Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

野蛮の自己飼育具合

2020-08-05 | 文化一般
参考音資料を探している。楽劇「エレクトラ」の録音を道中二回ほど聴き通せるので、先日のザルツブルク初日の映像以外にもう一つ資料が欲しい。何をと考えている。既に通して聴いたのはベーム博士指揮の録音で、一番初演時代の演奏に近いと思っている。実際にとてもいい出来で、不協和な音などがシャープに出て来て痛快なのだが、先日の初日の演奏を聴くと矢張り音化として足りないことが分かった。

そこで、初日のFAZ紙の評の中にバレンボイム指揮ベルリンの座付管弦楽団の演奏に言及があった。そのCDを所持していることを思い出した。そこでは、シェロー演出の再上演がなされてその心理劇が、喜びと恐れの間での暴力と幻想への衝動の抑圧としてあるとされる。そこが、ヴェルサーメスト指揮ではその心理とは血の気に応じる野蛮であるかのように思われる。

感覚的には、ヴィーナーフィルハーモニカーの華やかな演奏とドレスデンでの録音やベルリンでのそれを思えば直感的にはとても分かり易い。それは実際に音楽的などのような特徴がどのように演奏されるることで差異が生じているのか、つまり創作のどのような固有の特徴が演奏実践として顕著になっているかという事にこちらのお勉強の興味は向かう。

批評に戻ると、それだからと言って大まかでは無くて、ヴィーナーフィルハーモニカーが声に被さってしまうというのはないと、またヴェルサーメストの場合指揮の正確さが疑問となることも無いとしている。つまりエレクトラが母親のクレムネストラを「女神」と呼ぶとき、エレクトラの夏の風に靡く髪が、男たちが震えると歌う時に弦楽に妖精の踊りがと書かれる。

「ばらの騎士」の音楽がすでにそこに、二分の三、四分の六、四分の九とエレクトラが亡き父の慕で踊るときに刻まれる。柔軟性と彫塑性を以ってヴェルサーメストが振ると「ツァラストラかく語りき」からの踊りへ戻り、楽劇「ばらの騎士」へと論理的な帰着となるとしている。

燃料を満タンにした。残りもあったのだが79ユーロとまあまあの価格で入れれた。今回は行先でもう一度満タンにしないといけないので、往復で千キロを超えるので100ユーロは超えるだろうが、120セント以下の入れれたので大分助かる。

衣裳も準備した。シャツや上着は選択の余地はあまりないが、タイをどうするか考えている。色合いが「エレクトラ」の方はもう一つ分からなかった。再度映像で確認しておかなければいけない。新聞は書いている。上等な衣装を身に纏っている者に限って、そのマスクの準備はみすぼらしく、同じような状況はベルリンでも同じで、教育を受けている者があまり留意していないとなる。まさしくその社会性が問われて、その密な祝祭劇場前やフェルゼンライトシューレではそれが配慮や自己飼育への試金石となっていると書いている。



参照:
へそ出しもビキニも 2020-08-03 | 女
フラマン人の誇り 2020-08-01 | 文化一般



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フラマン人の誇り

2020-08-01 | 文化一般
昨晩はバイロイトからの放送から「ローエングリン」を流していた。幸い18時始まりで22時には静かになった。先ず興味深かったのはベルギーの指揮者の肉声のドイツ語で、中々上手だ。フランスものばかりの指揮者と思われているのが悔しかったようで、ベートーヴェンの交響曲もベルリンでやり、こうして独指揮者オイゲン・ヨッフムのキャンセルで急遽オランダ人を振って、再び新制作にヴィーラント・ヴァークナーの「ローエングリン」に招聘されて余程うれしかったようだ。

先日ベルリンで録音された田園交響曲のLPを久しぶりに聴いたらやはりフォンカラヤンと比較しても軟で、やはり違うと分かった。その差は、子供の私には分かる筈が無かった。なるほど指揮者のクリュイタンスのドイツ語は今書いた通りで、音楽が如何にそれ以上のイントネーションかという事で、小澤やナガノがものにならないのは仕方がない。スカンディナヴィアの音楽家は何とかこなすがフィンランドになると全く駄目なのもそれゆえだ。

ザルツブルク祝祭のゲネラルプローベなどの報告が入ってきている。販促を兼ねた報道であるから、上手には書いてあるが、「コジファンテュッテ」は休憩無しでやるためのカットが上手くいくかどうかは大きいかもしれない。一方「エレクトラ」の方は百人を超える大編成で奈落を縮小した様子はない。エレクトラを歌うシュテュンディーテという人はアスミク・グリゴーリアンと同じリテュアニアの人らしく知己があるらしい。指揮者のヴェルサーメストは、役探しに最近マクベス夫人とトスカを両方歌っている人を探して欲しいと要請したらしい。

そこでアウスリーネ・シュテンディーテがオーデションで最後のモノローグを歌わされたとある。それでも練習が必要で、大分時間を掛けたようである。昨年までサロメを歌っていて一夜にして世界に名の知れたグリゴーリアンもドイツ語の歌唱はパッとしない。まあ、先ずは土曜日の中継を観聴きしようと思う。

映像から窺えたのは「エレクトラ」の三人の女性の出で立ちで、服装やヘアースタイルなどである。更に母親惨殺部屋は上手で、娘二人は下手で歌う。つまり指揮者の視線へと私の席からはそれほど悪くはないだろう。今頃になって気が付くのは、今までは楽器配置などから右側のバルコンに座ることが多かったが、ピアノの音響なども含めて基本は右側という事になるのかもしれない。平土間の齧り付きなら中央左寄りとなる。

「コジファンテュッテ」の方は映像で見ても流石に簡素である。これは演出家の腕次第だが、音楽を短縮するのは更に大変だ。本当にあれだけの料金を払うだけの公演が出来るのかどうか、最初から疑わしい。それだけの公演ならばなにもザルツブルクの大劇場である必要もない。

週末に発注した中にランニング用の靴下があった。冬夏走るだけならばなんとかなった穴の開いたようなものを使っていたが、二つの一つは靴磨き素材となり、もう一つも薄く破れかけている。一足まともなのが無いと出かけるときには使えない。そこで探すと以前に使っていたものがアマゾンで買えたので籠に入れておいた。19ユーロに送料だった。おいておくと16ユーロに安くしてくれていた。送料入れても21ユーロほどでお買い得だった。トレイルランニング向きの初期の製品なので改良点もあり、足入れが悪いので破れていたのだが、先ずはこれが使える。

早速これを履いて走ると中々いいスピードを保てた。前回の他のコースでも下りにスピードが出せたのだが、徐々に上昇傾向にあるようで嬉しい。靴下だけが効果を生むのではないが、やはり新しいのもあり足元が包まれる感じと同時に靴との一体感が生じて無駄が出ないのだろう。遊歩道のような沢沿いでも石が出ているととても走り難くなる。そうしたところもこなし易くなる。

車中のニュースで病気の子供の保育所への是非についての議論が紹介されていた。以前以上に明確に症状があるかどうかが判断材料で、くしゃみをしようが全く問題なく、典型的な症状とされる熱や空咳更に味覚障害がそこに加えられていた。その症状が無ければ構わず、あれば医者に連れて行けという事だった。基本的に四月時点での認知と変わらないが、その時は味覚異常は三大症状にはなっていなかった。



