Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2021年7月

2021-07-31 | Weblog-Index


パブリックヴュイング舞台裏 2021-07-30 | 雑感
超絶絶後の座付き管弦楽 2021-07-29 | 音
代わりのリースリングを 2021-07-28 | 生活
ドイツ風交渉の進め方 2021-07-27 | 雑感
大成功のバイロイトデビュー 2021-07-26 | 女
大衆食では無いおつまみ 2021-07-25 | 料理
つい手が出るお得感 2021-07-23 | 生活
テストセンターで検査 2021-07-22 | 生活
健康にでなくても経済的に 2021-07-21 | 生活
ユダヤの旋律「コルニドル」 2021-07-20 | 歴史・時事
演出によって齎される深化 2021-07-19 | 文化一般
大反響のトリスタン21 2021-07-18 | マスメディア批評
光の当たる汎欧州女性 2021-07-17 | 女
欲しい衣装合わせの時間 2021-07-16 | 文化一般
耳に残る1977年の想い出 2021-07-15 | 音
もっとシムプルに行きたい 2021-07-14 | マスメディア批評
さしかかる転換点 2021-07-13 | 文化一般
上手に使われた少女慰安婦像 2021-07-12 | 文化一般
世界の為に良い先例 2021-07-11 | 女
それから最初の週末 2021-07-10 | 女
健気に霜月を待つ七夕 2021-07-09 | 暦
秋の公演の先行予約を出す 2021-07-08 | 文化一般
熱心な人がいるお蔭 2021-07-07 | 雑感
パルジファルの初演者 2021-07-06 | 文化一般
ヘルマン・レヴィの墓の前で 2021-07-06 | マスメディア批評
金を取れるということは 2021-07-06 | 女
夏の旅の木陰の一時 2021-07-05 | アウトドーア・環境
昨今の世の流れの状況 2021-07-04 | 生活
不確定要素満載ツアー 2021-07-03 | アウトドーア・環境
死ぬほどに退屈な哲学 2021-07-01 | 文化一般
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パブリックヴュイング舞台裏

2021-07-30 | 雑感
今日から生中継並びに開催されるパブリックヴューイングの舞台裏を見てきた。メイン会場に中継やらの準備が出来ている。私の関心ごとは、劇場での本公演終了後の拍手喝采に続いて、出演者がどのようにその会場で挨拶するかである。その経路を勘ぐった。ある程度想像がついたが、もう一度現場検証をしてみないと分からない。出来ればその様子も見たいと思うからだ。

金曜日のガラコンサートにはそれだけでオープンエアーを一杯にするネトレブコやカウフマンなども出るが、なんと言っても土曜日の最後の祝福はキリル・ペトレンコ最後のミュンヘンでのオペラ指揮となる。会場でのそれを早めに切り上げて外に出る。

それは「サロメ」が新制作された2019年にその場に居たから知っている。あの時は表のマックスヨゼフ広場を使っていたのでその経路は大体分かっていた。だから舞台を降りてきた出演者と並行して外に出れた。今回は反対側のマールシュタール広場なので連絡通路が問題だった。大体分かったのだ。そして今回座る席は反対方向になるので、ぐるっと回らなければいけない。しかし少なくともあの時のように主役のマルリス・ペーターセンに目線を貰うような近くでは無理だろう。

木曜日は結局お勉強も出来なかった。環境が変わると順応するまでに時間がかかる。ドイツで荷解きに一日荷作りに一日と言われて、一週間では中5日もないという話である。実際に四泊でゆっくりと居心地を云々できるのは2日もない。前日になると帰りまでの手順を考える。

水曜日も結局午前様になって、車を出す前にガレージのシャッターが閉まって、近づいて再び開いた。寝る前にまた引っ掛けて朝も寝坊していた。お惣菜を昼飯に温めていたらハプニングがあって一時間ほど手間が掛かった。結局バイロイトの「ヴァルキューレ」時差中継が始まってから近所の森に出かけた。

ネットで見ていた様子でなんとか駐車場と走る場所を見つけた。生憎GPS時計の電池が上がってしまって、記録は出来なかったが、精々五キロぐらいで少し上り下る程度だった。マウンテンバイクが入っていくのを見て簡単に試してみた。それでも30分近く走って、汗だくだくになった。

車で数分の村からなので戻ってきてシャワーを浴びて、中継を流しながら冷えたヴァイスビーアで涼んだ。前奏からして情けないフニャフニャの演奏でこれは厳しいと思った。指揮者への珍しいブーイングだったようだ。なんと言っても歌に合わせられなくて、全く音楽が意味を持って奏せないので無理である。来年から「指輪」が始まるというが最初から降りてしまう可能性が出てきた。そのために今年振らせたとしても穿った見方ではないだろう。被害を最少にできる。華々しいデビューを最初から壊していたのである。



参照:
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超絶絶後の座付き管弦楽

2021-07-29 | 
今回の再演「サロメ」はエグかった。舞台は殆ど見ずに奈落ばかりを見ていた。一挙に1時間45分の音の絵巻が渦巻いた。往路の車では初日シリーズでのまさにそのパブリックヴューイング時の映像を流していたが、音楽的な解釈は変わらなくともその演奏は全く異なっていた。

