Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2022年10月

2022-10-31 | Weblog-Index


時計の針を戻すとき 2022-10-31 | 暦
「可笑しな劇」の現実性 2022-10-30 | 文化一般
一足先の蝙蝠の歯 2022-10-29 | アウトドーア・環境
苦みの残る「愛の学校」 2022-10-28 | 音
25周年記念の祝祭劇場 2022-10-27 | 文化一般
まだまだ黄金の十月 2022-10-26 | 暦
週明け朝一番の電話 2022-10-25 | 生活
ワークシェアーの工程票 2022-10-24 | 暦
ナチ資料館の隣家の展示 2022-10-23 | 歴史・時事
夜の歌のレムブラント 2022-10-22 | 音
蘇生のボストンサウンド 2022-10-21 | 文化一般
エリートのルツェルン音楽祭 2022-10-20 | 文化一般
三大氏神下しへの可能性 2022-10-19 | 文化一般
透過性を上げる試み 2022-10-18 | 暦
猫も招くコンニチワ 2022-10-17 | 音
YouTubeで演奏会紹介 2022-10-16 | 文化一般
ミュンヘン行の代わりに 2022-10-15 | 生活
吹かされる黒い森の心理 2022-10-14 | アウトドーア・環境
プロパガンダの管弦楽 2022-10-13 | 歴史・時事
縁の無い放送交響楽団 2022-10-12 | 文化一般
ミュンヘンの放送楽団 2022-10-11 | 女
いつの間にか宣伝に 2022-10-10 | 歴史・時事
第一回カザルス賞授与式 2022-10-09 | 文化一般
ドイツの上に開く窓枠 2022-10-08 | 雑感
ピアノ付きの演奏会アリア 2022-10-07 | 女
名曲もイントロ当てクイズ 2022-10-06 | 文化一般
頭のどうも冴えなさ 2022-10-05 | 文化一般
基礎となるのは環境 2022-10-04 | アウトドーア・環境
引き寄せられた街の様子 2022-10-03 | 雑感
味無しのカボチャの実 2022-10-02 | 料理
天才だけのオペラ指揮 2022-10-01 | 文化一般



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時計の針を戻すとき

2022-10-31 | 
ワインを回収に行った。2021年産のグランクリュである。三本しか発注していなかったが、それも漸くで回して貰った。収穫量が限定されていたという事だが、やはり毎年購入する人には優先させるだろう。しかし2020年産は珍しくパスしたのだった。その分、追加で購入した2020年産の先落としの葡萄からの「雑食砂岩リースリング」は通常通り6本購入していた。

態々既購入分の数を調べて貰ったのは、試飲させて貰って、そのまだ開いていない味筋を確認したからだった。印象からすると2019年よりも酸がある感じがした。似ているという話しだったが、恐らく果実風味が強いのだろう。まだ明けられないが来春を過ぎればどんどんと9本開けれるので助かる。同時期に2022年産を試飲して購入も可能となる。

そういうことで日常消費用のその下のリースリングが売り切れていた。9本購入して残りは二本ぐらいである。これで新しい2021年産を二年間寝かし、2019年をゆっくり片付けて、同時にグランクリュの古いものも空けていける。

来月は地元のミッテルハールトの試飲会に行くので、その時の買い物も脳裏にあった。そこでも日常消費用のリースリングも試すのだが、簡単に開けて尚且つ楽しめるものはない。規模からすると少し大きいぐらいでそれ程の醸造所ではないのだが、やはりオーナー自体が熱心にやっているのではないので、どうしても量産的な味筋になってしまうのだ。しかし少し寝かしておくものになるとそこそこの土壌からこれはこれで楽しめるものがある筈だ。

勿論、前記醸造所で今年になってから21本購入したことから考えれば、6本から少しぐらいしか購入しない。その半ダースが選べるかどうかだけである。軽食も出るので選べない程で苦労するならば良いのだが、どうしても他の醸造所などとの比較になるために品質が秀でていなければ買えないのだ。

木曜日の疲れがやはり土曜日にも残っている。腰は走っても張りがあって自由な動きを邪魔して、脚も疲れている。肩は凝っていて、指の爪の横がささくれたりしている。まだ上の力などは使い切っていないので、そこには来ていない。先ずは筋肉を使って軽い燃焼を起こさせるぐらいでないと、力が入る様にならないと思われる。背筋にも張りがあるので、少なくとも運動をして、事初めにはなったと思われる。

但しデスクに座っていても眼がしょぼしょぼとして眠たくなる。土曜日から日曜日で時計の針が一時間戻されるので一時間長く寝れることで調整が出来たらいいと思う。先ずは2018年産のラインガウのリースリングを開けて、ゆっくりと薄肉でも食したい。

気温は車に乗っていても外気温が20度を軽く超えるときがある。10月末としては最も暖かい感じがする。窓拭きが済んでいてよかった。太陽の恵みを万全に感じられる。



参照:
なかなかいい味わい 2021-08-13 | ワイン
示唆に富んだミラノの講話 2021-02-07 | ワイン
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「可笑しな劇」の現実性

2022-10-30 | 文化一般
承前)音楽劇場公演であっただけに様々な評が出ている。これこそがモーツァルトの音楽がクラシカルな音楽が芸術が今日の劇場にその社会に活きていることを証明している。同劇場が前回日本で引っ越し公演した時に同行した記者マルコ・ファイが異なる角度で批判、疑問を呈している。州の機関紙に書いている。

舞台上にセットとして使われたBMWの大きなSUVを問題にしていて、これは公的な舞台での隠れた広告ではないかと持ち出して、厳つく決して環境に優しくない車であるとまで書いている。そして今日において嫌がられるライフスタイルのデカダンスをグローバルパートナーのBMWが体現している事への疑問である。

勿論の事、この演出においては最終的な劇の苦みと共にあるそうした現実、つまりここでは性欲以外の物欲としてもよいのかもしれないが、必ずしも肯定否定の中では捉えられない。しかし、飽く迄も社会的責任感のあるドルニー支配人のもとでエリート層が可能な豪華さが舞台で示されている事への懐疑である。

