Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2013年12月

2013-12-31 | Weblog-Index


上半身にみあう下半身 2013-12-30 | 生活 TB0,COM0
少しでも良いように変える 2013-12-29 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
奥崎、安倍晋三を撃て! 2013-12-28 | 歴史・時事
胃袋一杯にしなくても 2013-12-27 | ワイン TB0,COM0
寝床から起こされる 2013-12-26 | 暦 TB0,COM0
降臨前の最後の買い物 2013-12-25 | 暦 TB0,COM2
ホモのチャイコフスキーは? 2013-12-24 | 文化一般 TB0,COM0
冬至過ぎてクリスマス休み 2013-12-23 | 生活 TB0,COM6
本場って、一体どこ? 2013-12-22 | 暦 TB0,COM0
取扱い注意の高価なもの 2013-12-21 | 生活 TB0,COM4
十二音の対位法の映像化 2013-12-20 | 音 TB0,COM0
麻薬自由化への法議論 2013-12-19 | 文学・思想 TB0,COM0
つまった苦味に合わせる 2013-12-18 | 生活 TB0,COM2
ブルックナーの真価解析 2013-12-17 | 音 TB0,COM0
美しさへの確信を抱かせる 2013-12-16 | 女 TB0,COM0
必要な改革への粛清? 2013-12-15 | マスメディア批評 TB0,COM0
狂っているか?、大芸術 2013-12-14 | 音
洗濯ネットを新調する 2013-12-13 | 生活
真面な商品だろうな 2013-12-12 | 雑感 TB0,COM0
上手く展開させるために 2013-12-11 | 雑感 TB0,COM0
帰郷で清濁併せ飲む 2013-12-10 | 雑感 TB0,COM2
なぜ感情的に反応するのか? 2013-12-09 | マスメディア批評 TB0,COM0
春への期待が膨らむ日々 2013-12-08 | 雑感 TB0,COM0
人生はあまりにも短すぎる 2013-12-07 | 雑感 TB0,COM0
期待される日本の夜明け 2013-12-06 | 文化一般 TB0,COM0
実力行使の民主主義 2013-12-05 | 歴史・時事 TB0,COM0
上から目線でしょうか? 2013-12-04 | マスメディア批評 TB0,COM0
XX年、待つのだぞ! 2013-12-03 | ワイン TB0,COM0
火のあるところに煙立つ 2013-12-02 | 生活 TB0,COM0
5.10克服のための5.11 2013-12-01 | 雑感TB0,COM0
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上半身にみあう下半身

2013-12-30 | 生活
明日月曜日はパンを買いに行って、火曜日の準備もしておこう。水曜日から二週間休みになるからだ。出来るだけ保存の効くパンを調達しておきたい。シュヴァールテンマーゲンなどもあるのでパンが無いと困る。

今週は走る機会が無かったので頑張って急坂を走りに行った。MTBが先に出発していったが、その登り始めのスピードを見て遅いと思っていたら、途中の展望台状のところで休んでいたので追いついた。MTBを抜かすのは初めてだった。「なかなかの走りだね」と声が掛かったが、それほど速く走ったわけではない。それでも抜かれたくないので頑張って緑のベンチまで走り抜いた。16分、1428歩であるから決して早くはない。脚は痛くならなかったのと、呼吸で可成り心肺機能をフルに使えた。雨勝ちであり、足元も悪く、月曜日に走ろうと思うので頂上に気は断念した。下りに、MTBにすれ違い、降りて来て、車を走らしだすと雨がまた降ってきた。

今年は少なくとも週一回若しくは二回のペースで走り抜いた。距離は知れているが、昨年までと比べると、力みが無くなった。軽く流す方法を身につけたからだろうか。急坂を走る練習をしていると、平地を流す走り方も分かってきた。同時に体幹もしっかりしてきたと思うが、足腰も鍛えられてきているに違いない。そして知らぬうちに上半身の特に上腕が膨らんできているので、それにバランスが取れるだけの体幹や下半身が欠かせない。

先日FAZに差し込まれているマガジンのページを捲っているとルイヴィトンのCMがあった。小柄なブロンディーヌが鞄を膝に乗せていたが、そのスカートは膝上十分で、素足だった。今年は「ブロンドの彼女」のレンギスに始まって結構ミニスカートやホットパンツに気が付いたが、いよいよ素足になったかと思ったのである。これは決して悪い傾向ではない。「愛しの彼女」が日本のミニについて話していたが、是非今度会ったときには素足のそれを勧めたくなったのである。ドイツ女性となるとジーィンズが決まりの時を過ごして来ているので、もう少し折角の美しいおみ足を拝ませて頂きたいとのお願いに回ろうと思うのである。



参照:
積極的に加速し続ける合理 2013-01-03 | アウトドーア・環境
つまった苦味に合わせる 2013-12-18 | 生活
匙ならず賽を投げたその時 2013-03-10 | 女
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少しでも良いように変える

2013-12-29 | アウトドーア・環境
「東京を変えて、日本を変える」、東京都知事候補宇都宮健児はそう言った。その行政の長としての実力は分からないが、市民運動の力を示すためには注目の選挙となるのだろう。日本ではありとあらゆることがおかしくなってきている中で、東京都民は世界になんらかの理性を示すことが出来るのだろうか。沖縄も秘密保護法も片付いた以上もはやワシントンは安倍を必要としないのであろう。そのような風が吹いている。

室内壁第十九日目の金曜日はBASFの農民とであった。彼は、自己の実力以内で確実な実力を示す安定したクライマーであるが、もう一息スポーツクライミングの実力をつけてもらいたい一人である。アルパインクライマーでない限り、もう少しスポーティーな技術が無いと限界が低すぎるからだ。

こちらもその方針に配慮して練習することになる。なによりもレッドポイントで全くザイルの助けを無くフリークライミングを続けて行うのは可成り疲れる行為である。だから昨年までは彼と室内で練習するのは辛かったのだが、自分自身の技術的な限界が上がったことと、何よりも長い距離を登る実力が付いたお蔭で十分に付き合えるようになった。

二時間続けて、二人だけで登り続けて、完全にレッドポイントで通した。彼の限界である六級マイナスからは彼の方がトップロープやザイルにぶら下ることはあったが、良く登った。そこの壁では初めて六級を登ったらしい。

