Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2017年8月

2017-08-31 | Weblog-Index


録画録音した中継もの 2017-08-31 | 音
新しいシモンのパンツ 2017-08-30 | アウトドーア・環境
レヴィットのルジェスキー 2017-08-29 | 音
乗り逃げ切れるように算段 2017-08-28 | 雑感
調えたいとても快適な環境 2017-08-27 | 女
ペトロール香と紙一重 2017-08-26 | ワイン
スマートに行こう! 2017-08-25 | 雑感
Go home & never come back! 2017-08-24 | 歴史・時事
金ではない、そこにあるのは 2017-08-23 | 雑感
ピリ辛感が残る最後 2017-08-22 | ワイン
ホタテの道の金の石塁 2017-08-21 | 文化一般
ストリーミングの昨日今日明日 2017-08-20 | 文化一般
オープンVPN機能を試す 2017-08-19 | テクニック
文化需要の光と影のその間 2017-08-18 | 文化一般
中々ならない鷹揚自若 2017-08-17 | 生活
ボールダーで新技術習得 2017-08-16 | アウトドーア・環境
胃がん風に表れる夏の疲れ 2017-08-15 | マスメディア批評
音楽芸術のGötterFunke体験 2017-08-14 | 文化一般
DOTでゴムの耐久を確認 2017-08-13 | テクニック
秋雨で10月のような気配 2017-08-12 | 雑感
反レーシズム世界の寛容 2017-08-11 | 文化一般
ブレーキを踏み込まなかった一年 2017-08-10 | 生活
デジタルコンサートの新シーズン 2017-08-09 | 雑感
シルヴァン・パタイユのマルサネ 2017-08-08 | ワイン TB0,COM2
辺りをふらついてみる 2017-08-07 | 生活
頻尿症の夜を乗り越える 2017-08-06 | 雑感
旧ビジネスモデルをぶっ壊せ 2017-08-05 | マスメディア批評
キャッシュレス生活の奨め 2017-08-04 | 歴史・時事
芸術的に配慮したarte新動画 2017-08-03 | マスメディア批評
とっかえ、ひっかえ 2017-08-02 | 生活 TB0,COM2
音楽後進国ドイツの野暮天ぶり 2017-08-01 | 雑感
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録画録音した中継もの

2017-08-31 | 
先週金曜日のベルリンからの生中継を聞いた。録音してみると、デジタルコンサートの音質よりも良さそうだ。通常は日にち違いでDLFが流すのだが、今回はシーズン初日でARD全局の協力の中継だった。無難にSWRを流した。バーデンバーデンからの中継などでそのネット伝送には満足しているからだ。フランクフルトのARD中央から同じ経路で流された可能性もある。但し中継に傷は何度もあった。

ヴォルフガング・リームに捧げられているハースの新曲「小さな交響詩」も手慣れていた。どうも同じ編成でメインの「天地創造」を継承していて、嘗てのヘンツェやツェンダーなどとは全く異なる方法で前奏の委嘱目的を果たしている。

ハイドンも流石に当代切ってのハイドン指揮者だけあって、その(創世論に関してもの)ユーモア感覚やベルリンのフィルハーモニカ―の弾かせ方も的を得ていて気持ちよい。本当にそれが幸福というもので、それがライフスタイルというものなのである。やはりこの指揮者とこの楽団の演奏は制作録音しないといけない。今回も欧州中で多くの客演をするのでその準備は出来る筈だが、儲からないのでその心算などは無いのだろう。
Sir Simon Rattle rehearses Haydn's Creation with the OAE

In Rehearsal: Simon Rattle and the Berliner Philharmoniker (Haydn: Die Jahreszeiten)


実は金曜日の夜は同じ時間帯にプロムスでの「グレの歌」の放送もあった。こちらはロンドンのシムフォニカーの演奏で、興味はあったが、ベルリンでのそれよりはよくなる筈はないと直ぐに判断が付いた。あの辺りのレパートリーではロンドンではこの指揮者からベルリンでよりも多くを期待できないだろう。

日本でペトレンコ指揮「ルル」のDVDが発売となっていて、そのフロントの舞台写真の光景は記憶に無かったのでがせねたかと思っていた。しかしベルエア―の発売で本物らしい。同じような映像はARTEで流れたものなどメディチTVなどのクレディットがついているものが沢山あるが、なぜ今「ルル」発売なのかは分からなかった。
Kirill Petrenko conducts the final scene from LULU


手元にあるファイルは2.8GBの劇場のストリーミングを録画したもので、P1080で音質もAAC126kbps、44.1kHzでそれほど悪くはないが低音が抜けない。発売されるものはどれぐらいよくなっているのだろう?ARTEが中継していなかったと思うので、カメラワークはそれほど凝ったものではないと思われるが、勿論上手に切り替えを使っているのだろう。もう一つの2.1GBの方は、940x640で画像は悪いが、音質は160、4.8kHzで改善されている。更にもう一つ1.41GBというファイルが、175、4.8kHzとなっていて、画像が640x360となっている分、更に音質が向上しているようだ。

初日5月25日の中継放送は会場にいて録音できていないが、6月6日中継分の終了後の指揮者の表情がもう一つ冴えていないのは何故かなと思った。通して聴いてみないといけないが傷以上の音楽的問題があったのだろうか。その月末22日にベルリンでラトルの後任に推挙されることになるのだが、10日過ぎにはパスキエ女史の排除とそれに抗議する書簡が出されるなど、「ティーレマンの陰謀」が丁度大きな負担になっていた時であろう。

そして、最後のバイロイトでの指揮が終わってから、9月に予定を変更して三回「ルル」を追加で指揮している。その代わりかどうか秋の「ヴァルキューレ」はシモーネ・ヤングに指揮を任せたという経過があった。やはり、新ヴィーン楽派の一つとして音楽実践的にやり残したものがあったのだろう。キリル・ペトレンコのレパートリーとしてはアルバン・ベルクの作品はシェーンベルクなどに比較するとそれほど主要なものになるとは思わないが、しかしあれまでにこの制作が注目されていなかった原因は未だに分からない。うかうかしていて少し遅れてから注文しても適当な券が簡単に入手出来たぐらいであるから、その後の入券の困難からすれば、考えられないぐらいだ。そしてなぜか、「ルル」は人気オペラである筈なのに、殆んど注目されていなかった。



参照:
地方の音楽会の集客状況 2017-01-23 | 文化一般
百年後の現在の社会の構造 2015-06-04 | 音
耳を疑い、目を見張る 2015-05-27 | 音
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新しいシモンのパンツ

2017-08-30 | アウトドーア・環境
デカトロンに注文したシモンのクライミングパンツが届いた。店頭で試したので大きさには疑問が無かったが、新しいのを履いてみるとスッキリする。最初は長めに感じて裾を折り返そうと思うが、前回のSでも同じだったので、綿の経糸が洗濯をしているうちに縮むのだろう。

前回のモデルに比べるとおしゃれ志向になっていて、ストレッチなどが入ったり、ポケットが二重になったりしている。ベルト通しまでついたので重量は増しているだろうが、サイズを上げたので足は上がり易くなった。何よりも改良されたのは、歯ブラシ状の掃除ブラシを差し込むスリットが刻まれたことだろうか。