これをして枝葉の批判とするべきかどうか。同時に軍隊が出兵する合唱においてもウクライナ紛争における批判的な視線が必要ではなかったかと迄書いている。これも演出家が本年二月を越えてそれだけの修正が出来ないことぐらいは分かっている筈だ。そして、決定的に舞台で描かれる女性像が埃の被ったもので1790年の域を出ていないのではないかとしている。

ここでの指摘は、実はこの演出における効果の裏側にあるもので、どれも欠かせない言及であったろう。これを裏打ちするように、生中継放送番組の休憩時間にはドラベラとグリエルモ役の歌手のペアーがカメラの前の座談会に出て話していた。特に興味深かったのは、舞台上での芝居とその裏での差異を登場者同士で話し合っているという点に関してであって、まさしく世界的なテノール歌手などがMeTooで訴えられた件にも関係している。芝居の世界ではよくあることなのだろうが、オペラにおいてもこうした話しが話題になるのも珍しい。これもまさしくこの演出がなぜデーヴィッド・リンチの映画の様な効果を受け手に与える音楽劇場になっているかの説明でしかない。

なるほど、前記の様なライフスタイルを映像化舞台化するというのがハリウッドの映画の手法でもあるのかもしれないが、こうした危うく舞台落ちになるような話題もリアリティーを以って聴衆にも受け止められることがこの音楽劇場制作としての本望でもあるだろう。

再三再四の繰り返しになることかもしれない。しかしダポンテオペラに於けるモーツァルトの天才はそうした透徹した眼にこそ宿っていて、それなくしてはこのような人の心理を音楽で描けることなどはなかったのである。

子供の時から旅芸人の様に引っ張りまわされての大人たちの世界を貴族の社会を具に観察していたその眼である。しかもそれがこのようなダポンテの荒唐無稽で非道徳とまで批判を浴びる台本による「可笑しな劇」から舞台上演としてリアリティーを以って呼び起こされることは殆どなかったのである。こうした音楽劇場的な効果に依ってしか天才モーツァルトのその視線は浮かび上がらないのである。(続く

新制作生中継録画オンデマンド(英語歌詞字幕付き)
Bayerische Staatsoper COSÌ FAN TUTTE (EN)




参照:
Klamauk mit Schleichwerbung, Marco Frei, BSZ vom 28.10.2022
ダポンテの最後の啓蒙作品 2020-08-07 | 文化一般
宝物館とならぬ音楽劇場 2022-09-12 | 文化一般
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一足先の蝙蝠の歯

2022-10-29 | アウトドーア・環境
コロナ以来初めてボールダーに出かけた。否、その前三年程の2017年以来かもしれない。コロナ期間中に出かけようと思ったのだが、車が動かなくなったらどうしようかなどを考えて、二年経った。結局五年程触っていなかった。一か所を見たのだが、岩の周りが掃除されているようで、この間に林も一部手が入って足元もよくなっていた。

それでも有名な岩の間にこうもりが寝ていたことからすれば、それほど訪問者が多いとも思われない。これだけ天気が良くても誰も見かけなかったので、不思議にも思った。

兎に角、そこに出かけて、マットを広げて靴を履き替えてが結構面倒なのだが、更に手も足も出ないとなると落ち込む。簡単なところで試したが、やはり力が入らなかった。これでは通常のクライミングも簡単なところしか登れない。平素使っていない神経が先まで回る様に複数回通わないとやはり駄目である。来週になると天気が悪くなりそうだが、足元が開いていて、南向きの場所ならばまた天気の良い時に試せるだろう。踵を引っ掛ける所に蝙蝠の宿も見つけてしまったが、冬になるとまた動いてくれるかもしれない。

力も入らず、新しい綺麗になっている岩を見つけて試してみた以外は成果がなかった。一時間程経ってから、その奥で走ることにした。初めてのコース取りだったが、往路15分まで岩の下の斜面の林道を走って、戻ることにした。どのあたりを走っているのかよく分からなかった。だからハイキング道の道しるべがあったので決めた。下の城への途上の路で、後で調べるとそこの斜面の下りだすところまで来ていた。海抜460m程のところで少し尾根筋のようになっていて車で走ると浮いた感じになる所で今の紅葉の時期には殊に気持ちがよい。往復で28分だった。但し林道にしては足元ももう一つで、4キロも走れなかった。それでも一時間半の中で一通り運動できたので、今後の参考になる。出来れば週の真ん中はこれぐらい運動したい。

準備体操から柔軟体操になるので、これで翌日の筋肉痛が少しでも解消されれば嬉しいのだが、その後遺症によっても今後の予定が変わってくる。腰の張りになっているのだが、様子を見てみよう。

郵便桶にミュンヘンからの封書が入っていた。火曜日までに払い込むかどうかで決断してというのがあったのだが、払わなかった。だから勘違いで結局送り付けたのかなと思った。それでも構わないと思った。こちらの希望に沿っていたからだ。それでもそうした猶予を持たせた意味も考えた。少なくとも席が無くなる訳ではないので、出来れば安い席を買えた方がいい。そう思って開封すると、その直前に購入したティケットで完全に忘れていた。それは18ユーロの立ち見席であった。こちらも椅子の方がよかったが安ければ仕方がない。

ボールダーから一っ走りして尾根から街道筋に降りてくると、ローマ人のブドウ園の背後の段々畠が綺麗だった。嘗ては斜面でそのように作っていたのだが、作業効率化からスロープが殆ど担ってしまった。最近は環境を考えたリヴァイヴァルで各地で石を積むところも増えている。



参照:
冬至に春の息吹きを想う 2007-12-23 | 暦
三大氏神下しへの可能性 2022-10-19 | 文化一般
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苦みの残る「愛の学校」

2022-10-28 | 
本シーズンの最初の新制作公演の生中継を観た。ミュンヘンから新制作「コシファンテュッテ」だった。珍しく多くの時間をモニターの前で過ごした。それでも音を聴いてちらちらと様子を観ていただけであるが、劇場効果は伝わった。

先ず音楽的には成功していた。現音楽監督が指名されたその一つの根拠として、前任者、前々前任者のキリル・ペトレンコとズビン・メータの二人共が三大氏神のモーツァルトで成功していなかったからだ。それをして、BRのノイホッフ氏は、高給取りの指揮者の中でモーツァルトを指揮できる人はごく少数としている。

