Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2008年5月

2008-05-31 | Weblog-Index



熟成する力関係の面白味 [ ワイン ] / 2008-05-30 TB0,COM0
ミルク缶が冷やされる時 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-05-29 TB0,COM0
偏屈者の国際市場戦略 [ 試飲百景 ] / 2008-05-28 TB0,COM0
誠に貴重なご意見番 [ 生活 ] / 2008-05-27 TB0,COM0
スパイシーな相互感応 [ ワイン ] / 2008-05-26 TB0,COM2
活き活き横たわる五月鰈 [ 生活 ] / 2008-05-25 TB0,COM2
南北にワイン街道行脚 [ 生活 ] / 2008-05-24 TB0,COM2
聖体節の百年際試飲会 [ 暦 ] / 2008-05-23 TB0,COM0
問題児対策にみる成熟度 [ 生活 ] / 2008-05-22 TB0,COM0
シュヴァーベンの隣人 [ 生活 ] / 2008-05-21 TB0,COM0
静かに囁く笑い話 [ 生活 ] / 2008-05-20 TB0,COM2
森の泉の渋味の世界 [ ワイン ] / 2008-05-19 TB0,COM2
飽きない気持ち良い生活 [ ワイン ] / 2008-05-18 TB0,COM0
蝸牛が殻に篭るように [ BLOG研究 ] / 2008-05-17 TB0,COM0
俄かサボテン愛好の憂慮 [ 女 ] / 2008-05-16 TB0,COM7
工業成形される人生基盤 [ マスメディア批評 ] / 2008-05-15 TB0,COM0
蜉蝣のような心情文化 [ 文学・思想 ] / 2008-05-14 TB0,COM0
深く流れる情感の意志 [ 女 ] / 2008-05-12 TB0,COM3
清々しく熱い潮流 [ 女 ] / 2008-05-10 TB0,COM2
安定と静粛の乗り比べ [ 雑感 ] / 2008-05-09 TB0,COM0
新幹線の国際的競争力 [ テクニック ] / 2008-05-08 TB0,COM2
価値のある品定め [ 試飲百景 ] / 2008-05-07 TB0,COM4
とても幸せな脳の人達 [ 生活 ] / 2008-05-06 TB0,COM0
とても幸せな葡萄の光景  [ ワイン ] / 2008-05-05 TB0,COM0
旨えー、ヤギのチーズ [ 料理 ] / 2008-05-05 TB0,COM2
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熟成する力関係の面白味

2008-05-30 | ワイン
A・クリストマン醸造所は、二つのお披露目に華やかであった。一つ目は、なんと言っても当主がVDP会長に就任しての初めての試飲会であったこと、二つ目は、嘗ての納屋が試飲室としてお披露目されたことであろう。

「息子のマルティンを表に立てて」と、お母さんの強い意志を何度も聞かされたのは十五年以上前の話しである。短期間の内に協会の頂点まで登り詰めるには、それなりの理由がある。しかし少なくとも醸造所の中では醸造や小口販売においては隠れた存在であり続けた。そのような理由で、予測されたとは言いながら、我々を待ち受けて歓迎する当主の姿勢は、こうした顧客に対して通常ならば当然かもしれないことが、祝賀的な気分を交じえて受け止められたのではなかろうか。

そのお蔭で、東京でのドイツワインに対する苦情処理の話やドイツワイン関係者の対外への姿勢を質すことが出来たのは幸運であり、そのあと申し込んでいた三十人ほどの顧客を連れて地所を案内しながら語る様々なワイン農業に関する具体的な内容は今までにない分厚いものであった。

同じく、マンデルガルテンの手前でカペレンベルクの地所をその土地を掘り起こして採取面を見せるにしても、今VDPが取り組むバイオやテロワールを浮き彫りにする高次からの視線が感じられて大変刺激に富んでいたのである。

その一方、叔父さんの土地を譲り受けて新たに拡張して土地を有効利用して行く計画やワイン農協同組合の地所にみる荒れ方と市場の様相を一望する話には、流石に会長だけに視点が異なると感じさせる。

同時に、先代のをそのまま受け継いでいるそのプファルツ訛りの話し振りは、我々に氏が学んだ法学を考え直させるほどの印象を与える。それは、この醸造所が提供するワインの如何とも独自の味覚でもある。それを如何に楽しむ事が出来るかは愛好者の受け止め方によるだろう。

イーディックの茶室跡の丘の上で、供されたワインの数々のなかで秀逸だったのは、イーディックのシュペートブルグンダーであり、その価格32ユーロがその質を語っている。まるで高級辛口シェリー酒のような味のピノノワールである。

2000年産と2005年産のイーディックのグランクリュの飲み比べも注目された。ここでも、9グラム、4グラムの酸や糖のバランス以上に、土壌であるロートリーゲンデのスレートのような味は、なるほど日本食にこれを好む人がいるかもしれないと思わせる類似性を示していた。イーディックのリースリングは、この醸造所のフラッグシップであり、まさにその場所で試飲会ピクニックが開かれているのだが、歴史的な流れと農協による荒れた状況を、区画を少しずつ買い戻して行くことによってその特別な土壌を回復させて行こうとする意志が語られる。