オーヴァーハングは一ルートしかなかったのだが、こちらも結構腕が疲れた。なにせ水曜日の夕方に限界まで登ったのであるから当然なのだ。彼がレッドポイントで登る限りこちらも決して休めないのである。技術的には問題が無くても、それなりのプレッシャーになるのだ。だから彼が問題なく登れそうなところは最初に登って貰って、その後を追いかけることで、幾らかの高度な技術を示しながら完璧に登るように留意した。しかし、こちらも気が緩んで不味い登り方をする場所もあった。

自分自身のとって興味深かったのはトップロープでしか登ったことの無い場所をリードで登ってみて、全く問題なく登れたことで、予想通りとはいいながら、昨年とは大分違う実力がついてきたことを確認できたことである。「ここの壁で正しく登れれば、南プファルツでも同じ難しさを登れる」と言う今年の証明と主張をいくらかでも理解してもらうことが出来たと思う。新年ももう一度一緒に登れれば、確実に彼の技術は上がるだろう。

2007年産のグラーフェンベルクのグローセスゲヴェックスを開けた。綺麗に熟成していても全くフィルン感は無くて、流石であった。成程培養酵母でステンレス醸造であるから、偉大な熟成は無い。それでも土壌感も十分で、液色もやや黄色いぐらいで最高の飲み頃であった。2008年のクリスマスプレゼントであったと思われる。来年は礼を言わなければいけない。



参照:
奥崎、安倍晋三を撃て!l 2013-12-28 | 歴史・時事
冬至過ぎてクリスマス休みl 2013-12-23 | 生活
慣れないと足元がふらふらするl 2010-12-28 | アウトドーア・環境
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奥崎、安倍晋三を撃て!

2013-12-28 | 歴史・時事
安倍首相の靖国訪問が世界中に報道された。クリスマス休暇中に拘わらずの速報体制である。ここでも靖国問題については何度も繰り返して扱ってきたが、微妙な問題も孕んでいると宗教的な側面から考え続けてきた。しかし事情は変わりつつある。フランクフルター・アルゲマイネ紙は編集者がその背景も含めて伝える。

そこでは、難しい問題としてきたのは、殆どの日本人が何も知らないからだとなる。つまりBBCが先日伝えた内容を引用して、学校教育の場で、「人類の進化から第二次世界大戦まで」の歴史授業の中で、最後に近づくほどしっかりと教えられていないことをその原因とする。

つまり、アジア諸国へのそれが侵略戦争であったすることに異議は無いとしても、教育状況を遠因として、南京虐殺や慰安婦問題は戦乱状況にありうる状態として一般国民に徐々に相対化されて認識されてきた背景が、進行中の極東三国の紛争状況に深く結び付いているとする考え方である。なるほど、先の橋下大阪市長の発言にも耳新しい。そしてそれが、被爆国を傘にする日本国民の多くが、中韓から投げかけられる批判や感情的な「過剰」反応に不公平感を感じさせる要因となっているとするもので、日本人の歴史教養の問題だとする論評である。因みに被爆国となる原因すら教えて貰っていないとなる。

月曜日の天皇誕生日に皇居からメールを貰ったことでマイケル・ムーア絶賛のドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」に再会して、また天皇誕生日における報道内容の日本国内外の格差を日本のネットにおいてそしてFAZの記事において確認して、もはや靖国支持や大日本帝国復古主義批判に関してなんらそこに議論の余地のないことを思い知らされるのである。

天皇誕生日における明仁天皇の会見内容はNHKにおいて「重要な部分が割愛」されたことは東京の記者クラブ内や外交関係者の中で共通認識とされているようである。そこに既に日本国内においても情報格差が生じている。割愛された部分は、天皇のフクシマ被害や憲法擁護に関する部分で、FAZはそれをこれまでにない天皇の立場として、戦後アメリカ女性教師に教育を受けた明仁の生い立ちを手短に説明して、また在京ドイツ大使館の音楽会へのお忍びの訪問をする天皇夫妻が政治的な発言が出来ない立場にありながらも、国民の多くは一寸した天皇の身振りでその真意を汲み取っているため明仁天皇の国民的人気は高いとするものである。

映画「ゆきゆきて神軍」は神戸での上映会以来初めて全編を観ることが出来た。その主人公のお蔭で皇居のお立ち台に防弾ガラスが張られたことを思い出したからである。故奥崎氏がパチンコ玉を裕仁天皇に打ち込んでからだと思い出したのだった。そして当時は殆ど狂人としか思われていなかった故人は、生来の乱暴者だということに相俟って、現在ならば米兵にあるような戦争被害のPTSDとして認識されるものだと分かり、主人公の元上官が靖国訪問したと聞くや否や激高し暴力に及ぶ場面や、所謂白豚黒豚どころか日本兵を殺戮し人肉を貪らなければいけなかった大日本帝国陸軍の悲惨さは、まさしく靖国の本質を示すところなのである。

国会前の抗議行動で一般市民が「侵略戦争の真実は分からなくとも、少なくとも戦前の日本は市民にとって決して優しいものではなく、絶対逆行は許されない」とする意見がなされていた ― 最近は街頭で高等なレトリックを用いる市民が増えて来て安物政治家以上である。直接戦前の経験の無い一般の日本人が、今こうしてあの時代を十分に連想することが出来るようになってきたのであり、まさしく今回の靖国訪問が今までの度重なる閣僚らの試みとは異質の影響や環境を与えたものにした原因がそこにある。

FAZが書くように、そもそも1853年以来、対露を除いては、主に対韓、対中戦争の戦没軍人が祀られていることで、「靖国神社にもともと信望がある訳ではないが」とするように、まさにそこに祀られるのは国家主義の犠牲者であるとともに、大日本帝国が犬死を強いた人々が祀られていると考えるべきであろう。そして今またそれを繰り返そうと導いているのが安倍首相の行動であり、そのように世界的にも理解されているのである。しかしそのような重要なことを日本のマスメディアは伝えていないに違いない。そしてそれは311以降の日本人の姿に重ねられて、また沖縄市民への虐殺、そして現在に繋がる沖縄基地問題へと時の環が繋がるのだ。

