Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2021年5月

2021-05-31 | Weblog-Index



昨夏と比較してみる 2021-05-31 | 暦
誘う夏の夜の音楽 2021-05-30 | 音
陽性が出ない抗原検査 2021-05-29 | 雑感
必要な基本戦略微修正 2021-05-28 | 生活
バイロイトからストリミング 2021-05-27 | 文化一般
王羽佳の名は体を表す 2021-05-26 | 女
林道に思わず足をとられる 2021-05-25 | アウトドーア・環境
ハイジャックされる 2021-05-24 | 音
赤い国を生きた女性 2021-05-23 | 音
抽選の配券結果を待つ 2021-05-22 | 文化一般
ポストモダーンを区切る 2021-05-21 | 音
勘を戻して行かなければ 2021-05-20 | 雑感
国境いの向こう側へ 2021-05-19 | アウトドーア・環境
極右の横分けで公職追放 2021-05-18 | 文化一般
ホームオフィースからメール 2021-05-17 | 文化一般
女性週刊誌的感慨 2021-05-16 | 女
復活祭以外には期待しない 2021-05-15 | 文化一般
世界一の歌劇場再開 2021-05-14 | 音
劇場再開第一弾公演 2021-05-13 | 文化一般
待てないティーレマン去就 2021-05-12 | 文化一般
コロナ禍終了への工程 2021-05-11 | 文化一般
金券をすっかり使い込む 2021-05-10 | 生活
先ずはブクレットを開く 2021-05-09 | 雑感
最も注目される指揮者 2021-05-08 | 女
ヤッパリ生に限るのだが 2021-05-07 | 雑感
漸く見えてきた今夏の状況 2021-05-06 | 文化一般
再開は容易ではあるが 2021-05-05 | 文化一般
プレコロナへの幻想 2021-05-04 | マスメディア批評
再びアルテオパーへの券 2021-05-03 | 文化一般
95%フィルターの意味 2021-05-02 | 雑感
五十人でも代えがたい 2021-05-01 | 音  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨夏と比較してみる

2021-05-31 | 
寝起きに背骨や腰骨などが痛い。全快ではない。咳が出るようになったのは花粉ではないかと思うが紛らわしい。林道の砂利にはピステが入っていて走り易くはなって速く走れそうなのだが、頑張り程の成果は無かった。どうもストライドだけでなくピッチが下がっている。上りで160超え程度で、ゴールの最高速で175spm、心拍数は最後の182まで上げただけで、平均158は抑え過ぎか。しかし下りでは160以上をキープしている。

歩幅が一向に伸びないので、先ずは最初の柔軟を変えてみる。そしてバウンディングとされる走り飛びのようなものをやってみたい。何かコツが掴めるだろうか。最近は走る前に準備体操を五分ぐらい入れているので暖気になって心臓にはいいだろうが、時間が掛かる。

今晩のミュンヘンからの中継は昨年二月の「ユーディト」以来初めての本格的な中継オペラ放送となる。観客が入っての上演中継はあれ以来であろうか。間に二つほど何かあった気もするが観ていない。今回は初演以来の新制作「リア王」で、亡きデートリッヒ・フィッシャーディスカウの代表的な舞台だった。だからその亜流を自認するゲルハーハーがこの役で出るのはとても楽しみである。

そして今回から新陽性者指数が50を下回って落ち着いたので検査の陰性や接種の有無が不問にされる。殆ど陽性の出ない抗原検査とは言い乍我々の様に遠方から出かけるとするとそれはそれで大きなプレッシャーになっていた。それへの保険も出来ているぐらいで、旅費だけでも馬鹿にならない。

出かけるつもりでいたが、改めて考えると旅行自由化が遅れていて、日帰りで出かけるとは言っても宿泊の可能性がある位でないといけない。バイエルン州での宿泊は自由化しているようなのだが、余り推奨される時期にはなっていない。その目標値の指数20は妥当であろう。

昨年の夏季の状況は指数は一桁台だった。それでもザルツブルク音楽祭に対して州から「危険だからスポーティーに行動する必要がある」として物議を醸しだした。要するに昨年は、新陽性者指数も桁が違いに少なく、十万人中の死者数も一桁の州や地域が多く、現時点での日本よりも死者が少なかった。しかし今は十倍ほどになっていて、日本は丁度その途上にある。

なるほどテストの数も違って指数の意味も変わっていて、なによりも死亡者数も減少となった現在においてそれ程留意する必要は無い。しかし、こちらのより重要な六月末からのオペルンフェストシュピーレを考える時、ここは少しでも人流を下げるために協力して、来週にでもの実施の判断に好影響を与えたいと思う。

先ずは放送を観聴きしてその新制作の完成度の高さを吟味しようと思う。新聞評はまだ読んでいないが、買券状況からそれほど熱くはなっていないような気もする。何よりも指揮者のサラステがどれほどの腕を振るっているか確かめたい。



参照:
菜食男に負けない 2020-02-08 | 女
トウモロコシはまだか 2020-08-08 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誘う夏の夜の音楽

2021-05-30 | 
朝一番で出かけるとポストにCDが突っ込まれていた。新聞配達が改めて嵌め込んでくれていたのだろう。プラスティックケースでないことは知っており、雨も降っていなかったので心配要らずで銀行からパン屋へと回った。

晴天で気持ちよく、摂氏一ケタ台の空気と陽射しが嬉しい。走り出しながら聴く予定のマーラーの交響曲七番を頭に描くが、途中で三番と混同してしまう。思ったより複雑な構成になっていることが分かった。

今年始めて、バルコンに机を出して朝食とした。日本の販宣ヴィデオで見ていたように異常に分厚くはなくて、普通の厚さだった。色合いも春というよりも夏である。

一先ずざっと流してみた。なによりも気が付いたのは、管弦楽団の特に弦の座付楽団らしい付け方がとてもよく、想定していなかったのは木管が頑張っていて、フルートからオーボエ、コールアングレ、クラリネット、バスクラリネットへとその吹いている顔が浮かぶほどだ。それ程にしっかりと表情が付いている。

副主題の思い浮かばなかったテーマや音程跳躍のフレージングがこれまた座付の巧さでとぎれとぎれに音楽的に発声されて四分の四拍子の中でも切られているのが、聴いたことが無いような息絶え絶えの今にも過呼吸で発作が起きるような効果は、今迄はチャイコフスキーの五番のフィナーレでしか聴いたことが無い音楽表現である。ここだけでも、彼のクレムペラー指揮の超低速の演奏実践と比較可能だ。そのクレムペラーこそがアルバン・ベルクとマーラーの助手として初演への楽譜の最後の仕上げをしたと書いてある。