いわばこうしたレコンキスタのような動きは、ビエンガルテンなどでも買い取りが進められて土地改良へと動いている。その土地は、四年毎の土の掘り返しによって、一つおきの畝毎に根掘りはおりと植え替える下草に、バイオダイナミック農の共通した取り組みがある。そのためには葡萄の根も真っ直ぐと下に伸びていくべきなのである。

その摂理は、御得意のビオデュナミークにおける「宇宙の力」を、今はまだ科学的に解からない力として積極的に利用することで、過去にそうであった「科学的前進」を将来にも繫げようとする旨が表明されるとなると、どうしても疑問の声が方々で聞かれる。そこで、「それならば百年後にもう一度ここに集合してその結果を皆で確認しましょう」と再会を期すことになる。

上に暗示したように、この辺りの知的な認識が、明らかに我々とは異なる所以で、そうした違和感がその製品であるワインに表れているのは当然ではないだろうか?あの独特の酸の出方は、上手く経年変化してそこに初めは量感のある酸に隠された糖分を強調することになり、尚且つ同じビオデュナミックを信仰するビュルックン・ヴォルフの有り余る内包量とはまた異なる弱った熟成を示す事になる。糖比重が97度ほどに押さえる独自の判断は、その熟れ方に表明される。

その熟れる前の時期をクリストマン氏は、「思春期」と呼んで二三年のリースリングはニキビ面で様々なものを発散しているとする。つまり、ここにおける熟成は、落ち着きをみせた中高年の姿ではないだろうか。現代社会における青年期は、益々長くなっていることを考えると氏のイメージはかなりクラッシックなものである。

その幾分糖の勝ったフィルンに近づく静的な熟成は、ビュルックン・ヴォルフのいつまでも酸が強く殆ど新鮮で動的な熟成とは大きく異なる。価格面において、後者の強気の価格構成を十分に意識したこの醸造所の政策がどれほど市場で受け入れられているのか、規模が小さいだけによく分からない。



参照:
スパイシーな相互感応 [ ワイン ] / 2008-05-26
偏屈者の国際市場戦略 [ 試飲百景 ] / 2008-05-28
南北にワイン街道行脚 [ 生活 ] / 2008-05-24
活き活き横たわる五月鰈 [ 生活 ] / 2008-05-25
聖体節の百年際試飲会 [ 暦 ] / 2008-05-23
ドイツ旅行記2008年5月(第6日目:5月8日)その1 (DTDな日々)
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ミルク缶が冷やされる時

2008-05-29 | アウトドーア・環境
昨晩は初の熱帯夜?であった。寝苦しく二時間ほどで目が覚め、温度計を見ると摂氏23度を下っていなかったので窓を開けて眠った。寝不足気味の朝で、昼が近づくと、益々蒸し暑くなった。

ドイツの酪農家の供給停止のストライキが話題となっている。日本では生協に最後かも知れないバターが入荷した時に購入した。バイオ燃料のおかげとも、中国人が乳製品を需要しだしたからとも言われる世界的におかしな状況が起っている。

今回のストライキによって我々一般消費者が知るようになったのは、牛乳の過剰生産体制と従事者の過剰のようだ。2015年まではEU内での各国に分量の割り当てがあり生産調整が行われていることは承知であるが、リッター当たりの買い取り価格30セントと40セントの間の攻防となっている。

今回の酪農家のストライキも大手のスーパーチェーンや牛乳生産場に取って殆ど影響を与えないと言われる。ドイツで原料を買えなければEU内でそして世界で20セントの牛乳を仕入れればよいだけで、実際に一月以上の貯蓄が可能と言われる。

酪農家にすれば、バイオ燃料の余波をまともに受けた飼料の高騰から生産コストをはじき出すと、現行の価格ではやっていけないことがわかる。一方、スーパマーケットなどの市場の支配と寡占化が進んでいて、生産者を通して酪農家へとその価格圧力が掛かる市場構造を我々最終需要者知らなければいけない。

そしてグロバリゼーションは得体の知れない品質の悪い食料品をスタンダードにして行く。因みに今購入している乳脂肪3.5%の生牛乳は価格上昇したがリッターで70セントしない。35セントで熱処理してパック詰めされて、輸送されて市場に出る。

かなり狭い利潤の可能性しかそこには存在しない。夏にはアルプスの山奥で雪解け水に冷してあるとれとれの放牧の牛乳をみることがある。それが地元で消費されようが、乳製品となって付加価値がつこうが、原価価格は市場の圧力という流通機構の下にある。
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偏屈者の国際市場戦略

2008-05-28 | 試飲百景
レーブホルツ氏は変わり者である。昨年、氏の醸造所を訪問しようと電話をした節、1990年のワイン女王である奥さんが電話に出て、なにが試飲出来るかと尋ねると「全然ない」と答え、その後の試飲会への誘いもなかった。