1970年以降の戦争犯罪者の合祀によってその意味合いは更に変わる訳だが、そもそもの英霊を祀るという靖国の存在自体が、宗教的な意味合いや価値観とは全く異なったところで、所謂国家神道のそのものの問題であることは明らかだ。それは、軍属の恩給や遺族会やその後の責任を追及した前記の映画でも明らかになる。そもそもああしたものを護ろうとする日本人がいて、それどころか大日本帝国憲法などを有り難る復古主義者は、歴史の真実を見ようとしない人々でしかない。主義主張や思想や信条以前の問題である。フクシマの被ばくさえも風評被害として何もなかったかのように振る舞う現在の日本人と全く同じ人間なのである。そして祀るという行為で全てが許される世界観で日本政府は治められているのである。

明仁天皇の誕生日の記事に、「革命よりも改革」をモットーとすると書かれていた。深読みすればそのもの明治維新の否定ともなる。安倍政権は暴走していると言われるが、日本は今まで本格的な市民革命を経験せずにやってきた、しかしここに来て様々な市民運動の盛り上がりを背景に大きな改革の契機を与えているのが安倍政権であることは間違いない。



参照:
Wenn die Emotionen kochen, Peter Sturm, FAZ vom 27.12.2013
Der sanfte Rebell, Carsten Germis, FAZ vom 23.12.2013
国家主義へと歩む安倍政権 2013-07-25 | マスメディア批評
矮小化された神話の英霊 2006-08-21 | 文学・思想
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胃袋一杯にしなくても

2013-12-27 | ワイン
クリスマスの食は恒例のザウマーゲンであった。今回は大きな立派な胃袋詰めを注文することは無く、大きな栗入りのものをスライスしたもの、そして見つけたミニュチャーザウマーゲン、そしてミニザウマーゲンを購入した。

昨年に比較すると腹が空かなくなったことが多い。決して量は減ってはいないのだが、運動による消費と供給が効率良くなっていて、無理に大食いをする必要が無くなったためだ。勿論、折からの運動不足と大食で太りたくないのである。体が動き難くなるのは嫌なのだ。

付け合わせも面倒なのでジャガイモも付けなかった。但し、栗にも合うリースリングを選んだ。ホーヘンモルゲンの2009年ものである。店先で試した時には、熟れていて殆どブランディーのような味筋になっていたから急いで開けなければいけないと思ったのだ。

しかし実際に開けてみると、意外に酸が効いていた。それでも新鮮な感じはあまりしないのは土壌の影響と思った。角が落ちて丸くなっている、それでも円熟ではないのだ。ある意味この人工的な石灰質の土壌の限界を感じた。

リースリング自体も酸は効いているが、糖も果実感満載で、若干重い感じが食事にはもう一つであった。ある意味立派なプェルツァーヴァインなのだが、本格的な辛口を食事に合わせたいと思う要求には答えてくれない。もともと高価であったのであまり購入はしていないのだが、2009年はバランスが良いと思ったのだ。もう一年早く飲んだ方が良かったかもしれない。もしくはあと数年完熟を待つべきだったかもしれない。

最近は比較的価格も安くなって他のグランクリュと同じ価格になったのは正しい専門的な判断であろう。いづれにしても2009年物はそれほど大きな将来性がある訳でないので深く考える必要はない。繰り返すと、どうも石灰交じりの独特の酸の出方が嫌みに感じた。近頃はウンゲホイヤーの方が再び良い方へと向いてきたので、どちらかといえばこちらの購入している。高級リースリングは旨さより複雑さである。

クリスマス初日には、相棒から電話が掛かってきて、登りに行きたいというのだ。クライミングホールが閉まっていると思ったが、空いているということで、酒が入っていないので出かけることにした。朝早くの朝飯以外何も食していない16時過ぎに迎えに来てもらった。一度でも交通費を節約できると、回数券の投資価値が上がる。しかしなによりも成果を出すことである。

只一つだけ5.10下で残っているものを片づけることにした。その前にウェーミングアップに続いて、5.9で完璧でなかったところを繰り返した。三回目の挑戦だ。予め必要ならザイルの張力を使いたいと話していたのだが、全く必要なかった。レッドポイントで完璧な登攀であった。丁度一年前に完璧に熟せなかったものは今は完璧である。

そして目標の二段庇を登ると、二つ目の庇乗り越えが難し肩かった。庇の上の手掛かりを掴みながら、庇の下の斜めの足場でバランスを取らなければいけないからである。その上の垂壁で力が尽きて誤魔化した。最後の最後がまたオーヴァハングになっているからだ。思ったほど問題なく折り返し点に到達したが、オーヴァーハングしているので誤魔化した場所まで下りて登り直すことは出来なかった。庇乗り越えで息が上がっていたので、大分腕力を使ったようだが、足も難しい使い方が連続していた。

そして最後に5.11へ繋がるルートを相棒が掛けたザイル使ってトップロープで試してみた。庇の下でも体が横になるような場面があり難しい。とても小さな手掛かりでぶら下がりながらザイルを掛けなければいけない個所もあった。これらを克服するにはそれに相当する技術が必要である。そのものボルダーリングでしか身に付かない体の動きである。一年先にある程度登れるようになるには大分ボルダーリングに励まなければいけないだろう。



参照:
ヴァイル御一行様のご相伴 2010-10-01 | 試飲百景
退屈凌ぎに将来への新たな一歩 2010-05-31 | 試飲百景
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寝床から起こされる

2013-12-26 | 
昨年の秋に購入しておきながら、なぜか棚に忘れてしまっていたクリスマス音楽を流している。一つはハインリッヒ・シュッツ作曲のオラトリオ「クリスマスの史実」でもう一つは二組目のバッハ作曲のヴァイナハトオラトリオである。詳しくは改めて記したいが、なぜか昨年は忘れるほどに聞く機会を失くしていた。トラブル勝ちで忙しすぎたのだ。それに比べると今年は天候も雨ながら穏やかで気楽である。

ラディオで、ワルシャワからエルサレムに一人出かけた女性がとても同地のクリスマスを愉しんでいる様子が英語のインタヴューで流された。彼女は独り身のようで、家族との祝いも出来ないのでそこを訪れたようだ。そしてそこで出会ったのが欧州にあるような家族の祝いとしてのそれではなくて、町中に繰り出すフェストの光景で、知らぬ者同士が楽しむ場であったというのだ。

