Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2014年10月

2014-10-31 | Weblog-Index


ミュラーカトワールの楽興の時 2014-10-31 | 音
いじめの支配構造 2014-10-30 | 歴史・時事
なんと内容の濃い試飲会 2014-10-29 | 試飲百景
名人芸における本質的なもの 2014-10-28 | 文化一般
向上心は悪くは無いのだが 2014-10-27 | 文学・思想
二つの初登攀の快さ 2014-10-26 | アウトドーア・環境
ライフスタイルにそぐわない 2014-10-25 | ワイン
オネショしそうになる火柱 2014-10-24 | 生活
枚挙に暇のない杜撰さ 2014-10-23 | 歴史・時事
生の味付けのうまさ 2014-10-22 | 料理
浮浪のおばさんとの再会? 2014-10-21 | 文学・思想
体が焼けそうな花崗岩 2014-10-20 | アウトドーア・環境
窓拭きの本当の効果 2014-10-19 | 生活
ムスリムにはなれない歓喜 2014-10-18 | 料理
喜びの2013年通知簿発表 2014-10-17 | 生活
スレンダーながら多層的な23歳 2014-10-16 | ワイン
笑止千万な旧姓に拘る人々 2014-10-15 | マスメディア批評
自由選択の無い社会への警告 2014-10-14 | アウトドーア・環境
ふらふらしそうな感じ 2014-10-13 | 生活
不可逆な我々の現代環境 2014-10-12 | 歴史・時事
持続可能な環境の誕生会 2014-10-11 | アウトドーア・環境
思いがけない請求書 2014-10-10 | ワイン
いつものフェードアウト 2014-10-09 | BLOG研究
黒い森の花崗岩を吟味 2014-10-07 | アウトドーア・環境
デーヴィッド・マンローの伴奏者 2014-10-06 | 音
豪快にまどろっこしく登る 2014-10-05 | アウトドーア・環境
ノンCM情報収集の意味合い 2014-10-04 | マスメディア批評 TB0,COM2
小荷物とともに届く招待状 2014-10-03 | 雑感
いってしまい勝ちな銀の楔 2014-10-02 | 生活

コメント

ミュラーカトワールの楽興の時

2014-10-31 | 
先日試飲して購入したミュラーカトワール醸造所のオルツリースリング「ハールト」2013年を、もう一つの「ギメルディンゲン」に、続けて開けた。試飲会では、もう一つのそれのように直接的な柑橘系の酸でもなくて、まったりしたなれた酸であったのとミネラルの強さから、二番手の評価であった。しかし、オーナーの目下の愛飲リースリングであり、購入して比較してみなければいられなかった。それほどこの二種のオルツリースリングの優劣を決めるのは難しかった。だからこの二つの前で飲み比べし続けた。そうした人も少なくなかった。

食事は、豚のタタール翌日は海老中華であった。前者との絶妙な相性は間違いなかったが、生玉ねぎと半熟卵が味わいの精査を邪魔した。二日目は、酸が前面に出てきて、2013年の強い酢酸的な酸を味わった。しかし味筋は、かなり重くがっしりしているのだが、培養酵母のおかげか赤いバラの香味などが長い減衰を伴って塩辛いミネラルで終わるのは見事であった。ビュルクリン・ヴォルフ醸造所のオルツリースリングではなかなか味わえないミネラルの余韻であり、むしろレープホルツ醸造所のそれを意識させた。

ミネラルの味筋としては、ゲオルク・モスバッハー醸造所のシュティフトなどと共通しているが、その複雑さと分厚さで圧倒している。こうした比較から、この価格での提供はとても高いCPを示している。なるほど、やや技巧を感じさせる仕事振りではあるが、市場での評価として決して引けを取らないに違いない。

当日は、修理されたミュラー・カトワール家の二百年前のピアノがお披露目となった。旅行に携行できるようなティッシュクラヴィーアより大きいが、横に引いた簡易なターフェルクラヴィーアと呼ばれるものである。これまた微妙な音色であり、チェムバロ系のスピード感は無いが、ぼこぼこしたハムマークラヴィーのあのような音色ではない。モーツァルトのヴァイオリンのためのソナタではガット弦でなければ音が大きすぎて、クラヴィーアが聞き取れないほどの音量である。そう思って、モーツァルトのハムマークラヴィーアを生家で録音したまじめなシフと塩川のCDを聞いてみる。やはりバランスは同じような感じだ。こうなると先日入手した名人ツェートマイールの録音が離せない。

因みにオーナーに尋ねてみると家督相続とは言えないが少なくとも親父さんからの相続らしい。作曲を残している家系であり、当然楽器などは身近にあった筈だ。なにはともあれ、再びハールトからこうした文化的なリースリングが世に問われる意味は少なくない。



参照:
なんと内容の濃い試飲会 2014-10-29 | 試飲百景
ライフスタイルにそぐわない 2014-10-25 | ワイン
コメント

いじめの支配構造

2014-10-30 | 歴史・時事
福島潜行中のSaar Weineさんからメールを貰った。いよいよ福一突入に備えているようだ。今回はどうも二キロ離れた六号線を通過したようだ。ネットでは今大変話題となっている一部開通された国道で、場所によっては毎時17マイクロシーヴェルトを計測しているようである。政府も不要不急の通行をしないように呼び掛けている。しかし定期バスが運行しているようである。

矛盾するようなこうした状況も的確に中央本庁の役所で吟味された行政なのである。決して官僚たちには責任が及ばないような処置が成されている。川内原発の再稼動にも同じような責任逃れ行政がしっかりと敷かれていて、いつも裁かれるのはB級やC級の戦犯となるような社会なのである。

こうしたいじめの構造が日本社会の本質であることは良く知られているのだが、そうした社会的な構造がどこから来ているかを考えるときに、やはり明治維新や日本の近代化という時期においてそれ以前の封建的な社会観などを引き継いだのだろうと推測される。