この交響曲の特殊性は、そうしたそれまでの交響曲からして突飛推しも無い跳躍以上に、その音色旋律的な扱い方の画期性にあると思うが、今回の生録音の最大の利点はそこにある。

それも音色を追求したというよりも二楽章の最初の「夜の音楽」におけるトリオのユダヤ音楽的な色合いとかが、ベルリオーズの「野の風景」と比され軍楽マーチに続く主部以上に明快に示されていて、主部へ戻る下りはあまりにも素晴らしい。ここがまさしくピエール・ブレーズやアバド指揮とは到底比較できないところで、漸くバーンスタインのルネッサンスを抜け出せた証左と言ってしまってもいいかも知れない。

いつものようにホルンも素晴らしいのだが、心配のトラムペットも修正も効いているのか吹かすようなことも無く、まだトロムボーンも健闘している。幾つか不鮮明な印象を覚えたところのある金管楽器に関しても弦楽のその奏法からすればバランスが取れているのだろう。

ベルリナーフィルハーモニカーが、ブクレットの中に写真のあるバービカンホールでの実演を聴いて「私達も早くあのように演奏できるようにようになりたい」と語っていたが、その阿吽の呼吸と共に座付的な柔軟さ若しくは一鎖に感興を乗せる合奏法は中々修得は難しい。

四楽章の二つ目の「夜の音楽」の問題となるマンドリンの響きもギターとのアクセントの明晰さでまさしく音色旋律を示していて、作曲家の狙いは明らかとなる。

その他音高を使ったダイナミックスの付きかたなど、この演奏にして初めてその楽譜の真意が知れる。なにも印刷間違いとか和音の付け方だけに楽譜の読みの極意があるのではないいい例である。

終楽章のその速さには呆れるが、どれほど飛ばしても他の指揮者よりも恐らくクレムペラー指揮よりもその内容は明らかで、明暗の対照だけでなくて、考えられる限りの繊細な感受性が、全てのスケールの音色的な表現の中で為し得る演奏は他に類を見ない。

昨年の「千人の交響曲」も今年の第九交響曲演奏会もコロナで吹っ飛んで仕舞ったことに再び胸が痛む。やはり「トリスタン」での最後の指揮はどうしても聴いておきたいという気持ちにさせる記録的な録音である。なぜカルロス・クライバーがヴィーナーフィルハーモニカーでなくてこの座付楽団を最も愛していたかのその歴史的な意味もここに聴き分けることが可能だろう。



参照:
必要な基本戦略微修正 2021-05-28 | 生活
初夏に向かって考慮 2021-04-15 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陽性が出ない抗原検査

2021-05-29 | 雑感
相変わらず背骨や腰が痛い。筋肉痛と言いよりも舗装道路を無理やり走った感じに近い。ふと見ると変異株でのコロナ症状で関節に来るとあったが本当だろうか。既に四、五回感染していて今度もそうだとすると明らかにコロナ_3.0である。体調が悪かったのは砂利道を走ったというよりもコロナ感染でおかしな調子だったという方が肯ける。肺の調子も悪く、寒い時のような頭痛もある、そしておかしな咳が出た。昼間に襲われる眠気も尋常では無かった。

地元の指数は低かったが、換気の悪そうな肉屋などでは簡単にうつる。最初からそうである。無症状の人は曝露量が多くても無症状であることもあり得るのだろう。

それでもドイツにおける抗原検査では殆ど陽性が出ていないのであるから、無用の長物で、余程ウイルスを出している人でしかPCR検査でも陽性にはならないのかもしれない。要するに健康な人にとっては質の悪い風邪引きでしかない。道理でこの二三週間は寒かった。それも来週から本格的な夏となりそうである。

ここワイン街道は十万人中の陽性者指数24.9、ミュンヘンも30.4と6月第一週に20以下になる見通しが出てきた。すると6月12日までに劇場の定員を増加できる方向へ動くだろう。可能性が出てきた。一方週末に69のスイス入出国が進展する様子が無いのでこちらの方が予定が立てられない。

ベルリンのフィルハーモニーは6月から半数を入れることが発表されたが、バーデンヴュルテムベルクのバーデンバーデンの祝祭劇場昨秋の500人が許可になっていないので、強く再考を促している。七月にはバーデンバーデンも指数20を割るだろう。コンサートとオペラの相違はその上演時間の長さと休憩の有無である。

食事を済ませてからフランクフルトからのリーダーアーベント中継を観た。マルリス・ペーターセンがお色直しを何回もして生中継ではないと直ぐに分かった。この辺りも金の掛け方が影響する。どうしてもミュンヘンと比較してしまう。

凝ったプログラムでご本人の思惑がよく出ていた。出来は若干凸凹があった。また自身の語りと言葉で全体を運んでいたのだが、我々彼女のシュヴェービッシュ訛りファンにはいいかも知れないが、ショーのようなものを期待するとまた違う。

勿論その中でもリヒャルト・シュトラウスであると歴史的な歌唱を思い浮かべたり、マルシャリンへの批評内容などをどうしても考えてしまう。この辺りが盲目的なファンには慣れない者の厄介なところで、可成り厳しい聴き方をしてしまう。

リストからアーンやデュパルクへとフォーレとフランス語の歌謡に続いて、再びレーガー、ヴォルフ、レッスラー、そして最後にマーラーの光で終えた。この曲も得意にしていたゲルネの歌唱とどうしても比較してしまう。そして余計にペーターセンは上手いなと感心してしまうのである。最後先日ミュンヘンでカウフマンが歌ったヴァークナーの「夢」がアンコールになっていた。この歌手がマルシャリンを越えて次はどの方向へとレパートリーを仕上げていくのかとふと思った。

YouTubeの視聴数は94と伸びなかった。バーデンバーデンに比べて明らかに弱いのだなと思った。確か三分の一かの会員を失ったのはフランクフルトだったと思う。決して悪い聴衆ではないのだが、街の性格柄結構薄情な感じが強い。
Liederabend: Marlis Petersen und Stephan Matthias Lademann




参照:
勘を戻して行かなければ 2021-05-20 | 雑感
世界一の歌劇場再開 2021-05-14 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

必要な基本戦略微修正

2021-05-28 | 生活
ミュンヘンからメールが入った。思ったよりも早かった。理由は配券した数が圧倒的に少なかったからだろう。

断り書きには、

「トリスタン」、「ガラコンサート」までで、最終的な決定がなされていなくて、現時点では配券不可か

それとも

上記二つ以外の中小劇場での公演は減員に対して多大な希望があって抽選で選ばれたので、希望が叶えられなかったというものだ。

言い替えると、先に書いたように大劇場を使ってのその他の公演は増員されない限り開催されないという事で、中小劇場での公演はそもそも数が出ない。

6月12日の一般発売の時まで待ってその時点で増員つまり現在の700人に対して1000人入場可能となれば、希望していた券が入手できる可能性があるでしょうという事だ。成程700人の座席は列を間に空けているので、そこに積み込めば更に半数ほどの増加は可能になるようにしてある。

