Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「ヴェニスに死す」の導入

2024-06-17 | 歴史・時事
ヴュルツブルクから無事帰宅した。宿を10時過ぎに出て、12時半までに帰宅する想定であったが、途中工事渋滞などもあって一時間程遅れた。

総括として、出発前に予定通りいかず、動機付けもなかったのだが、結果としてはやはり出かけたことで得られることは少なからずあった。ミュンヘンでヴュルツブルクでとそれなりの成果があったということだ。百聞は一見に如かずに尽きる。

往路はネットで調べていたように、ニュルンベルクに出ずに真っ直ぐに短絡して宿の部落へとアンスバッハでアウトバーンを下りて、国道を走った。一部混んでいたり、街中を通過しなければいけなかったが、それ以外はすんなりと走れて20kmほど近く短縮した燃費も悪くならなかった筈だ。到着予定時刻も殆ど変わらずで15時に到着した。

16時にはミュンヘンへと向かえて、17時18分にオペラ劇場駐車場に入庫した。そこへの経路も今迄走ったことのない市街区を通った。やはり真北から旧市街に入ると異なる。昨秋は宿泊地が西側だったので、それ程いつもと変わらなかった。直ぐにそこはシュヴァービンクだと分かった。あれだけ通っていてもあまり通っていない地域がある。「ヴェニスの死」におけるとても印象的な描写が目前に現出する。

ダルマイヤーではいつものような買いものしかできなかったのだが、コーヒーも確保した。駐車場も工事が進んでいるようで、一部アプローチがよくなったところもあるのだが、まだまだ暫定的な配置だろう。

演奏会まで時間があったので、レジデンツのホーフ内にあるプフェルツァーレジデンツシュテュ―ベに腰掛けた。ヴァインカルテも各地のものを様々に集めているようでそれなりの種類があった。場所がいいのがなによりもだ。個人的には出かけることは少ないだろうが、プファルツとバイエルンの歴史が詳しく載っていて興味深かった。やはり歴史的な場所でもある。

奇しくも翌日に宿からヴュルツブルクに向かう道筋はマンハイムからプラハへのブルゲンシュトラーゼというのが通っていて、これもクアープファルツの本家プファルツ選帝侯によるチェコのハプスブルク家からの独立に関わっていて、歴史的にも興味深い。ニュルンベルクからヴュルツブルクへの経路はやはり今回初めて走った可能性があって、風光的には取り分け言及することはないのだが、旧街道との繋がりがとてもに気になる。

「我が祖国」の解釈に関してあまりにも偏狭な思い込みのようなものが流布している今日、このように実感を伴った歴史探訪にはとても価値がある。この件はまだまだ夏の終わりにかけて話題になることだろう。

ヴュルツブルクはここワイン街道ともそれ程遠くはないので、そこで宿泊するのは初めてだった。やはり急いで往復するのとは異なり、あの辺りの雰囲気がより分かるようになった。バーデンヴュルテムベルク州との境界が迫っていて、その割にはやはりバイエルンだけに異なっている。



参照:
方舟の縁に右手で掴まる 2020-03-09 | 雑感
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意識的に忘れた録音

2024-01-13 | 歴史・時事
意識的に忘れていた中継録音を聴いた。コロナ期間中にベルリンでの演奏の翌日にザルツブルク祝祭大劇場で演奏されたものだ。二日目にはいつものように休憩の無い一曲抜けたプログラムでトリフォノフがベートーヴェンのハ短調を弾いている。

意識的のこの中継のことを忘れていたのは、なによりもベルリンのシーズン初日に続いてここでのブラームスの演奏実践の折衷的な方法に失望したのと、もう一つはベルリンで二つ目のプログラムをやり直した様に、本来ならば其の儘演奏されるルツェルンでの演奏会が中止になっていたからだった。

当時の新聞評の悪評が、個人的な思いを越えて、今その時の録音を聴くととても感動する。当時指揮者のペトレンコが語っていた「折衷」とは交響曲が初演された所謂シュタインバッハ版とされるその歴史とベルリンでの演奏実践の歴史との折衷だということだったが、後者の具体性は上手く描けなかった。

しかし今回聴いてそのコロナ間隔での演奏の難しさとあっちこっちへと外して上手に合わないアンサムブルには、カラヤンサンドとかとは全く異なる指揮の分かりにくいフルトヴェングラーのそれに近いそれも晩年の核に近いような物だけの響きがある。

それは一つはブラームス自身が書いているように「私よりは愛らしいかもしれないが、甘みの溢れるチェリーでは全然ない、しかし決してへんな四番を書こうとしたものではありません。」としているその味であり、更に先の見えないコロナ当時のやるせない響きにもなっていて、思いの外感動させられる。

まさしくそれは私達がフルトヴェングラーの指揮として聴いてきたブラームスの交響曲のその内容であって、最早そこには人を魅了するような響きもなくアンサムブルの精緻さもない。しかしそこに残る骸骨のようなものがある。

車のタイヤは金曜日午前の時点では空気抜けのような兆候はない。走っていないのでなんとも言えないのだが、月曜日に気がつく前に走ったのはワイン地所とかであって、距離も限られていた。また子供が悪戯で空気を抜くようなところにも停めていない。空気が抜けていて気がつかなかったとしてもどれぐらいか?少なくとも走りが鈍いと思ったのは月曜日ぐらいで、それ以前に気がつかなかったことはあり得るか?なるほど運転席から最も気が付きにくい前輪右なので、右横に車が停まっている場合気が付かないことはあり得る。それでも故意に空気を抜かれるような状況は思い浮かばない。その前の土曜日の朝に抜けていなければ、月曜日に抜けていた可能性も少ない。来る月曜日に現状の様ならばアウトバーンに乗る前にタイヤ圧を測るまでもない。

嘗ての事故経験から運転中にタイヤに異常があれば直ぐに気が付く。実はその時も右前のフォイールを損傷していて、後輪駆動だった。今回は状況は異なるが、空気が抜ければ直ぐに気が付く筈だ。それゆえに月曜日の駐車場までの感覚を今も思い起こしている。その時は抜けていた。その前の鼻先の底を打った時の土曜日には気が付かなかった。しかし空気が抜けるような雨水溝ではなかった。摩訶不思議。