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洗濯してみないと分らないが 2014-07-04 | 生活
ザルツブルクの崖っぷち 2020-07-29 | 文化一般
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ザルツブルクの崖っぷち

2020-07-29 | 文化一般
2019年産を初めて飲んだ。大抵は四月五月に試飲してベーシックを購入してしまうのだが、今年はそれどころでは無かった。そもそもワインを頻繁に開けるような気持にはならなかった。なるほど対面で物を買いに行くのが億劫という気持ちもあったが、先立つものつまり晩に開ける簡単なワインが無くなったので重い腰を上げた。

地元でもそれなりに割引で買えるのだが、やはり拘りのベーシックが欲しかった。更に月末までグローセスゲヴェックスの割引予約が出来るので、ベーシックで試飲しておかないと真価が見えない。

引き続き夜更けから午前様になるまで放送を流している。愈々最終日「神々の黄昏」である。件の「ジークフリート」は、一部GPと取り換えられてようなところを感じた。詳しくは調べていないが、少なくとも最後の年のこの楽劇に問題があった理由も推測出来て来た。やはりタイトルロールのジークフリートを強制的に変えられてしまったことが痛かった。シュテファン・フィンケは、少なくともあの時点では一流の舞台経験が無く、インタヴューでも「僕は朗々と歌いたかった」などとほざけたことを語っていたが、その後ミュンヘンなどに呼ばれるころには「今はヴォ―ストレーニングを基礎からやっている」とか述べていた。要するに地方の歌手でしかなかったのだ。

その結果もう一つしっくりいっていなかった以上に合わせる音楽の方が逆にせかせかした感じになって仕舞った。歌唱のもう一つの技術不足だったのだろう。前年にはとても素晴らしかったアルプスの高峰へと眼差しを移していくようなブリュンヒルデの横たわる岩山への繋がりもせかせかとしてしまっている。そこが似ているのはギネスジョーンズが動き回るブーレーズ指揮である。全てにおいて妨害工作の影響なのかもしれないが、流石のペトレンコ指揮もそうした環境に大きな影響を受けていたようだ。

バイエルン政府が火曜日の政府会議の後ザルツブルク音楽祭への見解を示した。政府代表フローリアン・ヘルマンは、ザルツブルク音楽祭は感染の危険が高いとして、「ザルツブルク音楽祭で感染から逃れるのはスポーツのようなものだ。」と語った。更に「より深刻な問題に成らなければいいと思う。」とした。

これで、バイエルン州の自らをスポーティではないと思う人は、ザルツブルク音楽祭での感染の危険性とその時の事を考えて怖気づく。月曜日の時点でも発売された八万券の一万券はまだ売れ残っている。元々は十八万券売れていたのが、海外からの訪問者などからのキャンセルなど僅か七万券しか売れていないという事になる。

またザルツカムマーグ―トの大クラスター発生から、バイエルン州は逆に数が把握できているから安全だとしたが、その流れが止まり、まだ今後音楽祭への無料のキャンセルが増えるだろうと予測されている。

個人的には、ザルツブルク音楽祭の二席に一人は非人道的な扱いなので、更に半分近くがキャンセルしてくれると嬉しいと思う。四席に一人が現状での安全な客席状況である。万が一の詰め具合を警戒してサージカルマスクの他にN95マスクも持参することにしよう。やはり自らを守ることも考えなければ、ネオリベラルの国では危険である。

例年通り大統領が来て初日から三日間滞在して、先ず「エレクトラ」初日の前の30分に短縮された式典に、そしてもう一つ初日の芝居に臨席して、またプラシード・ドミンゴらの表彰をする。それが、例のサウンドオブミュージックのトラップ家が撮影されたところとは知らなかった。嘗て初日に通っていて、なるほどシュヴァルツコップやらフォンヴァイツゼッカーは居たが、それらのパーティー自体にはお呼ばれすることも無いので気が付かなかった。

今年はそうした招待のお歴々はあまり出かけて来ないという事で、初日に券が出るというのはそれにも関連しているのだろう。バイエルン州が7日からアウトバーン国境に無料のPCRテスト所を設けるというから、帰宅時に検査する人がいるかもしれない。私は6日夜に国境を通ってホテルに帰ってしまうので、その影響での渋滞などには巻き込まれないで済みそうだ。



参照:
ザルツブルクの崖っぷち 2020-07-28 | マスメディア批評
二流音楽家の頭の悪さ 2020-07-25 | マスメディア批評
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音楽LinuxPCの掃除

2020-07-23 | 文化一般
週末からバイロイト音楽祭中継などがある。本年は公演が中止になっているので、アーカイヴから流される。一度だけは小さな音楽会が生中継される。先ずは、2015年から「指輪」全曲で土曜日から四日間続く。2014年と2015年の演奏には一長一短があり、既に2013年からの録音は所持している。しかしPCオーディオ事初めが2014年だったので、また放送局のデーター量も少なかったので、2015年の生中継なども録音し直さなければいけない。

昔から長いだけに中々録音に成功したことが無かったのだが、今回も専用LinuxPCのディスクに余裕がなくなったので掃除した。現在のアップサムプリンググレードで19時間ほどの録音時間が捻出できた。一夜一夜整理して行けば問題はなさそうだ。

2014年は「ヴァルキューレ」が上手くいかなかった。理由は色々と考えられたが、指揮者のペトレンコにとっては最も苦労した楽劇ではないかと思う。それゆえに2015年は素晴らしい出来だと思う。再び少しいい音で聴き直すとまた違う感興が生じるかもしれない。

そのカストルフ演出に続いて今年次の演出をする筈だったヴァレンティン・シュヴァルツがシュトッツガルトで野外でヴァークナーをテーマにした舞台自由祝祭劇を行った。その報告がズルヒャーツァイトュンクに載っている。その内容に関しては、仕事が出来ない州立劇場の合唱団が練りだして戸外で歌うデモ(クラティー)プロジェクトとされているが、それ以上にこの若い演出家への関心を綴っている。

そもそもカタリーナ・ヴァクナーは女性演出家のタチアナ・グリュバカに白羽の矢を立てたようだが折り合いがつかなくて、シュヴァルツとなったようだった。女性演出家、女性指揮者の起用を狙っていたのだろう。そして今回の演出は2022年に延期されたことで、来年開催されるとすれば女性指揮者の登場となる。

インタヴューとして興味深いのは、2004年のシュリンゲンジーフ演出について語っているところで、その情報化過多の演出に対して、観念想像の扱い方としてセントラルな演出力が欠けていたとして、ある意味実務的な評価をしている。

ザルツブルク音楽祭の映画館用とツーリズム用の新トレイラーが提供されている。券が売れていないこともあり、何かが出てくると思ったが、まだこれからだろう。二つのオペラの初日の入場券が開放になって、なんと130ユーロの「エレクトラ」までが出ていた。初日は関係者がスポンサーが多いが、危ないと思って行かない人が増えているに違いない。
100 Jahre Salzburger Festspiele - Eröffnung 2020 - LIVE IM KINO (Elektra & Jedermann) | Trailer