その目安となるのは、十万人中の新陽性者指数が20を割った時となるだろう。現在ミュンヘンは34.9なので不可能ではない。しかし同州のメミンゲンなどは140とホットスポットになっている。車でも一直線のところだから州都が影響を受けないとは限らない。

すると、今回は限られた演目、オペラにおいては新制作のみを上演という事は有り得る。バイロイト同様である。つまり6月初めの時点で決定していないと再演は有り得ないが、「トリスタン」の増員はまだまだ直前までは可能である。これは個人的に期待している。

しかし最初の予定は他の催し物を含めての戦術なので、矢張り多くの人が動くほど余剰券も出てくる可能性が高い。兎に角盛り上がらない。BMWが主催しているPVなど最後の公演はその関係で入手可能であるが、今回に限ってはBMW関係者への配券も限られているだろう。最高級新車を注文したぐらいでは到底貰えない。その他のヴァークナー協会などへの配券なども多くても三分の一で本当に門戸が閉ざされている。

昨晩新リリースCDを発注した。28日からの予定だったが、既に発送済みで上手く行けば明日28日に入手可能となった。遅くても土曜日には音出しが出来るだろう。ミュンヘン行の準備は当分できそうにないのだが、少しづつ準備をしておかないと駄目だ。販売予定が12日になったので、ヴュルツブルクのモーツァルトフェスト参加はこれで殆ど難しくなった。

来週6月に入ってから暑くなりそうなので、週明けの床屋の予約を入れた。前回は3月初めだったから、殆ど三ヶ月伸ばしたことになる。今回サマーカットで、もう一度8月初めぐらいに行ければいいだろうか。



参照:
バイロイトからストリミング 2021-05-27 | 文化一般
抽選の配券結果を待つ 2021-05-22 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バイロイトからストリミング

2021-05-27 | 文化一般
バイエルンの放送局BRクラシックがバイロイト市の文化局責任者にインタヴューをしている。来月から本格的な稽古に入るバイロイト音楽祭に関してである。

先ずは、先日来流れていた資金的援助はベルリン政府からは出ていたが、その数倍の額を市から出すと言っていた話しは決まっていなかったどころか、難しいだろうという話しである。ベルリンは人数削減での収入の埋め合わせとして百万ユーロを出すとしていた。

つまり1800人の入場料をざっと計算すると平均150ユーロとしても一晩当り270千ユーロの穴が開く。百万ユーロでは三晩分の穴埋めにしかならない。

予定表では27晩とかの予定だったので、市が援助する額も数倍必要だった。到底予定プログラムの実施は難しく、決定しているのは7月25日に新制作「オランダ人」で初日を開けるという事でしかない。

それも空調の無い会場なので全員がテスト陰性か接種終了で初めて入場可能となる。それでも言われていた234人どころか200人迄という数字が新たに出たので、より厳しくなる可能性がある。事実上無観客で新制作ものを一晩限り上演して、僅かばかりの観客を入れるのが精々とした予測は正しい。

即ち再演で赤字を出す様な価値はないので、それらの公演は中止になるだろう。同様の事は同州の全く経済基盤の異なるミュンヘンのオペルンフェストシュピーレでも起こりそうである。バイロイトの場合は経営収入の65%が売券収入なので、開催されない限り倒産とされていて、今回も損失は有限責任会社バイロイト音楽祭の株主の負担となる。連邦政府、州政府、バイロイト市、ヴァークナー音楽祭が負債を別け合う。支払えない場合はやはり倒産である。

同時に決定している「オランダ人」ではその代りにパブリックヴューイングと映画館での上映、ネットでのストリーミングが約束される。毎年ラディオ中継されていたバイロイト音楽祭初日からの初めてのネットストリーミング中継が行われる。

また長期計画として、バイロイト祝祭劇場150周年記念が企画されつつあって、2026年にはバイロイト再開に因んでベートーヴェンの第九演奏会で幕を開けるとされている。連邦政府が資金を出している改装も完全に終えるという事なのだろう。

今年連邦文化大臣ギュルタースがバイロイト音楽祭の構造改革を求めて、元祖音楽監督についていたクリスティアン・ティーレマンを諫めて、ヴァークナー家の位置付けを明確にすることを要求した。これで辻褄が合うだろう。有限責任会社の負債の問題はどうなるか未定であるが、恐らく2026年の開幕指揮者にはキリル・ペトレンコしか適任者はいないので、その年から完全復帰となるのだろう。

相対的にヴァークナー協会の決定権は薄まって来るものと予想される。先頃その原点であったマンハイムの協会の理事長が亡くなった。明らかに時代が、その構造が変わって来ている。



参照:
定員の三割入場者に賭ける 2021-04-17 | 文化一般
音楽監督ティーレマンの去就 2020-12-29 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

王羽佳の名は体を表す

2021-05-26 | 
2017年のヴィーンでのリサイタル中継が再放送されていた。ユジャワンのリサイタルで、咳払いなどはコロナ禍前の雰囲気で気が付いたが明らかに玄人さんが沢山入っていたと思う。

ショパンの24の前奏曲から始めて、ブラームスのヘンデル変奏曲へと後半に繋がるプログラムは聴き応えがあった。ショパンに関してはもう一度じっくりと聴き直したいが、ブラームスのそれの見事なこと、音を流していてこれ程の演奏は嘗てのポリーニリサイタル中継ぐらいしか思い浮かばない。

番組の紹介にも書いてあるように、軽やかな足取りとあるが、それと同時にしっかりした音が響き渡っていた。まさしくここが本格的なところで、同じ女性ピアニストでも上手に弾く人は幾らでもいて、それこそ同じ門下のランランでもパランパランと弾くには変わらない。しかしここまでニュアンス豊かに弾けるロシア系のピアニストも知らない。

番組ではアンコール一曲目のスクリャビンの嬰ヘ長調の紹介時に北京でのロシア流派の先生やその後の教育からしてロシア楽派のピアニストとしていて、中々この番組のディレクターはセンスがいいと思った。

シューベルトの「グレートヒェン」のリスト編曲を持ってきたり、御馴染のプロコフィエフの「トッカータ」、シューマンのスペイン歌曲の編曲、またショパンに戻ってバラード一番ト短調、そして最後はユジャワン編曲の「カルメン」で締める。

