ユリちゃんと兄嫁さんの言動に傷つき
お寺料理を続けることに疑問を感じ始めたマミちゃん。
そこで、今までの経緯を話し合っていた彼女と私だった。
が、台所に近づいたユリちゃんに気づかなかった。
洗い物の水音に負けまいと、声は自然に大きくなっていたはず。
「あの…どのあたりから、お聞きになりました?」
そうたずねたいのは山々だが、欲だの何だのと
お寺人にとって一番言われたくないであろうことを口にしていたのだから
聞くに聞けないではないか。
が、そこはさすが、口さがない檀家を40年近く相手にしてきた彼女である。
何ごともなかったかのように、空いた皿を乗せた盆を置くと
「お疲れ様」と言って出て行った。
しかしその顔は、心なしか蒼ざめているように見えた。
ぜって〜、聞かれとる。
それも、けっこう前のあたりから。
「どうしよう…」
マミちゃんはおののいたが、私は気を取り直して言った。
「聞かれたものはしょうがない。
何か言われたら謝るし、バチが当たるんなら受けるわ」
梶田さんだけでなく我々まで逃してしまったら、困るのはユリちゃん。
だから、おそらく聞かなかったことにするだろう。
そして我々の方は、進退を決める時期なのかもしれない。
これで友情もお寺料理も終わるのか。
あるいは新たな関係の始まりか。
ユリちゃんが店のお得意様であるマミちゃんと違い
私はギブアンドテイクの関係ではないので、どっちでもかまわない。
ユリちゃんにはホンマに申し訳なかったが
我々の本心を知ってもらう良い機会だった…そういうことにするしかない。
やがておやつの時間となり、兄嫁さんの作った牛乳寒天を出した。
お供えのミカンの缶詰が惜しげもなく入っているので、おいしい。
私はおやつが足りなかった場合に備え、家にあった温室ミカンを持って行ったが
冷蔵庫の牛乳寒天を見て、ミカンがダブってはいけないと引っ込めたものだ。
ちなみに、なぜミカンを持って行ったか。
皿がいらないからさ。
飲み物もいらないので、コップを洗わなくていいからさ。
横着な私が行き着いた、名案のはずだった。
だがもう、こんなことはすまいと誓う。
どうあがいても、洗い物は増えるばかりなのだ。
現に牛乳寒天を固めるステンレスの容器が二つ、増えとるじゃないか。
液を注ぐ時点で個別に分かれる、厄介な部品付きだ。
あきらめるしかない。
おやつの時間もユリちゃんは平静を装っていたが、明らかに元気がなかった。
申し訳ないが、もはや致し方ない。
他人をタダで使うのは、難しいのだ。
知らず知らずとはいえ、ユリちゃんは今まで
無償で働くたくさんの人を傷つけてきたと思う。
彼女はそれを「いじめられた」と表現し
折に触れては自分の苦労を話すが、多分違う。
昔は、頑張って奉仕をしたら極楽へ行けると信じた人がたくさんいただろうけど
今は多くが外で働いて賃金を得る生活をしている。
労働と賃金はセットが常識だ。
そんな時代に人をタダで使うとなると、それなりの知識や技術が必要になる。
信仰心やカリスマ性だけに頼らず、お寺も時代に追いつくべきであろう。
さて、おやつの片付けが終わると、恒例のマミちゃんツアー。
マミちゃんの洋品店を開けてもらい、買い物をするのだ。
ユリちゃんが付いてきたので、立ち直りを感じた。
店ではすっかり元気が戻り、楽しそうだったのでホッとした。
ユリちゃんを再びお寺に送り、マミちゃんと私は帰途につく。
バイバイ!と発進したところで、ユリちゃんが叫んだ。
「あ!清算!」
料理のために購入した食材のレシートと引き換えに
ユリちゃんからお金をもらうのだ。
私は家の冷凍庫にある魚を持って行っただけなので、清算は無し。
マミちゃんは次でいいと言って、そのまま帰った。
次は、多分ない。
お互いに忘れている。
どちらかが思い出したとしても、「もう、いいわ」となる。
ユリちゃんがそれを狙っているとまでは言わないが、実際にそういうことは何度もある。
そう、こういう所が甘い。
立て替えはたいした額ではないのでかまわないが
たいした額でないだけに、こちらからは清算を言い出しにくいものだ。
ユリちゃんは、帰る間際まで言わない。
「では清算させていただきます」
その時のユリちゃんはなぜか高飛車で、経営者の顔になっている。
金額が多い時は、明らかに不機嫌。
礼儀を重んじる“お作法奉行”のわりには、けっこう失礼な態度だ。