100 Jahre Salzburger Festspiele


また最終日のベルリナーフィルハーモニカーの券が45ユーロで出ている。プログラムも小編成のピアノ協奏曲とメンデルスゾーンの交響曲一番であるから、その価値は限られているかもしれないがやはりあまり入らないという事に尽きる。

実際にそこまでに祝祭劇場でクラスターが発生していたら公演も取り止めになる。一体どこまで開催が出来るのか?一度発生すれば向こう数カ月に影響が出るだろう。

バーデンバーデンの音楽祭の九月の催し物は500人までの入場となっている。それが八月中旬に発表されて、九月中旬には年内の公演のプログラムが発表されるという二段構えになっている。夏の間の出張室内楽は別にして、国際祝祭劇場の名に恥じない催し物をすると語っている。因みに復活祭から夏の祝祭までの払い戻しに伴う寄付は三十万ユーロを超えたとされている。全体の損失の一割ぐらいになるだろうか。



参照:
一丸となってスクラム 2020-07-22 | 文化一般
ウェイティングリスト 2020-07-21 | 生活
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一丸となってスクラム

2020-07-22 | 文化一般
ザルツブルク音楽祭の準備が進んでいる。月曜日には券の売れ行き情報が出された。本来二十三万席が発売されていて既に十八万席が売れていた。それを全て返却して、合せて八万席のみが新たに発売された。しかし開幕まで二週間前でもその三分の一が売れ残ってると発表された。昨年は座席占有率が95%に至っているので、返却して再購入を断念した人は海外のみならずオーストリアやドイツでも少なくないだろうと予測される。

特にヴィーナーフィルハーモニカーがとんでもない自主規則で演奏するものだから、当然聴衆も守られないと思う気持ちがバイエルン州などでは強いと思う。ザルツブルクなどオーストリアは感染が広がっていて、注目が集まっている故に、万が一ザルツブルクの祝祭劇場でクラスターが発生したらと思うと恐ろしくて行けない。

そこで新たに広告戦略で特に高額の席を売り払いたいようだ。そうでなくとも聴取の数を三分の一にまで減少させていて、楽劇「エレクトラ」などではユニテルへの撮影や公共放送の放送料金だけでは到底計算が合わないだろう。急遽制作の「コジファントュッテ」はその点音楽祭最初のオペラ女性指揮者のヨアンナ・マルヴィッツに人気が集まればある程度の収益は上げられるかもしれないが、やはり売れ行きは良くない。

ベルリナーフィルハーモニカーも余っていて、三回のムーティ指揮の第九演奏会も席が次から次へと出てくる。特に合唱の演奏会は殆ど無法状態の演奏会になるという事を考えれば真っ当な人は顔をしかめるだろう。

バーデンバーデンに関して朗報が入って来た。最初から流動資金の要となる筈だった州からの四百万ユーロの支援が出ることがシュトットガルトから伝えられた。その額はこの間失った入場料収入に相当する。それを受けて、スタムパ支配人は、「この報は、堅い要石となり、音楽ファン、市、州、政治家、芸術家が分厚いスクラムを組んだそれを追従する形の比類なき救済構造である。」と表明した。

また、祝祭劇場協会のリップ教授は、「公的資金の援助以外に創始者、後援者、入場料金を寄付した多くの訪問者が一丸となって為し得た共和国でも比類ない成果」と語っている。

具体的には家主でもあるバーデンバーデン市に救済を目的としてその額が払い込まれて、祝祭劇場へと用立てする。祝祭劇場は私立の公共目的の文化団体であるから、今回の資金援助はそうした活動を保障する救済となる。

CSUのマルグレート・メルゲン市長は、祝祭も市も可能な限り早くコロナ条件での再開を望んでおり、三月初めから今日までを橋渡してくれる援助に感謝し、これを以って州は高度な芸術的な水準の祝祭劇場に寄り添うこと示し、喜ばしいと表明。

スタムパ支配人は、これで胸のつかえがとれたと、最も厳しい時を乗り越えたとして、先ずは小さな室内楽を催して、一息ついてから、安全を確保した条件での秋のシーズンを実現化すべく、八月中旬には公表すると語っている。辛抱強い訪問者の皆方々と、柔軟に対応して活きた音楽への信を持ち続けたチームにも感謝という。

主に決定が待たれているのはゲルギーエフ指揮ミュンヒナーフィルハーモニカーの新制作「サロメ」上演の是非であろう。個人的に気になるのはその前のベルリナーフィルハーモニカーのバーデンバーデンでの週末だが、片方が来月冒頭に改変プログラムを出す一方、バーデンバーデンの主催者が中旬になるという事でどうなるのだろう。

火曜日には、バイエルン放送協会交響楽団の前売りが始まる筈だったが、プランBのプログラム改正自体が全て九月まで延長された。やはり、現時点では中々決められないのだろう。ベルリンはその点は少し先にシーズンが始まるので致し方が無いのかもしれない。



参照:
バーデンバーデンの調印 2020-07-02 | 文化一般
最後までの憎まれもの 2020-07-10 | 雑感
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バイロイト対ザルツブルク

2020-07-19 | 文化一般
ザルツブルクでの感染が広がっている。病院の医師など25人が隔離されている。先日は警察官でこれは感染ルートが掴めなかったのだろう。今回はボスニア出身の婆さんの患者からとある。バルカン半島からの感染者が問題になっている。ザルツブルクの方針は最大限のPCRテストを行い、少なくとも公的や観光にあたる人達から感染しないように、陽性者の発覚と隔離に全てを掛けている。ffp2マスクで市民は苦労しても、観光客が減るようなことは一切しないとその方針が徹底しているようだ。要するに迎える方は隔離を徹底すれば観光客には感染が広がらない。先ずは夏を乗り越える事、それに全ての努力が向けられている。観光も郊外などはまだ催し物の数が少ないために埋まっていないようだが、結構の予約がなされているようだ。音楽祭が三分の一の規模しか無ければそれは当然かもしれない。

ザルツブルクはバイロイトに対抗して音楽祭が置かれたらしい。百周年記念番組で色々な情報が流れる。そのバイロイトに関して再び管理理事長がバイエルン放送局に改めて語っている。先ずは、祝祭劇場は2022年の「指輪」の舞台作りをするので使えないという。また、2021年の音楽祭は行う心算で準備していて、既に発表されたように発売時期は延長されるが、その実行へは多難であると語っている。

友の会などの為に見学などを予定して、既に発表されたようにティーレマン指揮の催し物なども予定されている。また本来の開幕日には毎年の様に早くから滞在している元祖音楽監督が楽匠の手紙を朗読するかもしれないとしている。そして繰り返し、秋からカタリーナ・ヴァークナーが戻って来るかどうかという話しで、また取締役に応募したという数が今回は百人から五十人へと半減している。書類選考が進んでいるのかもしれないが、正直この元バイエルン州財務大臣の言葉は裏読みしなければいけない。

理事長は、早期の中止の判断が正しくそれ以外の決断の可能性は無かったとする。それは客席の問題よりも奈落の管弦楽団の問題だったと、狭いと表現する。勿論換気も公の空調が無いためにとしている。

催し物もフォローリアンフォークトとニールントのローエングリンの湖畔のオープンエアーがハイライトになるとしていて、それも小さな編成とピアノの伴奏である。お馴染のグロースボェックの歌のオープンエアーもある。