ここまで行けば彼のホロヴィッツを思い浮かべない者はいない。ソロコフのようなアンコールか本プログラムか分からないような内容でなくて、とても小股の切り上がった気の利いた都会的なリサイタルになっている。しかし満足度は充分だと思う。

未だに協奏曲以外ではデュオ演奏会しか聴けていないのはこのピアニストへの市場の認識が低いことによるものでしかないが、逆にリサイタルを無暗にツアーで回るとプログラムが出来上る前に質が落ちて来るに違いない。

番組でも紹介していたが北京のバレーの母親だけでなく打楽器の父親とある意味とてもエリートな環境で、カナダからカーティスへと最高級の教育を受けているのだが、ああいう売り出し方をしたので更に本人の気性もあり大きな誤解が生じているのだろう。そもそも満州人のランランとは比較のしようがないのだが、同じゲリー・グラフマンにフィラデルフィアで学んだということが余計に混同させている。

そもそもその名前を比較すればよい。片や王羽佳と如何にも玄人らしい名前を親が付けていて、片や郎朗である。出生とかで人を評価したくはないのだが、この差は大きい。逆にあまりにも良過ぎる名前で片方はなかなか覚えられない。簡単に日本のミドリの様にワンワンと芸名を名乗ればよかったのだが、あまりにも勿体ない本名だったので、異なった判断をしたのだろう。

今夏ルツェルンの音楽祭では、昨年やるべきだったカラヤン二世のギリシャ人に代わって、今年の殆どメインのタレントとして扱われていて、またそのアルゲリッチに代わってベルリナーフィルハーモニカーと共演してデビューした経緯からとてもスイスとは縁が深い。

ランランもスイスを本拠地としようとした様子がありそうだが、ワンの方は遅かれ早かれスイスを拠点とした活動になると予想される。



参照:
ピアニストに女王はいるか 2020-01-20 | 文化一般
雪辱を果たす様な気持ち 2019-09-20 | 女
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

林道に思わず足をとられる

2021-05-25 | アウトドーア・環境
ハムブルクのエルフィーからデジタル国際音楽祭中継を観た。ベルチャ弦楽四重奏団がヴィオラのタベア・ツィムマーマンらを迎えてブラームスの二曲の六重奏を室内楽ホ-ルで演奏する。

先ずは第一番変ロ長調作品18で左から四重奏団のいつもの第一、第二、そこにゲストのツィムマーマン、ヴィオラ、ゲストのチェロ、チェロ奏者と並んだ。

しかし休憩後の第二番ト長調作品34では、二人のゲストが四重奏団の同楽器の位置と替わり、右端のゲストのチェリスト、三番目にツィムマーマンが入った。粋なことをするのかと思っていたら、やはり音響が変わっていた。それ以前に書法が違うのが分かった。

ブラームスの一番は交響曲でも協奏曲でもなんでも同じくとても力んだ一番と開放された二番の対照がここにもあって、二番はバーデンバーデンの住居だったリヒテンタールの女性Agatheの音名が使われていると初めて知った。
Das Belcea Quartet spielt Brahms II | Internationales Musikfest Hamburg


ここ暫くは走りも低調である。理由は様々その時によって異なるが、なによりも峠へ上る道にも沢沿いにも林道に砂利が敷かれて、走ると数センチの積雪の上を走っているのに近い。だから同じ区間を走っても筋肉にも腰にも堪える。それ以上にスピードに乗らない。苦しんでも記録も出ないとなるとどうしても意気が下がる。

理由は、世界的な木材高騰がその背後にある。世界中の建築ブームで価格が150%上がるという事は、林業に於いてその分奥まで切り出しに行っても経済性が担保できることになる。つまり林道を整備する予算も相応につく。少なくとも砂利などを乗せて、大木唸切り出しのトラックが通りやすくするのは当然の公共投資である。

感覚的にもそれぐらいは砂利が持ち込まれて林道にばら撒かれている。陥没などが大きくなったところはいずれ崩壊してしまうのでこうした機会に予算を掛けておくのは合理的である。

こちらは勝手に林道を走っているだけなので受け容れるだけだが、経年変化などをどうしても考える。確かに砂丘を闊歩するのと同じで足腰は鍛えられるのだが、最初の時の数日経った時では全然状況が変わっていて、まるで本格的にトレイルランニングしているような対応に迫られる。なによりも疲れが残る。昼間に眠くて仕方が無くなる。

そのような塩梅で切り出し作業の時は倒木危険の林道閉鎖が行われるので、今回は例年と異なるのかどうか?上の想定からすると、寄り切り難い場所へと動く筈なので幹線の区間は例年ほどではないとも考えられるが、さてどうしたものか?

ミュンヘンからのメールがまだ来ない。断りメールは未だこれからだ。しかしSNSを見ても当たった人は二三人いるかどうかで、4200席からの報告としてももう少しあっても良いと思う。一般的に初日から後ろへと一つづつ籤を掛けて行く。多くの人は希望日を後日にも掛けているので、二日目は敗者復活となって倍ほどの競争率となる。つまり初日の高価な券の当選確率は、たとえ多くの招待席が除かれたとしても、それ程高くはない。そして同じように三日目から五日目へと敗者の数が増えていく。よって、一挙に抽選を終えてという事ではない筈なので、もう少し当たる可能性を期待したい。お断りがあればあるで次なる方法を模索するのだが、現状ではそういったところである。兎に角早く日程を決めてしまいたい。



参照:
医療崩壊への感染拡大 2021-04-16 | 生活
シュヴェツィンゲンから中継 2020-10-25 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイジャックされる

2021-05-24 | 
アテネからリテュアニアのヴィルリスに向かうライアンエアーがハイジャックされた。中にはKGBのエージェントが乗っていたとされる。強制着陸をミンスク上空で指示されて、搭乗していたルカチェンコの反体制派のジャーナリストを強制逮捕する為だった。

昨日伝えた反体制派のコレンスニカーヴァが政権の触手から逃れる為にウクライナへの国境で拘束された件と全く同様にやり方である。今回の件の民間機を強制的にどうしようかという遣り口でベラルーシ政権の危険性が世界に知られたと思う。

さもなければプーティン派とそれに反対する「西側」の援助を受けた勢力との小競り合いとしか見られないかもしれないが、まさしくこの冬にもルカツェンコがソチを訪れてプーティンとスキー場で過ごしたように、同様に危険な傀儡政権であることは明らかだ。

勿論ロシア側から見れば、ウクライナでと同様にNATOやEUの圏内に収まってしまうと、猛威になることは当然であるのだが、やはりこうした政治手法は看過できないだろう。