参照:
マニュアルとか、法制化とは 2012-01-27 | 歴史・時事
情報の隠蔽も未必の故意 2011-07-01 | マスメディア批評
コメント (2)

なんと内容の濃い試飲会

2014-10-29 | 試飲百景
週明けの疲れはそれほどでもないようだ。気温摂氏一桁台の曇天の中を走る。約束の時間があるので、短く軽く流して帰路に就く。最後に頑張って走れたので汗をかいた。流石に上着は着たが、下半身はシュートパンツだった。

日曜日のミュラーカトワール醸造所での試飲会について書いておく。駐車場もいつものところに問題なく停められた。遅めに出かけたとのだが、遠方から態々訪れる顧客は減ったのかもしれない。ある顧客は2013年は悪い年度と語る人さえいる。もちろんそれは素人さんのどこかで得た通俗情報なのだ ― これだけの酸でも健康な葡萄をアウスレーゼ出来なかった醸造所が多いことを物語る。

それどころか2013年のミュラーカトワール醸造所は記念碑的な年になるのではなかろうか?相対的な評価でもあるが、この醸造所はシュヴァルツ親方の時分のようにドイツのトップクラスに再浮上したのではないかと思われる。プファルツで、五本指に入るだろう、軒並み大手が質を落としている状況では当然かもしれない。

グーツリースリングも8ユーロならば、シェーンレーバー醸造所のそれとも甲乙をつけれなくなっている。モスバッハー醸造所のそれより上手に造っている。ビュルクリンヴォルフ醸造所のそれよりも良いかもしれない。

次のオルツリースリングがまた素晴らしく。土壌の軽いギメルディンゲンの柑橘系と重い土壌のハールトの泥粉臭さが甲乙付け難いのだ。11ユーロのリースリングとして、レープホルツ醸造所のオェコノミラートがあるが、それが売り切れている現在何をこの価格に期待できるだろうか?これ以上のリースリングはあまり無いと思われる。例えばフォンブールのそれは酵母臭がひどく頭が痛くなるようなものだったが、これは大分良い。しかしレープホルツのそれは抜き出ている。天然酵母のヴァッヘンハイマーリースリングでも質は良くとも、個性ではオェコニミラートにはなかなか勝てない。

それに引き換えビュルガーガルテンは分厚くてもう一つ酸が効いていない印象を与えて、同じようにグローセスゲヴェックスも香りは豊かだが、瓶熟成の大きな可能性は感じさせなかった。これについては、先の2010年産の減酸とともにモーゼル出身の親方と話した。

「モーゼル出身の者にとっては、ドッペルザルツでの作業など日常茶飯で、肝心なのは最初のモストで処理してしまうことだ」と語るのだ。なるほどその影響が薄く、黄色く丸くならないリースリングを達成していた。

更に、リースリングのペトロール香について話題になったので、早速親方に質問してみた。咄嗟に「それはTDN」の影響と断言して、「腐りなんかよりもストレスが原因だ」と言った。これに関しては日本の人々がリースリングの特徴であって、ドイツのワインのそれだというような言い方がされるのだが、自分自身は殆ど感じたことがなく、土壌感としてぺトロール香があることぐらいしか知らない。そしてそのTDNについて調べてみるとなるほどと思った。特に海外の船便などで動かされるリースリングで発生しやすいとある。保存状況が悪いことを示すようだ。しかし今回話を振ったのは試飲会の顧客であって、そのような影響はあまりないはずなのだ。保存温度が高過ぎることもあり得る。

なぜリースリングでぺトロール香が言われるかについては明白な回答がネットにあった。それはTDNのカロチン色素が陽に焼けることで保護作用として日焼けすることにあるらしい。つまりドイツでも2003年産などはそれが顕著に出たとあるのは、実際に購入しなかったその年のグローセスゲヴぇっクスなどでは瓶熟成とともにその気配が強まっていた。

要するに、ぺトロール香というのはフィルンの一種であって我々品質の良いリースリングを楽しみたい向きにはあまり縁のないものだということになる。しかし、1970以降の温暖化で、ぺトロール香の発生はトリアーなどの調査でも明白となっている。本来ならばプファルツなどの陽射しが強い地域では水不足から日焼けするのだが、実際にはあまり経験していないのも不思議である。

もう少し推測するとプファルツのグランクリュではそれほど色が濃くつくような秋の日に照らされることなく収穫される好条件もあるのかもしれない。色付きは夏の陽の強さによるのだろうが、その時は葉が茂っているのでそれほど直射日光を受けていないのかもしれない。

兎に角、親方はモーゼル出身であり、その辺りを良く熟知していることを改めて教えられた。序に先日触れたビュルガーガルテンの塀の問題も単刀直入に聞いてみた。それほど高さがないので風の流れは問題なく、昼間に温まって夜冷えるので良いのだということだった。味筋に関しても話しておいたが、もう少し繊細さが出てほしいのは、今回のビュルガーガルテンも同様だった。

しかし、もう一つ上のヘーレンレッテンに関してはそのミネラル感とともに例年のようにあまりギスギスしない素晴らしいリースリングに仕上がっていた。それにしても我ながら、なんと濃い内容の試飲を繰り返しているのだろうかと思う。駐車場で声をかけてきたのは法律家のクライマーだった。冬の我がボールダーのことを話すと試してみたいようだった。



参照:
ライフスタイルにそぐわない 2014-10-25 | ワイン
スーパーブルゴーニュを物色 2014-03-17 | ワイン
コメント

名人芸における本質的なもの

2014-10-28 | 文化一般
夏時間終了の晩、床に入ってからYOUTUBEを観た。主に米国の往年のTVシリーズである。飽きずに見入ってしまったのはリチャード・キムブル博士の「逃亡者」である。日本語で一通り観ているに関わらず再度見せてしまう威力は恐ろしい。先ずは初期の第一シリーズを観たが、なんとなくその筋運びや設定が時代を感じさせて、他のエピソードに移った。二つ目のを完全に観てから、三つ目は思い切ってカラーになったシリーズを観ると、映像も美しいが音声が安定しているので米国語が聞き易くなっている。

