Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2016年2月

2016-02-29 | Weblog-Index


足踏み状態の今日この頃 2016-02-28 | 文化一般  TB0,COM2
フォンデューにリースリング 2016-02-27 | ワイン
バッハ最前線から現状報告 2016-02-26 | 音
厳戒態勢ではない国境線 2016-02-25 | 生活
痛めた左足で苦行の大滑降 2016-02-24 | アウトドーア・環境
都合の悪い真実を窺う 2016-02-23 | 雑感
チーズフォンデュの準備 2016-02-22 | 料理
最後のグレーフェンベルク 2016-02-21 | ワイン
雪崩救助作業装備重量 2016-02-20 | アウトドーア・環境
怪我後初めてのジョギング 2016-02-19 | 生活
バーデンバーデン復活祭まで 2016-02-18 | 暦
ジカ熱被害の住友化学の責任 2016-02-17 | マスメディア批評
隣人愛ザウマーゲンチョコ 2016-02-16 | 歴史・時事
脱資本主義社会への加速 2016-02-15 | 文学・思想
否の無いスマートさ 2016-02-14 | 雑感
無アイゼンのピークハント 2016-02-13 | アウトドーア・環境
ドナウヴェレという菓子 2016-02-12 | 料理
新品を使ったスキーツアー 2016-02-11 | アウトドーア・環境
塚原サルト崩れの謝肉祭 2016-02-10 | 暦
緑の屋並みにはいない泥鰌 2016-02-09 | ワイン
アクセスをインタープリート 2016-02-08 | 文化一般
思ったよりも早く失せる 2016-02-07 | 雑感
ナヴィで目指すところ 2016-02-06 | 雑感
いつものおばさんの戯言 2016-02-05 | マスメディア批評
雪崩救助用ショヴェルを購入 2016-02-04 | アウトドーア・環境
「南極」、非日常のその知覚 2016-02-03 | 音
エネルギー消費を再審査 2016-02-02 | アウトドーア・環境
初めてのスキンを装着 2016-02-01 | アウトドーア・環境
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足踏み状態の今日この頃

2016-02-28 | 文化一般
体調が思わしくない。なによりも足が不自由なので、身体のバランスを取るだけで大変だ。かなり全身に来ている。スキーツアーで二日目にあれだけ疲れたのにはそれだけの原因があったということだろう。実際に降りてきてから山小屋でも心臓への負担などを感じていて今までにはなかったことであった。それでも何とか動けたのは基礎体力があるということなのだろう。帰宅後も色々な負担があって独特な疲労の仕方が気になる。足の調子さえよければ一っ走りして体の調子を整えるところなのだが無理は出来ない。

スーパーに行くと、このところの野菜の値上がりに驚く。キュウリなどは、ドイツ製であろうがスペイン製であろうが、同じようなものが倍近くの価格になっている。その他の安い物を探そうにも概ね二割り増しか、物がとても悪いものになっている。仕方なくブロッコーリーとザワークラウトとチェリートマトを買っておいた。野菜は最終的には八百屋に行くからである。

チーズ類は、折からの四旬節で安売りも出ているが、もう一つである。コーヒーやヌードルは安売りを逃さずにしっかりと買い置く。肉類は、スベアリブがグリルしてあったのでこれも買う。トイレに洗剤などを加えて、直ぐに30ユーロになってしまう。日本などはなかなかデフレを抜けきれないというが、こちらは直ぐにインフレムードとなる。但し燃料や、シナからの輸入ポメロなどは価格が落ち着いているので、そうしたチャイナイムポート品に頼ることになる。そうしたことで、もはやドイツからシナへのエクスポートは減少して、世界最大の輸出国の交代の事情が顕著に表れている。

兎に角、体が弱っているので、今晩辺りは滋養強壮のために肉でも食して、サンテミリオンでも開けなければいけないと感じている。陽射しは強くなって、春らしくなってきたが、気温は朝晩の冷えで氷点下前後を上下している。運動が出来ないことで体調管理がとても難しい。まさに足踏み状態なのである。

来週からは新酒の樽試飲が始まる。2015年産のワインである。2014年産もまだまだこれからなので、いろいろなワインが楽しめる反面若干煩雑になってきている。数年経たないとこうした供給の仕方に消費者として慣れないだろう。

この十日間ほどでの最も話題となったのはウムベルト・エコ逝去のニュースだった。エコと聞くと、その記号論とRAIでの音楽プロデューサーとしての仕事をどうしても思い出す。その前にはベルリンで、ブーレーズ逝去を記念してのクルターク作品の初演などもあったようだ。いづれにしても、先日のバッハ組曲の演奏実践にしても記号論とは切り離しては全く議論が出来ない。

再三にわたって2009年の感想を読み返してみると、バッハの現代における価値がまさしくこうした記号論的な次元において輝くのであって、それもバッハ以後の読み替えではなくて、バッハ自身が伝統として受け継いだそれの読み取りであるとするここでの議論が漸く一つの結論に達しているのを感じる。勿論天才少年キット・アームストロングの教育程度からそのようなことが前提となってリゲティ―との組み合わせが行われたのであって、それはバッハ以前を強く意識していることと同義であったのだ。今、これを書きながら、アンティカ・ケルンのアルバムからバッハのそれらの組曲を流しているが、こうして比較するとサヴァールの知的な感覚はやはり隅に置けないと思う。



参照:
バッハ最前線から現状報告 2016-02-26 | 音
ピエール・ブレーズ追悼記事 2016-01-08 | 文化一般
バラの名前の閉じられた世界 2011-06-21 | 女
外交官なんて不要か? 2010-12-21 | 文化一般
引き出しに閉じる構造 2007-01-11 | 文学・思想
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フォンデューにリースリング

