Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2018年7月

2018-07-31 | Weblog-Index


エルドアンが打つ楔 2018-07-31 | 歴史・時事
居眠り防止をどうするか 2018-07-30 | 生活
行きたくない火星が光る 2018-07-29 | 生活
「ドンファン」の新録音資料 2018-07-28 | 音
入念な指揮指導の大成果 2018-07-27 | 音
就寝不可能な昂り 2018-07-26 | 女
ジークフリートへの音色 2018-07-25 | 音
パン屋開いて、床屋閉まる 2018-07-24 | 生活
流石の配券状況 2018-07-23 | 雑感  
激しい朝焼けの週末 2018-07-22 | 生活
其々の祭りの季節 2018-07-21 | 生活
再びあの座席の幸福 2018-07-20 | 生活
画像の質も生と比べると 2018-07-19 | 雑感
五十歳での主夫見習い 2018-07-18 | 雑感
ペトレンコのマーキング法 2018-07-17 | 音
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女
写真を撮り撮られする 2018-07-15 | 文化一般
予想される一時間遅れ 2018-07-14 | 生活
涼しくて快適な七月 2018-07-13 | アウトドーア・環境
予想を裏切って呉れる 2018-07-12 | 文化一般
情報量の大小を吟味 2018-07-11 | 文化一般
興奮醒めぬ中継映像 2018-07-10 | 文化一般
見所をストリーミング 2018-07-09 | 音
「死ななきゃ治らない」 2018-07-08 | 歴史・時事 TB0,COM4
今夜は半徹夜仕事か 2018-07-07 | 生活
血となるワインの不思議 2018-07-06 | 文化一般
毎日、一期一会 2018-07-05 | 生活
考慮する戦略的推進策 2018-07-04 | ワールドカップ06・10・14
アマルガムの響きの中 2018-07-03 | 音
聖杯で強化一発、寸止め 2018-07-02 | マスメディア批評
LadyBird、天道虫の歌 2018-07-01 | 女
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エルドアンが打つ楔

2018-07-31 | 歴史・時事
ホヴァーリングのヘリが喧しい。この辺りでのヘリは緊急搬送しかないのだが、普通はホヴァーリングでは無いので皆が窓からのぞいた。日曜の晩であり意味が皆目解らなかった。結局二日続けて合計二時間ほど同じような場所で留まっていた。そちらの方を見ると我々の城がナイトアップされて浮かぶが、今時写真撮影のためにヘリを飛ばさない。高度からすると通常のドローでは無理という事なのだろうか。今時GPS測定もあり本当に理由が分らなかった。

ドイツナショナルチームを引退したオヅュールのことが話題になった。新聞にも記事が出ていたので、少しだけ触れておこう。なぜ少しなのかはフランクフルトアルゲマイネと考えが同じだからだ。オヅュールは自身の分からないままに徹底的に政治利用されて、その姿勢を良しとするトルコ系ドイツ人は皆エルドアンの手下だろう。エルドアンらの戦略は、現在世界中に蔓延しているポピュリズムの典型的な手法で、如何にも皆が「本音を言えばその通りだ」と思わせるような現象を突く。つまり連邦共和国内で「トルコ系ドイツ人が二流市民であり続ける」事象に疑問を投げかけるという手法である。しかし彼のようなポピュリズム手法でなく、多岐多様に亘って様々な試みがなされている訳で、そうした実情を知らない単純なトルコ系人や外国人に訴えかける手法である。

そもそも今回のこのナショナルティームの代表的な選手がこうした発言をすることで、やはり様々な試みはされても如何に簡単に解決策が無いかを示しているに過ぎない。エルドアンではなくドイツ連邦共和国大統領シュタインマイヤーが本人に直接電話して、再考を求めたとある。新聞が心配するのはこうしたやり場の無い現状を嘆くばかりか、「やはり外国人労働者の移民は駄目だ」と思わせかねないような議論に発展することである。実際にAfDは野党第一党の支持がある。議論をすれば民主的で、それがいつも必ずしも最も優れた解決法では無いという事ではないか。エルドガンの戦略は、このことを議論することで連邦国民の中に深い断裂を作り、そこに楔を打ち込むことにあるとされる。



参照:
世相を反映する歴史的事実 2016-08-01 | 歴史・時事
反面教師にみる立ち位置 2008-02-13 | 歴史・時事
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居眠り防止をどうするか

2018-07-30 | 生活
まだ涼しいうちに峠を攻めた。それでの気温摂氏20度だった。何時かなと思って時計を見ると五時台で一時間違った。時計が狂っていた。気になったが、お勉強する音楽が暑苦しくないかなどと走りながら考えていたが、便意を催すようになると駐車場に着いた。やはり狂っていて、GPSコンタクトしても分単位以上のところは合わない。手動でも設定できないようだ。車のディスプレーはここ彼処薄くなって使いものにはならなかったが、いよいよナヴィのシステムも駄目になると車の時計自体が駄目になる。

塗装のさびなど徐々に老朽化が目立って来て、電気系統が不備だったのだが、ここまで来ると新車選定へと舵を切らなければいけない。車検も今回が間違いなく最後となる。もし気に入った車が見つかって、発注しても半年ぐらいは納車に掛かるだろうか。半年ぐらいは我慢できるだろうか?先ず選定するのに時間が掛かりそうだ。試乗もしなければいけないとなると時間が無いので結構厳しい。しかし三台目までほど車を買ったりするのがドキドキしなくなった。本当に必要な移動手段でしかなく、殆ど憧れが無くなった。精々、興味あるのは車周辺のWiFiオフィースシステム化とノイズキャンセリングオーディオシステム、半自動運転ブレーキシステムぐらいだろうか。あとは居眠り防止をどうするかぐらいだ。足回りでは空気ばね、4WD、ハイブリッド、購入最後のV型オットーとなるだろうか。これだけでも今乗っている車よりは五割方高価になりそうだ。しかしそれで充分である。先日劇場の前でベントレーがうろうろしていたが、確かにジャグゥワー12気筒などに比べて遥かに乗り心地はよいのかもしれないが、やはり自分で運転すれば疲れる。出来るだけ疲れない車がいい。夜間透視システムもいいかもしれない。

入手したクロームキャストオーディオをインストールした。やはり完璧な再生が可能になったと思ったら、同じような音飛び症状が出てきた。暑いのに仕方がない、原因調査に乗り出した。そしてルーターを交換してから顕著になった様な様子があったので、信じたくはないがAndroidアプリケーションのWiFiAnalayzerというのでWiFiの場所による信号強度を測定した。そして危惧した通り以前のルーターの方が強度が強かった。認めたくなかった問題で、これがあるから高速化になかなか踏み切れなかったのだ。勿論これは冬の籠り部屋になるととりわけ重要な問題となる。

そこで先ずクロームキャストのある場所で信号強度を上げる工夫をした。最初にルーターの付け替えである。これは奨励されたと取り付け方をしていなかったので、模範的に付け直す。場所が無いので古いルーターも取り付け直す。すると、目論見通りに新しいルーターの信号の方が強くなったもしくは変わらなくなった。これで試すとなるほど音飛びが無くなった。可成り悪い条件で使っていたらしく、安定すると音質も向上した。

なるほどこれで無線化に懐疑するPCオーディオ使用者が多いのが分かった。しかし無線マウスと同じで無線化になれるともはや有線には返れない。特にVideoで音飛びが発生するのは送信量が圧倒的に多いからなのだろう。しかし動画となると余計に音飛びが許せるようになる。

ベルリンからデジタルコンサートホールの新プログラムが届いていた。中身を見るとキリル・ペトレンコ指揮の三回の中継以外には、ヤルヴィ指揮のブルックナーとロート指揮のコンサートぐらいしか興味が持てなかった。つまり二回目のペトレンコ指揮コンサートは自身がライヴで映る位だからライヴでは観れない。つまり精々二回しか必要ではない。一回は今回ついていた無料券で一週間、もう一回は一週間券を買えば事足りるかもしれない。つまり今シーズンも年間券を購入する必要はなさそうだ。