兎に角、先日のブラームスやメンデルスゾーンなどでも感じたが、硬軟の切り替えが一瞬にして行われて、どんなLED光源よりも早いのではないかと思われる指揮とそれに反応する管弦楽は観たことも聴いたこともない。管弦楽団の歴史の頂点とされるショルティ指揮シカゴ交響楽団にもあんな機動性の良さはなかった。同時期のカラヤン指揮のベルリナーフィルハーモニカーはもう鈍重になっていた。

新制作シリーズでも読み直してみると同じようなことが書いてあるが、今回は指揮の一部始終が見えさらにその身の変わり方の変化、そして楽団の反応が手に通るように見えたので、そしてその見事さ更に徹底に驚愕した。ことこまめに舞台にキューを与える一方ペトレンコの目は楽譜の上を走っていた。あそこまでプロの指揮者が追っているのは初めて見た。それほど管弦楽の指示にも微に入り細を穿つで一体どこまでやるのだろうという殆どエゴに近いものを感じた。そしていたる所に楽譜で確かめておかないといけないような音響があった。

しかしそこからが今までの厳しい指揮者とは峻別されるところで、楽員はどこまでもムジツィーレンしてどこまでもイメージ豊かな音を出す。あんなに柔らかく浮いたような響きはフランスの音楽でもなかなか聞けないと思うや否やあまりにも鋭く音色とも取れないほどミリ単位の音響が響く。あのピエールブーレーズでも出せなかった響きである。こんなに表現の幅が大きいなんて、現時点のベルリナーフィルハーモニカーでも無理だ。

そしてそれが奈落から座付き楽団の音として声に合わさるという未だ嘗てない音楽劇場となっていた。生憎、私の座った席からは明瞭な歌声が反対からの反射で聴き取れないので、その全体的な効果は限定的だったが、当夜の宮廷歌手授与式でもマルリス・ペーターセンは管弦楽団への賛辞を忘れなかった。要するに声が消えずに歌いやすいということに尽きるだろう。



参照:
破壊された壁画への観照 2019-07-13 | 文学・思想
欧州のユダヤ人感への評価 2019-07-08 | 歴史・時事

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代わりのリースリングを

2021-07-28 | 生活
何時もの如く燃料が安くなるのを待っている。そこから序でに先日購入して現状態ではもう一つ満足できなかったリースリングの代わりに他のを見てみる。

出かける前に一度運動をしておきたかった。週末に時間が無かったからだ。これで旅行に出ると一週間何もしないことになる。そこまでやると運動不足で体調が悪くなる。やり過ぎるとそれはそれで疲れがたまる。短く頂上コースの中間まで走って下りて来た。途中でまた職人の息子の少年とすれ違った。ブンデスリーガーを目指しているのか?それでも私のようなものが上から降りてくるとそれでは足りないと思うようになるだろう。スピードが早くてもそれ程大きな差は出ない急坂である。

木曜日のザルツブルク行きを断念する心算だ。理由はハッキリしている。水曜日にテストが通れば、もう一度金曜日に受けるだけである。それならばその間は大事を取るべきで、ザルツブルクまで行って感染はあり得ないと思う。24時間ほどでは抗原検査に表れないと思うのだが、気持ちの問題である。75ユーロは誰も使わなければ捨てることになるが、大事の前に大した問題ではなくなる。

つまり丸一日開けば、どうして過ごすか。宿に一日中も危ない。山沿いまで車を走らせて10㎞程トレールランニングできるところを探す。下りてきてその帰りにでもあまり人のいないビアガルテンで一杯やる。

飲んでしまうと「トリスタン」どころか、ガラコンサートのペトレンコ指揮の曲のお勉強も出来ないので、午前中にみっちりだろうか?楽譜だけは「ばらの騎士」一幕、「マイスタージンガー」三幕、「サロメ」はそもそも水曜日に全曲ある。「死の街」はこれは抜いておこう。音源は特に要らない。「トリスタン」はフルトヴェングラー指揮で三幕を、「サロメ」は初日シリーズのヴィデオを持って行く。今回はその時よりもバルコンで奈落に近い。

食事は宿がキッチン付きなので、ダルマイヤーでお惣菜を買うかどうか。野菜まで購入してというのも面倒だ。それでも朝昼食は何とかしたい。宿で相談して良いパン屋があればそれも良い。その為に小さいバターを購入したりだろうか。やはりお茶などを揃えて持って行く。クヴァークは既に作ってあるのでそれを持参。シュペッツェレを持って行くかどうか。

先日はバーでタタールとマリネ―した白魚のチリ風のたたきだった。トウガラシやトロピカルフルーツにコリアンダーまで入れて上手に作っていた。何よりもコリアンダーの味をさせない辛みを感じさせない微妙なバランス感覚は見事だと思う。

お総菜コーナーではとってもそのようなものは得られないが、少しは面白いなものが見つかるだろうか?