そこで、ヴラディミール・ユロウスキーの指揮は高く評価された。初めての作品指揮だったようだが、古楽器奏法や楽器を活かしながら ― 先月の「魔弾の射手」を思い出させるが ―、大劇場に一杯に通るだけの音楽を提供していたと思う。楽器配置も弦の後ろに管楽器を並べて、その音色配合を上手に使っていた。まさしくその音色のグラデーションこそがモーツァルトを現代の大劇場へと広がる音響としていた。その点は、ティテュス・エンゲルが外部の古楽奏法に慣れた楽団を用いて敢えて野卑な音を求めていて対ロマンとしていたのとはやや異なり、ユロウスキーの語る「ややもすると最後にロマン派への掛け渡しになっていたとは 絶 対 言わないが、」とする視座の音化に成功していた。

ユロウスキーはその美学的な定義付けの上手な指揮者であるのだが、それが必ずしも演奏実践として成功するとは限らない。その意味では、これまでの新制作二作「鼻」と「ルーダンの悪魔」での狙いよりもシムプルに達成していた。

そして終焉後の批評にもあったのだが、今迄で最長の公演時間だったというように、通常の短縮を元に戻して更にテムピを落としていることから19時開演で23時終了となったのだ。そこで批判されるように上手くいったが全てではなくてと、まさしく主役ペアーの二つ目のフィオルディリージが陥落する場面はまだまだ良くなる可能性があった。実際に開演前には相手役のフェルナンドのコロナ陽性からの回復における体調不十分が伝えられていたのだった。

しかしそのフィオルディリージを歌ったルイーズ・アドラーは、モーツァルトのメッカで歌うだけの実力があって、ドラマティックな声だけに高い声は延びないのだが、それを補って余るだけの表現力は更に重い嵌まり役で今後世界を制覇するだけの歌唱力を聴かせた。勿論大スターのゲルハーハーも、中継中に語られていたように嘗ては劇場のアンサムブル団員だったフィッシャ―ディスカウを超える演技と歌唱で、また妹ペアー役の現団員の歌唱と共に流石にオペラの殿堂だけの高い水準の歌唱だった。

そして演出も喝采で迎えられたように、デーヴィッド・リンチのような終結と語る映画監督で、芝居からオペラに入ってきたベネディクト・アンドリュースの制作として成功していた。完全に音楽劇場として音楽も芝居も機能していた。なるほど評論家のティーレ氏の語る様に、指揮共々モ―ツァルトの瀟洒さが犠牲にされていたというのがあったが、演出が変われば音楽も変わる。一番大切なのは聴衆がその劇の中に引き摺り込まれる効果によって初めてモーツァルトの音楽のその本質に触れていく可能性があることである。その意味ではまさにこの苦みの残る副題「愛の学校」を後にする聴衆への効果は十分に想像できた。音楽劇場の勝利である。(続く
COSÌ FAN TUTTE - Was begehrst Du?

Trailer zu COSÌ FAN TUTTE

Cosi fan tutte an der Bayerischen Staatsoper




参照:
三大氏神下しへの可能性 2022-10-19 | 文化一般
音楽劇場の舞台設定 2019-11-20 | 文化一般
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25周年記念の祝祭劇場

2022-10-27 | 文化一般
券を追加購入した。トリフォノフがフィラデルフィア管弦楽団と共演する両日のもう一つを見逃していたからだが、実はどちらを購入したのか分かっていなかった。どうも月曜日に急いで押さえた時に売れ行きのいい方を先に手を付けたようで、その場で判断したのであった。

だからパガニーニの主題と協奏曲四番と混同していた。勘違いしていた四番が演奏されるラフマニノフの交響曲二番のプログラムの売れ行きがいい。だからそちらを購入していて、パガニーニの晩を購入していなかった。一時はしくじったかと思って、悪い席からの選考に四苦八苦していたのだが、パガニーニの方は未だ席の選択に余裕があった。無事適当な券を買えた。

来年11月の最初の週末なので、極東旅行前のアルテオパーのベルリナーフィルハーモニカー壮行演奏会とダブルブッキングになっても一晩は行けて、一晩は捨てれる。万全である。両方行けるとなると通わないといけない。でもそれだけの価値があるだろう。

来年のバーデンバーデンの一年は25周年として開催される。目玉は、復活祭の「影の無い女」でしかないが、11月のフィリーと7月のメトの公演はやはり出かけたい。昨年までに流れたメトの公演は月末だったので、ザルツブルクなどとバッティングしていた。それで個人的にも買えなかった。しかし来年は月初めなので既に日程が明らかになっているミュンヘンとバッティングしない限り決定できるのだ。恐らく二晩出かけるつもりである。まだ席に余裕があるので次に狙う。

その他のオペラ歌手としてアナ・ネトレブコ夫妻のガラコンサートなどもあって、その方面では賑やかそうであるが、逆に室内楽でもう少し目玉がない。ピアニストも常連のソロコフなどで全く大したことがない。

暮れは常連だったペテルスブルクからの楽団やバレー団の代わりに、ミュンヘンのバレー団が入っている。夏は時期をずらして先ずはメトが入るが、来年以降はクロンベルクの欧州室内楽団がネゼサガン指揮で何かやるのだろうか。恒例でレコーディング企画があるのだから、その練習がてらにオペラや演奏会形式をやるのが効率的だろう。

また流石に秋のムジカアテルナも外され、クレンツィスもペトレンコと並べられていたが、今や十両落ちネルソンズやらハーディングに続いて廃業寸前なので、ロシアものが落ちてしまっている。その穴埋めは再来年以降となりそうである。注目されるところでは、ミュンヒナーフィルハーモニカーを振るのがソヒエフで、もしかすると既にプロジェクトが動いているのかもしれない。あるとすれば夏の間のフィルハーモニカーで、オープンエアーを終えた七月だろうか。

指揮者のヘンゲンブロックの秋の音楽祭はその実力からして継続が難しいのは分かっている。支配人らに音楽的な審美眼が無いとどうしてもこういう無駄な試みとなってしまうのだ。

