Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2012年8月

2012-08-31 | Weblog-Index


肉汁たっぷりを活かす 2012-08-30 | 試飲百景 TB0,COM0
知能低下の著しい日本政府 2012-08-29 | 雑感 TB0,COM2
エリート層育成への茨の道 2012-08-28 | マスメディア批評 TB0,COM2
中共が野田政権を後押し 2012-08-27 | 歴史・時事 TB0,COM2
大量生産ビオ商品市場で 2012-08-26 | 試飲百景 TB0,COM2
本当に価値のある商品とは 2012-08-25 | アウトドーア・環境 TB0,COM4
本年第三登の気持ちよさ 2012-08-24 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ザイルの中間マーキング 2012-08-23 | 雑感 TB0,COM0
フクシマ後の現状認識研究 2012-08-22 | BLOG研究 TB0,COM2
取り敢えずのフットワーク 2012-08-21 | 女 TB0,COM2
ザールリースリングの旨み 2012-08-20 | 試飲百景 TB0,COM2
詐欺の前に凍りつく聴衆 2012-08-19 | 文化一般 TB0,COM0
ザール渓谷の文化の質 2012-08-18 | 文化一般 TB0,COM2
大阪のポピュリストを回避 2012-08-17 | マスメディア批評 TB0,COM0
爪先走りで膝を立てる 2012-08-16 | 生活 TB0,COM0
廃炉に向けた響き合う文化 2012-08-15 | 文化一般 TB0,COM0
市場が見え難い車Bクラス 2012-08-14 | 雑感 TB0,COM0
素っ裸のハイキングに思う 2012-08-13 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
秋へのスパートが楽しみ 2012-08-12 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ロビーや市民感情を乗り越えて 2012-08-11 | 文化一般 TB0,COM0
手術台に射しかかる松蔭 2012-08-10 | 雑感 TB0,COM0
草臥れ果てた一日の成果 2012-08-09 | 生活 TB0,COM0
新しいザイルを紐解いて 2012-08-08 | 雑感 TB0,COM0
著作権権益を護る密告 2012-08-07 | 文化一般 TB0,COM0
緑の党京都のイヴェント 2012-08-06 | マスメディア批評 TB0,COM2
鍛錬可能な経験の積み重ね 2012-08-05 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
福島の蛸とか大阪の盛り上がり 2012-08-04 | マスメディア批評 TB0,COM0
揺らぐ霞ヶ関と情報カルテル 2012-08-03 | マスメディア批評 TB0,COM0
些か夏バテ状態での練習 2012-08-02 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ハイエンドザイルの実力と価値 2012-08-01 | 雑感 TB0,COM0
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肉汁たっぷりを活かす

2012-08-30 | 試飲百景
ザールへの旅の思い出として忘れぬうちに書き留めておこう。最大の成果は、フォンフォルクセン醸造所のリースリングを試せたことであるが、反対に予想を確認したのが、ザールシュタイン醸造所での試飲であった。

先ずなによりも2011年産における亜硫酸過多を確認して、それに関して保存剤としての効果を主張するだけで、醸造上の問題としての説明が無かったことは、まさしくこの醸造所がスタンダードな醸造法を踏襲するだけでそれ以上の仕事もせずに努力もしていないことを明らかにした。オーナーの人間性に関しても予想通りであり、それについては触れる必要もないが、一つだけ否定的な印象は写真よりもほっそりとしていて、如何にも醸造所の覇気の無さを体現しているようでとても残念であった。

スタンダードな醸造法や栽培の踏襲で、いかにもVDPの方針とその道筋を歩んでここ数年は可能性を感じさせていたのであるが、それを土台とした意志の高さがないことには高級なワインなどを提供できないのである。なるほど、当日もハムブルクの酒業者が試飲に訪れていて、我々と入れ替わりとなっていたが、95%までは辛口が売れる国内市場において、その辛口のスタンダードの質が問われるのである。当日試飲した中で、お試しパケット以上に良い印象を得たものは皆無で、寧ろ荒が目立つものもあった。正直、今後の発展にはあまり期待できない。

そこで紹介されたホテルレストランは、ドクター・ヴァークナー醸造所の近くにあったのだが、ツインをシングルとして90ユーロということで、やめた。そのヴァークナーの最もベーシックな半辛口のリースリングを貰って試した。予想以上に炭酸も少なく、静かでありながら残糖感があまり残らないのに感心した。やはりザール独特の重めの酸が効いているからだろう。辛口でなければ流石に上手に醸造している醸造所は数多いに違いない。

しかし辛口においては最終的に土壌感やミネラル風味を十分に出せないことには高級ワインとはならないので、亜硫酸過多が鼻に来るようなリースリングでは話にならないのである。結局は、熟成の最後においての温度管理や樽の扱いなど細やかな扱いが出来るか出来ないかの相違に違いない。

宿探しで思い出したのがアイルにあるペーター・ラウワー醸造所である。二十年ほど前に訪ねたときもホテルのレストランで試飲をしたのを覚えていたからである。町は小さく、殆ど当時の記憶はなかったが、唯一のホテルらしきを見つけるには飲酒運転でも殆ど時間は掛からなかった。店先の感じなどは当時とは異なっているようだったが、安くとても快適にそこで飲食住が出来た。

食事に、四種類ほどのグラスリースリングを取って、フンスリュックのジューシーな豚肉に合わせた。食後にホテルオーナーと彼の母さんのことやフランクフルトの日本の旅行手配会社の支店長親仁のこと、昨年日本から訪れたソムリエ氏のことなどを話しながらの送迎ドライブの後、改めて二種類の高級リースリングを試飲させて貰った。一種は、クップ56と名づけられたクップの中間域に56年に植えつけた葡萄で、翌日先代が懐かしくそのときのことを語ってくれた。青スレート系のスパイシーさがなかなか綺麗に出ていたので購入した。もう一種のショーンフェルツは更に力もあり、土壌のベースは岩盤となっているようだが、味筋は逆に角が無くて物足りなかった。価格差は三ユーロであるが、もしこの醸造所がVDP加盟であったならばこうしたちぐはぐな印象を与える価格設定は起こらないであろう。つまり我々が吟味すれば結局価格も決まってしまうということなのである。エクストラトロッケンも改めて試飲して購入したが、その価格とフォンフォルクセンのザールリースリングを比較すれば、如何にフォルクセンのワインに価値があって、ラウワーのそれが独自な価格体系の中で動いているかが分るであろう。美味いとか不味いとかの問題ではなくて、高級ワインの価値はその質にあるのだ。