参照:
涼しいうちに滋養供給 2019-07-05 | ワイン
テストセンターで検査 2021-07-22 | 生活
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ドイツ風交渉の進め方

2021-07-27 | 雑感
水曜日から週末まで外泊となる。だから色々と準備をしておかないといけない。それでも余分に購入したミュンヘンのオペルンフェストシュピーレのティケット売却も進めないといけなかった。それでオファーを出すと二三時間で希望者が現れた。座付楽団の人でお母さんが急にやって来て乗り番のサロメの券が欲しいのだとあった。勿論中の人なのでまだどれぐらい券が出るのかなどは大まかに把握していたと思うが、価格とそして場所が決め手だったようだ。

つまり、お母さんを招待して演奏風景を覗いて貰うには決まった座席が欲しかったようだ。演奏者は毎晩のように客席を見上げてあそこという所を知っているのだろう。それは演奏者によって各々の座る位置を知っているから決定されるものなのだろう。そのことに関しては初めて気が付いた。

結局彼には半日近く付き合うことになった。途中で一度騙されて、金も無い券も無いということになったので確信が持てないのだとか言い出した。こちらは券を出して口座番号を出すので、それでいいならばとしたのだが、どうもそのプロセスが分かり難かったらしい。

同じ文章を週末にレーゲンスブルク近郊の人に出したのだが、その人は直ぐに理解して進んだ。そしてその人からの入金記録を見ると博士になっていた。先日のレヴィコンサートを打った人も女性の博士だった。やはり国立歌劇場の聴衆の知的程度は高い。確かに最後までペトレンコを呼び出す面々も女性でもかなり高学歴そうな人たちばかりだ。

こちらもおかしな話を聞かされると不安になる。そもそもメールアドレスとご本人とは繋がりが無く、自己紹介が本当かどうかが疑わしくなる。成程劇場に楽員と同姓同名で登録しているとなると嘘なら発覚するかもしれないが、そこの出身国であり得る事なのかもしれない。そこで、譲渡の場合には感染防止法上住所など連絡先が必要なので質してみた。更に先週のレヴィ記念コンサートに乗っていたかどうかを訊き、また「トリスタン」に乗っているかも訊く。

すると住所氏名を出して、その規則が正しいとドイツ的だとか示唆してある。そして母親が接種済で、名前まで書かれていた。それだからネット被害にも遭うのだよということになるのだが、何も人のことは笑えない。一度お遊びで名前を入れて警察沙汰になったこともあるので、ネットは気を付けていても遊んではいけない。



参照:
文化を底支えする武闘派 2021-06-13 | 料理
夏を駆け抜く意気込み 2021-06-02 | 生活
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大成功のバイロイトデビュー

2021-07-26 | 
バイロイト音楽祭初の生中継は面白かった。音声の放送は戦前からかもしれないが、初日の完全生映像は史上初めての筈だ。今年は感染拡大防止の考えから赤絨毯に招待客が立ち止まって写真撮影は無かったが、メルケル首相夫妻を代表に有名人は集まっていたようだった。

実は「さまよえるオタンダ人」初日に出かけたことがあって、その時の指揮とどうしても比べてしまう。現EU代表のフォンデンライン女史の甥の指揮者マルク・アルブレヒトであったが、それと比べるとオクサーナ・リニヴは指揮者としての格が二三段階上だった。そもそもあの奈落でごてごてと鳴らす脳の無いような指揮をする若手指揮者なんて棒にも箸にも掛からない。ザルツブルクでの「ルル」も酷いことをやっていた。

演出に関してはモニターで楽劇をじっくり観るなんて言う我慢が出来ない性格なので、ちらちらと覗いていたが、やはりゼンタでデビューしたアスミク・グリゴーリアンが登場すると舞台の空気が変わる。勿論歌うと圧倒的だった。演出の全体像が見えない所でもその景が急に舞台になってしまう。

兎に角、グレゴーリアンの圧倒的な歌声は、周りにも影響を与えていた。あそこまで張って立派に歌われると周りにもいつものバイロイト劇場の様に声を落として、言葉の明瞭さだけに専念する歌い方では無かった。

それゆえに、アスミク・グリゴーリンのドイツ語が聴き取れなかったという批評はあたらない。容易にそういう言い方をする評論家は、バイエルン放送協会のストリーミングにドイツ語のテロップが入っている意味も分からないのだろうか。

なるほど彼女も一回一回歌う度に学ぶと語るように、その難しさを説明していた。特に初期の作品ということでベルカントにドイツ語が合わないとしていた。実は同じようにベルカントでの楽劇を目指しているペトレンコ指揮やそこでトリスタンを歌うヨーナス・カウフマンも言葉の付け方が不自然で音楽は素晴らしくても歌の分かっている作曲家ではないとしていた。それだけに難しいということだ。

しかし何よりも歌に合せるオクサーナ・リニヴの指揮は見事で、それはフランクフルトでも確認していたことで、特に女性の歌声を最大限に引き出しそして付ける腕はただものではない。そして今回の指揮の技術的な難しさは、通常のバイロイトの奈落云々をのたまう様な程度では無かったのだ。そして前元祖音楽監督がのこのことやってきていて減らず口を叩くのがいい恥じたらしだった。(続く)



参照:
へそ出しもビキニも 2020-08-03 | 女
初アスミク・グリゴーリアン 2019-11-10 | 生活
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大衆食では無いおつまみ

2021-07-25 | 料理
土曜日に夕刻に帰宅した。18時からのミュンヘンのプリンツゲンテンテアターからの新制作「イドメネオ」中継を観る為だ。そして日曜日はバイロイトからの史上初の初日完全中継がある。

金曜日の夜正確には午前様で駐車場に向かった。地下に入るとなんと入り口が閉まっていた。何一つ持ち歩かずに飲み歩いていたからだ。やらかしたと思って、電話するにも叶わない。持っているのは車の鍵とカメラと財布だけである。今し方別れた人を探して街を走るが見つからなかった。仕方が無いのでインターフォンで連絡でもしようかと泣き顔で戻ると、先ほど隣に座っていたようなオレンジ色の服の親仁がいた。明らかにお互い様酔い心地である。親仁もカードを持っていてもおかしい開かないとインターフォン越しでうだっている。明らかに締め出された二人組である。しかし親仁は駐車カードを持っているだけましだ。

