Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2022年8月

2022-08-31 | Weblog-Index



晩夏のセレナーデの準備 2022-08-31 | 生活
新管弦楽音響への道程 2022-08-30 | 音
お友達の輪の序奏部 2022-08-29 | 雑感
素晴らしい夏の響き 2022-08-28 | アウトドーア・環境
あれやこれやの試み 2022-08-27 | 雑感
芸術を通した天才の共感 2022-08-26 | 文化一般
プログラムの意思が 2022-08-25 | 雑感
エミュレーションの仕方 2022-08-24 | 雑感  
深夜にはヘッドフォーンで 2022-08-23 | テクニック
作曲家の心象風景を表出 2022-08-22 | 文化一般
眠りに就く前にUBUNTU 2022-08-21 | テクニック
アポイントメント調整 2022-08-20 | 生活
安物セイロン茶の効用は 2022-08-19 | 生活
二十世紀前半のその感覚 2022-08-18 | 文化一般
安定作動で目指す10時間 2022-08-17 | テクニック
プッチーニの純効果 2022-08-16 | 文化一般
晩夏から実りの秋へと  2022-08-15 | 雑感
生中継される「三部作」 2022-08-14 | 文化一般
理に適った扱いを 2022-08-13 | 生活
ベルヒテスガルテン眺望 2022-08-12 | 音
週中日にドナウの漣  2022-08-11 | 生活
塗り潰されていた感興 2022-08-10 | 音
アウフタクトの置き方 2022-08-09 | 女
SP三人の圧力に抗する 2022-08-08 | アウトドーア・環境
美しい中山での風景 2022-08-07 | アウトドーア・環境
虹色のバイエルン通い 2022-08-06 | 生活
エリカ薫る夏の草原の風 2022-08-05 | マスメディア批評
オペラ賞ノミネート推薦 2022-08-04 | 文化一般
美学的な豪華絢爛 2022-08-03 | 文化一般
天使が空から降りてくる 2022-08-02 | 雑感
音楽劇場指揮者の実力 2022-08-01 | 文化一般
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晩夏のセレナーデの準備

2022-08-31 | 生活
さて恒例のお出かけ準備である。先ずは水曜日の行程を確認。バーゼルで一寸立ち寄るので、そこ迄途上スイスのヴィヌェッテを購入したりで、3時半30分ほど見ておく。朝はゆっくりしたいが、何とかピクニックの準備も出来るか。ルツェルンでは16時の約束なので、14時頃にバーゼルを出ても大分の余裕がある。換金や買い物をその間に済ませれる。

ピクニックは欠かせない。朝食も摂っている時間はないので、スイスの湖でも観ながら暫しお昼が出来るといい。その場所はもう決まっている。それで演奏会終了予定時刻が異例の早さの21時であるから、そこ迄頑張ればよい。今回は途中から宿泊先が変わって、近場に戻るだけなので、上手くいけば21時45分には食卓に着けるだろう。

流石に陽は落ちているのだが、晩夏の夏の夜を愉しめる筈だ。昨日までは悪天候が予想されていたが、一通りの夕立ちで済みそうなのでテラスで食事が出来ると愉しい。これだけは運次第である。21時過ぎの外気温は18度が予想されているので、羽織るものを持って行く。普段着は半袖しか持って行かないからだ。

衣装は余裕があるならば向こうで着替えればよいが、急ぐときには結構焦る。あとは早めに燃料を満タンにしておきたい。その時にエンジンオイルを継ぎ足しておく。今日は何とか前日よりも安く入れれるような気配だがまだ分からない。

月曜の朝の走りの帰りに葡萄を見た。触って見ると可也柔らかく、もう二週間ほどで収穫できそうだ。粒も適当な大きさでそれ程密になっていないので潰れる可能性も少なく結構良さそうである。あとは秋が来たところで健康なまま収穫が可能かどうかである。試食してみなかったので、酸の感じは分からないが、いい感じがする。

近所で少し燃料の価格が下がったところ手を打って満タンにした。100ユーロ超えたが、これで往復できればまずまず。宿泊先が変わったことで、ラインの国境を越えて二日通う燃料費一回分が浮く。往復200kmぐらいだから20リットル程、なによりも往復の二時間が省けるだけで、二日目にゆっくりできる。更にハーディング指揮となれば冷やかしのようなものだから、それ程根をつめない。もう少し終演時刻が早ければアプレを愉しめたのだが、

燃料の価格はネットで調べて更新後既に22分経過していた。今喜んで出かけるスタンドは距離的には少し伸びるのだがもう一件に比較すると、信号がなく、一つ村を通過するだけ、だから早い。それでも時間限定のお得価格が終わってしまうとリットルで5セント以上上がる。60リットルで3ユーロ高価に。で飛ばして隣町に入ると、摘み取っている葡萄をつんだトラクター、追い越した。所謂濁酒のようなワインの葡萄かもしれない、もうそこは秋。


参照:
未熟な食品危機管理 2008-10-20 | マスメディア批評
アパートメント泊りの準備  2021-08-30 | 料理
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新管弦楽音響への道程

2022-08-30 | 
昨年11月の「マゼッパ」公演の録音を頂いた。バーデンバーデン祝祭劇場で季節外れの「復活祭」として、新制作の舞台が二年続けてコロナ規制で駄目になり、その代わりに極東旅行がキャンセルされた時に演奏会形式で辛うじて演奏された。11月10日と12日に「マゼッパ」が演奏されて、オープニングのシューベルトプログラムとこれまた本来ならば今再演されるべきショスタコーヴィッチ交響曲10番などが演奏された。

先ず録音の雰囲気が、偶々前日に聴いたその数日後のベルリンでの映像とは全く違う。このラディオ放送時の復活祭月曜日には「スペードの女王」の最終公演に出かけていた。留守録音をしていたのだが、朝一番に出かけてユース楽団の運命交響曲などを聴いたので、六時間ほどで放送は消えて仕舞っていて、無音しか録音されていなかった。そのような訳で、今回始めてマイクを通した音を聴く。