要するに元祖指揮の演奏会も放送の予定は入っているが、何らかの話題になるものかどうかは分からない。少なくとも理事長は元祖に会いに行く様だ。カタリーナが復帰する前の下交渉という立場であろうが、けりをつけるという事になりそうである。昨年もザルツブルクの復活祭の交渉の為に新支配人のバッハラーが元祖に会いに行って会えなかった。しかし今回は会わないというわけにはいかないだろう。

前回書き残したことがあった。ベルリナーフィルハーモニカーの第一ヴァイオリンのコンツェルトマイスターの後ろで弾いていたシュテルン氏の話しである。ザビーネマイヤー騒動でカラヤンとの間にも確執が生じたがその時のカラヤンに付いた支配人との関係でも大きな問題があったというのだ。それはベルリナーフィルハーモニカーの室内楽活動や所謂ムッケと呼ばれる余興の仕事の問題だったとされる。

それ以前にクラリネットのカール・ライスターなどがコンサートに出ることなく、クルーズ船で小遣い稼ぎをしていたりして、客演指揮のオイゲン・ヨッフム等が苦情していたりしていたとする。当時公式に許可されていた活動は12チェロ合奏団とかベルリンのフィルハーモニカーを名乗るものは限られて、それ以外には四重奏団などが自身の名前で活動していたりで活動が限られていた。今は誰もが小遣い稼ぎのムッケに忙しく、フィルハーモニカーの名前でそれがなければ相手にされないようなソロ活動までをしているのである。そのフィルハーモニカーの自由の確保という事でもあったのだろう。女性のフィルハーモニカーが生まれる前の事であった。



参照:
四苦八苦している内実 2020-07-17 | 雑感
保留付の意味とは 2020-07-16 | ワイン
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合唱するための必要条件

2020-07-15 | 文化一般
先週のベルリンでの合唱実験の発表が大きな話題だ。既にミュンヘンでも行われていて、今更と思ったが、コロナのエアロゾール感染でベルリンでは十月まであらゆる室内での合唱行為が六月末に一方的に禁止された。それを受けて今月末の会合に向けての合唱活動における基準作りとしての重要な使命を受けていたからだ。

結果は、エアロゾール感染が否定されない限り、室内での合唱行為は大きな感染の危険があることが証明された。同時によりその細かなパーティクルの挙動から室内での合唱への規則を定めることで、合唱行為の可能性を見出したことに価値があるとされる。

先ず基準は、左右に1メートル半、前後に2.5メートル開けて、最大30分まで。そしてパーティクルの密集を招かないように人数当りの充分な容積と強制的な換気が必要とされる。自然換気では外気温や状況が異なるので安全が保障されない。

恐らくこれで正しいと思う。人数を減らしてバロックや古楽並みにするしか現時点では難しいと思う。その点ではザルツブルクの第九は非知性主義の試みだろう。残念ながらそれを良しとするムーティ氏は幾らいい格好をしても駄目である。フィンリーを含む豪華独唱陣は楽団の前に立つのだと思うが、練習から更に三回も公演をして舞台上での集中度はかなり激しい。指揮者の判断で合唱団をどこまで切り詰めるか、ヴィーナーフィルハーモニカ―を小さくするかなど、最高金額の収入のムーティ氏の評価に繋がる。それどころか下手をすると曝露するかもしれない。若い医者でも曝露すると亡くなる、もう少し警戒すべきお年頃だと思う。93歳でルツェルン祝祭管弦楽団デビューするというブロムシュテットという指揮者には誰も勝てないが、こちらはなにがあっても神の思し召しと誰もが納得する。

楽劇「エレクトラ」の楽譜を落とした。短い作品であり、それほど厄介とは思わないが、沢山変化記号がついているのをどう読むかだろうか。前回生で聴いたのはザルツブルクの大劇場公演だったと思う。浅利慶太があまり意味の無い演出をして盛んにブーイングを受けていた。指揮者はロリン・マゼールだった。プログラムを開けるとキャストを思い出した。1996年8月1日の初日だった。
Leonie Rysanek last performance _ (Clytemnestra) 25/8/1996 -1/5

Leonie Rysanek last performance Clytemnestra 25/8/1996 2/5

Leonie Rysanek last performance - Clytemnestra 25:8:1996 3:5

Leonie Rysanek last performance Clytemnestra 25:8:1996 4:5

Leonie Rysanek last performance - Clytemnestra 25/8/1996 5/5


その公演で引退したレオニー・リザネックがクリテムネストラ、タイトルロールをヒルデガルト・ベーレンス、今回アスミク・グリゴーリアンが歌うクリソテミスはカレン・フフシュトットと言う人だった。もう引退しているようだがヴァージンレーベルでサロメを歌っているようだ。正直全く思い出せない。両ヴェテランに関してはリザネックはもうボロボロだったような記憶がある。ベーレンスは声は出ていたように思うが細かった記憶が微かにある。お勉強しているうちに思い出すかもしれないが、当時はシュトラウスの楽譜なんて無料ではダウンロードできなかったので、記憶がそれ程定着していることはないだろう。

マゼールの指揮は悪くはなかったと思う。だから演出がただ単にエーゲ海のような光を出していて、一言で言えば全てが白昼の元に晒されるというような塩梅だった。それとマゼールの指揮はよくあっていて、ヴィーナーフィルハーモニカーも精緻な演奏をした印象がある。衣裳は森英恵だったようだ。失念していた。

どうでもよいことだが、ドルトムントに履いて行ったお出かけ用靴を漸く磨いた。本当は直ぐにでも手入れしておかないといけないのだが、誰もやってくれず無精者だから仕方がない。そう言えば全く何もしない父親が靴だけは気が向くと自分で磨いていたことを思い出した。人に上げる程イメルダ夫人の様にまでは行かないが、男性としてはなぜか沢山の靴を持っていた。恐らく愛用の靴屋で購入を趣味としていたのだろう。公式のプロフィールには茶の湯とか書いていたようで笑わせる。



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壊滅に向かうか墺音楽界 2020-07-14 | 文化一般 
音楽祭百周年記念番組 2020-07-13 | 文化一般

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壊滅に向かうか墺音楽界

2020-07-14 | 文化一般
ザルツブルク音楽祭の券を入手した。明け方眼が覚めて試しに覗いてみると既に開いていた。何時にセットしてあったかは分からないが、午前零時という事は無かったと思う。こちらは早めに就寝して早起きして走って戻って来てからと考えていた。購入後に宿まで予約してまだ時間があった。宿泊代52ユーロは嬉しい額である。

前夜には幾らか安いところが売れた。入り口があったのは既に券を購入している人だった。最後に落穂ひろい的に漁ったのだろう。それで目玉の新制作「エレクトラ」の200ユーロの券は大分出てしまったようだ。当方の最終的な狙いは、これ一本釣りで、初日は売れ切れているので別として、第一希望10日(月)の生放送日、第二希望16日(日)、第三に21日(金)、6日(木)と24日(月)の安く確実に入手できる日時を第一とした。宿の空き部屋状況から6日は比較的込んでいそうだと見込んだ。