英国からプロムスの中継があったので少し聞いてみた。ギリシャ人のカラヤン二世の指揮でアテルナ合奏団の演奏でベートーヴェンの運命交響楽の三楽章から四楽章のところを聞いた。あまりにもその奇妙さに構えていると、低弦とファゴットでアクセントをつけていても、それ以上に下手さ稚拙さが苦になった。今年日本デビューをするようだがこのような日本の聴衆が煩いようなプログラムだと、謀った様なプログラムでは成功は無いかもしれない。ソニーが後ろにいるのでサクラなどを総動員するのだろうが、ぽしゃるかもしれない。販売戦略として味噌くそ市場で成層圏まで打ち上げて後は軌道修正しながらと考えているのだろうが、そこまで届かずに落ちてくる可能性が強いかもしれない。プロムス市場のためにしっかり練習は積んできていても、それに飛びついてくる少数を拾うには関心層を擁する市場そのものが小さ過ぎる。予想以上に旬は短いと思った。



参照:
行きたくない火星が光る 2018-07-29 | 生活
GeliebtGehasst 2018-01-24 | マスメディア批評
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行きたくない火星が光る

2018-07-29 | 生活
クロームキャストオーディオを注文した。ここ数週間、キャスティングの音飛びが頻繁になった。暑い時にイライラするのでしっかり調査はしていないが、先ず同じものを試すことにした。手軽に高品質の音を飛ばせて最高96kHzまでのPCMを光ファイバ―で出せるので、エアーチェック用にはこれで充分だ。それどころかこれを使い出して必要な音資料をネットから落とすようになると、BGMとしては当然のことながらこれが無いとお勉強も儘ならないようになってしまった。

音飛びも少々のことならば楽譜を見ていれば補えるのでそれほど気にならなかったのだが継続的に飛ぶとなると精神衛生上よくなくなった。使い始めは飛ばないので原因は過熱されてくるとどうも駄目な感じで、PCに問題が無ければ、そこの問題しかない。嫌なのは録音していてもヘッドフォンでモニターでもしない限り何処で音飛びしているか確認の方法が無いことだ。兎に角、暑苦しい時には鬱陶しくて嫌だ。

原因調査以前に発注したのは、そもそも二つ目が欲しかったのと、三年経過して未だ新製品が出ていない限り購入しておこうと思ったからである。同じ機能を持った製品もあるようだが、先ずは手軽で安く使えるのが良い。製造中止になる前に確保しておきたかった。違うシステムの構築は新しいノートブックを購入した時に考えればよい。そもそもネットストリーミングの限界があるので、そこに金を掛ける必要などは無い。但し期待していたような値崩れはしていなくて比較的高値安定していて、前回購入した時よりも高くなっている。送料込みで40ユーロである。仕方がないが、使い勝手は分かっているので二つ目は助かる。夜中以外は常時電源を入れているので経年変化も早いから三年で寿命が来ても仕方がない。音飛びが簡単に解消されればそれだけで満足だ。壊れているであろう一つ目も音が出るのでアナログ出力させてDACを通さずにAUX入力に繋げれば映画などの音声には全く差支えない。問題は電源が自動的にオンオフしないことである。

ザルツブルクからのライヴ中継を少し聞いた。「魔笛」をヴィーナーフィルハーモニカーが弾いていたが、相変わらず誤魔化し方が見事で、ヴィーン訛りの音楽と呼ばれるあのノリはオペラ劇場の様々な歌に合わせやすく誤魔化しが効きやすいためのノリではないかと思うようになった。どう考えてもベートーヴェンの音楽などとそれは合わない気がしてきている。その点、評判の良いバイロイトの「ローエングリン」の音楽のようにちゃんちきオペラのようなノリにならないので、なんとなく高品質に聞こえる。

眠くなって、寝巻に着替えて、バルコンの座椅子で涼もうとしたら、話題の月食が見えた。聞いていなかった火星の輝きが凄かったので写真を撮った。まあ、あそこに住もうと思うのは分からないでもないが、どう見ても我々の文化の範疇で感じるような新世界ではないなと思う。そこまでリスクを冒して飛んで行きたいとはちっとも思わない。

新聞文化欄の一面に大きくバレンボイムウィークについての記事があった。ブエノスアイレスで指揮することは知っていたが、アニャ・カムペが前半でイゾルテで歌っていて、帰って来てから日曜日のミュンヘンの「ヴァルキューレ」、そして火曜日の出合いだった。仕事を絞っている歌手とは知っていても、重なる時は重なるものだ。興味深いのは、バレンボイムがそこでフルトヴェングラー指揮のマタイ受難曲を聞いて、その時に鍵盤を弾いていたのがミヒャエル・ギーレンだとある。ギーレンとフルトヴェングラーの繋がりを初めて知った。

更に興味深いのは、シュターツカペレとコンサートも開いて、ブラームスの交響曲を演奏したそうだ。そのプローベで、dolceとexpressivoの相違を説明した。前者はとても簡単なことで、和声の変化を分らすための色彩の変化であり、バレンボイムにとっては調性音楽の主音からの距離感が重要になるという事でもあると、FAZのヤン・ブラッハマンは書く。

さて今週末位からルツェルンの準備を始めよう。フィラデルフィア管弦楽団の演奏の衝撃もあったので先ずは「ドンファン」と白昼夢になりそうなフランツ・シュミット交響曲4番ぐらいだろうか。前者は音資料としてはラトル指揮のバーデンバーデンライヴと二つが主で、その他は直前になって比較試聴してみよう。シュミットの曲はピアノ譜しかないが4月のベルリンでの演奏が二種あってヴィデオまであるので管弦楽は書き加えて行くようにしていくと面白いかもしれない。

日曜日にはクリーヴランドからの「トリスタン」一幕の春に演奏された録音放送もあるので、これは聞きたい。シカゴからは、「展覧会の絵」以外にヒンデミットとシューマンで昨年のバーデンバーデンに似たようなプログラムである。録音するかどうか。



参照:
一皮剥けるキャストオーディオ 2016-10-21 | テクニック
flacをクロームキャスト 2016-10-18 | テクニック
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「ドンファン」の新録音資料

2018-07-28 | 
パリからのフィラデルフィア管弦楽団の中継録音を聞いた。BGMで流しただけだが、予想以上に価値があった。その演奏会は欧州イスラエルツアーの三日目で、ルクセムブルクで聞いたプログラムとは一曲が「ドンファン」に差し替えられている。そして放送ではグラモーが弾いたブラームスは除外されている。これはグラモー事務所の方針なのだろう。だからギーレン指揮以外の演奏はヴィデオなどもネットに存在しないようだ。仕方がないが、それでCD等を買うということも無い。その演奏は記憶にだけ留めておこう。

シューマンの演奏も私が聞いたものよりも会場のアコースティックが明晰で、恐らく本拠地のそれよりも、それどころかエルブフィルハーモニー中継とも異なった。この録音を聴けば、この管弦楽団がシカゴのそれよりも機能的な事が分るのではなかろうか、クリーヴランドよりも管との混合があり、そのパレットは遥かに広い。私自身も今までの放送からどうしてもパートの分離性という事ではこのアンセムブルの特徴から限界があるかなとも思っていた。しかしこのアンサムブルの基本精度から何でも出来ることが分る。それにしてもなんという管と弦の合わせ方だろうか。今までこれに近い印象はショルティー指揮のシカゴ交響楽団しかなかった。

