Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2023年06月

2023-06-30 | Weblog-Index


流量をも整えるノズル 2023-06-30 | 生活
音楽劇場的な熱狂とは 2023-06-29 | 音
再考する週末の行程表 2023-06-28 | 生活
輝きそうなそのスター性 2023-06-27 | 音
感動を呼ぶ音楽劇場指揮 2023-06-26 | 音
ブロブの720種類の性差 2023-06-25 | 歴史・時事
聖フランシス「太陽の賛歌」 2023-06-24 | 文化一般
開けていられなかった目 2023-06-23 | 生活
日本旅行を越えて何時か 2023-06-22 | 文化一般
想定内のキャンセル 2023-06-21 | 雑感
動物のミミックな動機表現 2023-06-20 | 音
28年ぶりフィルハーモニ 2023-06-19 | 文化一般
来たる週はバッチリと 2023-06-18 | 生活
終身指揮者ペトレンコの意志 2023-06-17 | 音
アムステルダムへと一週間 2023-06-16 | 文化一般
少ない摩擦のその素養 2023-06-15 | 雑感
キリル・ペトレンコのキャンセル 2017-06-14 | 雑感
愛する者のみが赦される 2023-06-13 | 文学・思想
巡礼の一日の式次第 2023-06-12 | 生活
下着用までの洗濯ネット 2023-06-10 | 生活
零の降雨確率の初日予定 2023-06-09 | アウトドーア・環境
聖女の嘘の様な物語 2023-06-08 | 女
祭りの交通規制を確認 2023-06-07 | 生活
地下鉄7分、徒歩6分 2023-06-06 | 文化一般
アンジェリコのモード 2023-06-05 | 文化一般
初日前へ座布団を発注 2023-06-04 | アウトドーア・環境
行動食、濡れティッシュなど 2023-06-03 | 文化一般
報告書類を纏めるために 2023-06-02 | 生活
毎週外泊の一カ月 2023-06-01 | 生活

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流量をも整えるノズル

2023-06-30 | 生活
最近腹の調子が悪い。胃から来ているか腸から来ているのかが定かではないのだが、裸のような格好でいて腸を壊して冷たい物を飲んで胃が悪くなった感じでもある。毎年真夏に胃癌症状になるのだが、今年はなぜか早い。空気の乾燥度も影響しているのかもしれない。

胃腸の調子が万全でないと座業でお腹が辛くなる。腸が痛くなると走ることで散らすのを習慣付けて来た。最近は以前のパン屋の序に走っていたように午前中に走るのを混ぜている。心臓への負担が怖くて止めていたが、朝走ると一日が充実する。陽が陰って涼しくなるのを待っていたら夕食が遅くなって、直ぐに寝ると余計に胃腸に負担がかかる。日が暮れるのが遅いと野外活動をしていれば別であるが、自宅にいると明るいうちからベットに入る。それは朝が早くなるから疲れて眠れるからだ。

先日発注したノズルが届いた。あまり発注する事の無いようなものだが、今やアマゾンでも発注可能な厨房の水道の蛇口の先に付けるものだ。そのようなもの無くてもいいというのが普通かもしれないが、ある程度の水圧が掛かっているとこれがしっかりしていないと水量も圧力も押さえられない。そして水がはじかれ無駄な水を消費する。だから調整が効いて使い易い水流というのが存在する。毎分5l迄のものを購入。勿論石灰凝着を押さえるので若干のフィルター効果もある。何よりも水流をコントロールしているので水洗いなどが有利な筈だ。価格は7ユーロである。

必要になった理由は、昨年に水が完璧に止まらなくなっていて、そのフィルターの出口を整えたら、そこの毛細管現象で水のしたたりが止まった。子供の科学としてこれ程意識していなかった効果はなかったのだが、この冬に無理をして再び止まらなくなった。そこで表面張力でバランスを取る様に出口の網を整えたのが上手くいかず、水が弾けるようになった。パッキングも駄目になった。そこで水の消費とあまりにもの不自然な水流を整える必要があった。

探してもみると内側ネジが切ってある直経2.2cmがあったので選んだ。それもねじ込みが長いものを選択した。予定通り届き、形状は問題なく使えることが分かり、早速ねじ込んだ。そして水を出すと上にも噴水を架けた。これで理由ははっきりして、ネジがしっかり締まっていないのが問題とはっきりした。そこでシリコンオイルをスプレー、根元までしっかりと入れると模範的な水流となった。結局そのことがなによりも大きかった。これで7ユーロぐらいの水の消費を直ぐに減らすことが可能と思う。



参照:
2015年度暖房費をチェック 2016-06-30 | 歴史・時事
冬のメルへェンへと 2022-11-27 | 暦
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音楽劇場的な熱狂とは

2023-06-29 | 
承前)遅れて劇場に到着。それでも二景には間に合った。先ずはトイレに行かせて貰って、景の変わり目を待とうとしたら、ここなら入れると言われた。音響が悪そうなので断り、もう少しよい2列目の場所に案内させる。ウサギの埋葬のところは、初日とは反対方向の近くであるとフランシスコが参列者に挨拶する様子なども観れた。やはり1列目の自分の席がいいと思ったのは、横に合唱団が入って来て舞台を隠して仕舞った時である。音楽的にも舞台の声を真っ直ぐの位置で聴くので言葉が明晰に。同時に奈落の中も近くよく見えるのが特等席に近い。しかしそれは3部であって1部は奈落は閉まっていて舞台の紗の奥に楽団が並んでいる。それはそれで紗が開いてから舞台の天頂が見えたりと面白い効果もあった。籟病者が出てくる三景で、プロジェクターがその黴状の菌を大写しにする。