買物に行く序に紙やすりを購入してきた。錆で剥がれた車の塗装の下の地ならしをするためにである。先ずは注文した塗料を塗ってみようと思う。出来るだけ浮いた部分を剥がさないようにして最小限の手当てを試みる。地塗り用のグレーの塗料も発注したので、筆が足りないので15本組4ユーロを購入した。紙やすりはK40の可成りごわごわとしたもので布製があったのでそれを二枚購入して、細かなK120とK600の仕上げ用を二枚購入した。

兎に角、剥がれたところに錆を浮かして走るのは恥ずかしい。日本の自動車学校で車の整備について教えられたが、傷めたままにしていると更に運転も状況もひどくなるというようなことだった。その傾向は、ドイツと正反対のフランスなどで顕著で、車を駐車する度に当てるためのバムパーとして使っていると車も運転も更に酷くなる。そして錆が浮いたままであるとまるで車全体が錆びているような印象になって、運転も荒れるということだ。

そこで少なくとも錆が浮いていない状態にすれば色も赤茶色から黒っぽくなって目立たなくなる。更にそもそもの色を上手く塗布できれば、浮いている部分は目立っても、少なくとも今しがた剥がれたようには見えなくなる。あとは砂ぼこりで汚れればそれほど気が付かなくなるかどうかだ。

もし今回の処置で上手くいくならば、傷つけられた部分も化粧直しが可能となる。塗料を含めて三種類のものと送料を合わせて18ユーロしなかった。それが使えるならば足りなくなれば更に追加投資が出来る。錆など怖くないぐらいになれば大したものだが、誤魔化しが可能ならば嬉しい。少なくとも対処の方法が決まったので、諦めムードから少し気が上向いた。車の作動が調子よくその辺りの新車よりもはるかに優れているので、金を掛けるつもりはなくても気持ちよく最後まで乗りたい。少なくとも新車から、乗り慣れて、そろそろ弄り時となって来た。乾かすためにドライヤーを使わなければいけないので涼しい時に時間を掛けてやりたい。

買い物帰りに試しにガレージでK40 を使って剥がれたカ所の錆を擦ってみる。見る見るうちに赤味から鉄のような色に近づいて来た。そして表面が平らになって来た。それだけでも見た目が良くなったので凄く期待できるようになった。

更に欲張って、走りながら考えていた剥がれかけの浮いた塗装部分の処理を試す。一般的にはバリバリ落としてしまうのだろうが、塗装屋でもなく無理に仕事量を増やすことはない。そこで浮いた部分を瞬間接着剤でくっつけてしまう。丁度上から見ると膨らんでいるところなので、これを落としてしまうと剥がれも目立ちやすい。綺麗に接着出来たので、やすりで面取りをする。

もう少しK120で磨いて、自慢のマニュキャ落としで汚れを取れば、下塗り準備完了である。下塗り乾燥を繰り返して、オリジナルな塗装の色が浮き上がるかどうかが勝負だろう。日焼けの色違いは今回発注した塗装の色の程度ほど問題にならない。これだけ広範囲な上塗りが修正が可能なのかどうかは分からないが、逆に目立つことにはならないだろう。



参照:
金ではない、そこにあるのは 2017-08-23 | 雑感
伸びる仏印ジーンズを購入 2015-04-09 | 生活
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レヴィットのルジェスキー

2017-08-29 | 
フレドリック・ルジェスキーとイゴール・レヴィットのリサイタルを聞いた。小ホールに一杯の聴衆だったが近くでスタインウェーを堪能した。勿論前者のピアノは作曲家のそれだったが ― しっかりと楽譜を確認しながら一音一音丁寧に弾く ―、まず最初にドイツ語で黒沢明の名作「夢」にインスプレーションされた創作として曲「ドリームス」を紹介した。彼に言わせれば「音楽の形を与えただけだ」となる。
Frederic Rzewski: Dreams


正直驚いたのはドイツ語を話したことで、恐らく周りの聴衆もゲットーの繋がりを直ぐに想像してしまったと思う。ベルギーのアーヘンに近いリェージュで長く教鞭をとっていたことからドイツ語もと思ったが、やはり両親はドイツ語を喋っていたのだろう。仲間が彼にコンタクトしていた時もドイツ語だったとは聞いていなかった。2曲目の「カブリオ―レス」もシモーネ・ケラーに献呈されているようで、退職のメールも貰ったピアニストでもあるケラー氏の娘さんなのだろう。髭のヴェルナ―・バラッチュにも習っている。

第1曲はそのもの「ドリーム」で、3曲目の「アメンシュ」はドイツ語だが英語の不定冠詞がついているイディッシュ語のようだ。アメリカのアクションアーティスト、スティーヴ・ベン・イスラエルに捧げられている。ラグタイムやジャズ即興風がまたとてもユダヤ風だ。前半最後の「失われたイリュージョン」が一番素晴らしかったが、英国のピアニスト、イアン・ぺースの委嘱作となっている。
Steve Ben Israel & Baba


後半は、最前列で一緒に聞いていたレヴィットが今度は壇上に上がる。上体を屈めた姿勢が印象的だったが、ペダルを含めてとても拘りのピアニストだった。流石に作曲家のピアノとは楽器が変わったかと思わせるほど違うが、この春に先行してキリル・ペトレンコと共演したカナダのアムランなどと比較するとピアノの名手であるよりも拘りの音楽家であって、少しピーター・ザーキンをイメージさせた。なるほど「ドイツのピアニスト」としては、ブッフビンダーやシュタットフェルドまでを含めた中で、第一級の名人であることは間違いない。キット・アームストロングなどとは違って完全に完成しているのも全く異なる。
Igor Levit - Rzewski's Variations (Gramophone Classical Music Awards 2016)

FREDERIC RZEWSKI The People United Will Never Be Defeated! Pt.1/5

Hamelin - Rzewski:The people united will never be defeated!


それでもフィナーレ第8曲のフォークソングのウッディ―・ガスレーの「ウェークアップ」などでの変奏などはとても見事だった。後半最初第5曲目の「ベルズ」の鐘の余韻のような響きの制御も聞かせどころで、勿論リズム的な精査が流石である。第6曲目の「蛍も」黒澤のそれを印象させるが更に心象世界は広がっていて、中々怖い曲だ。第7曲の「廃墟」もトレモロなどが多用されるがより対位法的にも複雑になっていて全曲の集大成のようになっている。このような曲のこのような演奏を聴けば、この作曲家のピアノ作品がこうして一流のピアニストで弾かれるべきなのも分かり、この若いピアニストがこの作曲家に傾倒したのもよく分かった。そして二部はハイデルベルガーフリューリングなどの委嘱で2015年初演のレヴィットに献呈されているとは知らなかった。
Woody Guthrie - Wake Up


一番話題になっていたであろう1970年代から高橋悠治などは弾いていたようだが、こうして聴くようなことになるとは全く思ってもいなかった。79才であり自作自演を聞ける機会はそれほどないと思うが、それと同時にこうして拘りのピアニストの演奏実践が聞けるとはなんと幸運なことであったろうか。そしてそのピアノ芸術を堪能した。

