会食が終わり、マミちゃんと私は台所で洗い物に取りかかった。
…と、マミちゃんがつぶやく。
「自分が作りたい料理を作っちゃあいけんのじゃね…」
彼女は本来、軽々しく愚痴を言うタイプではない。
明るく穏やかで、いつもニコニコしている天然さんだ。
客商売の長いマミちゃんは平静を装っていたが
やはり内心、ユリちゃんと兄嫁さんの会話がこたえたらしい。
「私ら、檀家さんのごはん作る話じゃったのに
ほとんどユリちゃん家族のごはんになっとるよね。
ミクちゃんの好き嫌いにまで合わせんといけんの?
なんか、嫌になっちゃった…」
今まで張り切って、私と一緒に頑張ってくれたマミちゃんだが
ここにきて大きな岩の前に立ちつくした模様。
これは無償の奉仕を一生懸命頑張っている人の前に、突然現れる岩だ。
岩には名前がある。
“やってられな岩”。
この岩に行く手を阻まれた時、おのれのお人好しを思い知る。
そして、善意だけでは乗り越えられないと知るのだ。
私もまた、この大岩に出会ったことがあった。
「来てくれるだけで助かる、作ってくれるだけでありがたい」
初めの頃は言われる。
なにしろバカだから、喜んでくれるのが嬉しくて張り切る。
が、一、二度やると向こうにも欲が出て、ハードルが上がり始める。
参加者に持ち帰らせる折り詰めや晩酌の肴
そしてユリちゃんが晩ご飯の用意をしなくていいように
それとなく量の倍増を要求されるようになった。
大量生産が慣例化すると、今度は各自の好み。
あれが食べたい、これがいい、あれはダメ、これはちょっと…。
量を増やすのは、買い物や切る材料が増える程度なので何とか追いつけるが
好みの問題は、品数を増やすしかない。
何種類もこしらえて、その中から好きな物や食べられる物を選んでもらうのだ。
が、あれダメこれダメと言うわりには、皆さん、けっこう召し上がる。
色々食べたいし、たくさん持って帰りたいから
品数を増やせということだったのね…と理解。
こうして各自の好みに合わせた何種類もの料理を
それぞれ大量に作ることになる。
買い物も準備も数日がかりになって、体力的にハードとなり
お寺料理はこの辺りから、ほぼ修行。
それでも私は、努めて楽しむ所存だった。
日頃タラタラしているんだから
たまにはシャキッとして人様のために働きたいと思った。
が、それではまだ終わらない。
多種の料理を大量に作るのが慣例化し、ある程度は思い通りになると
今度はヒョイと別の料理が食べたくなる…それが人情というものよ。
そこでユリちゃんは、別の人を引っ張ってくる。
ユリちゃんの嫁ぎ先のお寺で時々料理を作る、梶田さん。
アジア系の横文字料理を得意とする、あの梶田さんだ。
梶田さんはいい人で、私も好きだが、ユリちゃんの真意はキャッチした。
梶田さんをお手本にして、変わった料理を作れということだ。
実際にユリちゃんは我々の料理を食べながら
その場にいない梶田さんの料理がいかに素晴らしいかを熱く語る。
私の“やってられな岩”は、ここに現れた。
華やかで美しい梶田さんの料理と比較されるのは、仕方がないと思う。
けれども我々と彼女では、立つ土俵が違う。
会食用と持ち帰り用の折り詰めを大量に作る仕出し給食と
厳選された少人数にワンプレート料理を提供し、テイクアウトはやらない
小さなカフェの違いだ。
この異なる二者を比較するのは、おかしい。
梶田さんも我々もそんなことは望んでいないのに
あらぬ方向へ持って行かれてしまう、この無念。
とはいえユリちゃんがそうなってしまう理由は、何となくわかる。
梶田さんは、ユリちゃんが敬愛してやまない兄貴の紹介で
お寺に出入りするようになった。
知り合ってからの年月は浅いものの、兄貴を経由しているので
ユリちゃんにとっては非常に大切な人である。
さらに近年、定年退職した梶田さんのご主人も
手弁当で境内の整備作業を手伝うようになった。
夫婦で尽くしてくれるのだから、そりゃありがたい。
そして夫婦どちらも見栄えが良く、爽やかで気持ちのいい人だ。
お寺としても個人としても、彼らと長く付き合いたいのは当然である。
良かったね…それで終わればいいものを
ここでユリちゃんはなぜか、格付けに入る。
それが彼女の性質なのか、お寺の習慣なのかは不明だが
あからさまに梶田さんを持ち上げるようになった。
無論、梶田さんはそうされて然るべき素敵な人だから文句は無いが
そこに梶田さんの料理を見習ってもらいたいという意図をありありと感じ
我々の中にも、それを快く思わない者が出てきた。
私は梶田さんの料理を模倣する件について、考えてみたことがある。
ワンプレートの一食で済ませて、土産無しなら可能だ。
変わったモンを一つ、それからスープか付け合わせをちょっと作り
余った時間を使って、ひたすら飾り立てればいいんだから。
が、檀家の爺ちゃん婆ちゃんは、アジア系の刺激物に耐えられるのか。
土産無しで、彼らが納得するのか。
これらの疑問をユリちゃんに問うてみたところ、答えはぶっ飛んでいた。
「あら、身内だけの時でいいのよ。
檀家さんが来る時は、いつもの料理で。
臨機応変にね」
身内だけの時も作るって、いつ決まった?