2016-02-27 | ワイン
痛めた足の調子が良くない。滑降のクラストした雪でこけたときにまた捻ったのも悪かったのだろう。もう少し長引きそうで嫌になる。登りも無理して体を動かしているのでちょこちょこと違和感もある。これも仕方がない。

この一月ほど前から話題になっていたのは、モーツァルトの新曲の発見の事であるが、その新聞記事もあまりよく読んではいなかった。先日のフランクフルトへの途上のラディオでその小さなカンタータが流れていた。サリエリとの共作でもあり、その作曲よりもあのサリエリ事件の否定の方がこのチェコでの発見で話題になっているのである。要するにとてもよく面倒を見ていたサリエリのパトロンのような立場である。

スイスでは、三食自らの賄で夕食とした。二回はヌードルのスペッツェレで、一人はシュツッツガルト出身だったのでレンズマメスープのソースで食した。私自身もシュツッツガルトの人から習ったレンズマメソースはスープではないので、これは極一般的なスープに近いものだった。それでもソーセージなどを混ぜて、ヴェギタリアンは菜食ソーセージで、それなりに楽しめた。

最終日は、ケーゼシュペッツェルでそれにサラダを付けた。初日はチーズフォンデュだった。生憎、フライブルクのグループが一緒で、彼らが態々ヌードルを自家製で造っていたものだから、時間が掛かって可成りストレスが溜まった。

ワインは、それに合わせて2012年産ゴールトベッヒャエルを別けて貰って持って行った。通常ならばリースリングの酸がチーズには合わないのだが、瓶熟成で落ち着いていて、尚且つフルティーさがあるので全く違和感はなかった。勿論キルッシュヴァッサーは忘れずに持って行った。

今回の最大の問題は誰も本格的にビールを持ってきていなかったので、ビール党の私には少し寂しい感じがあったが、足を怪我していることでもあり、少なくとも飲み過ぎになることは無くて、その点はまずまずであったろう。



参照:
チーズフォンデュの準備 2016-02-22 | 料理
似て非なる地方の名物 2008-02-16 | 料理
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バッハ最前線から現状報告

2016-02-26 | 
フランクフルトのバッハの会では、ヴァイマール・ケーテン時代の管弦楽が中心に演奏された。今シーズンから始まった会員向きのオリエンテールングでは歴史的演奏実践にも触れていた。冒頭は遅れて聞けなかったが、面白かったのは1930年代のコンセルトヘボー管弦楽団演奏の組曲二番ロ短調の録音だった。演奏自体はとても優秀な演奏で、メンゲルベルク指揮の管弦楽団がベルリンのフィルハーモニカ―などとは違う程度の演奏をしていたのを確認した。とてもあれだけのアンサムブルは新世界でも当時なかったであろうと思わせて、そのバッハ演奏の歴史的な意味を改めて知った。

要するに楽譜を正確に音楽しているのだが、バロック音楽における研究や演奏実践が戦後にベネルクス諸国でリヴァイヴァルしてくる源泉のようなものをそこに紹介した。組曲における舞曲的な要素を、その音楽リズムの記譜化されていないものを、ヴィーナーヴァルツァーの三拍子と比較して説明する手腕も中々優れていた。もう一つの柱は、チェンバロ協奏曲の音楽とそのカンタータへの発展の説明だったが、様々な楽器の使い方と、装飾の付け方などへとなかなか意欲溢れる内容で、短い時間ながらなかなか充実していた。

当日の演奏は、ジョルディ・サヴァール指揮する「再統一の味」と名付けられたプログラムであった。そこで再統一されるのは、バッハが倣ったイタリアとフランスのバロック音楽としてもよいかもしれない。そこで演奏されるのはロ短調とハ長調の組曲二曲とニ短調のチェムバロ、二つのヴァイオリンのための協奏曲である。

特に印象に残ったのは、あまり知らなかったチェムバリストのピエール・アンタイで、恐らく今までも楽団の中で弾いていたのを聞いているのだろうが、今回は協奏曲を含めてその音楽がアンサムブルの中で中核を占めていた。流石にレオンハルトの弟子である。一楽章アレグロでのヴィオラとの絡みは、今まで経験したことのないバッハ演奏で、グールドがピアノで弾く時よりもそのチェムバロの鋭く早い音響が中音域のオブリガートと織なす、ピエール・ブーレーズ作曲のライヴエレクトロニックばりの音響を試していた。そうした現代的なサウンド感覚も含めてレオンハルトには全くない種のもので、その意味からは完全に師匠を超えているのかもしれない。

明らかに緩いアンサムブルのサヴァールの音楽がこのような通奏低音によってもしっかりと支えられることで、フルートトラヴェルソを吹いた兄弟のマルク・アンタイの演奏する組曲においてもなかなか微妙なバランスとテムポを表出できていたのかもしれない。通常のフルートでは音が立ち過ぎるのだが、このように演奏されることで、なるほど従来の演奏形態よりもサウンドが豊かになることも事実だろう。

コレルリ、ヴィヴァルディとそしてフランスのルイ王朝の音楽がどのような形でバッハによって統合され結実しているかを音化する演奏会としてはこれで大成功といえるのだろう。このような演奏よりも遥かに精妙な古楽器演奏アムサムブルは幾らでもある訳だが、決して鄙びた響きでもなく、超現代的なサウンドがこうして齎せるのはやはりサヴァールの音楽性ということに違いない。

