Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ハイブロウなCDボックス

2020-10-10 | 文化一般
ペトレンコ指揮五枚組CDボックス。装丁は芸術的だと思ったが、ブクレットはまだ目を通していなかった。まず最初にキリル・ペトレンコの楽曲の紹介がある。今迄も座付管弦楽団との欧州ツアーそして日本ツアーなどに同様の文章が出ていた。

今回のエディションは、現時点での協調作業のスナップショットとしての記録であると、同時にゲマインシャフトへの起爆剤でもあるとしている。

次期シェフに推挙されてからの最初の「悲愴」は、お互いの緊張の中での、その高まりがここでも感じられると思うとして、それはエネルギーの源泉のように今日に迄効している、そして、その時は自分自身を育んだロシア音楽をプログラムに挙げることも将来を示すものとしてとても大切だったと回顧する。そしてこの間に五番も取り上げて、更に四番を以ってチャイコフスキーの後期の交響楽に弧を描いたいと期待する。サローンに於けるロマンティカーの後塵としてからチャイコフスキーを解放して、彼のパーソナリティーの分裂を音楽表現した、彼の恐れや希望を音にして、幸せな人生を全うとすることを不可能とした運命へのそのような抗いに突き動かされるとしている。

フランツ・シュミットの四番は、ヴィーンでの学生の時代から好きな作品に含まれて、そして不公平にもあまり演奏されない作品の中の一角を占めていると語り、シュミットはマーラーの対極にある作曲家で、チャイコフスキーのように彼の音楽は個人的な様相を示していると。この四番は、惜別の音楽の様で、殆ど管弦楽のレクイエムであって、トラムペットで始まりトラムペットで終わる、「あの世に持って行く音楽」とシュミットが書いている。長い間楽団でも演奏していなかったので、楽団にもベルリンの聴衆にも知って貰いたいと思っていたという事で、この盤によってより広い音楽愛好家の心を揺るがすことを嬉しく思うと書いている。

ルディ・シュテファンをまだ十分に知られていない評価されていない重要な作曲家だと考えていて、彼が第一次世界大戦で28歳の命を落とした時に二十世紀初期の有望な作曲家のキャリアーが唐突に終わりを迎えた。残念にも僅かの作品しか完成させなかったが、その全ては音楽的に最高水準だった。彼の音楽の名前が忘れ去られることの無いようにと願う。

ベートーヴェンの音楽は、ベルリナーフィルハーモニカーにとって本質的であり、楽界が記念する250周年に於いては取り分けである。第九交響曲には人類のその偉大さと危うさに棲くう全てがある。遠くはるばるに人類の正直な姿を伝えるならば送るべきなのはこの作品だと、デモーニッシュなもの戦闘的なものも深く戴く愛と同時に内包している。それは人間的なそして破滅的な人類の終生の生性である。ベルリナーフィルハーモニカーの指導者として自身の時代をこの作品以外で始めることなどはないとはっきりしていた。幸運にも、その少し前に七番の交響曲を録音していたことから、ここで協調の重要な柱の一つとしてこれを選択するにあたったと全曲についての言及を終える。

各曲には初演の日時場所、フィルハーモニカーにおける初演日時や指揮者、また楽器編成が記されていて、資料的な価値だけでなく、メインストリームのメディア商品から大きく隔てている。それどころか、続く各曲の解説も全体の交響楽の歴史を俯瞰する中で六曲を結び付けていて、全体のプログラムをコンセプト化している。そして続くエッセイは、社会学的な見地からオペラと交響楽演奏会そして近代音楽のフォームとしての交響楽と弦楽四重奏を対比させながら、その中にオペラ劇場の奈落から舞台へと上がったペトレンコと、その管弦楽団と指揮者のあり方、更にこのコロナの時代を暗示考えさせる高尚な文化エッセイとなっている。

私の知る限り、このボックスは、今までベルリナーフィルハーモニカーが呈示した最も新鮮な記録であるとともに、最も高尚な制作となっていて、全体として知的な好奇心をも決して失望させることは無いだろう。



参照:
本物の一期一会の記録 2019-05-13 | マスメディア批評
満足度が高いこと 2020-10-05 | 文化一般

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 強制退去のつがい | トップ | 身体に力が漲るか »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