェスト /Das Hambacher-Fest [ 文学・思想 ] / 2004-11-14
簡潔さと的確さ - H・ハイネ (1797- 1856)  [ 文学・思想 ] / 2004-11-15
首に綱をつけてエスコート [ 生活・暦 ] / 2005-02-27
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右の耳が痒いから

2005-04-23 | 歴史・時事
マックス・ヴェーバー(1864-1920)の有名な1915年の書「主要宗教の経済倫理」の「儒教」の章がネットで拾えた。西洋の宗教を比較対照とするので理解しやすい。

現在のように、宗教の存在意義が問われ、原理主義者たちの戦いが世界で繰り広げられ、EU内では遺伝子工学を初めとする自然科学の今後について激しい論争が予想される時、またグローバル化の大潮流のなかで非西洋社会のあり方が問われている時、このような視点は色々と参考になる。

簡易な言葉を使い宗教を扱っている。著者は哲学者でなくて法学者である事を先ず喜びたい。バイオグラフィーを見ると、精神病からハイデルベルク大の行政経済の教授を投げ打っており、このような宗教へのリサーチもその時期になされたと推測出来る。マックス・ヴェーバーの見解は、今後とも適宜引用するとしよう。

新秩序の確立と言う視点から、ここでバイエルン出身で連邦大統領経験のロマン・ヘルツォーグ氏に登場を願う。氏は、法律端出身でスパイヤーの行政管理高等専門学校の学長を勤めた官僚の鑑であり連邦憲法裁判所長を務めた。そこで下した最も有名な判決は、原発反対デモの禁止である。理由は、「憲法で国民の集会の自由は保障されている。少数や少数派による騒ぎが計算出来る場合は、」である。その後も議論を呼ぶ判決を下している。

ロマン・ヘルツォーグ氏が、ドイツ100年を語ると、「信念のために誰が自己を犠牲に出来るか?」と言うテーゼが挙げられる。この老獪な行政家らしい発言である。ここで氏は、イデオロギーへの自己犠牲を意味しているのではなく、戦後にナチスもしくは協力者ながらアデナウアーの内閣に入った人物や、更に多くの市町村まで含めた役人達への認識を示す。広くドイツ人へ向けられているのかもしれない。氏に言わせると、だからこそ判決には十分な配慮が必要と言うことらしい。

もう一つ顕著な意見は、「社会から援助を受ける必要のない人がそれを受ける事は、必要のある人がそれを受け取る事を目立たないようにするだけである。右の耳が痒いからといって、左の耳を掻くようなものである」。この人らしい考え方である。つまり本当の社会の公平と言うのは何処にあるかと問うことになる。

さらに、現連邦憲法は、過去の経験を踏まえて良く出来ているが、幾つかの幻想を加味していると言う。つまり裏返しに、ヴァイマール憲章下で何故ナチスが台頭したかと言うのは、法やその他のシステムに幻想を持ったからだとも理解出来る。実際家の冷めた見方のようだが、自身が言うようにこれが楽天的なバイエルン人なのかもしれない。 



参照:IDの危機と確立の好機 [ 文学・思想 ] / 2005-04-20
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決まり手 脂肪落とし

2005-04-23 | 
流行になる前から、臍だしルックを好んで着ていた女性を知っている。身長約170CM、スラブ系なので骨格もそれ程張っていない。ハーフマラソンをこなす位でシェーップ・アップしている。つまり腰周りから下も、綺麗なシルエットが出る。だからお腹周りもスッキリしている。こういうモードはそのように着こなすのが本当だろう。ブロンドの彼女は、既に40歳台も半ばでも問題なくこの服装が出来るが、色香があるというわけでもない。

男性でも同様なものを山中で着ていたのを見た覚えがある。洗濯で縮んだ様には見えなかったので、モードだったのだろう。自身で鏡の前に立って見た目を想像してみるのだが、脂肪に気をつけているお陰でそれ程酷い状態とはならないだろう。しかし、それを魅せるためには、二週間ほど腹筋を繰り返して筋肉質にしなければいけない。お腹を出して冷えると直ぐに具合が悪くなる性質なので、これを試す価値はあまり高くない。