最も関心があったのは、三月にバーデンバーデンでベルリンのフィルハーモニカーの演奏で聞いて、そして来月にはルツェルンで聞くリヒャルト・シュトラウス作曲「ドンファン」の演奏だった。そして聞いてしまってしまったと思った。たとえキリル・ペトレンコが指導しても短期間にこの精度のアンサムブルがフィルハーモニカーには期待出来ない。そしてそこから配合していくときの音色の微妙さとしなやかさは嘗て無かったような管弦楽となっているようだ。

たとえネゼセガンがシュトラウス的な指揮が出来ていないとしても、このような演奏をされると、現在フォンカラヤン指揮のそれを貶すのはいとも容易いが、文句の付けようがない。嘗てムラヴィンスキー指揮の演奏に文句が付けられなかったのと変わらないが、全くそのキャラクターが異なる。ユージン・オーマンディのそれを無視出来てもやはりこれは無視出来ない。

どこかに本拠地の録音があると思って探した。同じツアー準備の演奏会で、その時の前半は「不安の時代」だった。その録音を流してみてはっきりした。ホールのアコースティックが大分違うので、特徴の弦管のミクスチュア―以上に低弦の影響で倍音成分が聞き取り難い。先日のローエングリン初日のためのバイロイト初代監督の話しを思い出すが、蓋付きのピットでの混ざり合わせと楽譜に基づいたアンサムブルのやり方はまた別な問題だろう。今回の「ローエングリン」は、他の演目と違って、その指揮はとても評価されているが、エルザを歌ったアニャ・ハルテロスの話しが面白かった。つまりいつも違ったようにしか演奏しないので合さないといけないというのだ。勿論この初代監督が同じテムポで振る基礎技術が無いとは思えないが音楽を作る時にどうしてもアゴーギクに頼らざるを得ないのだろう。

勿論ここで触れている管弦楽団の世界は全く違う世界の話題で比較のしようがないのだが、会場の音響で弾きにくい弾きやすいもあり、そレがどのように聞こえるかはまた違う話しだ。少なくともこのパリのホールのフランスの放送局の収録は明晰そのもので、これを聴けば間違いない。それにしても演奏の端々が修正されているようで、まさかペトレンコのような細部を詰めてはいないと思うが、楽譜を広げて聴き直してみなければいけないと思った。回数重ねればよくなることは確かにしても、もし演奏旅行中に修正するような指揮をしているようならば本人も成長する可能性が強くて、仕事さえ絞るようになれば、その活動から耳が離させなくなる。今回の放送はオンデマンドでも聞けるようだ。



参照: 
外国人を叱る統合政策 2018-05-22 | 文化一般
MP4映像よりWAV録音 2018-04-03 | 文化一般
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入念な指揮指導の大成果

2018-07-27 | 
ペトレンコ監督下のミュンヘンでの最後の楽劇「ジークフリート」について語ろう。結果からすると二月の課題は悉く解決されていた。少なくとも管弦楽においては遣り尽した。それどころか大きな問題となっていた最終シーンでのフォイルの雑音が、素材がエステル系かに代えられていて、殆ど邪魔にならなくなった。以前は材質の音だけでなく反射の影響も大きかった。あれだけの大きさの軽い素材となると可成りの予算を使ったに違いない。その価値は充分にあった。だからフィナーレにも違和感が無くなり、普通に楽しめるようになったと思う。比重が増して波は出来ていなかったがそんなことはどちらでもよい。ケントナガノはそれ以上に大きな音を出していたのだろう。

先ずは聴きながらメモを取っていた三幕のメモを解析しながら最初から見て行くと、一場のエルダとさすらい人のディアローグではヴィオラがこれまたDolceで演奏するところがある。Bで例のザックスが父性を歌うように「勇敢な若者」と来て、「恐れを知らないからだ」とさすらい人のモノローグの中である。どうも課題だったようで、上手くヴィオラが絡んでいた。確かここでOKサインが出ていたように思うが、金管にもドルチェが付いているので高みから識別し難い。兎に角ここは2015年のバイロイトではその前の小節のディミヌエンドからpになっているのにも拘らずヴァイオリンが出て仕舞っている。2015年は2014年と違って演奏が粗かったので特に三幕は評判が悪かったが、実際に録音を確かめるとその調子の演奏程度であった。

キリル・ペトレンコの演奏実践の特徴は、こうした殆ど学術的と呼べるような細やかな譜読みとその演奏実践能力から、初めて創作の意図を明らかにするという事でしかない。その能力が特に表れていたのが二場である。ジークフリートとさすらい人の変わりばんこのディアローグであるが、一幕の超絶ほどには目立たないのだが、指揮を見ていたらそのテムピの切り替えの見事さにあっけにとられた。楽匠は細かく設定しているのだが、一体どこの誰がここまで完璧に指揮をしただろうか?歴史的にも今まで居なかったと思う。バイロイトの時と比較するまでも無く、この変化のさせ方が見事になっているのは手兵の管弦楽だからに違いない。ここだけでも成果なのだが、Dのブルックナーの交響曲のように響くseligeOedeとなる三場でも木管のアンサムブルにOKサインが出された。中声部のヴィオラと同じように、聞こえるか聞こえないような音量を保ちながら、音楽の核を支える。木管の場合は特にそのまま音色に係ることだ。そして管弦楽全体がスタッカートを刻む。

二幕における演奏は、ホルン主席のヨハネス・デングラーが不調だった様でもあり二月における演奏水準には至らなかったかもしれない ― 三幕でそちらをもっと音を出してみろと鼓舞していたのが分かった、演奏者のリハビリまでを遣ってしまうのか、この音楽監督は。そもそも「ヴァルキューレ」も「神々の黄昏」ツィクルスAで可成りの程度で完成していたのだが、この「ジークフリート」だけは音楽監督の意思からするとまだまだの気持ちが強かった中でも、二幕は既に域に達していた。

それでも手元のメモに従って幾つかの点だけは触れておかねばならぬ。一場ではさすらい人とアルベリヒとのデイアローグとなるのだが、勿論一幕におけるミ-メとの問答ほどではないが、ここでも二人のセリフの尻を噛ませる部分などで、その変化を見事に付けていた。二場になるとファーフナーの死へと向かい、ここでもピチカートから三連符となる巨人の動機の対旋律が低弦で奏される一方ヴィオラに受け継がれたりするのだが、大抵はティムパニ―に消されて誰も気が付かない。やはりここでもヴィオラ陣がモノを言う。三場のミーメとアルベリヒの争いはシークフリートとミーメの対話に繋がるが、その中でもミーメの歌う「Wilkommen」の後のヴィオラのパッセージとクラリネットは見事で、前回も印象に残ったアンドレアス・シャーブラスは更に吹き込んでいるようにも感じた。その他、オーボエのジョルジュ・グヴァノゼダッチ、ファゴットのホルガー・シンコェーテそしてバスクラリネットのマルティナ・ベックシュテッケマンなど座付き楽団以上の腕の冴えがあった。皆に共通しているのはブラームスの交響曲などの時とは違って最後の締めまでをしっかりと吹けていて、有り得るのはペトレンコの棒がより丁寧になっているとしか考えられなかった。それとは別に、巨人の動機に関与するピチッカートをアクセント強く弾かせていて吃驚した。その根拠は巨人の動機なのだろうが、2014年の名演は比較的そうなのだが、可成り乱れた2015年の方は全くしっかり弾かれていない。最後の年はよほどの練習妨害活動があったとしか思えない ― ペトレンコは、本当は下りるところだが、皆の為に我慢すると語っていた。