料理しない人って、すごいわ。
で、結論から言うと、お寺は梶田さんに逃げられた。
梶田さんが逃げたということは、彼女のご主人も逃げたことになる。
表向きは、彼女が頼まれて仕事に復帰したという話。
10年前に早期退職した65才の元公務員にカムバックを要請する市って
大丈夫なのかどうかはともかく
梶田さん夫婦はモクネン寺にもユリ寺にも来なくなった。
賢い人は方向がズレ始めたらすぐに察知するし、逃げ方もスマートだ。
ほとぼりがさめたらまた来るかもしれないが、今はしばしのお別れ中。
結果、バカが残る。
天秤にかけられる相手がいなくなると、私の“やってられな岩”は消えた。
梶田さんに会えなくなったのは淋しいけど
お寺の胸先三寸で比較されたり競わされ、コントロールされるのはゴメンだ。
梶田さんも、そうだったに違いない。
「ユリちゃんは外で働いたことが無いから
その辺のことがわからないかも…」
「こればっかりは、話してわかるものではない…」
「人間の欲とは、限りない…」
「欲が、金の鶏の腹を裂いた…」
そのようなことをマミちゃんと話していたら
後ろにユリちゃんが立っとるじゃないの。
ガビ〜ン!
お寺は広くて構造が入り組んでいる。
いつ、どこで、誰が聞いているかわからないので
滅多なことを言わないように、いつも気をつけているけど
その日は深刻なテーマと疲れによって、うっかりしていた。
《続く》
…と、マミちゃんがつぶやく。
「自分が作りたい料理を作っちゃあいけんのじゃね…」
彼女は本来、軽々しく愚痴を言うタイプではない。
明るく穏やかで、いつもニコニコしている天然さんだ。
客商売の長いマミちゃんは平静を装っていたが
やはり内心、ユリちゃんと兄嫁さんの会話がこたえたらしい。
「私ら、檀家さんのごはん作る話じゃったのに
ほとんどユリちゃん家族のごはんになっとるよね。
ミクちゃんの好き嫌いにまで合わせんといけんの?
なんか、嫌になっちゃった…」
今まで張り切って、私と一緒に頑張ってくれたマミちゃんだが
ここにきて大きな岩の前に立ちつくした模様。
これは無償の奉仕を一生懸命頑張っている人の前に、突然現れる岩だ。
岩には名前がある。
“やってられな岩”。
この岩に行く手を阻まれた時、おのれのお人好しを思い知る。
そして、善意だけでは乗り越えられないと知るのだ。
私もまた、この大岩に出会ったことがあった。
「来てくれるだけで助かる、作ってくれるだけでありがたい」
初めの頃は言われる。
なにしろバカだから、喜んでくれるのが嬉しくて張り切る。
が、一、二度やると向こうにも欲が出て、ハードルが上がり始める。
参加者に持ち帰らせる折り詰めや晩酌の肴
そしてユリちゃんが晩ご飯の用意をしなくていいように
それとなく量の倍増を要求されるようになった。
大量生産が慣例化すると、今度は各自の好み。
あれが食べたい、これがいい、あれはダメ、これはちょっと…。
量を増やすのは、買い物や切る材料が増える程度なので何とか追いつけるが
好みの問題は、品数を増やすしかない。
何種類もこしらえて、その中から好きな物や食べられる物を選んでもらうのだ。
が、あれダメこれダメと言うわりには、皆さん、けっこう召し上がる。
色々食べたいし、たくさん持って帰りたいから
品数を増やせということだったのね…と理解。
こうして各自の好みに合わせた何種類もの料理を
それぞれ大量に作ることになる。
買い物も準備も数日がかりになって、体力的にハードとなり
お寺料理はこの辺りから、ほぼ修行。
それでも私は、努めて楽しむ所存だった。
日頃タラタラしているんだから
たまにはシャキッとして人様のために働きたいと思った。
が、それではまだ終わらない。
多種の料理を大量に作るのが慣例化し、ある程度は思い通りになると
今度はヒョイと別の料理が食べたくなる…それが人情というものよ。
そこでユリちゃんは、別の人を引っ張ってくる。
ユリちゃんの嫁ぎ先のお寺で時々料理を作る、梶田さん。