初日の時は最初からそのボイスのウサギの存在が強すぎてあまりにも揺さぶられるものが多かったが、そこを抜くと動機の繰り返しなどは若干意味合いが薄くなっていたゆえか、寧ろ籟病者とのディアローグそして天使の声ととても感動的だった。

悦びの動機と下降動機、やはりとても上手に出来ているのだが、おばさんが初日の後に語っていたグレゴリオン聖歌とモードの繋がりがよく分かるのも、やはり必要な音が出ている事だと改めて認識する。それは今回改めて聴き直した初演で小澤征爾が抜群の指揮をしている。その後20回ほど上演されているようだが、その指揮を越えたことはなかったであろう。作曲家とも打ち合わせながら座付き楽団が可能なテムピを採用して無理なく正確な音化を心掛けていて、当時のインタビューでもメシアン先生がとんでもなく難しい曲を作ってとぼやいていたのだが、とても健闘していて、小澤の名前を残す歴史的な仕事となる。

しかしそれでも足りないのが十分なモードの色付けで、今回のエンゲルが最も精妙に出していた色である。やはり自らがダブルべースを爪弾いていたぐらいだかその辺りのバランス感覚が勝れていて、成程指揮者シャニなどとも共通点がある。但し全く鬱陶しい音にならないのはまさしく新しい音楽の初演魔の音感覚に違いない。それどころか、三部の別れの歌はまさにプッチーニの「ジャンニスキッキ」の歌でもあり、「パルジファル」だけではない影響が分かる。

そうした音感覚が人々を足元から揺さぶる音響表現としている。二部の野外での退場から数時間ぶりに再び今度は奈落に入ってくるととても強い拍手が起こった。このように熱狂的に迎い受けられることは珍しい ― ペトレンコ指揮のオペラ上演にはそういう劇場的な熱狂はない。如何に一部から二部へと全ての感動がここに繋がりフィナーレでの熱狂に向かったがよく分かるエピソードであった。(続く



参照:
生中継される「三部作」 2022-08-14 | 文化一般
愛する者のみが赦される 2023-06-13 | 文学・思想
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再考する週末の行程表

2023-06-28 | 生活
気温摂氏20度と過ごしやすい。30度と比べると日差しも弱いが運動出来るので朝の内に走って来た。それでも汗を掻く、嘗てそうしていたように心臓にさえ負担が掛からなければ午後が気持ちよくなるのでこれ以上のことはない。仕事の後のビールも上手いだろう。来週の散髪も予約しておいた。

週末のアウトバーン閉鎖は予定通り解かれたが、一度経験すると不信感が募って工事しているようなところはあまり通りたくない。計画を再考している。夏休み時なので、日曜日とは言いながら13時迄にシュトッツガルトに入るにはやはりそれなりに余裕をもたないと駄目だ。ハイルブルン経由で入って、一部終演がどんなに拍手が長く続いても15時数分で15時15分には駐車場を出せる。バーデンバーデンの始まりが17時なのでギリギリで恐らく最初のバースタインは聴けない。しかし二曲目にはどこかで聴けるだろうか。まあ、前半はたいして重要ではない。後半のオテロのラッセル・デーヴィスの声を割りながらの爆唱とデズデモーナのエンジェル・ブルーの声だけで十分だろう。メトの管弦楽団も四十何年ぶりで、レヴァイン指揮以来となる。ドイツの劇場での頂点との差を見究めたい。

交通事情で終演後のシュトッツガルトの三部には間に合わないと思っている。19時に車に乗っているかどうかだ。あまりにも時間があるなら交通情報を鑑みて挑戦するが、さもなければ無駄になる。大体一部を経験しておけばその観客の入り方は分かるので成功の程度も予想可能だ。

前日にバーデンバーデンを往復していて、午前から移動となると結構疲れているから、無理はしない。先の迂回路などの夜間運転も厳しかった。眼鏡を替えても夜道は厳しい。やはり新車には夜目の監視カメラや対向車ライト対策装置等は必要だ。少々の額よりも安全性と気楽さが助かる。また眠気も以前と比べて少しマシになったかという程度で、零時を超えると辛くなる。それでも宿泊までは必要無いことは分かった。野外劇場とそれへの往復等で六時間過ごすことを考えれば、車で往復三時間、祝祭劇場で二時間ならば楽な筈である。祝祭劇場での軽食もしくはピクニックの準備は欠かせない。

そう言えば6月2週に罰金の催促状が来ていた。スピード違反8km超過だった。写真を見ても覚えがないので日付を見ると4週間前ほどの5月21日だった。20ユーロ払うなら返信不要ということで、調べると2回目のワイン試飲会の帰りだった。酔っていたから最後のところで追い越しで通過したのだった。車線外側から写されているとは。記念写真は白黒印字でもとても高い。点数に関係ないのでそれだけである。やはり酒帯運転は駄目である。



参照:
輝きそうなそのスター性 2023-06-27 | 音
開けていられなかった目 2023-06-23 | 生活
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輝きそうなそのスター性