秀逸な木管器奏者群や向上心の強いヴィオラ陣について触れたが、その出来が結集して皆が終演を待たずに大喝采する出来となったのが一幕であった。この幕の音楽の特殊性については既に書いたが、明らかにその想定の上を行く演奏だった。一場における殆ど室内楽的なアンサムブルに続いて、二場でさすらい人のコッホが歌い出すと更に空気が変わった。やはりそのベルカントの声が高く尚且つ柔らかく響くことで、ミーメの歌との対照が際立った。二月には非常に良かったミーメ役のヴォルフガンク・アプリンガーシュネーハッケの歌は不調だったから余計だ。その柔らかさはまさしく指揮の技術によっても形成されていた。二場における鍛冶場でのそのハムマーを下ろす重力加減がそのまま指揮の「叩き」と「抜き」に顕著で、「指揮とはこうするものだ」と謂わんばかりで、技術的にも超一流の指揮であるのはそれだけでも明らかなのだ。しかしその技術の卓越だけで終わらずに、鋭い叩きと素早い自由自在の変化、まさに私がルツェルンで楽しみにしている「舞踏の権化」の彼の指揮であり、あれを実体験すると超一流の技術を超えた天才の仕業でしかないと納得した筈だ。それが異様な一幕後の大喝采として表れた。

私などは前方からそれを見ていたものだから息が止まりそうになった。百年に一度の卓越した指揮者であるとそれを目撃したならば多くの人が納得すると思う。拍の変化で指揮台で後ろ飛びまでしてしまうのは、効率云々よりもそれほどの大きな断層を「一振り」の中に組み込むにはあれしかないのだろう。それに適うような演奏を座付き管弦楽団が遣らかしたことも驚愕であり、観客同様に二幕では少し息を抜いたのは仕方がない。まさしくそれが楽匠の書いた楽譜である。しかし、印象としては、より拍を深く取っているのか、バイロイトでの演奏などよりも余裕があって、表現の幅が明らかに広がっていた。恐らくテムピとしては変わらないのだろうが、それだけ管弦楽が弾き込んで来ていたという事ではなかろうか。この辺りの課題の作り方や合意形成や目標の置き方が凄いと思う。勿論それは私が期待していたことそのものにほかならなかったのではあるが。それでも終幕最後の小節が終わって拍手が始まると同時に若いコンツェルトマイスターに業務連絡をしていて、その内容は冷めないうちの「今後の留意点」だったかもしれない。なんと恐ろしい人だ。

もう少し細かいところは楽譜を見返してみなければ確認して詳細として語れない。そして個人的にはルツェルンでの二つのプログラムの方へと意識が向いている。それでも今回とても勉強になったのはヴァークナーの楽劇における指揮というもので、大分プチーニにおけるそれとは指示の出し方が異なっていて驚いた。勿論正確な拍子を打つのだが、プッチーニに置けるように歌手と管弦楽の二段構えは流石に阿修羅ではないので無理なようで、必要なキューを小まめに歌手におくる以外は管弦楽を細かく指揮していた。その必要がある編成であり、音楽であると同時に、歌手の声を押さえるところは極限られていて ― ミーメにだけであった ―、科白の中でその拍節が守られれば、管弦楽に合ってくるという事でしかなさそうだ。そもそも歌手がどこの音に合わせて歌っているのかさえも不明なところも多々あった ― ピアノ譜と合わせてみないと分からないか。大管弦楽のオペラの難しさであろうが、その分歌手に任されることも多そうだ。

タイトルロールのフィンケの声は、先日の韓国人ほどではないが、こちらが管弦楽のソロを聞き取ろうとしても声が大き過ぎて被ってしまって喧しかった。逆にそれ程舞台で何が聞こえるかというのは楽劇の特殊な技術的な話題であろう。同じロージェの隣に座ったのはオーストラリアからの人で「ヴァルキューレ」では王のロージュの一列目に居たらしい。彼は演出云々で不満のようで、もう一組のミュンヘン近郊の夫婦も音の時差と視界の制限を苦情していた。それほどあのロージュは特殊で、もう少し安くしてもらうと嬉しいが、私はその金額以上に素晴らしい体験をした。全く見ていなくてもしっかり聞いているのでブリュンヒルデのシュテムメも二月よりも良いと思った。コッホのさすらい人については既に書いたが、間違いなくヴォータンよりも当たり役だ。ペトレンコの指示は恐らくピアノ稽古からのその協調作業がそのまま表れる出し方で、歌手によって構い方が異なるのは当然なのかもしれない。



参照:
ジークフリートへの音色 2018-07-25 | 音
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女


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就寝不可能な昂り

2018-07-26 | 
ミュンヘン近郊の氷河湖地域から帰ってきた。九月の宿のこともあるので、敢えて遠回りのメミンゲン経由で帰ってきた。つまりアルゴイ経由という事だ。渋滞を避けて上手く行った心算が最後の最後で、丁度先日スピード違反で撮影された区間で大事故が起こって閉鎖されていた。二十分ほど前のことだったろうか?救急車も聞かなかったがヘリコプターが着陸していた。一キロほどに三十分近く掛かって、遠回りして帰ってきた。バイロイト音楽祭の「ロ-エングリン」の本中継に間に合った。

泊まった宿は民宿のようなとこで、何一つ外に案内が出ていなかった。おばさんが一人でやっていて、掃除も自分でしているので、靴を脱がされた。他所の家に伺うようなものだった。帰りが遅くなって、ベットに入ったのは一時過ぎだった。夜食のところに四人組が遣って来て、顔を見上げるとアニヤ・カムペと目が合って、彼女も驚いたような顔をしていた。反対側のロージェにはいなかったが、何処にいたのだろうか? ー 彼女に面が割れていることは無いが、流石にペトレンコ本人には熱心な人と認識されてきているかも知れない、今回も杉良の流し目ではないが二度も上目遣いされたが、その心理を「アンタも好きね」と読んだ。日曜日に仕事は終わっていることは知っていたので、一寸意外で驚いた。その驚きが彼女にも波及したのだろう。二人の男性の一人は入って来て後姿がヴォルフガンク・コッホだったので確認できた。その奥さんらしきもずっとこちらに顔を向けていた。もう一人の男性は比較的細身で、コッホの作業着とは違いしっかり着ていたので誰か分からなかった。最初は北欧の二人のどちらかとも思ったが比較的優男で、Rがバイエルン方言のようにも聞こえたが、確認できなかった。但しワインのテースティングもコッホよりも慣れているようで、赤ワインのコルクも取り替えさせていた。

しかしコッホだけがしっかり食べていたので、やはり歌手ではないのかもしれない。但しマネージャーでもなくカムペの新しい恋人でもなさそうだった。結局カムペは白ワインに留まるとしてお代わりを飲んでいた。二人とも映像やオフィシャルで知っているの通りの雰囲気で、カムペはドイツ女性としては十分にフェミニンで、コッホもあの通りの朴訥な感じで、仕事に満足した感じでとてもリラックスした感じで楽しそうに食事をしてそれほど声を張り上げずに話していた。二人とも通常のドイツ人に比べると、やはり言葉静かに話すタイプで、決して悪い感じはしない。

その様子を見ながらへレスのお代わりをしていたら遅くなってしまったのだ。一寸飲み過ぎで、車の運転は初めてのところなので、何事も無く戻れてよかった。勿論宿に帰っても興奮状態で充分に眠れなかった。だから帰路は夜中と同じように眠くて辛かった。特に渋滞では停まってブレーキを踏みながら何回も居眠りをしていた。



参照:
宮廷歌手アニヤ・カムペ 2018-01-22 | 女
再びマイスタージンガー 2018-06-22 | 生活
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ジークフリートへの音色

2018-07-25 | 
最も安く車の燃料を満タンにした。50リットルで68,45ユーロは決して悪くは無い。前回先に入れた時の方が少し高かった。これで一泊しても往復は問題が無い。宿賃は払ったので、朝食代を現金で渡すぐらいか。現金が必要なのは劇場内のメムバー表と喫茶だけだ。ピクニックの内容は考えていない。帰路が要らないから寧ろ果物などを主にしようか。

