Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2007年04月

2007-04-30 | Weblog-Index



学校で習えないほど過激 [ 文学・思想 ] / 2007-04-29 TB0,COM2
カローンが水脈引き行く [ マスメディア批評 ] / 2007-04-28 TB1,COM0
豪華に思う幸せな朝食 [ 料理 ] / 2007-04-27 TB0,COM6
スパム「ミュンヘン喪中」 [ 雑感 ] / 2007-04-26 TB0,COM2
東部前線での選挙動向 [ 歴史・時事 ] / 2007-04-25 TB0,COM0
醜いアヒルは白鳥となる [ 生活 ] / 2007-04-24 TB0,COM3
サルコジ批判票の行方 [ 女 ] / 2007-04-23 TB1,COM9
ナザレのイエスを注文 [ 文学・思想 ] / 2007-04-22 TB0,COM6
推定無罪の立証責任 [ 雑感 ] / 2007-04-21 TB1,COM0
一斉に展開する風景 [ 暦 ] / 2007-04-20 TB0,COM2
批判的民主主義行動 [ マスメディア批評 ] / 2007-04-19 TB0,COM3
三つの要塞に人質を捕る [ 生活 ] / 2007-04-18 TB1,COM2
九月ならずに四月に販売 [ 試飲百景 ] / 2007-04-17 TB0,COM2
えらく暑い遠足日和 [ 女 ] / 2007-04-16 TB0,COM10
本物のモンタージュの味 [ 生活 ] / 2007-04-15 TB0,COM4
全焼した歴史的海水浴場 [ 生活 ] / 2007-04-14 TB0,COM0
ザ・チャイナシンドローム [ アウトドーア・環境 ] / 2007-04-13 TB1,COM0
早朝の暗闇に鐘が鳴る [ 暦 ] / 2007-04-12 TB0,COM0
辺境のとても小さな人々 [ マスメディア批評 ] / 2007-04-11 TB1,COM2
愛と食と生と職の説法 [ 暦 ] / 2007-04-10 TB0,COM2
棘ある酸塊味の葡萄酒 [ 試飲百景 ] / 2007-04-09 TB0,COM2
観れば、その違いが判る [ マスメディア批評 ] / 2007-04-08 TB0,COM8
中庸な思考の世界観 [ 音 ] / 2007-04-07 TB0,COM0
肉体の聖変化の変遷 [ 生活 ] / 2007-04-06 TB0,COM0
緑の木曜日への感慨 [ 暦 ] / 2007-04-05 TB0,COM0
具象された肉体無き偶像 [ マスメディア批評 ] / 2007-04-04 TB0,COM0
搭乗への期限が延びる [ 生活 ] / 2007-04-03 TB0,COM4
漂白したような肌艶 [ 暦 ] / 2007-04-02 TB1,COM0
高価な聖水の効用を信じ [ 生活 ] / 2007-04-01 TB0,COM2
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学校で習えないほど過激

2007-04-29 | 文学・思想
ナザレのイエス」を読んでいる。非常に面白くて、読み始めると止まらない。読み易く、平易な表現を使っているので、写真は教皇室で執筆中の著者のものがカヴァーに一枚だけの450頁ほどの書籍だが、速読すれば数時間で読み切れる。

字面を辿って行けば、内容も容易に読み取れる。聖書やキリスト教の教義に日頃から親しんでいる者ならば必要ないが、それでも普通の者はどうしても聖書などを片手に引用箇所を吟味していく事になる。しかし、その作業や知識にしても共同訳聖書の余白に書いてある程度のもので、そうして読み進むのに特別な教養は必要ない。

しかし、ラッツィンガー博士がここで思考したものを理解しようとすると、決して容易では無い。それは、決して文章の綴りが不明確なのでも意思が通らないのでなくて、一見変哲の無い文章の構成をも含めて、核となるものを構築する手練手管の文脈を、まるで読者がベール隔てて話し手のその表情を読み取るように、まさに読解して汲み取らなければいけないからだ。

そうした積極的な読みをすることで初めて本書の核心を実感出来るようだ。既に、前口上に続き、「イエスの神秘への概要への誘い」、第一章「イエスの洗礼」を読んだ。

新聞批評記事にて扱ったので、その前口上については繰り返さない。続く項目から印象に残った部分を紹介して、この書籍の内容の一端を示したい。

著者は、この本の要点「イエスの形態」を理解するために次のように釘を刺す。新約聖書の読者は、言葉や、行ないや、苦悩や、神々しさに出会うが、「イエスは、友人としてではなく神の子として神と面と向かっている」ことへの認識を避けては、結局目標に達さないばかりか、そこに矛盾が生じると明言する。

つまり、ここではモーゼの五書と呼ばれる旧約聖書「申命記」から18章9-12、15、34章10や「出エジプト記」から33章11、18、20-23が取り上げられてイエスは神を見る事が出来ない預言者モーゼと比較される。神と友のよう交えるモーゼは、神を背中越しにしか見る事が出来ないが、それは引いては「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった」として成就されなかったことを表わし、新たなモーゼが待望されたとなる。

出エジプト記の該当する神秘めいたテキストが、まさにこれを示しており、著者は、それをして「ユダヤ・キリストの神秘の歴史で本質的な意味を持つ」とする。「そのテキストから、この世での神との触れ合いが如何に程遠いものか、神秘的な観照のその境界は何処を通るのかと識別することを指している」とする。

新約聖書の読者には、「イエスは何処から教えを学んだのか?、どこで自らの現出を宣言しているか?」との質問があるが、それはまさにここに回答があって、「それは学校で学ぶような教えでなく、学校で学ぶものとは比較できないほど過激なもの」と言う。解釈の方法による教義でもなく、そのものが 全 権 なのだとする。「聴衆の診断に措けるイエスの言葉の考察については、再び取り上げて更に深く掘り下げて行く」と著者は言う。

また、こうした概要が論じられる前に、「どの宗教も如何なる方法かで、将来を導いて行く様になっている」として、旧約聖書などの一次資料の時点から将来を見て行く手法を採用すると次のように釈明している。

「何時の世も人は、その暗い源泉へと迫り、何処から?と問い質すだけではなく、より以上に、定まらんこれから向かう将来に煩っているのであり、今後、災いから逃れ、恩寵に恵まれるのかと、起こることに関心があるのだ」。(続く
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カローンが水脈引き行く

2007-04-28 | マスメディア批評
今週流れた幾つかのニュースを顧みる。

9人の中国人がエチオピアで惨殺されて、6人が行方不明となっている。65人のエチオピア人と共に油田で作業中に襲われたようだ。犯人グループは、地元オガデンのイスラム過激派に属し、ロンドンの事務所から中国人を狙ったのでは無いと声明している。しかし、油田の帰属権を巡って二百名ほどの武装グループが襲ったと言う。中国人は南アフリカで先頃も誘拐されて、フウ・ジンタオ主席が身代金を払っている。アジア最大の精製所の油田開発グループは、少々の危険性を顧みることなく燃料の供給に東奔西走している。

プーティン大統領がモスクワの国会で、軍事削減条約の凍結を演説した事から、ベルリンでも強く批判されている。内政面の問題を外交の慟哭などで乗り切ろうとしているとされる。先日来のウクライナの民主化運動や昨今のロシアでの動きから、NATOの東方拡大にも警戒感を示している。ミサイル防御網の東欧への設置への反対が、強硬な立場を目立たせている。欧州と米国の分断を図るロシアの意図があるとして、プーティン大統領の反民主主義的姿勢が指摘される。そして、ここに来て冷戦への逆行を示唆するような政治戦略が、何か政権の末期を暗示しているようである。

モスクワでチェリストのロストロポーヴィッチ氏の死去が伝えられる。リサイタルは一度しか聴いた事がないが、大ホールをその楽器の音色でなく、音楽の恰幅と静寂で満たして、オーラがあった大チェリストに他ならない。奥さんの伴奏なども聴いている。弓選び(バッハの組曲をあまりにもつるつるに弾いていた記憶がある)も変わったのか、西側に出だした時期の名録音と比べて後年のそれでは、ライヴで聴いた1974年以降愛用の楽器(ストラディヴァリ・デュポール1711)を奏でて、洒脱さと共に至芸の境地を記録している。その指使いなどから乾燥した無機的なイメージもあるが、その体から響いてくる音は、熟した果実のような音楽の流れそのものであった。

乾燥した日が続いて4月は最後までお湿りが無いようである。杉の花粉などが酷く、空中を白い物が飛び交う。目が乾き、痒みをに三日前から感じ出した。一雨来れば治るが暫らく望めそうに無い。目薬を買うかどうか躊躇している。

あまりに暑いと言うほどでは無い筈だが、トレヴィの泉を、有名なフェリーニの映画「甘い生活」を洒落て、素っ裸で泳ぐミラノからの40歳のロベルタと名乗る旅行者がいた。あれだけの白昼の出来事でも、質の悪いVIDEOと写真しか存在していないようで、「神曲」の美しい神々などが必ずしもスクープされて記録されたとは言いがたい。

ドナー不足から、本人が生前に臓器利用を否定していなくて、家族の了解があれば、移植できるとする法案が出来るようである。つまり、なんらかの宗教的な信条があれば告白しておかないといけない事になる。同じように、子供の洗礼をしようとした友人夫婦が二人とも教会税を払っていないということで、奥さんの故郷ですることになったと聞いた。


今日の音楽:
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ演奏
-フォン・カラヤン指揮ベルリナーフィルハーモニカー
ドヴォザーク チェロ協奏曲
シュトラウス ドンキホーテ
-小澤征爾指揮ボストン・シンフォニック管弦楽団
グラズーノフ 「吟遊詩人の歌」
ショスタコーヴィッチ チェロ協奏曲二番
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豪華に思う幸せな朝食

2007-04-27 | 料理
朝食にレバーのパテーを食べて満足であった。薄い切り身で1.80ユーロほどするが、手作りで新鮮なのでデリカテッセンである。ブロッツェン三個で全て平らげてしまった。

朝が早く、乾いた快晴が続いているので、朝食が進む。それにしても、これは豪勢な気がして良い。調べて見ると、昨年の2月頃に他所の肉屋のこれをここで扱っている。

写真を見るとレバーの部分に脂片やらが多く入っているのが違う。しかし上部のニコゴリ部分にりんごが確認出来るのも素晴らしい。今回の方が高級であるが、前回の物も焼き目がついていて美味かった記憶が蘇った。
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スパム「ミュンヘン喪中」

2007-04-26 | 雑感
一時間ほど前、アジア人が六人を殺害して、行方を晦ましました。殺人犯は、民家へと立て篭もり、帰宅した二人のティーンエージャーの娘を含む一家六人を惨殺しました。全てのペットも殺害されました。警察は、驚愕し、一刻も早くこの犯人を探すようにとあらゆる手段を尽しています。通行人のお蔭で、犯人について幾らかの情報があります。この件に関してなにか情報を提供した場合、報奨が出されます。詳細は、モンタージュ写真と共に以下に:http://xxxxx.co.kr/

差出人アドレス:<info@focus.de>
使用メールソフト:Mozilla Thunderbird 1.0.6
使用言語:en-us, en
タイトル:In Muenchen ist Trauer angekuendigt

アドレスは、事件週刊誌の様子を振舞っている。それにしても下手な文章で何をしようと言うのか?
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東部前線での選挙動向

2007-04-25 | 歴史・時事
グローバリズムとその波に洗われる地方社会の保護や、EU憲章承認の国民投票や市民生活の安全と隠れた政治課題が存在しているとされるのが今回のフランス大統領戦である。

その前線に当たるアルザス・ロレーヌ地方の選挙得票地図をみて覚書とする。1995年には、ジャコバン的ルペン候補はアルザスで25%得票している。更に2002年には極右が総計27%も得票している事から今回も注目されていた。しかし、今回は両地方で第四位の地位に甘んじている。しかし全国での集計結果と同じで、投票率が上がったことで得票率は減っても得票数はそれほど変わっていないようだ。

反対に、ベルフォールのミッテランやシラク政権時に閣僚を務めた社会党左派ナショナリストのジャン・ピエール・シェヴィヌマンが戦略的にも中道のバイル候補を支持することで、バイル候補は得票を伸ばしていて、地元ピレネーのように首位とはいかないものの、アルザスでは第二位の位置を占めている。

これを称して、サルコジ候補のパリ主導の強権イメージよりも中庸なバイルの方が中央集権的な威圧感が少ないとする分析が存在する。またそれよりもEU中心とする憲章承認への国民投票で、他の地域以上に高い53%の支持を示したこの地域の実績は、EU議会のあるストラスブールの環境も大きいのだろう。

それでもサルコジ候補が満遍なく首位を維持しているのに対して、ロワイヤル候補は、流石に故郷周辺では二位の座を確保しているが、ジロンド派の地域のように首位とはなっていない。

フランスの選挙では、投票率でなく棄権率を示しているのが良い。



参照:
四苦八苦する知識人 [ 文学・思想 ] / 2007-05-07
東部前線での選挙動向 [ 歴史・時事 ] / 2007-04-25
サルコジ批判票の行方 [ 女 ] / 2007-04-23
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醜いアヒルは白鳥となる

2007-04-24 | 生活
マンハイム市内の公園の一時。白鳥の周りにアヒルが屯していた。白いものは、白鳥の子供かなと思わせたが、判らない。アンデルセンの醜いアヒルの子である。

白鳥が池にいるのは領主の管轄を示し、神聖ローマ帝国からの独立も意味したとある。

また、宗教改革のヤン・フスのフスはチェコ語でアヒルを意味して、火炙りになる前の辞世の句として、「汝らは、今日アヒルを焼くが、その灰から白鳥が復活する」と詠んだ。

それから、白鳥をしてマルティン・ルターを指すようだ。

写真:なぜか上目づかいに横目でこちらを見上げる白鳥。





参照:詭弁と倹約 [ 料理 ] / 2005-02-18

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サルコジ批判票の行方

2007-04-23 | 
フランスの大統領戦初戦の結果が出る前に、一言だけ書き措こう。

サルコジ候補が選挙戦終盤に南フランスで戦時中の対ドイツ傀儡政権下でのやむを得ぬフランス国民を主張して、その正当性を繰り返しているのが、伝えられている。勿論これは、自己の排他主義を擁護してのことである。ドイツを指して「ホロコーストの訳の分からない奴ら」とする、対立候補ロワイヤルが「ドイツを屈辱している」と非難するその対抗馬の言い草は、今後も独仏関係に尾を引く事となろう。

反対に、ロワイヤル候補は適当な時期にベルリンを訪れ、友好関係を強調して、尚且つ選挙戦にもスペイン首相を街頭演説に引き出して、外交経験の無い政治キャリアーを隣国との友好関係を強調することで補っているようだ。それにも増して、生まれ故郷ロレーヌの小さな町シャマーニュを訪れての選挙戦は、その育った本土以外の領土での生活感を交えて、フランスの辺境へも眼差しを投げ掛けさせる。

これは、アルサスやローレーヌ地方をドライヴすると判るのだが、パリから取り残された地域には、サルコジが力ずくで問題を解決しようとする移民者の問題とは違う問題が潜んでいる。各々の故郷を越えた経済圏への依存は、更なる友好関係があってこそ有効に働くもので、パリから見てこれらの地域は厄介ものでしかないのが、問題を起こす移民者にも似ている。

ルぺン候補も永年の活躍のせいか、立派なスーツに身を包んで紳士然とした雰囲気をかもし出しているように思われるが、大分サルコジの票の一角をも食っているような気配がある。最新の予想では、16%まで支持を伸ばしているとされる。

中間派のバイル候補は、ここに来て支持を20%まで伸ばしているようだが、サルコジ勢力に対して決戦投票で戦えるのは、社会主義者のロワイヤル候補でしかないであろう。

40%が未決定と言うから、地方を主に女性候補ロワイヤルに票が流れるとも考えられるが、なんと言ってもその政治手腕は未定で、隣から見ていても些か頼りない。

しかし、今回は前回の欧州憲章承認直接投票時のメディア先行型の世論作りのようなものが感じられないことから、意外にサルコジ支持票と同じぐらい批判票も入るような気がするがどうであろうか?サルコジの内政の手法は、それほど悪くはないと思うが、独仏を軸としたEUの結束を考えると、大きな疑問が投げ掛けられている。


共産党や緑の党は左へ左へと支持を表明するが、そうしたやり方はフランスの政治が今一つ現代化していないことを表していて批判される。高い投票率は、暴動の第9選挙区での政治的関心の高まりも挙げられている。それでもサルコジが目標を果たして、二位の対抗馬とその政治を、一番でなければいけないフランス政治にかけて二者択一の二番目の選択肢としていた。その一方、二位の女史の演説は全てを見通していたように、世界の中のフランスと民主主義の理念を示す大層広大な演説となっていた。あれを聞いていると、大統領こそロワイヤル女史で、サルコジは所詮首相止まりと思わせるから面白い。ロワイヤル候補を日本や韓国の記者が嬉しそうに追いかけていたと笑い話が第三放送で紹介される。



参照:
Election présidentielle 2007
Le Figaro
France2
四苦八苦する知識人 [ 文学・思想 ] / 2007-05-07
民主主義の政治モラル [ 女 ] / 2007-05-05
東部前線での選挙動向 [ 歴史・時事 ] / 2007-04-25
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ナザレのイエスを注文

2007-04-22 | 文学・思想
自然科学に比べて精神科学がつまらないとは言えない。勿論、前者ほどそこに新奇な発想の面白さを発見出来ないが、後者にはある世界観を根拠として洞察に富んだ直感を見出すことが出来る。

特にその中でも、神学的な考察は法学や哲学などを支える文化そのもので、どちらかと言えば肌触りの悪いそれらの理解にも役に立つ。

そこで、いつも問題となるのが正典となる聖書解釈のようである。今回、現職の教皇であるヨゼフ・ラッツィンガー博士が二部に渡る一冊の本「ナザレのイエス」を出版した。

博士の学問的業績は、昨年問題となったレーゲンスブルクの発言にも、また教皇としての仕事ぶりにも現れているのは知るところである。さて今回出版された書籍は、宗教人としてのベネディクト16世とは別に、神学者としての博士の名前が並列して示されていて、カトリック教会内だけでなく、キリスト教以外からも神学的な議論を歓迎するとある。

言葉は悪いが、一種のスター本として多数の発行・販売部数が見込まれる。しかし、そこで議論されるものは必ずしも容易で無いことは確かである。新聞評やラジオの討論会で知る限り、歴史批判的なイエス像と信仰の対象としてのイエス像にある間隙を、三十年前ほどに米国でなされた聖書解釈プロジェクトを呼び興しつつ、口述伝承された聖書としてこれを扱う。

つまり、教会におけるその解釈は歴史的主観としておかれる。こうした態度は、ただの神学的な聖書解釈とは異なり、イエスの位置付けが神話的でも政治的でも無い事を主張しているようだ。

それこそが信仰なのであるが、ここではそれが社会学や心理学の領域に立ち入ることなく、形而上の領域へと至るのである。巨大世界宗教の本質は、決して均したヒューマニティや倫理のプロジェクトに有るのでは無いことを示しているとされる。この点が、まさに前任者のヨハネ・パウロ二世を理論面で引き継いでいる。

初版本の恐らく献呈用に装丁された豪華版も、ラッツィンガーファンには、格好のアイテムだろう。そう言えば、ラッツィンガー愛車VWが先月再びネット競売に掛けられていた。二十歳そこそこの青年に買われたこの車も、投資対象として再び高値で競り落とされて、利鞘が転がり込んだに違いない。

格安本の方は半額に近いので、これを注文購入しようと思っている。手元にあるトーマス・アキナスやルートヴィッヒ・フォイヤーバッハの書籍と行ったり来たりしながら読むのが面白そうである。

ラジオで司会者が、「こうした難解な神学が解らなければ、信仰出来ないのか」と馬鹿げた事を言っていた。なぜ、その女性は正反逆に言わなかったのだろう?



参照:
英訳本
批評 ―
FAZ
ZENIT
NZZ
KATH.NET
TSG
WELT
FNP
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推定無罪の立証責任

2007-04-21 | 雑感
毎度話題を提供してくれるショイブレ内務大臣である。今回は、司法用語である推定無罪の定義をテロ防止法制定の中で俎上に乗せた。

「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」とこれを読みなおすことが出来るらしい。つまり、In dubio pro reo(疑わしきは被告人に)の大原則は明文化されていないとするが、こうした意味合いから、立証責任を以って法的に証明されるまでは無罪と言いかえることが可能なのだろう。

それを、逆手にとって、連立与党キリスト教民主同盟の大臣は次のようなレトリックでシュテルン誌上に答えて、物議をかもした。

「原則は推定無罪に値しない」 ― 「推定無罪は、その核、一人の冤罪よりも十人の罪人を見逃すことを意味するのだな」

更に、「それなら、恐らく事件を起さない誰かを追いかけるよりも、むしろ十の攻撃を遣らせておく方が、良いってことじゃないのかな?」

当然の事ながらこの発言は、法治国家の精神に反するとして、強い批判を浴びたが、社会民主党の法務大臣ツィプリス女史などは、この発言を少々の混乱として同僚を庇っている。

そして、「ショイブレ博士が辛口に言った事は、短絡的に伝わった誤解だと想像しています」と連立与党の社会民主党を閣内代表してこう語っている。

憲法精神から甚だ遠ざかり、お話になら無いとするのが、一般的な見解であるが、同時に内務大臣は、「拷問の厳しい否定」を強調する一方、「我々の尺度でと同じように、法的に問題なく得られたかどうか補償出来ない限りは、そうした他国の情報活動で得られた情報を使わないと言うのは馬鹿げていないかい?」としている。

つまり、米国CIAを名指しはしていないが、その方法をEU内においては許さないながら、それを無視することは出来ないとしているに等しい。

恐らくこの政治家の老獪さは、この発言に良く現れていると思うが、特に一部の社会民主党員や前任者で法案発案者シリー前内相らのイデオロギーを浮き彫りにしていて面白い。

米国の諜報活動やその手口を暗に叩く一方、社会の多数である被雇用者の安全を護ることは、連邦共和国の秩序を護ることであり、その反対も正となる 思 想 を隈取りする。

しかし、実際には電話の盗聴や着信歴の保存などは、人権問題にも抵触して市民の自由を侵す可能性が強い。EUにおいて36ヶ月の追跡期間が推進されている一方、たとえEU社会が基本的人権を尊重して、民主主義的な統治を可能とする前提があるとしても、個人対社会、社会対個人の 闘 争 は今後とも白熱していく課題と認識する事が出来る。

また覗いているファインダーのズームをずっと引いて行くときに、それは丁度GOOGLE EARTHで欧州からひいて行く時のように、アフリカ大陸やアジアが同じ視野へと入ってくる効果に似ているのである。そもそも、テロ防止法自体が、西洋をある一つの地域文化圏であると立証する行為を推定している。



参照:
秘密の無い安全神話 [ 歴史・時事 ] / 2007-02-01
煙に捲かれる地方行政 [ 生活 ] / 2006-12-12
イドメネオ検閲の生贄 [ 音 ] / 2006-09-29
自尊心満ちる軽やかさ [ ワールドカップ06 ] / 2006-07-12
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一斉に展開する風景

2007-04-20 | 
RSSリーダーでBLOGサーフィンをしていて、モーゼル便りさんに変わった言葉が出ていた。AUSTRIEBと言う名詞で動詞AUSTREIBENから来ているのは解るのだが、葡萄の芽吹きの事とは聞いた事がなかった。日本語でこれが、「展葉」なる言葉となると、なおさら解らなくなる。



あの硬くてゴツゴツした長いもので30年以上の古木の葡萄の蔓から、緑が出てくるのは見ものである。何時の間にやら、出てきたのである。その丁度一週間前の写真と比べると驚いてしまう。







確かに日差しは強く、温度は28度にも至ったから当然と言えば当然なのだろうが、一気に芽吹いた感がある。







AUSTRIEBを辞書で引くと、追いやる放牧の用語でもあって、印刷編集の用語でもある。芽吹くとは異なり展葉とされるのもなるほどとも思う。

また寒が戻ってきたようだが、大丈夫だろうか?







参照:はすみふぁーむさんの巨峰の風景
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批判的民主主義行動

2007-04-19 | マスメディア批評
昨日の正統性の話題に続いて、温首相の日本訪問の記事を読んでいく。4月16日付けのフランクフルター・アルゲマイネ紙の、第一面右枠の三分の二を占める社説である。

ぺトラ・コロンコ記者の「東アジアにおける緊張緩和の信号」と題した記事である。こうした署名記事を読む場合、未知の人であれば、一体どのような見識をもっているかが先ず興味ある。

ざっと、一読すると北京側の思惑に東京の思惑を重ねるようにして、確かな第三者の目として描いている。この新聞では、中国問題は大きく扱われていて、特にその思想的な面での記事は、今日の中国思想研究として十分な情報を提供している。

その内容である、戦前の大日本帝国の蛮行を思想的に清算しろとする北京の主張に対して、文革の清算が出来ていない北京を指摘するのは、現在のこの新聞の編集局の一貫した見解である。それに加え、政治屋貴族集団とされる安倍政権が国内の保守派に対して、選挙への影響を恐れて反中ポーズ ― 経済界からや相手国からの利潤供与をひた隠しながら ― をとることの必然性を挙げ、中共政府には選挙はないが人民が反日に蜂起する不慮の事態は避けたいと言う事情を対比させる。

ここでは、後者における永年に渡る反日教育に対して、前者における同じ様な期間をもって行われた愛国教育を対比させてはいないが、奇しくも政権政党のしかるべき政治家が自作自演で、中華思想を挙げて「日本国首相訪問には、中国共産党主席訪問の返礼が相当」とするような、明らかにポピュリスト的な「犬の遠吠え」がネットで伝えられると、上の記事の確かさを示す事となっている。

まさに、この事象こそが、この記事で「日本政府の 戦 犯 への態度は、民主主義の大擁護者に全然相応しく無い」とされる。そして、「温首相訪問中に、軍事力を持って重大な使命を果たそうとする平和憲法改正への準備である国民投票法案を審議し始めた」と明確に定義している。

こうした客観的で第三者的な正論に対して、日本の翼賛大新聞の政治局長の「国民投票法は、憲法改正とは先ずは関係無い」などと嘯いた見解を、ネットラジオで偶々耳にすると、なるほど「戦争の出来るまともな国を目指す日本国」の権力支配構造が良く分かるのである。

必ずしもパシィフィズム的な第九条を 死 守 すべきとは思わないが、これらのことから、それを廃棄するには時期尚早と見るのは当然の帰結であろう。

例えば、今回報じられるような長崎市長の暗殺においても、それは国民投票よりも遥かに大きな意味を、この市民社会システムへの挑戦に対する平和的な市民大抗議行動におくべきで、言われるような数の論理による多数決は民主主義のただ一つの技術的な方法でしかなく、本質では無いことを思い出さなければいけない。

こうして見てくると、土下座外交と呼ばれるものは、そのもの土下座選挙をする、遠吠えする輩の専売特許であって、実のところその彼らこそが、国民教育とワンセンテンス・ポピュリズムを以ってその不確かな正当性を根拠に、市民を容易に導けると考えている。その輩の卑しさを改めて見るが良い。

さらにこれに加わる第四の権力と自負する機能は、本来のジャーナリズムの体を全くなしておらず、民主主義システムを維持するための意味を失っているかのようだ。

民主主義の根幹をなす市民の批判精神が行動となって、社会に投影されない限り、到底国防軍を持てるような ま と も な 国 ではなく、そうした精神環境は、明治維新後に国体として整備され戦後に改正されたその政府の正統性をも非常に怪しいものにする。



参照:
民主是個好東西 可平 [ マスメディア批評 ] / 2007-06-14
2007年春、ドイツ旅行の印象 ― toxandoriaの日記
教皇ベネディクト16世の...あいさつへの論評 ― Barl-Karthの日記
民主主義はしょせん金? ― コミカル・ミュージック
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三つの要塞に人質を捕る

2007-04-18 | 生活
先日の遠足で、トリフェルツ(三つの要塞)と呼ばれる歴史的な山城を訪れた。過去にこれまで、五回以上は訪れて、中の見学も数回している。それでも、未だに歴史的な全容が掴みきれない。

その理由は、最も歴史的な事象である獅子心王リチャードの活躍と捕囚、そしてこの城で人質となった状況が良く分からない。更には、神聖ローマ帝国の三種の神器などが並ぶとなお複雑となる。それどころか、近辺の帝国の主要地点であるシュパイヤーやヴォルムスが紹介されるとますます混乱を極める。

今回も展示を見て、先ず獅子心王の生涯を二十枚以上のパネルを使って三各語が併記されているのがいけないと判った。つまり、要点を纏めて小さく紹介してから、詳しく紹介すれば良いものを時系軸をもとに生涯を述べている。シュートプロフィールすら無いのである。

その中で、展示者が訪れた地点の関係を20枚のパネルから見つけ出さなければいけない。大変具合の悪い展示なのである。大抵の博物館などは大変良く出来ていて感心するのだが、この手の古城や教会関連ではあまり今まで素晴らしい展示説明を見た事がない。

獅子心王の場合は、オックスフォード出身に係わらず、その精力的で華々しい十字軍活動を中心に、その腕っ節の強さで欧州中どころか、イスラエルや黒海までを成敗し続けていて、住所不定のような感すらある。だから、英国議事堂の前のウェストミンスター広場に像があるとして逆に驚かされる。

その獅子心王もヴィーンの近くで嘗ては十字軍の同志で宿敵のフィリップ二世の手に落ちて、拘束される事となる。そして、予てから教皇と世俗で力比べをしていた帝国皇帝ハインリッヒ六世に身柄を預けられて、政治的な人質となる。

兎に角、身代金だけでも銀を何トンも要求され、甥の政略結婚まで要求されている。ハインリッヒ皇帝が教皇に対して破門の危険を避ける苦心をしながら、なんとか交渉成立に漕ぎ着ける政治環境が浮き彫りにされてくる。

神聖ローマ帝国の三種の神器がなかなか揃わずに複数箇所に別れて保存されていたりするのが、そうした不安定な権威を示す事象として捉えられている。ヒットラーがそれをヴィーンから取り寄せニュルンベルクに集めたのは最近の事である。

そこで面白いのがハインリッヒ皇帝は、こうした神器を大切に、十字軍の功績者を挟んで教皇との間で政治手段の正当性に配慮したことであり、これは彼の皇帝でさえ与えられた正統性が全てであった事を思い起こさせる。

西洋史に詳しい者ならば当然の概念であるのかも知れないが、王権神授説をして我々はこれを知っており、これこそが秩序システムであって宗教心と言うよりも哲学理念の問題である事に気がつく。

結局、獅子の心臓を持つリチャードは、身代金やその他と交換に解放される。現代においてもブッシュ政権のような政策は、ただその軍事経済力にものを言わせていて、その正統性はただ米国国民の民主主義的審判と言うところに依拠している。これを以ってしても、封建制の中での王権の正統性に比べて、現在のホワイトハウスの権力は揺るぎ無いものとはならない。選挙における集金力に依存した経済的なパワーゲームとして、一千年後の世界は中世の封建社会と現代の民主主義をどのように比較するのだろうか?


写真:トリフェルツ近影
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九月ならずに四月に販売

2007-04-17 | 試飲百景
ここでも2006年の不順な天候の被害は出ていた。月曜日と言うこともあってか、ご主人が電話番も、販売も全て請け負っていた。それでも店仕舞いに、八種類のワインを試飲する事が出来た。

天候不順の減反は、そのカテゴリー分けにも影響していて、購買者もそれに合わせて試飲しなければいけない。先ず一番単純なリッターワインは、もはやピュアーリースリングではなくて、リスラーナーが混ぜられている。但し自己で収穫したものらしい。これの試飲は固辞した。勿論不味くは無いのだろうが、リッターで1ユーロ49セントほどの大量生産品と6ユーロの比較となると勝負は難しい。

次ぎは、今年から出来た醸造所の所謂ハウスワインである。これは、お手ごろな価格でも、質は低い。不健康な葡萄が交じっている2006年の特徴が色濃く出ている。これを数売る事で、帳尻を合わせたいのだろうが、結構厳しくなりそうである。そのムスバッハー産のリースリングは甘すぎて、ピノブランの方が辛口の印象がある。但し同じ価格で、両者を比較すると後者は割高となる。

リースリングほど天候の影響を受けなかったのか、ピノブランを主にピノグリやムスカテラーが並んでいる。どれも悪くはないが、最後の者が葡萄の香りで面白い。メロンパンの味である。このカテゴリー、つまりクラシカーと呼ばれるリースリングは、ビュルガーガルテン産であるが、一般消費者向きに地所をリストには記載しない。消費者を混乱させないためと言うが、どうしたマーケットを狙ってのドイツ高級ワイン団体の市場調査が基礎に置かれているのか。2006年度のマイナス要素を繕う所か、それを象徴しているように映る。しかし瓶に貼られているエチケットには明記されている。これらはギメルディンゲンのマンデルガルテン産である。

さて、2006年産で最高のカテゴリーに輝くのは、テロワーと呼ばれる地所別のワインである。その中から、ビュルガーガルテン・リーズリングとヘーレンレッテン・ヴァイスブルグンダー(ピノ・ブラン)を試飲する。

つまり2006年産のグローセス・ゲヴェックスと呼ばれるカテゴリーは、この醸造所には存在しない。なぜならば、そのカテゴリーには細身過ぎる事から、従来のシュペートレーゼ・カテゴリーに格落ちさせて、価格も安くするばかりか、その規定である9月発売を先倒しして、4月に購入出来るようにした。しかし、量が少ない事から一般に流通する量は少なく、非公式な商品と言えるかもしれない。

大きな将来性はないが、13.5%のアルコール、リッターあたり5.1Gの残糖、8.45Gの酸を読むと想像がつくのでは無いだろうか?少なくとも、9月には大変楽しむ事が出来るのは間違いない。このクラスでも摘み取りは、通常は9月なのだが10月10日から12日の間にされたらしい。

力を入れているヴァイスブルグンダーのこれは、新しく入れた木樽を使っているので木の香りがする。これを気にしなければ、瑞々しく素晴らしい。
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えらく暑い遠足日和

2007-04-16 | 
本日は真夏日であった。その規定は知らないが、摂氏28度の抜けるような青空と言えばそれ以外に表現の方法は無い。

そのような日和で数時間山の中を歩いた。日焼け止めクリームを塗り、十分に容易をしたお蔭で、僅かな火照りだけで済んだ。

本日は独日協会の催し物であったのだが、懐かしい顔にお目に掛かった。日本滞在中に生まれた二人の子供に、小澤征爾に肖って、京子と征爾と名付けている。暫らくお会いしなかったので、お互いに始めは判らなかった。同じ町に長く住んでいるに関わらずである。

もう一組、日本から来て二週間目と言う新鮮な奥さんがいらした。日本で知りあったようで英語を使うご夫婦らしい。

もう二人見慣れない顔の二人のお嬢さんは、交換留学の高校生で、一人は仙台、もう一人は岐阜に暮らしていたと言う。色々と面白い話も聞けたが、何よりも各々の方言学習を聞けたのはとても愉しかった。

東北のずうずう弁を話したが、こちらが出来ないのでここにも書き写せない。アニメにも何かあるとか語っていた。方言とは異なるが、急に思い出したのか「迷子になりました」とか突然言い出したのが面白かった。その言い草が可愛らしくて、忙しくても誰も放って措けないだろう。なるほどこれは使える言葉だったのだなと笑える。牛タンが美味く、強い味付けも全く気にならなかったとか。

もう一人は、「えらい」と言う言葉を語ってくれた。なるほど、これは西日本では使う表現で、「大変」と言う意味に限らず「辛い」とかの意味をも持つ。「迷子」と「舞妓」もしっかりと聞き分けられて、定義出来るのは凄いと思うのである。またアニメでの、大阪弁の悪く使われている事までをも教えてくれた。

それにしても、このような若い柔軟な彼女らがこうしたものを体当たりで体験して、それが如何に将来に生きてくるかと言う議論が必要だろう。

アニメの影響は、こうした次元ではただの仔細な現象で、それがなにか文化的なものを伝達すると考えるのは、本末転倒かもしれない。十分に議論されるべき話題である。
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