最近尿意を催して起床することが多くなった。寝室の気温は出来る限り下げるようにしているが、トイレに立つとなるとどうしても起きてしまう。我慢できない訳ではないが、気持ち悪くなって一旦目を覚ますのだ。それが就寝後約六時間後ぐらいのことが多い。これが無ければ九時間でも寝ていられる。気になるのは、もう少し長く寝たいという欲求が一方にあって、それでも途中で目を覚ましてしまうことにある。



参考:
僅かばかり早い、冬篭り 2012-10-15 | 暦
破瓜する死の恐怖の興奮 2013-02-06 | 文化一般
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降臨前の最後の買い物

2013-12-25 | 
待降節第四祝日に催し物が行われていた。広場にはクリスマスマーケットは出ないが、最初と最後に催し物があった。聖歌などが流れた。ヴァインフェストよりは良い。風もあったが篝火に人が集まっていた。

最後の土曜日の買い物客でスーパーも混んでいたが、今年は金曜日までの買い物なのでそれほどではなかった。我が家では例年の通り、肉屋が休みに入るので年末年始分のものを注文購入する。

グリーンペッパーとキノコミニザウマーゲン、栗ザウマーゲン、マイクロザウマーゲン、スモークドシュヴァールテンマーゲン、鴨の燻製、リースリング煮凝り、バムビの肝臓パステータなどである。イヴの朝にマーケットが出ていたが、今回は魚のテリーヌは断念する。パン屋ではフルーツケーキ、黒ゴマ白パンなどを購入。それらを取りに行った。

二日間の食事であるから、野菜さえ合わせれば十分すぎる。暖かいが雨勝ちのクリスマスとなりそうである。運動不足にならないようにしなければいけない。

眼鏡の返還が未だであったので、電話したら、問題のレンズを発注したと言うのだ。年末前には出来上がるとぬけぬけとぬかすので、なんとでも古いレンズでも返してくれと言った。注文して時間が掛かるなら先ずはそのようにすべきだろう。そもそも古い眼鏡が使えるぐらいならば大枚叩いて新しいものを購入しない。直ぐに取りに行った。新しいうちに一週間も使えなかった。そのお蔭で肩こりなどで体調を壊した。冗談ではない。恐らくコーティングの製造技術上の問題だったのだろう。



参照:
冬至過ぎてクリスマス休み 2013-12-23 | 生活
待降節第四週目の朝 2012-12-23 | 暦
昨日の雪は昨年の雪 2012-12-08 | 雑感
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ホモのチャイコフスキーは?

2013-12-24 | 文化一般
ヴァレリー・ゲルギレフというロシアの指揮者がいる。二十五年ほど前からその噂については聞かされているが、生で聞いたことは無い*。聞く予定もない。その評判に拘わらずその音楽に興味がないからである。ティーレマンなどもよく似た状況だが、こちらは来年三月に聞く予定だ。

そのペテルスブルクの指揮者がロンドンのコンサート前に大デモンストレーションをやられたのは速報で流れていたが、プーティンとの繋がりでの反対運動と聞いていたので、それには触れなかった。プーティンの独裁や人権無視もシナのそれと同じように批判するのは容易いが、なかなか複雑な裏事情があるからである。EUがソチのオリムピックボイコットなどをするのは賛成だが、先日の恩赦などでそれなりに対応しているから、東京の安倍内閣より外交的にはましかもしれない。

さて木曜日の新聞に載っている情報は、2015年からミュンヘンのフィルハーモニカーの指揮者になるというこのロシア人へのデモがミュンヘンでも行われたことで、その真意はロシアの同性愛法への西欧同性愛者の怒りという。それならばミュンヘンのオペラ支配人の言葉ではないが、とても「芸術の核心」に関することなので、触れない訳にはいかない。

支持しているSPDが公聴会などを開いて市民の反感を抑えようとしたようだが、それどころかこのロシア人は「そのロシアの法は反同性愛ではなくて反ペドフェーリア」としてプーティンの立場を支持したようである。そして、子供たちにはそのようなことよりも「プーシキンやモーツァルトを語って欲しい」と主張したものだから「チャイコフスキーは?」と突っ込まれた。

ホモセクシャルは「伝統的なライフスタイルではない」からと主張する。まるで極東の政党の綱領のようである。このような音楽家は西欧では働けない。国家主義だからか、保守主義者だからか、人権を無視しているからか?

そういうことではないのである。指揮者といえども芸術家の文化人の端くれである。そして音楽を通じて様々な芸術的な主張をするのである。その行為を通じて、現在の社会の趨勢や人々のライフスタイルに無頓着であってはなんら人々の知性や感性に直接話しかけることは不可能なのだ。少なくとも芸術家は、そうした文章化されていないような時代の雰囲気を芸術という形で表現しなければ芸術ではないのである。

なぜこの指揮者の音楽に興味をひくことが無かったかは、この指揮者の振るコンサートのプログラムやオペラ公演の出し物、そして音楽家から聞いた練習風景などの情報から、全く無頓着で知能の低い指揮者と知っていたからである。伝統伝統と主張する輩は、伝統という歴史の流れを知らないからこそ、時代錯誤の感覚しか持ち得ていないのである。これは政治家でも同じである。

言い換えると、こうした人物は固定観念中で生きているので、自分が生きている環境から閉ざされているのである。たとえ自身が保守主義者であろうが、信仰的な主義主張を大切にしていても、環境を感知していないこととは違うのである。それでもそうした主張を押し出すのはイデオロギーでしかないのである、そしてそれを人に押し付けようとする。そのような人物が芸術家や文化人面をしていてはいけないのである。

これで2005年から新任の代替案への具体化が進むのは間近ではないだろう。それにしても、このミュンヘンの交響楽団ほどチェリビダッケの後もレヴァインの辞任などと頻繁に問題が起きる楽団も少ないだろう。

そしてゲルギエフは、政治と芸術の独立を主張しているが、今時そのような単純な言い方をする外貨稼ぎの出稼ぎ者がスター指揮者として活躍しているのが、如何に音楽やオペラの世界が商業主義の世界かであるかということを証明している。新聞にあるようにそこは 決してホモセクシャルの世界だけではないのである。

