Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

黒い森からの今と昔の像

2018-10-21 | 文化一般
ドナウエッシンゲンからの生中継を一部録画した。5G超えとなってしまったので困った。それでも一曲目のイヴァン・フェデーレの演奏は簡単に消去したくない良い出来だった。なによりも初めてここで新曲を発表して祝福を受けたフェデーレ氏のその作風はいつものものだが、手慣れていて、とても評価できるものだ。管弦楽も両方の見たような顔が混ざっているがフランスの指揮者パスカル・ロジェの下で中々堂に入っていた。

それ以上に驚いたのはごみを捨てに行ったりポストに投函していたりしていた間に演奏された二曲目の新作への聴衆の盛大な反応だ。トラムプに反対する女性の運動のビヨンセなどの歌が主題に使われているらしいが、社会的政治的な以上に、まるでタイプライター協奏曲の焼き直しのような楽器編成に違和感を覚えたので、改めて見做してみなければいけない。

その後にミュンヘンからの中継に移って指揮者フウルザのインタヴューを聞いた。ドイツ語をしっかり喋っていてそれだけで偉いと思った。チェコの人にとってとバルティック三国の人にとってのドイツ文化とは大分意味が違うのだと思った。と思って聞いていると生まれがブルノであるから、シュレージアン、ボヘミアンの隣のモラヴィアだからドイツ文化との歴史的繋がりも強い。演奏自体は、楽団ももう一つ上手く演奏しておらず指揮も冴えなかったようで途中で止めた。同じ年配のネルソンズなどとは大分出来が違うが、今や指揮者の登竜門である日本でも人気でありメージャー交響楽団へのデビューへと売り込みも盛んであり仕事量も多そうだ。レパートリーにもよると思うが、今までは生で聞く機会も無かったが、バムベルクぐらいでしっかりと成果を残していかないと評価は定着しないだろう。

WILHELM FURTWÄNGLER - DEUTSCHE DYNASTIEN


その後にフルトヴェングラー家王国の番組がYouTubeに流されていたので早速流してみた。人気女優マリア・フルトヴェングラー博士を中心に据えて、その指揮者の周辺を当たる番組構成だ。今までも話題になった奥さんのエリザベートや娘のミュンヘンで演劇を教える女優アッカーマンなどお馴染みの顔とこの人気女優の関係が良く分からなかったが、指揮者の奥さんの連れ子の孫でもあり、父親が指揮者の甥フルトヴェングラーであることが分かった。つまり血の繋がりは無いが、そのもの母方の方が実はベルリン政界で女性参加として重要な家系であることを知った。名前はフルトヴェングラーは有名であるのだが、その家系自体は指揮者の祖父の時代にミュンヘンに出てきているので、やはりその名の通りフルトヴァンゲンの家系だ。しかし指揮者の息子の話しにあるように青い目でシャープな表情はアレマンの民族の特徴もあって浮名を流すには事欠かない。実際故人の面影のある息子さんのようなタイプは確かに身近にもいる。

よって、フルトヴェングラー分家はミュンヘンの湖畔に今もその実家があり、シュヴァルツヴァルト・ミュンヘンの家系なのだ。奥さんのエリザベートの方は逆にベルリン・スイスロマンドとなる。そして何よりもヴィルヘルム・フルトヴェングラーの家庭は高名な考古学者の父親のインテリ家庭であり、これはやはり特筆すべきかと思われる。その反面ませた少年ヴィルヘルムがなぜああも古臭い芸術様式に拘ったのかは解せない。一つ考えられるのは、やはり当時のミュンヘンの感じをシュテファン・ゲオルクなどを囲むメムバー、つまり「ヴァルキューレ作戦」のフォン・シュタウフェンベルクや物理学者ヴァイツゼッカーなどの独特の思考が示す知的サークルから思い浮かべるぐらいだ。この辺りは改めて指揮者の政敵となったトーマス・マン作「ファウストュス博士」で読み直したい。

我々にとっての関心ごとは、なるほどキリル・ペトレンコは、音楽的にはフルトヴェングラーを完全に凌駕しているが ― それでもフルトヴェングラー指揮の「マイスタージンガー」の音楽的見事さは意外に通じるものがあるが -、それでも彼はフルトヴェングラーのような特別な文化的環境は纏っていない。これはある意味健康的でそこに不安を感じさせない反面、とても文化的に敏感な人はつまりヴィルヘルム・フルトヴェングラー以上に環境に留意をしている知的階層の人達は、とても関心を以ってアンテナを張らしているのである。恐らく、現在のミュンヘンでの熱心な聴衆の核になっている人たちはこうしたとても文化的な層である。



参照:
プルトニウム爆弾の特許申請 2011-11-23 | 歴史・時事
ヘーゲル的対立と止揚 2018-09-11 | 文化一般
技術信仰における逃げ場 2007-11-06 | 雑感
肉体化の究極の言語化 2007-11-25 | 文学・思想
民族の形而上での征圧 2007-12-02 | 文学・思想

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