今迄の祝祭劇場での音とは大分違うと感じた。一つには会場のホールトーンがたっぷり入っていて、如何にも欧州最大のオペラ劇場の空間の大きさを感じさせる。確かにコンサート向きの録音ではない。それもあって、音像が奥の方乍左右に広がっている。同時に管弦楽が後ろで演奏しているのだが声と上手に混じっている。管弦楽自体がコムパクトに纏まって響く。十分に奈落のような鳴りになっている。

これはベルリンのフィルハーモニーのワインヤード型のホールではありえない響き方だ。これだけでもこの音で確認した価値がある。ここで聴く音は丁度バルコンなどと非常に似ている。バルコンの方がもう少し身近な感じがするぐらいで、むしろ上階に近い。

そしてその内容は、直後に書いていたものを読み返すとまさしくそのもので、音だけ聴いていると、舞台がなくても大きな劇がそこに広がっているのが分かる。本当に素晴らしい雰囲気がある。カラヤン指揮の怒涛の様な響きは抑えられてニュアンスに満ち溢れている。

この録音を聴けて幸いだった。一つにはウクライナで勃発した侵略戦争とこのマゼッパの歴史をどうしても並べてしまうこともあるからだ。そしてその時に書いていた「スペードの女王」への期待と予測が其の儘実現化されたのを知っている。この録音はアーカイヴ化されて、復活祭の歴史として貴重な資料としてアクセスできるようにしておいて欲しい。現在までのところ再放送された形跡はなく、五カ月遅れながら耳に出来たことはとても嬉しい。

また水曜日のルツェルンでの演奏会へとまた新たな興味も生じた。なにより既に言及したようなシューボックス型のホールでの独伝統配置での楽団の鳴り方と、規模の大きい編成さらにその器楽法の妙を鳴らし切れる唯一のホールだと思われるからだ。ベルリンのフィルハーモニーでも喧しいという評も出て来てどうもザルツブルクでも鳴り切っていなかったようで、まさしくこの交響曲の音響的な特徴とそして指揮者ペトレンコが基礎づくりしてきた新ベルリナーフィルハーモニカーがどのように鳴るのか。

ショルティ指揮シカゴ交響楽団のそれを乗り越えるときがやって来たのか。要するに大交響楽団が新たな時代へとマーラーの七番を通して突入していくのかどうか。昨年のスーク作曲「夏のメルヘン」の演奏に既にその道程が示されていたのだ。



参照:
牛刀割鶏にならない偉業 2021-11-11 | 音
人生における省察の日 2021-09-09 | 音
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お友達の輪の序奏部

2022-08-29 | 雑感
水曜日のマーラー作曲七番のお勉強をしている。金曜日の批評が出てきていて気になるので、他の録音を聴いてみた。やはり問題は第一楽章が全てだと思っている。今迄の批評を纏めると、その批判は一楽章の冒頭から為されていて、四楽章のフィナーレから逆算しての演奏解釈だというのが典型だ。要するに明る過ぎると、同じ筆者らしきがブラームス作曲二番を指して陽が射さないとしたのと正反対になっている。

その印象が何処から来ているのかがとても気になった。大きな音色的な影響はテノールホルンのぷかぷかと鳴らす印象もあるが、まさにどうしてこうした音色を求めたのかとなる。今回の開幕演奏会のプログラムには執拗に、ドロミテに避暑を動かしてからも、嘗ての湖の小舟のオールを思い浮かべたようにとなっているが、まさにあのぷかぷかはそうとしか思えない。

しかし、手元にある名録音を聴いてみても、ペトレンコ指揮のもの以外ではアバド指揮シカゴが効果的な音を出している。それ以外の本来ならば最も端折ってペトレンコと匹敵する音を出せるブーレーズも引きづった指揮をしていて、彼の晩年のマーラー演奏実践に共通している。要するにバーンスタインのそれを踏襲しているに過ぎない。その中で本人の指揮の屈指の録音であろうラトル指揮のオルドバラでのライヴもよりそこで何かを表現しようとしている。それらの演奏実践こそが批評家の判断基準にあるようだ。因みにミュンヘンでのヤンソンス指揮が代表的とする評者も嘗ていた。

実際にこの導入部の指揮は、可也そうした演奏実践に寄る所も多そうで、とてもこの曲を詰まらなくしている側面もあった。皆が皆そこ迄踏襲しているにはそれなりの理由があるのだろうが、そこまでの必然性は読み取れなかった。水曜日までに何か結論が出るだろうか?それでもぷかぷか感は調性的な不安定さにも付き纏うもので、シェーンベルクが歌曲集などでやった浮遊感にも繋がる。マーラーにおいては浮遊はしていないのだが、それに近い感興はこの楽譜からも読み取れるかもしれない。

シカゴで思い出したが、ショルティが指揮していたマーラーの歌い方や伝統がこのアバド指揮のシリーズには何らかの形で残っているのだろうか。六番の録音でも立派な演奏をしていた。ここでもやはり上手いと感じた。結論には未だに至らないのだが、なにやら糸口は掴めてきた気がする。

新聞の秋の博覧会や催し物の一覧表を見ていたら、バーゼルの劇場でエンゲルがマルタ―ラー演出「魔弾の射手」を指揮をすることが書いてあった。再演かと思ったら新制作だった。批評を参考にしてと思ったら、それが無いので分かった。更に見ていると、室内楽団と書いてあったのが、友人のいる楽団だった。これは平時のこの劇場の演奏よりも面白いと思って、我慢が出来ずに安い席を確保した。前回行ったときはご招待だったので初めて席を選んだ。

そしてその奏者の旦那と会う約束をしていたので、早速アポイントメントをオファーすると、出かける計画となって簡単に決まった。彼とエンゲルでは若干年齢差もあり、狭いスイスと言えどもチューリッヒとバーゼルではあまり繋がりがなかったのかもしれない。お友達のお友達はお友達。嫁さんの割り当てでは初日の招待券はないと、気持ちだけは有り難く頂戴した。



参照:
素晴らしい夏の響き 2022-08-28 | アウトドーア・環境
あれやこれやの試み 2022-08-27 | 雑感
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素晴らしい夏の響き

