館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

与世山澄子with山本剛トリオ!LIVE IN スペース1497.

2014-12-17 06:54:24 | 音楽を思う


平成の大合併以前は、妻沼か?今は熊谷・・・我が家から30分ちょいの店でコンサート観戦であった。



早くから予約しておいたのだが・・・かぶりつきで聴きたいと・・・早めに店に行った。




山本剛(P)香川裕史(B)バイソン片山(Ds)・・・・大御所のピアノトリオだよな。

相変わらずのワン&オンリーなフレーズ連発・・・ノリの良いピアノは健在であった。
彼がデビューを果たした70年初頭・・すっかり参ってしまって、出るレコードは集め・近くでライブがあれば通ったのだった・・・
小気味の良いフレーズ・芯にブルースを愛しているそのJAZZは、多くのファンをとりこにしたピアノであった。

ちなみに、レコードやCD・・・・やや飽きる部分もある。

その山本JAZZにしばらくご無沙汰であったが、今回は役者がそろって、飛ぶように行ったのだった。

ルーツ・・・強いてあげればエロール・ガーナーのようでもあるが、右手から生まれるシングルトーンの美しさは、アール・ハインズがこの人に影響を与えていまいかと・・・そして、それが僕を虜にした部分だったか・・と、そんなこと考えながら聞き入ってしまったのだった。

ベース氏は昨年の山本氏のアルバムで始めて聴いた方なのだが、オーソドックスで、ウォーキングが素敵なベースであった。

そして、もはや大御所の域に近づいた、バイソン氏のドラムス!

繊細でいて大胆!たゆまぬリズムを繰り出しつつ、細かな芸も織り交ぜて、バンドを鼓舞していたのだった。

ライブの話をしたら、太鼓叩き氏が、「メールしておくから、ぜひ山本さんたちに楽屋で会いなよ」「それとバイソンによろしく言って」などというので、楽屋を襲った。
喜んで会ってもらえ、サインなんぞも、ミーハーにもらったのだった。



さて、なんと言っても主役はこちら・・・・・

日本で最高のボーカル・・・僕の愛してやまない「与世山 澄子さん」なのだ。

与世山澄子 WITH 山本剛トリオのJAZZライブだったのだ!

トリオは1・2曲ホットな演奏で盛り上げ・・やがて与世山澄子登場!

まさに、天使降臨だった。

1940年、八重山小浜島に生まれる。16歳でデビューし、1957年、ボブ・ホープとレス・ブラウン楽団と共演。
1972年の本土復帰まで米軍基地のクラブでフルオーケストラをバックに活躍する。復帰の年にジャズスポット「インタリュード」をオープン。

1983年、待望のファーストアルバム「イントロデュージング」(テイチク)が発売され地元沖縄以上に本土で熱い注目を集める・このアルバムはまさに山本剛さんがピアノだ。
1984年、ビリーホリディのピアノ奏者であった世界的ピアニスト、マル・ウォルドロンとの共作「ウィズ・マル」(テイチク)を、1985年には3rdアルバム「DUO」(東芝EMI)を発表。

まあ、そんな経歴だ。



毎年必ず那覇の与世山さんの店「インターリュード」に通い、彼女のライブを聴いている。

中々沖縄を出ない彼女だが、山本さんが誘うと、ヤマトにやってくるのだ。

だから、トリオとの相性・息も合うのであった。

なんだか、すごく緊張していた感じで、2曲ほど危うかったが、その後は独壇場だったなぁ・・・僕との距離は1mもない・・・し・あ・わ・せ・・だった!

2部果て後、予定調和のごとく、まあ、アンコール。

ところがである・・・アンコールの後、山本さんのリードで彼女のカーテンコールが行われ、終わろうとするも、客の拍手やまず・・・
ついに、2度目のアンコールが始まったのだった。

どのお客もこのままずっと、聞いていたかったにちがいないのだ。

いや・・すごいトリオで、すごい歌い手であった。

わし・・・また・・・インターリュードに行ぐ!!!


さて、長くなった・・・どうよ。ここらで、聴いてみっか?

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コメント (4)
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