VDP加盟ザールシュタインのグラウシーファーとラウワーのエクストラトロッケン・ファスツヴァイの価格は、前者が若干高いが、その質などを比較すれば殆ど変わらない。寧ろ後者の方が価値がある。VDPに加入していることで価格が上がるような例は無いことは無い。加盟醸造所の中堅どころのその価値は必ずしも市場価格よりも高く無いと言うことでもある。

全体の印象としては、ザール地方は国境にも近いこともあってか、嘗てのザール地方の鉄鋼などの経済発展にあやからなかった地域は経済基盤が弱い。そのような理由で高モーゼル高架橋の建設などが経済政策として決まったのであるが、観光だけでなく地場産業のワイン栽培などの可能性を狭めるとすればもはやこうした地域には生き残りの可能性は無くなる。そのワイン栽培も嘗てのように甘口を醸造して海外の市場に依存しているようでは、結局は零細なワイン農家は生きていけないだろう。国内つまりEU内市場があってこその経済である。



参照:
ザール渓谷の文化の質 2012-08-18 | 文化一般
ザールリースリングの旨み 2012-08-20 | 試飲百景
大量生産ビオ商品市場で 2012-08-26 | 試飲百景
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知能低下の著しい日本政府

2012-08-29 | 雑感
レヴィ・ストロ-スなどの見解に影響されているのかも知れない。そうした文化的な視点を据えることで環境が良く見えてくる。

ここでは慰安婦問題については、オランダ人による訴訟に関して一度触れている。当然のことながら植民地や占領地域などで同様のことが為されていたのは確かであろう。しかし驚いたことに、先日日本政府は第一次資料が無いといって、韓国人の慰安婦問題は存在しないとしたようである。

この野田首相の見解を聞いて腹を抱えて笑った良識人も少なくないことだろう。ナチス政権にも明らかなユダヤ人虐殺最終作戦のそれが記録されていないように、総統の命令書どころかそうしたものが存在しないのが通常である。

そうした点を重要視して、都合の悪いことはなかったとするのが所謂修正主義者といわれる陣容で、数年前までは世界中で盛んに話題となったが、なぜか最近はあまり噂を聞かない。特に日本ではネット右翼と呼ばれていたのである。

さて野田首相の見解は、そのもの官僚の作文としても良いのは周知の事実として、こうした修正主義的な見識が出てくるのを知識人・文化人は驚いた筈である。それも311以後の今日、現在においてもそうした都合の悪い行政上の行いは、悉く記録から抹殺されて証拠が残らないようにはじめから隠滅されていることが、首相官邸から経産省、文化省に外務省までありとあらゆる行政機構のサヴォータージュ行為において明らかとなった ― こうした社会では科学的な思考や分析は進化せずにこれが亜細亜の特徴ともなったのであろう。

そうした政府の福一原発事故調査でも明らかとなっている事実さえも前提として認めようとしていないのは、こうしたありとあらゆる役人のサヴォタージュ行為を闇の葬ってしまうためには、なんと言われてもこの見解は崩せないのである。それ以上に、こうした修正主義者的な見解が日本の官僚組織から平然と外交的な立場として述べられるようになると、もはや日本人も朝鮮人やシナ人程度ということになる。

日本の友人と話した節、最近のゆとり教育育ち世代の学力が落ちてきたと大学の若いお弟子さんのことを話していた。昔からその優秀な率は同じで教育が如何であろうと変わらないと思うと答えたが、高学歴化しても高等な学問を修めている率も変わらないので、こうした修正主義的な初・中等教育的な論理が精一杯の学士なども少なくないのだろう。

そのように考えていくと、なぜそうした修正主義的な論理が更なる展開をして議論の対象とならないかは火を見るまでも無く明らかで、その思考態度に既に限界が設定されているからである。ポピュリズムに熱狂するのはなにも本来の無教養層だけでは無いと言うことなのである。



参照:
苔生した貴腐葡萄の苦汁 2006-10-21 | 試飲百景
エリート層育成への茨の道 2012-08-28 | マスメディア批評
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エリート層育成への茨の道

2012-08-28 | マスメディア批評
IWJの中継が凄いことになってきている。大飯原発発電所の再稼動阻止行動報道で頂点に達したかと思ったが、決してそのような様子は無い。それどころか、官邸前抗議行動に続いて人事案撤回行動における多種多様な映像化は、新たなその抗議対象の緊急性や重大性に応じて新たな頂点を築いている。

そこではここ一年以上に亘って重要な活動を担ってきたFoEなどの団体の面々が各々様々に力をつけてきていて、途轍もない指導力や組織力を放出しているのである。以前から、環境運動家の質や量には欠かないと確信していたが、やはり環境運動にはそれなりの感性や知的な分析力などが欠かせないことからすれば当然なのである ― フクシマ難民の語り部長谷川さんの度重ねて洗練と凝縮の域に達した強烈なアピールの表現に心打たれないものはいまい、浄瑠璃も何も理解しない人間が環境などとほざくのがおこがましい。

それにしても、蛸壺社会の日本社会の中で、ネットがその取り持ち役を担ったとしても、とても素晴らしい市民ネットワークが出来上がってきている。日本旅行をして屡思うのだが、日本人の外国人に対する親切や細かな気の使い振りは特筆するべきもので、蛸壺の社会を離れたところでの非常に柔らかな素朴な感性を感じるのである。

議員会館内での各国会議員を回るボランティーアの市民たちの活動を生で映し出すIWJのとんでもない革新的な生中継内容は、民主主義の根幹に関わってきている。そこで運動が直面するのはまさしく数の論理でしかないのであるが、その内容が全く議会で十分に議論されていない、官僚作成の立法府のあり方を、視聴者に身を以って思い知らせる。

MBS放送のラジオ番組「たね蒔きジャーナル」の番組打ち切り問題に対して、署名や申し入れだけでなく市民スポンサーのために多額の金子が短期に集まるなど、こうした市民の行動が、如何に独創的でありとあらゆるアイデアに溢れていることか。

政治においては、なんら経験も何もない環境市民運動家ではあるが、表現者としての創造的な活動だけでなく、その指導力や統率力など、社会のエリート層の重要な部分を担う人材がそこに溢れていることは間違いない。

しかしそうした独創性や創造力を押さえつける教育を施してきたことで文化的になんら一流の人材を育てなかったことは、文芸だけでなく科学学問の広い分野においての人材の流出を促し技術基盤の充実を妨げてきたのであった。しかし、それだからといって急激に創造力豊かなエリート層を社会で育成するためには、日本ではそのエリート層を育てるだけのエリート層が無いために致し方ない。卵が先が鳥が先かの茨の道が続くのである。