*実は十五年ほど前にザルツブルクで「ゴドノフ」を聞いていて完全に忘れていた。勿論アバドの指揮ならばそのようなことは無かっただろう。


参照:
映像の賢い使い方 2013-11-10 | マスメディア批評
塀の中に零れる泡銭文化 2008-11-23 | マスメディア批評
オーラを創造する子供達 2007-09-24 | 文化一般
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冬至過ぎてクリスマス休み

2013-12-23 | 生活
土曜日の午後、買い物帰りに森を彷徨った。ボルダーの状態などを見るためである。地面などは湿っていたが一部は十分に使える状態であった。冬至は過ぎた、クリスマスも終われば、陽も長くなり、寒くはなっても雰囲気は、春に一歩一歩近づく。

何カ所か試しているうちに右手の薬指の付け根にマメが出来そうになった。あれほど室内で登っていても、当たるところが違うのだろうか。それでも自然の雑食砂岩に対していると、来るシーズンで何が出来てできないのかが現実的に感じられるようになる。またその苦労や真剣さを考えると、室内での練習は気楽なものである。

それでも何カ所かものになりそうなところを見つけた。一カ所はホーヘプラッテと称し6bとなっていて、補助者がいれば何とかなりそうだ。キーは、手の持ち替えだろう。右手のアンダーグリップから立ち上がり、その左手での手掛かりまで行った。そこで、右手に持ち替えることが出来れば、左手は大きな手掛かりである。チョークが無くても荷重方向によって可能かもしれない。

木曜日にシーズン第17日目を登った。パートナーの関係から反復練習である。丁度うまい具合に、屋根職人親仁が先日間違えて登った場所をやってくれたので、それに続いた。親仁としては初めて完登出来たようだが、問題の後ろへザイルを掛けるところを上手く熟していた。しかしその上では、力尽きたのかなんでも掴んでいた。いざ登ってみると、それを目指して掛けるには庇の下の脚でバランスを取る必要があったが、十分に届く範囲で問題なく、更に驚いたのは少し影勝ちになっていたので色目が分からなかった上部の大きな手掛かりを前回は全く使っていなかったのが発覚した。これならば全く問題なかった。しかしその部分で右手の手首を痛めたようだった。捩じったのだろう。

金曜日18日目は、BASFの労働者教育係の「農民」が来たので、彼に合わせて登った。今夏のドロミテでもその実力を見せて貰った我々の仲間で最も安定感のあるクライマーである。しかし六級以上は挑戦しない。それでもレッドポイントでリードすることに拘るのである。殆どすべて付き合って、一つ難しいものをやると、三人で二時間半終了していて、こちらも精魂尽きた。矢張り決して甘く見ることのできない本場向けの実力である。あれだけ登れるのであるから、上も挑戦できるのだがそれをしないのが全く安定した彼の能力である。こちらも粘りよく彼に付き合える実力がついたのである。彼に付き合った後で、5.10をレッドポイントで熟せるぐらいになれば、もはや我がゴール地点に近い。要するにビッグウォールの終盤で5.10を確実に熟せる実力さえあれば大抵は登れるのだ。しかしそれは長いトレーニングでしか身に付かないのである。

眼鏡が合っていないので肩が凝る。ここ暫くの体調は悪く、風邪気味なのか鼻の調子がなかなか治らず、漸く鼻水が止まった位である。十日以上は悪かった。それに腰や筋肉痛などが一挙に出た。クリスマス休暇で暫く休めれるとよいだろうか。



参照:
ボルダーの素晴らしい環境 2013-10-07 | アウトドーア・環境
清々しい冬の風に吹かれて 2013-10-18 | アウトドーア・環境
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本場って、一体どこ?

2013-12-22 | 
近所の親仁がとても面白い話をしてくれた。この時期に親子連れで東京を訪れたというのである。すると東京はクリスマスムード一杯でとても華やかで驚いたという。クリスト教徒の国でもないのに不思議に思っていると、子供がお父さんに尋ねた。

「パパ、クリスマスってヨーロッパにもあるの?」。

親仁はスパイヤー周辺の出身のようで奥さんもカトリックの介護協会で働いている。クリスマスの嬰児の寝床を出したところだった。ドイツにおけるハロウィーンも全く同じようなものだ。

先日初めてフランスで購入したボージョレ―ヌーヴォーを飲んだが、酸っぱくて苦味があるようでちっともおいしくなかった。ガメー品種でももっとましなワインはある訳で、なるほどフランスのスーパーでもワインコーナーには無く奉仕品の籠に三種類並べてあるだけだった。殆ど誰も手を付けるような人はいない。なぜならばその価格が四ユーロの三種類で、その価格でフランスじゅうからの旨いワインが集まっているからだ。ドイツで売れないのとはまた違った意味合いがある。ボジョレーの地元に行ってもそれほどじじょうは変わらないのではなかろうか。こちらの地元でも濁酒新酒を買い込む人がいないようにである。

さて、リースリングでは、試飲せずに注文したシャルツホーフべルガーの2012年物を開けた。ファン・フォルクセム醸造所のもので上から二つ目のランクに当たる。VDPのカテゴリーからすればグローセスゲヴェックスに当たるが、中間レヴェルのカテゴリーに落としている。

単純なザールリースリングとは全く異なりしっかりした良いワインであったが、飲み口に石鹸水のような濁り感があるのが、この醸造所の特殊な作り方でフィルターや沈殿などの方法の結果である。この時点でのこうした濁酒感覚は許されるが、せめて二年後には瓶熟成と共にワインらしくなって貰いたい。

そうした醸造のお蔭で新鮮そのものでアンズなどの雰囲気もあり決して悪くはないのだが、ワインとしては殆ど未成熟状態だろう。それでも十分楽しめるワインになっている。2012年は大分違うが、酸が落ち着いていて、残糖も2011年よりは明らかに低い。残念ながら若干の苦味感があるので、酸が薄くしか効いていない証拠である。しかし時間が経てば経つほど酸の量感が増して、残糖感を一切感じさせない。とても面白ワインには違いなく、その瓶熟成に期待したい。これぞ、スレートのグローセスゲヴェックスとなるか?醸造所の方はVDPに反発している一面もあるのだが。



参照:
グローセスゲヴェックスとは? 2013-04-18 | ワイン
降誕祭前の髪結い風景 2012-12-20 | 暦
そう言うことなのである 2011-11-21 | 暦
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取扱い注意の高価なもの