なんと商売っ気のない醸造所かなと思ったのだが、今年はレープホルツ氏が会長を務めるVDP-Pfalzの記念年であり、是非押し懸けるために、電話で予約を入れておいた。追い返されるような状況を心配したからである。

電話口の親仁さんの声も支部長と言うよりもどこか職人風の一途さを感じた。いざ、出かけてみると、小さな町にあるワイン街道沿いの醸造所の門の前で道路工事をしていて車線が狭く駐停車出来なくなっている。変わり者は決して好かれないと思うのだが、それを自覚して、パンフレットにはメインストリームを避けながら世界的な支持を得ていると言うようなどこかの誰かが言うような能書きが見られる。

門を入ると奥さんが挨拶をするが、こちらもこうなれば負けずに変わり者である。「リストは何処にある」と、「あとのことは如何でもよいわい」と、リッターワインから試飲を早速始める。一グラムを切る残糖のリースリングは木で鼻をくくったようなもので、あまり感心しなかったが、少し以前ならば酒場などで糖尿病ワインとして飲まれていたものにも近い。次に、「雑食砂岩のキャビネット」に移るが、これもかなりの辛口で、なかなか頑固である。親仁の酌のついでに、「2005年の雑食砂岩キャビネットは自然発酵と聞いたが」とそれについての見解質すと、「無理してやらない」と言うことで、これは一筋縄ではいかず、なかなかやるなと感じたのだった。

シュペートレーゼへと移っていくと、流石に旨味が少しづつ出てくるが、素っ気無さは変わらない。ロートリーゲンデ層に続いてムッシェルカルク層へと味付けが濃くなっていく。

折からのインフルエンザらしき腸の不調から休み休み試して行くが、到底甘口などに行くほど元気はなく、休みながらサンドイッチなどを摘んで再びキャビネットに還ってくる。すると、食事への相性はまことに見事であり、雑食砂岩の味気無さががとても美味い。

予告されていた17時からの「レープホルツの講話会」では12種類の新旧のワインがコメントされながら試される。その中で、24時間の積み取りジュース「マイス」のつけおきなど、健康な葡萄からのエキスを残らず吸い取る方法が提示されて、そのワインの「ミネラル質の塩」の量がここから導かれていることを示唆していた。

また1996年を筆頭とする古いワインをそこに混ぜることで、ワインの成長の行くへを示し、新しいワインを「思春期のワイン」として扱うなど、ここのワインのあまりにもの突っつきの悪さを解消すべく、土壌の味覚を体験させながらの紹介となった。それは、思春期の二年ほどを経て落ち着いて来たワインらしいワインの対語であり、翌日訪れる会長のクリストマン氏の用語「思春期」とは若干異なる。また、三度目の飲み頃の山を四年からとすることが多いが、レープホルツ氏は五年からとしていたのが興味深い。その時点で、石油臭くないことが重要としているようであった。

貝殻質土壌のグランクリュ化への意欲は同時に市場の拡大を意味していて、生き様を見せるのではない、本物の偏屈者振りを示していたのがおかしい。なるほど、リースリング以外のムスカテラーなどを美味く作るコツを得ていて、市場を逃がさないのは、決して氏がヤクザな人間でなく、一途な職人としての生き方を知っているようで、その人間性に好感が持てた。

結局、この醸造所の最もスタンダードである雑食砂岩のカビネットとシュペートレーゼを、各々四本と二本注文すると、PCの前で「(ワインソフト)の画面が大きくならん」ともたもたしながらも、注文のために住所名前を書き入れた「票を置いて行ってくれ」と、同類の匂いをかぎ取ったようだった。

特筆すれば、これほどある種の食事に「旨味」を示すキャビネットはないわと、近い内にまた買い足しに行かなければいけないと考えさせるリースリングであった。リースリング以外の葡萄にも土壌の味を付ける文字通り「塩味」に満ちた「レープホルツのワイン」は、料理に味を添えるのである。



参照:
南北にワイン街道行脚 [ 生活 ] / 2008-05-24
スパイシーな相互感応 [ ワイン ] / 2008-05-26
活き活き横たわる五月鰈 [ 生活 ] / 2008-05-25
聖体節の百年際試飲会 [ 暦 ] / 2008-05-23
ドイツ旅行記2008年5月(第6日目:5月8日)その2 (DTDな日々)
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誠に貴重なご意見番

2008-05-27 | 生活
ルフトハンザから手紙が届いた。なにも備品を頂戴した覚えはない。フランクフルト到着時に狭苦しい座席の忘れ物を点検するためにイスのクッションを外して小姑のようにゴミを見つけたが、また大阪到着時に旅行中の読みものにと雑誌類を探ったが。

