Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2018年3月

2018-03-31 | Weblog-Index


連邦共和国民の誇り 2018-03-30 | 文化一般
バーデンバーデンの調印 2018-03-29 | 文化一般
次はシェーンベルク 2018-03-28 | 文化一般
そろそろ詰めよう 2018-03-27 | 雑感
現状認識と今後の展開 2018-03-26 | マスメディア批評 TB0,COM2
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
主役は一体誰なのか 2018-03-24 | 歴史・時事
しらなかったなどと 2018-03-23 | 雑感
普段使わないアカウント 2018-03-22 | 生活
2019年復活祭の座席確保 2018-03-21 | 文化一般
「彼女のためなら…」 2018-03-20 | 雑感
音楽監督と至福の生物 2018-03-19 | 音
看護婦さん向き靴下 2018-03-18 | 生活
こてを使う腕を振るう 2018-03-17 | テクニック
先の準備を整える 2018-03-16 | 生活
パンツ脱ぎ棄てお気楽 2018-03-15 | テクニック
ANDROIDでMIDIを使う 2018-03-14 | テクニック
初物スカンポケーキ 2018-03-13 | 暦
「モノを言う朝鮮人の女」 2018-03-12 | 女
We're going to Baden-Baden 2018-03-11 | 文化一般
勝負にならないもの 2018-03-10 | ワイン
裏蓋を開けて凝視する 2018-03-09 | テクニック
音楽劇場のあれこれ 2018-03-08 | 女
演奏会発券当日の様子 2018-03-07 | 雑感
残り少ない冬時間 2018-03-06 | 暦
白船をしっかり見極める 2018-03-05 | 文化一般
解きほぐす冷えたもの 2018-03-04 | 生活
神聖劇の理想的な舞台 2018-03-03 | 音
響く深い陰影を観る 2018-03-02 | 雑感
ワイン蔵の温度変化 2018-03-01 | ワイン
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連邦共和国民の誇り

2018-03-30 | 文化一般
カーネギーホールからの放送を録音した。現在はオンデマンドで出ているようだが残念ながらMP3で125kbpsしか出ていないので話しにならない ― そもそも前もって使い物にならないと書いたのは先日ヴィーナーフィルハーモニカーのそれを聞いて知っていたからだ。しかしMP3の方がいい音質だと思う人も居れば、やはりライヴは違うという意見もあった。勿論オリジナルの生中継の程度でしか、ストリーミングとそのオンデマンドの優劣をはかれない。そのストリーミングの情報量にも差があり、そもそも生の収録が上手く行っているかどうかもあるからだ。クリーヴランドの管弦楽団の放送は生の方がバランスが悪く、オンデマンドのMP3の223kbps出ているので、なかなか優劣が付け難い。

実際に比較試聴してみるとMP3の方が聞きやすいというのは理解出来た。なぜならば先ず生放送では前半は可成り音量を下げていて、十分なダイナミックレンジを使えていなかったので、バランスが悪かった。そして会場のマイクロフォンも恐らくセンターで録っているようであまり高音が伸びない反面、低音が可成り分厚く響いた。夜中だから分らなかったがハイレゾ録音を再生すると確認できる。また二曲目の後の静まりでも可成り道路の騒音が鳴り響いていたので、低音成分が溜まりやすい音響なのだろう。つまりMP3の方はそうした音を完全にそり落としている。一番分かり易いのはソロを弾いているユリア・フィッシャーの高音弦の弓の当たりや管弦楽団の音色を聞き分けることで、直ぐに優劣がはっきりする。MP3の方の音色は全て艶消しされている。因みに装置の事故の傷は容易に切り取られている。

なるほど今回の例でもストリーミングの響きは音量以外にも音域バランスも悪く、必ずしも快さとは相容れないとなると比較する必要が生ずる。またMP3を試聴すると気が付くのだが、ストリーミングではダイナミックスレンジが充分ではなかったので気が付かなかったが、ソロと管弦楽との音量の差が甚だしかったことに気が付く ― 要するにソロ楽器へのサポートが効いていないということだ。

さてその生録音を聞くと、一曲目のドッペルコンツェルトはハムブルクでも書かれていたように名演で、ソロの二人も息があっていて素晴らしいが、なによりもユリア・フィッシャーの音楽性とブラームスが良くあっていて、更に以前エルガーで共演した時よりも遥かにペトレンコ指揮も寄り添うようになっている。相変わらずペトレンコの方は厳しい弾かせ方を徹底していて、ソロでギドン・クレメルなどが遣っていたような管弦楽団演奏になっている。交響曲4番の演奏を聞いて分っているのだが、フルトヴェングラー指揮やベーム指揮の演奏実践があまりにゆるゆるに思える。今回のこうしたブラームス演奏をドイツ風と呼ばなければ、他にドイツ風の響きや音楽などあり得ないだろう。この時点で、キリル・ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーのブラームス演奏がどれほど厳しい響きになるかは明白だ。インタヴューでも誇りという言葉が聞かれたが、こうした演奏をする使節を合衆国に送り出す連邦共和国民は首相以下皆それを誇りに思う。

必要もないのになぜかザルツブルクでの演奏会批評が新聞に載っていた。演奏会評は珍しい。それによると良かったのはブラームス交響曲二番だけで、それは皆恐れていた指揮者と楽団のルーティンであるよりもより自由闊達に振る舞った演奏だったということだ。書き手の批評程度は日本人の手によるものかと思うぐらい主観的な報告になっている。要するに音楽がどのようにどうやって奏でられているかなどはあまり関係無く、ただ全身に音響を浴びているだけの書き手である。それでも他のマーラーやメンデルスゾーンやシューマンには大変ご不満のようで、それでもまだオロスコ・エストラーダ指揮ぐらいならまだティーレマンの方がマシだったということのようである。まあ、奏する方も奏する方だが書く方も書く方で、二流の演奏会には二流の聞き手しか馳せ参じないということだろうか。莫迦らしい、紙面の無駄だ。



参照:
バーデンバーデンの調印 2018-03-29 | 文化一般
現状認識と今後の展開 2018-03-26 | マスメディア批評
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バーデンバーデンの調印

2018-03-29 | 文化一般
ニューヨークから広報の人が書いていた。カーネギーホールからの生放送時間がこちらで夜中になるからだ。まるで月着陸の時のような感じである。兎に角眠い。生を録音するにしてもタイマーをセットしておけば録音可能なのだが、知らない局でもあり、あまり確実ではない。オンデマンドは音質的に使い物にならない。但し映像の場合は生での受信状況があるので、現在UPされているSWR2のラディオ局の映像の様に大きなものがダウンロード出来るときは価値がある。これは例外でARTEの方では大きなものがDL出来ない。MP4であるからデジタルコンサートよりは良くはないのだが、映像はこれで充分だ。音声は月曜日20時からのSWR2でしっかり録音したい。その前には土曜日にオーストリア放送協会で、「三部作」の初日の録音が流される。「外套」の録音に傷があったので、「修道女アンジェリカ」の熱演も併せて、もう一度聞き直したい。

指揮のキリル・ペトレンコにとってはニューヨークは慣れたものだろうが、座付き管弦楽団としてはデビューになるので私たち常連も少しは緊張する。ある意味、ミュンヘンの座付き管弦楽団が出来ることも出来ないことも分かっているのだが、エルプフィルハーモニーなどでの評を読むと期待が高まる。放送のある初日はブラームスとチャイコフスキーであるから、特に後者はブレゲンツ音楽祭でのヴィーナーシムフォニカーとの放送録音も存在して、大凡は想像がつくのだが、そこはそれで楽しみなのだ。

バーデンバーデンでは、祝祭劇場とフィルハーモニカーの間で先五年間の契約が調印されたようだ。実際には2022年までのことを考えて既に計画を進めているのだろうが、大きな費用の必要な舞台などを発注するとなると契約書が無いと動けない。着々と準備が進んでいるようでとても喜ばしい。調印後の記念写真の表紙を見るとバーデンバーデンの祝祭劇場のロゴが真ん中に入っているので、復活祭祝祭期間中のフィルハーモニカーのバーデンバーデンでの活動を義務付けた契約なのだろう。その他は出演料と費用などの条件やプロジェクトの提案や決定過程を定めているのだろう。

朝知らせを見て、ミュンヘンの劇場のオンライン一般販売に入ってみた。現時点で入手可能な公演などを確認したかったからだ。先ずはウェイティングの番号は240台だった。何時もと同じくこの番号では順番が回るまでに20分以上掛かるので先ずはおいしいキャンセルものは入らない。それでもプッチーニ「三部作」は少し残っていた。これは二回あるので最初のに行ってもいいかなと思ったら一回目はあまり残りが無かった ― 流石に皆よく知っている。そもそも下のクラスの座席は並んだ時に半分で買えたのだ。その時はもう一度などとは全く考えてもいなかった。「パルシファル」は二度行ってもよいかと思うが、これはもしかするとラストミニッツで高額席が出て来るかも知れない。「リング」の方は四枚買うとなると、精々二回ぐらいしか行かないので厳しい。