レヴィットのツィッターを今回も見たが、反プーティンなどにも熱心で流石である。兎に角、おかしな連中には東京に引っ越してもらって、文化の吹き溜まりのようなそこで糊口を凌んでいただきたいと思うばかりである。レヴィットは、東京から戻って来てから今度はヴァークナー博士のベートーヴェンフェストで三度ほど演奏会を開く。



参照:
時間と共に熟成するとは? 2017-04-24 | 文化一般
自身もその中の一人でしかない 2017-06-07 | 生活
広島・長崎を相対化する福島 2011-08-06 | 歴史・時事
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乗り逃げ切れるように算段

2017-08-28 | 雑感
ヴィースバーデンから深夜帰って来て、翌日パン屋から移動して走るために駐車場に停める。先日ブレーキディスクを取り換えて、タイヤを交換した後輪の上の塗装が剥げていた。錆が浮いていたから洗車したことで脱落を早めたのだろう。これは流石に駄目だ。新車の購入を検討しなければいけない。折角修理したのだから、それほど慌てて処理したくはないのだが、カウントダウンである。

新車発注から納車までの期間を考えると半年から一年ぐらいの感じで乗り続けなければいけないので、それなりの投資は必要なのかもしれない。一つの方法は、錆の色を目立たないようにして目立ち方を少なくするために、剥がれている部分だけ紙やすりで擦って、底塗りしてから色を付ける方法で、材料費は30ユーロぐらいだろうか。もう一つの方法は、近所の塗装屋で誤魔化す方法を尋ねてみるしかないだろう。300ユーロぐらいならば仕方ないかもしれない。このままにしておくともそれでなくてもこの数か月で駐車場で当て逃げされたり、ぶつけられたりで散々な状態になって来ているので、でもでも近くの路上であったら横転放火されても仕方ないような塩梅になって来た。ここはもう一年価値の無い車両保険も支払って、新車に備えて無事故年数を増やして、上手く乗り切れるかどうかである。

近所の人にこの惨状を見せたら、一昔前までは錆は日本車の特徴で車両価値がすごく落ちてしまうことが有名だったが、最近はドイツ車も駄目だということになった。イタリア車と変わらないということである。暫くこの状態でメーカー支店にも持ち込むようになると隠すように扱うようになるのではないかと思う。16年間洗車することなしに冬の雪道を走っていたのだから仕方がないのかもしれない。

ヴィースバーデンはレートナイトコンサートだった。ラインガウフェスティヴァルで初めて使った会場だったようだ。小ホール規模で音響も決して悪くはなかったが、場所を見つけるのに汗を掻いた。内容については改めて記すとしても、22時半まで集中してから帰宅すると、睡眠を十分にとっていてもとても眠い。夜遊びと音楽会ではまた劇場などの内容でも大分違うが兎に角眠い。



参照:
スマートに行こう! 2017-08-25 | 雑感
DOTでゴムの耐久を確認 2017-08-13 | テクニック
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調えたいとても快適な環境

2017-08-27 | 
ステューワーデスバックの野宿おばさんがいた。朝早いので予想はしていたが、丁度出かけるところだった。銀行に入ろうとすると入り口でお出かけの準備中だった。面倒な時にかちあったなと思ったが、仕方がない。荷物が出入り口にあるので、ドアを支えていたが、ぐずぐすしているので「閉めてよいですか?」と結局渡した。

現金を下ろしていると、出口で声が聞こえて、男が手伝おうかと尋ねている。おばさんを知っているというよりも荷物を持った年寄りと思った可能性もある。それでも親切な人が沢山いるものだ ― 殆んどミヒャエル・エンデの描くような世界だ。そして車を出そうとしていると、高速で前のカトリック教会の方から走る人影が見えた。おばさんである。朝一番からのダッシュを見ているともしかすると40歳代ではないかと思った。入り口にバックを置いてあるので急いだのだろうが、それにしても身の動きが素早い。

人が言うところによると、廃墟になった近くの家を所持していて、朝食はカフェーで摂っているというので金はあるのだ。同じような境遇で金は持っていてもアル中で生活費をそこに注ぎ込むものだから宿無しで過ごしているという爺さんお話もある。

このおばさんの場合は間違いなくライフスタイルなのだが、北ドイツに多いような荒んだ感じからは遠く、少なくとも社会の受け入れ方が違うので、生活感は分からないがそれほど悪くはないのだろうと思うようになった。

ネットサーフィンで、2010年のメトロポリタンでの「ナクソス島のアドリアネ」の録音を見つけた。キリル・ペトレンコ指揮では2005年にディアナ・ダマロウがツェルビネッタでデビューしたようだが、2010年はニーナ・シュテムメがアリアドネを歌っている。コーミッシュェオパー時代の2003年にレハール「メリーウィドー」でデビューしていて、2007年に「魔笛」、「ホヴァンシチーナ」を2012年にも振っている。

ペトレンコ指揮「アリアドネ」は、2015年10月23日のパリ公演後のストリーム中継録画が存在するが、10月17日の公演よりも大分アンサムブルが良くなっている。歌唱も良くなっている。それに比較するまでも無く、メトでの演奏はとても甘口の弦などがMP3乍ら聞こえて趣が大分違う。もう少しましな音質ならば評価が出来るかもしれないが、音質が悪いと細かく聞く意欲が薄れる。演出は知らないが、管弦楽団も特徴が全く違うようだ。シュテムメの安定も良いが、ライアンのいつもの不安定ぶりがまた退屈させない。

ペトレンコは2013年からミュンヘンの音楽監督になって、それ以降は限られたコンサート以外はヴィーンでの予約分しかオペラ劇場では指揮していないが、2015年ベルリンの指揮者に就任することになってミュンヘン以外ではオペラ指揮をしないので、バーデン・バーデン復活祭を除くと、2021年以降オペラ指揮は封印になっている。こうして客演の録音などを聞くと、2021年以降もオペラ劇場への客演はしないで、バーデンバーデンでのオペラ上演以外は今後は振らないのだろう。スーパーオパー上演は客演では無理だからだ。



参照:
寛容の海を泳ぐ人々 2017-07-31 | マスメディア批評
ペトレンコ教授のナクソス島 2015-10-22 | 音
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ペトロール香と紙一重

2017-08-26 | ワイン
2014産グローセスゲヴェックスをもう一本開けた。ザールのツィリケン醸造所のラウシュである。アルコールが11.5%である。だから期待できないので早めに開けた。キャラメル風味でペトロール香と紙一重であるが、焼けた木のような味でリズラーナーのような趣である。結局はその色合いで分かるように昔のシュペートレーゼのような趣だ。つまり蜂蜜香は致し方ない。こうしたグローセスゲヴェックスを試して、GGがそのようなものだと考える外国人がいたら大間違いである。要するに真面なグローセスゲヴェックスになっていない。そしてアルコールが弱いので既定の収穫量まで落としていても酒質が弱すぎて全く駄目である。個人的には透明なミネラルな液面の上の海原のようなそよ風感が良くてこれを購入した。

こうしたGGを飲むとモーゼルザール流域で本格的なグローセスゲヴェックスを醸造出来ている醸造所はどれぐらいあるのだろうかと思う。筆頭のファン・フォルクセム醸造所でもまだ本格的にそれを名乗るのを躊躇っているぐらいであるから、彼の地方では本格的なGGが実るのはドイツのシュペートブルグンダーと同じように十年に何回かはそのチャンスがあるかどうかというぐらいだろうか。それ故に今でも真面なブドウ栽培と醸造法が充分に身に着いていないのであろう。

食事もあまり力強くないものを考えた。肉団子を温めたものにした。ホースラディッシュを使うことも無く生の味で食するようにした。ワインが弱弱しいとそうしたものの方が合う。

日本のヤフーを見ていると、フライブルクのビオデザインという会社が出てきた。デンマークでの発明家によるバラバラ殺人事件に関して、30年前の日本人女性のバラバラ死体遺棄事件が連関されているからだ。その女性を欧州に招聘したのは所謂開発のためのテスト会社でベーリンガーの子会社らしい。シュピーゲル誌1987年32版にその事情は詳しい。個人的に興味を持ったのは、2005年にここでも紹介して、同様の実験者募集を独日協会を通じて広報したことがあるからだ。

シュピーゲルの記事には、日本の中絶数が多く、その薬事法の貿易障壁があることから、つまりアジア人は酵素の関係で欧州人と同じような実験結果を利用できないとして、また日本の製薬会社がこうしたサーヴィスを利用しているとある。

実際は知らないが、酵素の影響が云々というのは日本政府が語っていることで、本当に広範な試験が必要なのかどうかもとても疑問である。ここで扱ったのはハイデルベルク大学の募集だったようだが、この手の試験への疑心暗鬼は消えない。



参照:
交差する実験予測と命題 2005-08-13 | 数学・自然科学
若ニシンチラシに合わせる 2017-07-03 | ワイン
 
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スマートに行こう!

2017-08-25 | 雑感
ブレーキディスクを交換した。後輪のタイヤも新しくした。ブレーキの利きの精妙さが増して、後輪の粘りが出来てハンドル捌きも精妙になって来た。BMWほどではないが精妙に車を制御できるのが嬉しい。

半日間、スマートを借りた。久しぶりでカヴリオーレタイプである。印象からすると当初のモデルより質が落ちている感じがした。何よりもエンジンを掛けた時の振動と騒音は昔のスバル360並みである。今時このような車が許されているのが不思議だ。この価格帯では到底電気自動車化は無理だろう。

エンジンが騒がしい割には加速も悪いが、高速で135㎞超えると風切り音が轟音となって来て落ち着かない。到底二輪車走行の快適さには至らない。運転感覚も以前感じたものよりも悪く、車幅感が取りにくい。だから思うほど駐車が容易という印象も無い。燃費もそれほど良くなかった。

何かいい点があったかと考えてみるが、あまり浮かばない。以前はそれなりに面白い車だと思ったが乗っているのがうんざりする。操舵性が良くなく、走らせる悦びが全くない。これならばシトロエンぐらいの方が走りが良かった。




車中のラディオは、ドキュメンタという催し物で「砂浜のアウシュヴッツ」という展示が中止になったとあった。背後事情はこれからとあったが、FAZは二大政党だけでなくユダヤ協会からも懐疑の声が出されていてと報じ、車中で思ったようにAfDの仕業ではなかったようだ。

先日触れた前首相シュレーダーの反論に対して、メルケル首相は「政治家を辞めてからも経済界で役を得ない」と宣言して、シュレーダーの行いは間違いだと断言した。メルケルの個人的な立場とシュレーダーのそれは全く異なるが、何人もの別れた嫁さんに慰謝料を渡そうと思えば金に貪欲でなければならないのだろう。社会民主党の党首か保守党の党首がどちらがどっちか分からないようなことになっている。

夜はBR-KLASSIKでルツェルン音楽祭初日の演奏が流れていた。偶々だったのでリヒャルト・シュトラウスプロを聞いた。同音楽祭管弦楽団の指揮者になったリカルド・シャイーは頂点にいる指揮者であるが、なるほど管弦楽団は悪くは無くその指揮も立派だと思うが、このような音楽をこのように演奏してどんな価値があるのだろうかと疑問に思った。更にこの指揮者がこの管弦楽団を指揮することでなにか他とは異なる芸術的な価値が示せるのだろうかとそうも疑問だった。あれだけオペラを振る指揮者が、シュトラウスをこのようにしか振れないことにも失望する。

コンタルスキー兄弟のアロイスが火曜日に亡くなったとある。ブーレーズ作曲スチュラクチュア―でも有名なピアノデュオのお兄さんである。アルフォンスの更に下の弟が「兵士たち」の指揮で有名な指揮者である。手元には兄弟のブーレーズ以外にもリゲティやベルント・アロイス・ツィンマーマンのLPが手元にあるがソリストとしては知らない。シュトックハウゼンなどを弾いていたようである。



参照:
ライフスタイルに合わない 2015-03-12 | 生活
新Aクラスのターゲット 2013-08-23 | 雑感
正しく共有されない情報 2015-09-08 | 雑感
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Go home & never come back!

2017-08-24 | 歴史・時事
承前BR-Klassikのページを読んで驚いた。そこには、ザルツブルクでタイトルロールのティートを歌い、「いいね」をくれたラッセル・ト-マスのエピソードが載っている。今回の演出には一人の南アフリカ出身ゴルダ・シュルツとアフロアメリカンのアニーオの役のジィニー・ドピックの二人の歌手がいたが、その一人が訪れたモンドゼーで一人の爺さんに大声で侮辱されたというのだ。「恐らく、アラブ女性と見られたようだ」とある。行楽地でありアメリカ人を含む世界中からの観光客が集まるザルツカムマーグートでこのような野蛮行為があるとは容易に信じられない ― 少なくともドイツでは証拠さえあれば侮辱罪で刑事訴訟は免れない。するとミュンヘン在住でドイツ語も喋るに違いないゴルダ・シュルツがヴェールか何かを被っていたのかもしれない。彼女がモスリムかどうかも知らないが、少なくとも外見からしても攻撃を受けるような対象ではない。そしてドピックにしても明らかにアメリカ人と分かるだろうと思う。

暴言を吐いた人物が、ドイツからのまたはオーストリアの旅行者なのかまたは東欧からのそれなのかも分からないが、少なくとも連邦共和国民ならもしかすると滞在地での法の隙を知っている法律家なのかもしれない。典型的なAfDの支持者層であり、二流指揮者クリスティアン・ティーレマンらのPEGIDAも皆同じ穴の狢である。そしてこのようなことが合衆国でもなく西欧で発生することは恥でしかなく、ヴァージニア州知事のように「恥じろ、出ていけ」 ― Schäme dich!Raus!と叫ぶべきなのである。実際その場にいたら、言葉が出なくても、少なくとも大切な証拠となるVIDEOを回す位のことは出来るではないか。
Virginia governor tells white supremacists to ‘Go home’


私たちウルトラリベラルな者であっても、「どちらもどちら」とトラムプのような姿勢はとらないが、意見の相違があってそれを取り立てて激化させても解決には向かわないと考える。このシャルローツヴィレにおいても両陣営が警察を挟んで対立していたのも事実であり、事件前から暴力沙汰になっていたのも間違いない。しかし、ネオナチであろうがネトウヨであろうがAfDであろうが、彼らの言動を寛容のもとに許容することはまた別の問題である。