10時前に出れば14時には宿に着く。宿から劇場まで30㎞37分、15時過ぎに駐車場に入れるとすると厳しく、無駄な時間は無い。やはりピクニックの準備が要る。なにを持って行こうか?それならば時間に余裕が生じる。朝食をゆっくり取りたいので、また宿を探すのに時間が掛かるだろうから、これしかない。気温も高そうで、冷房の効いている車から直ぐに劇場入りしたい。

さて「ジークフリート」三幕についても触れておこう。と言っても拍手もそこそこに急いで帰って来たのだからまともなメモは無い。但し、二幕の最後においてもpをしっかりと演奏しているのでも分かるように、三幕のフィナーレも舞台の雑音に消されて爆発的な愛の歓喜とはならない。なぜ態々言及する必要があるかと言うと、バイロイトの所謂蓋付きの演奏実践の録音を聞くとその強烈な爆発は蓋無しのミュンヘンでは採らないからだ。これを先に知っておく必要があるのは、私のように最終日の「神々の黄昏」に出掛けない者の心掛けかもしれない。如何にも「ごついのはこれからじゃ」と新聞評にもあったようにドラマテュルギー的にもそのように演奏される。通常の劇場で演奏する場合の限界であるかもしれない。もう一度一幕に戻ってはみたいが、この三幕のフィナーレの演奏実践は将来バーデンバーデン劇場ではどうなるだろうかと言う問いかけは残る。

しかし何よりも今回とてもよく分かったのは、「ジークフリート」の二幕におけるナイーヴなまでの母性へのイメージと三幕のデアヴァンダラーとジークフリートの掛け合いに楽匠の父性への印象がそのまま楽譜化されていることだ。三幕になると更にここそこに「マイスタージンガー」のそれを聞き取れるのだが、これほど直截な表現があったとは気が付かなかった。音楽的発展の断層をこの楽劇内に認識するのは常識だが、その技術的な問題ではなく、「ワルキューレ」娘との惜別とここでの表現の差異は、美学的には近代的意思表現の相違となるのだろうか。恐らく久しぶりにコッホの歌で聴いたので、丁度ザックスのその舞台と重ね合ってしまった。そして二月には北欧の歌手が歌っていたので全くこの効果は生じなかった。楽匠の息子の名はジークフリートだったなと思いだした。

コッホのように柔らかくこれを歌う歌手は他に居ないのではなかろうか。正直2014年のヴォータンには違和感の方が強かったのだが、デアヴァンダラーのこの掛け合いまで来ると、しっくりいったのだった。これを聴けるだけでも今回の訪問は歌手に関しては価値があると思う。まあ、管弦楽がどこまで根つめて演奏するかに掛かっている。とても楽しみで、まだまだミュンヘンまでの走行中にタブレットの楽譜を確認しないといけないことが多々ありそうだ。


写真:二幕二場のドルチェなホルン「im Wald hier daheim?」、今回も吹いて貰わないと困るヨハネス・デングラーがアバド時代に過渡期のフィルハーモニカーで吹いていたことは知らなかった。助っ人だったようで試傭期間ではなかったようだが、リヒャルト・シュトラウス家の伝統のこともあり、公務員待遇の劇場のポスト以上に魅力的だったとは思われない。



参照:
パン屋開いて、床屋閉まる 2018-07-24 | 生活
流石の配券状況 2018-07-23 | 雑感
ごついのはこれからじゃ 2018-02-06 | 文化一般
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パン屋開いて、床屋閉まる

2018-07-24 | 生活
パン屋が夏休み明けとなった。床屋が夏休みに入った。先週から気になっていたが、あと二週間我慢することになる。秋のことも考えて時期を考えていたのだが、判断が難しかった。19日に24日のミュンヘン行きが急遽入ったので、金曜日の髪結いがならなかった。九月のことを考えれば八月九日にサマーカットでいいのだが、この先最高に暑い時期の二週間の快適度が不安だ。火曜日にシャツを着ればあと二週間はTシャツで通せるので、運動をしない限り、襟首があまり気にならない。さてどうなるか?

土曜日のワイン地所の上縁をジョギングした。なんとのろのろとした動きだった事か。これでパン屋休み中の二週間に二回は一時間前後のハードな走り、一回の軽い走りが出来たのでまあまあだろうか。運動不足は否めないがその間ミュンヘンにも出かけたので、時間もあまりなかった。早速パン屋の裏の短いコースを走った。久しぶりに窓を開けて就寝したので、夜中に目が醒めて寝坊をしたが、森の中の気温は摂氏17.5度で苦しまずに済んだ。

夜中に目が醒めた時にはキャスティキングの声がタブレットからしていた。触ってみると熱くなっている。タブレットでこのようになるのは初めてだ。どうもキャスティングと光度の高いピクチャーヴューワーを同時に開いていて、布団に包まれていたのがいけなかったようだ。CPUが可成り過熱したと思うが、暴走もしておらず、アプリケーションを閉じて、使ったまま冷えるのも比較的早かったので、ダメージは最低限に留められたと願いたい。

「ジークフリート」二幕の二月三日公演のメモを見るとヨハネス・デングラーのホルンが明記してあった。何処が巧かったとかいうよりも、一幕を背後で吹いていて戻って来ていたからだろう。それでも三場の小鳥の歌に続いてのホルンの独奏は聞かせ所には違いない。しかし一場のところに書いてあるので、森のアルベリヒの背後で所謂「騎行」の動機が1,3で奏されるのでそこかも知れない。この幕でのコントラチューバが有名だが、バイロイトの2015年の録音でもそのホルン演奏はさしてよくない。デングラーのそれは重い音で鳴らすので良かったのだろう。どうしてもこの場面ではトロンボーンによる呪いが強調されるのだが、次に出て来るヴァンダラーとの絡みではとても重要で、特に今回はベルカントのコッホが歌うとなると、このホルンの響きが活きる。
Beethoven's 8th Symphony, two horn solo 3rd Movement

GANZ GROSSE OPER | Clip 7 | Deutsch HD German

Beethoven's 3rd Symphony, horn trio solo 3rd Movement


更にメモには、二場でのミーメとジークフリートの対照と、一転チェロが六拍子のEで柔らかい音を奏でていたようで、恐らく森の囁きの音楽とそれに続く四拍子のGの所謂愛の旋律の動機へと今度は分割されたチェロが美しいアンサムブルを繰り広がられたことだろう。ここは恐らく楽匠の書いた最も柔らかな音楽だと思うが、その母性へのイメージのようなものがダイレクトに表現されている。またそこでE管のホルンが「小鳥の動機」を奏するのが憎い。

三場になるとこれまたオーボエ、クラリネット、ホルンに留意しているが、様々な動機が組み合わされるのは、一幕一場と同じなのだがここでは室内楽的な書法となっていて、大交響楽のスケルツォから緩除楽章への繋がりが、アルベリヒとミーメの争いから「指輪」の動機が出て「ラインの乙女」からそして「小鳥の歌」へと繋がる冒頭の場面の展開の速さとその筆使いは「指輪」の中でも最も音楽的に自由闊達だ。一幕一場のあの固さがここではオペラ芸術の中でぐっと解れている。

キリル・ペトレンコの棒も「ヴァルキューレ」での苦心の跡とは違ってとても自由に流れる。日曜日の出来の反応を見ると、やはり管弦楽が苦労しているようだが、諸般の事情から仕方が無かったのかもしれない。既に「音楽的解決」は一月に示されていたのであり、ペトレンコのミュンヘンへの置き土産でしかない。その点「ジークフリート」はその演奏実践に関してはバイロイト公演からして初めから定評のあったものであり、またとても室内楽的な難しさもあり座付き管弦楽団に要求されるものは過剰である。そして二月にもまだまだ十分な演奏は出来ていなかった。少なくとも今回も二月の陣容が揃っていないことにはより良い結果は得られないだろう。ピットを覗き込めば大体の出来は予想可能だ。まあ、じっくりと腕前を拝見するとしよう。

歌手ではやはりコッホへの言及は無かったようだが、繰り返すが、カウフマンのヴァークナーとコッホが上手に歌うことで初めてキリル・ペトレンコのヴァークナー演奏実践の基本コンセプトが実現される。個人的にも2014年になぜあんな軽いヴォータンを歌う必要があるのか理解不可能だったが、もうこれは否定しようがない基本コンセプトであり、もしこの二人のヴァークナー歌唱に不満があるならば、ペトレンコのヴァークナーなど聴かない方が幸せだろう。これは先ごろの「三部作」で「ベルカント」を確認した者ならば皆同意する筈だ。あれを評価できないとヴァークナーも評価できないかもしれない。



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流石の配券状況 2018-07-23 | 雑感
激しい朝焼けの週末 2018-07-22 | 生活
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流石の配券状況

2018-07-23 | 雑感
予定外であった楽劇「ジークフリート」訪問の準備をする。冬場にお勉強した筈なのに、一幕だけでも手が追えないほどとんでもなく音符の数が多い。三場はまだ流れるだけだからよいのだが、一場、二場で発狂しそうになる。こんなものたとえ和声的な流れを枠組みにして見て行っても、一つ一つの音符を確認するだけでも目が疲れるだけだ。例えばクラリネット等に現われる回転音などは特徴的としてもその他の可成りの入り組み方は器楽曲並みで、なるほど七番交響曲を想起したのはリズムだけではなかった。鍛冶場のシーンは明らかにブルックナーがその後に交響曲で使ったのだろうが、あの音響は鍛冶場とは似ても似つかぬ蒸気機関工場のサイクル音で、彼のシェローの演出には当然で驚かないが、寧ろ楽匠が鍛冶場とするところがとても捻った表現だ。クリーゲンブルクの演出は人海合戦だったが、明らかにポストモダーンの外し方だったように記憶している。

残された時間で一体どれだけ私の頭に入るのだろうか?この幕だけでも管弦楽団にとってはとんでもない課題だ。よくも楽匠がこんな楽譜を書いたとも思うが、だから専門の交響楽団が組織されてきたのもよく分かる。フェスティヴァル中の凌ぎの仕事では到底無理だから、トップメムバーを揃えて来ているのだろうか?

秋の記念公演楽劇「マイスタージンガー」の売券の様子を見た。最初から殆ど残っていたようだ。つまり、前予約発売分が出ただけでその他の定期や友の会以外は殆ど自由販売された様子だ。だから一晩あたり千枚ほどのチケットが発売されたようだ。私は少し遅れて入ったのでウェイティングナムバーは千を超えていた。それでも比較的早く入場したので残席を見たら、やはり私が望んだような席は殆ど無かった。多くの人が既に観戦していて、その経験から各々がそれなりの希望をもって購入したと思う。

その証拠に広報部長の呟きには、前夜の「ラインの黄金」終演後から並び始めた人も数人写っていて、土曜日の朝には雨の中を数十人が並んでいた。自身の予算の中から如何にいい席を得たいかの強い希望が表れていたのではなかろうか。既に三回目の上演は高価な上二クラスと立ち見のような席しか残っていない。やはり事情通の買い方が目に付く。私も予算の上限を設けなかったのはそこが大きく、前回と比較できる程度の席は要らなかったのだ。要するに観たい聴きたいの具体的な狙いがある。皆も大体同じような感じがする。その意味から、あのタッパの高い舞台はあまり近くでは広角に観れなくてちょっと辛い。それでも出来るだけ近接で舞台を観たいという希望は多かったと思う。私の場合は、向こうの裁量で、こちらのその願いが叶う様な配券をして貰った。配券する人の経験から来るだろう席の選び方は、こちらの購入経歴を鑑みて、流石としか言いようがない。



参照:
ごついのはこれからじゃ 2018-02-06 | 文化一般
再びマイスタージンガー 2018-06-22 | 生活
再びあの座席の幸福 2018-07-20 | 生活
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激しい朝焼けの週末

2018-07-22 | 生活
朝焼けが激しかった。真夏の谷間が定期的にやってくる。今年の天候の特徴だ。パラパラと来てその合間にワイン地所の上辺を走った。週末は領収書類の整理と「パルシファル」録音と「ジークフリート」準備だけだ。ラディオ放送をノートブックで録音するのだが、今回はドイツの放送協会網「夏のフェスティヴァル特集」統一プログラムなので、どの局を選択するかだ。既にラインガウでユリア・レジェネヴァが歌う中継番組を放送しているのを比較してみると、差が明らかだった。同じ局のHPでも選択可能なところは注意が必要だ。録音などのために、簡便にIフォンなどのためにMP3などが提供されているものは音質は悪い。最も高品質の音はライヴで聞く機能でそれを上手に録音する必要がある。その中でも局によって差があるようだ。今回の録音は生を留守録したものに電気的なノイズが入っていたからだ。全部で九局もあるので全てを試すことは面倒なのでどうしても慣れた信頼おける局を選ぶことになる。

「ジークフリート」の準備は、先ずは三幕三つのpdfをタブレットにダウンロードした。更にペトレンコ指揮の録音があるバイロイト公演から2015年分をダウンロードしておいた。これもピットの蓋が有る無しで大変異なるのだが他に参考になる音源が無い以上仕方がない。そこでやはり2月3日のリンクツィクルスAでのメモを再び開いて整理してみるのが一番早道だと思った。しかし可成りの量の書き込みがあって一度判読して公開してある内容以上に楽譜を洗いながら細かなところを思い出すかどうかである。

記憶というものは不思議なもので、意外に全く関係ない旅行の行程などから感覚を呼び起こして、そのまま記憶の蔓を引き寄せることが可能だ。それを走りながら試みていた。書いたものを読み直してみると、「ヴァルキューレ」の帰路にはホワイトアウトになって、「ジークフリート」公演前のバゼリッツ展訪問を断念したが、帰路カールツルーヘで雪に降られた、「神々の黄昏」で一泊した。

今回はあのロージェという事でその目的に適った準備をしようと思う。管弦楽の書法をもう一度洗っておかないと、見所がハッキリしないかもしれない。要するに多過ぎるのだ。どこまであの時の演奏を思い起こすか?印象に残っているのは最後の演出のフォイルの雑音だ。結構イライラさせられたからだ。今回はそれで終わりとなると余計嫌な気持ちになるから、覚悟しておこう。それでも観客の反応は「ヴァルキューレ」よりも大きかったのだ。今回はどうなるだろう。記録を読んではっきりしたのは、「ジークフリート」の日帰り往復はリスクが高いという事で宿を手配しておいてよかった。「三部作」でも集中度が違うと疲れたが、それとは比べようが無いほど疲れる筈だ。真剣なコンサートを4つ続けて聞くようなものだ。



参照:
「舞台祝祭劇」の疲れ 2018-02-04 | 生活
ジークフリートの鞴 2018-02-05 | 音
ごついのはこれからじゃ 2018-02-06 | 文化一般

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其々の祭りの季節

2018-07-21 | 生活
夕刻になってからも気温は上昇した。21時になってようやく冷えてきた。30度超えていたが、比較的乾燥していてTシャツを脱ぎ捨てることも無かった。それ程快適だ。だから夕食も毎週決まっている牛肉のロール巻とジャガイモをオーヴンで調理した。それでも全く暑く感じないのが嬉しい。

ワインは久しぶりに2015年産を開けた。瓶詰め二年で瓶熟成が始まったところのレープホルツ醸造所「雑食砂岩」である。三本以上あったので先ずは一本目である。開けたてはまだまだがっしりしていて、あの暑い夏をしっかりと記録している。二日目以降も楽しみだ。

ここのリースリングとしては骨格が良過ぎるぐらいなので、飲み頃を考える。寝かす用には間違いない年度であるが、武骨な感じで終わってしまうワインも少なくは無いだろう。如何に繊細さが開いてくるように醸造されているかだ。

ミュンヘンのオペラフェストシュピーレ「ヴァルキューレ」の残券取得を早くも断念した。そもそも前夜祭の「ラインの黄金」でさえ出なかったので、スターテノールカウフマンの登場で誰もこの機会を捨てる人は居ないと思ったが、日曜日の10時まで試してみるつもりでいた。しかし火曜日の「ジークフリート」と二回通うには片方は列車移動しかないと思った。それで調べてみると直前に購入したのでは往復で115ユーロに駐車料金が必要なのが分った。欲しい券の価格が213ユーロでそれだけで引っ越し日本公演並みになってしまう。今回は違反通告がまだ来ていないので、安全を期して車の日は一泊する予定なのだが、火曜日を列車移動にすると水曜日の午前様で75ユーロほどで収まる。しかしその場合土曜日中に予約している50ユーロの部屋をキャンセルしないといけない。

そもそも冬の寒いところを並んでも購入しなかったのは、まさかカウフマンの「パルシファル」の出来が想定以上とは思いもしなかったからで、あれを経験するとカムペとカウフマンのそれは一聴に値すると考えるようになった。そして二月はキリル・ペトレンコにとっては鬼門だった「ヴァルキューレ」を見届けるのが「指輪」訪問の狙いだったのだ。先週まではあのロージェを体験していなかったので、そこから少し目的が変わった。するとカウフマンのジークムントにどこまで価値を見出すかという事になる。コッホのデアヴァンダラーよりは価値があるかもしれないが、コッホのヴォータンを足してもどこまで万難を排してとなるとあまり自信が無くなった。

そこで改めて二月の実況中継を流してみると記憶通りとんでもなくドライに管弦楽を鳴らしていて、ショルティどころではないのだ。あれだけ徹底させる意志には驚愕で、如何にその演奏実践に苦心したかが知れる。それが緩むことは今回も絶対無い筈だが音響的には室温も高いので若干ソフトかもしれない。まあ、私のような人間には「ジークフリート」再訪で充分か。あのキャスティングは勿体無い。

実はもう一つの可能性として、日曜日から火曜日まで滞在する方法もあったが、月曜日に高い山にでも上がるとこれはこれで疲れてしまって、火曜日には帰れなくなってしまう。夏の暑い時には山に登るしかないので、これもどうも欲張り過ぎて、本末転倒になりかねなかった。

そのような事情で火曜日の宿を予約しておいた。市内から20分ほどの小さな湖の町で、50ユーロで大変評判が良かった。土曜日までにキャンセルすれば返金してくれるが、遅れると全額取られる。行掛けに立ち寄れるので無駄が無い。市内で一杯引っ掛けてから戻れるかどうかの道路事情も確認しなければいけない。深夜町に戻ると殆ど何もないと思うからだ。寧ろそれよりもお土産を断念しないと無理かもしれない。冷蔵庫が使えるかどうかチェクイン時に確認しよう。朝食7ユーロも結局払うだろうか。

ミュンヘンのホテルを探して、冬に宿泊した39ユーロの部屋が260ユーロに高騰していたのはオクトバーフェスト期間だと理解した。尋常ではない需要過剰なのだろう。現在は平日は69ユーロで泊まれるようだが、既に塞がっていた。序にその高速沿いを見るとフェスト期間にも63ユーロで宿泊可能な宿が見つかった。空港より北の55ユーロを予約していたが、こちらに乗り換えた。実際に使うかどうかは分からないが、計画に重要だ。

先日ロージェで一緒になった夫婦が話していた。何処から来たという話しになって、九月の末はいつもワイン街道のバートデュルクハイムに行くということだった。オクトバーフェスト難民なのだと分かった。我々が逃げるのと同じように大都市ミュンヘンでも逃げたくなるのだろう。九月末のマイスタージンガーは大丈夫だろうか心配になってきた。



参照:
宮廷歌手アニヤ・カムペ 2018-01-22 | 女
山場を越えた安堵感 2018-02-13 | 雑感
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再びあの座席の幸福

2018-07-20 | 生活
楽劇「ジークフリート」公演の席を取った。「王のロージェ」のオファーはぐっと我慢したが、「プロシェニウムロージェ」となると我慢ならない。その前に出ていたのがどうも「神々の黄昏」の同じところだっただろうから、少しだけ気になっていた。歌手は「ジークフリート」の方がヴォルガンク・コッホが登場するだけキャンセルした二月の雪辱となる。要するにコッホのデアヴァンダラーを2014年以来再び聞くことになる。二月の「ジークフリート」では北欧勢の歌に不満が残った。

「ジークフリート」は楽劇「ニーベルンゲンの指輪」の中で最も美しい作品には違いがないが、なぜかもう一つ人気がないようだ。理由はやはり室内楽的な要素と合唱などスペクタクルなところが少ないためかもしれない。個人的にはとても好きな作品であるが、最近は特に同じ制作を二度三度行くとなると歌手とかのキャスティングをどうしても考える。それでも193ユーロの「ロージェ」をパスしたのは、その価値があるかどうかだけである。同じ額ならばコンサートでももう少しいい席を選べる。そもそもその価値が無いから適当な価格のものを購入する。それ故に二列三列目のそれは高く感じて、恐らく出ていたらしい「神々の黄昏」の213ユーロは幸か不幸か出遅れた。それは上の理由で高いと思ったのだが、「ジークフリート」は168ユーロで、45ユーロ安い。先週の「三部作」が142ユーロで、その差は71ユーロだ。

私があのロージュが好きなのは浴びるような音を聞くのが目的ではないので、この差は合点が行かない。勿論舞台や歌手に興味があるならば、二月に私が座った13ユーロの席でもそれほど不満は無かった。プロシェニウムロージェはなによりも死角があって広い舞台を一望できない。それは構わないのだが、あそこで「神々の黄昏」は結構厳しいかとも思う。細かなところを聞き分けられるか少し自信が無い。指揮台よりはましかもしれないが、少し経験が要りそうだ。先ずは、「ジークフリート」で試してみようと思う。

「ジークフリート」に関して自身で書いたものを読み直した。するとベートーヴェンの七番が言及されていた。自身書いていることだから、八月の演奏会を意識しているのだろうが、もう一度調べてみる必要がありそうだ。不満は管弦楽団にもあったのだが、その点は今回もそれほど期待していない。そもそもペトレンコ指揮でも必ずしも前回より良い演奏をする保証は無い、だから期待してはいけない。それでもあの席からだと何が上手く行ったのか行かなかったのかが指揮者と同じぐらい判る。それがいい。

そのあともう一つの同クラスの席が出ていた。平土間の後方真ん中周辺だった。それほど悪くは無いのだろう。そもそも私は平土間の音響を知らない。歌手は前から見聞き出来るので良いのだろうが、管弦楽の方を細かく聞きたい人にとってはどうだろう。直接音が聞こえないのはバイロイトだけでいいような気がするのだ。但しどのように声楽と管弦楽がミックスされるかはとても重要で、その仕事ぶりをつぶさに観察出来るのが嬉しくてたまらない。

今後もヴァークナーの楽劇をそこで聞くチャンスはあるかもしれないが、毎年七月に時間を空けておくことなどは不可能なので、少なくとも「ジークフリート」は、将来バーデンバーデンでもあの位置からの鑑賞は不可能なので、最後の機会かもしれない。既に頭の中に「ジークフリート」の音符が飛び始めた。週末は「パルシファル」の録音を忘れない範囲で準備をしなければいけない。少々興奮状態で仕事が手につかなかった。



参照:
プロシェニウムロージェ 2018-06-09 | 文化一般
五十歳での主夫見習い 2018-07-18 | 雑感
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女
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画像の質も生と比べると

