近くにこのような偉大な史跡があるのだが、地元は意外にいかないものである。
相沢忠洋
ウィキではこのように・・・
「相沢 忠洋(あいざわ ただひろ、1926年6月21日 - 1989年5月22日)は、日本の考古学者。納豆などの行商をしながら独学で考古研究を行っていたが、1949年(昭和24年)に群馬県新田郡笠懸村(現・みどり市)(岩宿遺跡)の関東ローム層から打製石器を発見し、それまで否定されてきた日本の旧石器時代の存在を証明した。」
そんなに遠くない過去・・・まだ1949年の学会では、日本の歴史は縄文から始まり、そのまえの文明は、活発に活動する地殻と火山で、人が住める状態ではなかったと・・定説。
その定説を覆した「小さな石・・・加工痕のある石器」の発見・・その発掘調査が行われた切通しは、写真の石垣の場所だ。
僕がここを訪ねたのは、何と!中学2年生・・このような歴史に興味を持った、紅顔の美少年の頃で、まったく、それから幾星霜なのだった。
はっきりと覚えているが、むき出しの切通しに、看板のような案内が1つ建っているだけだった・・・
その時、落ちていた「つちくれ」を拾い、今もある。
以降、発掘は、場所を変え、あるいは周辺の開発に伴った調査などで、たくさんの考古資料が発見されたのだった。
まさに、「日本の黎明」の記念碑・記念すべき場所で、はぎ取った地層断面などそのまま見せたりと、施設も建っているのだった。
相沢氏の手で掘られた、一番有名な、石器。
明治大学が、相沢氏の発見を認め、一緒に最初の発掘など行った写真。
近くには、立派な資料館が建っていた・・・
記念すべき、重要文化財の「石器群」は、明治大学と、相沢氏の奥様などが運営する「相沢記念館」にあるはずなので、実物は見れないだろうと思っていたが、何と!この時期、明治から貸し出されていてその現物を見ることができた。
現物の凄味に圧倒されたが、写真は、「借り物なので禁止」であった。
この写真は、んだから、別の物。
夏休み辺りは、毎年明治から貸し出されるらしい・・・
館の職員もしっかりしていて、対応など気持ちの良い感じだったなぁ・・・
お近くの方、日本で一番有名な「旧石器」の場所です。
1度は訪ねるべきです。
しかし・・マンモスはでかいぜ!