張出大関 臍の山
 2004 08/02 編集

女性の臍だしシャツは決して悪くない。要は、清潔感の有無が問題である。臍は出さずとも男性のポロシャツも下から空気が入るので基本は同じである。車でブロンドの歩行者を通り過ぎて、思わず室内ミラーで確かめた。本来ならば臍が垣間見えるところに見渡せるのは脂肪の塊であった。臍だしというよりも廻しを腹の下に締めてるような有様である。他人の美意識についてはとやかく言えないが、何やら理由や理屈があるのだろうか。

夏の薄着は、裸に近づけば涼しくなるものとは限らない。直射日光を避け、風通しが良くて熱がこもらなく、発汗に対処出来るものでなければならない。紗や麻など素材だけでなく機能的な新素材も上手く使えるはずである。下着が映ろうが、裸に近かろうが構わないが、見た目に暑苦しいのだけは許していただきたい。薄着をして、そこはかとなしに色香を漂わし、涼しげな佇まいの女性こそが麗しくも嬉しい。
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立ち入り放題のユートピア

2005-04-22 | アウトドーア・環境
裸体と政治の関係は繰り返し示唆され議論される主題である。社会が時とともに変わればその意味合いも違って来る。つまり以下に挙げるFKKのユートピアも、知らぬうちに何処からともなく腐臭が漂いだす。革新的な文化もそのまま継承されると恐ろしく因習的で保守的なものになってくる。



FKK西東
 2004 07/10 編集

FreiKoerperKulturの略で、ヌーディズムである。それが特に旧東ドイツで発達して共産主義文化にもなった。現在でも東西ドイツでは、参加者社会層や通俗性で地域差があるというTV特集番組。「肉体も精神もありのままの自分」を受け入れ、示すということだけで十分哲学となっている。第三帝国下でもゲルマンの肉体を賛美する運動として政策にもなっており、レニ・リーフェンシュタールのオリンピック映画などもそのコンセプトで作られている。裸の共同体では、社会的な装飾も虚栄も何も無くなる。「鼻や臍へのピアスは認めても性器への装飾は認めない」、強調してはいけないという。とは言え、脂肪がついたり萎えた、あまり美しくない肉体を曝け出す画像を見ていると、「厚かましい」という印象は拭えない。もちろん個人の美意識-あるとすれば-を前提としての発言ではあるが。

同時刻別番組で右翼政党が第一党である東ドイツの村が取材されていた。見るからに産業も交易も無いような農村に囲まれた外国人労働者も住まない寂れた町である。そのような町にも外国人男性と結婚した奥さんがいる。何時ものように、平素の差別を愚痴り嘆く。取材の対象としては面白いのだろうが、閉鎖的な環境で閉塞した生活をしている夫婦の様子を見ていると疑問が沸く。移動の自由も含めて全ての自由は保障されているからである。図らしずも少数派を通して東ドイツの閉塞した社会が浮き彫りにされる。


FKKは、太陽の光の欠乏を補うために始められたものである。しかし現在は、食料でのサプリメント等も豊富で高緯度の生活が直接疾患に結びつくようなことはない筈である。それどころかオゾンホールの関係で皮膚癌の危険が広報されている。過度の日焼けに肌を傷めてしまう人も多い。

東西統一後に大成功した映画「ゴー・トラビー・ゴー」は、ザクセンのドイツ語教師がゲーテのイタリア紀行の道程を自らが辿るというストーリーである。壁が開いたので、予てからの憧れの地を探訪する。愛用の国民車「トラバント」に家族三人で乗り込んでの道中ドタバタコメディーである。

トラビーは、なんとかミュンヘンに辿り着いてそこで事故に遭う。愛車修理のために家族と別れ、逸れたままイザール川の川原に止めた車の中で一人一夜を明かす。朝日の下、川の水を汲んで掃除していると、すらっとした素裸のブロンディーヌが現れ、タバコの火を貸してくれと不意を突かれる。同じ様な風景をそこの橋の上から見た覚えがあった。実はその事に囚われて気がつかなかったのだが、上で説明したように東ドイツの当時の状況からすればこのシーンは西ドイツの、もしかすると東ドイツの観衆もの不意を突いたのではないだろうか。