SWR交響楽団は今後の様子見で、これは指揮者とプログラムが自動的に変わっていくだけだからリスクは少ないのであろう。流石にその辺りはリスク管理をしている。



参照:
プロパガンダの管弦楽 2022-10-13 | 歴史・時事
遠くから想うソヴィエト 2022-03-27 | 文化一般
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まだまだ黄金の十月

2022-10-26 | 
月曜日にティケットを購入した。後で気が付いた。来年11月の丁度その頃ベルリナーフィルハーモニカーへの極東旅行壮行演奏会がアルテオパーで開かれるのだ。丁度重なるといけない。そしてもう二日フィリーが演奏する。少なくとももう一枚は確保しておかないと万が一の時に聴き逃す。追加で購入しておかないといけない。ダブルブッキングになるアルテオパーでも公演があるかもしれないが、日程が分からないので無駄が出ても致し方がない。万が一、一枚捨てても遠くに出かけるよりも安上がりである。その他にも二枚ほど購入するものがある。

明日にでも時間があればワインも回収しに行かなければいけないかもしれない。三本だけグロースゲヴェックスを予約してあるので、あと六本はその下のランク、その他何本を購入するか。11月13日にはノイシュタットの醸造所の試飲会があるので、そこでの本数も計算しておく必要がある。出来れば日常用のを余分に購入しておきたい。

なぜならば、コロナ期間で2020年に購入しなかった2019年物は殆どなく、今年開け頃のリーズリングがあまりないからだ。2020年物も殆どない。つまり来年の飲み頃リースリングも在庫手薄になっている。但し来年は来年春に日常消費用を多めに購入すれば何とかなる。問題はここから半年ぐらいの在庫だろう。ざっと最低ダースほどの余裕が欲しい。

月曜日は関節がスカスカした。久しぶりの風邪気味の時の感覚である。微熱もあったのかもしれない。発熱感は無かったのだが、疲れが出たのは分かった。ここ暫く可也暖かくなっていて黄金の十月を今頃になって愉しんでいるのだが、半袖になるほどの陽気でもない。どうしても身体が安心してしまう。

それでも一雨ごとに色づいてきていて、走っているときに思いきっり後頭部に栗の直撃を受けた。まるでアニメで上からリスに投げつけられた気分になった。

新聞にハムブルクのオペラでの新制作「タンホイザー」初日の評が載っている。演出はブーが出て評判は良くないのだが、音楽監督のケントナガノにもブーが飛んだようだ。以前にも「フィデリオ」を振った時に独墺レパートリーで駄目なことを露わにしていたのだが、今回も大分酷そうである。ミュンヘンにいた時からもそのヴァ―クナー作品指揮なども残されている映像等でも全然駄目なのだ。むしろバーデンバーデンの劇場でメルケル首相が訪問した節、手兵のベルリンの放送交響楽団を振って新制作「パルジファル」を振った時は勿論よくはなかったのだが、それほど目立たなかった。またザルツブルクでブゾーニの「ファウステュス博士」を振った時にも中々聴かせたのだ。それは昨年辞めさせられたミュンヘンのお別れ公演ガラにも出て来て、レパートリーによってはやはり聴かせた。

なるほどケントナガノは、フランスとドイツのオペラ座での長い経験もあるのだが、その基本は交響的な音楽表現なので、出来れば再び交響楽団で活躍して欲しいと思うのだ。コロナ前ぐらいから始めようとしていた歴史的奏法によるヴァ―クナーの楽劇上演などは端から成功するものではないので、無駄な活動でしかないだろう。

独墺レパートリーは誰かに任して、他のレパートリーに専念できる様な交響楽団でシェフとしてもう一華を咲かせて欲しいと思うのである。



参照:
黄金の十月の美しい残照 2011-10-16 | アウトドーア・環境
一級のオペラ指揮者の仕事 2019-01-14 | 音
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週明け朝一番の電話

2022-10-25 | 生活
来年のティケットを何枚か購入した。バーデンバーデンとハイデルベルクである。復活祭の時期のハイデルベルクでは春の音楽祭が開かれていて、前者はベルリナーフィルハーモニカーによるスーパーオパー、それに対して後者はピアニストのイゴール・レヴィットが主体になる室内楽音楽祭となっている。そこに歌唱のセミナーなどが絡んで、弦楽四重奏の音楽祭と歌唱の演奏会も加味される。

ティケットはコロナ時期に購入していたのだが、復活祭同様に流れた。大学との共催になっていても、ハイデルベルクは姉妹大学のケムブリッジの様に実技の音楽学部は無くてマンハイム・ハイデルベルクの高等音楽大学となっている。

大学の新講堂は大き目なのでそこでは比較的大き目の催し物も可能となっている。それ以上のものになると歩いて数分の市の会場に場所が移される。今回の目玉は、アスミク・グリゴーリアンが歌うショスタコーヴィッチ交響曲14番でロシアでの登場を繰り返しているゲルネと共演する。先ほどはイタリアで二人はやはり演奏会で共演していた。更にフィンランドの最も注目されている21歳の指揮者がブレーメンの室内管弦楽団を振って共演する。

これまた復活祭初日の一週間前の開催なので、時間的な余裕もなく、このツアーでその他で演奏するとしても到底出かけていける余裕もなく、そもそも演奏会では100km以上遠方に出かけるのは例外的なので、これを25ユーロで購入した。アスミク・グリゴーロリアンが来なかったり、他の事があっても捨てるのも容易い。そもそもフランクフルトのオペラにもそれ程払わないのに何故出せる?である。近いから交通費は掛からないが。

さてもう二枚は、バーデンバーデンでの券で、その一つは来年のフィラデルフィア管弦楽団演奏会で、トリフォノフがパガニーニ主題のラプソディを弾くのである。これは驚くことに中ホール対応で発売されているので急いで購入しておいた。昨年のユロウスキー指揮の演奏会のキャンセル料と差し引きにする為に席をネットで押さえておいて電話が空くのを待った。30分で13人目だったのでどうなるかと思ったが、間に合った。33ユーロに対して22ユーロ引かれたので11ユーロしか払わなかった。フィラデルフィアでもこの価格でそんなにいい席ないと思うけども、それで日本デビューしたレヴィットのより遙かにいい演奏をしてくれると期待。

