Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2016年11月

2016-11-30 | Weblog-Index


気に入りだしたシナモン 2016-11-30 | テクニック
初日の放送で何を聞くか 2016-11-28 | 文化一般
出遅れた朝の記録 2016-11-27 | アウトドーア・環境
単純なアフリカの風合い 2016-11-26 | テクニック
不法移民、強制退去の祖父 2016-11-25 | 歴史・時事
これもヤリ手婆の腕捌き 2016-11-24 | 女
a knif and an apple 2016-11-23 | 暦
ポルノオペラは御免だ 2016-11-22 | 音
DNSサーヴァーを調べる 2016-11-21 | テクニック
違和感が消えるときは 2016-11-20 | 雑感
いよいよ本丸か 2016-11-18 | 料理
「誇りを取り戻そう」の戯け 2016-11-19 | 文学・思想
「天才ソコロフ」の響き 2016-11-17 | 音
パリ北部で排除される人々 2016-11-16 | マスメディア批評
超満月とは之如何に? 2016-11-15 | 暦
アーカイヴはお得 2016-11-14 | 雑感
録音の準備の週末 2016-11-13 | 生活
HDDが故障して一週間 2016-11-12 | テクニック
大統領選出後の喧騒 2016-11-11 | 歴史・時事
結構長いWIN8.1への道 2016-11-10 | テクニック
トラムプ、合衆国の民主主義 2016-11-09 | 歴史・時事 TB0,COM2
代表的音楽家や演出家 2016-11-08 | 雑感
弄り時の我がノートブック 2016-11-07 | テクニック TB0,COM2
走り抜ける黄金の森 2016-11-06 | ワイン
メードインチャイナの魅力 2016-11-05 | 歴史・時事
TTIP阻止も独緑の党か 2016-11-04 | 雑感
筋肉が焼けそうな睡眠 2016-11-03 | 生活
ハロウィーン明けの膝 2016-11-02 | 暦 TB0,COM2
あまり機能的ではない展開 2016-11-01 | 文化一般
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気に入りだしたシナモン

2016-11-30 | テクニック
今のところ内務省から出頭命令は来ていない。日曜日のハッカー騒動で疑われるかと思った。それぐらいに先週から件のDNSサーヴァーを扱っており、それが日曜日の午後に逝かれたので急いで対抗策を講じていたからである。何としてもドイツ最大級のハッカー被害件数を受けた独テレコムのルーターの使用者であり、その攻撃機関中にもPINGを送りPCとルーターに向かいあっていたのである。顕著な点はWLAN内のルーターに交信出来なくなったことで、接続中のアドレスには外部にも繋がり続けた点である。

そして攻撃を受けて直ぐにルーターの電源を切って修復に努め、それでもネット接続に問題があったので、初期化まで試みた。月曜日の生中継があるからでそれまでに何とか掌握しておきたいと思ったからである。

勿論最大級事件が起こっているとは知らないから、てっきりテレコムから敢えて借りている - 壊れた時に直ぐに取り換えさせるように - ルーターが老朽化で駄目になり、次期の機種への移行などを並行して考えなければいけないと思っていたのである。

犯人は海外からのようで恐らくそのルーターを製造している中共と思われるが、ルーターに係るDNSを攻撃したことで、WWWアドレスで接続不可となったドイツの顧客は皆電源を落としたようである。そのために本来の目的であるルーターに繋がっているWLAN内には侵入を果たせなかったと言われている。詳しくはまだ明らかになると思われるが、少なくともDNSは攻撃出来てもそのハッカーの目的は達成出来ないので、ラディオなどでも「馬鹿なハッカー」と呼ばれている。しかし進行中のホームグリッド化などで今後は同じような企てでもかなりの影響が出るとも語られる。

兎に角、週末は廃れ縁SUSEからUBUNTU、そしてそのアフリカらしいざっぱな感じが相に合わずに、FEDORAへとLINUXシステムをを交換して試していった。それはUBUNTUでもシステムが不安定になって来たからで、再インストールするために、土曜日の夕方から初めてのLINUXによるHDD初期化を開始した。結局十数時間掛かって、そこからもインストールが全く上手くいかなかった。FEDORAも全く使うところまでいかずに断念して、SUSEに戻る可能性も考えながら、人気のMINTへと試行錯誤の方向が移っていった。その中でも報告を読むとMINT18のシナモンが良さそうだと感じたのである。

理由ははっきりしていてFEDORAもデザインはアフリカよりは都会的な感じがして法人向きの信頼感があった。しかし、これだけインストールに問題があれば駄目だと思ったので、デザインも洗練されて、軽いと評判のシナモンへと関心が移ったのである。実際にご先祖のUBUNNTUよりもインストールが容易だったので、これはいけると思った。実際にインストールしてからの動きも考えられないほど良かった。

そしてそこから必要条件の遠隔操作の構築に向かった。これが土台のUBUNTUと同じようにスキャナーも問題なく動いたが、同じようにここでもVNCのインストールに躓いた。要するにVNCで遠隔操作をしようとしても灰色の画面しか現れないので致し方がない。そこでウィンド-ズの遠隔操作をXrdpをインストールしたが、最初に読み込んで落ちてしまってからは真っ黒の画面になってしまった。そこから底無し沼にハマってしまった。

その間色々なネット情報で、VNCとインストールされているVINOと呼ばれるシステムを行き来しながらどちらが上手く繋がるかを様々な方法で試してみた。その間、dconf-editorなどいくつものプログラムをインストールして、書き換えたりで出口が見えなかった。しかし交信しているので可能性は必ずあると思っていたのである。

結局最終的にはXrdpを3D表示のミントの画面では無しに仮想のXfceで二次元化して写せばよいと言う主張のYOUTUBEに従って作業をした。完璧ではないが、少なくともちょっとトリッキーな方法で遠隔操作が可能になった。改善はしていかなければいけないかもしれないが、これで寝室のドッキングステーションでじっくりと調整可能となった。

こうしてシナモンは、益々扱いやすく、とても弄りやすいシステムであることを確認した。可成り至れり尽くせりのSUSEの重さと使い難さと比較するとこのシステムの軽さと使い易さが際立つ。どちらが初心者向きかなどとは言えないのだが、ラズベリーパイの手軽さにも通ずるところが素晴らしい。

SUSEはウィンドーズとのPC共用などで比較的インストールも克服可能だったのだが、そのGRUBなどのブーティングシステムを考えなくてもよい単一システムで1TGの容量を思い存分使えるとしたらこれ程面白いこともない。問題は使用しているPCの安物の電源部が消費720Wと巨大なので、先の週末のように点けっぱなしとなると電気代に跳ね返ることであろう。LINUXお勉強の月謝だろうか?