ヌーディスムトビーチに迷い込んだ男を知っている。彼が語るには、ウィンドサーフィンの穴場を車で探しているうちにライン河の河川湖の浜に辿り着いた。FKKビーチに迷い込んだ事に気がついて、慌てて行き止まりの道をバックさせると、車輪を砂の浜に落としてしまった。蟻地獄から抜け出そうとあげいて車を後ろへ前へと脱出を試みる程、酷く深い轍を作ってしまった。そこへ素裸の男女が飛んで来て、車の前後から押したり引いたりして手伝ってくれたらしい。一人運転席に収まっている彼は罪の服を着ていて汗をかいた。彼は、ユートピアの入り口の門に記される立ち入り禁止の文字が読めなかったのである。



参照:素裸が雄弁に語らないもの [ 文化一般 ] / 2005-04-21
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素裸が雄弁に語らないもの

2005-04-21 | 文化一般
裸の付き合いとか言うが、本当に裸は人と人を近づけるものなのだろうか。皮膚のコンタクトを厳禁としよう。つまり視覚とか臭覚、あるいは聴覚によって裸の人間は、どのような関係を結ぶ事が出来るのだろうか。

作品番号VBが付いた「裸の女たちのパフォーマンス」を世界中で繰り広げるロングアイランド在住のイタリア女性ベネッサ・ビークロフトは、このほど彼女のVB55をベルリンのギャラリーで催した。残念ながら、実物を鑑賞することもTVでヴィデオを観る事もなかった。しかし新聞の批評やネットでの過去の画像などで、幾らかは知る事が出来た。数多くの写真で比べると今回のベルリンでのパフォーマンスは上々の出来のようである。100人ほどの若い女性を素裸にしてパンティーストッキングだけを穿かせてマスゲームを繰り広げた様子である。地元で集めたのだろう肉体的な特徴も肩や腰が張っていたりでゲルマン女性の無骨さも他の作品と較べると格段に面白い。

オーデションの選考基準がハッキリしていて、出来得る限り同質の肉体を集めたようだ。髪の毛の色は黒、赤、ブロンドと多様で皮膚の色や身長、肥痩には差異がある。同色のストッキングを穿いているので、そこでコントラストが付けられている。批評によれば「アダムとイブのパラダイスのイチジクの葉」から「天使の聖なる羽衣」で「恵みと無垢」を、人類の着衣は「罪と偽善」を示すが、こうして公の場におけるパフォーマンスはその罪を追いやり、厚かましい共犯関係を観衆と築くと言うのである。恐らく初めは目のやりどころに困ったその観衆もゆっくりとした動きの長い時間の流れに、その視覚的な皮膚感などに新たな壁を見つけることになったのではないだろうか。バレーの肉体の動きを彫塑の静に置き換えているようなものだろう。

芝居において素裸を曝す役者の話を先月ラジオで聞いた事を思い出す。それによると、女性も男性も、そこへ至る前は、最もプライヴェートなものを全て曝してしまうような気持ちがするが、実際にスポットライトが当たり舞台に上がると寧ろ皮膚による防御を感じるようだ。勿論、舞台においてお障りが無いと言う前提だろう。

モアイ遺跡で有名なチリに最も近いポリネシアの島の住民は、今でも裸族に近いようである。島の女王の座を目指す少女の裸体は、皮膚の壁を感じさせない。彼女は腰紐をつけて飾りが描かれている限り恥じらいを感じないからだろう。モスリムの服装の対極にある。モスリムと言えば、米軍が訴追されたイラク兵を裸にして行った拷問がある。このあまりに残酷な情景が絵画として描かれている。

コロンビア出身のフェルナンド・ボテロは、この事件を聞いて怒りと驚きで居ても立ってもいられなかったと言う。そして他のメディアでは決して表せなかった方法で制作に挑んだ。1932年生まれの彼は内戦や麻薬商業などをテーマに注目されてくる。しかしそれらが芸術としても連作となることは嘗てなかったという。政治的にはアングロサクソン・プロテスタンティズムにおける肉体嫌悪と偽善を嫌味を込めて描いた。そして今この連作は、ローマの旧ムッソリーニ邸に続いてドイツで公開されている。