参照:
揺らぐ霞ヶ関と情報カルテル 2012-08-03 | マスメディア批評
涼しげな緑のライフスタイル 2012-07-29 | アウトドーア・環境
徹底的に打破する市民の声 2012-07-14 | アウトドーア・環境
創造力豊かな無広告社会 2012-07-11 | マスメディア批評
黒ヘル群集と将来の指導者 2012-07-02 | 歴史・時事
原子力規制委員会 早くも秘密主義 (田中龍作ジャーナル)
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中共が野田政権を後押し

2012-08-27 | 歴史・時事
尖閣列島問題は野田政権のためになっているとして、北京政府が野田政権を後押ししているとの観測が漢語紙を飾っている。

まさしく、原発政策は日本政府の重要な安全保障上の問題であるから、国民の健康や意思を踏みにじっても何が何でも維持しなければいけないとして、原子力むらの金の力を借りて正当化されているのである。

しかし実際には、竹島や尖閣列島問題更に北方領土問題がそのまま各々の問題における第三国の漁夫の利として働いていることぐらいは、外交のいろはに少しでも感心のある者なら直ぐに分るのである。

それでも領土紛争ほど当事者の国民の火をつけやすいものは無く、一度ナショナリズムの火種に加油されると、国内問題の憂さが一挙に吹っ飛んでしまうほどのエネルギーとなる。

竹島問題の裏には中国がいて、北方領土問題の影には合衆国がいて、尖閣問題の裏にも合衆国がいるようなことは誰にでも分るのだ。東京都が集めた購入資金にも合衆国からの金が流れているのではないかと思わせるほどの集金額のようで、いかにも呼びかけの都知事らのポピュリズム政治家の裏には何が存在するのかと思わせる事象である。

竹島の実効支配の問題で分るように、本来ならば日本が実効支配している尖閣諸島に関しての問題は領海線の向こうからボーリングをして地下資源を吸い取っている中国の存在がこの領土紛争の起こりであったのだが、先方のくみあげを阻害するための手段以外に一体何をしようというのだろうか?そもそも寄付金や東京都の出来るような事業ではないのである。

週明けには、原子力規制委員会人事案の国会議決があるということで、FoEやその他の有志のロビー活動が続いていて、一般にも地元選挙事務所への要請などが大々的に呼びかけれている。先日の首相との面会においても緊急提言として出された人事案撤回要求が、翌日には与党にて否定されるなどと、国民の意思に反して先五年間は有無を言わせずにフクシマ以前の原子力政策に引き戻すことがこれで決定する。こうした急展開を向かえているその背景を思い浮かべるだけでとても恐ろしい。



参照:
連邦環境省長官の思惑 2012-07-30 | マスメディア批評
辺境のとても小さな人々 2007-04-11 | マスメディア批評
陸風が吹くか、海風が吹くか 2010-11-28 | 歴史・時事
声高に発言して巧妙に攻撃する 2010-11-04 | マスメディア批評
釣られた魚は保障されるか? 2010-10-05 | 歴史・時事
そこには何でも埋まっている? 2010-09-18 | 歴史・時事
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大量生産ビオ商品市場で

2012-08-26 | 試飲百景
承前)ビオ商品が大量生産商品となってその本来の価値が消え失せてしまった。同様な事象は、同じ農産物であるワインでも生じることはありえるだ。当然のことながらその前提には葡萄が育つ環境や長い時間が掛かる土壌のビオ化や栽培の手間の掛け方があって、更に商品構成への戦略の中での選択など栽培と醸造の両面からの優れた総合マネージメントがそこには欠かせない。

特に50ヘクタールにも迫ろうかという土地を有する大手の醸造所となると、高品質をモットーとして掲げる一方で、その大量なワインを無駄なく、価値を下げずに瓶詰めしていく必要が生じる。それは最終的な小売の段階となっても、例えば同じエチケットの張られているものでも、瓶詰めの時期つまり公的検査機関でその瓶詰め度に内容が検査されて与えられるAP番号によって、中身が異なるということもそうしたマネージメントの一つである。

必ずしも大量に卸す卸屋さんに悪い商品が回されるわけではないが、高級ブランド商品が日本や中国など極東や合衆国に販売されるとき、纏った数の発注とその供給が保障されなければいけないので、どうしても高級大量生産品とならざる得ないのである。だから、顧客などの特定の小売客へと質を問うような商品とはどうしても内容が異なってくる。特に、早い時期の瓶詰めと配給は、天然酵母などを活かしたビオ高級醸造ワインでは否定的な要素しか生じないのは自明のことであり、それはこの醸造所でも遅い時期の瓶詰めが逆にアナウンスされるという逆証となっていたのである。

高級リースリングにおいては、所謂裾物としてのベーシックなグーツリースリングからオルツリースリング、プリュミエクリュ、グランクリュへの格付けの中で対処するというのがまさしくドイツ高級ワイン協会VDPの打ち出した方針なのである。しかし厳密には、土地土地の事情などがあって、ここザールでも若干の保留がされていることは今回の試飲でも確認された。

さて最もベーシックな「シーファーリースリング」は、その意味からも販売価格からすると少々高価である。なるほど天然酵母を使いビオ醸造をしていることも分るのだが、ロベルト・ヴァイル並みの価格を突きつけるにはミネラル風味などが貧弱で、拮抗する酸とアルコールのバランスの良さしかない。この価格ならば、なにも最高に格安のシェンレーバー醸造所のそれを出すまでも無く、ヴァッヘンハイマーリースリングでも十分に美味い。そのように考えると反対にレープホルツ醸造所のべーシック商品が売れないのも当然である。

しかし、その次の「ザールリースリング」となると急に拮抗が複雑な力学となっていて軋みや緩みさえも想像させて、飲み甲斐のあるワインとなっている。双方ともアルコールは12%であるから、決して低くないと思いきや、抑えているというのである。なるほど果実の糖比重を90エクスレから100の間にしているとなると、レープホルツのそれよりも5スカラーほど高いことになる。

それがアルコールの高さになって表れているが、巷で言われているような重心の低いリースリングとはなっていないのだ。寧ろ天然酵母ワインとしては軽やかで、その酸も肌理は細かい。ただし2011年特有の酢酸系のそれはいくらか感じる。苦味も甘みも分らないほどにバランスが取れていて、時間をおいてから瓶詰めしているだけに酵母臭などもない。モーゼル流域の辛口リースリングとしての質としては既に一級である。因みに、瓶詰め番号は2512である。

ヴィルティンガー・ブランウンフェルツにおける千枚岩系の味はまさしく、ラインガウのそれを思い起こさせるのだが、土壌が変わると、漸く構成的なミネラル感などを表現していて立派である。その上級商品となるフォルツも同じで、なるほど素晴らしいのだが、敢えてこうしたリースリングをザールで購入する必要は感じない。そして「アルテレーベン」の50年以上古い葡萄からのワインとなると、コクが出ていて美味いのであるが、同時にどうしてもその旨みにシルエットが暈けてくるのである。その傾向は上級の「ゴルトベルク」の鉄分の多い赤スレート土壌となると顕著になる。なるほど美味いのであるが高級リースリングとしては限界が見える。糖も12gほどあるので半辛口である。

