安倍首相の靖国訪問が世界中に報道された。クリスマス休暇中に拘わらずの速報体制である。ここでも靖国問題については何度も繰り返して扱ってきたが、微妙な問題も孕んでいると宗教的な側面から考え続けてきた。しかし事情は変わりつつある。フランクフルター・アルゲマイネ紙は編集者がその背景も含めて伝える。
そこでは、難しい問題としてきたのは、殆どの日本人が何も知らないからだとなる。つまりBBCが先日伝えた内容を引用して、学校教育の場で、「人類の進化から第二次世界大戦まで」の歴史授業の中で、最後に近づくほどしっかりと教えられていないことをその原因とする。
つまり、アジア諸国へのそれが侵略戦争であったすることに異議は無いとしても、教育状況を遠因として、南京虐殺や慰安婦問題は戦乱状況にありうる状態として一般国民に徐々に相対化されて認識されてきた背景が、進行中の極東三国の紛争状況に深く結び付いているとする考え方である。なるほど、先の橋下大阪市長の発言にも耳新しい。そしてそれが、被爆国を傘にする日本国民の多くが、中韓から投げかけられる批判や感情的な「過剰」反応に不公平感を感じさせる要因となっているとするもので、日本人の歴史教養の問題だとする論評である。因みに被爆国となる原因すら教えて貰っていないとなる。
月曜日の天皇誕生日に皇居からメールを貰ったことでマイケル・ムーア絶賛のドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」に再会して、また天皇誕生日における報道内容の日本国内外の格差を日本のネットにおいてそしてFAZの記事において確認して、もはや靖国支持や大日本帝国復古主義批判に関してなんらそこに議論の余地のないことを思い知らされるのである。
天皇誕生日における明仁天皇の会見内容はNHKにおいて「重要な部分が割愛」されたことは東京の記者クラブ内や外交関係者の中で共通認識とされているようである。そこに既に日本国内においても情報格差が生じている。割愛された部分は、天皇のフクシマ被害や憲法擁護に関する部分で、FAZはそれをこれまでにない天皇の立場として、戦後アメリカ女性教師に教育を受けた明仁の生い立ちを手短に説明して、また在京ドイツ大使館の音楽会へのお忍びの訪問をする天皇夫妻が政治的な発言が出来ない立場にありながらも、国民の多くは一寸した天皇の身振りでその真意を汲み取っているため明仁天皇の国民的人気は高いとするものである。
映画「ゆきゆきて神軍」は神戸での上映会以来初めて全編を観ることが出来た。その主人公のお蔭で皇居のお立ち台に防弾ガラスが張られたことを思い出したからである。故奥崎氏がパチンコ玉を裕仁天皇に打ち込んでからだと思い出したのだった。そして当時は殆ど狂人としか思われていなかった故人は、生来の乱暴者だということに相俟って、現在ならば米兵にあるような戦争被害のPTSDとして認識されるものだと分かり、主人公の元上官が靖国訪問したと聞くや否や激高し暴力に及ぶ場面や、所謂白豚黒豚どころか日本兵を殺戮し人肉を貪らなければいけなかった大日本帝国陸軍の悲惨さは、まさしく靖国の本質を示すところなのである。
国会前の抗議行動で一般市民が「侵略戦争の真実は分からなくとも、少なくとも戦前の日本は市民にとって決して優しいものではなく、絶対逆行は許されない」とする意見がなされていた ― 最近は街頭で高等なレトリックを用いる市民が増えて来て安物政治家以上である。直接戦前の経験の無い一般の日本人が、今こうしてあの時代を十分に連想することが出来るようになってきたのであり、まさしく今回の靖国訪問が今までの度重なる閣僚らの試みとは異質の影響や環境を与えたものにした原因がそこにある。
FAZが書くように、そもそも1853年以来、対露を除いては、主に対韓、対中戦争の戦没軍人が祀られていることで、「靖国神社にもともと信望がある訳ではないが」とするように、まさにそこに祀られるのは国家主義の犠牲者であるとともに、大日本帝国が犬死を強いた人々が祀られていると考えるべきであろう。そして今またそれを繰り返そうと導いているのが安倍首相の行動であり、そのように世界的にも理解されているのである。しかしそのような重要なことを日本のマスメディアは伝えていないに違いない。そしてそれは311以降の日本人の姿に重ねられて、また沖縄市民への虐殺、そして現在に繋がる沖縄基地問題へと時の環が繋がるのだ。
1970年以降の戦争犯罪者の合祀によってその意味合いは更に変わる訳だが、そもそもの英霊を祀るという靖国の存在自体が、宗教的な意味合いや価値観とは全く異なったところで、所謂国家神道のそのものの問題であることは明らかだ。それは、軍属の恩給や遺族会やその後の責任を追及した前記の映画でも明らかになる。そもそもああしたものを護ろうとする日本人がいて、それどころか大日本帝国憲法などを有り難る復古主義者は、歴史の真実を見ようとしない人々でしかない。主義主張や思想や信条以前の問題である。フクシマの被ばくさえも風評被害として何もなかったかのように振る舞う現在の日本人と全く同じ人間なのである。そして祀るという行為で全てが許される世界観で日本政府は治められているのである。
明仁天皇の誕生日の記事に、「革命よりも改革」をモットーとすると書かれていた。深読みすればそのもの明治維新の否定ともなる。安倍政権は暴走していると言われるが、日本は今まで本格的な市民革命を経験せずにやってきた、しかしここに来て様々な市民運動の盛り上がりを背景に大きな改革の契機を与えているのが安倍政権であることは間違いない。
参照:
Wenn die Emotionen kochen, Peter Sturm, FAZ vom 27.12.2013
Der sanfte Rebell, Carsten Germis, FAZ vom 23.12.2013
国家主義へと歩む安倍政権 2013-07-25 | マスメディア批評
矮小化された神話の英霊 2006-08-21 | 文学・思想