バーデン・バーデンでの「パルシファル」初日について覚書を付け加えておく。祝祭劇場の音響が大きな話題となったのは、一部の批評が書くように「そのバイロイトの劇場のための書法」が演奏されたことにもあるが、嘗てケント・ナガノの演奏でそれを口にした者などいなかった。当日にメルケル首相も来ていたのだが、それ以上の話題になるようなものではなかった。サイモン・ラトルは今回色々工夫していたと思う。先ず私の上手のザイテンバルコンからは金管楽器は一つも確認できなかった。右端手前のチューバぐらいだろうか。可成りうまく隠していたと思う。それ以外では正面のオーボエのケリーやクラリネットのオッテンザマ―は当然のこと、デュフォーのフルートでさえ際立つのはそのように書かれている上昇音型の時ぐらいで、それ以外は常時見事にミックスされていた。当日のコンサートマスターは樫本氏でこれもとても重要な仕事をしたと思う。ベルリンで再び演奏されて中継されるのでもう少しこ音響に関してはもう一度吟味してみたい。

全体の印象として、ブーレース指揮のバイロイトの響きを聞いたのは平土間の24列目であったが、その時は可成りチェロや中声のヴィオラなどの原色的な響きと同時に低音などの籠もり感が記憶にある。それに比較すると当然ながら分離感のある響きなのだが、音質自体は遥かに暗くミキシングされた柔らかな響きだった。明らかな管弦楽団の技術の差が明らかになった演奏で、あの手の響きを醸し出すときのサイモン・ラトルが最も素晴らしいと再認識する。それだけダイナミックスの差があるものだから無理なく響きの恍惚へと、アマルガウへと無理なく弧を描いていたのである。

どちらでもよいのだがザルツブルク復活祭での「トスカ」への批評も読んだ。もはや誰も期待しておらず、あの高額の席も売れていないようで当然だろう。兎に角、折角のプッチーニの響きをテムポを落としてどやどやとやるものだから、来年の「マイスタージンガー」を待つしかないとされている。夏のヴァークナー祝祭が始まる前に誰も居ない劇場に一人はいるらしい。初代音楽監督というよりもこれじゃまるでファントムデアオーパーではないかと、思わず笑ってしまうのである。



参照:
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
現状認識と今後の展開 2018-03-26 | マスメディア批評
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次はシェーンベルク

2018-03-28 | 文化一般
今年のバーデン・バーデン訪問は一先ず終わった。復活祭祝祭も復活祭月曜日まで続き、その後も幾つかの祝祭週間がある。祝祭劇場の存続を支えたのは夏季のペテルスブルクの歌劇場とゲルギーエフのプロデュースだったが、その意味合いも変わってきている。それに代わって、ナゼサガンのオペラが入ったり、聖霊降臨祭や秋のフェスティヴァルなどに力を入れているようだ。昨年はヴィーナーフィルハーモニカーもゲヴァントハウスにも出かけたが、今年は幾ら安くても時間が無いので行く予定はない。そのままならば次の曲はペトレンコ指揮のシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲である。座席からの写真も撮ってきたので、色々と準備出来ると思う。

ベートーヴェンの交響曲七番は、前々日の「ペトローシュカ」と同じくサイモン・ラトルの特徴が良くも悪くも出ていた。上手く行けば行くほど都合が悪いのだ。勿論その時点で満足する聴衆も少なくなく、実際にスタンディングオヴェーションまで隣と前後で起きたぐらいだ。隣の人も前半のザイテンバルコンの二列目から中央二階正面バルコンの五列目に移ってきた人で、シュトュツガルトから来ていた。あまりクラシックは詳しくないということだったが、アバド指揮のフィルハーモニカーが来ていたとか、大学でのソコロフのリサイタルを聞いたと語っていた。要するにそうした聴衆層には受けるのだろう。しかし、上手く演奏すればするほど感動とは遠くなる。楽聖の音楽からは益々遠くなるのだ。そこが肝心で、勿論私がルツェルンで期待するキリル・ペトレンコ指揮の演奏実践とは程遠い。その差異が分からない人は、シュトュツガルトのカラヤン二世のギリシャ人指揮の演奏にも同じように喝采するに違いない。E-Musikが芸術である限りは厳しい審査眼と上質の趣味が求められる。

サイモン・ラトル指揮の音楽は決して趣味も悪くないが、演奏実践としては必ずしも成功しているとは限らない。特にこうしたリズムの精査や実践が求められる時に完成度が増せば増すほど本質から離れるということで、前々任者のへルベルト・フォン・カラヤンの芸術と全く同じだ。だからなにもラトル指揮の問題は経験不足によるオペラ上演だけではなくて同じようにコンサートでもその限界を示すことになる。それは私自身が初めてこの組み合わせをフィルハーモニーで聞いたショスタコーヴィッチの交響曲八番でも全く同じだった。この欠点を初期に指摘していたのは柴田南雄だったと思う。当時は具体性に関してはよく理解出来なかったが、今はハッキリと分るようになった。敢えて抽象的に表現すると「如何に音楽を作るか」の本質に纏わる音楽性の問題で、これは柴田氏も指摘していたように「(生涯)変わる訳ではない」と、当時はファン心理として信じたくないことだった。

今でもバーミンガムでの指揮の方を評価する人も居て、なぜベルリンでそこまで評価されなかったかという問題と、実は本質的な問題であって、今回その結論を自分なりに下せたと思う。要するに指揮者と管弦楽団との相性ではなく、プログラミングの問題やらで同じ曲をロンドンの交響楽団で演奏しても結果は同じである。完成度が低いだけだろう。それだけにプログラムを選ぶ必要もあり、上のような演奏で喝采する人はロンドンでも同じよう喝采するだろう。

個人的には、そのことを見極められたことと、現時点でベルリンのフィルハーモニカーがどのようなサウンドを響かせるかを確認したことで大満足だった。まだまだフィルハーモニカーはやることがあるのも事実であり、ラトル体制ではいつも管楽器の名手たちが指揮者から祝福されるようにある意味自由度が高い反面、その指揮が歌い込みを許さない融通の利かないテムポを刻み続ける。その中で弦楽器も十分なイントネーションを付け乍ら合わせる力がついていないようだ。明らかに合衆国のトップとの差があり、個性のある古の楽団のような癖もない。だから音楽的に益々薄くなって行く。

そのような訳でサクラも入っていたようだが、バーンスタインの交響曲「不安の時代」は思いがけないほど湧いた。理由は、過不足無い表現がそこにあり、何も作曲家自身の指揮のそれを必ずしも皆が求めないからであり、このような曲であるならばどこの一流交響楽団を振っても同じような質で聞かせるだろう。アンコールに応えて、ジメルマンがマイクを握って作曲家のことを語りハッピーバースデーを弾いた。このピアニストも日本在住かと思ったら思いがけなく流ちょうなドイツ語をしゃべって驚いた。きっとドイツに住んでいた時期が長いのだろう。

日曜日の生放送のヴィデオが綺麗に落とせた。MP4で2.56G、1280x720で音声はAACで155しか出ていないので、映像は悪くはないが、音声はラディオでの録音放送を待たなければいけない。バーデンバーデンへの車中のラディオで、フィルハーモニカーの第二ヴァイオリンの人が毎年同じところに民宿している話しが紹介されていた。アマデウス・ホイトリングというカラヤン時代からのヴェテランである。宛がわれるホテルには全く不満が無いが、大家さんとの繋がりや、家族を呼び寄せての黒い森の散策などの静かさでの居心地を語っていた。劇場から五分ぐらいのところらしいが坂を上がったりで健康に良くて、ザルツブルクに比べるとそれほど商業的ではない風土にも言及していた。

今回の「パルシファル」でそのバイロイトの祝祭劇場と比較される祝祭劇場の音響が語られ、そして今回久しぶりに座った天井桟敷の音響を確認して、以前から思っているよりも遥かにこの祝祭劇場の音響は優れていると感じた。私の二階ザイテンバルコンのお決まりの席も決して悪くは無く、来年のために予約した一階のバルコン席も視覚音響共に可成り良い筈だ。空調の雑音は年々増えてきたが、会場の音響はなぜか良くなった感じがする。理由は分からない。

要するに、ドイツ最大のオペラ劇場であり、音響もコンサートよりもオペラに合わせて作られた近代的な大規模劇場であることを考えれば、ここがあと二年後から音楽劇場のメッカになっても決して不思議ではないと考えるようになった。同時にベルリンのフィルハーモニカーとの繋がりが、街ぐるみや地域ぐるみで更に進化していけば、その芸術的な出来上がりにも大きく影響してくると思う。もしかするといずれヴァークナー博士が何かをここで行うこともあるかもしれない。



参照:
そろそろ詰めよう 2018-03-27 | 雑感
現状認識と今後の展開 2018-03-26 | マスメディア批評
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
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そろそろ詰めよう