いよいよ期待せずに「シャルツホーフベルガー」を試すと、嘗て飲んだエゴンミューラ醸造所の甘口も思い出すが、そこでは清涼感としか感じなかった酸やミネラルが、この辛口では繊細な構築感として細やかな襞が感じられて、初めてこの地所の良質を知ることとなる。斜面の中間ぐらいの地所であるらしいが中々どうしてその特徴は明白である。

グランクリュクラスは、半分ほどが瓶詰めされたところであったので、あと三種類の「シャルツホーフベルガー・ペルゲンツクノップ」と「アルテンベルク」と「ゴッテスフース」は試せなかった。それでもつめたばかりのものを試飲購入できて幸運であった。

質に関しては文句の付けようも無いが、その広報の揺らぎ方の原因である十年足らずの醸造所の安定度は、先ずは地所や葡萄の手入れや年季で安定してくるだろう。醸造法も雑誌などによると改良されてきているようで、十分に狙えるリースリングを排出している。なるほど「残糖を残した辛口」には、たとえ温度を下げながらの醗酵を停止を行っていてもどうしても亜硫酸の影響を感じてしまうのであるが、そうした面の質を考えてしまうとプファルツの雑食砂岩縁のリースリングの方が遥かに優れている。しかし、旨みと言うことではスレートであり、残糖感を残さないザールのリースリングの存在価値を明白に感じさせた。

写真に撮ったように、一世紀ほど前の時点では、このフォルクセンのリースリングは、マルゴーなどと同じ価格でドイツ帝国の高級レストランやホテルでは供されていた。それを復活させようというのが、ビットブルガーから財産分けで購入したこの醸造所のオーナーの意志である。その高い意志と、投資先行の中長期的な視点に立った壮大な試みは、我々がドイツのリースリングに期待するものそのものなのである。



参照:
ザール渓谷の文化の質 2012-08-18 | 文化一般
本当に価値のある商品とは 2012-08-25 | アウトドーア・環境
とても小さい万単位の需要 2012-04-30 | 女
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本当に価値のある商品とは

2012-08-25 | アウトドーア・環境
醤油を近所のスーパーで購入した。全部で五種類以上の醤油が並んでいた。その中には日本製という訳の分らないものもあった。正直中国製と同じで放射能の影響を考えると気持ち悪くて買えない。

二十年ぶりぐらいだろうか。古い薄口や刺身醤油が手元にあったのも理由であるが、それほど必需商品ではないからだ。それでも切れて一週間ほどすると、中華を作るにも、ゴマタレを作るにも醤油がないと不便なことがある。

今回購入してみたかったのはオランダ製のキッコーマン醤油で、二十年ほど前に試したときには今ひとつ満足できなかったのだが、兎に角日本に流通しているキッコーマン醤油とは異なって、遺伝子操作していない大豆を使っているので高級品なのだ。もちろん価格もはって150mlでご奉仕1.99ユーロである。

同時にいつものように鳥の胸肉を買ってきた。先日ラジオで、ドイツで販売されている鶏肉や七面鳥は殆ど遺伝子操作している大豆が餌さとなっていて、今後はそうした商品を避けるためには、餌も遺伝子操作していない大豆を使ったものとそうでないものとをはっきり表示する必要があると提案が出された。

それとは反対に、所謂スーパーなどで売られているビオ商品は大量生産品であることが定着しつつあり、多くの興味ある消費者はそうした大量生産の高価なビオ商品から離れつつあり、ビオ商品の市場の限界がはっきりしたというような話題がラジオの討論会で流れていた。

それよりも地場の顔の場所の分る野菜などの食品の方がそうしたビオブランド商品よりも信頼できる商品として市場を拡大してきているということである。それは、スーパーで購入するよりも、市場形式の八百屋が集めた近隣の商品の方が価値があり、人気もあるということである。

こうしたところにも所謂スローフードの流れが浸透してきており、ワインで言えばビオワインなどと銘を打っているものよりも、出所のはっきりしたやっていることのわかっている商品を直接購入する方が遥かにビオであることと似ている。要するに、ビオビジネスの一方に遺伝子操作商品があり、欧州のように遺伝子操作を法律で規制することで、本当の市場価値を与えることが肝要である。要するに少々便利であったり手軽なものは、市場淘汰の中でその価値も直ぐに失うということでもある。



参照:
しがらみをとき解く戦い 2012-06-22 | アウトドーア・環境
欧州の環境に従う経済博士 2012-01-18 | アウトドーア・環境
欧州的環境を政策とするとは 2009-09-20 | マスメディア批評
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本年第三登の気持ちよさ

2012-08-24 | アウトドーア・環境
漸く凌ぎやすくなって来た。もう一息である。マーキングを済ましたザイルを始めて使った。オーバーハング帯を懸垂下降した。完璧である。

バヴァリアンフェルツと呼ばれるとてもマイナーな岩頭を登った。駐車場から近く決して隠れた辺鄙な場所であるどころか、地元の街中からも国道からも良く見えるのにである。頂上の記帳には二十年前からのそれが残っているように、今年になってから第三登の名誉を得た。初挑戦なので一般ルートを攀じ登った。

他のルートに比較して蜘蛛の巣などが全く無く清潔な感じがあり、第一ピッチ目は稜線に上がると容易でわかりやすかった。そこから第二ピッチは裏側の南面のバンドを反対端まで渡って行くのであるが、北面側が地上からわずか30メートルほどしかないのに比較して南面側が驚くほど高度感があってびっくりした。そして南から北へと吹き上がる風がとても気持ちよい。

南壁を横断するバンドは数十センチと比較的広く、内側を辿れば直接奈落を覗くことが避けられるので怖くは無いのだが、道は平坦ではない。更に途中設置可能な支点の可能性も限られている。更にリュックサックとヘルメットが天井に当たるのでやり難い。特に一箇所は障害物となっている小さな岩を乗り越えて向こう側に降りるのが結構ややこしい。

それを乗り越えるとそこは鳥の館のようで、白い糞でそこかしこと色づけされていた。幸いなことに鷲も鷹も居らず向こう側へと通行させて貰った。そして反対側の稜線に出て、頂上への三メートルほどの壁を登ることになる。そこがまた、一箇所だけしっかりした指が掛かる手掛かりがあるものの、中の割れ目の右手の手掛かりが広がっていて余りよくない。垂壁なのでここも結構厄介な場所であった。