参照:
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見識に根ざした表現

2023-12-24 | 歴史・時事
週末に合わせて、水曜日に走っておいた。なによりも晴れ間があったからで、陽射しがあった。それでも気温摂氏8度ぐらいしかなく、薄く汗を搔いて逆に冷えたのかもしれない。今週は暖かったこともあり若干身体が安心したようで体温調整が上手く行かなかったかもしれない。色々と事務仕事で片付けたかったこともあったのだが、身体が重くて朝が起きれなかった。見ると冬至ということでなるほどとも思う。つまりこれから一日一日と陽が長くなる。

翌土曜日は買い物の最終日で朝早起きして市に向かった。8時25分頃が陽の出だったので、市から以前走っていた森に向かうとして、8時前に家を出た。幸い駐車スペースが開いていて、すんなりと目的の魚屋露店に向かって、魚のテリーヌとニシンの煮凝りを購入した。これだけで前菜として十分である。

そして今年初めて並びのパン売りの露店を覗くと半分切りがあったのでそれを購入、更に切ってあったフルーツパンを購入。合わせて9ユーロ超で、魚の5ユーロ超よりも高かったが、フルーツ6ユーロは仕方がない。

8時35分には走り始められたのも如何にすんなりと事が進んだかであるが、心拍数をあげないように166最高で沢沿いをゆっくりと往復した。それでも最後にダッシュをかけるとそれなりの運動になる。何よりも下半身から力を抜いて走れるので、坂の上り下りとは腸の活性化がまた違う。ただ帰宅時にはやはり心拍数が上がったので朝の運動はやはりあまり良くない。

新聞文化欄に75周年記念のRIAS室内合唱団がヘンデルを歌わないというのが目を引いた。読んでみると、予想通り旧約聖書の脱エジプト記からのオラトリオを通年ならば新年の演奏会で祝祭的に歌うのだが、その内容を精査すると「力による解放」ということで、現在のウクライナ侵攻、そしてガザやイスラエルでの市民への攻撃を鑑みると不適切だというのだ。それは一方的な力が働いているからということらしい。これは見識で、芸術とはそういう見識に根ざした本当の表現でなければいけない。

木曜日は21時からルールトリエンナーレの演奏会実況中継録音が流された。前日初日にボッフムのホールで聴いたものの二日目公演であった。まず最初の曲のソフィア・グバイドリーナの「レヴューミュージック」は貴重なもので、全曲録音としては唯一のものだろうと放送で紹介されていた。その一部はYouTubeにあって皆がそれを聴いていたのだった。

一部繰り返しになるが放送で指揮者のエンゲルが改めて話しているのは、1970年代にモスクワの新劇場の為に放送局から依頼されて結局劇場は完成しなかったようだが、当時の西側のレヴュー音楽を研究しての作品であった。その取り入れ方が見事なだけでなく、それでも最初と最後に教会の鐘やベルなどが鳴って、典型的に彼女の精神的な音楽と早い切れ替えが腕を見せていて指揮者自身にとっても大発見だったと喜んでいる。

またここでも単なる初演だけでなく、あまり顧みられなかった新しい曲の再演などでエンゲル指揮で歴史に残る演奏が繰り返されている。グバイドリーナファン必聴の演奏録音である。三回目のフランスでの演奏も録音が残されているのだが、一寸聴いた印象から初日から後やはり細部の彫塑が深くなっている印象がある。(続く



参照:
対象への認知の距離感 2023-10-08 | 音
Play Bigの新たな指揮者像 2023-07-20 | 文化一般
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必然な歴史的な協力

2023-12-22 | 歴史・時事
チャリティー公演中継中にノーベル平和賞ノミネートが発表された。寄付金の窓口になっているイスラエルの女性の草の根運動団体二つである。翌朝のラディオ番組のインタヴューに答えている。それによると政治的にはユダヤパレスティナの各々の連邦を目標としているという。

10月4日にイスラエルでスペインなどの大使も参加しての大きな催し物があったようで三日後に虐殺事件が起きた。しかしその翌日からパレスティナとの連絡を再開していたと語る。そこにしか解決策はないのは明らかだ。

抑々ベルリンから行った若い娘らが殺害されたのもそうしたベルリン名物のラヴパレードを真似た催しものを狙った軍事行動でだった。そうした軍事行動に陰で資金援助をすれば、イスラエルも大軍事行動を起こすだけの切っ掛けが出来る。まさに日本の企業が安倍政権の下で軍事的契約を結んだ背景がそこにあった。

対決には解決も希望もないというのが水曜日の催し物の趣旨であり、ブレヒトの詩にもバッハマンのそれにもあるべき姿が示唆されている ― ノアの箱舟で最後にハトが葉っぱを咥えている、岸は近い。奇しくも故バーンスタインに纏わる映画がハリウッドで制作されているのも偶然ではないだろう。イスラエルの状況はなにもここ数年それ以前以上に悪化し続けていたので当然の帰着となっている。
Maestro | Official Trailer | Netflix


EUは難民対処に加盟国各国のより厳しい合意に取り付けた。ドイツ連邦共和国は歴史的に受け入れを制限できずに来たが、これによって節度ある受け入れと拒絶と同時に経済難民を避けて必要な人材の移民に同時に法を整備できる。

嘗てのバルカン半島でセルヴィア人によるアパルトヘイト政策は、欧州の陸続きでは二度と悲劇を繰り返させないとして、軍事攻撃へと決断を促したが、世界は広い。イスラエルのガザでのアパルトヘイトは予定通り虐殺へと向かっているが、そのような破局への状況の種は至る所に存在している。

先日残りのコーヒーを開けた。年末年始で楽しむためだ。エティオピアの西ショアという地域でバイエルン州の援助でダルマイヤーと新たにコーヒー栽培がなされている地域のようで、このコーヒーもまだ何年目ぐらいだろうか。確かに濃いのだが、若干粗さのような味わいは木が新しいからではないか。2013年から開墾から始めたようで、マラリヤなどの多発する地域で、貧しさからの脱却への産業となっている。近年百年間はコーヒー栽培をしていなかったとされる659キロ平米メートルの土地に年間平均1050ミリの降雨量があると記載されている。今年から商品化されたようで、中々ワインでも最初のリリースから試すことはそんなに多くないので、偶然とは言いながら面白い。