そして実際は、その4時半ごろの状況では200ユーロは21日しか出ておらず、他の催し物も一泊で序でに寄れるムーティの第九も前日に85ユーロが売り切れていた。要するに「コジファンテュッテ」など二つ目の催し物を狙わない限り、16日や21日に出かける価値は無かった。また第一希望日は345ユーロしか残っておらず早速断念 ― 数時間経過後に再び200ユーロが出ていたが、最初の三回の公演を全て聴けるのでそれも悪くはない。初日なら出しても流石に中継録画は15日にゆっくり観られることもあり、やはり高過ぎる。

そして何よりもコロナで音楽祭が中断になるかもしれないので、出来る限り早い日時を狙った。初日前のゲネプロから二週間もすれば内部でのコロナ騒動も避けがたいとみた。10日頃は一先ず分水嶺ではないかと思う。という事で200ユーロの券を捨てて、6日の275ユーロを購入した。あとはアスミク・グリゴーリアンに休まずに歌って貰うしか希望は無い。新制作の二日目はどこでも概ね避けられる傾向がある。それは二回の生中継の間に矢張り調整に来るからだが、収録前という事で色々とやって欲しい。

さて座席は、列はそれほど後ろではないが端なので音響的にはなんとも言えない。千四百人の会場に半分ぐらい詰めるのだろう。千人まで許可されていても、それ以上詰める訳には流石のオーストリアの自己責任社会でも難しい。今回の残券状況を見ていると明らかにドイツから控えた聴衆が少なくない。

長椅子なので場所が開くと反響は強くなるだろう。傾斜はあるので客席ともの俯瞰的な視野は得られる。そもそもヴィーナーフィルハーモニカーが刈り込まずに演奏するのかどうかもまだ定かではない。

兎に角、こちらのタクティクスはラッシュで如何にザルツブルク滞在時間を短くするかである。公演中は仕方がないが、ビールはトスカニーニ広場でシュティーグルぐらいを一杯引っ掛けられるならばいいが、あまり長居はしたくはない。まあ、特別に飲むほどのビールでもないと思う。

ベルリンでは月末にあらゆる合唱行為が禁止された。それに対してミュンヘンに続いて追加実験が行われた。エアルゾールへの影響はレーザー探知でも再確認されたが、同時に空調や空間でその集中を避けることが重要とされて、前後2.5m左右1.5mを推奨として月末に再び再検討が養成される。ザルツブルクの第九は列をずらすぐらいで到底この範疇に収まらない。オーストリアのオペラと音楽界の壊滅は時間の問題だろう。

今回のザルツブルク音楽祭のごり押し開催もまたこれぐらいの売れ行きで経済的な価値があるのだろうか?半数入れたとしても到底儲けは出ないのではないか。地元観光にしてもいつものように長期滞在するだけの出し物もない。やはり海外からの旅行者が来ないと駄目だろう。



参照:
音楽祭百周年記念番組 2020-07-13 | 文化一般
百周年ザルツブルク祭計画 2020-07-09 | 雑感
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音楽祭百周年記念番組

2020-07-13 | 文化一般
ザルツブルク音楽祭百周年記念番組、1988年フォンカラヤン指揮アンネゾフィームター演奏のチャイコフスキー協奏曲。テムポは晩年のカラヤンらしいもので、先に亡くなったベームよりも最後までスタイリッシュさを失っていなかった印象があったが、やはりベルリンのフィルハーモニカーでは取れなかったテムポで、ヴィーナーフィルハーモニカーの演奏と合わせて嘗てのチァイコフスキー演奏の表現力が無い。個人的にも関心を失っていたので、この演奏会中継の記憶が無かった。

ムターの演奏も年寄りに合わせて流石とも思わないではないが、後年の技術的な安定にまでは至ってはいない。やはり90年代からの彼女のそれとは大分違う。身体も心も巨匠風になった。

前夜にはヴィーンの歌劇場のアーカイヴ録音から「アラベラ」全曲をデラカーザやローテムベルガーの歌で聴いた。1964年6月24日の実況中継録音の様でモノラルだが音は綺麗に捉えられていた。同じカイルベルト指揮のミュンヘンでの録音などは有名のようだが、ヴィーナーフィルハーモニカーのシュトラウスには欠けるものがあるように感じた。その欠けるものこそが今後ともシュトラウス解釈の真骨頂となるのだろう。

ザルツブルクの会場を研究している。中ホールは新しくなってからは知らないが古い時はフォンドホナーニ指揮で「コジファンティッテ」などを聴いた。大ホールは何度通ったか知らないが平土間は殆ど覚えていない。座ったことが無いかもしれない。屋根の下だけは苦になりそうだが、馬蹄形で何処も近い。バルコンは特に後半は若干遠い感じがしていた。反対にフェルゼンライトシューレは上があったのは忘れていた。そもそも前の方にしか座ったことが無いからだ。

舞台の上が開くようになっていて半野外にもなるのだが、公演中に開けたのは記憶にない。その代りベリオが自作自演したオペラの時は屋根の上から半開きの音などを聴いていた。今年は楽劇「エレクトラ」がここで上演される。演出はヴァリコスキーのようなのでコロナ換気も含めてこの屋根をどのように使うのだろうか。少なくとも天気さえよければ自然光は使える。夕立だけは致し方が無い。

先日録音し直したキリル・ペトレンコがヴィーナーフィルハーモニカーの定期公演デビュ―した時の録音を流している。カラヤン晩年の指揮とのその差は大きい。なにも出来ないような管弦楽団からここまでの音楽を引き出している。生放送の時は後半に失望の方が大きかったが、今こうして聴き直すと限られた練習時間内でやはり立派な音楽にしている。

ヴィーナーフィルハーモニカーが今後の指揮者についてのリストアップで最後のキリル・ペトレンコを挙げていた。よく考えると、ヴィーナーフィルハーモニカーで当面オペラを振ることはないかもしれないが、定期以外にもミュンヘンでの七月の出番が無くなると、八月にはザルツブルクで振ることも予定されているのかもしれない。つまり再来年以降となる。



参照:
二泊三日は必要ないか 2020-07-12 | 生活
オペラが引けて風呂と酒 2019-07-11 | 歴史・時事
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マスクを素早く着脱

2020-07-11 | 文化一般
ベルリンから新シーズンへの情報が流れて来た。先ず当局の定めは、八月中は500人まで、九月中は750人まで、十月一日から1000人までの入場が可能となる。また合唱は許可されない。それに準じて、ベルリナーフィルハーモニカーは新シーズンのプランBのプログラム、入場券発売の日程を今月末に発表すると連絡があった。

要するに上の条件で年内のプランBが定まった。先ず、明らかなのは合唱曲は年内は全て除かれるという事だろう。そして、舞台上は、ツェッチマン支配人が語ったように、60人までの編成となる。その基準でジルフェスタ―コンツェルトを除く年内の全ての公演が八月中に発売される。

更に具体的に推測すると、オープニングは四人に一人掛け、九月中の座席は三人に一人掛けとなる。十月からも一席づつ開けてでは1.5mの間隔が取れないので、精々三人に一人掛けで850人収容ぐらいが限度となるだろう。

プランBに関しては一部の大編成の曲が入れ替えられる。またプログラムが休憩無しで短くなる。それ以外は変わらないとなる。個人的に関心があるのは、十月末のアメリカ旅行の為のプログラムが入れ替えられることになりそうなので、エロイカ交響曲が入るのではないかと想像する。少なくとも「フィデリオ」全曲の可能性は無くなった。町人貴族やプルチネッラが入る可能性がある。するとそのプログラムとブラームスプログラムの二種でバーデンバーデン、フランクフルトは回れる。