2023-06-27 | 
承前)二部終演での拍手も素晴らしかった。あれほどに条件が悪くとも聴衆が満足していたのはよく分かった。個人的には初日が暑くて飲み食いだけしかしていなかったので、今回は最初から日陰に移った。席探しの過程でPAメイン右スピーカーの外側ぐらいにあったのだが、気が付いて止めた。それなら平土間から横スタンドの楽器舞台横の方がよいと思ったので、やはり高めに移った。

打楽器系の生音が凄かったが、低音管もそこでのコルネットなども面白かった。対岸の高弦も比較的聞こえて、舞台への返しスピーカ以上にそれが聞こえた。バランスは分からないがそもそもスピーカーからの返しを聞いての演奏なのでそこ迄至妙な音は聞けない。

しかし指揮者がやっていることは、手元に腕のあるリズムを刻むマリムバを集めと、一部と同じ様な方法である。これだけで大枠が崩れる事がなくあまりにも難しい鳥の二つの演奏会が繰り広げられる。若干緩む場面もあったのだが、とても良い雰囲気と、お茶などを呑もうと音をさせては拙い緊張感が漂っていた。それも如何にも違う聴衆層も熱心だったのはそれほど引き付けていたのだろう。寧ろ我々のように演奏の妙味を検証する人よりも身体全体でライヴを堪能するような人の方が面白いのだろう。

ここで重要なのは事細かに紹介された鳥の鳴き声がどのように使われているのか、その語ることが興味深く、神への感応は自然の中での肌ざわり感であるのもよく分かる。この創作意思の一つにはまさしくそうした交感にある。その意味からもこれだけの音楽をしっかり会場で聞かせてほしいという願いもある反面、オープンエアーでこそ示されたのは何も森の鳥との歌い合わせだけではないと気が付いた。

個人的には屋内では混ざって何がどう重ねられているのか分からないようなところも、場所もあって比較的聞けたと思う。歌手も走り回って近くで歌ったりするので地声の大きさもよく分かってよかった。

忘れてはいけないのは前回通り、頭巾を被って現れるので指揮者を待っていた私までが指揮台で頭巾を取って頭が見える迄気が付かない。写真を撮りそこなった。そしてそこで笑いが漏れる。これだけで身体的特徴を効果にしてしまうのは流石に第一人者である。もうこれだけでそのスター指揮者の要素が輝きそうである。そして終わってもしっかり頭巾をして出て行って、熱心な長い拍手が続いても二度と現れず。(続く



参照:
動物のミミックな動機表現 2023-06-20 | 音
アンジェリコのモード 2023-06-05 | 文化一般
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感動を呼ぶ音楽劇場指揮

2023-06-26 | 
シュヴァルツヴァルトの北の端プフォルツハイムのアウトバーンが閉鎖になっていた。調べると週末だけだったが、引っ掛かった。知っていたらハイブルン経由で走った。お陰で1時間40分の走行時間が3時間20分ほど掛かかり、第一景に遅れた。それでも自分の席の広報に入れて貰って二景は観た。途中で帰宅時の引き返しで二時間も含めて交通違反がないかなどの心配事、一部復旧となったアウトバーン使う今週末の計画の立て直しなど山盛りである。

そうした全てを一部、そして二部、更に三部の観客の鳴りやまぬ拍手が全て帳消しにしてくれる。現在通常のオペラ劇場や音楽祭を含めて音楽劇場で最も感動を与える上演の指揮者はティテュ―ス・エンゲルだと皆が肝に銘じた。フィナーレのその音楽運びの秘訣を見てやろうと思ってしっかり聴いていたが、初日とは少し力感が違ったが、劇の内容も初日よりより大きくなっていた。分かっていても感動する。勿論演出との兼ね合いもあるのだが、孵化の最終景のプロジェクターへの合わせ方も昨年もヴィーンやパリで大きな話題となった「ヴェルティゴ」に合わせた上演などのノウハウが活きている。聴衆の多くは彼がただの指揮者ではなく音楽監督であることに気が付いている。

だから歌手のラインが一度だけの礼でエンジェルが迎えに行って指揮者が出て来て初日同然に湧くのだが、楽団を立たせるとスタンディングオヴェーションが始まった。それも地元の座付き楽団へのというのとは違っていた。そこには指揮者の後ろに座っていた日本人男性らしきも映って立っている。
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE, So., 25. Juni 2023, 14:00 – 22:15, Staatsoper Stuttgart


現時点でも最もエンゲルの宣伝を呟いているのは主に私と彼の事務所だけなのだが、シュトッツガルトでは新制作「ボリス」の影響もあってそれ程無名ではない筈だが、玄人も含めてどのように評価していいかに躊躇してきている。ペトレンコと賞を別けたのは2019年だが、もはやそこで感動した聴衆たちの信頼度は決して薄まらないと思う。

その様なこともあり初日には私のグループに同行していた同劇場の音楽監督マイスター氏にも一言声を掛けておいたが、私がその呟きの主だと感じていたのではなかろうか。劇場支配人のショーナー氏は本人にどのような関係か尋ねて知っているだろう。そして支配人席からこちらの方の観客に声を掛けて来ていた。

一体音楽劇場第一人者のエンゲルの指揮がどうしてここまで聴衆の感動を呼ぶのか?決して受けを狙うようなことをしていない。抑々その様な新曲などは指揮するにも足らない。そのノウハウはなにか?(続く