それで諭されて親仁がもう一度試みると開いた。透かさずくっついて中に入った。日本からかとか言い出して、姪が選手で出ていて、開会式に感動したとか、酔っ払いの意気が上がる。こちらは、それはどうでも良いから、なんとかしたいのである。それで、車にはアプローチ出来るが、親仁が本当に出れるのかどうか心配になって、自分も駐車カードを取りに行った戻りにすれ違う素面の人に聞いてみた。大丈夫だということで安心して、支払い機に戻ると親仁がカードを入れている。親仁と一緒にガタガタとして支払い終了して別れる。あとは本当に柵が開いて出れるかどうか?公式には夜中は出車不可ところというのはフランクフルトのアルテオパーなどでもあって心配なのだ。そして現実的には何時もの柵では無くドアが開閉するようになっていることを知った。

ホテルは近かったのだが、それでも酔っぱらって電話しているうちに乗り越して戻ってきて、陰性証明無しでは出来なかった未明のチェックインを済ます。幸い車での酒気帯び運転の問題無く、ホテル地下駐車場に入車、部屋に入ってネットログインも果たせずに就寝。何かまるで現在闘病中の大衆食の大家エンテツさんの日記のようになってしまった。

実は、その前に大衆食ならずデリカテッセンをつまみに呑んでいただけで終わらずに、梯子に勢いがついてしまったのだった。それでも悪い酒は入っていなかった様でチャンポンになっていても酔い心地はあくる日まで良かった。

しかし何といってもおつまみの二皿が美味かった。白身魚と牛タタールだが、先ずタタールは想定外の価値があった。普通は卵とかでそれほど腕を振るうものではないと思っていたが、タイのアスパラガスだけでなく、またユズソースだけでなく、ごま油と味噌味が薄く隠し味にあり、それがまた白ワインを崩さない上品な味なのだ。これならばリースリングにも行けるかと思ったぐらいである。勿論選んだダルマイヤー特売のフランケンの醸造所シュタールというVDPでもない所の2018年産ジルファ―ナーが全く悪くはなかった。(続く)



参照:
MAY I HAVE A KNIFE? 2007-07-13 | 料理
夏バテ時のためのサラダ 2007-06-13 | 料理
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つい手が出るお得感

2021-07-23 | 生活
バーデンバーデン祝祭劇場でのトリフォノフピアノリサイタルの券を購入。500人入場ということを確かめていたので、通常は階下しか使わないのだが、全部を使ってゆったりと。先日のディドナートとネゼセガンの歌曲の夕べと同じだ。要するに視覚的には遠くなるが音響がよくなる席が増える。反面予想通り階下の席は高価になっていて手が出ない。最高価格130ユーロを取るのはやはり凄い。

それで私は狙った前回同様の席を購入した。上から見下ろす形になって本当にいい音は聴けないが、距離がそれ程ないので、手元も追えて、その実力を吟味できると思う。但しプログラムはザルツブルクなどと同じブラームス編曲のパルティータとか、フーガの技法などを弾く。先日のタングルウッドからの中継でもバッハのアンコールをしていたので注目である。

より注目したのは祝祭劇場のパトロン面々の席の買い方で、一番乗りした時には既に可成り出ていた。通常はピアノリサイタルというと下手から扇状に売れていくのが有名音楽祭などでもみられるが、流石にここは大分違う。勿論パトロン座席は其の侭で、更にいい席が売れていた。例えば上手のサイドとかピアノの音響としては素晴らしい席で、下手よりも出ていた。

やはりそういう人の多くは家庭でピアノを子供の時から触っていたような人が多くて、家庭で余分に購入しているのだと思われる。やはり金があってただの俗人という層は限られるのかもしれない。

お目当てのそれを購入してから他のプログラムを覗いてみる。プログラム自体は知っていたが、ユジャワンのデュオを見ると、前回は中ホール使用で近くで聴けたのだが今回は遠い。キャプサンのチェロも前回の演奏からすると大ホール使用では中々通らないとも感じている。更に価格も15ユーロなのだが一寸残念で除けた。

ベルチャ四重奏団も同じ態勢であるがこちらは大きなホールでも聴いてみたかったので、真上から聴いてみようと思う。何よりもショスタコーヴィッチの四重奏曲やブラームスの一番などで、更に11ユーロの魅力には勝てなかった。

もう一つお得感で購入してしまったのはまだユロウスキーが振っているロンドンフィルとユリヤ・フィッシャーのエルガーの協奏曲とラフマニノフだ。同曲はペトレンコがミュンヘンで共演したので生で聴いておきたいとも思った。そして22ユーロがなんといっても邪魔にならない。

最初のはペイパルで支払ったので初めて確認電話が入った。携帯番号を入れていないとそういうことになるようで、セーフティのやり方はその都度代わるので厄介だ。



参照:
もしもピアノが弾けたなら 2021-04-11 | 音
秋の公演の先行予約を出す 2021-07-08 | 文化一般
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テストセンターで検査

2021-07-22 | 生活
燃料を満タンにした。一日待った甲斐があった。147,9セントで最近では底値だった。燃料が入っているところに継ぎ足したので63リットルほどしか入らなかったが、それでも3ユーロほどは違う。あとはエンジンオイルを継ぎ足すだけである。

