Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2012年1月

2012-01-31 | Weblog-Index


創造する首が無ければ 2012-01-31 | 文化一般 TB0,COM0
中間報告書へのコメント 2012-01-30 | マスメディア批評 TB0,COM0
ファウストュス博士への礼状 2012-01-29 | 音 TB0,COM0
体幹トレーニング週間 2012-01-28 | 雑感 TB0,COM0
マニュアルとか、法制化とは 2012-01-27 | 歴史・時事 TB0,COM0
厳しい行間を読み取る作業 2012-01-26 | 歴史・時事 TB0,COM0
市民の意識環境を明文化 2012-01-25 | マスメディア批評 TB0,COM0
アルコールの乳酸への影響 2012-01-24 | 生活 TB0,COM0
とんでもない社会の反撃 2012-01-23 | マスメディア批評 TB0,COM0
偽造する人、商う人、騙される人 2012-01-22 | 文化一般 TB0,COM0
「仕方ない」の非神聖化 2012-01-21 | 文化一般 TB0,COM0
新年会の食事あれこれ 2012-01-20 | 暦 TB0,COM0
ちまちましこしことした競技 2012-01-19 | 雑感 TB0,COM0
欧州の環境に従う経済博士 2012-01-18 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
台地を越えて走り続けると? 2012-01-17 | 雑感 TB0,COM0
日隅一雄のジャーナリズム 2012-01-16 | BLOG研究 TB0,COM0
エリート教育への社会環境 2012-01-15 | 文化一般 TB0,COM0
陸で待っているだけでは駄目 2012-01-14 | 雑感 TB0,COM0
新年に際してこれまでの数字 2012-01-13 | 暦 TB0,COM0
反産業主義ではない防衛思想 2012-01-12 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
スイス合理主義の判断 2012-01-11 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
片腹痛くなるハッタリ効果 2012-01-10 | 雑感 TB0,COM0
良い天気になってきた 2012-01-09 | 暦 TB0,COM0
倒れないように前へ進む 2012-01-08 | 暦 TB0,COM0
セシウムも降り注ぐマイホーム 2012-01-07 | アウトドーア・環境 TB0,COM3
恥さらしのヴルフ何某大統領 2012-01-06 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
風向きを見極め、早い見切り 2012-01-05 | アウトドーア・環境  TB0,COM0
文学としてのジャーナリズム 2012-01-04 | マスメディア批評 TB0,COM0
文化的な企業家の歴史 2012-01-03 | 文化一般 TB0,COM2
毒が体中に回った元旦 2012-01-02 | 暦 TB0,COM2
とても景気の良い環境 2012-01-01 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
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創造する首が無ければ

2012-01-31 | 文化一般
週末に訪ねた独日修交150周年記念の展示について忘れないうちに書き留める。二種類の展示があったのだが、双方ともそれなりに満足が出来るものであった。

メモを見ずに何を思い出すかといえば、昨晩おかしな夢を見た、獄門磔の写真だろうか?子供ではないのだが、話で聞いたり絵で見り、芝居で見るのとはやはり印象が違った。興味深かったのは、イエスキリストのようにきちっと腕を広げられて足を括って支えていることで、そうした視点で見ると明治の獄門磔にしては歴史的な雰囲気があった。

明治政府の法務大臣であった江藤新平が権力闘争に敗れて最終的に梟首になったなどと読んで、なんと当時は野蛮なことをしていたことかと思っていたが、写真を見て若干印象が変わった。

一言で言えば現在も中共や北朝鮮などで盛んに行われている公開処刑やナチスドイツがやったようなギロチン刑などとはまた違って、歴史文化的なそれを感じたといっても良いだろうか。言葉を変えれば、やはり首切り族の儀式やイスラムのそれなどとはまた違った古代性のようなものである。

そうした特殊性をそこに見出すと、どうしても現在の日本政府や政治家や官僚がやっているような政権闘争もやり口もなにも明治初期のそれと殆ど変わらないように思われる。聞屋と呼ばれる全くジャーナリズムとは甚だ無関係な連中が首に群がるような様子も同じであろう。

自由報道協会の授賞式があって、大賞日隅一雄賞を岩上安身が受賞した。授賞理由などは一切明かされず、受賞者本人も語るように「むちゃくちゃな賞」かもしれないが、報道という面では途轍もないことをやり遂げたことは偽りも無い事実であろう。報道を超えて、ネットの民主化とか自由化では様々な試みが行われているが、正しくコンテンツこそが問題があって、現在のインターネットの世界でWIKI以外にそれ以上の素晴らしい内容が浮かばないぐらいだ ― YOUTUBEとか言っても殆どは他人の著作権や隣接権を侵害した中で成立しているだけで、そこには創造などは殆ど見つからない。他人の権利を侵害しておいて、自由も権利もあったものではない。

偶々、3.11があったことからNHKがネット放送を止めてからは岩上のIWJは唯一の中継メディアであって、他の映像提供メディアの商業性とは一線を隠してジャーナリズムとして無料中継を断行した。合同会見が取りやめになってから、体制が変わってコンテントは一部有料になったが、そんなことよりも、昨年の6.11中継などで威力を発揮した市民がネットワークして中継する可能性を確立したことは画期的であり、今後とも大きな可能性を秘めたネットワークに他ならないのである。

なるほど授賞理由を挙げて、それを分析していくと優に一冊の専門書が掛けるほどの業績であり、むしろジャーナリズムを超えたネット文化として岩上安身のIWJの活動を評価すべきであろう。



参照:
自由報道協会賞大賞に「日隅一雄」の冠をいただいたことの私的な意義~現実と希望 (情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士)
IWJ6 2012/01/27 11:20 (IWJ)
日隅一雄のジャーナリズム 2012-01-16 | BLOG研究
日本社会の民主化に向けて 2011-10-11 | マスメディア批評
中継のネット配信の面白さ 2011-05-23 | マスメディア批評
コメント (4)
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中間報告書へのコメント

2012-01-30 | マスメディア批評
関係各位 御中

東京電力福島原子力発電所における事故調査の中間報告書」を読んでのコメントを以下に述べる。その視点は、ARD放送網南ドイツ放送文化波ラジオSWR2の聴視者として、事故直後から凡そ三十分以内に刻々と伝えられた最新情報を受け取りながら、インターネットUステュリームでのNHK臨時放送内容と比較しての視点である。尚且つドイツ連邦共和国市民にとってのごく一般的な情報源である公共放送TV網第一(ARD)と第二(ZDF)の報道を時系列に並べたアーカイヴで振り返り、当該報告書を読む。