参照:
音楽劇場のそのセンス 2022-03-08 | 音
一派の枢軸となるだろうか 2021-12-28 | ワイン
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ブロブの720種類の性差

2023-06-25 | 歴史・時事
承前)6月はプライド月間らしい。ミュンヘンの劇場にも旗が上がり、世界中でLGBT月間が祝われている。新制作「アシジの聖フランシスコ」においてはプログラムの演出家のマーラー女史が語っていた。最終景になぜ繭の孵化をプロジェクターで使ったのか。それは子供の時に池の近くで育ってトンボなどの生物が身近にあったからだとしている。この制作を通して聖フランシスコの博愛の価値が示されているのだが、それは菌の着ぐるみになった籟病者でもあり、鳥との交流でもあり、動物振りの動きでもあった。そこにあるのは物体と魂でしかない。

今秋ベルリナーフィルハーモニカーがカラヤン指揮の時に続いて高松で演奏会を開く。その会場が名付けられているのがレクザムであり、その企業の正業であったプラスティックの形成技術からスキー靴のブランドを作り上げた。その過程でオーストリアの靴職人アウワー氏を技術アドヴァイザーとした。その顧客の何人もの金メダリストや各国のナショナルチームの足型そして熱心なアマテュア―の足形を取り続けたアウワー氏が私たちに語ったことがある。それは日本人の足形がどうのこうのという問いかけに対して、それは人種とか民族性で言えるものではなくて、その比率の大小でどのような傾向があるかというだけに過ぎないと。要するにマイスターとして興味あるのは各人固有の個性でしかないということだ。その問題を持つ全ての足型に合うようにスキー靴を形成していく。ブレンナー峠の麓にある靴職人がその経験から真実を語った。

職人にとっては、カテゴリー別けを越えての眼こそが全てである。なによりも対象を有りの侭に観察する眼である。そして積み重ねられる経験を通しての判断でしかない。

昨10月に体験したクラッツァー演出「マスケラーデ」においても、「有りの侭」の私が主題となっていた。文化社会性というカテゴリー別けでしか集合を扱えない、そしてそこにマスに取り込まれる没個性から目覚めが示された。

聖フランシスコにおいては、あらゆる現象に神の意志が働いていて、自他の隔たり無く博愛へと向かう。それは隣人から、鳥へと、そして原始の生物に迄至る。そしてそこで今回の制作ではモジホコリというスティーヴマックインが登場した映画「ザブロブ」から名付けられたアメーバー状の黄色い菌が登場する。そこには720種類の性別があって、男女の性別の間に、そしてその変遷のステージによって変わるというのだ。それがこの制作において、それは植物でもあり得て、定義できないばかりか、ある時は太陽の陽のように輝く。
The Blob (1958) Trailer #1 | Movieclips Classic Trailers




参照:
源流へと戻っていく 2014-12-26 | アウトドーア・環境
「ありの侭の私」にスポット 2021-11-05 | マスメディア批評
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聖フランシス「太陽の賛歌」

2023-06-24 | 文化一般
承前)木曜の第二回公演は雨天用の運びになるとあった。そこで第二部が教会等で演奏されるということだ。それでも鳥の説教の「鳥の大小演奏会」の演奏は難しい。それに合わせてSWRも初日印象を短く伝えていた。そこで一部が終わった後の聴衆のおばさんの感想が私と全く同じで、グレゴリアン聖歌に不協和から、そして解決で感動したとあった。流石にこの人たちは歌えるのだと思った。それにしてもやはり玄人である。そしてあの稀にみる感動の拍手の源がそうしたものであると分かって、流石に程度が高い聴衆で、最後に指揮者ティテュス・エンゲルへの大歓声の真が分かって嬉しい。通の世界では、第一人者であるだけでなく、 最早揺るぎない支持を得て、更に大きな活動への道が敷かれていると思う。

第三部の「聖傷」の場面も良かったのだが、一番感動したのはプロジェクターとも舞台装置ともいえないような黄色の網が広がっていくところで、音楽的にフィナーレのハ長調を準備している箇所である。まさしく聖フランシスコの「太陽の賛歌」そのものであり、舞台上でこのような表現が可能なのかと思った。同じ演出家マーラーの昨年のミュンヘンでのコーマにいる脳や心臓の動きは皆に感動を与えたようだが、この辺りの発想は只のプロジェクトやコンセプトでものを語る人ではない彼女の芸術性を証明している。

こうやって重要な場面局面をメモ代わりに綴ってきたが、未だ日曜日の第三回公演までににそこと楽譜を合わせておかないといけないと思っている。おぼろげな記憶だけではその正当性を宣言できない。

上の黄色いネットは第二部においても林の手前などに寝かされていたのだが、その意味は太陽の木洩れ陽ぐらいにしか理解できなかった。演出について判断を下そうと思えばやはりその意味合いを改めて吟味する。

そして聖フランシスコ昇天への流れで舞台は感動でしかなかった。一つには喜びの動機のその動物的な動きが、繭の脱皮の早送り映像で以ってそれが悦びへと意味が変遷していくものこそは、まさしくキリスト教における源罰が三位一体の過程を通して、再生へと向かうアキナスによって完成される哲学となっていることに相当している。