今年になってからクラシックと呼ばれるこうしたルートを登る機会に恵まれている。そのままアルプスのクラシックルートに繋がる練習でもあるのだが、このルートも難易度二級に指定されている。嘗て三級の岩場は沢山登ったが、これまで更に容易な二級ルートを登る機会には殆ど恵まれていなかった。

本来ならば片手をぶらぶらさせていても登れる筈なのであるが、それがどうして、手強い一歩二歩がしばしば表れて、更に特にトラヴァースなどでは心理的な圧迫感は単に上へ上へと登って行くときよりも強い場合が少なくない。こういう場所で練習しておくと、アルプスの高峰で完全に切れ落ちている場所でも落ち着いて身体を制御していく練習が出来るのである。一般的には、所謂「悪い」と呼ばれるような場所なのかもしれないが、なるほど中間支点を取りにくい面では不幸なのだが、決して岩質などはそれほど悪くはないのである。ロッククライミングは、必ずしも手足を動かすことだけでなく全身の調整力であることを再認識されるようなルートである。

日曜日に峠まで走ったが、その帰りに出会った小母さんが走っていた森の中の道を爪先で走ってみる。坂なのでそもそも厳しいのだが、爪先走りにすることでテンポが落ちでも速度は速い。なるほどぜいぜいするが、そのまま駐車場まで爪先で走り十五分続けて降りてきた。徐々に筋力だけでなく心肺機能まで序に鍛えられそうで大変期待している。これならば何千ユーロもするような高級なマウンテンバイクは必要ない。



参照:
爪先走りで膝を立てる 2012-08-16 | 生活
取り敢えずのフットワーク 2012-08-21 | 女
NPO法人PK会長の穴潜り 2012-06-25 | アウトドーア・環境
黄金の十月の美しい残照 2011-10-16 | アウトドーア・環境
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ザイルの中間マーキング

2012-08-23 | 雑感
切り取ったザイルの中間地点にマーキングをした。ザイルはポリメードのナイロン製であるが、化学的な影響を受けてはいけないので特性のインクを使う。

新品のザイルの場合は、高級商品ならば必ず半分の長さのところにマーキングが入って売られている。この中間マーキングというのは、懸垂下降するときに丁度真ん中から下降の支点の穴に掛けて、降りたところから一方の端を引っ張っていくと、もう一方の端も支点の穴を啜り抜けて下に落ちてくる。だから、次の支点に再び同じザイルを掛けて、更にザイルの長さの半分の長さを下に懸垂下降できるのである。

勿論、一本のザイルだけでは中々埒が明かないので、同じ長さの二本のザイルを舫い結びで結びつけてザイルの長さ一杯に下降すると早い。しかし、基本は一本のザイルしか手元に無い場合で、丁度ザイルの全長の半分を降りることになるので、真ん中のマーキングが入っていないと、二本の端が揃っていないで怖い目をすることになる。実際にそのような過程での事故も多く、懸垂下降の事故はそのもの墜落即死が通常である。要するに、ザイルの両端が揃わないということは、双発の飛行機の一つのエンジンが停止したよりも具合が悪いのである。

そのような訳で、更に半分に目印があると登攀の距離などが分りやすいので残りのザイルの長さなどが容易に測れることで助かったり、または三人目がそこに入ることが出来るが、安い普及品にはついていないことも多い。それはやはり、生産上の手間もさることながら後付のインキとなるとザイルの柔らかさなどに悪影響を与えたり、化学的な影響を抑えきれないからであろう。

今回の場合は痛めたので切る必要があったために、痛めた側の端から十メートル切断したということは、従来の中間マーキングは切り取った方へと十メートル新たな真ん中から近寄っていることになる。つまり新たなマーキングがないと、もともとの中間地点を間違って長さの中間地点と思い、そこに懸垂ザイルを掛けると切り取った方は十メートルも短いことになる。十メートルが何を示すかというと、地面に落下して死亡する可能性の強い高さである。

そのようなことでザイルメーカーが出しているマーカーをネットで注文して、新たな中間点を定め、つまり端から25メートル地点にインクで黒い色を塗りつけた。更に短い方に縞を加えて出来上がった。

幸いなことに古いマーキングは大分色落ちしているので、事情を知らない者がこのザイルを扱っても間違うことは無いであろう。



参照:
バンジージャムプ並の転落 2012-06-18 | アウトドーア・環境
ハイエンドザイルの実力と価値 2012-08-01 | 雑感
新しいザイルを紐解いて 2012-08-08 | 雑感
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フクシマ後の現状認識研究

2012-08-22 | SNS・BLOG研究
独日協会経由で回ってきたアンケートに答えてみよう。フクシマ後の現状認識を研究しているライプツッヒ大学日本学科の学生の研究資料である。

全部で18問あって、ドイツに在住していて日本となんらかの関係のある者に配られているようだ。しかしその基本は質問者のブログ読者となっている。よって誰でも答えられるので、詳しく紹介する。

1. 性別
2. 年齢
3. 国籍

4. どのように日本の原発政策の現状について情報を得ていますか?(複数の会等可)― 新聞ラディオ・TV(ネット配信を含む)・ブログ・公的機関(消費者センターなど)・NPO(グリーンピースなど)・専門書・友人や親戚・情報を取らない

5. フクシマの大惨事は今も変わらず私の身の回りの話題である。― 全くその通り・その通り・分らない・そのようなことにならない・全く話にならない

6. 原発事故に拘らず日本への旅行は考えられる。 ― 全くその通り・賛成・分らない・あまり賛成できない・全く話にならない

7. 日本に滞在する場合福島原発に近いので、大都市東京は避ける。 ― 全くその通り・賛成・分らない・あまり賛成できない・全く話にならない

8. 日本に滞在のとき、友人や家族は健康上の危険性を警告する。 ― 全くその通り・その通り・分らない・そのようなことにならない・全く話にならない

9. 日本滞在の場合、食料品の出所に注意する。 ― 全くその通り・その通り・分らない・そのようなことにならない・全く話にならない

10. 日本滞在での健康上の危険は、現在今日フクシマ以前のそれと全く変わらない。 ― 全くその通り・賛成・分らない・あまり賛成できない・全く話にならない

11. 原子力に纏わるドイツの政治経済関係者による取り巻きは、日本よりも安全だ。 ― 全くその通り・賛成・分らない・あまり賛成できない・全く話にならない

12. 日本の政府やメディアによる原子力政策に関する情報はあてになる。 ― 全くその通り・賛成・分らない・あまり賛成できない・全く話にならない

13. 放射能汚染の危険は、福島の管理地域を越えて及んでいる。 ― 全くその通り・賛成・分らない・あまり賛成できない・全く話にならない

14. 福島第一原発の危険はもはやないのは確実である。 ― 全くその通りである・賛成・分らない・あまり賛成できない・全く話にならない

15. 福島原発ゆえに日本の将来を不安に思う。 ― 全くその通り・賛成・分らない・あまり賛成できない・全く話にならない

16. 福島原発事故は、チェルノブイリのそれよりも過酷なものである。 ― 全くその通り・賛成・分らない・あまり賛成できない・全く話にならない

17. チェルノブイリの事故で、食料品の購入にその出所に注意を払った。 ― 全くその通り・その通り・分らない・そのようなことにならなかった・全く話にならない

18. 経験したチェルノブイリや福島で起こった事故については、ドイツの原発はあたらない。 ― 全くその通りである・賛成・分らない・あまり賛成できない・全く話にならない