今回は劇場のテストセンターで検査を受けるつもりでいる。理由は来週に再び使うことになるので現場を知っておきたいからだ。月末までに最低三回の検査が必要になる。どこかで引っ掛かるとサドンデスとなり万事休すだ。

そこで今回はミュンヘンでの約束もあり前日の検査は断念する。態々時間をかけて赤十字の結構真面目そうなテストを受けに行くメリットが無い。更に当日の朝にも予約を入れているので両方共をキャンセルしておこう。

そうなるとPCR検査を受けて陽性ならばそれなりの隔離期間も必要になる。14日間で、無症状でPCR陰性になってから48時間で解放される。その後ワクチンを一回打てば二回打ったことになるとある。

接種、回復、検査の三種類の通行許可書でも、PCR陰性から半年までは接種者やテスト合格者と同等に扱われる。危機管理という概念では結構重要である。

バーデンバーデンの祝祭劇場に電話をした。予約のティケットをカードで支払うためである。寄付の話しは担当者に額面を確かめてから確定するが、先ずはこちらを支払った。大した額では無く、更に天引きしてしまうと寄付金としては物足りなくなるといけないからだ。

感染拡大期なので、ここは何とか乗り越えたい。来月はまたそれなりにテストを受けなければいけないが、その間どれだけ動き回るかである。マスクもそれほど万能ではないのだが、其れしか防御法が無いとすれば、頼ざるを得ない。

気管支炎気味になったので気持ち悪かった。しかしデルタに感染するような機会は数えるほどしかなく、殆ど偶然のようなものだった。だから若干不安であったが、いつもの山道を往復した。あまり調子は変わらないが、30分ほど乍充分に深呼吸した成果は表れてくると思う。体重も73kgへと落ちてきている。夏場は水膨れするので珍しい。原因はパン屋でケーキ類を買わなくなったことだろう。これは意外に効いていると思う。



参照:
健気に霜月を待つ七夕 2021-07-09 | 暦
感動は幕が上がる前から 2021-06-29 | 文化一般
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健康にでなくても経済的に

2021-07-21 | 生活
新たなマスクが届いた。音楽会用のものである。以前使ったKN95と同型でFFP2となっている。少なくとも顔への密着はよく、なによりも小振り感がいい。しかし密着性が良い分息に合わせて鰓のようにポコポコする。抵抗感はあるのだが、鼻頭へと比較的絞られているので、ぐずぐずしないで良さそうだ。

今ここは重要な時期なので早速買い物に使ってみた。驚いたのは紐を外しても顔にくっついていたことで、如何に気密性が強いか。透過量は充分にあるので息苦しくはないのだが、暫くすると暑くなって、早く外へ出たい気持ちになった。汗を掻いた。バイエルン州の場合はサージカルマスクでは会場に座ってられないので、そこが一番厳しい。但し鼻に当たってしっくりしないというようなことが無くて、汗を掻かないようにしていれば悪くはないと思った。

週末に出かける前に洗濯屋に行き、現金も下ろしてきた。あとは燃料を安い時に満タンにするだけである。八百屋でラーディシュを買おうとしたら葉っぱが痛んで摘んだのがあるというのでただで貰って来た。こちらもピクニックに車中で齧るように欲しかったので、新鮮ならばそれで良い。しっかり洗い落として冷蔵庫に入れておく。

土曜日に開催されたザルツブルク音楽祭の「イェーダーマン」上演から陽性者が出た。何処で感染したかは分からないが、接種を終えている人なのでテストをせずにオープンエアーで観ていた人である。翌日に陽性が発覚、44人が接触者としてピックアップされて、自己隔離となる。

音楽祭は、これを受けてFFPマスク装着を義務付けた。それ以前は必要なかったということで、ソーシャルディスタンシングもされていなかった。そして100%の入場としていたので、結果44人にも影響が出た。一体何メートル圏内の人に嫌疑が掛かったのだろう ― 報道によると二メートル圏内らしい。だから100%入れていることが誤りだと証明された。

当局が周りの数人だけを問題にするならばそれで構わない。しかし今回の状況で分かったのはテストと接種と快復証明で感染者がいないと断言しているのが誤りであることだ。接種すればたとえ感染しても重病化しないこととは関係が無く、感染を広げるかかどうかが問題なのである。接種済みであってもスパースレッダ―になったという例も報告されている。そして当局はその可能性をも否定していない。健康にではなくても経済的に大きな被害が生じるからだ。

半分はドイツからやって来ている観光者で、その人達は数日間次のPCR検査で陰性となるまでどこにも行けず、ホテル代も嵩む。そうした経済被害を大きくしているのは音楽祭がより純益をあげようとしたからで、聴衆の安全を考えているなんて嘘八百なのだ。

6月末には入場を半数に抑えて、休憩無しのプログラムしか提供しなかったルツェルンの音楽祭がその真価を示したと言っても良い。あれだけ金の亡者の国が、メインスポンサーのロッシュのテストも使うことなく開くやり方に、科学があるとしか言えないのだ。オペラは休憩無しでは済まないが、ザルツブルクは東京オリムピックの様にサドンデスになるだろうか。バイロイト音楽祭は音楽のイシュグルになって終焉すると思う。