聖傷によって、その存在が聖的な意味を持つのであるが、第一部における宗教的なテキスト内容がここに初めて解決されていて、如何に作曲家メシアンが「パルシファル」のヴァ―クナーをして楽匠は聖杯の奇跡を信じていなかったというその真骨頂がこうした形で満たされることになっている。そしてフィナーレに至る合唱の指揮はエンゲルの息の長いクレッシェンドとなっていて、そこだけでもこの指揮者が嘗てのクナッパーツブッシュの様な大きな音楽を形作ることを聴衆は理解したと思う。(続く



参照:
悦びのハ長調への賛歌 2023-05-28 | 雑感
次はエディプスコムプレクス 2023-05-07 | 文化一般
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開けていられなかった目

2023-06-23 | 生活
眼の奥に圧迫感を感じることはある。しかしどちらかというとトレーニングのように感じるのは視界が効くためか。幾ら凝っても凝視する方向で焦点が合うだけなので気分は悪くならない。更に裸眼で何かを読んでもその差に眩暈することも無くなった。一週間経過していないが、眼の下の隈は取れる方向にある。眼鏡が合わなくなってから極端になっていた。これだけでもとても健康的だ。それからすれば眼の神経も無理していた分を解してやりたいとも思う。ただ一つ鼻当ての感じがもう一つしっくりとこない。ティタン枠と同じコーティングのものが使われていて、通常のシリコン感がないのでどうしても当たりが馴染まない。取り外しは出来るのだが、もう少し様子を見て追い詰めてみてもいいと思う。前回の時に若干当たり方を調整したようだが、それほど変わってはいない。

忘れていたのだが、来週末は先ずはメトロポリタンオペラ座のガラ公演がバーデンバーデンで開かれる。昨年日本で予定されていたそのもののプログラムでベルリオーズのプログラムである。なにかお勉強することがあればと思う。幻想交響曲は生で聴いたことがあるのは間違いないがよく思い出せない。前半の歌曲がお楽しみで、少なくともラトル指揮の「ファウストの業罰」の音響はえもいわれぬものだった。ああいう音響はペトレンコ指揮では聴けないかもしれない。歌手のディドナートは昨夏の「冬の旅」で堪能したが、今度は昨夏同様フランコカナディアンのネゼセガンの伴奏で本格的なものを期待したい。

参考に日本で評価の高いカムブレラン指揮の録音でベルリオーズの歌曲集を鳴らす。流石に素晴らしい音響を当時手兵のSWR交響楽団から引き出している。ラトル指揮で経験しているので、一体どのような音響が管弦楽法から得られるかは分かっているのでその見事さはよく分かる。同時にこの指揮者の指揮は全体のコンテクストが全く見えてこないのでその歌詞などに頼るしかないという何度も経験したオペラでの指揮と全く変わらない。

時間があったのでYouTubeに先日の「アシジの聖フランシスコ」初日の拍手と序に復活祭「影の無い女」の拍手などをアップしておいた。前者は木曜日に第二回目の上演があるのでSWRが収録する前にもざっと様子だけでも紹介しておこうと思った。後者も既にTV中継放映はなされていてオンデマンドとなっているのだが、こちらの三日目の収録が主体とはなっていても、映像だけは他日の素材が編集に使われていると思われる。しかし細かなそれは現時点ではよく分からない。

映像を観て思い出すのは強烈な眠気である。眼鏡の調子が悪かったこともあるが、空気が悪くライトに照らされると堪らなかった。舞台のライトの問題は知っているが直接に当っているつもりはなくてもあれだけやられるとは思わなかった。まさしく影が出来る所に苦しみがあるのだった。
Die Frau ohne Schatten, So., 9.4.23, Festspielhaus Baden-Baden




参照:
原罪のエクスタシー 2023-04-16 | 文化一般
金を取れるということは 2021-07-06 | 女
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日本旅行を越えて何時か

2023-06-22 | 文化一般
世界最古の楽団500周年記念演奏会の配券があった。第一希望の第三カテゴリーで97ユーロ。劇場管弦楽団の演奏会としては飛び切り高額である。参加人数や企画の大きさから仕方がないが、フォアールベルクで聴いた時は60ユーロぐらいだった。この調子であると来シーズン以降に再びミュンヘンでオペラを振るとなると可也の高額になりそうだ。それでもミラノに行くよりも価値がある。宿を手配しておかないといけない。

先日のペトレンコのインタヴューは、どうもベルリナーフィルハーモニーでの記者会見でのもののようで、個人的には「アシジの聖フランシスコ」初日があって見逃していた。ユダヤアルゲマイネの内容以外にバイエルン放送協会での付加情報を纏める。

就任して四年間経過した時点で、音響的な成果は三分の一は達成したとしている。初めから追っていて、幾つかの通過地点はあったのだが、既に昨年のマーラーの交響曲七番の前のスーク曲では未知の領域に入っていた。更にカラヤンのワイドシネマの音響のようなものにはしないと宣言する。

それはブラームス、シューマンサウンドにも当てはまり、あまりに不透明となるので ― 全く私と同意見である ―、メンデルスゾーンや若きシューマンには多彩なヴィブラートから鳴らし切って、フレージングすることが重要と考える。歌わせるのもう少し弓を使い切って、歌い切ることで楽団がもう少し歌うようになるのを希望。