アジア系の横文字料理を得意とする、あの梶田さんだ。
梶田さんはいい人で、私も好きだが、ユリちゃんの真意はキャッチした。
梶田さんをお手本にして、変わった料理を作れということだ。
実際にユリちゃんは我々の料理を食べながら
その場にいない梶田さんの料理がいかに素晴らしいかを熱く語る。
私の“やってられな岩”は、ここに現れた。
華やかで美しい梶田さんの料理と比較されるのは、仕方がないと思う。
けれども我々と彼女では、立つ土俵が違う。
会食用と持ち帰り用の折り詰めを大量に作る仕出し給食と
厳選された少人数にワンプレート料理を提供し、テイクアウトはやらない
小さなカフェの違いだ。
この異なる二者を比較するのは、おかしい。
梶田さんも我々もそんなことは望んでいないのに
あらぬ方向へ持って行かれてしまう、この無念。
とはいえユリちゃんがそうなってしまう理由は、何となくわかる。
梶田さんは、ユリちゃんが敬愛してやまない兄貴の紹介で
お寺に出入りするようになった。
知り合ってからの年月は浅いものの、兄貴を経由しているので
ユリちゃんにとっては非常に大切な人である。
さらに近年、定年退職した梶田さんのご主人も
手弁当で境内の整備作業を手伝うようになった。
夫婦で尽くしてくれるのだから、そりゃありがたい。
そして夫婦どちらも見栄えが良く、爽やかで気持ちのいい人だ。
お寺としても個人としても、彼らと長く付き合いたいのは当然である。
良かったね…それで終わればいいものを
ここでユリちゃんはなぜか、格付けに入る。
それが彼女の性質なのか、お寺の習慣なのかは不明だが
あからさまに梶田さんを持ち上げるようになった。
無論、梶田さんはそうされて然るべき素敵な人だから文句は無いが
そこに梶田さんの料理を見習ってもらいたいという意図をありありと感じ
我々の中にも、それを快く思わない者が出てきた。
私は梶田さんの料理を模倣する件について、考えてみたことがある。
ワンプレートの一食で済ませて、土産無しなら可能だ。
変わったモンを一つ、それからスープか付け合わせをちょっと作り
余った時間を使って、ひたすら飾り立てればいいんだから。
が、檀家の爺ちゃん婆ちゃんは、アジア系の刺激物に耐えられるのか。
土産無しで、彼らが納得するのか。
これらの疑問をユリちゃんに問うてみたところ、答えはぶっ飛んでいた。
「あら、身内だけの時でいいのよ。
檀家さんが来る時は、いつもの料理で。
臨機応変にね」
身内だけの時も作るって、いつ決まった?
料理しない人って、すごいわ。
で、結論から言うと、お寺は梶田さんに逃げられた。
梶田さんが逃げたということは、彼女のご主人も逃げたことになる。
表向きは、彼女が頼まれて仕事に復帰したという話。
10年前に早期退職した65才の元公務員にカムバックを要請する市って
大丈夫なのかどうかはともかく
梶田さん夫婦はモクネン寺にもユリ寺にも来なくなった。
賢い人は方向がズレ始めたらすぐに察知するし、逃げ方もスマートだ。
ほとぼりがさめたらまた来るかもしれないが、今はしばしのお別れ中。
結果、バカが残る。
天秤にかけられる相手がいなくなると、私の“やってられな岩”は消えた。
梶田さんに会えなくなったのは淋しいけど
お寺の胸先三寸で比較されたり競わされ、コントロールされるのはゴメンだ。
梶田さんも、そうだったに違いない。
「ユリちゃんは外で働いたことが無いから
その辺のことがわからないかも…」
「こればっかりは、話してわかるものではない…」
「人間の欲とは、限りない…」
「欲が、金の鶏の腹を裂いた…」
そのようなことをマミちゃんと話していたら
後ろにユリちゃんが立っとるじゃないの。
ガビ〜ン!
お寺は広くて構造が入り組んでいる。
いつ、どこで、誰が聞いているかわからないので
滅多なことを言わないように、いつも気をつけているけど
その日は深刻なテーマと疲れによって、うっかりしていた。
《続く》