2018-03-27 | 雑感
金正恩が北京を訪問したようだと聞いて驚いた。今や世界の両大国を天秤に掛ける大外交を行う大指導者になってしまった。恐らく正式に訪問が発表されることはないのだろう。つまり、北朝鮮は中共とは新たな同盟関係を結ぶ必然などない。つまり共同の声明を出すことはないだろう。なによりも合衆国大統領と対等に会見することが肝心で、中共の子分になる必要もない。何時でも北京をミサイルの標的にすることが出来るのも基本外交姿勢である。
金正恩首次访问中国视频曝光

Is Kim Jong Un in China? Motorcade is filmed in Beijing


先日のアルミと鉄鋼の合衆国の関税は、EUや韓国などの所謂同盟国は除外されたと新聞に書いてあった。日本は今更安い特殊な?鉄鋼を合衆国に売っているのだろうか?いずれにしても安倍内閣はその外交政策だけでも総辞職は免れないだろう。即政権を譲らない限り北朝鮮との対話に乗り遅れることは間違いない。出来の悪い小者は責任を取って直ぐ去るべきだ。

二日続けてのバーデンバーデン往復は疲れた。毎日通ったこともあるのだが、五時間の舞台神聖劇の疲れはやはり違う。そこに一時間の時差が加わるものだから、英国へと飛行機で通っているようなものだ。週末に走れなかったので、峠を攻めた。パンツが脱げたので良かった。なによりも座る時間が長く食事の時刻も変わっていて調子が悪かったのだが、走ってスッキリした。直したGPS時計も曇らず快調で嬉しい。

今年のバーデンバーデンは残すところもう一日で、バーンスタインの「不安の時代」と七番イ長調である。後者の演奏歴史をYOUTUBEで聞いて、まともに楽譜通りに演奏しているのはやはりフルトヴェングラーがベルリンのフィルハーモニカーを振ったものしか見つからなかった。トスカニーニ指揮NBCもおかしな歌い込みや追い込みが掛かっていて不自然極まりない。期待したクレムペラー指揮もLPを持っているのだが、正しい譜読みをしていない。手元の楽譜は音楽之友社版なのだが、これが間違っていて「フルトヴェングラー版」かと思うほどだ。勿論メトロノームの数字は無視しているが、テムポ設定とそのリズムの自然さに感服するしかない。

戦時中の録音を先日聞いていたが、1953年のティタニアパラストでの実況があって、一楽章などは一寸枯れ過ぎているかなと思ったのだが、三楽章などはどうしてどうして立派なもので、寧ろ全体の構成が取れていて、楽譜の読み込みという点では戦後の方が出来が良い。そして放送録音らしきが最近のデジタル技術で、それを更にオーヴァーサムプリングで再生すると、全く以って生中継されている位の感じで聞ける。昨今のマルティマイクロフォンの録音とこうしたモノ録音との差は実況放送では殆ど差がないために、つまり残響成分を楽しめる限り全く違和感なく再生可能となっているのだ。つまり、他の実況録音どころか制作録音でもフルトヴェングラーの実況録音と太刀打ち出来るものは見つからない ― なるほど新たに録音する必要なんて無い筈だ。一番失望したのは老境に入って評判の良いハイティンクの指揮で、何処をどのように読んであのような演奏が出来るのか皆目わからなかった。一度生で聞いてみたいと思っていたが、あのような古典を聞かされるようでは無駄でしかない。要するに他の演奏は楽譜を読み込めていないかそれとも演奏が稚拙で話しにならないのである。ラトル指揮の録画は小さなセクエンツがあったが、基本的にはそれほど悪くはない。但しそれが実際にどのように鳴るかは聞いてみて批評しよう。
Furtwaengler: Beethoven Symphony no. 7 (1/4)

Furtwaengler: Beethoven Symphony no. 7 (2/4)

Furtwaengler: Beethoven Symphony no. 7 (3/4)

Furtwaengler: Beethoven Symphony no. 7 (4/4)


日曜日の演奏会については改めて録音録画などを見聞きしてから纏めたいが、再びシマンスキー氏のガイダンスでとても良いことを聞いた。彼はポーランド人であるが、やはりロシア文化も我々よりは分かっていて、その音楽構造を良く知っている。つまり「ペトローシュカ」のロシア民謡についての言及である。

先ず一つは、小さなフレーズの永遠の繰り返し可能なのがロシア民謡であり、そしてもう一つは拍子が同じ強さでとられることなどである。後者はここでも鐘の鳴るようとして何回も扱っていることであるが、ロシア人が手拍子を打つと同じ強さで拍がとられると具体的な言及はとても参考になった。勿論キリル・ペトレンコが弱拍でしっかりと音楽を刻めるのはまさにこれなのだが、彼の場合にはそれがおかしなアクセントとならないのはやはり完全に意識されているからなのだろう。ロシア人のドイツ語としてもかなり癖のない方である、またユダヤ人のドイツ語の要素もそれほどない ― もしかするとお母さんはその姓からしてもそのようなドイツ語が出来るのかもしれない。前者の繰り返しを認識することでストラヴィンスキーのバレー音楽が必ずしも単に繰り返されていないと理解出来る。



参照:
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
音楽監督と至福の生物 2018-03-19 | 音
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現状認識と今後の展開

2018-03-26 | マスメディア批評
久しぶりのマスメディア批評といこう。とは言っても芸術ジャーナリズムである。土曜日の「パルシファル」初日の批評がネットでは逸早く出回った。ローカルを中心に出揃った。恐らく早出しの人は水曜日の総稽古を見て準備していたのだろう。日曜日の夏時間への移行で一時間週末が短くなったのにも拘らずで、月曜日の朝刊に間に合わせる締め切りが決まっていたのだろう。バーデンバーデンのホテルではキーボードが盛んに響いていたと思う。

ローカルで目ぼしい記事は見つからないが、挙ってディーター・ドルン演出を貶し、その舞台、衣装、照明を貶すのに字数を使い、短くラトル指揮と歌手について報告している。歌手についての評価はこれほどバラバラなのは知らない。これはやはりオペラ劇場の土壌の貧しさだと思う。要するにミュンヘンの劇場とマンハイムやカールツルーヘのそれとの程度の違いがこうした地元の聴衆の質の差でもありそれがジャーナリズムにも表れている ― これはペトレンコを迎えるにあたって我々も尽力していかなければいけないと思っている。私でもミュンヘンに通うことになってやはり学んだことはあるのだ。

それからするとバイエルン放送協会の記事はそれなりにそこもつついていて、なぜラトル指揮では歌が上手く行かないかを皮肉交じりに表現していて、「どうもラトルは実際集中的に練習をしたのだろう、なぜならば本番初日で殆ど舞台を見上げなかったから」と「歌手陣はオートパイロットに切り替えた」とあり、これは私自身の観察と書いたこととほぼ同一だ。ミュンヘンでペトレンコのそれをいつも見ていれば誰でも気が付くことで、要するに舞台は生き物なのだがそれに対応するだけの修行も積んでおらず、その手兵の管弦楽団に対しても同じだったのがフィルハーモニカーに「ラトルの弱み」と言わせしめたところである。初日直後のクンドリーを歌ったドノーゼのインタヴューで「それどころか自由…」で消されているところでもある。

ラトルと音楽劇場に関しては語りつくされていることでもあり、今更繰り返す必要はないのだが、繰り返される。それでもそのように書く放送局自体が来年にはサイモン・ラトルに「ヴァルキューレ」を振らせるという市場があるということも事実なのである。

月曜日のFAZ朝刊にはバーデンバーデン入りしていたおばさんではなくて ― その横にはヴェルト紙の「ベルリンフィルの候補者はユダヤ人の巣窟」とティーレマン落選を嘆いたヘイトバカ親仁が居て、私が購読者なら下ろさせる ―、元ベルリナーモルゲンに書いていたブラッハマン氏が報告している。演出の意図を上手に報告している。要するに「楽匠の標榜した芸術を通しての救済などはもはや求めようがない」という演出だったという評価になる。恐らくこれは正しいのだろうが、細部に関しては中々読み込めない。二幕のクリングゾールの魔法の庭の背景のブロックを、皆ベルリンのあの記念碑の灰色のブロックと見たらしい。そして世界の現実は聴衆の皆が知っている通りだ。

音楽に関しても「管弦楽の音響のデリカテッセは、そのもの過繊細の程度にまで至った」として、「バーデンバーデンのピットは開いているのにも拘らず殆どバイロイトの蓋付きのように聞こえるとされる」と、「弦は柔らかく押さえられて響き、木管は遠くからの鳥の囀りの様で、金管はどこまでも深い空間からのように柔らかく響く」と絶賛している ― 今後を想い描いたこの言及にはとても共感を覚える。「ラトルは、印象深いエレガントな管弦楽の歌でとても過敏に反応した」と「これ以上に美しく歌われることは考え難い」と声楽陣も絶賛している。