新シーズンでは、モーツァルトやベートーヴェン若しくはシューベルトをプログラムにしないが、リヒャルト・シュトラウス、レーガ―にシェーンベルクを振る。特に最後の「ヤコブの梯子」は取り分け難物で、ユダヤ教から抜けて又そこに戻るシェーンベルクに興味を持ち、シベリアの少年期には意味のなかったそれが今や自身の本質的なものになっていると語る ― バーデンバーデンで「モーゼとアローン」を振る可能性は高いだろう。

前者の二つの作品で日本や韓国で指揮をするが、いつの日かロシア大都市でそして故郷のオムスクでベルリナーフィルハーモニカーと演奏したいと夢想する。しかし、彼自身が生きているうちに、彼がその様なところでは指揮しないとする聴衆が文化的に孤立している状況から変わるかどうかは疑わしいとしながらも何かが起こるかもしれないと。しかし今は世の終わりの様な状況であるとの認識を示す。

ベルリンでの仕事は今迄為した仕事で最も重圧であって、イタリアに旅行したり、サッカーを観たりしてバランスを取っている。それ程入れ込んでいて演奏会で更にそして最終的には報われると、まるで綱渡りのような活動であるとしている。そして以前よりも力を抜いて指揮するようになっていると、まさしく私の報告通りの話しをしている。



参照:
KIRILL PETRENKO STELLT NEUE SAISON VOR, Maria Ossowski, BR-Klassik vom 9.6.2023
宇宙の力の葛藤 2019-05-20 | 音
28年ぶりフィルハーモニ 2023-06-19 | 文化一般
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想定内のキャンセル

2023-06-21 | 雑感
予想通り、アムステルダムでの指揮をペトレンコはキャンセルした。前回の2017年と全く同じであり驚かない。しかし直前まで十年ぶりの客演と囃していたので、嫌な気持ちがする。今回は宿代も半額は既に取られることになっていることから、それでも出かけようと思っていた。

しかし代役がニューヨークフィルのシェフで、元々楽団のコンサートマスターの様なのであまり興味がない、そこにショスタコーヴィッチとチャイコフスキーの「悲愴」となれば、ペトレンコ指揮以外では今後も聴くことの無いようなプログラムに変更になっていて、お話しにならない。聴きたくないというのが先に出る。

そこで、もし旅行に出るとしたら今月必要な費用がどれ程に上るかざっと計算してみると燃料費170ユーロ程で、駐車料と美術館で100ユーロとして、更にちょこちょこと小さなものを買ったら300ユーロを越える。それに対して入場券85.50ユーロに宿代は半分は戻ってこないので160ユーロの損切り。少なくともこれから支出する分が倍程の額になる。

旅行で新たに支出する額は日曜日に購入したベルリナーフィルハーモニカーの272ユーロを上回っていることは間違いなく、旅行を取り止めることで相殺される。これはクレディットカードを支払う来月時に有利になる。

入場料はヴァウチャーで戻される可能性があるようだが、使えるかどうかわからない。シーズンを跨いで可能かどうかだけだ。宿代も代わりの人が見つかれば安くなるのかもしれないが、こちらは何とも言えない。

幾らかでも戻ってこれば、木曜日のシュトッツガルトでの第二回「アシジの聖フランシスコ」に出かけられるかもしれない。すると形だけは皆勤になるが、日曜日もあるのでそれほど必死にはなれない。そもそもSWRのカメラが入るので、音楽よりも演技とかになるのだろうか。ドキュメンタリー制作とされるが、初日にもカメラが入っていたので、どのような作りになるのか、全曲の材料は撮られるのかなども不明である。

どちらにせよ、時間が出来たのでお勉強の時間は増える筈だ。ペトレンコの指揮にしても次はシーズン開幕になるのでまだまだ時間が空く。ここ暫くは今年一番の暑さぐらいに摂氏30度となっているが、少し落ち着いて欲しい。ワイン祭りも終わり、徐々に夏休み感が強くなってくる。



参照:
キリル・ペトレンコのキャンセル 2017-06-14 | 雑感
アムステルダムへと一週間 2023-06-16 | 文化一般
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動物のミミックな動機表現

2023-06-20 | 
承前)音楽的にはもう少し吟味したい。理由は第三回公演から最終第五回までまだ三回公演を体験する。そのうち一回は野外での二部の間にバーデンバーデンへと梯子するので、二部に関してはあと二回体験する。初日においても二部の音楽について吟味するだけの余裕も集中度も無かった。やはり陽射しが強くて、ひっきりなしに飲み物を摂り、熱中症対策に絶えず何かを摂り続けた。だから最も重要な鳥の説教の小演奏会と大演奏会の両方共に集中度が足りなかった。最も難しい場面は、指揮者のキューなどを観ていたのだが、そして難しい演奏はなされていたのだが、音響的に満足できる条件ではなかった。但し皆が書くように、森の鳥との掛け合いは見事であって批評の一部にもその絶妙な歌い交わしの歌声が評されていた。総稽古にいた人に言わせると初日は取り分け上手くいったということで天候が違ったのか。

しかし、第一部のフィナーレは今まで経験した中で最も感動的な喝采となったのは一景から二景のその音楽的な見事さのみならず演出における奇異さも全て受け入れらせるドラマ性にあった。既にボイスのウサギを使いその死体を説明する為の魂の存在が認知されると同時に、動物的な動きのミミックはそのもの我々の肉体への客観的な視座を与える。

