Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2021年8月

2021-08-31 | Weblog-Index


アパートメント泊りの準備  2021-08-30 | 料理
大ハ長調交響曲の演奏史  2021-08-29 | マスメディア批評
歴史的な意味を今日に  2021-08-28 | 音
ヴァルトビューネの指揮姿  2021-08-27 | 雑感
初めての黄接種パス  2021-08-26 | 生活
お湯が出たお湯が出た  2021-08-25 | 生活
悪化するスイスの状況  2021-08-24 | 歴史・時事
プロ中のプロの呟き  2021-08-23 | 女  
BACHへのその視座  2021-08-22 | 音
フランスに入国そして帰国  2021-08-22 | 歴史・時事
イザ「フーガの技法」  2021-08-21 | 音
あっちへこっちへフーガ  2021-08-20 | 雑感
場所を空けておくこと  2021-08-19 | 雑感
秋のマーラー九番演奏会  2021-08-18 | 音
劇場の見事な人流整理  2021-08-17 | 文化一般
ミサ典礼文の表情 2021-08-16 | 音 
国境沿いの宿を新たに取る  2021-08-15 | 生活
接種一回目の風景  2021-08-14 | 生活
なかなかいい味わい  2021-08-13 | ワイン  
接種予約を取ってみる  2021-08-12 | 歴史・時事
鼻を噛む余裕もない  2021-08-11 | 雑感
持続的ライフスタイル  2021-08-10 | 料理
ビアーガルテンの規則  2021-08-09 | 料理  
山の向こうに越していく  2021-08-08 | マスメディア批評
照らし出されるその髭  2021-08-07 | 雑感
若年寄りも結構使える 2021-08-06 | ワイン 
初めてのガラコンサート 2021-08-05 | 音
1月末から月初めへの目算 2021-08-04 | 生活
首でも指揮の「トリスタン」 2021-08-03 | 音
引力場での音楽表現 2021-08-02 | 音
屹度戻って来るからね  2021-08-01 | 文化一般 
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アパートメント泊りの準備

2021-08-30 | 料理
ルツェルン行きの準備である。食事をどうしようかと考える。今回は本当は早く終わるので食事処もあったのだが、宿をドイツ内にして、極力感染危険を抑えることで、二日目も滞りなく聴くというのが最大の目標となった。だからアパートメントで自炊をして、一泊余分に取った部屋で、翌日も午後までごろごろする。

つまり初日引けて21時過ぎにガレージを出て、再入国からアパート着予定、夜食となると早くとも22時30分以降となる。やはり作り置きで持ち込んだワインを開けてとなる。一番手間が掛からないのはジャガイモサラダ持ち込みだろうが、多めに作っておかなければいけない。野菜は洗って持って行っても良い。肉類か何かをどうするかだ。

翌日の朝食は五時から開いている木焼き窯のパン屋が2.4㎞先にあるので車で一っ走りすればよい。歩くと往復一時間掛かる。ケーキ類もありそうなのでたっぷり買える。

二日目の朝食と晩は、ルツェルンの駅のお店で前回はチキンを購入したが、コンフィセリバッハマンはあまり割が良くない。なによりも夕刻は列をなしていたので買い物がし難かった。ミグロス百貨店も大したスーパーではなさそうで暖かいものがるのかどうか。ネットで見ても中々デリカテッセンの店は歩いて行けるところには見付からない。ピザやドーナのテイクアウトより良ければという程度である。パンは残っている筈なので、ソースものがあるとそれで事足りる。

日曜日の晩は最後の可能性で木曜に続いて同じ道程を今度は頂上攻撃をした。閉鎖してあったところも開いていて、もう引き返す言い訳が無かった。最初からコブラ返しのようになっていた左足は調子悪かったのだが、気温18度ほどの雨上がりの道を往復した。68分も掛かりながら、運動量は流石に多く827キロカロリー相当と出ていて、体重も71.9kg迄落ちてきた。もう少しで理想の運動体重になる。膝がおかしかったのでどうなるかと思ったが、無事下りて来て快調になったが、足が疲れた。

本当に好きなのは毛の生えている白桃では無くてこちらの黄色い方のネクタリンなのである。時間が経ってもより皮が締まっていてそれが美味いのである。確かに酸味がちであるのだが、こりこり感が堪らない。大きなネクタリンはしばしば柔らか過ぎて食気をが薄らぐのだがこの平らな奴は硬くて美味い。

月曜日中にスーク作曲「夏のメルヘン」資料調べをしようと思ったら、CPOでのペトレンコ指揮のCDを持っていたと気がついた。殆ど聴いていなかったので改めて見ると解説文が確りついている。それどころか例のクラスティング氏とスークのお孫さんの手紙まで紹介されていて興味深い。改めて彼が遅くともコーミッシェオパーの時からキリル・ペトレンコの片腕だったことが分かる。これは眼を通しておかないと駄目でしょう。

あとは二日間の衣裳や荷物類である。気温は残暑らしくなりそうなので七月よりも若干厚着で良さそうだ。下着やタイを分厚くすれば、それで足りる。二日間はそれであとは普段着となる。夜間は冷えるようになったのでパジャマも長袖にした。出かける時にそれを持参すればよい。



参照:
照らし出されるその髭 2021-08-07 | 雑感
ルツェルンの最初の夜 2019-08-27 | 暦
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大ハ長調交響曲の演奏史

2021-08-29 | マスメディア批評
ベルリンでのシューベルトの大ハ長調交響曲の演奏史を聴く。先ずはフルトヴェングラーの定番とされた1951年のイエスキリスト教会での録音を疑似ステレオLPで鳴らす。正直なところ最初のホルンでの主題の呈示から驚いた。こんな吹かせ方をしていたのだ。その後は一が万事で独自のシューベルト解釈となる。全体の流れとして評価が高かったのもよく分かるのだが、我々のようにブレンデルのシューベルトとかの新たな視座を持っている者には可成り辛いものがある。しかしそれ以上にベルリナーフィルハーモニカーがテムポを落としても弾き切れず、更にその大きな動機をひと固まりとしてのアンサムブルも引き締まらないことに驚いた。全く目指しているものが異なっていて、全体の流れの中での潮流のようなものに底に流れがあったりのその渦が表現されているに過ぎない。勿論今日では到底受け入れられない合奏だ。

あまりにも参考にならないので、もう一つの定番カール・ベーム指揮1963年の恐らく同じ教会での録音をYouTubeから聴いた。こちらはヴィーナーフィルハーモニカーの日本公演でも喝采を受けた指揮であって、ある意味我々世代ではデフォルトとなっている解釈である。なるほどベームの交響楽曲における構成感の作り方とかが前面に出ていて、そのリズム取りの硬直感は否めないもののこれという主題の描き方や動機の扱いは見事である。反面、シューベルトがここまでセマンティックな音楽的内容を切り落として抽象化して交響曲を創作としたとは思えない箇所の連続となっている。何故この世代が反復を省略しなければいけなかったかもこれで自明だろう。