参照:
欲しい衣装合わせの時間 2021-07-16 | 文化一般
ミュンヘンで決起する覚悟 2021-06-08 | 文化一般
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ユダヤの旋律「コルニドル」

2021-07-20 | 歴史・時事
(承前)金曜日の予定が殆ど定まりつつある。劇場でテストを受けれるようにその時刻前にホテルにチェクインするだけだ。切符を買う人とは劇場前で会うことにした。そこで先ずは当夜のプログラムをもう一度振り返る。気になっていた「コシファンテュッテ」のフィオルデリージが歌う「岩の様に」をお勉強する。演奏されるのは分厚い管弦楽のヘルマン・レヴィ編曲版であるが、2日に聴いた印象では、響き以上にその歌手の特徴と共にドラマティックな面が強調されていたので、編曲の意図を知りたいと思った。日本で「魔笛」第一の侍女を歌っている人だがとても強くドラマティックに歌っていたのである。

成程ベーム指揮のシュヴァルツコップなどもとても強く歌っていて、若い時のヤノヴィッツも言葉の明瞭性などで結構奮闘している。前者などはそこまでしなくてものダイナミックスやアクセントがあるがベーム指揮がとても拘りの演奏だから従っているのだろう。カラヤン指揮はやはりその点本当にソフトであって自然な音楽的な間合いを取っている。歌手からすればカラヤンの方がやはりいい指揮者だったと思う。昨年のザルツブルクでのヴィデオでのトライシークの歌も聴き直したが精一杯の歌声を出していることが分かり、又付けているマルヴィッツの指揮もスタイルが違って、改めて悪くはないことを確認した。

苦手な楽曲というのは殆ど無いのだが、その指折りの中に入っていたのが、ブルッフ作曲の「コルニドライ」である。ロマンティックでありユダヤの旋律というだけで重苦しい。2日に初めて実演で聴いたが、ソロストの力量もあってか、やはり掴みどころが少なかった。比較にマイスキーのソロでイェルヴィ指揮HR交響楽団の演奏で聴くと流石に上手い。
Bruch: Kol Nidrei ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Mischa Maisky ∙ Paavo Järvi


その旋律も馴染んだので、この作曲を批判的に扱ったシェーンベルクの小さなオラトリオを聴いてみた。成程こちらの方が面白い。バーンスタインなどは特別にユダヤ的なアクセントをつけて指揮していてあまり参考にならない。

その贖罪自体が契約不履行を促すとして、アンティセミティズムの攻撃対象になっているということだ。何故ここにこの曲が演奏されるかは明白で、ペトレンコにとっては来年のベルリンでのユダヤ人プログラムを先行する形になっている。

メンデルスゾーンのルイブラス序曲も余り演奏されない曲で録音も少ない。ネットではアバド指揮のロンドンでの録音が出て来たが、大分いい加減な演奏で、使い物にならないことが分かった。もう少し調べてみるとメータ指揮ミュンヒナーフィルハーモニカーのものがあった。流石に立派な音楽を奏でている。

あとはアカデミーの楽団で演奏される「ジークフリート牧歌」である。この曲も昔一度お勉強したことがある。初演地のルツェルンでの演奏会の為だったろうか。先日演奏を聴いていてもう一つ分からないところがあったので確かめてみなければいけない。そのアカデミー楽団が金曜日の演奏会でヘルマン・レヴィ楽団と名前を変更する様だ。(続く)



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さしかかる転換点 2021-07-13 | 文化一般
ロストジェネレーション 2021-06-15 | 文化一般
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演出によって齎される深化

2021-07-19 | 文化一般
(承前)フルトヴァングラー指揮の歴史的名盤を聴いた。先ずは一幕を通したが、とても価値がある。何度も触れてきた録音であるが、今ここで先日の初日の演奏と比較しても邪魔にもならず印象を塗り替えることもない。演奏様式が異なるというよりも最もの相違は制作録音の良さと生演奏の違いだ。

制作録音の場合はやはり歌い口とか歌手の細かな歌いまわしの自然さとかがどうしても求められて、他の感興をシャットアウトした中での音楽表現なので、ここではフルトヴェングラーの知見がとても光っている。やはり巧い、そして読譜力が確かと思う。空耳のように指揮者が歌うその節回しが聞こえるようで、よく読み込んでいるなと思わせる。勿論ディレクターの腕もあるのだが、全体の把握の仕方が立派である。まさしく名誉博士号に相応しい。

一部だけイゾルテの回想シーンの歌が些かロマンスになっているのだが、それは歌っているフラグスタートのとっておきの表現のようにも聞こえる。なんといってもこの指揮で通常は動機としては整理されないような音の列が確りと表現になっていて、そのことを通じて景から景への有機的な繋がりが音楽的な叙述法として完成している。それはディレクターの腕では出来ないことで、やはり指揮者の実力である。

初日のペトレンコの指揮でのハルテロスの歌はそれ以上の多彩さがあって、まさしく上のような情景ではより芸術的に高度な印象とか深層心理とかまたは客観化などの高度な音楽劇場芸術が展開していた。演出によってはじめて齎せる深化でもある。また、演奏しているフィルハーモニア管弦楽団の腕は大したものなのだが、オーボエの音とかソロの音楽性がやはり駄目である。そして何よりも声に合わせて演奏するという事が出来ていない。その分フルトヴァングラーのドライヴが聴けるのだが、あまりにも交響楽団的に張った音しか出せない。