最近は大ホールで活躍が目立つ演奏家であるが、反面嘗てのようなビックリおもちゃ箱のような奇想天外さは影を潜め、その一方でこうした純器楽的なバロック演奏を披露しているのであるが、同時に際物にならないようなぎりぎりの線をしっかりとこうした演奏家が守っている感じが強かった。

そして、2009年の同じ楽団の演奏会の記録を読み直す。その時はブランデンブルク協奏曲ではブーイングが聞かれたようだったが、なによりも組曲では結果が逆になるのは分かっているようなものだ。そのもの楽譜には一切表現されていない舞踏の音楽こそがその中心であるからだ。メンゲルベルクが意外にもとても素晴らしく楽譜に忠実に演奏をしていて、そして今では全く楽譜に書かれていない音楽こそが学術的に忠実な演奏解釈なのである。そして、そのリズム感覚などの際どさこそがサヴァールの最大の持ち味であることは間違いない。

先日のキット・アームストロングのリサイタルに続いて、十分に刺激的なバッハ演奏実践で、もし現在のバッハの最前線を体験しようと思うならば、このフランクフルトの演奏会シリーズしか他にないだろう。



参照:
開かれた陽画の舞踏会 2009-01-23 | 音
きっとアームストロング 2016-01-15 | 音
知的で刺激的なバロック音楽 2015-10-17 | 文化一般
ピエール・ブレーズ追悼記事 2016-01-08 | 文化一般
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厳戒態勢ではない国境線

2016-02-25 | 生活
久方ぶりに、フランスからスイスへと廻った。滞在先はベルナーオーバーランドだった。先ずはエルザスへの国境がこのところのテロ騒ぎと難民騒ぎで道路が狭められていた。それでもそこには誰も居なかった。帰りも同じだった。完全にフリーだった。

またエルザスからバーデン・バーデンへの再入国も全く国境が無いのは同じで、通過スピードもカーヴで速度が落ちるぐらいで早くなる傾向は全く変わっていなかった。パリでの非常事態宣言とは異なって全く出入り自在だった。情報が流れたときだけコントロールをするのだろう。それでも完全開放からは後退していた。要するにああしたコントロールはせいぎょうされて居るということでしかない。

ドイツからスイスへの入国も従来と一切変わっていなくて、顔パスで通過した。これも何十年も変わらない態勢である。ドイツ再入国もスイスからの入国なのでこれまた全く何十年も変わらない状況である。

寧ろ、フランクフルトのアルテオパーなどの出入りが以前よりは少し気を使っている感じはある。正直テロ注意は、危険度が高まらない限り気が付かない。実際には危険性は低くは無い筈なのだが、なんとも言い難い。

三月にはバーデン・バーデンへと出かけるので、平素はこの程度の態勢ならば助かる。しかし一度ことが起きると閉鎖擬きの渋滞なども考えなければいけないだろう。なにも起こらないことを願うしかない。



参照: 
ガブリエリ・ルッペに学ぶ 2013-07-23 | 文化一般
「南極」、非日常のその知覚 2016-02-03 | 音
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痛めた左足で苦行の大滑降

2016-02-24 | アウトドーア・環境
今回のスキーツアーも昨年のフランケンジュラでのクライミングと同じようなことになった。やはり膝と脚の捻挫はきつかった。何とか登れたが、全く滑れなかった。それでも無理してでも全力を絞って登ってしまえるので何とか降りて来るのが大変だった。こんなことになるとは考えてもみなかった。

それぐらいに歩けたのは逆に凄いことだと我ながら思う。足首が固定されていて、技術もある程度身についていて、上半身も上手に使えるので、体力がとても要る。だから二日目はこの五年感じたことが無いほどにバテバテになった。一時は頭から血が失せそうになった。肺に無理に酸素を取り込んでも、全く効果が無かったのも初めてで、殆ど高高度を登っているような感じさえした。

登り初めの沢部分で陽射しが強く完全に汗を掻いたので、それが冷えたのもあまりよくなかった。まるで日本の冬山を思い出すようなベルナーオ―バーランドだった。振り返れば、前夜の山小屋が満杯でストレスもあったのと、早朝にトイレの序にシャワーを浴びて、二度寝をしたのも悪かったのかもしれない。どちらかというと人混みに酔ったのだろう。兎に角、意識薄弱になりそうなバテ方で、心肺機能には全く堪えなかったのも不思議だった。

そして下りになると、前日はあまり気にならなかったのだが、頂上直下から厳しい分厚い固い層の雪のためもあったが、直ぐに左足首を捩じる動きが入って駄目になった。そのあとは何とか降りていくだけで一杯だった。その傾向はどんどん悪くなってきた。

それでも登るのは出来るものだから三日目も頂上まで登ってしまえて、それも決して悪くはないペースで三人の二十歳代と登ってしまえるので、余計に下りに困り果てた。確かに日頃の鍛錬の成果が出ているのだろう。足さえ普通に使えれば今までにないペースで登れる可能性があることすら感じたぐらいだ。

通常ならば、苦労して登って、後はお楽しみだけで素早く滑ってしまうだけなのだが、どうにもならなかった。林道を下るのさえ厳しく、直滑降も真っ直ぐ走れないのである。こんな思いは、スキーを始めて最初の一週間ぐらいにしか感じたことが無い辛さであった。歩く方が早いぐらいだった。

スキー靴の中でどうしても捩じる動きが働いていて、それどころかどちらのターンも引っかかるようになってきて、左足どころではなくなって来たのだった。息が上がる、登りではない様に息が上がるのだ。全く苦行でしかなかった。流石に最終日はお休みにした。二日目はリーダーの数学屋の兄貴が難しい雪面で右足を挫いて、丁度足を左右入れ替えようとなったが、どちらがどちらの足をもらうかが問題だった。