先ず「Ⅴ 福島第一原子力発電所における事故に対し主として発電所外でなされた事故対処」を読んで、住民の被曝を軽減もしくは回避できたのではないかとの懐疑が生じる。それは、「3 住民の避難」そしてその根拠となるモニタリングの始動の遅れを「1 環境放射線モニタリングに関する状況」に其々示された報告事例として確認して、遅くとも2011年3月12日22時前(日本時刻同年3月13日6時前)に流されたZDFニュース内容の防御対策への解説(参照1)と福島での実際を比較する時、以下の点の検証の必要性を強く感じるからである。

検証:
2011年3月12日の時点で住民のスクリニングが実施されて、同日15時36分の一号機爆発以降大気中にセシウムの拡散が確認されている。これに伴って原災本部は同18時に避難地域を20KM圏内へと拡張したが、これらの情報を総合して専門家は、「少なくとも一部炉心の溶解」と「更なる水素爆発もしくは水蒸気爆発による原子炉の完全破損」(参照2参照3)、「気象条件下での風向きによる拡散状況(参照0)」、「ヨウ素をはじめとする各種核種の大気中への拡散による被曝と健康被害(参照4)」などを予想している。この時点で、IAEAが「相当量の核物質の飛散があった」と発表していると、同日22時前(日本時刻13日6時前)放送のZDF特番(参照3)で元連邦原子力監視委員長ヴォルフガンク・レネベルクは語っている。

一、
日本政府の爆発事象確認が漸く同日20時32分に発表となり、そこで「放射性物質が大量に漏れ出すものではない」と声明している。この時点において、避難住民被曝のスクリニング状況からまた気象状況から、同心円状を越えて福一から風下へと汚染が広がっていることが首相官邸五階にても状況把握されていたことは間違いない。それではなぜこの時点で、同心円状の避難地域からの避難住民に対してさえ、安定ヨウ素剤による内部被曝防止処置が取られていなかったのか?一号機爆発のプルームは既に避難圏外に到着済みで、ヨウ素剤投与には時遅しとして首相官邸は判断したのか?そうでなければ、なぜか?調査、検証が必要である。

二、 
避難誘導に関して、この時点において20KM圏内からの避難者へスクリニングなどが施されたことからしても、原災本部では内部被曝が重要な課題となっていたことは明らかであり、福一から風下への注意勧告があれば無駄な被曝は避けられた筈である。この当該中間報告は専用のシュミレーションシステムSPEEDIについてのみ触れているが、そうした内部被曝を最小に抑えるために地形までを鑑みた局地気象予報などを用いた防御的方策が、当時官邸の五階においてどのように検討されていたのか?調査、検証が必要である。

三、
一、と二、からも明らかなように、放射性プルームに汚染される地域への注意勧告と避難誘導こそが、同心円状に広がる近隣の地域の避難誘導と共に、人道的な見地からオフサイトにおける事故対処の最重要課題であった。しかし原災本部はでこうした必要最小限の注意勧告と避難誘導を一切行わなかった。官邸五階においてどのような経過でこうした決定が下されたのか、厳格な調査と検証が強く求められる。ミュンヘンの放射線医学の専門家ラングフェルダー教授は「チェルノブイリの場合と比較して大気中への同じ拡散量ならばその人口密度から同量の20倍の健康被害への危険性があるとして、困難を伴う避難処置であるだけに早急の対処が必要」としているが(参照10)、その点は官邸五階でどのように論議されたのか?交通や組織、予測の技術的な困難からか、菅総理がそうした情報と注意喚起を同日20時32分の声明からそっくり排除した官邸五階での議論の経過を明らかにすべきである。

次に、「Ⅶ これまでの調査・検証から判明した問題点の考察と提言」を読んで、その「5 被害拡大を防止する対策の問題点」の内容を、2011年3月13日22時(日本時刻同年3月14日6時)までのドイツ連邦共和国第一ARD放送網、第二ZDF放送の報道内容を振り返りながら、引き続き疑問となる検証点を以下に挙げる。

四、
「(1)原発事故の特異性」における「国民や国際社会への情報提供等の問題点」に関連して、上記三、に述べたような検証が先決であることは確かである。既に一号機の爆発後、「女川原発においても高い放射能が計測」の情報のように、大気中に漏れた放射性物質が風で北方向へと流された相当量の放射性プルームの存在が確認されていたので、同年3月13日13時(日本時刻同日21時)のARDの報道番組(参照5)にて、風向きと放射能汚染の関連を低層と高層の気象状況に分けて、そのプルームの拡散に伴う週明けの日本での危険性を予測している(参照9) ― その後数ヶ月間以上ドイツ気象台のプルーム情報を掲示したHPが日本から集中したアクセスを受けたことは周知の事実である。一方NHKはこうした放射性プルームによる内部被曝の危険性を隠すかのように、外部被曝に関わる放射線源からの距離の二乗に反比例する影響や放射線の透過・遮蔽を爆発直後から盛んに説明するなど所謂安全デマ放送を流し続けた。この点に関して、当然のことながら日本の識者も内部被曝を齎す風向きによって拡散するプルームの危険性を熟知していたにも拘らず、敢えてこうしたコメントを発信続けた報道の背景の検証が欠かせない。そこに、報道規制が存在したのか、存在したとするならばどのような配慮をもってどのような手順によって報道現場への指示が下されたのか?