高級紙FAZは音楽面においても演出面においても「批評」をしているが、老舗のノイエズルヒャーのそれは難しい言葉を使いながらももう一つ核心をついていないようでその両面においてもどかしい。FAZは金曜日にはティーレマンのインタヴューを載せていて、これは面白かった。要するに業界で音楽で競争するのは疲れた、もう他で振るとかと言うことよりもドレスデンで質を求めたいという今更ながらの敗北宣言をしている。どうもこの人はメディアに乗せられて、クラオタ同様に自身で超一流と錯覚していたみたいな節がある。マーラーを振るにあたっては「若い指揮者には難聴になるから気をつけよ」と自身のレパートリーの限界とともに語っている。まあ、ローカルで市場がある限り活躍すればよいのではないかと思うと同時に、二国がザルツブルクイースターと協調するということで、いずれは自己の市場がありそうな東京で活躍するのではないかと思われる。彼には彼の経験があり日本で十二分に重宝されると思う。

バイエルン放送局が伝えたエルプフィルハーモニーでのニューヨークへの壮行演奏会にメルケル首相が訪問したのはいい知らせである。なにが良いかと言うと、恐らく一先ず公職の任期を終える2020年にはキリル・ペトレンコには少なくともヤンソンスに出した外国人へのその勲章以上のものを出さないといけないからだ。出すのは大統領かも知れないが、連邦政府が選任する筈だ。バイエルン州の推薦は既に準備してあるに違いない。兎に角、キリル・ペトレンコには連邦共和国に留まって貰わないといけない。これは連邦政府の文化政策の少なくとも音楽分野においては重要な柱だと思う。何しろマエストロムーティがシカゴ饗を引き受けていなかったならペトレンコが受けていたらと思うとぞっとする。それもあって来年のマエストロの協演は楽しみだ。



参照:
Klingsors Zaubergarten trägt hier Betongrau, Jan Brachmann, FAZ vom 26.3.2108
Musik ist kein Weg, um vor sich selbst davonzurennen, Christian Thielemann, FAZ vom 23.3.2018
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評
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舞台神聖劇の恍惚

2018-03-25 | 
バーデンバーデンの復活祭から帰宅した。しかし明日もあるのであまり詳しくは書いている時間がない。それでも頭を空っぽにして明日に挑みたい。さて短く纏まるか、試してみよう。

結論からすると、「パルシファル」は復活祭オペラの中では断トツの出来だった。「鳥肌もの」の声を聞いた。洟を啜る音が方々から聞こえた。それは第一幕と第三幕の中間部であって、ガイダンスのシマンスキー氏に言わせると、シムメトリー構造の二幕の真ん中の口づけ、それを囲む両幕の三部構成の各々真ん中のミステリウムのそれも初期バロック劇に相当する部分となる。要するにミサでもなく劇でもない、まさしく舞台神聖劇の意味するところはそれにあたり、ルネサンスのそれとはまた異なることになる。それが、「魔笛」の影響であり、「マタイ受難曲」の影響の一部であるともいえる。

特に一幕のそれは凄まじくその後に続く「天の声」の子供ならず女声の効果といい、もうこれは会場の音響効果を含めて六月のミュンヘンでは期待出来そうにもないエクスタシーに満ちていた。だから皆の洟が垂れ放題になってしまったのだ。その成果はなにもフィルハーモニカーの名人芸だけではない、ラトルのテムポ運びの適切さであり、これは恐らくラトルが今までなし得なかった音楽表現に違いない。前奏曲からしてとてもダイナミックスを押さえながら、まるで日本公演以降のキリル・ペトレンコの音楽表現をヴィデオで研究したかのようなそれなのだ。

そしてこうしてフィルハーモニカーを鳴らして、歌手を歌わせる限り、ミュンヘンの劇場の比ではない祝祭劇場のアコースティックを確認した。私などは六月との比較もあるが、もしペトレンコがそこで振っていたならばと思い浮かべて感極まってしまった。要するに管弦楽団の技術の問題だけでなくこの祝祭劇場が音楽劇場のメッカになる可能性を大きく膨らました。

そこで肝心の前日に聞いたハンス・クナッパーツブッシュ指揮のフィリップスの名盤で感じた疑問、つまりこの楽譜はあのバイロイトの深い奈落の中で何が何だかわからないような音響のアマルガムとして響くのが目されたとして、それならばブーレーズ指揮のそれが間違いで、クナッパーツブッシュのそれが正しいのかという問いである。これに関してとても明白な答えをシマンスキー氏は出してくれた。

つまり、前奏曲においてもまたミステリウムにおいても終結においても、その音響のアマルガムの中ではっきりと透明に木管が聞こえるようになっているというのだ。これに関しては前日クナッパーツブッシュ指揮のそれでもはっきりと上昇旋律でまるで音色旋律の様に受け渡されるそれを聞いて気が付いていたので、上のような疑問が生じたのだ。つまり三幕では、長い永遠に明けるかどうかも分からないような冬が明け、丁度この日のような春が遣って来る。その時の木々の梢の植物の芽生えのようなそれがまさしく木管の響きであり、囀りであろう。キリスト教の復活祭について詳しい人にはそれ以上は態々説明する必要が無いが、実は上のミステリウムというのは決してキリスト教的だけではないカーニヴァルに相当するとなると、更に語るべきことが増える。演出について語る時にでももう一度振り返ろう。つまりアマルガムから清澄となるところは歌詞の通り救済となる。

クナッパーツブッシュ指揮の当該録音では、記憶にあったほどには、三幕の聖金曜日の音楽はあまり成功していなくて、今日的な耳からすれば明らかに本日のラトル指揮の方が遥かに心を揺さぶる名演奏だった。そして歴史的演奏の一幕のその部分では崩壊直前のテムポ運びと運弓となっているので年齢的な体調もあったのかなと思ったのだが、ラトル指揮の聖金曜日からミストリウムにかけてのテムポ設定とまさしく運弓はクナッパーツブッシュのそれを想起させた。なるほどバイロイトのそれでは音楽的な精査とはならなかったがフィルハーモニカーならではの素晴らしい効果を上げていて、またここでもミュンヘンでは無理だなと思う反面いづれペトレンコ指揮になると思うと胸が一杯になる。

コンサート指揮者サイモン・ラトルではどんな歌手を集めても大きな効果を上げることが儘ならずとても惜しいことになる。合唱のフィルハーモニアヴィーンも楽友協会のそれとは格段の違いでしっかりした子音を響かせたプロの合唱団であるが、如何せんラトルの指揮では十分な歌い込みが出来ないどころか、花の乙女たちのアンサムブルでもとても惜しいことになっている。ペトレンコが振っていたなら同じメムバーでミュンヘン以上の成果を上げられるのではないかととても残念だった。それでもやはりいつも同じアンサムブルで芝居をしているというのはやはり違うかもしれない。しかしこの合唱団も潜在能力はとても高い。

歌手ではラトル指揮でも全く問題なく歌い熟すのはグールドでありやはり最後まで立派な歌だった。フィンレイのアンフォルタスはゲルハーハ―には遠く及ばないだろうが、ペトレンコ指揮のヤーゴは期待できる。グルネマンツを歌ったゼーリックは全く悪くはないどころかパーペのそれと違って最初から飛ばしていて、また指揮の弱音に合わせたそれはパ―ぺのそれより技術があるかもしれないと思わせたが、一幕後半になるとどうしても疲れも見せていた。それでも三幕では再び回復していたようで、体力はあるように感じた。エフゲニー・ニキーティンは声はあるのだが、技術的にヴォルフガンク・コッホの方に期待させた。その他声楽家にとってはやはりラトルの指揮で歌うのは気の毒だと思う。あの杓子定規な振りでは、息つくことなく、性格的に歌い込めなく、まるで合唱団のテュッティー以上の様には歌えない。

演出のディーター・ドルンは激しいブーイングを受けていたが、上の救済などの場面、更に奇跡、晩餐など特定の宗教性を排除してとても素晴らしい解決法で、流石にヴェテランのそれだと分かった。ラトルのピアニッシモからエクスタシーまでのそれに矛盾しない舞台作りは、一部人物の動かし方などに疑問はあったが以前のケントナガノ指揮のレーンホフのそれとは比較にならないほど優れていた。だから何時ものことながらあのブーイングは全く意味不明だ。

もう一つ書き忘れてはならないのはラトルのテムポ設定で、三幕でミストリウムから「晩餐」の倍速ほどの部分を挟む形となったが、それによってフィナーレまでとても全体のテムピが考え尽されていたことは言うまでもない。その意味においてこの上演はフィルハーモニカーの勝利ではなく指揮者の勝利であって、正しくパルシファル的に救済したという事になろう。バーデンバーデンの復活祭オペラ上演において、例えば「トリスタン」のそれはヴェストブロックの管弦楽に張り合うような歌唱とその鳴らしっぱなしの管弦楽ではなくて、少なくとも音を絞って求心的な音を出したことだけでもオペラ指揮者としての成長を示したのではないだろうか。勿論キリル・ペトレンコのそれと比較するのは酷であるが、少なくともナゼサガンのようなおかしなリズムも刻むことなく、立派に振り通した。やはりオペラ指揮者ケント・ナガノとは異なる超一流コンサート指揮者の舞台神聖劇上演だった。

"Parsifal" - Festspielhaus Baden-Baden 2018 ― このゲネラルプローべの管弦楽に心配していたが初日本番はダレた所は全くなかった。

Nach der Premiere: Wagners "Parsifal"