参照:
単純なアフリカの風合い 2016-11-26 | テクニック
DNSサーヴァーを調べる 2016-11-21 | テクニック
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初日の放送で何を聞くか

2016-11-28 | 文化一般
いよいよ初日である。アムステルダムの上演は前半しかなかったが、ハンガリーでの上演は全部あった。先ず続きの後半から観た。農民の酔っぱらいの場面などはシュトラウスの「こうもり」のようで、警察署での動きなどはツィンマーマンの「ディゾルダーテン」のようで、終幕の橋からの無理心中飛び込み入水はまるで「トスカ」のようだった。演出はこうして全曲を出すほど自信があったものなのだろう。

なるほど、その音楽にまたはアルバン・ベルク作品のパロディーなどが散りばめられていて、オリジナリティーを探すのが難しいぐらいかもしれない。そうしたところに留意した演出だったのだろうか。ここでも交響曲のように一筋縄ではいかぬというか、明らかに視点をずらしたような作品に聞こえるような演出である。

音楽的にはこうしたセマンティックな解釈がショスタコーヴィッチの解釈を複雑にしているかもしれないが、反対に今日まで興味を繋ぐことにもなっている。勿論敢えて不明瞭にしなければ表現不可なことを行間に読み取らせようとする解釈が発生するのを見越している。

特にスラヴ系の舞台表現というか、その言葉や文化からのそれがマジャールの意識で、強調されているように見えるのがこの上演の面白さで、音楽自体も表現主義的な響きと従来のロシア的な響きをモザイクのように繋げているように響かしている。ヨーナス・コヴァーチという指揮者はブタペストやベルリン、ハムブルクでも活躍しているようで、この十年前の演奏もその実力を示している。現在のハンガリーを代表する指揮者のようだ。

前半も一幕を観たが比較的上手に処理しているが、逆手にとって使たような性描写でこれも煩わしい。性の扱い方によって、後半の暴力装置たる警察官などの扱い方が変わる筈で、この辺りをハリー・クッパーはどのように処理するのだろうか?警察署の椅子の写真などが出ていたがあれはあれで官僚主義的な雰囲気が出ていて美術としては納得がいきそうである。

先ずは月曜日に音楽を聴いて、他の演出のヴィデオ映像などとスリ合わせて、上演の質を評価できるのではなかろうか?あそこまでの敢えての性描写に釣り合うのは官僚主義の本質でしかないのだろうが、それがクッパーの語る専制主義の犠牲ということとどのように係るのだろうか。

正直この演出家の仕事はバイロイトのその演出も十分には知らないので、想像の仕様がない。但し、フフェルゼンシュタインのリアリズムの手堅さとは別に音楽との協調作業に秀でている老演出家なようなので、ラディオで中継を聞けば大体の方向性はライヴで観るまでに想像できるであろうか。

ラディオインタヴューなどを聞くと、舞台を帝政時代の最終期つまり革命前と定めているようだが、当然のことながら内容的にはスターリン独裁政権が作曲の基本にある。スターリンが美学的に受け入れられなかったというよりも、危険な舞台作品と考えたのは間違いないとしても、するとその性描写などの扱いが再びここで問題となる。音楽的にしか回答仕様がないものではなかろうか。

そこで今回のショスタコーヴィッチの音楽がどのように響くのかが楽しみである。作曲技術的に手の込んだところが確りと示されて、その音楽の構造自体にすべてを語らすならば、それが効果の狙いとは無関係に、その効果の構造というものが見えて来る筈である。演出家は音楽に語らすことをモットーとしているようだが、その演出と音楽的な構造に矛盾が生じなければ劇的な効果が生じる筈である。

三通りの映像表現を観たが、ロストロポーヴィッチ指揮演奏の後付け映画は論外として、ハンガリーでの上演はなるほど音楽劇場作品として成功していて、またアムステルダムでのヤンソンス指揮の上演は音楽的にも劇場作品としてもあまり説得力がなかった。



参照:
ポルノオペラは御免だ 2016-11-22 | 音
違和感が消えるときは 2016-11-20 | 雑感
あまり機能的ではない展開 2016-11-01 | 文化一般
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出遅れた朝の記録

2016-11-27 | アウトドーア・環境
朝は出遅れた。頂上に向けて走り出したのは九時を過ぎていた。気温は再び下がる傾向にあるので天気は悪く、今にも降りだしそうな空気は軽くはなかった。準備体操の時に息が上がるようなことはなかったので体調は悪くはないだろう。下では寒くはなかったが頂上は温度が下がるのでフリースを着て走り出した。

最初の急坂も攻めれる一方それほど苦しさは感じなかった。緑のベンチから第一の合流点までも順調で、第二合流点までも勾配の強さを初めて確認するほど余裕があったともいえよう。あとで調べるとそこはさすがにガックとこの字型に減速している。そこからは嗚咽が漏れたが山道に入るまでも加速する。

流石に山道では急減速して、加速減速を繰り返して頂上直下の急斜面を我慢して終える。35分15秒は前回の記録よりも早いが、午前の記録としては最高かもしれない。しかしかなり来ているので、下山はどれほど飛ばせるか?