参照:
怪我後初めてのジョギング 2016-02-19 | 生活
塚原サルト崩れの謝肉祭 2016-02-10 | 暦
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都合の悪い真実を窺う

2016-02-23 | 雑感
ツアースキー用のクラムポンが届いた。分かってはいたが手に取ってみるととても軽くて、コムパクトな装丁がとても嬉しい。これならばリュックサックに忍ばしておいても苦にならない。それどころか案内状には、その中に非常用に救急セットを一緒に収めるようになっている。それならば救急セットも購入しておきたいと思わせるに十分である。それでもショヴェルと同様に尖っていて固いものであるから、持ち運びに気を遣うことは変わりない。特に滑降に伴うツアースキーの問題というか煩わしさの最たるものだろうか。

このタイプつまりデュナフィットの締め具にハルシュアイゼンを付けるには、締め具の前部の駆動部に付けることで踵を挙げたときには雪面から外れて、降ろした時には雪に食い込むようになっている。そのためには全部のバーを締め具の溝に横から嵌め込むようにスライドさせていく。つまりそのバーを支点にして回転するのである。なかなか上手に考えてあって、従来のタイプのような太い嵌め具が必要ない。これもとても優れた面である。

先日ドナルド・トラムプ候補の町カールシュタットについて話題にした。その町のトリュムプ氏の事を聞いた。その男性は、遠い親戚であって、移民したフリードリッヒの父親筋の人なのだろう。兄弟ならば三代目ならばはっきりと分かる筈だからだ。自分自身の場合でも、父親筋の祖父の兄弟までは分かるが、その父親の兄弟の子孫の事までは知らない。

そしてその男性は、トラムプ家は合衆国でも有数な金満家だと吹聴しているらしい。どの程度の資産まで築いたかは知らないが、ニューヨークのマンハッタン島の広大な土地を所有しているのだろう。そこまで資産があれば、大統領選挙にでも打って出るのも悪いことではなかろう。

速報で流した住友化学の責任問題の記事は、ユーレットという株式情報サイトでもリンクをされたようで、少しは株式情報としても役に立ったようである。既に一月末から修正期にあったようで、現在の株式市場の状況からすればそれほど顕著な影響は与えないようだ。そもそもなぜこの会社の業績が良くなってきているかは分からない。それ以上にアマゾンの原住民の千人やそこらの補償ぐらいはこうした大企業には経済的な影響は与えないとみられているのだろう。ブラジル政府を押さえている限りは安心と高を括っているのだろうか。人命の価値には差が無い筈だが、経済的に補償するとなるとそこに大きな差が生じるということだろう。

そして、日本人が注意しなければいけないのは、通常は諸外国のニュースをそのままに横流しにしているマスメディアや独立しているかに見えるジャーナリスト擬きの顔をしている連中がこうした情報を横流ししない事実である。その通りである。連中には金蔓が最も重要なので、こうした危険な情報は見て見ぬふりをして、反対にドイツの社会では問題とならないようなことを知ったかぶりして日本へ流すのだ。それがまさしく商業主義というもので、そうした姿勢はジャーナリズムとはそもそも関係ないものなのだ。

序に書き加えればSWR2は、環境問題には敏感な放送局で、同時に恐らくドイツのラディオ派として最も文化程度が高い文化波である。フクシマ禍に関しても日本よりも早いぐらいに情報を流し、SWR自体が日本に特派員を置く高級新聞FAZと双璧の親日のマスメディアである。それ故に今回の住友化学禍に関しても受け売りの情報とは少し違うものがあると感じている。



参照:
ジカ熱被害の住友化学の責任 2016-02-17 | マスメディア批評
雪崩救助作業装備重量 2016-02-20 | アウトドーア・環境
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チーズフォンデュの準備

2016-02-22 | 料理
今回の山小屋は賄が付いていない。だから三食分を準備しなければいけなかった。問題は、その中の二人が比較的に若の菜食主義者なのである。だから肉食が入るとどうしても二種類の準備が必要になる。勿論それ以外の四人は肉食者であるから折衷策を考えないと面白くない。少なくとも三回とも別々のものを食していたのではあまり意味がないのだ。

そこで他の菜食者にも相談すると、簡単なものでは煮物とかで、家庭内で入れるものを簡単に調整できるようにするとか聞いた。そもそも上の二人の兄弟は菜食主義者ではなくて、なんとなくその考え方も分かるので十分に理解を示しているのだが、例えば家庭内の子供ではそのようなことは偏食となりかねないのだが、大人になってからのそれはまた異なる。ここでも何度も菜食については扱っている。正直、個人的には無理せずに菜食に慣れるならなりたいと思っているぐらいだ。

菜食にも二種類あって、牛製品や魚類など植物以外は食さないヴェガナーと称するものがあって、昨今はそれを謳うワイン醸造団体までできている。ワインに関しては、丁寧な綺麗な醸造法を使えば自然にそのようになるのだが、それを謳うことで市場を開こうという魂胆である。

そして今回の同行者にはそこまで拘るものが居ないので、チーズフォンデューが浮かんで、それを提案したことで準備することになったのだ。スイスの仲間たちとスキー場で囲んだそれを思い出したからで、決してちゃらけたものにはならないことを経験しているからである。今回出かけるところとは谷の裏表になるのだが、そこはスキー場の中のヒュッテだった。そして近所のスーパーで半額でパッケージが売られているのを垣間見た。

スーパーでそれを探して歩くと残り物が隠すように押し込んであった。二人用を三箱購入した。一人90セントも掛からない。そして、付け合わせのキュウリやらっきょなどの瓶詰め、そして甘いパプリカなどを買い足した。勿論キルュッシュヴァッサーも忘れない。

瓶詰め類などが結構高くついたが、キルュシュヴァッサーを含めて、一人頭5.50ユーロだからまあまあだろう。パンを加えても6ユーロほどか。あとは、ワインを調達することになる。基本はチーズを溶かしている白ワインとなるが、こちらから持って行くのでどうしてもリースリングとなる。一本はチーズを柔らかくするのにも付くだろうからグーツリースリングも余分に持って行かなければいけないか?