もう一枚は、一回分キャンセル代わりに追加公演の形になったペトレンコ指揮ユース管弦楽団の演奏会である。今年の「運命」はセンセーショナルな演奏で、ベーム指揮ヴィーナーフィルハーモニカー、サロネン指揮スェーデンの放送交響楽団に続く三度目の生演奏で、今後聴くことも殆どない曲だと思うが、録音で聴いた歴史の名演と比較しても価値があった。その様な経験からパトロンなど優先予約で殆どいいところが出てしまっているかと思ったのだが、狙っていた席がまだまだ空いていた。昨年もそうだったが、会場の大きさもあって、ベルリナーフィルハーモニカー公演よりも高い入場券を買うことになるのである。それでも今年よりも事情が分かっていて、ペトレンコが振るという前提ではリスクはあまりない。コロナ前にこの楽団を追いかけてルクセムブルク、ハムブルクへと移動したのだが、バーデンバーデンではフィルハーモニカーの全面的な協力で全く次元の異なる準備が出来ているのだった。



参照:
行ったり来たりの話し 2020-04-12 | マスメディア批評
指揮芸術とはこれいかに 2019-01-08 | 音
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ワークシェアーの工程票

2022-10-24 | 
窓拭きが一通り終わった。これで一週間後の冬時間になっても篭り部屋移動を遅らせることが可能だろう。天気予想を見ると少なくとも11月第二週までは陽射しがありそうだ。そこからどれだけ太陽が出る日があるかどうかで冷え方が変わってくる。週に日照時間数時間では厳しくなる。

長袖のシャツとセーターに作業着の白衣を羽織っていれば最高気温摂氏一桁でも何とかなるかどうか。摂氏五度ぐらいになると厳しい。そして風が吹いて葡萄の黄色い葉が落ちると暖房が必要になってくる。そこで篭り部屋への移動となる。

今年の様にロシアのガスの関係で燃料費高騰となって、連邦政府もシャワーの浴び方まで指導するようになり、催し物会場も設定温度を下げた。そのようなご時世で如何に暖房を入れずに過ごすかが山となっている。

一昨年までは一度篭り部屋に入ると新春までは夜中以外は入れっぱなしになっていたが、昨年は陽がある時にはそこから出て太陽光を浴びるように仕事をしていた。ノートブックの移動などが面倒なのだが若干PCごとのシェアーワーキングを増やせるのではないかと思ってる。恐らく旅行用にミニノートブックとの間でで少なくとも同一テキスト編集ぐらいは日常化できるだろうと思う。

技術的にはNAS経由なので問題はない筈だが、ミニノートブックはLINUXで音楽用に使っていたので、今年になってから初めて旅行用としてテキストを書けるようにしたのだった。そう言えば未だにそのLINUXからメインのノートブックへの遠隔操作はまだ試していなかった。

年内の大掃除としては、冷蔵庫、グリル、そして換気扇のフィルター替えぐらいであろうか。あとは、一度布団替えぐらいで何とかなる筈だ。

中共の大会の胡の退場場面は面白かった。なぜあの時点で追い出されることになったのかは知らないが、切っ掛けは何かあったのだろう。なによりも本人の顔が老けていて同定できない程だった。更に興味深いのは習に話しかけ更に首相に後を頼んだと出ていくところだ。もうなにも残されていないようで、零コロナ政策も首相のせいにして逃げようとしている習の思惑を表していた。

いずれにしても中共におけるコロナ禍はどこの国よりも深刻であり今後数年間はその付けに苦しむことになる。人民の多くはそのコロナ政策の失敗に気が付いていて、習独裁体制への最強の敵はコロナに違いない。

広東や上海の江沢民らの勢力が動けるのかどうかは分からないが、中共コロナ政策における地域確立は統一中国の大きな亀裂となるのではなかろうか。台湾への軍事介入を示唆する一方で、今後の経済的な崩壊状況によっては中共内の統一が難しくなる可能性すらある。その経済的な影響はニュージーランドの様な比ではない。

朝食のパンがなかったので、冷蔵庫にとっておいた薄い色の炸醤麺をブランチとした。醤油を使わずに白みそを使ったのだが北京風ではないかと思う。



参照:
相似となっている風景 2021-04-12 | 雑感
安定作動で目指す10時間 2022-08-17 | テクニック
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ナチ資料館の隣家の展示

2022-10-23 | 歴史・時事
先日試した栗のパンも直ぐに白いものが生えてくる。酵母の関係が大きいのだろうが、栄養価の高そうな物が入っていると足が早い。大きいものは買わないので何とかなるのだが、この時期はまだまだ難しい。

同じ日の安売り品のカマンベールも期限前に平らげて仕舞った。朝食二回分であるので、やはりソーセージ類よりも高価になる。国境を越えてフランスまで行けばその価格で大きな塊が買えるのだが、時間も燃料費もない。しかし味質は全然悪くはなかった。

リヒャルト・ヴァ―クナー音楽祭で有名なバイロイト市が英国人ナチのチェンバレン亭を改装して、ヴァ―クナー家とナチ資料の記念館にすることにした。また隣地を取得して各地にあるようなナチス資料館にすることにしたとあった。11.5ミリオンの結構な予算の市の事業の様である。

バイロイト音楽祭の大きな株主は友の会と連邦政府と州政府そして市である。そのおぜん立ての下で祝祭劇場会社が公演を行っている。大まかにそうした構造で、その公演会社の支配人に現在は作曲家リヒャルトの孫の一人であったヴォルフガンクの後妻の娘カタリーナが収まっている。しかしその契約延長はされず、最後のヴァ―クナー家の支配人とされている。

楽匠の息子のジークフリートの奥さんが未亡人になってヒトラーの助けを借りたことで切っても切れない関係となったようであるが、その負の遺産もこうしてバイエルン国王の援助で建造された祝祭劇場を離れて歴史に留められる。