参照:
We're going to Baden-Baden 2018-03-11 | 文化一般
初物スカンポケーキ 2018-03-13 | 暦
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主役は一体誰なのか

2018-03-24 | 歴史・時事
トラムプが建てた貿易障壁で影響が出ている。個人的には直接はないが、上海からフランクフルトに来た旅行者が買い物をするための銀行から金が出せなかったという。限度額200ユーロを超えたからということらしい。つまりシナから対抗制裁によっての爆買いはこれでなくなる。合衆国の輸入障壁などよりもシナの対抗制裁の方が遥かに世界中の多くの人に影響を与える。ドイツ連邦共和国も愚かな輸入障壁には厳しい態度で挑んでいるが、これでワシントンは四面楚歌になるだろう。もはやトラムプ政府は世界の敵であり、悪の枢軸の親方の違いない。世界のどちらが主役かはこれではっきりする。

「ペトローシュカ」の録音を聞いた。昨年ベルリンのフィルハーモニーで演奏されたもので、日本公演では更に上出来だと評判が良かったものだ。改訂版と態々あるが、一般的には西欧的な合理的な譜面の版と思うのだが調べていない。フィルハーモニカーのフルートやファゴットなどの管楽器群の名妓性を示した演奏である。何か所か意味不明の歌わせ方などもあったのだが、版の問題がソリスツの独自性に任せたものかは見当が付かない。それでも熟せば熟すほどハマる演奏だと思った。しかし同時に昔のフォンカラヤン時代のそれの様に、その特徴こそ異なるが、「普遍の完成」に近づくような演奏形態だと思った。

それと比較する意味で、イスラエルからのペトレンコ指揮の演奏実践を放送前から色々と想像していた。今回改めて譜面を眺めながら録音を流して腰が抜けそうになった。その録音や録画は何回かBGMで流していて分っていた筈なのだが譜面と合わせて真面なスピーカーで真剣に聞いて驚愕した。予想ではロシア風の節回しなどが出て来るかと思っていたが、またまた天才の遣ることは想定外だった。

そのリズムの扱いが何時もの様に安定していて、ここでもテムポは早い筈なのにしっかりと拍を刻んでいる。要するに楽器が過不足無く歌い込めるように拍が取られる ― ペトレンコ自身もオペラでの経験を感謝しているのではないかと思う。こうなるとあれほど正確に聞こえたラトルの打拍がまるで上滑りするかのように聞こえるのだが、決してその辺りのロシアの「巨匠指揮者」のようなタメるくどさや深堀が見当たらない。その反対で楽譜を忠実にイスラエルフィルでも弾きやすいような精緻な指揮となっていて、メータが振る時のようなこの交響楽団のユダヤ的しつこさが無い。

改めてヴィデオを確認したいが、やはり技術の卓越と共に楽譜読み込みの情報量の桁が違う。ラトルのストラヴィンスキーは寧ろ十八番に近いものだと思うがあまりにも西欧的に表面的な譜読み以上に踏み込んでいない ― アバドのそれとの比較が面白いだろう。アクセントや前打音なども正確に演奏されていても、引っ掛かりが無いのはまさにカラヤン節をもこの最も距離のある指揮者の音楽から思い出させる。やはり改訂版は違うのだろうか。

イスラエルフィルは健闘しているもののベルリンのそれとはそもそも比較対象にはならないので、その音響はBGMとしての印象ではとても冴えない。それがこうやってみると譜面が浮かび上がるような演奏をしていて ― 全く声部の強調とか対照とかの単純な書法ではない ―、正しくペトレンコが読み取ったそのストラヴィンスキーの響きをなぞっている。変拍子の扱いもアクセントもしっかりと音化されていて天晴なのだ。それでもベルリンとの響きの差は甚だしい。こうした演奏を観察すると、個人的には確信したことはないのだが、「20世紀の最高の作曲家はストラヴィンスキーだ」という意味も合点が行く。

このように覚醒してしまった耳で日曜日にその生演奏を批判的に聞くことになるのだが ― 本当に難儀な境遇であり、良い意味でも悪い意味でもサイモン・ラトル時代を表徴する演奏会になるのではなかろうか、複数のストリーミングや放送で生中継され再放送されデジタルコンサートにもアーカイヴされる。長年のファンとしてはしかと見極めたいと思う。



参照:
お得なバーデン・バーデン 2017-03-21 | 生活
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評
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しらなかったなどと

2018-03-23 | 雑感
バイエル社がザントを吸収するそうだ。一昨年はモンサントを吸収したが、これは初耳だった。巨大になるというよりも如何にも業界の整理が始まっているという印象がある。バーゼルでの流出を減らして、出来る限りラインを汚さないようにして、下で汚すように再構築して欲しい。

1ユーロ少しで入手した蓄電池を時計に組み込んだ。先ずは先日組み込んだ分厚いもののケーブルを外す。綺麗に外そうと思うと細かいのでそれほど雑には出来ない。そして入手した4ミリ厚のものを設置しようと思うが中々方向やら裏表が定まらない。収まり難いのだ。こんな予定ではなかった。二ミリ薄くて同じ大きさだから簡単に収まると思っていた。それが形が整っているものではないので食み出したりする場所が出てきて、形を揃えないと上手く入らない。横幅が5ミリ広いものをシナに発注したが本当に収まるのだろうか?

電池の方向や向きを定めて、線の取り回しを吟味して、半田付けとなる。自身の不器用な手先ではこんなものだ。このために新規購入した半田こてはとても助かった。温度も丁度良く、過熱もあまりなくとても扱いやすい。半田付けが楽しくなるようなこてである。ネットの評価通りだった。

問題は防水パッキングで、開け閉めしているうちに一部が切れかかって伸びてきた。いずれ貼り付けないといけないかもしれないが、シリコンで接着効果の薄いものなどを探さないといけない。このまま使ってみて、ガラスなどが曇ることなく、順調に作動すれば、シナから発送された充電池に取り換えれば最後までもう二三年使えるかもしれない。問題は防水である。

週末に迫った復活祭音楽祭のお勉強に追われる。初めてみる「ドンファン」の楽譜と、手元にあるLPを比べてみる。賞などを獲得したドレスデンのシュターツカペレをルドルフ・ケムペが振ったものは予想していたよりも健闘していて、当時の東独で時間を掛けて録音したのではないかと思う。現在のシュターツカペレでこれだけの録音が可能だろうか?その比較としてSACDでルイージ指揮の一時代前のものが手元にあった。流石にこの座付き管弦楽団らしからぬ整理整頓されたアンサムブルが聞けるのだが、この指揮者の特徴も見えてくる。生で聞いたことのない一流指揮者なのだが、そのアゴーギクなどの作為的な特徴がマゼールなどに似ていて興醒めした。なるほどこれならば管弦楽団と喧嘩別れになった筈だと思った。こういう名門は盆暗指揮者の方が遣り易いのだろう。曲自体は思っていたよりも中々微妙な書法で、コンサートで好んで取り上げられる理由が分かった。

もう少し「ペトローシュカ」と「七つの初期の歌」と「シェーラザード」を調べて、金曜日には「パルシファル」全曲の名録音をもう一度通したい。曲数が多いと演奏時間は短くてもそれなりに負担は増える。バーデンバーデンでのプローベは順調に進んでいるようなので否が応にも期待が高まる。座席も大分埋まってきたようで、特にラトル人気に最後の火が点いたようだ。

その一方フィッシャー指揮の会は散々で、二階バルコンの閉鎖を決定して、平土間に追いやられるようだ。つまり安い座席の販売を中止した。イヴァン・フィッシャーの経歴も長く、2015年の後任者候補の中ではティーレマンよりは良いと思っていたが、なんといっても人気が無い。楽器配置を変えたりのアイデアも否定されるものではないが、所詮普遍性をもつアイデアではなくて極個人的なそれとしか思われていないようなところが、こうした東欧出身の音楽家への西欧での観方であり、実際にそうである。まあ、彼らからすればある種の市場開拓であるから、そうした特異性というのも市場的には必ずしも悪くない売りなのだろう。

車中のラディオはフェースブックの顛末を伝えていたが、そもそもネット上にクラウドであれ何であれ個人情報を上げているのが悪いのであって、それが裸の写真であろうが何であろうが同じである。特にフェースブックの場合は十年以上前から米国の親戚や仕事仲間からお誘いがあって、とんでもない個人情報が入っているなと思って、敬遠したのだが、ドイツでは特に強い懐疑が払拭せず、業務用は兎も角個人用では評判が決して良くは無かった。どんなデジタル情報も同じだが一度ネットに上げて仕舞えば全ての情報は制御の効かないところで流れるということだけは明白にしておこう。要するにネットのデジタル情報は全て無料である。



参照:
こてを使う腕を振るう 2018-03-17 | テクニック
モンサントがバイエルになる 2016-05-22 | アウトドーア・環境
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普段使わないアカウント

2018-03-22 | 生活
雪は飛んだ、凍り付いて残っているだけだ。沢の往復をしたが、陽射しの割には寒かった。真冬と同じだが、それでも戻ってくると苦しく汗を掻いていた。パンツを脱ぐのと脱がないのでは大分違う。GPS時計は再び依然と同じような状態になって、充電が飛んでしまった。原因は徐々に推測可能となって来て、どうも使ってから洗ったりするとシュートするのではないかと思う。新しい電池を二回飛ばしてしまっているので、ここで原因を追究して、届いた容量の小さな充電池では飛ばさないようにしなければ限が無い。また二週間ほどすれば最終の充電池がシナから直送される筈だが、その時までにすべてを解決しておこなければいけない。

先日から峠へと駆け上がる二度目のカーヴを過ぎたあたりで何度も鹿を見かけた。以前はバムビの親子が散歩していたようなところなのだが、尻も身体も大きなメスの鹿のようである。その森では殆ど鹿を見たことが無かったので、森の伐採作業で場所を移動したのだろうかとも思う。するとバムビの方は既に間引かれたのかもしれない。

先日の警察聴取の顛末をまだ書いていなかった。被害届を出したのである。被害内容はネットショッピングで私の貴重なマイレージが殆ど使われてしまったことだ。マイレージは仕事で使う分も盛んに集めていて、ファーストクラスで大陸横断出来るほど集めた。つまり百万円相当となるだろう。これが遣られたのである。そもそも自分自身ではアップグレードでしか使っていないので一体どのように使えるのかすら知らない。だからどのような方法で悪用されたかも知らないのだ。上一桁使われていて、最初は点数制度の変化かとしか思っていなかった。つまり一桁減って最初の二ケタの数が増えていたのである。だから調べるまでに時間が掛かった。

そもそもアップグレードしか使わないものだからマイルズアンドモーアのサイトのパスワードも分からなかった。クレディットカードで集めるようになってからは殆どログインしていなかったのだ。そしてメールでパスを取り寄せて入ると、本が買われていた。そもそもそのサイトは知っているが自身のアカウントを使った覚えもなく、一度購入したことがあるかどうかである。完全に詐欺と思ったが内容が分からないので、マイルズアンドモーアに照会して、詐欺ということで、被害届を出せば、補充して呉れるということになったのだ。落ち度はどこにあるか釈然としないのだが、そもそも私自身の番号と名前が分っても、点数が分からなければしっかり使えない筈なので、フィッシング詐欺とアカウントへのログインを組合わせないと悪用が出来ない筈だ。

色々と推測させることもあるのだが、先方のシステムやメールの数々も煩わしく、中々問題点を同定出来ない。先方が補填した理由はそこにあり、ある意味セキュリティーの盲点を突いた犯行になっている。誰でもクレディットカードの番号とかは気をつけるがまさか桁の多いそれと姓名とアカウントだけでこれだけの小さくない額の詐欺が可能とは思わないだろう。ネットショップの書籍も恐らく全く違った地域の私書箱等に届けられているのだろう。書籍数十万円分を故買したらどれぐらいになるのだろう。

実は、この件に関してマイルズアンドモーアに接触若しくはログインするころから急にスパムメールが増えていて、これまた本メールアドレスのテレコムのサイトへのログインのパスワードを変える必要が生じた。PC自体は全く感染などしていないことは改めて調査して確認したのだが、こうした普段は殆ど意味をなさないようなサイトのパスワードが意外に単純なそれになっていて、重要視していないので犯行の切っ掛けになるようだ。普段は使わないとPCが変わるとログイン不可能になるが、パスワードをリセットするなりの方法でセキュリティーを高めておかないと、どうも駄目なようだ。

朝は氷点下、午後は強い陽射しとかなりの温度差がある。室内や車内にいるととても眠くなって堪らない。頭に空気が回らなくなって、特に夕方はうとうとしてしまう。



参照:
所轄の警察に出向く 2018-02-22 | 生活
証人喚問を終えて摩訶不思議 2014-07-24 | 生活
フィッシングメールをかわす 2014-05-16 | 生活
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2019年復活祭の座席確保

2018-03-21 | 文化一般
バーデン・バーデン祝祭のティケットを予約した。予定通りだが、一枚だけは余分になった。昨年も「悲愴」の日に一枚余分に購入したが、今回も一枚余分になった。先ずは安くて好みの席を押さえてしまうと、時間が経ってから後悔するのである。ゾリスティンに不満があったとしてもこれだけの名曲をペトレンコ指揮のフィルハーモニカーの演奏で身近で聞けるなんて、現時点ではこれ以上に求めるコンサートなどはないではないかと思い直すのだ。なればベストの聴環境を求めるべきではないか?

同じ会場でこのシェーンベルクの協奏曲はバレンボイムのヴァイオリンでギーレン率いるSWF交響楽団で聞いたのだが、あの時は平土間の横の窪んだ所が割安だったのでそこに座った。舞台に近い分、細かく聞け、視界もよく効いた。しかし隣のばあさんがシェーンベルクのサウンドで神経が遣られてしまって四六時中咳をした ― 要するに曲の緊張が高まるところで必ず遣らかすと、とても音楽的なのだ。日本のオタクならばなんというか分かっているが、そこは耳効きの私である、そのような雑音などはフィルターを通して楽音だけを聞き取る。ばあさんが特別に私に謝ったが、まあ緊張するなとあの年齢の人に言うのは難しいサウンドであり、音楽を学んだり楽器に馴染んだりしている人には余計にそれこそ医学的影響を与えるかもしれない画期的な創作だ。

それでもやはりあの管弦楽は視界が効かないところで鳴っていてもパラパラと鳴って音楽の輪郭が聞こえない ― 昨年聞いたシカゴ交響楽団でも楽譜を想い浮かべながら見えない音を吟味していた。そこでもう少し視界が効いて更に距離の縮まる座席を選択した。最初に購入した29ユーロの丁度階下になるのだが、やはり視界が全く異なることはソロコフリサイタルで昨年二列目に座って確認していた。しかし二列目は視界ほどには音響は良くなかった。やはり一列目を選んだ。そこはパトロン席のバルコン最前列よりも舞台に近い。価格は125ユーロであるが、ルツェルンの同価格帯よりも大分舞台に近いのが取り柄である ― 恐らくこの曲は本拠地フィルハーモニーやエルプフィルハーモニーの方が良いだろう。勿論価格差だけは視界と共に音響も良く、直接音が楽しめる筈だ。古典的な和声でないので、上手の奥の楽器音が何処まではっきりするかは分らないのは若干未知であるが、少なくとも物理的距離が近い分視覚を補ってくれる。

一方ランランの復活祭日曜日は最初から大分売れていて ― パトロンやスポンサーが被りつきを大量に買い込んでいるのが分かったので ―、それに対抗して、たとえあの下種な女流奏者が弾くとしても一枚でも多く買い込みたいところだ。それでも耳が一組しかないのがなんとも悔しい。本当は安くついたからそれでよいかと思っていたのだが、その売れ行きの悪さを見てもう少し援護射撃しようという気持ちもあった。また、例えば両方の席の額を合わせたぐらいのもう二つ上の席もあまりそれほど喜ばしくないのである。その一つが先に書いた窪みの席であり、若しくは正面第二バルコンの最前列なのだ。前者は音響に問題があり、後者もブルックナーなどの所謂鳴る交響楽ならば気持ち良い席なのだがシェーンベルクの場合はその音響に包まれるようなことにはなら無い。そこが違うのである。それならば距離が近い方が有利である。同じように平土間となると複雑な管弦楽が一望に見通せない。勿論二曲目のチャイコフスキーの交響曲ならば異なるのだが、そんなものは心配しないでも座付き管弦楽団がボンで弾いてもあれだけ鳴ったのだから、これはどこでも十二分だ。

スクリーンショットが語るようにランランのコンサートはいつも同じだ。最前列から平土間後ろに掛けて扇の様に上手側が売れ残る。これだけを見ていてもランランの聴衆は彼の手を見れば満足なだけで、ピアノの響きもペダルも何もない。要するにランランと同程度の教養の人達がその市場を形成している。そして私もいつもの安いサイドバルコンの下手側をなによりも先に押さえた。これで一安心だ。ワンがなにを弾こうが、二度チャイコフスキー五番をボンから続けて三回聞いてもよいのである。兎に角、席を押さえておくことが先決だ。

ナポリの偉大なマエストロの「レクイエム」も押さえた。この曲もカラヤンの最後のシーズンにフィルハーモニーでジュリーニの指揮で聞いて、フィルハーモニカーがこのようにごつごつと鳴るのかと驚いた懐かしい記憶が最後であり、今回も奇しくもラトル時代の終わりにムーティで聞けるのが嬉しい。オテロ指揮とはならなかったが、これで秋ぐらいからはヴェルディのお勉強となる。「オテロ」は、それでも平土間から売れていて、やはりこのオペラは人寄せ効果が強いらしい。結構なことだ。如何にも退任する支配人が得意とした手堅い市場の感じである。

夜になって売券の様子を確かめていると、復活祭後のコンサートがプログラムに乗っていた、とても生を聞いてみたい名手アムランがチェコのタカシュ四重奏団とマティネーを催して最前列でも僅か9ユーロしかしない。これこそ、もう少し近くで同じコンサートがあっても、捨ててもよいので、購入しておいた。



参照:
先の準備を整える 2018-03-16 | 生活
演奏会発券当日の様子 2018-03-07 | 雑感
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「彼女のためなら…」

2018-03-20 | 雑感
バイロイト祝祭のネット発注を再び試した。開始時刻を10分ほど逃したので5時間ほど待たされた。忘れていたら警告音が鳴ったので入った。お目当ては「ローエングリン」だったので開始後三時間ほどで売り切れていたのは気がついていた。最初の申し込み同様、希望価格は数十ユーロであった。前回は早めに入れたので150ユーロで躊躇したが、流石に数時間経っていると220ユーロほどが最低価格だった。それでもドミンゴが指揮する「ヴァルキューレ」二度目も三度目も出ていた。そうこうしていると人気の無さげな「オランダ人」の195ユーロが出てきた。多くの人が中で遊んでいるのだろう。だから誰かが手持ちカードを流したところで安いものが出る。一人平均一時間以上は中にいるのではなかろうか。だから数時間も待たされる。システムがあまりよくない。結局は「マイスタージンガー」も「パルシファル」も出なかった。売れるものは二年目以降も決まっているようだ。演奏が良いかどうかよりも「トリスタン」などはあまり人気が無い楽劇なのだろう。そして1クール目の上演は再演でもやはり売れ残らないようだ。冷やかしの威力業務妨害のような人が可成りいるのではないかと思う。結局ダフ屋も人気が無いとなると危険で手を出さないのだろう。

日曜日のペトレンコの話しで面白かったのは、マリス・ペーターセンとの話しだったが、「芸術的だけでなく、医学的にとても厳しくて」の発言であり、色々と想像させてくれた。本人もバッハラー支配人に「ストップを掛けてよ」と断ってから話すぐらいだから、大体想像はついた。それでも心理的にとか健康的にとか言わずに医学的という言葉を使ったので、実際に医療を施す必要が生じたのかなとも思った。「歌手も指揮者も限界まで要求される」と言うことで、リハーサルで可成り厳しい状態になって、勿論こういう場合は歌手がなのだが、勿論女性に暴力を振るわれる可能性も大いにある。

しかし「彼女の言うことはなんでもする」と言うのは、やはりしごき過ぎて彼女が卒倒したということだろう。その後に彼女からもメールなどで熱心に連絡を取って理解し合ったというから、やはり彼女の十八番に手を突っ込んだものだから大変なことになったのだろう。歌手でなくても女流奏者でもこの傾向は変わらないが、特に歌手となると修羅場になりかねないのがこのやくざな世界である。そして彼女はトレーラーで「キリル・ぺトレンコと共演する者はこの世で一番幸せな存在だ」とぶちまける。私も思わず吹いてしまったが、こういう世界である。
SALOME with Marlis Petersen: Preview (Conductor: Kirill Petrenko)


また新聞でも早速取り上げられていたが、マリス・ペーターセンの要求で出したDVDを聞く気もしないのは当然で、「さらにもう少し上手く」と思うのはライヴ録音でなくても、スタディオ録音でもその演奏家心理は変わらない。その一方、「聞いてはいないけど悪くは無いらしい」という言葉で、またその真意が知れた。キリル・ペトレンコが録音に関して必ずしも特殊な指向の音楽家ではなく、寧ろそのライヴを残せるだけの指揮の可能な稀に見る指揮者とする方が正しい。同時にそれ以上にメディア産業の力を借りないでも超一流と認められる唯一無二の現代の音楽家としてもよい。

先週末にブルゴーニュを開けた。アイスクライミングに行った折にフランスで購入したブルゴーニュを全て飲み干した。サントネイである。ボーヌの南側だ西側寄りである。この価格帯では悪くなかった。2015年でも綺麗に酸が効いていて小振りな感じがチャーミングだ。先日のシャロゼーズとは異なり薄いながらも膨らみもあり、充分に石灰のミネラルも感じられた。ぎすぎす感が少ないのである。軽いので食事にも合わせやすい。12ユーロ位だった。



参照:
音楽監督と至福の生物 2018-03-19 | 音
TV灯入れ式を取り止めた訳 2017-01-02 | 暦
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音楽監督と至福の生物

2018-03-19 | 
ベートーヴェンの交響曲など勉強するなど久しくなかった。記憶に無い。一昨年位にフルトヴェングラーの「英雄」ウラニア盤のデジタル処理したのをYOUTUBEでみて聞いた。最近では八番をクリーヴランドの楽団でメストが振るも生放送録音を聞いた。実演では、バーデンバーデンでの初めて聞いた第九ぐらいで、その前はクライバー指揮の第七と第四だったろう。

先ずはカルロス・クライバー指揮の第七のLPを聞いた。とても汚い演奏で、当時鮮烈と騒がれていたサウンドも昨今のカラヤン二世指揮のそれのように磨かれていない。父親は超一流の劇場指揮者だったが、この倅も如何にも劇場指揮者らしい演奏である。これは気が付かなかったが、調べてみると未だに天才と人気のあるこの指揮者はあまり交響楽団を指揮していないのが分かる。そしてベートーヴェンの交響曲の指揮でのテムピ設定などがあまりにも節操がなく、その流れを大きく作画しているのが良く分かる演奏だ。

彼の指揮するヴィーンでの「ばらの騎士」の視聴でもあまりにも失望したのに続いてまたもやの駄目押しである。そこで取って置きのフルトヴェングラー指揮べルリナーフィルハーモニカーの1942年頃の録音を聞くと、その端正な美しさと響きの透明さに圧倒される。劣悪な録音でも上のヴィーンの座付き管弦楽団との演奏技術の差が甚だしい。戦時中は劣化していたとされる比較的新しい交響楽団であるが、戦後その芸術的な水準にまで至っているとは思われないほどに素晴らしい。

子供の時は劣悪な音質の録音でそこまでの確信は持てなかったのだが、流石にこちらもその違いぐらいは聞き分けられるようになった。なによりも導入部のドルツェの副主題部の扱いへととても合理的に移行する。それは冒頭の主題のテムポ設定が正しいからで、これだけでクライバーの遣っていることが如何に才気あふれる霊感とは全く関係ないかが知れる。要するにヴェリズモオペラ風の要領であって、違和感無しには聞けない。そのドルツェが如何に大切か、もうここで倅は親父と違って話しにならない。

如何にフルトヴェングラーがトレモロやテヌート記号の意味を解いて読譜して全体のフォームを整えているか、如何に楽譜に忠実であるかはそのアゴーギクの設定以上に重要であり、逆に帳尻合わせをするわけではないそのテムポの安定感は揺るぎないのに驚くだろう。まさしくこの天才指揮者が練習で入念に合わせていたアゴーギクは全体のテムピ設定における安定感に結びついているようだ。自身がラディオで語っていたようにテムポを保つ天性の才能があったことは間違いない。

兎に角、フルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲演奏実践を知るともはやどのような演奏をしてもそのような立派で美しい交響曲解釈などは存在しないことが知れるのであり、如何なる演奏も避けていた私の矜持がそこにある。そして今年はあの台北で一部が聞かれたキリル・ペトレンコ指揮の七番の演奏会があり、来来週にサイモン・ラトル指揮での演奏が待たれるのだ。前者の一楽章第二主題副主題部での踊りはまたここでドルツェへと続く。もう少し研究してみよう。
佩特連科與巴伐利亞國立歌劇院管弦樂團 9/8彩排


オペラ指揮者クライバーで記憶に残るのは「オテロ」演奏であり、今年はまたその時以来の「オテロ」再会となるようだ。ミュンヘンの劇場からの新プログラム発表のストリーミングを観た。なるほどドミンゴに代わるオテロはカウフマンしかいないかもしれない。見事にこちらの推測が外れ、ドビューシーではなくヴェルディが来た。そしてもう一つは「サロメ」だった。前者はレパートリーとして本人の穴になっていたところなのでオペラ劇場でやり遂げておくべき作品として理解出来る。しかし「サロメ」新制作は「ルル」のDVD化と同様マリス・ぺーターセンに押されてというが、フェストシュピーレにおいても新制作シリーズとして四回上演しか計画されていない。なるほど本人の語るように、「オテロ」におけるのと同様に、異なる管弦楽版が存在して原典に返るということならば音楽的にも幾らかの価値はあるのだろう。それでもやはり歌劇場との関係を語らざる得ないのも頷ける。

明らかに音楽監督として目標としたところから着地点を完全に定めたといった塩梅だ。建前としてはカウフマンやハルテロスとの記念碑のようなことであるが、それらが専任として最後の新制作となり、キリル・ペトレンコのオペラ音楽監督としての頂点は2017年―2018年だったということになるのではなかろうか。

「ミサソレムニス」を、合唱団との幸運な協調作業として ― 恐らくその次のシーズンでは「千人の交響曲」だと思われるが ―、人類のエーリアンへのメッセージとしての価値と語った。これもその直前の二月の「フィデリオ」と同様に2020年のベートーヴェン年に合わせる企画だとされる。

