悲しい最終日は必ずやってくる・・・
最終日は、①積徳高等女学校の学徒碑を訪ねる(女房への企画)②PCR検査を受けて帰る。であった。
フライトは12時55分・・・12時には空港で保安を通っているのが望ましいので、11時半には検査と、行程を立てた。
海軍司令部壕のほど近く、豊見城城址のあった場所に向かう。
豊見城城は1400年頃に汪英紫の三男で、のちの南山王となる汪応祖(おうおうそ)が漫湖を眺望する高台に築いた城だとされている。その後15世紀、中山王・尚巴志に攻撃され、落城。。昭和30年代までは城壁やアーチ型の石門などが残っていたが、民有地で「豊見城城址公園」を整備する(遊園地になった)際に破却。その公園も2003年(平成15年)に管理していた岩崎産業が倒産し閉鎖され今は廃墟寸前である。広大な敷地の一角に沖縄と言えば「空手」・・その一大拠点として「空手会館」が真新しく建設されている。
遊園地だったらしき、乗り物の軌道など残っている。
公園をぐんぐん進んでゆくと、昔のグスクの本丸辺りの広場にでる。
積徳高等女学校は那覇松山にあるお寺「大典寺(京都の本願寺の関係らしい)」の私塾から始まった学校で、和裁や家庭科を習う学校であった。
学徒動員25名・犠牲者は3名であった。
第24師団第2野戦病院に配属・多くの女子学徒隊と同じような運命、犠牲者を出した。この碑は、病院に勤務した医者と生き残った関係者が建てたようである。
碑の左手に斜面を鬱蒼とした茂みに入る階段がある。
やがて、ぽっかりと、まったく管理されていない、当時の壕の跡が口を開けている。第24師団第2野戦病院壕だ。
さらに進むと、入り口が埋まってしまった(たぶん)壕の入り口のようなものが確認できる。現地に立ってみる・・それは、写真で見る・話に聞く・・では、感じることのできない凄みが襲う。
現在は豊見城市が豊見城城の復元を検討しているようである。豊見城城址跡地利用基本構想について(更新日:2017年11月24日)・・では、グスクの復元計画はあるが、この女学院や壕の跡などまったく触れられていない。構想図などにも見当たらない。
僕はここに壕があることを、何かの記事で知って、捜し歩いた(ほぼ3時間公園跡地を徘徊した・・)当時も今も、案内の碑、看板さえ無いありさまである。豊見城市民の今後の対応に期待したいね。開発で破壊して、歴史の中から消してよいものでは無い。
帰りには沖縄で「てんぷら」を買って帰るのは、ほぼお決まりだ。タクシーで小禄まで行き、てんぷらと昼飯のおにぎりなど購入した。
天ぷらは館林に帰って、俺の酒のつまみなのだ・・・・
1時間ほどゆとりの時間が有って、とにかく涼みたい・・・・てんぷら屋から歩いて5分のイオン内で涼む。
天国のような涼しさ・・・
やがて、ゆいレールで空港。空港のPCR検査センターにやってきた。
沖縄のPCR検査・・・物語は以下だ。
帰る日は検査したいと思った。那覇市内にある数か所の官営の検査センターに電話した。
「名を名乗り・事情を話して、検査の予約をしたいと告げる」
「今一番早いのは石垣ですね」
「?」
「あのさ、安里で受けたいんだけど?」
「どこも本島では9月いっぱい予約で埋まっています・・・」
これで、10万人当たり最高のコロナが収まるわけがない・・・・お金の使い方が間違ってるだろう・・
どこへ行っても建設工事ばかりの沖縄・・・「観光客がコロナを運び増える」というが、「観光客が来ないと経済が回らず仕事を失う」とは、今回も聞いた現地の声だ。ならば、PCR検査を受けたい県民には、速やかに行い、無症状の保菌者を大元から押さえないと話にならない。
2か月も待ってと言われたら県民だって、検査をやる気も失せるさ。
空港は、飛行機のチケットがある人(到着した人・乗る人)限定で予約を受け付けていると、検索してやっと見つけた。
沖縄県人で当日、航空券がある人は無料・それ以外は「抗原検査2000円」「PCR検査4000円」だ。
受けられる人を限定しているので、かろうじて枠があった。
予約以外不可(7日前から予約受付・5分刻みで枠がある)身分証明できる品・チケットの提示がないと受けられない。
唾液をたっぷりとって提出だ・・・これが結構な量なので、俺は5分くらい唾液採集にかかったぜ。
検査ブース(個室風に仕切られている)には、梅干しと柑橘の写真が張り出してあるのだった・・・・・
こうして、悲しい最終日・・・・館林に向かって飛び立ったのだった・・・・
24日の2m圏内接触者。
*立ち話・・ミホ・山中・MI-。
*濃厚接触・・女房。