我々はこれが嫌なばっかりに
できるだけ貰い物や釣った物を使うよう心がけているのはさておき
その日はショッキングなことがあったとしても
経営者を気取るのであれば、これだけは忘れてはならない。
それは借金だからである。
朝、顔を見た時に清算してもいいくらいだ。
うちの夫もまた、自分の同級生のお寺で行事や作業を手伝うことがある。
檀家でなく、ただの同級生が数人で手伝うという条件は私と同じだ。
その流れで買い物が発生する場合、絶対に立て替えることは無い。
先に多めの金額を預けられ、後で領収とお釣りを返却するシステム。
事前に住職が、夫の所へお金を持って来ることもある。
いつもユリ寺料理の買い物に付き合わされ、荷物を持たされる夫は
タダで使う友だちに、お金を立て替えさせるユリ寺のシステムをあざ笑う。
「栄える寺と廃れる寺は、ここが違うんじゃ」
そう言って勝ち誇る夫を見るのは、なにげに悔しい。
が、一理あると思う。
以後のユリちゃんと我々は、表向き普通。
来月のお寺料理の日程も決まった。
LINEの文面では、何となく遠慮がちな雰囲気を感じるが
我々の本性を知りつつも現状維持を決めたらしい。
我々もまた、新たな気持ちで取り組むつもりだ。
こういうことがあっても、ユリちゃんが変わることは無いと思う。
何がマズいのか、一生わからないだろう。
特に肉親の情に関係する事柄と金銭感覚の問題は
どんなに立派な人でも通じない。
この日のことは、信じていた友だちに裏切られた苦労話として
またいつか、誰かに聞いてもらったらいいのだ。
ともあれ、この心身共にハードだった5日のお寺料理は
一部の偏食家を除いて概ね好評に終わった。
兄貴のたっての願いを受けて息子たちに釣らせ、渾身で焼いた天然ウナギも
兄貴はもちろん、食べた人は皆喜んだ。
が、その兄貴が最も喜んだのは、イカの沖漬けである。
イカを釣り上げたハシから醤油に漬ける、酒の肴。
いつぞや山陰へイカ釣りに行った長男の友だちがくれたのを
4ハイ残して冷凍していたのだ。
プラスアルファになればと持って行った、全く気合いの入ってない一品。
墨を除いて、ただ切るだけ。
なによ!
《完》
お寺料理を続けることに疑問を感じ始めたマミちゃん。
そこで、今までの経緯を話し合っていた彼女と私だった。
が、台所に近づいたユリちゃんに気づかなかった。
洗い物の水音に負けまいと、声は自然に大きくなっていたはず。
「あの…どのあたりから、お聞きになりました?」
そうたずねたいのは山々だが、欲だの何だのと
お寺人にとって一番言われたくないであろうことを口にしていたのだから
聞くに聞けないではないか。
が、そこはさすが、口さがない檀家を40年近く相手にしてきた彼女である。
何ごともなかったかのように、空いた皿を乗せた盆を置くと
「お疲れ様」と言って出て行った。
しかしその顔は、心なしか蒼ざめているように見えた。
ぜって〜、聞かれとる。
それも、けっこう前のあたりから。
「どうしよう…」
マミちゃんはおののいたが、私は気を取り直して言った。
「聞かれたものはしょうがない。
何か言われたら謝るし、バチが当たるんなら受けるわ」
梶田さんだけでなく我々まで逃してしまったら、困るのはユリちゃん。
だから、おそらく聞かなかったことにするだろう。
そして我々の方は、進退を決める時期なのかもしれない。
これで友情もお寺料理も終わるのか。
あるいは新たな関係の始まりか。
ユリちゃんが店のお得意様であるマミちゃんと違い
私はギブアンドテイクの関係ではないので、どっちでもかまわない。
ユリちゃんにはホンマに申し訳なかったが
我々の本心を知ってもらう良い機会だった…そういうことにするしかない。
やがておやつの時間となり、兄嫁さんの作った牛乳寒天を出した。
お供えのミカンの缶詰が惜しげもなく入っているので、おいしい。
私はおやつが足りなかった場合に備え、家にあった温室ミカンを持って行ったが
冷蔵庫の牛乳寒天を見て、ミカンがダブってはいけないと引っ込めたものだ。
ちなみに、なぜミカンを持って行ったか。
皿がいらないからさ。
飲み物もいらないので、コップを洗わなくていいからさ。
横着な私が行き着いた、名案のはずだった。
だがもう、こんなことはすまいと誓う。
どうあがいても、洗い物は増えるばかりなのだ。
現に牛乳寒天を固めるステンレスの容器が二つ、増えとるじゃないか。
液を注ぐ時点で個別に分かれる、厄介な部品付きだ。
あきらめるしかない。
おやつの時間もユリちゃんは平静を装っていたが、明らかに元気がなかった。
申し訳ないが、もはや致し方ない。
他人をタダで使うのは、難しいのだ。
知らず知らずとはいえ、ユリちゃんは今まで
無償で働くたくさんの人を傷つけてきたと思う。
彼女はそれを「いじめられた」と表現し
折に触れては自分の苦労を話すが、多分違う。
昔は、頑張って奉仕をしたら極楽へ行けると信じた人がたくさんいただろうけど
今は多くが外で働いて賃金を得る生活をしている。
労働と賃金はセットが常識だ。
そんな時代に人をタダで使うとなると、それなりの知識や技術が必要になる。
信仰心やカリスマ性だけに頼らず、お寺も時代に追いつくべきであろう。
さて、おやつの片付けが終わると、恒例のマミちゃんツアー。
マミちゃんの洋品店を開けてもらい、買い物をするのだ。
ユリちゃんが付いてきたので、立ち直りを感じた。
店ではすっかり元気が戻り、楽しそうだったのでホッとした。
ユリちゃんを再びお寺に送り、マミちゃんと私は帰途につく。
バイバイ!と発進したところで、ユリちゃんが叫んだ。
「あ!清算!」
料理のために購入した食材のレシートと引き換えに
ユリちゃんからお金をもらうのだ。
私は家の冷凍庫にある魚を持って行っただけなので、清算は無し。
マミちゃんは次でいいと言って、そのまま帰った。
次は、多分ない。
お互いに忘れている。
どちらかが思い出したとしても、「もう、いいわ」となる。
ユリちゃんがそれを狙っているとまでは言わないが、実際にそういうことは何度もある。
そう、こういう所が甘い。
立て替えはたいした額ではないのでかまわないが
たいした額でないだけに、こちらからは清算を言い出しにくいものだ。
ユリちゃんは、帰る間際まで言わない。
「では清算させていただきます」
その時のユリちゃんはなぜか高飛車で、経営者の顔になっている。
金額が多い時は、明らかに不機嫌。
礼儀を重んじる“お作法奉行”のわりには、けっこう失礼な態度だ。
我々はこれが嫌なばっかりに
できるだけ貰い物や釣った物を使うよう心がけているのはさておき
その日はショッキングなことがあったとしても
経営者を気取るのであれば、これだけは忘れてはならない。
それは借金だからである。
朝、顔を見た時に清算してもいいくらいだ。
うちの夫もまた、自分の同級生のお寺で行事や作業を手伝うことがある。
檀家でなく、ただの同級生が数人で手伝うという条件は私と同じだ。
その流れで買い物が発生する場合、絶対に立て替えることは無い。
先に多めの金額を預けられ、後で領収とお釣りを返却するシステム。
事前に住職が、夫の所へお金を持って来ることもある。
いつもユリ寺料理の買い物に付き合わされ、荷物を持たされる夫は
タダで使う友だちに、お金を立て替えさせるユリ寺のシステムをあざ笑う。
「栄える寺と廃れる寺は、ここが違うんじゃ」
そう言って勝ち誇る夫を見るのは、なにげに悔しい。
が、一理あると思う。
以後のユリちゃんと我々は、表向き普通。
来月のお寺料理の日程も決まった。
LINEの文面では、何となく遠慮がちな雰囲気を感じるが
我々の本性を知りつつも現状維持を決めたらしい。
我々もまた、新たな気持ちで取り組むつもりだ。
こういうことがあっても、ユリちゃんが変わることは無いと思う。
何がマズいのか、一生わからないだろう。
特に肉親の情に関係する事柄と金銭感覚の問題は
どんなに立派な人でも通じない。
この日のことは、信じていた友だちに裏切られた苦労話として
またいつか、誰かに聞いてもらったらいいのだ。
ともあれ、この心身共にハードだった5日のお寺料理は
一部の偏食家を除いて概ね好評に終わった。
兄貴のたっての願いを受けて息子たちに釣らせ、渾身で焼いた天然ウナギも
兄貴はもちろん、食べた人は皆喜んだ。
が、その兄貴が最も喜んだのは、イカの沖漬けである。
イカを釣り上げたハシから醤油に漬ける、酒の肴。
いつぞや山陰へイカ釣りに行った長男の友だちがくれたのを
4ハイ残して冷凍していたのだ。
プラスアルファになればと持って行った、全く気合いの入ってない一品。
墨を除いて、ただ切るだけ。
なによ!
《完》