今年10月のアカデミーコンツェルトがシェーンベルク協奏曲でベルリンのフィルハーモニカーとのコンサートの練習にもなっているのだが、興味深いのは、もしかする申し込んだくじがあたるかもしれない「マイスタージンガー」の再演で、先ずはフローリアンフォークトがアイへと歌い、2016年のフェストでは叶わなかったカウフマンでの映像が2019年に残されることになる ― 招かれるとしたら9月27日だと分かった。

こうなるとどうしても関心が向かうのは2020年のバーデンバーデンであり、もしかするとミュンヘンの合唱団が出て来るのだろうか。そして残された「トリスタン」の行方はどうなるのか?恐らく「モーゼとアロン」は敢えて座付き管弦楽団で上演する必要もなく、バーデン・バーデンへと残されるのだろう。



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Ich war noch nie in Japan. Das ist.. 2017-04-03 | 暦
声楽付き楽劇「トリスタン」 2016-03-22 | 音
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看護婦さん向き靴下

2018-03-18 | 生活
修理したGPS時計を嵌めて走った。ピープ音が無いだけで今のところ順調に動いている。これでゆっくりと最後まで充電を使えれば、大きさの合う電池に入れ替えれば完璧に元通りになるだろう。安い電池を探すと同時に、縛らく様子を見てみよう。

その大きさの合う電池を調べてみる。西欧にはないことは分かっているが、日本でも見つからなかった。合衆国にも無かった。どうしてもシナに行きつく。殆どの製造元は中共に違いない。それでも探していくと大きさの合うようなのが出て来る。アリババでは価格は安くともドイツには送らないとか、法外な送金とかが書いてあってなかなか見つからない。そうこうしているうちにやっと分ってきた。製品番号と大きさなどの分類がである。今頃まで気が付かなかった自身の知能指数が低下しているのかと思った。何でもないオリジナルの電池の記号の一部422530はそのまま厚さ4.2ミリ幅25ミリ長さ30ミリの大きさだった。それをもとに調べてみると402530のそれも容量が300mAhが売りに出ている。まさしく探していたオリジナルの大きさ以下でそれ以上に容量の大きい電池である。オリジナルの280に対して300であるから、GPSを12時間に対して12時間51分まで使える。表示として13時間が出ないのは残念だが、51分のおまけは小さくない。

価格は4ユーロ72で送料込みである。だから万が一届かなくてもそれほどの被害ではない。但し二三週間掛かるのがシナ直送の問題点だ。勿論金を出せば早く送ってくれるがそれではあまり意味が無い。二三日電池交換した時計の様子を見て発注しようかと思う。恐らくそれで殆ど元通りになると思う。

今週は四回走った。GPS時計をテストする動機付けもあり、陽射しもあり気持ち良かった。ちらつく雪の合間を一っ走りするが風が強くて外気温一度の割には寒かった。峠の上でラップ掲示ボタンを押すと微かにピープ音が聞こえた。電池で押さえつけられているだけで、その他は表示の黒点だけであとは快調だ。それでも降りてくるとガラスが曇っていた。密閉度が足りないことが直ぐに想像できた。やはり薄めの蓄電池に早めに入れ替えないと駄目である。外観は隙間があるようには見えないのだが、パッキングだけでなく蓋がしっかりと合わさっていないのだろう。

室内で履くソックスを注文した。徐々に破れたりしていて数が無くなっていたのだが遂に一足も使えるものが無くなった。何時もスーパーの籠売りなどで購入していたが、それほど安くもなく品質を吟味できないのでネットで探した。所謂医療従事者向きのユニセックスのソックスで、白衣と同様に熱湯で洗濯出来るものだ。だからゴムなどが入っておらずにむくれたの患者などにも使える。私は内履きを長く使いたいのと、季節によってはどうしてもソックスが必要だからこれを愛用している。純綿であるから真冬でも真夏でも必要ならば使える。真冬は昆毛ソックスも気持ちよかったが流石に暖かくなると不愉快でどうしようもない。なによりも肌に快適で、内履きが汚れないのがいい。

自身の大きさのを履いてみると、なるほど誰かが書いていたように、最初は少し滑ってあまり足に合わないような感じもあったが、一度洗濯するとしっくり来ると書いてあった。恐らく生地を織る時のワックスなどが落ちるのだろう。

今回はネットなので初めて10ペアーを購入した。医療従事ではないので足が血塗れになってということは無いので、洗濯も一週間一度ぐらいである。だから比較的長持ちするのだが、やはり頻繁に替えた方が気持ち良いかもしれない。10足で15ユーロだったから、一足1.5ユーロ弱だ。消費量が限られているので間違いなく数年もつとは思う。



参照:
こてを使う腕を振るう 2018-03-17 | テクニック
キレキレのリースリング 2017-11-11 | ワイン
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こてを使う腕を振るう

2018-03-17 | テクニック
半田ごてを握った。前回は電話機の修理だった。小手が悪かったので作業効率も精度も極端に悪かった。今回は腕時計スケールだからそのような不器用な仕事は許されない。

先ずは届いた充電池を開ける。予想していた以上に小さく、これならばもう一つ大きめの物を探せばよかったと思った。しかし実際に時計の裏箱に収めてみると、分厚さが違った。一ミリ以上は分厚かった。試しに裏蓋を閉めてみると、液晶に黒い点が表れた。押さえつけているのである。再び外すと黒い点は無くなる。全く使えないかとも思ったが閉めるとしっかりと密閉可能なので試すことは可能な筈だ。

いよいよ半田付け作業だ。ガムテープで時計の腕輪を固定したりしたが、上手く中身が外れて呉れたので作業が遣りやすくなった。まあ、完璧ではないながらも使える程度には固定出来た。最初にこてを温めるときに焼けて煙が出たが、バルコンで少し焼いてから温め直した。やはり今まで使っていたものよりは精度が高い。温度も比較的安定している感じで、周りがあまり熱くならない。購入した価値があった。

そしていざ充電池を押し込んで蓋を閉めると再び黒い点が表れるが、ある程度は仕方がない。水が中に入るよりはましである。そしておもむろに充電のコードを取り付ける。何ら反応が無い。新品の充電池だからどこにも電流が流れないということらしい。暫くしても反応が無いのでテスターで調べてみたのだ。兎に角充電してみなければ分からない。二十分ほどして液晶が点滅しだした。間違いなく結線しているのを確認。直に初期状態になり、充電のインディケーションが表れた。これでいける。

完全充電になるまでに4時間ほど掛かっただろうか。最初であるから当然かもしれない。そもそも容量が8割5分ほどしかないので、最初に十二分に充電しておかないと勝負にならない。先ずは数時間後に完全充電表示が出た。そこで早速GPSを動かした。時間が掛かるので駄目かなと思ったが何度目かで衛星を捉えた。時刻がなぜか同じ午前の時間が出る。24時間表示になっているのにである。言語表示などを初めてドイツ語にしたりして、再びGPSを合わせる。正しい時刻になった。

そこで気になるのは液晶の黒点とそれゆえの画面の暗さだ。それならばオリジナルの充電池を張り付けていた両面テープを剥がして少しでもスペースを作ることにする。電池をひっくり返したり色々とやってみるがやはりそのスペースに対して電池は分厚過ぎる。それだけでなく圧されていてアラーム音もほとんど聞こえなくなっている。それでも何とかマシな場所に置いてふたを閉めると、今度は驚いたことに完全充電した筈の電池が空になっているのである。シュートさせたのか、分らない。

再び完全充電した。今度は先ごろ入手したアマゾンベーシックを使ったためか一時間ほどで完全充電となった。ディスプレーの光度を調整可能だと分かったので明るくすると漸く使い物になった。これでしばらく置いておいて放電しなければ、回路には問題が無いとなる。問題が無いことが確認されれば、適当な充電池を海外で探してもよいかと思う。少なくともアメリカやアジアにはオリジナルに近いものがあるようだ。

ランランショックが尾を引いている。その満州人の去就はどちらでもよいが、そのプロデュースに先日のもう一人のペトレンコに引導を渡したのと同じ性質を感じる。つまりとても厳しい業界裏事情無しには考えられない。ツェッチマン女史はそれを全て被る人だと思うが、如何にべルリナーフィルハーモニカーやキリル・ぺトレンコへの攻勢が厳しいかを感じさせる。生きるか死ぬかの熾烈な売り込みが背後にあるのだろう。改めてペトレンコがランランを貶したインタヴュー原文に目を通した。なんと驚くことにそのインタヴューワーはFAZの評論をおばさんから代わった人だった。気が付かなかった。

次に予想されるのは、ティーレマンの扱いで、フランス物ではなく定期でヴァークナーかブルックナー指揮のオファーをこの単純なドイツ人が受けたとすると、いよいよ初代音楽監督に引導が渡されることになるかもしれない。ヴァークナー家のことを考えればあり得るかもしれない。



参照:
裏蓋を開けて凝視する 2018-03-09 | テクニック
先の準備を整える 2018-03-16 | 生活
蛇足を画策したのは誰 2018-02-21 | マスメディア批評
ペトレンコが渡す引導 2018-01-14 | 文化一般
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