聖霊降臨祭初日の午前は、早朝からクリーヴランドからの放送を立て続けに聴いた。シカゴ交響楽団をピエール・ブーレーズが2011年に指揮したプログラムとニューヨークフィルハーモニカーをベルント・ハイティンクが2012年に指揮した両実況中継の録音が流された。

前者は想定内の演奏で、先日ベルリンで同様のプログラムを指揮した制作録音のCDを購入していたので、それ以上に驚く内容では無かった。しかし後者は完全に想定を超えての名演だった。そう思うのは、今は引退してルツェルンで悠々自適の指揮者が最後まで熱心に振っていたブルックナー七番は生も聴いているからで、それらと比較可能だからだ。中継されて評判だったヴィーナーフィルハーモニカーとの最後の七番指揮と比較すれば最早比較の対象ではない。

インタヴューでハイティンクが話しているが、テムポが必ずしも遅ければよいというのではなくて、民族音楽的な軽快さも欲しいが、まさしくここでも成功していて、自ら素晴らしいという一楽章も大成功している。その細工仕掛けの機関車のロッドが上下する様な音形が取られているがそれらがしなやかに動く感じが素晴らしい。生で聴いた最後のチュッリッヒのトンハーレでの演奏はそこまでスイスの精妙な機械仕掛けのようには演奏が出来なかった。ヴィーンではそうした軽やかな動きはしない。

二楽章の唐草模様の第二主題もこれだけ綺麗に髭文字のように撥ねた感じはニューヨークの弦ならではで、殆ど理想的な音化だと思う。ヴィーンの座付楽団ではいつも街で見られているような青年趣味の安物の模様しか描けないのである。まさしく、演奏行為に芸術があるとすればそれが出来るかどうかにかかっている。

三楽章においてもその動感は見事であって、こうして演奏されると疾走する機関車のスピード感とその線路脇の牧歌的な風景そのものである。指揮者もここは分かり易いだろうと語る。蒸気機関畏怖のブルックナーである、

指揮者自ら語るように、確かに四楽章は短過ぎるので、そのフィナーレをどのようにモニュメンタルに終えるかが指揮者の課題だとしていた。それが見事に解決されているのがハイティンクの七番で、これを聴けばなぜあそこまで拘ってこの曲で最後を飾りたかったがよく分かる。

そしてなによりもこれだけの楽団だからそのどちらかというと荒い感じがした指揮の妙技を聴かせてくれたと思う。この録音はこの指揮者の代表的な実況録音となるのではないかと思われた。欧州のどこをでもここまで弾き込める楽団も無く、それどころかクリーヴランドやフィラデルフィアでは無理だ。現在のシカゴなどは残念ながら到底及ばない。

またはこの番組でこれだけの演奏が流れた記憶が無い。昨年生で久しぶりに聴けなかったのが残念であるが、到底昨今の指揮者ではここまで弾かせられていない。最後に聴いたのがマゼール指揮だと思われるが、現地の評でもそれ以上に素晴らしく楽団が鳴った歴史的なことと評されていた。
Bruckner Symphony No. 7, New York Philharmonic, Haitink




参照:
赤い国を生きた女性 2021-05-23 | 音
ネット署名の楽友協会 2020-09-15 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い国を生きた女性

2021-05-23 | 
シュトットガルトで昨年上演された新制作「ボリス」、28日水曜金曜日までオンデマンドで流されている。早めに観て、講評を書こうと思ったが、画面を観ている時間が無い。そこで手っ取り早く新聞評を読んだ。フランクフルターアルゲマイネ新聞の編集者が書いている。今まであまり知らない人でジェルスティン・ホルムという人である。とてもコムパクトに纏まっていて、とても参考になった。
#OpertrotzCorona: BORIS | Staatsoper Stuttgart

#OpertrotzCorona: BORIS (English subtitles) | Staatsoper Stuttgart ー 英語字幕版


音だけは流した。先ず、音楽については、プーシキン原作ムソルグスキーの原典「ボリスゴドノフ」にノーベル文学賞アレクシエーヴィッチ原作ネヴスキー作曲「セカンドハンドの時代 ― 赤い国を生きた人々」をモンタージュしているが、とても気が利いていた。プーシキンでも面倒なのにアレクシエーヴィッチとなるとお手上げで容易には見通せない。

それ故にこうして我々よりも見識のありそうな人が舞台を観てのジャーナルはとてもありがたい。音楽学も学んだ人であるのは記事を読めば分かった。しかし伝えて欲しいのはそこではなく、決して内容的に容易ではない上演の反応も「一部の人にはあまりにも過剰で熱狂にブ―も混ざっていた」と纏めている。

ノーベル文学賞の女性のその民衆を代表する視点が新たな作曲によってムソルグスキーの横におかれたものを網付けているとしている。それもミンスクから見たソビエトの崩壊から、そして作曲家の父親世代がプーティンの独裁を生み出した、自身をドイツへの移民とした失望のロシアへの視線として描かれるとなる。

これだけのことをしっかりと説明している。余談であるが、これこそがジャーナリズムで、文化ジャーナルで劇場ジャーナルなのである。
What happened to Belarus opposition leader Maria Kolesnikova? | DW News


そして、演出や歌手に関しても必要な評をして、指揮者のエンゲルの仕事は、管弦楽の声部と色彩に表出させて、それでもムソルグスキーのエッジや鋭さが出ていたと。しかし注目されるのは、どちらかというと急がない「ボリス」としてあって、これは音を流していて気が付いたと同時に嘗てのエンゲルの指揮を思い起こさせるに十分だった。

まさしく筆者が書くように、現代音楽を得意として振ってのその色合いと同時に独特の音楽の流れのある指揮者でそれでもエッジが欠けない。最後に聴いたのはダルムシュタットでの声楽の入った曲であり、その時にもこの方面で活躍することは予想された。

実はちょうど同じころミュンヘンでは「ユディート」と名付けられたオクサーナ・リニヴ指揮で大成功裏に中継された。その内容的な難易度も異なるのだが、しかし共通点も無くはない。二人の年齢は三つ違いで、エンゲルの三つ上がキリル・ペトレンコである。つまりウラディミール・ユロウスキーよりも三つ下だ。

多言は弄しないが、秋のフランクフルトでのデビューにも期待したい。音楽監督タイプかどうかはなんとも言い兼ねるが、その指揮する音楽はとても魅力的で、ドナウエッシンゲン音楽祭での活躍と共にチューリッヒに戻るにはまだ時間はありそうなので、南西ドイツでもう少し活躍して欲しい。

まさしく公立の音楽劇場というのは、なにも話題になったキリル・セレブニコフだけでなく、昨年ティテュス・エンゲルからメールを貰ったように仲間で行方不明になったマリア・コレスニカーヴァの釈放のことでの署名運動のお誘いだった。今それを振り返ると、まさしくこのプロジェクトの作曲家セルゲイ・ネヴスキーが筆頭にある。