なるほど12年後のベルリナーフィルハーモニカーは既にカラヤンの楽団ではあったのだが、まだ後のようなサウンドは完成していない感じで、合奏の仕方もそれ程新規軸ではない。新フィルハーモニーの小杮落しがあった年である。

ベルリンでのオープニングコンサートの批評がぼちぼち出て来ている。最早次の次元に入っていることは間違いない。興味深い評は、ペトレンコ自体は少し遊ばせようとしたかに見えたが、行って仕舞ったというもので、まさしくミュンヘンでの「トリスタン」初日を思い起こす情景である。なるほど、ミュンヘンとベルリンの楽団では馴染み方も異なり、更に今回が最後の初日だったのと、再開の初日だったのとは大きな差がある。しかし、そこには緊張とかいうよりも意欲がみなぎる感じが強くて、行って仕舞うという情景だ。

とても引いた見方をすれば、やはりキリル・ペトレンコの肉体的精神的な充実度だと思う。フルトヴェングラーにおいても戦前の演奏はそんな感じだったと思う。音楽的に力が抜けていないという訳ではないのだが、遊びがあまりないという感じだろうか。その一方まだまだその可能性を汲みきれないという批評である。

インタヴューでペトレンコがヒンデミートなどに関してのフルトヴェングラーの録音等への言及があり、明らかにシューベルトをも意識していた。そこでこれはもう一度聴いておかないといけないと思った。個人的には生で聴いた名曲はもう二度と聴かないようにしていたり、歴史的録音等と比較して意味の無い音楽会には出かけないようにしてきたので、名曲演奏会は殆ど行ったことが無い。披露などチャイコフスキーはムラヴィンスキー、巨人などはバーンスタイン、田園、運命などはベーム指揮と聴体験が限られている。そして今回はフルトヴェングラーの歴史的録音も最後になるかと思う。もう今後聴く機会はないかと思って、真剣に聴いてみたのだ。

上の二つの録音を聴いてみて、明々白々なことは、もはや1951年のそれとも1963年のそれとも2021年のベルリナーフィルハーモニカーの腕が月に鼈のように巧いということで、嘗てシカゴがトップだとか言われた1980年頃からも全く事情が変わっているということだ。

サイモンラトル時代は同じような面々が演奏していてもそれが芸術的な意味を持ち得なかったが、最早違う。もし11月に日本公演があったなら、恐らく日本の楽界は引っくり返っていたと思う。最早次元が違う。そして同じプログラムを繰り返す内に細部も大きな流れも更にこなれてとんでもないライヴが出現してくると思う。三回分の切符を持っていることを幸運に思う。



参照:
Das Ende einer Unterhaltung, ULRICH AMLING, Der Tagesspiegel vom 28.8.2021
歴史的な意味を今日に 2021-08-28 | 音
ヴァルトビューネの指揮姿 2021-08-27 | 雑感
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歴史的な意味を今日に

2021-08-28 | 
カールツルーヘから黄色い封筒届いていた。罰則に関するもので開けないでも分かった。抗議が認められなかったが、事情の説明があり、標識は何処の場所に両サイドにあったと書いてあった。これで抗議しても判例上難しいという事の様だ。その説明に25ユーロ徴収されて、75ユーロが100ユーロ支払いになった。カードで払えるらしい。

減点1は変わらない。余分な費用は掛かったが、今後免停などで裁判を起こすとすれば、こちら側の主張も明らかで、要するに不注意とか無謀運転ではないという主張にもなる。

ベルリンからのオープニングは、会場は詰め過ぎで、無料券の中継で観ていても少々見苦しかった。支配人のツェッチマンに言わせると、先ずはこれで二三週間様子を見てと話している。既にベルリンは一部では指数100を超えていて、こうしたコンサートで数字が更に上がるとは思わないが、少なくとも人流に大きく貢献している。前日のヴァルトビューネでホルン首席奏者のドールが話していたように接種のお蔭で平常かに近づいてきていると、このように愉しみたかったら接種をしろとキャムペーンを打っていたが、功利主義も甚だしい。

なるほど接種によって重篤化は避けられるかもしれないが、ギッシリと詰められた豚箱状態で感染は進む。それも高額の料金を徴収してのコンサートである。社会的人体実験でしかない。いい加減にして欲しい。会場にはグリュッタース文化相らも来ていたようだ。

演奏は、通常配置で、インタヴューでも語っていたようにフルトヴェングラーの歴史的な演奏なども下敷きにした演奏が繰り広げられた。なによりも管弦楽団がそのレパートリーへのDNAを引き継いでいるというか、一寸した一節も見事に決まっていた。

ペトレンコの指揮は相変わらず高速のテムポ乍ら、所謂音楽的な内容はぎっしりと詰まっていてフルトヴェングラー指揮の名録音などよりも遥かに抜け落ちるところが無い。テムポとの関係でいえば先日「ミサソレムニス」を指揮して批判されていた80歳になるムーティと正反対のことが言える。

つまりムーティが如何にテムポを緩やかに進めてもそこに内容が宿るものではないという指摘だった。私のようにムーティの半世紀前のヴィーナーフィルハーモニカーデビューの頃から聴いている者には今更何をと思うのだが、いつの間にかマフィアのボスのような大口を叩いているうちにマエストロは世界で一番の稼ぎ頭になって、特に日本などではドイツでの批判が理解出来ないぐらいに巨匠扱いされて勲章までを貰っている。

正しく、こうしたところが玄人の批評が活きているかどうかという問いかけになる。特に独墺音楽において言われるその音楽的な充実というものは、日本でも昭和の評論家なども金科玉条としていたもので、そして今の日本の玄人もどうもそれを十分に指摘出来ていないようだ。つまり独墺音楽への理解が部分的なものでしかないということを語っている。

今回のペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの演奏も東京公演では七回ぐらいの本番を経て披露されることになった筈だったので、改めてそれが問われることになっていた筈である。それどころかムーティ指揮でヴィーナーフィルハーモニカーが同曲を演奏するというものだから、片や歴史的な演奏、片や三流の演奏となっていた筈だ。

ヴィーナーフィルハーモニカーが如何になんら歴史的な意味を今日に伝えるような演奏活動をしていないという事が明らかになった筈だった。



参照:
ヴァルトビューネの指揮姿 2021-08-27 | 雑感
ミサ典礼文の表情 2021-08-16 | 音
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ヴァルトビューネの指揮姿