スチュワーデスを口説いても、またストカー行為も場合によってはありえるかも知れないが、よく問題となるセクシャルハラスメントは信条に反してありえない。

先日のご意見への回答であった。ご意見の内容は既にここに紹介した通りだが、読み難い字を丁寧に読んでくれたようだ。

要約すると、「大阪への飛行の印象を提示頂き有難うございます」と始まって、「お客様として大変お贔屓にして頂いており、ご意見はまことに貴重なものとして伺います」と、会社と顧客の関係を明示している


「この度は、飛行中の食事とワインの質に関して、お客様の機内での常時快適を心がける我々の機内サーヴィスが、期待に応えられなかったことを残念に思います。」と苦情に遺憾の意を示す。

「お客様のルフトハンザに対する要望は、特別に役に立つもので、非常に真剣に受け止めておりますことをご確認くださいますようお願いいたします。」と苦情の内容を、「よって、お客様方のご指摘を我々の今後の製品の向上と開発に活かすべく、担当の部署に早速批判として報告しました。」と型文を書き添え、最後に次の様に結んでいる。

「この度のご不快をなにとぞお許しくださいますよう宜しくお願いいたします。そして、今後ともお客様の信頼の翼としてあることを願っております。」と、そして更に次の搭乗を期待して文を結んでいる。

ドイツ企業としては特別に丁寧な文章で、航空業界の特異性が見えて来るようだ。なるほど今回も「様々な都合からフル料金を支払っていたら」とする立場に立っての批判であったが、今後A380などの大型旅客機導入においては、飛行の安全の次に客室サーヴィス内容は益々重要を増してくる。

ザウマーゲンやエルステゲヴェックスを提供しろとは言わないが、新鮮なリースリングや気の利いたジルファーナーやソーヴィニオン・ブランなどを美味いドイツ料理に合わせて欲しいものである。

これで廻りまわって、少しは、ドイツワイン業界の援護射撃になっただろうか?世界中の乗客にドイツワインの実力を紹介して、それとなく広報するのは、最終的には良いドイツワインの経済的な仕入れにも繋がり、更に決して小さくない経済効果を生み出すと思うのである。



参照:クレーマーの楽しみ方 [ 雑感 ] / 2008-04-22
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スパイシーな相互感応

2008-05-26 | ワイン
五月の試飲を終えた。木曜日から日曜日までで六箇所の醸造所を巡った。各々非常に勉強になる試飲であった。最終日は予定していた一家族が子供の不調故に参加を見合わせて、もう一家族もお母さんと子供だけの参加で、一日代理お父さんのような按配となった。

自宅から歩いての試飲会は健康的で優に一時間半以上は歩いた。途上、ホールンダーの白い花などを指摘され、なるほど一人で歩いているのとは情報の収集能力が異なり情報量も遥かに多いだろうと、これまた植物や地質などに見識のある人物と散策すればさぞ学ぶことも多いだろうと、それを希求するのである。

それにしても、この数日間の出会いや学びの多かったことは試飲行者行としては特筆すべきである。最終日にはザールのシュロース・ザールシュタインが、ゲオルク・モスバッハーで試飲会開催しており、これまた大変学ばして貰った。

ワイン発注の返事を待つ緑家さんの「奥さんに直訴してくれ」との指令を受けて、そのワインともども奥さんにも迫ることが出来て最初からかなり踏み込むことが出来た。ワインの果実風味がここ地元にあるものとはことなり、その1966年と1943年の古い葡萄から醸し出されるものは意外にも新鮮なヴァイタリティーに満ちたものであり、その葡萄のクローンを感じさせる。これまた、全面的に奥さんの予想や緑家さんの評価を信じて成り行きを試すことにした。こうした機会を素直に受け入れることも学びや出会いには肝要であろう。

肝心のモスバッハーのワインは、2007年産は明らかに上を目指しているリースリングであり、ロープライズ狙いではそれを見逃してしまう可能性がある。例えば、ヘアゴットザッカーなどは秀逸で、そのスパイシーな味わいは絶賛できるフォン・ブールのものと比べても十分に対抗できるのである。そして価格は1ユーロ30セント廉いが、こちらの方が長持ちするに違いない。

一連の試飲において、交じあった協会役員や醸造所の面々、さらに熱心な顧客達との交流は、当方が受けたのと同じだけ先方にもなんらかの感嘆や情報を与えている訳で、こうした相互間の刺激合いは、本年が記念年であったと言うだけでなく、ドイツワインの大きな活力となって必ずや大きな力となって収斂してくるものと確信している。
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活き活き横たわる五月鰈

2008-05-25 | 生活
前日のVDPプファルツの支部長のお話に続き、VDP会長の案内でワイン地所を散策する。午後三時に醸造所を三十人ぐらいで出発して、カペレンベルク・マンデルガルテン・ビエンガルテンを通ってイーディックへと一時間以上かけて到達。そこの茶室跡でピクニックとして、四種類の軽食に古いグランクリュワインなど七種類のワインを会長の酌と進行で試飲する。

食事と参加料金ならびに醸造所へ帰還後の購入などで批判も聞かれたが、その案内内容とワインでは賞賛するしかない。その内容については多岐に渡るので改めて書き記さなければいけないが、会長自らの意志と意欲が大変伝わったことだけでも明記しておかなければいけない。