それでも比較的順調に加速した。林道に入っての再加速には満足だ。一部時速10㎞を切ったが、カーヴや下りの始まりで視界が効かないなどのところなので仕方がないだろう。流石に遅めの時刻となるとすれ違う人も、林道の最初でMBXの数人組とか親子連れなどあった。前者は車で街道沿いの駐車場で下していた人たちだろう。何処で追いつかれるか気になっていたが、大分の差があった。もう一人急坂を走って登ってくる禿親父がいた。年齢も近づくと60過ぎ位で若くはない。最初は仲間の蛸オヤジかと思ったぐらいで、一体何のスポーツをしている人なのだろう。あの急坂を走るのはものすきしかいない。挨拶をしながら顔をお互いにしっかり見た。

最後に飛ばしてフィニッシュ、55分45秒はまた記録であった。息を整えて降りでも負荷を下げない努力はしたが、まだまだである。それでも上りに攻められたのが良かった。走りながら下りの負荷の練習で心肺機能がここにきて急に鍛えられている感じがしている。心拍計は着けていなかったが、それほど加速の割には負荷が上がることはなかっただろう。記録ラッシュは偶然ではないと思えるようになってきた。



参照:
アーカイヴはお得 2016-11-14 | 雑感
ポルノオペラは御免だ 2016-11-22 | 音
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単純なアフリカの風合い

2016-11-26 | テクニック
LINUXのネット環境は戻すことが出来た。サーヴァーの開発位の勉強をしなければいけないかと覚悟していたが、簡単なコマンドで直すことが可能となった。ルーターにも一部のインターネットにもアクセスすることは可能となっていたが、最後の読み込みが上手くいかなかったのだ。だからインターネットへのアクセスも研究すべきかとも思っていた。要するに情報工学の基礎を学ばなければ、直せない位に微妙なところにいたのだ。

それが、コマンド(dhclient -r)でルータのIPアドレスを開放出来ことに気が付いて、開放して再び設定するとインターネットに繋がるようになった。同じような方法としてルーターの電源を落とすとかの方法は試験済みだったが、そのような方法では全く変化はなかった。反対方向、つまりルーターに開放をコマンドすることは可能だったのだが、それは今までやっていなかった。そしてLINUXからルーターにコマンドを与える方法で、IPアドレスを新しくすることになった。

するとLAN内でのコンタクトはピンが通らなくなったりしたが、直ぐにインターネットと交信可能となった。それまでと反対になったのである。LAN内の調整を済ますと元通りに徐々に回復した。そしてアップロードを続けた。

但し肝心の真面なクロームは使えないようで、増えていくアップデートだけを眺めているうちに、再び容量一杯になった。今回は消去方法を熟知している筈だったが、アップデートに消去が中々追いつかない。結局残る数キロバイトになって扱えなくなった。

ここで調べてみるとやはりアップデートに伴うログなどを調べてみると、どうも尋常ではない。ここで問題のあるSUSEを研究しているよりも、乗り換えを考えた。直ぐに思いつくのはUBUNTUであり、先DVDを焼くためにDLした。

週の間に夜中の二時まで試していることもあって、もうこの辺りで終わりにしたいという気持ちもあるが、春から懸案になっていたLINUX機を完全に整理するなら今しかないという気もあった。

32BITのUBUNTU16.04.1 LTSはDVDで立ち上がり、懸案のスキャナーも何もせずに読み込んでくれた。しかし思い通りに動かすには調べてみないと分からない。何よりも単純化されていて、簡単に使えそうだが、キャストも簡単に機器を読み込んでくれない。さらにインストールで止まってしまって不完全なので壊れだした。結局インストールに一時間以上かかった。

REDHUTにするかどうか疑心暗鬼はしばらく続きそうだ。もう一度、HDDのフォーメーシからインストールやり直してみる。それでも本来あった1TBの容量を読み込んだので、少なくとも謎の未使用部分が無くなって気持ちよくなる。

もう数時間はこれに時間を掛けてみる。今後ウィンド-ズの代わりにLINUXをドッキングステーションのメインシステムに出来るかどうかの可能性を探ることになりそうだ。



参照:
筋肉が焼けそうな睡眠 2016-11-03 | 生活
無駄ないインストールの結果 2015-09-24 | テクニック
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不法移民、強制退去の祖父

2016-11-25 | 歴史・時事
トラムプ家のフリードリッヒの研究が新聞に載っている。「なぜ、フリードリッヒが1904年に妻エリザベートと故郷カールシュタットに戻ってから、滞在許可を出しても受け入れられなかったか」についてである。16歳で姉の住むニューヨークを目指して、1892年シアトルで市民権を取ってから、再び1901年に妻を娶りに帰郷して、再び合衆国から戻って来た時に妻エリザベートは故郷にとどまることを希望したのである。そのことでの国籍の再取得を申し立てたが、却下され、1905年2月にはバートデュルクハイムの当局からバイエルン支配地からの強制退去命令が下されている。

却下の大きな理由は、バイエルンの支配地プファルツの市民に課せられた徴兵義務を果たしておらず、年齢からその義務を果たせることがないということであり、バイエルン市民とは認められなかった。そもそもニューヨークに出発するときに合法的な移民としてバイエルンの席を抜いているのではないために、そのこと自体が非合法な兵役拒否にも繋がっている。

国内国際欄つまり三面記事で高級紙FAZは、「ドナルドは、おじいさんが不法移民であったことを忘れているようだ」と締めくくっている。なるほど兵役逃れの移民三世の実質上の二代目があのような主張をして大統領になるのが合衆国であるということだろう。但し兵役に関しては異なるが、移民などは皆同じようなもので、私自身も日本政府や自治に移民すると断って籍を外して移民している訳ではない。そもそも故郷を棄てる者などは似たものだ。

フリードリッヒが国籍申請のためにスパイヤーの内務省当局に出した手紙類はスパイヤーのアーカイヴにそのまま残っており、その細かく書かれた書類の束の写真を見て、大叔父さんが日本に滞在する子息への仕送りなどのことで大量に手紙をよこしていたという話を思い出した。残念ながら捨ててしまったということだが、公文書はこうして中世から残っているのがドイツであり、恐らく私自身の資料も日本でよりもそのものこちらで公文書として残されて行くものだと思った。



参照:
大統領選出後の喧騒 2016-11-11 | 歴史・時事
都合の悪い真実を窺う 2016-02-23 | 雑感
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これもヤリ手婆の腕捌き

2016-11-24 | 
先週金曜日に床屋に出向いた。するとヤリ手婆がいて、助っ人が来るまで一時間ほど掛かると話した。それならば仕方がないと戻って来たのだ。今掛かっている美容院は娘が婆の下で仕事をしていて、婆は主に客の扱いのような人に働かして自分は何もしないという体制をとっていた。最初の何回かは異なる人が仕事をしていたので、娘がいるのにと思っていた。