今回改めて感じたのはこの長期シリーズの味噌はやはり旅ものだというのに尽きると思う。追い手を避けての逃亡の冷や冷や感はハリソン・フォードの劇場映画でもあったように思うが、知らぬ旅先の土地での出会いや別れの生活がエピソードごとに新鮮な物語となっていて、女性が出てくると「男は辛いよ」とも変わらない。もしかすると山田洋次監督のシリーズもこの辺りも意識したのだろうか。米国には特別な景観はあるだろうが、あまり地域性があるようには思わないにしても、辺鄙な場所での生活などが描かれることが多くて、それだけで一種の旅情があるのだろう。

先日の2010年のグローセスゲヴェックスに続いて、難しい過熟成の2011年物を開けた。今度は決して太くはならないレープホルツ醸造所のフォム・ブントザントシュタインである。ガンツホルンの先落としの葡萄である。2011年物が我がワイン蔵にだぶついて来ている中で今開けてもそれほど失敗の無い物と考えた。香りなどは若干分厚い感じがしたが、流石にミュラーカトワールとは異なりそれほど膨らまない、流石である。

お蔵とか書いたが、今回入手したCDはとても素晴らしい録音が並んでいる。今までも選りすぐって特売品を購入していたのだが、今回は時間を掛けた為か、本当に価値のあるCDばかりだ。CDでこれほど耳を傾けさせられたことは数少ない。お蔵にした筈のモーツァルトのライヴ録音がなるほどと思わせた。名人ツァイトマイールは意識してライヴ録音で即興性を試しているかのようである。詳しくは何度も聞いてみなければ分からないが、ライヴの傷以上にそのコンセプトの面白さに興味が向かった。記譜化されていない音楽、その名人技の音楽性、本当のモーツァルト表現に違いない。

そしてパリ音楽院で録音されたバッハのフランス組曲の交差する不協和の素晴らしさ。これほど故ホグウッドが素晴らしい演奏をするとは思わなかった。ピアノの演奏では分からないスピード感であり、レオンハルトの鍵盤では分からぬ精妙さである。ビルスマのチェロの録音もNHKのそれとは違ってしっかりとしたバスが聞かれて決して、クイケンが大きなヴィオラダガムバで演奏したものとは全く異なる。当時は際物のように思っていたあの弓使いがとても自然で名人芸ながら音楽的だ。

そして「指輪」の名曲集を聞いて吃驚してしまった。管弦楽団の方は当時のカラヤンサウンドそのものなので鈍いのだが、テンシュテット指揮の豊かな表情は家主の演奏には全く無かったもので、嘗てのフルトヴェングラーの大人の音楽では聞けなかったとても若々しく活き活きとしたまさしく作曲家が狙っていた大衆性とか恥ずかしいほどの思春期の音楽も聴かれるのだ。これは、ヴァーグナーにおけるミトスであり、今夏のカストルフの演出とそれ以上に表情の豊かでセンシビリティーのあるペトレンコ指揮のそれによって本質が提示されたものなのだ。この東独の指揮者がマーラーなどを立派に演奏したのはこうした感覚の新しさとよさにほかならないのだろう。



参照:
意味ある大喝采の意味 2014-08-06 | 文化一般
ライフスタイルにそぐわない 2014-10-25 | ワイン
コメント

向上心は悪くは無いのだが

2014-10-27 | 文学・思想
昨日のラジオ討論会は職業訓練と学歴の話であった。一人は、高等教育バチュラーの取得とマイスター修行とどちらに価値があるかの問いに、明らかに後者であり、仕事が得られるか分からず家族を養えるだけの技量を全く約束しない中途半端な高等教育には意味が無いという回答であった。彼が言うように極東での考え方は違うかもしれないというのは、科挙制度の影響に尽きるのではないだろうか。そこでは社会構成の流動化が図られていたのだが、その弊害の方が近代においては大きくなってきているのではなかろうか。特に明治維新後の大日本帝国体制では、現在の安部政権などの連中が理想といているような、為政者その他の大衆という固定化の基礎ともなってしまっているのだ。要するに、官僚を含めた創造力どころか全く能力も無い連中こそが為政者として社会をリードするというとんでもないことの制度上の裏打ちとなっている。

番組ではそうした特殊事情が議論されていたのではないのだが、合衆国にあるような高等教育の大衆化とその経済的な意味合いが、特に金融工学のマスターなどのようにして発展して、実体の無い経済活動の裏づけとなっていることへのアンチテーゼであることは確かなのである。こうした悪循環から抜け出すためにはミニマムインカムなどの方法で、徹底的に市場の自由化と効率化で以って本来の経済や社会の実体を取り戻す必要があるということだろう。一番重要なのは自由な時間のマネージメントであるのは間違いない。それは、如何に創造性があるかが問われることであり、金銭にだけ限定されない経済性を意味するのである。

夏時間が終わって、いつもよりも一時間早く日曜の町は騒がしかった。私は時計が巻き戻される時刻まで目が覚めていたので、明るくなる頃にようやく目が覚めるのが気持ちよかった。昨年までは感じなかったのだが、今年は朝が暗く目覚めが悪い日が続いた。早く夏時間が終わってくれないかと願っていた。少々寝坊して朝を始めると、午前中に出来る仕事量が極端に減少した。だからといっても午後に多くを期待することが出来ない。今までは夕方に出かけていたボールダーも昼過ぎから準備しなければいけないが、午前中に何もかも片付けることが可能ならば快適だ。

先ごろに続いて、間をおいて八キロコースを走破した。最初から駆け通そうと思っていたので、ゆっくりと流しながらはじめたが山登りが始まる沢の奥まで12分2400歩は決して悪くない。これならば楽に峠まで走れるかと思ったが厳しかった。特に二段目の最後の登りは前回以上に辛かった。三段目の前回は倒木の迂回になっていた場所の木は切られていて、結局最高到達点まで走り通した。34分5100歩である。前回よりも僅かに遅くなっているだけだ。しかし車まで降りてきて、58分8800歩が全てを語っている。週明けの疲れ方が心配である。汗を掻いて体重を量ると71.4KGだった。