さて、作品VBシリーズでは、ニューヨークなどで様々な人種の混合も試され黒人の美しい肌色や質感を利用もしている。しかしこれはあくまでも西洋の裸であり、女史があげるアラキの裸とも違う。それは過去のパフォーマンスの写真を見ると尚の事理解出来る。裸の数も露出度も絶えず上向きである。既にその面では厳しい批判もあるようだ。だから初期のパフォーマンスでの効果を疑わざるを得ない。そのグロテスクでもエロティックでもないこれらの肉体は、僅かばかりのものを身に着けることによって我々が住む社会と強く結ばれる。幸いにも男性のものはユニフォームや軍服を着せており詰らないものを見ないで済む。これらは、仮面を被らせての陰毛のない裸を含めて、全てのパフォーマンスを徹底して政治的にしている。



参照:立ち入り放題のユートピア [ アウトドーア・環境 ] / 2005-04-22
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IDの危機と確立の好機

2005-04-20 | 文学・思想
嘗て覗き込んだ中で最も印象的な目は、連邦共和国大統領を務めたリヒァルト・フォン・ヴァイゼッカー博士のものである。空虚とは対極にある鋭い眼光を発している。それは決して他者を外見で値踏みするではなくて、他者の思考を瞬時に計るような深い洞察力と注意深い観察力を持っていた。氏の系譜やそのシュヴァーベン地方の稀なる家系については多くの書物が出ているので今更説明する必要はないであろう。その大統領の発言は、政治的な権限を飛び越えて、ドイツ人の精神の奥底へと訴えかけた。その知的な叙述法で数多くの力強い演説を残し、その幾つかは20世紀の重要な証言として人類史上に伝えられよう。

1945年5月8日の敗戦でドイツは破滅、崩壊して開放されて深く切り裂かれた……そして1985年5月8日になされた大統領の演説は、一切の言い訳をせずにその開いた傷を癒そうという試みであった。そして今年三月のインタヴューにおいて、今その時が熟したと思うかと問われる。「いいえ。私はそうは思いません。1985年にゴルバチョフが権力を握って、ドイツ連邦の外交上の責任は大きくなった。その時私は、国際舞台においてその役目を果たす事が出来ると深く確信したのでした。しかしそれは、我々自身の過去を熟慮してそれへの責任を持つという明快な大前提に立ってのことです。……」と答えて、更に国外でも評価されたレーガン大統領を連邦議会に招いての演説は、専らドイツ人へ向って語りかけただけであったのを強調する。

もし彼のこの言葉がドイツ人の心の隅々にまで届いているならば、この社会に良心とモラルを些かでも期待する事が出来る。その意味するところは若干の説明を要する。ヒトラーを選んだのは、結局ドイツの有権者であった。こうして戦後ドイツ人は子供までを含めて皆、直接間接に大きな十字架を背負う事になる。そのように教育される。それはなにもホロコーストへの直接の加害である必要はない。戦争への連帯責任でもない。それは、自らが粋を尽くして構築した社会システムへの、文化への懐疑である。アイデンティテーの崩壊である。

大統領在任当時、西ベルリンの帝國議事堂跡にはヴァイマール憲法下での政治の推移がコンパクトに纏めて展示してあった。最も進んだ憲章下で社会民主党がナチの興亡を何故止められなかったのかが主要なテーマとなっていた。学生らしき多くの若者がナチの興亡の映像資料などを熱心に観ながら考え込んでしまい。その場に座り込んでしまう姿が目立った。既に権威からの開放の学生紛争も終わり赤軍派の活動も終わりを告げて、レーガン大統領の保守化路線の中で壁が存在していた時代である。そしてヘルムート・コール博士の保守政権で、ドイツ人の自尊心回復が叫ばれていた。

しかし彼らにとってこのような歴史の現実は、規範となるべき法のその存在意義を揺らし、社会科学だけでなく工学をも含む自然科学までを学ぶ意義を一挙にして瓦解させてしまう。ドイツ文化、西洋文化、全ての文明は何らの価値を持ち得なくなる。20世紀は贖罪の世紀である。これは、ドイツ人の、ドイツ文化の全自己否定でもある。もしそこに何らかの光があるとすれば、人はその何かを見つけ出さなければならなかった。

当時の若者を知っている者は、今日の若者に大きな不安を抱いている。高等教育のマスプロ化が進み、ヒューマニティーさえユニヴァースティーの発想から抜け落ちて来ている。ギリシャ語やラテン語の必修試験はアビィテューアから消えた。中世にあった信仰やルネッサンスで芽生えた人間性の復帰や近代のマルキズムが消え、現代に残る希望と言うオアシスが追い求められる。