その前に個人的に日本でのドイツワイン体験報告をした際、日本人が求めるようなお役所依存型の甘えた市民社会の封建体質と諸外国の政府機関の取り組みとドイツ連邦共和国におけるそれの比較において、「本当は自ら団体自身が十分にやらなければいけない課題なのだが」とする考えを聞き出せたのは大変有意義であり我が意を得たりの心境である。具体的には、なかなか難しい問題が横たわっていることは周知であるが、ドイツワインを代表する立場として自由主義社会の団体としての覇気を示してもらいたいものである。

その後、五月の鰈を食して、五月の試飲も日曜日の最終日を残すのみとなった。一向に腸の調子は悪く、帰宅後トイレに駆け込むのは変わらない。シャワーを浴びて出てくると電話が鳴った。東北から友人がワルシャワでの学会を訪れた帰りにフランクフルトに寄ったので、「先日、神戸から東北への電話のお返し」と電話をしてくれた。

「一体何処に墓を作るのだ」といつもの調子で縁起でもないことを言うので、

「墓などは残された家族のもので、自分のものではないから」と少し近況を話しておいた。
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南北にワイン街道行脚

2008-05-24 | 生活
醸造所を二件廻った。その前にお土産のザウマーゲンのお買物に付き合う。ミニザウマーゲンを栗や茸入りを中心に選ぶ。ロゴをつけた帽子を被って、なかなかのセールスマン振りである。

一軒目では、グランクリュワインの極みを示そうとしたのだが、ならなかった。試飲者の好みとして、辛口のリースリングになんらかの旨味がついている柔らかめのリースリングを考えていたので、少々分厚目ではあるが、内包するものが詰まっているグランクリュを勧めたのである。

趣向の第一点は適合すると考えたのであるが、第二点の柔らかさを失念していた。要するにアルコール度の高いものはピリピリするとして受け付け難いようであった。我々常習の飲酒者からすれば、アルコール度が高くとも飽きずに幾らでも飲めるリースリングは嘱望の的であり、存在感があるボディーがあって更に悪酔いなど一切しないグランクリュ・リースリングは高嶺の花であり続ける。また、数年後の開花を期待して備蓄しておく楽しみもある。

そして結局アウスレーゼやベーレンアウスレーゼの甘口が選ばれた。勿論それらを二十年ほど取っておく喜びは捨て置けない。

そしてガーデンでスープなどを食べ腹を整えて再出陣した。二件目は当方にとっても初訪問のVDPプファルツ支部長のレープホルツ醸造所である。二十数キロの距離ではあるが、その南ワイン街道に位置して雑食砂岩のリースリングは痩せており態々そこへと試飲に足を運ぶ事はなかったのである。

谷奥から流れた地盤の集積地であるその一帯の土壌の恩恵を極力絞り出す必要があり、まさにそうした一途な試みがこの醸造所に世界的な高名を授けた。

試飲記や内容は改めて纏める必要があるのだが、子沢山の大家族総出で催す田舎の醸造所が如何に特徴的な製品を作り出しているかを知るのは大変興味深い体験であった。同行した女性方にとっては途轍もない極辛リースリングであったのだが、それでもムスカテラーなどを買わせるラインナップにもモットーは曲げないまでもなかなかの手腕を見せた。

それにしても予想通りの職人とそのワインは、我々かなり行ってしまっているリースリング愛好者を擽る人間性と哲学を示していた。その思春期の娘や末娘などが我々に親父に似た独特の人間性を見て、親近感を持つのもむべなるかなである。

ダイデスハイムに戻り、久しぶりにシュロースレストランに行き、お互いの無事を先代の奥さんと確認して、レヴァー団子やアスパラガス、フィレの細切れなどを食す。流石にヴァイツェンビーアすらなかなか口に入らないほど、皆アルコールで体内がやられていた。

久しぶりに連夜外食するが、どのレストランも、レーブホルツの説明にある「ワインの塩気」以上に、料理の塩気が強いと感じる。
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聖体節の百年際試飲会

2008-05-23 | 
VDPの五月の恒例行事から試飲週間の山場に掛かっている。昨日は百年際で立食パーティーなども開かれていたが、フォン・バーッサーマンとフォン・ブールの両方で試飲した。

同行した女性の一人は、甘み・アルコール・酸の均衡した辛口ワインが好みで、さらに特別に甘口のパラディースガルテンをお馴染みであるバッサーマンで購入した。もう一人の女性がキーセルベルクを評価しているのに対して、まだ十分に味が纏まっていないウンゲホイヤーに、それでも先行投資する究極の嗜好が散見される。

そして、続けて訪ねたフォン・ブールでは、既に売りきれたキーセルベルクに代わってヘアゴットザッカーが注目を浴びていた。驚いたことに今や飲めるワインとなっているのである。日本へは若過ぎるのを承知で持ち込んで、緑家さんに特別に試飲して頂いたが、通常の人には勧められないものであった。