それらの行動や発言に厳しく反応することで議論が可能となる。またキリスト教民主同盟などの保守政党の立場のように、奴らを非合法化して地下に潜らせないことの方が重要だとする見解も理解するが、厳しい批判は欠かせない。PEGIDAの主張も尤もなことで許容していた。しかし一連の世界の動きを見ると何も旗印を明らかにする必要など無いが、「許容できないことには許容しないと声を上げる」ことは欠かせないと思うようになった。

安倍政権批判に堪りかねて在フランクフルト日本国坂本総領事が殴り込んだドイツの高級紙フランクフルターアルゲマイネが、このAfDにも執拗な批判を続けている。文字通りには誰もが納得するような党のスローガンの裏に潜む事実を暴き、警鐘を鳴らし続けている。

ラッセル・トーマスは、上のエピソードに関して「この制作の焦点ではないが、間違いなくこの経験が皆に反映している」と語っている。彼のフォルテで一本調子と評されたティートの怒りの歌の激しさを見るとなるほどと思わせて、私が最初に考えていたような「合衆国の人種を投影させている」というような静的でドラマとして様式化された表現形態を超えて、そのもの情的で肉体感を持った表現意思が演出されていたとすると更に驚愕させられる。

以下のようにリツイートした通り、見事な歌唱と演技でthe painを表現していて、まさにこの南アフリカ出身の教育を受けた歌手がそのもてる技術と感性を活かして表現している芸術というものを私たちは見極めなければいけないのだ。

今年上演された音楽劇場作品でとびぬけた価値を見出せる上演であり、それを無理して破廉恥な音楽を生で聞かないでもネットで流されるそれを見れば充分に体験可能である。こうした上演に際して、それを体験して批評できない様では、音楽劇場などを幾ら体験しても無駄でしかない。

Golda Schultz‏ @SchultzGolda  4. Aug.
Just #thankyou #petersellars for helping me find the #beauty in the #pain #clemenzaditito #GoldenMoments #blessedbeyondmeasure



参照:
反レーシズム世界の寛容 2017-08-11 | 文化一般
金ではない、そこにあるのは 2017-08-23 | 雑感
異常なI’m not Abeな事態 2015-04-30 | マスメディア批評
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金ではない、そこにあるのは

2017-08-23 | 雑感
新聞に各国首脳の給与の比較が出ていた。トップはトラムプで半ミリオン以上、メルケルは360T、フランス、イギリスのメイがメルケルの半分で180Tある。少ないか多いかといえば、一般企業の重役からすればとても少ない。またその激務を考えれば決して多いとは思えない。勿論この後にプーティンなどが続くように、金脈を握ってしまえば給与などどちらでもよいことになる。

激務に拘わらず何期も務めるとなれば最早金の問題ではないとなる。長くやれば長いほど金脈を掴むことになるが、そもそも人の寿命などは分からないので結局は金の話しではなく権力の話しでしかないのだろう。公職などは多かれ少なかれそういった所がある。

涼しかったので夕方スーパーに出かける前にボルダーに出かけた。陽が欠けると寒いぐらいだったが、無酸素運動をしても汗を掻き難い。「ロッホムスター」を更に下から綺麗に熟そうと思うが、名前の通りの穴だけを使おうとするとバランスもとり難い。最初の一手が難しいのはその横の難しい課題でもよく似ている。その後に「ウォーミングアップ」を綺麗に熟した。それでも腕肩に掛かる負荷が大き過ぎる。

現在使っているクレッターシュ―「ソリューション」の爪先がそろそろちびてきた。ゴムを張り替えを考えると今でも爪先に力が入り難いので、そのサイズ38.5よりも大きめの39を購入した方が良いと思うようになった。靴自体はとても良いので、もう少し足が楽になると小さな岩場で限界までを登るときはそれでも使えるような気がしてきたからだ。

靴と同じ2015年春に購入したが、フランスのデカトロンで購入したシモンのクライミングパンツもお尻が破れているのを発見した。通常は下にショーツを履いているので問題がないが、街でも履けるということで使っているので、新調しなければいけない。割引で30ユーロで購入して二年間使えたので御の字である。標準価格で40ユーロ、但し今回は二年前に無かったサイズMがあるので、店頭で先ずそれに膝を通して見ようと思う。

翌朝の森は、摂氏13度ぐらいで、そして陽射しがあって気持ちよかった。前日の筋肉痛などもあって身体解しだけの走りだった。森には普段見かけない顔が敷物のようなものをもって林の中に入っていく。クワガタを落とす訳でもないので、なりかけた青い栗を集めているのだろう。

承前)セラーズの「ティートの寛容」を改めて流した。3Satの「ハイヴィション」で流すと肌の凹凸まで見える。デジタル技術は恐ろしい。1280x738で大きくはないが通常のモニターサイズでは十二分過ぎる解像度である。音響はCDレヴェルだが、音楽はどちらでもよい。それにしても通常の最後のフィナーレの扱いは見事だった。この制作ではその後にティートが倒れて、フリーメーソンの葬送音楽となるのだが、劇作的にここはそもそもこのオペラセーリアもどきが敢えて開いたままにしてある創作となっていて、所謂音楽劇場作品であり、ドイツ歌劇「魔笛」から更に一歩を踏み出しているところである。それがセーリアもどきにイタリア語で書かれているのだ。

この制作では具体的に、負傷したベット上の独裁者ティートがテロリストのセストらを恩赦する。しかしここは元来必ずしも単純なハッピーエンドに書かれている訳ではなく、重唱の中でティートは「(この裁定が)ローマの意思に沿わない限り、殺してくれ」と叫んで、生命維持装置を外していく。要するにモーツァルトはその寛容をも聴衆に問いかける形で、登場人物を各々現実の社会に降臨させる形になっている。音楽劇場の目指す、劇場の壁を乗り越える作品である ― 恐らく今回の指揮者を含めて、多くの人にモーツァルトの天才を分かり難くしているのは、そのBGM的なエンターティメント性に他ならない。

その音楽的な構造や創作のその背景についてはまた見ていくとしても、今回のセラーズが指し示した劇場を超えるものは、一つには現在われわれが生きている社会での苦悩でもあり、オペラセーリア的な勧善懲悪や啓蒙思想に根差した理想とする古典的な世界観でもない。ドイツのこうした音楽舞台作品を見ていく上で、「魔笛」のみならずモーツァルトの作品はその礎となっているのが益々分かるようになる。オペラを知りたいと思えばバロックオペラを知ること無しには理解は不可能だが、音楽劇場を考えるときにモーツァルトの「魔笛」や「ティートの寛容」無しにははじまらないだろう。それを、エンターティメントの形としてセラーズは示すことになっていて、もしかするとザルツブルク音楽祭が始まって以来のモーツァルト再考の快挙ではないかと思うようになってきた。音楽自体はとても器用な指揮者が小憎らしいほどに上手くつけていて、この人こそが音楽芸術に何一つ貢献しなかったフォン・カラヤンの後継者ではないかと思う。とても二流の音楽監督に出来るものではない。