如何にミュンヘンの劇場の楽団が素晴らしいニュアンスで声に付けているかが改めてよく分かる。ペトレンコ音楽監督のその果実が本当に実っていると思う。そのしなやかで影のように付き纏ったり、又は歌手を支える、毎晩の様に奈落で演奏していなければ出来ないことで、ベルリナーフィルハーモニカーの一年に一回ぐらいでは克服出来ない。

それ故にフルトヴァングラー指揮の演奏がそのような座付管弦楽団だったら歌手も更に素晴らし表現が出来ただろう。しかし、制作は何といっても演技も衣裳も無く、テークを録るだけなので楽である。

前奏曲に全てがあるという云い方もされるが、その基本音列がこうして明白になって、音響的に深みとされるところが、ペトレンコ指揮では場合によってはパラレルワードへと視野が交差して行く。しかし決してブーレーズ指揮で描かれる様な透かし絵の儘には終わらない。最も興味深いのはブランゲーネの嘆きがザックスの歌のようになるところも決してそのようには単純にはならないのがペトレンコ指揮演奏の偉大さか。二幕、三幕へとまたその視野が移って行く。(続く)



参照:
芸術的な感興を受ける時 2016-03-15 | 音
何故に人類の遺産なのか 2008-06-26 | マスメディア批評
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大反響のトリスタン21

2021-07-18 | マスメディア批評
(承前)13日の公演を終えて更なる批評が出ている。そして選りに選って31日はこの作品でバッハラー支配人とペトレンコ音楽監督の時代が終わるとしている。個人的にも音楽的にも消化出ていなかったことが徐々に見えて来た。13日から31日への中断は何を齎すか?

ペトレンコ指揮初日週間で二回通うのが今回が初めてである。そして三回目も途中に挟もうと思えば券も入手可能だった。しかし消化が出来ていなかった。同様なことは演奏者にも必ずあると思う。それ程内容がぎっしりと詰まっていた。

一つの評は、前回のコンヴィチニー演出のように分かりやすく即反応できるものではないとしている。それがたとえ同じように自殺願望のパトスに否定的な彩がなされていようとも、ここではオペラの肥しにはなっていても、飽く迄も繊細なやり方であるべきもので、それが自殺こそその唯一の出口であるという宣伝に使うのは非道徳でしかないと演出家ヴァリコフスキーは書いている。

三幕のアンドロイドが不可思議という感想が多い。トラムマにある幼少体験風景を擬人化している。プログラムにはフロイトの先取りで、もし楽匠がフィルムという媒体を使えばとその表現を解析している。勿論音楽的な構造でもあるのだが、劇的なドラマテュルギ―でもある。やはり音楽的にはもう一度洗い直してみなければ駄目だと分かる。

上の擬人化は、モーツァルトの「コシファンテュッテ」などで往々にして起こっている人形化の逆方向にあり、むしろ舞台上で人間化する方が難しい。その意味ではそうした対照を置くことで、同時にプロジェクターでパレラレルワールドを映し出すことでの舞台の現実化つまり楽匠の真の狙いである劇場の世界化がなされようとしている。

要するに今回の演出を心理学的とかで済ませることの無いような仕掛けが組んであって、最初からメディア化しても長く鑑賞に堪える若しくは話題を引き出せるような演出になっていることは間違いない。

批評には今回の13日の公演の成果をして、

キリル・ペトレンコの監督時代の圧倒的な頂点だったとして、喜びに涙して、心の充足へと導いたその指揮そしてその楽団を記している ― 二幕の二重唱の後はそれが主役だったとする評もある。

それは比類ないヴァークナーの楽譜が初めて明らかにされるの唯一無二の今迄最高のトリスタンにしたとある。それによって歴代の名匠が霞んでしまう妖精のごとき軽やかさと豪放に鳴らし切る繊細なカペルマイスターと称している。

若しくは、その偉大な座付楽団の演奏によって聴衆は一挙に持って行かれると同時に何処までも流れてこれ以上軽やかには行かないという演奏だったとしているのもある。

又は舞台と奈落が太い帯で繋がれていて、コッホの歌うクルヴェナールでさえ嘗て無かったピアノで歌われたとそのダイナミックスの表現の大きさを同音異語で伝えている。
Jonas Kaufmann & Anja Harteros ✮ Role debut "Tristan und Isolde"


最早フルトヴェングラー指揮の歴史的名録音に再び耳を通すしか方法は無くなった。(続く



参照:
Im Wunderreich der Nacht – Münchens neuer „Tristan“ als Traumspiel – ein Ereignis, Hans Gärtner, Tabula Rasa Magazin vom 16.7.21
Kaufmann & Harteros: TRISTAN UND ISOLDE, Andre Sokolowski, Fraitag vom 15.7.21
Vom Schlachtfeld der Liebe, Eva Mathes, HPD vom 15.7.21
Szenischer Flickenteppich in musikalischem Ozean, Konstantin Parnian, IOCO Kritik vom 14.07.2021
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光の当たる汎欧州女性

2021-07-17 | 
木曜日の夕方のちょこちょこと走った。同じ駐車場にバーベキュウの準備を持って来ている人を見ると大違いだと我乍ら思う。短い距離で誤魔化しただけだが、それでも高度差が180mは必ずしも容易ではない。ビルに換算すると60階建てぐらいを駆け上がることになる。途上誰にも合わなかった。前を渡って行ったテンのような長いものだけに出合えた。雨上がりだからかもしれない。少しだけヤナーチェックの「女狐」を思い起こす風景である。