それが今や誰もが注目できるリースリングとなっており、バッサーマンのキーセルベルクは買えない女性がヘアゴットザッカーは即六本買い出来る商品となっているのである。そしてこのワインはまだ一年ほどは十分に楽しめるのだ。そして幾らか上のものよりも廉く大変お徳なのである。

その後、ヴォイバウワーの親仁と嫁さんの給仕で食事をする。フロンライヒナムの祝日に因んだ訳ではないがプファルツ民族料理のザウマーゲン・ブラートヴュルスト・レヴァー団子の「三位一体」の皿をお二人に試してもらう。


その後、グラインヒューベルからホーヘンモルゲン、キーセルベルク、カルクオッフェンを通っての散歩後、イタリアンアイスで締めくくった。二人を最寄の駅に送ってから帰宅する。腸の具合が悪く、結構試飲は厳しいが、明日に備えて体調を整える。
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問題児対策にみる成熟度

2008-05-22 | 生活
町の問題児について、住居オーナー共同体と管理会社の会合で、また話題となった。二十年近く繰り返されている恒例の話題である。

問題児と言っても八十を遠に過ぎた彼の爺さんである。彼がまた、弁護士を使って住居の不備を訴えて、その騒音から寝られないので改善しろと主張している。その問題は先頃彼の家を訪れた時に説明された事象である。

問題児の憎まれ爺さんは、いままで数え切れないほど住居者を追い出してきている。我家を訪れた者で彼を知らない者は殆ど居ないであろう。人の駐車のスペースまで彼が一手に管轄するだけでなく、役所でも何事にも一言かまなければいられない。かなり病んでいる。偶々、子息の嫁さんが日本人なのでこれ以上は書けない。訴えられるといけない。

いや、私は数少ない彼の支援者の一人であり、先日も日本からお土産を携えただけでなく、今回も一言コメントしておいた。なるほど、部屋を貸している大家の立場や隣近所に住んでいる者のように、甚大な被害をこちらも直接受けていれば、大問題なのだが、今まで受けた被害は数えるに足らない。

管理会社の第三者の一人が、彼が少年達に自転車の手入れを指図するのを観察していて、とても好々爺に見えたと感想を述べていた。他の一人も病気後勢いは大分弱っていて以前ほどの問題はなくなってきていると語った。

私が好意を寄せる女性も「料理中にも食事中にも、況してや床に入ってから、私は一切応対しないからね」と三回にも渡る挑戦をあっけなく撃退して、構って貰わなければいけない老人として彼を扱っていた。

少し引いてその情景をみていて、当時者の怒りも十分に理解出来るが、絶えることなく衝突を繰り返す爺さんの訴えを、先入観なくどのように解決するかに興味を持った。

結論は、直接攻撃を受ける住人は、決して爺さんに直接対処せずに管理会社へと苦情を回すこと、そして法的手段に訴える爺さんに対して出来る限り苦情を聞いて対処する姿勢を管理会社が示すなどの対処策が決められた。

如何にはぐれ者で厄介な人間であろうが、受け止めてやることが、相手を叩くことよりも肝要なことが確認されたのである。さて爺さんが、出した刀を、適当な所でどのように鞘に収めるかがみものなのである。

はずれものに対して厳しく対処することは馬鹿でも出来るが、なんら効果をあげるとは限らない。寧ろ、そうした者を社会が囲い込んで仕舞うことが出来れば、それは成熟した社会に値するに違いない。

こうした対処の仕方に、その社会の程度やその構成員の人間の各々の程度が表れる。「いつまでも活動的に、政治などにも関わって行かなければ」と語る爺さんが、ありえないがもしアルツハイマーなどに倒れると悲しい。皆は、爺さんも長くはないとみているが、「憎まれっ子世に憚る」を地で生きている。
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シュヴァーベンの隣人

2008-05-21 | 生活
神戸の隣人の話。野外灯を燈したまま明けた朝、近所のドイツ人がやって来て、注意を促す。

「夜中中外灯がついてました。勿体ないですね」

珍しく積雪を見たある日、そのドイツ人は、ホースを使って水をかけて雪を溶かしているご近所さんを見かけて、

「水をかけてはいけません。凍結しますから」

余分なことをお節介に云うドイツ人の典型でもあるが、雪を知って倹約を云うのはシュヴァーベンに違いないと察した。

先日の日本訪問では日系二世の親戚がおいて行った形見代わりのベースボールキャップを使った。それでは何処に行っても日系人にしか見られなかったので、新たな帽子を購入した。プファルツからの人間と直ぐに判るロゴが入っている。旅行には今後これを使う。

それを被って海外に行ってもあまり声は掛からないかもしれない。特に日本に駐在しているものにはシュヴァーベンが多いだろう。「計算づくし」は、世界共通の言葉だからである。プェルツァーは少数民族である。



参照:三世紀を架ける思い出 [ 雑感 ] / 2008-03-26
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静かに囁く笑い話