音楽祭の改革はメルケル政権時の文化相によって強く求められていて、それ以前に祝祭劇場でのスキャンダルからメルケル首相が初日には訪れなくなった経緯があった。要するにヴァ―クナー家のバイロイト音楽祭の中での法的な位置づけを整えるとともに近代化しろという事であった。

その掛け声の中で若い聴衆への働きかけや、ネトウヨ音楽監督の事実上の解雇などの尻尾切りが為されたのだが、然したる能力もない曾孫の裁量には限界があるとなったのであろう。既に法的には、ヴァークナー家の権益には一定の線が引かれていて、なによりもその劇場の文化的な価値の維持には多大な税金が投入されるという事では元々致し方の無いことであった。

実際に戦後には早世の孫であったまたヒトラーにも可愛がられた演出家ヴィーラント・ヴァ―クナーらは音楽祭をカイロなどの海外に移してという試みもあったようである。しかし興行としてはその価値は限られていて、日本でも引っ越し公演は行われているが、実質的に祝祭劇場以外の何もそこには価値は残っていないとする見方が一般的ではなかろうか。

バイロイト音楽祭は明らかに変化していくことは最早不可逆であり、体制もそのキャラクターも遠くないうちに変わっていくことは間違いない。十年以上前にその変化を訴えかけていた我々であるが、漸くという感じである。



参照:
フレンチチーズのお姿 2006-01-24 | 料理
黴の生えた高い民意 2005-04-05 | 歴史・時事
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夜の歌のレムブラント

2022-10-22 | 
承前)二週間と少し経つと再びマーラーの第七番をキリル・ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーで聴く。その前に改めて、楽曲に関してより深く、しかしより広がりを以ってお勉強しておきたい。

先ずはルツェルンでの当日の公演前レクチャーでの認識は可也の大風呂敷で興味深かった。途中から聴講したので、第一楽章に関しては聴きそびれたのだが、真ん中の夜の音楽のところでレムブラントの「夜警」についての話しになった。その話しは面白かったのだが、それが何処から来たのがよく分からなかった。調べてみた。

この曲の楽譜の前書きにグローリアと書いてあって、それは明らかとして、実は作曲家自身がこの夜の曲二曲を「夜警」と比較しているというのが根拠の様だった。それは1920年のパウル・シュテファンの書籍に述べられているようだ。それ以前にアルマ・マーラ-の屡取り上げられるアイヘンドルフのドイツロマン主義における噴水の流れに身を任したというのともまた異なる。

そしてそこで講師のシュテール女史から話されたのは、「夜の彷徨」とされる二楽章におけるホルンの掛け合いである。少なくとも夜警における登場人物の二人が暗闇の中でホルンを吹きながら位置確認をしていて、そこに夜の鳥のさえずりが絡む、それを聴いているというのである。ホルンと言えば狩りやポストホルンばかりを想像してしまうのだが、ここでは夜警の信号となる。

これは一つの疑問へのとてもいい回答になった。マーラーにおける軍楽のトラムペットはよく知られていて、それは子供の時の故郷の近くのバラックからの環境音だったとするのが知られているところである。しかしここではホルンがなぜか吹かれている。それも特別な意味合いをもたらされて、その疑問にであった。

勿論、そのレムブラントの「夜警」からの影響は、「描き師」が苗字である作曲家にとってどういうものであったかまでは分からない。しかし、この楽章でも出てくるユダヤ人音楽クレッツマーのエピソードも他の交響曲において頻繁に登場するものであって、実際に起床ラッパへと続いている。当然の事ながら本歌取りの様に他の作曲へと求めていくと更に複雑に帰すことになるのであろう。

同様に「夜警」へと目を向けるとそこからの幾多の小説や映画まで出来ていることからすれば途轍もなく沢山のエピソードへと連なっていくことになり、到底本旨である夜の音楽の闇を抜けることすら危うくなってしまうであろう。

しかし、そうした言語的な認知も一つの観念連想の一つであるとすれば、やはりこの盛り沢山のこの楽曲の抒情的な局面を形成していることも間違いない。要するに鳥の鳴き声やカウベルの響きが何か具象的であり特別な意思を持たないのと同じくして主観的に響く音楽がそこに存在する。

四月の復活祭における「スペードの女王」が脳裏に残っている限りは、そこにおけるヘルマンがベットの中で耳を澄ませているその心理的な夜の気配でしかなくて、この曲においても大きく影響を受けているチャイコフスキーの創作からの重要な要素であったことは容易に想像される。(続く



参照:
「夜警」、時空を超えて Beyond Time and Space、桑原靖夫のブログ
米国お披露目ツアーへの弾み 2022-09-04 | 文化一般
誘う夏の夜の音楽 2021-05-30 | 音
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蘇生のボストンサウンド

2022-10-21 | 文化一般
英国の世界的なオペラハウスの音楽監督にチェコのヤクブ・ヒュルサが選ばれた。2024年の新シーズンからロンドンのコヴェントガーデンで采配を振るう。現在の音楽監督パパ―ノはミュンヘンにくる話もあったのだが、交響楽団を振りたいとして断っていて、恐らくアンドリス・ネルソンズやらへの打診はあった筈なのだが、期間延長したパパーノを継ぐことになる。

この指揮者は、日本の管弦楽団などを振っていてそこでは有名らしいが、生ではそれも直ぐ近くでその指揮を聴いたのは一度しかない。それもリハーサルで、おかしな管弦楽団を前にフルートの名人パユと苦心していたのを身近に見ている。その結果は決して良くなかった。古楽器奏法交じりのおかしな管弦楽から思い通りの音楽を引き出せなかったのだろう。

しかし、昨シーズンのビッグファイヴデビューでのクリーヴランドと並んでのボストンでの指揮中継は注目されるものだった。現在の指揮者ネルソンズの下では明らかに下位にしか位置しない名門交響楽団であるが、恐らく小澤以来かの素晴らしいボストンサウンドを響かせていた。昭和のオーディオファンには懐かしい東芝が使っていた商標まさしく「ボストンサウンド」であった。

今これを書きながら流しているその録音でもそのヴェルヴェットの様な弦楽器も素晴らしい。小澤時代にもあまり聴けなかった響きで、これは誰もが満足すると思う。そのインタヴューで答えている指揮者も楽団が正しい音を判断してくれるとしていて、この指揮者の最もいいところが出ているのではなかろうか。