2013-12-21 | 生活
眼鏡屋から案内が来ていた。九月に購入した件でのアンケートを兼ねてであった。右側のレンズに傷があることを十月には見つけていたのでそれを見せに行くことにした。忙しくしていると、スポーツ用に使っている古い眼鏡の吊り糸が切れてレンズが床に落ちた。直ぐに行かなければいけなくなった。

金曜日に見せに行くと、中々その傷が見つけられないようだった。漸く指し示すと、メーカーに送るから週初めに改めて来てくれということになった。週末を使うためである。そして古い方の眼鏡を直しで置いて行った。

月曜日に行くと古い眼鏡は修繕されていて、無料で受け取り、新しい方を渡した。兎に角早く貰わないと仕事が出来ないと繰り返しておいた。古い眼鏡もないと車も運転が出来ない。それにしても古いレンズは傷とコーティング落ちでぼろぼろである。

途上のラジオで連邦共和国軍の戦闘機乗りの特集番組をやっていた。帰宅して空を臨むと、螺旋状の貝のような飛行機雲を描いて演習している戦闘機があった。民間航空機では飛行時間云々を言うが、戦闘機も乗りつけていないといざという時には役に立たないに違いない。大変な税金が費やされている国防軍であるが、運営上仕方がない経費もあるに違いない。

再びブロウザーを変えた。サファリはファイアーフォックスに比べて大分使いにくい。そこでオペラを使ってみる。機能的にはサファリとあまり変わらないようだが、それよりは大分使いやすそうだ。

予想通り、バイロイトの指輪の券が当たった。本当ならば一年目が良かったのだが、どうも希望が高すぎて、二年目に回される傾向がある。演出は落ち着いてくるだろうから、二年目の方が価値があるだろうが、暑い季節だから大変だ。



参照:
工業デザイン的な洗練 2013-09-20 | 雑感
黄昏の雪男の話  2013-10-19 | 雑感
朝起き目覚ましの話題 2013-10-08 | アウトドーア・環境
上手く展開させるために 2013-12-11 | 雑感
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十二音の対位法の映像化

2013-12-20 | 
承前)ミヒャエル・バレンボイムと称するヴァイオリニストがシェーンベルクを弾いた。指揮者バレンボイムが創設した西東詩集交響楽団のコンサートマスターであるが、この協奏曲でブーレーズの指揮でシカゴ交響楽団の舞台にデビューしている。そのような経歴での人選であったのだろう。その演奏は、作曲家が献呈しようとしていたハイフェッツのそれを彷彿させるような本格的なヴァイオリンであって、出だしから若干下がり気味の音程が不安にさせたが - 流石に初演者の適当な調性感への接近と伝えられる次元とは全く異なるのは確かであるが ― 、ギーレン指揮のとても落ち着いたサポートもあってか、素晴らしい出来となっていた。こうして本格的に弾かれると、CDで成功しているヒラリー・ハーンなどよりも立派なヴァイオリン演奏をしなければいけないことが分かる。

なんといってもギーレン指揮は、シェーンベルクのやり方を十二分に掌握していて、その演奏実践はブーレーズ指揮の早いテムポで響かしてしまうのとは大いに異なるのである。そのために音色旋律の対位法的なまさに12音技法の面目躍如である魅惑的な重なりと刺激的な軋みの音楽構造が大管弦楽とヴァイオリンソロというこれまたとても古典的な音響パレットの中で実現化されるのだ。その素晴らしさは、マーラーの交響曲のテクスチャーの中などではとても体験できない研ぎ澄まされて輝く響きであったりと、大管弦楽団の室内楽的な使用と炸裂の核分裂の放射であったりするのだ。なるほどベートヴェンの協奏曲のティムパニ―の背奏を模したりの薄い対位法的な音色の成果となる傾向は少なくはないのだが、左右に分かれたヴァイオリンの配置によって、その精妙さはとても大管弦楽団のそれと思わせない域に至る。

その反面教師の様にして手持ちの録音を鳴らしてみる。ブーレーズ指揮のアモワイヤルが独奏を受け持った録音は、思ったよりもテムポは早い印象はないが、ヴァイオリンは全く違う世界のヴァイオリンで、この曲を弾くにはあまりにも弱すぎる。最も問題に思ったのは、ロンドン交響楽団の合奏とその録音の質で、重要な独奏楽器と管弦楽団の掛け合いが全て引っ込んでしまっていて、まるで管弦楽団に独奏ヴァイオリンが装飾しているような塩梅になってしまっていることである。録音技術上の問題もあるが、独奏者が若干弱いと管弦楽団を引っ張るほどの威力もないのであろう。勿論、SWR放送管弦楽団バーデン・バーデン・フライブルクと比べるとロンドンの奏者は音楽的に感覚が鈍い。それでもブーレーズの明確な指示のもとでの正しい演奏をしているようなのだが、あまりにバランスが悪過ぎて音響として十分な効果を得ていない。

そこで針を下したのが、ラファエル・クーベリック指揮のバイエルンの放送交響楽団の演奏である。独奏を受け持つのはジュリアード出身のズヴィ・ザァイトリンと称するヴァイオリニストである。昨年亡くなったようだが1922年生まれのロシア系ユダヤ人のようだ。その演奏も端正なもので素晴らしいと思ったが、意外に管弦楽が良い演奏をしている。裏面のブレンデルとのピアノ協奏曲はその質の高さを承知していたが、第一面のこれも全然悪くはなかった。なによりも放送交響楽団が素晴らしいバランスで声部間の受け渡しが出来ているのと、録音も優れている。指揮もどちらかというと素直に楽譜の音を引き出している様子で、若干の手持ち無沙汰の感はあるが、決してバランスが崩れていないのは大した音楽性である。若干、管弦楽団の妙技を指揮が十分に引き出していないようであるが、独奏と合わせて今でも十分なレファレンス録音であり得る。以前に比較試聴した時には謝肉マーチの部分などでもう一つ鳴りが良くないので、印象は弱かったのだ。