最新のニュースによるとそのシュトットガルトでマネージメントとフルート奏者であったコレンスニカーヴァは十二年の罪で投獄されている。ベラルーシの市民革命の中心に居た人物である。そのニュースでこの作曲家のネヴスキーが扱われるように、「ボリス」はまさに活きたプロジェクトだったことが分かる。公的劇場は、真っ当な芸術活動とはどのようなものでなければいけないか、ここでも明らかで、それを芸術として文化としてどのように伝えるかがジャーナリズムの仕事である。



参照:
#void„BORIS“ AN STUTTGARTER OPER:, Unser Christentum hat Fäuste, KERSTIN HOLM, FAZ vom 5.2.2020
1922年の室内管弦楽曲 2020-10-18 | 音
天使が下りてくる歌劇 2020-09-29 | 音
ネット署名の楽友協会 2020-09-15 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抽選の配券結果を待つ

2021-05-22 | 文化一般
ミュンヘンの新制作「トリスタン」の配券が終ったようだ。最も競争率の高い演目から捌かれる。あとのものは当選すればついて来る。そう思って再確認すると、コロナの影響でオペルンフェストシュピーレの中から14演目しか開催が決定していない。理由は様々だろうが、配役と規模や合唱の問題などもあるのかもしれない。

オペラは、新制作の二つで、もう一つはプリンツレゲンデン劇場での「イドメネオ」。それ以外のオペラは一先ず未決定。

それ以外には大物歌手のリサイタルやバロックコンサート、オペラステュディオ発表会、バレーなど、アルテピナコテックどころかキュヴィリエ劇場での催し物も含まれている。つまり劇場の空調とかは関係無しに、再演ものは全て未決になった。

現実的には配券に抽選しないでもいいような演目はそこには含まれていない。

逆に言うとこれら14演目は万難を排して上演しようという事だろう。最大700人収容なので、そもそも儲けは薄い。再演は無理して行わないでもいいという事かもしれない。

そもそも例年の様に世界各国からの訪問者を集めてとまでなるかどうかは疑わしい。個人的には今回のリストの中で発注したのは僅か三枚である。対象の公演の全部で4200席の中から三席確保できれば大当たり。競争率を考えれば一席確保できれば幸運だろう。1400席の一席である。

今日か明日かとメールを待つことになる。当たっていればメールが週末にでも入る筈だが、外れているともう少し待つことになるかもしれない。

外れの場合の手筈もある程度は考えてあるのだが、これだけ規模が小さくなると、遠方からの訪問は少なくなるのだが、マスも無くなる。

同じ州のバイロイト音楽祭の方は空調設備が無いので235人しか入れられないという事で、既にバイロイト市は数ミリオン、連邦政府は1ミリオンを足して4ミリオンを支払う。それで開催が可能になればという事だが、ミュンヘンでも再演が無くなるとすれば、勿論音楽祭も新制作公演と演奏会形式での上演しか可能ではなくなるだろう。

ミュンヘンは残りの券を6月12日に出すというが、決定分は殆ど売り切れになるので、それ以外をどうするかとなる。其の侭他の再演演目が上演されないという事があるのかどうか。そうなれば軍資金に余裕が出て来る。様々な想定をしておかないといけなくなる。

ザルツブルク音楽祭は、聖霊降臨祭が開かれいる。それに合せてドイツからのザルツブルク入りがクルツ首相のトップセールスに夜って実現した。その中でコンサート形式「トスカ」を歌う筈だったアニャ・ハルテロスが下りて代わりにアナ・ネトレブコが入ったことが注目される。ハルテロスは昨夏のザルツブルクでさえ「コロナが怖い」として断念した歌手であり、勿論フクシマ禍以降日本には飛んでいない。そうした人がザルツブルクへの国境を越えなかった。既に始まっているミュンヘンでの「トリスタン」で共演のヨーナス・カウフマンはそこを抜け出して「トスカ」で歌う。勿論こちらはヴィーン在住で接種を済ましている。

今後想定される動きは、接種のグリーンカードなどの話題の様に、その云々での取り扱いである。当然のことながら義務化されていない接種の有無によって出番が変わっては裁判で訴えられる。しかし、ヴィーナーフィルハーモニカーの様に密に奈落で演奏しようとすればやはり手っ取り早い。その代りの処置として検査の機会が与えられている。既に企業の医師が接種をすることは推進されているので、7月にはドイツでも医局にワクチンが配給される限り接種の可能性は増えて来る。しかし一方では接種を拒否して更に極一部にはテスト拒否の者まで裁判に訴えているので、最終的にはそれらの制限や、マスクの着用義務なども逸早く無くなることが憲法上重要とされている。

英国が変異株感染地域世界の十ニ地域目に指定された。ドイツへは居住者以外は日曜日から入国禁止となる。



参照:
世界一の歌劇場再開 2021-05-14 | 音
再開は容易ではあるが 2021-05-05 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポストモダーンを区切る

2021-05-21 | 
ベルリンのストラヴィンスキーシリーズ第三回、音楽監督ユロウスキーのお話しが相変わらず面白い。先ずは年上のリヒャルト・シュトラウスとの比較をしてみる。その存在を20世紀のネオクラシズムの先例とする。主に作品「エーデルマン」で知られ、「ナクソスのアリアドネ」で成功に導かれたものであるが、先にミュンヘンで「ばらの騎士」が公演されそこで出てくるイタリア人歌手はそのものバロックのそれであった。

保守的な装いをしながらも20世紀の作曲家であったとして、その一方そのバロックモドキはブラームスからのそれであったり間違った装飾であったりする。その様をクープランの曲を土台とした作品から、シュトラウスのそれをところどころ修正しながら演奏した。とても面白い企画である。

二曲目には「ブルレスケ」を持ってきて、先ずはそこでピアノを弾いたブッフビンダーが80回も弾ているとある。またストラヴィンスキーはサヴァリッシュ指揮で演奏した様だが、まさしくヴェテランピアニストである。「ティムパニーが最初から目立って、ピアノはその間に弾くだけだよ」と、特別な指使いのエヴェレスト登山のような沢山の音符を弾く。
Im Gespräch mit Rudolf Buchbinder


また、秋からのバイエルン州の音楽監督就任について抱負が語られた。既に二回のクローケによる管弦楽縮小版による「ヴォツェック」と「ばらの騎士」の成果がとても大きな期待に繋がっているようで、更に「ヴァルキューレ」も間隔を空けずにペトレンコ指揮で演奏されて、「リア王」も奈落での練習が始まっているとして、秋からは代行案を考えずに上演されるだろうことを喜んでいる ― なぜここでペトレンコ指揮と間違ったのかに注目!。