2008-05-20 | 生活
葡萄の中を歩いていて先日仕入れた笑い話を思い出した。


友人の公認会計士が語った:

ある会計事務所で日本人の受託者が、その内訳などについて会計士と相談していた。


「分かりました。それなら支払い書などを集めて提出してください。税務処理しますから」

「それでは、旅行費用はどのようになりますか?」

「え、なんですか?」

「leise Kostですよ」

「一寸待ってください」とドアを閉めに行き、周りを見回してから、席に戻って小声で囁く。

「それは、一体どういう性質の費用ですか?」

「いえいえ、旅行した時の、ほら、宿泊代とか」

「ああ、Reisekostenですね」

「そうですよ」


完全にバイエルン式のRの発音になっていると言われ、いやはやRとLの発音の区別は日本人にとっては難しいという話題になったときである。

Reiseは「旅行」を意味する名詞であるが、leiseは「静かな」を意味する形容詞なのである。

故桂枝雀の「かぜうどん」を思わせる情景である。
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森の泉の渋味の世界

2008-05-19 | ワイン
ブュルックリン・ヴォルフのランゲンモルゲンをアスパラガス料理に開ける。この2006年産ワインの少量収穫の中、その一部を逸早く確保したのである。醸造責任者の勧めに応じて、まるで水のように流れるこのリースリングを購入した。

その後落ち着き始めると、初めに感じた静的な印象が強調されて、アルコールやミネラル味の裏に酸が隠れるような不思議な味となった。個人的には若く弾けるようなリースリングが好みなので、こうした着物を着た大和撫子のようなワインは苦手であり、既に三本以上を試したが一度も満足出来なかった。

そのような趣向もあり、元々若年寄りのような謂わば舞妓さんのような雰囲気のリースリングであったので、どうも手が伸びずつまらない思いをすることが多かった。しかし、先日2007年産を試して、その強く元気な酸に興味をもって半ダース購入したので、比較対象にこれを試すことになった。そして、もうそろそろ飲み干すべきだと言われたのである。

今回は、最初からハーブティーで口を整え、デキャンタをして一滴も無駄にせずに試そうと思ったのである。その味の傾向からアスパラガスが合うことは分かっており、万膳を期した。

今までの印象は覆されること無く、その森深くにあり人知れず水を湛えた泉のような静的なおとなしさは変わらないが、評価は変わった。何よりも深みが違う。決して底無し沼のような深みではないのだが、ざわめき一つない平らな面の下にいくつもの層が眠っているようだ。

全く酸が表に出て来ない不思議は、村の七不思議のような趣があり、今まで感じていた苦味はまさに玉露の甘みである。そして何を思い出したかといえば、日本でご馳走になった熟れたザールのスレート土壌のリースリングである。あの海藻のような代わりにここにあるのは、雑食砂岩の基調であるが、あたかも珊瑚礁のような静けさである。

あとに出て来る酸の重い圧力にゆったりと揺らぐ味の中には様々な土壌の味が滲み出てくる。是非、日本食にも合わせて頂きたいと思わせる。

このように考えてくると、人の好みも様々でそれはそれで良いのだが、上のような静的なものに見出す美観は、受ける方が見出してやるものかといえばそうとも言えない。動的で弾けた若さを受け止めるのは、こちらに体力があれば必ずしも難しくは無く、それを判断するのは容易である。

しかし、動きの少ないものを観察して細かく受け止めるのは、試験者に同じように平静さが求められる。試験者は生物であるので、全く静止することは出来ないのだが、こうした細やかさを受け止めるだけの自己コントロールが出来ていないと判断出来ない。

まるで、「雪国」を一向に読み進める事が出来ない読者が、渋味の世界を探っているようなもので、そうした良さが解るようになるには個人的にはまだまだ四半世紀ほど掛かりそうである。


参照:ランゲンモルゲンとはこれ如何に (新・緑家のリースリング日記)
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飽きない気持ち良い生活

2008-05-18 | ワイン
昨日、一昨日とやっと本を読む時間が取れた。一滴もアルコールを摂取しなかったことが大きいだろうか?日本旅行、フランス旅行を挟んで、その準備や時差以上に思考の転換が必要だったことが、集中力の低下に影響していた。三月以来初めてやっと落ち着いた気がした。

その症状が老人性更年期障害かと思ったぐらいであるが、実際には関心事の三大モットーに集中していて、至ってヴァイタリティーを向上させているのである。ここ数年の傾向と水準からすれば、明らかに上昇傾向が感じられるが、今世紀になってダイエット生活を始めた以前の活力へと近づくのか、それともその是非なども検討しなくてはならない。ある程度低カロリー低消費の方が今日のライフスタイルには適しているように思うが如何であろう。

バッサーマンヨルダンの試飲会に参加した。念を押していた醸造蔵見学が無いと知って気落ちしたが、試飲は十分に出来た。しかし、蔵内での試飲はワインの色なども判断出来なく、心理的にもあまりよくない。昨年はワインの温度に苦言を呈したが、今年は他のことを苦言しなければいけない。やはり、企業家などに握られると先行きは暗い。