参照:
模範的な西欧化とは 2014-09-22 | 歴史・時事
親権者が行使する選挙権 2012-04-12 | 歴史・時事
ビール一杯のお駄賃 2011-12-08 | 生活
東アジアの中で日本のノーベル賞受賞者数はなぜ多いのか (電網郊外散歩道)
コメント

二つの初登攀の快さ

2014-10-26 | アウトドーア・環境
久しぶりに課題を解決した。とは言っても、既に解決したものの嵌め込まれた石が吹っ飛んでより難しい課題となったものである。三回目の挑戦で解決した。その登るラインも変わっていて、解決策を見つけるのに時間が掛かった。こうしたものが目測で早くできるようになればボールダー名人になれる。

最初の立ち位置の左右の手がかりと左足の足場以前同様で、そのまま右足を掛けてバランスをとりながら立ち上がりレーズン大の小石に左手を掛けて、右足のところに左足を持ってきて、伸び上がる。そのまま右手をはじめて使う細い石に掛けて、右足を石が外れたところに移す。そこに立って、左手を二つの石頭の間の鞍部で摩擦を掛けて固定しながら、左足を上部の鞍部のようなところに押し付けながら、右手を石頭の上に被せる。両手と左足で伸び上がって、一番上の右側の石の頭に手を掛けて、右足を小石に乗せる。左足を上部と下部の間の窪みに乗せて、登り切る。

以前は、五手ぐらいの手順であったが、今度は更に手順が増えている。理由は小石が二つも落ちてしまっているので、細かくバランスをとらないといけないからである。明らかにスカラーで一つ以上は難しくなった。更に手がかりも最初の両手の小石を除くと完全にボールダーの手掛かりになった。マグネシウム無しでは難しいだろう。更に足場も一つは初めて使われるものでコケがはいていたならば使えなかったろう。フォンテーヌブローの等級で5ぐらいだろう。

嬉しいのは何回か使っているうちに足元が良くなって、こうして新課題となったところで初登攀をしたのだが、これは繰り返されて登られても良い壁登攀課題で決して悪くは無いことだ。以前よりも良い課題になったことであり、陽射しも良い上部にあるので皆にも登ってもらいたい。少なくともボールダー初心者には十分な課題である。

初登攀に気をよくして、もう一つのプロジェクトである割れ目を訪ねた。これも素晴らしい課題で皆が登るようになれば綺麗になるので、この地域のスタンダードになると思う。今回は抜け口の上部を掃除したのだが、結局は割れ目登りを確実にすることで抜けられることが分かった。要するに手掛かりも足がかりも割れ目に求めて初めてしっかりと加重できたのである。下部の座って割れ目に入るところはまだ出来ていないが、これも何とかなるだろう。上部の初登攀は成せた。下部の座ってのスタートはオヴァーハング気味になることから手袋を購入使用かどうか考えている。所謂ファウストリスなので完全にそれにぶら下がらないと次の一手が出来ないからだ。鍵は上部がそうであったように、割れ目の外の手掛かりや足がかりを最小限度にして、割れ目にそれらを求めることでバランスが良くなることを実感・実践することにあると思われる。割れ目登攀の鍵であるようにも思った。

そして今回改めて気がついたのは、森の季節による変わり方である。二三週間前よりも森は乾いて明るくなっていたのである。落葉樹が少なくなかったからだ。これで思っていたよりも良い条件を堪能できた。なるほどボールダー小僧が言うように今が良いシーズンなのかもしれない。少し日本の冬を思い出させる按配だ。



参照:
前日のリヴェンジで片付ける 2014-05-20 | アウトドーア・環境
組織的ライフスタイルの合理 2014-09-27 | アウトドーア・環境
コメント

ライフスタイルにそぐわない

2014-10-25 | ワイン
流石に寒くなった。散髪した頭ががんがんとする。朝パンを取りに行くのも億劫だ。そろそろヒーターが必要だろうか。来週、温水計測器を交換するまで我慢するかどうか?

週末の試飲会に合わせて、2010年のグローセスゲヴェックスを開けてみた。世紀の酸の強い年2010年である。本来ならばその強靭な酸で長期保存されるべきなのだが、殆どの醸造所は石灰による除酸作業で悪い年度となってしまった。石灰の混ざったリースリングはその土壌のリースリング同様角が落ちて緩々の締りのない黄色みの進んだ液体となってしまったのだ ― 例外は指を折るほども無い。

そこで、ミュラー・カトワール産のそれを開けてみた。ブリュガーガルテンの「ブロイエルインデンマウエルン」である。その字の如く壁に囲まれているために風通しが悪い筈だ。ラインガウの有名なシュタインベルガーを思い起こす。その歴史的な地所も最近まで造られていたその熱からの熟成の高い甘口リースリングから辛口のテロワーの出るリースリングへと転換した。しかし、その影響が肯定的に出るかどうかはまだ分からない。貴腐の生えない健康なぶどうを収穫するにはこうしたマイクロクリマは否定的に働くからだ。更に冷気が溜まるので霜の被害も出やすい。

つまり歴史的にどのような利点があったかも疑問である。推測されるのは、嘗てのリースリングは貴腐などお構いなくに醸造されていたのだろう。要するに現在の技術力の無いバイオワインのような臭みや汚れ感の多いワインが出来上がっていたに違いない。殆どの天然酵母発酵のリースリングがこうした回顧調の現代の我々の味覚や食生活にはそぐわないテーストとなっているからこそ多くの一流醸造所は培養酵母に拘り続けている意味があるのだ。