2021-08-27 | 雑感
木曜日のベルリンからのTVニュースを幾つか観た。ヴァルトビューネでキリル・ペトレンコ指揮でベルリナーフィルハーモニカーが演奏するという通常はシーズン最終公演にあるものが、今回はシーズンに先駆けてカムバックシリーズとして演奏された。

ニュース番組では前日の練習風景にペトレンコが会場に入ってくるところから映している。とても珍しい映像である。ポロシャツを着て手にボストンバックを持っている。旅行の時はスチュワーデスバックを引いているようだが、流石に地元なので必要最小の手荷物だったのだろう。

ペトレンコはシーズン最後に恐らく上海で演奏してから同じプログラムをそこでやるのだと思われるが、トリフォノフをピアノに向かえての贅沢なロシアものプログラムである。そこでペトレンコは正式なヴァルトビューネ公演のデビューを果たす。

今回注目されたのは、楽器配置であるが、通常の配置の様で、オープンエアー様に別にとは考えにくいので金曜日のオープニングの本公演も同じ配置と考えられる。ローマのサンタツェチーリアで昨年のクリスマス前に振った時は独伝統配置であったので、自ずから意味が変わって来る。大雑把に矢張り音の密度が上がると思う。それが活きてくるのは、オベロン序曲であったりヒンデミートであったりすると思う。どうしてもプログラム前半に若干重心が移る。なるほどベルリナーフィルハーモニカーのサイトにも「浪漫」が強調されていた筈だ。

今迄はペトレンコはロマン派の音楽を得意としていないとされていたのだが、上のような密な音響を目指すとすると新たなロマンの響きは生じる筈だ。ミュンヘンにおいては個人的には「魔弾の射手」などを期待していたので、その意味からは興味深い。但し、ルツェルンでそれもヒンデミート抜きで演奏されるとするときに、どうしても独伝統配置の響きを聴きたいと思うのも心情なのである。フランクフルトのアルテオパーとバーデンバーデンで二回はフルプログラムで聴けることに成っているので、それは我慢しよう。先ずは生放送を聴いてからである。

ヴァルトビューネではアンコールでハンガリー舞曲とそして最後にお決まりのベルリナールフトを指揮している。放送によるとペトレンコがそれを振るのは初めてだということだ。ベルリンのコーミッシェオパーにいたので振っていると思っていたが、機会が無かったようだ。観客に振り向いての指揮がまたとてもいいのので、どうしてもラデツキーマルシェを想起してしまう。

会場では獣医さんかが、最後の盛り上がりが雨を忘れさせてくれるようならもっと良かったのだがと厳しい批判もあったのだが、天気がやはり大きいだろうか。新聞評には、そうしたエンタメ要素はペトレンコのものではないとしていたが、それでもペトレンコのセンシティーブな音楽を堪能できたはずだとしていた。その分来年も音楽的にも意味の無いものにはならないだろう。

ロベルト・コッホ研究所の金曜日の最新リストが発表された。スイスに関しての言及はなかった。即ちドイツと同じ扱いである。フランスも変わらずだった。個人的には48時間有効の陰性証明が一つあればそれで完了となる。少なくとも二日間はドイツ内の国境の宿から通える。今回はそれで十分である。

これで週末はお勉強と共に旅行の準備を整えられる。既に現金は多少取って来ているので、宿での二回の夜食と朝食を考えればよい。燃料は週明けでいいだろう。既に木曜日に走っておいたので、週末にのもう一度走れば来週中間を休んでも構わない。二泊であるから黒い森を走る時間もない。

先月ミュンヘンに出かける際にリースリングをご進物用に購入した。その時に購入した2018年のフォルスターのヴィラージュものが良かったので購入した。もう少し出せばPCも買えたのだが、いいものも6本も飲むと飽きが来るので、下のものにした。

序でにPC「2019年ゲリュムペル」も六本取って来た。先日までは売り切れていたようだが追加瓶詰めで偶々入ったということなので、猶予はなかった。2019年物は殆ど呑めていないのだが、悪くはない様だ。その序でに2020年物のヴィラージュも一本無料でつけて貰った。そこで試飲などする気分ではないから、それも悪くはない。気に入れば直ぐに買いに行ける。



参照:
若年寄りも結構使える 2021-08-06 | ワイン
脱ガイストシュピール 2020-05-25 | 文化一般
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初めての黄接種パス

2021-08-26 | 生活
コロナ禍になって初めて風邪を引いた。冷たい水でシャワーを浴びたからか。夜は洗髪してさっぱりしたが、気が緩んだか。頭痛、鼻づまり、喉の痛みとここ二年程経験しなかった症状である。コロナでなくても風邪を引く。

アマゾンに発注した接種パスというのが届いた。何が何だか分からないので、ネットで調べると、重要なことは他の証明書類の様に公式証明書ではないので写真も何もないのだが、偽造するとやはり問われるとある。そしてメルケル首相がやったようにSNSなどの写真をあげると偽造される可能性があるので駄目であると。

また現住所を書くのだが、引っ越しすれば手で修正して行って、書く場所が無くなれば新たに有効な接種の内容を移し替える必要があると合った。勿論紛失した場合も同じように作り直すらしい。

子供の時からのを溜めている人もいる様だ。確かに昔その話しを聞いた覚えがある。個人的には今後面倒なところに旅行に行くことも限られているだろうから、用途は限られている。

もっぱらコロナ接種の通行、入場パスにするだけで、それもEU内などはタブレットで用を為す。だから飛行機で遠くに飛ぶ時などにパスポートと一緒に携行するだけである。暫くは床屋やレストラン等でも必要になるので、タブレットよりも軽微なこれを財布に車に放り込んでおいて、必要そうな時に財布に挟むということになる。それも半年ぐらいで終わって欲しい。

邪魔になるといえばならないこともないのだが、それまでの最大二回のテストで陰性となれば、試験も何も無くて9月25日には自動的に完了となる。デジタルで見ると既にオーストリアでは既に有効でテストを受けないでいい様だ。行こうと思えばテスト無しでオーストリアでマルカンドレ・アムランのリサイタルに行けたのだが、そもそもうつるといけないので断念したのだった。要するにまだテストを受けなければいけないので躊躇するがテストから解放されるとなるとどんどんと危ないところに出かけてしまう。

そのような経済復興を目指した功利的な考え方でベルリンやオーストリアは動いていて、感染防止には接種パスは殆ど役に立たないだろう。抗原テスト自体はいい加減なものなのだが熱を測るというよりも遥かに抑制効果は強い。

今晩からベルリンでは演奏会が始まる。ヴァルトビューネで練習して、金曜日に本番で、日曜日、月曜日がザルツブルク、水曜日木曜日がルツェルン、土曜日日曜日がパリとなぜかゆったりした旅程になっている。

一月の第二プロのスークの「夏のメルヘン」を観ると、無観客であったことが思い出された。つまりザルツブルクが実質上本番初日になる。さて反響はどうなるだろうか。本来はコルンゴールトの交響曲が演奏されていた。

昨年はアストレアル交響曲がメインだったのだが、結局メンデルスゾーンとピアノ協奏曲が演奏された筈だ。道理で態々出かけなかった筈だ。そして何よりも奏者間の間隔が空けられていた。

その点今回は通常で、先ずは表プログラムのシューベルト等で楽器の配置編成が気になるところである。独伝統型配置が取れていたならば完全に正常化となるが、もし通常型ならばやはりこの間に何かが変わたっと思わざるを得ない。裏プログラムは通常配置だろう。

表プログラムは三回ともシューボックス型の会場が活きるのはやはり独伝統型配置で、キリル・ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの演奏で期待したいのはどちらかというと古典的な配置での演奏なのだ。ヴェーバーのオベロンは違うが、ヒンデミートはその方がやはり価値があると思う。その楽器配置でシューベルトで何がやりたいか分かる筈だ。ローマでの指揮からはそこは不明であった。



参照:
クリスマスイヴの夢 2020-12-26 | 音
来夏を夢みたい気持ち 2020-12-02 | 生活
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お湯が出たお湯が出た

2021-08-25 | 生活
どうも今晩からお湯が使えそうな様子である。予定では最長金曜日まで待たなければいけなかったので、本格的に止まったのは一日、月曜日は温もりのある窯のお湯が残っていた。その間シャワーを二回浴びて、いとどは生温い水で、もう一度は冷えた水に二リットルのお湯を加えて洗面などもこなした。言えば昔の中世から百年前までの生活に近い。

給湯設備はルートヴィッヒ二世のおじいさんの別荘にもあったのであるところには大分以前からあったと思うが、個人的にはスイスの宿に泊まった時に洗面器が置いてあって、そこにお湯を入れるようになっていたのを知っている。要するに手水という奴である。

そもそも私の育った神戸の家も給湯設備が長く壊れていた。元々は大きな戦前からのボイラーで沸かしていた全館給湯になっていたのだが壊れてからは使っていなかった。だからお湯の蛇口があっても水も何も出なかった。瀬戸内海であるから冬もそれほどは冷たくはならなかったのだが、やはりお湯が回っているだけで室温も変わる。

最近はアルプスの山小屋でもシャワーを浴びれる所は少なく無くなった。上手に使えばそれなりに生活できるのは当然で、今回も洗髪だけは面倒だなと感じていた。しかし、これで心置きなく出来るか。月曜日の早朝に洗髪して以来であるから丸二日で三日には至っていない。気候も乾燥していたので比較的気持ちよく過ごせた。

ベルリンからメールが入っている。木曜日のキリル・ペトレンコのヴァルトビューネデビュー公演もなんと金曜日のシーズンオープニングも売り切れていないということだ。なんでもない、百パーセント入れるような会場にはまともな人は行きたくないのである。

パイロットプロジェクトと称して3D規制で接種、恢復、陰性のどれかの証明書を出さなければ入れないが、どれもこれもが感染からの安全を保障していない。只の確率の相違だけであって、寧ろ確率論的に言えば十分にクラスターが発生する可能性がある。人間の本能的な直感はなにも態々計算しないでもその程度のことは分かるのだ。

そもそも最高額の催し物であり、長い定期会員やスポンサー以外でそこに出かける人にとっては態々マスクをしてというのはとてもエンターティメント気分からは遠い。要するに買わない、売れない。今の時点でそうであるからこのプロジェクトは失敗だとしてもいいだろう。

ヴァルトビューネの中継はない様だが、金曜日は様々な経由で放送や中継がなされる。先ずはそれを楽しみにする。そのプログラムを持って、ザルツブルク、ルツェルン、パリへと回る。

更にコロナのハイリスクにスイスが指定された時の帰国時の規制条件をベルリンの外務省のサイトで調べた。その時点でも活きてくるのは24時間ルールだと分かった。要するにその程度の出入りには入出国登録をする必要が無い。つまり自宅待機などにはあたらないとなっている。これで兎に角国境の手前の宿に二泊すればいいと思う ― アリバイをも補強する。

もう一つのプログラムも含めて楽譜を整えた。プロコフィエフの一番協奏曲もDLしていなかった様だ。今冬にベルリンでトリフノフが演奏したものを音材料と出来る。ツアー第二プログラムに弾く女流がどの程度の腕かは分からないが、先ずは準備となる。「オベロン」の序曲と各々短縮されたプログラムなので、そこまでの量もない。但しメインの曲ともなるスークの曲の楽譜はない。



参照:
プロ中のプロの呟き 2021-08-23 | 女
国境沿いの宿を新たに取る 2021-08-15 | 生活



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悪化するスイスの状況

2021-08-24 | 歴史・時事
相変わらずスイス状況を観ている。比較的悪くはないカントーンルツェルンに限っても先週よりも四割間の感染拡大が起こっている。既に指数は265で東京の234を超えた。少しだけ期待が出来るのは実行再生産数が下降期にあって1.37。

コッホ研究所が新たなリストアップするとすればこの数字が重要になるだろう。スイス全土が危ないのは、ICUが四分の三塞がって仕舞っていることで、これは旅行時に感染して事故が起きても救急にさえ問題が出てくるということだ。フランスも危ないところに来ていて、どこも昨晩夏よりも速い展開となっている。

個人的な関心は、結果が出た時にどのように対応するかにまだ釈然としないところがあるからだ。最悪の条件は8月29日を以ってスイスがハイリスク地域指定されることだが、フランス全域が先ずなる筈で、その場合はパリが含まれる。要するにベルリナーフィルハーモニカーのパリ公演に影響が出る。同時にスイスがルツェルンを含んで全域指定された時が最悪だろう。

8月20日の最新の情報では、22日からクレタ島が有効になっている。いつものように9月5日(日)を以ってならば、国境での申告が必要ない筈だ。若しくはルツェルンが入らなければ他所の地区はトランジットとなって問題はない。

再度ドイツ連邦共和国のオフィシャルの現行規定に目を通した。所謂ヴァケーション旅行者を牽制した9月中までの時限立法である。基本は全ての人は帰国時には陰性証明書を出さないといけないというものだ。そこからどんどんと例外が挙げられていく。

陰性証明を持っていなくても接種証明等で事足りるというのが正しくて、それでも駄目なのは変異株多発地域からの帰国時となっている。とても重要で見落としていたのは、抗原検査も48時間有効という項目で、これは二日間しか国境を越えない者にとっては、つまり国境線の住人が日帰りで出入りするのと同じような条件になる。即ち現在は宿泊にも陰性証明が必要な状況となっているので。それで用が足りる。

問題はハイリスク指定になった時に、国境出国時に登録が必要となって、帰宅後の接種証明など若しくは五日目以降の陰性検査で十日間の自己隔離から早めに解放されるというものだ。カレンダーでは9月8日以降の陰性証明で隔離から解放されるというもので、10日に二回目接種予定に成っているので、万が一陽性となると面倒である。快復証明を貰う方が早くなるのかどうか。先の計画が立て難くなる。

日曜日にワイン地所を通った時に所謂ドライウォールが崩れていた。崩されていたようにも見えたが散らかりようがよく分からなかった。階段を作る可能性もあるが、急に何をという印象で、それ以前に崩れかかって来ていたような記憶もない。

少なくとも再び壁を組むために地所の方も削ってあるので、若干不安定な状況だ。それもこれから摘み取りをしようという時だから余計に不可解である。まあ、大したワイン農家の地所ではない。



参照:
フランスに入国そして帰国 2021-08-22 | 歴史・時事
国境沿いの宿を新たに取る 2021-08-15 | 生活 

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プロ中のプロの呟き

2021-08-23 | 
週初めからお湯が止まるので、日曜日の夕刻ギリギリに走った。幸運にも気温が低く、夕刻から雨が上がって太陽が出る条件だった。つまり山の上から降りてくる人もなく、日曜の夕刻に一発賭ける人も少ない。実際に気温も18時過ぎには摂氏24度であったので早めに走れた。

谷筋は湿っていてもヒンヤリとしてしていたが、上に出ると陽射しが暑かった。十分に汗を掻いて、最高心拍数171、144以上で62分も運動、最高毎分181歩ならば運動をしたことになる。高度差も320mで十分だ。

これでお湯が出るまで激しい運動を避けて、出来るだけシャムプーなどの必要を避けたい。あとは気温は低いが何とかなるだろう。他所に泊まることも考えたが、何処に宿泊しても来週のテストで陽性になる確率を高めるだけだ。じっと我慢しているのが一番安全だ。そしてルツェルン音楽祭のお勉強をすればよい。

日本旅行でのシューベルトのお披露目は残念ながら中止になったのだが、今回は昨年と違い通常の楽器配置となっているので、密な演奏が期待される。昨年の二月のラフマニノフ以来の最高到達点に達することが可能かどうか。今回がそこまで至らないまでも11月にもう二回聴く機会があるので、当然のことながら大きな成長が期待できるプログラムとなる。日本でのその公演がキャンセルになったのは本当に惜しい。ペトレンコ体制の聡明期を日本でも体験出来た筈だったからである。

次の日本公演は、来年が上海と11月の北米ツアーとすれば、2023年11月になる。すると指揮者も51歳、そして就任から五年目となる。その間にコロナ休止があったが、その間に可成り出来上がる筈だ。もしかするとフルートのパユも退団しているかもしれない。

アスミク・グルゴーリアンが呟き始め、フォロワー数200とまだ少なかったので、早速リンクを貼っておいた。ハートを二つも貰った。一つは日本語のサイトなので逆に関心が高まったと思う。その運用自体は大抵の人は自分でやっていると思う。

二人目?の旦那が若いロシアの演出家であり、いつもマネージャーの様についてきている感じがあるので、その内容は凝ったものになるだろうと思っている。しかしそれ以上にセルフィーなどを積極的に使っているのが更にプロフェッショナルらしい判断だ。そして編集は旦那にしても、その映像がとても気が利いている。

少なくともこの歌手は自身でもオペラ教育機関を主催している様に、またその生い立ちからしても本人が舞台のプロ中のプロであることは間違いない。そうした素材を旦那が専属で簡単に編集すればものになるということだ。ある意味で事務所やメディアなどに頼らなくても自己宣伝が出来るということ示している。

我々としては少しでもこちらの方にどうしても引き寄せたいタレントであり、既にフランクフルトを基盤としていたので、そして今後はミュンヘンデビュ―も遅かれ早かれあるので、見逃せない。どうも来年あたりは歌曲の夕べも盛んにやるようで、より精妙な歌唱が目されているのだろう。
Oper - Das knallharte Geschäft


現在のところまだお湯が出ているようで、一日短くなる。頂上コースを走った節に工事車両が止まっていて、どうも市の取水口付近を掘っていた。様子では場所を更に上部に延ばすような感じである。理由は分からないが、上部でも十分な量の取水が可能ならば安全性は高まる。従来のところは石切り場の下部に成っていて、石切り後の池からの水が流れている可能性もある。深い谷になっていて上から何かを投機するような場所ではないのだが、手前にワインの地所などもあるのでその影響もないとは言えない。



参照:
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BACHへのその視座

2021-08-22 | 
フランクフルトのバッハ会員である。しかしこの十年間かでこれほどのバッハ解釈は経験した事がなかった。トリフォノフの「フーガの技法」がフランクフルトでは無くバーデンバーデンで演奏されたことが悔しい。バルセロナの隔し録音との様子とは異なって、休憩を挿んで第一部と二部に別けて演奏された。そして「フーガの技法」の後で立ち上がって拍手を受けた。
Daniil Trifonov - Bach Chaconne Left Hand - Die Kunst der Fuge - Jesus bleibet meine Freude - LIVE


前半の山は休憩前のコントラプンクトVIIがフランス舞曲に続いて演奏されたが、その主題と対主題における上声に浮かぶ全音が小節を亘って大きく歌う。こういう表現は聴いた覚えが無い。ロシアの音楽家らしくそのリズム取の巧さは分かるのだがこの場合は拡張されたリズムである。そこだけでももうこの人が何が出来て出来ないとか考えないでいい表現力だと感じた。こういう人が登竜門とはいえコンクールを受けていたのが不思議にさえ思える。

そこからの三声、十二度、十度、四声での反行が組み合わされ、最初の四曲の主題による変奏とは音楽的な意味が変わって来る。多くの聴者にとっては急に複雑になって集中力と理解の限界と感じ始めるところでもある。同時にこの楽器が指定されていない楽曲を演奏する者にとっては腕の見せ所で、バッハのそれまでの創作の多義性に立脚するところともなり、第一部を終える。

そもそもここでのコントラプンクト自体がバロックにおける技法の踏襲であって、その文献の原典にはオルガンにあった。そこがフランドル学派におけるルネッサンスの多声音楽における創作そのもののとは大きく異なるところである。勿論ロココを越えてベートーヴェン以降になればただの音楽ジャンルにしかならない。

この最晩年の未完で筆をおいた創作が、息子のカールフィリップエマニュエルが恰好を整えて銅板に総譜の形で売ろうとしたのにも拘らず買い手がつかず再び溶かされてしまったという逸話の通り、その時点において既に時代遅れの創作であったのだ。

しかし矢張りここでも感じるのはその楽曲解釈とその実践が中々伴わないということでしかないだろう。今回の場合は既に前半においても宇宙的な広がりを聴かせていたのであるが、後半のXII、XIIIとフィナーレに掛けて更なる重要な音楽的な素材を提出してくる。

そして圧巻なのはXVの四声にプレリュードの様に主題からそして拍手後演奏の「イエス、我が喜びであり賜う」がそこに先行してという構成である ― CD情報からするとトリフォノフ自身の編曲。それだけで感興は一気に高まるのだが、反行のフーガが挟まれ、バッハの三つの主題の絶筆へと繋がれる。大バッハが最後に行きついた世界は、アルファからオメガへの示唆を通して、愈々三位一体へと意識は進んでいく。するとそれがコントラプンクトというある意味非常に客観視を要される音楽技巧における視座へと導かれているのが分かるのである。

この曲とやはり同様にフリードリッヒ大王の旋律を編んだ「音楽の捧げもの」そして20世紀になってヴェーベルンが編曲をしてという大きな枠組みへと導かれるのだが、自らの使ったBACHの音名をもそこに別の視座が用意されることになる。ある意味とてもプロテスタンティズムに富んだテスタメントとしても良いものかもしれない。このリサイタル後、カトリック圏のザルツブルク、そしてプロテスタント圏のコペンハーゲンでも演奏される。もう一度アルテオパーでも演奏するように画策できないものか。

そしてこのリサイタルは、ヴァイオリンの為の二短調パルティータのシャコンヌに続けて始まった。それもブラームスによる左手の為の編曲だった。勿論そこでブラームスの眼を通したバッハ像が描かれているのだが、まさしくそれは同時に20世紀の眼を通したものであり、1991年生まれのトリフォノフにとっては正しく歴史的な視座であるに違いない。

このピアニストにとってもその技巧は、創作者のその内声であり思考である理念を如何に音化する為に存在しているのかというのが明らかなリサイタルであり、こうした充実はブレンデルのリサイタル以来初めてのことだった。会場も400人程度の割には十分に湧いた。恐らくまた来てくれるだろう。リサイタルで、または復活祭に。

CDが特別先行発売されていたら買ってしまう所だった。財布の中身を気にしていたのはそのような気もしたからであった。



参照:
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ミサ典礼文の表情 2021-08-16 | 音
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フランスに入国そして帰国

2021-08-22 | 歴史・時事
バーデンバーデンからの帰りはフランスを通った。手元に陰性証明書もあることに気がついた。止められても証明書もアリバイもある。ラインのダムの橋を渡る前に青ラムプ回転車両が中央に停車していたので何かと思ったが、理由は分からなかった。出国の検問はする必要が無いが注意書き等も気が付かなかった。

いつも通り走って、お買い物をしていたスーパーの光をやり過ごして、戻ってくると国境にシカネーンが丁寧に作ってあって、時速20㎞ほどに落とさなければ通れないようになっていた。更にその後にも停止させるスペースが作ってあった。

矢張り本気で検問しているのが確認できた。確かに我々が南フランスの危険地帯から戻って来たり、ミュールハウゼンの欧州空港へと危ない地域から戻って来て通るところだ。それらを一網打尽にしない事には水際作戦が無効になる。当然かもしれない。

個人的にはスイスから戻ってくるときに昼間にはそこを通るべきではないことが分かった。停止を命じられるだけで時間がより掛かる。但し帰りはカールツルーヘで工事渋滞の可能性があるのでそれも考慮しておかないと駄目だ。同時にスイス国境でも同じような検問をしているであろうことと、フランスよりは若干緩いことも想像できた。

ルツェルン行きの戦略としては、初日には宿に泊まるための有効な陰性証明を持っているので、その時の帰国時の国境の様子で、翌日も陰性証明を持っている方が有利なるのかどうかを試してみればいいと思う。24時間以内スイス入国は免除されるにしても、証明書一枚で済むならばそちらの方が無駄な時間が発生しないかも知れない。

バーデンバーデンでの抗原検査は前回とは異なって綿棒で鼻腔内を強く擦られた。それでもそれ程心配は要らなかったのは矢張り塩水通しなどのノウハウが出来上っているからだろうか。そもそも感染する機会は接種センターでの感染ぐらいで、陽性だったらとことん文句を言わなければと思う。

なによりも嬉しいのはバーデンバーデンの駐車料金が4ユーロと安くなったことで、プログラムも作っておらず、一枚のカラーコピーだけだったので、金要らず。コーヒーとエスプレッソにお菓子までついてで、ミュンヘンなどと比較すると格安。予定していたような休憩無しのぶっ続けでは無くて、20時から22時過ぎまでの公演だった。

マスクを手っ取り早く取れるのがお茶を飲んだりする時となるといそいそとバルコンに出て飲みたいのだ。室内にも場所はあったが誰もいなかった。やはり新鮮な空気が一番。酸素を十分に取っておかないと眠くなる。

そう言えば、場内アナウンスの二つ目が綺麗な使い慣れているフランス語になっていて、そのあと英語が続いていた。徐々に態勢が変わって来ているのを感じる。因みに並びにはフランスからの夫婦がいて、慣れないドイツ語で話しかけられた。

そしてこれからという時に席替えで動いて呉れとあったが、廊下に出ると、技術的問題は無くなったと、恐らく空調が動かなくなったのではないか。その後また空気の流れがそれ以前よりも強く感じられた。

もう一つ気が付いたのは駐車場の出口のところの大きな催し物案内に今年の春の復活祭の大きな宣伝写真が入っていた。キリル・ペトレンコの写真だった。幻の写真で、そのプログラムも出ていない。写そうかなと思ったが、11月に曲りなりにも再演にならない限り心苦しい思いが先に立つ。

抗原検査を受けるのも地元であと一回と、精々宿泊先でもう一回あるかどうか。もうそれで終わりだ。こんなアリバイ作りのようなものはもううんざりである。



参照:
イザ「フーガの技法」 2021-08-21 | 音
金を取れるということは 2021-07-06 | 女
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イザ「フーガの技法」

2021-08-21 | 
急いでソコロフ演奏の「フーガの技法」を流した。最初からクリアーな運びでまるでグールドがオルガンで弾いたような全てがくっきりに音楽となっていた。こういうのを聴くと世界中で多くのファンがいて、そして評価が高いのも大納得である。

キリル・ぺトレンコなどもそのピアノを評して「天才があそこまで練習するのだから」としていた。確かにバロック的な明快さと遠近感のグロテスクさなどもこういうピアニズムによって活きると思い、こういう録音などで更に人気が出るのだろうと思った。

ある意味ペトレンコ指揮の音楽芸術にもある明晰さなのであるのだが、その目指すところが異なるなと感じた。それは一体なになのか。インタヴューでの練習云々が何かそれを暗示していたような気がする。

そしてそれだけでは終わらないのがやはりバッハの創作である。複雑になって来て、それがくっきりと描かれるだけでは余計に分からなくなってくる。

ソコロフの最大に問題点は、アーティキュレーションがそのロシアンリズム感覚から合理性が十分では無く、動機が意味を持って描き切れていない事である。反面そこにピアニズムが立脚しているので、明晰さにもなっているのだ。端折ったような歌いまわしなどはそこから来ている。

正直、生で聴くまではトリフォノフがそこまで弾き分ける力があるのかどうかは分からないが、隔し録りを聴く限りは、動機の扱い方には期待したいところだ。

それにしても音楽家の世界とは不可思議なもので、天才指揮者が天才と呼ぶピアニストがこうして出来ないことがあるのだ - 勿論ご本人はそれが正しいと思って弾いていて、市場もそれを喝采している訳なのだが。 しかし私などは天才中の天才なものだから音階を弾いた時から演奏を断念している。しかし世界には数え切れないほどのプロの演奏家がいて活躍しているのだ。

今日は比較的暖かくなった。衣裳を考えなければいけない。快晴で摂氏23度以上あるので、まだまだ本格的な秋の井出達でもなく、7月の様に盛夏でもないのでと考える。少し古いデザインだが賢三の五線ならず六線があったので「フーガの技法」でそれだなと思った。

往路の経路はフランスを通らないが、帰りはどうしようかと考えていた。調べて見ると住居から30㎞圏内がフリーなのでそれに当てはまらない。トランジットを証明しないといけないとなると出来ないことはないかもしれないが復路も迷うところである。

本当はカメラの多いカールスルーへ周辺は通りたくないのだが、検問に引っ掛かるのも面倒だ。



参照:
あっちへこっちへフーガ 2021-08-20 | 雑感
秋のマーラー九番演奏会 2021-08-18 | 音
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あっちへこっちへフーガ

2021-08-20 | 雑感
グレン・グールドのピアノによる「フーガの技法」を聴いた。先日のオルガンによるLPに続いてだ。コントラプンクト2番、4番に15番となっていて、実は三つの主題のフーガへと繋いで、そこからBACHとかを弾いている。
Glenn Gould, 1981. J.S.Bach L'Art de la Fugue : Contrepoints 2, 4, et 15.


このインタヴューのドキュメンタリーは最初に観た時から面白くないと思っていたのだが、やはり演奏に注目してみても全く良くなかった。晩年のデジタルで録音したゴールトベルク変奏曲などもお誕生日プレゼントで貰ったので所持している。その後にもハイドンのソナタ集を安売りで購入した。しかし、やはり今回のヴィデオで駄目だと思った。こうしたレクチャー風でいい加減にしか演奏しておらず、実際にそういう弾き方しか出来なかったのだろう。

フーガを思いっきりデフォルメするのは良いとしても、その音楽的なセンスが全然よくない。自らは鼻歌で悦に浸っているのかもしれないが、全く客観性が無い。コンサートで揉まれていないとああいう風になってしまうのだろう。
Glenn Gould, L' Art de la Fugue, Jean-Sébastien Bach, Documentaire


その演奏を聴いているぐらいならば、ソコロフの演奏に切り替えようと思ったが、最後までその楽曲の組み合わせなども確認しておきたかった。そして改めてトリフォノフリサイタルの隔し録音を聴くと、三声の反行のコントラプンクトが挟まれて考えるだけで本当に興奮させてくれる。そして三つの主題に続いて最後の未完成カノンへと進む。

こうなるとソコロフがどこまで弾きこなしているかが気になって来る。金曜日に時間があれば少し聴けたらと思うが、毎度のことながら楽曲についてお勉強が足りないと思うばかりである。それにしてもトリフォノフの声部の扱い方や楽譜の読みは中々立派だと思った。

燃料は安く入れた。とは言っても20リットルも必要ない。しかし郵便局で現金は下ろせなかった。理由は現金引き出し機が営業時間にしか使えないことになった。お話しにならない。幸い財布にはまだ20ユーロ残っているので、リサイタルの晩の駐車料とプログラムとコーヒーぐらいは問題なく買える。

パン屋が無くなったので大きめの現金がいるのは床屋か旅行の予備ぐらいになったが、その時は50か100ユーロを下ろさなければいけない。年に何回か下ろせば足りるだろうか。愈々ドイツもキャッシュレス社会に大きく近づいて来たということだ。

6月の速度違反罰金反論を書いた。大きな点は、写真を写された赤警告フラッシュも定かでなかったが、推測されるところの状況では時速100キロ制限を認知できなかったこと。つまり長い坂を上って頂点を過ぎて下りていく時に追い越し車線からトラックのコンヴォイが通る次の二列目に入ったので、コンヴォイの影に標識が隠れていたのだろうか?すると車線変更の時に中央分離に立てられている標識が死角に入っていたかもしれないことを主張として、左右対の一つの標識では見逃してしまう可能性が多いことを述べた。要するに足りないところでネズミ取りをしただろうという疑いを示した。

この反論が通るかどうかは分からないが、少なくとも先方に弱みがあれば放免となる可能性がある。もし峠の前後から10キロ制限がついていたとしたら完全に負けだ。トンネル前がその時は80キロ制限になっていたことは知っている。

前回は近所で同じような事があって放免となったが、今回は根拠は車線変更ということで更に強い。しかし前回のように41キロ超過の免停危険とは異なって21キロ超過なのでその差し迫った反論にはなっていない。但し腑に落ちないことには違わない。ネズミ取りを不明快な峠を越えた工事現場前の下り直後でやるなと言いたい。四車線でも混んでいたら大きく車線変更などの走り方はしない。それがあっちへこっちへと動くフーガの元来の意味なのである。



参照:
秋のマーラー九番演奏会 2021-08-18 | 音
ミサ典礼文の表情 2021-08-16 | 音
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場所を空けておくこと

2021-08-19 | 雑感
夕方早くから走れた。残暑が予想されたが肌寒い20度以下の日が続いている。裸では震え上がる。それで陽があるうちから走れた。接種後初めての本格的な運動だったが、心配は全く要らなかった。数度気温が低いと走る速度も上がる。それでも頂上まで上がるつもりはなかった。途中のベンチまでだ。往復30分コース。標高差は234mある。十分だ。

アプローチで車でワイン地所を上がる時に夫婦二人連れをやり過ごした。駐車場で準備をしていると上がって来た。とても早い足取りだ。看板を見ていたぐらいなので頻繁に来ている訳ではなさそうだが、私が走る坂を先に上がって行った。準備体操を終えて走り出すと何処で追いつくかと思ったが先に背中が見えたのに追いつかなかった。成程急坂になると走るといっても筋力を使うばかりでスピードはそれほど変わらない。以前に見た荷台に荷物を積んだ親仁が上から降りて来た。一体なんて言う自転車で走っているのだろうと思った。