そこでパンチを効かして鳴らすことに全力投球しているエサペッカ・サロネン指揮のハーン嬢のCDを鳴らす。この演奏に関しては好意的な感想を既に書いているが、今回彼女自身のブックレットの序文などを読んでみた。なるほど新たな指のポジションを練習しなければいけなかったほどに弾き込んでいるが、残念ながらこの創作の重要な技法である管弦楽との協奏にはほとんど無頓着である。勿論ミヒャエル・バレンボイムがそれを全てギーレンに任せていたように、サロネンに責任があるのは間違いないのだが、あのように弾かれると可成り打ち合わせをしておかないと上手につけるのは難しいのではないだろうか。それにしてもどんな曲を作曲しているかは知らないが、よくもあれだけ鈍感な指揮が出来るものだと呆れるのである。それに放送交響楽団と称するスェーデンのそれの鈍いことにも驚かされる。

ハーン嬢のやり方を間違っているとは言えない。ハイフェッツを初演者にと考えたように本格的なヴァイオリニストを想像して作曲されたのである。その意味からバレンボイムのヴァイオリンはやや昔風の本格的なヴァイオリンであって、それが逆にトーマス・マンの「ファウスト博士」のヴァイオリン協奏曲の初演を思い浮かべてしまうのだが、そうした側面を過去との繋がりにしてこうした書法で創作したのに違いないのである。しかし、それはアルバン・ベルクの協奏曲とは全く異なった方法での音楽であり、それとは管弦楽も全く異なるのである。だから、ハーン嬢が書く「ドラマやウィット、リリシズム、ロマンティズム、優雅さの絵画的表出」などだけではここでは協奏曲とはならないのである。

なるほど隣に座っていた楽団員の知り合いの婆さんの咳が止まなかった。彼女はシェーンベルクが終わった時に謝っていたが、全く気にならなかった旨を伝えた。要するに響きを聞くと言ってもある狙い通りに響く音を聞くだけなので要所要所が聞き取れればそれでよいのだ。その婆さんがブルックナーの第三楽章になって初めて落ち着いていたのは、それ以外では緊張が支配していたからなのだろう。特にシーェンベルクのそれは響きとしても構造としても研ぎ澄まされたものなのを再確認した。そしてギーレンの指揮が楷書のようにキッチリと付けることで初めて伝統的な独奏が活きるという書き方にもなっているのである。見事な筆さばきと言うしかない。(終わり)


追記:12月20日(金)の20時(日本時21日4時)から同じプログラムでフライブルクからのラジオ生中継がある。



参照:
バロックな感性の反照 2008-03-23 | 音
暖める努力もしなければ 2011-10-29 | 暦
ファウストュス博士への礼状 2012-01-29 | 音
自由の弁証を呪術に解消 2007-11-05 | 文学・思想
購入した安いティケット 2013-09-30 | 雑感
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麻薬自由化への法議論

2013-12-19 | 文学・思想
麻薬自由化に向けて連邦共和国の全教授の四割に当たる法学者が協議している。法哲学者ラインハルト・メルケルや元裁判所判事ルッツ・マイヤーゴスナー、マックスプラント研究所所長、国際裁判所判事アルビン・エーザーなど錚々たる教授陣百六人が集う。もちろん広義の麻薬の合法化を議論するためではない。それどころか参加者の多くはドイツがマリファナ大国になるのを歓迎しているとは思えないとする。

研究者は、逸早く麻酔薬法の効用と副作用に関する研究会を国会に設置することを求めて、そのアドヴァイスに従って1981年の麻薬を害毒とするその法を修正することにあるらしい。

研究によれば、麻薬の使用を抑えようとしない人々にとって、麻薬自体の危険性以上に非合法化による危険性の方が高いというのである。刑法学者にとっては、麻薬の禁止こそはマフィアなどの組織犯罪を振興するものに他ならないとなる。その結果が、警察組織による監視強化と軍隊化であるという。市民社会が敗北するだけと書く。

例として、大麻規制がドイツよりも緩やかな国では、恐れられる麻薬の使用は決して伸びていないというのは、さらに合衆国での州別の比較で明確という。それどころか、医療での使用からキャリフォルニアでは大麻栽培が盛んで十億ドルの産業になっているようだ。そこからの税収が一億ドルとなるから少なくない。

それに比較して、ドイツは医療現場での利用さえ自由にはならず、癌などの痛み止めの利用に苦心してきた歴史がある。先日のウルグアイでの麻薬栽培への決定は、寧ろドイツでの法制化として適合しそうだというのである。しかし現在のところ連立内閣での協議として議案化される予定はないという。

麻酔薬ですら歯医者でしか使ったことが無く、睡眠薬も鎮痛剤なども無用な人間であるから麻薬に関しては分からないが、飲酒癖はあるのでそれと比較するしかない。自動車運転なども飲酒と同じぐらい危険であるらしいが、アルコールも十分に危険である。昨今の末期癌の痛み止めなどの話を聞くと、麻薬はとても重要であることもわかる。

規制が少なければ少ないほど官僚主義の比重を少しでも減らすことが出来て、国民経済を有効に動かせることは間違いない。これを否定するものはもはやいまい。



参照:
Auch Ernst Jünger würde sich freuen, Oliver Tolmein, FAZ vom 16.12.2013
覚せい剤の民主的な合法化 2011-12-04 | 歴史・時事
麻薬享受の自己責任 2006-12-08 | 生活
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つまった苦味に合わせる

2013-12-18 | 生活
バーデン・バーデンのへ通り道にあるフランスのスーパーに寄った。ワインなどを物色する計画である。前々回岩登りに出かけた帰りに購入したワインが良かったからだ。一時間の余裕を見ていたが、一時間以上滞在してしまった。

前々回目にしたワインも残っていたが、残り物はあまり良い買い物ではないことを学んでいる。高価な商品ではやはりシャムベルタンがあったが、年度を見て止めにした。良かったヌイ・サン・ジョルジュも2010年は売り切れていて、2011年も最後の一本となっていたので飛びついた。寧ろ悪いかもしれないが年度の差を見るには好都合だ。正直期待はしていないが、先がある。

もう一本は以前から気になっていたポマールのワインである。価格は少し高く27ユーロしていたが、試してみる価値はあると思った。ボーヌのワインより重いのかどうかは知らないが、2010年であり試してみる価値はあると思った。恐らく樽が効きすぎているのではないかと思うが、綺麗につけていればそれはそれでとても今後の参考になる。

