Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

192kHz再生での違い

2020-10-07 | 
引き続きペトレンコ指揮ボックスを流している。ブルーレイはまだ再生出来ていないが、ハイレゾダウンロードを始めた。これが結構時間が掛かる。形式や大きさは選択可能なのだが、192kHzのそれもWAVファイルを狙うと、お目当てのベートーヴェン交響曲七番だけで2.387MBとズィップになっていても大きい。更にサーヴァーもゆっくりなので二三十分掛かる。それでもFLACよりも気持ちが良い。開けると各楽章ごとに分かれていて2.6GBになっている。

お目当てだったのは、この曲の時間当たりの情報量がその移り変わりの変化の大きさにあるので、CD再生では若干タイムラグ感がある。音響の断章というか断面の鮮やかさが出て来ない。どんどんと再生して行っているのでBGMとして仕事しながらなのだが、ハイレゾで流しながら食事していると、其処で演奏しているような感じになって来て落ち着かなくなってきた。コロナ再開でアムステルダムのコンセルトヘボーでは平土間にサローンのようにテーブルを並べていたが、こんな演奏をされたら飲食どころではない。

要するに生に近づいて来た。しかし最終的にルツェルンそれに追いつかないのは余計にその演奏から知れた。やはり左奥に位置するコントラバスなども必死で音を出しているのとシューボックスで打ては響くような合わせ方との差である。これはこの曲においては大きい。残念ながらベルリンのフィルハーモニーでの演奏にはこうした限界がある。フォンカラヤンが轟轟と鳴らして全体で仕上げて行った背景はそこにあって、前任のサイモン・ラトルが頻繁に昼食に誘われるような幻想に追いやられた背景がある。

そして、そのラトル指揮での音源が同じ192kHzで再生されても質が上がれば上がるほど音の肌触りがツルツルになって愈々ととっかかりの無い音響になって行く。まさしくこの七番はラトル指揮で聴いた最後のベルリナーフィルハーモニカーの音響だったので、ここで鳴っているその音響こそに意味がある。

どうしてもミュンヘンでの引継ぎでの会談後のラトル卿がペトレンコの人間性について魅了されていたことの一部始終を思い起こす。なぜ同じレパートリーを矢次早に繰り返したのか、それをどのように話したのかは疑問だった。しかしこうして録音を聴くと、数か月前のバーデンバーデンでの演奏での音響との差にその会談内容が浮かんでくるようになる。ラトル卿は、フィルハーモニカーとの関係を伝授したというようなことを語っていたが、ペトレンコのそれからして可成り音楽的な単刀直入な話しに及んだのではないかと思う。「人間性は最高で、音楽も、…」の意味はそこにあったのではなかろうかと思うようになった。

結論として、ペトレンコ指揮にして初めて192kHzのハイレゾのそれの価値が生じたといっても良いだろう。今回のCDプラスハイレゾ商品化判断に私自身少しでも声を出せて後押ししていたことは自負してもいいだろう。これで確実に日本などでのペトレンコ体制でのベルリナーフィルハーモニカーの意味が知られていない地域での注目度が変わると思う。

音楽的に生を聴いて、よくお勉強していたならば今回の音響でその評価や効果に関してはそれほど変わらない。強いて言えば、シュミットの交響曲四番が弾き始めで定まらない楽員が数か月後のツアー時の演奏とは大分異なるのだが、ここでの音響を聴くとまさしく生演奏での弦楽合奏の襞も良く聴こえて、ベルリンからの演奏中継での物足り無かった分を大分補っている。改めてハイレゾ再生でその他の曲も比較してみよう。



参照:
満足度が高いこと 2020-10-05 | 文化一般
とても高い芸術的な価値 2020-10-02 | 音


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