さて、カトワールのこれは、その香りからして若干蜂蜜香のようなものがあってあまり清潔な印象がしなかったのは事実であり、味筋もメリハリの薄い幅広の感じである。しかしそれは好みであり、味の深みと言う意味ではそれなりの成果を挙げている。除酸の影響も現時点では最小限であり、ある意味レープホルツ醸造所の2010年産より成功しているかもしれない。アルコール13.5はその分厚さとして感じられるのだが、力強さをモットーとしてワインを醸造所する現在の親方のワインとしてはまずまずである。繊細さが無いのが好みに合わない。少なくとも前任者のシュヴァルツ氏のリースリングにはそれがあった。

発注したCDが届いた。明けて失望したのはモーツァルトの全集がライヴ録音だったことで、少し音を鳴らして直ぐに聞き通すこともなくお蔵行きが決まった ― とは言いながら、ヴァイオリンとヴィオラの協奏曲のようにソロも良いが、現代の楽器では難しい表現がとても良いサウンドとなっている。ネット視聴でそれに気がつかなかったのは情けないが、そもそもこの18世紀啓蒙楽団のサウンドとその冴えない録音などがよくマッチしていたのだ。嘗てのフルート全集の録音は悪くなかったのだが、ライヴ録音となると甚だしく聞き通すだけの明白な表現が適っていない。こうしたぐずぐずした感じは、天然酵母で醸造する回顧調のワインのそれそのものなのだ。話にならない。



参照:
スレンダーながら多層的な23歳 2014-10-16 | ワイン
熟成の可能性を探る 2014-08-12 | ワイン
コメント

オネショしそうになる火柱

2014-10-24 | 生活
凄い火柱が上がっていた。ルートヴィヒスハーフェンの郊外のオッパウだと聞いた。所謂工場の寝床となっている二十世紀の新開地である。よって工場は殆どないはずなのだが、その火の上がり方が違っていた。上に十メートル以上の火柱が一時間ほど上がり続けていた。

消火作業で白い水蒸気が上がり始めても、再び火柱の勢いは強くなって元通りの色になる。その色合いが綺麗な灰色であり不純物ではなくて、完全燃焼している感じなのだ。つまり燃料が燃えていると思った。

そして方向と距離感から住宅密集地であり、火元はガソリンスタンドかと思った。ガスならば止めれば終わるからである。そして、ネットを見ていると思った場所よりも後方で、直線距離にして二十キロほどある。だから火柱ももっと大きかったのである。横に並ぶBASFの工場事故でもこれほど派手なことにはならない。

流石に州知事が直行したようで、大事故だった。ガス管の工事をしていたのだろう作業員が死亡して、多くの人が怪我を追い、二十件以上が潰れ、深さ五六メートルのクレーターが残ったというのは当然であろう。

火柱の割には、被害が少なかったのはその密集度にもよるだろうが、爆発が溜まったガスが少なく規模が小さかったからだろう。それにしても元栓を占めるのに時間が掛かっていたのは理解できない。近くを通る路面電車も火が回って運行停止になったらしい。

とにかく、双眼鏡で覗いていても、恐ろしいぐらいの火柱だった。今晩、オネショしそうである。



参照:
ダイオードに右往左往する 2014-05-08 | テクニック
自由民主主義への忠誠 2008-03-14 | マスメディア批評
石油発掘場のアナ雪の歌 2014-07-30 | 音
コメント

枚挙に暇のない杜撰さ

2014-10-23 | 歴史・時事
国会フクシマ事故調査会のメンバーなどが語ることが興味深かった。特に吉田調書から、故吉田氏が技術者としてもはや十分に判断できる力のなかったことが語られている。水素爆発に関して殆ど知識がなかったことなどは、事故直後にネットで調べて直ぐに情報に出てきたように、工業高等専門学校の博士論文程度の常識であったから、とんでもないことだったのである。そのようなこともあまり自覚されずに重要な判断をしなければいけないような状況は様々な世界に見られることである。大学の教授となれば教授職の仕事が増えて、「現場」の情報や勘から遠ざかってしまうなど、恐らく日本では常識的のようである。多くのこうした要職に就く者は大小さまざまの世界での一つの権威者になってしまって、その古い教えによる誤りがその世界の発展を著しく妨げていることは例を挙げるまでもない。

それにしても再稼動しようとしている日本の原発には福島第二発電所のようなバックアップするオフサイトセンター施設すらなくて ― それどころか免震棟さえ建設中の原発がある ―、事故が起こったときは更に右往左往することが予想されている。とても住民の避難どころではないというのが共通した見解のようである。そもそも今後はヴェントによってどんどんと放射性物質を環境に流すことで圧力を下げて壊滅的な破壊から免れようとしているので、近隣数十キロの住民は再稼動の時点で棄民になっているようなものである。

カレーライスモードで米を炊いた。初めてだった。一気に炊き上げて米をべとべとさせないプログラムになっているようだ。いつもの米とミルクライスを混ぜた。出来上がりはなるほど汁物に合うようになっていて、カレーライス風になっていた。懐かしい米の感じであった。しかし比較的早く固まってしまいそうで、ソースがないとやはり駄目だろう。

地階の女性が戻ってきた。またまた車で入ってきたところを後ろから見かけただけなので声をかけることはならなかった ― 前回も同じような状況で態々車を停車させて駆け寄るぐらいしないと声をかけられない。丸坊主で足元がおぼつかない様子を後ろから見たので、どこの男か何か分からなかったが、その赤色の上着の色で彼女だと分かった。きっちりと車を停めてあるので、体力的には衰えていても状態は落ち着いているのだろう。放射線治療などでの副作用の方が大きいに違いない。考えられる脳腫瘍がそれほど拡大していないことになるがどうなのだろう。まあ、一人で動けて、出て行ったまま帰ってこれなかったのではないので、外科手術をしたのでもないのだろう。外科的な切除が難しい場所なのか?病人がいるとなるとどうしても玄関の開け閉めにも気を使う。