相変わらずペースは上がらないが、往復して汗を掻いてみっちり30分走っただけで良しとしよう。体重も73.5kgと落とせる態勢になって来ている。なによりもその前にアイスボックスを持って肉屋に寄って、走って帰って来て一時間の外出内での行動に関わらずである。以前のパン屋に行っていた時は一時間でそれほどの運動は出来ていなかった。効率はとても良い。更に夕方の走りは心臓に負担を掛け難い。これも健康の為にとても良い。但しビールを引っ掛けると直ぐに死んだように眠ってしまう。

日曜日の200年祭を迎える大歌手のポリーン・ヴィアルド-ガーシアがバーデンバーデンと深い繋がりのある重要な音楽家だと知った。7月18日にパリで、三人兄弟のスペインの歌手の音楽家族の末っ子として生まれた。兄は歌の先生で後に咽頭鏡の発明者で、姉のマリア・マリボンでベルカント唱法のプリマドンナだった。

ピアノはリストに習い、姉が早世した後にその後を継いだメゾソプラノである。ジョルジュ・サンドは彼女を称して「政治のそれが起きている一方、彼女が芸術で革命を起こしていた。」としている。先ずは、子供の時から家族の興行について行ったので、音楽興業のなにもかも抑えていて、ドイツ、英国、ロシアなどで歌手として活躍した。祖国フランスではマイヤーベーアのオペラやベルリオーズとの協調作業でグルックのオペラ上演で名を成している。そして42歳で旦那であるルイ・ヴィアルドとバーデンバーデンに家庭を持って、テュルゲーエフとの協調作業が始まっている。

オペラ歌手としてだけでなくコンサートでサロンで、ピアニストとして作曲家として活躍。その興味はその多重言語力から各民族の音楽を使っての編曲やコマーシャルソングまでにと幅広い活動をしていたようだ。つまり、スペインのボレロ、イタリアのカンツォーニ、フランスのロマンス、メロディー、シャンソンを、モリエールからゲーテ、ハイネ、プーシキン、コルゾフ、フェットのテキストと幅広く作曲している。ブラームスは彼女の為にアルトラプソディーを書いた。

そして1870年のプロシアとフランスとの戦い。ドイツではあまりにもフランス風過ぎて、フランスではドイツ風過ぎて、ロシアではそれらしくないと、マルティカルチャーの狭間に嵌って仕舞ったようだ。そして今新たに汎欧州の女性として新たな光が当たる。



参照:
上手に使われた少女慰安婦像 2021-07-12 | 文化一般
それから最初の週末 2021-07-10 | 女
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欲しい衣装合わせの時間

2021-07-16 | 文化一般
来週の準備を始めている。その次の月末の方が重要なので、特に中継となると映像に記録されてしまうので遡って衣裳も考える。とは言っても夏のミュンヘンのフェスティヴァルでは限られる。ザルツブルクの八月などになれば南欧の影響が強いのだが、七月で終わるのでそれ程ではない。

月末は最も年間で暑い時期。出来るだけ涼しい井出達としたい。四日間の予定なのでやはり予備も入れて二着分は準備したい。カメラが入る日は二回だが、やはり悪目立ちはしたくないものだ。永遠に残って笑いものになってはいけない。シャツの汚れの首輪までは分からない筈だが、なんとなく薄汚れた感じも嫌である。

色合いとかは、「サロメ」と「トリスタン」も同じデザイナーだけに共通点はある。サロメの赤の原色使いにそれに加えてレモン色のようなのが対応している。可也色彩豊かだが、以前の「影の無い女」、昨夏の「エレクトラ」とはまた異なる。もう一つそのデザインのコンセプトなどがよく分かっていない。

来週になって古い白いシャツを受け取って、汚れが綺麗に落ちていれば予備として使える。来週にもう一度それを着ても良い。

時間があったので買い付けておいたSSDにMintをインスト-ルした。お任せパーティションなので、あとで困るかもしれないが、先ずは順調に動いて欲しい。予定通り30分以内で基本動作は確認できた。何よりも音を出したのだが壊れていた右チャンネルが正常になって、ノイズキャンセリングイヤフォーンの接続も上手く行った。しかしキーボードは接続できなかった。ブルーテュースが古いタイプだからだ。

そしてシステム完成にはまだ時間が掛かるので、Win8に戻した。するとどうだろう問題だったスピーカ―の音割れが直っている。ハードでは壊れていなかったとなれば当然なのだが、機械制御のUNIXのLINUXの特徴を改めて感じる。やはり機械制御はそれに近い言語でなければ駄目である。逆になぜWin8では音が割れ出したかなどを推測している。

一週間前になったので抗原検査の予約も二つ加えておいた。前日にやるのと当日朝一番でやるのと、既に予約してある開演前にやるのとの三種類だ。出来れば早めに済まして後の時間に余裕を置きたいが、現時点では未だ旅程を最終的に決められない。

衣裳序でにマスクも新たに発注した。まだ当分は必要な様子になって来たからだ。同じ使うなら機能的にも使い易いものがいい。更に大きさとかその仕上がりも良いと助かる。



参照:
死ぬほどに退屈な哲学 2021-07-01 | 文化一般
寛ぎの衣裳チェック 2021-06-27 | 文化一般
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