テプコが、極度に汚染された魚の発見を、会見で語った。河口から一キロほど沖らしい。原因は分っている。汚染の進みが既に検証されている河川に集められた核物質が最終的に河口に流れ込んで、海流で薄まった福一からの直接の汚染と交じり合ったものに違いない。残念ながら川の流れがここでは拡散よりも収斂へと働いたことは確かであり、更に植物連鎖の影響があるとすれば、今後三十年間ほどはとんでもなく汚染された食料品が市場で捌かれるに違いないのである。一年半ほど経ってこうして抜き打ち的な汚染が確認されるのだが、日本国民が皆知っているように、規制や報道などは事後処置としてしか表向きにされないのである。「ピーターと狼」状態は更に加速している。

上の質問者のBLOGに書き込んだ。「あなたは知らなかったのか、311以降日本で信用できる情報源は、IWJを代表とするネットメディアの中継でしかないことを?」と、回答の設定自体が間違っていることを質した。



参照:
Umfrage zur Wahrnehmung der Katastrophe von Fukushima (Fukushima 24/7)
福島の蛸とか大阪の盛り上がり  2012-08-04 | マスメディア批評
目が黒いうちに食いてぇ秋刀魚  2011-09-05 | 歴史・時事
セシウムか、カリウムか?  2011-12-12 | アウトドーア・環境
情報の隠蔽も未必の故意  2011-07-01 | マスメディア批評
Fuck you, everybody!  2011-12-06 | マスメディア批評
秋へのスパートが楽しみ  2012-08-12 | アウトドーア・環境
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取り敢えずのフットワーク

2012-08-21 | 
それにしても暑い。一時的な暑さとしては2003年夏と比較可能だ。長続きしないのが今年の暑さ寒さであるが、朝からの気温の上昇が甚だしい。テラスの寒暖計が摂氏38度に上がることは今までもあったが、夜になったらいくらか冷えて欲しい。予想では24度ぐらいまでしか落ちないようだが、放射冷却とはならないのだろうか?

いづれにしても火曜日までは暑さが続きそうで、湿気が無い分、水曜日にも雷雨があっても控えめそうだ。寝苦しい夜が続く。

日曜日の朝一番に一っ走りしてきた。午後から暑くなることが分っていたので、涼しいうちに汗を流しておこうと言うものだ。林道を峠まで、初めて爪先走りで通して上がってみた。心肺系に知らずに負荷が掛かりやすいので、歩幅などを落としたためか、途中経過時間は月並み過ぎた。しかし、そのあと八分で峠に達していた。如何なるルートを取ったにしても現在までの最短記録である。30分で駐車場へと戻ってくる目標にぐっと近づいてきた。

やはり爪先走りのリズムが速度を上げるのは間違いなく、心肺系への負荷を自由自在に掛けやすくなる。水曜日に同じように短い距離を走ったあとは脚はなんとも無かったが、金曜日になって急に筋肉痛が出てきた。今回も二三日様子を見てみよう。

水曜日の午後は、岩登りのお休みを決め込んでザールへの旅に備えようと思っていたのだが、若い女性からお誘いのメールが這入っていたので、フットワーク軽く何はともあれ出かけることにした。

こちらの反応が遅いものだから彼女の方はプールへと遊びに出かけたようで、小一時間ほど経過してから、待ち合わせのメールが入った。不貞腐れて泳ぎに行ったのかどうかは分らないが、そこからランデブーまでの経過がいろいろと想像するととても良かった。

本来ならばこの小暑いときに出かけたくは無いのも尤もであるが、どうしても色気には勝てない。ほいほいとゴキブリが罠に捕まる如くに出かけて行くのである。フェロモン効果は絶大である。シャワー上がりの色香を最後まで漆黒に漂わせていて、それゆえかこちらは二回も鼻を鳴らしてしまった。

流石に十代や二十代前半の女性ではないだけに、メールの書き方や表現が冴えていて、なかなか男心が分っているのが良い。それでも三十路の女性の熟慮し過ぎの固さが無い妙齢がこれまた嬉しい。

逆に男の方はと言えば、ある程度年齢がいって、嘗てのように考え過ぎによるフットワークの鈍さからの出遅れと時機を逃がすことがなくなってきた。何度も同じようなことを繰り返して、当事者を含め土地土地の関係者一同ならびに皆様から、お叱りを受けるので御座います。取るものも取らずのフットワークの軽さと、的確なマネージメントは何事にも最重要である。



参照:
爪先走りで膝を立てる 2012-08-16 | 生活
秋へのスパートが楽しみ 2012-08-12 | アウトドーア・環境
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ザールリースリングの旨み

2012-08-20 | 試飲百景
ファンフォルクセン醸造所はTV放送などでの取り上げられ方から興味を持っていた。特に先日見た評論家ピゴの番組でのオーナーの受け応えは十分に印象強かった。その反面、皆さんのネットでの評価は、重心が低くボディー感だけが際立ち、残糖と共にミルキー感までを思い起こさせてと、その悪評価を真に受けていた。試飲においても、出来る限り先入観の無いようなあまりワインを知らない人の意見も十分に取り込む癖が長いうちに身についているから、自らが試さないでも皆の講評でそのワインの味ぐらいは分るのである。

そのような自負から特に飲んでみる必要も感じていなかったのだが、今年はケッセルシュタート醸造所などを飲む機会がありザール地方のリースリングに、ナーへ地方のものと並んで目が行くことが多かった。2011年の酸の弱い年であることもそこに影響していたのだが、今回シュロース・ザールシュタイン醸造所ともう一軒に同行すると言う話になってから、もう一軒はこの住所しかないと迷わずに思った。

その段になってから興味を引いたのは、ホームページの醸造所の紹介のありようで、常識からするとその情報量は微々たるもので画像以外には殆ど情報が無いことに気がついた。敢えて謎を残す宣伝方法ではなく、まだ十年少々の若い醸造所が十分に出来上がっていないことも伺わせて、PCへの配慮以外にも過渡的な印象も受けた。