五、
「(2)初期モニタリングに関わる問題」ならびに「(3)SPEEDI活用上の問題点」が、そのもの「(4)住民避難の意思決定と現場の混乱をめぐる問題」である最大の問題を誘引しているが、それらの問題点を解決する機関として有識者や監督官庁を交えた原災本部等が存在して、同年3月13日22時(日本時刻3月14日6時)までにARD放送、ZDF放送にて紹介されたドイツの専門家によってと同じく、もしくはそれ以上に正確な予想がそこでなされた筈である。その時点では、従来から知られていたジルコニウム反応による「水素爆発が三号機で起きる可能性が高い(参照6)」こと、「風向きや地形によって放射性プルームによる汚染域が変化拡大する」こと、その後「更に大量の放射能が大気へと拡散する可能性が高い」ことなどが共通した識者の認識であって(参照9)、そうした危険に備えて予防的処置として避難対策や広報が背後では検討されたに違いない ― 実際にその予想通りなったことで科学的な見地による推測はことごとく実証された。しかしコメンテーターとして日本のマスメディアに登場していた専門家のみならず政府発表もこうした危険に対して何一つ情報を発していなかったどころか、それ以前に政府が発表した「炉心溶融」を覆して、また三号機の爆発の危険性をすら否定している(参照7参照9)。こうした一連の安全デマ情報を政府が流して、マスメディアが正しい情報を隠蔽した背景には、住民を混乱に陥れまいとした配慮があったとする観測が一方にはある。その事実関係こそ検証すべき点である。それが事実とするならば、混乱による被害と無用な被曝による被害が天秤に掛けられたに違いないが、その判断の基礎となった根拠とする情報を検証して明らかにすべきである。

六、
止むを得ない理由での事実の情報隠蔽や情報操作が政府によって行われていないと仮定しても、「b 地方自治体および住民の避難の問題点」で描かれているような惨状は健全なジャーナリズムが存在したならば避けられたのである。同じ情報源を判断材料としながらも正しい科学的知見を流し続けたドイツの公共放送にそれが例示されている。つまり、「c住民避難の問題点と今後の課題」にて課題とされてる一般市民への啓蒙は、NHKが的外れな放射線の透過・遮蔽率などの安全デマのために使っている時間をそのまま放射能、特に内部被爆を避けるための放射能汚染・拡散・防御、避難に関する基本的知識の広報に使っていれば、未必の故意による住民の無駄な被曝と混乱を避ける啓蒙が出来たに違いないのである。その点を課題とすべきなのであり、検証すべきなのである。

七、
「(5)国民・国際社会への情報提供」に触れられている情報提供というのは、住民個々の判断の基礎となる情報を提供することであり、専門家・学識経験者がいればいるだけ種々雑多な考察と見解がそこにあるのが当然であり、それを自由に議論することで正しい情報と判断が齎せることを改めて肝に銘ずるべきである。要するに、活発な議論のあるところでは危険な安全デマや扇動的なデマもしくは風評被害と呼ばれるものなどは存在しないのである。

国際社会への情報提供とは、そのもの国民のなかでの活発な議論を指すのであり、ドイツ連邦共和国は福島の事故を受けて一貫してメルケル首相や大統領などの見解として直接口頭で日本政府に対して何度も繰り返し「(日本政府の情報政策を批判して)日本国内での情報の自由化」を要請したのであった。こうした要請を故意に誤って翻訳したのか、日本政府は「英語による情報発信の必要性」などと対応しており、その真意を知りながら敢えて的外れの反応をし続けているのである。そこに外務省担当局のサボタージュ行為が存在するのか、首相官邸の嘯くような外交手段によるものだったのかも検証すべきである。

以上、各々の問題点に関して、ドイツ連邦共和国の一般市民を代表して、「東京電力福島原子力発電所における事故調査の中間報告書」に対するコメントとする。是非、最終報告書に活かすべく、其々の厳正な調査と検証を懇願したい。





参照:ドイツ連邦共和国第一放送網ARDならびに第二放送ZDFのネットアーカイヴよりの一覧

参照0
http://www.ardmediathek.de/ard/servlet/content/3517136?documentId=6699164
SR3 Rundschau 12.03.11 08UHR
参照1
http://www.zdf.de/ZDFmediathek/hauptnavigation/startseite#/beitrag/video/1282404/R%C3%A4tselraten-nach-Explosion-im-AKW
Rätselraten nach Explosion im AKWZDF heute journal, 12.03.2011 21:48I
参照2
http://www.zdf.de/ZDFmediathek/hauptnavigation/startseite#/beitrag/video/1282282/Gen%C3%BCgend-Grund-zur-Besorgnis
参照3
http://www.zdf.de/ZDFmediathek/hauptnavigation/startseite#/beitrag/video/1282306/Halte-Kernschmelze-f%C3%BCr-wahrscheinlich%22
"Halte Kernschmelze für wahrscheinlich"ZDF heute journal, 12.03.2011 21:55
参照4
http://www.zdf.de/ZDFmediathek/hauptnavigation/startseite#/beitrag/video/1282594/Was-passiert-w%C3%A4hrend-einer-Kernschmelze
Was passiert während einer Kernschmelze?ZDF heute journal, 12.03.2011 21:59
参照5
http://www.ardmediathek.de/ard/servlet/content/3517136?documentId=6705022
参照6
http://www.ardmediathek.de/ard/servlet/content/3517136?documentId=6704982
13.3.11 13UHR
参照6
http://www.zdf.de/ZDFmediathek/hauptnavigation/startseite#/beitrag/video/1282870/Die-Lage-ist-sehr-dramatisch%22"
Die Lage ist sehr dramatisch"spezial, 13.03.2011 13:15
参照7
http://www.zdf.de/ZDFmediathek/hauptnavigation/startseite#/beitrag/video/1282842/Japans-Regierung:-Lage-unter-Kontrolle
Japans Regierung: "Lage unter Kontrolle"spezial, 13.03.2011 15:30
参照8
http://www.ardmediathek.de/ard/servlet/content/3517136?documentId=6708096
Angst vor nuklearer Katastrophe wächstWELTSPIEGEL19:20 13.3.11
参照9
http://www.zdf.de/ZDFmediathek/hauptnavigation/startseite#/beitrag/video/1283088/Massive-Probleme-bei-AKW-Fukushima
参照10
http://www.zdf.de/ZDFmediathek/hauptnavigation/startseite#/beitrag/video/1283254/Experte:-Lage-nicht-mehr-beherrschbar%22
Experte: "Lage nicht mehr beherrschbar"ZDF heute journal, 13.03.2011 21:58"
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ファウストュス博士への礼状

2012-01-29 | 
「東京電力福島原子力発電所における事故調査の中間報告書」へのコメント締め切りが迫っているので、引き続き従事している。山の上まで走りに出かけようかと思ったが、この冬最初の小雪が舞っていて、この寒さでは腰の張りが心配で、疲れから風邪でも引きかねないと断念する。

昨日は、独日友好150周年の展示に出かけたがそれは後回しにして、トーマス・マンに関するニュース速報を挙げておく。米国亡命時の不明の私信が見つかったというニュースである。なんと思いもかけず、研究家にも全く見落とされていた合衆国の作曲家ロジャー・セッションズに宛てた1948年大晦日の手紙である。