キャラメルとか、野生ハーブとか書いてあるが、やはりミルクを入れた方が良さそうで、場合によると砂糖もいいのかもしれない。忙しい時であるとじっくり試してみる余裕はないが、年末年始となるとチャンスだと思っている。それほど複雑な味ではないが、確かに手作り感の野趣に富んでいる。



参照:
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挙動不審者たちの巣窟

2023-10-03 | 歴史・時事
承前)メタムジークという言葉が出た。悪く言えば楽屋落ちになって仕舞うが、広義には音楽のその営みを認識することになる音楽行為である。ボッフムでのヴェルトミューラーの新曲世界初演はトリエンナーレとバーゼルのシムフォニエッタの委嘱作ということで、後者の定期公演でアルザスで同じプログラムの中で再び演奏される。またビッグバンドがNDRの所属なのでその練習はハムブルクの第一スタディオで行われたようだった。そこで指揮者エンゲルと作曲家のヴェルトミューラーへインタヴューが為されてネットで公開されていた。

作曲家はスイス語を話していて、スイスで学んだあとにシュネーベルの下で作曲を学んでいる。音楽的にはコルトレーンやブルックナーなどを同時に扱っていて、実際に演奏者としても学んだオランダのコンセルトヘボー管弦楽団でも打楽器奏者として活躍する一方、ジャズ奏者としても活躍していた。

よって、長年のパートナーである高名なジャズサクソフォーン奏者ペーター・ブレッツマンに捧げられている。それが完成前本年六月に亡くなったようで、日本でも人気でトップジャズメンと組んでいたミュージシャンは、これまたルール地方の工業地域の出身者と知るとこれまた興味深い。
Peter Brotzmann Quartet - Jazzfest Berlin'95

Konzert – Free Music Production / FMP: The Living Music: Brötzmann solo — ここでもシャツを垂らしている作曲家。


Peter Brötzmann, Trio Infernal - Einheitsfrontlied von Hanns Eisler - 1973

Hanns Eisler/ Bertolt Brecht - Das Einheitsfrontlied/ Το τραγούδι της ενότητας (German/Greek lyrics)


更に古い映像などを観るとブレヒト作詞アイスラー作曲「統一戦線の歌」から即興演奏をしていて、典型的なその世代の上の人だと分かる。プログラムにあったようにロックなどだけでなくてフリージャズとかの背景がそうしたアナーキーなものであったことを考えると当然かと思う。そして公演前のNDRのインタヴューで、ブレッツマンへの作曲について語られていて、ドイツで最も破壊的な作曲家へスポスが彼の為にぎっしり楽譜を書き込んでいて完全に失敗したという笑い話があった。それを調べるとへスポスも昨年亡くなっていて吃驚した ― 一度正式に紹介されたことがある作曲家なので、やはりその決して機械の様に冷たくはない手の温もりを思い出す。
SonARTrio: Hespos - Zerango


個人的にはフリージャズの世界には疎いので、シュトックハウゼンの世界とも表裏にあるということが分かるぐらいで、それ以上ではないのだが、サウンドチェック中に会場から出て来たオヤジを見て、これは作曲家だなと直ぐに分かった。即ち、なにかスーツみたいなものは着ているのだが、その白シャツが股間まで垂れているのである。こんな人は健全な市民世界では明らかに不審者である。その顔つきもどことなくラリッた感じなのだ。

少なくともへスポス氏は鋼材彫刻職人の様な感じであり、まさしくその音楽そのものなのだったのだが、なるほどそれがフリージャスかとまではその場では判断できなかった。やはりそれを知らないからなのだ。

奇しくも今回のプログラムで採り上げられた三人とも身近で接している。グバイドリーナも現在はハムブルクの近郊に住んでいるようだが、嘗て日本へ初訪問の時に前後ぐらいの席に座っていて、その醸し出す雰囲気は今でも覚えている。またフィナーレを飾ったステンアンデルセンもピアノ協奏曲再演のフライブルクで目の前の席にガールフレンドと座っていた。これもなにか違うなというのは早めに分かっていた。身近で接した作曲家は数知れないのだが、結構距離が開いていたのだが、又予めその声だけはスイス語として聞いていたのだが、結構印象に残った作曲家としてリスト入りした。そしてその音楽はとなる。(続く



参照:
瞬間に拡がって、伝わる 2008-03-15 | マスメディア批評
旧産業からそして今 2023-09-22 | 文化一般
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漆黒の闇があったから

2023-09-15 | 歴史・時事
旅絵日記首都再訪編。出発は7時45分には果たせた。6時前にスッキリと起きれたのが大きい。最も身近なアウトバーンで工事渋滞があり、カッセルでストップアンドゴーがあった。アイゼナッハへも渋滞した。三回ぐらいの遅れで、ライプチッヒ通過は無事であった。最初の休憩がアイゼナッハのバッハの家広告の前ぐらいだった。そこまで2時間45分ぐらいだったろうか。20分ほど遅れた。

宿に着いたのが、14時45分ほどで、アウトバーンを降りてから10分もかからなかっただろうが、家番号を探して、門前から電話したりして話したのが15時の10分ほど前だった。そこからオーナーとお話して、荷物を整理してSNSで第一報を送ったのが15時35分だった。

フィルハーモニーに18時に入る予定だったので、17時過ぎに出るようにして、実際に着いたのは18時前であったが、駐車場を探した。嘗ての場所は色々と建てられていて狭くなっていて、20台ほどしか停められなかった。それを探すのにティーアガルテンシュトラーセの道路脇に停めて、あの敷地を徒歩でぐるっと一周したら入り口が見つかった。それほどになってしまっていた。価格も公演料金で10ユーロであった。