娘は、最後に行ったのが八月だったので、それから妊娠でもしたのだろうか?そして週明けに出かけるとやはり娘は居らず婆が他のお客さんのカールなどをしていた。「待つかそれとも」と言うので、後に約束があり時間もなく、来週はミュンヘンなのでこの暖かい時を逃すわけには行かないと思った。そして腰かけて待っていると、婆がやってきたので、「一人で全部やるんだね」と言うと、「同僚は10時からだ」と答える。事情を説明しないので、それ以上は聞かなかった。

そしていつものように「耳にかからないように」と注文すると「全体か?」と尋ねる。「短くしてくれ」と、そもそも散髪するのはスッキリしたいだけで他意はないのである。それでも娘の感覚と比べてこの婆が何をやるかは少し心配だった。しかし見ていると出来るのである。あれだけ普段は人に働かせて何もしていないのに手は良く動き要領が良い。

定年年齢ではなく、タバコと酒で声を潰して真っ黒の顔をしているのだが、一体普段のあれは何かと思わせた。よほど娘を使いこなすように育てたのか何かは分からないが、如何にも腕一本で好きなようにやってきた婆のようにしか思われない。そして娘と喧嘩でもしたのだろうかと思わせる。

「前髪は横に分けるか垂らすか」と尋ねるので、「それほど厳密にはしていない」と言うと、「ああ、林のように垂らしておくのね」と面白いことをのたまう。出来上がりも娘の仕事と比較して遜色がないどころかさっぱり感がある。腕はあるのだ。

それでも娘に働かしていたのがヤリ手婆そのものである。ネットニュースを見ているとフランスのTF1で司会者として活躍していたフラヴ・フラマンが写真家ダヴィード・ハミルトンに13歳の時に性暴力を受けたと発表したとある。どうもサッカー選手の家族など母親がそのようにモデルとして立たせたようで、まさしくこれもヤリ手婆である。



参照:
ベルギービール毎日一本 2016-08-18 | その他アルコール
年末になってスカッと 2015-12-31 | 歴史・時事
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a knif and an apple

2016-11-23 | 
新聞の折り込みにあるカレンダーを捨てる前に発見した。一度だけではないかもしれないが、そろそろ要注意時期である。うっかりしていると捨ててしまうのが折り込のカレンダーである。

そのような訳でまだまだ今年の総括ではないが、シーズンなので今年学んだ最も有意な方法を書き留めておく。LINUXの掃除の仕方でもなんでもないリンゴの剥き方だ。林檎は嫌いではないがシーズンに美味しそうなものがあれば週に二三個食するぐらいである。数が伸びない理由は皮を剥くからだとは分かっているが、また皮の周りのビタミンを惜しんで丸齧りしてもそれほどおいしいと思うことは少ない。数ある品種も精々酸味と歯もろさ、瑞々しさなどの相違で、むしろ皮の色合いなどで選んでしまうことが多い。その程度の林檎なのであまり食し方に拘ったことはない。

それがこの九月にアルゴイに出かけた際にパートナーがいつも同じようにナイフでそれを食しているのに気が付いて、自分でもそれをやってみた。見た目よりもどちら付かずの感じはなくて、林檎の種類によっては絶品の味わいを体験可能な食し方と認知した。大前提としてワックス塗りをしていないことが重要かもしれない。

どちら付かずに感じたのは、先ずは半分に切って、私がするように更に半分、つまり四等分にしてから芯を切り取って皮を剥かずに、そのまま芯を刳り貫いてしまうのだ。そこで皮を剥かずに食するので、丸齧りの豪快さを感じることがない。そもそもそのパートナー自体がミュンヘンの工科大出身の荒っぽいタイプではないのでそのちまちました作業が似合うのだ。こちらの機嫌が悪ければ「はっきりせい」とカツを入れたくなるような食し方である。

そして実際に自宅でやってみると、皮の辺りがサクサクして分離しないでしっかりと割れる感じの林檎の場合のジューシーさと歯もろさは何とも比較しようがないほど良い。そして芯を抜いてあるので内側の最後まで歯もろさと熟した美味さがバランスよく楽しめるので、満足度が高いのである。但し反対に皮が割れないような林檎では中まで実を押しつぶしてしまう感じになるので、皮を剥いた方がいい。丸齧りには豪快さはあっても味という意味では芯までを食してもそれほど格別ではなく栄養士の自己満足のようになってしまうので、それならばこの方法が格別である。一度フジでも試してみようかと思うが、あの皮は分厚そうであまり合わないかもしれない。

左手の親指が痺れた。詰めた覚えなどがない。何か悪い病気かとも思った。しかしよく考えてみると、洗濯袋のファースナーが壊れたので指先に力を入れて直していたのだった。半日近く経ってから小さな障害が表れたのだった。



参照:
それでもまだ、私は、今日 2006-12-01 | 生活
人類の将来の進展のために 2012-12-02 | アウトドーア・環境
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ポルノオペラは御免だ

2016-11-22 | 
峠攻めタイ記録である。数秒は最後の走りで何とかなったが、登りが早かったので良しとしよう。前回は19分13秒だったのが、18分53秒で久しぶりの19分割りだった。一年ぶりの18分台で、更に朝の走りとしては初めての大台だった。天候が幸いしたか、裸で走れる摂氏10度と恵まれた。決して調子は良くなかったが走り出しから足元が確りしていて、体幹走りにも早く入れた。

心なしかテムポは遅かったと思うが、足取りが良く、前がしっかり見据えられ攻められたのである程度の記録にはなると思っていた。それでも20分割は何とかなっても19分の壁は厳しいと感じていた。そして下りも負荷をそのままにして駆け抜けた。但し最高速度も伸びず、波が結構あり、そして最後に速度がまた落ちた。落とさなければ30分台だった。暖かさが続けばまだ可能性がありそうだ。

ショスターコーヴィッチの「マクベス夫人」のもう一つのフィルムを観た。アムステルダムでコンセストヘボー交響楽団をヤンソンスが指揮したものである。半分しかネットでは公開されていなくて、後半は購入してくれというマーケンティングを採用している。映っているのはあまり見たくもない歌手のパンツ一丁の姿だけで、主人公のエーファ・マリア・ヴェストブロックも相変わらず魅力がない。演出もある程度の配慮はあってもオランダでの上演だろう予想通りの直截的な性表現になっている。正直このオペラの舞台をこうしてみていると、独裁者スターリンが怒って帰った気持ちが分かる。