2022-08-28 | アウトドーア・環境
久しぶりの落雷停電だった。無料券で18時過ぎからのディジタルコンサートホールを生中継から、過去アーカイヴへと移って流し続けていた。23時30分は過ぎていたか、ブラックアウトになった。早速、デスクの前のボードのヘッドランムプをつけて、いつもの蠟燭に火を灯した。遠雷であったが当分回復しそうにないので、就寝することにした。それでも零時を回っていた。

やはりWLANも切れ、電話も掛からないとなると為すすべもない。タブレットに入っているフランス映画などを観ながら大人しくしていたが1時半ぐらいかに点灯した。その時のことを考えて、もう一度電源が入った時の危険性をチェックして起き上がろうと思っていた時だ。結局階下のラムプを消し忘れていた。やはりそういうことは仕方がないので、消し忘れるのが普通だと思う。炊事時に地震などの時は誰でも消し忘れるだろう。

それで安心して就寝したが,少なくともその間冷蔵庫には電気が流れていないことも先ほど気が付いた。幸い雷雨があって十分に冷えていたので関係はなかったが、夏の暑い盛りならば、生鮮食料品の痛みも早くなっただろうと思う。

さて、生中継は先ずは怪我の指揮者ペトレンコが普通に歩いて出てきていて安心した。高椅子に腰を落とす感じで、右足のギター奏者の足台のような物を使って、結構立って指揮もしていた。流石に最後の答礼でチェロソロ奏者を立たせるのを忘れる程痛かったっ様で、踏ん張り過ぎていたようだ。

例年の事で、二回目のザルツブルクで少し抜いて指揮をしてもらえばそれでいいだろうか、ルツェルンでしっかりとやって貰いたい。音楽的な細かなことはもう少しお勉強して、実演後のネタとして置いときたいが、印象は結構強かった。

なによりも余り動き回らないので、身体の軸が安定しているようで、落ち着いた音が出ていた印象がある。良し悪しではないが、何か今後にいい影響を与えそうで楽しみである。ペトレンコ指揮の音楽の最大の利点は引きづらないことで、テムポを上げたから解決するものでもなく、早くても弾きづる指揮者も少なくない。反面、曲によってはもう一息入れたいと思わせることもある。特に独墺系の核レパートリー指揮で思わせることであるが、今回のマーラー作曲第七交響曲では、それは一つの曲の特徴として作曲家の当時の状況として活きていたと感じた。

そしてコロナ後初めての独伝統配置での響きは素晴らしく、ミュンヘンで絶賛されたライヴ録音のCDを彷彿させた。これだけいい響きのベルリナーフィルハーモニカーは初めだ。ピッチも何か安定してきているようで、疑問点が悉く解決されて行っている。弦楽の上手さは米国のビッグファイヴのそれを超越して更に木管が絶妙につけている。響きに関してはやはりフィルハーモニカー自身が語っているように、「スペードの女王」での奈落の響かせ方が、ビフォアーアフターで効いてきているようで、素晴らしいとしかいいようがない。

独伝統的配置がよく鳴るシューボックス型のルツェルンの会場でどのような響きとなるか今から余りにも期待が膨らみ過ぎる。



参照:
ベルヒテスガルテン眺望 2022-08-12 | 音
人生における省察の日 2021-09-09 | 音
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あれやこれやの試み

2022-08-27 | 雑感
金曜日の晩はベルリンからの生中継となる。DCHの無料券があるので使おうかと思う。通常ならばアーカイヴを待つのだが、今回は来週のルツェルンでの実演前に聴いておきたい。それならばラディオだけでもいいかもしれないが、指揮者の足の故障もあり、やはり生で観たい。

記者会見の様子によると、怪我をしたのは夏休みが始まって最初とあるから七月の事だろう。そして直ぐに手術で、今回も座ったり寄りかかったりの間で試すらしい。それならばもう一つのプログラムもとも思い、なによりも早く公表すべきと思った。しかし、最後まで開幕も振れるかどうかは不明だったのかもしれない。その言い訳に足からの運動が指揮に重要でという説明がなされている。

今晩は夕立があるようでこれで秋らしくなるだろう。乾燥しているので今夏は暑くはならないと思っていたが最高気温月平均としては取り分け高かったかもしれない。八月中盤以降にこれほど気温が高かったのは珍しい。明日以降は平年並みになりそうで、朝晩は冷えて来そうである。旅行でのテラスの一時も気持ちよくなる。

購入していたクヴァ―クの賞味期限が木曜日で切れていた。それでもなにも変化もなさそうで、そもそもヨーグルトもこれもどのように傷んでいくのかよく分からない。チーズはカビが生えてくるが、残りかすのようなこれはどうなるのか。少なくとも食せるのでいつものように投資して合わせた。生のキュウリがないのでイタリアンパセリなどで誤魔化した。これはこれで美味い。レストランによって様々な工夫がしてあるが、試してみないと分からない。

来週の旅行用も考えて、安物ティーバックのエールグレーを購入してみた。先ずはアイスティーにして淹れてみると悪くはない。しかしもう一つのアロマなどに欠けるのは致し方がない。やはり、気軽に淹れてとなるのだが、夏はもう終わりで冷やして飲むことも少ないだろう。但し先に試したセイロンティーとこれがあれば、コーヒーが手元にない時の足しにはなりそうでなによりも安い。来週の旅行日の水筒に入れていくのは悪くはないと思う。そして朝食用にはセイロンティーを持って行く。