リヒァルト・フォン・ヴァイゼッカー博士は、ヨハン・パウロ二世が、「アウシュビッツは、世界のゲトセマニ」と言ったことを思い起こす。そしてこれは非常に教会合同的な発想で今でも真意を計りかねていると言う。大統領の言葉として、ニクソン大統領の同様の名言を捩ったようなのもある。「中国人から学べることもある。それは彼らが危機(危机)という言葉にも好機(良机)という言葉にも同じような文字を使うということである。」。 
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リースリング用のワイングラス

2005-04-19 | ワイン
2004 03/10 編集

フランス赤ワインの場合は、ボルドー型、ブルゴーニュ型とはっきりと別れている。ドイツワインの場合、注意しなければならないのがドイツのレーマーグラスというローマ人が使っていた足が太く脹らんでいて短い無骨な鴨型グラスだ。これはワイン酒場やレストランなどで多く使われるが、上等なワインを提供する店ではあまり使われない。また足の無いマグ型とレーマー型と足の長い深めのグラスにワイン差し、これら三種類をワインの質に合わせて使い分ける凝った店もある。ヴァインカルテの上の方(安い方)から選ぶと、概ねこの順番になる。リースリングと他の白ワインを使い分ける事もある。給仕の便利を考えてのことで、お客さんがお代わりを求める時や勘定する時に分かりやすい。ドイツワインの試飲の時にもインターナショナルなテースティンググラスに加え骨太な短い古典的な試飲グラスも使われる。さらに長めのフランス白ワイン用として推薦されているグラスが使われる場合もある。

さて、リースリングを家庭で飲む場合は、標準的な白ワイングラスで十分に香りを楽しみたい。ある程度の深みと鼻を突っ込める口の大きさが必要だ。これで、上等のリースリングも十分に堪能できる。もちろん単純なリースリングを炭酸で割ったりレーマーグラスでがぶ飲みする家庭も多い。残念ながらこれが上質なリースリングを分かり難している原因の一つでもある。実際、リースリング用のグラスは、フランス白ワイン以上に注意して選びたい。香りの繊細さが享受されなければならないからである。
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意志薄弱なワイン談義-試飲百景

2005-04-18 | 試飲百景
木曜日の午前中、お気に入りのワインを少しばかり買い足しに行った。予め計画していたので、返還する為に古いワインの空箱を持参して、他所の町で用件を終えてから向った。試飲をする必要はなかったのだが、勘定もあり試飲室に通された。すると大柄な高年配の女性が試飲していた。一目見るなり、北ドイツの人間である事が直感出来たが、案の定「高地ドイツ語の訛り」からハンブルクと分かった。彼女は尋ねるともなくその通り「自己紹介」した。

リースリングの酸が合わないとこぼすのである。酸の出方は、生産者によって違うから色々と試して見なさいと暗示したのだが、要を得ないようであった。そして、ここにはヴァイスブルグンダーはあるがシャドネーがないと愚痴る。シャドネーは決して酸が弱い訳ではありませんよと教えてあげる。再び醸造所によるリースリングの特性の違いを示唆すると、誰もいないのをよいことに、他所の店のマイスターの名前を出して、「あんたはワインに詳しいのかね?紹介してくれるね?」と尋ねるのだ。しかし精神的にオープンでない人に、価格で莫迦にしていると思われるのも嫌なので、その辺のワイン農協同組合やスーパーで探してみてはとはとても言えなかった。何も零細ワイン農家を回らなくても、協同組合などで、様々な種類の好いものが見付かるからである。いつも閉鎖的な人は損をする。しかしなにもよりによって、このようなリースリングの名門を尋ねることもなかろうに。挙句の果ては、この辺で良い宿泊所はないかと情報を求められる。

第一印象からこのような経過は殆んど想像がついていた。彼女の深い眼窩に隠れるキラリと し な い 眼光からである。新聞に「その何も見ない目」と書かれていた、事務机の向こうに座るナチの宣伝相ヨゼフ・ゲッペレス博士の写真が、当にこの目なのであった。北欧に近くなるにつれて、その気候も手伝い人間は情感をあまり表さないようになる。もしくは情感が乏しくなる。実はその情感だけでなく、思考が空虚になることも多い。これは、糖欠乏による思考の低下に近い。