先ずはともあれ19時の開場には余裕があったので良かった。公園前レクチャーにはそれなりの人数が集まっていたが、ジジババ主体で、プログラムも書いているクラスティング氏も座っていたのだが、中若年層が少ないのは仕事帰りで時間がないのか、それともそうした聴衆の関心事が全く異なっているのか判断できなかった。この件は改めて述べることにしたい。

往路もそうであったが、帰路は何故かナヴィが落ちてしまって苦労した。どうもベルリン周辺はGPSが弱いようである。理由は分からないのだが、なにか妨害でも入っているのかもしれない。まるで東ドイツのような雰囲気は、宿は当然のことベルリン全域に広がってきている。

20年前に二度ほど出かけたときは、まだ西ベルリンの趣がなんとなく残っていた。しかし今は首相府が長く東ドイツの女性の手のもとにあったためか、感覚的に明らかに東ベルリンの感じである。西ベルリンは西側のショーウィンドーと称されたように、西ドイツにはない華が徒花が咲いていた。それが無くなって道路がガタガタで、まるで昔聞いたポーランドのような感じがする。

兎に角、大都市らしくが雑踏がだけでなく、雰囲気が冴えなくなっている感じがする。おそらく全東ドイツから可也の人が集まってきているのか、西ベルリンの雰囲気を保っている人がぐんと減って来ている感じがした。要するに田舎臭い。

少なくともフィルハーモニーのテラスに出て、嘗て東西の壁への漆黒の闇を見つめたときのことを思い出したが、そのときには壁の向こうの暗く、冷たい感じの世界を感じていたのだが、まさに今はそのテラスの雰囲気がその両方を混ぜて東ベルリン風になった気持ちがしたということだ。それほど「ショーウィンドー」の時は、カラヤン指揮フィルハーモニカーも華やかな光を放っていたのだった。そういう文化的な価値観を担っていたのだった。

勿論それらは比較対象で初めて浮かび上がるものだろう。漆黒の闇があったからこそ、こちら側の明るさが眩しかった。西ドイツからはトランジットの列車で皆が西ベルリンを訪れたのだった。そして帰宅時には荷物を調べられていた。なぜならば特別税制が敷かれていて、西ベルリンから西ドイツへと密輸人がいたからだろう。



参照:
劇場に人を詰め込む方法 2020-05-13 | 文化一般
へったくれも何もなく 2020-12-03 | 雑感
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ブロブの720種類の性差

2023-06-25 | 歴史・時事
承前)6月はプライド月間らしい。ミュンヘンの劇場にも旗が上がり、世界中でLGBT月間が祝われている。新制作「アシジの聖フランシスコ」においてはプログラムの演出家のマーラー女史が語っていた。最終景になぜ繭の孵化をプロジェクターで使ったのか。それは子供の時に池の近くで育ってトンボなどの生物が身近にあったからだとしている。この制作を通して聖フランシスコの博愛の価値が示されているのだが、それは菌の着ぐるみになった籟病者でもあり、鳥との交流でもあり、動物振りの動きでもあった。そこにあるのは物体と魂でしかない。

今秋ベルリナーフィルハーモニカーがカラヤン指揮の時に続いて高松で演奏会を開く。その会場が名付けられているのがレクザムであり、その企業の正業であったプラスティックの形成技術からスキー靴のブランドを作り上げた。その過程でオーストリアの靴職人アウワー氏を技術アドヴァイザーとした。その顧客の何人もの金メダリストや各国のナショナルチームの足型そして熱心なアマテュア―の足形を取り続けたアウワー氏が私たちに語ったことがある。それは日本人の足形がどうのこうのという問いかけに対して、それは人種とか民族性で言えるものではなくて、その比率の大小でどのような傾向があるかというだけに過ぎないと。要するにマイスターとして興味あるのは各人固有の個性でしかないということだ。その問題を持つ全ての足型に合うようにスキー靴を形成していく。ブレンナー峠の麓にある靴職人がその経験から真実を語った。

職人にとっては、カテゴリー別けを越えての眼こそが全てである。なによりも対象を有りの侭に観察する眼である。そして積み重ねられる経験を通しての判断でしかない。

昨10月に体験したクラッツァー演出「マスケラーデ」においても、「有りの侭」の私が主題となっていた。文化社会性というカテゴリー別けでしか集合を扱えない、そしてそこにマスに取り込まれる没個性から目覚めが示された。

聖フランシスコにおいては、あらゆる現象に神の意志が働いていて、自他の隔たり無く博愛へと向かう。それは隣人から、鳥へと、そして原始の生物に迄至る。そしてそこで今回の制作ではモジホコリというスティーヴマックインが登場した映画「ザブロブ」から名付けられたアメーバー状の黄色い菌が登場する。そこには720種類の性別があって、男女の性別の間に、そしてその変遷のステージによって変わるというのだ。それがこの制作において、それは植物でもあり得て、定義できないばかりか、ある時は太陽の陽のように輝く。
The Blob (1958) Trailer #1 | Movieclips Classic Trailers




参照:
源流へと戻っていく 2014-12-26 | アウトドーア・環境
「ありの侭の私」にスポット 2021-11-05 | マスメディア批評
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個人とは反するその意志

2023-03-19 | 歴史・時事
新制作「戦争と平和」初日シリーズの千秋楽が終わったようだ。漸く初日に購入したプログラムのページを捲った。先ずは、ドラマテュルークでペトレンコのブレーンのクラスティング氏がロシア専門家のグロイス氏にインタヴューしている。いつ行われたかは分からないのだが、現在のロシアの状況を踏まえるためには、制作企画中に話しを聞いているか書籍を読んでいたのだろう。

そこで話題になっているのは抑々ロシアの思想はヘーゲルから来ていて、コミュニズムに繋がれていったというものだ。つまりフランス革命における暴力による時代の幕開けがあって、ナポレオン自体はフランスの革命者ではないのだが、そうした新時代を築く意志が存在してということで支持されていたというのである。

それが前史になっていて、ヒットラーがナポレオンと比較されたというのはまさにその意志にあったとする。それはレリ・リーフェンシュタールの「意志の勝利」に文字通り現れているというのである。