そして三景になって、その肉体を蝕む籟病菌を我々生物の一つの起源とすることからそれを巨大化した着ぐるみとして籟病者即ち菌がのたうち回るような舞台とした。これ自体は必ずしも顔も見えない物体であることから情動的な舞台とはならないのであるが、やはりその歌の音楽の力から、基本モティーフの使い方からその存在の意味が明白になり、そこへと連なったウサギの葬送へと新たに顧みさせる演劇的な効果が見事な手腕であった。

それをして批評には決して安っぽい劇とはならないエンゲルの指揮と評価しているところである。エンゲルが音楽をお勉強していくにあたってその構図を最初に観ていくと語っていたのだが、それは丁度作曲家が創作していく工程を逆に辿っていることになる。それをして初めて場面の音楽へと視線を移していくことでより的確な表現となるということでもある。それをして演出に調和させていくのが音楽劇場指揮者のセンスである。そしてその仕事の質を聴衆の多くが認識した。

あまりにも抽象的な書き方となったが、分かり易いのは同じカトリック作曲家のブルックナーにおいてもその音楽に描かれている現象がどうした節理から導かれているかということが重要になる。例えば教会の威圧する巨大なカテドラルが想像されたとしてそれを教会の権威を示すものとしては神秘主義者のブルックナーは考えなかったのである。それを見誤らない様にする為の全体の構想への視座がファーストとなる由縁である。(続く



参照:
行動食、濡れティッシュなど 2023-06-03 | 文化一般
達する聖フランシスコ 2023-05-29 | 音
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28年ぶりフィルハーモニ

2023-06-19 | 文化一般
ベルリンのフィルハーモニーの券を購入した。前回の訪問はラトル指揮のショスタコーヴィッチ交響曲八番だったから三十年近く前だと思う。未だ東地区の整備中だった。調べると1995年9月9日だった。二日の内の初日でブレンデルがモーツァルトを弾いたのも引き付けたのだが、ラトルがベルリナーフィルハーモニカーに客演してどのように振るかが聴きたかったのである。結果は失望して、同時刻にやっていたアシュケナージ指揮の同じ交響曲を聴けばよかったと後悔した。

さて今回は、九月にエンゲル指揮のヘンツェ作曲の音楽劇場作品初日に合わせて出かける。エンゲルとペトレンコの競演は年中行事になれば毎年出かける。つまりその初日前の演奏会二回に出かける計画をしていたので、来年一月のシェーンベルクの演奏会と一緒に発注した。三回分買えば5%割引になるだけでなくて、先行発売になるので、旅行の計画も立てやすい。

先ずは一時間前に発売になる九月の初日分の一番いい席を押さえて購入した。残り三枚の一つに二日目を組み合わせても待っていても売切れるようなそれ程魅力的な場所はなかった。二つ目のクラスでミュンヘンでのツアー公演と比較しても74ユーロは高価なのだが、理想的な席でフィルハーモニーの音響を判断しようと思っている。今迄で最もいい席である。こういうモダーンな楽曲の音楽祭の時には定期会員席も空いているのでとても都合がよい。こちらからの旅行日なので疲れているだろうがなんとかしたい。

二日目はある程度の席でいいので、先行発売を一時間待った。そして、先ず来年一月最終週の「ヤコブの梯子」千秋楽と中日だけを押さえた。未完成のオラトリオなので、合唱団も有力歌手陣も揃えて最高額が103ユーロと定期公演料金としては高価だ。これも前記同様にいい席を狙ったが、少し落ちた席で87ユーロとなる。そして中日は更に安い56ユーロ。九月分も含めて四枚で272ユーロ支払った。

席は悪くはないので、様々な席で色々と音響も吟味可能で、更に今から安宿を押さえられることから、ある程度の予算内に収めれるか。同プログラムが夏のツアーに出るということはないと思うのだが、どのような完成版を使うかなどとても興味深く、何度聴いてもいいというぐらいの気持ちである。再来年のバーデンバーデンの復活祭のファイナルにやはり未完の「モーゼとアロン」を期待しながら、シェーンベルクイヤーに聴いておきたいという思いも強い。

因みに一部初演はロスバウト指揮でハムブルクで1958年に行い、完全初演は1961年にヴィーンでラファエル・クーベリックがなぜかケルンの放送交響楽団を振って行っている。要するに「モーゼとアローン」と事情がよく似ている。
Arnold Schoenberg: Jakobsleiter (Excerpt)




参照:
イザ九月はベルリンへ 2023-05-08 | 生活
ミンガス作演奏の第一人者 2022-09-21 | 文化一般
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来たる週はバッチリと

2023-06-18 | 生活
金曜日は眼鏡屋に寄った。その前に洗濯屋でシャツを回収する約束をしていたからだ。しかしそれは出来ておらず、夏休み休暇前の掃除の水曜日の午前中に約束した。木曜日はアムステルダムに向かうので時間がない。そのシャツもなくても良いのだが、そこから戻って来ての野外劇場ではやはり白シャツが一番涼しい。

