Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

強制退去のつがい

2020-10-09 | 雑感
連休分を取り返した。月曜日、火曜日、木曜日と走った。土曜日には晴れるので摂氏一桁台が予想されるがさっと峠を攻めれば完了である。四回の総距離を合わせても大した距離ではないが、雨の合間に上手く走れた。なによりも体調が上がって来たのがいい。週末は晴れるので、月曜日に三年ぶりぐらいにボールダーに出かけれるか。散歩がてらに岩肌を触るだけでもいい。

ペトレンコ指揮CD五枚組、192kHzハイレゾ聴き比べも最終曲となった。「悲愴」である。これもCDでは昨年出ていたSACDとは当然ながら別のグラスマスターを使用していた。そして終楽章の繋ぎに余白を入れて素人の仕事ぶりを明らかにしていた。折角キリル・ペトレンコが指揮生活で二度目の拍手無しは二日以降だったのだが、酷い編集となっている。その事には目を瞑るとして、ここではそれらを無視してマスターの音質だけに集中する。

なんと全く同じ四つのファイルの様だが音が異なる。ざっとした印象ではやはりそのSACDとCDとの差と同じように昨年のものは音が賑やかで、今回のものは落ち着いて且つ深みがある。要するに細かなところまで立体的に聴こえる。デジタルファイルに伴うオカルトに寄与しないが想像される相違はコピー時における転送速度等に係るエラー数だと思う。明らかに今回のマスターリングは丁寧に行われていて音質はとても良い。それがオリジナルとされる42Bit192kHzでも確認されるようだ。

そしてこの節は標準配置で。その後の独伝統配置のペトレンコ体制へとはまだ動いていなかった。鉄のカーテンを引いて、アカデミー生などを締め出して練習を行ったのだった。その音響の相違が、これまた客演自体

時代のラディ・ステファンの作品、そしてこの「悲愴」、更にその後の過程へと三種類に異なっているのが聴き取れる。その後の復活祭においても全奏の鳴りがまだまだ定まっておらず翌年になってもまだルツェルンで足りない部分とされたその音響がここに克明に記されている。我々がベルリナーフィルハーモニカーに何を求めていたか、パユなどを筆頭にして木管グループなどが修正にいとまの無かったその合奏がハイレゾによって聴き取れるに違いない。

バーデンバーデンの祝祭劇場は再開に漕ぎつけた。ハムブルクのノイマイヤーバーレー団公演で「ゴーストライト」という作品だ。公演前の記者会見で支配人スタムパとジョン・ノイマイヤーが揃って、その内容などに触れた。光は矢張りコロナ時代の希望でもあるらしい。土曜日の公演は独仏文化放送局ArteとSWRで生中継される。ノイマイヤーのバレーは一度観たことがあるのだが、久しぶりに感染したいと思わせる。

記者会見では感無量のスタムパ支配人の言葉が語られていて、芸術の無い祝祭劇場なんてとこの間の苦労が伝わった。私などはSWRのHPにある復活祭の知らなかった「フィデリオ」のポスターなどに胸が一杯になってしまう。

ハトを追い払うのに余念がない。暫くさぼっているとごそごそと音がする。そして脅かすと飛んでいく。当分は繰り返していくしか仕方がない。もう少しいい場所を見つけて貰うようにする。強制退去をお願いしたツガイが不満そうにこちらの様子を窺っていた。



参照:
ナイトガウンも必要に 2020-09-28 | 生活
テーブル予約をする 2020-06-18 | 生活
ミュンヘンでの期待 2020-10-08 | マスメディア批評

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ミュンヘンでの期待 | トップ | ハイブロウなCDボックス »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