内容は、シェーンベルクをモデルとした作曲家を扱った創作物語「ファウストウス博士」への自らの苦悩を重ね合わせた作曲家セッションズの賛美に対する礼状である。当時セッションズとマンは、プリンストン大学で講座を持っていたので知己があったのだ。

この記事を見て、この名の知れた作曲家が1995年まで生きていたことを知らなかった。手元にあるLPはヴァイオリニストのジーコフスキーが弾いた1943年作ソナタと1966年に完成された「無伴奏チェロのための六つの小曲」である。特に前者は、戦前のヴィーンの作曲家の無調時代のそれを思い起こさせ、新古典的な作風も師匠のブロッホを想起させる。十二音技法を自由に使った後者が教師肌の文化人にありがちな杓子定規な作風になっていないのは和声へのこだわりであるのだろう。イタリアのダルラピッコラやペトラッシまでを思い起こさせるのはその響く理論的な背景にあるに違いない。

ひょんなことで、ノーベル文学賞受賞者の亡命中の現地の人と少しばかりの繋がりが明らかになっただけでなく、ストラヴィンスキーが賞賛した高い教育を受けた文化人作曲家の創作の一端がここに光を浴びたようで思わぬ相乗効果があったようだ。



参照:
Die Lage des Menschen Ein verschollener Brief Thomas Manns zum "Faustus", Hans Rudolf Vaget, FAZ vom 27.1.2012
「ファウストュス博士」索引 2007-12-13 | 文学・思想
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体幹トレーニング週間

2012-01-28 | 雑感
20分コースを往復21分でこなしてしまった。体調も良くなく、走り出し錚々足に来て、疲れが残っていると思われたのだが、その後追い抜く犬の散歩の者などがいて、最後まで力を抜けなかったのが功を奏したようだ。上り11分台で、それも余裕があったと見えて、下りで10分以上は掛からなかった。往復3300歩は、昨年八月の3500歩よりも大分少なくなっている。上りの姿勢が良くなってピッチ・テムポとも伸びてきているのであろう。

こうなると距離を伸ばす必要が出てくるが、もう少し様々なコースを試して、成果を確認してから考えても良いだろう。

水曜日夜八時半前には終了して急いで戻ってきて、芽キャベツで食事をしたのが良かったのか。二時間ほど集中してクライミングしたが、何回か挑戦している7級マイナスが後一箇所を残してトップロープでクリアー出来るようになった。ザイルを掛けるのが難しいので、まともに登るにはまだ練習が必要であるが、なによりも丸く滑りやすいような握りにくい手掛かりが使えるようになったのは嬉しく、とても自信がつく。一箇所の想像のつき難い難しい動きが、正しく7級への壁なのである。

そして金曜日は、月曜日、水曜日、木曜日の疲れが残っていた。同じ7級の壁が体力的に圧し掛かってきた。体に負担を掛けてそこが効いたということは、正しい負担の掛け方に違いは無いのだ。やはり体の幹に堪えている。動きの悪さとか、体の躍動感に表れているのは体幹の疲れというものだろう。そこが確りしていないと駄目である。初心者に付き合って体慣らしをはじめて三時間、6級プラスオーバーハング二回、6級プラスオーバーハング、5級垂壁、7級垂壁挑戦で〆る粘りだけを自己評価しておこう。

踏み切りの信号が故障していたようだ。列が出来たり迂回の車列などが目立ったが、窓を開けて左右と前方を確認して強行突破した。戻る人や突破する人待つ人など様々であるが、見通しが利く踏切なので突破にしたのである。なかなかスリルもあるが、脱輪などの過ちは許されない。
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マニュアルとか、法制化とは

2012-01-27 | 歴史・時事
承前)引き続き東京電力福島原子力発電所における事故調査の中間報告書を読む。「Ⅶ これまでの調査・検証から判明した問題点の考察と提言」からの注目点は以下の通り。

5 被害拡大を防止する対策の問題点(PDF13ページから)

「(1)原発事故の特異性」にて、「国民や国際社会への情報提供等の問題点」などと報告するが、その実は政府の情報公開の姿勢とマスメディアとの癒着関係の弊害でしかないことは明らかだ。

「(2)初期モニタリングに関わる問題」の「a 初期モニタリングに見られる問題点」として「100KM以上も離れた地域」ホットポイントがあるとするが一体何処の地域を想定しているのだろう。三郷市などはどう見ても200KM以上である。

「c モニタリングデータの活用の問題点」として、「原災本部事務局がその一部を公開しただけ」として最初の五日間に住民に納得いくデータを供給できなかったとしているが、本当にオフサイトセンターの通信手段の問題だけだったのだろうか?挙句の果ては、異常な値のデータを公表することに規定が無かったので関係者は当惑したとある。安全委員会は、官房長官の発表ゆえに、評価を3月25日まで発表しなかったということだ。

「(3)SPEEDI活用上の問題点」については、先に書いたのでここでは繰り返さないが、そもそも官僚の制作するマニュアルや法制化こそは如何になんら判断をせずに責任逃れをするかの手練手管であって、それならば政治家に一任の裁量権を大幅に与えればよいのだが、そうなると官僚の旨みがなくなるのだ。(PDF16ページから)

「(4)住民避難の意思決定と現場の混乱をめぐる問題」の「a 避難指示の意思決定をめぐる問題」でSPEEDIがたとえ五階の原災本部に伝えられていても「避難範囲についての結論は同じ」との報告をしているがそもそも前提が大分外れている。(PDF18ページから)

「b 地方自治体および住民の避難の問題点」ではまるで原爆後に逃げ惑うような汚染の高い方へと転々とする住民の姿が描かれているが、それは自治体の責任かそれともマスメディアの情報の問題かを明白にすべきだろう。

「c 住民避難の問題点と今後の課題」では、公的な啓蒙活動などと提案しているが、それ以前に本当のジャーナリズムを確立すれば足りることなのである。

「(5)国民・国際社会への情報提供」では、「避難住民や国民の立場」からの懐疑が報告されており、引き続き調査するとある。ここはオフサイトにおけるこの事故調査の最重要点であることは間違いない。(PDF21ページから)



参照:
中間報告 (東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会)
市民の意識環境を明文化 2012-01-25 | マスメディア批評
セシウムも降り注ぐマイホーム 2012-01-07 | アウトドーア・環境
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厳しい行間を読み取る作業