先日も集まりの席で、北ドイツ出身者と南ドイツ出身者を交えて、南北のメンタリティーの違いに話を振って見た。すると、二人とも言うのは南ドイツの人間が愛想が良いのは町の中だけで(イタリア人の話ではない)、ドイツ人の閉鎖性はあまり変わらないと自己批判するのである。実際、北ドイツの人間は他人を自宅に招くのが好きである(北米の人の話ではない)。室外が寒いからであろう。反面、南ドイツの人間の親密な態度は表面的だというのは多くの人が認める。逆に南ドイツのそのような人間性を、そのギャップの大きさから批判する外国人もいるようだ。

愛想はどちらでも良いのだが、表情が乏しく、意志薄弱なのはご遠慮願いたい。老化現象でもあり、無感動で反応が乏しくなる痴呆と似ている。ゲッベルス宣伝相は、小児麻痺かで足に障害を持っていた。そのコンプレックスが転じて出世欲に全てをかける人間の典型的な表情を持っているような気がする。

リースリングを好まないからといって決して人格に疑問を呈するのではないが、目を開けていてもその光景がのみ込めない、話を聞いてもその意味する所が理解出来ないというのは、思考停止に近い。好きで選りすぐった好いワインを飲む時ぐらいは、感覚を鋭くして楽しみたいものである。



参照:麻痺に遠のく外界 [ その他アルコール ] / 2004-12-09
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歴史政治の遠近法

2005-04-17 | 歴史・時事
過去について記述する時は必ず、その書き手が如何に客観的な歴史学者であろうとも、書き手の時代もしくはそこへ至る時代からのものを過去へと還元して、その歴史像を歪曲している事を、我々は考慮しなければならない。
- ジークムンド・フロイド


それはあたかも夢のように、固定された小さな覗穴からの遠近感の定まらない像である。今朝、中国人の歴史学者がラジオで取材されていた。「修正主義教科書」に端を発する反日デモ騒ぎについてのコメントと同時に、共産党下での歴史教育の現状が赤裸々に中国語で語られていた。文革後のようなタブーは流石に減ったが、未だにインドやベトナムとの紛争の件は封印されているというのである。つまり中華人民共和国の教科書問題が取上げられていた。ドイツの経済・法学博士号を保有しているような中国人民でも知識教養の偏りは甚だしく、正しい情報を海外にいながらも把握していないのが現実である。この番組の編集は、東欧崩壊の記憶と世界の新秩序についての思惑を底流に滲ませ、共産党一党支配の中でも少しづつ変化する歴史観を示した。

実際に東欧では同様な歴史があったからであろう。1970年代にヴィリー・ブラントの左翼政権下で西ドイツは、1970年にソヴィエトと不可侵条約を調印、続いてポーリッシュ人民共和国とも友好条約を締結する。こうして歴史教科書への共通認識への取り組みなどが冷戦対立の構造の中でも始められた。1972年のドイツ民主共和国の承認に伴って、ポツダム宣言での旧ドイツ人入植地域のポーランドによる管理が再度確認されて、オーデル・ナイセの国境線が定まる。結局このワルシャワ機構によって定められたドイツ・ポーランドの国境線は、東西ドイツの統一後に再び議論の対象となる。その間ポーランドは、ワレサ氏の率いる連帯に依って逸早く民主化への歩みを進めた。そして、ポーランド人と同じ机に着くために東方国土放棄の固定という痛みが伴った。しかしこの時、ブラント独首相がワルシャワのゲットー跡で示した跪いての数分間の黙祷の映像が世界に与えた影響は小さくないという。

何れにせよ歴史の政治的意義が問われている。静的に定まった歴史などはないのだろうが、少なくとも時が過去へ逆戻りすることはないので、先へ進まなければならない。ベルトルト・ブレヒトのよく取上げられる言葉は、歴史の実像を暴く。


