ほとぼりの醒めたころ、記事挿入・・・・っと。
奥州・平泉は、1度は訪ねたい場所だった。
藤原3代・義経・金色堂と、全国区の名勝だ。
平安の後期・武家社会の台頭と、その中にあって、辺境の地、東北の栄華は、それだけでドラマだ。学生の頃、少しは学んだエリアであった。
大きな駐車場に車を止める。
そこは、山道の入り口で、幾つもの「御堂」が左右に並びながら、やがて、本堂。そして金色堂へといざなう。
一際りっぱ!
何事も中庸な、僕らしいおみくじでよろし!
金色堂手前に、所謂「宝物殿」がある。
これが、すごい。
いや、収蔵物がすごい!!
ここに来たらこれを見るべし!だ。
見ないで帰ってどうする?だ!
3代の発掘調査の跡生々しく、棺おけから、首級の入れ物・・・
お経の現物・レプリカでない多くの像・宝物。
1960年代に始まった、金色堂の解体修理の軌跡を追った「ビデオ」など最高だった。
どうも、どこぞの観光バスで、やってきた一群の中高年諸氏など、山道さえ歩かず、金色堂に一番近い駐車場から降り立ち、金色堂をを眺め、そのまま帰ったようだが、この宝物殿を必ず見て金色堂に行くべしなのだ。
で、金色堂・・・
当然、撮影禁止であった・・見事なものだった。
観光スポットで整備された、順路から外れて、少し西の場所で、まだまだ遺構の発掘が行なわれていた。
大きな駐車場の周りは、お土産屋さん・わんこそば屋さんが並ぶ。
そこから少しはなれて、国道沿いに弁慶の墓がある。
観光客は全く居なかったのであった。
金色堂から南へ車で多分4,5分の辺りに本来の藤原氏の館は位置していたが、そこは「跡」が残るのみで、館などの復元はされていないようである。
そこから数分で、やはり名勝と名高い「毛越寺(もうつうじ)」がある。
ここは、中尊寺とセットで訪れるべき所だ。
寺伝によると嘉祥3年(850)慈覚大師が開いたとされるが、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営され、仏教による世の安寧を願ったのだろうが、鮮やかな庭園を持ち、花見や舟をうかべ遊んだ、別邸のようでもあったのだろう。
朱の色も鮮やかな、本堂。
庭園は、息を呑む美しさがある。
ひたすらな信仰心と京風文化への切なる憧れの表れなどと、形容されるが、この藤原三代、ただの京への憧れどころか、それを超えようとする自信さえ感じるのだ。
きのこは良く整備された庭園にこそ生える。「ナラタケモドキ」・・・旨いきのこだが、写真のみ。
皆、死をも覚悟で、異郷に渡り、学び、成果を持ち帰り、伝えたんだね。
復元されていない、御堂の跡地も多い。いい加減な復元より「夢の跡」の想像が湧くかな。
見ほれまして・・しばし立ち尽くしました。
もう、少し色付いておりました・・・
ここは、秋はきれいでしょうね~~
あの、芋を洗うような、中尊寺の賑わいがウソのように、ここは観光客が少ないです。
どちらかと言えば中尊寺を凌ぐこちらなのですが、現代的知名度の差であろうか?
ゆっくり散策には最高です。
あわせて、こちらに立ち寄るべき、名勝です。
ちなみに、駐車場から道路を挟んだ場所に、酒屋さんがございます。
岩手の名酒「あき開き」など揃っております。
んが、店番のおやじは、まだ昼と言うのに、あきらかに酒のにおいがプンプンでした。
奥州・平泉は、1度は訪ねたい場所だった。
藤原3代・義経・金色堂と、全国区の名勝だ。
平安の後期・武家社会の台頭と、その中にあって、辺境の地、東北の栄華は、それだけでドラマだ。学生の頃、少しは学んだエリアであった。
大きな駐車場に車を止める。
そこは、山道の入り口で、幾つもの「御堂」が左右に並びながら、やがて、本堂。そして金色堂へといざなう。
一際りっぱ!
何事も中庸な、僕らしいおみくじでよろし!
金色堂手前に、所謂「宝物殿」がある。
これが、すごい。
いや、収蔵物がすごい!!
ここに来たらこれを見るべし!だ。
見ないで帰ってどうする?だ!
3代の発掘調査の跡生々しく、棺おけから、首級の入れ物・・・
お経の現物・レプリカでない多くの像・宝物。
1960年代に始まった、金色堂の解体修理の軌跡を追った「ビデオ」など最高だった。
どうも、どこぞの観光バスで、やってきた一群の中高年諸氏など、山道さえ歩かず、金色堂に一番近い駐車場から降り立ち、金色堂をを眺め、そのまま帰ったようだが、この宝物殿を必ず見て金色堂に行くべしなのだ。
で、金色堂・・・
当然、撮影禁止であった・・見事なものだった。
観光スポットで整備された、順路から外れて、少し西の場所で、まだまだ遺構の発掘が行なわれていた。
大きな駐車場の周りは、お土産屋さん・わんこそば屋さんが並ぶ。
そこから少しはなれて、国道沿いに弁慶の墓がある。
観光客は全く居なかったのであった。
金色堂から南へ車で多分4,5分の辺りに本来の藤原氏の館は位置していたが、そこは「跡」が残るのみで、館などの復元はされていないようである。
そこから数分で、やはり名勝と名高い「毛越寺(もうつうじ)」がある。
ここは、中尊寺とセットで訪れるべき所だ。
寺伝によると嘉祥3年(850)慈覚大師が開いたとされるが、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営され、仏教による世の安寧を願ったのだろうが、鮮やかな庭園を持ち、花見や舟をうかべ遊んだ、別邸のようでもあったのだろう。
朱の色も鮮やかな、本堂。
庭園は、息を呑む美しさがある。
ひたすらな信仰心と京風文化への切なる憧れの表れなどと、形容されるが、この藤原三代、ただの京への憧れどころか、それを超えようとする自信さえ感じるのだ。
きのこは良く整備された庭園にこそ生える。「ナラタケモドキ」・・・旨いきのこだが、写真のみ。
皆、死をも覚悟で、異郷に渡り、学び、成果を持ち帰り、伝えたんだね。
復元されていない、御堂の跡地も多い。いい加減な復元より「夢の跡」の想像が湧くかな。
見ほれまして・・しばし立ち尽くしました。
もう、少し色付いておりました・・・
ここは、秋はきれいでしょうね~~
あの、芋を洗うような、中尊寺の賑わいがウソのように、ここは観光客が少ないです。
どちらかと言えば中尊寺を凌ぐこちらなのですが、現代的知名度の差であろうか?
ゆっくり散策には最高です。
あわせて、こちらに立ち寄るべき、名勝です。
ちなみに、駐車場から道路を挟んだ場所に、酒屋さんがございます。
岩手の名酒「あき開き」など揃っております。
んが、店番のおやじは、まだ昼と言うのに、あきらかに酒のにおいがプンプンでした。