ストラヴィンスキーは「プルチネッラ」の全曲が演奏された。普通は組曲しか演奏されないので、それなりの意味はあった。ユロウスキーは、一般的にはこの曲はネオクラシズムの先端と捉えられているが、そうではなくてポストモダーンの先駆けとしている。同様の見解は「ばらの騎士」新制作時にも語られたが、まさしくポストモダーンとカテゴリーして歴史化するところで、我々の時代がそこから漸く次の世界へと動いていることを実感させる。
Einführung von Vladimir Jurowski zum Konzert Strawinsky x 6: III „Pulcinella“ am 20. Mai 2021


具体的にはコムポニストというのは文字通り組み合わせる仕事であるが作曲家は発見者としていたこと、そして全く異なったニュアンスを与えた作曲とバロック素材を使った創作だとしている。
Probe zum Strawinsky-Festival - „Pulcinella“ mit Vladimir Jurowski


さてこの無観客演奏会、コンセプトもしっかりしていてその放送のお話しも取り分け素晴らしいのだが、演奏自体ももう一つ練れていない。ベルリンでのこの手の仕事はまだ暫く続けるのだろう。但し、バイエルンでの音楽監督の仕事はそうした音楽学的な興味をくすぐるだけでは成立しない。ミュンヘンの皆が期待しているのはそこであって、音楽的に充実した成果を上げて貰いたい。

さて我々の当面の関心は、ミュンヘンの新シーズンに何が準備されているか?どうも「ばらの騎士」は6月には間に合いそうには無いが、これがどこで本格的になされるのか?新制作「サロメ」も九回しか演奏されないので、劇場としての十八番として再演が待たれる。

前者は、マルリス・ペーターセンのマルシャリンは欠かせないので、大編成公演が可能となった時に直ぐに日程を入れられるかどうか?「サロメ」は一番考えられるのだが、ここにアスミク・グリゴーリアンを入れる可能性は無くはない。問題は再演では大物歌手のデビュー公演としては物足りない。

また以前にユロウスキーは、最初は期待されるようなロシアものなどは持ってこないとしていたので、比較的珍しい作品を持って来るのではなかろうか。ルイジ・ノーノの新制作などが期待されるが、さてどうなるか?

少し体調が悪い。胸の重みだけでなくて、視神経にも来ている典型的なコロナ症状である。血圧も上がっている感じがしてよくない。ここ暫くなぜか体重が増加していておかしいと思っている。運動量も足りないのは分かるのだが、それほど元気ではない。週末に完全復調を期待したい。



参照:
見事な手綱の捌き方 2021-03-23 | マスメディア批評
夢のような倒錯した舞台 2021-03-22 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勘を戻して行かなければ

2021-05-20 | 雑感
フランクフルトの市立オペラ劇場再開の話しが出っている。火曜日の会見で秋からの新シーズンのプログラムと共に支配人から発表された。既に新陽性者指数100を下回っているので、再開は想定通りだが、新制作プーランク作「カルメレ修道会の対話」で6月中旬以降としか発表されずに、コンサート形式の「アリアドネ」とがプログラムに上がる。

準備を充分にしていなかったという事だと思うが、室内楽編成への編曲は出来上っているようなので、人員的な配置が遅くなっているのだろう。こちらからすれば、家のボイラーの設置の期日となによりもミュンヘンの配券が終らないと日程が定め難い。今週末に決まって呉れると有難い。

新シーズンは、昨年の様にオクサーナ・リニヴが振る訳でも、アスミク・グリゴーリアンが出る訳でもないので、さてどうかと思っていたら、友人のティテュス・エンゲルがデビューとあった。シュトットガルトでは現在オンデマンド中の「ボリス」など大成功しているようなのだが、フランクフルトは初めてのようだ。何を指揮するかというとニールセンの「マスケラーデ」で嘗て偶然に購入したLPで馴染みのあるオペラ作品だ。恐らく、お国のデンマークでの録音は可成り古く保守的な解釈演奏だったが、幾らかは異なる面が聴けるのだろうか?10月末からの事で、都合が着く時に是非出かけたい。

もう一つ同時期に昨シーズンにヨアンナ・マルヴィッツが指揮したバリーコスキー演出「サロメ」の再演を振る。こちらは明らかにマルヴィッツの指揮にも問題があり、丁度コロナ禍へと向かっている時で不発に終わっていた。エンゲルの指揮で成功するものかどうか、注目される。

少なくとも今回公開されてオンデマンドになっているマルヴィッツ音楽監督の新制作「オルフェオ」での指揮や編曲の腕を見ると、こちらも不発に終わっていそうである。試みの意図は分からぬではないが、玄人筋にも膝を叩かせるぐらいの合点がいかないと駄目である。最終的には音楽性が問われることになる。本当に芸術の世界の結果は嘘はつかない。昨夏のザルツブルクでの大成功はとても幸運だったのだが、失敗も多いのはよく知られていて、実力通りの結果となっている。

フランクフルトでは、月末に無観衆の歌曲の会がある。マルリス・ペーターセンが歌い、YouTubeなどで世界中に放映される。前回のミュンヘンでの「ばらの騎士」マルシャリンでのデビューの歌唱は絶賛されたが、それでも歌詞よりもフレージングと批評された。その意味からも、選曲にもよるのだが、歌詞の扱いが注目される。勿論ご本人も幾らかは意識しているに違いない。

その方では最も有名なのは名バリトンのフィッシャーディスカウだが、録音を重ねるその都度毎その言葉の響きや色合い若しくはとその変化と苦心の点が色々と評価されたものだった。まさしく、ルネッサンスから論争があるように「音楽が先か詩が先か」の永遠のテーマとなる。

我々も少しづつ再開に向けて実演での勘を戻して行かなければいけないと思う。聴衆もホームオーディオ音響に悦に入って遊んでいてはいけないのである。



参照:
まだまだ遠い目標点 2021-03-28 | マスメディア批評
天使が下りてくる歌劇 2020-09-29 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国境いの向こう側へ

2021-05-19 | アウトドーア・環境
走ってからの返りに写真を撮った。パン屋のある住宅地へと下りて行くところだ。十年近く通っているのに先日初めて坂を下りる途中に前を向いたら目に入った山波に驚いた。先ずは高く見えたのと間近に見えたからだ。坂を下りる時の錯覚だと直ぐに分かったのだが、なぜ今までは気が付かなかったのか分からない。直線距離で40㎞以上はある筈だが、中々こうして身近に見えたことは無かった。季節とか陽の方向とかあるにしても、週に最低三回はそこを通り続けている。