夫婦連れには上部で追いつくと思っていたが見当たらない。坂を上り終えると傾斜が薄くなるのでやはり走るのと歩くのでは速度が全然違う。これはただ者のではないとベンチまで辿りついて、下りて行くと下から上がって来た。横の脇道に入っていたようだった。折り返し点でも、そのお蔭で最近にしてはまあまあの走りだったのではないか。やはり気温の影響が大きい。帰って来て体重測定72.5kg。

ギドン・クレメルのザルツブルクでの演奏会の録音を聴いた。ペルトのフラットレスの室内楽ヴァ―ションで弾いていた。1980年の編曲らしいが、昨年ヨーロッパコンサートで演奏されたことでこうした再演に意味を持たせた。楽器に関係ない作曲と作曲家は語っているようだが、クレメルはやはりこうした音楽の影響を強く受けていると納得させられた。音の発声が有るような無いような音の描き方はこうしたところから来ていたのだろう。

その他の曲も録音しておいたのだが、他のファイルを消去して場所を空けておくことを忘れていたので、中々録音を書き込むのに苦労をしている。先ずは何かを消去するか移してしまうことしか無いからだ。その一時記憶のキャッシュにさえ苦労することになっている。

今日初めて日本全国の一週間十万人中の陽性者指数が100を超えた。ロベルト・コッホ研究所ではそこから暫くその傾向が続くと世界のハイリスク地域に指定する審議が始まる。二週間に一回の指定でハイリスク地域若しく変異株地域に指定されると旅行に制限が掛かる。接種しようがしまいが帰国時の隔離は避けがたくなる。既にスイスのように160を超えての地域も先日指定されなかったが、其の侭上昇して何時までもという事はない。それなりに理由が存在する筈だ。

同時に一日の陽性者が19000人と世界で八位の多発地帯となった。因みに世界第三位の英国は26000人でも医療崩壊も起きなくなっている。接種率が全く異なる。そして死ぬ人は既に亡くなっている。日本は明日にでも二万人を超えると世界の大流行地帯である。更に検査数が圧倒的に足りていないので、客観的に見て危険になって来ている。そして医療崩壊となれば、当然のことながら旅行禁止地域となって、入国規制も掛け易くなる。次回の更新30日迄を待つまでもなく、独外務省が先に渡航危険を出す可能性が高くなってきた。

今回は最初から分かっていたことであるが、昨年の春に続いて何処でロックダウンをするかだけの問題となって来ている。一番都合がいいのは、安倍政権がやったように全校休校を夏休みから続けて行うことで、9月最初の三週間ぐらいだろうか。

一人頭10万円支給は避けようがない。自粛で出来なければ皆保険制度で保障されている筈の医療を「災害時と同じように受けれません」というのは通じない。そこに不可抗力は何処にもない。あるのは不作為による人災だけである。



参照:
胸に痞えが残る日々 2020-03-11 | 歴史・時事
モニターの前の評論家 2020-05-04 | 文化一般
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秋のマーラー九番演奏会

2021-08-18 | 
ブレゲンツから二枚のティケットがメールされてきた。そろそろ問い合わせしようかと思っていた。昨年10月の総練習に続いて演奏会四回を、満席に増やして二回の演奏会に限ったので本当に配券されるのかどうか不安だった。その一方で定期会員以外のまだ支払いしていない人は連絡しろとあった。三回もキャンセルされて四回目の延期だったのでこちらも不安になる。余っている筈がないのに売ろうとしているのはガラガラポンにする心算かとも思った。勿論の事、地元の定期会員が優先されるのは仕方がない。

一枚目に遅れて二枚目も届いた。座席はどうなっているのか調べた。ブレゲンツの方は帰る前にさっとの心算でいたから致し方が無いが、人と人の間に座るのは嫌だなと思う。でもそれがキリル・ペトレンコの第二の故郷でのマーラーツィクルス演奏会の最後になる。何かそのような慎ましいイヴェントばかりを求めているようなのだが、このツィクルスを始めた時はまだバイエルンの音楽監督では無かったのだ。それを考えるとこのフィナーレにはやはり大きな意味があると思う。指揮するのは今年ライプチッヒ等で指揮する予定だった第九番である。恐らくミュンヘンでも先に振るのではなかろうか。そこでは再来年の準備となるか。

前夜には何度も行きたいと思って叶わなかったフェルトキルヒのモンタフォンハウスでの演奏会だ。小さな会場でこちらは一等席を配券して貰ったので少なくともそこの音響をチェックできる。恐らく地元のペトレンコお母さんたちと並ぶかも知れない。管弦楽団の力量は分かっているが、既に里帰りの指揮者と三月に秘密練習をしていて準備万端な筈なので何とか頑張って欲しい。

まだまだ10月初めのことなので不明なこともあるが、先ずこちらは接種証明も持っているので、オーストリアが特別にハイリスク地域にならない限り問題が無い筈だ。しかしおかしな席での満席は嫌である。

ルツェルンからも出かける予定の演奏会のリマインドメールが入った。三日のところを二日にすることにしたが、既に指数148のルツェルンや163の全スイスへのコッホ研究所の決断に掛かっている。16日の発表ではまだ大丈夫だが二週間後の30日で決まる。認定されれば宿を直ぐにキャンセルする。

それにしても我ながらここまで時間と費用を掛けて、系統的に行っているつもりはないのだが、良く取材をしているものだと思う。正式なペトレンコの活動の記録は側近のクラスティング氏が纏めると思うが、こちらは矢張り観客席側の受け取り方に興味があるので観ているところが違う。

グレン・グールド演奏のオルガンによる「フーガの技法」を鳴らした。やはり全然意味が異なった。なんといってもストップとか何とか以前に純正調ではピアノでの滲みが無く、くっきりと対位法の各声部が浮き上がる。まるで馬鹿みたいに明快明晰のだ。よく考えればバロックの対位法なんてそういう押しつけがましいものではないかとも改めて思うのだが、一体ピアノで今度は何をしようというのだということになる。

グールドのピアノでの演奏を聴けばその答えをくっきりと出して呉れていると思うのだが、やはり聴いてみないと分からないこともある。その意味からもこの作品自体が提議する問いかけは大きい。

LPを慣らして二枚目の最後には針に埃がついてびりびりと鳴っていた。こういうのが資料的に音を鳴らす時には最早煩わしい。趣味の「音楽鑑賞」の時には気にならないものだったろう。



参照:
深刻に受けとめられる 2020-11-03 | 文化一般
初夏に向かって考慮 2021-04-15 | 暦
最後の交響楽演奏会 2020-08-25 | 文化一般
ミサ典礼文の表情 2021-08-16 | 音
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