そこで都合の良い時間に出かけると、想定以上の対応がなされた。些か不遜な言い方をすれば、私などは買い付けのそれでなくともワインの顧客試飲に関しては殆ど専門家と言えるほどの経験者であり、世界の果てまで行ってもその経験値から多くのことが判断できる。それは醸造所の対応から始まって、支払いに至るまでの一連の情報交換やコミュニケーションに凝縮されているので、素人のようなワイン評論家がTVのクルーを伴って試飲にしにいくのとはその試飲の真剣さも質の高さも異なるのである。

どの業界においても同じで玄人と呼ばれる連中は業界内での金の動きに左右されるので我々のようなアマチュアーの厳しい審査を行う意欲も能力も失われている。最もプロフェッショナルなのは、適当な商品を安く買い叩くことが目的の業者の買い付けだけである。

そのような意味からも今回はメディア受けの資料を事後に受け取って、栽培から醸造の裏までの情報をじっくりと嗅ぐことが出来て、その情報交換はお互いに有意義であった。自称隠密の私の立場からするとどうしても高級ワイン協会VDPの方針とそれに従う部分とそれに納得していない部分も聞き出すことになるのであるが、要は熱心な玄人の顧客とのしっかりしたコミュニケーションの必要性である。

ビオ化のなかで、2000年から始めたばかりの地所の買収や改良で、とても気の長い時間が掛かることや、更にドッペルフーダーなどの大型の木樽をロベルトヴァイルにも入れている樽師に作らせて、乾かしてから出来上がるまでの長期的な計画とする。そうして初めて2020年ごろには本格的なビオ栽培と醸造でステンレス樽をも排除できる。

そのような気の長い話を笑い話としてではなく出来るのは私自身がそのようなワイン栽培地域から来ているからであり、まさしく情報を交換である。そして、絞り汁を十時間から十二時間寝かせるのは、レープホルツ醸造所の半分の時間なのである。これはとても興味深く、ある程度知識のある者ならそこからどのような工程で澱引きまでがなされるかも想像を巡らすだろう。

それに関しては、酸の分解と貴腐の関係へと話が及んだが、これは健康な果実の収穫をモットーとするまともな辛口の醸造家ならばとても避けては通れない話であろう。まさしくここに残糖の具合や果実の糖加重に応じたアルコールとのバランス、そして分解されるべき酸の妙味があるのだ。

ある意味とても技術的な課題であり、工業生産においても経営者やしかるべき人物はこうした内容を十分に理解していなければ話にならないのであるが、ドイツの高級ワイン醸造所のなかでも必ずしもそうした体制が整っておらず、当日訪ねたもう一軒の醸造所の実力がその対応力の不足から容易に演繹されるのであった。

つまり最近疑問として関心を持っている貴腐と酸分解に関して具体的な処方を聞くことが出来た。この件に関しては専門文献をネットで調べれば分る訳だが、実際に現場では先に述べたような「時間」で調整される。それは同時に収穫時期の選定となる。

しかし、更に現実的には全て天候任せの手作業となると人手を上手くマネージメント出来るかに掛かってきていて、やはり平素からの投資力がものを言うところであろう。そうしたものを全て含めての価値となるのである。(続く



参照:
ザール渓谷の文化の質 2012-08-18 | 文化一般
山の上に一人立つ気分 2012-07-22 | ワイン
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詐欺の前に凍りつく聴衆

2012-08-19 | 文化一般
忘れないうちにルツェルン音楽祭の開幕公演について書き留めておこう。指揮者ぐるみの殆ど詐欺のような公演については、もう少し時間的な余裕があればその内実を明らかにしてみたかったが、ならなかった。

音楽祭にアンサムブルを率いて参加するスイスの音楽家を公演当日に訪ねて、その話をしたところ、やはり健康上の理由はあるのではないかと流石に同業者であり評論家でもあるので控えめに述べていたが、ネットで見たようなシンガポールからマーラーの第八交響曲のために準備したと言うような話があり、トマトと卵を投げつけられる事態であるのは十分に分っていた。彼が言うように代わりの指揮者を立てて公演する方を皆は歓迎したに違いない。

まさにスイス人も気がつかないほどに、入場券の払い戻しなどの可能性を含めて、如何に巧妙にスイス経済やその法体制が仕組まれているかなのである。それゆえか、そうしたあたりの悪いチケットなどは日本の旅行会社などに纏めて売られていたようで、それらしい観光客が特別に目に付いた。バーデンバーデンなどならば、税金を使って、十分に海外から集金が出来ないと言うお人よしぶりはいかにもドイツ連邦共和国らしさである。

クラウディオ・アバドの健康状態は、春からの活躍を見ていても全く問題がなさそうであったが、一病息災で流石にトマトや卵が投げつけられるようなことは無かった。しかし、会場のそこいらではルサンチマンの渦がめらめらと浮遊する気配が感じられた。

スイスの大統領女史などの挨拶や講演の入りはとても悪く、例年のことであるのかもしれないが、今ひとつ祝祭的なムードとならないこの音楽祭の雰囲気を良く示していた。

こうした一方的なプログラム改変がなければヴィーナークラシックの管弦楽曲などに足を運ぶことは無いのだが、お陰でベートーヴェンの「エグモント」などで、改めてこの作曲家の作品の管弦楽を生で味わうことが出来た。一体、最後にベートーヴェンを聞いたのは歌劇「フィデリオ」以外では何十年前だろうか?バーンスタインの広島コンサート-か、それともベーム指揮のヴィーナーフィルハーモニカーだろうか?

そして直ぐにこの指揮者の手の内が、途轍もなく素晴らしい名手たちによって奏でられるのは良く分った。なるほどオールスターキャストの管弦楽団なので、どうしても似たような聞いたことの無い斉藤記念などと比較してしまうのであるが、その交響楽団の個性ではなく、集中した練習で有機的な表現を獲得してしまっているのには驚きしかない。

ヒットラーを演じて世界的に注目を浴びたブルノ・ガンツの語りやユアン・バンスの声の表現よりもなによりも管楽器類のスターや弦楽の表現力が主役であり、その指揮が主役であったことは間違いない。

そうした状況が休憩を挟んでのモーツァルトのレクイエムでは、出だしのマイヤーらの音楽が全てで、また殆ど最高のモーツァルトのオペラの至極のときの重唱のような素晴らしさに比して、後半の落ち方は激しく、新聞評に拠ればゲネラルプローベで上手く行っていた部分を完全に外して惨憺たる結果となっていた。最後にこの曲を体験したのがヘンゲルブロックの古楽合奏であったことを考えると、今更こうした曲を舞台に乗せてもどうしようもないことは初めから分っていたのである。