肝心なのは交響楽団が演奏するオペラで、ヤンソンスの指揮であり、なるほど明晰に楽譜が鳴らされていて、座付き管弦楽団とは異なる音楽表現が聞かれる。しかしそこで鳴らされる音響は録音の問題か、十分な管弦楽の響きとしては広がらずに飽和した音としてしか聞き取れない。オリジナルの原盤ならば少しはましだろうか。同時に楽譜を見ているように音楽が聞き取れるかというと大変疑問が残る。

この指揮者は、ロストロポーヴィッチ指揮のようにおいしいところを逃すこともなく、貪欲なのだが、少なくとも私が見ている楽譜からは読み取れないアゴーギクなどをつけてきて、その根拠を知りたくなることが多い。言葉を変えるとテムポの加速減速がわざとらしい。なるほど同じように煽ると言われている指揮者ティーレマンなどとは俄然技量が違う訳だが、それ故にソヴィエトの音楽教育からも恩恵を得たと自負するこの指揮者が聴者を納得させるだけの音楽的な根拠が示せていないのはとても情けない。要するに指揮者としては超一流なのだが、音楽家としては評価出来ないということになる。

後半はネットから削除されているが、ここまで観れば十分だ。音楽的にこれを良しとする音楽ファンもいるのだろうが、前半の演出などを観ればこれを最後まで観ようと思う人はどれぐらいいるのだろう?今回のミュンヘンでの新制作の演出は分からないが、ハリー・クッパー演出は本質的で洗練されたものであって欲しい。なるほどその性描写は「ばらの騎士」のそれなどに比較しなくとも直截的であるのは間違いないのだが、その意味合いやその楽譜に向き合えばもう少し深掘りは可能である。安物のポルノオペラは御免である。



参照:
自己記録のゴールドラッシュ 2016-10-24 | アウトドーア・環境
新フォームで記録に挑戦 2015-12-17 | 生活
違和感が消えるときは 2016-11-20 | 雑感
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DNSサーヴァーを調べる

2016-11-21 | テクニック
本来ならば頂上まで駆け上がるところだった。腰の張りもあり、断念するが、少し雨も降り、気温も下がっていたので、天候が回復しても諦めがつく。総計すると週を亘っての走行距離や標高差は全く落ちてはいない。無理することはない。気が向けば週明けに峠攻めとしよう。土曜日にはまたまた自己記録を更新してしまった。僅か一秒でも自己公式記録である。スピードコースを14分48秒で、登りに7分弱は仕方がなかった。あれだけ枯葉が乗って湿っているとグリップが悪くて空回りが大きい。それでもこれならばまだ年内に更新の可能性もあるかもしれない。降りは150mの助走で巡航速度に至り最後まで飛ばす。今回は降りでも呼吸を整える意識をした。一番辛い登りから降りへと切り替えるところがの速度を上げるためである。つまり息を整えると同時に加速する方法を考えた。十分な効果が出たようで、加速も良くなり、前回喘いでいたのを今回は呼吸に変えた。これで最後まで飛ばせた。それを頂上からの降りでも試したいと考えていたのだった。

歯がぐらぐらしている。こうなればもう駄目かとも思うが、なぜか六月にも同じような状態に至ってここまで引っ張ってきているので、慎重に観察してみよう。歯間からの出血は最近は減少してきていることであり、痛みの位置が変わることと充血は繋がっているようだ。歯がぐらぐらするというのはその化膿域が根元に近づいているということだろうか。直ぐにでも自身で抜歯が出来てしまうのではないかと思うが、食事中に抜けるような様子でもない。痛みの場所が特定されて末端の方に行く限りそれほど問題ではないだろう。歯が抜けてしまったらどうしようと思うだけである。

このところ就寝前はLINUXを弄っていることが多い。VCNで遠隔操作が完備して、またドッキングステーション化で、複数画面で多くのPCなどを一挙に扱うことが特に冬場は寝室から可能になって、電気代を考えなければ絶えず複数機をオぺーレーション可能となった。とても快適であり、ネットで情報を入れながら他機を調整可能なので作業が効率化している。お陰で眠気に打ち勝てないで、ヒーターを切ってベットに潜り込む日が続いて、朝までぐっすりと就寝している。

懸案のネット接続の出来ないLINUXもPINGを送るうちにDNS問題と分かって来たので、追々問題解決する筈だ。具体的には、PINGを外にも送ることが可能で、有名な8.8.8.8だけでなくて、インターネットと交信可能と分かった。それでも名前のアドレスもブラウザーでも全く開けない。だからそれを仲介するDNSサーヴァーを手動で入れたのだ。それでも読み込めないとすると?まあ、時間を掛けて勉強しながらで丁度良いだろう。

この作業で見つけたDNSの所謂ネームサーヴァーのリストなどから、スピードやその差異などを試してみている。プロヴァイダーのいう通りのDNSサーヴァーでなくても43msなどのテレコムよりも早いものもあって、そことの距離感などをはかってマニュアルで入れ替えてみる。所謂IPアドレスと呼称を合わせてくれるサーヴァーだが、中にはフィルターの掛かっているものもあるようで、なるほどグーグルだけでなくて、至る所でネット規制が可能なのだと悟る。

新聞にステュッツガルトのエシュリンゲンで60歳の不法コピー男が逮捕されたと第一面に載っていて、続報も小さく国内国際欄に載っていた。読んでみると、レコード産業の告発で、長く調査していた結果、この男が大量に本格的なコピーを製作していたことが分かったようで、八千箱のダムボールが年初に続いて押収されている。シナの出来事ではなく、連邦共和国の事件として驚く。この男はネットで配布するだけでなく印刷も整えたコピーを広く販売していたとある。勿論真面な業者は扱わないだろうが蚤の市などにはこの手のものが出ているのではなかろうか?ポーランドのプレス工場などを使っていることから、単独犯ではないと見られていて捜査チーム「ミットシュニット」は数珠繋ぎの摘発を目論んでいるようだ。可成り売り上げも上げているようで、五年以下の懲役以上にGEMAを含めた音楽産業からの賠償請求額はかなりの額に上がるのではなかろうか?悪銭身に着かずどころかいい年をして大変な負債を背負い込むのではなかろうか?