言及済みであるが、マーラーとチャイコフスキーの代表作「スペードの女王」」との繋がりは強く、宮廷劇場では1902年から1906年前の間に26晩も振っている。そしてアメリカ初演は最後の演奏旅行でこの作品をアメリカ初演している。チャイコフスキーからの影響は至る所に見いだせるマーラーの創作活動であるが、この作品に限っては改めて纏めてみないといけないであろう。ただ感覚的に分かるのは、その自身のアイデンティティーと社会との関係である。そして開幕演奏会のプログラムには、見かけ上のそれがシーズンのテーマになっていて、ペトレンコのブレーンであるクラスティング氏は、アルマで出てくる前にマーラーと付き合っていたナタリー・バウワーレヒナーとのブレヒテスガルテンやティロルでの山歩きなどについても言及している。勿論、中間の夜想曲におけるモーツァルトからのつまり「アイネクライネナハトムジーク」と「ドンジョヴァンニ」のセレナードとの繋がりに関しては言及せずにはいれないだろう。そして、クラスティング氏の文章に戻るなら、よりリヒャルト・シュトラウスとの関係に導くと同時に、アルマの登場によっての二つ年上のナタリーの影が失せてしまったことに意味を持たせている。



参照:
安物セイロン茶の効用は 2022-08-19 | 生活
プログラムの意思が 2022-08-25 | 雑感
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芸術を通した天才の共感

2022-08-26 | 文化一般
承前)華美なネオロココ景で描かれたチャイコフスキーの心象はモーツァルトを通して描かれる。モーツァルトの楽曲が歴史的に偉大な芸術として輝くのは、または天才作曲家の仕事として輝くのは、その内心の描き方である。取り分け評価される楽曲は、後期のオペラ作品とピアノ協奏曲である。とくに後者において天才作曲家の生涯がその心象風景として記録されている。その手紙でも有名な身辺への気遣いの社会の中での自身とその内面心理を対置させ乍ら、客観化から高度な芸術へと高めている。勿論チャイコフスキーが魅了されたのもその芸術性であったことが復活祭の制作によって明白になっていた。それゆえにこの作品がチャイコフスキーにおいて欠かすことが出来ない作品となっている。

言及した様に二幕に描かれているのは、弟のモデストによってテキスト化され劇中劇で描かれるのは、まさしく少年モーツァルトが大人の世界を見ながら自己の振る舞いを定めて行ったのと対応するかのように、バイセクシャルなチャイコフスキーにおいてはフェークな家庭環境があり、そうした虚構の社会に生きていたという客観が描かれている。そうした境遇にあるのが運命であるとするのはチャイコフスキーの一貫した芸術表現であった。

だから、指揮者のペトレンコが批判するように、お涙頂戴の西欧的なチャイコフスキー解釈ではその音楽表現の本質は描かれないとなるのは当然なのである。改めて悲愴交響曲の二楽章でどうしてあのような瀟洒なカフェーの笑いが描かれているのかなど幾つもの謎を解く鍵がここにある。

そこにはチャイコフスキーの天才モーツァルトに対するその芸術を通しての共感があるのだが、我々としてはここまで深堀りしているこれまた天才指揮者ペトレンコの共感のありかたがとても気になる所でもある。

ペトレンコの劇場指揮者としての力量は、その職人的と言われる才能と経験、教育から生じている実力は、万人が認める様に否定しようがない。同時に命題でもあったペトレンコ指揮のこうして実現化したスーパーオパーとしか名付けられないようなオペラを超えた音楽劇場表現をどのように評価するかである。世界的に評価を受けたミュンヘンの音楽監督としてのそこでの指揮活動での成功とその一方演出への不満など溢していたのを耳にするにあたって、今回のように音楽に徹底して対応して尚且つその内容を強化したり明晰化する舞台づくりが必要とされたということになる。謂わば理想の舞台化と音化がそこで目されていて、その舞台によって、劇場的な効果によってこそ初めて、今回の様にチャイコフスキーの芸術の心情へと直截に触れることになる。

オペラ作品はどの作曲家においても歌を伴うことから器楽における抽象的な表現とは異なる。その作曲家の独自の具象的で言語的な表現への理解に近づくことが可能となる。ただそこには作曲家特有の劇場表現法が存在する。それを如何にして音化して舞台表現と矛盾なくお互いに補えるようにするかということでしかない。

兎も角、チャイコフスキーの音楽をここまで深入りして読み込んで音化出来る人は他にいなかった。しかしこうした表現形態が一度示されると続いて来る人はいるに違いない。でもそこまで出来るのが天才であるから、今後もなかなか簡単には出ないだろう。(続く)



参照:
真正ハイカルチャー 2022-05-29 | 音
マイオーケストラとの日々 2022-05-03 | 暦
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プログラムの意思が

2022-08-25 | 雑感
指揮者キリル・ペトレンコが負傷のニュースが飛び込んできた。それも足を折って、大負傷というのだ。すわ大事故かと思ってみると、足を骨折したようである。少なくとも通常の交通事故などではなさそうである。続報を待ちたいが、先ずは前日に言及していたように練習していないであろう二日目をキャンセルとした。初日のマーラープログラムを振るのは準備が出来ていたからだろう。

そこから考えると、シニトケの練習に入る前に自宅と練習場の間で足に怪我をそれも複雑骨折となるだろうか。つまりドアに裸足の指先をぶつけて骨折とかではない。あり得るのは上からダンベルとかバーベルとか落とした、そうした感じだろうか。それでも可也の重さでないと手術でとはならないだろう。完治にも時間が掛かるだろう。11月の米国ツアーに普通に歩行が出来るかどうかは疑わしい。

座っての指揮もしばらく続くと思う。やはり指揮も変わってくるのではないか。技術的にも卓越している人であるから、その点は問題がなくても、フォルテの出方なども変わってくるだろうと思う。肩を痛めない様にもう一つ上の指揮をして欲しい。どうしても我々にはムラヴィンスキーの指揮ぶりが浮かぶのだが、どこかで変わってくるのは織り込み済みだ。まだ十年は早いだろうが、今迄のような指揮ぶりが出来るのもそれ程長くはない。

そこで開幕日とザルツブルクでのツアー初日からルツェルン、ロンドンも初日は其の儘。ただし二日目の初めてのシニトケは既に代わりのハーディングが練習をしたようで、プログラム変更になっていて、後半に既に振っているのであろうブルックナーの交響曲四番を持ってきた。返金して欲しいぐらいであるが、夏のオープンエアーでのミュンフィナ―フィルハーモニカーでの指揮はまずまずで無駄ながらも其の儘出かける。復活祭にあったようにネルゾンズ指揮でなかったのが幸いで、まだ聴いたことのない指揮者の方が僅かながらでも楽しみはある。でも高額なだけに返金して欲しい。