その他、今本格的な再発見となっていて近々ベルリンからペトレンコ指揮の選集が大きな話題になるだろうスークの大管弦楽曲もプログラムに入れていて独自の音楽を聴かせている。勿論生まれ故郷のヤナーチェックのオペラに関しては今後とも更なる期待がされるライフワークとなりそうである。

そのような塩梅で、驚くことにロンドン在住とあって、これはもう欧州大陸での仕事は里帰り的な限定的なもので、英米を中心に活躍するつもりなのだろう。その割には英語も話し慣れていないことから、比較的最近の判断なのかもしれない。いずれはプラハで活躍するものと思っていたのだがやはりそれはまた違うのかもしれない。

上のデビュー生中継を聴けば、ボストンへと足場を片足動かすのは時間の問題だと思われる。その後先週になってヴィーンの交響楽団を突然辞めたオロスコが振ったのを少し聴いたのだが、これまた誰が聴いてもアメリカ風と感じる音楽であり、ボストンのシックなものを好む聴衆がそちらを選ぶとは思い難い。

兎も角、バムベルクでのいいプログラミングでの演奏会に機会があればと思う。未だこれから頂点が訪れる可能性も強い。

季節のパンは栗入りである。Keschdebrotと書いてあるのをアルファベットで順に読んで何かと尋ねようと思ったら、自分の口からのその響きで分かった。ケシュデ、ああ栗だ。標準語ではカスターニアンで、プファルツの訛りである。これは住んでいないと、なんでか分からんよね。



参照:
ミュンヘン行の代わりに 2022-10-15 | 生活
天使が下りてくる 2020-09-21 | 文化一般
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エリートのルツェルン音楽祭

2022-10-20 | 文化一般
例年の如くルツェルンの音楽祭からアンケート調査を受けた。調査会社が可也本格的にやっているもので、あれこれ合わせると30分以上の仕事だった。音楽祭や音楽会にどのような意思で出かけるのか出かけないのかその選考基準は何かという事を尋ねられた。

例えば最初に音楽祭と言えばなにかと問われる。勿論バーデンバーデンの復活祭だ。その他の音楽祭を挙げて、ザルツブルク、バイロイト、シュヴェツィンゲン、ミュンヘンと挙げた。最後のは、ヤーマイには頭は回らなかったので、オペルンフェストシュピーレにしたが、まだ一年目だからそれは仕方がないだろう。

その他で先方が挙げてきたのは、グシュタート、ヴェルビエール、エクサンプロヴァンスの音楽祭、トーンハレにチュリッヒ、ジュネーヴのオペラ座だった。その各々の経験やイメージについて尋ねて、どこがフレンドリーで、内容が意味深く、名声があり、多彩で、程度が高く、親密で、旧主的ではなく、あまり革新的ではないか、エスクルシーヴで、若々しく、将来性があり、エレガントで、歓迎される土地柄で、エリートで、土地柄を代表しているか、古臭いかも逐一判定していく。

その他情報はどこで得るか、家庭でどのように音楽を楽しんでいるのか、音楽祭や演奏会への動機はそこにあるのか。親しい人と共にいい時を過ごす為、無料の催し物があること、そこの場所の雰囲気が素晴らしいから、そこで世界的に偉大な芸術家に会えるから、そこで未知の作品や催しもに出合えるから、そこに素晴らしい音響のホールがあるから、音楽祭が社会的に見逃せない催し物であるから、そこに精神的に揺さぶられる音楽的体験があるからが並べられて、一つづつ対照化されて比較されていく。

そして催し物の内容にも触れて、簡単に聞ける音楽だから、親しい人と楽しい時を過ごしたいから、ソリスツに関心があるから、楽団に関心があるからに、次は作品や作曲家が重要、会場の音響が重要、会場までの近さ、指揮者ゆえに出かけるのかどうかを尋ねてくる。そこに今度は価格や食事などの便利さ、その周辺地域に滞在したいからかとかをどんどん重ねていくのである。これで回答者の本音が分かる。

自分自身が書き込むところでは、ルツェルンの音楽祭のイメージとして、「伝統ある音楽会主催者としての音楽祭」とした。その他との比較ではやはりこれらの音楽祭の中では一番エリート性が高いとしておいた。実際にオペラ音楽祭などに比較すれば明らかに抽象的で高度となる。また定期会員システムの拡大も書き加えた。具体的には音楽祭を通しての定期会員割引である。昨年も二回に分けて出かけたが、割引が効いていたら三回ぐらいは出かけていたかもしれない。そこにも回答した様にこれだけの演奏会の質はフランクフルトやバーデンバーデン周辺だけでは体験不可で、大きな会場の無いミュンヘンでさえも難しい。

面白いところでは、頭に浮かぶスポンサーを挙げろとあったのに対して、ロッシュとかを四社並べた後にのど飴のリッコラを挙げた。目的は何かをお土産にしたところが大きなスポンサーでなくても目立つぞということで、お土産のせびりである。来年はなにか包み袋でも貰えることを期待したいがさてどうだろう。日本の披露宴のようなものである。



参照:
クレーンゲームのど飴 2022-09-12 | 文化一般
ルツェルン音楽祭の視覚 2022-03-30 | 雑感
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三大氏神下しへの可能性

2022-10-19 | 文化一般
12月の券の一枚は入った。「ローエングリン」の立見席である。18ユーロの立ち見なので、同じ価格で吸われる席を追加購入してもいいと思っている。ロート指揮には全く期待していない。恐らく初日に叩かれてべそをかくと思う。こちらも序に出かけるだけなのでこの価格を狙ったのだが、流石に予約椅子席は限られた数しかなく、半分は一般発売される。それを狙ってみるが、視覚は立ち見の方がいい筈だ。但しあの長いロマンティックオペラを立っていると疲れるだけである。演奏がよければよいのだが、歌も十八番にしているフォークトのタイトルロ-ルだけで、声の出なくなっているペーターセンは既に下りている。