参照:
筋肉が焼けそうな睡眠 2016-11-03 | 生活
見た目よりも本当の実力 2016-10-29 | 女
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違和感が消えるときは

2016-11-20 | 雑感
ガウク大統領の日本訪問を伝える記事を読んだ。早稲田での講演と学生の質問に答える形での発言として、「日本やドイツはトラムプ政権誕生でより一層自己防衛を推し進め、自信をつけていかなければならない」とした。それどころか、日本人には抵抗が強い国際貢献として、「軍事的な行動の可能性」を示唆したと言う。つまり「人権が大きく損なわれるような状況を防ぐための軍事行動」である。「ドイツも日本も国外で外交の及ばない事例を軍事的に解決することへの決断」は容易ではない前提として、このような極端な例を挙げた。それに因んで、安倍政権らの進める「平和憲法改正は国民が共になすべき」であるとして、「日本はドイツと丁度並行的な関係にある」とする。

また「トラムプ政権によって核の傘とその立場に更に懐疑が生じる」ことであり、「日本の問題についてはより理解」を示したとする。その一方、名指しは避けながらも中共との領土問題などは、「何よりも経済的な計算づくで対処にあたることが同じ価値観を持つ国同士として必要である」として、関心を持っているとして、日本には「開かれた姿勢」を求める。つまり「ドイツがやってきたように隣人との関係においてその歴史観や事象に真摯に向き合っていく作業が必要だ」としている。東京では小池知事と会談してその政治姿勢に関心を寄せて評価している。その後訪れた銀閣寺を訪問する姿の写真が載せられている。長崎にも向かったようだ。次期大統領シュタインマイヤーが外相経験者となると今後は連邦共和国大統領の外交における位置づけは大きくなるに違いない。

今週末は、この間時間が取れなかった、「マクベス夫人」のお勉強である。既にロストロポーヴィッチ指揮初録音に合わせて制作されたチェコの映像は観た。主役女優さんの乳房が記憶にあるだけで、あとはその録音と同様にとても中庸な映像だった。当時の東欧の映像の特徴も感じたが、ひとまず映像化したと言う感じである。女優さんの眼力などは悪くはなかったが、舅の厭らしさなどあまり感じなかったので、筋の流れが自然に納得できる感じではなかった。映像における行間を読むという姿勢を開いた儘にしておくような当時のワルシャワパック内の芸術表現の典型でもあったのだろう。反面ある意味時代性を感じさせない映像である。この日曜日午前には新演出発表の催し物が開かれて、多くの情報が公開される筈だ。お便りにあったリンクのトレイラーはまだまだ音材料などが含まれていないようで、週明けに出てくるのが楽しみである。この間にあるレニングラード交響曲などを聞くが、あれだけ明快に鳴らしてくれると楽曲への違和感が全く消える。

入手した歯ブラシはミニサイズだが、久しぶりに使ってみると比較しがたいほど使いよい。何よりも有利なのは圧力を全く掛けないでも綺麗に磨いてくれるので、問題の歯茎の炎症に優しい。その為か久しぶりに炎症が和らいだ印象を感じた。この二週間ほど慢性的に良くなかったので心が安らぐ。勿論触れたりすると分かるのだが、普通の生活をしていれば忘れることが出来るように違和感がなくなっている。歯自体はしっかりしているので、これで抜歯ということは考え難いのだが、炎症が無くならない限り安心はならない。

炎症があるということは全身への影響は無視できないので、そのことの如何によらず直したいのである。歯医者とは別に炎症の治療も可能だろうが、原因が歯科から来ているので、一度相談してみなければいけないだろう。右側は鼻に来たがこれも徐々に好転している。歯ブラシ一本12ユーロほどで治ってくれるならばこれほど幸せなことはない。



参照:
ユーロ圏拡大にアクセル 2016-06-28 | 生活
積極性が満ち満ちるとき 2015-09-28 | 生活
塩水の対炎症の大効力 2013-04-07 | 雑感
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「誇りを取り戻そう」の戯け

2016-11-19 | 文学・思想
水曜日の新聞文化欄を見た。クライスト賞の授賞式がこの日曜日にあり多和田葉子が受賞するので彼女の書籍が紹介されている。クライストに関する書籍が多い筈なので驚かないが、賞与理由はそうした研究に関係するだろうか。二冊の新著が紹介されている。

ヴァイマール共和国下でのこの文学賞はその受賞者リストを見ただけでその意味が分かる。ブレヒトやツックマイヤー、ムズィルなどドイツ文学の馴染みの名前が挙がる。1984年からの再授与はその意味合いは変わったといっても、ハイナー・ミュラーなどのお馴染みの名前も見られる。財政的にはドイツェバンクの二万ユーロが支えのようだ。

朝のラディオは前夜のオバマ大統領ベルリン滞在初日の話題があった。それによるとメルケル首相の招待で食事をしたようで、通訳も誰も付かなかったようだ。これは色々と想像させて面白い。もちろんメルケル首相にとっては来年の総選挙でも大統領ではなく首相候補になるということなので政治的に重要な情報を得る機会だったろう。なんら力のない辞める大統領でもその情報と政治的視点はとても重要である。先ずはねぎらいから、今後の合衆国外交の向かう方向に関しての話題となったのだろうか。

新聞には分裂騒ぎのAfDバーデンヴュルテムベルク議会での連中の締め括りの言葉が英語で出ていた。「再び誇りあるドイツにする」というトラムプ次期大統領の言葉を捩ったものだ。連中は気がくるっているとしか思えないのはこうしたところで、職業的にはそこそこの社会を代表する立場に居ながらこうした見解が生まれてくるところである。一体連邦共和国をどのように、敢えて言えばトルコ人二世などにとっても誇りあるものにしようというのだろうか?