前半のシニトケはそれでも少しはお勉強しておく。後半のブルックナーは今迄コンサートホールで最も多く聴いた曲かもしれない。少なくとも最近だけでも、ゲヴァントハウス交響楽団、ヴィーナーフィルハーモニカー、そしてベルリナーフィルハーモニカーの演奏で聴いている。特に最後のはラトル指揮だったが、コロナ期間中にもブロムシュテット指揮で券を買っていたので、それを取り返すことになる。

本来演奏される筈だった後半のショスタコーヴィッチはバーデンバーデンで昨秋に練習から本番へと二回聴いていたのでその変遷も興味あり、直しどころも分かったと思うが、曲が曲だけにそれ以上ではなかったのではなかろうか。正直このプログラムの意思はもう一つ測りかねていた。

アンドロイドエミュレーターのAnboxはSnapシステム導入で立ち上がりにも影響を与えるので駄目なことが分かった。道理でUBUNTU開発者は利用を避けたい筈だ。大きなプログラミング用のエミュレーターはウィンドーズでも使ったことがあるので知っているのだが、そこまで使う必要がないというのが本音であり、モニターも時々筋が入ったりするとなると、やはりそれほど欲を出すのはやめようかとも思っている。小さなプログラミングでアンドロイドアプリが使えないものかどうか。



参照:
エミュレーションの仕方 2022-08-24 | 雑感
針の様に指に刺さる髪 2021-03-10 | ワイン
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エミュレーションの仕方

2022-08-24 | 雑感
来週の準備の為にマテリアルを探った。先ずは木曜日に演奏されるシニトケのヴィオラ協奏曲の楽譜を探した。ネットにはピアノ譜が先ずは見つかった。更にいつものようにロシアサイトで見つけると昨年12月にDLしてあった。手書きのファクシミリで、最後に1985年7月2日アルフレードとしてある。最近も話題になったプーティンの音楽家バシュメが初演している。記憶もあり結構早い時期に西側でも演奏されて放送されたような記憶がある。

そして音源を調べるためにベルリンで演奏されているものをDCHで探したら全くなかった。驚いたことにシニトケ自体が無かった。ベルリンで演奏しないでツアーに持ち出すのは今の体制としては初めてだ。ヴィーンでは同地のフィルハーモニカーの定期公演でアントワン・タメスティと演奏している。それが唯一である。要するに今マーラーの交響曲七番と共に練習するだけで、が最初の演奏、二晩目がルツェルン、三晩目がロンドンである。後半のショスタコーヴィッチ交響曲10番は既にベルリンで三晩、バーデンバーデンで一晩演奏しているので、ロンドンで七晩目となる。可也の名演となることだろう。

曲もそれほど長くはないので、マーラーと合わせての練習時間は十分にある計算のようだ。ペトレンコ指揮の協奏曲演奏はベルリンのフィルハーモニカーの伝統かもしれないが合わせるのが主となっている。つまり今年のオープニングツアーは僅か三曲しか演奏されない。

金曜日にはシーズンオープニングなので、一週間ただ券をどこで使うか。後で欲しいのは旅行中の途上で聞けたらとは思うので、最長9月1日(木)までである。初日は一週間前のオープニングであるが、アーカイヴのハイレゾも流さないといけないので、金曜日から週末に集中することになる。水曜日に出かける。

まだハイレゾ再生していないのは、「マゼッパ」、「イオランテ」、「人生の成熟」、「スペードの女王」、「ヨーロッパコンサート」、「ロストジェネレーション」、「ヴァルトビューネ」の中から選択すればよい。順番としては、「イオランテ」、「人生の成熟」、「ロストジェネレーション」だろうか。

ここで浮かんだのが、DCHのハイレゾ配信はアプリケーションを使わないと受けれないという事だ。ウィンドーズではエミュレーターであるブルースタックスを使って、DACにリアルテックを使って96kHzで送っている。今回モニターが使えるようになったLINUXの音楽専用PCでも使ってみたくなった。LINUXでのアンドロイドエミュレーターとしてAnboxというのがあるらしい。それ程容量を消費しないならば早速試してみたい。なんと言ってもLINUXオーディオは優れているので、上手く行けば少なくとも音質だけは可也いいものが再生されるのではないかと思う。

LINUXは機能を増やす度に何らかのプログラムを展開してやらなければいけないのだが、用途を限定して使う限り、それ程複雑にはならないと思う。最初はウィンドーズと同じようにLINUXで総合システムにして使おうと試みていたのだが結局面倒で使いきれなかった。しかしこうして機能を限定すると一寸嬉しいシステムが全て無料で構築可能となる。



参照:
深夜にはヘッドフォーンで 2022-08-23 | テクニック
エミュレーターの使い方 2021-06-07 | テクニック
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深夜にはヘッドフォーンで

2022-08-23 | テクニック
週末のハイライトはバーデンバーデンからの初めてのオペラTV中継録画放送だった。独仏文化公共放送Arteが復活祭に撮影した映像がお茶の間に流された。残念ながら日曜日の23時10分からの放送で、最も視聴率の低い時間帯のだったろう。それでも関係者は歓喜した。大きな広告となり今後の碑となるからだ。

ネットでしか放送を観ない者にとってはそのオンデマンドと生中継との関係が分かり難い。例えば独墺瑞西の共同チャンネル3SATにおいてはネットでの生放送とオンデマンドの差はない。だからArteでも早朝からオンデマンドになるだろうと待っていたら早朝には上がっていた。直ぐにベットから起き上がってDLして流した。そこから今まで何回流したことだろう。

そのオンデマンドは2時間43分52秒で2.6GBしかなかった。音質も125kbsと悪かった。今回は後に有料化されて劇場などでダウンロード可能となるので、幸運ならば若しくは強く求めていけばDCHでもハイレゾで出る筈だ。だから質は後回しと考えた。