推測すれば、正面に見えるのはルートヴィッヒスハーフェンを越えてのオーデンヴァルトで、ハイデルク城からネッカーを越えた反対斜面の哲学の道の山波を北へ30㎞程歩いて行ったところだろう。だからどうしても途中の工場の空気の濁りが邪魔をしていたのだと思う。少なくとも今は透明度が結構高い。三月に記録的に暖かく、四月に記録的に寒ければ空気の対流も大きかったのだろう。

まるでシュヴァルツヴァルトの谷に住んでいるような気がした。高度は精々標高600m程で、途中のライン平野からの高度差もさして大きくはない。

バーゼルの国境が近辺住人に対して買い物の為に開けられるようになってきた。そこはローラッハになるので新陽性者指数93.6と高い。しかし双方50へと落ちてくるようになると完全に開けれるだろう。バイエルン州も21日から観光目的の宿泊が可能となる。現在のミュンヘンが53.8で来週ぐらいからテストからも解放されるかもしれない。但し遠方から出かけるとなると万全な状況になるのを待ちたい。ここワイン街道も小さな上下はあったが47.5と自由化の第一歩を踏み出す。引き続きクラスタが起こらないことを願う。

EU内で接種証明の扱いが議論されている。域内で接種証明をどのように使うかであって、それによって域内の移動を保障することになる。それならば接種していない者はいちいちテストが必要になる。接種証明を導入すれば同時に海外からの接種者にも門戸を開くことになる。

ドイツ国内にも倫理的に接種者や接種証明への問題点が指摘されていて、接種者にマスク着用免除などは許されず、そもそもマスク着用自体が基本的人権に抵触するので、開放するならば全てだとの観点からすれば、当然帰着点は分かっている。

つまり海外からの観光客などにも接種証明の有無に係らず、多くの人を受け入れなければいけないという基本が存在する。問題はその期日だと思われる。

その前に国内旅行の自由化、EU内の自由通過、海外旅行の自由化の三段階となるが、金曜日からバイエルン州のホテルが開放になり、水曜日には既にオーストリアとの国境が開いている。但しテストなどの証明書が必要になるのだが、6月から完全にテストなど関係無しに国境が開かれることが予想される。



参照:
劇場再開第一弾公演 2021-05-13 | 文化一般
怪しくなる10月の予定 2020-09-13 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

極右の横分けで公職追放

2021-05-18 | 文化一般
中部ドイツ放送局は、先週の約束通り、クリスティアン・ティーレマン解雇問題を扱う。今回は同州のもう一つの中心地ライプチッヒのゲヴァントハウス管弦楽団の支配人シュルツにインタヴューしている。先週金曜日にはドレスデンの音楽大学の理事でティーレマンを指揮科の名誉教授として受け入れたケーラー氏にインタヴューしていた。

後者は月曜日のフランクフルターアルゲマイネ新聞にこの件でインタヴューされた記事が掲載されている。金曜日のインタヴューでは何を言うかと聞くと、結局自身のプロジェクトでティーレマン-シュターツカペレ-音大の三和音に不協和音が響く様で、芸術性とか言いながら、結局指揮科とシュターツカペレとの関係などが潰されて、またリヒャルト・ヴァークナーが「不思議な縦琴」と名付けたシュターツカペレの音響の研究もティーレマン指揮でとかいう焦点の定まらない論拠になり、最終的には政治的な判断に口出し出来ないとなって、一体何が根拠なのかも曖昧になっていた。元歌手出身で演出家、シュターツカペレの支配人になってという経歴の人の弁である。

新聞では幾らかは自身の考え方を整理していたが、それでも薄弱な意見を述べている。管弦楽団の特殊性をして、例えばベルリンの様にラトルとの関係をとことん突き進めて終わりにするという事がティーレマンとの関係でもまだまだこれから必要だったとしているが、ただのオタクの推薦の辞にしかなっていない。

二十年以上ティーレマンウォチャーをしているので政治的云々は少なくとも表に出ていることに関しては最早誰よりも知っていると思うが、その芸術的な評価つまり違う視点からの評価を聞いてみたいのである。あまりにも馬鹿らしいのは「我々エリートの評価が一般に受け入れられない」というような発言をしていて、高級紙で何一つも核心を述べられない「専門家」がエリートな筈が無い。まさしくここで擁護者が言いたい肝がこれである。

その核心は一度でもティーレマン指揮の演奏を体験したなら分かることで、それが中々浪漫音楽表現としては結実しないことも玄人ならば直ぐに分かる。ネオロマンティズム表現も曖昧模糊とはそう易々とは成立しないのである。

その点、ゲヴァントハウスのシュルツ支配人の受け応えは明晰明快である。質問の楽団とオペラ劇場の関係に話が振られると、ライプチッヒではそれどころかカントールも係って三つ巴で更にややこしいが四週間に一度皆が顔を合わせるとあった。ここまで行くと、ゲヴァントハウスのカペルマイスターのネルソンズがゼムパーオパーと兼任するという事の可能性が否定されていないことに気が付く。

公共放送としては、両論を並べてティーレマン信奉者にも聞かせる内容としているが、関心を持つような聴者にとってもこうして意見を並べるとその歪さに気がつく様になっている。

ウォチャーとしては、正直今回の政治的な決断には驚いたが、その芸術的な価値の評価という事でとても興味を持っていた。そして今回の様に一斉にメディアがとんでもない叩き方をするようになるとたじろぐところがある。一連の政治的な制裁は、クリスティアン・ティーレマンのドイツ連邦共和国での公職追放に等しい。私が知る限り表に出ている情報ではもちろんそこまでの仕打ちを受けるまでの事は無い。内務省が隠された証拠を握っているという事を示すだろう。

横別けの髪形は極右のそれで、髪型を変えても駄目だ。もはやドイツの舞台では仕事が無くて、請負仕事以外は好きな東プロイセンで気持ち良く過ごせるだろうと書く者もある。南ドイツ新聞の記者でdpaに投稿している人である。

個人的にはその政治姿勢を追求してきたので、髪型やその人物像まで批評する心算などは無かった。それどころか芸術性という事では実現する為の本人の能力を低評価していても決して軽く見ていたのではない。しかしこうして信奉者の言葉を聞くと、まさしくこの指揮者の明晰でないその裏に何かがあるように見せようとするポピュリスト政治家などが取る態度と共通のものをそこに見つける。要するに中は空っぽなのだが、何かが詰まっているように見せるようなハッタリでしかない。



参照:
待てないティーレマン去就 2021-05-12 | 文化一般
骸の上で商売をする 2021-04-18 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする