殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
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崖っぷちウグイス日記・5

2022年11月26日 10時00分34秒 | 選挙うぐいす日記
午後5時30分、夕食のために選挙事務所へ帰ったら

引退議員その2が来ていた。

朝の出陣式に来たのが古ダヌキなら、こっちは痩せた古ギツネ。

ただし立候補したのは、うちの候補より一期後なので

議員経験は候補より浅いまま、このたび引退する。

事務所ではふんぞり返っておられるが、さあ、どうだかね。




晩ごはんの弁当。

ここの弁当は、そりゃもう美味いんじゃ。

昼食と夕食は町の小さな食堂が、候補のために選挙の間だけ特別に作ってくれるんじゃ。

どれも最高の味付けで、おむすびの中に入っている梅干しまで香り高くて美味い。

お腹がいっぱいになると業務に差し支えるので、大半を残すことになってしまうのが残念だけど

実のところ、私はこの弁当に魅せられてウグイスをやっているのかもしれない。

高齢の店主が作ってくれなくなったら、ウグイスを辞める自信あり。



夜間の興行に備え、我が夫も事務所に来ていた。

亡くなった某国会議員の専属ドライバーという鳴り物入りで

なんか張り切ってるけど、大丈夫かしらん。


が、心配したほどでもなく、6時から8時までの2時間を無事に務めた。

43年連れ添っているけど、夫の運転する選挙カーに乗ったのは初めて。

普段の運転が荒っぽいので期待してなかったが、確かにうまかった。


キモは、ブレーキの使い方だ。

停車する時やスピードを緩める時は誰でも気を使ってくれるが

方向転換やバックの時は個人差が出る。

慣れない人は前進に神経を使っても、方向転換とバックは営業外という意識が定着しているので

車両のコントロールがおざなりになりやすいのである。


しかしその間もウグイスは仕事をしていて、しゃべりに集中している。

バックする際、エレベーターに乗った時みたいにフッと落ちるような感覚を味わうことがあり

道路に段差や傾斜があると、その感覚はより強まる。

愉快とは言えない感覚の積み重ねは消耗するもので、この繰り返しが疲労を生む。

夫の運転は、それが一度も無かった。


「私、いろんな選挙カーに乗ってきましたけど、パパさんみたいにうまい人は初めてです!」

本心だか、おじょうずだか知らないけどナミは大絶賛。

「これが本当の国政ドライバーです」

候補もなぜか得意げだ。


そして夫が一番心を砕いているのが、選挙カーの雰囲気を明るく保つことらしかった。

候補と仲がいいのもあり、冗談を言いっぱなしの笑いっぱなしで

候補もナミも大満足。

良かった…

二日後に起きる悲劇も知らず、私は心から安堵したものであった。



さて翌日、つまり2日目がやってきた。

この日、午前中のドライバーは昔、私とペアを組んでいたヨッちゃん。

私より一回り上の74才で、気心の知れた間柄だ。

酒好きがたたって十何年か前に脳梗塞を患ったものの、前回、前々回と

ドライバーで参加している。


しかし彼はこの4年の間に2回、やはり脳梗塞になったという。

「大丈夫かな?」

前夜、夫の運転技術への不安が杞憂に終わり

別件を案じる余裕ができた私は密かに思っていた。

初回の脳梗塞以来、彼は言葉がほんの少し不自由になったが

それは古い付き合いでなければ気づかない程度だった。

しかし今回、わずかながら進行したように感じたからだ。

選挙事務所の中にも心配する人がいて、出発前には交代案もささやかれた。


けれども我々遊説隊にとって、ヨッちゃんは大事な仲間だ。

気配りに優れ、車内の明るいムードを保つことにかけては彼の右に出る人はいない。

候補が一番リラックスできるドライバーも、彼である。

やる気になっている彼を交代させたら、どんなに傷つくことか。

何も知らないナミはさておき、候補と私は「何があっても我々がカバーしよう」と誓い合い

交代案を却下してヨッちゃんに生命を預けることに決めた。


選挙カーは走り出す。

ナミにしゃべらせて、近所を一回り。

「おはようございます、◯◯でございます。

選挙戦も二日目となりました。

ご近隣の皆様には、連日ご迷惑をおかけしております…」

彼女は、面倒臭い朝のご挨拶が得意だ。

しかも慌ただしい月曜日、爽やかに響き渡る彼女の声の方が断然ふさわしい…

ということにして、ナミに仕事をさせながら市街地に向かう。


が、交通量が多くなってくるにつれ、何だか危うい感触が…。

何年か前から、歩行者が横断歩道の前に立っている時

車は必ず停車し、歩行者を渡らせる決まりになった。

ヨッちゃんはこれが無理みたいで、渡ろうとする歩行者の前をすり抜けるため

助手席の候補が何度か注意した。

脳梗塞あるあるの一つだと思うが、罹患以降の新しい交通ルールがインプットされてないらしいのだ。


運転の方も、なにげに荒いような気がする。

さきほど話したエレベーターで落ちる感覚、多発。

バックの時だけでなく、ちょっとした下り坂や段差をノーブレーキで進むからだ。

こんな運転をする人じゃなかったよな…

まあ、交通事故さえ起きなければ、昼の交代まで何とか持ちこたえて…

と思いながら、やって来ました隣町。


その町外れには、新しくできた大きな道路がある。

初めて通る道を快適に進んでいると、分かれ道に出た。

あからさまな分かれ方ではなく、最初のうちは同じ方向へ進む形になっていて

じきに左側は上り坂、右側は下り坂の道へと分かれる形だ。


そこへ差し掛かった途端、選挙カーはガタンと大きく傾いた。

ヨッちゃん、上り坂と下り坂に分かれる部分の真ん中を走ったみたい。

車体は左側半分を上り坂に留め、右半分は下り坂の上の空中で宙ぶらりんになったわけよ。

これも脳梗塞あるあるなのか、初めて通行する新しい道路の把握ができにくかったようだ。

得票が崖っぷちの候補と、体力が崖っぷちのウグイス

そして病気で崖っぷちのドライバーは

文字通りの崖っぷちでユラユラと揺れる身の上となった。

《続く》
コメント (4)
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