散髪に行った。耳は確り出ていたのだが、うなじ辺りが暑苦しかった。何か髪が増えたような感じで落ち着かなかったのだ。本当に増えているのではないか?床屋の娘は強く目の周りを化粧していた。下半身の太り方は避妊薬のためか。それはどうでもよいのだが、前回は違う人にやってもらったのでもう一つ巧くいかなかったのである。流石に娘は腕がある。世間話をしているとヒーターを入れると言うのだ。そうした話の時節になってきたが、私自身は冬篭りと節約、筋肉増加で暖房がだんだんと必要でなくなってきているのだ。



参照:
救命具を設置しない旅客機? 2011-08-20 | 雑感
なにが嬉しくて被爆したいのか 2011-03-29 | 雑感
コメント

生の味付けのうまさ

2014-10-22 | 料理
朝の第一報は会社の社長の死亡事故だった。そもそもリスクマネージメントを主体とした会社経営方針なので今後の運営にはそれほど影響はないと思われるが、モスクワの空港での事故と聞いていろいろと想像した。会議への参加であったようだ。

連邦州の一部ではガソリンが枯渇しているらしい。このところの価格の低下と秋休みにストの影響などが重なっているようである。

沢沿いの道を奥まで往復した。往路で13分2222歩は流した感覚そのものだったが、往復で26分4250歩は悪くはない。汗が乾き切る前に肉屋で並んでいると、オヤジがパンの中にメットを挟んだものを持って帰るのを見かけた。なんだと思った。

今までそのソーセージの中身になるメットは残り物で売っていると思って、ミンチ代わりに使ったりしていたのだが、所謂豚肉のタタールだったのだ。肉屋の食堂等では喜んで食したそれがそこに盛られているとは今まで気がつかなかったのである。

理由は、豚の生肉を食するというドイツならではの、それでも最近は食品衛上の制約が大きくなってなかなか外食では得られなくなったことで、肉屋に毎週並んでいるものとは思わなかったのである。「味付けがしてある」という説明の意味もようやく解したしだいである。

そして、自宅で豚のタタールを食したことがなく、これほど身近にあるものとは気がつかなかったのである。もちろんこれを自宅に持ち帰って、家族で別けて食べればよいのである。クンメルなどの所謂ムジークをこれに振って食すれば素晴らしいのだ。要するに冷たい食事で最も体の温まるドイツ料理に違いない。白ワインとこれを合わせて、素晴らしい食卓を一度試してみよう。

さて恐らく本年最後の恒例のCD落穂ひろいである。あまりよいものがなかったのでここまで時間が掛かったのである。それでも数は集まったので発注した。先ずは、先ごろ逝去したホグウッド氏が弾いているバッハのフランス組曲集である。どうも自身のコレクションの楽器での録音のようで、ケムブリッジ録音なのだろう。この曲はグールドのピアノぐらいしか聴いたことがなかったので楽しみである。二枚組み8.99は損はない。

序にビルスマの弾いたバッハのチェロ曲集である。古楽器録音としてとても話題となった名盤であるが、当時はその音色などに違和感があって、確かNHKのスタジオからの生中継もあまり感心しなかったのである。しかし、その後もいろいろな試みはあるようだが、この問題のある曲集の重要な演奏実践例として保持しておきたいのである。二枚組み9.90ユーロで文句は何もない。

古楽器奏法といえば、故人となったブリュッヘン指揮の管弦楽以上にそれと合わせているトーマス・ツェートマイールのヴァイオリンでのモーツァルトの協奏曲集である。名人がここでどのような音楽を弾いているか、これは愛好家には見逃せない録音である。これも二枚組み9.99だから確保しておいた。

そのほか、マーラーの交響曲を調べているうちに、アバド指揮のシカゴとヴィーンでの立派なデジタル録音が二種安売りになっているので、交響曲一番、九番と十番の二種二枚を各々5.99ユーロで発注した。

もう一つ、故テンシュテット指揮のマーラー第九交響曲LPがおもいの他よかったので、探しているとベルリンでの録音からヴァークナーの名曲集が見つかった。これも発売当時可也話題となっていたのを記憶するが、当時は突然東から現れた指揮者であり、その名曲集はもはや珍しいものではなく、特に関心を持つことはなかったのである。しかし、今年「指輪四部作」を体験することで、その構図への見通しがよくなったので、こうした名曲集への感覚も大分変わってきた。つまりその場所場所での楽匠の作曲意志を見通せるようになったのである。要するに音楽的にも興味が出てきたのである。選曲も含めて楽しみなのである。二枚組み6.99ユーロはこれまた嬉しい。〆て、自動車クラブ割引を入れて41ユーロ、優良デジタル録音CD一枚当たり3.18ユーロである。



参照:
煮ても焼いても喰う料理 2007-05-12 | 料理
熟成の可能性を探る 2014-08-12 | ワイン
コメント

浮浪のおばさんとの再会?

2014-10-21 | 文学・思想
日曜日にパンをとりに行く前に現金を取りに行った。戸口を開けると中でがさがさと音がした。他のお客さんかとも思ったが、直ぐに前回の浮浪おばさんと思った。しかしあの臭いがしない。違うかと思ったが、やはり奥で寝ていた。顔は十分に確認できなかったが、挨拶をすると寝起きか弱弱しい声で挨拶が戻ってきた。

こちらを頭にして寝ていて、起き上がったところなので顔は見なかったが、とにかく異臭が全く無い。急いで金を下ろして、その場を離れようとする気持ちの反面、無臭で物乞いもしない彼女の雰囲気を肌で感じると、少し金を渡してもよいかと感じた。それでも物乞いしない人に金を渡すのもどうかと思って、さっさと用を終えた。

前回のときも思ったのだが、なにも風呂にも入らずに野宿をして回る必要など全く無いのである。何らかの支援体制はどこにでもあって、いつでも最低の社会生活を営む権利を誰もが要している。それを推し進めればミニマムインカムで以って官僚主義を脱する合理的な社会が成立するのである - これを以ってしてありとあらゆるセーフネットを節約できてなによりも諸悪の根源である予算が行政の監督監査権で国富を蝕む官僚主義を駆逐できるのだ。