しかし、深夜試しに録画の準備をして待っていると、オンデマンドとは明らかにいい画像と音質でライヴネット録画放送が始まった。幸い上手に画面コピーと録音が出来たようだった。夜更けなので久しぶりにモニター用AEGヘッドフォーンで音を流した。何度流しても飽きない内容で、舞台だけでなくぎっしりと内容が詰まっていて充実感が違う。

それに先立って、引き続きLINUXのPCの調整をしていた。一つは筑波大学が提供しているVPNを現有の音楽専門PCにインストールした。残念ながら以前のようにNHKは入らなかった。簡単には地域ブロックを越えられない ― 丁度日本でこちらの放送がブロックされるのと反対の関係になる。しかし4月からEUでは使えなくなっていたYAHOOジャパンは観覧可能なことを確認した。少なくとも旅行用に今後も必要な時に使える。先ずはそれでよい。vpngate-with-proxyをキーワードで同じシステムをインストールした。とても使い良い。

今後は昨秋購入したブルーレイ焼き付け器の接続とそれを使ってのブルーレイの再生をLINUXで行うことぐらいだ。旅行前に購入しておきたいのは、一つは洗浄液で、ミニノートブックなどを旅に持ち出すので、帰宅後に清掃するものもある。特にキーボードやケーブル類などは気になる所だろう。今回は二泊だけなのでマウスは要らないか。

現行の音楽PCは、システム構築時にモニターが壊れていたと書いたが、もう一つの古いものとは異なり動画再生能力はある。そこで久しぶりに使ってみると壊れていたかに思われた付属モニターでも結構使えることが分かった。少なくともチェック用としての機能は十分である。

そこでメインのウィンドーズノートブックで行っているモニターコピーの録音録画機能と同等のLINUX用のソフトを探す。旅行用に下したミニノートブックはモニターも貧弱だったのでシムプルスクリーンレコーダーというのを入れてあるが、現行のノートブックには更に良さそうなOBS Studioというのを試してみようかと思う。余り容量は使いたくないのだが、使える録画が可能か、特に音声が綺麗に録れるかどうか。



参照:
作曲家の心象風景を表出 2022-08-22 | 文化一般
美学的な豪華絢爛 2022-08-03 | 文化一般
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作曲家の心象風景を表出

2022-08-22 | 文化一般
承前)二幕が起承転結の転となっている。まさしくこの幕がフェークであるネオロココの為に作品自体の価値をはかり難くしてある。なぜならばチャイコフスキーによるモーツァルトのパロディであるからだ。しかしそれに初公開された中継映像で更にその音楽的なハイライトをも確認した ― 祝祭劇場初の公共放送TV初の中継録画放映となるようで大きな宣伝効果に沸き返っているが、同時に有料の祝祭劇場とベルリナーフィルハーモニカーのサイトでの公開がオンデマンド終了時にでも準備されているので、地域ブロックも掛かっているようだ。

その華美な場面の間に挟まれる愛の表現もフェークとなっていて、ここではセックスプレーに続いてヘルマンのカードへの固執が示されることでその虚構性が強調される ― そもそも「スペードの女王」のカードの極秘などがフェークであり、今回の演出においてそれは抜かりなく、上下の二層構造で上手に繋がれていた。

正直なところ娼婦の館のサロン場面があまりに大きかったのでその劇中バランスがよく呑み込めなかったが、カメラの近接による演技の細部やらに注目するとプロポーションは大分よくなった。出演者など総勢300人規模の制作となったようだが、二晩8台のカメラを回した。つまり初日と第三夜となる。

二幕の「ドンジョヴァンニ」や「魔笛」のパロディーでチャイコフスキーの代表的な舞台作品を評価するのには抵抗があるのは当然だろう。しかしそれゆえに今回の制作で取り分け大きな意味合いを持った。そしてそれが大きな感動を呼んだ。

演出としては、勿論その虚構構造がプーシキンにおけるニヒリズムとして表現されるという劇場効果のドラマテュルギーがある。飽く迄も論理的な構造として、50年前の原作に描かれた女帝カタリーナの百年前を映し出す創作である枠組みの中に、主人公ヘルマンによる上の場面で語られる賭博によって富を得ることで全てが解決されるという幻想、そして性的な虚構における享楽である。

しかしこの点だけならば演出上のアイデアの域を出ないので感動には繋がらない。そもそも一幕における長机はその後ろで歌手の声を反射させてマイクへの集音を悪くしている様でもあり、実際に会場においても奈落の管弦楽の表出力に比して若干距離感を持って感じられた。その効果が収録としても映像としてもここで捉えられている。但し冒頭にあるヘルマンの影は後の場面から切り取られて張り付けられており、その価値は制作映像評価としてまた別に論じられるべきであろう。

今回の演出の核は上下二段構造における使う枠の制限であり、明らかに抑圧的な印象を与え続けた。最も大きな空間がサローンであり、廻り階段で繋がる上段のやりて婆の寝室若しくはヘルマンの部屋が最も小さな空間だった。それより狭いリーザの部屋のバスルームで部屋の主は後に殺害される。それに対して舞台横幅一杯ながらも長机で下部が更に上下に区切られた冒頭景のヘルマンの座る酒場と最終幕の賭博場。それに対して中間におけるこの場は上からは抑えられているものの上手へと開かれた感じになっていて奥では花火が為されるとする虚構の空間が広がっている。それは其の儘チャイコフスキーの心象風景であったのだ。(続く


ロシアの手早い全切り取り職人の仕事ぶり



参照:
オペラ賞ノミネート推薦 2022-08-04 | 文化一般
美学的な豪華絢爛 2022-08-03 | 文化一般
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眠りに就く前にUBUNTU

2022-08-21 | テクニック
就寝前に二つのPCを弄った。両方とも音楽用として使っていたLINUXシステムの新旧で、古い方は先日バッテリーを替えて旅行用の汎用にしたものだ。二つの似たようなシステムを同時に弄ると問題点や改良点が見えてくることが多い。