2012-01-26 | 歴史・時事
東京電力福島原子力発電所における事故調査の中間報告書の「Ⅴ 福島第一原子力発電所における事故に対し主として発電所外でなされた事故対処」に目を通した。意見書を纏めるためであるが、その116ページに亘るPDFファイルの中で、問題となる点は以下の項目である。

「1 環境放射線モニタリングに関する状況」の項目では、オフサイトのモニターリングにおいて福島県は12日に初動開始して、文部省に至っては13日になって初めて開始した点と、東電はその初動における結果の一部を隠蔽している点などである。

しかし実際には福一二十キロ圏内からの避難者が被曝していることが13日には明らかになっており、正しく人体実験をモニターリングで確認するという方法が採られていることが明白である。

「2 SPEEDI情報の活用及び公表に関する状況」は、最も事故処理の問題として議論されたオフサイトの対処であるが、日本のマスメディアが進んで取り上げたようにそこに世論をフォーカスさせることで目眩ましする効果がそこに生じている。挙句の果ては、枝野前官房長官がそれを逆手にとって弁明の道具としているのがこれである。(PDF11ページから)

「3 住民の避難」では、「(1)事故初期における避難処置の決定、指示・伝達および実施」の「a 福島第一原発に関する避難処置」において、ベントと避難処置、10KM圏への拡大、そして一号機爆発、20KM圏への拡大時には「大量に漏れ出すものではない」とした政府見解発表、三号機爆発後の30KM圏の指定などと重要な判断過程が扱われている。(PDF16ページから)

また「(5)住民の被曝について」の「b スクリーニングレヴェルの引き上げ」にて13日以降の安全委員会の決定指示や、12日以降の福島県立病院などでの実態を読むと、そこは殆ど野戦病院化していた状況が分る。「e 安定ヨウ素剤の配布」では配布服用の指示が現地に伝わらずとある。(PDF57ページから)

「(6)緊急被曝医療機関の被災」として初期である12日5時現在の「大量に放射能が放出される前」の状況が報告されている。(PDF63ページから)

もう一章に目を通さなければいけないが、こうした報告書の行間やその背後にある事実を冷静に読み取り続けるのは、その状況に身をおいて考えて再構築してみるだけに精神的にとても厳しい作業である。



参照:
中間報告 (東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会)
市民の意識環境を明文化 2012-01-25 | マスメディア批評
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市民の意識環境を明文化

2012-01-25 | マスメディア批評
東京電力福島原子力発電所における事故調査の中間報告書へ意見するために、独第一・第二公共放送のアーカイヴから選んだ映像や音声を時系列上に並べた。

個人的に重要な情報源である南ドイツ放送文化波ラジオの定時ニュースのトップラインであり続けたフクシマ報道に関しては残念ながらそこには含めれていないが、寧ろここでは専門家の見解と事故対策の裏側を考察することが主目的なので速報自体はそれほど重要ではないだろう。

大まかにその専門家の見解と状況分析を時系列に並べて観察していくと、重要な観測は、第一号機が爆発したことから大々的に報じられていて第三号機の爆発によって避難の必要性や汚染への配慮に関しての予測が閉じられたこととしてよいだろう。

当然のことながら、それ以後も3月13日以降の核反応炉の更なる水素爆発の危険性やそれどころか水蒸気爆発による圧力容器の完全崩壊の最悪のシナリオは報じられていたのだが、その時点で15日までの福島の避難民の被曝予測は既に大部分終了していた。

そしてその当時も不明であった核反応炉内の燃料棒の溶解も溶解した燃料の場所も未だに一切不明であるばかりか、格納容器から放射性物質が大量に放出された経路も定かではないのである。要するに、事故対策の二大支柱であるオンサイトの破局的な状況を食い止めることと、オフサイトの市民への被曝を最小に収めることの二点においては、得られる情報の正確さや量の問題ではなくて、確率論的見地に基づいた予防的な事故処置でしかないことを再確認するのである。

これを平易な言葉で表わすと、3月11日夕刻において少なくともそれから24時間以内の、第一号機爆発の3月12日中に出ているオフサイトにおける被害状況は予想出来たのである ― 現実には3月14日においても発電所員の避難の必要性が認識される第二号機の危機的状況となる。そして、その予想が八時間の時差をもってドイツ連邦共和国では情報として一般市民に共有されていたことを示すことで、中間報告に示されている視点の不合理性を指摘することが出来る。

要するに、その不合理性こそが、不思議な日本政府の対応や報道、そこの世論の歪に感じたドイツの市民感情を、その意識環境を明文化することで再現できるに違いない。



参照:
とんでもない社会の反撃 2012-01-23 | マスメディア批評
セシウムも降り注ぐマイホーム 2012-01-07 | アウトドーア・環境
東電は真実を隠している 2011-03-12 | アウトドーア・環境
東京への旅行を控えるように 2011-03-12 | マスメディア批評
福島の最終作戦に固唾を呑む 2011-03-12 | アウトドーア・環境
輪番停電という外出禁止令演習 2011-03-13 | マスメディア批評
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アルコールの乳酸への影響

2012-01-24 | 生活
朝の20分ランニングコースを走った。先週は、ボルダーリング、クライミングと通常通り二回に日曜日の道場破りの遠征が加わるところだったが、それが無くなって週末は大人しくしていた。先週は週末までワインをグラスに一杯とヴァイツェンビーアを一本しか飲んでいない。

肩の関節など通常は使わないところが張っていて、風呂に浸かっても直らなかったので、週末に走ればよかったのだが、疲れが残っていた。いつものようにパンを取って肉屋に行くまでの間に一走りである。

一週間前に上りを感じなかったので、今回は万歩計をつけてゆっくりと走り出した。直ぐに先週とは違って足に違和感を感じたので、様々な相違を考えたのだが、足場の悪さ以外にはあまり感じなかった。強いて言えばワインを開けたことぐらいだろうか?

それでも上りのテムポは遅めでも長めのピッチを切れて、上りをあまり感じなくなったのは先週と同じである。計測値は上り12分で凡庸な数値であったが殆ど一分近く短縮している印象があって、案の定下って時計を見ると22分しか経過していなかった。下りを急いだ訳ではないが、明らかに上りも下りも時間を短縮している。

さて、アルコールの影響であるが、頭脳労働の場合は緊張のストレスなどがあるので、アルコールは思考には役に立つこともあるが、スポーツには明らかに能力が落ちることは感じ取ってきている。以前は持久力にそうしたアルコールの影響を感じていたが、運動の能力限界を目指すとどうしてもアルコールは運動能力を落としそうである。量とか期間とかは分らないが、スポーツ選手には時々飲酒するぐらいが最適なのだろうか?

この間開けたワインについては期間が延びたのであまり覚えていないが、以下の2010年産の三種類は色々な意味で興味深かった。先ず何よりも、ミュラー・カトワール醸造所のピノグリで、通常は買わないこの独特の葡萄の味が強烈な酸と炭酸でこれほど軽い飲み口になったものを知らない。価格も手ごろであり、機会があれば追加購入しても良いかと思っている。もちろん安物のグラスに注いだらどんどんと酸化して臭くなってくるそれとは違って三日目にも全く問題なく楽しめる。酸が益々強く鋭くなってくるので恐ろしい。

酸が強い意味ではビュルクリン・ヴォルフ醸造所のPCリースリング「ゴールトベッヒェル」が物凄い。今まで歯に感じるような激烈の酸をあまり知らないが、十分に酸を分解していて、更に高度な除酸をしているのであるが、二口も口に含めば歯にがんがんと当たる。こうした醸造は失敗だったのかどうかはまだまだ回答が出ないであろう。しかし今飲んでも仕方が無い。基本は天然酵母と糖を落としたミネラルであるが、ここまで激性酸であると瓶詰め後九ヶ月ほど経っていてもまだまだ恐ろしい。

それに引き換え最もドイツで糖を落とす醸造で有名なレープホルツ醸造所のGC「ガンスホルン」は、試飲のときの印象を引き継いでいてとてもフルーティーでまるでぶどうジュースを飲んでいるようで飲みやすい。ここのリースリングにしてはとても万人向きのバランスであるが、まだワインらしくなっておらず、偉大な印象は無いが、今日現在までに飲んだ2010年産のワインの最高峰であることは間違いない。葡萄の糖の分解は綺麗に出来ている感じであり、それ以上に培養酵母を大変上手に使っているように思われる。除酸に石灰を使っている様子が無いので、これがセシウムをそれで置換した福島の米と同じように高価なカリウムを利用した除酸であろうか?兎に角、角が丸くなっていない上に、綺麗に酸が整えられている。フルーティーさも手伝って、例年の超辛口よりもフルーティーさが顕著のは2008年産と同じである。

酸が強かった2010年産は如何に糖を残してバランスを取って、将来の熟成につなげるかが、その除酸とともにどの醸造所も苦心した点である。そのお手本になる資料は、過去の父親などが残した手記が使われる場合が多くて、伝統のある醸造所ほどこうした特別な年度を将来を見据えて苦心して醸造しているのである。

2010年産は、四年ほど経ったときにその醸造所の実力がくっきりはっきり見えてくるような年度であったに違いない。天然酵母を使ってふっくらとしてなかなか収まりがつかないリースリングの方が、素人向きの培養酵母ですっきりと仕上げたものより遥かに将来性があると思うのだが、それは只の推測であって、少なくとも今現在美味い方が良いというのにも一理ある。要は除酸の按配である。



参照:
台地を越えて走り続けると? 2012-01-17 | 雑感
漬物味のハウスワイン 2011-09-22 | 試飲百景
ファンデルスワールス感 2011-11-09 | 試飲百景
狩人の健康な食欲の特権 2010-08-10 | 生活
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とんでもない社会の反撃

2012-01-23 | マスメディア批評
東京電力福島原子力発電所における事故調査の中間報告書への意見陳述の期限が迫っているので、主張の根拠となるドイツにおけるフクシマ報道を洗った。ドイツにおける報道といっても新聞以上に一般性の高い公共放送のニュース報道による一般常識となったフクシマの報道内容である。

つまり具体的には、当時見聞きした公共放送定時ニュースや特番で事故の状況が報道されて解説されて予想されていた内容である。つまりその内容を連邦共和国民は共有していたことになる。もちろんそれが、事故数日内に始まった脱原発への政治的な流れを左右したことは間違いない。

しかしここで興味あるのはそうした報道による連邦共和国の世論の動きではなくて、日本国内と同じ情報を基にしての様々な立場を超えた事故の影響の予想と今後の進展に関する専門家の見解としての視聴者の共有認識である。

ここ二週間ほどで、十分に予想されていたことであるが、もはや政府転覆しか日本の民主化への道はないと思わせる政府のサヴォタージュ行動の証拠と原子力むらの猛反撃が次々と報道されている。

SPEEDI情報の逸早くの外務省を通じての合衆国への情報提供などは、首相官邸の地下まで来ていた情報が誤解まで伝わらなかったなどという子供騙しのような釈明が如何に破廉恥なことであるかを証明しているようなものである。

それどころか、今後はこうした市民を動揺させるようなSPEEDI情報は避難の基礎情報として使わないとするような政府見解を出して、既に犯したサヴォタージュの罪を帳消しにしようと躍起になっているのは官僚組織とそれに乗っかる政府である。

ストレステストの傍聴に申し込んでいた市民が直接の傍聴を妨げられて、会議に出席の委員たちが開かれた議論がないなら意味がないとして退席する騒ぎをして、枝野が市民団体を批判するような恥さらしこそが、まさしく「直ちに健康には影響がない」として多くの善良な市民を被曝させた前官房長官の悪徳そのものなのである。ああした政治家を刑務所に送らずして日本の民主化などは成立しない。

東京電力が経営困難から電気料金を上げることに関して、被害者救済のために東京電力を生かしておくというのが枝野が何度も発言していた言い訳であるが、政府が肩代わりしている資金を、発送電分離とその試算の整理で自由市場から集めることこそが経済市場の民主化にこと必要なのは明らかなのである。

事故調査委員会の中間報告書を読んでいて、イライラが募るのは、こうした背景事情がそこに明白に表れているからであり、そうした理不尽で不条理な社会に生きていけないと日本の市民権などは維持できないのであろう。とんでもない社会である。



参照:
セシウムも降り注ぐマイホーム 2012-01-07 | アウトドーア・環境
日隅一雄のジャーナリズム 2012-01-16 | BLOG研究
東電との如何わしいスクラム 2011-06-26 | 歴史・時事
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偽造する人、商う人、騙される人

2012-01-22 | 文化一般
アートランドホテル蓼科が売却となり、併設されているマリー・ローランサン美術館が急遽閉館になることが新聞の文化欄に載っている。高野将弘館長のコレクションを軸にした美術館のようだが、その閉館が昨年九月に起訴されたヴォルフガング・ベルトラッチ偽造事件に関わっているに違いないとの質問に未だに回答がないという。

既に昨年ニューヨークのクノエドラー美術館が同じように急遽閉館となり、2007年に十五億円相当の賠償請求がベルギーのヘッジフォンドマネージャーピエール・ラグランジェから出されていたことから、その問題のジャクソン・ポロックの作品もベルトラッチの偽作と考えられた。

ローランサンという画家は、様々なピカソやビラックなどの後のキュービズムの中心人物となるような芸術家たちとの交渉が有名で、アポリネールとの恋に続いて米国の作家クリフォードバーニーとの交渉後、ドイツの画家オットーフォンヴェティェンと当時は結婚していて戦後1920年までデュッセルドルフに滞在していたドイツにも縁のある芸術家である。

そしてこの女性画家が取り分け日本で人気があるのは、藤田嗣治などのブラックの前世代である以上に、彼女の画風が軽みがあって、日本の伝統的な絵画の空間や色合い、素材などが共鳴することから、他の同時代の欧州の画家よりも愛されるからだとする。

今回のローランサンの作品とされている、画家と知己のあった画商アルフレート・フレヒトハイムのポートレートは、1998年に東京の「ギャラリー2」を通して、分類番号1084としてカタログに登場していて、パリのホプキンス・トーマスギャラリーにあったものである。

そのカタログによると、1920年ごろにポートレート本人のベルリン・デュッセルドルフにあって、それから1988年にクレフェルトのオットー・シュルテ・ケリンクスハウスの個人所有となっているようだ。

そしてこのケリンクスハウスこそが、ヴェルナーイェーガーコレクション事件における故買犯とされている張本人なのである。マックス・エルンストなどの偽造品を1993年に死亡しているヘレーネ・ベルトルッチの祖父であるパン職人が市場に出したのであった。

公判では、ケリンクスハウスは、古典的現代美術品を購入したことも相続したこともないのが明らかになっている。今後そうした事情を分っていたオークションハウスや業界が暴かれる。そもそも、カムペンドックの1914年作とされた「馬と赤い絵」に、当時は使われていなかった白チタンが画材として見つかったことから、ケルンのオークションハウス「レムペルツ」で、2006年に二億四千万円で出て二億八千八百万円で落とされていたことから、買い手のマルタの企業によって訴えられて起訴されたのであった。



参照:
Wolfgang Beltracchi ist überall, FAZ vom 21.01.2012,
Das Schicksal korrigieren, FAZ vom 27.10.2011, Von Niklas Maak
芸術を理解するには趣味が肝要l 2010-05-15 | ワイン
市中で鬩ぐ美術品l 2006-08-29 | 文化一般
天を仰ぐ山寨からの風景l 2009-01-12 | 文化一般
廉く簡易な公共放送l 2005-12-22 | マスメディア批評
人為的ではない理想像 2008-06-20 | ワイン
蜉蝣のような心情文化 2008-05-14 | 文学・思想
勲章撫で回す自慰行為 2008-07-26 | BLOG研究
おかしな国日本 (だらだら日記)
こんなPfalzのワインを頂きました♪ (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
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「仕方ない」の非神聖化

2012-01-21 | 文化一般
暮れぐらいに新聞で扱われていたイアン・ブルマについての記事について書かずにいた。しかし、ここに来て同じオランダの文化人であるレオンハルト死去の話題が日本のBLOGで大変話題になっているので、その訃報に関する新聞記事を読みつつ少しだけ比較文化論的に考えてみる。

世代も活動分野も全く違う二人の文化人で、丁度三十年ほどの世代差であり、その活動分野も音楽と政治社会文化であるから異なるのであるが、如何にも二人ともオランダらしさを感じる文化人である。

ブルマの方は、母方がユダヤ系英国人であり、「文明の衝突」で有名なサミュエル・ハンティントンと向こうを張ってニューヨークで「多文化主義」を専門として講座を持っている。昨年は世界有数の知日家として福島直後に「仕方ない」の日本人の心情を世界へと翻訳した。特にイスラム原理主義者に暗殺されたリベラルな映画監督テオ・ファン・ゴッホ事件に関する分析は有名である。

同じように、グスタフ・レオンハルトのバロック音楽への貢献は、新聞記事を読むまでのこともなく、反ヘンデル、バッハの非神格化に功績があり、オランダからの古楽器演奏の頂点にいて多くの弟子を輩出した音楽家であることに間違いない。しかし個人的には明らかに昔の人で、実際にその演奏に接した覚えはなく、探しても手元にはその録音は見つからないであろう。当然のことながらそこから出でたコープマンの方が最も同時代的でその源流に最も近いバロック演奏家なのである。

新聞が書くように、バッハの音楽を神棚からその職人的な技の音楽へと開放した演奏解釈で、同じようにバッハを演じた映画では等身大のそれを示して、なるほど同時代のドイツのカール・リヒターなどとは大分異なるバッハ解釈であった訳である。

その違いは古楽的な批判的音楽実践と現代楽器を使ったバッハの再生との相違というよりも、やはり文化の違いだろうと考えるのである。それを称して新聞は構造的な手法として文化的に捉える一方、痩せぎすのレオンハールトがデブのバッハを演じた映画を称して、その逆説的な意味をも思考する。

YOUTUBEにそれらしい映像を観覧できるのだが、なるほど鬘を被ったバッハでは無しにロンゲのヒッピーをそこに見るのは私だけではあるまい。ここでテオ・ファン・ゴッホ世代へと繋がるリベラルなオランダへと、音楽界ではトン・コープマンを代表とする人を食ったようなリベラルに繋がるのであった。

序ながら、イアン・ブルマは、東京での日本映画の分析研究生活から、それの世界的な権威者であるのだ。



参照:
フリーセックスのモナーキ 2006-11-15 | マスメディア批評
理性を超える人種主義 2006-10-13 | 文学・思想
恥の意識のモラール 2006-05-21 | 文化一般
固いものと柔らかいもの 2005-07-27 | 文学・思想
リベラリズムの暴力と無力 2004-11-06 | 歴史・時事
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新年会の食事あれこれ

2012-01-20 | 
今年の独日協会新年会の目玉は、ラムシュタインから運ばれた寿司おりであった。嘗てはマンハイムですし屋を繁盛させていた築地で修行した韓国人の寿司である。ラムシュタインは合衆国を除く世界最大の米軍のエアーベースであるから、二十五万人の大都市マンハイムよりも市場が大きいのだろう。ねたも以前より良い感じがして、寿司米も光っていた。あれならばフランクフルトの日本料理屋よりも程度は高い。