人によれば煩わしい社会の制約を飛び出して、浮浪の生活を敢えて選ぶ人もいることも理解できる。そして何らかの形で最低の生活で生き延びることも可能だろう。そうした前提で考えれば、現金自動支払機の場所はうっすらと暖房が入っているように暖かい。光は明るいが、監視カメラである程度の安全が保障されていて、凍死をしない環境なのだ。

嘗て一度はどの銀行の支払機でもカードが無ければ室内に入れないようになっていたのだが、あるときからその装置が外されたりするようになった。確認はしていないが、さまざまな状況の検討の結果からそのように一斉に再び開放されるようになったようである。

銀行等金融機関にとっては必要な現金を入れた支払機荒らしを避けるためには入室制限をした方が安全なのである。しかし、現金を引き出したり貯入れするお客さんにとっては必ずしも安全とはいえないのかもしれない。できる限り自由空間のほうが安全だという調査研究報告があるのかもしれない。たとえ監視カメラが合ったとしても現金を片手に見知らぬ人と閉ざされた空間で夜中などに擦れ違うのは危ない環境なのかもしれない。

そうしたややこしい社会を逸脱してしまうこうした人々に、新札となった10ユーロまでは払えないが、5ユーロぐらいは寄付してもよいかなと思わせたのであった。



参照:
ビール一杯のお駄賃 2011-12-08 | 生活
親権者が行使する選挙権 2012-04-12 | 歴史・時事
コメント

体が焼けそうな花崗岩

2014-10-20 | アウトドーア・環境
バーデンバーデンに向かうつもりだったが、結局隣りのビュールの谷の花崗岩を登った。もっとも自宅から近い花崗岩の岩場だ。約107KM、一時間半ほどの走行時間である。

B500通称シュヴァルツバルダーホッホシュトラーセ沿いにある岩場のひとつである。前回訪問した場所から80KMほど北だろうか。岩質はむしろこちらの方が風化が少なく、むしろコルマーのそれに近かった。そして規模も十分で、その一つはフランケンのそれとあまり変わらなかった。

残念ながら駐車場から探しながら近い岩場から試登していったので、結局最も大きなものは試せなかったが、素晴らしいものであった。バーデンバーデンを一回登り、これを一回登るぐらいの価値はありそうだ。しかし、その傾斜や規模からして容易なルートはそれほど無くて、可也の技術まで使いこなさなければいけないものでとても期待できるのだ。

最初に登った小さな壁は「死亡事故に注意」の張り紙が張ってあるように、埋め込むハーケンの頭が潰されていて、楔の針金を使った。下の二つだけだったので登り始めたが、乾いていれば問題の無い場所でも濡れていて苔むしているとなると、無いと怖い。何とか針金をねじ入れようとしても上手く入らなかった。2012年に頭をつぶしたなぞの人物はそのあたりの事情まで知っている人間だろう。このようなことが無ければ家族連れでの楽しめる岩場であるが、あまり登られないと苔むして悪くなる。

一つ目のまともなハーケンまで冷や汗をかいて、更に楔を二つ重ねて支点を作って無事ハーケンに届いた。予想より厄介だった。その後は通常に確保されて岩も乾いて気持ちよいが、核心部でありカンテ横の襞を使ってピアッツァ風に登ると同時に細かな足場を選ばなければいけないのは花崗岩特有の感じである。足を滑らせる場所もあり、また手の架け替えなどもあって、難易度五級は当然の評価である。当日の摩擦具合では六級上の摩擦登攀と同じぐらいに難しかったが、最後の乗り越しで再びピアッツァ体勢をとれるなどとても素晴らしいルートである。下部の湿りと潰されたハーケンがとても残念だ。更に上部にもよいカンテラインがあって、草コケがもう少し登られて落ちて綺麗になると素晴らしいだろう。神戸近郊で登った花崗岩よりも断然硬い。

その後最大の岩場に向かう前に手前の二頭のJKTを試した。相棒の町医者がリードしたがったので好きなところを登ってもらった。二本しかハーケンが無いので楔等が必要であったが、的確な設置と戦略に欠けていてほとんどそれにぶら下がっている状態だったが、後続でレッドポイントで登ると結構難しかった。評価は四級下であったが、抱え込むようにする大きなアンダーグリップなどもあまり手や腕がなじまなかった。慣れもあるかもしれないがそれに反発力を加える足元も滑りそうな感じであまり余裕は無かった。抜け口の割れ目はまた素晴らしく、一箇所ある立派な手がかりだけでは乗り越えられずにその横に突き刺さったような石を手がかりにして乗り越えるのだった。この難易度では考えられないほど素晴らしい登攀である。

その後、お目当ての最大の岩場を訪れて頭の見晴台から懸垂下降しようとしたが下部の大きさや長さが見当がつかず歩いて取り付き点に向かった。回り道をしてそこに着いたときには日が暮れようとしていた。しかし、写真で見たよりも立派な岩壁で、フランケンで見たドイツ最初の5.13だったかクルト・アルベルトの拓いた岩壁に似ていた。もちろんそこの石灰岩とは異なって更に素晴らしい輝きで、オヴァーハングを含めてまだ開拓の可能性があるように思えた。

全体としては、態々シュトッツガルトから偵察に立ち寄った若い男に出会ったように、またここの価値が見直されてきている様子があって、当日は他のクライマーとは出会わなかったが、もう少し皆が登ることでルートが磨かれてくるものと想像する。

午前中の濃霧の雲海も消えて、摂氏20度を超えた晴天に汗を掻いて、帰りにシュヴェービッシュ牛の腰肉ステーキを食して、就寝前にほうれん草ピッザを食した。朝、峠までの登りを22分3450歩で流して、帰って体重を量ると71.9KGであった。筋肉痛など結構きているのである。そして体が焼けるようだ。それほど筋力を使ったようには思わないのだが。まさか花崗岩の放射能ということは無いとは思うのだが、少なくとも標高700Mを越える場所の白っぽい岩肌の直射日光の反射は小さくなかったかもしれない。




