と・・・俺は1度歩いてみたが、女房チョイスで「琉球の古道」を歩くが、2日目だ。
2日目は①「古道を歩く」②県立博物館の復帰50年の「展示」を見るがテーマだった。
出発点は58号線沿いの「ティンランガマ」からだ。琉球王朝も薩摩侵略以降、日本書紀などの影響を受け「正史」が作られる。
瞬天王統(1187年~)などと出てくるが、神話の域だ。「琉球は日本人と祖先が同じだよ~」と、同化に使われた、為朝伝説も滑稽ながら、ガマ自体は祈りの場として地域で守られて、整備保存されている。
沖縄の人は歩かない・・まして夏は歩かない・・・車かタクシー・・・これから始めるおよそ6、5キロの散策も、ほとんどすれ違う人はいないだろう・・(ってか、こんな酔狂な古道歩きなんぞやる観光客はいない!)
やがて、浦添の英雄「英祖王」ゆかりの地にやってきた。この英祖王の墓が「浦添ようどれ」だ。
この英祖あたりから、歴史上の人物だ。太陽の子「エソノテダコ」が彼だ。
伊祖グスクを後にし少し歩くと、浦添大公園に出る。その切り立った崖にお墓がある。英祖の代々の祖先の墓(と、言われている)だ。
国道の工事で破壊されそうなのを、住民の運動で守ったようだ。
国道はこの遺跡を壊さないように、今は、トンネルとなってこの遺跡の下を走っている。
3000年ほど前の貝塚・・「貝塚があったよ~」と碑が建つのみで痕跡は皆無(どこの貝塚もそうだけどね・・)
発掘された土器で、奄美や九州とのつながりがわかり、文化流入の経路なども展望でき、沖縄の人々のルーツ探索に、こうした遺跡は貴重なのさ。
浦添市はこうした歴史保存にしっかり取り組んで予算もつけているようで、感心。
しかし、ここまでずっと上り坂・・・しかも7月の沖縄はものすごい湿度だ・・・すでに上着は下着からかりゆしまで汗で濡れまくり・・・
5万年ぶりくらいに、アイスクリームを食べ、店内の冷房で休憩・・・・
やがて本日のメインのような古道風景にやってきた・・・
安波茶橋だ。石畳が敷かれ・石の橋が架けられた、昔をしのべるばしょだ。
石畳は発掘後、そのまま埋め戻されたようだ・・・・破壊されずなによりだな。
ほぼ3分の2の地点・・・・しかし、疲れる・・・汗だくだし・・・・・わし・・7月の沖縄なめてたかも?
ごめんなさい7月の沖縄!
地震の時「チョウチカチカ」と唱えるとやむらしい・・・ありがたい「経塚」にやってきた。今度地震があったら、唱えるんだ。
道路・経路を間違えないように、歩道が石畳風にしてあるのがGOOD。
途中わき道にそれるとこのお墓が見れるとある・・・疲れがかなりあり悩むが「せっかく来たんだし」「下り坂だし」の悪魔のささやきで、墓にやってきた。
たしかに立派!ヒンプンを備えた亀甲墓であった。ただし「下った坂は上らなければ」なのであった・・・
最後は坂で終わる。ニシは北のこと・・・フエーは南(ハエである)・坂道のことはヒラ・・北の坂だからニシヌヒラ、南の坂だからフェーヌヒラさ。
ニシヌヒラ・・・
フェーヌヒラ・・・転がり落ちそうな見事な坂だった。
反対方向から歩いて、やっと首里城近くの、街道の入り口到着・・・・「古道を歩く」は汗だくの中終わったのだった。
坂を後にし・・ゆいレールで博物館のはずだったが、疲れた体が許さず、タクシーで最寄り駅・・・冷房の効いた広い店で涼み・昼飯を食ってホテルに戻った。
シャワー・着替え・・少し休憩して博物館へ出直すと、計画変更し・・・2時間後、歩いて博物館(ホテルからは信号2つなのだ)到着。
すっかりホテルで休憩したので(ワイン飲んだけど・・)リセットできた。
この展示は、今年ならではだよな。
この企画は、特別展で大々的にやるらしい・・・来たいが、9月19日まででは難しいかな?
伊江島から始まったといってよい、島ぐるみ闘争やら、アメリカ世の様々な出来事を見ることが出来た。
北緯27度線・・・・海の上に線はないが、27度以南の苦悩の表現だ。
1952年2月、奄美と切り離した「トカラ列島」まず返還される。北緯29度までだ。
1953年12月25日・・・アメリカから奄美群島の施政権が返還。アメリカは「日本へのクリスマスプレゼントだ」とのたもう。これに、あの吉田茂が「こんなに大きなクリスマスプレゼントありがとう」と、私信を発している。おバカだ・・・こうして北緯27度線。27度線以南は1972年に返還されたが、27度線以南の苦悩はまだまだ続き・今も続いているのだ。
こんなことが、上記写真に内包されている。
1968年・・・初の公選による行政主席が選ばれる。屋良朝苗氏だ。
1970年・・・コザ暴動。
1972年5月15日・・沖縄人民の望んだ姿とは程遠い「核付きの密約付き・基地温存」の本土復帰である。
沢山の展示から、少し講釈を書きすぎたか・・・・
戦後、本土でも当然のごとく、米軍基地が作られ、反対運動がおこる。本土の反対運動は政府も見て見ぬ振りが出来ず、規模縮小や移転となる。
岩国・厚木・大阪・岐阜・山梨・静岡・・・その基地機能は縮小されたものは沖縄に持って行き、基地そのものがなくなった場所は、沖縄に移転される。
無くなると、あるいは縮小されあとはお金が地域に落ちるとなって、反対運動は収まってゆく。「移された沖縄の痛み」には沈黙だ。
だから、ダメなんだよ!あんたの県が静かなのは、沖縄に移されたからなんだよ・・・・こんなことも、俺は本土の人たち(革新なんぞと言われてる人たちもさ)は再考してほしいことだ。
復帰50年・・・5月を過ぎたら、ブームは去るではいけないのだ。今は、沖縄を学ぶチャンスだ。50年で少しはクローズアップされたからね。
さて、この後、女房と別れて、自由時間・・・・
10月までもつように、いつもの店で買い出しさ。限定酒も購入・・・これは「オバースナック愛好会」の集まりで飲むか?
今は届いて、わが酒庫にあり。
こうして、2日目の昼の部は終了した。
こんな記事・この長さ・読んでくれた人は、えらい!!かも・
21日の2m圏内接触者。
*打合せ・永・松・中・新・吉・・5名。
*立ち話・石・高・・・・・・・・2名。
*GB・担当2名(濃厚接触かも?)
*濃厚接触・・・・女房。