どれほど福島の汚染食料品が混じっていたかは知らないが、少なくともサーモンやツナは直輸入もののノルウェーや地中海産だから安全である。毎日食べるわけでないから日本食もそれほど危険ではない。

その他机に並んだ中では、抹茶のケーキが二種類あってどちらも素晴らしかったが、片方は小豆が入っていて感動した。白豆の煮た金時豆が正月のものだと聞いて分らなかったが、どうも関西と関東では違うからだろう。半殺しのそれはあまり見たことがないと考えていると、なるほど駅弁でも関東の駅弁は半殺しが入っていて、関西のはそのままの豆が入っている。広島は半殺しだと聞いてまた興味深かった。正月料理といえば黒豆しか思い浮かばない。

更に興味深かったのが朝鮮半島の炊き込みご飯で、十代のクライミング遠征のときに雪岳山の麓で食したものとはまた違っていた。味のベースは椎茸とそのエキスらしいので同じなのだが、そこにえびと鮭のみならず、恐らくキムチにもいれる小魚がトッピングになっていた。

来週の初めはいよいよ春節である。つまり日曜日が大晦日である。



参照:
塩気の欠けた米国の話 2008-01-22 | 生活
言葉さえ浮かばぬお料理 2009-01-19 | 料理
皿まで食えないほどの毒 2009-09-26 | 生活
肉体ケーキのデザート 2006-02-21 | 料理
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ちまちましこしことした競技

2012-01-19 | 雑感
相棒の医者が遅くなるというので、ボルダーリングに切り替えた。なかなかそうした機会がないと態々小さなところでしこしことやる気はしないのである。

思っていたほどには登れなかったが、最後まで果てしまう事はなかった。最初ウォーミングアップのときに息が上がりかけたが、重量挙げなどと同じで酸素が急に必要になったのだろう。しかしその後は、握力が弱まることもなく、いくつかの課題は克服できた。

それでも歯が立たないものの方が多く、筋力がもつので何時間でも試していれそうでとても時間が経つのが早い。これが嘗てとは異なる最大の成果で、もう少し早く課題が目で読め取れるようになればボルダーリングもこなせるようになるだろう。

兎に角、目で見てある程度道筋がわからないと、受験の数学のようなもので、手をつけてしまってからがさがさやっているようでは駄目なのである。場をこなさなければいけないのだろうが、それこそしこしこやるのは結構根気もいる。

特に庇の下は、全く上下がないので、横から見ていてもなかなか埒が明かなく、やはり自分の体で試して見ないと分りにくい。

一度は最上段の石を握りそこなって、横向けに落ちてマット上に顔をぶつけた。下に何もなかったから良いが、何かあったとしたら靴一つでも怖い。

予想以上に足が疲れているのは技術の表れだろうが、腹筋などは如何だろうか?明後日が楽しみである。少なくともボルダーリングの初級程度の実力はついてきていそうだ。

相棒にその先の技術を示そうと思ったのだが、そもそもこうしたちまちました技術的な面白さが理解できないと、心の目が開かない。基本は腕力ではないということなのだが、理解しただろうか?足掛かりの位置や足の置き方、力の方向などに無頓着であり続ける限りは通常のクライミングでも進歩はないであろう。あれだけ足捌きが悪くて困難度六級を登る者を見たことがない。



参照:
陸で待っているだけでは駄目 2012-01-14 | 雑感
台地を越えて走り続けると? 2012-01-17 | 雑感
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欧州の環境に従う経済博士

2012-01-18 | アウトドーア・環境
既に昨日のラジオが伝えていた。BASFが欧州向けの遺伝子工学生物商品の開発を停止して、リムブルガーホッフにある研究機関を閉鎖するとあった。理由は、既に30年を掛けて勧めてきた遺伝子工学改良の生物であるジャガイモであるアムフローラの栽培許可などに関わらず、もはやドイツをはじめとする欧州では遺伝子工学改良生物はその社会が受け入れないと判断したからとある。更に憲法裁判所は遺伝子工学生物を危険な技術と認定したことが追い討ちを掛けた。

メルケル首相などはこの技術を21世紀の大きな経済的にも価値のある技術としてBASFのラムブレヒト前社長とともに推し進めようとしてきたが、ここでもまたもや敗北したことになるだろう。もちろん逃げ足が速いのはどこかの前官房長官と全く同じであるので、「大統領の任命責任」とともに、それを認めようとしないだろう。

会社は一千二億円規模の投資を既にしているようで、年間で百五十億円規模の新たな投資も全く回収されていない。今後は今まで拡張してきた実験農場の実績や許可などを保ちながら、欧州以外のアメリカ大陸などの市場での商品開拓へと合衆国のノースカロナイナを拠点として開発を続けるという。

大豆が南米で許可されていて日本政府にも申請されていることは良く知られているが、それ以外に乾燥に強いとうもろこしなどを開発して協力企業の合衆国のモンサント社によって全て販売される。

今回の閉鎖移動に伴って、ザクセンアンハルトの試験場とスェーデンのスヴァロェフの農場が閉鎖されて、リムブルガーホーフと合わせると300件ほどの職場の縮小となる。2013年までの計画で十億円以上のコストが発生する。

ベルリンやベルギーでは海外向けの研究が続くようだが、そこにはクルト・ボック社長の配慮が働いたようで、そもそも柳のように逆らわない気質が今回の転機に結びついたようである。この経済博士の子息が全て合衆国で勉強しているように、ある種の研究はそもそもドイツなどでしていても埒が明かないので、早めに頭を切り替えて環境に従うのも正しいだろう。

「鳴かぬなら、終わりにしようホトトギス」 クルト・ボック博士



参照:
なんだかんだいってもはじまらない 2010-03-10 | 文化一般
飼料は遺伝子操作済み 2007-07-25 | アウトドーア・環境
欧州的環境を政策とするとは 2009-09-20 | マスメディア批評
市井の声を聞いて改良 2006-11-06 | アウトドーア・環境
キルケゴールの考え方 2005-11-07 | 雑感
エコと呼ばれる遺伝子工学食品 2010-01-16 | アウトドーア・環境
化け物葡萄の工業発酵 2005-12-23 | ワイン
欧州からみる和食認証制 2006-11-03 | 料理
発育・成長・老化の中で 2004-12-19 | 数学・自然科学
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