兎に角、先ずはザルツブルクである。ベルリンでのオープニングの翌朝出発してザルツブルク入りだ。例年の如く条件が悪い。それゆえかブラームスの四番の売れ行きがあまり良くない。個人的にも同一プログラムは毎年ルツェルンでも演奏されるのであまり価値が無いが、今年はどうなるかよくわからない。しかし、上のバーデンバーデンで演奏するぐらいならばルツェルンまで足を延ばす可能性もあるだろう。もう一つのピアノ協奏曲はソリストも日程があるので何とも言えない。少なくともアルテオパーで予定されているので収容人数をどのように合わせてくるかだけだ。

安い席も空いているので考慮はするが、態々ザルツブルクまで行って聴く価値があるかどうか?やはりザルツブルクは芝居でもなくてオペラである。室内楽もベルチャ四重奏団などはチュリッヒに行った方が音響も良くて客層も良い。オペラは、「エレクトラ」と「コジファンテュッテ」の二作品で、両方と大劇場で上演される。両方とも手頃な券が買えれば二泊三日で片づけたい。例年よりも観光客も少なく、宿泊費もお得なので資は取れるだろう。上手く日にちが合えばとは思うが、ムーティ指揮の第九などは両方のオペラからの歌手が出るので連日では上演されない。

まだ来週ぐらいにザルツブルクの舞台袖で感染が広がって、準備が出来ずに、開催断念になる可能性も小さくはない。券を購入するならば支払い方法も返金が受けやすいように考えておこう。

ミュンヘンからの中継を観た。バイエルンの放送交響楽団をザルツブルクから駆け付けた指揮者メストが振って、ベルリンからピアノのイゴール・レヴィットが弾くというものだ。ベートーヴェンの第二は昨年ペトレンコ指揮でランランのピアノで聞いた。極力テムポを落とすとピアノ以上に楽団の弦楽器陣が悲鳴を上げていた。やはりこうした表現力となると特に間隔を開けているのでとても厳しい。

しかしなによりも最初のナレーションであったように、バイエルン州初だろうか、会場内でマスクをとることが許されていて、着席するまでのマスク着用義務へと他の州並に変わっていた。署名運動をやろうかと思ったほどのポピュリズム政治家の掛け声でワクチンが出来るまでマスク着用と叫んでいたが漸く馬鹿が修正された。規制を強化するのも緩めるのもポピュリズム政治家にとっては見せ所で、ヴィーンの首相もそれを実践している。これで秋のミュンヘンのオペラ訪問なども可能性としては再び浮上してくる。

ガスタイクの広い会場には百人の入場しか許されておらず、その分反響があっていつもよりもいいかもしれない。それに引き換え昨晩のパリのフィルハーモニーの情景は人を詰めてマスクをさせるという最悪のものだった。あれでフランス人が我慢しているのには感心する。



参照:
最後までの憎まれもの 2020-07-10 | 雑感
すわ、コロナ吐血か 2020-06-23 | 雑感
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注目する親子関係

2020-07-07 | 文化一般
ルツェルンから連絡が入っていた。来週の券の発売の前宣伝としてそこの管弦楽団でデビューを果たす93歳になろうとしている指揮者ブロムシュテットにインタヴューをしている。初めての楽団でどうかと尋ねると緊張しているというのだ。更にやってみないと分からないのは、初めての1.5mの間隔を開けた管弦楽団の指揮である。ベートヴェンに合わせて35人編成という事で、それは管のバランス背注意すればよいが、やはり間隔だという。

共演するマルタ・アルゲリッチとは何回も共演しているので心配はいらないと胸を張り。最後に共演したのはバーデンバーデンでベルリナーフィルハーモニカーとで、その前にベルリンでと、完全にノルウェーのピアニストアンセルヌと勘違いしている。3月にベルリンで共演して、準備をしていながら復活祭が取り止めになったので幻の演奏会となったのである。その共演者がアルゲリッチだと完全に錯乱してしまっている。ピアニストの顔を見て挨拶すれば正気に戻るだろう。

秋のベートーヴェンプロジェクトに関しては11月20日から22日となっている。もしここにベルリナーフィルハーモニカーを入れるとすれば23日からはバーデンバーデンに準備していた筈だから無理で、前はアメリカ旅行で無理だった。その前は、11月4日がアルテオパーなので、時間がなかった。初めから言及されていた秋とは9月以外にない。しかしアメリカツアーが無くなったので日程的には19日までに入れれる。

つまりザルツブルクに続いての開催しかない筈なのだが、未だにその予定は発表されていない。フェスティヴァルを8月一杯に定めたのは人数制限では、9月のそれを一緒に扱えない事と、又元来のプログラムを補うものは他にないという意味かも知れない。少なくとも秋に何かをというのはこれで終わる筈はないのだが。

そのザルツブルクも良く分からないが、既に一部初日とか放送日とかは完売しているが、あまり売れていないとみている。理由は、ヴィーンやザルツブルクやリンツ近郊からの聴衆を除くと圧倒的に多いバイエルン州からの聴衆は限られると思われるからだ。今までの公演の様子を見ていても、慎重になる人が多く、特にバイエルン州ではザルツブルクのクラスターからコロナを持ち帰ったなどとなると大変面倒なことになるからだ。人口比からも全体の三分の一の発券のなかで三分の二ほどはバイエルン州からだと思う。八万席中六万席ほどはドイツからに違いない。バイエルンから五万席ほどが出るかどうか?

指揮者カルロス・クライバーの誕生日に因んで三時間以上の番組が流された。放送を書いているのは上のブロムシュテットの自伝を筆記したスピノーラ女史である。昨年はキリル・ペトレンコの番組がSWRで流れた。音楽を流しながらでもとても長く、その一生を網羅していて内容が満載である。特にそれほど熱心に調べたことが無い者などにはその活動自体が不定期だったので時制が繋がらなかったが、それが上手に綴られていた。

先ず唯一の30歳当時のインタヴューが聞きものだった。人見知りするような青年で、デュセルドルフの音楽監督になった時のもので、バロックを指揮している録音が流された。ヴィーンのフォルクスオパーやバードイシュールなどでのオペレッタの指揮経験から最も指揮が難しい分野としている。そこでは身元がばれないようにケラーと名乗っていたらしい。全ては親の威光から逃れるためだが、最初から音楽の世界に進むことを拒絶されていたが結局チュッリッヒの工科大学で化学を一ゼメスターでアルゼンチンに戻っても父親の協力を得ている。

この辺りの親子関係も番組の終わり近くに出てくるカルロスはエーリッヒ・クライバーの子供では無くて、ユダヤ系のアメリカ人母親とエ-リッヒが初演した「ヴォッツェク」の作曲家アルバン・ベルクの子供ではないかとされる所である。証言として姉か妹かの証言として、カルロスの机にはベルクの伝記が置いてあったことが紹介されている。もしベルクと母親ルートとの間に生まれた息子とすれば色々とすっきりと腑に落ちることが沢山ある。