なによりもの問題は現地で新鮮なバケットなどの白いパンを購入することで、それは現地に行かないと何とも言えない。朝食も各自三食持って行かなければいけないので、いつものパン屋で少しだけ購入するが、現地で手作りがあれば塩気が強くとも上手い黒パンがあるのは知っているので、是非そちらを試したいのだ。



参照:
一口グラスで飲む葡萄酒 2006-01-17 | ワイン
スイススキー事情 2004-12-16 | アウトドーア・環境
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最後のグレーフェンベルク

2016-02-21 | ワイン
二種類ワインを開けた。一つはブルゴーニュのフィクサンの2011年物で、もう一つは同じ年のラインガウのリースリングだ。前者は空けるのは二本目だったが、前回と同じくとても満足できた。20ユーロ以下でドイツのピノノワールでこれほど楽しめるものはない。ブルゴーニュでも割安として有名なものだけに気軽の楽しめて、深みや複雑みはなくとも自然なピノノワールの香味を楽しめる。また異なる年度のものを試してみたい。2011年はピノノワールには悪くはなかったのであろうが、もう少し角が立っていても悪くはなさそうだ。

さて、ラインガウの方は最後のグレーフェンベルクと呼べるもので、2012年以降はグローセスゲヴェックスとしてしか出なくなった、嘗てのロベルト・ヴァイル醸造所の目玉の商品である。

それ故にまた2011年という年度から残しておいた。グローセスゲヴェックスもあるので、パイロットワインとしても使いたかったものである。そして開けてみて理解できた。2011年はリースリングとしてとても難しい年度だったということである。要するに葡萄が過熟成の傾向が強い。

ヴァイルのグレーフェンベルクは分厚くなることは少なく、その姿の良さが売り物のリースリングなのであるが、これは明らかに過熟成の葡萄から太り気味のリースリングになったとしか言えない。

2011年のミネラルの豊富さなどと試飲時には感動していたのだが、今やミネラルどころではなくなっている。当時はグローセスゲヴェックスよりも評価していたぐらいで、この変わりようは何だろうか?木樽などはほとんど使っていない筈なのだが、瓶熟成もしないかといって暈け暈けになってしまったリースリングなのである。二年待てと書いたが、四年になると駄目になったので、これでは敵わない。

同じ傾向のミュラー・カトワール醸造所のグロースゲヴェックス「ブロイエル」 と比較して、正直何らかの取柄はなかった。価格差もそれほどないのだろうが、こうした結果を見ると、VDPの方針通りグロセスゲヴェックスに限ってグレーフェンベルク産を提供するのは成功だったとしか思えない。これで余計にそのグローセスゲヴェックスを開ける時期を見定めるのが難しくなってきた。

2011年産ではその気候ゆえか土壌ゆえか、スレート土壌のナーヘのシェーレーバー醸造所のヘレンベルクなどの方が成功しているようだ。まだまだグローセスゲヴェックスは開けていないが、今後も気になる2011年産である。比較すれば2009年産がいかに簡単な年度であったかが分かる。



参照:
CPのとても高いピノノワール 2014-03-22 | ワイン
素晴らしい投資相応の価格 2012-09-11 | 試飲百景
木樽とその不可欠な効力 2015-05-24 | 試飲百景
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雪崩救助作業装備重量

2016-02-20 | アウトドーア・環境
貸し出しの雪崩救助用ショヴェルである。量ってみると、850Gほどあった。今回購入した物より200Gほど重い。十分にコムパクトカメラの重さの差はある。もしくは同じマムートのピープ装置ほどの重量差である。これは馬鹿に出来ない。そして小ぶりなのも嬉しい。なるほどグループとしては大きめのものが必要だが、少し小さなものが含めれていることは決して悪くはないであろう。

そのピープであるが、比較的新しいながら仲間が色々と使っているので胸に下げるゴム等がどうしても締りが無い。我々の支部でこれを使うのはスキーツアーとスノーシューズの二種類の活動しかないが、人によって使い方が違うのでやはりよれよれしている。電池は前回使ったものが、小屋に着く度に直ぐに電源オフにしていたので、殆ど消耗していない。次回は、ヘッドラムプと含めて予備に少し買い足しておけば充分だろう。これも一日の使用料が5ユーロなので、自分で購入するとなるとなかなか元が取れない。そして重量もそれほど変わりは無いようだ。

なるほど一人でスキーを履いて山に入ろうとしても人気のあるルートならばピープで救われるかもしれない。しかし三倍出せばエアーバックが購入できる。それでもエアーバックまで担いで危ない斜面を滑ろうとするのもどうだろうかとは考えてしまう。

一月近く設置してあった屋根の足場が漸く解体された。保険屋に通知しなければいけないほど防犯上も弱点が増えて、そして何よりも折角の陽射しなどが影になるので苦しい。締めっきりのバルコンに拘わらず息苦しさもある。そして何よりも静寂な感じが妨げられていた。風が強いとB音のような基音が鉄パイプを通り抜ける。室内で音を出すところではない。これで久しぶりに、再び静寂が戻るだろう。そして泊まりで外出する時にも銀行のオンライン番号などを持ち歩いていたが、これでそのような防犯上の心配は少なくなる。

一月の末に発注したスキー用のクラムポンがまだ届かない。特別に安かったので、その価格ではもう提供できないのだろう。アマゾン経由なので心配はしていないが、催促にも拘らず返事をよこしてこないのは余程の事である。この業者とアマゾンとの契約がこれでは今後無くなるのではなかろうか?