流石にレクエムの後半になって席を立つ人は殆どいなかったが、そこに全てが表れているようで、更に指揮者が曲の最後に取ったと思わせるポーズの馬鹿らしさはトマトと生卵に匹敵するものであった。

嘗て、日本の評論家が「アバドが背後からの間髪要れずのブラボーの嵐に目をむいた」と書いたが、まさしくそのポーズの意味は、三回の公開録音録画の残響を保存して編集をし易くするすると言う考慮でしかないのである。それならば同じ詐欺仲間の音楽祭事務局と共闘してプログラムにお願いを書けば良いだけなのである。それをいかにも芸術的な意志と見せかけるところに詐欺師ありなのだ。

そしてそのようなことを全て感じることの出来る感性の高いスイスの聴衆は完全に凍りついた。今まで超一流から実験的な音楽家の演奏会などに数え切れないほど居合わせたが、生まれて初めてあのような雰囲気を体験した。当然のことながら、それが何を語るかは、指揮者や演奏者、主催者などが皆気がついた筈である。主催者が入れた僅かばかりのサクラの拍手がとても白々しかった。

それにしても、良い席で聞いたこの会場の音響効果は今まで体験したものの中でも最高域に達していた。比較的小さめの大ホールとしては、大阪のシムフォニーホ-ルやルートヴィヒスブルクのコンサートホールなどがあるが、専用ホールとして比較にならないほど素晴らしい。



参照:
第八交響曲をキャンセル 2012-05-09 | 文化一般
ほとんどコンサートゴアーの様 2012-04-17 | 文化一般
草臥れ果てた一日の成果 2012-08-09 | 生活
ロビーや市民感情を乗り越えて 2012-08-11 | 文化一般
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ザール渓谷の文化の質

2012-08-18 | 文化一般
ザールへの短い旅は成果があった。なによりもファン・フォルクセムのワインを試せたの価値があった。そして二十年ぶりに再訪したアイラークップの醸造所ペーターラウアーでの宿泊は大変快適であった。

兎に角、彼の地の物価は我々のところから比較すると安く、その懇切丁寧な応対やサーヴィス振りには感激した。矢張り観光行政やら文化が発達しているのだろう。そうした面からするとモーゼル本流などでマスツーリズムのおかしな雰囲気が辿っているとは大違いである。同じ支流のルーヴァーの谷の狭さに準ずる田舎臭さとは異なる質もザールにはある。

そのような意味からも初めて訪れたシュロース・ザールシュタイン醸造所での印象は、全く想定内であって、新しい伴侶のノルウェーからの婦人ともお会いした。ワインについては改めて詳しく触れるが、これも予想通りであった。

フォルクセム醸造所の地所やそこからのリースリングを堪能出来て、報道向けの資料も貰って認識を新たにしたので、これは追々詳しく紹介する。応対の的確さやその他などある意味想定以上でこれまた肯定的な驚きでしかなかったのだが、そこにもザールの文化の質のようなものが感じられて、幸せであった。



参照:
山の上に一人立つ気分 2012-07-22 | ワイン
幹の強さに頼るのみ 2012-06-24 | ワイン
文化的な話題と三面記事 2012-06-16 | 文化一般
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大阪のポピュリストを回避

2012-08-17 | マスメディア批評
日本の政治は嘗て無いほど注目されているのだろう。それはフクシマ以後の政治的舵取りへの関心でもあり、それが少子高齢化の先進工業国の脱近代への歩みの一つであるからに違いない。これに関しては多くの論文が用意されている筈だ。当然のことながらそこでは容易な社会主義的な成長戦略などは経済政策としてありえない選択である。

東京から政局が伝えられて、いつか「近い総選挙」では、百議席を民主党、二百議席を自民党が獲得して、百議席を大阪からのポピュリスト政党「維新の会」が獲得する予想としている。

自民党は、橋下の政治手法をヒットラーと比較して「ハシズム」と呼んで非難しているので、この新興勢力の獲得議席数が多ければ多いほど大連合となるとされていて、その他の第三極を形成するであろう少数政党の状況も一通り紹介している。

「オ」で始まるだけで野田の顔をしかめ面とすると言う小沢何某の率いる党は未だに足が地に着いている様子も無く、そもそも東電と関係の深い小沢が十年での脱原発を訴えたとしてもそれ以上のものではないとする。社民・共産の革新政党が意味を持つこともなく、また自由市場主義「みんなの党」もその趨勢を終えたとされている。新たに結党となった緑の党も、いかな脱原発の後押しがあってもまだまだあまりにも非力であるとする。

どちらかと言えば嫌われている二大政党が大連合によって、半世紀以上続いた官僚と政治家の間で育んだ既得権を何が何でも守ろうとしたのが増税法案であり、核開発の安全保障政策であったとなるのだろう。

そこで、大連合となっても主導権を取ろうと、勝負勘の働く野田首相は、東京の反原連の代表たちと会って、脱原発へのソフトランディングを謀っているとFAZのこの記事は伝えるが、さてどうなるであろう。先日のIWJなどでの話では、そうしたフリージャーナリストを入れない密室で所謂官邸記者クラブの前での会見になるとされている。このこと一つを見ても如何に記者クラブ組織と呼ばれるものが歪な日本の政治状況を自ら「第四の権力」と嘯いて形成してきたかが知れるものである。原子力委員会の原子力ムラ人事が可決されて、首相官邸への抗議が終わるときには、その場で向きを変えて記者クラブ解体への大きな市民の運動へと展開しかねない。

在阪のラジオ局MBSの報道番組「たね蒔(ま)きジャーナル」放送打ち切りが話題になって、打ち切り反対の運動が起こっている。署名活動もある。要は、スポンサーがつかないということなのだろうが、民間放送の宿命であり、特に報道番組となると冠スポンサーとはならない分だけに厳しいのだろう ― この番組をネットで聴く限り、反橋下の姿勢が強く出ているので、大手スポンサーからの電通以上に意外に大阪市の圧力が掛かっているかも知れない。同様なことは新聞の独立性にも言えることで、如何にインディペンデントのジャーナリズムと言うものが大きな会社の大きな組織とは相容れないものであるかが分るかと思う。その意味からも記者クラブか経団連か分らないようなマスメディアが解体されなければ本当のジャーナリズムは生まれないのである。



参照:
Die Angst vor dem Populisten aus Osaka geht um, Carsten Germis, FAZ vom 13.8.2012
たね蒔(ま)きジャーナル (MBS)
非核を推し進めるのか、否か? 2012-06-04 | マスメディア批評
創造力豊かな無広告社会 2012-07-11 | マスメディア批評
緑の党京都のイヴェント 2012-08-06 | マスメディア批評
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