この解説はとても分かり易く、ソヴィエトにおけるプロレタリア独裁のイデオロギー自体は農民やそうした人民の意志の集合として革命がなされるのだが、スターリン政権下でのナチズムの台頭は反ナチへと傾き本来の共産主義の革命にも反するナショナリズムに傾いたと語られる。所謂スターリニズムか。

それ以前にドストエフスキーにおける「罪と罰」において上記した意志の力はアジア的な思想の中で扱われて、つまり意志を持ったものはそこに朽ちることになる。それがロシアの思想を形作ったとしている。民衆に英雄とされても、つまり意志に導かれる行為は英雄行為となるのは再びトルストイにおいてであるのが、しかし文豪は過激な平和主義者である。それがスターリン政権で特に戦後の1950年代に求められていた英雄伝でとなる。

しかし、現在問題となっているプーティン政権にはそうした構造的な像はない。それがチェルニアコフにおけるモスクワの重要な受け止め方として歴史的なホールでの難民のような生活態度となる。この場合は東西冷戦の幕が下されてから今日まで、ロシアは西側においてただの負け組とされてしまったことで、その自信恢復へとプ―ティン政権が舵を取ったことになる。

こうした知的な作業を経てこそ、舞台化となる。流石に真面な知能があればト書き通りでそれ以外は読み替えなどと戯けは言わないであろう。制作というものはそういう仕事である。

初日のお昼は郊外のホテルの周りで探したバイエルンのお店に行った。偶々探したレストランで期待したのだが、腹を膨らましただけであった。そもそも日曜日のお昼にこれだけ空いているお店が美味いものを出すわけがない。それでも常連さんがいた。近所の住人なのだろう。居心地は悪くはなかった。但し食したものはただ作り置きを暖めてただけの感じの牛肉の煮込みでしかなかった。繋ぎも重く、塩胡椒すれば余計に味が濃くなるだけのようなものだった。実際に夕方からの初日公演では胃もたれから結構眠くなった。



参照:
露勝利を叫ぶ劇場作品 2023-03-08 | 文化一般
エロさ格別プロコフィエフ 2023-03-07 | 文化一般
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ナチ資料館の隣家の展示

2022-10-23 | 歴史・時事
先日試した栗のパンも直ぐに白いものが生えてくる。酵母の関係が大きいのだろうが、栄養価の高そうな物が入っていると足が早い。大きいものは買わないので何とかなるのだが、この時期はまだまだ難しい。

同じ日の安売り品のカマンベールも期限前に平らげて仕舞った。朝食二回分であるので、やはりソーセージ類よりも高価になる。国境を越えてフランスまで行けばその価格で大きな塊が買えるのだが、時間も燃料費もない。しかし味質は全然悪くはなかった。

リヒャルト・ヴァ―クナー音楽祭で有名なバイロイト市が英国人ナチのチェンバレン亭を改装して、ヴァ―クナー家とナチ資料の記念館にすることにした。また隣地を取得して各地にあるようなナチス資料館にすることにしたとあった。11.5ミリオンの結構な予算の市の事業の様である。

バイロイト音楽祭の大きな株主は友の会と連邦政府と州政府そして市である。そのおぜん立ての下で祝祭劇場会社が公演を行っている。大まかにそうした構造で、その公演会社の支配人に現在は作曲家リヒャルトの孫の一人であったヴォルフガンクの後妻の娘カタリーナが収まっている。しかしその契約延長はされず、最後のヴァ―クナー家の支配人とされている。

楽匠の息子のジークフリートの奥さんが未亡人になってヒトラーの助けを借りたことで切っても切れない関係となったようであるが、その負の遺産もこうしてバイエルン国王の援助で建造された祝祭劇場を離れて歴史に留められる。

音楽祭の改革はメルケル政権時の文化相によって強く求められていて、それ以前に祝祭劇場でのスキャンダルからメルケル首相が初日には訪れなくなった経緯があった。要するにヴァ―クナー家のバイロイト音楽祭の中での法的な位置づけを整えるとともに近代化しろという事であった。

その掛け声の中で若い聴衆への働きかけや、ネトウヨ音楽監督の事実上の解雇などの尻尾切りが為されたのだが、然したる能力もない曾孫の裁量には限界があるとなったのであろう。既に法的には、ヴァークナー家の権益には一定の線が引かれていて、なによりもその劇場の文化的な価値の維持には多大な税金が投入されるという事では元々致し方の無いことであった。

実際に戦後には早世の孫であったまたヒトラーにも可愛がられた演出家ヴィーラント・ヴァ―クナーらは音楽祭をカイロなどの海外に移してという試みもあったようである。しかし興行としてはその価値は限られていて、日本でも引っ越し公演は行われているが、実質的に祝祭劇場以外の何もそこには価値は残っていないとする見方が一般的ではなかろうか。

バイロイト音楽祭は明らかに変化していくことは最早不可逆であり、体制もそのキャラクターも遠くないうちに変わっていくことは間違いない。十年以上前にその変化を訴えかけていた我々であるが、漸くという感じである。



参照:
フレンチチーズのお姿 2006-01-24 | 料理
黴の生えた高い民意 2005-04-05 | 歴史・時事
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プロパガンダの管弦楽

2022-10-13 | 歴史・時事
先日話題のテオドール・クレンツィス、バーデンバーデンがその支配人の前任地ドルトムントらと元々の公演を変更して開催しようとしている。その反響が小さな渦となっている。先ずは一貫してその指揮者やアンサムブルのプーティン政権との繋がりを追及していた音楽ジャーナリストのアクセル・ブリュッゲマンが告発のYouTubeを上げた。
Debatte um Teodor Currentzis


とても問題点が纏まっていて、これを観たら、これらの活動がやはりプロパガンダの活動でしかないとしか思えなくなる。

既に事実関係に関してはここでも扱っていて一通りは言及していたと思うが、各々の事象をこうして結び付けられるともはやその活動に一貫性を見出す。

ここでは扱われていないが元々の活動がペルムの地元の劇場からの援助が切られて追い出される形で最終的にペテルスブルクを新たな本拠前提にそこの経済的な援助つまりプーティンの地元であり地元の市長やプーティンの金庫からの得るようになったことで明らかだ。それがクリミア半島併合後のロシア国籍の取得と共に大きな事実となっている。要するにどのような理由があったにしても、そのギリシャ人がプーティン政権下でプロパガンダとしてその音楽活動が為されたことは最早覆しようがないであろう。

その西欧での活躍の場になったのがヴィーンのコンツェルトハウスで、そこの支配人はその楽団ムジカエテルナのリーヒテンシュタインの財団代表だった。つまり金庫を管理していたとなるのであろう。ソニーなどとの契約のギャラもそこに払い込まれていたのだろう。日本からも多くの金額がそこに支払われた ― まるで統一教会である。

その蜜に群がった。ヴィーンのコンツェルトハウスの理事にゲルギーエフがいたと、そこで反吐が出るようだとされているが、実はバーデンバーデンの芸術アドヴァイザーにもそのプーティンの協力者のその名前がある。

そして今回の公演内容の一部が変更になった事を地元のネットジャーナルは伝える。「トリスタン」のそのドイツの歌手が下りたことで変更を余儀なくされたその事情が明らかにされていないと。つまりなぜドイツの歌手が同じプログラムのペテルスブルク公演のみならずバーデンバーデンでも出られなくなったかの説明がなされていないとしている。バーデンバーデンで練習を始めるという情報が出たところだったので、少なくとも二人のテノール歌手がトリスタン役の歌唱を辞退したことになる。プーティンかその金に忠誠なのは同じドイツの歌手ゲルネだけである。

その代わりに今日他のオペラを演奏する訳にはいかない、ヴェルディの「レクイエム」への変更に関して「僧衣を着たオペラで、音楽の歴史の中で傑出した作品であり、現在の状況においての私の眼から観たステーツメントとして受け取って貰って構わない。」という言葉がスタムパ支配人の口から読み上げられたようだ。

この指揮者が、プーティンの政策にコメントすることが出来ないとしても、最早自らの口ではなく敢えて曖昧な言葉を選んでその思わせぶりなプログラムでなにをしようとしているかは明らかなのである。それは金でしかない。生地のギリシャから動乱期のロシアに移ったのは勿論その野師根性からだったのは当然分かるのだが、十分な成果が出る途上において、ロシア国籍を取得して、大々的なプロパガンダを展開したのは決して偶然のことではないだろう。



参照:
いつの間にか宣伝に 2022-10-10 | 歴史・時事
遠くから想うソヴィエト 2022-03-27 | 文化一般
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いつの間にか宣伝に

2022-10-10 | 歴史・時事
二月のプーティンによる侵略以降色々な影響があった。最も顕著なのはロシア音楽化の扱いだった。楽曲などの文化へのボイコットは特殊なポーランドの様な後進国でしか起こっていないが、圧力は少なからずあったと思われる。そうした波の中で最も顕著だったのはプーティン政府の協力者であった指揮者の追放で、ミュンヘンのフィルハーモニーの音楽監督をしていたゲルギーエフだった。個人的にもそのドイツでの活動拠点であったバーデンバーデンの祝祭劇場には間接的に圧力を掛けれたと思う。成果でもあった。

反面、ロシア人ゆえのボイコットなどは許容されるものではないので、それに対するカウンター署名はした。その様な経過の中で、一人問題になるロシア人がいた。日本でもソニーの後押しで大々的に売り込まれて、二時間程の握手会に行列を作ったことで話題になったテオドール・クレンツィスという指揮者がいた。そのタレントイメージとしてメタルロック風の服装などと同時に反戦なども当然の如く語られていたのでその去就にも注目が集まっていた。

しかし、先日になって初めて独公共放送SWRの交響楽団の彼の後任が発表されたように、公の機関も様子見をしていて、それまではその姿勢を見守るとしていた。その間に、売り出されていた彼自身のペテルスブルクの楽団などがプーティンの銀行から支援を受けていたことや、その資金はリヒテンシュタインなどで管理されていて、ヴィーンのコンサートホールの理事などが管理していたことが発覚した。

よって時間の問題であったが、その回避策として新たな楽団を30国から集めたプロの楽団で構成してというツアーが銀行のルクセムブルクを始めとして動き出す一方、ケルンのフィルハーモニーからは年始のSWR交響楽団のツアー演奏会をキャンセルすることが発表されて、各主催者は再考と判断に迫られることになった。

またもやロシアとの関係の強いバーデンバーデンでは以前の楽団ムジカエテルナの名前で恒例の演奏会が秋の音楽祭としてそこで練習を始める予定であったのが、その判断が下されることになった。既に一演目を除いて発券中止となっているので、中止に違いない。もし、新たな管弦楽団ユートピアなどで差し替えとなると大きな問題になるであろう。なぜならば、それも以前同様にプーティンの銀行とオーストリアの極右でレッドブルのオーナーらがスポンサーになっていることが分かっており、要するに指揮者の出まかせでしかないことがはっきりしたからである。

ギリシャに生まれ、早くからロシアへと渡ってそこで音楽生活を始めたようだが、なんとロシアの国籍を取得したのはロシアがクリミア併合してからとあり、完全にプーティン政権のプロパガンダであることが明白になっている。するとソニーを巻き込んでのその売込み戦略などが可也悪質であることが伺い知れてもはや看過できない存在になってきている。

一方で新楽団のハムブルク公演などの反応も開場と同時に拍手喝采するなど熱狂的な聴衆がついていて、可也の高齢者のそうしたロックファンが集うことになっている様である。要するに大衆動員力もあって、その背後にはやはりロシアのインテリジェンスが潜んでいるのではないかとも疑われる。上のネトウヨでしかなかったゲルギーエフよりも厄介な存在であったかもしれない。



参照:
上手く機能したストッパー 2022-02-27 | アウトドーア・環境
独裁の協力者を許すな 2022-02-25 | 文化一般
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意向に配慮せざるを得ない