食材は、十月三日のようにドイツからの大移動が無いのでそれほどの量は無かったが、ロートリンゲンのキッシュやアヒルのパイやサケのテリーヌなどを購入した。それ以外に魚類では、オゥスター貝と角貝を購入した。後者はドイツでは殆ど食されることが無いがフランスで一度食した覚えがある。フランスでブローとして親しまれている海鮮料理である。日本語ではエゾばい貝とか呼ぶそうだ。

ネットでレシピーを見ると塩ゆでして、冷やして若しくは温かいまま食する。オースター貝は殻を開けるだけの手間であるが、生であるので少し新鮮度が気になる。煮る方はそれよりは気楽である。ゆでて爪楊枝で中身をほじって食べた。尻尾まで十五個の内七個ぐらいは抜けたであろうか。サザエなどに比べると苦味もなく、食べやすい。塩水味で十分であった。

ワインは、若干の苦味に合うシャルドネを開けた。2011年産を出来立ての春に購入して、寝かしてあるものだ。二年経っていないので早いかと思ったが、最後の一本は来年開けてみよう。南フランスの完熟のワインであったが、新鮮な時は酸が効いていたが、今は苦味が出る。しかしまだ瓶完熟していないので中途半端な印象は会った。しかし酸は更に落ちるので重くなるだけに違いない、二日目には酸化が進んでいたので、新しいうちに飲み干す方が旨いのは確かである。白ワインは酸が効いていないとつまらないのだ。

日曜日、月曜日と二回走った。二週間休んだ後だったので、山の上までは駈けなかった。途中の緑のベンチまで2585歩18分、降りて来て4434歩30分とゆっくりと走ったのに続いて、月曜日も1989歩13分、降りて来て3155歩24分と低調であった。



参照:
カジュアルと手軽さのシャルドネ 2012-05-02 | ワイン
誤魔化し続けた垂れ流し 2013-07-22 | マスメディア批評
コメント (2)
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ブルックナーの真価解析

2013-12-17 | 
バーデン・バーデンで八十六歳のミヒャエル・ギーレン指揮の放送交響楽団の演奏会があった。プログラムは、シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲とブルックナーの第九であった。副見出しにブルックナーの十二音楽性とあった。演奏会に先駆けて二回にわたってオリエンティーリングがあるが、皆が期待した両独音楽の共通性への言及は残念ながら限定的であった。

シェーンベルクへの解析は全て省略して、ブルックナーの第三楽章へと話題を集中させた。20分の持ち時間である。しかし、二楽章に関してはとても面白い指摘をした。つまり、十九世紀の神秘思想家としてのブルックナーは典型的な産業革命の世代の芸術家であって、まさにそのスケルツォ楽章の動機自体が大工場の機械音其の儘であって、そうしたイメージは時代性として全く奇異では無いというのだ。土地柄カトリック系の聴衆が多いことであり、その真意は咄嗟に理解されたようであった。話者が指すような当時の工場はまさに教会を似せた建物であったと説明する必要もなく、ああした巨大な人智を超えようかとするような蒸気の強大な力こそは一神教の神に直結するものそのものなのである。

ブルックナーのスケルツォに関しては、この最後の創作に限らないが、その徹底した反復感が無骨な神経の田舎者の代名詞のようにして言及されることが多い。しかし、それをのちの二十世紀のモダニズムの工場の騒音のように捉えてしまうと、もはやそうした観念連想から離れることが出来ないような動機が存在するのである。

田舎生まれで、ザンクトフローレンス教会に籠っていたような雰囲気のこの神秘思想家のヴィーンでの生活を思い起こさせるそれは、その第三楽章にも十分に隠されていて、その第二主題の展開にそのものヴィーン風のユーゲントシュティールや唐草のアールデコを目の当りにするのである。全く田舎のそれではないことは確かなのだ。

ブルックナーに関してはなぜか可笑しな風采がそのままその創作と思われている節があるが、そもそも三楽章の第一主題群に注目していくと、全く異なった風景が拓けるというのが今回のオリエンティーリングの主題となっている。つまりホ長調の跳躍の旋律が、第七交響曲の上昇旋律に飾られるだけでなく、その旋律自体が反行形に繋がれて、それが展開されて対位法として響くという具合にまさしく12音技法の作曲となっているということになる。ここで初めてシェーンベルクとの共通項が現れる。

そのようにして、神への合一の動機や光の動機、そして聖霊の動機などが組み合わされての第一主題群と、その後の展開へとブルックナーの創作世界が広がっていくのである。もちろん、オルガン弾きの創作は、ストップ変換が其の儘管弦楽法として使われて、シェーンベルクが辿り着いた音色旋律などのそれから対位法的な扱いへと牽き繋がっていくことは付け加えることもないのであろう。更にもう一歩そうした創作の背景へと想像を膨らませれば、シェーンベルクのその一神教への神秘主義的な面にも光が当てられることになる。

こうした視点からこの楽曲を捉えると、なるほど椅子に腰を沈めたギーレン指揮の放送管弦楽団の演奏は非常に巧くデジタル処理されていて、可能な限りの対位法やその他の動機の重ね合わせやぶつかり合いを綺麗に整理して提示していたのは間違いない。なるほどLPで聞くシカゴ交響楽団のダニエル・バレンボイムの録音とはその精緻さやダイナミックスでは比較にはならない。それでも、名盤とされているシューリヒト指揮のヴィーンの座付管弦楽団などの演奏はもはや用無しであり、フォン・カラヤン指揮のベルリンフィルハーモニカ―の演奏ですら、その管弦楽団の演奏法がこうした対位法的なぶつかり合いを描き出すには不向きであり、シカゴの妙技などとは水準が異なるのを思い知らされるのである。そのピラミッド型のサウンドはこれはこれでど迫力があるのだが、ブルックナーのインティームな創作意図とは大分離れた場所での演奏実践なのである。そのように思ってブルックナー協会の会長であったオイゲン・ヨッフム指揮のベルリナーフィルハーモニカ―のLPを鳴らすと、驚いたことに絶妙なバランスで対位法の綾を描いている。流石の見識の高さとその演奏実践に唖然とした。その圧倒される音響にベルリンの管弦楽団もやればできたのを思い知り、嘗ては少々退屈気味に思っていたこの日本版LPの真価を悟るのである。(続く



参照:
反照の音楽ジャーナリズム 2012-02-27 | 音
我が言葉を聞き給え 2007-02-09 | 音
試着に悪戦苦闘する午後 2013-03-24 | 生活
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