眼鏡屋へは駐車場の時計が壊れていて無料で駐車可能となり得をした。眼鏡枠の調整が必要だった。店長の母親らしきは全く何も弄らずに、直ぐに来いということで逃げていたのだが、今度は若い人がいて、女性の方が結構腕のある人のようでちゃんと耳の上に指をかけて、先ずは鼻当てをそして蔓を調整した。熱を掛けて整形するようだが、二回程やって、先ずは其の儘とした。汗や脂で滑りやすくなったということは理解してくれた。

未だに若干鼻の当たりはきついが、水曜日に洗濯屋序に必要ならば行く。流石に二日目になると眼は疲れたが、今迄と異なってパッチリと開けての眼精疲労なので若干は違う。通常のモニターなどを暫く使う時には遠くの緑に目をやる休みを入れてみようと思う。眼の下の隈は明らかに色が薄くなって来ているが、疲れたと思う時は眼の下もやはり乾き気味になっている。明らかに異なるのは足元が見え易くなったことで、暗い階段や光で不鮮明化する階段を降りる足元に躊躇することがなくなった。

そう言えば、前にいた初老のお客さんが新しい眼鏡を取りに来ていて、何も調整などをしていなかった。理由は分からないが、余程単純な眼鏡かと思っていたら1500ユーロ支払っていた。要するに遠近両用のレンズの眼鏡の筈だ。お土産も同じようにゼクトを貰うのは当然だが、私のように神経質に面倒なことを言わない。それ程金満家という感じでもなく、会社役員か大会社では役員になれない試験所所長程度の感じだったが、やはりこういうところでのドイツの市場は大きい。四件が並ぶ眼鏡店で最も販売単価が高い店だろう。それ程ドイツでの高級住宅地ではないのだが。

アムステルダムでの二曲の楽譜を合わせて四種類落とした。ベルクの日本公演でも指揮する曲の楽譜は手元にあったかと思ったらなく、他の古い版も落とした。なぜアトナールな曲の楽譜をあまり持たずにドデカフォニーの方には興味があったかというと、やはり当時はその全体のコンテクスト即ち文化的な音楽の背景と創作との繋がりが今程分かっていなかったかということになるだろう。

戻って来てからの野外劇場でのピクニックも考えておかないといけない。週末としては結構忙しい。「アシジの聖フランシスコ」巡礼の野外活動はMP3プレーヤーの件や公園探索から音楽までの間を自分なりに有効に使う方法を考えたい。



参照:
アムステルダムへと一週間 2023-06-16 | 文化一般
少ない摩擦のその素養 2023-06-15 | 雑感
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終身指揮者ペトレンコの意志

2023-06-17 | 
キリル・ペトレンコが大変珍しくユダヤアルゲマイネ新聞にインタヴューで答えている。「ベルリナーフィルハーモニカーのシェフ、首都での将来を語る」と題していて、現時点での見解。

ベルリナーフィルハーモニカーのシェフの51歳のキリル・ペトレンコは、2019年からの無期限契約を以って彼の言葉では、終身契約と考えている。

「それは僕にとっては、最大のライフワークです。」とペトレンコは今ベルリンでそう語る。「未だ活動的であり得る限り、肉体的にも精神的にもやれる限り、そして楽団がそれを私に望む限り、」、この道を歩みたいとする。

楽団と四年経って、一面一つの経過でもあるが他面先ず最初の期間であり、団員においてあらゆる音響やフォームへの可能性と素養を見ている。

「この楽団で全てが達成可能だ。出来ないことも望まれるものも全くない。」音響においては既に彼の方向にあり、「それでも言わせて貰うなら、楽員ともそれを話しているが、私たちはまだその始まりにある。」とペトレンコ。「未だ同方向にこの楽団と沢山やれる、それは私が求める、聴き違えない唯一無二の音響である。」。

コロナ期間を終えて、ペトレンコ指揮演奏会における座席占有率は高く、一方他の指揮者においては未だ残席を見ている。ペトレンコ自身の責務と考えていて、「シェフ指揮での演奏会はそれでいいとして、他ではまだ更に努力すべき。」と考えている。「レクチャーで聴衆に作品を身近にしたりするべきだ。」、「勿論新たな聴取層に近づいたり、特に若い層に働きかける必要がある。」。

ペトレンコの私見では、「よりしなやかになる必要もある」としてファミリーコンサートでは若い人に年長の聴者へと同様にすべきで、リハーサルを学校の授業で公開したりも方法で、その中でやるとかとシェフ。

指揮者からの要請も一つとぺトレンコは考えていて、状況を平均化する為にも沢山やらなければいけないことは自覚していてると。指揮者のタレントに困る訳ではない。大問題はその質であり、「先ずは何かを示せるようにその機会を与えてやることだ」。

自身の出所についてパトレンコは、「シベリアのオムスクに生まれて育った。そこは石油化学と軍事産業の街で、だから外国人はタブーであり、外部からは閉ざされていた。化学は不健康であるが、街は緑に溢れていた。取り囲む寒気によって冬だけでなく寒い。休校は屡あって、零下34度で年少は家に留まることが赦されたが、年長は零下38度までは震えた。



参照:
Der Chefdirigent der Berliner Philharmoniker äußert sich zu seiner Zukunft in der Hauptstadt, Gerd Roth, Jüdische Allgemeine vom 11.6.2023
インタヴュー、時間の無駄一 2016-07-20 | 文化一般
ペトレンコにおける演奏実践環境 2017-03-30 | 文化一般
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