「相変わらず何時も勝者が敗者の歴史を記す。打たれる者は、打つ者にねじ曲げられた特性を与えられる。弱きは失せて、そこには偽りが残る。」


それの対句となるのが、ケルト人の英雄ブレームス(BC390頃)の逸話である。彼は、ローマ軍と戦い勝利を治めるが最終的に退却を余儀なくされる。その際、ローマ人に渡すために積み上げた賠償の重さを量ると、ローマ人に秤が正確でないと責められた。すると彼は、 vae victis - 「敗者に酷い仕打ち」と叫んで自らの剣をその秤の上に投げつけたという。





2005-04-17 05:01:48
歴史・時事
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TBありがとうございました! (鮎川龍人)

2005-04-17 15:25:00

まぁ“中立な歴史”“客観的な歴史”“正しい歴史”などと言うものは触れる虹のようなものですから、政治に利用される場合以外では、問題とされないのですけれど。
どちらの国も“歴史”の取り扱いにはご注意を、というところでしょうか?
・・・・・劇薬ですから。





トラバありがとうございました (中村泰造)

2005-04-17 21:05:45

「戦勝国は敗戦国に対して憐憫から復讐まで、どんなものでも施し得る。しかし勝者が敗者に与えることができない唯一のものは『正義』である」
 ー東京裁判 インド代表判事 ラダ・ビノード・バール

強者(勝者)が弱者(敗者)に強者にとって都合のいい歴史を押し付ける事はできます。
でも、弱者がその歴史を必ずしも受け取る必要はないと思います。
・・・日本人は受け取ってしまったわけですが(^_^;

現代であれば、さほど実害もないですし、日本人にとって良いと思う歴史を主張しても良いのではないでしょうか。

虹は素晴らしい、高度な政治戦略? (pfaelzerwein)

2005-04-18 02:39:38

鮎川龍人さん、虹は素晴らしい表現ですね。確かに足元に行けば消えてしまう、遠くからは美しい。仰るとおり劇薬なのですが、薬にもなるわけでしょう。今回の場合積極的に歴史カードを使っているわけですから、心して扱わうべきです。何とかも使いよう次第ですから。


中村泰造さん、コメント有難うございました。東京裁判ですか、なるほど。

ただ歴史と云うことに関しては、逆説的でもありますが、新たな資料などが出てきて検証されているようです。これは、決して修正主義と云うようなものでなくて政治のからくりを教えてくれるようなものです。それらを挙げて、過去の責任とか保障とか云うよりも如何に活かして行くかの問題と思います。

ですから、何を何の目的で使っていくかが重要と思います。

その点から云えば、ご批判の対象となっているルモンド紙の記事(ネットでオリジナルも確かめました)はそれ程悪くはないのでは。第三者としての視点もハッキリしており、国際政治解析としても十分と思います。ドイツの社説にあるような批判や皮肉を入れない(参拝と企業活動の関係のところを除いて)ソルボンヌ風でかなり中立的な論調でしょうか。

しかし結局分析にしかならないのは、極東の安定に寄与する総合的な政治戦略が見えないからでしょう。陳腐な民族主義が肥やしにでもなるのは限られており、その点では今回も明快です。それに対応する戦略が見えないというのは不可解です。少なくとも外交上は。あまりに高度な政治戦略があって分かりにくいのかもしれません。






反日暴動を見て思うこと(再び) (孔子の戯言)

今週末も中国で反日デモが予想される報道が続いています。予定では17日の日曜に北京




正論を言えばいいってもんじゃないだろう (珍ブログ~不完全版~)

ご隠居さん(余丁町散人こと橋本直幸氏)の訳したルモンドの社説。 Le Monde 社説 : 日中間の緊張
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パン屋の売り子

2005-04-16 | 
 2004 04/05 編集

入り口の石段二三段を掃清める娘。清々しい朝日に透き通るようなすらっとした裸の上肢を輝かせながら、後ずさりで降りてくる。こちらに気がつくと、向きを変え腰を伸ばし正対する。細面のすっきりとした色白の顔に、満面の笑みを浮かべる。そして前掛けをした腰に手を当てながら下腹部を突出した姿態を作り「はよー、良い天気じゃな。何処さ行くだ。」。

シューウインドウに見付けたブロットヘェンを求める。鼻にピアスをした浅黒い丸顔の娘は、とても残念そうに「これは陳列見本やからあかん」。それでも切に望むと、彼女は声の調子をさらに高めて「これ古いよって、石みたいで歯が立たんわ」。
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