その差異で片方で上手く使えているものがなぜ他では使えないのだろうかと試していると、思いがけない問題点が見つかった。現在音楽用にしているのは昨年の秋から転用したもので、その時に新しいSSDにMINTシステムを構築したものだ。しかし転用前からモニターに横縞が入るようになっていて、酷くなるとそのモニターでは仕事が出来なくなって、買い替えの理由になっていた。幸いリモート操作が出来るように最初から設置したので、本気でモニターを見ることなく、使用可能だった。

上の状況つまりWINDOWSでもLINUXで障害が出るモニターはハードの故障と判断が下されていた。しかし、ドライヴァーなどをアップデートすると改善していた。そして結構モニターも使えるようになっていた。そして今回調べていて、更に気が付いた。古いPCに入れてあったUBUNTUスタディオというのを新しい方に入れていなかったのだ。モニターが最初から真面に機能しない状態でリモートで制御している具合で気が付かなかった。成程再生のオーディオ出力を調節してやったりと確認作業は余分にあったのだが、録音するときの所謂ループモニターに相当の切り替えだった。

そのプログラミングは完全にインストールすると完全に音楽専用となるもので、今迄は未だ試していない。そうしたハードテューンするだけの信頼性が古いPCにはないからで、誤魔化しが利かないことはできない。何とか騙し騙し使えればよいのだ。

しかしそこで重要になるコントロールとスタディオはMINTで使える。それをやっていなかった。そしてインストールすると新しいシステムのコントロールが嫌に細かになっていた。使い切れていないが、先ずは設置した。やはり音が変わった。特にハイレゾの臨場感が凄い。上で言及の切り替え無しにメインをDACと設定しておくと、直の再生がデフォルトとなる。

正直古いASUSのPCに比較すればフルのノートブックであるSIEMENSFUJITSUが悪い筈はないと思っていたのだが、製品上も問題があり、その期待にそぐわずで若干失望していた。しかしこうして改めて調整してみるとPCプレーヤーとしても可也いいことが分かった。

通常のボストンからの中継録音もスタインウェーが凄い勢いの空気感で鳴るようになった。嘗てアナログのオーディオ機器をちょこちょこと弄っていた事が馬鹿にしか思えない。特にLINUXは機械言語にあっているので、ドライヴァーを使ってもメーカーの思惑とは関係なしに思い通りに動かせる。遠くへ飛び立つ無人宇宙船の操作などで本来は考えれていなかったエンジンの使いからやスイング飛行させたりの時にそうした話を耳にするが、PCを遠隔操作しながらのハードの再生にはそうした喜びがある。如何にウィンドーズシステムが枠内の中でしかハードを制御していないかがよく分かる。

珍しく、就寝前のコムピュータ仕事を終えて気持ちよく眠れた。来週末のラディオ放送の録音も楽しみになってきた。録音自体は以前と全く変わりない筈だが、再生して直ぐに成果をよりよく吟味可能となる。



参照:
高弦のさらさら感を聴く 2021-09-26 | 雑感
ワークステーション仕舞 2021-09-20 | 生活
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アポイントメント調整

2022-08-20 | 生活
ルツェルン行でのアポイントメントを調整している。上手く合うかどうかは分からないが、先ずはメールで確認事項を書いておいた。要件とは直接関係ないのだが、昨年からのティテュス・エンゲルの公演に出かけたことについても書き加えておいた。スイス人だから関心があると思った。

先方とは前回会ったのはバーデンバーデンの祝祭劇場であった。それもキリル・ペトレンコの祝祭劇場デビューの演奏会でラトルの後任に任命されてから客演指揮者としての訪問だった。その時のサウンドチェックなどがその後に活きている。2017年4月8日土曜日に演奏していた。

調べると前日金曜日が初日で「トスカ」、翌日日曜日がマーラー6番をラトルが振って、火曜日にはザルツブルクにツアーに出ているようだ。ペトレンコは前日の初日を客席で観ていたのだろうか。

税金のネットポ―タルの申請だけしておいた。申告には使わないのだが、固定資産税に関してなにかは要らないといけないようなのである。面倒だと思うのだが、また税務当局の嫌がらせを受けると大変だからだ。結局郵便を待たないとアクティヴできないので待たなければいけない。手を付けておけば何とかなるだろう。

未だに紹介していなかったが、ミュンヘンのオペラの新しい体制でのプログラムである。そこには新制作につき一つのポスターが折られて挟まれている。邪魔にはならないので誰も文句は言わない。それどころか広げてみる楽しみがある。そして壁に張ろうかと誰もが考えるだろう。私も初めての新制作から都合四つの新制作に通った。今迄で最高の数だ。その二つが音楽監督ユロウスキーの指揮、もう二つが偶々エンゲル指揮となった。そしてこうして広げてみると色調が暗い。成程三つとも話しの内容がそれ程華やかではない。もう一つの「ジュディッタ」の色調は明るいが、反戦劇でもあった。「鼻」は青緑、「ジュディッタ」が桜色、「ブルートハウス」、「トーマス」は緑色、「ルーダンの悪魔」紅色のプログラムとなっている。明らかに三つ目は五月に合わしての感じである。色分けで分かり易いのだが、二年目がどうなるのか、それによって溜まってくると混乱するような気もする。年毎にどれ程変化させていくのかどうか。

少なくともポスターに関しては喜んで張っておける様な色調ではなかった。でも恐らくドルニー支配人による最終チェックで承認されているからにはライフスタイル的には合格しているのだろう。

ルツェルン旅行に三本足のアダプターを持って行っておこう。最近はホテルなどで困ったことはないのだが、アパートなどはよく分からない。もう一つ、USB差し込みも二つ穴を持って行きたい。今回は録音等はないとは思われるが、手元で二つの充電が出来る方が使い易い。



参照:
三本足プラグは必携 2019-08-26 | 生活
痛みを分かち合う芸術 2022-05-27 | 音
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安物セイロン茶の効用は