参照:
黒い森の花崗岩を吟味 2014-10-07 | アウトドーア・環境
フランケンのオーバーハング 2014-08-05 | アウトドーア・環境
コメント

窓拭きの本当の効果

2014-10-19 | 生活
フィリピンのドイツ人は解放されたようだ。語られていたように、現地のイスラム組織はイスラム国の恐怖を上手に利用したようである。連邦共和国に関してはそれほど攻める相手でもないので、ひっそりと身代金さえ徴収できれば文句は無いのであろう。その要求額といい、ドイツ人をターゲットにしたことといい、とても綿密な計算が働いている。天晴れである。

朝起きるといやに明るいのに、先日窓拭きが済んだことを再確認した。ここに移ってから最初のころは窓拭きをしていないと苦情を言われた。外からでも分かるほど汚れているのだと。どうせ雨風で汚れるのだからとそれほど気にはならなかったのだ。恐らく日本の生活に慣れているものなら似たようなものだろう。もちろん日本においては年末に窓拭きをするような習慣は一般的である。

その後、掃除をさせて、毎年のことだからその時期が問題になってくる。そこで考えたのは秋のまだ陽射しがあるうちが最適だと結論を下した。他所の事務所や家庭ではどのようなサイクルで窓拭きをしているかは知らない。少なくともお店屋さんのショーウィンドーは頻繁に若い売り子などがやらされている。

合理的に考えて、雪が降るようなまたは寒風が吹き付けるような要するにヒーターが入ってからでは遅すぎるのである。そこでこの時期となる。そして、その効果は朝陽に照らされる室内の明るさで明白となる。つまり、陽が室内に射し込めば射し込むほど室内の温度は上昇して、照明なども抑えることが可能となるのだ。ここに窓拭きの習慣の意味があったのだ。

こうした細かな社会通念のようなものに利があることを認識するのにはそれなりの時間がかかる。社会通念としてやっている方はその本当の理由を知らないからであり、上の指摘をした人物も恐らく子供のときからの躾として念じていたに違いないのだ。



参照:
ザウワークラウトナイトライフ 2009-10-26 | 暦
ムスリムにはなれない歓喜 2014-10-18 | 料理
コメント

ムスリムにはなれない歓喜

2014-10-18 | 料理
フィリピンで誘拐されたドイツ人二人、どうもエルトヴィレの医者らしいの死刑の期限が現地時刻の金曜日15時だということだからだ。身代金と反イスラム国の行動を連邦共和国に求めている。身代金額からすれば支払い可能の額であるが、表向きは交渉に乗らないとしている。

ラインガウの医者と聞くとどこかの試飲会でも出会っているかもしれないと思うと気の毒なことであり、この医師が億万長者でなくこちらから乗っていった外洋のヨットで捕まったようにも思えないのはその身代金額でも知れる。イスラムの領域に乗り込んだのだろうがそれぐらいの過ちは誰にでもあることであり、なにも斬首されるには当たらない。モスレムでもないのにアルコールを嗜んだとしても罰せられる訳も無い。

久しぶりに走り、久しぶりに登った。峠登りは3250歩20分、沢沿いの短いコースは18分であった。前者は結構よい参考タイムになる。体調が悪くともこうした走りが出来れば嬉しい。ピッチを結構伸ばせるところがあったと思う。峠往復を今年は何度していることだろう。昨年は二三回だけだった筈だ。

今年最初のザウワークラウトはとても美味かった。理由は袋詰めでない比較的浅漬けのものを使ったからだ。玉葱とそのとき購入した焼き豚の脂身部分を一緒に炒めて下味としたからである。そして少し大目のスープストックがまたバランスをよくして、缶詰の細切れパイナップルが酸味と甘味と塩加減をとてもバランスよくした。色もとても綺麗についていた。上に乗せたレバー団子とソーセージが悪いはずが無い。

ボールダーの方は、懸案のぶら下がりをシャワーの合間に試した。最後の乗り越しとそこに行くまでがまだ繋がらない。しかし手の位置は準備できた。問題なのは最後の乗り越しに体を持ち上げる上げた右足の掛かり方である。どうしてもそこまで繋げると伸びた形で右足が掛かっている。それが伸びてしまっていると力が入らないのだ。

いづれにしてもそこで夜中に痛んでいた左右の腕の筋が酷使されているのを感じた。あまりこれに拘ると怪我をするといけないので、最初のスタート地点からそこまでを試した。こちらの方は決して容易ではないが、それほど技術的な問題はない。しかしそこから後半を繋げるととても厳しいのだ。息が上がって仕方ない。

そこで既に解決している近いボールダー課題に向かった。理由は重要な多き小石が剥がれてしまったことから難しくなってしまったからである。いろいろと試してみて、以前はその小石に立てばほぼ解決してしまうところが特別に難しくなっていた。

開栓30時間後に再びゲリュンペルを試した。酸化を感じさせるどころかまだまだ開けたてと変わらないメリハリが楽しかった。そしてその酸は、2008年の酸のようなとろける酸ではなくて、2010年の酢酸系のそれを思わす強烈ながらとても心地よく熟成して分解されたものである。

なるほどグローセスゲヴェックスのホーヘンモルゲンの酸ほどには分解されていないかもしれないが、ランゲンモルゲンの酸ぐらいには分解されている。前者の石灰成分を考慮すると現在美味過ぎていてあまり将来性を感じさせなかった。これほどバランスが取れたグローセスゲヴェックスはデ-ンノッフのそれを想像させ、それでも土壌感はケラーとは大分違い上質である。

その意味からこのゲリュンペルは、2013年のリースリングの頂点にあり、将来性とは別の現状の評価で最高点であろう。アルコール12.5%も奇跡的で、決して重さを感じさせない軽快さと、その酸がそれを裏打ちしている。私はムスリムにはなれないのだ。



参照:
スレンダーながら多層的な23歳 2014-10-16 | ワイン
フィリッピンで誘拐される 2014-09-28 | 歴史・時事
コメント