重要な録音が、「こうもり」、「ばらの騎士」、「ラトラヴィアータ」、「トリスタン」、「コリオラン」、交響曲、「大地の歌」などが流されて、ミュンヘン、ドレスデンなどの楽団員がエピソードを語り、惚れていたかもしれないというファスベンダ―や研究伝記作家などがその意味合いを説明した。



参照:
マスク着用のあれこれ 2020-06-27 | 雑感
紫の華には猛毒が 2020-06-29 | 雑感
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武漢で病人が出た遠征

2020-07-06 | 文化一般
ザルツブルク音楽祭の二次発券が始まる。パトロンやスポンサーなどを除いた段階で、今年の券を購入していた人向きである。既に傾向は出ていると思うが数を減らした分がどこまで売れるか?丁度発売日前でNDRで特番をやっていたのでちょこちょことBRと切り替えながら聞いていた。ヒンターホイザーという人はピアノも弾く営業の取締役だが、その話しを聞いてなるほどとも思った。

何だかんだとごてごて話していたが、結局お好きなジョージ・クラムのように雲をつかむようなお話しだった。なぜこの人が場違いなポジションにいるのか分からなかった。益々ザルツブルク開催への不安に襲われた。

ざっと今までの経験からすると通常の入場者の三分の一が上限で、実際に八万席のみが売られる。需要は高くてというが、地元近辺やヴィーンからはまだしもバイエルン州からどれほどの人が押し寄せるのかはとても疑問である。

元々券を持っていた人がどれほど取り返していくのか、オペラでは「エレクトラ」しかないが、その管弦楽の規模もまだ発表になっていない。縮小しなければ最終的には無理だと思う。「コシファンテュッテ」も短縮版である。

そのザルツブルクで中心となるヴィーナーフィルハーモニカーがインタヴューに答えている。とても興味深いのは、昨年の10月に武漢で演奏していて、団員の多くが病気になったという事だ。あれだけドサマワリを専門にしている楽団が体調を崩すのは珍しい。それゆえに今回抗体テストを全員にしたという。しかし期待したような結果では無くて一人も抗体を持ち合わせなかったとある。

どのような抗体を検査したのかは分からないが、その手のコロナに感染している人がいなかったという事なのだろうか。そしてこの10月に再び極東旅行が予定されているようだ。そもそも旅行が可能になるかどうかが分からないが、呼び屋さんの方が3分の1とかしか入場を許されなかったら困難だろうと憂慮する。8月25日に最終判断をするという。

フィルハーモニカーはヴィーンの歌劇場の公務員だが8割の給与を得ているというからいい。そして劇場はアルプスの小国にとっては重要な観光資源となっている。そして辞めた前音楽監督のヴェルサーメストが口火を切った。支配人のマイヤー氏が交代するにあたって、その確執からの守秘義務から解放されたと判断したからだ。

経験の薄い可愛い歌手などを起用したことから、国立劇場が世界的に価値を失ったと支配人を激しく非難している。それが監督辞任の真相だったとなっている。そして、外交官のような表向きだけの人間とは付き合えないとしている。

ヴィーンの国立劇場がその芸術音楽的な価値を失ったとする糾弾に異議を申し立てる者は殆どいないだろう。勿論メスト氏が語るように、そのアンサムブルを保証するのは経験のある専属歌手であって、いちいちトレーニングするようなところではないというのは正しい。

何故ヴィーナーシュターツオパーもフィルハーモニカーも音楽的な程度が下がってしまったかというと、それはあまりにもの商業主義に走ったからでしかない。そして新体制もその興行のコンセプトを強化していく。

先の計画をしようにも定まらない。ヴィースバーデンとドルトムントで生演奏を二回聴けたことは良かった。九月までに相当するようなものはなかなか見つからない。もし出かけていなければ二月のアルテオパーでの交響的舞曲が最後の曲となっていた。幻聴を聴きそうになるところだった。同曲のベルリンのフィルハーモニーでの録音を聴いてもあの瑞々しい響きとは似ても非なるものだ。曲によってはやはりHiFiでも補えない響きがそこにある。



参照:
薄氷の上での千羽鶴 2020-06-11 | 文化一般
手袋つけての館内移動 2020-06-10 | 文化一般
大胆不敵なヴィーナー 2020-06-08 | 雑感
あまりにも壊れ易い世界 2020-02-23 | 音
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バーデンバーデンの調印

2020-07-02 | 文化一般
バーデンバーデンの2021年復活祭上演二つ目のオペラがモーツァルト「ツァイーデ」から今年中止になったハルトマン「馬鹿物語」に変わった。理由は既に準備が出来ていたからというものだが、当然のことながら「ツァイーデ」のベルリンでの公演が無くなったという事になるのだろう。演奏はアカデミーの奏者で指揮者はレニヴだった。ベルリナーフィルハーモニカーのアメリカ演奏旅行の直前である。

都合に二枚を押さえていた。初日は殆ど売り切れ状態だったので天井桟敷を購入しておいた。そしてもう一日は比較的良い席を抑えた。それで交換という事なので、差額料金は戻ってくるのだが、二枚入らない。一枚は返上して初日だけにしたが、統一料金なので四月の為に特等席を取ってあった。それが無効になって、天井桟敷では情けないので、よい席に交換して貰った。それほどの席ではないが、仕方がない。損をしたようなものである。差額が戻って来るだけで良しとしよう。

そのバーデンバーデンの祝祭劇場がニュースになっている。祝祭劇場の不動産がバーデンバーデン市の所有になったという事である。元々は債務不履行になってオープン後直ぐに債権者の手に落ちたようだが、既に市が購入するクレディットも償還して、リーシング期間を過ぎて、所有者になった。同時にバーデンバーデン祝祭と25年間の賃貸契約が結ばれた。同時に年数億円の維持費も市が支出する。今迄も同じような家賃契約であったが、これで基盤が安定することになる。

コロナ禍で喘いでいるところなので、仕切り直しとしてはいいニュースである。市にとっても、バイロイト、ザルツブルクに並ぶ三大祝祭としての欧州チャムピオンを狙い、それら同様の経済効果を見込んでいる。それが公金を十数億円支出して、更に維持費を支払っていく根拠となっている。要するにバーデンバーデン祝祭にはそれに見合うだけの催し物を提供していくという事になる。

他の二つの音楽祭と異なるのは年間を通しての催し物の提供と大都市圏にあるという事で、宿泊などをしない日帰り訪問者も少なくはないであろうが、それは出し物の出し方や周辺事情によって変わってくるだろう。例えば復活祭での室内楽も計画されている小劇場が併設されれば、又ブーレーズ音楽祭などが始まれば宿泊の必要にも迫られるようになるだろう。上の小オペラも昼の出し物としてそのような役割も受け持っている。

兎に角、祝祭劇場は七月、八月にホテルや美術館で数回の室内楽演奏会を開いて、新シーズン九月、十月の既に休業しているロンドン交響楽団などに代わる新プランを六週間ごとの基準変化に合わせて八月後半に発表する。先ずは500人規模での演奏会となるようだ。つまり五分の一で、厳しいバーデンヴュルテムベルク州の状況に合わせてある。

既に250人までが許可になって、八月からは499人までとなっている。九月からは更に限界が上がる筈だ。つまり、八月一日の時点では十一月の入場制限数は500人からどれだけ上昇しているのか?