2022-07-05 | 歴史・時事
新聞の文化欄に全面記事が出ている。なにかと思えばウクライナ対策だった。五人の文化施設の支配人、即ちボンのベートーヴェンハウス、スイスザンクトガーレンの劇場、ベルリンのフェストシュピーレ並びのBRのムジカノーヴァの芸術監督、ケルンのフィルハーモニーの支配人、シュトッツガルトのオペラ支配人がネットで会談した。フランクフルトターアルゲマイネ新聞の企画である。

ここでもロシアの侵攻以来幾つもの事件を扱ったが、先月末にウクライナ議会ではロシア音楽等の演奏が禁止され、ウクライナ固有のものが優先されて、その次に東西欧州などの作品が許可されるというものだ。要するに侵攻以前からのウクライナの国粋主義体制は文化的にも明らかで、EU加盟申請などに為れば厳しく裁かれる。

渦中の人ウクライナの女性指揮者オクサーナ・リニヴの事をシュトッツガルトのショーナー支配人が語っている。ボローニャでチャイコフスキー作曲「イオランテ」の指揮が出来なかった事は既知であるが、それ以降ウクライナの家族への脅迫が絶えないというのでまさしくテロの国になっている。既にリニヴは、それに対抗する立場を明白にしていて、EU加盟申請の前提をその反論にするようだ。

しかしザンクトガーレンの支配人がチャイコフスキーの「オルレアン」のオープンエアー演奏をヴェルディの同題名作に差し替えたとあった。理由は野外でどのような人の耳に届くかも分からないので配慮したと語っている。

要するに細やかな配慮は、在ベルリンのウクライナ大使がウクライナ外務省からその歴史修正主義的な発言で距離を取られたように、そうした横やりを極力避けるために特にベルリンでは慎重に処するとある。

皆が今後ともウクライナ政府が禁止したり、条件を付けているウクライナ音楽家の国外でのロシア人音楽家との共演やロシア音楽の演奏が出来る人を集う立場には変わりないようである。

一方話題になっていたウクライナのエリート演奏家管弦楽団は、ポーランドで企画されていて、その楽団は文化プロバガンダとして音楽の兵士と自らを語っている。当然の事乍ら出席者からは絶対主催しないと明白な断りの言葉が飛んでいる。

結論としては現状のウクライナの状況を考えればその意向を無視することは不可能で、配慮していくしか方法はないとなっている。

ベルギーからの地取りらしきイチゴ。安ければ、手を出さざるを得ない。



参照:
露文化排除のウクライナ 2022-05-06 | マスメディア批評
和解などない露宇兄弟 2022-04-07 | 料理
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西風に乗ってくる琥珀

2022-05-02 | 歴史・時事
ヨーロッパコンサートを観た。ベルリナーフィルハ―モニカーの、大晦日のジルヴェスター、野外のヴァルトビューネの演奏会と並んで、広く世界に映像を流すメインイヴェントである。コロナ禍で昨年一昨年は本拠地で二年間無聴衆で中継されて、2019年のパリのオルセー美術館以来の普段は公演しない欧州の文化都市の聴衆の前で演奏した。都合2019年に就任したキリル・ペトレンコにとっては初めての本拠地以外での通常のヨーロッパコンサート指揮となった。

最も興味深かったのは、指揮のペトレンコとラトヴィアのリガ出身のメゾソプラノ歌手エレーナ・ガランチャとの共演だ。初共演ではないかと思うが、ベリオの曲をしっかり歌っていて、更に曲の内容を出していたので、良かった。生ではこの歌手を復活祭のラトル指揮コンサートで二曲聴いたのだが、伴奏が悪かったのかその歌声以上のものは伝わらなかったのだった。

この曲は、作曲家の奥さんのキャシー。バーべリアンの録音等で有名であるが、それ以外の歌手で初めて楽しめた。こうした共演を観るとどうしても復活祭への出演も期待してしまう。この歌手が今回の侵攻に対して早くからステートメントを出していたのは知っていた。ラトヴィアの立場を代弁していたものと感じていた。

今回もベルリナーフィルハーモニカーは政治的なステートメントとしての演奏会ではないと明白にステートメントを出していた。そこに登場した歌手は、青いドレス、黄色いコートを羽織った形で上手にしかし明白に意思を表明していた。

そして当初オデッサで予定されていたプログラムの中にはリヒャルト・シュトラウス作曲「ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」が入っていたのだが、流石にこの時期には相応しくないという事で、フィンランドの独立へのシベリウス作「フィンランディア」に差し替えられた。復活祭でユース管弦楽団をペトレンコが指揮したコンサートでも同じように差し替えられていたのであった。

休憩後にはヤナーチェックの「タラスブラーバ」が演奏された。ポーランド治世下にあるウクライナのコサック親子を描いたゴゴールの物語で、木曜日にも他のウクライナ作曲家の作品でアンコールとして演奏された。また、ユル・ブリナーとトニー・カーティスの演じた映画のサウンドトラックは2019年のジルフェスタ―コンサートで演奏されいた。こうしたヤナ―チェックを聴くと、復活祭でもオペラ作品を取り上げて貰いたいと思う。

TV放送では御国紹介で、琥珀の色と形のコンサート会場のある第三の規模のリエパヤのある西海岸の海の風景が映され、そこでの琥珀漁風景を垣間見て吃驚した。だからザクセンの風と呼ばれる西風で琥珀が取れるという意味が全く理解できていなかった。

週明けからの幾つかを纏めておく。同時に五月の試飲会の日程も定かにしておかないと間に合わないかもしれない。要するに、秋のオクトーバーフェストのように社会が制限なしに動いて来ると、こちらも準備をしておかないと全てが流れて行ってしまう。コロナ期間のように数少ない可能性をついて機動的に動くだけでは捕捉出来なくなってきたからだ。



参照:
音楽を以て示すモラール 2022-05-01 | 暦
ギュンターの玉葱を剥く 2006-08-28 | 文学・思想
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あとから仄々思うもの

