Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2004年11月 

2004-11-30 | Weblog-Index


究極のデジタル化 [ テクニック ] / 2004-11-29
子供たちの期待と大人たちの楽しみ [ 生活・暦 ] / 2004-11-28 COM5, TB3
北国の発明 [ 生活・暦 ] / 2004-11-27 COM9, TB1
光明を見いだす [ 生活・暦 ] / 2004-11-26 COM25, TB3
モルトの優しい香り[ その他アルコール ] / 2004-11-25 COM8, TB4
ヴンダーリッヒ嬢/Frau Wunderlich [ 女 ] / 2004-11-25 COM1, TB1
鹿フィレ肉のクリーミーな香り[ 料理 ] / 2004-11-25
ドナウエッシンゲン [ 料理 ] / 2004-11-25 COM2, TB0
青髭公の二つの部屋 [ 文化一般 ] / 2004-11-24 COM1, TB2
映画監督アーノルド・ファンク [ 文化一般 ] / 2004-11-23 COM7, TB1
涅槃への道 [ 文学・思想 ] / 2004-11-23 COM4, TB4
「ここからドロミテが一番美しい。」[ アウトドーア・環境 ] / 2004-11-22
ルーマニアのシャドネー [ ワイン ] / 2004-11-22 COM2, TB0
子豚の背中の肉 [ 料理 ] / 2004-11-21
グリュナー・ベルティナー - ドナウの辺にて[ ワイン ] / 2004-11-21
看板娘ナタリーの思い出 [ 女 ] / 2004-11-21
赤ワインにレバーとザウワークラウト[ 料理 ] / 2004-11-20 COM9, TB0
マジャールのグーラッシュとトカイ[ 料理 ] / 2004-11-19 COM1, TB0
新雪情報 [ アウトドーア・環境 ] / 2004-11-19
リンドウ - Der Enzian [ その他アルコール ] / 2004-11-19
ゴットフリード・W・ライプニッツ [ 数学・自然科学 ] / 2004-11-18 COM2, TB0
ヨハネス・ケプラーのワイン樽 [ 数学・自然科学 ] / 2004-11-17
人工衛星のインターネット化 [ テクニック ] / 2004-11-17
特別なアトモスフェアー [ テクニック ] / 2004-11-17 COM0, TB1
嗜好品のエキス [ 料理 ] / 2004-11-16
英国の相続遺産 [ 料理 ] / 2004-11-15 COM0, TB2
簡潔さと的確さ - H・ハイネ [ 文学・思想 ] / 2004-11-15
ハムバッハー・フェスト [ 文学・思想 ] / 2004-11-14 COM1, TB1
伝統文化と将来展望 [ 文化一般 ] / 2004-11-13
文化の「博物館化」[ 文化一般 ] / 2004-11-13 COM5, TB1
子供提灯行列 [ 生活・暦 ] / 2004-11-12 COM1, TB1
1997年の辛口リースリング [ ワイン ] / 2004-11-11
甘口ワイン /Der liebliche Wein [ ワイン ] / 2004-11-11
モンブラン越えのチリワイン [ ワイン ] / 2004-11-10
スチュワーデス賛 [ 女 ] / 2004-11-10 COM5
ゴミ収集袋の無料供給と排出抑制力 [ 生活・暦 ] / 2004-11-09
"cui-cui"-"pip-pip"/抽象的な言葉 [ 音 ] / 2004-11-08 COM2, TB1
ドイツワイン三昧 第三話 [ ワイン ] / 2004-11-07
1998年の辛口リースリングワイン [ ワイン ] / 2004-11-07
リベラリズムの暴力と無力 [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06 COM2, TB1
キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06 
此れはなるほどやはり名言だ [ 雑感 ] / 2004-11-06 COM1
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究極のデジタル化

2004-11-29 | テクニック
美しいレコードプレーヤーの写真が新聞を飾っている。懐かしい「アナログ信奉」の話ではない。デジタルPCM技術については、映像であろうが音響であろうがその優越性に異論を挟む余地はない。美学愛好家も一般的なデジタル技術の進展を体感しているので、現状の量子化の精度には不満でも将来に期待している。全ての分野においてデジタル化は、其の解析、処理、記録の合理性ゆえに急速に普及した。

一方オーディオアナログLPの発売数は、ラップミュージックのDJの活躍の余勢を駆って2001年後には1997年のそれから倍増した。其の発売数は、SACDとDVD-AUDIOのニューメディア全てのタイトルを合わせた数の倍という。量は僅かといいながら、このドイツ国内の統計は無視できない。

今でも円熟したアナログ技術が珍重される場合がある。当然の事ながら膨大なアーカイブを持つ放送局などに行くと、そこのエンジニアー達は将来のアナログ素材の運用を不安がる。博物館や図書館等も同様である。貴重な文化遺産を管理して利用していくために、如何してもハードの面でのバックアップが必要となる。しかしアナログ技術による記録の利用方法は、新素材媒体などの開発が無ければ技術革新する可能性は無い。

個人のアーカイブのデジタル化などの需要も多いという。しかし趣味性や耐久性が高い分野(書画骨董以外にも書籍、書類、写真、LP)では、個人のアーカイブの整理・保存そして利用が多くはアナログ媒体のまま図られる。

過去の充実した技術が新しい技術に取って替えられることは、革新として認められる。古い技術はノスタルジーと栄誉に輝いて博物館に展示される。新しい技術は駆使されなければならない。もちろん此処では古典的なヴァルター・ベンヤミンの複製技術の美学的考察も再審査しなければいけない。しかし何よりも最優先されるのは、現時点での汎用デジタル化技術の限界と可能性の評価である。

上述の新聞の記事は「ニュウメディアにとって厳しい数字」と云う。しかしこうして推考すると、冒頭に述べたようにこれは「デジタル信奉」の一現象である事に気づく。究極のデジタル化を彼方に、それをアンチテーゼと見做すことが出来る。
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子供たちの期待と大人たちの楽しみ

2004-11-28 | 
この期間、特別な日めくりがある。今日からクリスマスまで、そこには毎日一つ窓がついている。子供たちは、期待に胸を膨らましてこの扉を開ける。ゴム菓子やチョコレートが一つ、その中に隠してある。絵の中に日付けがランダムに隠してある。毎日探して取り出す仕組みになっている。これも原型は、百年ほど前に遡ることが出来る。子供たちは、待ち望む楽しみとともにお預けを学ぶ。

祭日を前に、ボージョレーヌーヴォーがスーパーに並ぶようになった。魚コーナーの前に値札も品名も隠すかのように、特売として箱積みの上においてある。ヴィラージュだが一本1,99ユーロのキッチンワイン価格である。何はさて置き二本購入する。さて開けてのお楽しみである。色が思いかけず濃くも薄くも無く美しい。この葡萄種のガメーとした味も少なくバランスが取れている。アルコールもそれほど強くなく、酸味も柔らかい。それだけに、のったりとした酵母味が分離する。本年の傾向は、恐らく果実の熟成の問題があって醸造にもそれ相応の酵母が必要とされたのであろう。結論としては、アルコール分が弱いということはヌーヴォの取り得のコストパフォーマンスが落ちてしまう。同価格のスペインの立派なワインの方に軍配が上がった。しかし、記憶する去年の上等のヌーヴォーと比べるとかえって風味があった。食事としては、牛ステーキなど表面が焦げ付くぐらいにワイルドに料理したものが良さそうである。

祝祭日は昼の正餐の機会が増える。夜は火を一切使わないコールドミールが一般的である。ハム類とチーズ類と野菜とパンである。そうなると、ワインやシュナップス類が恋しくなる。ヌーヴォーは、冷たい食事の邪魔にはならず自己主張しないのも良い。
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北国の発明

2004-11-27 | 
アトフェント(待降節・降臨節)の風物といえば、この間毎週日曜日に一本づつ火をつけていくキャンドルがある。モミの枝などで飾りつけた木の枠に四本のキャンドルを立てる。この形状からこれをアトフェント・クランツ(冠もしくは環)という。ハンブルク出身の新教徒が1838年に考案して直ぐに広がり、1925年以降ケルンやミュンヘンの旧教徒にも徐々に取り入れられるようになった。北国の冬の暗い地方ならではの発明である。神学的には、ヨハネスによる福音8.12のイエスの言葉「わたしはこの世の光である。わたしについて来る人は暗闇の中を歩かず、生命の光を持つ」が根拠として挙げられる。しかし、光が英知など積極的な意味を持つことは、殊更古今東西の文献にあたる必要は無い。またその冠は、オリンピックのそれのように光の勝利を表すらしい。

実はこのアトフェント、8世紀半ばまでは他の祝祭日と同じく旧約聖書的な禁欲が求められていた。しかし教会暦の始まりと認定されてからは現在のような幸福な祝いとなったようである。それどころか初めの週は、楽しめよということでリラなどの厳粛な色のキャンドルを使わないという。面白いのは、オーストリーの消防局サイトにそれを燃やして火事を起こさないためのアドヴァイスが載っている。この期間その手の火事が可也多いようである。暗闇の悪を払う積もりが災いをもたらすこともある。そうなると火消しの守護神聖フロリアンの出番である。
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光明を見いだす

2004-11-26 | 
夜明け前の一時、何気なしに窓外へ目をやると広場にクリスマスツリーが光っていた。暗黒の寝室に普段とは違うおぼろげな光が入って来ていた。思いがけない出会いは尚の事嬉しい。歴史を紐解くと1605年のシュトラスブールのモミの木が、分かる限り最初という。パラダイスの命の木の像ということだ。樹木へのゲルマン信仰との関連を指す説もあるそうだ。何れにせよ甘いものと林檎の飾りつけが原点である。

昨日の内に木が立てられたのは、週末が四週間の待降節の最初の日曜日に当たるからである。待降節は、5世紀イタリア・ラヴェナでのキリスト生誕一週間前の日曜の祝祭に端を発する。これは、大グレゴール時世の6世紀になって四週間となった。しかしミラノでは六週間の祝祭実績を持つなどして、13世紀になって初めてピウス5世の時世に、ミラノを除く全教会において四週間の祭日が正式に定められたとある。
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モルトの優しい香り

2004-11-25 | その他アルコール


スコッチの話しである。最も素晴らしい物の一つがモルティングの香ばしさである。それを知る前は、ブランディーの香りが良いと思っていた。ワインも分かってくるとそのワイン・ブランディーにはそれほど大きな価値を置くことが出来なくなった。モルティングは、何もウィスキーだけでなくビールの生産にも必要である。その香りはブリテン島のものである。しかし、スコッチ・ディスタリーのそれを知らない。見学の機会も無く、招待の懸賞などにも応募したが残念ながら未だに実現していない。

ピーク・ディストリクトやレーク・ディストリクトやエディンバラ・グラスゴー周辺は旅したことがある。しかし当時はウィスキーの飲み方をまだ良く知らなかった。旅行中は、ラガータイプだけでなくエールタイプのビーアを主に飲んだ。しかしモルティングの思い出は寧ろイングランドのイースト・アングリアでの経験である。古い工場や典型的なモルティングの横長の大屋根の建物に差し掛かると、車内までが前触れ無く香ばしくなる。唯一アダム・スミスの「見えざる神の手」を体感出来る瞬間である。車はさらに郊外へと、背丈ほどの生垣のある曲がりくねった小道へと突き進む。大地所の門を遥か遠くに臨みながら、シャーロックホームズが窃盗団の黒幕を訪ね早馬車を走らすかのように果てしなく行くと、突然曲がり角の向こうから重量級のロールスロイスが重心を横にずらしながら疾走してきてすれ違うのである。

こうして旅情に身を任せるまでも無く、ブリテン島の空気は距離以上に大陸とは異なり、独特の文化を育んでいる。むしろスコットランドはスカンジナヴィア半島との共通点もあるが、ウイスキーの文化的意味は大きい。ロウランド、ハイランド、アイランドと其々特徴があり、新鮮な良い水で注意深く作ったシングルモルトは素晴らしい。飲み比べるようになると、最終的な味の調整である熟成期間に拘らなくなる。スモーキーなものもあればピートを上手に使っているものもある。テースティンググラス風のものに注ぎ、室温の水で割ると柔らかい香りが優しく広がる。ピューアーで飲むよりも香りが楽しめる。
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ヴンダーリッヒ嬢/Frau Wunderlich

2004-11-25 | 
2004 01/30 編集

南仏でプァルツを源とする女性に出会う。偶然に、早世のテノール、フリッツ・ヴンダーリッヒのお嬢さんにお会いした。父の面影も知らない彼女は、著名な父を持ちながら直接の薫陶を得なかった不公平を嘆きつつも未だに世界中で慕われ音源の商品化が進む亡き人気スターへの誇りも忘れない。ダークな髪の色に、目元から口元にかけて紛れもない面影を残す。快活な目元の表情と何処かへと思いを投げかける目は、写真で見る父親もさもあらんと思わせる。それはあたかもタミーノがパミーナの絵姿を彼岸に見るかのようだ。ベーム指揮の魔笛のタミーノの録音に、出だしの初々しい真摯な表情に、このスターの人間性とそれゆえの魅力が聞き取れる。彼女も同じ魅力を分かち持っていて、短いながらも不思議で幸せな時間を過ごした。

ワイン街道から30KMほど北に位置するプァルツ北部のクーゼルという昔から産業が殆んどない町は、伝統的に楽隊が盛んでアメリカにミュージシャンとして出稼ぎや移住した者が多い。そのような地域性を背景に流星の様に現れたのが父ヴンダーリッヒであった。今後も永く根強くアイドルであり続ける。
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鹿フィレ肉のクリーミーな香り

2004-11-25 | 料理


久しぶりに良いものをご馳走になった。実家がパン屋とワイン農をしていた彼女の作るクーヘン類はプロ級なのだが、今回は鹿のフィレ肉とシュヴァーべン風シュペツレである。特に鹿肉は、彼女の義理のお兄さんがマイン地方のアシャッフェンブルグで仕留めてきたのを分けてもらったという。そのフィレ肉を二日二晩、メリケン粉とサワークリームと赤ワインにつけて置いてから調理した。クリームを入れた甲斐があって、通常の鹿の臭みが消えて、マイルドになっていた。

最近此処に記した話題の中でも、特にザンクト・マルティン際前日のルターの誕生日は意外にも知られていなかった。早速身近の新教徒たちに試してみると言うことになった。学業優秀な新教徒と言えどもその辺の知識はまちまちのようである。学校の宗教の時間の内容については、殆んど興味は無かったのだが、そのような知識は二の次なのかも知れない。それともある意味で、それはルターの気宇壮大さを示しているといえるかもしれない。

ワインは、チリの赤カベルネ・ソーヴニオンで卵白の丸みがあって良かった。このミルクの香りの料理にこれ以上のものは無いと思った。食後にトロリンガーをその語源の講釈やエチケットに描かれている市外図の解析を交えながら楽しんだ。鹿の肉塊が如何に柔らかくても口で咀嚼していると、どうしても野性的な気持ちになって狩装束から狩風景へと連想が行くのである。さらに「その連鎖は、ハイデルベルクの狩の館で倒れたオペラ歌手とその娘さんへ」と続くと世紀末作家アルテュール・シュニッツラーのような語りになるのである。
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ドナウエッシンゲン

2004-11-25 | 料理
2004 03/01 編集

ドイツから黒海へと注ぐドナウの源流のである。シュヴァルツヴァルトから注ぐせせらぎがここで初めて川となる。分水嶺にも近いこの町は、フライブルク周辺のバーデンのワイン産地とも、シュツットガルト周辺のヴュテンベルクの産地ともボーデンゼーとも適当に離れているので、レストランのワインも双方から納入されている。ここのホテルレストランで、鹿肉をキノコと焼いたものに手作りヌードルをつけた料理を、カイザーステュール産のシュペートブルグンダーと注文する。19世紀前半からの歴史のあるファミリー醸造所の赤ワインは、薄めの色で渋味と酸味があり、軽い味には核があった。バーデンの焼き肉料理は、色の濃い甘みのあるソースで狩人料理のようにあえたものが多い。このように肉自体にあまり味の付いていない料理には、重い赤ワインよりもシンプルな上のようなワインが良く合う。

ドナウエッシンゲンの伯爵は、宮廷楽団や劇場でハイドンからモーツャルトなどのオペラや器楽曲を上演した。スターピアニストのフランツ・リストはここで三晩のコンサートを開いた。最後のお礼に伯爵夫人であるプリンセス・バーデンにレントラー曲*を献呈した。これら楽譜のコレクションは、1999年にバーデン州立図書館によって買い取られ、整理されている。

* Franz Liszt Ländler in As-Dur 1843



参照:音楽愛好家結社 [ 音 ] / 2005-12-12
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青髭公の二つの部屋

2004-11-24 | 文化一般


クラカウアーの名前が出てきたので、映画の古典的理論書を流し読みした。青髭公の台本作家でもあるベラ・バラージュの「フィルムの真髄」という1930年出版の本である。現代人にとっては余りピンとこない「映画は劇場の代用」という当時の思潮を思い起こした。映像表現としての「空間」と「時間」の理論は、残念ながらその成り立ちからしてどうしても絵画、写真、舞台表現へと立ち返らざる得ない。さらに、当時のイデオロギー上の議論を前提としたクラカウアーの皮肉と逆説に満ちた書評にたじろぐ。

マルチメディアの試みの中で、当時の無声映画からトーキー化における音響(振動)以外の付加要素は今でも一般化していない。人類にとって臭覚など空気を媒体として伝わる音以外の他の要素は、元来その物理的特性から方向性が認知され難いので、n次の空間表現に適していないと云うことのようである。厨房で物が焦げていても、それは間取りを知っているから即座に火を消しに行けるのであって、徐々に焦げていく物を順々に火から下ろすような芸当も不可能だ。そのベクトル表現どころか、未だにそのスカラーを記録再生する装置も一般化していない。現在の一般的表現媒体は、視覚、聴覚に加えて文字とバイナリーに限られる。恰も青髭公の若い新妻の好奇心を誘うかのように、更なる部屋は閉じたままである。

上述の新刊の付録についている後書きこそが読み物だろうが、どれ程多くの読者の興味を引くかは分からない。そこにフーゴ・ホフマンスタールのコメントが引用されている。この古き良き欧州文化の崩壊を嘆き、ザルツブルク音楽祭の創始者である文豪は、映画を「現実逃避としての映画館、大衆嗜好と全能感への錯覚をもたらす」と非難する。それを記した1921年から粗80年の歳月を経て、この映画をマルチメディアと置き換えるとき、PCを前にする我々には新鮮に響く。
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映画監督アーノルド・ファンク

2004-11-23 | 文化一般
2004 02/14 - 02/15 編集

先に報告した映画「山との戦い-氷と嵐の中で」に関して調べると思いがけない発見がある。その世代やら時代が見えてくる。この映画の監督アーノルド・ファンク博士は、ワイン街道から8キロほどのフランケンタールに1889年、砂糖精製工場(砂糖大根からの精製技術の研究所が19世紀初頭にはワイン街道にも存在した)の息子として生まれる。結核など数々の病身で、トーマス・マンの「魔の山」のモンタージュモデルの様にダボースで過ごす。酷寒の山や湖のスケートなどアルプスの自然と出会う。父親の死去に伴ってブライスガウのフライブルクに転居してアビトゥーアを取る。そのころ、近辺の中低山やアルプスでの登攀や写真撮影を経験。その後ベルリン、ミュンヘン大で哲学を聴講後、チューリッヒで化学後に地質学を専攻。この間、モンテローザ登頂の際に映画と出会う。

1915年、「地殻圧力による崩壊無き化石の変形と性質の決定への影響」で学位を習得。志願して兵役。諜報活動部門でカメラ・撮影技術を習得。戦後、折からの就職難、絨緞商などを経て、1920年スキーヤーで物理学者のタウエルン博士と「山とスポーツ映画会社」を創立。そこで制作されたのが、二部作の「スキー靴の奇跡」と映画「山との戦い-氷と嵐の中で」である。その後の活躍は、1925年の会社譲渡を挿んで周知の事だ。1933年、ナチス宣伝省ゲッペレス博士からのオファーを受けたが、入党を拒んだため実現しなかった。それによって、ヒトラーの協力者として第三帝国を「記録」した女監督レニ・リーフェンシュタールが生まれた。昨年逝去した彼女は、ザルツブルク音楽際の創始者 ラインハルトに踊り子として見出され、更にファンクの作品に登場し、彼から多くを学んだのであった。才能ある貪欲な人間がチャンスをつかむのは、世の常だ。一方、ファンク自身は、公の支援が得られぬのみならず宣伝省からの攻撃で経済的にも困窮した。ゲッペルスに「モンブランとフランス人英雄」の映画について叱責された時、ファンクは言った。「閣下、私はこれまで4000メートル級の山で撮影してまいりました。その私がです、どうして急に高山地映画をツーグ・シュピッツェ*の上で撮れましょうか?」。そのような時、大日本帝国文化省から依頼がきた。同盟国日本での風景撮影に彼の経験と技術が駆使され、「侍の娘」(「新しき土」という邦題)が伊丹万作との共作で1936年に完成した。ここに子息の十三が、黒沢、小津、大島、たけしと並ぶドイツ国内での知名度を獲得する伏線がある。

彼の初期映画は、画期的で当時から熱狂的に受け入れられた。アドルノの師匠ジークフリード・クラカウワーも、「ドキュメンタリーとして比較の対象を越えた映画」と評する。ファンク自身、「大多数の観衆を20分も釘付けにさせる事」の不可能を語るように、脚本の重要さを認めている。この映画においても、ヴァリスの秀峰リスカムへの登頂の過程を描くというよりも、前半ではクレパス帯での氷河散策を、ある時はメルヘンの主人公のように、ある時は技術教習シーンのように、茶目っ気を交えて描く。アイス橋を越えたりシュルントを降りたりで可成危険度の高い撮影。しかしあくまでも、女性の同行者とユーモアを失わない。頂上シーンもロマンティックな高揚感は皆無。ハイライトは後半の下降シーンに置かれる。既に別項で触れたように、クラシックなテクニックのステップカットによる前向きのクライミングダウンのシーンは素晴らしい。この模範演技をしているのは何を隠そう、ザンクト・アントンのスキー学校の初代校長ハーネス・シュナイダーだ。シュテムボーゲン・テクニックの創始者のシュナイダー先生だ。彼の登山家としての技量は、殆ど語られていないが、技術的に世界のトップクラスであったのが目の当たりに確認できる。現在であれば、間違いなく各種室内クライミングやアイスクライミングなどで上位を狙える一流スポーツマンだろう。1930年、彼の長野県でのデモンストレーション時にも登山技術が紹介された資料は見つからない。さて、映画はこのあたかも模範演技を、八本指のアイゼンを大写しに緊張をもって描く。外爪過重や体重移動など綿密に繊細に、緊迫の中にも静まりかえる鼓動が聞こえる。第一級の芸術表現。ここからリーフェンシュタール女氏が何を学んだのかは、めいめいの判断にお任せする。その後のシーンでもマッターホルンのテオドールパスを左から右へと流れる雲を「低速写し」で表現する。制約もあろうが、影絵のように氷河に写る人物像のシーンと、ファンクが特写技術を強調したのはこれぐらいか。比較的短いカットでオムニバス風に進む。岩陰での緊急ビバークシーンでもシュナップスをぐい呑みする男女。巨岩から飛び降り雪上に突っ込む人と最後までユーモア満載である。作曲家ヒンデミットは、これらを試写しながら音譜をメモしていった。彼も、この即物的なまでの映像とユーモアに十分対応しながら、友人のために無料で作曲した。

「ヒンデミット賛」と謳ったこの企画、フランクフルトのヒンデミット研究所の支援、ボルボ社の後援でコンセプト的にも更にパワーアップして、今後各地での再演実現を希望する。


*ツーグ・シュピッツェ/Zugspitze 2962m:ドイツ共和国の最高峰。当時は頂上に、気象観測所員が越冬していた。オーストリー併合後も4000メートル級は、第三帝国には存在しなかった。
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涅槃への道

2004-11-23 | 文学・思想


我が積読文庫の中から登山家メスナーを諸氏が哲学した本を、夜中に思いついて探した。その中のインタヴューが面白い。

先ずはカール・ヤスパースの「人は孤独と不審感の意識を持って、自由のなかに潜在的な実存への飛躍をする」に従って、この意識と実現こそメスナーの極限への探訪ではないかと問い始める。彼は、「それは結局、人の限界と脆さを意識させる事」だとして、さらに「極限への追及は、只遊びの価値と可能性を表現するだけ」と模範的に取って返し問答は快調に滑りだす。

精神的活動の内に、満ち溢れる情報を遮断しての生活姿勢等、青年時代の彼を髣髴させる心理を裏づけする。そしてニーチェの超人思想の下、混沌とした現代において全て彼が自由意志で設定した経験の意味が分析される。定まった方向性も保証も無い現代に、その経験によってのみ具象化される「実験上の実存」の意味が定義される。ここまでは、北チロルの大登山家へルマン・ブールを継承したアルピニズムの現代性を示した内容である。

そしてミシェル・フーコの「人は経験の動物」を挙げて、彼は「聞いただけでは懐疑的で、経験してこそ初めて事実として受け入れられる」と答える。

しかし、同じオーストリーのハインリッヒ・ハラーがハリウッド映画「チベットでの七年間」の中で描かれたような飽く迄も西洋の自我として存在したのとは違い、この後継者は当時の高所での涅槃体験記が示すようにアルピニスムの終焉とともに新たな次元へと突き進んだ。マラソンなどのフロー・ステート「巡航状態」を、彼自身は瞑想による忘我の境地と理解する。これは、解脱に至る心頭滅却による転迷悔悟とみなされる。
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「ここからドロミテが一番美しい。」

2004-11-22 | アウトドーア・環境
2004 03/25 編集

髭面で野生的に語るのは、人類最初に無酸素で地球の頂点に立ったラインホルト・メスナー氏である。ここ暫くTVCMに登場して地元の観光局を後押しする。1999年から南チロル選出、緑の党推薦の現実派欧州議会代議士として環境問題などの根回しにも動く。ボルチャーノからも近いメランの城を買って城主となる。シーズン中は観光名所として賑わう。

垂直の壁から高山帯へとアルピニズムの幕引きをしたのち、極地の水平移動へと目標を変える。雪男探しが最近の遠征であった。限界への挑戦の書として多くの若い読者に影響を与えた「第7級」の著者も、ヒマラヤ高山では録音からの書き起こしへと出筆形態を変えた。著者の自己との簡潔な対峙(壁との対峙)から高層での涅槃体験を越えてさらに進んでいった過程は、活躍の舞台が垂直から水平の世界へと、対称から混沌へと変わる空間的イメージの変遷でもあった。

彼は、「もっと厳しい山や気高い山は世界中に有るけれど」と続ける。
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ルーマニアのシャドネー

2004-11-22 | ワイン


今回のキッチンワインは、目を南から東へと向ける。スーパーではスペインやイタリアワインの向かい側の棚においてあったルーマニアのシャドネーを選んだ。可也糖価が高く、咽喉下を刺すのが嫌味である。恐らく醸造後に同じシャドネーのアルコール化する前の糖の残っているジュースを加えて味を半辛口に調整しているのだろう。所詮一本2ユーロの価格なのでこれも致し方ない。ルーマニアは、旧ワルシャワパック下の生産を引き継ぎ、現代化による量産体制を目指しているという。確かに地元のワインよりも安いが、この程度の質では国際競争力に限界がある。キッチンワインでも飲めるワインができないと厳しい。

ザウワークラウトに入れるのが目的で豚スペーアリブの相伴なら、何も繊細なリースリングでなくても良い。この肉もあばら骨の横にスリットを入れて、煮えているザウワークラウトの上に置くだけでよい。火が通れば骨から身はスルメ烏賊のように弾き裂ける。
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子豚の背中の肉

2004-11-21 | 料理
 2004 02/23 編集

ダイデスハイムのワインレストランで生タイムとオレンジで拵えたソースで皮付きの肉を食す。いつものようにドイツ国民の食前酒ピルツビールで始め、食事にはグラスワインを注文する。フォン・ブールからバーサーマンまで名門の並み居るワインメニューから、フォルストのモスバッハの辛口リースリングを選ぶ。選択の理由は、同醸造所のワインがレストランで飲めるのは数少ないことと、一杯0.25リットルの値段が、4.40ユーロと「今日のお勧め、ブールのヴァイスブルグンダー」よりも廉価だった事である。予想は当たり2002年のワインの傾向と、ここの醸造所の傾向が加味されて非常に良い印象だ。モスバッハも試飲してみたい。

料理の方は、オレンジの甘さが豚肉に合い、塩気を全く感じさせない上品な料理であった。
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