館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

笠木透さん・・・そして、望年会・・・僕の忘年会その3。

2014-12-13 00:00:03 | 笠木透さんのこと。
長いっす!

土曜は音楽だ!記事は、音楽のようなものだ。




もうね・・・こんな雪景色の中を走るだけで、緊張がはしるのね。T市の住民の場合。



やってきたのは、長野だが、岐阜の県境に近い昼神温泉。

なんだか雰囲気の良い温泉郷で、新築の旅館があちこちにそびえる・・・中・・・あのこじんまりした事務所風の・・・温泉が現地であった。
まあ、会費からしてそうであろうとすぐ思ったさ。

しかし、貸切・風呂の湯質はなかなか・・・料理も想像よりよく、この忘年会にGOODであった。



早く着いたので、散歩など楽しめた。宴は6時に始まった。



仕掛け人・・現地の世話をやいてくれたベーベーのあいさつ。



やがて乾杯なのだ。



日本の真のフォークソングを支え続け、今に至る笠木透さんの喜寿を祝うことも、今回の趣旨。

ちょっと術後弱られておったが、存在感たっぷりの、長い話はやはり圧巻であった。



南は山口・・北は福島から、40数名のアマチュアフォークシンガーが集まった。

当然の如く、うた、また、歌であった。

俺はねぇ・・まあ、酒が入れば、カラオケマイクなんぞで、適当に歌が歌われるだろう・・ていどに考えていたが、しっかり音響が用意され、逃げ場のない状況に、実は臆していたねぇ・・・




知り合いの2人は、名酒を持ってきて「つぶく呑め!」と、酒好きの僕についでくれた。
わしなぁ・・・瓶ごと隠匿しようかと、邪念を払うのに必死・・・

岡山・室町酒造の銘酒「櫻室町・雄町・純米」だ!

さわやかな飲み口・豊かな香りで、中庸なうま味・・・バランス抜群の日本酒だ。

岡山の酒・・・「嘉美心」「御前酒」と名立たるなか、この櫻室町は極め付けかもしれないな。



と・・・乾杯!



長野は鯉だ!恋ではないぞ・・・と。

佐久の鯉は有名だが、この膳に供された「鯉の甘露煮」は美味かったねぇ・・・

見回すと残す人が多かったように思うが、上手に臭みを抜き、甘辛に仕上がった出色のアテであった。



延々と、歌が続く・・・・

踊りだす御仁も、一興!




石川の友人がみごとなやつを持ってきた。

この酒の、由来、くだりは知らなかったが・・・銘酒「菊姫」なら知っている・・・ご愛飲の方も多いだろう。

石川の銘酒「菊姫」・・その味を支えてきた杜氏が「農口尚彦(のぐちなおひこ)」・・・定年を機に菊姫から離れるが、どうしても農口氏の酒が飲みたいという声に押され、休業中の蔵を入手、2013年から、作り始めた酒だ。杜氏人生80余年の熟練の味だ。



コク・やや甘めながら、のど越しの柔らかさと相まって、日本酒らしいうま味の酒だった。

大吟醸が飲んでみたいが、酒造量・・・値段など・・ハードルは高いかん?



6時に始まって、僕が部屋に戻ったのはもう、翌日の1時半・・・まだ、半数ほどは宴さなかであった・・・


笠木透という、偉大なフォークソングシンガーの引力で40数名・・・雪の中を、遠路はるばる集まった。

皆の、彼へのリスペクトが、会場に充満し、あちらこちらで泡立っていた。

御大ではある・・・・

だが、領袖のごとく扱われ、あるいは、無原則に従われることは、彼の本意であるはずがない。

人間笠木透・・・・その等身大の彼と、対等に向き合ってこそだと、僕は思う。

「ばらばらで、一緒に!」彼が数年前、僕らに呼び掛けた言葉・・・・この言葉に、僕は、彼への信頼を一層深めた。


彼とて、批判的精神を持ち、崇めず、彼の提唱した「フィールド・フォーク」を自分の生活の場で展開するアマチュアこそ・・・ではないか?

ほとんど、他者が作った歌だが・・・これは僕らの歌だと、認めた物を自分たちの歌のように歌う・・・パクリのロストだが、このスタイルは変わりそうにない。

きっとこれからも、著作権料を払わず、笠木透の歌を歌い続けるにちがいな。

そして、やがて、彼が歌を作ることを止める時も来るだろう。問われているのは、彼が生きていようと、どうしようと、僕らのフォークを、誰に・何に・何を・歌うかだ!そうだろう?


その時・・・ここに集った僕らに「お前たち・・・それでも、歌い続ける音楽を抱きしめろ!」と、彼は鋭いまなざしで見ていたように、僕は思う。


時が翌日になろうとする時間に、彼はまた、話し始める。

「ここには希望がある」「その希望こそこの国を救うものだ」「だが、その希望、100年を超えるような長い道のりの必要な、そんなものだ」
と、彼は話された。「お前たちの生きている間に成就しない希望だ・・」とも・・・

あの原発爆発を体験しながらまだ、立地市町村では推進派を選ぶ。沖縄の民意は「もう基地の押し付けは止めてくれ」と言っているのに、無関心ならまだいいが、お金をせびっていると思っているヤマトンチュウ。主食さえ、他国に譲ることに無関心な国民。もう、そこまで徴兵制が忍び寄り、隣国との争いに軍隊を欲する国民。絶望的だと思っている僕に、彼は希望を語った。

僕はその「希望」という言葉を聞きながら、吉野せい・・・その旦那・福島の原野を耕し、農民として生きながら詩を編んだ、農民詩人、三野混沌の詩が浮かんでは、消えていたのだった。
貧しく、子供さえ貧しさゆえ医者にもかけられず亡くす。そんな貧しさに、絶望を口にする吉野せい。妻の絶望に、彼が残した詩だ。


ぜつぼうのうたをそらにあげた
そんなにあさっぱらからなげくな
なげけばむすこはほうろく(失うの意)
あるいはばあさんじしんがどうなるのか
むすめはどこへ
さてボクはここでおわるとしても
めいめいのみちをたびたってしもう

くどくなばあさん
それさえなければ なにをくい なまみそでいきていてもいい
いっせんでも むすこのしゅうにゅうになるなら
クサをとるというボクを ボクをみていよ
じゆうはそれぞれにあるとしても
そうすることはどういうものか
ふこうはみんなのあたまのうえにおりてくる

なげくな たかぶるな ふそくがたりをするな
じぶんをうらぎるではないにしても
それをうったえるな

ばあさんよ どこへゆく
そこはみんなでばらばらになるのみだ
つつしんでくれ
はたらいているあいだ いかるな たかぶるな
いまによいときがくる
そのときにいきろ

(洟をたらした神・弥生書房・吉野せい作品集・193p・・・・今は、中公新書で安く手に入る)


我慢し・耐えろ・・隣人に・同じ釜の飯を食う仲間に絶望の歌を揚げるな。わずかな可能性・希望でも、それを見いだし、歌え・・・ってことだな。
その絶望の怒りは、その根源の権力にこそ揚げるべきだ。

絶望を力にする、そんな、しなやかさを問われているのかな・・などと、想った次第。

老いて、そのしなやかさを失っているに違いない、僕への、慈しみであったか・・・・



やはり・・・ここに来て、良かったな。






風花の舞う日に着いたが、夕方から、雪が降り続づいた。

あの部屋に降り注いだ、集まった人たちの想いのように、朝には10センチを超える積雪の雪景色に包まれていたのだった。

コメント (8)
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