しかし実は期待していることもあって、なにかあった場合にカヴァーにエンゲルが入る可能性である。ただ唯一のヴァークナーオペラのレパートリーとして、新制作の指揮をするまでの演出ではなくてもカヴァーに入ってその場を凌ぐには全く悪くないであろう。ロートが下りる理由には不評を受けての健康上の理由もコロナ陽性の両方があるだろうが、その代わりの指揮位は間違いない。もし近々に発表されたとしたら出かけるのが急いで大変だが。

フォークトも声が太くなってきていて、高い声も裏声を上手に使って凌いでいるらしいが、一度生で聴いておくのも悪くはないと思う。前回このオペラを聴いたのはハムブルクのオペラの日本引っ越し公演でこの曲を得意にしていたヴィルドマール・ネルソンズという指揮者が振った時でその長さを嫌というほどに感じたのだった。

もう一枚は残念乍希望の席が当たらずに一般発売を待つかどうか、安い席が配券されなかったので、そちらに賭けるしかないであろうか。もう少し安い席なら其の儘貰ったかもしれないが、高額ならば一般でも入る。一寸残念だ。

18時に出かけて走ったが、18時38分ごろに日没とは知らなかった。秋の鶴瓶落として日に日に日没が早くなる。19時に下りて来た時は真っ暗だった。もう一時間早く動き出さないと間に合わない。但し暖かかったので、裸でも十分に汗を掻けた。

来週初日となるミュンヘンの新制作「コジファンテュッテ」の初日から楽日迄の売れ行きを見てみると、あまり売れていない。なによりも券が高い。だから初日も安いところは売切れているのだが、高いところが残っている。他の公演などを考えると通常の出方でしかない。

ミュンヘンの劇場にとっては「イドメネオ」の初演に代表されるようにモーツァルトは、ヴァ―クナー、リヒャルト・シュトラウスと並んで初演を多く行った劇場としての三大氏神とさえされている。その中で、前任者、前々任者がモーツァルト指揮者でなかったことから、現音楽監督ユロウスキーに期待が掛かっている。しかし、今迄の指揮の出来からしてそれ程大きな期待は掛けられないとするのがもっぱらの常連さんの気持ちではなかろうか。現在こうした作品を大劇場で演奏するという行為自体が容易ではない。先ずは来週水曜日の生中継ストリーミングが待たれる。



参照:
首を振って音を追う 2019-03-04 | 音
切れる接種有効期限 2022-07-23 | 暦
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透過性を上げる試み

2022-10-18 | 
ガラスに筋が垂れていようがどちらでもいいのだ。神経性のものではなくてただただ日射量を通すだけの目的である。その効果は実際に試してみると考えるよりも遙かに大きい。肌感覚としても、これから鬱陶しい季節でも室内の光度が全く変わる。曇天であろうが太陽光線の赤外線部分が通れば効果覿面である。

特にバスルームなどは黴防止の為にも冬季も窓を開けるのだが、陽射しの恩恵が無いと湿度が上がる。更に室温も上がり難くなるのでとても影響が多い。バスルームが冷え込むとなると厳しいので、以前は暖房を入れていた。しかし最近はそこに通っているお湯の熱を出来る限り生かす形で、年に数えるぐらいにしか暖房を入れないことにしている。

篭り部屋に移動するようになったのも大きく、その屋根裏部屋に出来る限りの太陽光を活かすことになった。陽射しが戻ってくる新年になれば積雪があろうが、凍結があっても温室効果でぽかぽかとなる。熱遮断と窓ガラスの透過性が全てである。

夜半には雨になるだろう。天窓は直ぐに雨に洗われる。その他はぼちぼちだろう。兎に角暖かいうちに終わらしてしまうのがよい。雨が降って来週はまた気温も元に戻ってと、日々晩秋らしく葉が色づいていく。来週末には夏時間が終わる。

日曜日にはミュンヘンに一枚予約を申し込んだ。結構迷ったのだが、他の曜日の出方などを見ると、それ程容易ではないが配券される可能性もある。もう一枚の申し込みもする。これも希望の席への期待を掛ける。

土曜日の午前中スロヴァニアの首都リュブリャナで行われたレクチャーのヴィデオが出ていた。水曜日に演奏会のある作曲家ネヴィル・ホールとハンス・アブラハムセンが自作に対してティテュス・エンゲル指揮スロヴァニアフィルハーモニー管弦楽団で音出ししながらのヴィデオが上がっていた。後者のヴィデオは無かったが、ベルリンのフィルハーモニカーで初演された曲「レットミ―テルユウ」が演奏される。この曲に関しては、サイモン・ラトル指揮でルツェルンの音楽祭で献呈されたバーバラ・ハニンガムの歌で演奏されたのだが、演奏会前に作曲家が出て来て内心カンカンに怒っていたことが知れた。ラトルが真面に準備もせずに練習をしていなかったからである。
Barbara Hannigan - Let Me Tell You (Hans Abrahamsen) - Berlin, Nelsons


その様なこともあり、更にこの管弦楽団の音出しを観ていると想定以上にやれそうな楽団であり、実際に意欲に溢れたプログラミングで結構な指揮者が客演していて期待される。映像を流して欲しい。歌手は、ロングラン中のバーゼルの「魔弾の射手」でアガーテを歌っているニコール・シェヴァリエである。勿論全然ハニンガムには追い付かないのだが、米国出身で英語歌唱の方が上手いかもしれない。

ホールという作曲家は知らなかったが、ウェリントン出身でスロヴァニアに住んでいるらしく、フィボナッチ数列を使って、音の群化からの作曲のようだが、そこで出している音と注文が取り分け複雑そうで、到底数列程度のものではないと思った。それに輪をかけて司会の大学教授がフォームとその内容に関して、作曲家が指揮者に譲る形で英語で小難しい質問をエンゲルにしていて、指揮者の仕事として答えていたのは賢明だと思った。勿論後半のニールセンの交響曲も聴きたい。なぜならば昨年オペラ「仮面舞踏会」が素晴らしかったからだ。
Sobotna izobraževalna matineja / SIM 2



参照:
「ありの侭の私」にスポット 2021-11-05 | マスメディア批評
ラトルファンの嘆き 2019-09-10 | 音
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