参照:
伸びる仏印ジーンズを購入 2015-04-09 | 生活
26CMで解決へのもう一歩 2015-03-15 | アウトドーア・環境
ボールダーで新技術習得 2017-08-16 | アウトドーア・環境
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ピリ辛感が残る最後

2017-08-22 | ワイン
ザルツブルクのセラーズ演出ティート役ルッセル・トーマスから「いいね」を貰った。ORFで観た動画のサイトの写真をリツィートしていたからだ。その写真には彼が大きく映っている。この月曜日が楽日のようでその前日の日曜日にホテルで時間があったのだろう。

彼のサイトを見ると、自分では書いていないので丁度私のメインサイトとよく似ている。オフィシャルホームページにも歌うアクターともなっていて、この人は現実をとても厳しく見ている人らしい。それでも驚くにアンドリウス・ネルソンズなどとも共演している。この指揮者も奥さんのクリスティネ・オポライスなどの関係もあって歌手や劇場とはまた別の繋がりもあるのだろう。なるほどその動画でも新聞評などでもその歌唱には限界があった。それでもリー将軍の像らしきものがなぎ倒されているニュースがリツィートされている。どうもご本人はヒラリー支持だったようだ。

殆んど有名人お断りなサイトなのでフォローしようかどうしようか迷ったが、今回のシャーロッツヴィルの騒動はこのまま終わらないと思っているので、それらの巷の情報を追うためにもフォローした。序にそこに二月にローゼンカヴァリエで口パクをやって、今回はヴィテリアの名唱で輝いていたゴンドラ・シュルツの記事をリツイートしておいた。そこにミュンヘンでの上演のセストを歌ったアイルランド人のサイトも見えたがこちらはヴィデオでしか観ていない。

やはりザルツブルク音楽祭の「ティートの寛容」は本当のイヴェントになったと思う ― 何十年ぶりのことだろう。そしてこの公演だけは最初から唯一注目されていたプログラムだった。ピーター・セラーズのインタヴュー等は見ていないが、とても今日現在をその透徹した芸術的な視線で制作しているからこその成果で、合衆国が世界が良く見える舞台だった。当然のことながらトーマスをザルツブルクに推薦したのはセラーズに違いない。するとその演技を歌を度外視にしてもう一度見てみなければいけない。そもそもここではあの三流の音楽を消して耳を塞いでオペラ鑑賞しなければいけないのだ。3Sat放送分をもう一度落として比較してみよう。
La clemenza di Tito 2017


先週も通常量だけは走れた。特に週末は涼しくて、日曜日は摂氏13度だったので気持ち峠を攻めた。まだまだスピードを出せるような状態には無いが、涼しくなると気持ちが良い。走りの爺さんとも気持ちよさを共有した。それでも先週はここ数年としては最も大きな体重を計測した走ってからあと73㎏を超えていた。理由は全く思い浮かばないが、例年の癌症状の夏バテ時の夏太りらしい。発汗量が減って、寒さで頭が痛くなるぐらいだから、水気が体に溜まるのだろうか。

週末は1998年もののメドックでステーキも食したが、その前にはソ-セージをリースリングで食した。リースリングを合わせるつもりではなかったが、開けたナーヘのデーンノフの2014年デルヒヘンのスパイシーさがとても似合った。

これはグローセスゲヴェックスであるのでまだ瓶詰後二年を迎えたところで時期尚早ととされるが醸造所オーナーに言わせると早くから飲めるのがデルヒェンということだ。初日はまだ新しいので酸が前に立ちはだかったが、黄色味がかったリンゴの香りがあり、そして僅かの蜂蜜香がある。若干のポトリティスを感じさせるが場所柄仕方がないだろう。そして、チリのようなピリ辛が最後に残る。酸はこなれている。但し、素晴らしい土壌だとは感じるが、充分なテロワールの表出があるかどうかというと若干疑問である。グリルしたソーセージにはそのチリのスパイシーさがばっちりだった。こういうGGの楽しみ方もあるのだ。



参照:
齢を重ねて立ち入る領域 2017-07-01 | 文化一般
若ニシンチラシに合わせる 2017-07-03 | ワイン
反レーシズム世界の寛容 2017-08-11 | 文化一般
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ホタテの道の金の石塁

2017-08-21 | 文化一般
承前)カステルッチ演出「タンホイザー」を、その前に「兵士たち」のヴィデオを観たことで、よりよく理解した。細かな謎解きは幾らでもありそうなのだが、それが音楽の本質に根ざしていて、創作を理解することにどこまで役立つかのかどうかはとても疑問である。そして、先にアップした一幕の写真の金に輝く岩のように理解に役立つ意匠はそれほど多くは無い。

その巨岩に関してはプログラムには触れられていなかったが、劇場が後になってその意味するところをネットで謎解きしていた。それは、最近も益々「自分発見の旅」として人気の絶えないサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道(通称ホタテの道)にあるクルツデフェローの十字架の立てられた石の山を意味するということだった。その石の山は巡礼者によって運ばれた石で築かれていて、今でも多くの人々がそこに世俗の罪の石を棄てていくということである。そうして築かれた丘を岩を意味する。

そして三幕一場で、ローマから戻ってきた巡礼者たちは最早巨岩でなくて両手で抱えるような金の石を各々が携えている。そしてそれを携えたまま去っていく。その巡礼の列にエリザベートはタンホイザーを求めるが見当たらない。

タンホイザー役のクラウスと記された石棺に少し大きめの金の石が置かれたままだ。そこから永久の変容が始まる。ヴォルフガングが「おお優しい夕星を」と歌い、闇に染まるヴァルトブルクの谷の上に広がる天を見上げる。そこから途轍もない時が流れ、悠久の変容を重ねていく。ありとあらゆるものは掌から零れ落ちる砂と帰す。

実はクリーゲンブルクの「兵士たち」演出での黙示録的光景の中で、十字架によるカトリック秩序と過去から現在、未来への時間の推移が円環をなして、原始的な普遍的構造を有するという発想がここでも活きて来る ― ここでは時間は矢に表される。とんでもない時の経過を示すテロップが示すものは普遍的な存在を示すことになる。背後の環の中で蠢くものは生物であるのかもしれないが、必ずしも人類とは限らない。そう思うと二幕における意味不明の芋虫ごろごろのバレー団のマス演技も幾らかは理解できよう ― まるで日本の初等教育におけるお決まりのタンホイザーの音楽が流れる運動会風景であり、カステルッチは9月の東京引っ越し公演にこれを合わせたとしか思われないぐらいである。

そもそもこのオペラの内容自体が、ラインのロマンティックなどを超えて遥かに形而上のものであり、その音楽的に限られた素材の中で、楽匠を死の直前まで苦慮させたものである。今回の新制作のプログラムには御多分に漏れず逐条的、意匠ごとに言語的定義付けが試みられているが、そこから創作の苦慮が解き明かされるとは思わないのは、カステルッチ演出の謎解きの徒労と同じである。

とどのつまり音楽の抽象的で歴史文化的な面から内容を観察しないことにははじまらないのである。だから音楽的にも筋書的にも重要な要素である巡礼が時間的空間的な構造を定めているのは当然かもしれない。丁度それとは相容れないような形で、二幕の歌合戦の場では「芸術」と記された半透明のボックスが置かれて、その中の「営み」が具象化される。そもそもの一幕における乳出し祭りとその白い衣装は所謂ニンフのそれであって、エルザの白い衣装や何かを隠すヴェールにも共通していて、それがまた営みの発動となっている。当然のことながら「狩りの悦び」へ繋がれるのは、プロテスタントのクラナッハの「寓話」に描かれているそのものでしかない。なるほど、イタリア人でなければヴァークナーの「救済」にこれを描き出せなかったのかもしれない。それは二幕の「ローマへ」のフィナーレにおいては効果的に機能していたのだろう。
TANNHÄUSER - Trailer (Conductor: Kirill Petrenko)

そのように辿っていくと、一幕での聴衆に与える一種の焦燥感と肉塊が、三幕では諦観と死体の腐乱へと引き継がれて、劇としての効果を上げていた。しかしそれが音楽劇場的な効果ではなく、エリザベートを歌ったハルテロスの渾身の役への同化的な芝居的効果となっている。結局は、音楽的な効果を待つことなくしては幕は一向に下せそうにない。(続く



参照:
聖なる薄っすらと靡く霧 2007-11-03 | 暦
殆んど生き神の手腕 2017-07-13 | 音
辺りをふらついてみる 2017-08-07 | 生活
芸術的に配慮したarte新動画 2017-08-03 | マスメディア批評
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ストリーミングの昨日今日明日

2017-08-20 | 文化一般
そろそろ新制作「タンホイザー」の続きを語らなければいけない。その間に、ベルント・アロイス・ツィンマーマン作曲「兵士たち」を観た。新音楽監督就任後三つ目の新制作だった。残念ながらこれは最後の2014年11月4日の上演も見逃している。既に7月にバイロイトの「指輪」でその稀有な才能に出合った筈なのだが、ミュンヘン詣ではクリスマス前の「影の無い女」まで持ち越された。この辺りの判断の遅れは、やはり二十年ぶりの歌劇場訪問でまさかそこまで上質な上演が平素行われているとは知らなかったからである。書いたものを調べると、その時に初めて指揮姿を観たことで詣でを決心したのだろうから、バイロイトであれだけの体験をしながらも見過ごしてしまう理由はあったのだろう。

しかしこの5月25日の新制作公演は、初日からとても評判が高く、その新聞記事の内容も覚えている。それでもバイロイト体験する前であるから、なぜこの曲がケント・ナガノ指揮で演奏されなかったのかと残念に思ったぐらいだった。ケント・ナガノ指揮ならば出掛けていたかもしれないということになる。今手元にあるのは、DLした4.93GBの5月31日上演のストリーミング録画である。音質的にはもう一歩もの足りないので、生で体験できていない分を埋め合わせることは叶わない。
Prelude of Bernd Alois Zimmermann's DIE SOLDATEN - conductor: Kirill Petrenko


クリーゲンブルクの演出も上出来で、また主役のバーバラ・ハンニガンも素晴らしく、誰がその代わりに歌えるのかも想像つかない ― 本日朝のラディオではルールビエンナーレでのメリザンドの歌唱と演技が評価されていたが、女性の非をも扱っている演出としていた。ツィンマーマンの戦後の多層的な音楽は、指揮者オクサーナ・リニヴをアシスタントとして高品質な演奏が繰り広げられている。新聞批評にあったように「そのシーズンにあった(世界のオペラ劇場での)新制作とは距離を置いて断トツの上演だった。」というのはとても上手に表現されていたと思う。要するに座付き管弦楽団がこの作品を演奏する場合の模範的上演ということだろうか。今回は、トレーラーにあるのと同じゲネラルプローベ時の映像などが新たに見つかったので、再度全曲を流してみた。
Kirill Petrenko conducts the final scene from Bernd Alois Zimmermann's DIE SOLDATEN


オープンVPNを便利に使えるSoftEtherVPNというPC向けのソフトをノートブックにインストールした ― LINUXにもインストールしなければいけないかもしれない。基本はアンドロイド用アプリと変わらないがPC用なので多機能で使い易い。なによりも同じリストでもViewが異なるのでその所在地まで分かる情報も書かれていて、別途調べる必要もなく、リストから直接所望の場所でのサーヴァーを選択可能となる。希望する所在地のサーヴァーにアクセスして接続すれば、PC全体がその土地にあるのと同様にネットサーフィン可能となる。リストは偏りがあるながらも世界的なネットになっているので、安定しているサーヴァーさえ選択すればOPERAのVPNサーヴァ―よりも遥かに可能性が広がる。RADIKOもブラウザーを開くとご当地の参加ラディオ局のリストが表れる。どこかに接続した場合はラディオ日本ぐらいしかなかったので可成り地方にあるサーヴーを選択したようだ。

VPNゲートに接続して、また必要なければ断続すればよいので煩わしさは殆んど無い。つまり通常のネットストリーミングと同じように使える。このまま進めばTVステーションというのが今後も存続するとは考えられなくなる。一方では日本の家電などが落伍したように高品質ハイヴィジョンがあって、一方にはネット配信しか観ないという人が殆んどになって来ている。ドイツの公共放送はネット配信を積極的に推し進めたので、聴視料も強制的に世帯事業所ごとに徴収するようになって、そして聴視料を払っていない限り海外では見られないようにブロックを掛けた。しかしこうしてVPNを使うとその効果も無くなる。やはり、報道などのネットワークも国際的な網を掛けないとグローバル化が思い通りに進まなくなる。そうしたネットワークの構築の弊害と混同されているのが著作権やその著作権徴収団体などだが、実は全くそれとは関係が無い問題なのである。因みに上記の劇場作品は著作権がまだ活きているので、地域限定で徴収するとその場合はやはり著作権料の徴収に問題が出る。



参照:
オープンVPN機能を試す 2017-08-19 | テクニック
耳を疑い、目を見張る 2015-05-27 | 音
竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般
「ある若き詩人のためのレクイエム」 2005-01-30 | 文化一般
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オープンVPN機能を試す

2017-08-19 | テクニック
海外在住の日本人には興味があるかもしれない。先日から日本の熱心な音楽ファンが中華資本に買収されたOPERAのVPN機能つまりOPERAが無料で提供している中継サーヴァーを利用することで地域限定の情報をダウンロードしていることについて触れた。しかし我々が、逆方向に日本の国内向きのそれにアクセスしようとなると、OPERAは日本にはサーヴァーを有していない。それならばということで他の方法を模索した。NHKに関しては若干異なるが東京一極集中型なのでそれほど問題はない。しかし馴染みのある地域のラディオなどを聞こうと思うと所謂RADIKOというのを使わなければいけない。

以前に例えば在阪局のネット配信などを聞いたことがあったが、その後に上のシステムになってから海外はおろか地域限定のネット配信がなされるようになって、受信は余計に難しくなった。ある年齢以上の世代は短波放送で世界の裏側まで聴覚を伸ばしていた訳だが、まさかネット時代になってこうした地域限定のローカリズムに出くわすとは思ってもいなかった。そこで全く関心が無くなったのだが、今思うところもありRADIKOを試聴した。

先ずは、PCはこれに関して除外しておいて、ANDROIDタブレットで試みた。必要なRADIKOアプリがダウンロードできない。グーグルプレーストアーに回されると、たとえプロキシサーヴァーでIPアドレスを誤魔化していても、駄目なのだ。そこで調べてみると古いヴァージョンならば他のサイトで入手可能というのである。ヴァージョン5台も試してみたが日本外では使い辛いようだ。恐らく携帯電話受信ならば契約次第では上手に使えるのかもしれない。そこでそれ以前の4.03をDLした ― 正規のもの以外のそれは怖いという人がいるが、丁度写真のところでGPSをオンにするように、マルウェア―よりも携帯電話のGPSを常時入れておくとその位置情報などの方が遥かにスパイウェア―であることを知るべきなのだ。

それ以外には地域ごとのオープンVPNを容易に使える筑波大プロジェクトのサーヴァーにあるVPNゲートのリストだけでなくそのアプリをインストールする。これは問題なくプレーストアー経由でDL出来た。これで完了である。関西のラディオ局からの放送が聞けた。在京のそれはVPNの数が多いので更に容易だ。地方局のそれはリストからその地域内のVPNサーヴァーを探すのが更に難しくなる。関西でも関東からすれば大分少ないのでそのアクティヴな時間帯などは慣れないと見極められないかもしれない。

以前からTorとかProxyとかはその匿名性から使われてきたが、最近はそれほど匿名性は無くともVPNなどのより質の高い接続が一般となったばかりか、Proxyにおいても使える速度になって来たのを感じる。以前は小さなファイルのDLだけでも難しかったのと大違いで、中継サーヴァー経由でもStreaming視聴が可能となって来たのに驚かされる。これは同時に、違法ストリーミングの視聴もEUの最新の判例で賠償指示が出された技術的背景でもある。それからするとOPERAの機能は会社側の情報提供の判断如何によっては係争問題になるかもしれない。

結論として、在京のラディオ放送を海外で携帯電話やタブレットで視聴するのは嘗ての海外放送の短波以上に容易になった。そしてオンタイムで全放送を流せる。その他の地方もノウハウを重ねるとストレスなく聴視できるようになるだろう。技術的にはこのように解決するが、地域限定を乗り越えることでの民事法的な問題は未解決のままである。

ミュンヘンの劇場のアジアツアーに関する動画を幾つか観た。引っ越し公演である東京公演のプロモーションフィルムが一番内容がある。それでも二つのオペラにコンサートまでを販促しているので音楽と画像があっているところは少ない。それでもイゴール・レビトとのラフマニノフやマーラーの一部の映像は未公開の映像である。ラディオ放送の時かもう一日のどちらかに撮られたもので、全プログラムの記録が存在しそうである。カメラはオペラを含めて屡々回しているので未公開の映像はいくつか存在する。
バイエルン国立歌劇場 2017年アジアツアー紹介映像


台北では二回のコンサートがあるのだが、なぜかベルリンでの家庭交響曲の障りをデジタルコンサートの画像をもとに短く切ってある。日本向けのヴィデオにおいて歌手のナジが「ゴーイングトュ」まで語って切ってあるのは三カ国を名指ししたので日本の招聘元が切ったのだろうか。韓国のそれは「神々の黄昏」の昨年のツアー向きプロモーションを使っていても折角の音楽が入っていない。あれは最も素晴らしいセクエンツだっただけに音が出ていないのは残念だ。やはり両国とは日本の市場は大分異なるということだろう。フォークトは、バイロイトのインタヴューでもご当地ビールに言及したが、その人間味が出ているグリーティングになっていて中々よい。
佩特連科與巴伐利亞國立歌劇院管弦樂團

바이에른 슈타츠오퍼 내한

Teaser Bayerisches Staatsorchester and Kirill Petrenko on tour, September 2016 #BSOtournee


参照:
旧ビジネスモデルをぶっ壊せ 2017-08-05 | マスメディア批評
ロビーや市民感情を乗り越えて 2012-08-11 | 文化一般
海賊党が問題提議したもの 2012-04-22 | 文化一般
辺りをふらついてみる 2017-08-07 | 生活
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文化需要の光と影のその間

2017-08-18 | 文化一般
日本語のテュイッターをみたら面白いことが書いてあった。北欧で昼日中からヘッドランプを点灯しているので、「法的拘束があるのか」という投稿だった。それを読んで思ったのは日本では昼間にライトをつけるのは二輪車ぐらいしかないのだろうということである。なるほどドイツでも陽が落ちてから無灯火で走る馬鹿者が時々いるが、北イタリアなどで冬季の灯火が義務付けされてからドイツでも白昼の灯火は増えた。

日本はそもそも陽射しが違うので灯火の効果が限定的なだけでなく、夜間の明るさが異常である。夜間の高速道路でも街路灯がついているのはベネルクス三国以外に欧州では他に知らない。ポーランドも今は照明されていると聞いた。アウトバーンであると中途半端な光があると高速は出せない。だからハイビームが自動調整されるシステムが普及すると早く走れるようになる。

そんなことよりも考えたのは光と文化だった。前述の日本の陽射しに気が付いたのは日本に初めて降り立った時で、二三か月の欧州旅行からの帰宅時には全く気が付かなかったことだ。冬を通じて少なくとも数年以上は欧州に住み続けていないと分からない感覚で、若しかすると毎年夏に帰省しているような長期欧州滞在者にはいつまでも分からないのかもしれない。それでも移住を決心する原因の一つに、日本の夜の明るさでは文化的な活動が出来ないと考えたことがある。不夜城と見做されるアジアでも特に明るいのが東京を中心とした日本の大都市圏であるのは今やその衛星写真から皆知るところであるが、それは甚だしい。それでもネットにて夜の光害について扱っている人には一人にしか出会っていない。多くの日本人は気が付いていない様だ。

光の文化は、色彩とかそうした視覚的な印象を語るのだろうが、その影の文化は、遥かに豊かである。殆ど原始的な印象を人はそこに感じる。夜の闇でもある。そのように思うと手元にあるヴァルター・べンヤミンの「ベロリニアーナ」に手が伸びた。19世紀末から20世紀始めの子供時代のベルリンを語っている。とても多くの影が印象されるのはユダヤ人の生活感情の目を通しているばかりでは決してないだろう。そしてソヴィエトを訪れて理想の世界である共産主義国の張りぼての光と影を観て失望して戻って来た。我々が国境の向こうの東独の奇妙なネオン管の光の色に不思議な気持ちがしたのと同じようなものだったろう。

地上の境だけでなく、そこに境があると思う。これは二元論でもなんでもない。そこから芸術が始まるということだ。日本社会から影を奪った責任は松下幸之助にも間違いなくあった、それが豊かさであって、幸せであったのだ。そして近代化の日本社会の変遷でもあったのだろう。恐らくその環境への意識が西欧と最も日本が異なるところで、その文化的需要の質が最も異なるところだろうと思った。日本のE‐MUSIK需要の限界もそこにあるように思う。



参照:
街の半影を彷徨して 2005-12-11 | アウトドーア・環境
影に潜む複製芸術のオーラ 2005-03-23 | 文学・思想
技術信仰における逃げ場 2007-11-06 | 雑感
尻を捲くり立ち留まる 2005-10-29 | 歴史・時事
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