無いと困るので、7ユーロより高価なものをアマゾンで発注しておいた。その間に安い方が届けば、高価な方を送り返せばよい。もし必要な時までに届かなかったら、キャンセルと返金を求めれば済む。送料無料の場合はこうしたクーリングオフが容易で助かる。



参照:
雪崩救助用ショヴェルを購入 2016-02-04 | アウトドーア・環境
技術的な面も消化しておく 2015-02-12 | アウトドーア・環境
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怪我後初めてのジョギング

2016-02-19 | 生活
このところまた寒波がやってきていて、身体が冷える。特に膝の故障で足を動かしていなかったので運動量が足りずに全身に堪える。膝を怪我をしてから初めて走った。どこまで走れるかは分からなかったが、ゆっくりと様子を見ながらと考えた。まあまあ普通に歩けると思っていたが、左足を引きずる。だから走り始めは無理にでも腕を振って、足を動かすしかなかった。暫く走ると、左足が全く蹴れずに、爪先で走れないことが分かった。右足は爪先立ちなので、左足が短くなった感じだ。時々足を突っ張れずにバランスを崩しそうになるが、何とか折り返し点が見える場所までやって来た。少しでも勾配があると左足が蹴れないのでもどかしさが募る。

折り返しで体が温まって、足も動くようになるかと思ったが凍える手の指に比べてそれほど暖まった感じはしなった。それでもなんとか最後まで走り続けた。通常23分ほどのところを、30ほど掛かった。

帰って来て、ガレージから戻るときに足を引き摺った。出かける時よりも遥かに悪い。想定内の変化であり、これで筋が腫れて落ち着いてくれれば大分よくなると思う。だから、早めに走ってみたのである。結果はどうなるかは分からない。それでもコンディショントレーニングを兼ねて走れたことは素直に嬉しかった。そして膝に関しては、注意しながらも完全に使えそうに、気にならなくなってきている。あとは足首のアキレスへの捻挫に近い炎症だから、ストレッチしながら動かしていきたい。

車中のラディオでは、TTIPの話題が流れていた。折からの地方選挙では左翼党の反TTIPが、ポストメルケルの元ワイン女王ユリア・クロックナー女史のプラカードと共に目立つ。クロックナー女史の厳しくとも現実的な難民政策は、メルケル首相との会談を含めて、中央政界頂点へと一気にその名声を高めた。多くの人はメルケル首相よりもクロックナー女史を支持する。

メルケル首相のTTIPへの発言は、「遺伝子操作政策も、欧州スタンダードに、アメリカを導く」とか流されるが、この時点においては誰もその言葉を真面目に受け取らない。そもそもTTIPは、トランスアトランティック・トレードアンドインヴェストメント・パートナーシップであるから、メルケル首相の主張するようなEU主導のパートナーシップなどにはならない筈だからである。日本が認可しようとしているTTPのトランスパシフィック・シュタテージック・エコノミック・パートナーシップ・アグリーメントとの意味の違いは、そこにあるのかないのかよく分からない。寧ろ隠されている部分に本質があるように思われる。



参照:
脱資本主義社会への加速 2016-02-15 | 文学・思想
塚原サルト崩れの謝肉祭 2016-02-10 | 暦
行ってみようよTTIP DEMO 2015-10-09 | マスメディア批評
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バーデンバーデン復活祭まで

2016-02-18 | 
そろそろバーデンバーデン復活祭に向けてのお勉強をしなければいけない。ベートーヴェンの合唱は流石にスコアを持っているが ― しかし探してみると見当たらないのである、あれは幻か、視覚的には目に浮かぶのだが、そこで早速DLする。一つは手書きのファクシミリ版で、これだけでは流石に目が届かないので、ショット社のオリジナル版をDLする。楽劇「トリスタンとイゾルテ」の全曲は持っていない。そこでこれはいつものようにDLする。

さて、参考のための録音は、ベートーヴェンの方が選択の余地があるが、トリスタンの方はLPでフルトヴァングラーの歴史的録音しか所持していない。そもそも合唱交響曲も生で体験したことはなく、トリスタンも一度も生に接していない筈だ。

それは何故なのか?合唱交響曲も殆ど演奏されることが無い。少なくともドイツに移住してからその機会は一度も無かった。つまらない演奏会に出かけるつもりも無かったが、選り好み以前に、この曲がプログラムに載っているのを見た覚えが全くないのである、EUの賛歌となっている曲であるが、実際に演奏されたのは1990年のブランデンブルク門でのバーンスタイン指揮の演奏ぐらいで、その後に新聞記事になっていたのは十年後ぐらいの演奏会ぐらいであろうか。要するにザルツブルク音楽祭でもどこでもこの曲が演奏される機会は記憶が無いのである。そこでバーデン・バーデンで演奏されると知って、一度は生演奏を聴いてみたいと思ったのである。