日本の人には分からないかもしれないが、現在の連邦共和国の何処をどのようにしたら誇りに結びつくのだろうと大変不思議に思う。彼らの視座では現在のこの社会を恥ということなのだろう。どこが一体?である。

同じようなおかしな視座と思考を持つのは世界中この手の政治勢力層では変わらないようで、そうした政治情勢を作っているのは有権者でしかない。要するに社会に不満があるということなのだろうが、連邦共和国は日本とは異なって合衆国から独立しており政治的にも経済的にも世界の優等生であり続けている。グローバル化に対しても主体的に動ける立場であり、治安などに関してもアンダーコントロールであり、制御不可には陥ってはいない。なるほど急激に押し寄せた難民問題はあっても、国民の生活を脅かしているものではなく、制御さえ出来ていれば問題がない。

1990年代前半の外国人排斥や襲撃などの時と現在の状況は大分異なるというのが実感で、あの当時の「仕事が奪われる」とか言った切実なスローガンの方が現在の「誇りを取り戻す」よりも凄みも実感も強かった。



参照:
国際的競争力が無い実証 2016-09-09 | 雑感
ありのままを受容する 2016-09-24 | 歴史・時事
青い鳥が、飛び交うところ 2007-06-22 | 女
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いよいよ本丸か

2016-11-18 | 料理
朝のニュースは排ガス規制について環境団体のアピールである。その試験によると現在の規制では書類に出ているような公式値と実際に使用するときの排ガス量では大きな差が生じるということだ。現在EUで問題になっていることである。

序に、VWの排ガススキャンダルは最終的な罰金などの整理が付けば全て片づき、それ以前の世界最大の自動車メーカーとして順調な売り上げを誇っている。しかし同時に先週あたりからオーナーが市場操作をした疑いで検察当局が捜査に入ったというから一山越えてまた一山である。いよいよ本丸である。メーカーとしての信用以上に会社の形態やその市場での動きなどにある不信感は隠せない。

排ガス問題は現在の試験方法などであると試験計測時には外気温を上げたり下げたりして計測値を有利に出しているので、実際からは外れるというのである。この点に関しては車に関わらずレギュレーションを達成するための開発のノウハウであり、そうした条件を細かく定めることには限界があるのではなかろうか?そもそも実際に使う範囲としても、ディーゼル車ならば三千メートルを超える山奥の零下30度ぐらいから砂漠の45度まで当然のごとく網羅するために大きな差異が存在する。制限を厳しくすればよいというものでもないだろう。

先週の水曜日にフランスで購入した貝の残りを佃煮にしてみた。最初は海老とパエリャを作ったのだが、3ユーロ300gづつでも大分量があった。エビの残りは寿司蒸し寿司になり、そして貝は佃煮になった。鰹節と昆布の出し殻で通常とそこまでは変わらないが、貝は湯掻いて、中から栄螺のように尾っぽまで引っ張り出した。パエリヤは炊飯器で作ったので、食中には無理をしないでもすっぽりと出てきていたが、ここでは爪楊枝でうまく引き出してやる必要があった。そして蓋も身からはずさなければいけない。

味付けで間違ったのは、煮汁にエビを湯掻くときの塩水を使ったので、減塩ならず増塩となってしまったが、冷えて味が落ち着いてくると本格的な佃煮を味わえた。生姜とそのままのシソの赤い実をたっぷりと粉にして振りかけた。とても上品なお味で、原料が新鮮なので、この程度の佃煮を老舗で購入するれば直ぐに1000円を超えてしまうことは想像がついた。カビさえ生えなければ保存が効くと思う。

獅子唐辛子の比較的新鮮なものがスーパーに並んでいたのでそれもきんぴらごぼうと一緒に炒めて味付けをして分離をして整えた。大した惣菜でもなく同じような調味料の惣菜となったがどれもこれも中々味のあるものとなった。

佃煮は八個ぐらいの貝を二三回に分けて食した。まさしく少量の素材と甘辛く煮て米を食する典型的な日本の食卓である。但し塩気などが強いと普段は塩気のある食事に慣れていない胸焼けのような感じになった。やはり健康にはあまりよろしくない。

雨が降る前に軽くスピードコースを走り抜けた。駐車場には車がなく、外気温が上がっても空模様がもう一つなので人の動きが遅いのだろう。入念に柔軟体操をする。そして左ひざの状態が徐々に好転していることを感じる。反対に左足の脹脛の裏から尻にかけての張りはここ暫く続いている。それでも日曜日の山登り、週が明けて沢を往復した割にはまずまずの体調である。

登りだしの林間はシーズンで初めてぎっしりと落葉が埋め尽くしている。昨年はもっと量が多かった。今年はこの程度であろう。そして雨降りの割にはそれほど滑らないので足元は悪くない。比較的抑えて登り終えて下降である。林道に出て早めに巡航速度に達する。この加速一分200mほどで時速11㎞に達して、最高速12㎞超えて、最後までこの速度を4分30秒ほどキープして800mほどを走り抜く。下り勾配だから可能なのである。15分5秒は全て下りの早さのお陰だった。嗚咽が漏れたが、徐々にスピードに身体が慣れてきている。先ずは手足がついていかないことには、心肺機能も何もない。平地で8分ほど時速10㎞で走るよりも、時速9㎞で15分ほど走るのと、若干異なるがこちらの下りのスピードの方が苦しく感じる。



参照:
保守系経済高級新聞から 2015-10-06 | マスメディア批評
中立エコ試験の一覧表 2015-11-10 | テクニック
見た目よりも本当の実力 2016-10-29 | 女
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「天才ソコロフ」の響き

2016-11-17 | 
雨が上がったので軽く走った。沢沿い往復だ。23分19秒だったが、往路は10分39秒で、昨年六月の往復22分39秒時の往路10分44秒よりも早い。時速10㎞割れが殆んどだったがそれ以上に定速走行を心掛けた。今までで最も定速度が長く続いて、復路の登りまでは時速で上下1.5㎞内に収まっていた。但し登りが落ち過ぎた。減速を縮小していれば記録だっただろう。そしてもう少し心なしか初速を上げればよい。外気温8度で、久しぶりに裸で走ったが、汗だくになった。

ソコロフのリサイタルから一週間経った。この辺りで纏めておかないと記憶が薄れる。当日前後の状況からしてあまり十分に時間的心理的余裕がなかったので十二分に堪能できたかどうかは疑問が残る。それでもなぜこのピアニストが重宝されているかは分かった。そして天才指揮者ペトレンコがこのピアニストを天才と呼ぶ意味も想像ついた。