ワインの方は、ライタープファードも良い評価を得て、やはりキーセルベルクと言う声も喜ばしかった。先週からこれで二人の女性の味覚によって、ここで今年になってから何回も書いたことが再び確認された。

ウンゲホイヤーも一片の砂糖味が気になるが評判は良く、今回良いと感じたものにグラインヒューベルのこってり感がある。またアウフ・デア・マウワーのキュヴェーが、自然酵母で醸造されているなどそれなりの商品開発をしていたのは注目された。このあたりは改めて試飲しなければいけない。

傘下協賛としてシュヴァルツ氏のキュヴェーや本人もそこに居たが、ミュラー・カトワール当時もであるが、氏の仕事振りは一般に言われるほど関心しないの一言に尽きる。当時のビュルガーガルテンも必ずしも今と比べてそれほど優れていた訳ではない事をここに明確にしておきたい。そして強く長持ちするリースリングでは必ずしもなかった。

今回、比較的評判の良かったものにアイスヴァインやトロッケンベーレンアウスレーゼさらにショイレーべのアウスレーゼなどがある。比較的飲み易い糖度で上手に作ってある。しかし、この分野においては先代の醸造親方ヘーネ氏のあの分厚くて強い掌を髣髴させる強烈なリースリングは今は無い。今も蔵に眠っている二十年以上経ってから飲めるようなワインは消え伏せた。

現在のリースリングのトレンドは、繊細で早飲みして美味いものと、グランクリュのように上手く経年させて楽しむものとの二傾向であると思われる。その中で甘口もか細く早飲み出来るものが作られているようだ。所詮甘口リースリングの消費量は限られていて、隙間商品には他ならない。

帰りの車の中で、キーセルベルクを一押しした女性と話した。幾ら飲んでも飲み飽きない、何時までも気持ち良いリースリングがやはり良いワインであると。

低消費とは矛盾するが、糖価を押さえて、無理なくアルコール化した良質のワインは、本来の意味でのバイオ商品であり尚且つ今日のライフスタイルに合致していると考える。



参照:
昨年とは異なる今年 [ ワイン ] / 2008-04-27
不思議な風景と惜別の情 [ 雑感 ] / 2008-04-20
小雪ちらつく強い花並木 [ ワイン ] / 2008-03-07
特産品を特別に吟味する [ 試飲百景 ] / 2008-03-03
プァルツの真の文化遺産 [ ワイン ] / 2008-01-13
吹っ飛んだ休肝日 [ 試飲百景 ] / 2008-01-09
桜は咲いたか未だかいな [ 試飲百景 ] / 2007-11-30
道に迷って思わぬ出会い [ 試飲百景 ] / 2007-10-08
フランケンシュタイン蔵 [ 試飲百景 ] / 2007-05-17
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蝸牛が殻に篭るように

2008-05-17 | SNS・BLOG研究
幾つかの興味深いディアローグがあった。対立する意見の並置あり、さらに止揚されるべきテーゼあり、視差に事の本質を垣間見せるたりありで様々である。

その内容に関しては、どれもここで比較的よく扱っているような話題なので、繰り返しになるような自らの私見はここでは述べない。しかし、掻い摘んでその要点だけを指し示しておく。

一つ目*は、日本社会における個人と社会の関係で、我々からすれば自己犠牲とされるものも個人の自由として、― おそらく生甲斐やライフスタイルとして ― 考えるべきだとする意見である。もちろん、そこには無制限の自由はないという自明があるのだが、その甚大なる価値を社会の各々がどのように扱い議論して行けるかが要点であるように思われる。

二つ目**は、上の件にも関わっているが、己の食生活までをも社会の規範の中で位置付けようとするかのような「解放されていない社会」の存在である。そこでは適当な市場を形成して、仮想社会を経済と言う現実社会に見せ懸ける事が可能なのである。明らかにボトムアップの決定と志向がそこにはなく、トップダウン式の封建社会が未だにそこに存在している証拠であろう。その目的のために日本では歴史的に稲作が為政者により利用されているのは周知ではないか。

三つ目***は、最も複雑な話題なのであり、容易に争点を纏めることはできないが、重要な点である自己と外界との関係とその提示に関する。つまり、認知不可能なもしくは制御不可能な現象に接するとカタツムリが殻に篭るように外界から仮想の自己を遮断するのである。その仮想自己の世界が心情となる。

自己と環境の関係は、システムの把握方法に他ならなく、それを認知するものが世界観と言えるのだろう。



参照:
日本人の働く目的は* (クラシックおっかけ日記)
VDP新酒試飲会 in マインツ** (モーゼルたより)
蜉蝣のような心情文化*** (Wein, Weib und Gesang)
「『ロハス』ということ」 (関係性)
蜉蝣のような心情文化 [ 文学・思想 ] / 2008-05-14
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