同じようにトリスタンは、ヴァークナー劇場と呼ばれるマンハイム私立歌劇場でもそれほど演奏されていない。毎年超一流ヴァークナー歌手を集めて祝祭上演がされていたマンハイムであるが、マイヤーのイゾルテなどの上演は記憶があるのだが、マンハイムでこの楽劇を体験する気持ちなどは毛頭なかった。高名なシュナイダーら程度のニ流の劇場指揮者と管弦楽団ではこの曲を十分には演奏できるとは全く考えなかったからである。

さて、参考にする音響素材はなにがあるのか考えてみた。合唱交響曲は、LPは数種類はあるだろう。例のバイロイトでのフルトヴェングラーの演奏は最後の仕上げに耳にするかもしれないが、先ずは唯一のCDであるカール・ベーム指揮の最後の録音を使ってみよう。

トリスタンの方は、LPしかない。これといった録音はあるのだろうか?先日亡くなったヴィッカーズのトリスタンは素晴らしかったというが、カラヤンの演奏がどこまで行っているかはとても疑問である。バーンスタインも評判になっていたが、何か違うような気がする。カルロス・クライバー指揮の制作録音もあるようだが、これといったものはものは見つからない。それならば一番印象に残っている演奏ということで、DATに録音してある1996年のバレンボイム指揮のバイロイトからの中継録音を使ってみようと考えた。

キリル・ペトレンコもリオンでも指揮しているようだが、どこまで完成しているものになっているかは若干疑問である。合唱交響曲も難しいが、この楽劇は中々おいそれとは演奏できないと感じるのは当然であろう。

今まで数えきれないほどのコンサートとオペラに通ったが、この二作品を生で体験したことが無いのはこうした事情からである。



参照:
復活祭日曜日の動機付け 2015-04-06 | 暦
市場であるより美学の問題 2015-07-22 | マスメディア批評
何故に人類の遺産なのか 2008-06-26 | マスメディア批評
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ジカ熱被害の住友化学の責任

2016-02-17 | マスメディア批評
朝から晩までモンサント・住友化学の話がラディオで流れていた。ブラジル北部で問題となっているジカ熱の原因が、言われているような蚊が運ぶジカヴィールスではなくて、住友化学が下請けで製造するピリプロキシフェンで頻発する小頭症が発生しているとする報告である。

それによると462症例のうちの17例しかジカヴィールスの影響は確認されておらず、研究者間ではその因果関係が議論されていたところで、それ故に二週間前になってWHOが非常事態情報を出したとなっている。つまり、件の殺虫剤こそが病気の原因となっている説が浮上したということである。

そもそもの起こりはとても貧しいその地域では、水不足のための貯水樽に蚊が発生するために、一年半前にその殺虫剤を飲料水に混ぜ始めたのである。何故、近隣の同じヴィールスを持つ蚊の発生する地域には小頭症などの発生が頻発していないかはこれで説明できるようだ。勿論「成人には問題が無くても、胎児に影響を与える」とアルジェンチンの環境団体REDUASは語る。

スミラーヴと称する「住」のついた名称で、モンサントの子会社として、これをライセンス製造販売する住友化学のホームページによれば、「哺乳類、鳥類、魚類に与える危険性は殆どなく、飲料水に混ぜることが出来る」となっていて、リッター当たり0.01MGの極微量を推奨している。そして希釈が正しくなかった時の危険性には全く触れていない。

この商品は、南アフリカ、イスラエル、イタリア、スペインなどで農薬として果樹園などで使われているが飲料水には使われていないという。そしてブラジル政府はその危険性を否定しているものの、今回報告を受けて被害の責任を明白にする必要があると報告を〆ている。

モンサントの商品を熱心に製造している住友化学のその実力は分かっている心算であるが、バイオテクノロジー商品の下請けを担おうとしているのだろうか?そもそも遺伝子操作のトウモロコシやジャガイモ、綿などの大きな問題は明らかとなっていて、EUでは今後ともその結果としてのモノトーン化の農業を受け入れる余地は無くなっている。メルケル首相が盛んに後押しして、BASFも本腰を入れようとしていた時とは全く情勢が変わっている。それどころか、そうした殺虫剤成分を含んだ植物の栽培から、殺虫効果や無菌農業からとんでも無い結果が生じていると報告されており、バイオテクノロジーの農業における問題は明白になってきているとされている。



参照:
Wer hat schuld: Zika-Virus oder Insektengift?, Heidi Keller, Martina Schlick (SWR2)
なにもかもが安物臭い経団連 2010-01-24 | 文化一般
モンサント社の撤退 2013-11-16 | アウトドーア・環境
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隣人愛ザウマーゲンチョコ

2016-02-16 | 歴史・時事
ヴァレンタインにチョコレートを渡した。お隣さんの嫌われ爺さんにである。暮れに肺炎を起こしてから、赤十字によって食事の賄がされているので、なにが良いかと考えていた。先日ガソリンを分けて貰ったからである。市で一番の嫌われ者なのだが、何回となくお世話になっている。そして貰い物などもあるのだが、お返しは殆どしていないことに気が付いた。嫌われ者に、けち臭い人間と思われるのは嫌なので、少なくとも何か謝礼をしたいと思っていたのである。

難しいのは、態々病人を呼び出してあげるほどのことも無いので、保存が効くもので、それでも赤十字の賄では足りないようなものと考えたのである。兎に角、自分自身生ものに関しては痛まないうちに平らげてしまう習性があるので、人のために残しておくことなどできないから保存の効くものしかないのである。

