館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

「高石ともやそしてナターシャ」・僕の育った音楽Tの仲間たちその5。

2023-11-25 04:22:05 | 僕の育った音楽


彼らの公式アルバムと、ブートレックのような品々。

お地蔵さんでは、度肝を抜かれた。今までに、このような音楽は日本に無かったような感覚を味わった。

このアルバムへ行きつくまでの、彼らの紆余曲折・切磋琢磨が、「序」というあまり知られていないアルバムでは味わえる。

彼らはライブバンドであった。

が・・・2・3か月おきにライブに行くと、高石氏が同じ話を語る・・同じ場所で挿入する。
時に、これが、まるで台本読みや、演出のように感じ、いやらしく飽きも生じてきたのは俺だけか?
この日・この地で・この歌を・・・・が、ライブのだいご味だと思う。

解散寸前の「ヒット エンド ラン」は秀逸だった。そして見事に、(ある意味売りを意識して)ポップだった。
見事な歌の数々が詰まったアルバムだった。

そして、再起を試みた「再会」・・・だが、もはや、3人の視線の向く方向は、違っていたんだな。

懐かしい歌が並んだが・・・それ以上とは行かなかったように思う。

しかし、偉大な足跡を残したチームだったなぁ・・・・
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2 コメント

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Unknown (高橋)
2023-11-25 09:30:26
彼らの存在は大きかったです。京都のラジオで番組も持っており、番組後半では、坂庭&城田二人だけの放し飼いライブもやってました。音楽とは別に高石氏の強いリーダーシップがあったみたいです。後日、坂庭氏は、「ナターシャに勤務してた頃・・・」なんて言い方もしてました(笑)。「再会」は、まさに再会だけだったみたいですね。'72、金海氏から坂庭氏にマンドリンが代わった頃にウチの学園祭に来ました。ステージ・ワークは上手いなあと思いました。影響を受けてジャンボのマンドリンを買いに行きましたが、即、挫折、売却しました~。懐かしい時代。(^^)v
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高橋さん (オ サム)
2023-11-25 09:34:29
きっと同じころ、青春で、同じように聴いていたんですね。坂庭氏の「勤務・・・」おれも、どこかのコンサートで聴いたなぁ・・・まさに、存在は偉大でしたね。
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