参照:
お見通しの僕の思惑 2020-06-14 | 女
怖くないコロナ第二波 2020-06-12 | 雑感
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奈落拡大計画の実験

2020-06-24 | 文化一般
ミュンヘンのオペラの奈落拡大計画を読んだ。工事は大分前からやっていたが、最終的な目標が書いてあって、既に音響実験はしているのだろう。先ずファクトとして、1.5mの間隔を取りながら一人当たり7平米を確保しながら新シーズンをどのように進めて行くか、その問題は管弦楽団にあって、先ずは50年前に設置されたピットの壁が取り外された。

通常111人入る世界でも最も大きな舞台の奈落として100平米を客席四列分拡張することで170平米とした。しかし上の衛生条件では通常の人数も入らない。そこで管弦楽団を奈落では無く上に出すことで音響的に解決する方法が取られる。

因みに来週月曜日の二種類のアンサムブルの設置図が示されていて、キリル・ペトレンコが指揮することになる。30人近い管弦楽となっている。カウフマンは張り出し舞台で歌うのだろうか。

指揮者は当然のことながら歌声とのバランスをとることは要求されるが、この方法が当分のコロナ基準の中では最も芸術的な可能性がある解決法としている。その他のシールドの聴覚への悪影響など憂慮すべきことだとしていて、この月曜日のバロックコンサートでのテスト結果などから、この解決策で新年度は公演が進められる。客席は2100なので、恐らく三分の一原則で800席ぐらいの公演が続くのではなかろうか。

一方ベルリナーフィルハーモニカーの支配人ツェッチマンがインタヴューに答えて、8月25日以降は学校でもソーシャルディスタンシングが廃止されるので状況が変わってくるのを期待していると発言している。そして音楽界はツーリズムや飲食業のように充分に妥協がなされていないと苦情する。インタヴュアーがそれはヴィースバーデンに登場した歌手のフォレが飛行機内の様子を示した写真のようなことを言うのかと追い打ちする。

そしてザルツブルクではより制限の緩いオーストリア対応でやるのかと尋ねると、「それは自らがシャリティで検証結果を出したように、ドイツの基準に従う、なぜならばここの保険でそこで勤めているからだ」と明晰な回答としていた。

シュヴェービッシュの新聞だからか、復活祭に関しても言及していた。「フィデリオ」を楽しみに、それ以外の全体にもと発言していて、こちらの関心をぐっと掴む。折からベルリンの歌劇場が8月31日に「フィデリオ」でオペラ上演を再開すると聞くと、11月のアメリカ旅行中止の節はその他のマーラー交響曲六番や「ミサソレムニス」は不可能なので、「フィデリオ」の方が可能性が歌手のスケデュール以外は演奏の可能性が高くなってきたというのもある。

当初の予定としてニューヨークから飛んできた21日、22日、23日の週末が小さなフェスティヴァルとして予想された。直後の翌週に「サロメ」の舞台稽古などが予想された。祝祭大劇場が空くのは16日からで一週間と週末が使えるのだろう。

その日程ではマルリス・ペーターセンは11月13日までマリエッタをブルッセルで歌う。マチュー・ポテンザーニもシカゴオペラがキャンセルでフリーに、ヴォルフガンク・コッホも15日までで新制作をミュンヘンで終える。タレク・ナズミは21日からマクベス。ハンナ・エリザベートミュラーだけがヴィーンでアラベラ。キャスティング一部変更でなんとかならないものだろうか。演出は力のある人なら何とかなる。合唱の扱いだけは工夫しなければいけないだろう。

それにしても新シーズン年内は活動しないロンドンの交響楽団の入場券を未だに売り続けている祝祭劇場は如何なものだろうか?それでも現金では返さないとすれば詐欺に近く不誠実だ。



参照:
奈落を平土間へと拡張 2020-06-03 | マスメディア批評
大胆不敵なヴィーナー 2020-06-08 | 雑感
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厚かましいネット配信屋

2020-06-17 | 文化一般
ルツェルンからお知らせが入っていた。月末に8月後半の計画を知らせるという事だが、秋の計画に繋がっているかどうかである。

水曜日にバイロイトから再び発表がありそうだ。7月25日の開幕に元祖音楽監督ティーレマンが指揮して無人で演奏してBRで放送されるという計画らしい。このニュースはバイロイトの地元紙しか出していない。既にキャンセルされた夏の音楽祭だが他の音楽祭等が何かを執り行うという事での企画らしいが、このニュースに幾つもの事が読み取れる。

一つは指揮者ありきで演奏会という事になるので、計画自体が元祖音楽監督筋から出てきていることは推測可能だ。その一方で放送が前提条件になっているのでBRに打診はしてある筈だ。しかしミュンヘン筋からは全く話しが流れていない。

本来ならば最終判断をするのはカタリーナ・ヴァークナーであるが、その任は他の取締役に委譲してある。その決定がなされる。つまり企画自体はカタリーナ抜きを前提としていて、五月に元祖音楽監督が落語のラクダの如くカタリーナの二人羽織をさせたインタヴューととても似ている。明らかにカタリーナ抜きでの動きがそこから出ているのは確かであろう。

結論はどのように下されるかは分からないが、この秋に契約が切れる元祖音楽監督がカタリーナ抜きで行う企画という事で、愈々黄昏の催し物となる。注目である。

Takt1というドルトムントの連中が始めたネット放送局がある。その創立者の一人バーデンバーデンのスタムパ支配人の関係でそこでの公演が幾つか提供された。まともに観るようなものは無かったが、その時に一度登録した。その後再三再四個人名でお誘いが来る。男性や女性や何人もの名前である。更にお試しの誘いもあった。社長のインタヴューをFAZで読んでいたので、妙な気がした。なぜならば追い風と書いてあったからだ。それでも執拗に勧誘があるのは経済的に難しいことを語っている。

確かに一度生放送を観たが、エマールのリサイタルで数人しか観ていなかった。最大で瞬間104人だった。恐らく無料でのガイスターシュピール出演だったのだろうが、104人のどれだけが有料視聴者かと思った。

そして本日入っているメールを見て驚いた。どこかの文章を引用して只で観るなら演奏家援助の為に金を払えと書いてある。何たる破廉恥!こ奴らは、勝手にただで提供していて、金払えというのか、本当に腹立しい。こいつらには肖像権を請求したくなる。そもそもドルトムントの会場の演奏会を無料で撮影して放送するから成り立っているという事業である。それが会場での有料演奏会が無くなったから、無料で宣伝に使うソプラノ歌手のクレメス等の番組を流したという。一体こ奴らはどこまで厚かましい連中だ。こうなれば放送の邪魔をしたくなる。

沢沿いを走っていると結構な年配の老夫婦が歩いていた。間違いなく危険であることは自覚しているだろう。声を掛けて通常以上の間隔を開けているつもりだが、息の流れはどうしても気になる。後ろからと復路で二度すれ違った。復路では横に寄ってくれていたのでスペースは充分に開いた。あれぐらいの気持ちがお互いに大切である。



参照:
無価値なストリーミング 2020-04-21 | 音
演奏会の今後の解決課題 2020-04-18 | 音
重篤のバイロイト音楽祭 2020-05-27 | 女
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