2022-03-18 | 歴史・時事
福島沖の地震の速報を見てから出かけた。短いコースを走ってきた。右足には違和感が残っていた。前回の走りは月曜日だったが、火曜日に普通の靴で少し動いた疲れが出たのだろうか。空はサハラ砂漠からの降砂で光が射さないので寒く感じる。もう少し続きそうである。それで気持ちも冴えないので頂上アタックを早々と断念する。その代わりに短めにその途中まで走っておいた。漸く左足でも蹴れるようになってきたがまだまだバランスが悪い。金曜日にどのような状態になっていることだろうか。帰宅の車中のラディオでは、東海、福島原発には異常がないことが伝えられた。地震の度のこの様な情報が流れれば、ドイツにおける原発の延長どころか、老朽化休止の延長なども到底考えられない。

パン屋でニンジンのケーキを購入した。枠に入っていて7ユーロ近くした。アーモンドも入っているようだが、何日ほど楽しめるだろうか。切るとボロボロする。復活祭のウサギの為の餌かどうかは知らない。

パン屋の本店前の道路が工事中で休店している。同じ町の新興住宅街にも支店があって、そこでも製造可能な様で、半日をこの期間時間延長してやっている。スーパーには近いので、寧ろ近いぐらいである。

ウクライナのクリミア半島の北西の右岸出身の女性に話を聞いた。母親がそこに住んでいるのだが、既にこちらに避難していている。爆撃は部分的だが不安でどうしようもないという。それでこちらから電話などで毎日知り合いに電話をとっているらしい。一先ず元気そうでよかったが、また事情が変わってくるのでこれからが大変だと思う。何が出来るか分からないがという話しをした。少なくとも思ったよりも元気そうでよかった。

2015年のノーベル文学賞受賞者スヴェトラーナ・アクセイヴィッチの二年前のシュトッツガルトでのインタヴューを聞くと、問題は民衆にもあることは分かる。70年間も収容所にいたような人々が自由になって街に繰り出してもなにも民主主義どころか右往左往するだけというのだ。同じような事象は、東ドイツでも同じような時にみられ今でも続いている。

少なくともロシアにおけるその信条は、2015年に指揮者のゲルギーエフが語った話しの中に全てが凝縮していた。エルツィン時代の混乱を救ってくれるプーティンが救世主であって、世界の中でのデフォルトの経済のロシアの地盤沈下と自信喪失から救ってくれたのだった。まさしくプーティンの語る地政学的な根っこである。

再びそこで自信を纏って将来への希望を見出すためには、スラヴの兄弟国を手下にしたソヴィエト版ロシア帝国再構築が重要なイメージとなった。そこには嘗ての栄光としてありもしなかったありもしなかった「青春自体はあとから仄々思うもの」があって、歴史修正本などが喜ばれて消費される由縁なのだ。指揮者ゲルギーエフのチャイコフスキー演奏実践はそのものであった。

大坂って、天下をとっていたのはいつの時代とか、そうした馬鹿々々しいネトウヨ談義が花咲くところに、致命的なカタストロフを呼び込む時間の間隙があって、必ずしもリセット可能とはならない物理が横たわる現実が存在する。



参照:
プーティン登場の音楽劇場 2022-03-17 | 音
芸術音楽が表現するもの 2022-03-07 | 文化一般
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公演曲目を確認する

2022-03-14 | 歴史・時事
復活祭が近づいてきた。バーデンバーデンでは、ペトレンコを中心に新制作「スペードの女王」の練習が行われている筈だ。本日もデンマーク四重奏団の演奏会もあるので出かけようかと思ったが少し億劫で止めた。

その代わりに準備をしておこう。どう総稽古から出かけないといけないので二週間以上は通う事になる。片道100KMを超えるのでそれなりに疲れる。

先ずは公演曲目を確認する。「スペードの女王」以外に、「イオランタ」全曲、更にストラヴィンスキーの三大バレー曲、「運命」と「ティルオイレンシュピーゲル」、「妖精の口づけ」、ヴァインベルクのトラムペット協奏曲、二曲未定、その他パユのグリンカのトリオ「悲愴」とリムスキーコルサコフの五重曲ロ長調に出かける。

これだけなら「スペードの女王」に時間を費やせるが、未知の変更になる二曲が手応えがあるものとなると結構大変だ。ネトレブコが欠場となって変更になる聖水曜日なのだが、後半に「火の鳥」で、前半に「死の鳥」と「ロメオ」か「リミニ」なんかで簡単に決まっていないのが不思議。「ヴォカリーゼ」も演奏の予定だったから、新しい曲を入れるつもりだろうか?ムソルグスキー作品辺りが入れば大喜びである。

ウクライナ政府外交官の態度があまりに不適当なので世界中で問題になっている。その東京在任ウクライナ全権大使は、ひょんなことで、ロシア軍の戦争犯罪に関して東欧の人が語る「赤軍が通ると草木一本無くなる」、「ナチは殺戮を繰り広げた」と書くと激しく反応していたようだが、訳が分からなかった。しかし赤軍はまさにウクライナ軍の事だったと自覚があったのかもしれない。

それどころかロシア文化に関する研究にまで口出しを始めたというから、まさしくネトウヨのプーティン大統領が語るウクライナのネオナチつまりネトウヨの修正主義者と分かった。

一方在ベルリンのウクライナ大使は、TV報道番組で語る前連邦共和国大統領ガウクが慎重姿勢を見せたので、それを罵った。勿論駐在する国の前国家元首を罵る全権大使などはどこにもいない。

要するにウクライナには外交官に適する人材すらいないのである。歴史修正主義の大使しかいないような国だから国の統制も出来ておらず駄目になるのだ。既にSNSでも炎上しており、「ドイツは国境を護り、ウクライナ大使らは国に戻り護ればよい」と正論が語られている。

連立与党FDPの議員もこのウクライナ大使を批判しており、先日もフォアプロムンの知事とも悶着を起こしていた。

私も「早く帰任しなさい、国があるうちに」と書き込んだ。程度の低い外交官の国とは交渉など不可能である。紛争のある国はEUには加盟できず、当然NATOも無理なので、傀儡政権樹立も時間の問題となっている。



参照:
ドイツ系移民モーツァルト 2022-03-11 | 文化一般
芸術音楽が表現するもの 2022-03-07 | 文化一般
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