2022-08-19 | 生活
安物のセイロンティーを購入した。個人的にはドイツの紅茶は飲まない、安物紅茶は最近はリプトン黄色ラベルしか飲まなかった。しかしはこの大きさと最低価格のハーブティー程度の価格でスーパーチェーンの独自ブランドで出ているとなると試してみたくなった。つまりハーブの場合は25ティーバックで65セントだ。しかしセイロンは50袋で89セントである。ハーブティよりも安いお茶が存在するとは知らなかった。

先日購入したのがダージリンのファ-ストフラッシュで勿論高価で100gの10ユーロだ。これはティーバックでも87.5gである。十分の一の価格。思っていたよりも差がない。如何にティーバックが高価か。逆にローズの茶葉を買えば意外に安上がり。最近はバックだけを購入して葉をつめて淹れるようにしている。葉を浮かせれるので淹れ過ぎにならないのが良い。

それにしてもとフェアートレードがなされているのかと心配になったがレインフォレストアリアンス印が付いていて、搾取はされていないという事だろう。先ずそれで安心して早速淹れてみた。全く悪くはない、何よりもティーバックで浅くも淹れられるのが都合が良い。セイロンの細かなやつは幾らでも出るが、不味くなるだけだ。

少なくともブレックファーストティーには惜しみなく使える。以前は旅行にリプトンを持ち歩いていたがこれでいいと思う。コーヒーを淹れられなくてもこれで代用が効く。もう一つバック数の少ないエールグレーも出ていたが、一寸そっちは拘りたいのである。これで次の旅行の持ち物が選別可能となる。

朝晩は冷えてきた。バルコンにいると寒くなる。そして初めてお昼でも窓を開けて快適に過ごせるようになってきた。岩に触りに行こうと思ったが雨が振って来て順延とした。壊れた窓枠を職人が見に来た。結局金具を発注しないといけないのでもう一度付けに来る。上を開けておけないと空気が流れないのでこれからは不快になる。旅行前に直せて仕舞えるといいのだが、部品さえあれば10分ぐらいで直せることが分かったので計算可能だ。いいことばかりかと思っていると、八百屋の緑の野菜が値上がりしていた。もう暫し愉しみたいと思っていたが、一部ルッコラで代替することにした。

愈々この週末に復活祭の「スペードの女王」の映像が初放映される。四回も生を観ていながら五回目が楽しみだ。映像の仕上がりや収録や編集などにも興味があるが、何よりも保留していた演出面での最終評価が可能となるからだ。既にトレイラー以外にその断片を出ているので、それを観ると劇場では気が付かなかった演技もある。劇場では認知できていなくてもなんとなく演技のしぐさなどで感じていたことも映像化されているからだ。やはりカメラも入っていることもあるかもしれないが、結構リアリスティックな細かな演技をしていたのは確かな様だ。

その舞台裏として早速小さなヴィデオを祝祭劇場が流していたりしていて、細部への拘りが明らかになっている。舞台の壁についていた電灯の傘とか、1920年代のそれを使ったりで、安物舞台に感じさせないような配慮がなされている。逆にそれだけの劇的な効果があったのかどうかも費用対効果などのことを考えれば、評価のしどころ。



参照:
ファーストフラッシュ価値 2022-05-08 | 料理
三本足プラグは必携 2019-08-26 | 生活
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二十世紀前半のその感覚

2022-08-18 | 文化一般
演出家のマルターラ―がチャールズ・アイヴスの交響曲を引き継いだ。2018年のルールのビエンナーレでの公演である。未完のユニヴァーサル交響曲こそが将来の宇宙人若しくは人間が当時を振り返ることになる作品だった。まさにシムフォニーである。

音楽的には、交響曲四番や四重奏曲、そして当時のブラス音楽、ピアノ曲、そして「答えの無い質問」で終えるように指揮者のエンゲルが繋ぎ合わせた。なるほどこの公演の今回再放送されたヴィデオを観る限り、この内容を把握するには将来あるべき高度な頭脳が必要になるだろう。その現場に観客としていればその表現の中に含まれてしまうのだろうが、客観的に観察するのは遙かに難しい ― そもそも昨年の「ジュディッタ」でさえ挿入曲目を把握している人は通人でしかない。

ドイツェヴェレの批評が書くようにセンチメンタルとなる所をユーモアが解放するような構成になっていて、作曲家アイヴスの本望であった開かれた作品がその儘引き継がれることになっている。その乾いた思考と感覚がマルタ―ラー演出の最大の魅力である。

個人的には昨年ミュンヘンで新制作された「ジュディッタ」へとここでのフィギュア―や舞台装置などが流用されていることで、それどころか同じ面々のキャラクターが芝居をしていることから、更に多くの情報が飛び交うことになっている。

如何に芸術が創作されるとき、無垢な態度でそれに挑むことが難しいかでもあり、中途半端な知識や見識は創作物に対しての理解を阻害することにはなっても深めることにはならない好例でもある。

本当に創造的な芸術活動は、過去の認識では定義出来ないからこその創造性であって、そうした生半可な知識が理解を妨げるということになる。まさしく作曲家のチャールズ・アイヴスが書き残したものはそこにある。

マルタ―ラー演出を体験したのは昨年の10月が最初だったと思うが、ザルツブルク音楽祭で何があったかは思い出せないのだが、少なくともモルティエ博士の遺稿集には九回も名前が載っている。個人的には2005年のバイロイト音楽祭での「トリスタン」演出の時に名前を聞いている。

昨年の「ジュディッタ」も撮影されているがその映像化はまだ未公開である。来る二月の再演時ぐらいにリリースされるだろうか。今回の再放送の映像は既に二枚組DVDとして発売されていて、バイロイトでの映像も発売されているが、通常の上演よりも音楽劇場向きの演出家に違いない。

確かにこの上演でアイヴスの曲を聴くとその開かれた作品の在り方が手に通るように分かる。そしてパイプ椅子を前後させて鳴らす場面だけでなくて、アイヴスの音楽が描く狂気性にも思いが回る。まさしく20世紀の前半の宇宙そのものである。



参照:
卒無く間隙無しに 2022-02-04 | 料理
ジュディッタ公演内容詳細 2022-01-28 | 音
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