そのチョコレートも自分自身のために少し安売りになっているものをスーパーで購入して、もしかするとプレゼントしてしまうと足りないと思って格安製品も継ぎたして購入したのだった。戻ると、丁度良い具合に爺さんが出てきて、先日の満タンにしたガソリンタンクを返すと共にプレゼントした。チョコレートは食べるということで役に立った。折角購入した少し安売りのそれはあげてしまったが、少なくとも形だけでも謝意を示せてが良かった。

知らなかったのだが、大統領候補のドナルド・トラムプの祖父母は近所の人だと分かった。ワイン街道のバート・デュルクハイムの次の次の町のカールシュタットにトラムプの爺さんのフリードリッヒは住んでいて、その家は今も残っている。合衆国に渡り金を求めて、今の不動産王のトラムプ家を築いたようで、奥さんのクリスト家は今もカールシュタットに住む。トラムプ候補自体も「アイラヴカールシュタット、オルソ」というように一定の関係を保つ一方、クリスト家などは、候補者の政治的姿勢に疑問を呈して、本人が移民者として成功しているにも拘らずそうした移民を受け入れないとする姿勢には批判が集まる。

先日、ナガノ家の話が出ていて、丁度同じころに移民していて、三代目であるというのが比較的似ている。その時どうして三代目か不思議に思ったのは、自分自身の親戚の米国の家族がすでに四代目から五代目であり、移住したのは20世紀に入ってからだと思っているからである。

プファルツからの移住者は、マンの「ファウストュス博士」にも扱われているように合衆国でも主要な移民グループであり、ケチャップのハインツ家も同じ町の出身であるとは聞いていた。ゲルマンの大移動でライン河を渡ったグループは更に移動して行っても不思議ではないと思うのが私の従来からの考え方だ。

興味が無くてあまり詳しくは知らなかったが、なるほどトラムプ候補のキャラクターはプフェルツァーの一つの典型的なそれで、その意味からは分かりやすい。但しあのタイプは連邦共和国では一流政治家とはなりえない。やはり、そうした土地柄から新天地を求めて移住していくというのはまた違うDNAのなせる業なのだろう。

今回の件に関して、新製品開発の意欲として、カールシュタットのチョコザウマーゲンが駄目だったとあった。開拓神旺盛なプェルツャーということらしい。兎も角、トラムプ候補がスコットランドでのように、連邦共和国入国禁止になるようなことはなさそうである。



参照:
脱資本主義社会への加速 2016-02-15 | 文学・思想
外は吹雪、暖炉を背にピノノワール 2010-01-10 | 生活
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脱資本主義社会への加速

2016-02-15 | 文学・思想
足を引きずりながら買い物をした。前日のスーパーや眼鏡店、パン屋に続き、負傷後三回目の買い物である。靴履きの時に左足に力が入らないのでもたもたする。駐車場までもやはり左足を引きずる感じだ。まだまだであるが、大分動きは良くなってきた。

前夜からもう一つの膏薬を貼ってみた。同じように期限切れの十五年ほど前のものであるが、冷シップ感があって十分に効果がある。薄めのものなので剥がれにくく、動き回る時には大変役に立つ。

同じように軟膏を見つけた。それをじっくり塗り込んで、ひと眠りする。目が覚めて、足に神経を巡らすと何か違う。軽くなっていて、足が無くなってしまっている感じすらする。動かしてみると抵抗が無くて、意識と神経の違いが明らかに薄くなっている。如何に平常時には身体の動きと能が直結しているかということであろう。それでも歩き出すと違和感が戻って来た。それでも一時間ほどで快方に向かっている。これで大分明るい光が見えてきた。

車中のラディオでは、重力波などの話題があったが、資本主義が十年以内に終焉を告げるという話題もあった。旅行前には、現金払い5000ユーロまで規制のことも話題になっていたが、資本主義の終焉は、合衆国でサンダース候補が一勝したことからオキュパイ運動が世界を変えることに繋がるというもので全く次元が異なるものであろう。

5000ユーロ以上の売買などは現金では出来なくすることで、マネーロンダリングを抑えるということで発議されたものであるが、最初からその効果には否定的な見解が押し寄せたが、金融工学的なものを完全に打ち切ることが可能ならばまた違う意味合いで捉えられるのだろうか。

欧州では決してこうした話題は絵空事でもなく、重力波の実証に一世紀が掛かったことと比較しても、二世紀ほどの資本主義を大転換させてもなにも不思議ではないのである。こうしたEU的な考えの基礎には次の時代を開拓していくことで如何に現在の社会の富などを維持しつつ、文化的文明的にもそのリーダーであり続けるかという基本理念がそこにある。

現在のままの金融世界にいる限りそれが不可能となれば、なによりも率先して次のシステムを構築してしまえば有利に立てる訳で、合衆国にそうした動きが出てくることで大きく一歩を踏み出せるとなる。脱資本主義が社会の話題になって十年以上経ち、オキャパイ運動などがある程度の伝播をしたところで今政治社会的にも徐々に現実化してきているということかもしれない。

トラムプ候補の勝利を誰も信じていなかったようにサンダース候補の勝利もあり得ないと考えられていた。現在の金融世界の在り方がフェアーだと思っている人は殆ど居ない。真っ当な経済を取り返さなければいけないと思っている人々の意思を正しい方向へと向けることが出来れば世界は思うよりも簡単に変わってしまうであろう。



参照:
保守系経済高級新聞から 2015-10-06 | マスメディア批評
脱資本主義へのモラール 2006-05-16 | マスメディア批評
剰余商品価値の継承 2006-05-05 | BLOG研究
ブロキュパイの果てに 2015-03-23 | 歴史・時事
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