2018-07-19 | 雑感
前日の走りで太ももに違和感がある。痛みとはならないのが味噌で、平素から動かしているからだ。それでも普段よりも負荷が強いと違和感となって感じる。本日も同じような天候で気温も上がりそうなので、事務机に齧りついて昨年度の税金申告の領収書類整理をしよう。週内に終われば楽になる。週末になると、先日の「パルシファル」の実況再放送などがあるので、それが終われば愈々八月末から秋の準備となる。

散髪も床屋が夏休みに入るまでに出掛けたいが、もう休んでいるのかどうかも分からない。まあ、二週間ほど伸ばしておいても苦しむことは無く、最後のサマーカットをどの時期に合わせるかの試行錯誤となる。九月も急に寒くなることはなさそうだがどうだろうか。この朝晩の涼しさから地面も大気も温まっていない。昨晩も夜遅くまで気温は高めだったので、しばらくバルコンの寝椅子で横になっていたが、寝室を開けたままにする必要などは全くなかった。ベットのシーツも取り替えたので汗は掻きたくないが、とても気持ちよく眠れた。但し前日に充分な水分を摂取しなかったので、夕食後に少しつかえる感じでまたまた腹の周りが気になった。

夜のお楽しみに、ミュンヘンから持ち帰ったミニトルテの三つ目を食した。ヨーグルトムースにキイチゴだ。その前のマンゴも悪くは無かったが、こちらの方が食べ甲斐があった。余り種類は無いのだが結構癖になり飽きない。三つも購入するならば普通の大きさでも5ユーロ高く20ユーロ位なので考えてしまうが、大きくなると種類が食せないだけでなく、触感も異なるかもしれない。但し、包装する時に保護するために巻いて貰う材質が二種類あって、やはり固い方を巻いて貰わないと危ない。次回は固い方と指示をしよう。

一緒に持ち帰った雉のテリーヌも夏で心配したが、全く冬同様に楽しめた。やはり新鮮なものしか売らないのだろう。塩気など味も変わらず改めて感心した。持ち帰りの可能性がいろいろと分かったので一度カナペー類も試してみてもよいかもしれない。

ネットを観ると、今回の再演に合わせて、「三部作」と「フィガロ」のハイライトのオフィシャル映像がYouTubeに上がっていた。急いで関連記事にリンクを張った。特にヤホの修道女は皆待ち焦がれていたものなのだが、触りだけでも上がったのはよかった。パパーノ指揮の初舞台のコヴェントガーデンのそれと直接比較可能なのがよい。自身のコピーした映像も見返したが、先頃「パルシファル」を高速回線で録画したのとは違ってやはり1Kではないので、少し新鮮度が薄れた感じがする。幾ら目が悪くても画像の質も生と比べると大分違うものだ。

今回の上演で注視していたのは、三部「ジャンニスキッキ」の"O mio babbino caro" のところの拍手の問題だ。放映の時はサクラの一声で引き締まったが、今回は指揮者がどうするか見ていた。初めから止めるように複終止線を入れていた。つまり拍手しやすい形を作っていた。初日の時は確かにはっきりしなくて、拍手も戸惑っていて切れが悪かったが、結局落ち着くところに落ち着いたという事か?言うなれば聴衆をも見えないながらも指揮していることになる。勿論そこだけでなく全体のドラマテュルギーから、テムポ運びをとても喜劇的な緊張と緩和にしていた。そのような箇所ではマエストリを指揮しながら「やって」と一緒に楽しむそぶりを見せるのだ。決してキリル・ペトレンコの音楽と指揮は劇場向きではないのだが、こうした劇場的な間と息を二十五年ほど掛けて学んできたことになる。精々批判しようと思うのだが、また誉めてしまった。

「神々の黄昏」の上から二番目が213ユーロで出たようだ ― 「ジークフリート」の王のロージュは193ユーロだった。見過ごしたので分からないが、サイドのロージェだったかもしれない。問題は価格で、二月の時と比較してそこまで価値があるかどうかだ。ロージェなら価値はあるが、歌手の相違は僅かである。一寸高いかなという気はする。



参照:
毎日、一期一会 2018-07-05 | 生活
考慮する戦略的推進策 2018-07-04 | ワールドカップ06・10・14
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五十歳での主夫見習い

2018-07-18 | 雑感
先週は殆ど運動できなかった。週初めに頂上往復コースを走っただけだった。だから急に腹回りがだぶついて来て、体の切れが悪くなった感じで気持ち悪かった。前夜からジャガイモを食して備えた。そして朝から銀行に立ち寄ったので、閉まっているパン屋を素通りして、久しぶりにいつもの森へ向かった。気温は既に上昇していたので頂上コースは困難だと分かっていたからだ。だから夏場は殆ど走らない、冬場でもあまリ走らないコースを取った。何時もの沢沿いから、枝谷を詰めてまで上がるコースだ。あまりにも急な登山路なので走るには向かない。一番身近でアルプスのアプローチを思わせるぐらい厳しい。

久しぶりなので森の伐採の様子を知らなかった。いつもは茂っていて薄暗いのだが、大分間引きをしていた。それをしておかないと木も朽ちて、谷筋であるから止水効果も無くなる。環境を荒らさないためにも人手が必要なのである。だから道は落ち葉が無く少し走り易くなった感じはするが、陽射しが南から差し込んでいた。これが厳しかった。冬でも歩くだけで息が上がるのに、格好だけでも走っているとやはり厳しかった。距離は頂上コースよりも短いのだが急峻だ。這う這うの体で上に着いて、歩調を整えながら降りてきた。頑張ってツイストしたので少しは腹廻りに良いことをしたと思う。太ると着れなくなる服もあるので要注意である。

現存する最も古いドイツ語紙ノイエズルヒャー新聞が自国のスター音楽家エマヌエル・パユにインタヴューをしている。興味深かったのは、先日もここでも話題にしたベルリンに関してのことだ。先ずは2020年1月27日のモーツァルトの日のザルツブルクで演奏して、区切りをつけるらしい。二人の息子も大きくなったので、料理を習って材料を買う練習をするらしい。私のような主夫の道である。そこでフィルハーモニカーへの想いが語られて、その時50歳になれば以前には無かったような技術的な問題が出て来て、より準備に時間を掛けれるようになるので自分で時間を設定するという事らしい。

「管弦楽の中でどのような立場になるのか、新しいシェフのペトレンコとを考えて、思いめぐらしているんです:今まで何をなしたか、まだ何が出来るか?」と答えている。

キリル・ペトレンコが振る時は進んで乗っている当代の名奏者であるから、その管弦楽団の進む方向にも我々以上に関心があるに違いない。辞めて仕舞えばそれで終わるのだが、やはりとても大きな期待とその新しいフィルハーモニカー形成の中で何か役に立ちことがあるのかと思いを巡らしているのだろう。一奏者であるが、やはりこの人の音楽的な影響力は間違いなくあると思う。
Pahud on TV (in Japan)

Mozart: Symphony No. 35 “Haffner” / Petrenko · Berliner Philharmoniker

Prokofiev: Piano Concerto No. 3 / Petrenko · Wang · Berliner Philharmoniker


来週の「ジークフリート」の残券が数枚出ていた。王のロージェの御付き用の二列目と三列目である。「ヴァルキューレ」ならばお手付きしたが、若しくは先日と同じサイドならば買ったかも、若しくは一列目なら試したかもしれないが、歌手もキャンセルしたコッホのさまよい人が違うぐらいであとは変わらない。また主役のヴィーンケにも個人的に出会うチャンスも逃したので、ぐっと我慢してパスした。「パルシファル」最終回は出ることは無いと思うが、300ユーロも出すぐらいなら二年ほど先の再演の方に期待したい。誰が歌っても190ユーロ位の価値は十分にあるからだ。



参照:
予想を裏切って呉れる 2018-07-12 | 文化一般
写真を撮り撮られする 2018-07-15 | 文化一般
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女
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