先ず何よりもモーツァルトのハ長調ソナタK545やあの幻想曲での弾きぶりが見事だった。そもそもの楽器の音が気になる曲だが、その時に鳴り響く音とししてとても説得力がある音楽的な響きだった。ああしたピアノさばきを目の辺りにすると、グルダやシフやモートァルト弾きといわれる内田などのピアノが子供騙しにしか思えなくなる。かなり多くの名人ピアニストを聞いてきたが、これに匹敵するのはただ一人スヴェトラーノフ・リヒテルしか思い浮かばなかった。ネイガウス流のピアノのそれがソヴィエトに受け継がれていたのかどうかなどは分からないのだが、チァイコフスキーコンクールでソコロフを審査したエミール・ギレリスなどとは違うピアニズムである。キット・アームストロングが習っても出せないピアニズムである。

そしてリヒテルと同じように教えても習うことも出来ない音楽性を有しているのも間違いない。なるほどロシア風の鐘が永遠に鳴り響くようなリズム感覚などはシューマンの音楽にとってどれほどの意味があるのかは何とも言えないが、それを超えるシューマンの書法に対応するピアニズムは見事としか言えない。これまで聞いたシューマンのピアノ曲はいったい何だったのだと思わせるぐらいに密に組み合わされた音のアラベスクであり、それが幻想曲作品17番などでは見事に制御されていた。ああしたピアニズムを弾き熟すには天才が更に練習しなければいけないものだと理解した。

例えばポリーニなどと比較すると、その単純化して鳴り響く音響とは全く異なるもので、細かなところは意外にあやふやになるとこも散見された。そのようなことも敢えて他の目的のために犠牲にしているのもリヒテルのピアニズムとも瓜二つである。だから本来は両者ともライヴ録音などは似合わないピアニストでその細部の崩れは放置されたままになっているのであるが、それを意に介さないのもそっくりなのだ。まさしくそのような音楽性がリヒテルを天才としたものだった。

同じ会場で一年ほど前にポルリーニの演奏会がより安価で売られていたが、事前の評判が悪かったので行かなかった。入りは今回の方が沢山人を入れていただろうが十二分に入っていた。そしてシューマンの創作が示されるということではポルリーニとは比較にならないほどその音楽構造を示していたことも間違いない。なるほど西欧で引っ張りだこになっているのも頷け、市場も存在している。正直このピアニストの活動などは三人のテノール並みのそれかなという先入観念があったのだが、それは全く似ても非なる市場だった。

批評などに書かれるようにピアノリサイタルなど訪れたことのない人が沢山来ているというのもはほとんど感じなかった。それならばシューマンの音楽などをは歌曲演奏会で聞いて関心がある人たちというのだろうか?そのようなことはないだろう。

暗くした舞台とそのピアノの設置、後ろの屏風の立て方などあれだけの大ホールにしては室内楽的な雰囲気もあって、全く違和感を感じなかった。むしろ癖のない響きが豊かになっていた。そして一枚だけ余っていた上手のバルコンの席はピアノを聞くときに最も好きな位置の一つであった。ピアノの音色的に自らのそれを定めているのではなく、楽曲に応じて柔軟に音色を弾き分けられる天才のようで、まさしくその楽譜の響きが聞こえてくる。

なるほどペトレンコが天才と呼んだのは、まさしく楽譜に応じて正しく音を出せるようにと練習を欠かせないから天才であると書き換えれるかもしれない - まさしくペトレンコ指揮の飽くなき練習の意味はそこにある。その点においてもピアニストとしても練習を重ねたこの天才指揮者がこの天才ピアニストを評価するところに違いない。決してホロヴィッツのシューマンのようには響かないのがソコロフのピアノである。



参照:
インタヴュー、時間の無駄六 2016-08-13 | 文化一般
笑ってしまう靴下の右左 2016-09-30 | 生活
結構長いWIN8.1への道 2016-11-10 | テクニック
残された不思議な感覚 2015-06-13 | 雑感
グレゴリー・ソコロフのショパン (日々雑録 または 魔法の竪琴)
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パリ北部で排除される人々

2016-11-16 | マスメディア批評
もう十日ほどになるだろうか?新聞やネットを熱心に見ている人なら覚えているかもしれない。私は日本のヤフーニュースで見た写真が、通信社の配信した写真だと思うが、パリの北部の難民排除のニュースがとても気になった。写真だけならば事情はよく分からなかったが、当局に強制撤去された難民たちについて気になったのだ。そして日本語の説明にはアフガニスタンからの難民などと書いてある。そして写真はアフリカの黒人の写真だ。これを見ておかしいなと思った人は少なくない筈だが、文章を読んでも意味が分からなかった。

そしてその夕刻車中のラディオニュースで聞いた。排除された難民はアフガニスタンやスーダンからの難民だと。なるほどと思った。日本ではスーダンからの難民は折から禁句なのかもしれない。通信社からの配信もこうしてマニプレーションされている好例である。日本の報道機関の外信などが真面な情報を伝えていると思ったら大間違いである。彼らは海外音痴の日本人読者を知っているのである。

それにしても日本人はスーダンから三桁四桁の難民を受け入れる覚悟はあるのだろうか?軍事的に内戦に介入するということはそういうことである。歴史文化的に関係のあるフランスでも邪魔にする難民たちを喜んで受け入れるだけの経済的にも精神的にも余裕が日本社会にはあるのかどうか。その時の日本のマスメディアは何を語るのだろう。

メルケル首相は大統領選挙で勝利したトラムプ氏と電話会談したが、遅くとも来年の七月にハンブルクで開かれるG20までにお会いしましょうとなって、英国首相メイに対してとは全く対応が異なったといわれている。つまりメイ首相は早期に招待を受けたがメルケル首相にはそのようなことはなかったということである。誰が次期首相になってもワシントンとベルリンや西欧との関係は少なくとも先四年はこのように冷えた感じで進むのであろうか。



参照:
ありのままを受容する 2016-09-24 | 歴史・時事
厳戒態勢ではない国境線 2016-02-25 | 生活
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